堀 澄也(ほり すみや、1935年4月27日 - )は、実業… 堀 澄也(ほり すみや、1935年4月27日 - )は、実業家。ヤクルト代表取締役会長。東京ヤクルトスワローズオーナー。広島県福山市出身。
4月27日生まれ:343人
堀 澄也(ほり すみや、1935年4月27日 - )は、実業… 堀 澄也(ほり すみや、1935年4月27日 - )は、実業家。ヤクルト代表取締役会長。東京ヤクルトスワローズオーナー。広島県福山市出身。
川本 整(かわもと おさむ、1935年4月27日 - )は、… 川本 整(かわもと おさむ、1935年4月27日 - )は、日本の土木・地球物理学者。大阪工業大学名誉教授。理学博士(京都大学)。日本地すべり学会元関西支部代表・運営委員。瑞宝中綬章受章。 専門は地球物理学・土木地質学、地学/地すべり学。 1958年に京都大学理学部地球物理学科卒業(日本地すべり学会を創設した佐々憲三の研究室)。 1960年大阪工業大学工学部土木工学科講師就任。助教授、一般教育科教授などを経て、1989年に同大学図書館長に就任した。この間、1971年に京都大学より論文「A study on diurnal variations of the ground strain observed in landslide zones(地すべり地における地表面ひずみの日変化に関する研究)」で理学博士の学位を取得。
斎藤 偕子(さいとう ともこ、1935年4月27日 -202… 斎藤 偕子(さいとう ともこ、1935年4月27日 -2021年12月23日 )は、日本のアメリカ演劇学者、演劇評論家、慶應義塾大学名誉教授。本姓・楠原。 東京(現中野区)生まれ。1958年同志社大学文学部英文科卒。62年同大学院退学。劇団俳優座舞台部勤務、64年白水社『新劇』編集部勤務。1968年ニューヨーク大学大学院修士課程修了。1969年東洋英和女学院短期大学専任講師、71年助教授、1970年菊田賞受賞。1977年慶大文学部助教授、81年教授、2000年退任、名誉教授、日本橋学館大学教授。2011年『19世紀アメリカのポピュラー・シアター』で日本演劇学会河竹賞受賞。演劇評論は斎藤偕子の名で、学術雑誌には楠原偕子の名で執筆。
坂口 文子(さかぐち ふみこ、1934年(昭和9年)4月27… 坂口 文子(さかぐち ふみこ、1934年(昭和9年)4月27日 - )は、日本の元競泳選手。現姓は西。 奈良県宇智郡南宇智村(現五條市)出身。奈良県立五條高等学校在学中、1952年ヘルシンキオリンピックで競泳日本代表として女子100m自由形に出場したが予選落ちに終わった。女子4×100mフリーリレーでは6位に入賞した。 現役引退後は、奈良県水泳連盟副会長を務めた。ほか、翠香という雅号でかな書を能くした。
三城 満禧(みしろ みつよし、1934年4月27日 - )は… 三城 満禧(みしろ みつよし、1934年4月27日 - )は、日本の言語学者、ドイツ語学者、東京大学名誉教授。 現在の北朝鮮会寧市に生まれる。東京都立戸山高等学校卒、1958年東大独文科卒、同大学院修士課程修了、一橋大学助教授を経て、1972年東大教養学部助教授、1988年教授、1995年定年退官、名誉教授。『小学館独和大辞典』(1985)の共編で日本翻訳出版文化賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小島 俊明(こじま としはる、1934年4月27日 - )は… 小島 俊明(こじま としはる、1934年4月27日 - )は、日本のフランス文学者、詩人、翻訳家。日本文芸家協会会員。 岐阜県各務原市生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒、同大学院文学修士。東京家政学院大学教授、2005年定年、名誉教授。早稲田大学政治経済学部非常勤講師(定年まで30年間)。フランスの20世紀詩などを翻訳紹介、自身も詩を書いた。
天野 祐吉(あまの ゆうきち、1933年〈昭和8年〉4月27… 天野 祐吉(あまの ゆうきち、1933年〈昭和8年〉4月27日 - 2013年〈平成25年〉10月20日)は、日本のコラムニスト。雑誌『広告批評』主宰者、マドラ出版社主。 出身地は東京府東京市足立区(現在の東京都足立区)。愛媛県の松山一高併設中学校(旧制松山中学校、現在の松山東高)、松山南高を卒業し、明治学院大学を中退後、創元社、博報堂を経て独立し、雑誌「広告批評」を創刊する。広告に対する批評で知られる。 1984年、朝日新聞において後に「CM天気図」と改名する「私のCMウオッチング」を開始し、2013年10月16日まで1132回連載した。 2000年、67歳のとき31歳下の伊佐子と再婚する。朝日新聞の連載コラム「天野祐吉のCM天気図」はまず妻に読ませ、反応を見ながらより分かりやすい文章に仕上げていた。
高井 有一(たかい ゆういち、1932年4月27日 - 20… 高井 有一(たかい ゆういち、1932年4月27日 - 2016年10月26日)は、日本の小説家。内向の世代の作家の一人。本名は田口哲郎(たぐち てつお)。日本芸術院会員。 祖父は角館町出身の小説家だった田口掬汀(たぐち きくてい)、父は画家の田口省吾(しょうご)、妻はジャーナリストの中村輝子。 父田口省吾、母信子の長男として、東京府北豊島郡長崎町(現・東京都豊島区)に生まれる。1943年祖父、父があいついで死去。1945年母妹とともに秋田県へ疎開するが、11月に母が死去し、母方の叔父最上孝敬に引き取られる。成蹊高等学校で中村草田男の授業を受け、1951年成蹊大学に進学した。1952年に早稲田大学第二文学部英文学科に編入し、1955年に卒業した。
小林 完吾(こばやし かんご、1932年4月27日 - )は… 小林 完吾(こばやし かんご、1932年4月27日 - )は、日本のアナウンサー、ニュースキャスター、司会者、ジャーナリスト、タレント。CMにも出演。愛称は「完吾さん」。 1960年2月6日、ラジオ南日本(現在の南日本放送)に入社し、放送業界に入った。1963年9月2日、日本テレビ放送網に移籍した。1992年4月、日本テレビ放送網を定年退職した。フリーアナウンサーとなり、オフィスこばやしを立ち上げた。 神奈川県鎌倉市出身。6人兄弟(兄2・姉2・弟)の5番目で三男である。両親はともに東京都出身である。祖父は洋画家の小林萬吾、母方の祖父は医学博士の中島譲吉である。親戚には元九州朝日放送アナウンサーで現在の福岡市長である高島宗一郎がいる。
丸山 照雄(まるやま てるお、1932年(昭和7年)4月27… 丸山 照雄(まるやま てるお、1932年(昭和7年)4月27日 - 2011年(平成23年)6月13日)は、日本の宗教評論家、日蓮宗僧侶。雅号は苦佛。 山梨県身延町出身。身延高校在学中から社会運動に傾倒し、立正大学在学中に仏教青年運動「信行会」を組織した。その後同大を中退し、久遠寺塔中の宝聚院麓坊住職、日蓮宗現代宗教研究所調査主任を歴任。 1970年(昭和45年)、東寺真言宗の松下隆洪らと共に、公害を起こした企業を呪い殺す「公害企業主呪殺祈祷僧団」を組織し、四日市市(四日市喘息)や神岡町(イタイイタイ病)などを行脚。それが教団内で問題となり、同研究所を辞職させられ、教団の役職すべてを辞す。以後は宗派にとらわれない広範な宗教・評論活動をおこなう。
矢野 絢也(やの じゅんや、1932年〈昭和7年〉4月27日… 矢野 絢也(やの じゅんや、1932年〈昭和7年〉4月27日 - )は、日本の政治家、政治評論家。 衆議院議員(9期)、公明党委員長(第4代)、大阪府議会議員(1期)などを歴任した。位階勲章は旭日大綬章。 のちに、創価学会を脱会した。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 大阪府八尾市出身。大阪府立山本高等学校卒業。1953年(昭和28年)、創価学会に入会。当時は京都大学経済学部3回生だった。1955年(昭和30年)3月、同大学卒業。同年4月、大林組に就職。 1963年(昭和38年)の大阪府議会議員選挙に大阪市生野区選挙区から立候補し初当選。 1967年(昭和42年)1月29日に行われた第31回衆議院議員総選挙に旧大阪4区から公明党公認で立候補し、トップで初当選を果たした。
有賀 貞(あるが ただし、1931年4月27日 - 2013… 有賀 貞(あるが ただし、1931年4月27日 - 2013年3月13日)は、日本の国際政治学者。位階は従四位。 専門はアメリカ政治外交史。一橋大学名誉教授。1988年から90年まで日本国際政治学会理事長、1992年から94年までアメリカ学会会長を務めた。 東京市小石川区生まれ。1948年旧制松本中学4年修了、1949年旧制松本高等学校文科乙類1年修了。1953年東京大学教養学部教養学科卒業、1955年同大学院社会科学研究科国際関係論専攻修士課程を修了し、翌年からスタンフォード大学大学院およびプリンストン大学大学院歴史学科に留学。1961年東京大学大学院社会科学研究科国際関係論専攻博士課程満期退学。
杉本 尚次(すぎもと ひさつぐ、1931年4月27日- 20… 杉本 尚次(すぎもと ひさつぐ、1931年4月27日- 2022年2月20日)は、日本の地理学者・文化人類学者。専攻は文化地理学。国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。大阪市立大学文学部文学研究科博士課程修了。国立民族学博物館教授・第5研究部長を経て、1992年3月末をもって定年退職、同名誉教授。その後は関西学院大学教授、大阪人間科学大学教授を務めた。 1968年、学位論文「日本における民家の地理学的研究」で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。 2022年2月20日、死去。90歳没。死没日付をもって正五位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された。
鎌倉 節(かまくら さだめ、1930年(昭和5年)4月27日… 鎌倉 節(かまくら さだめ、1930年(昭和5年)4月27日 - 2014年(平成26年)10月25日)は、日本の警察官僚。位階は従三位。内閣調査室長、警視総監、宮内庁長官などを務めた。 高知県出身。高知城東中、高知高等学校 (旧制)を経て、1954年(昭和29年)東京大学法学部卒業。国家地方警察本部(現警察庁)入庁。同期入庁の佐々淳行(初代内閣安全保障室長)、金澤昭雄(第13代警察庁長官)等と共にキャリアとして評価された。 大阪府警を振り出しに愛知県警本部、警視庁など刑事畑を歩む。1973年(昭和48年)富山県警本部長となり、警視庁公安、警務各部長、同副総監、内閣調査室長、警察大学校長、警視総監など歴任。
下森 定(したもり さだむ、1930年4月27日 - 202… 下森 定(したもり さだむ、1930年4月27日 - 2021年10月1日)は、日本の法学者。専門は民法。法政大学名誉教授・元総長・元理事長。島根県鹿足郡日原村(現・津和野町)出身。 詐害行為取消権についての責任説、瑕疵担保責任の法的性質に関する法定責任説(修正説) 安全配慮義務等契約責任の再構成等の研究で有名。高須順一法政大学教授や、木納敏和東京高等裁判所部総括判事は、下森ゼミの教え子。 民法上の主要な問題点につき、通説的解釈からスタートしつつも、外国法(ドイツ法)からの示唆を加味し、独自の修正を加え、結論としての妥当性と解釈論としての妥当性との調和を目指す解釈を基調としている。平井宜雄の『法律学基礎論覚書』にて「良い法律論」の一例として、詐害行為取消権についての責任説が紹介されている。
神保 信一(じんぼ しんいち、1930年(昭和5年)4月27… 神保 信一(じんぼ しんいち、1930年(昭和5年)4月27日 - 2018年(平成30年)12月24日)は、日本の教育心理学者。明治学院大学名誉教授。 東京生まれ。1955年東京大学教育学部教育心理学科卒、1962年同大学院博士課程満期退学。 明治学院大学文学部専任講師、助教授、教授、1999年退職、名誉教授。2018年12月24日午前9時7分、老衰のため自宅で死去、88歳。
岡村 勲(おかむら いさお、1929年4月27日 - 202… 岡村 勲(おかむら いさお、1929年4月27日 - 2025年2月24日)は、日本の弁護士。日本弁護士連合会副会長や全国犯罪被害者の会(あすの会)代表幹事を歴任。 高知県出身。一橋大学経済学部卒業後、一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士。田中誠二ゼミ出身。1956年に旧司法試験に合格。1959年以降弁護士として活動し、第一東京弁護士会会長や日本弁護士連合会副会長、法務省法制審議会委員を歴任。1988年に発生した上海列車事故では日本弁護団団長を務めた。 1997年10月、自身の妻が、山一證券問題に際して逆恨みした男性によって殺害された(岡村勲弁護士夫人殺害事件)。これによって、岡村は犯罪被害者の遺族となり、犯罪被害者の権利向上活動に携わるようになる。
川上 正也(かわかみ まさや、1929年4月27日 - )は… 川上 正也(かわかみ まさや、1929年4月27日 - )は、日本の医学者・分子生物学者。日本の医学教育に分子生物学を導入したパイオニア的存在。 北里大学名誉教授。日本細菌学会名誉会員。現在の東京都大田区生まれ。父は川上正一郎。義父は土田定次郎(早稲田大学教授)。妻は川上典子(全国音訳ボランティアネットワーク書記)、弟は川上義夫(立正大学名誉教授)。義妹は川上美那子(都立大学名誉教授)。 日本細菌学会、日本分子生物学会、日本免疫学会、日本アレルギー学会、日本化学療法学会、日本癌学会、日本学術会議研究連絡委員会、American Society of Microbiology、International Union of Microbiological Societies、テルモ科学技術財団評議員などの会員・役員を務めた。
遠藤 登(えんどう のぼる、1929年4月27日 - 201… 遠藤 登(えんどう のぼる、1929年4月27日 - 2011年9月14日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(2期)を経て、山形県天童市長(3期)を務めた。2009年旭日重光章。2011年従四位。 山形県天童市の農家に生まれる。1950年山形県立天童高等学校定時制卒。 青年団活動を経て、30歳で天童市議に初当選。4期務めた後、山形県議に転身し4期務める。 1990年の総選挙で旧山形1区から立候補し、当選。1993年の総選挙で再選。衆議院議員を2期務める。第一次橋本内閣で通商産業省政務次官を担う。 初の小選挙区比例代表並立制が用いられた1996年10月の第41回衆議院議員総選挙に立候補せず、次期天童市長選への出馬に向け準備を進める。
鈴木 辰夫(すずき たつお、1928年4月27日 - 201… 鈴木 辰夫(すずき たつお、1928年4月27日 - 2011年7月12日)は、日本の空手家。日本空手の創始者の1人で和道流開祖の大塚博紀最高師範の直弟子。和道流八段。横浜市出身。 空手は14歳のころからはじめる。日本大学経済学部卒業後、田中清玄の秘書を勤めながら大学等で空手を教える。以前から海外へ行くことを夢見ていたが、1963年に大学の後輩らとともに、欧米各国を回り空手のデモンストレーションなどを行った。以降ロンドンを拠点に、空手普及のため世界各地で指導を続けていた。
杉本 幸治(すぎもと こうじ、1927年4月27日 - 20… 杉本 幸治(すぎもと こうじ、1927年4月27日 - 2011年3月13日 )は、書体設計者。三省堂勤務を経て、リョービイマジクスの本明朝を制作・監修した。タイポデザインアーツ主宰。 東京市下谷区(東京都台東区下谷)生まれ。東京府立工芸学校(現在の東京都立工芸高等学校)印刷科卒業。 1947年に三省堂入社。今井直一の元で本文用明朝体、ゴシック体、辞書用の特殊書体などの設計開発と、ベントン父型・母型彫刻システムの管理に従事し、書体研究室、技術課長代理、植字製版課長を歴任した。 独自に明朝体活字の開発を進めようとしていた晃文堂の社長・吉田市郎からスカウトを受ける。三省堂にとどまった杉本は、晃文堂の新書体開発に構想段階からプライベートに監修するような立場で関わることになった。
山本 昭(やまもと あきら、1927年4月27日 - 201… 山本 昭(やまもと あきら、1927年4月27日 - 2015年8月8日 )は、日本の経営者。紀陽銀行頭取を務めた。 和歌山県出身。1953年に大阪大学法学部法学科を卒業し、同年に紀陽銀行に入行した。1971年5月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1981年4月に専務を経て、1984年5月に副頭取に就任し、1985年6月には頭取に昇格した。1990年6月から1994年6月までに会長を務めた。 2015年8月8日、急性心筋梗塞のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
谷村 晃(たにむら こう、1927年4月27日 - 2005… 谷村 晃(たにむら こう、1927年4月27日 - 2005年10月7日)は、日本の音楽学者。 兵庫県生まれ。1951年京都大学文学部卒。1963年から1965年までミュンヘン大学に留学。1968年「ウィーン古典派音楽の精神構造」で文学博士(関西学院大学)。関西学院大学、大阪大学教授、1993年定年退官、大阪芸術大学教授。1983年から1989年まで日本音楽学会会長を務めた。1979年から1996年までサントリー学芸賞選考委員。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
野村 眞康(のむら まさやす、1927年4月27日 - 20… 野村 眞康(のむら まさやす、1927年4月27日 - 2011年11月19日)は、日本の分子生物学者。カリフォルニア大学アーバイン校教授(Grace Bell Professor of Biological Chemistry)。理学博士。リボソームの構造と機能の研究で知られる。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
福田 清成(ふくだ きよしげ、1926年〈大正15年〉4月2… 福田 清成(ふくだ きよしげ、1926年〈大正15年〉4月27日 - 2015年〈平成27年〉7月7日)は、日本の化学者(コロイド化学)、教育者。 学位は、理学博士(東京大学)。埼玉大学名誉教授。中国科学院名誉教授。 東京市本郷区(現在の東京都文京区本郷)に、父秀一(歯科医)、母喜代子の次男として生まれる。幼少の頃から自然と親しみ、こよなく愛す。 高校生になる頃には科学者を目指すようになる。1945年(昭和20年)旧制府立高等学校理科を卒業すると、実家が東京大学農学部の目の前にあったこともあり、東京大学理学部化学科へ入学。研究室にて有機化学、コロイド科学に没頭し、薄膜の世界に魅了されていく。1948年(昭和23年)卒業。
増田 通二(ますだ つうじ、1926年(大正15年)4月27… 増田 通二(ますだ つうじ、1926年(大正15年)4月27日 - 2007年(平成19年)6月21日)は、日本の実業家。パルコ社長を務めた。 東京・世田谷生まれ。父親は日本画家増田正宗。通二は4人兄弟の末っ子。世田谷区立守山小学校(現・世田谷区立下北沢小学校)から都立十中(現・東京都立西高等学校)に進み、堤清二と同級となる。旧制府立高校から東京大学文学部哲学科へ進学。東大在学中の24歳のとき、上野の日本料理店「花家」の娘・黒岩静江と一緒に暮らすための収入源として、堤の父で、父親のパトロンでもあった堤康次郎に頼み、学生の身分のまま西武鉄道グループの親会社である国土計画の社長付き雑用係として働き始める。
木村 明生(きむら あきお、1925年4月27日- 2017… 木村 明生(きむら あきお、1925年4月27日- 2017年3月1日)は、ソ連・ロシア研究者、青山学院大学名誉教授。 岡山県倉敷市生まれ。1950年旧制京都大学文学部哲学科卒業。朝日新聞社モスクワ支局長、同調査研究室主任研究員、青山学院大学国際政治経済学部教授、2001年定年退任、名誉教授。日ロ交流協会常任理事。
鈴木 重靖(すずき しげやす、1925年4月27日 - 20… 鈴木 重靖(すずき しげやす、1925年4月27日 - 2021年1月19日)は、日本の経済学者。山口大学名誉教授。広島経済大学名誉教授。国際貿易論専攻。東京都文京区出身。経済学博士(1968年、京都大学で取得)。
宮川 毅(みやかわ つよし、1925年4月27日 - 200… 宮川 毅(みやかわ つよし、1925年4月27日 - 2000年8月6日)は、日本のジャーナリスト、翻訳家。 米国生まれ。東京大学文学部卒業、共同通信社に入り論説委員、1964年東京オリンピック、1972年札幌オリンピック組織委員会の海外担当、国際オリンピック委員会五輪オーダー(功労章)受章。日本オリンピック委員会常任委員。国際オリンピック委員会報道委員。スポーツ関係の翻訳も多い。1995年、勲四等旭日小綬章受章。 2000年8月6日、肺血栓のため死去。
高橋 靗一(たかはし ていいち、1924年4月27日 - 2… 高橋 靗一(たかはし ていいち、1924年4月27日 - 2016年2月25日)は、日本の建築家である。日本統治時代の青島生まれ。大阪芸術大学名誉教授、第一工房代表。日本建築学会員、日本建築家協会名誉会員。 代表作に 佐賀県立博物館、大阪芸術大学、東京都立大学南大沢キャンパス、全労済情報センター、パークドーム熊本、群馬県立館林美術館、あいち海上の森センター、白河市立図書館などがある。 青島生まれ。東京大学第二工学部建築学科を卒業後、逓信省営繕部設計課勤務。大学助教授を経て第一工房を設立(1960〜2015年)。東京大学、東京工業大学、東北大学、九州芸術工科大学、明治大学、東海大学、東京電機大学の非常勤講師歴任。
村瀬 実恵子(むらせ みえこ、Miyeko Murase、1… 村瀬 実恵子(むらせ みえこ、Miyeko Murase、1924年4月27日 - 2025年2月12日)は、アメリカにおける日本美術史家。 日本の絵画、ことに中近世時代の絵巻物、屏風、書の研究で高い評価を受けてきた。アメリカ・ニューヨークのコロンビア大学渥美健夫・伊都子記念日本美術教授、メトロポリタン美術館日本美術特別顧問を歴任。 村瀬実恵子は大野実蔵の長女として、当時日本の統治下にあった樺太・豊原(現在のサハリン)で誕生。父実蔵は、植民地裁判官であった。幼少期を同じく日本が統治していたサイパンやパラオを含む南洋諸島で過ごし、第二次世界大戦末期の日本に帰国、アメリカ軍による東京大空襲に遭遇した。
平岡 定海(ひらおか じょうかい、1923年4月27日 - … 平岡 定海(ひらおか じょうかい、1923年4月27日 - 2011年11月26日)は、華厳宗の僧侶で歴史学者。第213世東大寺別当。書家。 1923年(大正12年)、奈良市東大寺上之坊に生まれる。1949年(昭和24年)京都大学文学部史学科卒業。1955年(昭和30年)東京大学大学院修了。1960年(昭和35年)文学博士。 1954年(昭和29年)種智院大学講師、1957年(昭和32年)助教授、1966年大手前女子大学教授。東大寺上之坊住職、東大寺執事長、華厳宗管長、東大寺別当を歴任。 2011年(平成23年)11月26日、多臓器不全により遷化。88歳没。
竹野 栄(たけの さかえ、1922年4月27日 - 没年不明… 竹野 栄(たけの さかえ、1922年4月27日 - 没年不明)は、日本の児童文学作家、教育者。 北海道奥尻島出身。北海道第二師範学校(現在の北海道教育大学)、國學院大學卒業。 師範学校在学中に素話を行った際に、自作の童話を使って行いたいと考えたことがきっかけで児童文学を志す。1961年から石森延男に師事し、児童文学を執筆し始める。1963年に『ブチよしっかり渡れ』で第4回講談社児童文学作品を受賞し、デビュー。 大学卒業後の約40年間、北海道や東京で小学校教諭を勤めていた体験を生かし、数々の児童文学作品を発表する。教師や校長先生たちと子供たちとの交流を題材とした、明るくのびのびとした作品が多い。その一方で、小学校低学年を対象にした国語や生活科に関連した絵本や、児童向けのノンフィクションの執筆も多く手掛ける。
大村 千吉(、1922年〈大正11年〉4月27日 - 199… 大村 千吉(、1922年〈大正11年〉4月27日 - 1991年〈平成3年〉11月24日)は、日本の俳優。本名は大村撰吉(読み同じ)。旧芸名は大村仙吉。 東京市(東京都)出身。エヌ・エー・シーに所属していた。 1922年4月27日、東京市深川で、寄席の芸人であり俳優の東家梅之助の息子として生まれる。深川明治尋常高等小学校卒業。 1933年公開の映画『少年忠臣蔵』に子役で出演。これが映画デビュー作である。 1934年にP.C.L.(現在の東宝)に入社。同年公開の映画『あるぷす大将』にて主演。本名と同じ音の芸名「千吉」はこの『あるぷす大将』の出演時に監督山本嘉次郎につけられたもので、『少年忠臣蔵』時には本名のままであった。
寺島 龍一(てらしま りゅういち、1918年4月27日 - … 寺島 龍一(てらしま りゅういち、1918年4月27日 - 2001年10月26日)は、洋画家、日本芸術院会員。寺島竜一とも。 東京府出身。東京美術学校卒。寺内萬治郎らに師事。1979年まで筑波大学教授。1997年「アンダルシア讃」で恩賜賞・日本芸術院賞受賞。1998年芸術院会員。日展理事、顧問。光風会理事長。 人物画、特にエキゾチックな女性像で知られた。ほか児童書の挿絵・表紙画でも知られ、特にJ・R・R・トールキンの作品の挿画が名高い。また自身でも子供向けの著作を著した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
後藤 憲一(ごとう けんいち、1917年4月27日 - 19… 後藤 憲一(ごとう けんいち、1917年4月27日 - 1993年7月30日)は、日本の物理学者。大阪大学名誉教授。理学博士。 島根県出身。1941年大阪帝国大学理学部物理学科卒、同助手、1954年大阪大学理学部助教授。1962年「磁場内プラズマの臨界安定性について」で理学博士。1966年教授、1981年定年退官、名誉教授、摂南大学工学部教授。88年退職。
宮崎 要(みやざき かなめ、1916年4月27日 - 196… 宮崎 要(みやざき かなめ、1916年4月27日 - 1965年6月17日)は、佐賀県出身のプロ野球選手(内野手)、(監督)。
宮崎 淳臣(みやざき きよおみ、1915年(大正4年)4月2… 宮崎 淳臣(みやざき きよおみ、1915年(大正4年)4月27日 - 没年不明)は、日本の陸軍軍人(軍医将校)、医師。最終階級は陸軍軍医少佐。かつて731部隊に所属していた。宮崎神経科嵯峨病院創立者。子に豊田潤多郎、孫に豊田剛一郎。紺綬褒章受章者。 兵庫県出身。宮崎伝治の長男として生まれる。旧制姫路高等学校理科乙類を経て、1939年(昭和14年)に京都帝国大学医学部を卒業後、近衛歩兵第1連隊付軍医中尉に任官。1943年(昭和18年)軍医少佐に累進後、陸軍軍医学校教官兼陸軍軍医学校中山出張所長を務める。1946年(昭和21年)千葉県血清製造初代所長となり、1948年(昭和23年)公職追放され医院を開業。
冨田濱 正治(とみたはま まさじ、1914年4月27日 - … 冨田濱 正治(とみたはま まさじ、1914年4月27日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。高砂部屋から大山部屋に所属。三重県四日市市出身。本名は広瀬 政治(ひろせ まさじ)。最高位は西十両9枚目。得意技は左四つ、寄り。 1931年5月場所に初土俵。1939年5月場所に十両に昇進。この場所は6勝9敗と負け越した。関脇・高登が引退し大山部屋を興すとともに移籍し、その最初の場所である翌1940年1月場所でも3勝12敗と大きく負け越し、幕下に陥落した。1941年5月場所に27歳で廃業した。
城 みさを(じょう みさを、1913年(大正2年)4月27日… 城 みさを(じょう みさを、1913年(大正2年)4月27日 - 2018年(平成30年)1月10日)は、『さをり織り』の創始者、センテナリアン。 1913年4月、大阪府堺市に生まれる。大阪府立堺高等女学校(現・大阪府立泉陽高等学校)卒業。 機械部品の販売などを手がけた夫・英二と結婚後、57歳の時に『さをり織り』を始める。 1981年に開催された神戸ポートアイランド博覧会をきっかけに、障害者にも『さをり織り』の指導を始める。 1990年代からは、高齢者の生涯学習にも取り組む。 104歳を迎えた後も、教室に顔を出し生徒を見守っていたという。 さをり織りには織り方や織り機、素材など制約がなく、身近な素材や余った糸を使用し、作り手のイメージで織りあげるという特徴がある。
石川 三郎(いしかわ さぶろう、1913年4月27日 - 1… 石川 三郎(いしかわ さぶろう、1913年4月27日 - 1999年11月1日)は、日本の経営者。日本触媒化学工業社長を務めた。兵庫県神戸市出身。位階は正五位。 1936年に京都帝国大学工学部工業化学科を卒業し、後に日本触媒化学工業に入社。 取締役、常務、専務を経て、1979年2月に副社長に就任し、1981年2月には社長に昇格。1986年2月に会長を経て、1990年2月から相談役を務めた。 1960年に大河内記念賞を受賞し、1969年11月に紫綬褒章を受章し、1977年4月に藍綬褒章を受章し、1990年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1999年11月1日心不全のために死去。86歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
東 史郎(あずま しろう、1912年(明治45年)4月27日… 東 史郎(あずま しろう、1912年(明治45年)4月27日 - 2006年(平成18年)1月3日)は、日本の軍人(召集兵)、著述家、社会活動家。 京都第16師団、福知山第20連隊上等兵として南京攻略戦に参加し、南京大虐殺(南京事件)を著書『わが南京プラトーン』で告発した。中国やアメリカ合衆国などでも謝罪活動を続けた。日記の一部記述について元上官と名誉毀損裁判となり、二審まで東日記の記述の公表に公益性は認定されたものの、事実であるかについて客観的証拠がないと判定され、最高裁で上告理由がないとして、そのまま損害賠償を命じられた。 京都府竹野郡間人村(たいざむら)出身。間人小学校を卒業後、1926年(大正15年)に京都府立第二中学校に進学した。
倉若 晴生(くらわか はるお、本名:倉若貞司、1912年4月… 倉若 晴生(くらわか はるお、本名:倉若貞司、1912年4月27日 - 1982年11月26日)は、日本の作曲家。新潟県西頸城郡糸魚川町(現在の糸魚川市)出身。東京府立化学工業学校出身。 江口夜詩に師事し、ポリドールレコード専属作曲家となる。昭和時代初期 - 中期に活動した。 作詞家・詩人の清水みのる、歌手の田端義夫(バタヤン)とのトリオで数々のヒット曲を世に送り出した。生涯に作曲した作品は千曲を超える。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
町田 業太(まちだ ぎょうた、1911年〈明治44年〉4月2… 町田 業太(まちだ ぎょうた、1911年〈明治44年〉4月27日 - 1993年〈平成5年〉8月18日)は、日本の実業家。兼松社長、会長を務めた。ボリビア国名誉総領事。 群馬県前橋市出身。旧制前橋中学校を経て、1932年に横浜高等商業学校を卒業し、同年に兼松商店に入社した。1952年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1964年に副会長に就任し、1965年には社長に昇格した。1976年に会長に就任し、翌年から相談役を務めた。 1965年兼松副社長の時にボリビア国名誉領事、1978年には同名誉総領事となる。 1968年にブラジルよりカブラル勲章授与。1974年にはボリビアよりコンドル勲章を授与される。
寺田 竹雄(てらだ たけお、1908年4月27日 - 199… 寺田 竹雄(てらだ たけお、1908年4月27日 - 1993年9月10日)は、洋画家。日本芸術院会員。
山口 孫一(やまぐち まごかず、1908年〈明治41年〉4月… 山口 孫一(やまぐち まごかず、1908年〈明治41年〉4月27日 - 1970年〈昭和45年〉10月31日)は、日本の銀行家。紀陽銀行頭取、大阪植木社長、大日本除虫菊取締役、白浜温泉ホテル監査役を務めた。父は紀伊貯蓄銀行頭取を務めた山口孫七。 和歌山県海草郡山口村(現・和歌山市)出身。山口孫七の長男。1931年、東京農業大学農学部卒業。大日本除虫菊監査役・取締役・専務を経て、1949年紀陽銀行取締役、1952年常務、1955年頭取。 趣味は美術工芸品、ゴルフ、運動、煙草。宗教は浄土宗。住所は大阪府泉北郡高石町。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
斎藤 清(さいとう きよし、1907年4月27日 - 199… 斎藤 清(さいとう きよし、1907年4月27日 - 1997年11月14日)は、日本の木版画家。文化功労者(1995年)。 独学で独自の木版画技法を確立。浮世絵版画の技法や西洋作家の近代的造形を取り入れ、日本的感情を表現した。安井曽太郎の木版に魅せられ、版画を研究した。版画の他に油彩や水墨画も数点残している。 やないづ町立斎藤清美術館などのほか、斎藤と生前親交があったアメリカ人美術商ノーマン・H・トルーマンが斎藤の作品を約3,000点収集している。一部は東京の渋谷ヒカリエで2018年12月に公開された。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
生野 初子(いくの はつこ、1907年〈明治40年〉4月27… 生野 初子(いくの はつこ、1907年〈明治40年〉4月27日 - 1967年〈昭和42年〉)は、日本の女優である。本名は出生名が生野 静子(いくの しずこ)、俳優の高木新平と結婚して高木 静子(たかぎ しずこ)となった。 1907年4月27日、福岡県浮羽郡吉井町(現在の同県うきは市吉井町)に「生野静子」として生まれる。 満12歳になる1919年(大正8年)に女歌舞伎の一座に入団し、熊本市内にあった旭座で初舞台を踏む。1924年(大正13年)1月、京都のマキノ映画製作所等持院撮影所に入社、阪東妻三郎主演、寿々喜多呂九平脚本、後藤秋声監督のサイレント映画『山猫の眼』に阪東の相手役として出演し、「生野初子」の名で映画界にデビューした。
多田小餘綾(ただ こゆるぎ、1907年4月27日 - 200… 多田小餘綾(ただ こゆるぎ、1907年4月27日 - 2008年4月6日)は、阿波踊りのおはやし「阿波よしこの」の歌い手である。 また、お鯉さんの名で伝統文化の継承と「よしこの」の普及に貢献し続けた。 徳島県徳島市富田町出身。徳島市名誉市民。とくしま市民遺産選定。 日本コロムビア大阪支社、ポリドール・レコードに所属していた。2006年に『お鯉〜唄声は時代を超えて〜』のCDが発売され、2007年には徳島県民栄誉賞を受賞し、自身が目標としていた「100歳での現役よしこの歌手」を実現する。 2008年4月6日6時40分、老衰のため死去。享年102(100歳没)。晩年は公演時に車椅子で移動する姿が多くみられていた。
小原 敬士(おはら けいじ、1903年4月27日 - 197… 小原 敬士(おはら けいじ、1903年4月27日 - 1972年3月26日)は、日本の経済史学者、経済地理学者。専門はアメリカ経済で、一橋大学経済研究所所長、アメリカ学会会長、経済地理学会会長等を歴任した。学位は、経済学博士(一橋大学・論文博士・1962年)。 静岡県浜名郡浜名町で誕生する。名古屋市立名古屋商業学校を経て、神戸高等商業学校(現神戸大学)に進み、さらに東京商科大学(現一橋大学)に入学して、金子鷹之助に師事して外国経済史を学ぶ。 1929年大学卒業、同年横浜市立商業専門学校(現横浜市立大学)助教授。同教授を経て、1938年に早瀬利雄とともに治安維持法違反で寿町警察署に連行され、1941年から休職となり、1942年に懲役2年執行猶予3年の裁判が確定し失職し、金融経済研究会研究主任となった。