野間口 有(のまくち たもつ、1940年11月18日 - )… 野間口 有(のまくち たもつ、1940年11月18日 - )は、日本の実業家。三菱電機相談役。元産業技術総合研究所理事長。 1940年に鹿児島県で生まれる。出水市出身。1965年京都大学大学院理学研究科修士課程修了。同年に三菱電機に入社後、一貫して研究開発畑を歩き、2002年4月に代表取締役社長に就任。重電分野に経営資源を集中する「選択と集中」を進め、2002年3月期には780億円の連結最終赤字を計上した業績を、純利益で業界1位に回復させた。 知的財産権に関する見識が高く、総合科学技術会議知的財産戦略専門調査会専門委員、産業構造審議会知的財産政策部会委員、工業所有権審議会委員、日本経済団体連合会知的財産委員会委員長、日本知的財産協会会長、内閣官房知的財産戦略本部本部員を務めた。
久高 正之 空観(ひさたか まさゆき くうかん、1940年1… 久高 正之 空観(ひさたか まさゆき くうかん、1940年11月18日 - )は少林寺流拳行館空手道を主宰する空手家。 清和源氏子孫であり、少林寺流拳行館空手の 久高幸利の息子。 彼は3歳で柔道と空手を始め、13歳になるまでに両方の分野で初段を取得した。 彼は1961年と1962年に全日本オープン空手道選手権と1958年から1962年に少林寺流拳行館選手権を勝ち取る。彼は日本大学に進学し卒業までに四段に、柔道や空手は五段を取得。 久高正之はニューヨーク市 (1964)とモントリオール (1967)の世界博覧会で日本代表となる。 コロンビア大学 、ニューヨーク州立大学 、 マギル大学 、 ロヨラカレッジ 、 カナダ国立劇場学校 、少林寺流拳行館空手道のカナダ本部で空手道を指導した。
小坂 照男(こさか てるお、1940年11月18日 - 20… 小坂 照男(こさか てるお、1940年11月18日 - 2019年4月3日)は、日本の元プロボクサー。千葉県君津郡富津町(現・富津市)出身。元日本ライト級、OBF東洋ライト級王者。現役時代は帝拳ボクシングジム所属。 16歳の頃、帝拳名誉師範荻野貞行の葉山の自宅へクリーニング店の配達に出向いていたところ、その筋力と面構えが荻野の目に留まり、帝拳に紹介されて心技両面から指導を受けるようになった。 カウンターパンチャーが多い中、強烈な左右フックを武器にフルラウンドにわたって打ち続けることのできるファイターだった。 1957年3月30日、プロデビュー戦では4R判定勝利を収めた。同年12月15日、第14回東日本フェザー級新人王トーナメント決勝戦で6R判定負けを喫した。
関谷 剛男(せきや たかお、1939年11月18日 - )は… 関谷 剛男(せきや たかお、1939年11月18日 - )は、日本の分子生物学者。佐々木研究所所長。薬学博士。核酸の高次構造多型(SSCP)解析法の開発で知られる。がん遺伝子・がん抑制遺伝子の塩基配列異常をはじめ、多くのヒト遺伝病原因遺伝子解析に利用された。日本学士院会員。
奥山 コーシン(おくやま コーシン、本名:戸波 侊伸(となみ… 奥山 コーシン(おくやま コーシン、本名:戸波 侊伸(となみ てるのぶ)、1938年〈昭和13年〉11月18日 - 2023年(令和5年)5月24日)は、日本のラジオパーソナリティ、放送作家、作詞家。社団法人日本放送作家協会理事。放送作家としての名は奥山侊伸(おくやま てるのぶ)。通称は『おくちゃん』。北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校卒業。門下の一人に秋元康がいる。
渡辺 誠(わたなべ まこと、1938年〈昭和13年〉11月1… 渡辺 誠(わたなべ まこと、1938年〈昭和13年〉11月18日 - 2021年〈令和3年〉9月14日)は、日本の考古学者。名古屋大学名誉教授。 福島県平市(現・いわき市)生まれ。福島県立磐城高等学校卒業、慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程満期退学、1995年「日韓交流の民族考古学」で慶應義塾大学より博士(史学)の学位を取得。古代学協会研究員、平安博物館、名古屋大学文学部助教授、教授。2002年定年退官、名誉教授、山梨県立考古博物館館長・山梨県埋蔵文化財センター所長。
内藤 忠勝(ないとう ただかつ、1938年(昭和13年)11… 内藤 忠勝(ないとう ただかつ、1938年(昭和13年)11月18日 - )は、山梨県出身のピアニスト。武蔵野音楽大学を卒業し、松山淳子やアネッテ・デュドンヌ (Annette Dieudonné)などの元で師事した。武蔵野音楽大学や東京芸術大学の講師を務めたのち、武蔵野音楽大学の器楽学科の助教授に就任、現在は教授となり、ソルフェージュを教えている。 門下生に大塚英一郎がいる。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
渡邊 那智子(わたなべ なちこ、1938年11月18日 - … 渡邊 那智子(わたなべ なちこ、1938年11月18日 - )は、日本の詩人。東京生まれ。 「JO5」、「地球」を経て、現在「PANDORA」、「詩霊」同人。日本翻訳家協会会員。主として短詩、群詩を書く。 早稲田大学第一文学部英文科卒業。 詩集『煉獄の秋』(1986年、書肆山田)。 2004年、KAYA GOLD CROWN WORLD POETS AWARD 受賞。 『日本詩集』『日本詩華集』(葵詩書財団)、韓国『WORLD POETRY』、『ポイエーシス2000』(銅林社)、短篇アンソロジー『夜』(驢馬出版・共著)、日英スペイン対訳現代詩人アンソロジー『虹の架け橋』(北瞑社)、日韓環境詩選集『地球は美しい』(土曜美術社出版販売)、対訳詩歌集『百葉集』(竹林館)、『詩と思想詩人集2021』(土曜美術社出版販売)、「時調」(時調の会編)、『OUR VOICES ON THE WINDS 2014』(世界詩人会議)、「花美術館」等に執筆。
小岩 昌宏(こいわ まさひろ、1936年11月18日 - )… 小岩 昌宏(こいわ まさひろ、1936年11月18日 - )は、日本の材料科学者で工学博士。専門は材料物性学で、固体材料中の拡散と弾性や擬弾性(内部摩擦)及び相変態について、理論及び実験の両面において先駆的な研究を行ってきた。また、自身の豊富な研究経験を背景に教育・研究者育成にも力を注いできた。近年は材料科学者の立場から原子力発電の圧力容器の寿命に関わる脆化予測に関する著述や講演を精力的に行っている他、収集した高名な科学者の来歴・重大な学術的発見にまつわるエピソードに関する著述も多い。2016年11月3日、瑞宝中綬章を受章。
山崎 泰孝(やまさき やすたか、1935年11月18日[要出… 山崎 泰孝(やまさき やすたか、1935年11月18日[要出典] - 2016年2月29日)は、日本の建築家。山崎泰孝+AZ環境計画研究所を主宰し代表を務めた。 兵庫県芦屋市生まれ。京都府立鴨沂高等学校を経て、1960年早稲田大学第一理工学部建築学科卒業。1960年〜1970年坂倉準三建築研究所(現・坂倉建築研究所)。1973年、株式会社アズ・インスティチュート(AZ Institute AZ環境計画研究所)設立。1976年福井工業大学教授( - 1996年)、1997年近畿大学文芸学部芸術学科教授( - 2003年)(近畿大学日本文化研究所)[要出典]。 1977年「善光寺別院願王寺」で。昭和51年度 日本建築学会賞(作品)。
梅本 彪夫(うめもと あやお、1935年(昭和10年)11月… 梅本 彪夫(うめもと あやお、1935年(昭和10年)11月18日 - )は、日本の実業家。東京放送(現・TBSホールディングス)元常務取締役。テレパック・TBSサンワーク元社長。お笑いタレントの渡部建は甥。 梅本正倫・とねの次男として奈良県に生まれる。1958年(昭和33年)九州大学経済学部を卒業。同年東京放送に入社。 1978年(同53年)6月パリ支局長、1986年(同61年)6月人事労務局長、1988年(同63年)2月制作局長、1989年(平成元年)1月テレビ編成局長を経て、1991年(同3年)6月テレパック社長に就任。 1992年(同4年)6月東京放送取締役、1993年(同5年)6月同社常務を経て、1995年(同7年)TBSサンワーク社長に就任。
岩森 道子(いわもり みちこ、1935年11月18日 - )… 岩森 道子(いわもり みちこ、1935年11月18日 - )は、日本の作家。 山口県下関市生まれ。京都女子大学短期大学部文学部国文科卒。結婚後、福岡県北九州市に住む。 1975年(昭和50年)より同人誌『海峡派』に加わる。 1986年、「抱卵」が第17回九州芸術祭文学賞の地区次席になる。1987年、九電女のエッセイ特選に選ばれる。1987年、「雪迎え」で第18回九州芸術祭文学賞の最優秀作受賞、第1回三島由紀夫賞候補、第99回芥川賞候補となる。1988年、「香水蘭」で第100回芥川賞候補となる。1996年、「噴水の向こうの風景」で第1回草枕文学賞を受賞。 1.芥川賞のすべて・のようなものhttps://prizesworld.com/akutagawa/kogun/kogun99IM.htm
戸田 邦司(とだ くにじ、1934年(昭和9年)11月18日… 戸田 邦司(とだ くにじ、1934年(昭和9年)11月18日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)。
片岡 行雄(かたおか ゆきお、1934年11月18日 - )… 片岡 行雄(かたおか ゆきお、1934年11月18日 - )は、日本の京人形師。 京都府出身。京人形師として一世を風靡した片岡光春を父に持つ。立命館大学法学部卒業。父のもとで人形作りを学び、1995年に京都府伝統産業優秀技術者(京の名工)に選ばれる。京都工芸研究会委員長も務める。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
戸田 博之(とだ ひろし、1933年11月18日 - 202… 戸田 博之(とだ ひろし、1933年11月18日 - 2023年10月30日)は、日本の会計学者。神戸学院大学名誉教授、元日本簿記学会会長。 大阪府大阪市生まれ。1952年関西学院高等部卒業。1956年関西学院大学経済学部卒業。1961年神戸大学大学院経営学研究科博士課程単位取得退学、大阪医薬相互販売取締役。1964年大阪府立大学経済学部専任講師。1967年京都産業大学経営学部専任講師。1968年京都産業大学経営学部助教授。1972年京都産業大学経営学部教授。1975年京都産業大学経営学部長。1985年神戸学院大学経済学部教授。1989年神戸大学経営学博士。1993年日本簿記学会副会長。2002年日本簿記学会会長。
重久 吉弘(しげひさ よしひろ、1933年(昭和8年)11月… 重久 吉弘(しげひさ よしひろ、1933年(昭和8年)11月18日 - 2025年 )は、日本の実業家。日揮名誉顧問。日揮元代表取締役社長・会長・日揮グループ代表・相談役。旭日重光章受章。
空 充秋(そら みつあき、1933年11月18日 - )は、… 空 充秋(そら みつあき、1933年11月18日 - )は、日本の彫刻家。石組みによる抽象彫刻が特徴。 本名は田中充昭。広島県出身。多摩美術大学卒(1957年)。1964年東京オリンピックの選手村に、石彫「石のスピーカー」を制作した。1986年、みなとみらい21彫刻展で優秀賞・神戸須磨離宮公園現代彫刻展で大賞。1988年、「生きる」で第19回中原悌二郎賞を受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
西村 正雄(にしむら まさお、1932年(昭和7年)11月1… 西村 正雄(にしむら まさお、1932年(昭和7年)11月18日 - 2006年(平成18年)8月1日)は、日本の銀行家。神奈川県出身。日本興業銀行元頭取、みずほホールディングス元会長。 政治家・安倍晋太郎は異父兄であり、その次男・安倍晋三及び同三男・岸信夫は甥にあたる。 1999年、大手銀行に約7兆4,500億円もの公的資金が注入されたが、各行がこの受け入れに尻込みする中、注入の申請を真っ先に表明して流れを作る場面もあった。同年にはみずほフィナンシャルグループ発足に動き、非金利収入の拡大や投資銀行ビジネスの推進を訴えるなど、2000年前後の金融ビッグバンの牽引役の一人であった。 みずほフィナンシャルグループをみずほコーポレート銀行とみずほ銀行へ分割するグループ編成を考えた。
大倉 徹也(おおくら てつや、1932年11月18日 - 2… 大倉 徹也(おおくら てつや、1932年11月18日 - 2019年2月4日)は、日本の放送作家。 大阪市十三で生まれ、幼少時に豊中市へ移り住む。東京都立大学へ進み、在学中は演劇部で活動した。 1956年から永六輔の誘いを受けて放送作家の活動を始め、『夢であいましょう』『8時だョ!全員集合』『小沢昭一の小沢昭一的こころ』など、数多くの芸能関係のテレビ・ラジオ番組を手がけた。日本脚本家連盟の理事を20年以上勤めた。 また、阪急宝塚線沿線で生まれ育ったため阪急ブレーブスのファンとなり、純パの会代表を務めたこともあったため、パ・リーグに関する著作もある。 2019年2月4日午後1時41分、肺がんのため東京都目黒区の自宅で死去。
原 正人(はら まさと、1931年11月18日 - 2021… 原 正人(はら まさと、1931年11月18日 - 2021年3月17日)は、日本の映画プロデューサー。Hara Office代表。 本名は山田 良雄(やまだ よしお)。 埼玉県熊谷市生まれ。旧制中学の埼玉県立熊谷中学校(現:埼玉県立熊谷高等学校) から第一早稲田高等学院(現:早稲田大学高等学院)に進学。結核を患い早稲田大学理工学部建築学科を中退後、今井正、山本薩夫監督などの下で制作、宣伝として第一期独立プロ運動に参加する。1958年に日本ヘラルド映画に入社、洋画ヒット作を生む傍ら、手塚治虫監督作『千夜一夜物語』(1969年)や、黒澤明監督作『デルス・ウザーラ』(1975年)、『乱』(1985年)など邦画製作に携わる。
佐藤 猛郎(さとう たけろう、1931年11月18日 - )… 佐藤 猛郎(さとう たけろう、1931年11月18日 - )は、英文学者。 東京生まれ。1954年東京教育大学英文科卒業。日本交通公社勤務、東京都立上野高等学校教諭、学習院高等科教諭、帝京技術科学大学教授、つくば国際大学教授。2002年定年退任。19世紀英文学、特にウォルター・スコットを研究。NPO日本スコットランド協会代表理事。日本カレドニア学会幹事。
広部 英一(ひろべ えいいち、1931年11月18日 - 2… 広部 英一(ひろべ えいいち、1931年11月18日 - 2004年5月4日)は、日本の詩人。 福井県福井市出身。福井大学卒。大学在学中に則武三雄に出会い師事する。新聞記者を経て福井県立図書館司書となる。岡﨑純、川上明日夫らと<定住者の文学>を掲げ、詩誌『木立ち』を創刊。1977年『邂逅』で地球賞受賞。1991年『愛染』で中日詩賞を受賞。1998年『苜蓿』で富田砕花賞を受賞。福井市立清水図書館長を務め、「ふるさとの詩劇場」を毎年開催した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
飯島 周(いいじま いたる、1930年11月18日 - 20… 飯島 周(いいじま いたる、1930年11月18日 - 2020年7月18日)は、日本の言語学者、跡見学園女子大学名誉教授。専攻は言語学(スラブ語)。 長野県長野市出身。1953年東京大学文学部言語学科卒業。1955年同大学院文学研究科言語学専攻修士課程修了。跡見学園女子大学短期大学部助教授、跡見学園女子大学大学教授、1994年から1998年まで学長を務め、2001年定年、名誉教授。 1967年以降数度にわたりチェコスロバキアのカレル大学に留学、2009年、チェコ文化普及の功績により同国政府より功労賞授与。日本チェコ協会会長。 2020年7月18日に死去。89歳没。
山口 光一(やまぐち こういち、1929年〈昭和4年〉11月… 山口 光一(やまぐち こういち、1929年〈昭和4年〉11月18日 - 2008年〈平成20年〉9月14日)は、日本の政治家。自由民主党所属。参議院議員(1期)を歴任。 埼玉県深谷市出身。1953年(昭和28年)早稲田大学第一政経学部政治学科卒。同年自由党政務調査会勤務となった。1955年(昭和30年)の保守合同により自由民主党本部職員となる。1980年(昭和55年)に事務局次長、1983年(昭和58年)に事務局長に就任する。1986年(昭和61年)の参院選で比例区から立候補するが名簿順位が25位(最下位)のため落選。1990年(平成2年)に宮田輝の死去により繰り上げ当選する。同年8月20日に当選が告示された。
越智 正典(おち まさのり、1928年11月18日 - 20… 越智 正典(おち まさのり、1928年11月18日 - 2025年4月16日)は、日本のアナウンサー、野球評論家、スポーツライター。日本放送協会(NHK)アナウンサー→日本テレビ放送網(NTV)アナウンサー、のち運動部長。東京府(のちの東京都)出身。 「おち せいてん」の読みをあてる場合がある。 東京府立第一商業、早稲田大学政治経済学部卒業。 1951年にNHKへ入局。札幌局勤務ののち、1953年のNTV開局に伴い同局へ第1期アナウンサーとして移籍とする資料があるが、同年10月21日のNHKラジオ第2放送での日米野球(円山球場)の実況を担当しているため、実際には開局翌年移籍とみられる。以後、特にスポーツ中継の実況アナウンサーとして活躍。
篠田 信義(しのだ のぶよし、1928年11月18日 - 2… 篠田 信義(しのだ のぶよし、1928年11月18日 - 2010年4月27日)は、日本の大蔵官僚。大阪国税局長、印刷局長、日本酒類販売副社長、同社社長、同社会長などを務めた。 大分県高田町(現:豊後高田市)で6人兄弟の5番目で4男として生まれる。宇佐中学校、第五高等学校を経て、東京大学法学部政治学科卒業。1951年 大蔵省入省(銀行局検査部管理課)。1952年5月 銀行局銀行課。1957年12月 相馬税務署長。 外務省在ベルギー大使館一等書記官、同大使館参事官などを経て、1972年7月3日 理財局国有財産第一課長。1973年7月3日 国税庁長官官房人事課長。1975年7月17日 福岡国税局長。
越 昭三(こし しょうぞう、1928年11月18日 - 20… 越 昭三(こし しょうぞう、1928年11月18日 - 2003年7月11日)は北海道小樽市出身の北海道大学名誉教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
高草木 昭允(たかくさぎ てるちか、1927年〈昭和2年〉1… 高草木 昭允(たかくさぎ てるちか、1927年〈昭和2年〉11月18日 - 1994年〈平成6年〉8月15日)は、日本の作詞家。群馬県桐生市出身。 1927年(昭和2年)、桐生市に生まれる。桐生高等工業学校附属商工専修学校を経て、関東短期大学英文科を卒業。桐生市役所に入庁し総務課へ配属された。公務員としての職務の傍ら作詞に取り組み、教育委員会社会教育課長在職時の1968年(昭和43年)に県が明治百年を記念して実施した3代目県民歌の一般公募で応募作が入選する。これ以降、一般公募や直接の依頼を受けて県内の複数の小中学校で校歌を作詞した。 桐生市立中央公民館長兼青少年センター長、市議会事務局長を経て市総務課長に至る。
大橋 幸雄(おおはし ゆきお、1927年(昭和2年)11月1… 大橋 幸雄(おおはし ゆきお、1927年(昭和2年)11月18日 - 2020年(令和2年)8月20日)は、日本の政治家。茨城県取手市長(2期)。 現在の茨城県取手市に生まれる。1945年茨城県立取手園芸学校(現・茨城県立取手第一高等学校)卒。取手市議会議員を経て、茨城県議会議員に当選(自由民主党)。5期務め、県議会副議長を務めた。1995年取手市長に当選。1999年に再選。2003年に元取手市職員の塚本光男に敗れた。2020年に死去した。
武藤 嘉文(むとう かぶん、1926年〈大正15年〉11月1… 武藤 嘉文(むとう かぶん、1926年〈大正15年〉11月18日 - 2009年〈平成21年〉11月4日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党所属の衆議院議員、農林水産大臣(第3代)、通商産業大臣(第51代)、外務大臣(第114代)、総務庁長官(第19代)を歴任した。 岐阜県各務原市出身。岐阜中学 (旧制)、富山高校 (旧制)卒業。中国・上海の東亜同文書院大学に入学するが、一時帰国中に同校が敗戦によって閉校したため、戦後、京都大学法学部に転入学する。在学中は当時大学の総長だった瀧川幸辰に師事していた。1951年(昭和26年)、京都大学法学部卒業。ファミリー企業の武藤醸造(菊川株式会社、後にヒシノ)に入社する。
難波江 通泰(なばえ みちやす、1926年(大正15年)11… 難波江 通泰(なばえ みちやす、1926年(大正15年)11月18日 - 2007年(平成19年)6月20日)は、日本の文学、歴史、哲学の学者。愛媛県出身。愛媛大学卒。小・中・高校の教諭を歴任。福岡県立戸畑高等学校、三重県伊勢市の皇學館高等学校、皇學館中学校(中高一貫6年制)教諭を経た後、国士舘大学武徳研究所助教授。専門は王陽明、支那文学(漢文)、支那哲学。 王陽明全集の中で非常に難解とされ、誰にも訳されることのなかった王陽明全集 第五巻「公移」を詳細な注釈つきで現代語訳(明徳出版社、1985年5月)。 墓所は伊勢市の小町塚にある。 趣味は尺八、謡曲、仕舞、剣道、柔道、弓道(日置流)だった。
古賀 梶夫(こが かじお、1926年(大正15年)11月18… 古賀 梶夫(こが かじお、1926年(大正15年)11月18日 - )は、日本の実業家、建築技術者。国土総合建設(現:あおみ建設)元社長。神奈川県川崎市在籍。元通産・経産官僚、政治経済評論家の古賀茂明の父。 福岡県出身。古賀要市・ユクの次男として生まれる。1945年(昭和20年)海軍経理学校(36期)、1952年(昭和27年)明治大学商学部を卒業し、同年4月鉄鉱業に入社。 1961年(昭和36年)12月退社し、ブルドーザー工事(現:青木あすなろ建設)に入社。1967年(昭和42年)9月経理部長、1968年(昭和43年)5月取締役に就任。1971年(昭和46年)2月経理部長兼電算部長、1972年(昭和47年)7月事務本部副本部長委嘱。
宮川 一郎(みやがわ いちろう、1925年11月18日 - … 宮川 一郎(みやがわ いちろう、1925年11月18日 - 2008年12月12日)は、日本の脚本家。本名は眞木壮介(まき そうすけ)。岐阜県飛騨市古川町出身。 東京大学文学部卒業後、新東宝企画部に入社。助監督、宣伝担当、企画担当を経て、1957年の『鋼鉄の巨人』を皮切りに『隠密将軍と喧嘩大名』や『人形佐七捕物帖 裸姫と謎の熊男』『地獄』(中川信夫監督)などを執筆。1961年の新東宝倒産時に同社を退社し、中川信夫から「この男は使える」と東映に推薦され、東大の先輩・岡田茂プロデューサーにホンを読んでもらったら「お前のシナリオは説教くさい。面白いとこだけつなげろ」と大蔵貢と同じことを言われ娯楽映画の本質を学び、書き直して再提出し1963年に東映と契約した。
並木 美喜雄(なみき みきお、1925年11月18日 - 2… 並木 美喜雄(なみき みきお、1925年11月18日 - 2010年4月21日)は、日本の物理学者。早稲田大学名誉教授。東京都出身。 専門は素粒子論、量子力学基礎論。確率過程を用いて場の量子論を再構築する確率過程量子化、量子力学の観測問題などを研究した。また、早稲田大学理工学部物理学科の創設にも尽力した。
横井 芳弘(よこい よしひろ、1924年11月18日 - 2… 横井 芳弘(よこい よしひろ、1924年11月18日 - 2007年7月12日)は、日本の法学者。労働法学者。学位は、法学博士。中央大学名誉教授。元日本労働法学会代表理事。香川県高松市出身、京城で育つ。 この他に、日本労働法学会代表理事(1982年~1984年)、早稲田大学法学部・神奈川大学法学部・一橋大学法学部・法政大学法学部の非常勤講師も務めた。 労働法全般を研究領域としていたが、特に労働協約、団結権論、争議行為を研究。 当時、中央大学には労働法の研究者がいなかった為、学外指導教授として吾妻光俊(一橋大学名誉教授)の薫陶を受けた。 『法学新報』101巻9号、1995年 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
長井 彬(ながい あきら、1924年11月18日 - 200… 長井 彬(ながい あきら、1924年11月18日 - 2002年5月25日)は、日本の小説家。 和歌山県田辺市生まれ。東京大学文学部哲学科卒業後、毎日新聞社入社。整理部を経て編集委員。整理部時代の先輩に作家の小峰元がいる。1979年(昭和54年)定年退職。 定年退職後江戸川乱歩賞をめざし、昭和55年東海地震をテーマとした「M8以前」で第26回の最終候補作となるも落選。翌昭和56年原子力発電所の建設にまつわる疑惑をテーマとした「原子炉の蟹」で第27回江戸川乱歩賞を受賞。当初は社会派推理小説、後に山岳小説を得意分野とした。 2002年5月25日、脳梗塞のため大阪府吹田市の病院で逝去。享年77。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
北見 俊夫(きたみ としお、1924年11月18日 - 19… 北見 俊夫(きたみ としお、1924年11月18日 - 1995年3月23日)は、日本の民俗学者。 新潟県佐渡島生まれ。東京文理科大学史学科卒。東京教育大学助教授、教授、筑波大学教授、大東文化大学教授。1976年「日本海上交通史の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1973年『日本海上交通史の研究』で柳田賞受賞。日本交通史、日本流通史、民俗学専攻。1995年3月23日、膵臓癌のため死去。没後、勲三等瑞宝章叙。
森久保安美(もりくぼ やすみ、男性、1924年11月18日 … 森久保安美(もりくぼ やすみ、男性、1924年11月18日 - 2012年3月6日)は、日本の国語教育学者。産業能率大学名誉教授。 神奈川県藤野町(現相模原市)生まれ。1944年神奈川師範学校卒、玉川学園中学部教諭、川崎市教育委員会に入り、理事、川崎市教育研究所長、産業能率大学教授、名誉教授。
山本 謙一(やまもと けんいち、1922年11月18日 - … 山本 謙一(やまもと けんいち、1922年11月18日 - 2002年2月26日)は、青森県南津軽郡大鰐町出身のクロスカントリースキー選手。オリンピアン。 旧制五所川原農林学校 → 明治大学 → 青森営林局 中学時代から才能を発揮し、1940年の第18回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人長距離(18km)・少年の部で優勝。その後明大に進み、1942年から1943年の同大会個人長距離・成年の部を連覇。同じ1942年~1943年の全日本学生スキー選手権大会では、リレーで連覇した他、1943年の個人長距離で前年王者の落合力松(明大)を破り優勝。 戦後1948年に再開された全日本スキー選手権大会個人長距離では、ライバル落合に敗れるが、翌1949年の同大会同種目は山本が制した。
久野 洋(くの ひろし、1921年(大正10年)11月18日… 久野 洋(くの ひろし、1921年(大正10年)11月18日 - 1988年(昭和63年)5月27日)は日本の化学者。慶應義塾大学工学部(現理工学部)教授。慶應義塾長。慶應義塾長に工学部出身者が就任するのは久野が初めてであった。日本私立大学連盟会長。 父は生理学者で名古屋大学名誉教授の久野寧。妻の祖父は司法官僚の松室致。 1944年9月慶應義塾大学工学部卒業。同年10月から1945年9月まで文部省大学院特別研究生となる。1946年10月工学部助教授、専攻は応用化学。 1960年3月、慶應義塾大学工学博士。論文の題は「粉体の物理化学的性質とその応用の研究」。 同年8月アメリカのミシガン大学に招聘留学し、1961年10月帰国、1962年4月1日大学教授となる。
楠 宏(くすのき こう、1921年11月18日 - 2021… 楠 宏(くすのき こう、1921年11月18日 - 2021年2月10日 )は、日本の地球物理学者・地理学者・地球科学者である。専門は、雪氷学、両極地方の地誌。北海道釧路市出身。楠木正成の子孫にあたるという。父親は旧制一高東寮寮歌「嗚呼玉杯」「緑もぞ濃き」の作曲者楠正一(一高を中退後、石狩支庁農林技手。1945年没)。
土門 周平(どもん しゅうへい、1920年11月18日 - … 土門 周平(どもん しゅうへい、1920年11月18日 - 2017年)は、日本の軍事史研究家、作家。本名・近藤新治。妻は作家の近藤富枝。 東京出身。東京府立第四中学校を経て、陸軍士官学校(第55期、機甲科)卒業。騎兵第29連隊、戦車第28連隊中隊長等の部隊勤務をへて、終戦時は陸軍大尉、戦車第4師団通信隊長であった。 戦後、さまざまな職業を経て警察予備隊に入隊し陸上自衛隊勤務、富士学校教官などを経て防衛研究所戦史編纂官に就く。退官後も防衛研究所、自衛隊幹部学校で軍事戦略思想史、戦争指導史を講義。国際軍事史学会日本事務局担当を経て、日本軍事史学会副会長、戦略研究学会会長。 勤務のかたわら執筆した時代小説でサンデー毎日大衆文藝賞佳作。
中川 敬一郎(なかがわ けいいちろう、1920年11月18日… 中川 敬一郎(なかがわ けいいちろう、1920年11月18日 - 2007年3月25日)は、日本の経営史学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。 滋賀県犬上郡多賀町出身。信三・ひさの長男。1948年東京帝国大学経済学部卒。1951年東京大学経済学部助教授、64年教授、81年定年退官、名誉教授となり、福島大学教授、東京国際大学教授、青山学院大学経営学部教授を務め、96年退職した。86年日本学士院会員。1964年経営史学会の創設に参加し、のち会長となる。イギリス経営史を研究。日本経営史研究所理事。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
諏訪 彰(すわ あきら、1919年11月18日 - 1999… 諏訪 彰(すわ あきら、1919年11月18日 - 1999年3月12日)は、日本の地震学者・火山学者。長く気象庁に勤務し、地震観測所長などを務めた。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)に、諏訪藩主・諏訪氏の分家筋に生まれる。旧制諏訪中学校(長野県諏訪清陵高等学校の前身)で三澤勝衛の教えを受け、三澤が顧問であった理科クラブの部長を務めた。松本高等学校理科甲類を経て、東京帝国大学理学部地質学科に学ぶ。1944年に卒業して兵役に就き、戦時中は技術将校として日本海沿岸の石油探査にあたった。 戦後、1945年12月に中央気象台(気象庁の前身)に採用されて藤原咲平の薫陶を受け、松代大本営跡に地震観測施設を設けた中央気象台松代分室の開設などに関わった。
牧田 実夫(まきた じつお、別表記 : 牧田 實夫、1919… 牧田 実夫(まきた じつお、別表記 : 牧田 實夫、1919年(大正8年)11月18日 - 2011年(平成23年)7月23日)は、昭和から平成時代の政治家。鳥取県倉吉市長。位階は正五位。 鳥取県久米郡倉吉町(現・倉吉市)出身。1937年、鳥取県立倉吉農学校(現・鳥取県立倉吉農業高等学校)を卒業。 1951年、倉吉町議会議員に初当選。町議会議員1期、市議会議員5期、鳥取県議会議員3期を務めた。1982年、倉吉市長に当選。1983年、市制施行30周年にあたり第5次総合開発計画、新広域市町村圏計画およびモデル定住圏計画を基本に「中部中核都市づくり」「活力と潤いのあるまちづくり」を目指し、「水と緑と文化のまちづくり」を目標に掲げる。
森田 愛子(もりた あいこ、1917年11月18日 - 19… 森田 愛子(もりた あいこ、1917年11月18日 - 1947年4月1日)は、福井県坂井市三国町(現坂井市)出身の俳人。高浜虚子の写生文「虹」のヒロインとしても知られる。 1917年(大正6年)、 三国港で回船問屋を営む豪商・森田三郎右衛門と田中よしの娘として生まれる。三国の芸者置屋の娘である田中よしは名妓といわれ、18歳で森田三郎右衛門の側室となった。2人の間には長男武雄、長女敏子がいたがふたりとも夭折している。森田愛子の父・森田三郎右衛門は、銀行業(森田銀行)や森田農園を営み、運送会社、みそ、醤油醸造も手がけていた。父も俳句に親しんでおり、句が残っている。愛子は、森田本家の父母や兄弟にもかわいがられ、裕福で何不自由ない少女時代を送る。
久米 宏一(くめ こういち、1917年11月18日 - 19… 久米 宏一(くめ こういち、1917年11月18日 - 1991年5月1日)は、日本の画家。 東京・小石川区(現在の東京都文京区)に生まれる。豊島師範学校卒業。小学校教員を務めながら、太平洋美術研究所で絵画を学ぶ。 1964年に、いわさきちひろ、滝平二郎、箕田源二郎らと「童画ぐるーぷ車」を結成した。このため、絵本雑誌のちひろ追悼の座談会にも出席している。子ども向けの本の挿絵の他に、月刊『宝石』のミステリー小説などにも挿絵を描いた。 日本児童出版美術家連盟に所属し、理事を務めた。1950年代から亡くなるまでに挿画を描いた児童文学作品や絵本は200冊以上にのぼる。主に親交のある古田足日の作品が多い。
前田 直典(まえだ なおのり、1915年11月18日 - 1… 前田 直典(まえだ なおのり、1915年11月18日 - 1949年9月18日)は、日本の東洋史学者(モンゴル史・元朝史を研究)。京都市上京区生まれ。闘病・夭逝のため研究生活は短いものであったが、鈔法を始めとする元朝に関する実証的な研究、また中国史における新たな時代区分論を提唱したことで知られる。
中村 末男(なかむら すえお、1915年11月18日 - 1… 中村 末男(なかむら すえお、1915年11月18日 - 1996年3月9日)は、日本の物理学者、物性学者。鹿児島大学第4代学長・名誉教授、大分大学(旧)第5代学長、鹿児島女子大学(志學館大学)第3代学長。理学博士。専門は固体物性学。 長崎県出身。広島文理科大学(広島大学の前身)理学部物理学科へ1939年春に入学し、1941年12月に卒業。勝山小学校訓導兼旧制長崎県立長崎中学校物理学非常勤講師を経て、1944年、旧制第七高等学校造士館教授に就任。勤労動員で長崎の三菱工場へ行って、原子爆弾に被爆し、偶然トンネルに入っていたため自身は一命をとりとめる。 学制改革により、1950年3月31日、新制鹿児島大学文理学部助教授に就任。
数江 教一(かずえ きょういち、1913年11月18日 - … 数江 教一(かずえ きょういち、1913年11月18日 - 2003年5月28日)は、日本の倫理学者、茶道研究家。茶号は瓢鮎子(ひょうねんし)。 長野県茅野市出身。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)、旧制松本高等学校を経て東京帝国大学文学部倫理学科卒。和辻哲郎に師事。1962年「日本の末法思想」で東京大学より文学博士の学位を取得。1952年中央大学文学部非常勤講師、1953年専任講師、1955年助教授、1960年教授、1984年定年、名誉教授となる。東大在学中に茶の湯同好会を作り茶道を研究する。 日本倫理学会、日本思想史学会、日本哲学会に所属した。