大塚 直樹(おおつか なおき、1949年3月22日 - )は… 大塚 直樹(おおつか なおき、1949年3月22日 - )は、日本の元リングアナウンサー、実業家。新日本プロレス営業部長、ジャパンプロレス代表取締役社長および代表取締役副会長を歴任。1980年代中期の日本マット界を活性化させた。 東京都江戸川区出身。1971年、駒澤大学法学部法律学科卒業。大学2年時から本多芸能スポーツサービスでアルバイトとして国際プロレスの営業を手伝う。大学卒業後、トヨタ東京カローラ入社。同年12月に知人に誘われ、翌1972年2月に新日本プロレス入社。 初代リングアナウンサーを2年間つとめたのち、新間寿の右腕として活動し営業部長を務める。 1983年、新日本プロレスで起きた「クーデター事件」を契機に1983年12月に新日本を退社。
村瀬 誠(むらせ まこと、1949年3月22日 - )は、日… 村瀬 誠(むらせ まこと、1949年3月22日 - )は、日本の実業家、環境活動家。元東京都墨田区職員。 雨水利用の普及に努めたことが評価され、ドクター・スカイウォーター(雨水博士)、ドクター雨水と呼ばれる。 大阪市住吉区生まれ。1976年に千葉大学大学院薬学研究科修士課程修了後、墨田区職員となる。本所保健所在職中の1981年10月に台風による大雨のため両国や錦糸町で洪水が発生したことをきっかけに、洪水防止と水資源としての観点から雨水の利用を提案。両国国技館における雨水利用設備の設置に尽力するなど、雨水利用の推進を通じて区政に関わるようになる。1994年8月には、仲間のボランティアや同僚職員らの協力のもと世界初の雨水利用東京国際会議を区のイベントホールで開催し、実行委員会事務局長を務めた。
逢川 亮子(あいかわ りょうこ、1949年3月22日 - )… 逢川 亮子(あいかわ りょうこ、1949年3月22日 - )は、日本の女性声優、ナレーター。大沢事務所所属。東京都出身。 一時期、落合美穂 落合光子名義で活動していた。 以前は黒沢良事務所に所属していた。 太字はメインキャラクター。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
山根 基世(やまね もとよ、1948年(昭和23年)3月22… 山根 基世(やまね もとよ、1948年(昭和23年)3月22日 - )は、日本のアナウンサー。NHKアナウンス室長を務めた。本名・戸張 基世(とばり もとよ)。 香川県高松市生まれ。2、3歳のころ山口県山口市へ移り、5歳からはおもに山口県防府市で育った。公式的には「山口県生まれ」としている。山口県立防府高等学校、早稲田大学卒業後、1971年に日本放送協会入局。「本当に楽しかった」と語る3年間の大阪勤務を経て、1974年より東京勤務。 チーフアナウンサー、1997年エグゼクティブアナウンサー(局次長級)、同理事待遇を経て、2005年6月の人事異動で、全国でおよそ500人のアナウンサーを統括するヘッド、アナウンス室長に就く。
白石 正美(しらいし まさみ、1948年3月22日 - )は… 白石 正美(しらいし まさみ、1948年3月22日 - )は、現代アートギャラリーSCAI THE BATHHOUSE代表取締役。1980年代末から、日本国内における現代美術の認知と、国外へのプロモーションにおいて主導的役割を果たす。多数の国公立美術館にて作品購入評価委員を歴任する。 1948年東京生まれ。慶應義塾大学文学部美学美術史専攻卒業後、フジテレビギャラリー取締役事業部長を経て、1989年、株式会社白石コンテンポラリーアートを設立。現代美術の企画、売買を行う1989年より3年間、表参道駅前に開かれた東高現代美術館にて副館長を歴任するなかで、「ソル・ルウィット展」「ダニエル・ビュラン展」など国外で高い評価をえるアーティストを紹介するとともに、「遠藤利克」多数の企画展を手がける。
赤澤(赤沢)史朗(あかざわ しろう、1948年3月22日 -… 赤澤(赤沢)史朗(あかざわ しろう、1948年3月22日 - 2024年9月20日)は、日本の歴史学者。専門は日本近現代史。立命館大学名誉教授。文学博士(早稲田大学、1986年)。 父は通商産業省重工業局長、富士通副会長、日本貿易振興会理事長を歴任し、戦後初の国産旅客機YS-11の生みの親と言われる赤澤璋一。九条の会の賛同者である。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉見 佑子(よしみ ゆうこ、本名:吉見裕子、1948年3月2… 吉見 佑子(よしみ ゆうこ、本名:吉見裕子、1948年3月22日 - )は音楽評論家・作詞家・歌手・声優。大阪府豊中市出身。 親も親戚も杵屋だらけの、いわゆる三味線一家の一人っ子として育ったが、周囲の期待に反して三味線や家元制度に興味を持たない青春時代を送る。 高校在学中に渡辺プロダクションのオーディションを受ける。最終オーディションで落選するが、審査員の宮川泰の紹介でジャズ・ボーカルのレッスンに半年間京都まで通い、コマーシャルソングの仕事に関わる。 その後、NHK大阪放送局付属演劇研究所に入所。修了後は、グループ・サウンズやフォークのコンサートの司会やラジオ番組のアシスタントの仕事を始め、関西圏限定でDJの仕事を増やしていく。
宮村 治雄(みやむら はるお、1947年3月22日 - )は… 宮村 治雄(みやむら はるお、1947年3月22日 - )は、日本の政治学者。旧・東京都立大学名誉教授。日本思想史専攻。丸山眞男に師事し、評伝を著した。 滋賀県長浜市生まれ。滋賀県立虎姫高等学校を経て、1969年東京大学法学部卒業。1974年同大学院政治学研究科博士課程修了。法学博士の学位を取得。同年、立教大学法学部助手、1975年東京都立大学法学部助教授、1989年同教授、2001-2003年法学部長、2005年定年退官、名誉教授、成蹊大学法学部教授。2012年、同大学特任教授、2015年特任教授を退職する。
尼ヶ﨑 彬(あまがさき あきら、1947年3月22日 - )… 尼ヶ﨑 彬(あまがさき あきら、1947年3月22日 - )は、日本の美学者、学習院女子大学名誉教授。 専門は日本の歌論・詩学、舞踊美学。言語や身体に現出する日本人の美意識から、文化や価値観の根源を読み解く。著書に『日本のレトリック』(1988年)、『ことばと身体』(1990年)、『いきと風流』(2017年)などがある。 愛媛県生まれ。東京教育大学附属駒場高等学校卒業。1971年東京大学文学部美学藝術学卒。同大学院博士課程中退。東京大学助手、学習院女子短期大学助教授、教授、1998年学習院女子大学教授。2018年定年退職、名誉教授。 日常生活において人間の身体は自然的・文化的な秩序に従って自動的に動いている。
橋本朝生(はしもと あさお、1947年3月22日 - 201… 橋本朝生(はしもと あさお、1947年3月22日 - 2011年9月11日)は、日本の能・狂言研究者。 広島県尾道市生まれ。1970年東京大学文学部国文科卒、1980年同大学院博士課程満期退学。1975年日本古典文学会賞受賞。山形大学講師、助教授、山梨大学教育学部助教授、教授。1997年観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞。在任中に死去、没後正四位瑞宝中綬章受勲。
今泉 隆雄(いまいずみ たかお、1947年3月22日 - 2… 今泉 隆雄(いまいずみ たかお、1947年3月22日 - 2013年12月31日)は、日本の歴史学者(日本古代史)。東北大学名誉教授。 福島県郡山市生まれ。1969年東北大学文学部国史学科卒業、1972年同大学院文学研究科博士課程中退。1994年「古代宮都の研究」で東北大学文学博士。 1972年奈良国立文化財研究所文部技官、1983年東北大学文学部助教授、教授、2010年定年退官、名誉教授、東北歴史博物館館長。 作曲家で参議院議員を務めたいずみたくの本名と同名だが、全くの別人である。 978-4-634-32041-3
藤川 雍中(ふじかわ やすなか、1946年3月22日 - )… 藤川 雍中(ふじかわ やすなか、1946年3月22日 - )は、日本の経営者。エバラ食品工業社長を務めた。 東京都出身。1970年に東京大学法学部を卒業し、同年に横浜銀行に入行。1996年6月に取締役に就任し、1999年4月に常務、2003年2月に専務、2004年6月に副会長を経て、2006年2月にエバラ食品工業副社長に就任し、2008年10月には社長に昇格。2012年4月会長に就任。
河出 英治(かわで えいじ、1945年(昭和20年)3月22… 河出 英治(かわで えいじ、1945年(昭和20年)3月22日 - 2004年(平成16年)8月13日)は、日本の官僚。元内閣府事務次官。従三位瑞宝重光章。岐阜県出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
千葉 泰久(ちば やすひさ、1944年〈昭和19年〉3月22… 千葉 泰久(ちば やすひさ、1944年〈昭和19年〉3月22日 - )は、日本の経営者。宇部興産(現:UBE)相談役、日本化学会フェロー(元副会長)、日本商工会議所監事、宇部商工会議所会頭。 宇部市出身。山口県立宇部高等学校を経て東京大学工学部を卒業後、1968年(昭和43年)4月に宇部興産入社。1997年(平成9年)4月に化学・樹脂事業本部開発部長となり、同年6月、取締役に選任。 2001年(平成13年)6月の株主総会で取締役を退任し、常務執行役員化学生産本部長に就任。その後2003年(平成15年)6月に再び取締役(専務待遇)に選任、専務執行役員化学生産本部長および研究開発本部長兼次世代事業開発室担当となる。
大塚 博堂(おおつか はくどう、本名の読み:おおつか ひろた… 大塚 博堂(おおつか はくどう、本名の読み:おおつか ひろたか、1944年3月22日 - 1981年5月18日)は、ニューミュージックのシンガーソングライター。大分県別府市出身。東洋音楽大学(現:東京音楽大学)声楽科中退。活動時の所属事務所は渡辺プロダクション。 以下の表記は、「博堂」で統一する。 1972年(昭和47年)に「大塚たけし」名義で歌手デビュー、デビュー曲は「自由に生きてほしい」。作曲:井上忠夫、作詞:阿久悠の音楽祭用の楽曲であったが、ヒットには繋がらなかった。その後クラブやライブハウスでの弾き語りの活動が評判になり、1976年(昭和51年)6月26日、『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』で32歳での再デビュー。
鈴村 和成(すずむら かずなり、1944年3月22日 - )… 鈴村 和成(すずむら かずなり、1944年3月22日 - )は、日本の文学研究者、フランス文学者、文芸評論家、翻訳家。横浜市立大学名誉教授。紀行作家、写真家、詩人としても活躍。 愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部仏文科卒。1972年、倉橋健一、清水昶、藤井貞和、佐々木幹郎、米村敏人とともに、詩誌「白鯨」を創刊。1991年、アルチュール・ランボー没後100年に、写真家の大島洋とともにランボー紀行を行ない、イエメンのアデン、エジプトのカイロ、キプロスのラルナカ等を歴訪。翌年、四谷三丁目のギャラリー「モール」で写真展「ランボーのスティーマー・ポイント」を開催。同年、同題の本を集英社から刊行。同年、渋谷パルコで粟津則雄、渋沢孝輔、島田雅彦、瀬尾育生とともに、シンポジウム「ランボー101年」を開催。
横内 公明(よこうち こうめい、1944年(昭和19年)3月… 横内 公明(よこうち こうめい、1944年(昭和19年)3月22日 - )は、日本の政治家。山梨県韮崎市長(2期)、山梨県議会議長(第107代)、山梨県議会議員(4期)などを歴任した。旭日小綬章受章。 山梨県知事の横内正明は兄。元山梨県韮崎市長の横内要は父。 山梨県韮崎市生まれ。日本大学理工学部卒業。1961年、大洋紡績に入社。1968年、韮崎紡績に入社。1987年に横内商事を設立し、同社代表取締役に就任。 1991年4月、山梨県議会議員選挙に出馬し、初当選を果たした。1995年、1999年、2003年にも山梨県議に再選され、4期連続当選。県議時代は自由民主党に所属した。2000年10月11日に山梨県議会議長に就任し、翌2001年6月26日まで務める。
榊原 定征(さかきばら さだゆき、1943年〈昭和18年〉3… 榊原 定征(さかきばら さだゆき、1943年〈昭和18年〉3月22日 - )は、日本の実業家。産業革新投資機構取締役会議長、関西電力取締役会長、一般社団法人日本経済団体連合会名誉会長、東レ社友、日本野球機構コミッショナー。 東レ株式会社代表取締役社長・取締役会長・相談役最高顧問、特別顧問、日本経済団体連合会会長(第4代)、日本化学会会長、経済産業省総合資源エネルギー調査会会長、日本赤十字社副社長、日本化学繊維協会会長、などを歴任した。旭日大綬章受章。 神奈川県横須賀市に生まれる。父は潜水艦の艦長であったが1944年1月に戦死し、その後父の故郷である愛知県知多郡美浜町で育ち、美浜町立野間中学校、愛知県立半田高等学校を経て、名古屋大学に入学した。
河東 義之(かわひがし よしゆき、1943年3月22日 - … 河東 義之(かわひがし よしゆき、1943年3月22日 - )は、日本の建築史研究者。小山工業高等専門学校名誉教授。専門は近代建築史。藤森照信、堀勇良らが結成した「東京建築探偵団」のメンバーの一人。 愛媛県大洲市出身。1967年東京工業大学工学部建築学科卒、同年東京工業大学工学部助手。1976年小山工業高等専門学校助教授、1989年教授。1999年名誉教授、千葉工業大学工学部建築都市環境学科教授。2008年退職。 1980年からは宇都宮大学工学部非常勤講師を併任。1985年栃木県文化財保護審議会委員。2011年日本大学芸術学部非常勤講師。2013年日本大学大学院芸術学研究科非常勤講師。 2025年4月瑞宝小綬章受章。
桂 枝助(かつら えだすけ、1943年(昭和18年)3月22… 桂 枝助(かつら えだすけ、1943年(昭和18年)3月22日 - 2004年(平成16年)1月2日)は、東京都墨田区出身の落語家。本名∶小林 光久。生前は落語芸術協会所属。出囃子は『串本節』。 1958年3月、二代目桂枝太郎に入門し、前座名「桂小枝」を名乗る。 1963年3月、二ツ目昇進し「桂枝松」に改名。 1974年4月、三遊亭圓輔と三遊亭若馬と共に真打昇進し「枝助」と改名。 2000年6月、落語芸術協会監事に就任。2004年1月2日に膵臓がんのため死去。60歳没。 血液型はO型。二ツ目時代、二代目桂小文治の家の掃除を命じられ、小文治が大切に育てていた庭の石灯籠のコケを落としてピカピカに磨き上げ、大激怒されたというしくじり話がある。
田中 紘一(たなか こういち、1942年3月22日 - )は… 田中 紘一(たなか こういち、1942年3月22日 - )は、日本の医学者(外科学・消化器外科学・移植免疫学)。主な業績は生体肝移植の確立と展開に関する研究。京都大学名誉教授。神戸国際フロンティアメディカルセンター理事長。大分県大分市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。
小原 嘉明(おばら よしあき、1942年3月22日 - )は… 小原 嘉明(おばら よしあき、1942年3月22日 - )は、日本の動物行動学者、東京農工大学名誉教授。 福島県生まれ。1964年東京農工大学農学部卒業、1974年九州大学理学博士。1966年東京農工大学助手、1975年助教授、1986年教授。2007年定年となり、名誉教授。この間、九州大学理学部生物学教室、ケンブリッジ大学動物学教室、ワイカト大学(ニュージーランド)生物学教室にて研修。昆虫の行動学を中心に研究し一般書も多く執筆した。
亀井 昭宏(かめい あきひろ、昭和17年(1942年)3月2… 亀井 昭宏(かめい あきひろ、昭和17年(1942年)3月22日 - )は、日本の広告、マーケティング研究者。 東京都出身。早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学。日本学術会議会員。主な表彰歴として、日本広告学会賞、第20回白川忍賞受賞など。日本広告学会会長、日本広報学会理事、産業・組織心理学会理事、広報効果測定手法研究会委員。早稲田大学名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
長宗我部 友親(ちょうそがべ ともちか、1942年〈昭和17… 長宗我部 友親(ちょうそがべ ともちか、1942年〈昭和17年〉3月22日 - 2025年〈令和7年〉10月11日)は、日本のジャーナリスト、著述家。戦国大名・長宗我部元親の実弟である親房(島親益)から17代目の長宗我部家当主。 高知市上町に生まれる。 早稲田大学を卒業後、1968年(昭和43年)共同通信社に入り、経済部長、そして2002年(平成14年)常務監事を歴任した。2004年(平成16年)に退任。 自身の家系である長宗我部氏に関する著書がある。 高知で好きな場所は浦戸城のあった浦戸であると述べている。また、武家の末裔ながら刀剣類を「恐ろしい存在」と述べ、「うちは先祖である盛親が六条河原で打ち首になったこともあり、私は刀を見ると寒気がします。
山崎 洋(やまさき ひろし、1941年3月22日 - )は、… 山崎 洋(やまさき ひろし、1941年3月22日 - )は、日本の翻訳家、ユーゴスラビア研究者。東京生まれで、セルビアのベオグラード在住。 ユーゴスラビアのジャーナリストであるブランコ・ヴケリッチと日本人の母親(山崎淑子、1915-2006)との間に生まれる。母は駒込の米穀薪炭商の娘で、津田英語塾卒業後三井物産に務め、来日中のヴケリッチと1940年に結婚した。洋はユーゴスラビア名としてラヴォスラヴの名を持つ。この名前は詩人であった曾祖父にちなむ。ユーゴスラビアでは通常祖父の名前をつけるが、ヴケリッチはこの曾祖父を尊敬していたからだという。ヴケリッチは山崎が生まれて7ヶ月後の1941年10月にゾルゲ事件に連座して逮捕され、1945年1月に網走刑務所で獄死した。
奥地 圭子(おくち けいこ、1941年3月22日 - )は、… 奥地 圭子(おくち けいこ、1941年3月22日 - )は、元小学校教諭、NPO法人東京シューレの元理事長、現在は学校法人東京シューレ学園長・東京シューレ江戸川小学校の校長である。 東京に生まれ、広島県三原市で育った。1963年、横浜国立大学学芸学部を卒業後、22年間にわたって公立小学校の教諭を続けた。1985年、教諭の職を退き、東京都北区東十条にフリースクール東京シューレを設立。1991年に、北区王子に移転。東京シューレを母体とする登校拒否を考える全国ネットワーク(親の会)や全国不登校新聞社の立ち上げにも尽力し、精力的に執筆・講演活動を行い、2013年、ペスタロッチー教育賞受賞。 不登校問題の黎明期に我が子が不登校(当時は「登校拒否」という言葉が一般的)となり、その一方で自らは現役の小学校教諭という板ばさみの状況の中から、子どもを第一に考えることの大切さ、現代の学校教育の歪みに気付いた。
原 一平(はら いっぺい、本名:日下部 護〈くさかべ まもる… 原 一平(はら いっぺい、本名:日下部 護〈くさかべ まもる〉、1938年〈昭和13年〉3月22日 - 2014年〈平成26年〉12月4日)は、日本のものまねタレント。北海道上川郡当麻町出身。北海道旭川東高等学校、最終学歴は専修大学経済学部卒業。
田畑 佐和子(たばた さわこ、1938年3月22日 - )は… 田畑 佐和子(たばた さわこ、1938年3月22日 - )は、日本の中国文学者。 東京出身。東京都立竹早高等学校、東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業、1962年旧・東京都立大学大学院人文科学研究科中国文学専攻修士課程修了、岩波書店に編集者として入社し、雑誌『思想』や、岩波新書、岩波中国語辞典、岩波日中辞典などの編纂に携わる。ウーマンリブ運動にも加わった。 岩波書店退社後は、東京大学、早稲田大学、学習院大学などで非常勤講師として中国語・中国文学を講ずる傍ら、丁玲などの現代中国文学の翻訳をする。季刊「中国現代小説」(蒼蒼社)の同人として、多くの翻訳を同誌に掲載した。 夫田畑光永は、元東京放送(TBS)記者。
村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋 透(たかはし とおる… 村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋 透(たかはし とおる)、旧姓:村川、1937年(昭和12年)3月22日 - )は、日本の映画監督・音楽家。別名:山形 透。山形県村山市出身。山形県立山形南高等学校、福島大学経済学部卒業。実父は教員・国文学研究者で『俳人一具全集』などの編集を手掛けた村川幹太郎。長兄は指揮者の村川千秋。姪はヴァイオリニストの村川千尋。 村山郡館林藩領内の里正の血筋であり、江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたる。福島大学卒業後の1959年、日活に入社し上野日活劇場の営業部で辣腕を振るうも方向性の不一致から同年に退社し、翌年に演出部へ復職し助監督となる。社内では舛田利雄、中平康、西河克己、森永健次郎、社外では貞永方久、森谷司郎らの助監督を務め、特に日米合同スタッフによる戦争大作『トラ・トラ・トラ!』では、日本側演出部総チーフ(ノンクレジット)として現場を取り仕切った。
広田 茂穂(ひろた しげほ、1937年3月22日 - )は、… 広田 茂穂(ひろた しげほ、1937年3月22日 - )は、日本のテレビディレクター。長野県出身。 日本大学芸術学部映画学科卒。東映東京撮影所で助監督を経て、東映テレビ・プロダクションに所属。後にフリーとなる。
山本 和義(やまもと かずよし、1936年3月22日 - 2… 山本 和義(やまもと かずよし、1936年3月22日 - 2023年4月21日)は、日本の漢文学者。南山大学名誉教授。 1936年、岐阜県大垣市で生まれた。京都大学文学部中国文学科で学び、同大学大学院に進んだ。博士課程を単位取得後満期退学した。 1974年に南山大学文学部助教授に就いた。1980年に教授昇格。学内では、1988年から1994年まで図書館長、1996年から2000年まで文学部学部長を務めた。2001年に南山大学を定年退任し、名誉教授となった。 2023年4月21日に死去。87歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
石川 恭三(いしかわ きょうぞう、1936年3月22日 - … 石川 恭三(いしかわ きょうぞう、1936年3月22日 - )は、杏林大学医学部名誉教授、医学博士。東京都出身。 循環器・心臓病の分野を専門とし、日本の名医の一人として知られている。メディアへの出演も多い。著書は専門書・一般書合わせて70冊以上。
秋山 祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし、1935年3月22… 秋山 祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし、1935年3月22日 - 2020年4月3日)は、日本の現代美術家。本名は秋山 祐徳(あきやま すけのり)で、雅号は聖徳太子をもじって付けた。1970年代の東京都知事選挙へ出馬したことでも知られている。見世物学会理事。 選挙に立候補した際の選挙ポスターが国立国際美術館などに収蔵されている。2002年には著書『泡沫桀人列伝―知られざる超前衛』を出版。落選後も自ら「泡沫のソムリエ」と称した。
新間 寿(しんま ひさし、1935年〈昭和10年〉3月22日… 新間 寿(しんま ひさし、1935年〈昭和10年〉3月22日 - 2025年〈令和7年〉4月21日)は、日本の実業家。元新日本プロレス専務取締役営業本部長。元WWF会長。新間事務所代表取締役社長、リアルジャパンプロレス会長を務めた。 実父は東京プロレスを立ち上げ、新日本プロレス役員も務めた新間信雄。息子の新間寿恒もユニバーサル・プロレスリング(のちにFULLと改称)を立ち上げるなどプロレス業界の裏方で活躍した。元参議院議員でタレントの新間正次は従兄弟、声優の高山みなみは姪にあたる。 1935年、東京都新宿区で生まれる。 中央大学入学後、柔道部に所属。その傍ら、強い男に憧れを抱く新間はボディビル練習生として当時日本橋人形町にあった日本プロレスの道場へ通った。
大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月2… 大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月22日 - 2016年〈平成28年〉7月12日)は、日本のテレビタレント、司会者、俳人、放送作家、政治家。この他、競馬評論家、ジャズ評論家、時事評論家としての活動も行い、馬主でもあるなど、日本のマルチタレントの先駆けとなった。実業家・芸能プロモーターとしてもオーケープロダクション(旧・大橋巨泉事務所)を創業し、取締役会長を務めたほか、一部の国で、お土産物屋「オーケーギフトショップ」を経営するオーケーギフトショップグループの取締役社長を務めた。また、政治家として参議院議員を務め、会派は民主党・新緑風会に所属した。 本名は大橋 克巳(おおはし かつみ)。
松平 直樹(まつだいら なおき、1934年(昭和9年)3月2… 松平 直樹(まつだいら なおき、1934年(昭和9年)3月22日 - 2022年(令和4年)6月11日)は、日本の歌手。和田弘とマヒナスターズのメンバーとして知られていた。 東京府東京市出身。本名:松平壽夫。立教大学卒業。大学在学中より、学生バンドとして活動し、1955年(昭和30年)、和田弘とマヒナスターズのメンバーとなり、ボーカルを担当。独特の甘い歌声で、同じくボーカル担当の三原さと志と共にマヒナの黄金期を支え、一世を風靡した。 1970年(昭和45年)に、和田弘とマヒナスターズから独立し『松平直樹とブルーロマン』を結成。「幸せになってね」(のちに敏いとうとハッピー&ブルーが「わたし祈ってます」の題名でヒットさせる)などを発表する。
棚下 照生(たなか てるお、本名:田中 輝夫(読み同じ) 、… 棚下 照生(たなか てるお、本名:田中 輝夫(読み同じ) 、1934年3月22日 - 2003年)は、日本の漫画家。児童向け剣戟漫画で人気となったが、その後は青年誌に活動の場を移し、「女侠客・股旅もの」の作品を多数発表、映像化作品も多い。代表作は『ヒマラヤ天兵』『めくらのお市物語』『旅がらすくれないお仙』など。妻は元女優の松山容子。 宮崎県延岡市生まれ。16歳のときに単身上京し、戦災で焼けた公衆便所をねぐらにしながら、新聞配達や給仕で生計を立て、独学で漫画を勉強した。1951年、17歳の時『ハンスと魔王』(鶴書房)でデビュー。1959年から1月から1960年6月まで「少年ブック」に連載された『ヒマラヤ天兵』が人気を博し、テレビドラマ化(KRテレビ、1959年8月~1960年9月)。
円子 宏(まるこ ひろし、1933年3月22日 - 1998… 円子 宏(まるこ ひろし、1933年3月22日 - 1998年6月9日)は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手)。東都大学野球連盟やプロ野球関連の資料では旧字体の圓子 宏と表記されることが多い。 岩手高校から東京農業大学へ進学。東都大学野球リーグでは専大、日大など伝統校の壁を破れず、在学中4位以下に沈む。リーグ通算85試合登板で23勝44敗をマークするが、44敗はリーグ記録である。3年次の1953年秋季リーグで記録した83奪三振は、1990年春季リーグで111奪三振を記録した亜大の小池秀郎に抜かれるまで、長らくリーグ歴代1位の記録であった。ただし、この記録は後に改定され、中大の高橋輝による107奪三振(1949年春)となっている。
香西 泰(こうさい ゆたか、1933年3月22日 - 201… 香西 泰(こうさい ゆたか、1933年3月22日 - 2018年5月20日)は、日本の経済学者。第7代政府税制調査会会長。 兵庫県出身。父は旧制甲南高等学校教授を経て実業界入りし、兵庫米穀社長を務めた香西精。兄は元住友化学工業社長の香西昭夫。旧制甲南高等学校を経て東京大学経済学部卒業。経済企画庁入庁。同庁経済研究所総括研究官を経て東京工業大学教授、東洋英和女学院大学教授。経済研究所統括研究官在職中の1980年、『「日本経済展望」への寄与を中心として』でサントリー学芸賞を受賞。公益社団法人日本経済研究センター理事長、一橋大学経済研究所客員教授、内閣府経済社会総合研究所所長を歴任。 2018年5月20日、老衰のため死去、85歳。
川村 郁夫(、1933年〈昭和8年〉3月22日 - )は、日… 川村 郁夫(、1933年〈昭和8年〉3月22日 - )は、日本の元俳優。三重県出身。 東宝の専属俳優。書籍『ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』では、「新東宝でなら二枚目もつとまるのではないかというような、なかなかの好男子」と評している。 1951年、明治大学在学中に帝国劇場の研究生となり、初舞台を踏む。その後、東宝に入社し、短期間ではあるが、ジャンルを問わず多くの作品に脇役として出演した。 後に川村は、映画俳優に転向したきっかけについて「社長が東宝の森岩雄さんに「帝劇の連中の面倒を見てくれ」と。それで僕は契約するんです」[要追加記述]と回想している。 1964年に芸能界を引退した。 全て製作・配給は東宝である。
手銭 弘喜(てぜに ひろよし、1932年3月22日 - 19… 手銭 弘喜(てぜに ひろよし、1932年3月22日 - 1993年6月24日)は、日本のテレビ演出家、映画監督。島根県簸川郡出身。 実家は、松江藩に300年仕えた十代あまりも続いている手錢家。長男であったが、実家は手銭記念館として保存されており、弟が後を継いでいる。 映画監督としては日活で基礎を身に着けた。早撮りの腕前が評価され、「暴れん坊将軍」や「太陽にほえろ!」をはじめテレビドラマ作品を中心に活躍したが、劇場映画を撮るチャンスになかなか恵まれず、晩年の「ファンキー・モンキー・ティーチャー」(1991年)が唯一の劇場映画作品となった。 孫は共同テレビジョン所属でドラマプロデューサーの手銭陸。
金子 徳之介(かねこ とくのすけ、1932年3月22日 - … 金子 徳之介(かねこ とくのすけ、1932年3月22日 - 2010年1月11日)は、日本の政治家。
糸久 八重子(いとひさ やえこ、1932年3月22日 - )… 糸久 八重子(いとひさ やえこ、1932年3月22日 - )は、日本の政治家、元日本社会党参議院議員(2期)。 千葉県茂原市出身。千葉県立大原高等学校を経て、1954年千葉大学教育学部卒。千葉県各地で中学教諭を務め、1983年の第13回参議院議員通常選挙で千葉選挙区から日本社会党公認で立候補して当選。2期務めた。1991年に社会党副委員長に就任。1995年の第17回参議院議員通常選挙に出馬せず引退した。
黒見 哲夫(くろみ てつお、1932年(昭和7年)3月22日… 黒見 哲夫(くろみ てつお、1932年(昭和7年)3月22日 - 2017年(平成29年)5月19日)は、日本の政治家。鳥取県境港市長。 鳥取県西伯郡境町(現境港市)出身。父は印刷業黒見宗次。4歳の時母はるえが病死。 1947年鳥取県立境中学校中退。境町役場勤務。1970年境港市役所財政課長。1980年同総務部長。1983年同民生部長。1986年同助役。 1989年12月境港市長就任。体調を崩して療養が必要な状況となり、2004年6月5日に辞職届けを提出した。 2017年5月19日朝、境港市内の病院で亡くなった。
若杉 和夫(わかすぎ かずお、1931年(昭和6年)3月22… 若杉 和夫(わかすぎ かずお、1931年(昭和6年)3月22日 - 2016年(平成28年)7月25日)は、日本の通産官僚。通商産業審議官。 旧通商産業省の同期入省者は、小長啓一、豊島格、宮本二郎(科学技術庁官房長)、工藤敦夫(内閣法制局長官)、神谷和男(中小企業庁長官)、小林進(東洋学園大学教授)、寺田恵一(日本機械工業連合会副会長)、三島和夫(IEA緊急時システム局長(1978年3月~))など。
山口 敏(やまぐち びん、1931年3月22日-2020年9… 山口 敏(やまぐち びん、1931年3月22日-2020年9月24日)は、日本の人類学者。 千葉県東金市出身。水戸高等学校 (旧制)卒、1954年東京大学理学部人類学科卒、59年同大学院生物系研究科博士課程単位取得退学。 1972年「アイヌとオーストラリア原住民の比較骨学的研究」で札幌医科大学・医学博士。1959年北海道公立学校教員、札幌医科大学講師、66年助教授、1972年国立科学博物館人類研究部主任研究官、78年部長。95年定年退官。
金原 左門(きんばら さもん、1931年3月22日 - 20… 金原 左門(きんばら さもん、1931年3月22日 - 2018年1月31日)は、日本の社会学者、中央大学名誉教授。日本近代政治史、文化史が専門。 1931年、静岡県浜松市で生まれた。東京教育大学文学部社会科学科で学び、1954年に卒業。同大学大学院に進学し、1960年に博士課程を単位取得退学。 1960年、東京教育大学附属高等学校教諭に就いた。1963年、中央大学法学部講師となり、後に助教授、1970年に教授昇格。2001年に中央大学を定年退職し、名誉教授となった。2018年に死去。
四代目 花柳 壽輔(よんだいめ はなやぎ じゅすけ、1931… 四代目 花柳 壽輔(よんだいめ はなやぎ じゅすけ、1931年(昭和6年)3月22日 - 2020年(令和2年)9月26日)は、日本舞踊家。本名は花柳寛(はなやぎ・ひろし)。位階は従四位。 2016年6月に宗家家元の座と「壽輔」の名跡を六代目花柳芳次郎(現五代目花柳壽輔)に譲り、自らは二代目花柳 壽應(はなやぎ じゅおう)を襲名した。 1958年(昭和33年)の文部省芸術祭奨励賞、1985年(昭和60年)の国際エミー賞優秀賞、1989年(平成元年)のイタリア賞、1999年(平成11年)の舞踊芸術賞、2001年(平成13年)の日本芸術院賞、2011年(平成23年)日本芸術院会員、2012年(平成24年)NHK放送文化賞などの受賞歴がある。
坪井 榮孝(つぼい えいたか、1929年3月22日 - 20… 坪井 榮孝(つぼい えいたか、1929年3月22日 - 2016年2月9日)は日本の医師。元日本医師会会長、元世界医師会会長。郡山市名誉市民。専門は呼吸器内科(呼吸器がん全般)。叙正三位。 福島県郡山市生まれ。旧制安積中学校(現福島県立安積高等学校)を経て、1952年、日本医科大学卒業。1953年に医籍登録。国立がんセンター病院放射線部医長を経て、1970年、福島県郡山市にて坪井診療所を開設する。1974年、慈山会医学研究所を設立し、理事長に就任。同研究所付属坪井病院において地域医療に従事する。2011年6月より財団法人慈山会医学研究所付属坪井病院名誉理事長。 医師会の活動としては福島県医師会役員を経て、1988年より日本医師会常任理事。
草間 彌生(くさま やよい、1929年〈昭和4年〉3月22日… 草間 彌生(くさま やよい、1929年〈昭和4年〉3月22日 - )は、日本の芸術家。長野県松本市出身。京都市立美術工芸学校(旧・京都市立銅駝美術工芸高等学校)絵画科卒業。 幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために、それらの幻覚・幻聴を絵にし始めた。1957年(昭和32年)に渡米すると絵画や立体作品の制作だけではなくハプニングと称される過激なパフォーマンスを実行し、1960年代には「前衛の女王」の異名をとった。 草間彌生のいくつかの作品は、水玉模様や網模様などの同一のモチーフの反復によって絵画の画面や彫刻の表面を覆うことが特徴の一つである。「無限の鏡の間」(インフィニティ・ミラー・ルーム英語: Infinity Mirrored Room)(1965年制作)など合わせ鏡を用いて光やオブジェを無限に広がるように見せるインスタレーションや、男根状のソフト・スカルプチュアによるオブジェを日用品などに張り付ける立体作品も制作している。