幡掛 大輔(はたかけ だいすけ、1941年6月29日 - )… 幡掛 大輔(はたかけ だいすけ、1941年6月29日 - )は、日本の実業家。クボタ代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本農業機械工業会会長などを歴任した。 福岡県北九州市の神職の家に長男として生まれる。伊勢神宮少宮司を務めた幡掛正浩は父。福岡県立東筑高等学校を経て、1964年横浜市立大学商学部卒業、久保田鉄工(現クボタ)入社。機械企画部長、枚方製造所長、経営管理部長等を経て、1999年取締役に昇格。企業行動監査部担当、関連事業推進部・情報化推進部副担当、経営企画部長等を務めた。2001年常務取締役に昇格し、コンプライアンス本部長、PV事業推進部長等を務めた後、2003年、代表取締役社長に昇格。
北川 公一(きたがわ こういち、1941年6月29日 - )… 北川 公一(きたがわ こういち、1941年6月29日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手)。
石黒 克巳(いしぐろ かつみ、1941年6月29日 - )は… 石黒 克巳(いしぐろ かつみ、1941年6月29日 - )は、公益財団法人JKA顧問(名誉会長)。元毎日新聞社専務取締役。 愛知県知多郡生まれ。 東京大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。同社専務取締役を経て、2003年にパレスサイドビルディング(現 毎日ビルディング)社長に就任。 2003年より7年間日本財団の評議員を務め、2009年からはJKAの評議員となった。 2011年4月1日、前会長の下重暁子の後を受けてJKA会長に就任。2期4年務めた後、2015年6月26日をもって退任し、顧問(名誉会長)となる。
倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ、1941年〈昭和16年〉6… 倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ、1941年〈昭和16年〉6月29日 - )は、日本の女優、歌手、声優。愛称は、チコちゃん。妹は同じく女優の倍賞美津子。弟は日産自動車硬式野球部元監督の倍賞明、夫は作曲家の小六禮次郎。元夫は歌手で俳優の小宮健五。 豊島区西巣鴨に生まれ、北区滝野川で育った。戦時中は茨城県に疎開した。北区立滝野川第六小学校、北区立紅葉中学校(現:北区立滝野川紅葉中学校)卒業。 両親は共に東京都交通局職員であり、父は都電の運転士、母は車掌であった。 珍しい倍賞姓は出羽国鹿角郡大湯温泉(現:秋田県鹿角市十和田大湯)に起源を持つ。先祖は久保田藩(佐竹氏)に仕えた守衛で、先祖に賢い者がいたため書記に抜擢され、何らかの賞を受けたのがこの姓の由来という。
朝間 義隆(あさま よしたか、1940年6月29日 - )は… 朝間 義隆(あさま よしたか、1940年6月29日 - )は、日本の脚本家、映画監督。宮城県仙台市出身、神奈川県鎌倉市在住。山田洋次監督との共作で知られる。 1965年、上智大学文学部英文学科を卒業。 松竹大船撮影所演出助手室に入社。山田洋次に師事し、『男はつらいよ』シリーズや『遙かなる山の呼び声』、『同胞』など山田監督作品の脚本を共同で手がける。『幸福の黄色いハンカチ』では第1回日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第51回キネマ旬報賞脚本賞受賞。 1979年、街で働く若者たちが第九交響曲を一緒に歌うまでのドラマを描いた『俺たちの交響楽』により監督デビュー。1980年に松竹を退社し、以後契約監督。1996年、フリーに。
下田 京子(しもだ きょうこ、1940年6月29日 - 20… 下田 京子(しもだ きょうこ、1940年6月29日 - 2013年8月27日)は日本共産党の元・参議院議員である。2期、務めた。 福島県東白川郡塙町出身。福島大学 学芸学部 (美術科)を卒業後、中学校教員や石川町議を経て、1977年施行の第11回参議院議員通常選挙にて全国区から日本共産党公認で出馬し15位で初当選。1983年の参院選に比例区から立候補し再選。 その後、衆議院の予定候補者として活動することとなり、1989年の参議院選挙には出馬せず、1990年の総選挙で福島県第2区から出馬し、32,589票獲得するも次々点で落選。 党内では、文教部副部長や農政対策委員長などを歴任した。 2013年8月27日に心不全のため死去。
松前山 武士(まつまえやま たけし、1940年6月29日 -… 松前山 武士(まつまえやま たけし、1940年6月29日 -)は、北海道松前郡松前町出身で出羽海部屋(のち九重部屋)に所属した元大相撲力士。本名は渡辺 貞夫(わたなべ さだお)。最高位は東前頭9枚目(1965年5月場所)。現役当時の体格は173cm、94kg。得意手は左四つ、ハズ押し、寄り、投げ。 中学校卒業後は漁業に従事していたが、帰省した時に村相撲で活躍し、千代の山(横綱。引退後、年寄・九重を襲名)の入門を世話した地元の中学校校長・若狭龍太郎から角界入りを勧められた。その後上京し、1957年11月に出羽海部屋へ入門。入門後すぐ、彼が漁師時代に乗っていた漁船・久栄丸が転覆する海難事故があって乗組員全員が死亡しており、力士になったため命拾いしたともいえる。
蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )… 蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )は日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長を経て、トヨタ自動車が新たに子会社化した日野自動車で代表取締役社長や代表取締役会長として同社の再建にあたった。日本科学技術連盟理事長、型技術協会会長なども歴任。デミング賞本賞、大倉喜七郎賞受賞。 北海道小樽市生まれ。北海道札幌西高等学校を経て、1961年北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1988年取締役に昇格。1994年常務。1996年専務。1999年取締役副社長。2001年相談役に退いた。 2001年からトヨタ自動車が子会社化した日野自動車の代表取締役社長を務め、経営危機にあった同社を、外部出身者として改革により再建を行って、赤字からの回復を達成。
内海 隆一郎(うつみ りゅういちろう、1937年6月29日 … 内海 隆一郎(うつみ りゅういちろう、1937年6月29日 - 2015年11月19日)は、日本の小説家である。「ハートウォーミング」と呼ばれる独自のスタイルによって市井の人々を描くことを得意とし、芥川賞に1回、直木賞に4回候補作となった。『蟹の町』(1970年)などで注目されるも長く断筆し編集者を続ける。『人びとの忘れもの』(1985年)が好評を得、執筆に専念。 愛知県名古屋市生まれ、岩手県一関市出身。岩手県立一関第一高等学校を経て、立教大学社会学部卒業。 3歳のとき、父親が一関の亜炭鉱山の経営者に着任、一家とともに移住した内海は、20歳までを同地で過ごした。内海は一関中学校から一関第一高等学校に進学、高校時代は柔道に熱中した。
西本 道則(にしもと みちのり、1937年6月29日 - [… 西本 道則(にしもと みちのり、1937年6月29日 - [要出典])は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 1956年に柏原高を卒業するが、教師を志望して受験した関西学院大学を不合格となり浪人していた。同年7月に叔父の勧めで高橋ユニオンズの入団テストを受けると、遠投で1位になるなど、実力を認められて仮採用となる。3人の仮採用の一人に東映を退団していた小川健太郎もいた。その後、西本だけが本採用となって11月に正式に入団する。しかし、1957年のキャンプ中に高橋は大映スターズと合併したため、そのまま大映ユニオンズに移籍した。 大映では、開幕第2戦となる4月7日の東映フライヤーズ戦に2対2で同点の延長10回表からプロ初登板する。
冬柴 鐵三(ふゆしば てつぞう、1936年〈昭和11年〉6月… 冬柴 鐵三(ふゆしば てつぞう、1936年〈昭和11年〉6月29日 - 2011年〈平成23年〉12月5日)は、日本の弁護士、政治家。
牧口 雄二 (まきぐち ゆうじ、1936年6月29日 - 2… 牧口 雄二 (まきぐち ゆうじ、1936年6月29日 - 2021年12月5日) は、日本のテレビ・映画監督、プロデューサー。東京都板橋区出身。 東京都立九段高等学校を経て慶應義塾大学文学部を卒業後、1960年(昭和35年)に東映株式会社に入社。以来、京都に在住し、東映京都で山下耕作・中島貞夫作品の助監督を経る。 1975年(昭和50年)に東映ポルノ『玉割り人ゆき』で監督デビュー。『玉割り人ゆき』を当時の東映社長・岡田茂から、叙情とエログロの合わせ、その技を高く評価され、以降『五月みどりのかまきり夫人の告白』などの監督作品を発表した。 1977年の鰐淵晴子主演の話題作『らしゃめん』を最後に劇場映画を離れ、テレビドラマ「暴れん坊将軍」シリーズ、「柳生一族の陰謀」「影の軍団」シリーズ、「長七郎江戸日記」などのプロデューサー・監督業を中心に活動。
滝沢 荘一(たきざわ しょういち、1936年6月29日 - … 滝沢 荘一(たきざわ しょういち、1936年6月29日 - )は、日本のジャーナリスト、国際政治学者。専攻は国際政治論・米国現代政治。 東京生まれ。滝沢修の長男。1960年東京大学教養学部教養学科アメリカ分科卒業。東京大学新聞研究所(現社会情報研究所)修了。毎日新聞に入り、外信部副部長、読者室委員兼編集委員、熊本大学法学部教授、1998年富山国際大学教授。2007年退職。 2004年『名優・滝沢修と激動昭和』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。九条の会会員。
及川 甲子男(おいかわ きねお、1936年6月29日 - 2… 及川 甲子男(おいかわ きねお、1936年6月29日 - 2012年6月9日 )は、日本のアナウンサー。元NHKアナウンサー。1970年代の初頭、当時まだ日本国内で知る人が少なかったオーストラリアについて紹介した『メルボルン・ノート』の著者としても知られる。 千葉県香取市(旧佐原市)生まれ。野球と真空管ラジオ製作に夢中で、お祭りが大好きな子供だった。高校時代には、当時英語の教師であった猿谷要(東京女子大名誉教授・アメリカ史)と出会い、生涯交流を続けた。 1959年3月早稲田大学政治経済学部卒、早稲田大学大学院商学研究科中退の後、1959年7月にNHK(日本放送協会)に入局し、以後、鳥取(1959年11月〜62年8月)、福岡(1962年8月〜66年2月)、東京(1966年2月〜71年2月)において、報道、ドキュメンタリー、科学の番組に出演した。
野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 ‐ 20… 野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 ‐ 2020年2月11日)は、京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、野球解説者・野球評論家。プロ野球史において唯一、選手と監督の両方で通算3000試合を達成。捕手でありながら当時歴代最多のシーズン52本塁打、戦後初の三冠王などの記録を打ち立て、歴代最多のベストナイン19回選出。監督としても数多の人材と名言を遺し、評論家時代を通じて野球の理論・技術の発展と普及に尽力した。京丹後市名誉市民。後妻にタレントの野村沙知代。 NPB戦後初(史上2人目)の三冠王を達成(世界のプロ野球史上初の捕手による三冠王)。実働26年で本塁打王9回、打点王7回、最優秀選手5回は歴代2位かつパ・リーグ最多記録(歴代1位はいずれも王貞治)。
櫻井 規順(さくらい きじゅん、1935年6月29日 - )… 櫻井 規順(さくらい きじゅん、1935年6月29日 - )は、日本の政治家。社会民主党静岡県連合常任顧問。報道などでは新字体で桜井 規順(さくらい きじゅん)とも表記される。
峰岸 明(みねぎし あきら、1935年6月29日 - 201… 峰岸 明(みねぎし あきら、1935年6月29日 - 2012年6月23日)は、日本の国語学者。横浜国立大学名誉教授。 埼玉県出身。東京教育大学卒。妻は児童文学作家の安房直子。東洋大学助教授を経て、1984年、横浜国立大学教授。「平安時代古記録の国語学的研究」で、1986年、新村出賞、1987年、角川源義賞を受賞。1999年、定年退官、名誉教授。2012年6月23日、死去。
加倉井 実(かくらい みのる、1934年6月29日 - 19… 加倉井 実(かくらい みのる、1934年6月29日 - 1998年6月23日)は、茨城県水戸市出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。 水戸商業高校では高校同期の豊田泰光らとともにクリーンアップを組み、一塁手・三番打者として活躍、控え投手としても起用される。1951年秋季関東大会県予選は決勝で竜ヶ崎一高に敗退。1952年の春季関東大会では準決勝に進み、エース衆樹資宏を擁する湘南高と延長15回の熱戦の末にサヨナラ負けを喫する。同年の夏の甲子園に出場。1回戦で都留高のエース矢頭高雄を打ち崩し2回戦に進むが、成田高に敗退。この試合ではエース高畑正盛(富士重工)をリリーフして甲子園初登板を果たす。 1953年に読売ジャイアンツへ入団。
吉川 元忠(きっかわ もとただ、1934年6月29日 - 2… 吉川 元忠(きっかわ もとただ、1934年6月29日 - 2005年10月26日)は、日本の経済学者。専門は国際金融論。兵庫県出身。
高野 繁男(たかの しげお、1934年6月29日 - )は、… 高野 繁男(たかの しげお、1934年6月29日 - )は、日本語学者、神奈川大学名誉教授。 北海道深川市生まれ。上智大学大学院博士課程満期退学。1976年神奈川大学外国語学部助教授、教授、2005年定年、名誉教授。
中村 慶一郎(なかむら けいいちろう、1934年〈昭和9年〉… 中村 慶一郎(なかむら けいいちろう、1934年〈昭和9年〉6月29日 - 2020年〈令和2年〉10月29日)は、日本の政治評論家、元読売新聞政治部記者。内閣総理大臣秘書官(三木内閣)、内閣官房参与、国民新党顧問を務めた。 東京府の出身で、早稲田大学政治経済学部を卒業後の1957年に読売新聞社へ入社して地方部と政治部に勤務する。政治部で三木派の番記者を務めた。 1974年に読売新聞社を退職して12月に発足した三木内閣で総理秘書官を務めた。三木内閣退陣後はラジオ関東報道部長を経て、政治評論家として日本テレビ系列の「読売新聞あすの朝刊」でニュースキャスターを、早朝番組「ルンルンあさ6生情報」と「ジパングあさ6」、深夜ニュースワイド「NNNきょうの出来事」でそれぞれコメンテーターを担当した[要出典]。
冲永 荘一(おきなが しょういち、Dr. Shōichi O… 冲永 荘一(おきなが しょういち、Dr. Shōichi Okinaga、1933年6月29日 - 2008年9月25日)は、日本の学校法人経営者、教育者、医学者(産婦人科学)。 東京府渋谷町(現・東京都渋谷区)に財団法人帝京商業学校を創設した冲永荘兵衛の長男として1933年東京府荏原区(現・品川区)に生まれる。都立高等学校 (旧制)を経て1958年に東京大学医学部を卒業。 1963年に東京大学大学院医学系研究科博士課程を修了し医学博士号を取得、1966年に帝京大学を創設し学長・理事長に就任、1981年には同大学総長に就任し、2002年に総長を退任した。 治療や研究を通じて人間の生命を救う事が出来る医学に志と使命感を持ち、教育理論より社会に直結した実学を重視した冲永荘一は、『医学は実学を象徴する学問である』との想いから東京大学医学部大学院在学時に博士論文において史上最年少(当時)で日本産科婦人科学会賞を受賞した。
久松 夕子(ひさまつ ゆうこ、1933年6月29日 - 20… 久松 夕子(ひさまつ ゆうこ、1933年6月29日 - 2026年2月11日)は、日本の女優、声優。本名は鴻巣孝子。東京府(現東京都)出身。最終所属は劇団青年座(1968年 - 2020年まで)。東京都立小松川高等学校卒業。夫は劇作家・演出家の福田善之。 2026年2月11日午後5時30分、老衰のため死去。92歳だった。
澤田 壽夫(さわだ としお、1933年6月29日 - 201… 澤田 壽夫(さわだ としお、1933年6月29日 - 2016年4月1日)は、日本の法学者・弁護士(1975年登録)。上智大学名誉教授。専門分野は、国境を越える販路開拓、技術協力、合弁、資源・素材開発などの国際契約とカウンセリング、国際紛争の処理(特に仲裁・調停)、国際取引一般。 昭和8年(1933年)6月29日、東京都に生まれる。昭和33年(1958年)3月、中央大学法学部法律学科卒業(法学士)。昭和33年(1958年)5月より米国カリフォルニア大学大学院留学(昭和34年(1959年)5月まで)。 昭和34年(1959年)6月より米国ニューヨーク市エコノメットリック研究所で、順次、調査員、研究員、上席研究員として、国際経済、国際取引法の研究にあたる(昭和36年(1961年)6月まで)。
武者 利光(むしゃ としみつ、1933年6月29日 - )は… 武者 利光(むしゃ としみつ、1933年6月29日 - )は、日本の物理学者、東京工業大学名誉教授。
入谷 仙介(いりたに せんすけ、1933年6月29日 - 2… 入谷 仙介(いりたに せんすけ、1933年6月29日 - 2003年6月1日)は、日本の中国文学者。島根大学名誉教授。元全国難聴者連絡協議会会長。専門は、中国文学・日本漢文学。 兵庫県出身。京都大学文学部卒業。京都大学大学院博士課程修了。富士川英郎らとともに、汲古書院「詩集日本漢詩」の編集委員も務めた。2003年、肺癌のため死去、享年71(満69歳)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
平嶋 周次郎(ひらしま しゅうじろう、1933年 <昭和8年… 平嶋 周次郎(ひらしま しゅうじろう、1933年 <昭和8年> 6月29日 - 1998年 <平成10年> 8月30日)は、日本の経営者。宮崎日日新聞社社長を務めた。 宮崎県出身。1956年に早稲田大学第一文学部英文学科を卒業し、同年に日向日日新聞社(のちの宮崎日日新聞社)に入社。1975年に取締役に就任し、1982年に常務、1986年に専務を経て、1990年6月には社長に就任。1998年6月には特別顧問に就任。 1998年8月30日がん性腹膜炎のために死去。65歳没。
伊東 絹子(いとう きぬこ、1932年6月29日 - 202… 伊東 絹子(いとう きぬこ、1932年6月29日 - 2023年2月14日)は、日本のファッションモデル・女優。1953年(昭和28年)のミス・ユニバース・ジャパンで、同年アメリカ合衆国カリフォルニア州のロングビーチで開催された第2回世界大会(ミス・ユニバース1953)では第3位入賞。 ミス・ユニバース世界大会への日本代表としての出場は、前年の小島日女子に続いて二人目であり、伊東は日本人初の入賞者となった。またアジア人としても前年第4位に入賞した香港代表ジュディ・ダンの順位を上回った。伊東は日本におけるファッションモデルの先がけのひとりとも言われ、ミス・ユニバースに入賞した昭和28年には、伊東の体形に因んだ『八頭身美人』が流行語となった。
石原 守一(いしはら もりかず、1930年6月29日 - 2… 石原 守一(いしはら もりかず、1930年6月29日 - 2012年9月18日)は、日本の科学者、歴史情報研究者。専門は理論生物学など。統計遺伝学においての数少ない理論家。理系文系にまたがる幅広い研究領域を持つ研究者。理学博士・農学博士・工学博士。東京生まれ。1984年6月19日より母方の石原姓を名乗る。出生名は志方 守一(しかた もりかず)。 母方の祖父:石原正治(1873 - 1945)は、工科大学(現東京大学工学部)機械科卒。新橋起点の蒸気機関鉄道山陽鉄道等の発展に寄与し、鉄道高速化により日露戦争勝利にも貢献した。旅順工科学堂(旅順工科大学の前身)創設機械科科長教授。偉大な実践的学究といわれ、南満州鉄道超特急アジア号開発に注力し、世界初の冷房設備搭載客車を創設した。
小田切 みき(おだぎり みき、1930年6月29日 - 20… 小田切 みき(おだぎり みき、1930年6月29日 - 2006年11月28日)は、日本の女優。本名:四方 美喜(よも みき)、旧姓:山藤(さんとう)。チャコちゃんこと四方晴美の母としても知られる。 東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(現在の東京都渋谷区千駄ヶ谷)生まれ。幼時より日本舞踊の英才教育を受け、新協劇団で子役として活躍。1935年、『夜明け前』で初舞台を踏む。 1938年、山本薩夫監督の『田園交響楽』で映画に初出演。この時の芸名は富士山君子。 1948年、跡見高等女学校卒業、1954年、俳優座養成所を第3期生として卒業。 俳優座研究生時代、1952年に黒澤明『生きる』の志村喬の部下役として抜擢され、役名の"小田切とよ"から苗字を取って小田切みきを名乗る。
玉川 信明(たまがわ のぶあき/しんめい、1930年6月29… 玉川 信明(たまがわ のぶあき/しんめい、1930年6月29日 - 2005年7月6日)は、日本の評論家。玉川しんめいの表記も用いた。 富山県富山市旅籠町に生まれる。神通中学校に入学し、学制変更で富山県立富山中部高等学校となり、卒業。 在学中、日本青年共産同盟(青共)に加入。富山市の臨時職員ののち、群馬県の工場で勤務。のち、法政大学第二経済学部に進学し、黒田寛一らを知るが、退学して帰郷する。 文通により竹内好に師事し、29歳で上京して、東京都立大学の中国文学科の特別聴講生として二年半をすごす。雑誌社に二年半勤務したのちに、結婚・退社してふたたび帰郷する。 33歳、34歳のころ、辻潤に熱中してアナーキズムに傾倒し、40歳をすぎてから著作活動をはじめる。
秋本 穣(穰)(あきもと みのる、1930年6月29日 - … 秋本 穣(穰)(あきもと みのる、1930年6月29日 - 2018年9月15日[要出典])は、日本の実業家。伊藤忠商事代表取締役副社長、タイム・ワーナー・エンターテイメント・ジャパン代表取締役社長、アジア太平洋トレードセンター代表取締役社長を歴任。
小島 孝治(こじま こうじ、1930年6月29日 - 201… 小島 孝治(こじま こうじ、1930年6月29日 - 2014年5月27日)は、大阪府出身のバレーボール指導者で、元バレーボール日本女子代表監督。 クラブチームでは日紡貝塚からユニチカ・フェニックスの監督。長男は歯科医師。 関西大学商学部卒業後の1953年、四天王寺高等学校の監督になり、インターハイで3度優勝 して指導者としての名声を高めた。 1965年、大松博文 の後継者として日紡貝塚女子バレーボール部の監督となる。以後、大松監督が築いた日紡貝塚の公式戦175連勝の記録を258まで延ばし、バレーボール日本リーグ(現在のプレミアリーグの前身)では山田重雄監督が率いる日立 との二強を形成し、27回行われたリーグ戦では日立の18回に次ぐ5回の優勝をもたらした。
西村 三郎(にしむら さぶろう、1930年6月29日 - 2… 西村 三郎(にしむら さぶろう、1930年6月29日 - 2001年11月30日)は、生物地理学、生物海洋学、博物学者。京都大学名誉教授。 1930年6月29日青森県弘前市生まれ。1953年京都大学理学部(動物学専攻)卒業後、水産庁日本海区水産研究所(新潟市)に11年間勤務。京都大学理学部附属瀬戸臨海実験所勤務ののち、1977年、京大教養部助教授、1980年、教授、1992年、京都大学総合人間学部教授、1994年、定年退官、名誉教授。 1981年、『地球の海と生命』で毎日出版文化賞{、1989年、『リンネとその使徒たち』で大佛次郎賞、2000年、『文明の中の博物学』で和辻哲郎文化賞受賞。フィールドワークと文献調査の双方を行い、人文系においても博識で鳴らし、文系と理系の壁を超えた碩学であった。
久世 敏雄(くぜ としお、1930年6月29日 - 2012… 久世 敏雄(くぜ としお、1930年6月29日 - 2012年1月30日)は、日本の心理学者。専門は青年心理学。学位は、教育学博士(1976年)。名古屋大学名誉教授。 1953年、名古屋大学教育学部卒業、1955年、同大学院教育心理学修士課程修了。 1955年から1959年まで同助手を務め、1967年に宮城教育大学助教授。1970年には名古屋大学助教授、1976年に教授に昇任。同年に「青年心理研究の方法論」で教育学博士の学位を取得。 1994年に定年退官し、名誉教授へ就任。また愛知学院大学では2001年退職まで教授を務めた。専門は青年心理学。 2012年1月30日、愛知県豊明市の病院にて多臓器不全により死去。
間宮 芳生(まみや みちお、1929年6月29日 - 202… 間宮 芳生(まみや みちお、1929年6月29日 - 2024年12月11日)は、日本の作曲家。 北海道旭川市生まれ、青森県青森市育ち。東京音楽学校(現:東京芸術大学)作曲科にて池内友次郎に師事するが、同校入学までは作曲もピアノも独学であった。 1953年、外山雄三、林光と共に『山羊の会』を結成する。 1970年代、谷川雁が創設したラボ教育センターの物語テープに音楽を提供。1981年「十代の会」の発起人の一人として同会創立に参加。 2024年12月11日、肺炎のため死去。95歳没。 ()内の人物は台本作者、作詩者、または献呈者。
松尾 浩也(まつお こうや、1928年(昭和3年)6月29日… 松尾 浩也(まつお こうや、1928年(昭和3年)6月29日 - 2017年(平成29年)12月1日)は、日本の法学者(刑事法学)。位階は正四位。勲等は勲二等。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 東京大学法学部助手、上智大学法学部助教授、東京大学教養学部教授、東京大学法学部教授、東京大学法学部学部長、千葉大学法経学部教授、上智大学法学部教授、法務省特別顧問、社団法人学士会理事長などを歴任した。 1928年(昭和3年)生まれ、熊本県玉名郡荒尾町(現・荒尾市)出身の刑事法学者である。東京大学、上智大学、千葉大学で教鞭を執った。法務省では法制審議会や検察官適格審査会の会長を務め、のちに法務省の特別顧問となった。
鳥居 フミ子(とりい ふみこ、1927年(昭和2年)6月29… 鳥居 フミ子(とりい ふみこ、1927年(昭和2年)6月29日 - 2015年(平成27年)1月11日)は、日本文学研究者、東京女子大学名誉教授。専門は日本近世文学、特に土佐浄瑠璃。 愛知県宝飯郡塩津村(現・蒲郡市)生まれ。1944年愛知県立国府高等女学校(現・愛知県立国府高等学校)卒業。同年、愛知県立第二師範学校女子部本科(現・愛知教育大学)入学。1947年、愛知県立女子専門学校(現・愛知県立大学)国文学科入学。1950年に同校を卒業すると、東京女子大学文学部日本文学科に編入学。1952年同大学卒業。1953年東京大学人文科学研究科国語国文学専攻修士課程入学。1955年同博士課程進学、1960年単位取得退学。
稲垣 栄三(いながき えいぞう、1926年6月29日-200… 稲垣 栄三(いながき えいぞう、1926年6月29日-2001年3月6日)は、日本の建築史家、東京大学名誉教授。 山形県出身。府立六中(現都立新宿高等学校)を経て東京大学工学部卒。1961年「明治時代における西洋建築導入過程に関する研究」で工学博士。太田博太郎、堀口捨己に師事。東京都立大学助手、東大工学部助教授、73年教授。87年定年退官、明治大学教授。 69年神社建築史の研究で建築学会賞。著作「日本の近代建築」で近代建築の始まりを大正時代とする説を唱えた。
広岡 隆(ひろおか たかし、1926年6月29日 - 200… 広岡 隆(ひろおか たかし、1926年6月29日 - 2009年)は、日本の法学者。専門は、行政法・行政代執行。 大阪府河南町生まれ。1949年京都帝国大学法学部卒。1962年「行政上の強制執行の研究」で、京都大学より法学博士の学位を授与される。 大阪学芸大学助教授、関西大学法学部助教授、関西学院大学法学部助教授、教授、96年定年、名誉教授、関西外国語大学教授。『アメリカ現代詩におけるホイットマン像』の著者、廣岡實は実弟。
久保 忠武(くぼ ただたけ、1926年6月29日 - 199… 久保 忠武(くぼ ただたけ、1926年6月29日 - 1997年2月10日)は、日本の経営者。四国銀行頭取を務めた。高知県出身。 1951年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に大蔵省に入省。 1976年12月に四国銀行に転じ、常務に就任し、1978年6月に専務を経て、1982年6月に副頭取に就任し、1985年6月には頭取に昇格。1987年8月に取締役相談役を経て、1988年6月から相談役を務めた。 1997年2月10日肺炎のために死去。70歳没。
木幡順三(こばた じゅんぞう、1926年6月29日-1984… 木幡順三(こばた じゅんぞう、1926年6月29日-1984年9月20日)は、日本の美学研究者。 大阪府出身。第三高等学校卒、1952年東京大学文学部美学美術史学科卒、同大学院をへて、東洋大学助教授、教授、1976年慶應義塾大学文学部教授。妻は木幡瑞枝。
秋葉 實(あきば みのる、1926年6月29日 - 2015… 秋葉 實(あきば みのる、1926年6月29日 - 2015年4月11日)は、日本の歴史研究家。江戸時代の探検家・松浦武四郎研究の第一人者で、北海道紋別郡遠軽町丸瀬布地域(旧丸瀬布町)の郷土史研究や、丸瀬布地域の住民有志でつくる任意団体「山脈(やまなみ)文化協会」発行の地域新聞『山脈』の編集、北海道遺産選定の蒸気機関車「雨宮21号」の動態保存などにも貢献した。 1926年(大正15年)、北海道紋別郡遠軽村ムリイ(現・遠軽町丸瀬布武利)生まれ。1940年、東京市深川区(現・江東区)の材木店の養子となったあと、陸軍少年通信兵学校を修了したが、養子先の一家が東京大空襲で全滅したため、終戦後の復員にともない出身地の丸瀬布に戻り、丸瀬布郵便局に勤務した。
岡 久雄(おか ひさお、1925年6月29日 - )は、日本… 岡 久雄(おか ひさお、1925年6月29日 - )は、日本の電気技術者、工学博士。三菱電機代表取締役副社長や、新エネルギー・産業技術総合開発機構理事長、日本オペレーションズ・リサーチ学会会長、電気学会会長、日本YMCA同盟委員長等を歴任した。 宮城県仙台市生まれ。1943年宮城県工業学校(現宮城県工業高等学校)電気工学科、1952年東北大学工学部電気工学科卒業、三菱電機入社。半導体デバイスの研究開発に従事し、1962年には東北大学工学博士の学位を取得。1972年北伊丹製作所電力半導体部長。1978年LSI開発センタセンタ長。1980年LSI研究所所長。1983年取締役LSI研究所所長。1985年常務取締役開発本部長。
海部 八郎(かいふ はちろう、1923年6月29日 - 19… 海部 八郎(かいふ はちろう、1923年6月29日 - 1994年6月28日)は、実業家・元日商岩井副社長。ダグラス・グラマン事件の中心人物。 実家は東京都文京区小石川にあり、東京高等師範学校附属中学校か東京府立第一中学校、東京府立第四中学校への進学を希望していたという。 父は、元は師範学校の英語教師で、その後、浅野物産の幹部になり、高給取りだったため海部の家庭の生活水準はかなり高かったという。海部の中学時代、友人が20銭、50銭という小遣いしかもっていなかったのに対して、海部は5円、10円の札ビラをきったというエピソードがある。 中学時代は国語、漢文、地理、歴史といった文系科目が得意で、中でも英語の成績は抜群だった。
益田 勝実(ますだ かつみ、男性、1923年〈大正12年〉6… 益田 勝実(ますだ かつみ、男性、1923年〈大正12年〉6月29日 - 2010年〈平成22年〉2月6日)は、日本の国文学者。古代文学専攻。元・法政大学文学部教授。 山口県下関市で、父繁蔵、母コフジの次男として生まれる。兄1人、姉3人の末っ子であった。 家の学問として漢文を教わるチャンスがあって、小学校の終わりごろから 『十八史略』や『日本外史』を読まされていた。旧制山口県立下関中学校時代には、西洋哲学を専攻したい夢があり3年の時から下関バプテスト教会の末崎富彌牧師にギリシャ語を習い始める。 1941年3月に下関中学校を卒業して、4月から下関市立養治国民学校助教として勤めながら、中等教員検定試験合格を目指す。
清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月… 清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月29日 - 2006年(平成18年)6月3日)は、日本の詩人、小説家、評論家、法政大学名誉教授。位階は従四位。 関東州の大連生れ。東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。また、長らく、法政大学教授として新入生などにフランス語の基礎を、さらに、萩原朔太郎作品などをテキストに、人文特別講義を担当し、学部や専攻にかかわらず多くの学生を指導した。1996年に日本芸術院会員。 妻は作家の岩阪恵子(いわさか けいこ、本名 清岡惠子)。前妻の息子清岡智比古は、フランス語学者で明治大学理工学部教授。創作活動も行っている。 ロシア・日本の租借地であった大連で、生まれてから敗戦による本土引き揚げまでの20数年間(内地での一高、東大在学時を途中に挟む)を過ごす。
平山 美代子(ひらやま みよこ、1922年6月29日 - 2… 平山 美代子(ひらやま みよこ、1922年6月29日 - 2005年以降消息不明)は、日本の女性歌手・童謡歌手。本名は磐瀬ゆき。 現在の東京都千代田区三番町出身。1933年に明仁親王(上皇明仁)が誕生した際に「皇太子さまお生まれなつた」を歌い一躍スター歌手となった。 1922年、三越の美術部に勤務する岩瀬純の四女として東京府東京市麹町区三番町に生まれる。六人兄弟(二男四女)の末っ子であったが、長兄は幼少期の爆発事故により右眼を失明し、長姉もこの事故により右手の親指と人差し指にに大けがを負っている。また、次兄は1925年頃に自家中毒で夭逝している。 小学三年生のとき、学校教師に誘われ東京子供音楽会に入会する。
李 鍾麟(イ・ジョンニン、朝鮮語: 이종린、1921年6月2… 李 鍾麟(イ・ジョンニン、朝鮮語: 이종린、1921年6月29日 - 1985年6月24日)は、大韓民国の大学教授、政治家。第5代韓国国会議員。 咸南咸州または釜山出身。専修大学予科修了。1944年専修大学経済学部卒、その後東亜大学校法政学部経済学科卒。1948年ソウル大学校大学院法科卒。同年にUN韓国委員団外交代表を務め、その後は咸興医学専門学校講師、戦時連合大学教授、釜山工科大学教授、東亜大学校講師・同大学院政治科主任教授を務めた。1960年の第5代総選挙では民主党の候補として国会議員に当選した。 政界引退後は東国大へ移った。東国大法政大学長在任中の1985年6月24日、ソウル市恩平区の自宅で持病により死去した。
米田 登(よねだ のぼる、1919年6月29日 - 1993… 米田 登(よねだ のぼる、1919年6月29日 - 1993年3月20日)は、昭和期・平成期の歌人。 歌人・僧侶の米田雄郎の次男として、滋賀県蒲生郡(現・東近江市)に生まれる。八日市中学校在学中の15歳で前田夕暮主宰の白日社に入社し、歌誌「詩歌」にて自由律短歌を発表する。前田夕暮・矢代東村に師事。 1941年に東京帝国大学法学部を卒業。翌年陸軍に入隊し、定型短歌へと移行。戦時中は中国を転戦する。終戦後は東大大学院を経て日瑞貿易に入社。1951年に夕暮が没した後は、義弟(妻の実弟)である香川進が主宰する歌誌「地中海」に参加。1959年、父雄郎の死により歌誌「好日」の発行人となる。同誌からは香川ヒサを輩出した。