野口 洋二(のぐち ようじ、1933年1月28日 - )は日… 野口 洋二(のぐち ようじ、1933年1月28日 - )は日本の歴史学者。早稲田大学名誉教授。専門は西洋中世史、特に西洋中世の宗教政治史・文化史。 1951年東京都立大学附属高等学校卒業。1956年早稲田大学第一文学部史学科卒業。1962年早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。1964年早稲田大学文学部助手。1966~1968年、スイス政府給付留学生としてジュネーヴ大学へ留学した。1969年同講師、1972年同助教授、1977年同教授。同年、文学博士(早稲田大学)。1990年早稲田大学図書館長。1991年に総合学術情報センターの開館式を挙行する。早稲田大学理事(文化事業担当)、同大学総合研究機構長、同大学會津八一記念博物館長などを歴任した。
岩澤 信夫(いわさわ のぶお、1932年(昭和7年)1月28… 岩澤 信夫(いわさわ のぶお、1932年(昭和7年)1月28日 - 2012年(平成24年)5月4日)は、境循環型の稲作農法である冬期湛水不耕起栽培を提唱し、普及活動を展開した農業技術者。 千葉県成田市生まれ。旧制成田中学校を卒業後、農業に従事。 第1回 日本の農業はコメだ(2008年9月3日放送) 第2回 耕さない田んぼが農家を変える(2008年9月17日放送) 第3回 生きものが集まり人が集まる(2008年9月24日放送) 第4回 田んぼを守るために(2008年10月1日放送)
井上 光央(いのうえ てるひさ、1932年1月28日 - )… 井上 光央(いのうえ てるひさ、1932年1月28日 - )は、毎日放送出身のフリーアナウンサー。 東京都出身で巣鴨育ち。東京都立小石川高等学校を経て、早稲田大学第一政経学部卒業後、1955年に新日本放送(現在の毎日放送)にアナウンサーとして入社。大学時代は放送研究会に所属していた。 スポーツ実況を主とし、プロ野球・南海ホークス戦をはじめ、「選抜高等学校野球大会」では開会式17回、決勝戦22回を担当し、『センバツの生き字引』と呼ばれた。また、日本シリーズでは1985年の阪神対西武戦(甲子園球場の第4戦)、大阪スタヂアム最後のオールスターとなった1986年の第2戦(清原和博(当時・西武)のオールスター初ホームランでMVPを獲得)、1988年10月15日の大阪球場での南海最後の公式戦の実況を担当した。
本多 勝一(ほんだ かついち、1932年1月28日 - )は… 本多 勝一(ほんだ かついち、1932年1月28日 - )は、日本の新聞記者・ジャーナリスト・作家。元朝日新聞編集委員。 長野県下伊那郡大島村(現在の松川町)に生まれる。 長野県飯田高松高校卒。高校3年次の担任はのちに日本古生物学会の会長を務めた鹿間時夫であった。同級に富永明夫がおり、後に本多の義兄となった。 本多には脳性小児麻痺の妹がいた。父は雑貨商を営んでおり、本多には薬科大学に進むことで薬局を加えた店の跡を継いでほしいと願っていた。本多は高校で木原均の講演に感銘を受け、京都大学で遺伝学を学びたいと考えたため、父と衝突した。結局、薬剤師の資格を取得すれば好きなことをやってもよいとの妥協案を受け入れ、千葉大学薬学部に進学。
市田 儀一郎(いちだ ぎいちろう、1932年1月28日 - … 市田 儀一郎(いちだ ぎいちろう、1932年1月28日 - 2014年11月28日)は日本のピアニスト、音楽教育者、音楽学者。日本ピアノ教育連盟副会長。平成音楽大学名誉教授。 大阪府出身。武蔵野音楽大学卒業。同専攻科修了後、ミュンヘン音楽・演劇大学に留学。F.ヴューラー教授に師事。帰国後母校の教授、信州大学教授などを歴任。 2011年瑞宝中綬章受章。 J.S.バッハの平均律、シューベルトのピアノソナタ全集など古典的作品の校訂で知られる。特にハワード・ファーガソンの日本への紹介に力を入れている。 演奏技法に関しては、『バッハ平均律クラヴィーア : 解釈と演奏法. 1・2』(音楽之友社、1968年、1983年)、『バッハ・インヴェンションとシンフォニーア : 解釈と演奏法』(音楽之友社、1971年)、『ピアノ伴奏の基本と奏法』(明治図書出版、1976年)の著書がある。
田所 稔(たどころ みのる、1932年1月28日 - 199… 田所 稔(たどころ みのる、1932年1月28日 - 1991年5月27日)は、日本中央競馬会(JRA)に所属した騎手、調教師。騎手時代の1966年にニホンピローエースで皐月賞に優勝した。 いずれも騎手・調教師の田所秀雄は実兄、田所秀孝は甥、師匠でもある小川佐助は叔父、田所清広(旧姓・佐野)は娘婿である。 1932年、北海道浦河町の農家に生まれる。実家は兄弟が多く貧しかったことから、幼少の頃に伯母の家に身を寄せた。1950年、すでに騎手となっていた兄・秀雄を頼り、その師匠で叔父の小川佐助厩舎(京都競馬場)に入門した。1953年に騎手免許を取得。初騎乗は4月26日の第1回阪神競馬8日目第2競走で、マサミドリに騎乗したが最下位に敗れた。
北野 弘久(きたの ひろひさ、1931年(昭和6年)1月28… 北野 弘久(きたの ひろひさ、1931年(昭和6年)1月28日 - 2010年(平成22年)6月17日)は、日本の法学者(租税法)。法学博士(立命館大学・論文博士・1974年)。日本大学法学部教授を経て、日本大学名誉教授。 富山県富山市大広田生まれ。学位は法学博士(1974年)、税理士・弁護士資格保有。租税法を専攻し、納税を国民の権利としての側面から再評価した「納税者基本権論」を展開する。 国税不服審判所による審判や裁判所での判決に対して、憲法を基礎に国民を主体にした批判・研究を展開、多くの論文を発表した。 憲法を軸に置いた視点からの判例研究では嚆矢となる。裁判での証人も引き受け、納税者に有利な判決を勝ち取った点も高く評価される。
須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - 2024年… 須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - 2024年12月13日)は、日本の実業家。東海旅客鉄道株式会社(JR東海)参与。同社初代代表取締役社長。第7代鉄道友の会会長。名は寛と表記されることが多いが、正表記は寬(儿部の右側に点が入る)。 職責以上に鉄道営業制度に精通し、フルムーン夫婦グリーンパス、自由席、青春18きっぷ、ホームライナーの生みの親と言われる。エル特急の誕生にも関与した。 京都市中京区で洋画家の須田国太郎の長男として生まれる。国太郎は写生旅行のため時刻表を毎月のように購入しており、読み方を教えられて幼稚園の頃から読み出した。少年時代は体が弱く、時刻表を見ながら病床で遠方への旅行を想像していたという。
小松 左京(こまつ さきょう、1931年〈昭和6年〉1月28… 小松 左京(こまつ さきょう、1931年〈昭和6年〉1月28日 - 2011年〈平成23年〉7月26日)は、日本の小説家。本名:小松 実(こまつ みのる)。 『易仙逃里記』(1962年)でデビューして以降、人類と文明の可能性を模索し続けた、SF小説の大家。作品に『日本アパッチ族』(1964年)、『果しなき流れの果に』(1966年)、『日本沈没』(1975年)など。 星新一・筒井康隆と共に「SF御三家」と呼ばれ、日本SF界を代表するSF作家であり、戦後の日本を代表する小説家でもあった。 1970年の日本万国博覧会でテーマ館サブ・プロデューサー、1990年の国際花と緑の博覧会の総合プロデューサーとしても知られる。
須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - )は、東海… 須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - )は、東海旅客鉄道(JR東海)の初代代表取締役社長である。名は寛と表記されることが多いが、正式な名前の表記は寬(儿部の右側に点が入る)である。
飯田雄二(いいだ ゆうぞう、1931年1月28日 -)。 1… 飯田雄二(いいだ ゆうぞう、1931年1月28日 -)。 1955年日本大学通教文学部史学科卒業。 1974年愛知県教員組合委員長。 1975年愛知県議会議員。 桜門紳士録刊行会編『桜門紳士録』桜門紳士録刊行会 昭和57年6月10日 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
田辺 忠幸(たなべ ただゆき、1931年1月28日 - 20… 田辺 忠幸(たなべ ただゆき、1931年1月28日 - 2008年1月6日)は、日本の将棋観戦記者、将棋ライター。 東京都生まれ。早稲田大学在学中は将棋部正選手として活躍。1956年共同通信社に入社、1959年より運動部で将棋、囲碁、相撲、柔道などを担当。1974年棋王戦創設に参画し、その運営に当たった。 大阪支社運動部長などを歴任し、1991年定年退職。以後はフリーの観戦記者として活動した。 1997年、将棋ペンクラブ大賞。2000年から2007年まで、将棋ペンクラブ大賞の選考委員をつとめた。2002年、大山康晴賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
野崎 眞一(のざき しんいち、1931年1月28日 - 20… 野崎 眞一(のざき しんいち、1931年1月28日 - 2014年1月27日)は、日本の作曲家である。永年の作家名は野崎 真一であった。 1931年(昭和6年)1月28日、現在の愛知県半田市に生まれる。 1957年(昭和32年)、26歳のときに、日本マーキュリーレコードより発売された藤島桓夫歌唱の「俺らは東京へ来たけれど」で作曲家デビュー。この時の名前の表記は「野崎眞一」だった。 1958年にテイチクレコードの専属作曲家となる。 「星屑のブルース」(1965年)をはじめ数多くの石原裕次郎、八代亜紀の楽曲を作曲した。とくに野崎が40代半ばのころに八代に提供した「もう一度逢いたい」 (1976年)、「愛の終着駅」 (1977年)では、当時20代半ばの八代を日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞に2年連続で導いた。
二谷 英明(にたに ひであき、1930年1月28日 - 20… 二谷 英明(にたに ひであき、1930年1月28日 - 2012年1月7日)は、日本の俳優。京都府舞鶴市出身。京都府立東舞鶴高等学校卒業、同志社大学文学部英文学科中退。妻は白川由美。長女は二谷友里恵。 8人兄弟の5番目の三男として生まれる。兄が3人、弟が1人、姉妹が4人いる。父の吉秀は運送業や港湾業、倉庫管理などを営み、海軍舞鶴鎮守府に物を納めるなどしていたが、1937年に亡くなったため母が女手一つで育てた。カトリックの幼稚園に通い、1936年に東舞鶴小学校に入学。1942年、東舞鶴中学校に入学。同志社予科から1947年同志社大学文学部英文学科に入学し、アーモスト館に入寮したが、2年生の時に家計が傾いたため、後に大学を中退した。
木村 駿(きむら しゅん、1930年1月28日 - 2002… 木村 駿(きむら しゅん、1930年1月28日 - 2002年8月17日)は、日本の心理学者。臨床心理学を専攻。群馬大学名誉教授。 神奈川県生まれ。早稲田大学卒業。同大学院にて臨床心理学を専攻。群馬大学教育学部助教授、教授を経て、2000年に定年退官、名誉教授、明星大学教授。2007年、退任。 1974年から1975年にかけて、文部省在外研究員としてキングス・カレッジ・ロンドン精神医学研究所(IoP)に派遣された。1979年、パキスタン政府の招きでイスラマバード国立心理研究所。木村の妻であるエッセイストの木村治美は、ロンドン滞在期の経験を『黄昏のロンドンから』として刊行し、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。
前川 忠男(まえがわ ただお、1929年1月28日 - )は… 前川 忠男(まえがわ ただお、1929年1月28日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(内野手)。 鹿児島商業から西日本鉄道、八幡製鐵所を経て1954年に南海ホークスへ入団。南海では控えだったが翌年に移籍したトンボユニオンズではショートのレギュラーを獲得し2番打者として定着した。しかし、1956年にチームが解散し、翌年は東映フライヤーズでプレー。8番ショートでレギュラーとして活躍。1958年オフに引退した。
辻元 一郎(つじもと いちろう、1929年〈昭和4年〉1月2… 辻元 一郎(つじもと いちろう、1929年〈昭和4年〉1月28日 - 1989年〈平成元年〉3月1日)は、日本のアメリカ文学者。 大阪府生まれ。1955年京都大学文学部英文科卒業、京都大学大学院文学研究科英文専攻修士課程修了。大谷大学講師の後、1957年鹿児島大学講師、1963年滋賀大学助教授、神戸大学教育学部助教授、教授を務めた。1989年、急性心不全のため死去。
向山 茂樹(むこうやま しげき、1929年1月28日 - )… 向山 茂樹(むこうやま しげき、1929年1月28日 - )は、日本の経営者。日本軽金属社長を務めた。山梨県出身。 1951年に東京大学工学部計測工学科を卒業し、同年に日本軽金属に入社。1982年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務を経て、1987年3月に社長に就任。1993年12月に会長に就任し、1994年6月に取締役相談役を経て、1995年6月には相談役に就任。 1992年11月に藍綬褒章を受章。
岩佐 幹三(いわさ みきそう、1929年1月28日 - 20… 岩佐 幹三(いわさ みきそう、1929年1月28日 - 2020年9月7日)は 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)顧問で、金沢大学名誉教授。 福岡県福岡市出身。富士見町 (広島市)修道中学校在学中であった1945年(昭和20年)8月6日16歳の時、爆心地から1・2キロの広島市富士見町(現同市中区)の自宅の庭で被爆し、母と妹を亡くして「原爆孤児」となった。 1960年に石川県原爆被災者友の会を設立。金沢大学で法学部長を務めた後、2000年から日本原水爆被害者団体協議会]の事務局次長、11年から代表委員、17年から顧問を務め、被爆者救済などに取り組んだ。 2016年には、オバマ米大統領(当時)の広島訪問に立ち会った。
馬場 あき子(ばば あきこ、1928年(昭和3年)1月28日… 馬場 あき子(ばば あきこ、1928年(昭和3年)1月28日 - )は、日本の歌人、評論家、能作家、教育者。勲等は旭日中綬章。歌誌かりん主宰(短歌結社:歌林の会)、日本芸術院会員、文化功労者。本名は岩田 暁子(いわた あきこ)。かつての本名は馬場 暁子(ばば あきこ)。 小学生時代に韻文の面白さに目覚め、『古今集』や『平家物語』の韻律に強く心を揺さぶられた。1948年に日本女子専門学校(現昭和女子大学)国文科卒業後、中学、高校で教鞭をとった。 窪田章一郎に師事し、その主宰誌「まひる野」に入会。1977年、歌作と著述に専念するために教職を辞した。翌年には歌誌「かりん」を創刊。歴史の裏側に追いやられてきた、紡ぎ、包丁を持つことに象徴される「女手」の意味を掘り返し、そこに思想の根元と創作の動機を見据えようとした。
三国 洋子(みくに ようこ、1927年1月28日 - )は、… 三国 洋子(みくに ようこ、1927年1月28日 - )は、日本の小説家。北海道函館市出身。 北海道庁立函館高等女学校卒業。1946年から1959年まで、函館市立函館幼稚園で幼稚園教諭として勤務。1963年、「雨のあと」にて、第1回文化評論新人賞短編小説部門入選。1960年代から函館で文学運動を続け、リアリズム研究会から日本民主主義文学同盟に所属した。
勅使河原 宏 (てしがはら ひろし、1927年1月28日 -… 勅使河原 宏 (てしがはら ひろし、1927年1月28日 - 2001年4月14日) は、日本の芸術家。草月流三代目家元。映画、いけばな、陶芸、舞台美術、オペラなど様々な分野で活躍した。前妻は片岡鉄兵の娘・藍子、後妻は女優の小林トシ子。 ATG初の日本映画の監督であり、安部公房原作の作品群におけるドキュメンタリータッチを基本にしたシュルレアリスティックな映像美は世界的に高い評価を受けた。 いけばな草月流の創始者勅使河原蒼風の長男として東京で生まれる。同地の私立暁星中学校を経て、1944年、東京美術学校(現:東京芸術大学)の日本画学科に入学し1947年に洋画科に移る。在学中からパブロ・ピカソや岡本太郎などの前衛芸術に傾倒し、安部公房や関根弘らによる前衛芸術のサークル「世紀の会」に参加。
高橋 裕(たかはし ゆたか、1927年1月28日 - 202… 高橋 裕(たかはし ゆたか、1927年1月28日 - 2021年5月26日)は、日本の工学者。専攻は河川工学であり、「水」に関する国際的な権威。例えば、治水・水質汚染問題・水不足問題・洪水問題・水関連の紛争問題など、幅広く研究を行い、多くの提言を行った。東京大学名誉教授。 静岡県出身。父親は、柑橘栽培の専門家、高橋郁郎。旧制静岡中学(静岡県立静岡高等学校)、旧制静岡高校を経て、1950年、東京大学第二工学部土木工学科卒業。その後旧制大学院に進学し修了。 日仏工業技術会会長などを歴任した。
岡田 孝男(おかだ たかお、1926年1月28日 - 199… 岡田 孝男(おかだ たかお、1926年1月28日 - 1998年10月28日)は、日本の医師、医学博士。 1926年(大正15年)1月28日、東京都小石川区久堅町(現:東京都文京区小石川4丁目)に誕生する。 祖父は医学博士、細菌学者である岡田国太郎。父は日本興業銀行より日本軽金属等の監査役を歴任した岡田弟左、母は伊勢亀山藩石川氏の一族の出である治(治子とも呼ばれた)。二人兄弟の長男として誕生した。東京府女子師範学校附属小学校(現:東京学芸大学附属竹早小学校)より東京府立第五中学(現:東京都立小石川中等教育学校)を経て順天堂医学専門学校の1期生として卒業した。 卒業後病理学教室に入り伴俊男教授に師事する。
逢沢 英雄(逢澤、あいさわ ひでお、1926年(大正15年)… 逢沢 英雄(逢澤、あいさわ ひでお、1926年(大正15年)1月28日 - 2016年(平成28年)3月22日)は、日本の政治家。位階は正五位。衆議院議員(3期、自由民主党)。 衆議院議員逢沢寛の次男として岡山県御津郡御津町[要出典](現・岡山市北区御津)に生まれる。1950年(昭和25年)に早稲田大学商学部を卒業。 岡山青年会議所理事長、岡山商工会議所副会頭を経て、1968年(昭和43年)の第8回参議院議員通常選挙、1974年(昭和49年)の第10回通常選挙で岡山県地方区から自民党公認で立候補するもいずれも次点で落選。 1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙に父・寛の後継者として旧岡山1区から立候補して初当選。
藤井 繁克(ふじい しげかつ、1926年1月28日 - 20… 藤井 繁克(ふじい しげかつ、1926年1月28日 - 2011年6月17日)は、日本の実業家。大手釣具メーカー「がまかつ」の創業者、元社長、元会長。 1926年1月28日、兵庫県西脇市に生まれる。 1955年、がまかつの前身である「蒲克釣本舗」を創業。当初は他メーカーから鈎を仕入れて商売をしていたが、強度に不満があり鈎の自社開発を始めた。 1968年、株式会社に改組して「株式会社がまかつ」を設立。釣り針の素材や加工法の研究に拘り、海外にも拠点を置くなど、日本を代表する業界大手釣具メーカーに築き上げた。 2011年6月17日、脳出血のため西脇市の病院で死去。85歳没。2011年7月20日に「社葬・お別れの会」が執り行われた。
正部家 種康(しょうぶけ たねやす、1925年(大正14年)… 正部家 種康(しょうぶけ たねやす、1925年(大正14年)1月28日 - 2012年(平成24年)12月6日)は、元八戸市博物館館長。八戸市の郷土史家。 八戸中学-東京農業大学卒業後青森県農業改良普及員となる。1958年から八戸市職員となり、総務部長などを務め、秋山皐二郎市長に重用された。 1983年に八戸市博物館の初代館長に就任し、1989年まで務めた。八戸観光協会長、根城史跡保存会、八戸市文化財審議会委員等を歴任。 郷土史家としても八戸地方の民話に関する本など、多くの著書を執筆している。
安藤 巌(安藤 巖、あんどう いわお、1925年1月28日 … 安藤 巌(安藤 巖、あんどう いわお、1925年1月28日 - 2009年11月11日)は、日本の弁護士、日本共産党員、政治家。衆議院議員(4期)。 愛知県名古屋市出身。1948年に京都大学法学部を卒業後、中部日本新聞社に入り記者となるが、1950年にレッドパージの対象者とされ退社し、日本共産党に入党する。1961年に弁護士を開業、東海労働弁護団代表幹事や総評弁護団代表幹事などを歴任するかたわら、四日市公害や大須事件の弁護団にも加わる。 1976年の衆議院議員選挙に日本共産党公認で旧愛知県第6区から立候補し初当選を果たし、1990年の落選まで衆議院議員を通算4期務めた。議員在職中は法務、決算の各委員のほか、共産党愛知県副委員長などを歴任した。
佐竹 一雄(さたけ かずお、1925年1月28日 - 201… 佐竹 一雄(さたけ かずお、1925年1月28日 - 2017年3月12日)は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手。右投げ右打ち。パシフィック→太陽→松竹、国鉄でプレイ。ポジションは捕手・一塁手。 京阪商(現:大阪府立芦間高等学校)を卒業後、宮崎県でゼロ戦の整備に従事していたが、第二次世界大戦終戦後のある日、新聞を見ていたところ、プロ野球球団・パシフィックの選手募集広告を見つけたことがきっかけで1946年にパシフィックへ入団。1年目から34試合出場するも、捕手としては18試合しか出場しておらず、専ら代打として出場し37打数5安打5打点1本塁打と特に目立った活躍はしなかった。 しかし、太陽ロビンスとチーム名を変えた2年目、佐竹は正一塁手を獲得。
森 康二(もり やすじ、1925年1月28日 - 1992年… 森 康二(もり やすじ、1925年1月28日 - 1992年9月4日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、絵本作家。日本アニメーション所属。森やすじ、もりやすじという表記も使用した。 鳥取県鳥取市出身。台湾で幼少期を過ごす。東京美術学校(現・東京芸術大学)卒業。 政岡憲三に師事しアニメーションを学ぶ。日本における初期の本格的な商業用アニメーション製作会社・東映動画(現・東映アニメーション)に発足当初から参加し、同社草創期の作画部門において大工原章らとともに指導的な役割を果たす。以後長年にわたり、数々の児童向けアニメーション映画・テレビ番組制作に携わる。 日本アニメーションに所属してからは、アニメーション制作の他に新人、若手アニメーターの教育や指導も行っていた。
金井 格(かない ただし、1925年1月28日 - 没年不詳… 金井 格(かない ただし、1925年1月28日 - 没年不詳)は東京農業大学名誉教授。専門は造園学の工学分野。 長野県長野市出身。生まれは外地で母方の祖父は片倉製紙の重役。本籍長野の他は埼玉で長く暮らす。 1945年9月 東京農業大学専門部緑地土木科を卒業し、1946年9月から1954年まで東京農業大学専門部緑地科助手、1954年からは埼玉県行田市役所技術嘱託土木課公園掛、1956年から1962年3月までは行田市役所技術吏員で、その間の1957年から1961年まで東京農業大学造園学科造園工学専攻で年度講師として測量などを担当し、1962年4月から東京農業大学造園学科講師、1965年に同大学助教授、1978年から同大学教授就任、1995年に退職し名誉教授。
野口 順一(のぐち じゅんいち、1925年(大正14年)1月… 野口 順一(のぐち じゅんいち、1925年(大正14年)1月28日 - 2018年(平成30年)9月15日)は、日本の医師(皮膚科)。東京都八王子市生まれ。1949年東北大学医学部卒業。同大学院入学・卒業後、東北大学医学部皮膚科講師、東北大学鳴子分院講師を経て、岩手県立中央病院皮膚科長を務めるなどした。 ステロイド剤を使用せず、民間療法として放任されていた、いわゆる湯治を医学分野で研究、その適応、利用方法を研究。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
本田 寿賀(ほんだ すが、結婚後の姓は陸奥(むつ)、1925… 本田 寿賀(ほんだ すが、結婚後の姓は陸奥(むつ)、1925年(大正14年)1月28日 - 1985年(昭和60年)6月12日)は、元NHKアナウンサー。 千葉県君津郡生まれ。日本女子大学卒業。1946年、NHKに一般職員として入社後、同年戦後初のアナウンサー試験に合格、17期アナウンサーとなる。同期は野村泰治、のちに橋本登美三郎夫人となった後藤美也など。1953年1月2日放送の『第3回NHK紅白歌合戦』では、朗読の実績を買われて紅組司会に起用された。『NHK紅白歌合戦』でNHKアナウンサーが紅組司会を務めるのは本田が初めてだった。1956年7月から1961年8月まで大阪中央放送局勤務を経て再び東京勤務に戻る。
菊池 章子(きくち あきこ、1924年1月28日 - 200… 菊池 章子(きくち あきこ、1924年1月28日 - 2002年4月7日)は、東京市(現東京都)出身の歌手である。本名は菊池 郁子。妹は歌手の多摩幸子。義子に大久保直彦、孫にcaminoのKIKUとBREATHのメンバーだった菊池一仁がいる。 1924年(大正13年)1月28日(月曜日)、東京市の下谷に生まれる。1927年(昭和2年)畑秀水の門下生となり琵琶を習う。1930年(昭和5年)6才で免許皆伝となり、菊池錦祠を襲名する。のちに菊池祠水となる。 その後、歌謡曲に興味を持ち、九段にあった「大村能章歌謡学院」に入った。日華事変が起こった後は、学院の生徒と共に軍の病院などで慰問活動を行う。女学校の低学年にもかかわらず、彼女が唄うと、アンコールの声が鳴り止まなかった。
板見 甲子夫(いたみ かねお、大正13年(1924年)1月2… 板見 甲子夫(いたみ かねお、大正13年(1924年)1月28日 - 没年不明)は日本の教育者。 大阪大学大学院医学系研究科皮膚・毛髪再生医学寄附講座 教授板見智の実父。 1943年浜松高等工業学校航空工学科卒業。1948年米子市立第四中学校教諭。1978年県立米子南商業高校校長。 1981年県立米子東高校校長。1983年鳥取県米子市教育長。 特技は柔道。住所は米子市角盤町。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
安立 スハル(あんりゅう すはる、1923年1月28日 - … 安立 スハル(あんりゅう すはる、1923年1月28日 - 2006年2月26日)は、昭和・平成期の歌人。京都府京都市東山区出身。 1939年、肺結核の療養中に作歌を始める。1940年、京都府立桃山高等女学校卒業。1941年、北原白秋主宰の歌誌「多磨」入会。1949年、宮柊二に初めて会い、指導を受けるようになる。1953年、宮柊二主宰の歌誌「コスモス」創刊に参加。1956年、第三回コスモス賞受賞。1964年、第一歌集『この梅生ずべし』を刊行。生前に歌集はこの一冊のみである。母親の介護を終えて間もなく、83歳で死去。生涯独身だったという。 少女時代から肺結核による長い療養生活を送り、多くの歌人にその作品を慕われながらも素顔さえあまり見せないという地味な生涯だった。
神尾 久美子(かみお くみこ、1923年1月28日 - 20… 神尾 久美子(かみお くみこ、1923年1月28日 - 2014年10月26日)は、日本の俳人。 福岡県出身。本名・洋子。福岡県京都郡立京都高等女学校(現・福岡県立京都高等学校)卒。野見山朱鳥に師事し、1953年『菜殻火(ながらび)』同人。神尾季羊と結婚し、季羊主宰の『椎の実』に参加する。97年季羊没後『椎の実』主宰。飯田龍太に師事し『雲母』同人。俳人協会顧問。
浅居 喜代治(あさい きよじ、1923年 <大正12年> 1… 浅居 喜代治(あさい きよじ、1923年 <大正12年> 1月28日 - 2012年 <平成24年> 4月25日)は、日本の経営情報学・経営工学者。大阪府立大学名誉教授。工学博士 。大阪工業大学工学部経営工学科元教授。日本ファジィ学会(現:日本知能情報ファジィ学会)初代会長。日本経営工学会第19期副会長。ファジィシステム理論のパイオニア。勲三等旭日中綬章受章。位階は正四位。 専門は、経営工学・経営情報学(特にファジィシステム理論)・技術経営、社会システム工学・経営意思決定。 大阪府出身。旧制大阪高等工業学校(のちの大阪府立大学)卒業。1951年大阪大学工学部通信工学科卒業。同年、大阪市立大学助手。
相沢 治夫(あいざわ はるお、1923年1月28日 - 19… 相沢 治夫(あいざわ はるお、1923年1月28日 - 1995年3月10日)は、日本の俳優。東京市牛込区(現:東京都新宿区)出身。 昭和工業技術学校製図課程卒。 シベリア抑留後、舞台芸術学院に所属。1959年には八田元夫と下村正夫と共に東京演劇ゼミナール(現:劇団東演)を結成。 東京俳優生活協同組合所属中の1995年3月10日、肺がんのため死去。72歳没。
桑原 瑛子(くわばら えいこ、1923年〈大正12年〉1月2… 桑原 瑛子(くわばら えいこ、1923年〈大正12年〉1月28日 - 2023年〈令和5年〉9月8日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。 東京府出身。東京音楽学校 (旧制) 卒業。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。 1947年(昭和22年)に團伊玖磨と結婚。 1948年(昭和23年)藤原歌劇団を率いる藤原義江にモーツアルト『ドン・ジョヴァンニ』(本邦初演・帝国劇場)のドンナ・アンナの役を頼まれオペラデビュー。以後、藤原歌劇団の興隆期の大プリマとして活躍した。1950年代にはイタリアに留学。1958年(昭和33年)の藤原歌劇団によるプッチーニ『トスカ』でタイトル・ロールを歌った。
松田 耕平(まつだ こうへい、1922年1月28日 - 20… 松田 耕平(まつだ こうへい、1922年1月28日 - 2002年7月10日)は、マツダ(東洋工業)の創業者一族であり、同社元社長、プロ野球・広島東洋カープ元オーナー。広島県広島市上幟町(現・中区)出身。京北中学校 - 旧制修道中学校 - 慶應義塾大学卒業。
岩波 三郎(いわなみ さぶろう、1922年(大正11年)1月… 岩波 三郎(いわなみ さぶろう、1922年(大正11年)1月28日 - 2013年(平成25年)6月4日)は、日本の政治家。東京都練馬区長(4期)、練馬区教育長を歴任した。 練馬区出身。1939年から東京市板橋区役所練馬派出所に勤務。在職中に日本大学専門部法律科卒業。1947年に板橋区からの分区で練馬区が成立し、練馬区役所勤務となる。練馬区学務課長(1960年-1965年)、庶務課長(1965年-1966年)、納税課長(1966年-1968年)、財務課長(1968年-1971年)、予算課長(1971年)、区民部長(1971年-1973年)などを務めた。庶務課長時代の1964年、学校給食センターにまつわる汚職事件で、東龍太郎都知事から懲戒処分を受けた。
三井 嘉都夫(みつい かずお、1922年1月28日 - 20… 三井 嘉都夫(みつい かずお、1922年1月28日 - 2011年4月1日)は、日本の地理学者、陸水学者。法政大学名誉教授。 静岡県富士郡今泉村(現:富士市)に生まれ、幼い頃、調査で静岡県を訪問した多田文男(東京大学名誉教授)の薫陶を受け地理学を志すと単身、縁者を頼り東京の旧制麻布中学に進学した。その後、1937年に創設されたばかりの法政大学高等師範部地理歴史学科に1941年に入学後、学徒動員に応じる。戦時下の苦労と戦後の動乱期を乗り切り、1946年5月から資源科学研究所解散まで嘱託研究員として勤務する傍ら、夜間部として新たに開設された法政大学文学部地歴学科の第1期生として1950年3月に卒業。
草野 操(くさの みさお、1921年1月28日 - 1987… 草野 操(くさの みさお、1921年1月28日 - 1987年11月15日)は、日本の経営者。神奈川県出身。 1942年に東京帝国大学経済学部を卒業し、1950年に日産化学工業に入社。1972年6月に取締役に就任し、1974年12月に常務、1979年7月に専務を経て、1980年6月には社長に就任。1986年7月には会長に就任。 1987年11月15日急性心筋梗塞のために死去。66歳没。
尾形 仂(おがた つとむ、1920年1月28日 - 2009… 尾形 仂(おがた つとむ、1920年1月28日 - 2009年3月26日)は、日本の国文学者。
竜ヶ嵜 唯雄(りゅうがさき ただお、1920年1月28日 -… 竜ヶ嵜 唯雄(りゅうがさき ただお、1920年1月28日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。芝田山部屋から高砂部屋所属。茨城県龍ケ崎市出身。本名は中山 唯雄(なかやま ただお)。最高位は東十両12枚目。得意技は左四つ、寄り、上手投げ。 横綱・宮城山福松の芝田山部屋に入門、1935年5月場所で初土俵を踏む。親方が亡くなり、高砂部屋に移籍した1944年1月場所に十両に昇進するが、応召され全休する。翌5月場所に出場するが2勝8敗と負け越し、幕下に陥落する。その後は勝ち越すことなく、三段目まで陥落した1946年11月場所に廃業。廃業後は広島の野球チームグリーンバーグ(のち結城ブレーブス)に入団、捕手となった。
北川 石松(きたかわ いしまつ、1919年1月28日 - 2… 北川 石松(きたかわ いしまつ、1919年1月28日 - 2013年5月19日)は、日本の政治家。環境庁長官(第24代)、衆議院議員(6期)、大阪府議会議員(5期)、寝屋川市議会議員(1期)等を歴任した。位階は従三位。 長男北川法夫は元・寝屋川市長。次男北川知克は元衆議院議員。 大阪府寝屋川市生まれ。関西大学第二商業学校、大阪工業専修学校応用化学科を卒業。関西大学法学部中退。 1951年、寝屋川市議会議員選挙に出馬し、初当選した。1955年には大阪府議会議員選挙に鞍替えし、当選。以後5期連続で当選し、1970年には大阪府議会議長に就任する。 1972年、第33回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧大阪府第3区から出馬するが、落選。
西原 康(にしはら こう、1919年1月28日 - 1983… 西原 康(にしはら こう、1919年1月28日 - 1983年12月25日)は、劇作家、児童文学作家。 東京出身。別名・阿久津光。東洋大学文学部東洋文学科卒。在学中から斎田喬宅に下宿して児童向け台本、劇団テアトル・ピッコロの脚本を書き、20歳で児童劇集『花ひらく』を刊行。1946年NHK児童番組部嘱託。
望月 優子(もちづき ゆうこ、本名:鈴木 美枝子、旧姓:里見… 望月 優子(もちづき ゆうこ、本名:鈴木 美枝子、旧姓:里見、1917年1月28日 - 1977年12月1日)は、日本の女優、映画監督、政治家。参議院議員(1期、日本社会党)。位階は正五位。 神奈川県横浜市出身。妹は女優の中村雅子。加藤嘉は義弟(妹の夫)。1930年、東京市立忍岡高等女学校(現東京都立忍岡高等学校)を中退。 望月美恵子の芸名でムーランルージュ新宿座などで初舞台を踏む。 1942年、川端康成の媒酌で鈴木重雄と結婚。戦後は劇団民藝に参加。 1950年に松竹と契約。1958年『米』での演技が評価されてブルーリボン主演女優賞受賞。三益愛子と並んで「母物映画女優」と呼ばれた。 1959年(昭和34年)8月2日、モスクワ国際映画祭に出席のため、ソビエト連邦を訪問。
谷口 正孝(たにぐち まさたか、1917年1月28日 - 1… 谷口 正孝(たにぐち まさたか、1917年1月28日 - 1994年6月25日)は、日本の裁判官。最高裁判所裁判官。法学博士。高等裁判所判事や東京地方裁判所所長を歴任。 鹿児島県および宮崎県出身。鹿児島県の事務官吉田詮則の次男で、母方の谷口家(谷口ワサ)の養子となる。旧制中学・高校は鹿児島市で、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1937年3月旧制第七高等学校造士館(現・鹿児島大学)文科卒業。1940年九州帝国大学法文学部法科(現・九州大学法学部)法律専攻卒業。同年4月、司法官試補。1942年名古屋地方裁判所判事となり、一貫して刑事裁判官としての道を歩む。1957年、論文「没収及び追徴の研究、無差別没収を中心として」にて九州大学より法学博士号授与。