大石 司朗(おおいし しろう、1935年(昭和10年)10月… 大石 司朗(おおいし しろう、1935年(昭和10年)10月8日 - 2020年(令和2年)11月25日)は、日本の実業家。元静岡ガス代表取締役会長。静岡市出身。 1958年(昭和33年)3月、早稲田大学政治経済学部卒業、1958年(昭和33年)3月、静岡ガス入社、1979年(昭和54年)1月、広報室長、1980年(昭和55年)3月、取締役、1994年(平成6年)3月、常務取締役、1997年(平成9年)3月、専務取締役、2000年(平成12年)3月、代表取締役専務取締役、2001年(平成13年)3月、同代表取締役社長、2006年(平成18年)3月、同代表取締役会長。2010年(平成22年)3月、同相談役。
杉浦 健五(すぎうら けんご、1935年(昭和10年)8月1… 杉浦 健五(すぎうら けんご、1935年(昭和10年)8月12日 - 2006年(平成18年)5月7日)は、日本の空手家および実業家。静岡県浜松市出身。愛知大学出身。元全日本空手道連盟和道会理事長。政治活動家・田中清玄の秘書だった。
村田 和雄(むらた かずお、1935年(昭和5年) - )は… 村田 和雄(むらた かずお、1935年(昭和5年) - )は、日本の実業家、ヨットマン。元ユアサコーポレーション代表取締役専務。2006年、自らの70歳の記念行事として太平洋単独横断に挑戦。処女航海で成功。静岡市出身。 1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。1959年、横浜国立大学工学部卒業、湯浅電池入社。1981年から1989年までイギリス駐在。ユアサコーポレーション代表取締役専務を経て、2000年退任。2005年までデルタ電子上級顧問。筑波大学ビジネススクール非常勤講師(2年間)。京都ヨットクラブ所属。 入社から14年で新製品の研究開発と商品開発、量産工場の建設を担当。ユミクロン電池を開発、アメリカの学会で発表した。
田宮 俊作(たみや しゅんさく、1934年〈昭和9年〉12月… 田宮 俊作(たみや しゅんさく、1934年〈昭和9年〉12月19日 - 2025年〈令和7年〉7月18日)は、日本の実業家。株式会社タミヤ代表取締役会長兼社長を務めた。ミニ四駆などのヒット商品を生み出した。 静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡高等学校を経て、1958年に早稲田大学法学部を卒業後、父・田宮義雄が経営する田宮商事合資会社に入社。 入社後は、木製模型の企画や設計に携わるが、欧米からのプラスチックモデルの流入といった危機が迫るなか、木製からプラスチックを素材とした模型製造への大転換を果たした。1968年には世界中の玩具メーカーが集まるニュルンベルク国際玩具見本市に初出展し、以来51年連続出展を続けている。
志太 勤(しだ つとむ、1934年〈昭和9年〉10月14日 … 志太 勤(しだ つとむ、1934年〈昭和9年〉10月14日 - 2025年〈令和7年〉7月9日)は、日本の実業家。シダックス創業者。 静岡県田方郡韮山町(現・伊豆の国市)出身。静岡県立韮山高等学校卒業。高校3年生の時に、義兄から譲り受けた大衆食堂「大炬燵(おおごたつ)」を経営。1960年(昭和35年)、東京都調布市に給食事業を運営する「富士食品工業」(現・シダックスフードサービス)を設立し、社長に就任。従来の定食からカフェテリア方式にしたことで急成長を遂げた。集団給食を主体としたフードサービス事業とレストランカラオケ事業で業界トップクラス。1997年(平成9年)、社長を長男・勤一に譲っている。2012年(平成24年)6月、代表取締役会長から取締役最高顧問となる。
宮村 眞平(みやむら しんぺい、1934年〈昭和9年〉8月3… 宮村 眞平(みやむら しんぺい、1934年〈昭和9年〉8月3日 - 2022年 〈令和4年〉6月14日)は、日本の経営者。静岡県牧之原市出身。三井金属鉱業株式会社取締役相談役。日本商工会議所特別顧問。東京商工会議所副会頭。位階勲等は正四位旭日重光章。
鈴木 敬彦(すずき よしひこ、1934年6月7日 - 202… 鈴木 敬彦(すずき よしひこ、1934年6月7日 - 2022年7月26日)は、日本の実業家。遠州鉄道株式会社の第6代社長。 静岡県浜松市出身。遠州鉄道株式会社の第2代社長の鈴木俊雄氏の次男で、1958年に慶應義塾大学法学部を卒業後、遠州鉄道株式会社に入社。1994年から2005年まで11年間遠州鉄道第6代社長を務めた。社長在任中はバブル崩壊後の厳しい経営環境の中で「お客様第一主義」を掲げ、事業の多角化を推進しグループ経営の礎を築いた。また、1988年の遠鉄百貨店開業の担当役員として準備を主導し、1990年 - 1994年には遠鉄百貨店の社長も務めた。また、遠州鉄道の保険事業を全国有数のアメリカンファミリー販売代理店に育てあげたほか、遠州鉄道社長時代に路線バスの利用促進に向けて浜松市と「オムニバスタウン計画」を展開。
伊藤 寿男(いとう としお、1934年 - )は日本の企業経… 伊藤 寿男(いとう としお、1934年 - )は日本の企業経営者、編集者。元『週刊現代』編集長。元『フライデー』創刊編集長。月刊テーミス編集主幹。 1934年(昭和9年)、静岡県榛原郡相良町(現・牧之原市)に誕生し、1958年(昭和33年)、早稲田大学卒業後、講談社に入社する。『月刊現代』編集長、『週刊現代』編集長を経て学芸図書第二出版部長、再び『週刊現代』編集長を務めた後、取締役第一編集局長に就任し、1984年に『フライデー』創刊編集長を兼務する。また、この間には日本雑誌協会の編集委員会副委員長はじめ、取材委員長、雑誌記者会幹事長を歴任する。 1988年(昭和63年)に同社を退社し、株式会社テーミスを創業、代表取締役社長兼編集主幹となる。
江﨑 善三郎(えざき ぜんざぶろう、1933年〈昭和8年〉1… 江﨑 善三郎(えざき ぜんざぶろう、1933年〈昭和8年〉11月23日 - 2016年〈平成28年〉3月13日)は、日本の実業家。江﨑新聞店会長。静活社長。毎日新聞東京懇話会最高顧問。江崎とも表記される。旧姓田中。位階は従六位。 静岡市出身。1952年(昭和27年)、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1956年(昭和31年)、慶應義塾大学文学部英文学科卒業。明治42年創業の江﨑新聞店3代目社長。1980年(昭和55年)、静活入社。静活、静岡オリコミ各社長、毎日新聞の主要販売所長で作る毎日新聞東京懇話会会長を務めた。1996年(平成8年) - 2012年(平成24年)、静岡県文化協会会長。2007年(平成19年)、静岡県と浙江省の友好提携二十五周年を記念して交流する派遣団団長。
岩堀 行宏(いわほり ゆきひろ、1932年(昭和7年) - … 岩堀 行宏(いわほり ゆきひろ、1932年(昭和7年) - 2000年(平成12年)9月2日)は、日本の英学史・辞書史研究者であるとともに実業家。後楽園スタヂアム常務取締役、東京ドーム常務理事を務めた。元西日本後楽園会長。 1932年(昭和7年)、静岡市出身。1951年(昭和26年)、静岡県立静岡城内高等学校卒業。明治学院大学経済学部卒業。学生時代より『和英語林集成』をきっかけに辞書に魅かれ、幕末・明治の英語辞書、草創期の辞書を収集。ジョアン・ロドリゲスの「日本大文典」に始まり、ヘボンの「和英語林集成」に至る、揺籃期の英和・和英辞典の歩みを実物に即して解明した『英和・和英辞典の誕生 : 日欧言語文化交流史』を著した。
大石 繁(おおいし しげる、1931年(昭和6年)12月22… 大石 繁(おおいし しげる、1931年(昭和6年)12月22日 - 2013年(平成25年)7月31日)は、日本の実業家。元静岡ガス会長。 1955年(昭和30年)、一橋大学経済学部卒業。同年4月、静岡ガス入社。1976年(昭和51年)、取締役、1978年(昭和53年)、常務を経て、1983年(昭和58年)、専務。1986年(昭和61年)、代表専務。1989年(平成元年)3月、同代表取締役社長。1999年(平成11年)、静岡朝日テレビ取締役を兼務。2001年(平成13年)3月、静岡ガス代表取締役会長、2006年(平成18年)3月、同最高顧問。 1999年(平成11年)6月、静岡商工会議所副会頭、2000年(平成12年)5月、静岡県障害者雇用促進協会会長、2001年(平成13年)5月、静岡県経営者協会会長、2003年(平成15年)5月、静岡交響楽協会理事長。
室伏 稔(むろふし みのる、1931年9月22日 - 201… 室伏 稔(むろふし みのる、1931年9月22日 - 2016年1月27日)は、日本の実業家。位階は従三位。伊藤忠商事社長や、日本政策投資銀行社長、日本貿易会会長を務めた。 静岡県駿東郡小山町出身。静岡県立沼津東高等学校では柔道部で黒帯を取得。1956年東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1990年から伊藤忠商事社長を務め、タイムワーナーやファミリーマートへの出資などを行った。1994年初代日本トルクメニスタン経済委員会会長。2004年4月旭日大綬章受章。2007年から日本政策投資銀行総裁として民営化にあたり、2008年に民営化された日本政策投資銀行の初代社長に就任した。2016年1月27日死去。
稲森 照男(いなもり てるお、1931年(昭和6年)1月31… 稲森 照男(いなもり てるお、1931年(昭和6年)1月31日 - 2020年(令和2年)7月12日)は、日本の実業家。稲森パーキング創業者。元静岡県ハンドボール協会会長。元日本体育協会理事。旭日小綬章受章。 1943年(昭和18年)、静岡県立静岡中学校入学、1948年(昭和23年)、静岡県立静岡第一高等学校卒業。同年、慶應義塾大学経済学部入学、ハンドボール部に所属。3,4年生時、関東学生選抜、4年生時、主将。この間、地元静岡県立静岡城北高等学校の技術指導を行い、同校が数年に亘り全日本高校選手権、国民体育大会で優勝する黄金時代の基礎づくりに貢献した。 大学卒業後は食品原料卸商、富士農商事に入社、1959年(昭和34年)、総理府より皇太子御成婚記念行事として実施された、日本青年海外派遣団員として米国に3ヶ月滞在。
大賀 典雄(おおが のりお、1930年1月29日 - 201… 大賀 典雄(おおが のりお、1930年1月29日 - 2011年4月23日)は、日本の実業家、声楽家(バリトン歌手)。位階は従三位。勲等は勲一等。 実業家として、CBS・ソニーレコード株式会社社長(初代)、ソニー商事株式会社社長、東京商工会議所副会頭、ソニー株式会社社長・最高経営責任者(初代)・会長、社団法人経済団体連合会副会長などを歴任した。財団法人東京フィルハーモニー交響楽団会長・理事長、東京文化会館館長を務めた。 東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業し、西ドイツに留学してベルリン国立芸術大学音楽学部を卒業した声楽家でもあった。30代半ばだった1964年の時点では、バリトン歌手として活発に活動しており、実業家(ソニー商事株式会社取締役広報部長)と二足の草鞋を履いていた。
川手 生巳也(かわて ふみや、1929年9月10日 - 20… 川手 生巳也(かわて ふみや、1929年9月10日 - 2022年9月26日)は、日本の経営者。日産火災海上保険社長、会長を務めた。静岡県出身。 静岡県立静岡中学校を経て、1949年、山口経済専門学校卒業。同年、日産火災海上保険に入社。1982年7月、取締役。1985年7月に常務、1988年4月に専務を経て、1989年6月、社長。1995年6月、会長。2000年6月に相談役に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章。 2022年9月26日肺炎のために死去。93歳没。
三戸岡 道夫(みとおか みちお、本名:大貫満雄、1928年(… 三戸岡 道夫(みとおか みちお、本名:大貫満雄、1928年(昭和3年) - )は、日本の作家、実業家。 静岡県浜松市出身。静岡県立掛川西高等学校を経て東京大学法学部を卒業後協和銀行に入行し、副頭取を最後に退職する。その後は文筆活動に専念する。 社団法人大日本報徳社にて副社長に就任し、二宮尊徳や報徳思想にまつわる書籍も著している。会社法に関する専門書を上梓した同姓同名(本名)が存在していたが、別の人物。 日本ペンクラブ会員。
河島 喜好(かわしま きよし 1928年 - 2013年10… 河島 喜好(かわしま きよし 1928年 - 2013年10月31日)は、自動車エンジニア、実業家。元本田技研工業代表取締役社長。日本楽器製造(現ヤマハ)社長、ダイエー副社長を歴任した河島博は実弟。
大庭 浩(おおば ひろし、1925年12月6日 - 2003… 大庭 浩(おおば ひろし、1925年12月6日 - 2003年12月24日)は、日本の実業家、工学博士。川崎重工業社長、会長を務めた。 静岡県掛川市出身。1948年に大阪大学工学部を卒業し、同年に川崎重工業に入社した。1980年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に専務を経て、1986年6月に副社長に就任し、1987年6月には社長に昇格した。在任中は、工場の統廃合や品質保証運動をなどを進めていくことで、経営基盤を再建し、創業100周年の年である1996年には売上高1兆円を達成した。1996年6月には会長も兼任し、1997年6月に会長に専任し、2000年6月に相談役名誉会長を経て、2001年6月には相談役に就任。
伊藤 武(いとう たけし、1925年 <大正14年> 6月1… 伊藤 武(いとう たけし、1925年 <大正14年> 6月17日 – 1994年 <平成6年> 10月13日)は、日本の政治家、実業家。 自衛隊を経て浜松自動車学校をはじめとする浜自グループを創業し、浜松市議会議員を経て静岡県議会議員、静岡県議会議長(第74代)などを歴任した。静岡県で初の民間指定自動車教習所を立ち上げ、浜松市議会では国道一号バイパスの建設促進に努め、静岡県議会では企画商工委員会、公害対策特別委員会、交通安全対策特別委員会、産業振興対策特別委員会の各委員長を歴任し、東名高速道路の浜松西インターチェンジの建設促進や浜松医科大学の誘致に尽力した。 静岡県出身。磐田市見付中学校を卒業し、早稲田大学に進学した。
河合 滋(かわい しげる、1922年(大正11年)7月28日… 河合 滋(かわい しげる、1922年(大正11年)7月28日 - 2006年(平成18年)8月20日)は、日本の実業家、河合楽器製作所二代目社長・会長であった。静岡県浜名郡舞阪町(現在の浜松市)出身。同社創業者の河合小市は岳父、同社三代目社長の河合弘隆は実子である。 カワイアメリカコーポレーション・カワイヨーロッパ各社長、河合楽器サービスセンター・テスコ・カワイ精密金属・カワイオーストラリア・全日本社会人体操競技連盟・浜松市体育協会・浜名湾遊泳協会・日本フーゴーヴォルフ協会・カワイ音楽振興会・東京吹奏楽団各会長、浜名湖観光開発副社長、浜松商工会議所会頭、経済団体連合会・発明協会各評議員、日本体操協会顧問、中部経済連合会副会長、ローカル技術開発協会理事長、日本ショパン協会名誉会長などを歴任した。
阿部 英雄(あべ ひでお、1922年7月20日 - 2007… 阿部 英雄(あべ ひでお、1922年7月20日 - 2007年7月10日)は富士経済グループ代表取締役(会長)であった財界人。 静岡県沼津市出身で、千本松原に程近い場所に生家がある。地元で静岡県立沼津商業高等学校(卒業の後に同校は駿東郡清水町に移転)卒業まで過ごした。 地元で腕白な子供の一人として育ち、小学生時代には学校の道すがら空腹から学友の家の乾物屋(綾市商店)が露天に干していた乾物をくすねてかじったこともあったという。 明治大学文学部史学科で東洋史学を専攻。卒業論文の題は「”世説新語”とその思想―特に老荘思想について―」であった。同大卒業後、1962年にマーケティング調査会社富士経済を設立。
角替 武(つのがえ たけし、1922年(大正11年)2月9日… 角替 武(つのがえ たけし、1922年(大正11年)2月9日 - 2006年(平成18年)1月3日)は、日本の元陸軍軍人および実業家。陸士55期次席。日本航空常務取締役、日本アジア航空代表取締役社長および名誉顧問。 静岡県掛川市出身。1936年(昭和11年)4月、掛川中学校(現:静岡県立掛川西高等学校)より東京陸軍幼年学校に転学。1941年(昭和16年)に陸軍士官学校卒業後、満州・東安駐屯の歩兵第22連隊に配属される。大戦末期、内地の陸軍士官学校区隊長(58期・60期担当)に発令され、陸軍大尉で終戦を迎える。 戦後は公職追放を受ける。1952年9月、東京大学法学部卒。1953年に日本航空に入社、経理課長、ロンドン支店長、運送本部管理部長、経営管理室長を経て1979年6月より常務取締役。
鈴木 英夫(すずき ひでお、1922年1月4日 - 2018… 鈴木 英夫(すずき ひでお、1922年1月4日 - 2018年10月28日)は、日本の経営者。兼松江商社長、会長を務めた。静岡県御殿場市出身。 1946年に東京商科大学を卒業し、同年に兼松江商に入社。1969年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年12月に社長に就任し、1989年6月には会長に就任し、1992年6月に相談役を経て、1994年6月から名誉顧問を務めた。 1983年5月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2018年10月28日老衰のために死去。96歳没。
大石 巌(おおいし いわお、1921年〈大正10年〉2月19… 大石 巌(おおいし いわお、1921年〈大正10年〉2月19日 - 2002年〈平成14年〉3月3日)は、日本の実業家、経営者、ジャーナリスト、証券アナリスト。新日本証券会長。毎日新聞社社友。静岡県出身。 静岡県立静岡中学校から、静岡高等学校 (旧制)に進み、1942年(昭和17年)東京帝国大学法学部卒業。同年、東京日日新聞社入社、経済部記者。日銀記者クラブのキャップなどを務めた。のちに、毎日オリオンズ出向、営業部長。1961年(昭和36年)、毎日新聞を離籍し大商証券に転じ、福岡支店長を経て、1964年(昭和39年)、取締役。1967年(昭和42年)、合併により新日本証券取締役。1975年(昭和50年)、同副社長。
斉藤 滋与史(齊藤 滋与史、さいとう しげよし、1918年〈… 斉藤 滋与史(齊藤 滋与史、さいとう しげよし、1918年〈大正7年〉8月9日 - 2018年〈平成30年〉8月9日)は、日本の実業家・政治家。富士市名誉市民。静岡県知事(第47・48代)、建設大臣(第44代)、衆議院議員(6期)、富士市長、吉原市長、大昭和製紙社長などを歴任した。 大昭和製紙の創業者、斉藤知一郎の次男。防衛庁長官を務めた元衆議院議員の斉藤斗志二は甥で養子。 静岡県出身。五年制男子校・静岡県立沼津中学校(現:静岡県立沼津東高等学校 共学)を経て、早稲田大学商学部卒業。大学卒業後の1940年、父・斉藤知一郎が創業した大昭和製紙に入社した。1961年より大昭和製紙副社長。 1964年、吉原市長に初当選し1966年の市町村合併により初代富士市長。
河合 斌人(かわい あやと、1918年〈大正7年〉8月8日 … 河合 斌人(かわい あやと、1918年〈大正7年〉8月8日 - 2005年〈平成17年〉9月6日)は、日本の実業家、教育者。河合塾理事長、山一證券副社長。 河合逸治の長男。東京商大を経て日本勧業銀行に入行し、経済安定本部や名古屋造船、山一證券にも出向した。後に実家の河合塾を継ぎ、弟の河合邦人と共に愛知県のローカル予備校から三大予備校の一角にまで育て上げた。1992年、フランス教育功労章オフィシエ受章。 静岡県生まれ。愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校、59回卒業)、名古屋高商(現・名古屋大学経済学部)を経て、1941年12月、東京商科大学(現・一橋大学)繰り上げ卒業(井藤半彌ゼミ)。卒業論文は「国際租税論の基本問題」。
岡野 喜一郎(おかの きいちろう、1917年2月19日 - … 岡野 喜一郎(おかの きいちろう、1917年2月19日 - 1995年8月13日)は、日本の経営者、銀行家。駿河銀行頭取、会長を務めた。静岡県沼津市出身。 1941年に慶應義塾大学法学部を卒業。三井銀行での勤務を経て、1949年に駿河銀行に転じ、1954年11月に取締役に就任し、1958年に常務、1963年に専務を経て、1964年8月には頭取に就任した。1981年3月に会長に就任。 1995年8月13日心不全のために死去。78歳没。
齊藤 了英(さいとう りょうえい、1916年(大正5年)4月… 齊藤 了英(さいとう りょうえい、1916年(大正5年)4月17日 - 1996年(平成8年)3月30日)は、日本の実業家。大昭和製紙(現・日本製紙)名誉会長。「東海の暴れん坊」の異名をとった。大昭和製紙創立者斉藤知一郎の長男。 齊藤知一郎の長男として静岡県に生まれた。 静岡県立沼津中学校を経て、1938年(昭和13年)に早稲田大学専門部商科、1941年(昭和16年)に日本大学専門部法科をそれぞれ卒業(旧制大学専門部は、旧制専門学校に相当)。父・知一郎が創業した大昭和製紙(現・日本製紙)に入社。取締役・専務・副社長を歴任。1961年(昭和36年)父の死後、2代目社長に就任。 1980年(昭和55年)から1981年(昭和56年)にかけて大昭和は過剰投資、過剰在庫、過剰借り入れにより経営危機に陥った。
森 和夫(もり かずお、1916年(大正5年)4月1日 - … 森 和夫(もり かずお、1916年(大正5年)4月1日 - 2011年(平成23年)7月14日)は、日本の実業家。東洋水産創業者。静岡県賀茂郡田子村(現在の西伊豆町)出身。静岡県立豆陽中学校(旧制)(後の静岡県立下田高等学校)、水産講習所(現在の東京海洋大学)卒業。 実家は元々漁業を営んでいたが、父の代で冷蔵製氷業に転じ、1919年(大正8年)に田子製氷株式会社(2007年(平成19年)に東洋水産に吸収合併される)を設立し、田子村で冷蔵庫を運営していた。 和夫は水産講習所卒業後水産会社に就職するが、間もなく徴兵され、旅順の陸軍予備士官学校を経て1939年(昭和14年)のノモンハン事件に従軍。所属していた部隊がほとんど全滅に近い被害を受ける中、かろうじて生き残り帰国する。
山内 隆博(やまうち たかひろ、1915年3月3日 - 19… 山内 隆博(やまうち たかひろ、1915年3月3日 - 1990年10月6日)は、日本の経営者。大和証券社長を務めた。 静岡県磐田市出身。3歳で新宿区大久保に移る。少年期は野球に打ち込んだ。1938年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に住友銀行に入行し、名古屋支店に勤務するもわずか半年で応召。近衛歩兵第1連隊に入営して間もなく甲種幹部候補生に合格し、盛岡陸軍予備士官学校に入学。原隊復帰後、初年兵教育を担当したのち防衛総司令部参謀附に転属。これで戦地に赴くことはないと思い1941年10月に結婚するも間もなく、11月3日に第16軍編成人員に転属、南方へと派遣される。移動中、乗船していた神州丸が雷撃で大破しながらも船にとどまり、2000ギルダーの軍資金を肌身離さず守り抜いた。
山本 定蔵(やまもと さだぞう、1912年11月29日 - … 山本 定蔵(やまもと さだぞう、1912年11月29日 - 1991年1月17日)は、日本の経営者。トヨタ自動車販売社長を務めた。静岡県湖西市出身。 旧制姫路高等学校を経て、1937年に京都帝国大学法学部を卒業し、1940年にトヨタ自動車工業に入社。 1950年にトヨタ自動車販売に転じ、1953年に取締役に就任し、1960年に常務、1967年に専務、1971年に副社長を歴任し、1979年6月に社長に就任し、1981年6月までに務めた。千代田火災海上保険会長も務めた。 1976年4月に藍綬褒章を受章し、1984年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1991年1月17日肺炎のために死去。78歳没。
白井 富次郎(しろい とみじろう、1912年4月18日 - … 白井 富次郎(しろい とみじろう、1912年4月18日 - 1993年5月1日)は、日本の経営者。静岡県湖西市出身。愛知製鋼の元社長。湖西市長も務めた。 1930年に静岡県立浜松商業学校を卒業し、1932年12月に豊田自動織機製作所に入社。 1949年11月に取締役に就任し、常務を経て、1963年2月に愛知製鋼専務に就任した。1969年12月に社長に就任し、1980年3月に会長を経て、1985年3月から相談役を務めた。1987年から1992年までに湖西市長も務めた。 1979年5月に藍綬褒章を受章し、1984年11月に勲三等瑞宝章を受章した。 1993年5月1日心不全のために死去。81歳没。
加藤 静雄(かとう しずお、1911年(明治44年)4月25… 加藤 静雄(かとう しずお、1911年(明治44年)4月25日 - 1960年(昭和35年)12月7日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。旧姓は増田。 静岡県志太郡豊田村(現焼津市)の増田家に生まれる。静岡県立志太中学校(現静岡県立藤枝東高等学校)の第一期生で、同校4年修了で静岡高等学校に進んだ。1939年(昭和14年)京都帝国大学法学部法律学科を卒業。戦後、東京の加藤家の養子となるが、焼津に在住した。 実業界では、合資会社東亜製作所副会長、焼津水産取締役社長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で静岡県第1区から日本社会党公認で出馬して実業家の長兄、増田年郎の援助と志太中同窓生の支援を受けて当選し、衆議院議員に1期在任した。
野間 省一(のま しょういち、1911年4月9日 - 198… 野間 省一(のま しょういち、1911年4月9日 - 1984年8月10日)は、日本の出版人、実業家。講談社第4代社長。日本書籍出版協会会長。出版文化国際交流会会長。日本雑誌広告協会会長。旧姓高木。
稲垣 早苗(いながき さなえ、1910年1月1日 - 199… 稲垣 早苗(いながき さなえ、1910年1月1日 - 1999年3月31日)は、日本の経営者。 静岡県富士市出身。1930年に明治学院高等商業部を卒業。1943年10月、稲垣の知人の紹介で日本統計機に入社。同社は日本ワットソン統計会計機(後の日本IBM)の財産が敵産管理法によって凍結された際にその顧客が出資して1943年6月に設立された会社で、IBM製品の保守サービスを提供していた。1950年、営業活動を再開した日本IBMに営業課長として入社。 1956年に営業担当取締役に就任。1960年に生産担当常務、副社長を経て、1962年に社長に就任した。1975年に会長に就任し、1980年3月から相談役を務めた。
大石 貞治(おおいし さだじ、1909年(明治42年)10月… 大石 貞治(おおいし さだじ、1909年(明治42年)10月2日 - 1989年3月2日))は、日本の実業家。三笑亭本店代表取締役社長。静岡県食肉事業協同組合連合会相談役。 静岡県静岡市両替町出身。大石善吉の長男。静岡県立静岡中学校卒業。三笑亭代表取締役社長、静岡県食肉事業協同組合連合会長、同環境衛生同業組合理事長、静岡県食料品小売商業組合監事、日本食肉協会副会長を務めた。 趣味はスポーツ観賞。宗教は浄土宗。住所は静岡市両替町2丁目。
山崎 貞一(やまざき ていいち、1909年(明治42年)8月… 山崎 貞一(やまざき ていいち、1909年(明治42年)8月5日 - 1998年(平成10年)11月20日)は、静岡県榛原郡相良町福岡(現在の牧之原市福岡)出身の科学者・実業家。 東京電気化学工業株式会社(現TDK株式会社)社長・会長・顧問などを歴任。フェライトコアの工業化や、研究者・技術者の育成と科学技術の発展に貢献した。藍綬褒章・勲二等瑞宝章を受章し、山崎自然科学教育振興会の創立にも尽くした。 山崎貞一賞は、科学技術水準の向上とその普及啓発に寄与することを目的とし、また、初代理事長を務めた山崎貞一の科学技術および産業の発展に対する功績、人材の育成に対しての貢献を記念して創設された賞である。対象は、財団の寄付行為第4条の事業内容に対応した「材料」、「半導体及び半導体装置」、「計測評価」、「バイオサイエンス・バイオテクノロジー」の4分野からなり、論文の発表、特許の取得、方法・技術の開発等を通じて、実用化につながる優れた創造的業績をあげている者としている。
小山 武夫(こやま たけお、1909年7月3日 - 2003… 小山 武夫(こやま たけお、1909年7月3日 - 2003年1月1日)は、日本の新聞記者・実業家。中日新聞社相談役および中日ドラゴンズのオーナー兼球団社長を歴任した。静岡県出身。 1909年(明治42年)7月3日、静岡県駿東郡楊原村(現在の沼津市)で芹沢常晴の五男として出生。旧制沼津中学校を経て、1934年(昭和9年)に法政大学経済学部を卒業。 満州国通信社、同盟通信社で記者として勤務し、1944年(昭和19年)5月に応召、陸軍に入隊し歩兵第19連隊に配属される。1946年(昭和21年)5月に中部日本新聞社(現在の中日新聞社)へ入社し、東京総局政治部長などを経て、1952年(昭和27年)に『中国国民政府との講和締結会談の報道』でボーン国際記者賞を受賞する。
中村 實(なかむら みのる、1909年 <明治42年> 4月… 中村 實(なかむら みのる、1909年 <明治42年> 4月16日 - 1978年 <昭和53年> 10月20日)は、日本の経営者。静岡銀行頭取を務めた。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 静岡県浜松市出身。1930年に名古屋高等商業学校を卒業し、同年に三十五銀行(のちの静岡銀行)に入行。 1958年10月に取締役に就任し、1961年に常務、1970年4月に専務を経て、1973年11月から1978年6月までに頭取を務めた。 1978年10月20日内臓障害のために死去。69歳没。死没日付をもって正五位に叙され、勲三等瑞宝章を追贈された。
上原 小枝(うえはら さえ、1909年 <明治42年> 4月… 上原 小枝(うえはら さえ、1909年 <明治42年> 4月13日 - 1996年 <平成8年> 8月20日)は、日本の経営者。大正製薬社長、会長を務めた。静岡県下田市出身。位階は従五位。 夫は大正製薬社長、参議院議員などを歴任した上原正吉。正吉との間には実子は無く、そのため実兄の次男である上原昭二を養子に迎えている。 1955年7月に大正製薬取締役に就任し、1962年9月に副社長を経て、1965年6月には社長に就任。1966年9月に副社長、1973年5月に副会長、1981年6月に会長。当時は政治活動等で多忙な正吉に代わり、大正製薬の経営を実質的に采配しており、一部では「ゴッドマザー」とも称された。
山本 孝(やまもと たかし、1908年11月14日 - 20… 山本 孝(やまもと たかし、1908年11月14日 - 2000年5月26日)は、日本の経営者。ロイヤルホテル社長を務めた。静岡県掛川市出身。ロイヤルホテル創業者山本為三郎の婿養子。 静岡県の杉山銑三郎の長男として生まれる。1931年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に住友銀行に入社。1959年11月に取締役に就任し、1963年10月に常務経て、1968年5月にロイヤルホテル副社長に就任し、1973年3月には社長に昇格。1985年4月に会長を経て、1988年6月から取締役相談役兼最高顧問を務めた。 1986年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 2000年5月26日、心不全のために死去。91歳没。
山田 栄一(やまだ えいいち、1908年5月10日 - 19… 山田 栄一(やまだ えいいち、1908年5月10日 - 1995年1月10日)は、第三代シチズン時計社長(1946年 - 1981年)。静岡市出身。旧姓鈴木。 1908年、横浜に生まれる[要出典]。静岡県立静岡中学校を経て、1931年、東京商科大学卒業。同年、三井生命入社、1937年、シチズン時計入社、1941年、シチズン時計取締役、1944年、シチズン時計常務取締役、1945年、シチズン時計専務取締役、1946年、シチズン時計代表取締役社長。1968年、藍綬褒章受章、1978年、勲三等旭日中綬章受章、1981年、シチズン時計会長。1986年、シチズン時計取締役相談役、1987年、シチズン時計相談役。
車谷 弘(くるまたに ひろし、1906年(明治39年)8月2… 車谷 弘(くるまたに ひろし、1906年(明治39年)8月28日 - 1978年(昭和53年)4月16日)は、日本の編集者、俳人、実業家。文藝春秋専務取締役を務めた。 静岡県下田市出身。唐人お吉研究で知られる郷土史家・眼科医の村松春水を伯父に持つ。1929年(昭和4年)東京薬学専門学校(現・東京薬科大学)卒業。翌年『サンデー毎日』の懸賞小説に入選。永井龍男と下宿を共にしていたこともある。 1931年(昭和6年)より文藝春秋社に勤め、戦後、菊池寛が同社を解散した際、佐佐木茂索、鷲尾洋三らとともに文藝春秋新社を設立。『文藝春秋』、『オール讀物』の編集長、編集局長、出版局長を経て専務取締役となった。 小説を書くほか俳句をし、渡辺水巴、久保田万太郎に師事。
常盤 稔(ときわ みのる、1905年〈明治38年〉 12月3… 常盤 稔(ときわ みのる、1905年〈明治38年〉 12月31日 - 1981年〈昭和56年〉4月21日)は、日本の経営者。清水銀行頭取を務めた。 静岡県出身。1923年に沼津中学校を卒業し、同年6月に岩渕銀行に入行。 1948年に清水銀行に転じ、1960年4月に取締役に就任し、1969年4月に常務、1971年4月に専務を経て、1974年8月から1979年4月までに頭取を務めた。 1981年4月21日に胃癌のために死去。75歳没。
高林 敏巳(たかばやし としみ、1905年9月26日 - 1… 高林 敏巳(たかばやし としみ、1905年9月26日 - 1993年7月26日 )は、日本の経営者。三井金属鉱業社長を務めた。静岡県浜松市出身。 旧制静岡県立榛原中学校、旧制第八高等学校を経て、1928年に東京帝国大学工学部鉱山学科を卒業し、同年に三井鉱山に入社。1951年に三井金属鉱業に転じ、1952年に取締役に就任し、1956年に常務を経て、1958年11月に副社長に就任し、1964年5月には社長に昇格した。1970年4月に会長に就任し、1974年5月までに務めた。経済団体連合会、日本経営者団体連盟各常任理事も務めた。 1965年10月に藍綬褒章を受章し、1976年11月に勲一等瑞宝章を受章した。
国塩 耕一郎(國塩、くにしお こういちろう、1905年(明治… 国塩 耕一郎(國塩、くにしお こういちろう、1905年(明治38年)9月6日 - 1986年(昭和61年)6月7日)は、昭和期の内務・警察官僚、実業家。最後の官選茨城県知事、日本音楽著作権協会理事長。位階は正五位。 岡山県赤磐郡(後の山陽町、現在の赤磐市)で、国塩達太の長男として生まれる。静岡県立静岡中学校、第一高等学校を卒業。1928年(昭和3年)10月、高等試験行政科試験に合格。1929年(昭和4年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し広島県属となる。 以後、地方警視・愛知県警察部保安課長を経て、1935年(昭和10年)8月、警視庁警視・保安課長に就任。警官音楽隊(警視庁音楽隊)を創設した。
長島 銀蔵(ながしま ぎんぞう、旧字体: 長島 銀藏、190… 長島 銀蔵(ながしま ぎんぞう、旧字体: 長島 銀藏、1901年〈明治34年〉11月25日 - 1984年〈昭和59年〉9月8日)は、日本の実業家、政治家。貴族院議員、参議院議員。 現在の静岡県富士宮市出身。長島化学製品所を経営し、清水栄寿座、長島商事、横浜瓦斯化学工業の各社長、日本海獣化学工業代表取締役、清水商工会議所議員などを務めた。 1946年(昭和21年)5月、静岡県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され、同月18日に就任し研究会に所属した。翌1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在籍した。同年4月に行われた第1回参議院議員通常選挙において、静岡地方区から無所属で立候補したが落選した。
水野 成夫(みずの しげお、1899年11月13日 - 19… 水野 成夫(みずの しげお、1899年11月13日 - 1972年5月4日)は、日本の実業家。フジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)初代社長。元日経連常任理事・経済団体連合会理事・経済同友会幹事。
青嶋 次郎(あおしま じろう、1897年(明治30年) - … 青嶋 次郎(あおしま じろう、1897年(明治30年) - 1949年(昭和24年))は、日本の飛行家・実業家。青島文化教材社の創業者。 静岡県静岡市葵区両替町生まれ。 静岡尋常高等小学校(現・静岡市立葵小学校)卒業後、近くの建具店に奉公に出るが、1915年(大正4年)に家出同然で上京。 その後、伊藤音次郎を頼り、1917年に(大正6年)に工員として伊藤飛行機研究所に入る。1919年(大正8 年)には飛行機の操縦訓練を受けるようになり、1921年(大正10年)に、勤め先で知り合った女性と結婚。1923年(大正12年)に三等飛行機操縦士免状を交付され、退社。 翌1924年(大正13年)、安東練兵場の隣地に青島文化教材社の前身となる青島飛行機研究所を設立し、資金を集めてニューポール83型機「静岡号」で郷土訪問飛行を果たした。
大石 光之助(おおいし こうのすけ、1896年(明治29年)… 大石 光之助(おおいし こうのすけ、1896年(明治29年)9月9日 - 1971年(昭和46年)2月8日)は、日本の実業家。静岡新聞社初代社長。静岡放送創設者。 静岡県静岡市出身。浅吉の三男、あるいは磯吉の男。上京して徳富蘇峰の書生になる。徳富の国民新聞社に入社。欧米業界を視察する。 経営不振に陥っていた静岡民友新聞社の再建にあたる。1928年に総支配人となる。1941年に戦時新聞統合により県下6紙を統合して「静岡新聞」が創立されると初代社長に就任。 放送界にも進出し、1952年に静岡放送を設立、社長となる。1971年、駿府博物館設立。趣味は庭球、家庭菜園。住所は静岡市紺屋町、東京都目黒区平町。