綿貫 民輔(わたぬき たみすけ、1927年〈昭和2年〉4月3… 綿貫 民輔(わたぬき たみすけ、1927年〈昭和2年〉4月30日 - )は、日本の実業家、政治家。日本バドミントン協会名誉会長。 衆議院議長(第70代)、建設大臣(第55代)、国土庁長官(第15代)、北海道開発庁長官(第49代)、沖縄開発庁長官(第18代)、郵政政務次官(福田赳夫内閣)、通商産業政務次官(三木内閣)、裁判官弾劾裁判所裁判長、衆議院行政改革に関する特別委員長、同議院運営委員長、同大蔵委員長、同法務委員長、衆議院議員(13期)、富山県議会議員(2期)、国民新党代表(初代)、自由民主党幹事長(第32代)、平成研究会会長(第4代)などを歴任。 富山県東砺波郡井波町(現、南砺市)生まれ。生家は代々井波八幡宮(富山県南砺市井波)の宮司を務めており、綿貫自身も15代目にあたる神職である。
下保 昭(かほ あきら、1927年(昭和2年)3月3日 - … 下保 昭(かほ あきら、1927年(昭和2年)3月3日 - 2018年(平成30年)8月7日)は、昭和から平成時代の日本画家。 1927年(昭和2年)富山県砺波市に生まれる。第1回富山県展(審査員に小坂勝人、櫻井鴻有)で富山市民賞を受賞し安嶋雨晶の紹介で1949年青甲社に入り、西山翠嶂に師事。日展を舞台に活動し特選白寿賞2回及び菊華賞や文部大臣賞などを受賞。1970年には、43歳で日展評議員に選任される。1982年日本芸術大賞、1985年に芸術選奨文部大臣賞。1988年に日展を脱会してからは一貫して山水を主題とする水墨画を追及。1990年京都市文化功労者、第3回MOA岡田茂吉賞、2000年北日本新聞文化賞、2002年京都府文化賞特別功労賞、2004年旭日小綬章。
原 信夫(はら のぶお、本名・塚原 信夫(つかはら のぶお)… 原 信夫(はら のぶお、本名・塚原 信夫(つかはら のぶお)、1926年11月19日 - 2021年6月21日)は、日本のジャズミュージシャン。テナーサックス奏者。富山県富山市出身。 1926年、樺太で誕生。料理人であった実父が、富山県滑川町(現滑川市)で料理旅館兼映画館を営む親類を頼り、移住。間もなく実母が亡くなり、東岩瀬で漁業を営む塚原家の養子になった。岩瀬尋常小学校時代に音楽教師の勧めでコルネットを吹き始め、岩瀬尋常高等小学校を卒業後、富山市の機械工業青年学校のブラスバンド部に入り、テナーサックスに出会った。 1943年、大日本帝國海軍軍楽隊に入団。横浜海兵団に配属され、終戦まで海軍軍楽隊で過ごす。
正橋 正一(まさはし しょういち、1926年(大正15年)8… 正橋 正一(まさはし しょういち、1926年(大正15年)8月9日 - 2006年(平成18年)8月28日)は、昭和から平成初期の地方公務員、政治家。富山県富山市長(4期)。勲三等旭日中綬章。 富山県射水郡大門町(現:射水市)出身。1943年に富山県立高岡商業学校(現:富山県立高岡商業高等学校)を卒業。卒業後は東京立川の立川飛行機に勤務する。 終戦後、故郷に帰り、1945年11月 富山県庁に入る。1951年から地方自治庁に出向する。1972年 富山県庁に戻り、総務部地方課長、知事公室秘書課長、東京事務所長、総務部長、公営企業管理者などを歴任する。1983年 富山市助役となり、1986年、前年12月に死去した富山市長塩谷敏幸の後継者として富山市長選に立候補して当選する。
十二町 仁三(じゅうにちょう じんぞう、大正15年(1926… 十二町 仁三(じゅうにちょう じんぞう、大正15年(1926年)5月7日 – 平成12年(2000年)12月)は、昭和から平成前期時代の日本画家。日本芸術院特待、院展富山支部代表、富山県日本画家連盟委員、富山県展実行委員を歴任。 大正15年(1926年)富山県高岡市に生まれる。富山県立工芸学校(現・富山県立高岡工芸高等学校)を経て、金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)で学ぶ。1952年富山県染織試験場に勤務し、1955年小倉遊亀に師事し日本画を描き始め、1957年には安田靫彦門下の火燿会に入会して画技に励む。1959年、院展に「店」で初入選。以後、院展を中心に制作を続ける。2000年12月没。
山田 直稔(やまだ なおとし、1926年4月16日 - 20… 山田 直稔(やまだ なおとし、1926年4月16日 - 2019年3月9日)は、日本の実業家。 ワイヤーロープの販売を行う浪速商事株式会社の経営を行う傍ら、羽織、袴に金色の帽子、金色の扇子という格好でオリンピックや大相撲を観戦したことから「オリンピックおじさん」としても知られた。 富山県東礪波郡井波町(現南砺市)出身。富山市立工業学校(現在の富山県立富山工業高等学校)を経て、日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)建築学科に進む。 山田は大学生だったときに阿部定事件の犯人だった阿部定と出逢い、『あんたね、男は人生一代だよ!』と激励されたことを生前に語っている。 大学卒業後にワイヤーロープ業界に入り、1960年に浪速商事株式会社を設立する。
澤田 壽朗(さわだ としろう、1926年(大正15年)1月2… 澤田 壽朗(さわだ としろう、1926年(大正15年)1月2日 - 2022年(令和4年)1月28日)は、日本の政治家。富山県滑川市長(4期)。陸将補。 富山県上新川郡西加積村上小泉(現・滑川市上小泉)出身。旧制魚津中学校(現・富山県立魚津高等学校)を経て、1945年陸軍士官学校(第58期)卒。翌年富山県庁に入る。その後、公職追放を経て、富山地方鉄道に勤務し、1951年警察予備隊に入る。1960年アメリカに留学し、米陸軍機甲学校で学ぶ。帰国後第9師団第3部長、第23連隊長、防衛庁陸上幕僚監部教育訓練部総括班長、北部方面査察官、富士学校機甲科部長を歴任する。陸将補に進み、1979年に退官。退官後は帰郷し、富山でOA機器販売会社を創立する。
金岡 幸二(かなおか こうじ、旧姓石坂、1925年(大正14… 金岡 幸二(かなおか こうじ、旧姓石坂、1925年(大正14年)9月20日 - 1993年(平成5年)7月30日)は日本の実業家。教育者。元インテック社長。元チューリップテレビ社長。元学校法人富山国際学園理事長。
林 陸朗(はやし ろくろう、1925年8月12日 - 201… 林 陸朗(はやし ろくろう、1925年8月12日 - 2017年2月17日)は、日本の歴史学者。國學院大學文学部名誉教授。文学博士。専門分野は日本古代史。 富山県富山市出身。1949年に國學院大學文学部史学科を卒業、同年助手。1965年から同専任講師、1966年から助教授、1969年から教授。同大学文学部長、大学院委員長、1991年国学院短期大学長を歴任。1996年定年退職、名誉教授。 1970年国学院大学にて「上代政治社会の研究」で文学博士。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
沖 外夫(おき そとお、1925年(大正14年)8月12日 … 沖 外夫(おき そとお、1925年(大正14年)8月12日 - 1986年(昭和61年)6月28日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 富山県高岡市で生まれた。1945年(昭和20年)興亜工学院を卒業した。 1960年(昭和35年)三協アルミニウム工業(現三協立山)が設立し常務取締役に就任。以後、専務取締役、副社長を経て、1979年(昭和54年)代表取締役社長に就任。その他、日本サッシ協会理事長、日本カーテンウォール工業会会長、富山県経営者協会常任理事、通商産業省産業構造審議会委員、富山県人事委員会委員、三協工機代表取締役社長、アルケン工業代表取締役社長、富山軽金属工業取締役、富山県経済同友会常任幹事などを務めた。
盛永 宗興(もりなが そうこう、1925年8月2日 - 19… 盛永 宗興(もりなが そうこう、1925年8月2日 - 1995年6月12日)は、日本の臨済宗の僧。 大正14年(1925年)、富山県に生まれた。後藤瑞巌について出家し、小田雪窓より印可を受けた。妙心寺・龍安寺の塔頭である大珠院住職を務めた。 昭和61年(1986年)4月から平成6年(1994年)3月まで、花園大学学長。平成7年(1995年)6月12日没。 1925年(大正14年)に富山県魚津市で、姉が三人と弟の五人姉弟の長男として生まれた。家は元来、先祖代々百姓で、祖父の代までは百姓であった。そんななか宗興の父が突然医学の勉強を志して、開業医となった。そのため田畑は全て小作に出すこととなった。
谷 正雄(たに まさお、1924年〈大正13年〉11月16日… 谷 正雄(たに まさお、1924年〈大正13年〉11月16日 - 1999年〈平成11年〉3月6日)は、日本の経営者。北陸電力社長を務めた。富山県魚津市出身。位階は従三位。 1946年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1947年に北陸配電(のちの北陸電力)に入社した。1974年に取締役に就任し、1979年に常務、1981年に副社長を経て、1987年に社長に就任。1993年に会長に就任。 北陸経済連合会会長、ケーブルテレビ富山社長も歴任。 1986年に藍綬褒章を受章し、1998年に勲一等瑞宝章を受章。 1999年3月6日急性肺炎のために死去。74歳没。死没日付をもって従三位に叙された。
河 文雄(かわ ふみお、1924年10月7日 - 1991年… 河 文雄(かわ ふみお、1924年10月7日 - 1991年1月30日)は、富山県高岡市出身の元プロ野球選手。 高岡中学校(現:富山県立高岡高等学校)では「富山球界一の投手」として話題になる。しかし、在籍中は高岡商業や富山商業の前に敗れ、甲子園には縁が無かった。最上級年においては、1941年の甲子園は戦争のために中断となり、富山県では予選すら行われなかった。高岡中時代は、「嘆きのエース」とも呼ばれていた。卒業後、満州に渡り、満鉄倶楽部に所属した。戦後は、母の故郷である北海道に住み小樽野球協会に所属。1948年には、第19回都市対抗野球大会に出場している。この都市対抗野球では、小樽野球協会は初戦となった対西日本鉄道戦で敗れ敗退した。
黒瀬川 進(くろせがわ すすみ、1924年8月28日 - 1… 黒瀬川 進(くろせがわ すすみ、1924年8月28日 - 1977年4月18日)は、谷川部屋、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋に所属した元大相撲力士。本名は平島 進。現在の富山県氷見市出身。174cm、81kg。最高位は西十両5枚目。得意技は右四つ、寄り。 1941年1月場所初土俵、1947年11月場所十両昇進。10場所務めたのち、1954年9月場所限り廃業。
中井 武夫(なかい たけお、1924年6月23日 - 200… 中井 武夫(なかい たけお、1924年6月23日 - 2007年6月22日)は、日本の経営者。日産化学工業社長、会長を務めた。 富山県富山市出身。1947年に東北大学法文学部経済学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。1972年11月に取締役に就任し、1975年7月に日産化学工業常務、1979年7月に専務、1980年7月に副社長を経て、1986年7月には社長に就任。1992年6月に会長、1996年6月に取締役相談役を経て、1997年6月には相談役に就任。 1994年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2007年6月22日急性心不全のために死去。82歳没。
玉生 孝久(たもう たかひさ、1924年3月1日-1998年… 玉生 孝久(たもう たかひさ、1924年3月1日-1998年7月26日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(4期)。 富山県八尾町出身。造り酒屋当主。都立化学工業専門学校応用学科卒。八尾町議を経て、1955年から富山県議を6期務める。富山県議会議長を経て、1976年の総選挙で旧富山1区から立候補して初当選、通算4期務めた(当選同期に愛知和男・鳩山邦夫・中村喜四郎・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正など)。 この間、文部政務次官、国土政務次官及び衆議院内閣委員会委員長等を歴任。 1990年の総選挙に立候補せず、政界から引退する。
津村 謙(つむら けん、1923年12月12日 - 1961… 津村 謙(つむら けん、1923年12月12日 - 1961年11月28日)は、富山県下新川郡入善町出身の歌手。男性。 本名:松原 正(まつばら ただし)。妻は元松竹少女歌劇団の大国阿子。 魚津中学校卒業後、上京し、江口夜詩の門下となる。1943年(昭和18年)、テイチクからデビューしたが、まもなく徴兵される。 1946年(昭和21年)、芸名を津村謙として再デビュー。この芸名は、戦時中に発表されて一世を風靡した映画『愛染かつら』の主人公・津村浩三の「津村」と、それを演じた俳優・上原謙の「謙」を取ったものである。 しばらくヒットに恵まれなかったが、1951年(昭和26年)に、「上海帰りのリル」(作詞:東条寿三郎、作曲:渡久地政信)が大ヒット(島耕二監督によって1952年に映画化/後に根津甚八がカバーする)。
岩河 三郎(いわかわ さぶろう、1923年9月9日 - 20… 岩河 三郎(いわかわ さぶろう、1923年9月9日 - 2013年9月16日)は、日本の作曲家。 富山県富山市生まれ。1947年、東京音楽学校(現:東京藝術大学)声楽科卒業。後に作曲家となり平井康三郎、池内友次郎に師事。日本童謡協会理事、山口大学教授を歴任。日本作曲家協議会会員。 合唱作品の作曲家として知られている一方、NHKでも放送・レコード関係の作曲・編曲などを手がけた。吹奏楽作品も全日本吹奏楽コンクール用に多く作曲し、作曲家グループ「ニュー・エイトの会」の一員で、意欲的に吹奏楽曲の作曲を行った。また、作曲のみならず作詞も数作手がけている。 次女は岩河智子(いわかわともこ、作曲家、札幌室内歌劇場音楽監督)墓は富山市の長岡墓地。
伊藤 秀雄(いとう ひでお、1922年〈大正11年〉6月10… 伊藤 秀雄(いとう ひでお、1922年〈大正11年〉6月10日 - 2002年〈平成14年〉)は、日本の柔道家(講道館9段)、法務教官。旧姓大久保。 1922年、富山県富山市の富豪農家であった大久保家に生まれる。旧制神通中学校(現・県立富山中部高校)に入学すると、柔道か剣道が必須科目となっており、付き添いで来ていた父親が柔道の選択を即決したのが斯の道との出会いになった。身長173cm・体重72kgという大柄な体格に加え、2年生の時に寒稽古の納会試合で14人抜き達成したのが同校の柔道教師であった三鍋義三6段の目に付き、勧誘されて本格的に柔道を始めた。記録上の講道館入門は1938年10月4日付で、翌10月5日には初段を拝受。
大石 修平(おおいし しゅうへい、1922年3月26日 - … 大石 修平(おおいし しゅうへい、1922年3月26日 - 1991年5月25日)は、日本の近代文学研究者。元東京都立大学人文学部教授。 富山県氷見郡氷見町(現氷見市)出身。父は農政家で氷見農業学校校長、衆議院議員の大石斎治。富山県立氷見中学校 (現・富山県立氷見高等学校)、富山高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部国文科に進学するが、文系学生に対する徴兵免除停止に伴い、1943年に繰上卒業して軍務に服する。 出征から帰還後、1947年に富山県立富山師範学校助教授となる。同年度に附属中学校国語担当講師も務めた。1949年東京都立高校(東京都立大学附属高等学校)教諭。高岡市在住の和田侃が自らの戦中戦後の体験から、作文をとおして「自分で見て自分でものを考えることができる人間に」育てるために発行した『中学作文』に、指針となる著作を多数寄稿。
江幡 修三(えばた しゅうぞう、1921年1月11日 - 2… 江幡 修三(えばた しゅうぞう、1921年1月11日 - 2009年6月3日)は、日本の法曹。検事総長。弁護士。 富山県魚津市出身。旧制富山高等学校を経て、1943年東京帝国大学法学部卒。東京地検総務部長、札幌地検検事正、東京高検検事長などを歴任し、1983年12月から2年間、検事総長。 財田川事件、松山事件の再審無罪判決に対し、控訴見送りを指示した。1976年のロッキード事件では最高検検事として捜査。1979年のダグラス・グラマン事件では、東京地検検事正として捜査を指揮した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
住 栄作(住 榮作、すみ えいさく、1920年5月20日 -… 住 栄作(住 榮作、すみ えいさく、1920年5月20日 - 1986年12月20日)は、日本の内務官僚、海軍軍人(海軍主計大尉)、政治家(衆議院議員)。 法務大臣・建設政務次官・労働省職業安定局長などの要職を歴任し、富山職業訓練短期大学校・富山医科薬科大学の開設を推進した。自由民主党所属。住博司は実子。富山県魚津市出身。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章。 富山県の農家に生まれた。9人兄弟であったという。旧制魚津中学校から旧制富山高校に進学。魚津中在学中は陸上競技部に所属し5000mで活躍し、富山高校在学中は剣道部で活躍した。1940年、東京帝国大学法学部に入学。在学中に高等文官試験合格。1943年卒業。
篠原 三代平(しのはら みよへい、1919年10月26日 -… 篠原 三代平(しのはら みよへい、1919年10月26日 - 2012年12月7日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。専門は経済理論。位階は従三位。勲二等瑞宝章受章、紫綬褒章受章、文化功労者、文化勲章受章、日本学士院賞受賞。 富山県高岡市末広町に雑貨商の家に長男として生まれた。父は雑貨店篠原商店を経営し、母は明治の女性としては珍しく女学校を銀時計を受領し卒業し、篠原商店の経営を助けた。 高岡商業学校卒業後は高岡高等商業学校に進学した。大熊信行の講義を、大熊の著書『マルクスのロビンソン物語』や『経済本質論』を読み返しながら、熱心に聴講したが、卒業論文「経済構造と金融:理論経済学と金融理論」の指導教官は長尾義三(金融論・景気論・銀行論)であった。
新村 源雄(しんむら げんゆう、1919年10月21日 - … 新村 源雄(しんむら げんゆう、1919年10月21日 - 1995年3月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。上士幌町名誉町民。 富山県婦負郡杉原村(のちの八尾町、現富山市)出身。杉原尋常高等小学校卒業。 1933年北海道河東郡上士幌町に移住し開拓に従事。戦後農民運動のリーダーとなり、上士幌町議会議員を2期、十勝農業協同組合監事を歴任した。1954年から1972年まで上士幌町農協組合長を務め、その間1967年から北海道議会議員を3期務めた。 1979年の第35回衆議院議員総選挙で、美濃政市の後継者として北海道5区から日本社会党公認で立候補し初当選。翌年の第36回衆議院議員総選挙では落選したものの、1983年の第37回衆議院議員総選挙返り咲いた。
奥田 靖雄(おくだ やすお、1919年10月19日 - 20… 奥田 靖雄(おくだ やすお、1919年10月19日 - 2002年3月22日)は、日本の言語学者、国語教育の理論家・指導者。 本名は布村政雄。富山県富山市出身。日露協会立専門学校ハルピン学院を卒業、建国大学研究院助手。戦前は民族学を専攻したが、戦後、言語学に転じ、言語学研究会および教育科学研究会・国語部会を指導。宮城教育大学教授を経て、同大学名誉教授。学位は文学博士(大阪大学・1993年)。 1919年10月19日、富山県富山市愛宕町に生まれる。。1932年に富山県立富山中学校(現・富山県立富山高等学校)に入学。1933年に両親が死去。兄・布村一男を頼って満州国に渡り、新京商業学校を経て、日露協会立専門学校ハルピン学院入学。
沢木 欣一(さわき きんいち、1919年〈大正8年〉10月6… 沢木 欣一(さわき きんいち、1919年〈大正8年〉10月6日 - 2001年〈平成13年〉11月5日 )は、富山県出身の俳人。「風」を主宰、戦後の社会性俳句を主唱した。妻は俳人の細見綾子。 富山市生まれ。父が朝鮮で教職にあったため、幼少から中学卒業までを朝鮮で過ごす。金沢の旧制第四高校に入学した1939年より俳句をはじめ、「馬酔木」「寒雷」などに投句、加藤楸邨、中村草田男に師事。1942年、東京帝国大学国文科入学。1943年、召集を受け旧満州の牡丹江の部隊に配属。遺稿になるかもしれないと考え、句集の草稿を後に妻となる細見綾子に託す。1944年、綾子の尽力で第一句集『雪白』出版。9月に東大卒業。
大浦 猛(おおうら たけし、1919年8月9日 - 2001… 大浦 猛(おおうら たけし、1919年8月9日 - 2001年12月15日)は、日本の教育哲学者。元山梨県立女子短期大学学長。 富山県滑川市出身。東京文理科大学教育学科卒。1945年青森青年師範学校講師、46年助教授、47年教授、1949年東京高等師範学校助教授、1952年東京教育大学助教授、66年教授、1962年「ジョン・デューイにおける初期教育思想の形成 実験主義教育思想の成立過程」で東京教育大学文学博士。1974年埼玉大学教育学部教授、84年定年退官、創価大学教授ののち、山梨県立女子短期大学長を歴任。専門は、教育哲学、デューイ研究。 東京教育大学在職中、筑波移転に反対し、その意思を表明する意味で埼玉大学に移籍した。
星 晃(ほし あきら、1918年〈大正7年〉12月13日 -… 星 晃(ほし あきら、1918年〈大正7年〉12月13日 - 2012年〈平成24年〉12月8日)は、日本の鉄道車両技術者である。元日本国有鉄道(国鉄)副技師長、元川崎重工業常務取締役車両事業本部長。富山県富山市出身。 1950年代から1960年代にかけての国鉄最盛期に、旅客車両(電車・客車)の開発に携わり、革新的な新型車両群を産み出した国鉄技術者の一人として知られる。当時の車両設計技術やデザイン、接客設備など多方面の質的向上に、大きな役割を果たした。 また鉄道趣味界にも深く携わり、この方面でも同業の後継人物にとって貴重な資料・文献とされる多くの著述がある。 1942年9月東京帝国大学第一工学部機械工学科を卒業し、鉄道省入り。
堀田 善衛(ほった よしえ、1918年〈大正7年〉7月7日 … 堀田 善衛(ほった よしえ、1918年〈大正7年〉7月7日 - 1998年〈平成10年〉9月5日)は、日本の小説家、評論家。
角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月… 角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月9日 - 1975年(昭和50年)10月27日)は、日本の実業家、国文学者、俳人。KADOKAWAグループ創業者。俳号は源義(げんぎ)、水羊(すいよう)。 辺見じゅん(作家、幻戯書房代表)、角川春樹(俳人、角川春樹事務所会長兼社長)、角川歴彦(角川文化振興財団名誉会長、元KADOKAWA会長)の父。 富山県中新川郡東水橋町(現富山市)に父・源三郎、母・ヤイの三男として生まれた。父・源三郎は源義誕生時は鮮魚を商っていたが、後に米穀商に転じ成功している。 1930年(昭和5年)、富山県立神通中学校(現在の富山県立富山中部高等学校)に入学した。
冨士 信夫(ふじ のぶお、1917年(大正6年)8月 - 2… 冨士 信夫(ふじ のぶお、1917年(大正6年)8月 - 2005年(平成17年)1月24日)は、日本の歴史家、海軍軍人。東京裁判(極東国際軍事裁判)研究家。 富山県生まれ。府立八中(現東京都立小山台高等学校)を経て、1938年海軍兵学校(第65期)卒業。戦艦「金剛」、重巡洋艦「熊野」、「利根」乗組。1939年海軍練習航空隊飛行学生。航空母艦「飛龍」乗組を経て、1941年霞ヶ浦海軍航空隊司令承命服務。1944年海軍少佐。1945年台湾第29航空戦隊(新竹)参謀、1946年第2復員省臨時調査部勤務。以後、法廷係として極東国際軍事裁判(東京裁判)のほとんどを傍聴。この間、「海軍少佐」の経歴のため公職追放となる。
松本 正雄(まつもと まさお、1917年(大正6年)6月1日… 松本 正雄(まつもと まさお、1917年(大正6年)6月1日 - 1986年(昭和61年)10月20日)は、日本の建築家・土木技術者、政治家。郷里である富山県小矢部市の市長を4期14年務めた。市長としては「メルヘン建築」の建設で知られる。 1917年(大正6年)、富山県西礪波郡東蟹谷村平桜(現在の小矢部市平桜)に生まれる。砺波中学校(現在の富山県立砺波高等学校)、第四高等学校を経て、東京帝国大学に進む。 東京帝国大学工学部土木工学科を卒業後、内務省に入省。重要河川の改修工事に携わる。建設省北陸地方建設局長在任中の1969年(昭和44年)には、集中豪雨による富山大橋の橋桁沈下に対応した。同年、建設省を退官。
國枝 忠雄(くにえだ ただお、1917年3月25日 - 20… 國枝 忠雄(くにえだ ただお、1917年3月25日 - 2015年1月10日)は、日本の実業家。中部日本放送社長を務めた。富山県富山市出身。 高岡高等商業学校を経て、1944年に九州帝国大学社会学科卒業。同年に日本放送協会に入社した。しかし、1950年に公職追放を受けたことにより解雇され、1952年に小嶋源作の紹介により、中部日本放送に入社した。 東京支社長、取締役、常務、専務を経て、1975年12月に社長に就任した。1987年6月から副会長に就任し、1989年6月から相談役に就任した。 1980年に藍綬褒章を受章し、1987年に勲二等瑞宝章を受章した。また、1979年にイタリア政府から「共和国有功勲章コンメダトーレ章」を受章し、1982年にオーストリア大使館からオーストリア大栄誉金章を受章し、1985年にフランス政府から国家功労章を受章した。
宮 英子(みや ひでこ、1917年2月23日-2015年6月… 宮 英子(みや ひでこ、1917年2月23日-2015年6月26日)は、日本の歌人。夫は宮柊二。別名・滝口英子(1953年 - 1986年)。 富山県富山市出身。旧姓・瀧口。実家は代々医家であった。美術評論家・詩人の瀧口修造の従妹にあたる。 東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)卒。尾上柴舟に学ぶ。1937年(昭和12年)、歌誌「多磨」に入会し、北原白秋に師事。同門の宮柊二と結婚し、1953年に「コスモス」創刊に参加。1970年、第一歌集『婦負野』で第16回日本歌人クラブ推薦歌集(現・日本歌人クラブ賞)受賞。1986年の柊二没後、後を継いで「コスモス」発行人となった。2005年『西域更紗』で第20回詩歌文学館賞受賞。
勝守 すみ(かつもり すみ、1916年4月16日 - 198… 勝守 すみ(かつもり すみ、1916年4月16日 - 1982年3月17日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 富山県富山市生まれ。富山県立富山高等女学校を経て、1937年に奈良女子高等師範学校文科を卒業し、金蘭会高等女学校教諭。1938年に富山市立富山高等女学校教諭となる。1940年東京文理科大学入学。国史学を専攻し、同期に津田秀夫らがいる。1942年に卒業。1943年、群馬師範学校助教授を経て、1946年同校教授。1951年に群馬大学学芸学部講師となり、1953年助教授、1972年に同大学教育学部教授。 勤務地である群馬県の地域史研究に務め、関東長尾氏や太田道灌の研究を進めた。
井黒 四郎(いぐろ しろう、1916年(大正5年) – 19… 井黒 四郎(いぐろ しろう、1916年(大正5年) – 1985年(昭和60年)4月24日)は、日本の洋画家。元一水会、一陽会会員。 現在の富山県滑川市に生まれる。1936年(昭和11年)第13回白日展で入選。1940年(昭和15年)第10回独立展で入選、同年佐藤洋らと北越美術協会設立。1948年(昭和23年)に棟方志功、佐藤洋、手塚義三郎らと北潮会結成。1949年(昭和24年)在野系の作家集団として佐藤洋、前田常作、玉井忠一らと一軌会結成。1967年(昭和42年)2月、富山青木画廊で「郷土作家二人展シリーズ(2)井黒四郎・大島修三展」を開催した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
中田 幸吉(なかだ こうきち、1915年〈大正4年〉12月7… 中田 幸吉(なかだ こうきち、1915年〈大正4年〉12月7日 - 1980年〈昭和55年〉9月18日)は、日本の農林技官、政治家。富山県知事(3期)。位階は正四位。勲二等瑞宝章綬章。 富山県富山市出身。薬種商・15代中田清兵衛の五男として生まれる。富山高等学校を経て、1940年(昭和15年)、東京帝国大学農学部林学科を卒業。農林省に入り山林局に勤務。 1952年(昭和27年)、沼田営林署長に就任。長野県林産課長、同林業課長、同林務部長を歴任。1963年(昭和38年)、林野庁林道課長となる。1966年(昭和41年)、富山県に派遣され農地林務部長を務める。 1969年(昭和44年)12月、吉田実の衆院選出馬による辞職に伴い行われた県知事選に自民党の公認を受けて富山県知事選に出馬。
楠 恭(くすのき きょう、1915年11月17日 - 200… 楠 恭(くすのき きょう、1915年11月17日 - 2000年4月8日)は、浄土真宗の僧、仏教研究者。 富山県小矢部市出身。1942年大谷大学宗教学科卒。寺僧を務めながら妙好人について研究。東京本願寺学院教授。1999年仏教伝道文化賞受賞。
相山 武夫(あいやま たけお、1915年3月7日 - 200… 相山 武夫(あいやま たけお、1915年3月7日 - 2000年3月6日)は富山県出身の実業家、ゴルフ場の設計者。 富山県中新川郡水橋町(現富山市水橋町)で海産物商の8男として生まれた。富山県立滑川商業学校(現富山県立滑川高等学校)を経て、1939年東洋音楽専門学校(現東京音楽大学)卒業。 全国石油加工連合会、海軍燃料廠勤務を経て、1946年に石油製品の2次製品である潤滑油のメーカー、日興産業株式会社を設立。 1953年、日興産業の潤滑油工場施設の近隣にあった18ホールの河川敷ゴルフ場「六郷ゴルフ倶楽部」(現ゴルフ練習場)の経営を目的として、株式会社六郷ゴルフ倶楽部を設立、代表取締役就任を契機に、石油ビジネス以外に、ゴルフ場設計者、事業家としての道をも歩む。
若狭 得治(わかさ とくじ、1914年〈大正3年〉11月19… 若狭 得治(わかさ とくじ、1914年〈大正3年〉11月19日 - 2005年〈平成17年〉12月27日)は、日本の運輸官僚、実業家。運輸事務次官、全日本空輸社長・会長・名誉会長を歴任した。親族に若狭和朋(甥)がいる。 富山県出身。富山県立砺波中学校、旧制富山高校を経て、東京帝国大学に入学した。 1937年(昭和12年)9月、東京帝大法学部政治学科在学中に高等試験行政科に3500人中の32番目で合格した。官庁訪問に際し、若狭は同郷で内務省地方局に所属していた片岡清一に尋ねていた。片岡は若狭に対し、「内務省は、警保局(警察行政全般を指揮していた警察庁の前身)の連中が日ごとに軍人気取りで威張り出してきた。
藤元 政信(ふじもと まさのぶ、1914年(大正3年)9月2… 藤元 政信(ふじもと まさのぶ、1914年(大正3年)9月20日 - 1998年(平成10年)8月5日)は、昭和期の労働運動家、政治家。東京都武蔵野市の第3代市長。 富山県東礪波郡利賀村栗当(現南砺市)に生まれた。1931年(昭和6年)家出して上京し、政治家の書生を希望したが果たせず、洋服問屋に勤めた。1938年(昭和13年)中島飛行機へ入社し武蔵製作所に勤務、武蔵野町民となる。1945年(昭和20年)早稲田高等工学校機械工学科を卒業。1951年(昭和26年)富士重工業(現SUBARU)の労働組合執行委員長に就任する。1954年(昭和29年)日本社会党武蔵野支部書記長となる。 1955年(昭和30年)4月に社会党公認で武蔵野市議会議員に立候補、1963年(昭和38年)10月まで3期務める(3期目は6ヶ月間)。
高平 公友(たかひら きみとも、1914年7月18日 - 2… 高平 公友(たかひら きみとも、1914年7月18日 - 2000年2月10日)は、日本の政治家。参議院議員(2期、自由民主党)。 富山県出身。滑川商卒。立山町議を1期、富山県議を5期、同議長も務める。1975年、町議や県議として公共の福祉に奉仕して地方自治の発展に貢献したとして藍綬褒章受章。1977年の第11回参議院議員通常選挙に富山県選挙区から自民党公認で立候補して初当選し、2期務める。自民党参議院国会対策副委員長、鈴木善幸内閣科学技術政務次官、内閣委員長などを歴任した。1989年に引退。1990年秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章。 2000年2月10日、胃癌のため富山県富山市の流杉病院で死去、85歳。
沼田 稲次郎(ぬまた いねじろう、1914年5月25日 - … 沼田 稲次郎(ぬまた いねじろう、1914年5月25日 - 1997年5月16日)は、日本の法学者。専門は労働法。学位は、法学博士(立命館大学・論文博士・1952年)(学位論文「労働法原理の論理的構造」)。東京都立大学名誉教授。同大学第5代総長。 1914年、富山県高岡市出身。1938年、京都帝国大学法学部法律学科卒業。 大学院生の際に徴兵を受け、復員後の1946年に夕刊京都新聞社へ入社。同社では論説委員や労組委員長を歴任したが、1950年のレッドパージで退社を余儀なくされた。 1951年、東京学芸大学教授に就任し、翌1952年には(旧)東京都立大学へ移る。1952年、「労働法原理の論理的構造」で立命館大学より法学博士の学位を取得。
林 宏(はやし ひろし、1914年 - )は、日本の民俗学者… 林 宏(はやし ひろし、1914年 - )は、日本の民俗学者・地理学者。奈良教育大学元教授。
小林 與三次(こばやし よそじ、新字体:小林 与三次、191… 小林 與三次(こばやし よそじ、新字体:小林 与三次、1913年〈大正2年〉7月23日 - 1999年〈平成11年〉12月30日)は、日本の内務・自治官僚、実業家。自治省の設立に尽力したのちに下野。読売グループの要職を歴任した。正力松太郎は岳父。 正力家の土建資材を運ぶイカダ舟の船頭・小林助次郎の三男として、富山県大門町(現・射水市)に生まれる。 高岡中学校、第四高等学校を経て、1935年に東京帝国大学法学部独法科を卒業、東大在学中に、高等文官試験の司法科と行政科の両方に合格し、内務省に入省。後藤田正晴によれば、入省時の成績は抜群であったという。入省同期に参議院議員の原文兵衛、陸上幕僚長の山田正雄らがいる。
堀 豊次(ほり とよじ、1913年 - 2007年)は、富山… 堀 豊次(ほり とよじ、1913年 - 2007年)は、富山県井波町(現:南砺市)出身の川柳家。 詩集「天馬 (1), (2),(3), (4) , (5), (6), (7), (8) , (10 ), (11), (12)」 国立国会図書館所蔵 天馬発行所1956- この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
稲垣 史生(いながき しせい、1912年5月12日 - 19… 稲垣 史生(いながき しせい、1912年5月12日 - 1996年2月27日)は、日本の時代考証家・歴史小説家。稲垣一城(いながき かずき)の筆名も持つ。本名・稲垣秀忠(ひでただ)。 多くの映画やテレビドラマの時代考証を手掛けた江戸時代考証の第一人者。江戸趣味の好事家や時代小説好きにはよく知られた存在であった。司馬遼太郎は、稲垣の著書「時代考証事典」の帯に「唯一の先達の仕事」との推薦文を寄せるなど、江戸時代考証において自分よりも優れた知識を持つ稲垣には敬意を表していた。 富山県砺波市出身。早稲田大学文学部国文科を卒業。戦前は都新聞社会部記者、海軍省嘱託の報道班員、戦後にサンニュース・フォトス記者、歴史文学研究会事務局長、雑誌編集長などを経て、文筆業に入る。
源氏 鶏太(げんじ けいた、1912年〈明治45年〉4月19… 源氏 鶏太(げんじ けいた、1912年〈明治45年〉4月19日 - 1985年〈昭和60年〉9月12日)は、日本の小説家。富山市出身。旧制富山商業学校(現・富山県立富山商業高等学校)卒。本名、田中富雄。 住友合資会社勤務の傍ら小説を書き始め、『英語屋さん』ほか2編で直木賞受賞。『三等重役』『停年退職』『天上大風』など、長いサラリーマン生活からの体験に基づいたユーモア小説で人気を博した。戦後の昭和を代表するベストセラー作家の一人である。映画化された作品も多い。晩年は幽霊物を多く書いた。 ペンネームの由来は「平家より源氏が好きなこと」と「『鶏』という字が好きで、『鶏太』とすると、昔の武士の名前のようになる」という理由。
野村 尚吾(のむら しょうご、1912年1月2日 - 197… 野村 尚吾(のむら しょうご、1912年1月2日 - 1975年5月15日)は、日本の編集者、作家、評論家。本名・利尚。 富山県富山市生まれ。早稲田大学英文科卒業。在学中から『早稲田文学』の編集に携わる。早稲田大学卒業後、毎日新聞社出版部に勤務。1940年、『嫩葉の木立』を刊行して作家デビュー。以後、『早稲田文学』を中心に作品を発表。戦後、谷崎潤一郎の担当となり、1949年、毎日新聞への「少将滋幹の母」連載、1962年、「サンデー毎日」連載の「台所太平記」を担当する。1950年、「遠き岬」で、1960年、「花やあらむ」で芥川賞候補、1962年、『乱世詩人伝』で直木賞候補、1963年、『戦雲の座』で直木賞候補、小説新潮賞受賞。
瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2… 瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2007年9月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。