倉成 正(くらなり ただし、1918年〈大正7年〉8月31日… 倉成 正(くらなり ただし、1918年〈大正7年〉8月31日 - 1996年〈平成8年〉7月3日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(12期)。外務大臣(第109代)、経済企画庁長官(第25・28代)を歴任。位階は正三位。長男は元衆議院議員の倉成正和。 長崎県長崎市出身。父は衆議院議員を務めた倉成庄八郎。旧制五高を経て1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。東洋高圧、長崎県農地農林部長などを経て、1958年の第28回衆議院議員総選挙に自民党公認で長崎1区より立候補し当選する。以後、当選回数12回。自民党では、河野派から中曽根派に所属する。 経済企画政務次官、大蔵政務次官、衆議院社会労働委員長などを経験し、1974年11月に第2次田中第2次改造内閣の経済企画庁長官として初入閣を果たす。
川西 清(かわにし きよし、1918年(大正7年)8月25日… 川西 清(かわにし きよし、1918年(大正7年)8月25日 - 没年不明)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 兵庫県神戸市で生まれる。1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。弁護士となる。また東京朝日新聞政治部記者も務めた。 1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に兵庫県第1区から日本自由党公認で出馬して初当選。1947年(昭和22年)4月、第23回総選挙に兵庫県第3区から出馬して次点で落選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙に民主自由党から出馬して再選され、その後自由党に所属して衆議院議員に通算2期在任した。この間、商工大臣秘書官、日本自由党幹事などを務めた。
九鬼 喜久男(くき きくお、1918年(大正7年)7月31日… 九鬼 喜久男(くき きくお、1918年(大正7年)7月31日 - 2005年(平成17年)10月31日)は、日本の実業家、政治家。第12代四日市市長(1966年(昭和41年)1月22日 - 1972年(昭和47年)11月18日)。九鬼産業グループの経営者。三重県松阪市飯高町(当時の飯南郡波瀬村)の出身、四日市九鬼家の婿養子で、旧姓は田中。四日市公害(四日市ぜんそく)裁判の引き金を引いた政治家である。 飯南郡波瀬村の旧家(大山林地主)田中家で田中彦左衛門の二男として誕生する。婿養子として結婚する前の姓名は田中喜久男であった。三重県知事(1955年 - 1972年)を務めた田中覚とは同族で、遠戚関係にあった。
塚田 庄平(つかだ しょうへい、1918年6月25日 - 1… 塚田 庄平(つかだ しょうへい、1918年6月25日 - 1991年3月20日)は日本の政治家。日本社会党(以下、社会党)における炭鉱労組出身政治家として北海道議会議員(4期)や道議会副議長、衆議院議員(4期)を歴任した。 1918年(大正7年)6月25日、北海道浦河郡浦河町に生まれる。1942年(昭和17年)に東京帝国大学法学部を卒業後、北海道炭礦汽船(北炭)に入社した。その後水戸航空通信学校に入校。戦後は北炭職員組合連合会(北炭職連)委員長、全日本石炭労働組合(全石炭)副委員長を務めた。北炭職連委員長在任中の1950年(昭和25年)6月に行われた第2回参議院議員通常選挙に民主戦線候補として立候補したが、15名中9位で落選した。
中曽根 康弘(旧字体: 中曾根 康弘、なかそね やすひろ、1… 中曽根 康弘(旧字体: 中曾根 康弘、なかそね やすひろ、1918年〈大正7年〉5月27日 - 2019年〈令和元年〉11月29日)は、日本の政治家。位階は従一位。勲等は大勲位菊花章頸飾。 衆議院議員連続20回当選(1947年 - 2003年)。科学技術庁長官(第7・25代)、運輸大臣(第38代)、防衛庁長官(第25代)、通商産業大臣(第32・33代)、行政管理庁長官(第45代)、内閣総理大臣(第71・72・73代)、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長、自由民主党総裁(第11代)、公益財団法人「世界平和研究所」会長、拓殖大学第12代総長・理事長、名誉総長、東アジア共同体評議会会長、新憲法制定議員同盟会長などを歴任。
津田 文吾(つだ ぶんご、1918年4月24日 - 2007… 津田 文吾(つだ ぶんご、1918年4月24日 - 2007年11月8日)は、日本の政治家。神奈川県知事(民選第6・7代)。テレビ神奈川(tvk)会長。富山県小杉町(現・射水市)出身。東京帝国大学卒業。 内山岩太郎神奈川県知事の下で財政課長、総務部長、副知事などを歴任した後、1967年内山知事の後継者として自民党の推薦と民社党の支持を受けて神奈川県知事選に出馬し初当選。 1975年まで2期8年務めた。保守県政では珍しく知事在任中は、こども医療センター、総合リハビリテーションセンターなどの整備と運営に努めるなど福祉政策に力を入れ、「福祉の津田」と呼ばれた他、全国に先駆けて自然の尊重と人間性の回復を基調にした新総合計画を策定し、大企業の乱開発の規制、公害防止などにも取り組んだ。
永野 嚴雄(ながの いづお、1918年3月20日 - 198… 永野 嚴雄(ながの いづお、1918年3月20日 - 1981年10月8日)は、日本の弁護士、政治家。広島県知事(5-7代)。参議院議員(2期) 父は、戦後揃って政経財界で活躍した「永野六兄弟」の長兄で戦中戦後に国会議員を務めた永野護であった。旧制広島高校を経て1941年東京帝国大学法学部を卒業し司法試験に合格。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年5月、経理学校を卒業。1943年(昭和18年)11月、主計大尉に進み終戦を迎えた。 戦後は東京地方検察庁検察官、法務総裁秘書官を歴任。 弁護士や会社経営を経て、広島県知事の大原博夫がスキャンダルで任期途中で辞任したため、1962年に行われた県知事選挙で当選した。
藏内 修治(くらうち しゅうじ、1918年〈大正7年〉3月8… 藏内 修治(くらうち しゅうじ、1918年〈大正7年〉3月8日 - 1993年〈平成5年〉12月29日)は、日本の政治家。自由民主党所属衆議院議員(6期)。参議院議員(1期)。 福岡県築上郡築城町(現:築上町)出身。次郎作の長男。 1942年、東京帝国大学国史学科卒。大日本帝国陸軍に入り、中国で終戦を迎える。 帰国後、西日本新聞社の政治部記者を経て、河野一郎農相秘書官となる。 1958年の第28回衆議院議員総選挙で旧福岡4区から自民党公認で立候補して初当選。6期務める。この間、労働、外務の各政務次官、衆議院商工、内閣の各委員長を歴任した。 1979年の第35回衆議院議員総選挙で落選。翌1980年の第12回参議院議員通常選挙で福岡県から自民党公認で立候補して当選。
愼 道晟(シン・ドソン、朝鮮語: 신도성、1918年3月7日… 愼 道晟(シン・ドソン、朝鮮語: 신도성、1918年3月7日〈陰暦正月25日〉 - 1999年9月6日)は、大韓民国の政治学者、政治家。元慶尚南道知事・国土統一院長官、第3代韓国国会議員。本貫は居昌慎氏。 元国会議員、逓信部長官の李慈憲は娘婿。 1918年に慶尚南道居昌郡または京城府で誕生。1941年に東京帝国大学法学部政治科を卒業。1944年に東京帝国大学大学院を修了。1969年に慶熙大学校で法学博士号を取得。 1945年に延禧専門学校(現延世大学校)助教授。1946年にソウル大学校政治学科教授。1952年に東亜日報論説委員。1954年に民主国民党宣伝部長。1954年から1958年まで民議院議員。
玉 朝南(オク・チョナム、朝鮮語: 옥조남、1918年2月1… 玉 朝南(オク・チョナム、朝鮮語: 옥조남、1918年2月16日 - 1997年7月26日)は、大韓民国の教授、実業家、政治家。第6代韓国国会議員。 平安南道順川生まれ、ソウルまたは慶尚南道統営出身。平壌公立中学校、山口高等学校文科、東京帝国大学法律学科卒。株式会社朝鮮ポンプ製作所重役、新興大学校・慶熙大学校法科大学教授、漢陽大学校政経大学講師、国家再建最高会議交逓委員会諮問委員、高等考試委員、民主共和党京畿第13区党委員長・国会対策委員、民主共和党所属の第6代国会議員を務めた。 1997年7月26日、持病によりソウル大病院で死去。享年79。
竹田 四郎(たけだ しろう、1918年1月20日 - 200… 竹田 四郎(たけだ しろう、1918年1月20日 - 2009年1月29日)は、日本の政治家。日本社会党所属の参議院議員。 静岡県生まれ。1942年に東京大学を卒業し、日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)へ入社する。徴兵のため退職するが、終戦後、日本鋼管へ復職する。神奈川県議会議員となる。 1967年、神奈川県知事選挙に日本社会党公認で立候補するが小差で落選。 1968年に第8回参議院議員通常選挙の神奈川県選挙区で当選し、3期18年間、参議院議員を務めた。 2009年1月29日に洞不全症候群のため死去した。
大橋 正雄(おおはし まさお、1918年1月8日 - 197… 大橋 正雄(おおはし まさお、1918年1月8日 - 1975年10月4日)は、日本の政治家。2人目の和歌山県公選知事(1967年4月23日 - 1975年10月4日)として3期を務めた。長男は前和歌山市長の故 大橋建一。 和歌山市出身。父の仕事の関係で京畿道京城府(現・ソウル特別市)に生まれた。第五高等学校を卒業。1941年10月、高等試験行政科試験に合格。同年12月、東京帝国大学法学部卒業後、内務省に入省し千葉県属となる。千葉県警察部勤務を経て、短期現役海軍主計科士官(8期)を志願。1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎え解員(復員)した。
木村 剛輔(きむら ごうすけ、1917年(大正6年)12月1… 木村 剛輔(きむら ごうすけ、1917年(大正6年)12月10日 - 1994年(平成6年)8月16日)は、昭和期の政治学者、教育者、政治家。衆議院議員。父は初代法務大臣の木村篤太郎。 神奈川県出身。1942年(昭和17年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。戦後にシカゴ大学で学んだ。 東京帝大法学部助手となり、召集され陸軍中尉で復員した。その後、東京教育大学助教授、シカゴ大学政治学客員教授などを務めた。小田原女子短期大学(現小田原短期大学)を創立して理事長兼副学長に就任した。 1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙に神奈川県第3区から出馬したが落選。次の第29回総選挙でも落選したが、1963年(昭和38年)11月の第30回総選挙で初当選し、衆議院議員に1期在任した。
竹内 藤男(たけうち ふじお、1917年(大正6年)11月3… 竹内 藤男(たけうち ふじお、1917年(大正6年)11月30日 - 2004年(平成16年)9月7日)は、日本の政治家、官僚。茨城県知事を5期務めた(公選第8・9・10・11・12代)。元参議院議員(1期)。 日本統治下朝鮮京城府(現:大韓民国ソウル特別市)生まれ、茨城県鉾田市育ち。 旧制鉾田中学校、(現:茨城県立鉾田第一高等学校)、旧制水戸高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。 大学卒業後は国家公務員となり、旧建設省で都市局長を務めた後に参議院議員に転じた。茨城県知事に当選後は、在任中に筑波研究学園都市・筑波科学万博の誘致、常磐自動車道建設など多くの大型プロジェクトを進めた。つくば市の成立にも尽力し、市名の実質的な名付け親でもある。
坂野 重信(さかの しげのぶ、1917年〈大正6年〉7月23… 坂野 重信(さかの しげのぶ、1917年〈大正6年〉7月23日 - 2002年〈平成14年〉4月17日)は、日本の内務・建設官僚、政治家。自由民主党参議院議員。正三位勲一等工学博士。北栄町名誉町民。 孫は女優の坂野友香、民主党から参院選に立候補経験がある坂野真理(松下政経塾出身、医師)。真理の夫は鳥取県議会議員の坂野経三郎。 鳥取県東伯郡北条町(現北栄町)に生まれる。旧制倉吉中学、旧制松江高校を経て1941年(昭和16年)東京帝国大学工学部土木工学科卒業と同時に内務省採用試験に合格したが、時局を踏まえ陸軍に入隊。復員後は茨城県、大阪府勤務を経て、建設省に移り、河川計画課長、関東地方建設局長、河川局長、建設技監、建設事務次官などを歴任。
林 博(はやし ひろし、1917年(大正6年)7月11日 -… 林 博(はやし ひろし、1917年(大正6年)7月11日 - 1994年(平成6年)5月4日)は、昭和期の検察官、弁護士、政治家。衆議院議員。 東京府出身。1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業した。 司法省に入省し、司法官試補に任官。横浜地方検察庁検事、東京地方検察庁検事、経済安定本部経済査察官を歴任した。その後、弁護士を開業した。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に東京都第6区から出馬したが落選。同補欠選挙、第25回、第26回総選挙でも落選したが、1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙に日本民主党公認で出馬して初当選。第28回総選挙では落選し、1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙で再選され、衆議院議員に通算2期在任した。
田中 正巳(たなか まさみ、1917年6月12日 - 200… 田中 正巳(たなか まさみ、1917年6月12日 - 2005年8月5日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員、参議院議員。北海道出身。正三位勲一等旭日大綬章。 函館中学、官立新潟高等学校を経て東京帝国大学法学部卒業。1955年、第27回衆議院議員総選挙に初当選(旧北海道3区)。1974年、三木武夫内閣の厚生大臣として初入閣。衆議院予算委員長に就任したが、1979年の第35回衆議院議員総選挙で落選し、1980年に参議院全国区に転出。1992年まで2期務めた。 1987年、勲一等旭日大綬章受章。 2005年8月5日、肝臓癌のため東京都北区の病院で死去。享年88。
秋山 長造(あきやま ちょうぞう、1917年3月21日 - … 秋山 長造(あきやま ちょうぞう、1917年3月21日 - 2010年6月2日)は、日本の政治家。元日本社会党参議院議員・参議院副議長。 岡山県出身。1940年に東京大学法学部を卒業し、朝日新聞記者となる。 戦後日本社会党結成に参加。1953年の参院選に岡山県地方区から左派社会党公認で立候補、当選。1955年10月の社会党再統一後は党参議院政策審議副会長・参議院国会対策副委員長を歴任する。1964年に三木行治岡山県知事の死去に伴う知事選に社会党推薦で立候補した。この時、自民党はほとんど同期の参議院議員だった加藤武徳を擁立したため、両者による一騎討ちとなった。二人の立候補により告示日の同年10月18日付で公職選挙法の規定により両者は参議院議員を退職(自動失職)となった。
長田 裕二(おさだ ゆうじ、1917年3月13日 - 200… 長田 裕二(おさだ ゆうじ、1917年3月13日 - 2003年4月28日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲章は勲一等旭日大綬章。 参議院議長(第19代)、科学技術庁長官(第34代)、自由民主党参議院議員会長(第16代)、参議院予算委員長、参議院議員(4期)等を歴任した。元参議院議員の佐藤泰三は縁戚にあたる。 千葉県出身。東京府立第四中学校、旧制第一高等学校、東京帝国大学法学部卒業。1939年、逓信省(後の郵政省、現総務省)に入省。企画課属。経理局担当審議官、経理局長、郵務局長などを経て、1966年7月1日より郵政事務次官。退官後、1968年の第8回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から出馬し、初当選した。
宮崎 茂一(みやざき もいち、1917年2月15日 - 20… 宮崎 茂一(みやざき もいち、1917年2月15日 - 2004年2月16日)は、日本の政治家、技術士(建設部門)。位階は従三位。 自由民主党衆議院議員(8期)。第42代科学技術庁長官。 鹿児島県鹿児島郡谷山村大字上福元上松崎(現在の鹿児島市谷山中央)出身。鹿児島県立第二中学校(現甲南高校)から第七高等学校造士館(現鹿児島大学)を経て1939年東京帝国大学工学部を卒業。 大学卒業後、内務省に入省。その後は経済企画庁を経て運輸省に移り、港湾局長などを歴任。退官後、政界入りを目指し1969年の衆議院議員総選挙に旧鹿児島1区から無所属で出馬したが落選。3年後の1972年の総選挙に再び旧鹿児島1区から無所属で出馬、初当選を飾った(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。
堀田 政孝(ほった まさたか、1917年(大正6年)2月15… 堀田 政孝(ほった まさたか、1917年(大正6年)2月15日 - 1971年(昭和46年)12月20日)は、昭和期の官僚、政治家。衆議院議員。 岡山県出身。府立高等学校を卒業。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科試験に合格した。1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部を卒業。同年、内務省に入省し警保局属に任じられた。 太平洋戦争に出征し陸軍主計少尉となるが、病のため1944年(昭和19年)ラバウルから帰還し除隊となる。1945年(昭和20年)山形県警察部特別高等警察課長に赴任。石原莞爾の監視を命ぜられていたが、その弟子となる。 戦後に公職追放となる。そのため各種の事業を経営したがいずれも失敗。
檜垣 徳太郎(ひがき とくたろう、1916年〈大正5年〉10… 檜垣 徳太郎(ひがき とくたろう、1916年〈大正5年〉10月31日 - 2006年〈平成18年〉10月15日)は、日本の農林官僚・政治家。自由民主党参議院議員(3期)。 愛媛県松山市出身。旧制松山高校を経て、1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部卒業。農林省に入省(水産局嘱託)。入省成績は下から2番目。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進。1945年に解員(復員)。 農林経済局肥料課長、大臣官房予算課長、農地局管理部長、大臣官房長、畜産局長、大臣官房長(再任)、1968年(昭和43年)食糧庁長官を経て、1969年(昭和44年)農林事務次官。
谷 伍平(たに ごへい、1916年10月1日 - 2007年… 谷 伍平(たに ごへい、1916年10月1日 - 2007年6月20日)は、日本の政治家、官僚。元北九州市長(1967年~1987年)で、福岡県直方市出身。
渋谷 直蔵(しぶや なおぞう、旧字体: 澁谷 直藏、1916… 渋谷 直蔵(しぶや なおぞう、旧字体: 澁谷 直藏、1916年(大正5年)8月20日 - 1985年(昭和60年)12月16日)は、日本の政治家、労働官僚。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。 福島県出身。旧制石川中学校、旧制第二高等学校(文科乙類)、1940年東京帝国大学法学部法律学科(独法)卒業後、内務省入省。東京府内務部地方課属。それから2ヶ月後に東京府議会副議長の長女と結婚。短期現役海軍主計科士官(5期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。1941年1月、経理学校を卒業したが病のため療養。同年4月、横須賀海兵団付となる。1942年5月、主計大尉に進む。1943年、武山海兵団予備学生教官兼副官に転じた。
坂田 道太(さかた みちた、1916年〈大正5年〉7月18日… 坂田 道太(さかた みちた、1916年〈大正5年〉7月18日 - 2004年〈平成16年〉1月13日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等。 衆議院議長(第64代)、法務大臣(第40代)、防衛庁長官(第33代)、文部大臣(第91・92代)、厚生大臣(32代)、衆議院議員(17期)等を歴任した。 父は衆議院議員や八代市長を務めた坂田道男。 坂田道男の長男として熊本県八代市で生まれる。旧制八代中学校、旧制成城高等学校(現・成城大学)、1938年東京帝国大学文学部独文科卒業。石井光次郎商工大臣の秘書官を経て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に熊本県全県区から出馬し、初当選した。以後、17期連続当選。
荒木 武(あらき たけし、1916年3月4日 - 1994年… 荒木 武(あらき たけし、1916年3月4日 - 1994年6月15日)は、日本の政治家、広島市市長(第27~30代)。
髙田 景次(たかだ けいじ、1916年〈大正5年』1月23日… 髙田 景次(たかだ けいじ、1916年〈大正5年』1月23日 - 2003年〈平成15年〉3月16日)は、日本のジャーナリスト、政治家。秋田魁新報社監査役や秋田市長(第15代)を務めた。秋田県大仙市(旧中仙町豊岡)出身。 豊岡村立豊岡尋常小学校、秋田県立角館中学校、山形高等学校を経て、1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 戦後、1945年(昭和20年)秋田魁新報社に入り、政治経済部長、編集局長を経て、1959年(昭和34年)取締役となり、その後、監査役を務めた。 1973年(昭和48年)2月から1990年(平成2年)4月まで、連続5期秋田市長を務める。歴代市長の中で最長となる17年間の在任中、「公園都市秋田市をつくる条例」「秋田市文化振興条例」などの制定や市民の健康と体力づくり運動、秋田新都市の建設、広面や桜ニュータウンなどの東部、御野場・御所野の南部新拠点開発、仙台市道路愛称名にならった秋田市道路愛称名などの制定、都市景観賞など多方面にわたって功績を残すなど秋田市発展の基礎を築く。
小坂 徳三郎(こさか とくさぶろう、1916年1月20日 -… 小坂 徳三郎(こさか とくさぶろう、1916年1月20日 - 1996年2月23日)は、日本の実業家・政治家。信越化学工業社長・会長、信濃毎日新聞社長、衆議院議員、運輸大臣(53代)などを歴任した。 東京帝国大学卒業後、朝日新聞記者から、小坂財閥に戻り、信越化学工業社長に。財界活動も始め、財界の支援で1969年に政界入りした。将来の首相候補といわれ、一年生議員ながら、政策集団「新風政治研究会」を設立、当選2回で総理府総務長官で初入閣した。以降も経済企画庁長官や運輸大臣を歴任し、大平、中曽根康弘とともに「大中小」、安倍晋太郎、竹下とともに「安竹小」と総理総裁候補として目された。しかし、運輸大臣時代に国鉄改革をめぐって、土光敏夫や中曽根康弘首相など政財界の支持を失い、影響力が低下。
有田 一壽(ありた かずひさ、1916年1月1日 - 199… 有田 一壽(ありた かずひさ、1916年1月1日 - 1999年4月1日)は、日本の実業家、政治家、教育家。一寿とも。旧姓は正木。 日本統治時代の朝鮮平安北道新義州に生まれる。5歳で母親と、11歳で父親と死別し、福岡県築上町の叔父に引き取られる。小倉師範学校、福岡高等学校 (旧制)を経て、1941年東京帝国大学文学部教育学科を卒業。直ちに兵役に就く。 戦後は青葉ヶ丘女子高校(現・高稜高等学校)校長、福岡県教育委員(1948年当選)を務めた後、妻の兄である石橋健蔵が経営する若松築港(現・若築建設)に1952年に入社し、専務を経て、1958年社長に就任。後に会長(1976年)、名誉会長、相談役を歴任する。
中田 幸吉(なかだ こうきち、1915年〈大正4年〉12月7… 中田 幸吉(なかだ こうきち、1915年〈大正4年〉12月7日 - 1980年〈昭和55年〉9月18日)は、日本の農林技官、政治家。富山県知事(3期)。位階は正四位。勲二等瑞宝章綬章。 富山県富山市出身。薬種商・15代中田清兵衛の五男として生まれる。富山高等学校を経て、1940年(昭和15年)、東京帝国大学農学部林学科を卒業。農林省に入り山林局に勤務。 1952年(昭和27年)、沼田営林署長に就任。長野県林産課長、同林業課長、同林務部長を歴任。1963年(昭和38年)、林野庁林道課長となる。1966年(昭和41年)、富山県に派遣され農地林務部長を務める。 1969年(昭和44年)12月、吉田実の衆院選出馬による辞職に伴い行われた県知事選に自民党の公認を受けて富山県知事選に出馬。
林田 悠紀夫(はやしだ ゆきお、1915年(大正4年)11月… 林田 悠紀夫(はやしだ ゆきお、1915年(大正4年)11月26日 - 2007年(平成19年)11月11日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員や京都府知事を務めた。綾部市名誉市民。正三位勲一等旭日大綬章。 京都府舞鶴市出身。東八田尋常小・舞鶴中・旧制三高を経て東京帝国大学(現・東京大学)法学部卒業後の1939年、農林省に入省。同年5月5日、海軍主計短期現役第2期生として海軍経理学校入校し海軍主計中尉に任官、9月5日卒業。1941年5月、主計大尉に進む。1944年2月、第三一航空隊主計長としてマニラ、ジョグジャカルタで勤務。同年11月、主計少佐に昇進。1945年4月、ボルネオ海軍民政部経済課長を命ぜられパンジェルマシンに転属。
細郷 道一(さいごう みちかず、1915年11月25日 - … 細郷 道一(さいごう みちかず、1915年11月25日 - 1990年2月15日)は、日本の政治家、内務官僚。神奈川県横浜市長(3期)、自治事務次官を歴任した。
河村 勝(かわむら かつ、1915年(大正4年)10月4日 … 河村 勝(かわむら かつ、1915年(大正4年)10月4日 - 2001年(平成13年)1月30日)は、日本の政治家。
加藤 博康(かとう ひろやす、1915年(大正4年)7月15… 加藤 博康(かとう ひろやす、1915年(大正4年)7月15日 - 2002年(平成14年)7月18日)は、昭和時代の政治家。埼玉県秩父郡両神村長、秩父市長。位階は従五位。 埼玉県出身。1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業する。1951年(昭和26年)秩父郡両神村長に当選し3期務め、1964年(昭和39年)秩父市助役を経て、1975年(昭和50年)秩父市長に当選。1987年(昭和62年)引退した。2002年死去。死没日付をもって従五位に叙された。
小林 章(こばやし あきら、1915年(大正4年)7月10日… 小林 章(こばやし あきら、1915年(大正4年)7月10日 – 1999年(平成11年)8月1日)は、日本の昭和期の大蔵官僚、政治家。参議院議員、日本専売公社総務理事。 大阪府大阪市出身。大阪高等学校を卒業。1937年(昭和12年)10月、高等試験行政科試験に合格。1938年(昭和13年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。同年、大蔵省に入省し主税局属となる。 以後、大阪税関総務部長、松山海運局監理部長、高松財務局経理部長、同関税部長、大蔵省管理局財務第二課長などを歴任した。 日本専売公社に移り、塩業課長、主計課長、仙台地方局長、本社綜合企画室長、塩脳部長、臨時塩業整備本部長、経理部長、企画部長、総務理事を歴任し、1964年(昭和39年)に退任した。
藤井 勝志(ふじい かつし、1915年4月13日 - 199… 藤井 勝志(ふじい かつし、1915年4月13日 - 1996年1月25日)は、日本の政治家。叙正三位勲一等旭日大綬章。 井原市名誉市民。労働大臣、大蔵政務次官などを務めた。 岡山県井原市出身。興譲館中学、第一高等学校を経て、東京帝国大学(現在の東京大学)法学部卒業。東大法学部では、矢部貞治に師事。帝国石油に就職したが短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。第101燃料廠に配属されバリックパダンに赴任。同廠スラバヤ出張所主任を経て、1943年11月、海軍主計大尉に昇進し同廠会計部員に就任。1944年9月、海軍省軍務局御用掛兼軍需省軍需官となり終戦を迎えた。
村山 達雄(むらやま たつお、1915年〈大正4年〉2月8日… 村山 達雄(むらやま たつお、1915年〈大正4年〉2月8日 - 2010年〈平成22年〉5月20日)は、日本の大蔵官僚、政治家。正三位勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(12期)、大蔵大臣(第82代・第91代・第92代)、厚生大臣(第60代)を歴任。税制通で知られ、消費税導入にもかかわった。 新潟県長岡市坂之上町生まれ。株屋をやっていた幸太郎の三男。 長岡市立表町尋常小学校から長岡中学校に進む。長岡中二年の時、母が死去、姉静子に身のまわりの面倒をみてもらうようになった。当時の旧制中学は五年制だったが、中学四年生から旧制高校を受験できた。担任教諭の勧めで一高を受験、合格した。 1937年(昭和12年)に東京帝国大学法学部を卒業。
玉井 祐吉(たまい ゆうきち、1915年(大正4年)1月11… 玉井 祐吉(たまい ゆうきち、1915年(大正4年)1月11日 - 2002年(平成14年)2月24日)は、昭和期の農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 新潟県出身。1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 日本曹達社員、日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)社員を経て東山炭礦所長に就任。その後、農民運動、労働運動に加わり日本農民組合青年部、同新潟県連執行委員長、日本社会党新潟支部青年部長を務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で新潟県第2区に日本社会党公認で出馬して初当選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙で労働者農民党公認で出馬して再選されたが、選挙区内の中蒲原郡七谷村での選挙が無効となり、1950年(昭和25年)10月に再選挙が行われ改めて当選が確定し、衆議院議員に連続2期在任した。
堀田 正久(ほった まさひさ、1915年〈大正4年〉1月4日… 堀田 正久(ほった まさひさ、1915年〈大正4年〉1月4日 - 2003年〈平成15年〉1月13日)は、日本の政治家。3代目の千葉県佐倉市長で、4期16年にわたり務める。旧佐倉藩主堀田氏当主。実業家の小佐野賢治は義弟にあたる。位階は正五位。 堀田正恒伯爵の嫡男として東京府東京市本郷区弥生町に於いて生まれる。文京区立誠之小学校、東京府立第五中学校、東京高等学校を卒業。東京帝国大学法学部政治学科に入学し、1940年(昭和15年)卒業。短期現役海軍主計科士官(4期)を志願し、1940年5月、海軍経理学校に入学して海軍主計中尉に任官。同年9月に卒業。病のため長期療養となる。1942年(昭和17年)3月、主計大尉に進む。
大来 佐武郎(おおきた さぶろう、1914年〈大正3年〉11… 大来 佐武郎(おおきた さぶろう、1914年〈大正3年〉11月3日 - 1993年〈平成5年〉2月9日)は、日本の逓信・経済企画官僚、外交官、政治家、経済学者。位階は正三位。 第二次世界大戦後の日本を代表する国際派のエコノミストであり、外務大臣(第108代)や総合研究開発機構研究評議会議長を務めた。 東京帝国大学工学部電気工学科卒業後、逓信省に入省した。工務局、興亜院出向を経て大東亜省に移籍した。第二次世界大戦終戦後に外務省調査局に勤務した。その後、芦田内閣の下に設置された経済安定本部で、池田勇人首相の肝煎りである所得倍増計画の策定に中心的に関わった。 大来は終戦直後から日本国内のみならず国外にも豊富な人脈を築き、また分け隔てなく留学を希望する者の紹介状を書いていた。
友納 武人(とものう たけと、1914年(大正3年)9月12… 友納 武人(とものう たけと、1914年(大正3年)9月12日 - 1999年(平成11年)11月15日)は、昭和期の厚生官僚、政治家。元千葉県知事、衆議院議員。広島県広島市出身。 小学校教諭の友納友次郎の四男として生まれる。 府立六中・府立高等学校 (旧制)を卒業。 東京帝国大学法学部政治学科在学中に高等文官試験に合格し、卒業後の1937年4月に内務省に入省。 埼玉県総務部で勤務の後、兵役で大日本帝国陸軍習志野騎兵第15連隊に見習士官として入営し、ノモンハン事件にも参加している。 陸軍中尉で軍役解除後、滋賀県学務課長、岐阜県庶務課長を経て厚生省保険局健康保険課勤務となり、1947年2月に同課課長。
後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2… 後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2005年9月19日)は、日本の内務・警察・防衛・自治官僚、政治家。
水口 宏三(みなくち こうぞう、1914年(大正3年)7月2… 水口 宏三(みなくち こうぞう、1914年(大正3年)7月21日 - 1973年(昭和48年)3月1日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)。 東京府東京市本郷区本郷(現在の東京都文京区本郷)生まれ。東京府立高等学校を経て、1938年(昭和13年)、東京帝国大学農学部卒業後、農林省入省。1942年-1943年(昭和17-18年)企画院出向。戦後は供米制度に反対、1946年(昭和21年)、全農林職員労働組合を結成して初代委員長に選出、官公庁民主化運動の前面に立ち人事への発言権を得ることに尽力、全官公庁共同闘争委員会議長にもなった。その後、全官公職員労働組合の初代委員長に就任。1947年(昭和22年)の二・一ゼネストでは、中心指導者となる。
上松 陽助(うえまつ ようすけ、1914年(大正3年)7月2… 上松 陽助(うえまつ ようすけ、1914年(大正3年)7月2日 - 1996年(平成8年)1月18日)は、日本の政治家。岐阜県知事、岐阜市長を務めた。岐阜県名誉県民、岐阜市名誉市民。 岐阜県岐阜市出身。岐阜中学校(現:岐阜県立岐阜高等学校)、第八高等学校(現:名古屋大学)、東京帝国大学法学部政治学科(現:東京大学)卒業。 その後、日鉄鉱業に就職し、兵役を経て、雑貨を扱う常盤産業株式会社を設立し代表取締役社長に就任。 岐阜市役所に入庁し、経済部長、企業部長、民生部長、農林部長、民生局長等の要職を歴任した。収入役を経て、1970年に岐阜市長に初当選。 1977年2月に岐阜県知事選挙に出馬し、日本社会党参議院議員の中村波男らを破り初当選。
片山 正英(かたやま まさひで、1914年(大正3年)2月1… 片山 正英(かたやま まさひで、1914年(大正3年)2月17日 - 2005年(平成17年)3月22日)は、昭和期の農林官僚、政治家。参議院議員、林野庁長官。 宮城県仙台市出身。1939年(昭和14年)東京帝国大学農学部林学科を卒業した。 農林省に入省し、同山林局、林野庁、経済審議庁などで勤務。群馬県林務部長、林野庁業務部長などを歴任し、林野庁長官に1967年(昭和42年)9月から1970年(昭和45年)1月まで在任して退官した。 1971年(昭和46年)6月の第9回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬して初当選。なお、この選挙を通じて関係者19人が買収、文書違反の疑いで逮捕されている。
金丸 三郎(かねまる さぶろう、1914年(大正3年)2月8… 金丸 三郎(かねまる さぶろう、1914年(大正3年)2月8日 - 2007年(平成19年)8月15日)は、日本の官僚、政治家。自治事務次官、鹿児島県知事、自由民主党参議院議員、総務庁長官、参議院協会会長、財団法人井上育英会顧問を務めた。 位階は従三位。勲等は勲一等瑞宝章。学位は法学士(東京大学)。称号は特定非営利活動法人日本居合道連盟名誉範士。 鹿児島県出水郡上出水村(後の出水町)生まれ、現在の出水市出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校(のち鹿児島県立鶴丸高等学校)、第七高等学校造士館(のち鹿児島大学)を経て、東京帝国大学(のち東京大学)法学部卒業後の1938年(昭和13年)、内務省入省(地方局配属)。
李 澔(イ・ホ、이호、1914年2月7日 - 1997年5月… 李 澔(イ・ホ、이호、1914年2月7日 - 1997年5月24日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の検察官、法律家、政治家。 本貫は永川李氏(朝鮮語版)。日本名は李家 澔(りのいえ ひろし)。 慶尚北道永川郡にて、大地主の息子として誕生。1923年3月に慶尚北道永川公立普通学校卒業後、翌4月に京城第二公立高等普通学校2学年に編入し、1930年3月に修了した。1930年4月、京都の立命館中学校3学年に編入して1933年3月に卒業。同年4月に佐賀高等学校文科甲類に入学して1936年3月に卒業。1936年4月、東京帝国大学法学部法律学科に進学し、1940年3月に卒業。大学在学中の1939年11月に高等文官試験司法科に合格。
藤田 一郎(ふじた いちろう、旧姓・藪原、前名・榮、1914… 藤田 一郎(ふじた いちろう、旧姓・藪原、前名・榮、1914年〈大正3年〉1月4日 - 没年不明)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(広島県第一区選出)。 福岡県、藪原武彦の三男。1936年3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。鉄道省に勤務する。1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し、衆議院議員に当選。同年11月、藤田組(現フジタ)取締役副社長に就任。 藤田組副社長、広島バス会長、藤栄工業、藤栄林業各社長などをつとめる。1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に日本社会党から出馬し、衆議院議員に当選。社会革新党に所属。1948年5月、竹中工務店に関する融資問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。
伊東 正義(いとう まさよし、1913年〈大正2年〉12月1… 伊東 正義(いとう まさよし、1913年〈大正2年〉12月15日 - 1994年〈平成6年〉5月20日)は、日本の政治家、農林官僚。 衆議院議員(9期)、外務大臣(第109代)、内閣総理大臣臨時代理、副総理、内閣官房長官(第43代)、自由民主党政務調査会長(第32代)、自由民主党総務会長(第30代)を歴任した。 1913年、福島県若松市(現・会津若松市)に生まれる。祖父の伊東健輔は会津藩士、父の伊東秀三郎は旧制会津中学校(現・福島県立会津高等学校)の一回生で同校教諭となった。 旧制会津中学校、旧制浦和高等学校(現・埼玉大学)を経て、東京帝国大学法学部を卒業。農林省に入省する。農務局嘱託。その後、間もなく興亜院に出向する。
鈴木 一(すずき はじめ、1913年(大正2年)10月1日 … 鈴木 一(すずき はじめ、1913年(大正2年)10月1日 - 1978年(昭和53年)2月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。参議院議員(1期)。 秋田県出身。1938年東京帝国大学文学部倫理学科卒。翌年文部省の嘱託となる。後に全国購買農業協同組合連合会課長、部長などになる。他、全国農業会書記長、委員長、労働組合委員長、会社社長などを務める。 1953年の第3回参議院議員通常選挙において秋田地方区から無所属で立候補して当選、当選後は日本社会党に入った。1958年の第28回衆議院議員総選挙では秋田1区から無所属で立候補して初当選。当選後の所属政党は日本社会党から民主社会党、民社党となった。