岩田 奈月(いわた なつき、1993年6月24日 ‐ )は、… 岩田 奈月(いわた なつき、1993年6月24日 ‐ )は、日本の経営者、映画監督、元モデル・タレント、ウォーキング講師。宮崎県東諸県郡国富町出身。株式会社Virise代表取締役社長。 「なんどでも。」 2023年 48時間映画祭「撮影賞」受賞
宮崎県:54人
岩田 奈月(いわた なつき、1993年6月24日 ‐ )は、… 岩田 奈月(いわた なつき、1993年6月24日 ‐ )は、日本の経営者、映画監督、元モデル・タレント、ウォーキング講師。宮崎県東諸県郡国富町出身。株式会社Virise代表取締役社長。 「なんどでも。」 2023年 48時間映画祭「撮影賞」受賞
紗栄子(さえこ、1986年11月16日 - )は、日本のタレ… 紗栄子(さえこ、1986年11月16日 - )は、日本のタレント、実業家、モデル、牧場経営者、元女優。本名は道休 紗栄子(どうきゅう さえこ)。 宮崎県宮崎市出身。日向学院中学校卒業。堀越高等学校卒業。早稲田大学人間科学部通信教育課程中退。血液型はO型。 2人の息子がおり、長男はモデルの道休蓮。また、元衆議院議員の道休誠一郎は伯父に当たる。
澤野 正幸(さわの まさゆき、1984年11月28日 - )… 澤野 正幸(さわの まさゆき、1984年11月28日 - )は、日本の実業家。宮崎県延岡市出身。株式会社SKY works、株式会社Wing Loop代表取締役社長。身長173cm。血液型A型。TikTokのフォロワーは4万人というインフルエンサーとしての顔も持つ。 宮崎県立延岡東高等学校(現延岡星雲高等学校)時代は、ほとんど勉強をしておらず、全ての試験でクラス最下位だった。大学入試直前の模擬試験では800点満点中179点で学力偏差値27.1であったが、「人生を変えたい」と一念発起し、宮崎大学教育学部に進学する。大学卒業後にアミューズメント施設運営会社で3年間勤務した後、営業職としてNHK宮崎放送局に入る。
中谷 一馬(なかたに かずま、1983年〈昭和58年〉8月3… 中谷 一馬(なかたに かずま、1983年〈昭和58年〉8月30日 - )は、日本の政治家、実業家、柔道整復師。学位はデジタルコンテンツマネジメント修士(専門職)。 衆議院議員(3期)、神奈川県議会議員(1期)を歴任した。 宮崎県児湯郡川南町生まれ、神奈川県川崎市育ち。現住所は神奈川県横浜市港北区綱島西2丁目。貧困な母子家庭で育ち、11歳の時に両親が離婚。埼玉県、東京都、大阪府、神奈川県と転居を繰り返し、幼稚園2園、小学校4校、中学校2校に通学。 川崎市立日吉中学校卒業後、高校へ進まず、働くも、挫折し、不良の道へ進んだ。仲間と共に社会や政治に対して不平不満を漏らす中で、自分の手で世の中を変えようと政治家を目指すようになった。
宮本 大輔(みやもと だいすけ、1981年10月2日 - )… 宮本 大輔(みやもと だいすけ、1981年10月2日 - )は、宮崎県日向市出身の元プロ野球選手(投手)、実業家。妻は漫才コンビ海原やすよ・ともこの海原やすよ。また、元男闘呼組の前田耕陽は相婿(≒義兄)である(やすよの姉、相方の海原ともこの夫)。 長崎県南松浦郡新魚目町(現・新上五島町)で生まれ、小学校3年生から野球を始めた。6年生の時に愛知県から財光寺南小学校に転入し、スポーツ少年団では捕手を務めていた。財光寺中学で投手に転向し、監督の強い誘いを受けて延岡学園に進学。3年夏の県大会では2回戦で敗退したものの、最速143km/hの速球やキレのある変化球が評価され、1999年のドラフト会議で大阪近鉄バファローズから1位指名を受けた。
海汐 祐希(うみしお ゆき、1979年〈昭和54年〉8月27… 海汐 祐希(うみしお ゆき、1979年〈昭和54年〉8月27日 - )は、日本の実業家、モデル、司会者。宮崎県宮崎市を拠点とする芸能事務所「海汐プロダクション」の代表。 宮崎県日向市出身。2000年に九州女子短期大学初等教育課を卒業後、モデルを目指して上京。2003年まで東京でドラマ、バラエティ番組、CM等に出演するなどの芸能活動を行った。 帰郷後の2003年からはMRTラジオリポーター「スクーピー」として2年間活動。2005年にはエフエム宮崎のアシスタントや東映キャラクターショーのMCなどを務めた。 2006年1月、26歳で芸能事務所「海汐プロダクション」を設立。同年、宮崎のファッションマガジン「bivit」を発行し、編集長に就任。
甲斐 誉隆(かい やすたか、1978年1月28日 - )は、… 甲斐 誉隆(かい やすたか、1978年1月28日 - )は、日本の実業家、経営コンサルタント。宮崎県延岡市出身。 明治大学政治経済学部を卒業後、早稲田大学大学院を修了した。2000年にさくら銀行(旧三井銀行・現三井住友銀行)に入行。 法人営業や個人部門の営業を経験後、銀行本部の管理部門や企画部門に配属。30歳の時に三井住友銀行本部の部長代理(本店調査役)となり数々の新規プロジェクトの指揮を担当する。 その後、コンサルティング会社のエグゼクティブパートナーなどを歴任し、2016年に自身でコンサルティング会社を立ち上げ、同社の代表取締役に就任。複数企業の経営顧問や外部取締役などを兼ねる。 これまでに、数百社のコンサルティングに携わり、売上アップだけでなくマネジメント確立・BPR・オペレーション改革・工程改革などを専門分野とする。
熊本 浩志(くまもと ひろし、1975年10月12日 - )… 熊本 浩志(くまもと ひろし、1975年10月12日 - )は、日本の実業家。 宮崎県宮崎市生まれ。宮崎県立宮崎西高等学校から名古屋商科大学へ進学。高校と大学では準硬式野球部に所属した。 東芝で家電の開発に従事したのち、2002年に独立。デザイン家電ブランド「amadana」を展開するamadana株式会社(旧社名:株式会社リアル・フリート)の創業者で代表取締役社長。2014年からは白物家電の最大手中国のハイアールのハイアールアジア株式会社のチーフ・クリエイティブ・オフィサー(CCO)も務めている。 2008年に野球仲間から誘いを受け、草野球チーム「東京バンバータ」を立ち上げ。2018年に東京ヴェルディと業務提携し、社会人軟式野球クラブ「東京ヴェルディ・バンバータ」として再始動し、監督を務めている。
日高 裕介(ひだか ゆうすけ、1974年4月2日 - )は、… 日高 裕介(ひだか ゆうすけ、1974年4月2日 - )は、日本の実業家。株式会社サイバーエージェント取締役兼執行役員副社長、株式会社Cygames取締役、宮崎県宮崎市出身。 慶應義塾大学総合政策学部を卒業し、1997年にインテリジェンス(現・パーソルキャリア)へ入社。翌1998年に設立したサイバーエージェントの常務取締役に就任し、1999年には株式会社ネットプライスの取締役ともなった。 2002年にサイバーエージェント社の専務取締役となり、さらに2010年より同社の取締役副社長、2020年12月より同社の取締役兼執行役員副社長。 趣味は漫画とゴルフ。
羽田 智宏(はだ ともひろ、1973年5月25日 - )は、… 羽田 智宏(はだ ともひろ、1973年5月25日 - )は、宮崎県都城市出身、仙台市在住の日本の実業家、サンリキュール代表取締役社長である。 宮崎県立都城西高等学校普通科、愛知学院大学商学部商学科を卒業。 光通信グループの関連会社1000社のうち、最も業績が低迷していたサンリキュール社の立て直しが課題[誰にとって?]となっていた。当時、社長[誰?]から立て直しを打診され、「この状況はチャンスだ!」と捉え、快諾したのが挑戦の原点。その後、業績改善に成功し、企業価値の拡大を実現した。その功績が評価され[誰によって?]、2013年にはサンリキュール社が光通信の子会社となり、執行役員として2年間従事した。
野口 功司(のぐち こうじ、1973年〈昭和48年〉4月4日… 野口 功司(のぐち こうじ、1973年〈昭和48年〉4月4日 - )は、日本の実業家。株式会社CBTソリューションズ創業者・代表取締役社長。 宮崎県都城市出身。1996年、富士ソフトABC株式会社(現・富士ソフト)に入社しシステムエンジニアとして勤務。1999年に日本オラクルへ転職し、Oracle Databaseのマーケティングや資格制度に携わる。2002年からはPearson VUE(外資系試験運営企業)にて営業責任者を務め、日本におけるCBT(Computer Based Testing)の普及に従事した。 2009年5月、株式会社CBTソリューションズを設立し、代表取締役に就任。試験運営のDX化を推進し、全国のテストセンター網を構築した。
柳田 和洋(やなぎた かずひろ、1973年1月11日 - )… 柳田 和洋(やなぎた かずひろ、1973年1月11日 - )は日本の実業家で、元サッカー選手。「テゲバジャーロ宮崎」の創始者。宮崎県門川町出身。JFAスポーツマネージャーズカレッジCrade3修了。一般社団法人宮崎県サッカー協会専務理事、WEリーグ入りを目指す「ヴィアマテラス宮崎」の理事兼ゼネラルマネージャーを務める。 宮崎県門川町に生まれる。母親の勧めでサッカー少年団に入り、サッカーを始める。宮崎県立日向高等学校在学当時はサッカー部で主将を務めたもののサッカー選手志望ではなかったが、監督から大学の世話をするから続けるようアドバイスされた。高校の同窓生に元読売ジャイアンツの織田淳哉がいる。 高校卒業後、名古屋商科大学に進む。
HAKUEI(ハクエイ、1970年12月16日 - )は、日… HAKUEI(ハクエイ、1970年12月16日 - )は、日本のミュージシャン、歌手、作詞家、タレント、実業家。PENICILLINおよびmachine、ライチ☆光クラブ、The Brow Beatのボーカリスト。宮崎県串間市生まれの青森県弘前市育ち。身長183センチ。血液型O型。本名は田中 博英。
南 克幸(みなみ かつゆき、1970年9月30日 - )は、… 南 克幸(みなみ かつゆき、1970年9月30日 - )は、日本の実業家。元男子バレーボール選手。元日本代表。 宮崎県延岡市出身。父は1972年ミュンヘンオリンピック・金メダリストの南将之、弟は旭化成でプレーした南裕之。 山口県立宇部商業高等学校から法政大学へ進学し、1988年、大学1年のときに全日本に選出される。1992年バルセロナオリンピックに出場。1993年、ユニバーシアードで金メダルを獲得した。卒業後、旭化成に入社。同社バレーボール部の中心選手として活躍する。98年には実業団リーグで2位となり、Vリーグ昇格。また、全日本としても、世界選手権などの数々の国際大会に出場した。 2006年、旭化成の休部により、旭化成の社員の身分を保持した上で大分三好ヴァイセアドラーへ移籍した。
井上 純一(いのうえ じゅんいち、1970年6月16日 - … 井上 純一(いのうえ じゅんいち、1970年6月16日 - )は、日本のTRPGデザイナー、イラストレーター、漫画家、銀十字社代表取締役社長、大学教員。宮崎県宮崎市出身。多摩美術大学二部中退。表記名以外に希有馬(けうま)及び井上純弌(読み同じ)の筆名(詳細は別項目)で活動を行っている。同人活動時は同人サークル「希有馬屋」にて活動している。 2024年4月より京都精華大学マンガ学部キャラクターデザイン学科キャラクターデザインコース特任教授。 2012年までの「井上純弌」名義の時は、「弌」を大字の「弐」と誤記されることがあるらしく「Web希有馬屋」の自己紹介のページでは「井上純“弐”(に)じゃないです。
榎木田 朱美(えのきだ あけみ、1970年2月21日 - )… 榎木田 朱美(えのきだ あけみ、1970年2月21日 - )は、日本の会社役員・アナウンサー。テレビ宮崎(UMK)代表取締役社長。 宮崎県日南市大堂津出身。宮崎県立日南高等学校、宮崎大学教育学部卒業後、1992年にUMK入社。 趣味はバレーボール、読書、音楽鑑賞、古着チェックなど。 私生活では2007年3月に結婚。2009年1月より産休に入り、同年2月12日に女児を出産。10月から職場復帰した。 同局ではアナウンス部部長、編成業務局局長、メディア推進局局長、報道制作局長、コンテンツプロデュース局長などを歴任し、2023年に取締役に就任。 2025年6月20日のテレビ宮崎定時株主総会及び取締役会の決議を経て、寺村明之の後任として同局代表取締役社長に就任した。
亀澤 宏規(かめざわ ひろのり、1961年〈昭和36年〉11… 亀澤 宏規(かめざわ ひろのり、1961年〈昭和36年〉11月18日 - )は、日本の実業家。株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ取締役執行役会長。理学修士。 宮崎県出身。宮崎県立宮崎西高等学校を経て、東京大学理学部数学科卒業、東京大学大学院理学系研究科を修了した後、1986年に三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行。 2010年に三菱UFJフィナンシャル・グルー プ 執行役員に就任。 2020年に三菱UFJフィナンシャル・グループ 取締役代表執行役社長に就任。2024年、月額報酬の減額処分を受けた。 2026年に三菱UFJフィナンシャル・グループ 取締役執行役会長に就任。
鎌田 正彦(かまた まさひこ 1959年6月22日 - )は… 鎌田 正彦(かまた まさひこ 1959年6月22日 - )は、日本の実業家。SBSホールディングス株式会社創業者・代表取締役社長。 宮崎県延岡市生まれ。宮崎県立延岡高等学校を卒業後、1979年に佐川急便入社。8年間ドライバーとして勤務した後、1987年に佐川急便を退社し株式会社関東即配(SBSホールディングスの前身)を設立。1都3県の即日配送から始め、メーリングサービス、人材提供事業などで業務を拡大していき、2003年にジャスダック上場。翌年、雪印物流を買収し、2005年には東急電鉄系の東急ロジスティックをグループに迎え入れる。2012年12月に東証二部に上場し、2013年12月に東証一部上場を果たす。
工藤 幸四郎(くどう こうしろう、1959年6月5日 - )… 工藤 幸四郎(くどう こうしろう、1959年6月5日 - )は、日本の経営者。「不死身のアイデアマン」という異名を持つ。 宮崎県延岡市出身。延岡市立南小学校、延岡市立南中学校、宮崎県立延岡高等学校を経て、1982年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に旭化成工業(現:旭化成)に入社。 繊維部門に携わり、アメリカのセージ・オートモーティブ・インテリアズの買収にも携わった。2016年4月に上席執行役員に就任し、常務執行役員、取締役を経て、2022年4月から代表取締役社長兼社長執行役員に就任した。2024年7月から石油化学工業協会の会長も務めている。 中学までは野球、高校・大学時代にはハンドボールに打ち込んだ。
野村 宗芳(のむら むねよし、1959年4月11日 - )は… 野村 宗芳(のむら むねよし、1959年4月11日 - )は、日本の実業家。セプテーニ・ホールディングス代表取締役社長や、同社取締役副会長を務めた。 鹿児島県生まれ。小学校4年から宮崎県日向市に移り、1978年日向学院高等学校卒業。1980年大原簿記専門学校卒業、共栄電子入社。1993年グロリヤ電子工業入社。1995年インテグレーテッド・マーケティング・コミュニケーションズ入社。 1998年サブ・アンド・リミナル(のちのセプテーニ・ホールディングス)入社。1999年取締役管理本部長に昇格。2000年常務取締役管理本部長。2002年CFO専務取締役管理本部長。2004年CFO代表取締役社長。2009年取締役副会長。
島津 久友(しまづ ひさとも、1958年〈昭和33年〉9月2… 島津 久友(しまづ ひさとも、1958年〈昭和33年〉9月26日 - )は、宮崎県都城市出身の実業家。都城島津家第29代当主。 都城島津家第28代当主の島津久厚の二男として、かつての旧領の都城市で誕生する。小学校入学時に母と共に上京し、東京で育つ。学習院大学を卒業後は東京の農林中央金庫に就職。26年勤続した後に2007年に都城に帰郷し、久厚から島津茶園、島津山林の経営を引き継ぎ社長に就任する。 地元に帰郷後は家業のみならず、地元の宮崎銀行の社外取締役や、公職としては都城市教育委員、都城市社会福祉協議会会長などを歴任する。宮崎県公安委員会委員も務め、かつては久厚も務めていた県公安委員会委員長に就任している。
黒木 敏之(くろき としゆき、1953年10月11日 - )… 黒木 敏之(くろき としゆき、1953年10月11日 - )は、日本の実業家、政治家。宮崎県児湯郡高鍋町長(3期)、黒木本店代表取締役会長、尾鈴山蒸留所前代表取締役社長。 高鍋町生まれ。1972年、宮崎県立高鍋高等学校を卒業。1977年、立教大学経済学部を卒業し、ソニープラザに入社。1980年、黒木本店入社、黒木本店代表取締役。1996年、株式会社尾鈴山蒸留所を設立し、同社代表取締役社長。2007年、高鍋商工会議所会頭、高鍋町観光協会会長就任。 2017年の高鍋町長選挙に無所属で立候補して、元同町議会議員の新人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:17,322人 最終投票率:54.76%(前回比: 0.19pts) 2021年、無投票で2期目の当選を果たす。
真栄田 雅也(まえだ まさや、1952年10月17日 - 2… 真栄田 雅也(まえだ まさや、1952年10月17日 - 2022年1月19日)は、日本の実業家、カメラ技術者。キヤノン代表取締役社長や、ビジネス機械・情報システム産業協会副会長を務めた。 宮崎県延岡市出身。延岡市立岡富小学校、延岡市立西小学校、延岡市立恒富中学校、宮崎県立延岡高等学校を経て、1975年九州大学工学部卒業後、キヤノン入社。本流のカメラ技術者として活躍し、2007年から取締役イメージコミュニケーション事業本部長としてデジタルカメラ事業の急成長を牽引した。 2010年キヤノン常務取締役に昇格。2014年専務取締役。2016年御手洗冨士夫の後任としてキヤノン代表取締役社長兼最高執行責任者に就任。
伊東 信一郎(いとう しんいちろう、1950年12月25日 … 伊東 信一郎(いとう しんいちろう、1950年12月25日 - )は、日本の経営者、ANAホールディングス最高顧問、フジ・メディア・ホールディングス独立社外取締役監査等委員、フジテレビジョン監査役、三井不動産独立社外取締役。公益財団法人日本交通公社評議員。元経済同友会副代表幹事。2024年4月29日の春の叙勲で旭日重光章を受章した。 宮崎県西都市三納出身。宮崎県立妻高等学校卒業。
清武 英利(きよたけ ひでとし、1950年10月12日 - … 清武 英利(きよたけ ひでとし、1950年10月12日 - )は、日本のジャーナリスト・ノンフィクション作家、元プロ野球球団経営者。 読売巨人軍取締役球団代表、取締役編成本部長・ゼネラルマネージャー、オーナー代行のほか、NPB選手関係委員会委員長を歴任した。 宮崎県立宮崎南高等学校を経て立命館大学経済学部卒業後、1975年に読売新聞社に入社した。青森支局を振り出しに社会部畑を歩み、警視庁や国税庁を担当。東京本社社会部次長時代に、第一勧業銀行総会屋事件や山一證券の破綻などをスクープ。 2001年、中部本社社会部長。2002年、東京本社編集委員。2004年、東京本社編集局運動部長。 2004年8月、読売巨人軍取締役球団代表(局次長相当)・編成本部長に就任。
林田洋二(はやしだ ようじ、1949年(昭和24年)12月2… 林田洋二(はやしだ ようじ、1949年(昭和24年)12月24日 - )は日本の実業家、銀行家。宮崎太陽銀行の代表取締役頭取、および会長を務めた。 宮崎県高原町出身で千葉商科大学商経学部卒業。1973年に宮崎相互銀行(現在の宮崎太陽銀行)に入行し、経営企画部長や総務部長、執行役員、1996年に設立された子会社・宮崎太陽キャピタルの常務取締役などを歴任した。 2004年に宮崎太陽銀行の取締役となり、2008年には常勤監査役に就任する。その後、専務取締役に選任されて2013年に代表取締役専務、2016年に川崎新一の後任として代表取締役頭取に就任。2024年に役員改選に伴い代表取締役会長就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
寺坂 史明(てらさか ふみあき、1949年(昭和24年)4月… 寺坂 史明(てらさか ふみあき、1949年(昭和24年)4月12日 - )は、日本の経営者。元サッポロビール代表取締役社長。宮崎県出身。 主に営業・企画畑を歩み、宣伝部長時代には山﨑努と豊川悦司が出演するサッポロ生ビール黒ラベルのテレビCM企画を手がけた。
小西 誠(こにし まこと、1949年3月5日 - )は、日本… 小西 誠(こにし まこと、1949年3月5日 - )は、日本の実業家。社会批評社社長。元航空自衛官・ジャーナリスト・軍事評論家。宮崎県串間市出身。著作に「反戦自衛官」など。 1949年、宮崎県串間市に生まれる。中学卒業後、航空自衛隊生徒隊(自衛隊生徒)に入隊し、修了後は佐渡分屯基地に配属される(『反戦自衛官』合同出版1970年) 在隊中に法政大学法学部通信課程に通い、当時の全共闘と交流する。学生運動とは意見を異にしていたが、その「自己否定」などの思想的影響は受ける。この影響のなかで、自ら自衛隊内での「民主化」などの行動を決意する。 70年安保闘争を前にして、自衛隊の治安出動訓練が開始されるが、同訓練開始に反対して、佐渡分屯基地内に大量の反戦ビラを張り出すと共に、1969年10月、全隊員の前で治安出動訓練の反対を表明するとともに同訓練を拒否し、逮捕される。
塩見 修 (しおみ おさむ、1949年 - )は、日本の実業… 塩見 修 (しおみ おさむ、1949年 - )は、日本の実業家。宮交ホールディングス社長。 宮崎県立宮崎大宮高等学校、早稲田大学法学部卒業。1969年、全日本空輸に入社。秘書室長・名古屋支店長・北京支店長を経て、2003年、ANAコミュニケーションズ社長に就任。2005年、宮交ホールディングス社長に就任。
江夏 順行(えなつ よりゆき、1946年9月21日 - )は… 江夏 順行(えなつ よりゆき、1946年9月21日 - )は、日本の実業家。霧島酒造株式会社代表取締役社長。 1946年、宮崎県都城市生まれ。1970年、立教大学経済学部卒業。1971年、霧島酒造入社。営業畑を歩き、1977年取締役企画室長、1993年専務。 1996年、父で先代社長の江夏順吉の死去に伴い社長に就任。
高野瀬 忠明(こうのせ ただあき、1946年7月26日 - … 高野瀬 忠明(こうのせ ただあき、1946年7月26日 - )は、日本の経営者。雪印メグミルク元社長、雪印乳業元社長、日本酪農乳業協会元会長。
三宅 理一郎(みやけ りいちろう、1943年1月2日 - 2… 三宅 理一郎(みやけ りいちろう、1943年1月2日 - 2021年7月7日)は、日本の経営者。宮崎日日新聞社社長を務めた。宮崎県東諸県郡国富町出身。 1966年に國學院大學を卒業し、同年4月に宮崎日日新聞社に入社。 1998年に取締役に就任し、常務を経て、2006年6月には社長に就任。2010年6月には特別顧問に就任。 2021年7月7日誤嚥性肺炎のために死去。78歳没。
南園 克己(みなみぞの かつみ、1942年1月3日 - )は… 南園 克己(みなみぞの かつみ、1942年1月3日 - )は、日本の経営者。日東紡社長。日本紡績協会会長。宮崎県都城市出身。
小山田 浩定(おやまだ ひろさだ、1940年9月29日 - … 小山田 浩定(おやまだ ひろさだ、1940年9月29日 - )は、日本の実業家。総合メディカル創業者。元総合メディカル代表取締役社長、現相談役(2020年10月現在)。 東京都葛飾区亀有生まれ。東京大空襲後、鹿児島県に疎開し、日本の降伏後、宮崎県都城市に転居した。1959年宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。1961年三共(現第一三共)に入社した。その後1971年に入社した日医リースを経て、1978年総合メディカル設立、専務取締役就任。 1980年同社代表取締役専務。1990年同社代表取締役社長。2004年同社代表取締役会長。2012年同社取締役相談役。2017年同社相談役。 2002年社団法人九州・山口経済連合会(現一般社団法人九州経済連合会)評議員(現審議員)(~2006年) 2004年日本保険薬局協会(現一般社団法人日本保険薬局協会)設立時に総務委員長 2004年社団法人日本経済団体連合会(現一般社団法人日本経済団体連合会)評議員(現審議員)(~2013年) 2007年在福宮崎県人会会長 2009年福岡ベンチャークラブ会長 2009年在福岡スペイン国名誉領事館名誉領事(~2017年) 2011-2012年度国際ロータリー第2700地区ガバナー 2012年ピエトロ創業者村田邦彦、ふくや川原正孝、古賀マネージメント総研古賀光雄らと福岡市創業者応援ファンドを設立
重久 吉弘(しげひさ よしひろ、1933年(昭和8年)11月… 重久 吉弘(しげひさ よしひろ、1933年(昭和8年)11月18日 - 2025年 )は、日本の実業家。日揮名誉顧問。日揮元代表取締役社長・会長・日揮グループ代表・相談役。旭日重光章受章。
渡辺 綱纜(渡邊 綱纜、わたなべ つなとも、1931年 - … 渡辺 綱纜(渡邊 綱纜、わたなべ つなとも、1931年 - 2024年10月14日)は、日本の実業家。元宮交シティ社長。元宮崎産業経営大学教授。 朝鮮半島に生まれる。宮崎県立宮崎大宮高等学校、中央大学法学部卒業。1953年、宮崎交通に入社。企画宣伝課長・観光副部長・総合センター部長・常務取締役などを歴任。1987年、株式会社宮交シティ社長に就任。 2024年10月14日、老衰のため宮崎市内の病院で死去。93歳没。
日高 啓(ひだか ひろし、1924年4月19日 - 2018… 日高 啓(ひだか ひろし、1924年4月19日 - 2018年9月9日)は、日本の経営者。髙島屋社長を務めた。宮崎県宮崎市出身。 1948年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に髙島屋に入社した。1976年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1986年2月に副社長に就任し、1987年4月には社長に昇格。1996年7月に取締役相談役に就任し、1997年2月に相談役、2000年5月に特別顧問を経て、2001年5月から顧問を務めた。 2018年9月9日に脳梗塞のために死去。94歳没。
青木 秀(あおき しげる、1922年5月17日 - 2011… 青木 秀(あおき しげる、1922年5月17日 - 2011年9月12日)は、日本の経営者。西日本新聞社社長を務めた。 宮崎県延岡市出身。1946年に東京産業大学(現在の一橋大学)を卒業し、1947年に西日本新聞社に入社。1973年に取締役に就任し、1975年に常務、1977年に専務、1983年に副社長を経て、1985年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任し、2000年6月に取締役相談役を経て、2001年6月には相談役に就任した。 テレビ西日本会長、テレビ宮崎取締役も務めた。 2011年9月12日肺炎のために死去。89歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
村山 利雄(むらやま としお、1920年9月23日 - 20… 村山 利雄(むらやま としお、1920年9月23日 - 2020年9月24日)は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。宮崎県都城市出身。 1941年に長崎高等商業学校を卒業し、同年に日立造船に入社。1975年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1983年6月から1988年6月までに社長を務めた。 2020年9月24日急性肺炎のために死去。100歳没。
島津 久厚(しまづ ひさあつ、大正7年(1918年)10月8… 島津 久厚(しまづ ひさあつ、大正7年(1918年)10月8日 - 平成26年(2014年)8月2日)は、日本の実業家。第23代学習院院長、丸十産業社長、島津茶園会長、島津山林会長。都城島津氏28代当主。宮崎県都城市出身。位階は正五位。 戦前における爵位は男爵。その他、栄典として紺綬褒章、藍綬褒章、旭日重光章受章。宮崎県公安委員会委員長、日本赤十字社理事などの公職を歴任した。宗派は神道 始祖・資忠は島津氏4代当主忠宗の六男にあたる。代々日向都城3万9千6百余石を領する。明治24年(1891年)12月、特旨を以って華族に列し男爵を授けられた。 男爵島津久家の長男として生まれる。学習院高等科、東京帝国大学農学部卒業。
椎井 康雄(靖雄、しい やすお、1906年(明治39年)1月… 椎井 康雄(靖雄、しい やすお、1906年(明治39年)1月15日 - 1989年(平成元年)5月25日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 宮崎県宮崎郡佐土原町(現宮崎市)出身。1920年(大正9年)宮崎商業学校(現宮崎県立宮崎商業高等学校)を卒業した。 1937年(昭和12年)昭和水産合資会社常任理事に就任。その他、対満薬品工業社長、ツシマ化粧品社長、宮崎県運搬業組合長、社団法人華陽会理事会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で宮崎県地方区に日本社会党公認で出馬して当選(補欠、任期3年)し、参議院議員に1期在任した。その後、1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で全国区に立候補したが落選した。
坂田 勝郎(さかた かつろう、1904年(明治37年)10月… 坂田 勝郎(さかた かつろう、1904年(明治37年)10月1日 - 1990年(平成2年)1月16日)は、毎日新聞社元常務取締役(大阪本社代表)、毎日放送(MBS)元社長・会長、テレビ東京(TX)元取締役、宮崎放送(MRT)元取締役。 宮崎県延岡市出身。旧制第五高等学校(現・熊本大学)を経て、京都帝国大学卒業後、1932年(昭和7年)に大阪毎日新聞社へ入社。1943年(昭和18年)に大阪毎日新聞と東京日日新聞は新聞統制で東西で異なっていた題号を「毎日新聞」に統一し、両紙の発行元であった大阪毎日新聞社は社名を「毎日新聞社」に改めてから、バンコク特派員、広島支局長、郷里である宮崎支局長、宮崎放送取締役を務め、毎日新聞社常務取締役(大阪本社代表)に就任した。
岩切 章太郎(いわきり しょうたろう、1893年5月8日 -… 岩切 章太郎(いわきり しょうたろう、1893年5月8日 - 1985年7月16日)は、日本の実業家。宮崎交通グループの創業者。宮崎県宮崎市出身。 宮崎を観光地として整備した立役者として「宮崎観光の父」と呼ばれる。日南海岸に現在宮崎の風物詩になっているフェニックスの植林を行い、こどもの国の開園、えびの高原の観光開発、橘公園の造園など「大地に絵を描く」という理念で大型の観光開発を行った。 住友時代の同期には、田路舜哉(住友商事会長)、土井正治(住友化学会長)などがいた。また大学の同窓生である岸信介元首相と懇意であり、佐藤栄作元首相に全日空の社長就任を要請されるなど中央政界にも太いパイプを持った人物だった。
伊東 岩男(いとう いわお、1888年(明治21年)8月24… 伊東 岩男(いとう いわお、1888年(明治21年)8月24日‐ 1966年(昭和41年)12月23日) は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、北郷町名誉町民。旧姓・関山。 宮崎県南那珂郡、のちの北郷村(北郷町を経て現日南市)で関山宗被の二男として生まれた。1906年(明治39年)宮崎県立農学校(現宮崎県立宮崎農業高等学校)を卒業した。1918年(大正7年)南那珂郡油津町(現日南市)の伊東スマエ(先代善衛門長女)の入夫となり家督を相続した。 南那珂郡農会技手を経て、北郷村会議員、南那珂郡会議員を務め、1923年(大正12年)宮崎県会議員に選出され4期在任した。この間、県会では県当局に迎合せず堂々と論戦を行った。
佐藤 重遠(さとう じゅうえん、1887年12月17日 - … 佐藤 重遠(さとう じゅうえん、1887年12月17日 - 1964年1月5日)は、日本の政治家、教育者、事業家。衆議院議員(4期)。研心学園(現・目白研心中学校・高等学校)設立。政治家として、また教育者として近代日本における私学教育の振興に大きく寄与。 父・米四郎、母・カクの長男として宮崎県東臼杵郡南方村(現・延岡市中三輪町)で生まれ、傳次郎と名付けられる。父は渡し守を生業としており、赤貧の中で苦学をして延岡中学校から一高、東京帝大と進学した。1910年に家督を相続し、重遠と改名。妻は内務大臣などを歴任した床次竹二郎の二女・フユ。
橋口 信助(はしぐち しんすけ、1870年4月16日 - 1… 橋口 信助(はしぐち しんすけ、1870年4月16日 - 1928年2月16日)は、日本の実業家である。住宅メーカーである「あめりか屋」の創業者。 1870年4月16日(明治3年3月16日)、宮崎県南那珂郡飫肥町大字板敷で、橋口善吉と妻・トメの間に生まれる。1885年(明治18年)9月に東京商業学校に入学するも、半年後の1886年(明治19年)2月に中退し、郷里に戻り父を助けて鉱山業に従事する。橋口は石炭採掘業のほか、木材伐採業などにも手を出していたようであるが、いずれも失敗し、義理の従兄弟にあたる小村寿太郎を頼り、再び上京する。明治20年代に、妻・マツと結婚する。マツとの間には4人の子どもを設けた。
高橋 源次郎(たかはし げんじろう、1867年11月28日(… 高橋 源次郎(たかはし げんじろう、1867年11月28日(慶応3年11月3日) - 1943年(昭和18年)4月28日)は、明治から昭和時代戦前の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 日向国、のちの宮崎県南那珂郡飫肥町(現日南市)出身。日高源蔵の長男として生まれ、1895年(明治28年)1月に先代曽一の養子となり翌1896年(明治29年)8月に家督を相続する。 1897年(明治30年)宮崎県会議員、同参事会員、南那珂郡会議員、飫肥町会議員のほか、飫肥銀行、宮崎農工銀行各取締役、宮崎県飫肥鉄道評議員、同県地方森林会議員、日州貯蓄銀行、日州銀行各取締役などを歴任した。 1918年(大正7年)宮崎県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から、研究会に所属し1932年(昭和7年)9月28日まで2期在任した。
横山 通英(よこやま みちひで、1859年5月18日(安政6… 横山 通英(よこやま みちひで、1859年5月18日(安政6年4月16日)- 1916年(大正5年)12月5日)は、明治期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、宮崎県西諸県郡小林村長。 日向国諸県郡小林郷細野村(鹿児島県諸県郡、宮崎県北諸県郡、西諸県郡小林郷細野村、小林村大字細野、小林町を経て現小林市細野)で、農業・横山通章、タメの長男として生まれた。赤木通園、谷山照方に師事し漢学を修めた。小林小学校、都城学校、宮崎学校で学んだ。1875年(明治8年)12月、宮崎学校師範学科(のち宮崎師範学校)を卒業し、1876年(明治9年)1月から1881年(明治14年)1月まで小林小学校訓導を務めた。また岡千仭に師事して漢学の学びを深めた。
須田 利信(すだ としのぶ、1856年4月10日(安政3年3… 須田 利信(すだ としのぶ、1856年4月10日(安政3年3月6日)- 1925年(大正14年)5月25日)は、明治時代から大正時代の造船技師(工学博士)、実業家。日本郵船の副社長を務めた。位階および勲等は従五位・勲三等。 日向国都城で、薩摩藩島津氏一族である都城島津家の家臣の須田利昌の三男として生まれる。1870年12月分家する。1873年から勧学義塾で学び、1874年に工学寮付属学校に入学し、1875年に工学寮に進学した。1881年に工部大学校を卒業し、工部省の技手となる。のち神戸川崎工場分局に移り技師となり、1884年、農商務省管船局を経て、日本郵船に入社する。 1888年、船舶の発注のためにイギリスに渡り、造船所で監督をしながら造船学を研究した。
肥田 景之(ひだ かげゆき、1850年3月21日(嘉永3年2… 肥田 景之(ひだ かげゆき、1850年3月21日(嘉永3年2月8日)- 1932年(昭和7年)4月3日)は、幕末の薩摩藩士、明治から昭和初期の官吏・実業家・政治家。衆議院議員。 日向国諸県郡都城郷(宮崎県北諸県郡都城町を経て現都城市)で、薩摩藩士・肥田景正の二男として生まれた。1886年(明治19年)兄・景直が戊辰戦争で戦死していたため家督を相続した。 造士館で兵学を修め、都城明道館児輩指南、講武館兵式訓練教導を務めた。慶応3年10月(1867年)戦兵伍長となり戊辰戦争に従軍した。造士館助教授、都城神柱神社(神柱宮)祠官を務めた。西南戦争に従軍した。 1878年(明治11年)10月、鹿児島県警部に任官。