秋山 重友(あきやま しげとも、1931年(昭和6年)4月2… 秋山 重友(あきやま しげとも、1931年(昭和6年)4月24日 - 1995年(平成7年)6月24日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。山梨県大月市長。 山梨県出身。山梨県立都留高等学校を経て、日本大学旧工学部に入るも中退する。1953年(昭和28年)秋山商店勤務を経て、1960年(昭和35年)中央産業を設立し社長となる。1965年(昭和40年)鳥沢交通取締役、1968年(昭和43年)中央開発代表取締役、1974年(昭和49年)桂川砂利興業に合併し、新たに中央産業を設立し社長となった。 1992年(平成4年)2月、大月市長に就任するが、任期中に死去した。
黛 弘道(まゆずみ ひろみち、1930年4月24日 - 20… 黛 弘道(まゆずみ ひろみち、1930年4月24日 - 2010年12月17日)は、昭和・平成時代の日本の歴史学者。専攻は日本古代史。学習院大学名誉教授。 東京大学教授の坂本太郎の弟子。律令国家・律令制度の成立史に関する研究で博士号を取得した。
桂 由美(かつら ゆみ、1930年〈昭和5年〉4月24日 -… 桂 由美(かつら ゆみ、1930年〈昭和5年〉4月24日 - 2024年〈令和6年〉4月26日)は、ウエディングドレスデザイナー、実業家。本名:結城 由美(旧姓:満生)。株式会社ユミカツラインターナショナル社長、株式会社桂由美ウエディングシステム社長、一般社団法人全日本ブライダル協会会長、全米ブライダルコンサルタント協会名誉会員、アジアブライダル協会連合会会長、NPO法人地域活性化支援センター理事、アジア・クチュール協会創立メンバー。ウエディングドレスなどブライダルデザインの第一人者、ブライダル業界の重鎮として知られる。 1930年4月24日、東京府南葛飾郡小岩町(現在の東京都江戸川区小岩)生まれ。
押川 國秋(おしかわ くにあき、1930年4月24日 - … 押川 國秋(おしかわ くにあき、1930年4月24日 - 2025年10月14日)は、日本の脚本家、小説家。 宮崎県児湯郡川南町出身。実家は結婚式場兼料理店を経営。高鍋高等学校、中央大学法学部卒。 元々脚本家という仕事をよく知らず、漠然と小説家を志していたことはあったが、大学生時代に野田高梧の『シナリオ構造論』を読んだことがきっかけで脚本家を志す。 本人は人間の問題として安楽死に興味があった。24歳の時に亡くなった父親が「もし俺が倒れて半身不随になったり口が利けなくなったら、殺してくれ」と良く言っていたということで、この自身の体験を結び合わせて書いた『罪』という作品で日本新人シナリオコンクールにて佳作入選。
髙窪 利一(たかくぼ としかず、1930年4月24日 - 2… 髙窪 利一(たかくぼ としかず、1930年4月24日 - 2003年3月17日)は、日本の法学者。商法専攻。正五位勲三等瑞宝章。弁護士。
髙窪 利一(たかくぼ としかず、1930年〈昭和5年〉4月2… 髙窪 利一(たかくぼ としかず、1930年〈昭和5年〉4月24日 - 2003年〈平成15年〉3月17日)は、日本の法学者。専門は商法。学位は、博士(法学)(中央大学・論文博士・1995年)。日本学術会議会員。正五位勲三等瑞宝章。弁護士。 東京都生まれ。都立日比谷高校を経て、1953年、中央大学法学部卒業。1955年、中央大学大学院民法専攻修士課程修了(指導教授は升本喜兵衛 (四代))。1955年、同法学部助手。1959年中央大学法学部助教授。1966年中央大学法学部教授に就任。1969年同学生部長。学校法人中央大学評議員。1988年中央大学法職講座運営委員会委員長。1991年同大学院法学研究科委員長。
阿蘇 瑞枝(あそ みずえ、1929年4月24日 - 2016… 阿蘇 瑞枝(あそ みずえ、1929年4月24日 - 2016年5月21日)は、日本の国文学者、万葉学者。 鹿児島県出身。日本統治時代の朝鮮の全州で生まれ、終戦後に鹿児島県に引き揚げ。鹿児島県立串木野高等学校を経て、鹿児島大学文理学部文学科卒業。国語教師を経て東京大学大学院に入学し、同博士課程修了。1972年「柿本人麻呂の研究」で文学博士の学位を取得。山梨英和短期大学教授、共立女子大学文芸学部教授を経て、1991年日本女子大学文学部教授、1998年昭和女子大学特任教授。
樽井 清一(たるい せいいち、1929年4月24日 - 19… 樽井 清一(たるい せいいち、1929年4月24日 - 1995年4月21日)は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。1956年と1957年の登録名は樽井 克友。
大河 直躬(おおかわ なおみ、1929年4月24日 - 20… 大河 直躬(おおかわ なおみ、1929年4月24日 - 2015年9月13日)は、日本の建築学者、千葉大学名誉教授。専攻は日本建築史。日本中世大工の生産・組織生活を明らかにし、民家の形式美を研究した。 金沢市生まれ。東京大学工学部建築学科卒、1958年同大学院数物系研究科建築学博士課程満期退学、1962年「中世建築の制作組織に関する研究」で工学博士。千葉大学工学部教授、1995年定年退官、名誉教授。
大戸崎 祐慈朗(おおとざき ゆうじろう、1929年4月24日… 大戸崎 祐慈朗(おおとざき ゆうじろう、1929年4月24日 - 1993年3月13日)は、秋田県秋田市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は棚谷 勇治。168cm、74kg。最高位は西十両2枚目。得意技は右四つ、投げ。 1949年5月場所で初土俵。新序で好成績を挙げ、序ノ口を飛び越えて序二段で12勝3敗の好成績でいきなり序二段優勝、その後も順調に番付を上げ、1953年9月場所で十両に昇進。1956年9月場所は自己最高位となる十両2枚目まで番付を上げるなど一時期は十両上位で定着し入幕も期待されたが、胃腸疾患で途中休場した1958年11月場所限りで廃業した。
神代 辰巳(くましろ たつみ、1927年4月24日 - 19… 神代 辰巳(くましろ たつみ、1927年4月24日 - 1995年2月24日)は日本の映画監督。佐賀県出身。
吉信 粛(よしのぶ すすむ、1927年4月24日 - )は、… 吉信 粛(よしのぶ すすむ、1927年4月24日 - )は、日本の経済学者。経済学博士(京都大学・論文博士・1992年)。関西大学名誉教授。 東京府東京市(現在の東京都)渋谷区生まれ。渋谷区立笹塚尋常小学校、東京都立第十中学校、静岡高等学枚を経て、1952年京都大学経済学部卒業。1957年同大学院博士課程満期退学、関西大学商学部講師、1960年助教授、1967年教授、1997年定年、名誉教授。1992年「古典派貿易理論の展開」で京都大学より経済学博士の学位を取得。九条の会会員。
柳川 覚治(柳川 覺治、やながわ かくじ、1926年4月24… 柳川 覚治(柳川 覺治、やながわ かくじ、1926年4月24日 - 2004年6月26日)は、日本の政治家、文部官僚。参議院議員(3期)。 神奈川県秦野市出身。陸軍士官学校(60期)を中退し(同期に加藤六月)、秦野高校を経て、1950年、早稲田大学政治経済学部卒業。文部省入省。同省の体育局長や管理局長を経て退官。体育局長時代には1980年モスクワオリンピックのボイコットを巡り各競技団体を説得する役割を担った。50代半ばで官僚を辞して厳正拘束名簿式で実施の1983年の第13回参議院議員通常選挙比例区で自由民主党から立候補し初当選し当時の自民党総裁及び内閣総理大臣中曽根康弘が創設した中曽根派に属した。
中村 徳次郎(なかむら とくじろう、1926年4月24日 -… 中村 徳次郎(なかむら とくじろう、1926年4月24日 - )は京都府出身の元プロ野球選手。
三好寿(みよし ひさし、1926年4月24日 - )は、日本… 三好寿(みよし ひさし、1926年4月24日 - )は、日本の海洋学者、東京水産大学名誉教授。 岡山県出身。東京大学大学院出身。1961年「明神礁爆発による津波の研究」で京都大学・理学博士。東京水産大学講師、助教授、教授。定年退官後、名誉教授。津波の研究で知られる。
佐々木 交賢(ささき こうけん、1926年4月24日 - 2… 佐々木 交賢(ささき こうけん、1926年4月24日 - 2005年6月28日)は、日本の社会学者。教育学博士(東北大学・論文博士・1981年)(学位論文「デュルケーム社会学研究 基礎理論と政治社会学」)。 秋田県出身。東北大学文学部社会学科卒、同大学院博士課程中退、1981年「デュルケーム社会学研究 基礎理論と政治社会学」で教育学博士(東北大学)の学位を取得。 宮城学院女子大学助教授、日本福祉大学助教授、1971年創価大学文学部助教授、教授。2005年定年退任、名誉教授。
荻本 伊三武(おぎもと いさむ、1925年4月24日 - )… 荻本 伊三武(おぎもと いさむ、1925年4月24日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。
伊原 義徳(いはら よしのり、1924年〈大正13年〉4月2… 伊原 義徳(いはら よしのり、1924年〈大正13年〉4月24日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の官僚。科学技術事務次官を最後に退官し、日本原子力研究所理事長、日本原子力学会会長、原子力委員会委員長代理等を歴任。日本初の総合的な原子力政策となる「原子力開発利用長期計画」作成に加わるなど、原子力行政に深く携わった。 兵庫県神戸市に生まれる。神戸一中(のちの兵庫県立神戸高等学校)、旧制第三高等学校(のちの京都大学総合人間学部)を経て、1947年(昭和22年)に東京工業大学(のちの東京科学大学)電気工学科(旧制)を卒業。同年商工省に入省(機械局)。 1954年(昭和29年)に通商産業省工業技術院で日本最初の原子力予算担当、米国アルゴンヌ国立研究所原子力留学、科学技術庁調査課長、ロンドン日本国大使館科学担当(一等)書記官、科学技術庁秘書課長、原子力局次長、研究調整局長、原子力安全局長などを経て、1979年(昭和54年)に科学技術事務次官を最後に退官。
石津 栄一(榮一、いしづ えいいち、1924年(大正13年)… 石津 栄一(榮一、いしづ えいいち、1924年(大正13年)4月24日 - 2009年(平成21年)1月18日)は、昭和から平成時代の政治家。愛媛県川之江市長。 川之江市出身。建築業を営む家に育ち、関西工業学校建築科の夜間部に学んだ。1943年(昭和18年)同校卒業。戦時中は海軍航空隊へ志願し、瑞鶴乗組となった。 復員後は代用教員を経て、愛媛県立川之江高等学校定時制に学び、1950年(昭和25年)卒業。家業を継ぎ、のち礎工業社長となった。 1951年(昭和26年)川之江町議会議員に28歳で初当選。その後、川之江市議会議員2期を経て、1974年(昭和49年)以来、川之江市長に4選。1990年(平成2年)落選した。
牧英正(まき ひでまさ、1924年4月24日 - 2018年… 牧英正(まき ひでまさ、1924年4月24日 - 2018年7月8日)は、日本の法制史学者、大阪市立大学名誉教授。 熊本市生まれ。父は京都帝国大学教授・牧健二。1948年京都帝国大学法学部卒。62年「日本法史における人身売買の研究」で京都大学法学博士。大阪市立大学講師、助教授、教授、88年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授、2000年退職。1968年から1989年まで法制史学会理事。2001年勲三等瑞宝章受章。2018年7月8日京都で死去。享年94。
下鶴 大輔(しもづる だいすけ、1924年4月24日 - 2… 下鶴 大輔(しもづる だいすけ、1924年4月24日 - 2014年6月25日)は、日本の火山学者。東京大学名誉教授。 東京出身。東北帝国大学理学部物理学科卒。1960年東京大学より理学博士の学位を取得。東京大学地震研究所助教授、1966年教授、1981年同所長、1985年定年退官、名誉教授。 1986年東京農業大学教授。 1981年から12年間火山噴火予知連絡会会長をつとめた。 1996年 - 勲二等瑞宝章
朝倉 正(あさくら ただし、1924年4月24日 - )は、… 朝倉 正(あさくら ただし、1924年4月24日 - )は、日本の気象学者。 宮城県仙台市生まれ。気象技術官養成研究所卒、1968年「日本を中心とする東アジアの大気循環の動気候学」で東京教育大学理学博士。気象研究所研究官、1965年気象庁長期予報課予報官、1981年初代気候変動対策室長。1984年長期予報課長。退官後、1996年気候問題研究所所長。1956年日本気象学会賞、1964年気象庁長官賞、1984年岡田賞受賞。
中村 栄(なかむら さかえ、1923年4月24日 - 199… 中村 栄(なかむら さかえ、1923年4月24日 - 1998年10月29日)は、群馬県出身の元プロ野球選手(内野手)。 桐生中では1939年に第25回全国中等学校優勝野球大会へ出場した。 社会人野球の藤倉電線を経て、1942年に阪急軍へ入団。1944年に応召し、終戦後はアマチュア野球の三共繊維でプレー。1950年に新設球団の国鉄スワローズでプロへ復帰。発足当初の国鉄では唯一のプロ経験者で、三塁手、二塁手のレギュラーとして活躍。1956年に現役を引退した。 その後、社会人野球の富士重工業の監督に就任し、都市対抗出場に導いた。 1998年10月29日に死去。75歳没。
松浦 功(まつうら いさお、1923年〈大正12年〉4月24… 松浦 功(まつうら いさお、1923年〈大正12年〉4月24日 - 2002年〈平成14年〉12月28日)は、日本の内務及び自治官僚、政治家。法務大臣(第63代)、参議院議員(3期)。 東京都出身。旧制東京高等学校卒業後、東京帝国大学法学部政治学科に入学。東京帝大在学中の1946年に高等試験行政科に合格。1947年、東京帝大を卒業し、旧内務省に入省(地方局配属)。自治省大臣官房総務課長、北九州市助役、消防庁長官、自治事務次官などを歴任した後、1980年の参議院議員選挙に全国区から自民党公認で出馬し初当選。1995年、自民党地方自治関係団体委員長。1996年、第2次橋本内閣の法務大臣として初入閣。
出羽湊 秀一(でわみなと しゅういち、1923年4月24日 … 出羽湊 秀一(でわみなと しゅういち、1923年4月24日 - 1979年9月16日)は、青森県中津軽郡岩木町(現・同県弘前市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は川田 秀一(かわだ しゅういち)。最高位は東前頭筆頭(1956年5月場所)。現役当時の体格は177cm、98kg。得意手は突っ張り、右四つ、寄りなど。 引退後は年寄・藤島として後進の指導と、相撲協会の発展に尽くした。 1940年5月場所にて、17歳で初土俵を踏んだが、幕下に昇進したところで兵役のために長く土俵を離れた。そのため、新十両昇進は1949年5月場所と、時間がかかった。 十両にいた時期も長く、新入幕を果たした1953年5月場所では、すでに30歳に達していた。
遠藤 源太郎(えんどう げんたろう、1922年 <大正11年… 遠藤 源太郎(えんどう げんたろう、1922年 <大正11年> 4月24日 - 1998年 <平成10年> 11月25日)は、日本の経営者。グンゼ社長、会長を務めた。位階は従四位。 京都府出身。1946年に神戸経済大学を卒業し、1951年に郡是製絲 (のちのグンゼ) に入社。 1971年に取締役に就任し、1975年に常務、1979年に専務を経て、1985年2月には社長に就任。1990年6月に会長に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1998年11月25日肝不全のために死去。76歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
小針 春芳(こばり はるよし、1921年4月24日 - 20… 小針 春芳(こばり はるよし、1921年4月24日 - 2019年4月19日)は、栃木県那須郡高林村(現・那須塩原市)の元プロゴルファー。 晩年まで拠点は那須一筋であったため、「那須の神様」「那須の小天狗」の異名を持った。 実家は農業を営んでいたが、生活は苦しく、米飯が食えるのは盆か正月くらいで、後は稗か粟が毎日であった。小針はこうした家庭の実情の中、一念発起して働きに出ることになるが、高等小学校を卒業して国鉄の試験を受けるも色弱で不合格になった。夢破れた時に那須ゴルフ倶楽部がキャディを募集していたため、1936年に入社。色の識別ではゴルフを覚えた頃にも苦労があり、当時はグリーンのマークは赤い毛糸を使用していたが、判別できなかった小針だけ黄色であった。
内海 洋一(うつみ よういち、1919年4月24日 - 20… 内海 洋一(うつみ よういち、1919年4月24日 - 2009年5月5日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。 1919年、兵庫県生まれ。京都帝国大学経済学部を卒業。 大阪大学経済学部助教授となり、後に教授昇進。1962年に大阪大学にて経済学博士号を取得。1982年に大阪大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は大阪学院大学教授として教鞭をとり、1995年に退職した。 学界では、1988年~1990年、1992年~1994年の2期にわたって経済社会学会会長を務めた。また、「憂国忌」発起人にも加わった。
津田 文吾(つだ ぶんご、1918年4月24日 - 2007… 津田 文吾(つだ ぶんご、1918年4月24日 - 2007年11月8日)は、日本の政治家。神奈川県知事(民選第6・7代)。テレビ神奈川(tvk)会長。富山県小杉町(現・射水市)出身。東京帝国大学卒業。 内山岩太郎神奈川県知事の下で財政課長、総務部長、副知事などを歴任した後、1967年内山知事の後継者として自民党の推薦と民社党の支持を受けて神奈川県知事選に出馬し初当選。 1975年まで2期8年務めた。保守県政では珍しく知事在任中は、こども医療センター、総合リハビリテーションセンターなどの整備と運営に努めるなど福祉政策に力を入れ、「福祉の津田」と呼ばれた他、全国に先駆けて自然の尊重と人間性の回復を基調にした新総合計画を策定し、大企業の乱開発の規制、公害防止などにも取り組んだ。
林 良一(はやし りょういち、1918年4月24日 - 19… 林 良一(はやし りょういち、1918年4月24日 - 1992年10月2日)は、日本の仏教美術史学者。筑波大学名誉教授。専攻は文様史、正倉院の研究。 東京市(現港区)生まれ。1952年東京大学文学部美学美術史学科卒業。57年同大学院特別研究生を修了し、多摩美術大学講師、1958年日本大学芸術学部講師。1960年東京教育大学講師、63年明治大学講師。1963年『シルクロード』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。1967年東京教育大学講師、助教授、筑波大学教授、同芸術専門学群長、82年定年退官・名誉教授、駒澤大学教授。
今津 晃(いまづ あきら、1917年4月24日 - 2003… 今津 晃(いまづ あきら、1917年4月24日 - 2003年6月18日)は、日本の歴史学者である。日本におけるアメリカ合衆国史研究の開拓者。 静岡県浜名郡吉津村(鷲津町、湖西町を経て現湖西市)に生まれる。1938年第三高等学校卒業、1941年12月京都帝国大学文学部史学科卒業、1948年9月京都帝国大学大学院退学。1962年「アメリカ革命史序説」で文学博士(京都大学)の学位取得。1942-43年文学部部副手嘱託。1946年9月関西大学予科講師、1947年4月大谷大学学部及予科教授、1948年同志社大学専任講師、48年助教授、1950年9月大阪大学教養部助教授、1953年文学部助教授、1959年京都大学文学部助教授。
永田 禎彌(ながた よしひろ、1916年4月24日 - 20… 永田 禎彌(ながた よしひろ、1916年4月24日 - 2008年6月24日)は、洋画家。兵庫県尼崎市出身。兵庫県三木市にて死去。
太田 文平(おおた ぶんぺい、1916年4月24日 - 19… 太田 文平(おおた ぶんぺい、1916年4月24日 - 1999年7月6日)は、経営学者、寺田寅彦研究者。 静岡県生まれ。1938年名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)卒業。日立製作所に入社。1976年退社、日本大学経済学部教授。1986年定年、名古屋商科大学教授。1989年退任。1999年、くも膜下出血のため死去。 本業で多くの著書を著すかたわら、寺田寅彦などの科学者文学者の研究もおこなった。
吉岡 たすく(よしおか たすく、1915年4月24日 - 2… 吉岡 たすく(よしおか たすく、1915年4月24日 - 2000年5月22日)は、大阪府出身の児童文化研究家。テレビの教育相談番組で活動した。本名は吉岡 佐(読みは同じ)。 大阪府立生野中学を経て大阪府天王寺師範学校を卒業し、後に泉大津市に移住。1935年から大阪府高石市の小学校の教員や校長を務める傍ら、幼児教育・文化、童話などの研究を進めた。元日本サッカー協会会長である川淵三郎は、高石小学校教諭時代の教え子である。 1975年3月に退職後、研究活動を続けながら、全国各地で講演を行い、著作を発表。毎日放送『八木治郎ショー』レギュラー出演のほか、NHK教育テレビ『おかあさんの勉強室』にたびたび出演した。
酒井 忠康(さかい ただやす、1915年〈大正4年〉4月24… 酒井 忠康(さかい ただやす、1915年〈大正4年〉4月24日 - 1967年〈昭和42年〉10月23日)は、日本の華族。正五位・子爵、旧松嶺藩主酒井家10代当主。
武部 本一郎(たけべ もといちろう、1914年4月24日 -… 武部 本一郎(たけべ もといちろう、1914年4月24日 - 1980年7月17日)は、日本のイラストレーター。出版美術家連盟会員、児童出版美術家連盟会員、少年文芸作家クラブ会員。 大阪府出身。ペンネームに城青児、宇田野武、宇多野武、鈴江四郎。父は日本画家の武部白鳳。1960年代から1970年代にかけてSFアートの世界で活躍した。 甲陽中学校卒業。在学中から画学校で絵を学ぶ。第二次大戦が終わった1945年に京都府に移住し、画業を開始。行動美術展覧に入展したのを始めとして数々の賞に入選するが、1953年頃より宇田野武の名前で街頭紙芝居を手がける。翌年から少年画報社からの依頼で『少年画報』に絵物語を描き始め、集英社の『おもしろブック』でも連載を行なった。
山内 一夫(やまのうち かずお、1914年4月24日 - 1… 山内 一夫(やまのうち かずお、1914年4月24日 - 1993年10月1日)は、日本の法制官僚・法学者。専門は行政法。学習院大学名誉教授。 東京市(現新宿区)出身。1938年東京帝国大学法学部政治学科卒。内閣法制局総務長官室主幹。内閣法制局第三部長、1959年内閣法制局第一部長、1964年学習院大学法学部教授、法学部長、85年定年、名誉教授。
廣川 シズエ(ひろかわ シズエ、1912年4月24日 - 2… 廣川 シズエ(ひろかわ シズエ、1912年4月24日 - 2008年6月8日)は、日本の政治家、自由民主党衆議院議員(1期)。農林大臣を務めた廣川弘禅の妻。本名は廣川 志津江。 福島県出身。1932年共立女子専門学校(現共立女子大学)卒。青年学校勤務を経て、東京都議会議員となり、青葉学園理事長、同学園中学校、高等学校各副校長、幼稚園長などを務めた。 1967年1月の総選挙を前に夫が急死、その身代わり候補として東京3区から自民党公認で立候補して当選し、衆議院議員を1期務めた。次の1969年の総選挙でも立候補したが、3万票余りと同じ党の小坂徳三郎と賀屋興宣に大差を付けられ落選し、以後、立候補しなかった。
増田 三男(ますだ みつお、1909年(明治42年)4月24… 増田 三男(ますだ みつお、1909年(明治42年)4月24日 - 2009年(平成21年)9月7日)は、埼玉県出身の彫金家。人間国宝(重要無形文化財保持)。 埼玉県北足立郡大門村(のち美園村、浦和市、現さいたま市)に生まれる。文展などへの出品のほか、埼玉県立浦和高等学校でも美術講師として勤務した。浦和高校時代は美術部に入部し、2歳下の高田誠と親交が深く、卒業後も恩師である福宿光雄を囲って「連穂会」を開いていた。
杉 柾夫(すぎ まさお、1909年4月24日- 1975年1… 杉 柾夫(すぎ まさお、1909年4月24日- 1975年1月11日)は、日本の漫画家、政治家。本名:杉浦 茂。 1909年、京都市左京区に生まれる。桃山中学校を卒業。1908年生まれの同姓同名の漫画家杉浦茂は同い年である。杉が上京して漫画家として活動する前から、杉浦は田河水泡門下で漫画家デビューし少年少女向けで活動していた。杉は杉浦と相談した結果、「杉柾夫」のペンネームを用いて漫画家活動を開始することにした。杉は子供向け漫画の杉浦とジャンルを住み分けるために、政治漫画や左翼系の風刺漫画の執筆を中心に活動し、また朝日や読売等の新聞にも風刺漫画を連載した。1931年にはプロレタリア美術家同盟(ヤップ)に加入し、その後はヤップの後身である日本プロレタリア文化連盟(コップ)で活動した。
大野 百合子(おおの ゆりこ、1908年〈明治41年〉4月2… 大野 百合子(おおの ゆりこ、1908年〈明治41年〉4月24日 - 1938年〈昭和13年〉9月26日)は、日本の詩人。才能に恵まれながらも早世した女流詩人とされる。 1908年(明治41年)4月24日、北海道余市町で誕生した。1917年(大正6年)に小樽区に転居。小樽高等女学校(後の北海道小樽桜陽高等学校)に入学したが、病気により中退。上京して洋裁を学び、1926年(大正15年)に小樽洋服裁縫女学院を設立した。1932年(昭和7年)の解院までに、約200人の卒業生を送り出した。 20歳代から、詩作に本格的に取り組み、文学雑誌『新短歌時代』『詩歌建築』などに詩を投稿した。詩人の宮崎丈二に認められたことで、宮崎に師事し、1931年(昭和6年)、同人誌『河』に参加した。
鷲尾 健三(わしお けんぞう、1907年4月24日 - 19… 鷲尾 健三(わしお けんぞう、1907年4月24日 - 1985年5月28日)は、兵庫県出身の日本の建築構造学者。工学博士(京都帝国大学)。大阪大学名誉教授。日本建築学会元副会長。武田五一の教え子で、構造学の研究に関する業績を残している。 ついても先駆的な業績を残した。このような実践を通し、構造力学という純粋で厳密な学問の大切さとともに実務に密着する鋼構造学の設計・施工の実態を踏まえた地道な技術者教育とその基礎にある人間教育がすべての根源であるとの認識を固めたように思われている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小出 武(こいで たけし、1907年4月24日 - 2007… 小出 武(こいで たけし、1907年4月24日 - 2007年1月6日)は日本の地理学者。 旧制東京文理科大学卒業。信濃教育会研究所主任、長野県立高校教諭、本州大学(現・長野大学)教授、1969年から1972年まで学長代行を務めた。理学博士(東京教育大学)。元長野県地理学会会長。勲四等旭日小綬章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山本陶秀(やまもと とうしゅう、1906年(明治39年)4月… 山本陶秀(やまもと とうしゅう、1906年(明治39年)4月24日 - 1994年(平成6年)4月22日)は、陶芸家。岡山県出身。人間国宝
小葉田 淳(こばた あつし、1905年4月24日 - 200… 小葉田 淳(こばた あつし、1905年4月24日 - 2001年8月8日)は、日本の歴史学者(専攻は貨幣史・鉱山史・貿易史)。京都帝国大学名誉教授。日本学士院賞受賞者、学士院会員、文化功労者。 1905年、福井県坂井郡丸岡町(現在の坂井市)生まれ。1922年に福井中学校(現:福井県立藤島高等学校)、1925年に第四高等学校を卒業した。その後は京都帝国大学文学部史学科に進んだ。卒業論文「貨幣流通の發展」をまとめ、1928年に卒業。 卒業後は、堺市史編纂部嘱託となった。1930年、台北帝国大学文政学部講師に着任。後に同大学助教授に昇進。1944年に応召し、陸軍中尉に至った。戦後も1946年まで国立台湾大学副教授として同地にとどまったが、同年中に帰国した。
森 薫(もり かおる、1904年(明治37年)4月24日 -… 森 薫(もり かおる、1904年(明治37年)4月24日 - 1986年(昭和61年)9月18日)は、日本の実業家である。出身地は大阪府。神戸電鉄の会長、阪急電鉄・北大阪急行電鉄の社長を務めた。 大阪府出身。宗太郎の息子。 1928年、京都帝国大学工学部電気工学科を卒業し、当時の新京阪鉄道に入社した。当時、新京阪を含む京阪電気鉄道グループは事業の拡張のため多くの大学・専門学校卒業生を採用しており、森もその一人だった(戦後、京阪の社長を務めた青木精太郎は同じ京大電気工学科を卒業して同期で京阪に入社している)。新京阪の京阪への合併、京阪と阪神急行電鉄の合併による京阪神急行電鉄の発足と京阪の再分離を経て、阪急電鉄に就職した。
樋口 勝彦(ひぐち かつひこ、1904年(明治37年)4月2… 樋口 勝彦(ひぐち かつひこ、1904年(明治37年)4月24日 - 1964年(昭和39年)3月19日)は、昭和中期のラテン文学、西洋古典学研究者。慶応義塾大学教授。日本西洋古典学会委員。オウィディウス『アルス・アマトリア』の訳者。
松岡 忠男(まつおか ただお、明治34年(1901年)4月2… 松岡 忠男(まつおか ただお、明治34年(1901年)4月24日 - 昭和61年(1986年)6月6日)は日本の教育者。元鳥取県中学校長会長、元米子市教育長。 教育長在任中は福市遺跡の史跡指定、校区再編成問題、カギっ子学級の開設、陸上競技場の新設、中国オリンピック大会開催など、大きな業績を残した。 鳥取県西伯郡大篠津村(現在の米子市大篠津町)の農家に生まれた。父は3歳頃渡米したので、母が中心で下男を雇って農業経営(養蚕業)をし、祖父は町の名誉職で毎日を費やしていた。 愛労小、米子中学校(現米子東高校)を経て大正10年(1921年)鳥取県師範学校卒業。愛労小、中浜小訓導。 米子市立青年学校校長、米子市立第二中学校校長等を歴任し、昭和31年(1956年)退職。
古村敏章(こむら としあき、1899年〈明治32年〉4月24… 古村敏章(こむら としあき、1899年〈明治32年〉4月24日 - 2000年〈平成12年〉1月1日)は、日本の実業家。位階は正六位。 長野県上伊那郡朝日村(現辰野町)出身。長野県諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒業。1931年丸興製糸(後の丸興工業)の創業に関わり、常任監査就任。専務を経て、1955年社長に就任。1962年長野県撚糸工業組合理事長。1964年市立岡谷蚕糸博物館初代館長。2000年死去。死没日付をもって正六位に叙された。
須田 銓造(すだ せんぞう、1898年(明治31年)4月24… 須田 銓造(すだ せんぞう、1898年(明治31年)4月24日 - 没年不明)は、昭和時代前期の公吏。東京市赤坂区長、日本橋区長、浅草区長。 須田勝三郎の二男として大阪市に生まれる。1923年(大正12年)京都帝国大学経済学部を卒業し東京市に奉職する。同市商工課勤務、神田、江東各青果市場勤務、中央卸売市場企画課長、同監理課長を務めた。その後、赤坂区長、日本橋区長、浅草区長を歴任した。