木間 章(きま あきら、1930年7月27日 - 2015年… 木間 章(きま あきら、1930年7月27日 - 2015年11月20日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。 富山県高岡市出身。1948年、旧制高岡中卒。同年、高岡市役所に入る。1967年から高岡市議を2期務めた。1979年の総選挙で旧富山2区から立候補して初当選、5期務めた。社会党県本部書記長に就任。1993年の総選挙で落選し、政界を引退した。 2015年11月20日、肺炎のため死去。85歳没。旭日中綬章追贈、叙従四位。
もっと読む
久世 公堯(くぜ きみたか、1928年8月15日 - )は、… 久世 公堯(くぜ きみたか、1928年8月15日 - )は、日本の自治官僚、政治家。
もっと読む
中沖 豊(なかおき ゆたか、1927年9月16日 - 201… 中沖 豊(なかおき ゆたか、1927年9月16日 - 2018年6月24日)は、日本の政治家。富山県知事(6期)。 富山県富山市出身。旧制富山高等学校を経て、1950年東京大学法学部卒業後、地方自治庁(後の自治省、現在の総務省)に入庁。富山県総務部長、同県教育長、消防大学校校長、消防庁防災救急課長、石川県経済部長、北陸新幹線建設促進同盟会長を歴任。 1980年、当時の知事中田幸吉急死により行われた富山県知事選に立候補し初当選。以後、「健康・スポーツ」「花と緑」「科学・文化」の「三つの日本一」への挑戦を掲げた住みよい県作り等を推進。「いい人いい味いきいき富山」観光キャンペーンを展開したほか、富山空港のジェット化、北陸新幹線や北陸自動車道など交通インフラの整備、高志リハビリテーション病院(現・富山県リハビリテーション病院・こども支援センター)の開院、ジャパンエキスポ富山や2000年とやま国体の誘致、テレビユー富山(現・チューリップテレビ)の開局にも力を注いだ。
もっと読む
安田 修三(やすだ しゅうぞう、1927年5月21日 - 1… 安田 修三(やすだ しゅうぞう、1927年5月21日 - 1994年2月2日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。 富山県富山市出身。中央大学法学部卒。1948年富山重工労組書記長、1951年富山県労協オルグ、1961年富山県労協組織部長、1966年全国一般富山地本委員長、翌年全国一般中執、1972年同副委員長を経て、1979年の総選挙で旧富山1区から立候補して初当選、4期務めた。1993年の総選挙で落選し、政界から引退する。 1994年2月2日。死去。66歳没。同月18日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従四位勲二等に叙され、瑞宝章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
綿貫 民輔(わたぬき たみすけ、1927年〈昭和2年〉4月3… 綿貫 民輔(わたぬき たみすけ、1927年〈昭和2年〉4月30日 - )は、日本の実業家、政治家。日本バドミントン協会名誉会長。 衆議院議長(第70代)、建設大臣(第55代)、国土庁長官(第15代)、北海道開発庁長官(第49代)、沖縄開発庁長官(第18代)、郵政政務次官(福田赳夫内閣)、通商産業政務次官(三木内閣)、裁判官弾劾裁判所裁判長、衆議院行政改革に関する特別委員長、同議院運営委員長、同大蔵委員長、同法務委員長、衆議院議員(13期)、富山県議会議員(2期)、国民新党代表(初代)、自由民主党幹事長(第32代)、平成研究会会長(第4代)などを歴任。 富山県東砺波郡井波町(現、南砺市)生まれ。生家は代々井波八幡宮(富山県南砺市井波)の宮司を務めており、綿貫自身も15代目にあたる神職である。
もっと読む
正橋 正一(まさはし しょういち、1926年(大正15年)8… 正橋 正一(まさはし しょういち、1926年(大正15年)8月9日 - 2006年(平成18年)8月28日)は、昭和から平成初期の地方公務員、政治家。富山県富山市長(4期)。勲三等旭日中綬章。 富山県射水郡大門町(現:射水市)出身。1943年に富山県立高岡商業学校(現:富山県立高岡商業高等学校)を卒業。卒業後は東京立川の立川飛行機に勤務する。 終戦後、故郷に帰り、1945年11月 富山県庁に入る。1951年から地方自治庁に出向する。1972年 富山県庁に戻り、総務部地方課長、知事公室秘書課長、東京事務所長、総務部長、公営企業管理者などを歴任する。1983年 富山市助役となり、1986年、前年12月に死去した富山市長塩谷敏幸の後継者として富山市長選に立候補して当選する。
もっと読む
澤田 壽朗(さわだ としろう、1926年(大正15年)1月2… 澤田 壽朗(さわだ としろう、1926年(大正15年)1月2日 - 2022年(令和4年)1月28日)は、日本の政治家。富山県滑川市長(4期)。陸将補。 富山県上新川郡西加積村上小泉(現・滑川市上小泉)出身。旧制魚津中学校(現・富山県立魚津高等学校)を経て、1945年陸軍士官学校(第58期)卒。翌年富山県庁に入る。その後、公職追放を経て、富山地方鉄道に勤務し、1951年警察予備隊に入る。1960年アメリカに留学し、米陸軍機甲学校で学ぶ。帰国後第9師団第3部長、第23連隊長、防衛庁陸上幕僚監部教育訓練部総括班長、北部方面査察官、富士学校機甲科部長を歴任する。陸将補に進み、1979年に退官。退官後は帰郷し、富山でOA機器販売会社を創立する。
もっと読む
沖 外夫(おき そとお、1925年(大正14年)8月12日 … 沖 外夫(おき そとお、1925年(大正14年)8月12日 - 1986年(昭和61年)6月28日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 富山県高岡市で生まれた。1945年(昭和20年)興亜工学院を卒業した。 1960年(昭和35年)三協アルミニウム工業(現三協立山)が設立し常務取締役に就任。以後、専務取締役、副社長を経て、1979年(昭和54年)代表取締役社長に就任。その他、日本サッシ協会理事長、日本カーテンウォール工業会会長、富山県経営者協会常任理事、通商産業省産業構造審議会委員、富山県人事委員会委員、三協工機代表取締役社長、アルケン工業代表取締役社長、富山軽金属工業取締役、富山県経済同友会常任幹事などを務めた。
もっと読む
玉生 孝久(たもう たかひさ、1924年3月1日-1998年… 玉生 孝久(たもう たかひさ、1924年3月1日-1998年7月26日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(4期)。 富山県八尾町出身。造り酒屋当主。都立化学工業専門学校応用学科卒。八尾町議を経て、1955年から富山県議を6期務める。富山県議会議長を経て、1976年の総選挙で旧富山1区から立候補して初当選、通算4期務めた(当選同期に愛知和男・鳩山邦夫・中村喜四郎・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正など)。 この間、文部政務次官、国土政務次官及び衆議院内閣委員会委員長等を歴任。 1990年の総選挙に立候補せず、政界から引退する。
もっと読む
住 栄作(住 榮作、すみ えいさく、1920年5月20日 -… 住 栄作(住 榮作、すみ えいさく、1920年5月20日 - 1986年12月20日)は、日本の内務官僚、海軍軍人(海軍主計大尉)、政治家(衆議院議員)。 法務大臣・建設政務次官・労働省職業安定局長などの要職を歴任し、富山職業訓練短期大学校・富山医科薬科大学の開設を推進した。自由民主党所属。住博司は実子。富山県魚津市出身。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章。 富山県の農家に生まれた。9人兄弟であったという。旧制魚津中学校から旧制富山高校に進学。魚津中在学中は陸上競技部に所属し5000mで活躍し、富山高校在学中は剣道部で活躍した。1940年、東京帝国大学法学部に入学。在学中に高等文官試験合格。1943年卒業。
もっと読む
新村 源雄(しんむら げんゆう、1919年10月21日 - … 新村 源雄(しんむら げんゆう、1919年10月21日 - 1995年3月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。上士幌町名誉町民。 富山県婦負郡杉原村(のちの八尾町、現富山市)出身。杉原尋常高等小学校卒業。 1933年北海道河東郡上士幌町に移住し開拓に従事。戦後農民運動のリーダーとなり、上士幌町議会議員を2期、十勝農業協同組合監事を歴任した。1954年から1972年まで上士幌町農協組合長を務め、その間1967年から北海道議会議員を3期務めた。 1979年の第35回衆議院議員総選挙で、美濃政市の後継者として北海道5区から日本社会党公認で立候補し初当選。翌年の第36回衆議院議員総選挙では落選したものの、1983年の第37回衆議院議員総選挙返り咲いた。
もっと読む
松本 正雄(まつもと まさお、1917年(大正6年)6月1日… 松本 正雄(まつもと まさお、1917年(大正6年)6月1日 - 1986年(昭和61年)10月20日)は、日本の建築家・土木技術者、政治家。郷里である富山県小矢部市の市長を4期14年務めた。市長としては「メルヘン建築」の建設で知られる。 1917年(大正6年)、富山県西礪波郡東蟹谷村平桜(現在の小矢部市平桜)に生まれる。砺波中学校(現在の富山県立砺波高等学校)、第四高等学校を経て、東京帝国大学に進む。 東京帝国大学工学部土木工学科を卒業後、内務省に入省。重要河川の改修工事に携わる。建設省北陸地方建設局長在任中の1969年(昭和44年)には、集中豪雨による富山大橋の橋桁沈下に対応した。同年、建設省を退官。
もっと読む
中田 幸吉(なかだ こうきち、1915年〈大正4年〉12月7… 中田 幸吉(なかだ こうきち、1915年〈大正4年〉12月7日 - 1980年〈昭和55年〉9月18日)は、日本の農林技官、政治家。富山県知事(3期)。位階は正四位。勲二等瑞宝章綬章。 富山県富山市出身。薬種商・15代中田清兵衛の五男として生まれる。富山高等学校を経て、1940年(昭和15年)、東京帝国大学農学部林学科を卒業。農林省に入り山林局に勤務。 1952年(昭和27年)、沼田営林署長に就任。長野県林産課長、同林業課長、同林務部長を歴任。1963年(昭和38年)、林野庁林道課長となる。1966年(昭和41年)、富山県に派遣され農地林務部長を務める。 1969年(昭和44年)12月、吉田実の衆院選出馬による辞職に伴い行われた県知事選に自民党の公認を受けて富山県知事選に出馬。
もっと読む
藤元 政信(ふじもと まさのぶ、1914年(大正3年)9月2… 藤元 政信(ふじもと まさのぶ、1914年(大正3年)9月20日 - 1998年(平成10年)8月5日)は、昭和期の労働運動家、政治家。東京都武蔵野市の第3代市長。 富山県東礪波郡利賀村栗当(現南砺市)に生まれた。1931年(昭和6年)家出して上京し、政治家の書生を希望したが果たせず、洋服問屋に勤めた。1938年(昭和13年)中島飛行機へ入社し武蔵製作所に勤務、武蔵野町民となる。1945年(昭和20年)早稲田高等工学校機械工学科を卒業。1951年(昭和26年)富士重工業(現SUBARU)の労働組合執行委員長に就任する。1954年(昭和29年)日本社会党武蔵野支部書記長となる。 1955年(昭和30年)4月に社会党公認で武蔵野市議会議員に立候補、1963年(昭和38年)10月まで3期務める(3期目は6ヶ月間)。
もっと読む
高平 公友(たかひら きみとも、1914年7月18日 - 2… 高平 公友(たかひら きみとも、1914年7月18日 - 2000年2月10日)は、日本の政治家。参議院議員(2期、自由民主党)。 富山県出身。滑川商卒。立山町議を1期、富山県議を5期、同議長も務める。1975年、町議や県議として公共の福祉に奉仕して地方自治の発展に貢献したとして藍綬褒章受章。1977年の第11回参議院議員通常選挙に富山県選挙区から自民党公認で立候補して初当選し、2期務める。自民党参議院国会対策副委員長、鈴木善幸内閣科学技術政務次官、内閣委員長などを歴任した。1989年に引退。1990年秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章。 2000年2月10日、胃癌のため富山県富山市の流杉病院で死去、85歳。
もっと読む
片岡 清一(かたおか せいいち、1911年(明治44年)7月… 片岡 清一(かたおか せいいち、1911年(明治44年)7月23日 - 1999年(平成11年)2月26日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。富山県砺波市出身。 東京帝国大学法学部政治学科卒業後、内務省に入省。東京府属。1966年(昭和41年)9月14日から1969年11月30日まで砺波市長を務めた後、同年の第32回衆議院議員総選挙に松村謙三の後継者として旧富山2区から出馬するも落選。続く1972年の第33回衆議院議員総選挙にて初当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。以後連続当選6回。自民党内では中曽根康弘派に属し、1988年12月発足の竹下改造内閣で郵政大臣に任命され、初入閣(当時77歳5か月)。
もっと読む
山崎 栄次郎(やまざき えいじろう、1911年〈明治44年〉… 山崎 栄次郎(やまざき えいじろう、1911年〈明治44年〉4月17日 - 1987年〈昭和62年〉2月3日)は、日本の政治家。東京都墨田区長(3期)。甥は墨田区長を4期務めた山崎昇。 富山県西礪波郡西野尻村(のち福野町、現・南砺市)出身。小学校卒業後は東礪波郡福野町(現・南砺市)役場に就職する。その後、上京し、目白商業学校(現・目白研心中学校・高等学校)で学ぶ。東京市向島区役所に入り、戦時中に召集され、ソ連軍に抑留される。戦後、帰国し、墨田区役所に復帰。1963年〈昭和38年〉墨田区助役に就任。1974年〈昭和49年〉に区長となる。 翌1975年〈昭和50年〉区長公選制復活で墨田区長選挙に立候補し、当選。
もっと読む
吉田 実(吉田 實、よしだ みのる、1910年3月19日 -… 吉田 実(吉田 實、よしだ みのる、1910年3月19日 - 1982年11月16日)は、日本の政治家。公選3人目の富山県知事(4期)で、旧大島村長(現・射水市)。富山県販購農業協同連合会会長、全国販売農協連合会専務理事、富山県農業協同組合中央会長なども務めている。また、衆議院議員・参議院議員も歴任した。子の吉田力は大島町長となった。 1910年3月19日、富山県大島村(現・射水市)に生まれる。1947年4月5日、37歳にして大島村長になり、1956年8月30日に辞職するまで3期にわたり務めた。 1956年9月25日、公選3人目の富山県知事となり、以降4期務めた。その間、立山黒部アルペンルートの開通や、富山新港の開港、太閤山住宅団地の開発を行った。
もっと読む
桜井 志郎(櫻井、さくらい しろう、1907年(明治40年)… 桜井 志郎(櫻井、さくらい しろう、1907年(明治40年)4月9日 - 1976年(昭和51年)3月9日)は、昭和期の農林技官、政治家。参議院議員(2期)。旧姓は南日。 富山県上新川郡山室村(現富山市)で南日恒太郎の四男として生まれる。富山中学校(現富山県立富山高等学校)、第四高等学校を経て、1931年(昭和6年)東京帝国大学農学部農学科を卒業した。 1931年、東礪波郡油田村三郎丸(砺波町を経て現砺波市)の大地主、12代・桜井宗一郎の養子となり、農林省に入省した。三重県耕地課長、和歌山県農地部長、農林省土地改良課長、同設計課長、同建設部長などを歴任。この間、東京大学講師、日本農業土木学会副会長、国際かんがい排水委員会日本代表なども務めた。
もっと読む
矢後 嘉蔵(戸籍名は嘉藏、やご かぞう、1900年(明治33… 矢後 嘉蔵(戸籍名は嘉藏、やご かぞう、1900年(明治33年)9月25日 - 1984年(昭和59年)3月24日)は、大正から昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。富山市会議員。富山県の農民運動、無産運動の草分け。 富山県婦負郡倉垣村荒屋(和合町を経て現富山市四方荒屋)で、海産物商・矢後六蔵、とき の12姉弟妹の第四子、長男として生まれる。1913年(大正2年)3月、倉垣尋常小学校(現富山市立倉垣小学校)を卒業。北海道寿都郡寿都町で父が経営する海産物商兼船問屋で働く。 1919年(大正8年)9月に上京し東京主計学校夜間部で学んだ。1923年(大正12年)ニシンの不漁、肥料販売不振のため東京に移ったが、同年、単身で北海道に戻る。
もっと読む
小川 久義(おがわ ひさよし、1900年(明治33年)4月1… 小川 久義(おがわ ひさよし、1900年(明治33年)4月13日 - 1954年(昭和29年)5月25日)は、日本の政治家、参議院議員(2期) 富山県上新川郡針原村小西(現・富山市)の農家に生まれる。新庄尋常高等小学校(現・富山市立新庄小学校)を卒業。農業のかたわら地元の青年団や農業会のリーダーとなる。青年団時代は短距離走の選手として鳴らし、農業会では早くから針原村農業会長を務める。 1946年(昭和21年)春、推されて県農業会の副会長に就任。 1945年12月に結成されたばかりの日本農本党の幹事長に選ばれ、農業会を中心に政治活動を行う。また農業団体の再編成が行われたのに伴い,県農協連絡協議会会長となる。
もっと読む
佐藤 久雄(さとう ひさお、1900年(明治33年)1月9日… 佐藤 久雄(さとう ひさお、1900年(明治33年)1月9日 - 1982年(昭和57年)2月14日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・杉野。 富山県東礪波郡出町(砺波町を経て現砺波市)で、杉野久松の二男として生まれる。1918年(大正7年)砺波中学校(現富山県立砺波高等学校)を卒業。1924年(大正13年)早稲田大学商学部を卒業し佐藤組(現佐藤工業)に入社した。1925年(大正14年)佐藤與左衛門の養子となる。佐藤工業営業部長を経て、1940年(昭和15年)代表取締役、1945年(昭和20年)取締役社長を歴任。 また、柳瀬村会議員、大阪財務局(現近畿財務局)管内所得審査委員、富山県東礪波郡地方事務所参与などを務めた。
もっと読む
三鍋 義三(みなべ よしぞう、1898年(明治31年)1月2… 三鍋 義三(みなべ よしぞう、1898年(明治31年)1月25日 - 1961年(昭和36年)8月14日)は、大正から昭和期の教育者、政治家。衆議院議員。柔道7段。 富山県上新川郡新庄町(現富山市)で生まれる。富山中学校(現富山県立富山高等学校)を経て、1919年(大正8年)武道専門学校を卒業し、1921年(大正10年)同校研究科を修業した。 富山県立神通中学校(現富山県立富山中部高等学校)教諭に就任して1945年(昭和20年)まで在任し、柔道、野球の指導に努めた。その後、町立滑川薬業学校(現富山県立滑川高等学校)長、和合中学校長、呉羽中学校長を歴任。労働運動に加わり、呉羽中学校長在任中の1949年(昭和24年)に富山県教職員組合執行委員長に就任し、県全官公庁労働組合協議会議長も務めた。
もっと読む
高辻 武邦(たかつじ たけくに、1896年(明治29年)10… 高辻 武邦(たかつじ たけくに、1896年(明治29年)10月1日 - 1963年(昭和38年)3月21日)は、日本の内務官僚、政治家。第2代富山県知事(1948年11月23日 - 1956年9月30日、2期)。孫に第6代北海道知事を経て参議院議員となった高橋はるみ、元日本海ガス・日本海ガス絆ホールディングス社長で、富山県知事の新田八朗がいる。 富山県出身。高岡市・高辻喜作の二男。旧制富山県立高岡中学校、旧制第二高等学校卒業。1922年、文官高等試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省。山口県属。引揚援護院次長を経て、官選最後の大阪府知事(第35代・1947年3月11日 - 1947年4月12日)。
もっと読む
高良 とみ(こうら とみ、1896年7月1日 - 1993年… 高良 とみ(こうら とみ、1896年7月1日 - 1993年1月17日)は、日本の婦人運動家、平和運動家、政治家。参議院議員(2期)。筆名は高良 富子。国会議員として戦後初めてソ連を訪れ、シベリア抑留者復員の突破口を開いた。 富山県高岡市生まれ。旧姓は和田。父は土佐藩士の子で、アメリカ帰りの土木技師、内務省官僚。母は養蚕家田島弥平の孫娘で、婦人運動家。県立第一神戸高等女学校(現兵庫県立神戸高等学校)、日本女子大学英文科卒業。コロンビア大学、ジョンズ・ホプキンズ大学で心理学を専攻、日本女性として初めて博士号を取得した(定義によるが、高良はその一人)。学位論文の題は "An experimental study of hunger in its relation to activity"。
もっと読む
水橋 藤作(みずはし とうさく、1895年(明治28年)7月… 水橋 藤作(みずはし とうさく、1895年(明治28年)7月30日 - 1958年(昭和33年)8月11日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。 富山県上新川郡滑川町(中新川郡滑川町を経て現滑川市)出身。1921年(大正10年)郵便集配人として勤務。その後、逓信事務官に任官。 戦後、労働運動に加わり、全逓信従業員組合(のちの日本郵政公社労働組合)に加盟し、全逓中央執行委員、全日本産業別労働組合会議(産別会議)中央執行委員などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から日本社会党公認で出馬して当選し、労働者農民党に転じ参議院議員に1期在任した。その間、芦田内閣労働政務次官などを務めた。
もっと読む
湊 栄吉(榮吉、みなと えいきち、1894年(明治27年)4… 湊 栄吉(榮吉、みなと えいきち、1894年(明治27年)4月14日 - 1978年(昭和53年)12月2日)は、日本の政治家。1959年から1971年まで富山市長を3期務めた。位階は正五位。 富山県上新川郡東岩瀬町(現富山市東岩瀬町)出身。富山県立富山中学校(現富山県立富山高等学校)卒業。1929年(昭和4年)富山市議会議員に初当選、以後富山市議会議員(3期)、富山県議会議員(3期、自由党(現自由民主党)公認、1952年から1954年まで富山県議会議長)、自由党県連幹事長を歴任。 1959年(昭和34年)富山市長に当選就任。以後1971年まで3期にわたり市長を務めた。 全国市長会理事、加越能鉄道(現加越能バス)取締役、立山黒部貫光取締役を歴任。
もっと読む
卯尾田 毅太郎(うおた きたろう、1894年(明治27年)4… 卯尾田 毅太郎(うおた きたろう、1894年(明治27年)4月8日 - 1945年(昭和20年)6月16日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、新湊町長。 富山県射水郡新湊町四十物町(現射水市八幡町)で、卯尾田兵次郎、やい夫妻の長男として大井清平宅で生まれる。文珠寺尋常高等小学校高等科を経て、1914年(大正3年)3月、富山県立高岡中学校を卒業。同年4月、早稲田大学商科に入学し、1918年(大正7年)7月に卒業した。 大学卒業後、神戸市の下里貿易商会に入社。1923年(大正12年)2月、新湊立憲青年党を結成し総理に就任。1927年(昭和2年)9月、富山県会議員に当選。以後、名誉職参事会員、新湊町長(6期)、新湊町職業紹介所長、都市計画富山地方委員会委員、新湊警防団長などを務めた。
もっと読む
中川 文蔵(なかがわ ぶんぞう、1892年(明治25年) /… 中川 文蔵(なかがわ ぶんぞう、1892年(明治25年) / 1893年(明治26年) - 1978年(昭和53年))は、日本の農民、商人(雑貨商兼家畜商)、政治家。北海道広尾町議会議員を務めた。通称、“拙者(せっしゃ)文蔵”。 政治家中川一郎・中川義雄の父、中川昭一の祖父。 富山県西砺波郡福光町(現:南砺市福光)出身。14歳の時に北海道に渡り、道東の僻地を選んで開拓に従事した。 19歳で父を失った。以来、文蔵はひとりで一家眷族を養うことになった。ある時は田畑の作物が全滅し、また牛馬が人手に渡ったことも何度かあった。 長男の一郎が小学校2年生の時、文蔵は開拓地を離れて町中に住み、雑貨商兼家畜商に転じた。
もっと読む
土倉 宗明(つちくら そうめい、1889年(明治22年)9月… 土倉 宗明(つちくら そうめい、1889年(明治22年)9月2日 - 1972年(昭和47年)6月16日)は、日本の政治家で立憲政友会→民主自由党→自由党所属の衆議院議員。 富山県東礪波郡中田町(現在の高岡市)出身。早稲田大学政治経済科に学んだ後、著述業に従事した。1913年(大正2年)第一次護憲運動に際して普選運動に取り組み、翌1914年(大正3年)普選運動期成同盟会が再興されると直ちに入会。その後立憲政友会院外団に入り大野伴睦とともに政友会院外団員として活動、第二次護憲運動にも政友会院外団員の一員として大野とともに参加。牛込区会議員、東京市会議員、同参事会員を歴任した。 1930年(昭和5年)、政友会公認で第17回衆議院議員総選挙に出馬し初当選。
もっと読む
館 哲二 (たち てつじ、1889年8月18日 - 1968… 館 哲二 (たち てつじ、1889年8月18日 - 1968年9月27日)は、日本の内務官僚・政治家。参議院議員(3期)、府県知事。旧姓・木津。 富山県高岡市出身。木津太郎平の二男として生まれ、後に館萩江の入夫となり改姓。富山県立高岡中学校、第一高等学校を経て、1914年(大正3年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、内務省に入り岐阜県属として内務部学務兵事課に配属された。1917年(大正6年)10月、文官高等試験に合格した。 1918年(大正7年)4月、岐阜県警部となる。以後、同県警視・警務課長兼工場課長、同県内務部産業課長、神奈川県外事課長、茨城県知事官房文書課長兼内務部社会課長、内閣書記官、内閣官房記録課長、同総務課長などを歴任。
もっと読む
尾山 三郎(おやま さぶろう、1888年(明治21年)12月… 尾山 三郎(おやま さぶろう、1888年(明治21年)12月25日 - 1951年(昭和26年)10月3日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(1期)、富山市長。旧姓は大野。 富山県婦負郡富山手伝町(現富山市)で大野清兵衛の三男として生まれ、1899年、富山市千石町の尾山定次郎の養子となる。1905年3月、富山市立富山商業学校(現富山県立富山商業高等学校)を卒業した。 富山市蛯町の (株) 青物市場に入社。同支配人、同社長、帝国館社長、富山鉄道監査役、富山県食糧営団理事、富山県水産業会副会長、富山消防組組頭、富山警防団長、大日本警防協会理事などを務めた。 政界では、富山市会議員(6期)、富山県会議員(4期)に選出され、市会副議長、同議長も務めた。
もっと読む
山田 毅一(やまだ きいち、1887年(明治20年)1月21… 山田 毅一(やまだ きいち、1887年(明治20年)1月21日 – 1953年(昭和28年)4月15日)は、衆議院議員(立憲民政党)、ジャーナリスト。 富山県東礪波郡福野町(現在の南砺市)出身。早稲田大学・東京外国語学校に学んだ後、『東京日日新聞』・『やまと新聞』・『國民新聞』の記者を務めた。その間、樺太・沿海州・南洋諸島・欧米諸国などを歴訪した。その後、復興通信社を創業し、社長に就任した。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第17回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。 その後、南進社、南方産業調査会を主宰し、南方政策を研究した。
もっと読む
河合 良成(かわい よしなり、明治19年(1886年)5月1… 河合 良成(かわい よしなり、明治19年(1886年)5月10日 - 昭和45年(1970年)5月14日)は、日本の農商務官僚、政治家、実業家。富山県高岡市名誉市民。
もっと読む
大橋 八郎(おおはし はちろう、1885年12月19日 - … 大橋 八郎(おおはし はちろう、1885年12月19日 - 1968年6月4日)は、日本の政治家、逓信官僚、俳人。岡田内閣の法制局長官、林内閣の内閣書記官長、社団法人日本放送協会第4代会長、日本電信電話公社第2代総裁。現在の富山県高岡市出身。 日本放送協会会長時、終戦時の玉音放送に携わった。戦後の通信事業近代化に貢献。おじは漢詩人の大橋十右衛門。 富山縣高岡中學校、石川縣尋常中學校を経て、1906年(明治39年)7月に第四高等學校を卒業。 1910年(明治43年)7月に東京帝国大学法科大学を卒業した後、逓信省に入省。同年11月、高等文官試験に合格する。1925年(大正14年)10月に郵務局長、1928年(昭和3年)7月に経理局長となる。
もっと読む
安井 藤治(やすい とうじ、1885年〈明治18年〉10月1… 安井 藤治(やすい とうじ、1885年〈明治18年〉10月11日 - 1970年〈昭和45年〉7月8日)は、明治期から昭和期の陸軍軍人、政治家。従三位勲一等。陸軍中将まで昇った後、鈴木貫太郎内閣の国務大臣(無任所)を務めた。 富山県出身。商業・安井藤蔵の長男として生まれる。富山中学校、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)920名中を首席卒業。同期生には、陸軍大将になった山下奉文、岡部直三郎、阿南惟幾、山脇正隆、藤江恵輔等がいる。 1906年(明治39年)6月、歩兵少尉に任官し、石川県金沢市野田村に駐屯する歩兵第35聯隊附となる。 1913年(大正2年)11月、陸軍大学校(第25期)を優等で卒業。
もっと読む
正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年〈明治18年… 正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年〈明治18年〉4月11日 - 1969年〈昭和44年〉10月9日)は、日本の警察官・内務官僚、実業家、政治家。読売新聞社主、日本テレビ放送網代表取締役社長、読売テレビ放送会長、日本武道館会長などを歴任した。 読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、読売中興の祖として大正力(だいしょうりき)と呼ばれている。 読売ジャイアンツ(巨人)の初代オーナーとして、戦後の日本のプロ野球の発展に貢献したためにプロ野球の父と呼ばれる。日本テレビを創立し、テレビの普及や発展に貢献したためにテレビ放送の父と呼ばれる。また、原子力発電の推進にも貢献したために原子力の父とも呼ばれる。
もっと読む
山崎 定義(やまざき さだよし、1883年(明治16年)2月… 山崎 定義(やまざき さだよし、1883年(明治16年)2月1日 - 1971年(昭和46年)6月4日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。富山市長。 富山県上新川郡富山千石町(現富山市)で、旧富山藩士、陸軍大尉・山崎定孝、敏(とき)夫妻の長男として生まれたが、生後11ヵ月で父が病のため死去した。啓迪高等小学校(その後、八人町小学校を経て現富山市立芝園小学校)を経て、富山県立富山中学校に進み、三年次に名古屋陸軍地方幼年学校を受験して合格。中央幼年学校を経て陸軍士官学校(15期)に進み、1903年11月30日、同校を卒業して金沢歩兵第35連隊に勤務。1904年2月12日、陸軍歩兵少尉に任官。
もっと読む
松村 謙三(まつむら けんぞう、1883年〈明治16年〉1月… 松村 謙三(まつむら けんぞう、1883年〈明治16年〉1月24日 - 1971年〈昭和46年〉8月21日)は、日本の政治家。 富山県福光町(現在の南砺市)出身の実業家、政治家。 5回にわたり中国を訪問。1970年には、周恩来首相から日中貿易継続を許される企業の条件を示された。そこで、台湾に多くの投資を行い、援助している企業との取引は拒否すると言い渡される。そうして、日中国交正常化の地固めをした。幣原内閣では農林大臣として第1次・第2次農地改革に携わった。 生家は薬種商を営む地主の素封家で、その長男である。実母は事情があって2歳の時に松村家を離れ、継母によって育てられる。腹違いの弟と妹がいた。 立本小学校尋常科・高等科を優秀な成績で卒業して富山の県立一中(富山中学)に入学した。
もっと読む
島田 七郎右衛門(しまだ しちろうえもん、1883年1月17… 島田 七郎右衛門(しまだ しちろうえもん、1883年1月17日 - 1962年7月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 富山県出身。1901年、富山県立富山中学校(現・富山県立富山高等学校)卒。日露戦争に従軍、陸軍歩兵中尉となる。三等郵便局長、福岡町(現・高岡市)議、同町長、富山県議、西砺波郡農会長、富山県農会長、同山林会副会長、福岡信用組合理事長、北陸製絹、高岡新報、中越土木、笹川窯業、高岡電燈、岡吉商事、大岩電気、飛越電気、戸出物産各(株)重役を務める。 1930年の第17回衆議院議員総選挙で富山2区(当時)から立憲政友会公認で立候補したが落選。1932年の第18回衆議院議員総選挙で初当選。
もっと読む
清水 徳太郎(しみず とくたろう、1882年(明治15年)2… 清水 徳太郎(しみず とくたろう、1882年(明治15年)2月8日 - 1963年(昭和38年)11月28日)は、日本の鉄道・内務官僚、政治家。官選和歌山県知事、衆議院議員。 富山県下新川郡大家庄村(現朝日町)出身。清水源次郎の三男として生まれる。第四高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、さらに同大学院で学ぶ。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格し、鉄道院書記となる。以後、鉄道院副参事、同参事を歴任。 その後、内務省に転じ山形県西置賜郡長に就任。以後、栃木県理事官、奈良県警察部長、宮崎県警察部長、山形県警察部長、山形県書記官・警察部長、同県書記官・内務部長などを歴任。
もっと読む
高見 之通(たかみ ゆきみち、1880年〈明治13年〉3月2… 高見 之通(たかみ ゆきみち、1880年〈明治13年〉3月27日 - 1962年〈昭和37年〉10月30日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(当選7回)。族籍は富山県士族。 富山県富山市生まれ。富山県士族・高見之貫の長男。1908年、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。弁護士の業務に従事する。 富山県東岩瀬町長(1926年1月15日から同年11月27日まで)、富山県売薬同業組合長を務め、1917年の第13回衆議院議員総選挙で初当選した。はじめ立憲政友会に所属し、1920年の第14回衆議院議員総選挙では政友会公認で立候補し当選している。その後政友会を離党して政友本党の結党に参加し、1924年の第15回衆議院議員総選挙では政友本党公認で立候補し当選している。
もっと読む
牛塚 虎太郎(うしづか とらたろう、1879年(明治12年)… 牛塚 虎太郎(うしづか とらたろう、1879年(明治12年)4月28日 - 1966年(昭和41年)11月1日)は、東京市長および衆議院議員を歴任した官僚、政治家。
もっと読む
山田 少年(やまだ しょうねん / せいねん、1879年(明… 山田 少年(やまだ しょうねん / せいねん、1879年(明治12年)4月3日 - 1961年(昭和36年)1月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、富山県東礪波郡福野町長。福野町豪農・山田家8代。 石川県礪波郡福野村(現:富山県南砺市)で、山田家7代・山田正景(初代福野町長、石川県会議員)の長男として生まれる。福野農学校(現富山県立南砺福野高等学校)で学んだ。 酒造業を営む。福野町会議員、富山県会議員を務めた。1915年3月、第12回衆議院議員総選挙に富山県郡部から立憲同志会所属で出馬して当選。第13回総選挙でも再選され、衆議院議員を連続二期務めた。立憲国民党、立憲同志会、憲政会、立憲民政党に所属して、県支部の幹部を務めた。
もっと読む
二上 兵治(ふたがみ ひょうじ / へいじ、1878年(明治… 二上 兵治(ふたがみ ひょうじ / へいじ、1878年(明治11年)2月25日 - 1945年(昭和20年)11月19日)は、日本の官僚、政治家。枢密院書記官長、行政裁判所長官、貴族院議員、枢密顧問官等を歴任した。法学博士。 石川県射水郡高岡縄手中町(現富山県 高岡市)で、酒造業・二上兵太郎の長男として生まれる。富山県尋常中学校(現富山県立富山高等学校)、第四高等学校(首席)を経て、1904年(明治37年)7月11日、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業、成績優秀のため銀時計を授与された。逓信省に入省し、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、東京郵便局郵便課長、逓信省通信局外信課長、同参事官兼逓信書記官・通信局外信課長、兼大臣官房秘書課長などを歴任。
もっと読む
大井 義昌(おおい ぎしょう、1876年(明治9年)3月6日… 大井 義昌(おおい ぎしょう、1876年(明治9年)3月6日 - 1952年(昭和27年)9月9日)は、日本の政治家。富山県氷見市長(1期)。 富山県砺波郡西部金屋村(のち砺波郡北般若村→東砺波郡北般若村→西砺波郡戸出町、現在の高岡市)生まれ。1900年(明治33年)富山県師範学校卒。東砺波郡内の小学校の校長を務める。その後、氷見郡と婦負郡の視学となり、1920年(大正9年)11月6日氷見町長に就任する。在任中は氷見漁港改修や富山県立氷見中学校(現在の富山県立氷見高等学校)の設立などに力を入れた。町長は1930年(昭和5年)8月18日まで務めた。 戦後は日本社会党に入り、県連副会長、氷見郡支部長、日本農民組合富山県連会長などを歴任した。
もっと読む
6代 木津 太郎平(きづ たろへい、1875年(明治8年)1… 6代 木津 太郎平(きづ たろへい、1875年(明治8年)12月14日 - 1950年(昭和25年)7月8日)は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員。富山県高岡市長。富山県多額納税者。幼名は清太郎。号・蒼石、杉雨。 新川県射水郡高岡上川原町(石川県、富山県射水郡高岡上川原町を経て現・高岡市川原本町)で、先代・太郎平の長男として生れ、1903年(明治36年)3月に家督を相続し、幼名を改め、6代太郎平を襲名した。富山県立富山中学校(現富山県立富山高等学校)を卒業後、志願兵として従軍し陸軍歩兵中尉に任官する。日露戦争の功により功五級金鵄勲章および日独戦争の功により勲四等を叙勲される。
もっと読む
大石 斉治(齊治、おおいし さいじ、1875年(明治8年)2… 大石 斉治(齊治、おおいし さいじ、1875年(明治8年)2月27日 - 1952年(昭和27年)3月13日)は、明治から昭和時代の政治家。大日本帝国陸軍軍人。衆議院議員。 大石喜三右衛門の長男として、富山県射水郡、のちの氷見郡氷見町(現氷見市)に生まれる。1917年(大正6年)家督を相続する。1893年(明治26年)石川県農学校本科を卒業し、実業学校教員資格検定試験に合格した。日露戦争に従軍し、陸軍歩兵中尉に進んだ。 農業に従事する傍ら、富山県農学校教諭、郡立上伊那甲種農学校教諭兼舎監、徳島県立農業学校教諭、富山県郡立農学校長校長兼教諭を歴任した。 また、氷見町会議員、富山県会議員、高岡市助役、在郷軍人会氷見郡連合分会長、土木会議員、大政翼賛会高岡市支部常務、富山県農会幹事を務めた。
もっと読む
森丘 覚平(もりおか かくへい、1874年〈明治7年〉5月1… 森丘 覚平(もりおか かくへい、1874年〈明治7年〉5月19日 - 1927年〈昭和2年〉12月1日)は、日本の政治家、富山県多額納税者。衆議院議員(憲政会)。富山県会議員、同議長。富山県政界元老。族籍は富山県平民。勲四等瑞宝章。 富山県下新川郡大布施村(現・黒部市)出身。先代・森丘覚平の長男。1877年、家督を相続した。慶応義塾に学び、1912年に特選。農業を営む。 明治中期から郡会議員、同副議長、次いで富山県会議員、同参事会員、議長を歴任した。1905年2月4日から1906年9月16日まで大布施村長に就任したのを経て、1912年以来衆院議員当選3回。桜庄銀行、生地銀行各取締役、魚津銀行、北陸人造肥料各監査役なども務めた。
もっと読む
石坂 豊一(石坂 豐一、いしさか とよかず、1874年〈明治… 石坂 豊一(石坂 豐一、いしさか とよかず、1874年〈明治7年〉5月3日 - 1970年〈昭和45年〉5月5日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。富山市長、衆議院議員(5期)、参議院議員(2期)。 1874年富山県新川郡大崎野村(上新川郡東加積村、中新川郡東加積村、滑川町を経て現・滑川市大崎野)に10人兄弟の末っ子として生まれる。中学進学は家計上困難だったが、姉の力添えで1892年に富山県尋常中学校(現・富山県立富山高等学校)を卒業。同期に山田孝雄。税関監吏補試験に合格して神戸税関に勤務しながら京都の同志社で学ぶ。1897年に中退して帰郷し、郡書記、富山県属、婦負郡長などを務め、上司だった永井金次郎が樺太庁長官に就任したのを機に招聘され、樺太庁長官官房主事兼地方課長を歴任する。
もっと読む