勝部 修(かつべ おさむ、1950年(昭和25年)7月4日 … 勝部 修(かつべ おさむ、1950年(昭和25年)7月4日 - )は、日本の政治家。元岩手県一関市長(3期)。 2009年10月2日、任期満了に伴う一関市長選挙に無所属で立候補。当時全国最高齢市長だった浅井東兵衛が引退したこの選挙には、他に新人2人が立候補した。勝部はこの選挙で、「経験を基に雇用対策に最善を尽くし、市のサービス力を向上させる」と強調した。10月9日、投開票が実施され、勝部は他の2人を大差で下し、初めての当選を果たした。2013年の市長選挙は無投票当選で再選、2017年の市長選挙でも無投票で三選された。2021年の市長選挙には出馬せず任期満了を持って退任した。 一関市長選挙開票結果 2009年(平成21年)10月9日(投票率 : 70.42%) 自身のホームページに、「政策の3本柱…3つの「きょうせい」」として、「競生」「共生」「協生」を掲げている。
谷藤 裕明(たにふじ ひろあき、1950年(昭和25年)4月… 谷藤 裕明(たにふじ ひろあき、1950年(昭和25年)4月29日 - )は、日本の政治家、実業家。元盛岡市長(5期)。盛岡市出身。岩手県議会議長、岩手県議会議員(3期)を務めた。 岩手県盛岡市生まれ。盛岡市立厨川小学校、盛岡市立城西中学校、岩手県立盛岡第一高等学校、早稲田大学教育学部卒業。大学卒業後、盛岡市に本社を置く株式会社橋市の役員を経て、1991年に岩手県議会議員選挙に盛岡市選挙区から出馬し、初当選を果たした。以後3期連続当選。岩手県議時代は自由民主党系の会派(自由民主クラブ)に所属した。2001年、岩手県議会議長に就任。2003年の岩手県議会議員選挙では、同年8月の盛岡市長選挙への出馬を見越し、4選出馬を見送った。
主濱 了(しゅはま りょう、1950年(昭和25年)4月2日… 主濱 了(しゅはま りょう、1950年(昭和25年)4月2日 - )は、日本の政治家。新字体で主浜 了と表記されることもある。参議院議員(2期)、参議院農林水産委員長、総務大臣政務官、国民の生活が第一代表(第2代)、同参議院国会対策委員長、生活の党と山本太郎となかまたち副代表兼両院議員会長兼参議院会長、岩手県宮古市助役、岩手県庁農林水産部次長、岩手県滝沢市長(1期)などを歴任した。
畠山 稔(はたけやま みのる、1949年(昭和24年)9月2… 畠山 稔(はたけやま みのる、1949年(昭和24年)9月24日 - )は、日本の政治家。埼玉県上尾市長(3期)。元埼玉県議会議員(3期)、元上尾市議会議員(3期)。 岩手県陸前高田市生まれ。生家は農業と酪農を営んでいた。埼玉県立松山高等学校を卒業後、千葉工業大学金属工学科に入学。大学時代は空手に打ち込んだ。腕前は5段。1973年(昭和48年)3月、同大学卒業。同年4月、東洋伸銅所(現・日立アロイ)に就職。 1995年(平成7年)12月の上尾市議会議員選挙に初当選(任期開始日は1996年1月1日)。市議を3期務めたのち、2007年(平成19年)4月に埼玉県議会議員選挙に南13区から立候補し初当選。
戸田 公明(とだ きみあき、1949年(昭和24年)5月7日… 戸田 公明(とだ きみあき、1949年(昭和24年)5月7日 - )は、日本の政治家。岩手県大船渡市長(3期)を務めた。 岩手県三陸町(現:大船渡市)吉浜生まれ。大船渡市立盛小学校、大船渡市立第一中学校、岩手県立盛岡第一高等学校、東北大学工学部建築学科卒業。1972年、清水建設に入社。1986年、社命によりアメリカ合衆国のハーバード大学に留学。また、社命により上海営業所長や北京駐在員事務所長、香港営業所長等を務め、2006年9月に同社を退社した。同年の大船渡市長選に立候補したが、落選。2007年1月、医療法人勝久会の専務理事に就任し、2010年9月まで務めた。 2010年11月21日投開票の大船渡市長選挙に公明党の推薦を受けて出馬。
相原 正明(あいはら まさあき、1948年(昭和23年)3月… 相原 正明(あいはら まさあき、1948年(昭和23年)3月1日 - )は、岩手県の政治家。江刺市長(1期)、奥州市長(1期)を歴任。 2006年の奥州市誕生を機に初代市長を目指し立候補。旧水沢市長の高橋光夫、元衆議院議員の高橋嘉信を破り当選する。 2010年の市長選挙には、再選(2期目)を目指して出馬したが、新人で前奥州市議会議長の小沢昌記に12,600票差で破れ、再選はならなかった。 奥州市長選では副県都構想、金ケ崎町・平泉町との合併(いわゆる「平泉市構想」)、四年制大学の誘致などを提唱した。 第二回「マニフェスト大賞2007」で、自身の「みんなで創ろう豊かな奥州市」が、首長部門審査委員会特別賞に選ばれた。
田村 正彦(たむら まさひこ、1948年(昭和23年)2月5… 田村 正彦(たむら まさひこ、1948年(昭和23年)2月5日 - )は、日本の政治家。岩手県八幡平市長(4期)。元岩手県議会議員(3期)、元西根町議会議員(2期)。 岩手県平舘村(現・八幡平市)出身。岩手県立盛岡工業高等学校卒業。1970年(昭和45年)3月、駒澤大学経済学部経済学科卒業。同年4月、岩手県農業共済組合連合会に就職。1989年(平成元年)9月、同連合会を退職し西根町議会議員に就任。1993年(平成5年)9月、再選。1995年(平成7年)4月、西根町議会議員を辞職し、岩手県議会議員に就任。1999年(平成11年)4月、再選。2003年(平成15年)4月、3期目の当選。 2005年(平成17年)9月1日、西根町、松尾村、安代町が合併し八幡平市が誕生する。
穀田 恵二(こくた けいじ 1947年1月11日 - )は、… 穀田 恵二(こくた けいじ 1947年1月11日 - )は、日本の政治家。 1947年1月11日、岩手県水沢市(現・奥州市)に生まれる。1965年3月、岩手県立盛岡第一高等学校を卒業。1969年3月、立命館大学文学部人文学科日本文学専攻を卒業。同年4月、学校法人立命館に入職。1972年、日本共産党北地区委員会に入職。 1987年4月、京都市議会議員選挙で北区選挙区から日本共産党公認で出馬し、初当選。 1993年7月18日、第40回衆議院議員総選挙で旧京都1区から出馬し、初当選。 1996年10月25日、第41回衆議院議員総選挙で京都1区から出馬し、伊吹文明に2600票差で惜敗するも比例近畿ブロックで比例復活し、2選。
中里 長門(なかさと ながと、1946年8月30日 - 20… 中里 長門(なかさと ながと、1946年8月30日 - 2011年8月16日)は、日本の政治家。 岩手県陸前高田市長(2期)、陸前高田市議会議員(4期)を歴任した。 岩手県陸前高田市生まれ。奥州大学(現富士大学)経済学部経済学科卒業。大学卒業後、陸前高田民主商工会事務局長を経て、1987年に日本共産党公認で陸前高田市議選に出馬し初当選。以後4期16年、陸前高田市議を務める。 2003年、当時建設費が8億円に上る計画が持ち上がっていたタラソテラピー(海洋療法)施設の建設に反対する超党派の住民運動グループ「陸前高田市政を考える市民の会」に推挙され、陸前高田市長選挙へ無所属で出馬。日本共産党に加え、自由民主党系会派「爽風会」の支援を受け、全国でも珍しい自共共闘により、5選を目指して出馬した民主党系の菅野俊吾市長を破り、初当選。
高橋 光夫(たかはし みつお、1945年8月24日 - )は… 高橋 光夫(たかはし みつお、1945年8月24日 - )は、日本の政治家。元岩手県水沢市(現・奥州市)長(1期)。 岩手県紫波郡紫波町出身。1964年岩手県立盛岡商業高等学校卒。同年東北電力に入社、水沢営業所に勤務する。労働組合で活動する一方、民社党胆江総支部長、岩手県連書記長などを務める。1979年から水沢市議を7期務め、議長も2期務めた。2004年1月の水沢市長選挙に立候補し、無投票で当選した。同月29日に就任した。 2006年に水沢市は江刺市など4市町村と合併し、奥州市が発足した。それに伴い、同年2月19日に水沢市長を退任した。合併直後の奥州市長選挙に立候補した。この選挙では元江刺市長の相原正明と元衆議院議員の高橋嘉信の3人の争いとなった。
高橋 昌造(たかはし しょうぞう、1945年8月14日 - … 高橋 昌造(たかはし しょうぞう、1945年8月14日 - )は、日本の政治家。岩手県矢巾町長(2期)。元岩手県議会議員(2期)。 岩手県盛岡市生まれ。1964年(昭和39年)3月、岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1971年(昭和46年)、矢巾町役場に奉職。1999年(平成11年)5月から2007年(平成19年)まで助役を務めた。 2007年(平成19年)4月8日に行われた岩手県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。東日本大震災の影響で2011年(平成23年)9月11日に延期された県議選では民主党公認で立候補し再選。 2015年(平成27年)4月26日に行われた矢巾町長選挙に立候補し初当選した。4月30日、町長就任。
小沢 和夫(小澤 和夫、おざわ かずお、1944年〈昭和19… 小沢 和夫(小澤 和夫、おざわ かずお、1944年〈昭和19年〉3月15日 - 2007年〈平成19年〉10月2日)は、日本の政治家。釜石市長(2期)。 岩手県釜石市出身。法政大学社会学部卒。釜石市議会議員を経て、議長も務める。2003年の釜石市長選挙で初当選。2007年の選挙では無投票で再選。同年10月2日、肝硬変のため現職のまま死去。死没日をもって旭日小綬章追贈、正五位に叙される。
甘竹 勝郎(あまたけ かつろう、1943年11月9日 - )… 甘竹 勝郎(あまたけ かつろう、1943年11月9日 - )は、日本の政治家。元岩手県大船渡市長(4期)、気仙歴史文化研究会会長。旭日小綬章受章。 岩手県大船渡市出身。法政大学経済学部卒。卒業後は岩手県立大船渡高校教諭などを務め、1988年大船渡市議会議員に当選する。1994年大船渡市長選挙に立候補し、初当選し、4期務める。在任中の2000年に隣接する気仙郡三陸町が編入された。また、男女地域づくりを推進し、1996年に同市で「女性サミット」が開催された。2010年に市長を引退した。 2014年 春の叙勲で地方自治功労により旭日小綬章を受章
小沢 一郎(おざわ いちろう、1942年〈昭和17年〉5月2… 小沢 一郎(おざわ いちろう、1942年〈昭和17年〉5月24日 - )は、日本の政治家。自由党所属の衆議院議員(16期)、自由党代表。
佐々木 洋平(ささき ようへい、1942年3月2日 ‐ )は… 佐々木 洋平(ささき ようへい、1942年3月2日 ‐ )は、日本の政治家。大日本猟友会会長。 衆議院議員(1期)、岩手県議会議員(4期)を歴任。 岩手県西磐井郡花泉町(現一関市)出身。岩手県立一関第一高等学校、東京農業大学を卒業後、鹿島建設が出資する牧場に就職。間もなく事業撤退により解散。解散後は一時盛岡市役所に勤務した。その後栃木県の酪農協同組合勤務を経て、地元で農業に従事していたが、1979年に岩手県議会議員に当選。当選後は自由民主党に入り、県議を4期務める。1993年自民党衆議院議員小沢一郎の離党に伴い自民党を離党し新生党系会派「研政会」を結成。翌1994年に新生党に入った。同年暮れ、新進党が結党され、同党に入党した。
加藤 宏暉(かとう こうき、1942年 - 2011年3月1… 加藤 宏暉(かとう こうき、1942年 - 2011年3月11日)は、日本の政治家。岩手県上閉伊郡大槌町の町長(在任 2007年 - 2011年、1期)。
小原 豊明(おばら とよあき、1940年(昭和15年)9月1… 小原 豊明(おばら とよあき、1940年(昭和15年)9月19日 - )は、日本の政治家・元官僚。元二戸市長。 岩手県二戸市出身。1963年(昭和38年)北海道大学農学部卒。1963年(昭和38年)厚生省に入省。同省国立公園部レンジャーを経て、1978年(昭和53年)環境庁設立の参画に加わり、同庁大気保全局に入局。1988年同庁同局課長、1991年(平成3年)同庁同局国立公園課長を務めたのち退職。 1992年(平成4年)二戸市長選に出馬し、当時の現職市長國分保男との一騎討ちによる選挙戦を制し初当選を果たす。以来、2006年(平成18年)1月1日に浄法寺町との新設合併により新たな二戸市が誕生するまでの間に4期連続で当選(うち2回は無投票)し、合併直後の2006年1月29日の市長選でも対立候補の元県議であった工藤篤を破って当選し新市の初代市長となり、2010年(平成22年)1月に当時の副市長小保内敏幸に市長を譲り、勇退するまで旧二戸市時代も含め計5期約18年に渡り市長を務めた。
渡邊 勉(わたなべ つとむ、1940年〈昭和15年〉5月21… 渡邊 勉(わたなべ つとむ、1940年〈昭和15年〉5月21日 - 2015年〈平成27年〉10月15日)は、日本の政治家。岩手県花巻市長(3期)。 岩手県花巻市出身。1963年(昭和38年)日本大学法学部卒業。翌年岩手県庁に入る。自治省勤務を経て、岩手県地方課主任、財政課主査、同企画調査係長、千厩県税事務所長、千厩地方振興局総務部長、県総務部財政課長、総務部長を経て、県庁を退職。1996年(平成8年)花巻市長に当選。市長は2005年(平成17年)に合併するまで3期務めた。2005年12月31日に退任した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
伊藤 彬(いとう あきら、1939年 〈昭和14年〉 12月… 伊藤 彬(いとう あきら、1939年 〈昭和14年〉 12月7日 - 2025年 〈令和7年〉 1月12日)は、日本の政治家。元北上市長(3期)。位階は従五位。 岩手県北上市出身。岩手県立黒沢尻北高等学校、武蔵大学経済学部卒業。卒業後は東芝ビジネスマシンに入社する。 その後、帰郷し、北上市教育委員、同委員長に就任。ほか北上市で不動産会社を経営し、北上商工会議所会頭などを務める。 1999年の北上市長選挙で初当選。2003年と2007年の選挙で再選。2011年に退任した。 岩手県立黒沢尻北高等学校同窓会会長、職業訓練法人北上情報処理学園理事長、岩手県済生会支部長、北上さくらの会会長などを務めた。2012年に旭日小綬章を受章。
玉澤 徳一郎(玉澤 德一郎、たまざわ とくいちろう、1937… 玉澤 徳一郎(玉澤 德一郎、たまざわ とくいちろう、1937年〈昭和12年〉12月16日 - )は、日本の政治家。 農林水産大臣(第28・29代)、防衛庁長官(第56代)、衆議院議員(9期)などを歴任。 選挙などの際には旧字体の「澤」でなく、画数の少ない「沢」を用い「玉沢徳一郎」と表記されることが多い。 岩手県下閉伊郡田老町(現在の宮古市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を卒業後、早稲田大学第二政治経済学部政治学科に入学。大学では早稲田大学雄弁会に所属。雄弁会の一期上に森喜朗、一期下に小渕恵三がいた。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士。学生時代から左翼が大嫌い(当時は学生運動の嵐の真っ只中)であることを公言していた。
菅野 俊吾(かんの しゅんご、1935年(昭和10年)5月1… 菅野 俊吾(かんの しゅんご、1935年(昭和10年)5月19日 - 2018年(平成30年)3月26日)は、日本の政治家。岩手県陸前高田市長(4期)。岩手県議会議員(2期)。 岩手県陸前高田市出身。1959年(昭和34年)東北大学法学部卒。同年七十七銀行に入る。その後、同銀行を退職し、印刷会社勤務を経て、帰郷し、陸前高田市で家業の印刷会社を経営する。 1979年(昭和54年)岩手県議会議員に当選、2期務めた後、1987年(昭和62年)陸前高田市長選挙に立候補し当選。4期務める。1992年(平成4年)岩手県市町村職員共済組合理事長。 1989年(平成元年)、「さんりく・リアス・リゾート」構想の承認を機に、「里造徒(りぞうと)」の街づくりを推進。
花川 與惣太(はなかわ よそうた、1935年〈昭和10年〉4… 花川 與惣太(はなかわ よそうた、1935年〈昭和10年〉4月21日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。 東京都北区長(5期)、東京都議会議員(5期)、北区議会議員(3期)を務めた。「與」は「与」の旧字体であるため、媒体によっては「花川 与惣太」と表記されることもある。 岩手県釜石市出身。明治大学政治経済学部、明治大学大学院政治経済研究科修了。1971年(昭和46年)、北区議会議員に初当選。区議を3期務めたのち、1985年に東京都議会議員に初当選した。都議を5期務め、自由民主党に所属した。 2003年4月27日執行の北区長選挙に立候補し、新人2人を下し初当選した。同日、区長に就任。 2019年4月21日執行の区長選では、元都議の音喜多駿、共産党推薦の川和田博らを破り、5期目の当選を果たした(花川:65,807票、音喜多:54,072票、川和田:22,213票)。
菊池 長右ェ門(きくち ちょううえもん、1934年4月7日 … 菊池 長右ェ門(きくち ちょううえもん、1934年4月7日 - 2020年7月26日)は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、岩手県議会議員、宮古市長を務めた。祖父は立憲政友会に所属した元衆議院議員の菊池長右衛門、父は初代宮古市長で日本自由党に所属した元衆議院議員の菊池長右衛門。叔父は元宮古市長の菊池良三。親子3代揃って同名な為、代々「菊長」と呼ばれる。 岩手県宮古市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。1965年、株式会社菊長商店(燃料販売会社)社長に就任する。1983年に自由民主党公認で岩手県議会議員選挙に立候補し、初当選。以後2回当選するが、3期目の途中に県議を辞職。宮古市長選挙に立候補して当選する。
山中 邦紀(やまなか くにき、1933年(昭和8年)3月1日… 山中 邦紀(やまなか くにき、1933年(昭和8年)3月1日 - 2001年(平成13年)1月3日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。弁護士。 岩手県盛岡市出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1955年(昭和30年)東京外国語大学英米科卒、1957年(昭和32年)東京大学法学部卒、東京大学大学院法学研究科中退。千葉県立千葉商業高等学校の講師、同教諭を経て、衆議院議員の父山中吾郎の秘書を務め、1966年(昭和41年)に弁護士登録し、開業。1983年(昭和58年)から1年間岩手県弁護士会会長を務めた。 1990年(平成2年)第39回衆議院議員総選挙で旧岩手1区から立候補して初当選。1993年(平成5年)第40回総選挙で落選、1996年(平成8年)第41回総選挙で岩手1区から社会民主党公認で出馬したが、再び落選した。
志賀 節(しが せつ、1933年〈昭和8年〉2月3日 - 2… 志賀 節(しが せつ、1933年〈昭和8年〉2月3日 - 2021年〈令和3年〉7月5日)は、日本の政治家。位階は従三位。環境庁長官(第23代)、内閣官房副長官(第1次海部内閣)、衆議院議員(8期)等を務めた。 岩手県一関市出身。早稲田大学文学部卒業後、南カリフォルニア大学大学院に留学し、国際政治学を専攻した。1963年から、三木武夫が主宰する中央政策研究所に勤務する。父・健次郎の政界引退に伴い、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧岩手2区から自由民主党公認で立候補し、初当選した(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・三塚博・石原慎太郎・村岡兼造・保岡興治・瓦力・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。
桑島 博(くわしま ひろし、1932年8月14日 - 202… 桑島 博(くわしま ひろし、1932年8月14日 - 2021年12月16日)は、日本の政治家。元盛岡市長(2期)。 岩手県盛岡市出身。岩手県立盛岡高等学校を経て、1955年、岩手大学農学部農業工学科卒。同年盛岡市役所に入る。市役所では土木課長、財政課長、財政部次長、同部長を歴任し、1987年から助役を務めた。 1995年に盛岡市長選挙に立候補して初当選し、2期務めた。 2003年の市長選では3選を目指したが、元岩手県議会議長の谷藤裕明に敗れた。 ※当日有権者数:221,269人 最終投票率:53.67%(前回比:+19.0pts) 2021年12月16日、老衰のため盛岡市内の病院で死去。89歳没。
佐々木 一朗(ささき いちろう、1932年6月10日 - 2… 佐々木 一朗(ささき いちろう、1932年6月10日 - 2002年12月17日)は、日本の地方政治家。岩手県一関市長(1期)。 岩手県西磐井郡一関町(現・一関市)生まれ。岩手県立一関第一高等学校卒。卒業後は一関市役所に入り、民生、総務の各部長、収入役、助役を経て、1995年一関市長選挙に立候補して、当選する。1999年に再び立候補し、再選を目指したが、県立病院の移転問題や中心商店街の活性化などが争点となり、元岩手県議の浅井東兵衛(無所属)に1,500票余の差で敗れた。 2002年12月17日一関市内の自宅近くのため池で浮いている姿で発見され、死亡が確認された。
川口 民一(かわぐち たみかず、1931年〈昭和6年〉7月2… 川口 民一(かわぐち たみかず、1931年〈昭和6年〉7月23日 - 2022年〈令和4年〉5月30日)は、日本の政治家。岩手県雫石町長(2期)や岩手県議会議員(1期)を歴任。位階は従五位。旭日小綬章。 岩手県岩手郡雫石町出身。旧制岩手県立盛岡農学校(現・岩手県立盛岡農業高等学校)卒。卒業後の1949年御所村役場に入る(のち合併で雫石町役場勤務)。1971年雫石町議会議員に当選。4期務め、副議長、議長を務めた。 1986年、雫石町長選挙に立候補し、現職を破って当選。1989年に鶯宿温泉開発(株)社長と雫石町観光協会会長に就任した。雫石町長は2期務め、1994年の町長選挙で元岩手県議会議長の川口善弥に敗れた。
藤井 黎(ふじい はじむ、1930年〈昭和5年〉8月24日 … 藤井 黎(ふじい はじむ、1930年〈昭和5年〉8月24日 - 2010年〈平成22年〉4月4日)は、日本の政治家。第29代 - 31代仙台市長(在任期間:1993年8月22日 - 2005年8月21日)。 岩手県釜石市出身。東北大学大学院修士課程修了後、仙台市役所に奉職。 1993年(平成5年)、ゼネコン汚職事件に絡んで石井亨が辞職した後の出直し市長選挙に立候補して初当選し、仙台市長に就任。3期(第29期 - 31期)を務めた後、引退した。 2008年(平成20年)春の叙勲で旭日中綬章受章。2009年(平成21年)春に肺癌の手術を受ける。2010年(平成22年)3月上旬に再入院、同年4月4日午後1時30分、仙台市青葉区の仙台厚生病院で肺炎のため死去、79歳。
後藤 晨(ごとう あきら、1930年〈昭和5年〉3月3日 -… 後藤 晨(ごとう あきら、1930年〈昭和5年〉3月3日 - 2022年〈令和4年〉6月15日)は、日本の政治家。元岩手県水沢市(現・奥州市)長(3期)。 岩手県胆沢郡水沢町(のち水沢市、現・奥州市)出身。1946年(昭和21年)、岩手県立花巻中学校(現・岩手県立花巻北高等学校)卒。岩手県庁に入り、児童婦人、地方の各課長補佐、金ケ崎町助役、県成人福祉、人事の各課長、東京事務所長、県議会事務局長、土地開発公社副理事長、住宅供給公社理事長を歴任した。 1992年(平成4年)の水沢市長選挙に立候補し、無投票で当選した。同年1月に市長に就任した。1996年(平成8年)の市長選挙も無投票で当選。 2000年(平成12年)の市長選挙では新人との選挙戦になったが、これを破って3選を果たした。
沢藤 礼次郎(さわふじ れいじろう、戸籍上は澤藤禮次郎 19… 沢藤 礼次郎(さわふじ れいじろう、戸籍上は澤藤禮次郎 1928年12月14日 - 2004年8月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 岩手県和賀郡黒沢尻町(現・北上市)出身。沢藤幸治・ウメの長男。父親は同町の町長であった。黒沢尻中学校を経て海軍兵学校(77期)に進んだ。在学中に広島市への原子爆弾投下による犠牲者を見て反戦の意識が強まったという。戦後、盛岡農林専門学校(現・岩手大学農学部)に入り、1948年に卒業。1951年に母校の黒沢尻高校で定時制教諭になり、その後花巻農業高校の教諭などを務めた。また、沢令二のペンネームで執筆活動を行なっている。1961年に岩手県高教組の書記長、1968年同委員長に就任。
横田 綾二(よこた りょうじ、1927年(昭和2年)7月14… 横田 綾二(よこた りょうじ、1927年(昭和2年)7月14日 - 2017年(平成29年)6月17日)は、日本共産党岩手県議会議員(6期) 。盛岡市議会議員(1期) 。位階は従五位。旭日小綬章。 岩手県岩手郡米内村(現在の盛岡市)に無産運動家の横田忠夫とチエ(のち岩手県議)の子に生まれる。一家はその後、盛岡市に移る。盛岡市立仁王小学校を経て、旧制盛岡中学(現在の岩手県立盛岡第一高等学校)に入る。在学中に父忠夫が死去する。盛岡中学を3年で中退。仙台市にある私立南光学園東北中学校(現在の東北高等学校)に編入し、同校を卒業する。卒業後は仙台工業専門学校(現在の東北大学工学部)に入る。在学中は日本社会党に入り、同校生徒自治会総合委員長、社会党宮城県連常任書記となる。
中里 信男(なかさと のぶお、1927年7月10日 - 20… 中里 信男(なかさと のぶお、1927年7月10日 - 2013年7月15日)は、青森県の政治家。青森県議会議員、元八戸市長で淀地区顧問。 盛岡工業学校機械科を卒業後、日本砂鉄に就職。1954年に東北建機工業所(後に東北建機工業)を設立した。1967年に八戸市議会議員に初当選し、青森県議会議員を経て1985年(昭和60年)11月の市長選で現職秋山皐二郎に敗れるも、1989年(平成元年)11月に初当選を果たす。3期務め、長期政権を築いた市長と短命に終わった市長とで繰り返す交代の例外となった。市長在任中は八戸市医師会に距離を置かれつつあった日本共産党候補のみ対抗馬として立候補していたため、八戸戦争は休戦に至った。
野田 武義(のだ たけよし、1927年(昭和2年)6月27日… 野田 武義(のだ たけよし、1927年(昭和2年)6月27日 - 2005年(平成17年)5月8日)は、日本の政治家。釜石市長(3期) 。位階は従四位。 岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)出身。1945年、岩手県立釜石商業学校(のち岩手県立釜石商業高等学校、現・岩手県立釜石商工高等学校)卒。釜石市議会議員を4期務め、1971年、岩手県議会議員に当選し、4期務める。1987年、釜石市長に当選し、市長を3期務める。1999年に市長を退任した。2005年に死去。死没日付をもって従四位に叙された。
浅井 東兵衛(あさい とうべえ、1927年(昭和2年)2月2… 浅井 東兵衛(あさい とうべえ、1927年(昭和2年)2月25日 - 2019年(平成31年)3月16日)は、昭和から平成期の実業家、政治家。一関市長。 岩手県一関市出身。1950年(昭和25年)中央大学専門部中退。郷里に帰り、石油製品販売業を営む。1995年(平成7年)岩手県議会議員に当選、1期務めた。1999年(平成11年)の一関市長選に立候補して初当選した。2003年(平成15年)でも再選。2005年(平成17年)に一関市は近隣の6町村と合併し、新一関市が発足。合併直後の一関市長選挙では無投票で当選した。2009年(平成21年)に引退した。2010年(平成22年)に建設事業関係功労者として国土交通大臣表彰を受賞。
菅原 喜重郎(すがはら きじゅうろう、1926年11月9日 … 菅原 喜重郎(すがはら きじゅうろう、1926年11月9日 - 2019年6月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。位階は従四位。 同志社大学神学部卒業。岩手県東磐井郡東山町(現在の一関市)長を経て、1979年の総選挙に当時の岩手2区から出馬するも落選。翌1980年の総選挙でも落選し、民社党に入党して1983年の総選挙で初当選した。しかし民社党が社会党や公明党・社民連との野党連合路線に向かうことに反発し、1992年3月に民社党を離党。自民党入党を目指して加藤六月グループに入るものの、翌1993年の総選挙では自民党の公認を得られぬまま無所属で戦うことを強いられる。定数4の岩手2区は定数を3に削減された上に民社党も独自候補を擁立、自民党を離党して新生党を結成した小沢一郎の大量得票も影響し落選に終わった。
村田 柴太(むらた さいた、1926年(大正15年)2月21… 村田 柴太(むらた さいた、1926年(大正15年)2月21日 - 2002年(平成14年)9月30日)は、日本の政治家。岩手県稗貫郡大迫町(現花巻市)長(9期)。岩手県議会議員(2期)。 岩手県稗貫郡大迫町に生まれる。旧制盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、1950年早稲田大学政治経済学部卒。1951年旧大迫町議会議員に当選し、合併までの2期務める。1955年の合併後も町議会議員を2期務める。1960年大迫町長に当選。1988年まで8期連続で務める。町長時代は特産品のブドウ栽培やワイン造りに力を入れ、エーデルワインを設立し、社長に就任した。また、町長在任中には早池峰神楽の国の重要無形文化財指定や早池峰山の国定公園の指定、早池峰山に自生する高山植物ハヤチネウスユキソウが縁でオーストリアのベルンドルフ市との姉妹都市の締結、山岳博物館の開館などがあり、福祉向上と町の発展に努めた。
太田 大三(おおた だいぞう、1925年 <大正14年> 6… 太田 大三(おおた だいぞう、1925年 <大正14年> 6月30日 - 2001年 <平成13年> 12月17日)は日本の政治家。盛岡市長(4期) 。位階は従五位。 岩手県盛岡市出身。1948年京都大学農学部卒。同年盛岡市役所に入り、経済課に配属され、産業部農林課長代理、農林課長、庶務部職員課長、財政部財政課長、産業、財政の各部長や市助役を歴任する。1979年、盛岡市長選挙に立候補して初当選した。市長は1995年まで4期務めた。市長在職中は全国市長会理事、副会長、相談役を歴任、東北市長会副会長、岩手県市長会会長も務めた。 市長在職中の主な出来事として東北自動車道盛岡IC開通(1979年)、東北新幹線盛岡開業(1982年)、盛岡市動物公園開園(1989年)、都南村との合併(1992年)が挙げられる。
菊池 正(きくち しょう、1924年〈大正13年〉8月26日… 菊池 正(きくち しょう、1924年〈大正13年〉8月26日 - 2004年〈平成16年〉4月17日)は、日本の政治家。岩手県遠野市長(2期)。岩手県議会議員(4期)。遠野市議会議員(4期)。 現在の岩手県遠野市出身。旧制岩手県立遠野中学校(現在の岩手県立遠野高等学校)卒業。1963年(昭和38年)遠野市議会議員に無所属で立候補して当選。同年4月30日に就任した。4期務める。また、1975年(昭和50年)5月19日から1979年(昭和54年)3月27日まで市議会副議長を務めた。同日、岩手県議会選挙立候補のために辞職した。同年、県議選に遠野選挙区から自民党公認で立候補して、無投票で当選を果たした。
工藤 巌(くどう いわお、1921年(大正10年)12月18… 工藤 巌(くどう いわお、1921年(大正10年)12月18日 - 1998年(平成10年)8月25日)は、日本の政治家。岩手県知事(1期)、衆議院議員(5期)、盛岡市長(3期)。 文教政策に精通。衆議院議員時代には文教委員長を務めたほか、知事在任中には岩手県立大学の総合大学としての設立を決めた。 盛岡中学校、第一高等学校、東京大学法学部卒業後、岩手県立盛岡高等学校に教師として赴任。その後岩手県庁に入庁。企画部長などを経て、1969年盛岡市長に立候補して当選。 3期目途中の1979年、政界を引退した野原正勝の後継者として旧岩手1区から衆議院議員選挙に立候補し初当選。以後5回連続当選。自由民主党の河本派に所属し、国土政務次官、文部政務次官、衆議院文教委員長、党人事局長、政務調査会副会長などを歴任。
中嶋 英夫(なかじま ひでお、1920年(大正9年)10月2… 中嶋 英夫(なかじま ひでお、1920年(大正9年)10月26日 - 1988年(昭和63年)4月18日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。中島と表記される場合がある。 青森県三戸郡三戸町で、中嶋武兵の息子として生まれる。小学校4年次に母の実家の所在地・盛岡市に転居した。1940年(昭和15年)岩手県立盛岡工業学校(現岩手県立盛岡工業高等学校)土木科を卒業し、日本鋼管(現JFEスチール・JFEエンジニアリング)に入社し川崎製鉄所で勤務した。 1946年(昭和21年)1月、日本鋼管労働組合の発会式で書記長に選出され、以後、川崎市労働組合協議会議長、鉄鋼産業労働組合連合会副執行委員長、日本鋼管労働組合執行委員長などを務めた。
高橋 清孝(たかはし きよたか、1920年10月8日 - 2… 高橋 清孝(たかはし きよたか、1920年10月8日 - 2013年5月24日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。 岩手県花巻市出身。花巻農学校(現岩手県立花巻農業高等学校)卒。近衛兵となった後、笹間農業協同組合専務理事、同組合長理事となり、1959年から岩手県議会議員を7期務め、自民党岩手県連幹事長、同副会長。1974年に議長に就任し3期務め、1984年に全国都道府県議会議長会会長に就任した。1986年の参院選に岩手県選挙区から立候補して現職の増田盛らを破って当選する。第1次海部内閣で科学技術政務次官を務めた。参議院議員は1期務め、1992年に引退した。同年、秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章。
岩持 静麻(いわもち しずま、1919年(大正8年)2月25… 岩持 静麻(いわもち しずま、1919年(大正8年)2月25日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、日本の政治家。全国農業協同組合中央会(JA全中第六代)会長。岩手県議会議員(5期)。1989年(平成元年)勲二等旭日重光章受賞。旧姓沼倉。 岩手県西磐井郡萩荘村(現・一関市)に生まれる。3歳の時に父を事故で失い、以後、母は女手一つで7人の子供を育てる。1933年(昭和8年)市野々尋常高等小学校卒。1937年(昭和12年)宮城県農学校(現・宮城県農業高等学校)入学。1941年(昭和16年)同校卒業。同年官立盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)入学。1943年(昭和18年)同校卒業。同年農林省(現・農林水産省)に入り、農政局農業保険課に勤務する。
高橋 圭三(たかはし けいぞう、1918年9月9日 - 20… 高橋 圭三(たかはし けいぞう、1918年9月9日 - 2002年4月11日)は、日本のアナウンサー、政治家、参議院議員(1期)。位階は正五位。 呉服店の三男として生まれる。作家の宮沢賢治とは遠縁にあたる。幼い頃は病弱な子供であったという。花城尋常小学校(1931年3月)、組合立花巻中学校(1938年3月)、高千穂高等商業学校を卒業後、富士電機へ就職。 1942年10月、アナウンサー募集の新聞広告に目が止まったのがきっかけでNHKに入局。入社試験面接官・養成所校長は和田信賢(後に『話の泉』の和田の後任を引き受けた)。1944年5月27日、結婚。1948年1月19日、長女・光が誕生。1950年1月から1954年9月まで慶應義塾大学病院で療養。
小川 仁一(おがわ じんいち、1918年2月1日 - 200… 小川 仁一(おがわ じんいち、1918年2月1日 - 2002年11月24日)は、日本の政治家。日本社会党に所属し衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)を歴任。 岩手県和賀郡東和町(現花巻市)生まれ。岩手師範学校(現岩手大学教育学部)卒業。小学校教諭を経て、1959年に岩手県教職員組合委員長。1961年(昭和36年)に中学生の全国一斉学力テストの反対闘争を組織し、地方公務員法違反容疑で逮捕される。ほかに日本教職員組合副委員長、総評副議長、公務員共闘事務局長などを務めた。 1971年の第9回参議院議員通常選挙と1974年の第10回参議院議員通常選挙に岩手県選挙区から日本社会党公認で出馬したが、落選。
中居 英太郎(なかい えいたろう、1917年(大正6年)9月… 中居 英太郎(なかい えいたろう、1917年(大正6年)9月27日 - 2007年(平成19年)1月2日)は、政治家。元日本社会党衆議院議員。岩手県宮古市出身。 1935年、岩手県立盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)卒。早稲田大学に入るが中退する。中退後は帰郷し、家業の(株)中居製材所を継ぎ、社長となる。戦後、日本社会党に入党し、1947年、岩手県議会議員に当選し、2期務める。その後、石川金次郎の後継として1953年の衆議院議員選挙に当時の岩手1区から右派社会党公認で出馬し初当選。2期務めた後に民主社会党に参加し、1970年から1974年、1989年から1993年まで通算2期、地元の宮古市長を務めた。
久慈 義巳(くじ よしみ、1917年(大正6年)2月21日 … 久慈 義巳(くじ よしみ、1917年(大正6年)2月21日 - 1979年(昭和54年)2月16日)は、日本の政治家。岩手県久慈市長、岩手県議会議員(自由民主党所属)。 岩手県久慈市生まれ。1937年麻布獣医専門学校(現在の麻布大学)卒業。同4月農林省獣疫調査所(現在の動物衛生研究所)技手、1948年侍浜町農協組合長および侍浜町漁協組合長、1949年久慈市農業委員を歴任。1951年侍浜村議となり、1954年久慈市議会議員となる。1967年岩手県議会議員に当選する。 岩手県議3期を務めた後、1978年(昭和53年)に久慈市長選に自民党、社会党、公明党、民社党の推薦を得て立候補し、市制施行以来6期連続で市長を務めていた保守系無所属の現職、山内堯文を破り初当選した。
浜川 才治郎(濱川、はまかわ さいじろう、1915年〈大正4… 浜川 才治郎(濱川、はまかわ さいじろう、1915年〈大正4年〉3月29日 - 2006年〈平成18年〉8月30日)は、日本の政治家。釜石市長(3期) 。勲四等旭日小綬章。 岩手県釜石市出身。1931年、私立釜石夜間中学校(現・岩手県立釜石高等学校)卒。卒業後は漁業に従事する。1947年から釜石市議会議員を3期務め、1971年、岩手県議会議員に当選し、1期務める。1975年、釜石市長に当選し、市長を3期務める。1987年に落選した。ほかに全国鮭鱒流網漁業組合連合会常務理事、釜石商工会議所会頭などを務めた。2003年に勲四等旭日小綬章を受章。2006年に死去した。
及川 舜一 (おいかわ しゅんいち、1914年 <大正3年>… 及川 舜一 (おいかわ しゅんいち、1914年 <大正3年> 2月14日 - 1999年 <平成11年> 3月11日) は、日本の地方政治家。岩手県一関市長(3期)。位階は正六位。 岩手県東磐井郡大東町(現・一関市)生まれ。1931年岩手県立工業学校(現・岩手県立盛岡工業高等学校)卒。卒業後は岩手県庁に入る。一関、大船渡、水沢各土木事務所長、一関市建設部長、同助役を経て、1983年一関市長に当選する。 当選後は岩手県市長会監事、一関地方衛生組合管理者、三陸地方地域産業開発促進協議会会長、一関地区土地開発公社理事長、北上川上流改修期成同盟会会長などを歴任した。北上川の改修や一関遊水地事業を進めた。
岩動 道行(いするぎ みちゆき、1913年〈大正2年〉10月… 岩動 道行(いするぎ みちゆき、1913年〈大正2年〉10月15日 - 1987年〈昭和62年〉1月25日)は、日本の政治家、大蔵官僚。自由民主党衆議院議員(1期)・参議院議員(4期)。科学技術庁長官。 元衆議院議長林譲治の女婿。元衆議院議員岸田正記の妻・和子は従姉妹に当たる。 岩手県紫波郡赤石村(現・紫波町)に生まれた。岩動康治の二男。 盛岡中学、旧制府立高校を経て、1939年、京都帝国大学法学部卒業、大蔵省に入省。為替局属。広島税務署長、吉田内閣総理大臣秘書官、主計局主計官(文部・厚生担当)、管財局閉鎖機関課長、管財局特殊清算課長、外務省在英国大使館参事官などを歴任。1960年2月1日、東海財務局長。