福原 忍(ふくはら しのぶ、1976年12月28日 - )は… 福原 忍(ふくはら しのぶ、1976年12月28日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ、野球解説者、野球評論家。マネジメント契約は株式会社オフィスS.I.Cである。 現役時代から2024年のコーチ退任まで一貫して阪神タイガースに所属。現役最終年の2016年には投手キャプテンを務めた。 二岡智宏とは小学校から広陵高校まで同窓で、小学校では4度クラスメイトになった。野球を始めたのも二岡と兄の影響である。高校3年時は二岡との二枚看板で夏の広島大会では優勝候補筆頭に挙げられていたが、新井貴浩を擁する広島工業高校に敗れた。東都大学野球連盟所属の東洋大学に進学。1部リーグ通算14試合に登板、1勝4敗 防御率4.87で、4年時は春から2部リーグながら秋に6連勝をしてMVPで1部復帰の原動力となった。
村上 正泰(むらかみ まさやす、1974年9月28日 - )… 村上 正泰(むらかみ まさやす、1974年9月28日 - )は、日本の評論家、元財務官僚。山形大学大学院医学系研究科医療政策学講座教授。博士(医学)。 財務、厚生労働の両省での経験を踏まえた医療分野での評論活動を行う医療経済学者。日本医師会総合政策研究機構客員研究員なども兼務。 広島県因島市(2006年、尾道市に編入)出身。岡山白陵中学校・高等学校卒業。1997年に東京大学経済学部を卒業後、大蔵省(後の財務省)に入省。大学生時代から西部邁が主宰する「発言者塾」に参加していた。また、高校生時代に知遇を得た元外交官の国際政治学者である伊藤憲一が理事長を務める財団法人日本国際フォーラムでアルバイトをしていたこともある。
シャオヘイ(xiaohei、1969年 - )は、日本の飲食… シャオヘイ(xiaohei、1969年 - )は、日本の飲食文化ライター、食の評論家、ブロガー、行政書士、講師。広島県出身。快食.com主宰。シャオヘイ行政書士事務所代表。広島県内を食べ歩いて30年になる。本名・池上弘一。 1969年、広島県に生まれる。広島県立府中高等学校を卒業し、広島県庁に入庁し職員になり、商工労働局にて長年奉職。 1998年、ハンドルネーム「シャオヘイ」(漢字表記:小黒)としてウェブサイト「広島快食案内」を開設。メディアに姿は見せず、広島県出身で広島市在住のサラリーマンというプロフィールで活動。後にサイト名を「快食.com」と改名する。 広島ガイドメールマガジン「広島食べ歩き」を執筆。
高津 臣吾(たかつ しんご、1968年11月25日 - )は… 高津 臣吾(たかつ しんご、1968年11月25日 - )は、元プロ野球選手(投手)・監督・野球解説者・評論家。広島県広島市南区出身。現在は東京ヤクルトスワローズ二軍監督を務める。
前田 恒彦 (まえだ つねひこ、1967年(昭和42年)8月… 前田 恒彦 (まえだ つねひこ、1967年(昭和42年)8月25日 - )は、日本の元検察官、法曹資格者、法律事務評論家。 大阪地検特捜部主任検事証拠改竄事件において重要な証拠物件となったフロッピーディスクのデータを改竄したとして逮捕・起訴され、懲戒免職の処分を受けた。 証拠隠滅罪で懲役1年6か月の実刑判決が2011年4月に確定したため、法曹資格を喪失した(2022年5月に法曹資格を回復)。 広島県呉市に生まれる。広島県立呉宮原高等学校を経て、1990年に広島大学法学部を卒業。呉市の実家から1時間半かけて大学に通い、金沢文雄ゼミ(刑法学)に所属。旧司法試験を受けるため、一時期、大学院社会科学研究科法律学専攻の修士課程に在籍した。
原 晋(はら すすむ、1967年〈昭和42年〉3月8日 - … 原 晋(はら すすむ、1967年〈昭和42年〉3月8日 - )は、日本の陸上競技指導者、大学教員、タレント、コメンテーター、評論家、スポーツ解説者、コンサルタント、パネリスト、司会者、元陸上競技選手、元中国電力営業職員。妻は青学大町田寮・寮母の原美穂。 青山学院大学陸上競技部・男子長距離ブロック監督、青山学院大学相模原キャンパス・地球社会共生学部・地球社会共生学科教授、関東学生陸上競技連盟・駅伝対策委員長、GMOアスリーツ・EKIDENダイレクター、三原市・ふるさと大使、埼玉医科大学・客員教授、スポーツ産業化推進議員連盟・アドバイザリーボード、アディダス・キャンペーンアンバサダー、プロ・フィッツ名誉監督、HLBスポーツ・顧問、バディ企画研究所・社外取締役、アスリートキャリアセンター・会長(三重県桑名市と連携協定)、日本トライアスロン連合・理事、ジョリーグッド・社外取締役、神奈川県相模原市・スポーツ宣伝大臣、熊本県球磨郡水上村・アドバイザー、タスキホールディングス・PR大使、鈴廣かまぼこ・魚肉たんぱく戦略アドバイザー、ユニクロ女子陸上部・スペシャルアドバイザー、東北高等学校・教育アドバイザー、株式会社RUNDY・アドバイザー、RUNDY Athlete Club・クラブアドバイザー。
北島 秀一(きたじま しゅういち、1963年1月1日 - 2… 北島 秀一(きたじま しゅういち、1963年1月1日 - 2014年9月1日)は、日本のフードライター、ラーメン評論家。元新横浜ラーメン博物館広報担当。 広島県広島市出身。広陵高等学校卒。進学のため上京、大学の通学路にあった熊本ラーメン桂花に魅せられる。 大学卒業後、大手電機メーカーに就職、出張先でラーメンを食べまくる。新横浜ラーメン博物館が主催するパソコン通信ネット「ラーメンネット」への参加が同博物館のスタッフの目に留まり、1997年、テレビ東京『TVチャンピオン』第4回ラーメン王選手権に出場。決勝戦で石神秀幸との激戦の末惜敗、準優勝。これを機にこの後、同番組の問題作成委員会に加わり、また週刊現代など多くの雑誌にラーメン評論を掲載、ラーメンジャーナリストの草分けとなった。
高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1951年1月1日 -… 高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1951年1月1日 - )は、日本の小説家、文学者、文芸評論家。明治学院大学教授。
村田 兆治(むらた ちょうじ、1949年11月27日 - 2… 村田 兆治(むらた ちょうじ、1949年11月27日 - 2022年11月11日)は、日本のプロ野球選手(投手)、コーチ、解説者、評論家。広島県豊田郡本郷町(現:三原市)出身。旧名は村田 長次(読み同じ)である。 現役時代は東京オリオンズ→ロッテオリオンズで活躍した。そのダイナミックな投球フォームは、「マサカリ投法」と呼ばれていた。通算暴投の日本記録保持者(148回)。 長崎県対馬市の市民球団である『対馬まさかりドリームス』の監督を務めていた。 プロ野球選手を志したのは小学5年の時で、父に連れられて広島市民球場へナイターを観戦しに行ったことがきっかけだった。初めて生で見るプロの試合に鳥肌が立つほど興奮し、それ以来、プロ野球選手以外の将来は考えられなくなったという。
伊原 春樹(いはら はるき、1949年1月18日 - )は、… 伊原 春樹(いはら はるき、1949年1月18日 - )は、広島県甲奴郡上下町(現・府中市)生まれ出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 1971年から1973年の登録名は「伊原 春植」(いはら しゅんしょく)。 ニックネームは「ハル」。 6人兄弟の次男で女4人、男2人の4番目であった。 上下中学校卒業後、1964年に北川工業高校へ進学。古葉竹識の実弟である古葉福生監督の指導を受け、3年次の1966年夏の甲子園県予選では4番打者・三塁手として活躍。福山工との準決勝で本塁打を放ち決勝に進出するが、広島商の山本和行に完封を喫し、甲子園出場を逸する。 高校卒業後は1967年に芝浦工業大学へ進学し、東都大学野球リーグでは在学中2度の優勝を経験。
小川 邦和(おがわ くにかず、1947年2月1日 - )は、… 小川 邦和(おがわ くにかず、1947年2月1日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・評論家・解説者。
山本 浩二(やまもと こうじ、1946年10月25日 - )… 山本 浩二(やまもと こうじ、1946年10月25日 - )は、広島県佐伯郡五日市町(現:広島市佐伯区)出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)、野球解説者・野球評論家。スカパーJSATグループ番組審議会委員。 本名および旧登録名(1974年まで、後述)は「山本 浩司(読み同じ)」。 2014年から2022年まで日本プロ野球名球会理事長を務めた。 「ミスター赤ヘル」(ミスターあかヘル)の愛称で知られ、現役時代は広島東洋カープのスター選手として活躍し、引退後は広島の監督を2度務め、日本代表の監督も務めた。 NPB史上、大卒で500本塁打を達成した唯一の人物で、セ・リーグ初の外野手部門でダイヤモンドグラブ賞(現:ゴールデングラブ賞)を受賞し、セ・リーグ最多記録となるダイヤモンドグラブ賞を10回受賞している。
板垣 英憲(いたがき えいけん、本名「ひでのり」、1946年… 板垣 英憲(いたがき えいけん、本名「ひでのり」、1946年〈昭和21年〉8月7日 - )は、日本の政治評論家、ジャーナリスト。 広島県呉市に生まれる(旧本籍地は鳥取県東伯郡大栄町(現北栄町)、現在はさいたま市在籍)。 東工大理工学部附属工業高校、中央大学法学部法律学科、海上自衛隊幹部候補生学校入校(第23期一般幹部候補生課程)。 1972年、毎日新聞社東京本社記者となり、社会部、政治部に所属。首相官邸に詰め福田赳夫・大平正芳、安倍晋太郎・田中六助各内閣官房長官の番記者を担当した。日本医師会、日本歯科医師会、全国健康保険組合連合会や、経済部に籍を置いて東証記者クラブにも所属、東京証券取引所、四大証券会社(大和・日興・野村・山一)、公正取引委員会などを担当した。
小野 盛司(おの せいじ、1946年 - 2023年11月2… 小野 盛司(おの せいじ、1946年 - 2023年11月23日)は、日本の物理学者、理学博士、進化生物学者、実業家、経済評論家、積極財政を求める運動家と様々な肩書きを持つ。日本ベーシックインカム学会理事。広島県尾道市出身。東京都文京区在住[要出典]。 東京大学大学院博士課程修了、理学博士(東京大学)。 1965年フロイトの『精神分析入門』を読み、彼の考えは間違いであり、人間の行動は性欲ではなく「種の保存」(群選択)で説明できるという説を提唱した。この説に関し心理学者の宮城音弥と議論し、天才的だと言われ自信を得た[要出典]。 専門は物理学であり、1974年東京大学大学院博士課程終了、理学博士(東大)。
白井 寿昭(しらい としあき、1945年1月13日 - )は… 白井 寿昭(しらい としあき、1945年1月13日 - )は、日本の競馬評論家。日本中央競馬会(JRA)の元調教師。所属は栗東トレーニングセンター。 戸籍上の表記は白井 壽昭だが、JRAでは旧字体等の登録が認められていない為、「寿昭」に修正して登録、引退後の活動名も修正表記で行う。 広島県呉市生まれ、大阪府育ち。立命館大学経営学部在学中はマンドリンクラブに所属していた。大学卒業後、1968年に京都・上田武司厩舎で厩務員となる。1973年には同厩舎の調教助手となり、1978年に調教師免許取得。 初出走は1979年10月6日の中京競馬第9競走のハルカボシで14着、初勝利は1980年3月23日の阪神競馬第8競走のスズカセイコーで、延べ46頭目であった。
佐伯 隆幸(さえき りゅうこう、本名読み・たかゆき 1941… 佐伯 隆幸(さえき りゅうこう、本名読み・たかゆき 1941年2月15日 - 2017年1月21日)は、日本の演劇評論家、フランス文学者、学習院大学名誉教授。 シンガーソングライターの大和姫呂未は姪にあたる。 広島県生まれ。愛媛県出身。学習院大学文学部仏文科卒、同大学院博士課程中退。演劇集団68/71(現在の劇団黒テント)創立に参加。同集団の制作部門責任者として1960代後期からのアングラ演劇の左翼的活動の興隆に携わった。のち現場を離れ演劇評論家として活躍。またフランス文学者として駒澤大学教授を経て、学習院大学フランス語圏文化学科の教授を務め、フランスを軸にした現代演劇と演劇史を関心領域としていた。
三浦 紘朗(みうら ひろあき、1941年 - )は、関西を中… 三浦 紘朗(みうら ひろあき、1941年 - )は、関西を中心に活動するフリーアナウンサー、音楽評論家。広島県・尾道市出身。 1965年ラジオ関西局アナウンサーとして入社(同期入社に小山乃里子)。主に洋楽系の音楽番組と報道を中心として出演し、親しみのある語り口とわかりやすい解説でラジオ関西の名パーソナリティーとして親しまれた。 2002年に定年退職、フリーアナウンサーになってからも、ラジオ関西を中心とした関西の放送局で番組を担当している。 80歳を迎え、2022年3月をもって「名曲ラジオ 三浦紘朗です」が終了することになり、長年続けたラジオ関西の番組からすべて降板となる(エフエム宝塚での番組は継続する)。
張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、… 張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者・野球評論家、日本プロ野球名球会会員、韓国野球委員会(KBO)コミッショナー特別補佐官。在日韓国人二世であり、本名は張 勲(読みがな:チャン・フン、ハングル:장훈)。
山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2… 山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2016年9月17日)は、広島県広島市出身のプロ野球選手(外野手)・監督、野球評論家。
石崎 浩一郎(いしざき こういちろう、1935年10月7日 … 石崎 浩一郎(いしざき こういちろう、1935年10月7日 - 2017年11月14日)は、日本の映画・美術評論家。 広島県広島市出身。早稲田大学文学部新聞学科卒。1964年、飯村隆彦、高林陽一、大林宣彦、金坂健二、佐藤重臣、ドナルド・リチー、足立正生らと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成。映画評論、美術評論で活動し、名古屋造形芸術大学教授となり、図書館長を務めた。2006年定年、名誉教授。
有馬 真喜子(ありま まきこ、1933年11月12日 - )… 有馬 真喜子(ありま まきこ、1933年11月12日 - )は、女性問題の評論家、ジャーナリスト。 国民生活センター会長、財団法人横浜市女性協会顧問、特定非営利活動法人ユニフェム日本国内委員会理事長。所属団体は日本記者クラブ、日本エッセイストクラブ、京都大学人類学研究会。 本名は酒井 真喜子 (さかい まきこ)。夫は元朝日新聞編集委員・元東洋大学教授の酒井寛。元夫は明電舎元社員・日本共産党元常任幹部会委員の有馬治雄。父は陸上自衛隊武器学校初代校長や東急車輛製造取締役を歴任した海軍軍人・実業家の谷本政一。 広島県呉市出身。1957年、津田塾大学学芸学部英文学科を卒業し、朝日新聞社に入社。朝日新聞社初の女性記者となった。
大平 和登(おおひら かずと、1933年(昭和8年)1月5日… 大平 和登(おおひら かずと、1933年(昭和8年)1月5日 - 2012年(平成24年)11月15日)は、元東宝インターナショナル代表取締役・エッセイスト・演劇評論家・プロデューサー。 広島市生まれ、山口県出身。1956年(昭和31年) 早稲田大学文学部仏文科卒業後、東宝株式会社入社。 1961年(昭和36年) 米国ロスアンジェルス東宝ラブレア劇場支配人。1963年(昭和38年) ニューヨーク東宝シネマ支配人。 1965年(昭和40年) 帰国。東宝東和宣伝企画課長(出向)。 1969年(昭和44年) ニューヨーク再赴任。東宝ニューヨーク駐在代表(以後2004年まで在住)。 1985年(昭和60年) 第2回山路ふみ子文化賞受賞。
広岡 達朗(ひろおか たつろう、旧字体:廣岡、1932年〈昭… 広岡 達朗(ひろおか たつろう、旧字体:廣岡、1932年〈昭和7年〉2月9日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(内野手)・元監督、野球解説者(評論家)。 現役時代は読売ジャイアンツで活躍、監督としてヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた。千葉ロッテマリーンズゼネラルマネージャーを経て現在は野球評論家。愛称は「ヒロ(さん)」。 実兄・広岡富夫は公務員(広島県庁)からプロ入りした異色の経歴を持ち、広島市民球場第1号本塁打を打った広島カープの元選手である。 辛辣で歯に衣をきせない一面があり、古巣である巨人に対しても批評を下すことがある。 1932年2月9日、広島県呉市にて6人兄弟(男5人、女1人)の末っ子として生まれる。
天瀬 裕康(あませ ひろやす、1931年11月 - )は、日… 天瀬 裕康(あませ ひろやす、1931年11月 - )は、日本の小説家、文芸・SF評論家。日本の著名な同人作家。 本名、渡辺晋(わたなべ すすむ)。 広島県呉市に生まれる。旧制呉一中(現広島県立呉三津田高等学校)2年生のとき、学徒動員先の呉海軍工廠から自宅に戻って就寝中に被爆。 1961年3月、岡山大学大学院医学研究科内科学課程修了。医師。医学博士。本名でのSFファン活動も行い、SF同人誌「宇宙塵」では初期からの同人。また自身でも同人誌「イマジニア」を主宰していた。「SFマガジン」にコラムを連載したこともある。1969年8月には「日本SFファンダム賞」受賞。 2004年5月、広島ペンクラブ副会長。
上総 英郎(かずさ ひでお、1931年〈昭和6年〉1月1日 … 上総 英郎(かずさ ひでお、1931年〈昭和6年〉1月1日 - 2001年〈平成13年〉7月21日)は、文芸評論家。 広島県生まれ。本名・中村宏。早稲田大学文学部フランス文学科卒。同大学院修士課程修了。1967年『三田文学』で「共感と挫折」を発表し、文芸評論家として活動を開始。二松学舎大学教授を務めた。遠藤周作などキリスト教作家を論じた。
古林 尚(ふるばやし たかし 1927年11月20日 - 1… 古林 尚(ふるばやし たかし 1927年11月20日 - 1998年12月30日)は日本の文芸評論家。本名の読み方は「ひさし」。 広島県府中町に生まれる。海軍小学校、県立府中中学校(現・広島県立府中高等学校)、旧制姫路高等学校(現・神戸大学)理科乙類卒業。1950年、早稲田大学露文科入学。同年、早稲田大学10月闘争に立会い、1952年には10月闘争の記録『真実のあかしのために』を日高書店から刊行した。1953年、日本近代文学研究所の所員となる。1954年早稲田大学を卒業。 高校で国語教師を務め、また大学で近現代文学を教える傍ら、主としてマルクス主義・戦後民主主義の立場から戦後日本文学を研究し、文芸評論を発表。
佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 20… 佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 2008年6月28日)は、日本の編集者、評論家、随筆家である。雑誌『酒』(1955年 - 1997年)編集長。「カープを優勝させる会」を旗揚げし奔走したことで知られる。 広島県広島市出身。3歳から酒をたしなむ。広島女子商業学校(現広島翔洋高等学校)を経て広島大学に進学。1945年には広島市への原子爆弾投下により爆心地から1.9km離れた自宅で被爆。自身は母親と共に救出されたが、5年後には父親を原爆症により亡くした。第二次世界大戦後は広島で青年運動・平和運動・新劇などの活動もしていた。 大学卒業後、NHK広島放送局勤務を経て、単身で上京。1955年4月、雑誌『酒』を創刊。
桑原 住雄(くわばら すみお、1924年7月15日 - 20… 桑原 住雄(くわばら すみお、1924年7月15日 - 2007年12月15日)は、日本の美術評論家。 広島県広島市生まれ。幼少時、両親とともに台湾に渡り旧制台北高校から東京帝国大学に進む。三重海軍航空隊を経て広島で原爆投下により被爆。戦後復学して美術史を専攻。同大学院修了ののち東京新聞社勤務を経て朝日新聞社企画部に入社。1977年筑波大学教授に転じ、その後武蔵野美術大学教授に就任。世田谷美術館開設準備委員など数多くの美術館運営にも参画した。 1993年、脳出血に倒れ療養生活に入り、2007年12月15日心不全で死去。 美術記者として戦後の美術界を精力的に取材してまわった一方、1960年代初頭には米国務省の招聘で渡米し、アメリカ美術の紹介でも先駆的役割を果たした。
藤原 弘達(ふじわら ひろたつ、1921年〈大正10年〉7月… 藤原 弘達(ふじわら ひろたつ、1921年〈大正10年〉7月31日 - 1999年〈平成11年〉3月3日)は、日本の政治学者、評論家。広島県尾道市生まれ。「ふじわら こうたつ」と呼ばれることが多い。 雑貨店の忠雄と美容師キクノの長男。5歳の時に父を腸チフスで亡くし、母は国鉄駅員と再婚。尾道市立筒湯小学校(現・尾道市立久保小学校)、福山誠之館中学を経て、第六高等学校に入学。同級生に星野直樹次男の星野良二。 1942年(昭和17年)東京大学法学部に入学。同級生に志垣民郎。高等学校の教師の伝手で法制局参事官の長村貞一の邸宅に下宿していた。1943年(昭和18年)12月末に学徒出陣に召集され、歩兵第11連隊補充隊(広島西部第2部隊)にて3か月間の普通教育を受けたのち、久留米第一予備士官学校に入学。
阿川 弘之(あがわ ひろゆき、1920年〈大正9年〉12月2… 阿川 弘之(あがわ ひろゆき、1920年〈大正9年〉12月24日 - 2015年〈平成27年〉8月3日)は、日本の小説家、評論家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。広島県名誉県民。日本李登輝友の会名誉会長。 海軍体験を基にした戦争物や私小説的作品、伝記物で知られる。代表作として『春の城』『雲の墓標』のほか、大日本帝国海軍提督を描いた3部作(海軍提督三部作)『山本五十六』『米内光政』『井上成美』などがある。 法学者の阿川尚之は長男、タレント・エッセイストの阿川佐和子は長女。 自身は『私の履歴書』では、〔私の「履歴」を一と言で記せば、「地方の平凡な中流家庭に生まれ、小学校から大学まで、ごく平坦平凡な学生生活を送り、戦争中は海軍に従軍して多少の辛酸を嘗めたが、戦後間もなく志賀直哉の推輓により文壇に登場、以来作家としてこんにちに至る」、これだけである〕と回顧している。
佐々木 基一(ささき きいち、1914年(大正3年)11月3… 佐々木 基一(ささき きいち、1914年(大正3年)11月30日 - 1993年4月25日)は、日本の文芸評論家。本名・永井善次郎。
唐島 基智三(からしま きちぞう、1906年1月1日 - 1… 唐島 基智三(からしま きちぞう、1906年1月1日 - 1976年7月30日)は、政治評論家、ジャーナリスト。 広島県竹原市(当時は竹原町)出身で三男として生まれる。旧制忠海中学校(現在の広島県立忠海高等学校)、第六高等学校、東京帝国大学法学部政治学科を卒業した(1928年)。 東京帝国大学卒業後、国民新聞社に入社した。編集局長などを経て、1940年に退社した。1943年、東京新聞社(現在の中日新聞東京本社)に移り理事、論説委員長を務めた。 一時占領軍の公職追放令で一線を退いたが1950年の解除後、同社に復帰した。復社後は東京新聞の1面コラムに筆名・武原敏として「筆洗」を長きにわたり書き続けた。
奥平 英雄(おくだいら ひでお、1905年 -2000年 )… 奥平 英雄(おくだいら ひでお、1905年 -2000年 )は、日本ほ日本美術史家・日本美術評論家。 1905年、広島県呉市で生まれた。江田島の海軍兵学校への登竜門としても有名な呉第一中学校(現広島県立呉三津田高等学校)を経て、旧制広島高等学校に1期生として入学。卒業後、京都帝国大学哲学科に進学したが中退し、東京帝国大学文学部美学科美術史に転じた。1932年に東京帝国大学文学部を卒業し、同大学大学院に進んだ。 大学院修了後、東京国立博物館に技官として勤務。在任中は資料課長を務めた。東京国立博物館を退任後、名誉館員。その後は和光大学教授、共立女子大学教授を務め、同大学文芸学部の設立に携わった。2000年に死去。
薄田 太郎(すすきだ たろう、1902年11月1日 - 19… 薄田 太郎(すすきだ たろう、1902年11月1日 - 1967年4月23日)はNHKの元アナウンサー、郷土史家、大衆芸能評論家。 NHK広島局の初代アナウンサーであり、戦前の広島市の大衆文化史を記録した『がんす横丁』の著者として知られる。 広島市に生まれ、1908年創立されたばかりの広島市立竹屋小学校に入学。卒業後、県立広島商業学校(現在の県立広島商業高校)に入学し、学生野球の応援団長として名を馳せた。その後、素人劇団「広島十一人座」の同人となり、1928年の広島放送局の開局とともに初代アナウンサーの一人となり、特にスポーツ実況で知られた。敗戦前後は南方にいたため原爆には被災せず、翌1946年夏に引揚船により帰国。
浜崎 真二(はまざき しんじ、1901年12月10日 - 1… 浜崎 真二(はまざき しんじ、1901年12月10日 - 1981年5月6日)は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 現役時代は阪急ブレーブスに在籍。選手兼任監督として日本プロ野球史上最高齢公式戦出場記録を2014年9月5日に山本昌(中日)に破られるまで、64年間にわたり保持していた。また、身長は150cmから160cmまでいくつかの説があり、日本プロ野球史上最も背の低い選手とされることがある。 実弟・浜崎忠治も鶴岡一人らと広島商業で高校野球夏春連覇したときの選手(投手・内野手)で、その後審判として平和台事件の球審を務め、歴史的判断を下したことでも知られる。 呉海軍工廠で働く人達が家を建てた呉市西の山の手・三津田の生まれ。
登張 竹風(とばり ちくふう、1873年(明治6年)10月2… 登張 竹風(とばり ちくふう、1873年(明治6年)10月2日 - 1955年(昭和30年)1月6日)は、日本のドイツ文学者、評論家。本名、信一郎(しんいちろう)。 広島県佐伯郡津久茂村(現・江田島市江田島町津久茂)生まれ。広島中学(現広島国泰寺高校)、山口高等中学校を経て東京帝国大学卒業(1897年)。母校旧制山口高校教授として赴任、当時の同僚に西田幾多郎、教え子にやがて法科に転じた河上肇やドイツ文学者として知られた片山孤村がいる。1901年、高山樗牛が「美的生活論」を発表すると、「美的生活論とニイチエ」を発表して樗牛に賛同し「美的生活論争」を惹き起こした。1902年『ニイチェと二詩人』『気焔録』でニーチェ主義を標榜する。