梶田 功(かじた いさお、1940年(昭和15年)3月17日… 梶田 功(かじた いさお、1940年(昭和15年)3月17日 - )は、日本の政治家。元大阪府箕面市長(1期)、B&G財団元会長。 大阪府出身。大阪府立園芸高等学校卒。箕面市役所に入り、職員課長、市民生活、生涯教育推進、総務の各部長、消防長、助役などを務める。 2000年箕面市長橋本卓が病気を理由に辞職。これに伴う市長選挙に立候補し、当選する。市長を1期務め、2004年の市長選挙では再選を目指したが、元箕面市議の藤沢純一に敗れた。2004年より2017年までブルーシー・アンド・グリーンランド財団会長。 2010年、旭日双光章を受章。
岡本 泰明(おかもと やすあき、1939年(昭和14年)11… 岡本 泰明(おかもと やすあき、1939年(昭和14年)11月14日 - 2020年(令和2年))は、日本の政治家。元大阪府柏原市長(2期)。 大阪府出身。大阪大学法学部卒業。柏原市議会議員を経て、2005年(平成17年)柏原市長選挙に立候補し、当選。2009年(平成21年)に再選。2013年(平成25年)に退任した。
木原 敬介(きはら けいすけ、1939年〈昭和14年〉11月… 木原 敬介(きはら けいすけ、1939年〈昭和14年〉11月5日 - )は、日本の政治家。大阪府堺市長(第18代)。世界最大級の墳墓「仁徳天皇陵古墳」(堺市堺区、大仙陵古墳)をはじめ、百舌鳥・古市古墳群がユネスコ世界遺産に登録された功労者。 大阪府豊中市に生まれ、四條畷市で育つ。大阪府立豊中高等学校卒業(高10期)。大阪大学法学部卒業。 伊藤忠商事に勤務した後、1964年(昭和39年)に大阪府庁に入庁。美原町・堺市助役、大阪府企業局長、大阪府水道企業管理者を経て、2001年(平成13年)に堺市長選挙に無所属で出馬し、初当選を果たした。2005年、前大阪府議会議員(当時)の森山浩行を破り、堺市長に再選。
坪井 一宇(つぼい かずたか、1939年7月15日 - 20… 坪井 一宇(つぼい かずたか、1939年7月15日 - 2020年11月9日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。位階は従四位。 大阪府大阪市出身。妻の坪井まき(坪井万起)は2003年の大阪市議選に自由民主党から立候補したが落選している。長女は元細野豪志衆議院議員政策担当秘書、参議院議員中村哲治の妻(2006年死去)。
岸 香織(きし かおり、1939年〈昭和14年〉4月6日 -… 岸 香織(きし かおり、1939年〈昭和14年〉4月6日 - 2012年〈平成24年〉6月5日)は、宝塚歌劇団卒業生、宝塚歌劇団公演編成会議議員。本名は岸本理恵子(きしもと りえこ)。 公称身長156cm。愛称は「キッシャン」(姓に由来)。後輩の大方からはキシモトさんと呼ばれていた。 大阪府大阪市出身、大谷高等学校出身。 1957年、宝塚音楽学校入学。1959年、45期生として、宝塚歌劇団入団。宝塚入団時の成績は57人中26位。雪組公演『花田植え/ラブリーロマンス』で初舞台。のちに雪組に配属される。同期生には、高城珠里(元星組男役)、八汐路まり(元月組主演娘役)、藍葉子(野坂昭如と結婚、娘は花景美妃・愛耀子)など。
柴谷 光謹(しばたに みつなり、1939年〈昭和14年〉1月… 柴谷 光謹(しばたに みつなり、1939年〈昭和14年〉1月10日 - 2007年〈平成19年〉7月6日)は、日本の政治家。大阪府八尾市長(第5代、2期)。大阪府議会議員(4期)、八尾市議会議員(3期)を務めた。 大阪府八尾市出身。明治大学農学部卒業。1961年(昭和36年)日本バルカー工業(現バルカー)に勤務。 1967年4月28日の第6回統一地方選挙で日本社会党から立候補。八尾市安中町を拠点に選挙運動を展開し、28歳で八尾市議会議員に初当選した。 以後、市議3期12年を務め、知名度をもとに1983年4月10日の第10回統一地方選挙で大阪府議会議員に鞍替えし初当選。以後、府議4期16年を務めた。
上田卓三(うえだ たくみ、1938年6月24日 - 2005… 上田卓三(うえだ たくみ、1938年6月24日 - 2005年5月26日)は日本の政治家。元衆議院議員・部落解放同盟委員長。
中馬 弘毅(ちゅうま こうき、1936年〈昭和11年〉10月… 中馬 弘毅(ちゅうま こうき、1936年〈昭和11年〉10月8日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、国土交通副大臣(第1次小泉改造内閣)等を歴任した。2013年4月、旭日大綬章を受章。 父は元大阪市長の中馬馨。 大阪市天王寺区生まれ。本籍は父の郷里、宮崎県西都市。 父・馨が大阪市政に携わり市民派として大阪市長を歴任したこともあり、政治を志して都市政策、地方自治法の改正をライフワークとする。 1976年12月、衆議院議員初当選。1984年11月、環境政務次官。1990年2月、自治政務次官。1999年10月、運輸総括政務次官(副大臣)。 2002年10月国土交通副大臣。
岩國 哲人(いわくに てつんど、1936年(昭和11年)7月… 岩國 哲人(いわくに てつんど、1936年(昭和11年)7月11日 - 2023年(令和5年)10月6日)は、日本の政治家。 衆議院議員(4期)、島根県出雲市長(2期)、民主党副代表、同国際局長、衆議院懲罰委員長、自由民主党政務調査会顧問などを歴任。 大阪府大阪市生まれ。大阪市立曽根崎小学校(後の大阪市立大阪北小学校。現在廃校)1年生の時に父が他界し、母の故郷である島根県簸川郡西浜村(後の湖陵町、現出雲市)に転居。小学校、中学校の頃は野球部に入っていた。長男の岩國は母を助けて、高校3年の春まで畑仕事を手伝った。島根県立出雲高等学校を経て1959年、東京大学法学部卒業。大学時代は政治学を学んだ。 1959年、日興證券入社。
中島 章夫(なかじま あきお、1936年1月27日 - 20… 中島 章夫(なかじま あきお、1936年1月27日 - 2024年6月8日)は、日本の文部官僚、政治家。衆議院議員、参議院議員。大阪府枚方市出身。
岡本 日出士(おかもと ひでし、1936年(昭和11年)1月… 岡本 日出士(おかもと ひでし、1936年(昭和11年)1月1日 - )は、日本の政治家。元大阪府大東市長(3期)。旭日小綬章受章。 大阪府出身。1954年大阪市立都島工業高等学校(現・大阪府立都島工業高等学校)卒。同年盛工務店に勤務。のち岡本建設を設立、社長となる。ほか四条保育園理事長なども務める。 政治面では1976年に大東市議会議員に当選し、2期務め、市議会副議長を務めた。2000年大東市長選挙に立候補し、現職の近藤松次を破って初当選。2004年に再選。2008年に三選。2012年に退任した。
近江 巳記夫(おおみ みきお、1935年〈昭和10年〉10月… 近江 巳記夫(おおみ みきお、1935年〈昭和10年〉10月1日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(10期)。元科学技術庁長官。 1954年 (昭和29年) 大阪市立都島工業高等学校建築科卒業。1962年(昭和37年)関西大学経済学部卒業。1963年(昭和38年)大阪市会議員(西成区選挙区)に当選。1967年(昭和42年)2月の第31回衆議院議員総選挙の大阪3区に公明党から立候補し初当選(通算10回)する。委員長の竹入義勝の下で中央執行委員を歴任。 1986年(昭和61年)12月の公明党大会で委員長選出された委員長の矢野絢也の下で中央統制委員長、国会対策副委員長を歴任。 1990年(平成2年)11月に委員長の石田幸四郎の下で筆頭・中央執行副委員長に就任。
堺屋 太一(さかいや たいち、1935年7月13日 - 20… 堺屋 太一(さかいや たいち、1935年7月13日 - 2019年2月8日)は、日本の政治家、通産官僚、小説家、評論家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 経済企画庁長官(第55・56・57代)、内閣特別顧問、内閣官房参与などを歴任した。また、株式会社堺屋太一事務所および株式会社堺屋太一研究所の代表取締役社長であり、様々な博覧会のプロデューサーとしても活動していた。 本名は池口 小太郎(いけぐち こたろう)であり、ペンネームの由来は、先祖の商人が安土桃山時代に堺から谷町に移住した際の名前である「堺屋太一」から採ったものである(堺屋は屋号にあたる)。 谷町に近い大阪市東区岡山町(現:中央区玉造)生まれ。
清水 行雄(しみず ゆきお、1933年(昭和8年)8月21日… 清水 行雄(しみず ゆきお、1933年(昭和8年)8月21日 - 2005年(平成17年)12月3日)は、日本の政治家。大阪府東大阪市長。 大阪府出身。大阪商業大学高等学校卒。1967年、東大阪市議会議員に当選、4期務める。1982年、大阪府議会議員の補欠選挙に当選し、3期務める。3期目途中の1989年の東大阪市長選挙に立候補して当選し、3期務めた。3期目途中の1998年、不正に健康保険証を取得したとして詐欺罪、電磁的公正証書原本不実記載罪、健康保険法違反の容疑で逮捕され、市長を辞職した。裁判では執行猶予付きの有罪判決が確定した。2005年死去。
藤田 スミ(ふじた すみ、1933年4月3日 - 2011年… 藤田 スミ(ふじた すみ、1933年4月3日 - 2011年3月31日)は日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、7期)。「おスミさん」の愛称で親しまれた。母親運動に従事。 大阪府堺市出身。大阪府立三国丘高等学校卒。 1973年から3期にわたり大阪府議を務め、黒田革新府政の与党議員として府議会を支えた。 1979年の第35回衆議院議員総選挙に、病気療養で引退を表明した荒木宏から地盤を受け継ぎ、大阪府第5区から日本共産党公認で立候補し、初当選を果たす(定数5のうち2位。なお、この選挙で共産党は府内7選挙区全てで、公認候補者が当選)。 「母と子の願いをまっすぐ国会に届ける母親政治家」をキャッチフレーズに衆議院議員を7期21年務め、2000年に引退、地盤を眞鍋穰に譲り、以後は党の中央委員などを歴任する。
佐藤 祐弘(さとう すけひろ、1933年2月20日 - )は… 佐藤 祐弘(さとう すけひろ、1933年2月20日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、通算3期)。 大阪府大阪市大正区出身。大阪府立高津高校定時制卒業。カメラマン、赤旗記者などを経て、1983年の衆院選で東京10区から出馬し初当選を果たす。以後3期連続で衆議院を務めた後、1993年の衆院選には出馬せず引退を表明する。地盤は元赤旗外信部記者の佐々木陸海に継承。
中山 正暉(なかやま まさあき、1932年〈昭和7年〉6月1… 中山 正暉(なかやま まさあき、1932年〈昭和7年〉6月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属で衆議院議員を務めた。大阪市出身。学位は法学士。勲等は勲一等旭日大綬章。財団法人異文化コミュニケーション財団理事。 父は戦前に衆議院議員、戦後に参議院議員を務め、弁護士でもあった中山福蔵。母は初の女性閣僚(厚生大臣)となった中山マサ。 大阪市西区に生まれ、大阪府立生野中学校(旧制)に入学。太平洋戦争後の学制改革に伴い、男女共学化のための交流先の大阪府立勝山高等学校(勝山高等女学校)に移り、勝山高校を卒業。1955年(昭和30年)に中央大学法学部法律学科を卒業した。 母マサが第1次池田内閣の厚生大臣時代に秘書官を務めたのをきっかけに、政界入りする。
西中 清(にしなか きよし、1932年6月3日 - 2016… 西中 清(にしなか きよし、1932年6月3日 - 2016年2月22日)は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(7期)。 大阪府池田市出身。1956年京都工芸繊維大学工芸学部卒。聖教新聞記者、公明党京都府本部事務長となり、1969年の総選挙で旧京都2区から立候補して初当選。7期務めた。衆院交通安全委員長などを歴任した。1993年に引退した。 2016年2月22日、急性呼吸不全のため死去。83歳没。 峯山昭範(参議院議員)は義弟。
矢野 絢也(やの じゅんや、1932年〈昭和7年〉4月27日… 矢野 絢也(やの じゅんや、1932年〈昭和7年〉4月27日 - )は、日本の政治家、政治評論家。 衆議院議員(9期)、公明党委員長(第4代)、大阪府議会議員(1期)などを歴任した。位階勲章は旭日大綬章。 のちに、創価学会を脱会した。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 大阪府八尾市出身。大阪府立山本高等学校卒業。1953年(昭和28年)、創価学会に入会。当時は京都大学経済学部3回生だった。1955年(昭和30年)3月、同大学卒業。同年4月、大林組に就職。 1963年(昭和38年)の大阪府議会議員選挙に大阪市生野区選挙区から立候補し初当選。 1967年(昭和42年)1月29日に行われた第31回衆議院議員総選挙に旧大阪4区から公明党公認で立候補し、トップで初当選を果たした。
井上 一成(いのうえ いっせい、1932年〈昭和7年〉1月5… 井上 一成(いのうえ いっせい、1932年〈昭和7年〉1月5日 - 2025年〈令和7年〉8月25日)は、日本の元政治家、元大学教授。位階は従三位、勲等は勲一等。大阪府摂津市長、衆議院議員、衆議院運輸委員会委員長、日本社会党副委員長、郵政大臣を歴任した。 大阪府三島郡鳥飼村(現在の摂津市鳥飼野々)で農家の長男として生まれる。1950年(昭和25年)に大阪府立茨木高等学校、1954年(昭和29年)に同志社大学経済学部卒業。 1968年(昭和43年)、地元摂津市の市制施行後最初の市長選挙に36歳で当選し、前身である三島町の成立以来町長・市長を12年務めた深田丈夫に代わって市長に就任した(当時の史上最年少市長)。
西辻 豊(にしつじ ゆたか、1930年(昭和5年)12月28… 西辻 豊(にしつじ ゆたか、1930年(昭和5年)12月28日 - )は、日本の政治家。大阪府八尾市市長(第4代)。NPO法人やお文化協会の理事長(2017年現在)。旭日双光章受章。 大阪府、現在の八尾市出身。大阪府立八尾中学校(旧制)卒業(50期。現大阪府立八尾高等学校)。1951年(昭和26年)大阪市立都島工業専門学校を卒業。 八尾市役所に就職し、第3代市長山脇悦司のもとで総務課長や、教育委員会管理部長、市総務部長、助役などを務めた。1995年(平成7年)4月23日の第13回統一地方選挙で、八尾市長選挙に出馬。元市議の田中誠太を破り、初当選した。 市職員時代の1950年(昭和25年)11月3日(文化の日)に「優良職員」として表彰された。
磯村 隆文(いそむら たかふみ、1930年(昭和5年)12月… 磯村 隆文(いそむら たかふみ、1930年(昭和5年)12月8日 - 2007年(平成19年)11月26日)は、日本の政治家、経済学者。大阪市長(第16代)、大阪市助役、大阪市立大学名誉教授。経済学博士(大阪市立大学)。大阪市出身。 大阪市立大学では経済学部長等の要職を務めたが、1990年に西尾正也大阪市長(当時)に請われ、大阪市助役に就任。行政マンに転身した。 1995年に西尾市長の後継として、共産党以外のいわゆる「オール与党」の推薦で大阪市長選に立候補して初当選。観光やスポーツ振興による都市活性化をめざす「国際集客都市」を公約し、西尾市長時代に浮上した大阪オリンピック構想をその目玉とした。 公約に基づき、任期中には多くの集客施設を開業させ、負の遺産となった(2023年9月時点でなにわの海の時空館のみ売却出来ておらず、「大阪市最後の負の遺産」として残存)。
野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月1… 野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月10日 - 2015年〈平成27年〉12月9日)は、日本の小説家、歌手、作詞家、タレント、政治家。参議院議員(1期、任期途中で退職)を務めた。 神奈川県鎌倉市で生まれる。程なく生母が亡くなり、兵庫県神戸市の親戚宅の養子に。空襲で養父を失い、疎開先で妹を栄養失調で亡くし放浪した。こうした体験から、「焼跡闇市派」を自称した。 早稲田大学仏文科中退。在学中からコント・テレビの台本、CMソングの作詞などで活躍。 『エロ事師たち』(1963年)で小説家デビュー。妹への贖罪から書いた『火垂るの墓』(1967年)、占領下の世相を描いた『アメリカひじき』(1967年)で直木賞受賞。
有馬 朗人(ありま あきと、1930年〈昭和5年〉9月13日… 有馬 朗人(ありま あきと、1930年〈昭和5年〉9月13日 - 2020年〈令和2年〉12月6日)は、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。位階は正三位。旭日大綬章。学位は理学博士(東京大学、1958年)。東京大学名誉教授、財団法人日本科学技術振興財団会長、科学技術館館長、武蔵学園学園長、公立大学法人静岡文化芸術大学理事長(初代)。文化勲章受章者。 国立大学協会会長(第14代)、東京大学総長(第24代)、理化学研究所理事長(第7代)、参議院議員、文部大臣(第125代)、科学技術庁長官(第58代)などを歴任した。 主に、原子核物理学の分野で国際的に知られ、原子核構造論などで多くの業績を上げた。
山西 敏一(やまにし としかず、1929年(昭和4年)10月… 山西 敏一(やまにし としかず、1929年(昭和4年)10月25日 - 没年不詳)は、日本の政治家。大阪府柏原市市長(第3代)。8期32年間を務め引退後、後継に指名の人物が出馬した市長選で、対立候補の岡本泰明(第4代市長)が不利になる記事をミニコミ紙に書かせ、買収容疑で逮捕。在任中に随意契約の便宜を業者に図り続けた収賄も発覚し、実刑判決を受けた。 1947年(昭和22年)旧制大阪府立八尾中学校(現大阪府立八尾高等学校)を卒業し、関西学院大学へ進み、1952年法学部法律学科を卒業。 1973年3月の柏原市長選で「全く門外漢と申しますのか、行政の素人」ながら立候補し初当選して以降、連続当選。2001年(平成13年)2月11日に投開票の市長選で得票率57.88%(1万5,714票)で8期目を務めたが、75歳になるのを機に健康上の理由と称して引退表明。
福間 知之(ふくま ともゆき、1927年9月20日 - 20… 福間 知之(ふくま ともゆき、1927年9月20日 - 2000年1月7日)は、日本の政治家、参議院議員(3期)。日本社会党に所属し、派閥は政構研であった。 大阪府大阪市出身。旧制大阪府立市岡中学校卒業。1946年松下電器入社。1953年同労組書記長、同委員長、1962年電機労連中央執行副委員長、1964年初代IMF-JC(全日本金属産業労働組合協議会)議長を経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙全国区に無所属(電機労連の組織内候補)で立候補し、初当選。その後、日本社会党に入党。 1986年、日本社会党政策担当中執。 1992年、第16回参議院議員通常選挙に立候補せず政界引退。 1997年、秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。
瀬崎 博義(せざき ひろよし、1927年3月28日 - 20… 瀬崎 博義(せざき ひろよし、1927年3月28日 - 2000年12月2日)は日本の政治家。衆議院議員(日本共産党公認、5期)などを務めた。元三田木材工業企業組合理事長。 大阪府大阪市出身。東京大学工学部電気工学科を卒業後、旧石部町(現・湖南市)議、瀬崎林業取締役を経て、1972年の衆議院議員選挙(滋賀県全県区)に日本共産党から立候補。定数5のうち4位に滑り込み初当選を果たす。 連続5期務めるが、1986年の衆議院議員選挙にて落選。その後、日本共産党名誉幹部会顧問などを歴任するが、2000年12月2日、滋賀県内の病院で気管支喘息により死去。73歳。 瀬崎の落選以降、共産党は滋賀県全県区から当選者を出していない。
大下 勝正(おおした かつまさ、1927年(昭和2年)2月1… 大下 勝正(おおした かつまさ、1927年(昭和2年)2月18日 - 2023年(令和5年)12月28日)は、日本の政治家。元東京都町田市長(5期)。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立北野中学校 (旧制)、大阪高等学校 (旧制)文科を経て、1948年京都大学法学部卒業。 日本社会党入党後、鈴木茂三郎元日本社会党委員長の秘書を経て、社会党中央本部政策審議会に勤務。1970年、町田市長選挙に出馬し、初当選を果たした。以後、1990年まで5期20年にわたり町田市長を務める。町田市長在任中、日本国有鉄道横浜線の原町田駅(当時)および小田急電鉄の新原町田駅(当時)の駅前再開発に着手し、約700メートル離れていた二駅を、国鉄の原町田駅の位置を移転させ、駅名をいずれも町田に統一させた。
西尾 正也(にしお まさや、1926年(大正15年)11月2… 西尾 正也(にしお まさや、1926年(大正15年)11月26日 - 1998年(平成10年)3月26日)は、日本の政治家、地方公務員、実業家。第15代大阪市長(2期8年)。大阪市東淀川区出身。
八木 大介(やぎ だいすけ、1926年8月9日 - 2012… 八木 大介(やぎ だいすけ、1926年8月9日 - 2012年4月20日)は、日本の作家、政治家。位階は正五位。参議院議員(1期)。本名は木本 平八郎(きもと へいはちろう)。 大阪府枚方市出身。1951年、京都大学経済学部を卒業し、協和交易(後の三菱商事)へ入社。コロンビア三菱商事副支配人や機械総括部次長などを務める。1981年3月に『青年重役』が日本経済新聞の懸賞経済小説に当選し、著述業にも手を広げた。 1983年5月1日、定年まで1年半を残して退社。翌月の第13回参議院議員通常選挙に家族の反対を押し切って立候補し、サラリーマン新党から比例区で当選を果たす。この時、数年の間に大きく境遇が変化したことを「経済学部から文学部に移って、今度は法学部に来てしまったようなもの」と喩えた。
松本 善明(まつもと ぜんめい、本名:まつもと よしあき、1… 松本 善明(まつもと ぜんめい、本名:まつもと よしあき、1926年5月17日 - 2019年6月24日)は、日本の弁護士、日本共産党名誉役員、公益財団法人いわさきちひろ記念事業団評議員。元衆議院議員。最初の妻は画家のいわさきちひろ(1974年死別)。 大阪府生まれ。北野中学校(現:大阪府立北野高等学校)卒業。海軍兵学校(75期)で終戦を迎え、1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科在学中に日本共産党に入党。1949年(昭和24年)大学を卒業して国会秘書となり、1950年(昭和25年)にいわさきと結婚。1951年(昭和26年)司法試験合格、1952年(昭和27年)に司法修習生となり、1954年(昭和29年)からは弁護士として、松川事件やメーデー事件、労働争議に関わる。
和田 貞夫(わだ さだお、1925年1月5日 - 2016年… 和田 貞夫(わだ さだお、1925年1月5日 - 2016年12月18日)は、日本の政治家。元日本社会党(のち社会民主党)衆議院議員(4期)。 大阪府和泉市出身。1943年(昭和18年)、成器商業学校卒。1947年(昭和22年)、大阪府庁に入る。大阪府職員組合自治労大阪本部を立ち上げて書記長に就任。1951年(昭和26年)、日本社会党に入党。後に大阪府本部政審会長などを歴任する。1959年(昭和34年)、大阪府議会議員選挙に立候補して当選、3期務める。 1971年(昭和46年)、堺市長選挙に立候補するため、府議を辞職。同選挙には元自民党府議の中井信夫(元府議会議長)、元民社党府議の土師半六も立候補し、激戦となったが、土師に2000票余の差で次点に終わった。
江村 利雄(えむら としお、1924年(大正13年)10月2… 江村 利雄(えむら としお、1924年(大正13年)10月24日 - 2019年(令和元年)10月24日)は、日本の政治家。位階は正五位。 大阪府高槻市長を務めた。学校法人常翔学園評議員会議長。 高槻市出身。摂南工科専門学院(のち大阪工業大学専門学院、1979年廃止)土木科卒業後、大阪府庁に入庁。水道部参事兼上水課長、水道部技術長、水道技術管理者などを経て定年退職。大阪府庁を退職後、高槻市助役に就任。 1984年(昭和59年)、高槻市長選挙に立候補し初当選。1988年(昭和63年)、高槻市長選挙で2度目の当選。1992年(平成4年)、高槻市長選挙で3度目の当選。1996年(平成8年)、高槻市長選挙で4度目の当選。
左藤 恵(左藤 惠、さとう めぐむ、1924年2月28日 -… 左藤 恵(左藤 惠、さとう めぐむ、1924年2月28日 - 2021年1月9日)は、日本の政治家、弁護士(大阪弁護士会所属)。位階は正三位。 衆議院議員(10期)、国土庁長官、郵政大臣、法務大臣を歴任した。 大阪府大阪市出身。旧制大阪府立住吉中学校(現:大阪府立住吉高等学校)卒業。旧制高知高等学校を経て、1945年9月京都帝国大学法学部卒業。同年10月、逓信院入省。郵政省に所属し、大臣官房文書課長補佐、外務省出向(ジュネーブ領事)、貯金局国際業務部長、電波監理局放送部長、松山郵政局長などを歴任。 1969年、大阪府知事であった父・左藤義詮の在任中に旧大阪6区から自民党公認で立候補し初当選。衆議院議員連続当選10回(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
岡澤 完治(おかざわ かんじ、1923年(大正12年)6月2… 岡澤 完治(おかざわ かんじ、1923年(大正12年)6月25日 - 1972年(昭和47年)6月27日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(2期、民社党)。位階は正五位、勲等は勲三等。 大阪府枚方市津田町生まれ。母親とは早くに死別した。 小学校卒業後、府立四條畷中学校に学ぶ。1945年(昭和20年)、陸軍士官学校卒業。 1946年(昭和21年)4月、京都大学法学部入学。卒業後、大学院に進学し国際法を専攻した。 1954年(昭和29年)、法曹界に入る。愛情と信頼を信条とし、進んで恵まれない人たちの弁護を引き受け、「庶民の岡沢、正義の岡沢」として知られた。 1959年(昭和34年)、大阪府議会選挙に際し、やがて第二の故郷となった大東市から日本社会党公認として立候補し、当選したが、これは、岡沢が庶民の中に親しく入っていった庶民性と行動力がその根底にあったからである。
原 曻(はら のぼる、1922年(大正11年)5月8日 - … 原 曻(はら のぼる、1922年(大正11年)5月8日 - 2016年(平成28年)2月14日)は、日本の政治家。大阪府岸和田市長。大阪府市長会顧問。 大阪府岸和田市出身。元特攻隊隊員。1956年(昭和31年)関西大学経済学部を卒業後、岸和田市役所に入る。1962年(昭和37年)青少年課長、1965年(昭和40年)職員課長、1970年(昭和45年)総務部長と昇進を続け、1973年(昭和48年)の岸和田市長選挙に立候補、社会党と共産党の推薦を得て、当時4選を狙っていた自民推薦の現職・中澤米太郎を破り初当選する。泉州地域では初めて社共共闘による革新市長が誕生した。 定住外国人(主に在日朝鮮人)への地方参政権付与を認める決議を採択し、韓国の当時の大統領盧武鉉より修交勲章崇礼章を授与された。
玄 梧鳳(ヒョン・オボン、朝鮮語: 현오봉、1922年3月2… 玄 梧鳳(ヒョン・オボン、朝鮮語: 현오봉、1922年3月26日または1923年3月26日 - 1982年10月16日)は、大韓民国の政治家。第4・6・7・8・9・10代大韓民国国会議員。本貫は延州玄氏(朝鮮語版)。 済州島の南済州郡で生まれた。日本の興國商業学校(現・興國高等学校)卒業。1969年ソウル大学校経営大学院修了。光復後、左翼が活発だった済州島でしばらく警察に籍を置いて、済州警察署通信課長・公報室長を務めたが、1947年に商工部鉱務局に移った。 1956年に大明鉱業開発の専務を務め、その後1958年5月2日に行われた第4代総選挙で初当選し国会議員となり、自由党院内副総務・院内総務を務めた。
森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 198… 森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 1987年11月14日)は、日本の実業家、政治家。森下仁丹社長、参議院議員(3期)。 大阪府大阪市出身。森下仁丹創業者森下博の孫。旧制甲南高校から京都帝国大学に進学するも、在学中の1943年3月に祖父の死去に伴い森下仁丹社長に就任。同年9月には戦争の激化に伴い大学を繰り上げ卒業し、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。海軍艦政本部出仕兼海軍航空本部出仕となる。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進。東京監督官事務所監査官付を経て、監督会計官付で終戦を迎えた。
塩川 正十郎(しおかわ まさじゅうろう、1921年〈大正10… 塩川 正十郎(しおかわ まさじゅうろう、1921年〈大正10年〉10月13日 - 2015年〈平成27年〉9月19日)は、日本の政治家。位階は正三位。 自由民主党から立候補し衆議院議員(11期)。この間財務大臣(第2代)、自治大臣(第42代)、国家公安委員会委員長(第52代)、内閣官房長官(第50代)、文部大臣(第108代)、運輸大臣(第52代)、自由民主党総務会長などを歴任。 財団法人国民政治協会(自民党の政治資金団体)会長、財団法人自由国民会議(同党の党友組織)所属。 その他、東洋大学総長、財団法人関西棋院理事長、特定非営利活動法人武士道協会理事長、『ベストヒット歌謡祭』(旧『全日本有線放送大賞』)実行委員会名誉会長なども務めた。
坪野 米男(つぼの よねお、1920年(大正9年)7月4日 … 坪野 米男(つぼの よねお、1920年(大正9年)7月4日 – 2008年(平成20年)8月16日)は、昭和から平成期の弁護士、政治家。衆議院議員。 大阪府大阪市出身。第三高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学法学部を卒業。厚生省に入省し大臣官房属となる。同年7月、高等試験行政科試験に合格。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1948年(昭和23)に退官して、弁護士、税理士を開業。京都市人権擁護委員、国民救援会京都府連副会長を務めた。
原田 憲(はらだ けん、1919年(大正8年)2月12日 -… 原田 憲(はらだ けん、1919年(大正8年)2月12日 - 1997年(平成9年)1月29日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(14期)、運輸大臣、郵政大臣、経済企画庁長官を歴任した。長男は衆議院議員の原田憲治。 大阪府出身。父親は大阪府議会議長を務めた。大阪府立第十三中学校(現・大阪府立豊中高等学校)、関西大学予科を経て、1942年(昭和17年)明治大学専門部政治科を中退。池田産報協力工業労務課長、農工社勤労人事課長、原田印刷工業社長、阪神毎朝新聞社長などを務めた。 1946年(昭和21年)27歳で大阪2区(当時)より第22回衆議院議員総選挙に日本自由党から立候補したが落選。翌1947年(昭和22年)旧大阪3区より第23回衆議院議員総選挙に日本自由党から立候補し初当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘・増田甲子七・中山マサ・松野頼三・倉石忠雄・石田博英・園田直・櫻内義雄・根本龍太郎・佐々木秀世・中村寅太など)。
北川 石松(きたかわ いしまつ、1919年1月28日 - 2… 北川 石松(きたかわ いしまつ、1919年1月28日 - 2013年5月19日)は、日本の政治家。環境庁長官(第24代)、衆議院議員(6期)、大阪府議会議員(5期)、寝屋川市議会議員(1期)等を歴任した。位階は従三位。 長男北川法夫は元・寝屋川市長。次男北川知克は元衆議院議員。 大阪府寝屋川市生まれ。関西大学第二商業学校、大阪工業専修学校応用化学科を卒業。関西大学法学部中退。 1951年、寝屋川市議会議員選挙に出馬し、初当選した。1955年には大阪府議会議員選挙に鞍替えし、当選。以後5期連続で当選し、1970年には大阪府議会議長に就任する。 1972年、第33回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧大阪府第3区から出馬するが、落選。
吉川 悦次(よしかわ えつじ、1918年(大正7年)6月5日… 吉川 悦次(よしかわ えつじ、1918年(大正7年)6月5日 - 1993年7月21日)は、日本の政治家。大阪府大阪狭山市長(8期)。 大阪府南河内郡狭山村(のち狭山町、現・大阪狭山市)出身。1935年(昭和10年)狭山高等小学校卒業。1951年(昭和26年)狭山村役場に入り、土木建設、厚生衛生、水道の各課長などを経て、1962年(昭和37年)9月、狭山町長に当選する。 町長在任中に役場新庁舎、町立公民館・図書館・総合体育館などが完成し、町の人口は増えて、6期目の1985年(昭和60年)には5万人を突破した。7期目の1987年(昭和62年)に狭山町は市制施行し、「大阪狭山市」となり、初代市長に就任した。
北川 謙次(きたがわ けんじ、1916年(大正5年)9月16… 北川 謙次(きたがわ けんじ、1916年(大正5年)9月16日 - 1989年(平成元年)12月23日)は、日本の政治家。東大阪市長(第3代、2期)。息子は元国土交通副大臣を務めた自由民主党元参議院議員の北川イッセイ(北川一成)。日本社会党の大阪府議だった北川信次は従兄。勲等は勲三等瑞宝章。 大阪府出身。1934年(昭和9年)旧制大阪府立八尾中学校(現大阪府立八尾高等学校)を卒業した。 日本社会党公認で布施市(現・東大阪市)議会議員に当選の後に社会党を離党して市会議長などを経て、1967年(昭和42年)4月の統一地方選挙で自民党から立候補し大阪府議会議員(旧布施市選挙区、定数4)に伏見格之助(日本社会党)を抑え得票数4位で当選(伏見は次点に終わる)。
中尾 辰義(なかお たつよし、1916年(大正5年)4月1日… 中尾 辰義(なかお たつよし、1916年(大正5年)4月1日 - 2012年(平成24年)12月20日)は、日本の政治家。参議院議員(4期)。 鹿児島県日置郡串木野村(串木野町、串木野市を経ていちき串木野市)下名の後の串木野市元町に生まれる。1930年3月串木野高等小学校卒業。その後大阪市で学び、1936年3月旧制上宮中学校(現上宮高等学校)卒業、1940年3月大阪歯科医学専門学校(現大阪歯科大学)卒業。1940年12月歩兵入隊、1946年6月内地へ復員。1953年4月大阪市東区で歯科医院を開設し、創価学会に入会。 創価学会船場支部長から1957年(昭和32年)4月の参議院大阪府選挙区補欠選挙に創価学会系無所属として出馬したが落選。
中沢 伊登子(なかざわ いとこ、1915年(大正4年)8月2… 中沢 伊登子(なかざわ いとこ、1915年(大正4年)8月20日 - 2001年(平成13年)11月11日)は、日本の政治家。民社党参議院議員(2期)。 兵庫県出身。1933年(昭和8年)大阪府立阿倍野高等女学校(現・大阪府立阿倍野高等学校)卒、同校補習科修了。神戸生活協同組合理事、神戸市生活指導研究会指導員、宝塚市議会議員などを務める。 1965年(昭和40年)の第7回参議院議員選挙に民主社会党(後の民社党)公認で兵庫県選挙区から出馬して当選。1971年(昭和46年)の第9回参議院議員通常選挙で2選。1975年6月26日、衆議院外務委員会、ILO102号条約批准に伴う母性保護の国内措置が不充分と、攻撃。
小林 章(こばやし あきら、1915年(大正4年)7月10日… 小林 章(こばやし あきら、1915年(大正4年)7月10日 – 1999年(平成11年)8月1日)は、日本の昭和期の大蔵官僚、政治家。参議院議員、日本専売公社総務理事。 大阪府大阪市出身。大阪高等学校を卒業。1937年(昭和12年)10月、高等試験行政科試験に合格。1938年(昭和13年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。同年、大蔵省に入省し主税局属となる。 以後、大阪税関総務部長、松山海運局監理部長、高松財務局経理部長、同関税部長、大蔵省管理局財務第二課長などを歴任した。 日本専売公社に移り、塩業課長、主計課長、仙台地方局長、本社綜合企画室長、塩脳部長、臨時塩業整備本部長、経理部長、企画部長、総務理事を歴任し、1964年(昭和39年)に退任した。
川崎 秀二(かわさき ひでじ、1911年(明治44年)9月1… 川崎 秀二(かわさき ひでじ、1911年(明治44年)9月14日 - 1978年(昭和53年)2月22日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は瑞宝章。父親は立憲民政党代議士の川崎克。元厚生労働大臣の川崎二郎は次男。 大阪府大阪市生まれ。1929年(昭和4年)旧制芝中学校卒業。1935年(昭和10年)早稲田大学政治経済学部を卒業。早大時代は陸上部に所属する傍ら、学内の弁論大会に参加し、痛烈な軍部批判を行って入賞したこともある。卒業後はNHKに入局するも、戦時中は応召により中国大陸を転戦、この時の経験から、戦後日中友好運動に挺身することとなる。 企画部副部長を最後にNHKを退職し、戦後初の総選挙となった1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に父親の地盤を引き継いで旧三重1区から日本進歩党公認で立候補し当選、以後当選11回を数える(当選同期に小坂善太郎・二階堂進・江﨑真澄・小沢佐重喜・石井光次郎・坂田道太・水田三喜男・村上勇・井出一太郎・早川崇・中野四郎など)。
黒田 了一(くろだ りょういち、1911年〈明治44年〉3月… 黒田 了一(くろだ りょういち、1911年〈明治44年〉3月16日 - 2003年〈平成15年〉7月24日)は、日本の法学者(憲法)・政治家・弁護士。大阪府知事(2期)。憲法改悪阻止各界連絡会議代表委員。 大阪市北区大淀町生まれ。旧制北野中・旧制三高から東北帝国大学法学部法律学科を卒業後、東北帝国大学法学部助手を経て満洲国高等鉄路警護学校教官などを歴任。終戦後5年間シベリア抑留を経験し、1950年(昭和25年)に帰国。大阪市立大学法学部助教授に就任し、憲法学を担当した。1956年に教授に昇任し学生部長・法学部長を歴任、日本学術会議「学問・思想の自由」委員会委員長・日本科学者会議全国参与・大阪護憲連合代表委員なども務めた。
岡元 義人(おかもと よしと、1910年(明治43年)9月2… 岡元 義人(おかもと よしと、1910年(明治43年)9月27日 - 1958年(昭和33年)11月17日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員。 鹿児島県姶良郡、のちの隼人町(現霧島市)で岡元常助の長男として生まれる。1923年(大正12年)宮崎県立小林中学校(宮崎県立小林高等学校)を卒業。さらに市立大阪工業学校(現大阪府立都島工業高等学校)機械科を卒業した。 1929年(昭和4年)大阪川西内燃機関研究所員となる。1931年(昭和6年)朝鮮西松組に転じた。以後、朝鮮水力電気機関庫主任、国際運輸自動車部主任を経て、承徳と天津市で華北運輸公司を経営し、さらに北京市で北支工廠を経営して終戦を迎えた。