久山 純弘(くやま すみひろ、1936年 - )は、日本の外… 久山 純弘(くやま すみひろ、1936年 - )は、日本の外交官。岡山県出身。元国際連合事務次長補。元国際連合人間居住計画(UN-HABITAT)事務次長。元国際連合総会第5委員会議長(行財政問題担当)。元国連合同監査団(JIU)議長。日本国際連合協会理事。外務大臣表彰状受賞。瑞宝中綬章受賞。 岡山県出身。岡山県立朝日高等学校卒業。東京大学教養学部卒業。上智大学国際部(現・国際教養学部)大学院修了。経済企画庁(現在は内閣府)、ニューヨークの国連開発計画(UNDP)等を経て、1975-1984年、日本政府国連代表部にて外交官として従事。その間、1979-83年に国連総会の主要委員会の一つである国連行財政諮問委員会(ACABQ)のメンバー、1983年には国連総会第5委員会議長を兼任。
股野 景親(またの かげちか、1935年1月16日 - 20… 股野 景親(またの かげちか、1935年1月16日 - 2007年7月17日)は、日本の外交官。公正取引委員会委員。京都ノートルダム女子大学大学院客員教授。従三位瑞宝重光章。
阿曾村 邦昭(あそむら くにあき、1935年‐)は、日本の外… 阿曾村 邦昭(あそむら くにあき、1935年‐)は、日本の外交官 。書籍等の著者名では「阿曽村 邦昭」と表記されている。 1935年、秋田県秋田市生まれ。東京大学農業経済学科及び米国アマースト大学政治学科各卒業。 外務省に入り、1988年に在ベトナム、1991年に在チェコスロバキア(1993年チェコに改称)、1994年に在ベネズエラ各特命全権大使を歴任した。 その後、富士銀行顧問、麗澤大学外国語学部客員教授、吉備国際大学大学院国際協力研究科科長(主任教授)、ノースアジア大学法学部教授、日本紛争予防センター所長、ジャパン・プラットフォームNGOユニット理事、(社)ラテンアメリカ協会理事、(株)インターナショナル映画社取締役会長を経て、(岡山県)公設国際貢献大学校教授、日本教育再生機構代表委員、認定NPO法人「難民を助ける会」顧問、「メコン地域研究会」会長を務めた。
田中 義具(たなか よしとも、1935年 - 2015年6月… 田中 義具(たなか よしとも、1935年 - 2015年6月20日)は、日本の外交官。 在バングラデシュ、ジュネーブ軍縮会議日本政府代表部、在ハンガリー特命全権大使を歴任した。。 1956年、外交官試験に合格し、東京大学法学部を中退し、外務省に入省した。国際連合局軍縮室長、同科学課長、在オーストラリア大使館参事官、 在ソビエト連邦大使館参事官、大蔵省国際金融局投資第3課長、外務省大臣官房参事官、 欧亜局審議官を務めた。1983年に在シドニー総領事、1985年に在バングラデシュ大使、1989年に昭和天皇大喪の礼事務局長を務めた。査察担当審議官、外務省儀典長を経て、1992年にジュネーブ軍縮会議日本政府代表部大使、1995年に在ハンガリー大使を歴任した。
中村 順一(なかむら じゅんいち、1934年11月26日 -… 中村 順一(なかむら じゅんいち、1934年11月26日 - )は、日本の外交官。京都国際会館館長も務めた。神奈川県横浜市出身。長男は財務官僚の中村英正。岳父は大蔵官僚の山田義見。 1958年に東京大学法学部を卒業し、1960年にケンブリッジ大学大学院修士課程修了。 その後、外務省に入省し、在インドネシア公使、在シドニー総領事、国際協力事業団理事、外務省儀典長、ベルギー国駐箚特命全権大使などを歴任し、現在は外務省参与を務めている。 1998年から2008年までに京都国際会館館長を務めた。 平安女学院大学客員教授、京都外国語大学理事、国際京都学協会副理事長も兼任している。 著書に「日本の感性と東洋の叡智」(淡交社、2021年)などがある。
都甲 岳洋(とごう たけひろ、1934年(昭和9年)11月1… 都甲 岳洋(とごう たけひろ、1934年(昭和9年)11月1日 - 2014年(平成26年)4月4日)は日本の外交官。元ロシア連邦駐箚特命全権大使。位階は従三位。大分県杵築市(旧速見郡山香町)出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
佐藤 ギン子(さとう ギンこ、1934年7月6日 - 202… 佐藤 ギン子(さとう ギンこ、1934年7月6日 - 2023年12月9日)は、日本の労働官僚、外交官、実業家。駐ケニア特命全権大使、証券取引等監視委員会委員長を務めた。 1958年に東京大学教養学部卒業後、労働省入省。婦人局長などを務めたのち、ケニア大使になった。 女性労働協会会長、女性労働協会名誉会長、銀行等保有株式取得機構運営委員、国際教育振興会理事、日立製作所取締役、東京大学女子卒業生同窓会さつき会会員、ヘルシーソサエティ賞審査委員会委員などの要職を歴任した。夫は元通産官僚で日本ガス機器検査協会理事長などを務めた佐藤満秋。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
渡辺 泰造(わたなべ たいぞう、1934年3月16日 - )… 渡辺 泰造(わたなべ たいぞう、1934年3月16日 - )は、東京府出身の外交官。駐エジプト大使、駐インドネシア大使、外務省顧問、全日空顧問、青山学院大学教授などを務めた後、2005年日本国際博覧会政府代表。
片倉 邦雄(かたくら くにお、1933年〈昭和8年〉10月2… 片倉 邦雄(かたくら くにお、1933年〈昭和8年〉10月22日 - )は、日本の外交官。湾岸戦争時にイラク駐箚特命全権大使を務めた。 1933年(昭和8年)10月22日、東京に生まれる。本籍地は宮城県。片倉家は伊達政宗の乳母喜多の名跡を継いだ田村宗顕の後裔に当たる。夫人は民族学者の片倉もとこ。 旧制宮城県佐沼中学校(現在の宮城県佐沼高等学校)、東京都立戸山高等学校を経て、1953年(昭和28年)4月、東京大学教養学部理科Ⅱ類に入学する。1954年(昭和29年)4月、東大教養学部文科Ⅰ類に入学する。1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)までダートマス大学に留学した。1959年(昭和34年)東大法学部公法科に戻り、在学中の同年9月、外務公務員採用上級試験に合格する。
藤井 宏昭(ふじい ひろあき、1933年8月21日 - )は… 藤井 宏昭(ふじい ひろあき、1933年8月21日 - )は、日本の外交官。森アーツセンター理事長。日比谷高校を経て東京大学教養学部を中退し、1956年に外務省に入省した。外務省北米局長、外務省大臣官房長、駐OECD代表部大使、在タイ日本大使、在イギリス日本大使等を務めた。退官後は国際交流基金理事長等も務めた。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
谷口 禎一(たにぐち さだかず、1933年(昭和8年)4月2… 谷口 禎一(たにぐち さだかず、1933年(昭和8年)4月28日 - 2008年(平成20年)11月16日)は、日本の外交官。駐ニュージーランド特命全権大使、駐イスラエル特命全権大使、関西大使などを務めた。 大阪府出身。大阪府立清水谷高等学校卒業。1956年(昭和31年)東京大学法学部を卒業し外務省入り。在アルゼンチン公使、在ボストン総領事、1989年(平成元年)特命全権大使(イスラエル駐在)を経て1992年3月から特命全権大使(関西担当)、政府代表。大臣官房審議官を経て1993年4月から特命全権大使(駐ニュージーランド兼西サモア大使、1993年 - 1996年)。 関西大使として40年ぶりに大阪で暮らした際、イスラエル駐在経験をもとに「エルサレムも京都も資源のない国で人間が英知を絞って発展した」点を踏まえ、東京一極集中に対抗ではなく、「現実の東西格差を前提としたうえで、質で勝負する」ように助言。
加藤 淳平(かとう じゅんぺい、1933年2月15日- )は… 加藤 淳平(かとう じゅんぺい、1933年2月15日- )は、日本の外交官。 岐阜県生まれ。1955年東京大学教養学部教養学科卒業、外務省入省。フランスのポワティエ大学とトゥール大学で、フランス語とフランス哲学を学んだ後、パリの日本大使館勤務。その後エジプト大使館、ヨーロッパ共同体 (EC) 日本代表部、ベトナム大使館などの書記官として、外務省で主として経済協力局、官房調査部に勤務。その間、昭和天皇のフランス語通訳、外交官試験試験官。1975年以後は、国連日本代表部参事官、公使、国際協力事業団 (JICA) 企画部長と同時に、上智大学、早稲田大学等の非常勤講師を務める。1983年には、オマーン常駐の初代大使として、在オマーン日本国大使館を開設。
江 丙坤(こう へいこん、1932年〈昭和7年〉12月16日… 江 丙坤(こう へいこん、1932年〈昭和7年〉12月16日 - 2018年〈民国107年〉12月10日)は中華民国(台湾)の政治家、外交官。台湾の対中交渉窓口機関である財団法人 海峡交流基金会(海基会)董事長、中国国民党副主席、国際民主同盟(IDU)副議長、東京スター銀行取締役会長等を歴任。2015年に旭日重光章を受賞した。日本統治時代に使用していた名は江原 正雄。 1932年(昭和7年)12月16日、台中州南投郡(現在の南投県)の貧農の家に生まれる。台湾省立法商学院(現在の国立台北大学)地政学科を卒業し、1960年(民国49年)に中国国民党第一期中山奨学金を得て東京大学に留学、農業経済学博士号を取得した。
小和田 恆(小和田 恒、おわだ ひさし、1932年〈昭和7年… 小和田 恆(小和田 恒、おわだ ひさし、1932年〈昭和7年〉9月18日 - )は、日本の外交官、国際法学者。第22代国際司法裁判所(ICJ)所長。 国連大使・外務事務次官などを歴任。皇后雅子の実父。愛子内親王の外祖父。 新潟県北蒲原郡新発田町(現:新発田市)生まれ。小和田毅夫・静夫妻の次男で、8人きょうだいの4番目。父・毅夫は新潟県立高田校長を務めた。生家の跡地は現在清水園の駐車場となっている。本籍地は新潟県村上市。 旧制新潟県立柏崎中学校(現:新潟県立柏崎高等学校)2年のとき、父の転勤により旧制新潟県立高田中学校に転校した。高田中学校在学中の学制改革を経て新潟県立高田高等学校を卒業し、東京大学文科一類に進学し、東京大学教養学部教養学科(国際関係論分科)在学中の1954年(昭和29年)に外交官領事官試験に合格、翌年の1955年 (昭和30年)に大学を卒業して(教養学士)、外務省に入省した。
明石 康(あかし やすし、1931年〈昭和6年〉1月19日 … 明石 康(あかし やすし、1931年〈昭和6年〉1月19日 - )は、日本の外交官、国際公務員、政治家。特定非営利活動法人 Reach Alternatives(REALs)顧問、国際教養大学名誉教授、同大学トップ諮問会議委員、名城大学アジア研究所名誉所長、群馬県立女子大学外国語教育研究所所長、京都文教学園学術顧問、神戸大学特別顧問・特別教授。国際連合事務次長や国際連合事務総長特別代表を歴任。 戦国時代のキリシタン武将の明石全登の子孫であるといわれている。母親の実家は、忠犬ハチ公の生家であった。 秋田県北秋田郡扇田町(現在の大館市比内町扇田)出身。築山小学校在学時に秋田市に移住。県立秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)から旧制山形高校(現在の山形大学人文学部および理学部)を経て、東京大学に進学。
谷田 正躬(たにだ まさみ、1931年1月 - )は、日本の… 谷田 正躬(たにだ まさみ、1931年1月 - )は、日本の外交官。リオ・デ・ジャネイロ総領事や、ブルガリア国駐箚特命全権大使、ヴァチカン国駐箚特命全権大使等を歴任した。 岡山県生まれ。1953年東京大学法学部第二類(公法コース)卒業、外務省入省。在ベルギー日本国大使館三等書記官、在ベルギー日本国大使館二等書記官、外務省条約局条約課首席事務官等を経て、1968年外務省経済局中近東課長。1969年外務省経済局国際経済課長。同年在レバノン日本国大使館一等書記官。 1971年在フランス日本国大使館一等書記官、ユネスコにおける日本政府代表。1973年外務省経済協力局経済協力第1課長。1975年外務大臣官房領事移住部外務参事官。
波多野 裕造(はたの ゆうぞう、1930年12月18日 - … 波多野 裕造(はたの ゆうぞう、1930年12月18日 - 2017年2月17日)は、日本のジャーナリスト、外交官、翻訳家。位階は正五位。 京都府出身。1953年東京大学文学部卒、毎日新聞社に入り、政治記者、ワシントン特派員などを務める。 1976年に毎日新聞社を辞して外交官となり、エジプト、イギリス公使、カナダ・トロント総領事、カタール大使、アイルランド大使などを務めた。 1994年、外交官から転じて白鷗大学教授となり、2003年退任、名誉教授。2006年、瑞宝中綬章受章。 2017年2月17日に死去。86歳没。没後に正五位に叙された。
三宅 和助(みやけ わすけ、1930年9月27日 - 200… 三宅 和助(みやけ わすけ、1930年9月27日 - 2004年1月24日)は、北海道夕張郡由仁町出身の元外交官。外務省外務報道官、中近東アフリカ局長、駐シンガポール特命全権大使等を歴任。
岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8… 岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8日 - 2014年〈平成26年〉10月26日)は、日本の外交官、評論家。位階は従三位。サウジアラビアとタイ王国で特命全権大使を歴任し、また外務省で情報調査局長を務めた。祖父の岡崎邦輔は、陸奥宗光の従弟にあたる。 関東州・大連生まれ。白金小学校、旧制府立高等学校を経て、東京大学法学部入学。東大法学部在学中に外交官試験合格。大学を中退し、外務省に入省。八木秀次によれば、岡崎は卒業証書は小学校のものしか持っておらず、その後は大学まですべて「飛び級」だったという。岡崎邦輔は祖父。 外務省ではケンブリッジ大学での英語研修を皮切りに、在外で在フィリピン大使館、在フランス大使館、在米国大使館、在韓国大使館に駐在し、本省では国際連合局に勤務する。
平岡 千之(ひらおか ちゆき、1930年(昭和5年)1月19… 平岡 千之(ひらおか ちゆき、1930年(昭和5年)1月19日 - 1996年(平成8年)1月9日)は、日本の外交官。作家三島由紀夫の弟。駐モロッコ特命全権大使、駐ポルトガル特命全権大使、赤坂迎賓館館長などを歴任した。位階は正三位。 1930年(昭和5年)1月19日、東京市四谷区永住町2番地(現・東京都新宿区四谷4丁目22番)に、父・平岡梓(農商務官僚)と母・倭文重(漢学者・橋健三の次女)との間に二男として生まれる。2歳上に、1928年(昭和3年)2月23日生まれの姉・美津子と、5歳上の1925年(大正14年)1月14日生まれの兄・公威がいた。千之の名は、祖父・平岡定太郎の恩人・江木千之に由来する。
平泉 渉(ひらいずみ わたる、1929年11月26日 - 2… 平泉 渉(ひらいずみ わたる、1929年11月26日 - 2015年7月7日)は、日本の政治家、外交官。衆議院議員・参議院議員、科学技術庁長官・経済企画庁長官を歴任。 1929年に福井県勝山市で生まれる。父は当時東京帝国大学助教授で後に教授となる国史学者の平泉澄。旧制東京高等学校を経て、1952年に東京大学法学部政治学科を卒業後、外務省入省。フランス語研修員として、フランスのグルノーブル政治学院、エクス=マルセイユ大学などに学んだ。その後、在フランス大使館に勤務し、1954年に訪仏した鹿島守之助を案内したことがきっかけで守之助に見込まれ、その三女・三枝子と結婚。やがて国連代表部二等書記官、在イラン大使館一等書記官を経て、1965年、守之助に日本に呼び戻されて鹿島建設の専務取締役となり、同年、第7回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から立候補し、初当選。
矢田部 厚彦(やたべ あつひこ、1929年9月17日 - )… 矢田部 厚彦(やたべ あつひこ、1929年9月17日 - )は、日本の元外交官。筆名綾部克人(あやべ かつひと)。 東京大学法学部在学中に外交官試験に合格し、中退して外務省に入る。駐ベトナム大使、海外経済協力基金理事、1986年大臣官房付。1987年駐オーストリア大使、1989年帰国し待命、1990年駐ベルギー大使、兼ルクセンブルク大使、1992年駐フランス大使。兼ジブチ大使、1994年EC日本政府代表部特命全権大使、同年退官後はソニー顧問を務めた。1999年秋、勲二等旭日重光章受勲。NPO日本アンリ・ファーブル会会長を務める。 父は駐タイ特命全権公使の矢田部保吉。矢田部和彦(パリ第7大学助教授)は長男、矢田部吉彦(元東京国際映画祭プログラミングディレクター)は次男。
赤松 良子(あかまつ りょうこ、1929年〈昭和4年〉8月2… 赤松 良子(あかまつ りょうこ、1929年〈昭和4年〉8月24日 - 2024年〈令和6年〉2月6日)は、日本の労働官僚、外交官、政治家。位階は従三位、勲等は旭日大綬章。筆名は青杉 優子。在ウルグアイ大使、文部大臣、公益財団法人日本ユニセフ協会会長を歴任した。女性の政治参画拡大を目指す市民団体「Qの会」代表。労働省の婦人局長として、1986年に施行された男女雇用機会均等法の成立に尽力し「均等法の母」と呼ばれた。 労働省婦人局長時代、男女雇用機会均等法制定の中核となった。細川護熙、羽田孜両内閣で文部大臣を務めたほか、国際女性の地位協会会長なども務めた。選択的夫婦別姓制度実現をめざす民法改正運動を行っているネットの呼びかけ人でもある。
関 榮次(せき えいじ、1929年7月 - 2020年7月2… 関 榮次(せき えいじ、1929年7月 - 2020年7月21日[要出典])は、日本の外交官、ノンフィクション作家。沖縄県北大東島出身。 沖縄県北大東島生まれ。旧制松山高等学校を経て、1953年に東京大学法学部卒業、外務省入省。 1954年オハイオ州アンティオーク大学留学、1955年在米国日本大使館外交官補 。 帰国後は、経済局、通商産業省出向、経済協力局を経て、インドネシア、連合王国(イギリス)、タイ、ユーゴスラビア、ブラジルに在勤 。本省では、国際連合局経済課長、法務省入国管理局総務課長、国際連合局担当審議官などを歴任。 1981年‐1983年駐ザンビア大使、駐連合王国特命全権公使、海外経済協力基金理事、1989年‐1992年駐ハンガリー大使を歴任した。
今井 隆吉(いまい りゅうきち、1929年2月16日ー201… 今井 隆吉(いまい りゅうきち、1929年2月16日ー2012年10月10日)は、日本の原子力問題の専門家、外交官、新聞記者、原子力技術者、科学評論家。専門は核不拡散、保障措置など。 1929年(昭和4年)、父今井文平(元大倉鉱業、元大倉商事会長)、母信子(または信、小坂善之助五女)の五男として東京に生まれる。兄に今井兼一郎(元日本機械学会会長)がある。元外務大臣小坂善太郎、元運輸大臣小坂徳三郎兄弟らは従兄弟にあたる。 少年時代、エドウィン・O・ライシャワー夫人から英語を習った。 旧制東京府立高等学校から、1952年東京大学理学部数学科卒、ガリオア資金で米国留学し、フレッチャー法律外交大学院(M.A)および1956年ハーバード大学大学院国際関係学修士(A.M)。
海野 芳郎(うんの よしろう、1928年6月30日 - 20… 海野 芳郎(うんの よしろう、1928年6月30日 - 2012年12月21日)は、日本の歴史学者・国際政治学者・外交官。専門は国際政治史、日本外交史。静岡県出身。 富士宮市生まれ。富士中学校(旧制)、静岡高等学校 (旧制)を経て、東京大学文学部西洋史学科に進む。1953年に卒業し、事務官として外務省に入省。1961年から在フランス日本国大使館に勤務し、1965年に帰国。その後、外務省百年史編纂委員・日本外交文書編纂委員となり、1971年からは外交史料館編纂室に勤務。1979年に専門官となり、翌年に外交文書編纂室長に就任した。1982年から新潟大学法学部教授を務め、1994年には新潟国際情報大学教授となった。
色摩 力夫(しかま りきを、1928年5月13日 - 202… 色摩 力夫(しかま りきを、1928年5月13日 - 2022年11月24日)は、日本の外交官。国家基本問題研究所客員研究員。浜松大学教授。 神奈川県横浜市生まれ。仙台陸軍幼年学校卒業、陸軍士官学校61期。東京大学文学部仏文学科卒業。 1954年、外務省入省、スペイン留学、国際連合局社会課長、アメリカ局中南米参事官、内閣官房インドシナ難民連絡調整会議事務局長、サン・パウロ総領事を経て、ホンジュラス大使、コロンビア大使、チリ大使を歴任。 1992年に退官し、浜松大学国際経済学部教授。2003年退職。 1998年、勲二等瑞宝章受章。
大鷹 弘(おおたか ひろし、1928年2月25日 – 200… 大鷹 弘(おおたか ひろし、1928年2月25日 – 2001年4月21日)は、日本の外交官。駐ビルマ(ミャンマー)大使、法務省入国管理局長などを務めた。父は外交官の大鷹正次郎、妻は女優で参議院議員を務めた大鷹淑子。双子の弟、大鷹正、正の子である大鷹正人も外交官である。 東京府出身。父親の転勤で青島第二小学校を5年終了で東京に移り、東京市立番町尋常小学校に転校する。旧制武蔵高等学校を経て、1950年東京大学法学部卒業後、1951年に外務省に入省する。ベルギー公使、フィジー、スリランカ各大使などを歴任し、1987年から1990年まで駐ビルマ(ミャンマー)大使を務めた。 2001年4月21日午前11時21分、肺炎のため、東京都足立区の病院で死去。
大鷹 正(おおたか ただし、1928年2月25日 - )は、… 大鷹 正(おおたか ただし、1928年2月25日 - )は、日本の外交官。元駐オランダ大使。 妻は日本チェコ友好協会名誉会長の大鷹節子。父の大鷹正次郎と双子の兄・大鷹弘、弟の大鷹市郎、長男の大鷹正人も外交官。 東京都出身。陸軍幼年学校を経て航空士官学校在学中に終戦。復員後、都立高校を経て東京大学法学部卒業後、外務省に入省。パラグアイ、チェコスロバキア、オランダ大使を歴任。迎賓館長を経て退官。
伊達 宗起(だて むねおき、1927年10月 - )は、日本… 伊達 宗起(だて むねおき、1927年10月 - )は、日本の外交官。外務大臣官房長、外務省条約局長等を経て、欧州共同体日本政府代表部特命全権大使在任中譴責処分を受け解任された。 東京府出身。東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)、浦和高等学校、東京大学法学部を経て、1950年外務省入省。在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部二等書記官、同一等書記官を経て、1965年内閣法制局参事官(第三部)。1968年外務省アジア局北東アジア課長。 1970年在ベルギー日本国大使館一等書記官。同参事官を経て、1973年外務省条約局外務参事官。1974年外務公務員採用上級試験委員。1976年外務省情報文化局外務参事官。
木内 昭胤(きうち あきたね、1927年〈昭和2年〉9月1日… 木内 昭胤(きうち あきたね、1927年〈昭和2年〉9月1日 - )は、日本の外交官。フランス駐箚特命全権大使などを歴任した。 東京都出身。父は外交官の木内良胤、母は宮内次官、枢密顧問官を歴任した関屋貞三郎の長女淑子。次男は元衆議院議員の木内孝胤。 東京大学法学部を卒業し、1951年(昭和26年)4月、外務省に入省する。外務省ではパリ、モスクワ、ワシントンD.C.、ロンドン等の在外公館勤務を経て、田中角栄が首相時代、総理大臣秘書官を務めた。 退官後は、住友銀行顧問、アクサ生命保険会長、アジア開発キャピタル会長などを歴任した。また、細川内閣では細川護熙首相の私的諮問機関であった「経済改革研究会」のメンバーとして規制改革に関するレポートを作成した。
大木 浩(おおき ひろし、1927年〈昭和2年〉6月30日 … 大木 浩(おおき ひろし、1927年〈昭和2年〉6月30日 - 2015年〈平成27年〉11月13日)は、日本の政治家、外交官。全国地球温暖化防止活動推進センター代表。位階は従三位。 環境大臣(第3代)、環境庁長官(第35代)、衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)。 愛知県西春日井郡西枇杷島町(現清須市)出身。愛知県立第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)時代は岡井隆と同級生で仲が良かった。第八高等学校を経て、旧制松本高校文科卒業後、海軍兵学校(第76期)で終戦を迎え、東京大学法学部卒業。 1952年東大卒業後、外務省に入省した。ワシントン、ベオグラード、ジュネーブでの在外公館勤務。外務省欧亜局東西通商課長、欧亜局東欧第一課長、報道課長、官房総務参事官を経て、1978年官房審議官・多角的貿易交渉担当大使、1979年在ホノルル総領事。
天羽 民雄(あもう たみお、1927年 - 1994年)は、… 天羽 民雄(あもう たみお、1927年 - 1994年)は、日本の外交官、国際政治学者。 中国ハルビン生まれ。東京大学法学部卒業後、外務省に入り数々の要職を歴任。ジョージタウン大学で学び外務省情報文化局長、駐ユーゴスラヴィア兼アルバニア大使、関西等担当特命全権大使を経て退官後、青山学院大学国際政治経済学部教授を務めた。 土山實男は同学部の特色として、学者以外に外交官や国際ジャーナリストを多く教員に迎えてきたと述べ、その一人に天羽の名を挙げている。また、政治学的にはリアリズムの立場を取っていたと指摘している。なお、『青山国際政経論集』33号(1995年)は「天羽民雄教授追悼号」となっている。
手島 冷志(てじま れいし、1927年 - )は、日本の外務… 手島 冷志(てじま れいし、1927年 - )は、日本の外務官僚、外交官。外務省経済局長、外務審議官(経済担当)などを歴任し、GATT35条援用(GATT協定不適用)問題等に関わった。 1927年、石川県金沢市生まれ。父は手島治雄(元日本陸軍情報将校)で、戦後は出光興産専務を務め日章丸事件に関わった。東京府立一中、一高、陸軍士官学校を経て、東大法学部入学。東大在学中の1950年3月に外交官領事官採用試験に合格し外務省入省。一高では英語・独語クラスに入ったが独語は理解能力を超えると自覚し、アテネ・フランセに通い、陸士では語学の授業は全く無かったが英文法の本を持参し、空襲退避中に自習した。大学も外務省もフランス語で受験し、入省後は「フレンチスクール」とされたが、外務省研修所ではフランス語の授業はなく、在外研修制度もなく仏留学の機会も無かった。
賀陽 治憲(かや はるのり、1926年〈大正15年〉7月3日… 賀陽 治憲(かや はるのり、1926年〈大正15年〉7月3日 - 2011年〈平成23年〉6月5日)は、日本の外交官。旧皇族、賀陽宮恒憲王の第2王子。海軍兵学校75期。1947年10月14日の皇籍離脱までは、治憲王(はるのりおう)。 1926年〈大正15年〉7月3日午前8時50分、賀陽宮恒憲王と同妃敏子の第2男子として誕生。御七夜の7月9日に「治憲」と命名された。 学習院初等科・学習院中等科を経て、1943年(昭和18年)12月1日、江田島海軍兵学校(75期)に入学。井上成美中将のもとで学んだ。入校式においては皇族の生徒として紹介を受け、同期生の敬礼を受けている(広島中央放送局ニュース再録に記録あり)。
橋本 恕(はしもと ひろし、1926年〈大正15年〉4月7日… 橋本 恕(はしもと ひろし、1926年〈大正15年〉4月7日 - 2014年〈平成26年〉4月6日)は、日本の外交官。駐中華人民共和国特命全権大使を歴任。徳島県鳴門市出身。位階は従三位。 駐中国特命全権大使であった1991年11月28日、外相兼副総理であった渡辺美智雄宛ての極秘電報「天皇御訪中(本使意見具申)」で、「中国は明年の国交正常化20周年に際し、官民あげて天皇訪中を切望し、これが実現すれば名実ともに日中間の戦後は終わり友好協力の新時代が確固不動になると強い期待を表明している」と天皇訪中の実現を強く訴えた。 また、天皇訪中の実現のため、政界工作やマスコミ工作を行った。橋本は1992年6月26日、共同通信社社長の犬養康彦と面会。
野村 豊(のむら ゆたか、1926年3月14日 - )は、日… 野村 豊(のむら ゆたか、1926年3月14日 - )は、日本の外交官、国際公務員。駐ヴェネズエラ特命全権大使等を経て、駐イラン特命全権大使。イランに在任中、「トルコ航空機によるテヘラン邦人救出事件」が発生。 第八高等学校を経て、1947年東京帝国大学法学部法律学科卒業、外務省入省、1951年イェール大学留学。 在連合王国日本国大使館一等書記官等を経て、1965年外務省経済協力局技術協力課長。1967年外務省経済協力局国際協力課長。 同年外務省経済協力局政策課長。1969年経済協力開発機構日本政府代表部参事官。1970年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官。1973年外務省国際連合局外務参事官。1974年外務省経済局次長。
中島 敏次郎(なかじま としじろう、1925年9月2日 - … 中島 敏次郎(なかじま としじろう、1925年9月2日 - 2011年12月13日)は、日本の外交官。条約局長、外務審議官、駐オーストラリア大使、駐中国大使、最高裁判所判事、あさひ法律事務所顧問等を歴任[要出典]。妻の康子は、第61代警視総監、のちに自由民主党衆議院議員であった田中栄一の次女[要出典]。 中島房吉、中島静子の間の4人兄弟の二男として生まれる。旧制第一高等学校、東京大学法学部を卒業し、1948年に外務省入省。在中国日本国特命全権大使として在任中に六四天安門事件が起こり、在留邦人を無事国外に避難させた。 婚外子相続差別訴訟の1995年7月5日の最高裁大法廷の判決では民法の婚外子相続差別規定を合憲とする多数意見に対して、違憲とする少数意見を表明した。
柳谷 謙介(やなぎや けんすけ、1924年〈大正13年〉6月… 柳谷 謙介(やなぎや けんすけ、1924年〈大正13年〉6月19日 - 2017年〈平成29年〉11月18日)は、日本の外交官。 外務事務次官(第21代)、オーストラリア国駐箚特命全権大使、外務審議官、外務省大臣官房長、外務省情報文化局長などを歴任した。 東京府出身。学生時代は学徒出陣のため海軍に召集され、短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 その後、1948年(昭和23年)東京大学法学部を卒業。同年、外交官領事官採用試験に合格。外務省入省後、フランス、パキスタン、イギリスなどで勤務し、1959年(昭和34年)からは北東アジア課首席事務官を5年間務め、1965年(昭和40年)の日韓国交正常化への交渉を支えた。
本野 盛幸(もとの もりゆき、1924年3月15日 - 20… 本野 盛幸(もとの もりゆき、1924年3月15日 - 2012年8月24日)は、日本の外交官。元駐フランス大使。元日仏会館名誉理事長。元外務大臣本野一郎は祖父。 父親は外交官の本野盛一 (1895-1953)、母親は伊東義五郎の三女で日仏混血の清子(仏名レネー・マリー)。幼少時代は日本国外で暮らし、10歳になって日本に戻った。旧制学習院高等科から東北帝国大学を経て海軍に入り、軍令部特務班員となる。終戦後は東京大学法学部を経て外務省に入省し、外務公務員、外交官となった。 外務省経済局長、1978年から在モロッコ大使、在ニューヨーク総領事等を経て、1983年に外務審議官(経済担当)、1984年からフランス大使。
伴 正一(ばん しょういち、1924年1月1日 - 2001… 伴 正一(ばん しょういち、1924年1月1日 - 2001年5月26日)は、日本の弁護士、外交官。1972年から1977年まで第2代青年海外協力隊事務局長を務め、青年海外協力隊事業の立ち上げに尽力した。 1924年1月1日、香川県丸亀市に生まれる。父親は、税務署に勤務する官吏。1936年、(旧制)土佐中学校に入学。 1938年、海軍経理学校へ入学(33期)。卒業後、霜月に配属され、同艦艇でマリアナ沖海戦にも参戦した。1945年6月、内海海軍航空隊に異動。8月15日の終戦は、出張中の大分市で迎えた。 1946年、第二復員省を辞し、東京大学に入学。1948年、高等文官試験司法科に合格。大学卒業後、弁護士として活動を始める。
宮澤 泰(みやざわ やすし、1923年〈大正12年〉8月5日… 宮澤 泰(みやざわ やすし、1923年〈大正12年〉8月5日 - 2010年〈平成22年〉9月10日)は、日本の外交官。駐西ドイツ大使。位階は従三位。 宮澤裕の三男として生まれる。東京高師附属小(現・筑波大附属小)、武蔵高等学校を経て東京大学法学部政治学科卒業。外務省に入り、西ドイツ公使、1977年2月から欧亜局長、外務省大臣官房審議官を経て、1980年12月から駐アルジェリア大使、1983年4月から駐オーストリア大使、1986年1月から駐西ドイツ大使を歴任。1993年11月、勲二等旭日重光章受勲。2010年死去。死没日付をもって従三位に叙された。 宮澤三兄弟の幼少の頃を知るいとこの和田貞子は「三人はいずれも2歳違いで、とても仲の良い兄弟だった。
大川 美雄(おおかわ よしお、1922年12月3日 - 20… 大川 美雄(おおかわ よしお、1922年12月3日 - 2008年12月9日)は、日本の外交官。外務省国際連合局長や、駐フィリピン特命全権大使、駐カナダ特命全権大使などを歴任した。 大阪府出身。旧制灘中学校、第三高等学校文科丙類を経て、1946年東京帝国大学法学部卒業。在連合王国日本国大使館一等書記官を経て、1964年外務省経済局スターリング地域課長。1965年外務公務員採用上級試験委員(英語)。 1967年外務省国際連合局政治課長。1969年在フィリピン日本国大使館参事官。1970年在ジュネーヴ日本国総領事館総領事、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部参事官。 1975年外務省国際連合局長。1979年軍縮委員会日本政府代表部特命全権大使。
山崎 敏夫(やまさき としお、1922年 <大正11年> 8… 山崎 敏夫(やまさき としお、1922年 <大正11年> 8月13日 - 2000年 <平成12年> 6月7日)は日本の外交官。駐英特命全権大使。位階は正三位。勲一等瑞宝章。駐シンガポール大使や駐スウェーデン大使を歴任した山崎純は息子で、駐フランス大使や内閣法制局長官を歴任した小松一郎は義理の息子。 大阪府出身。東京大学法学部を卒業。1946年に外務省に入省。官房長やアメリカ局長、駐エジプト大使、駐南イエメン大使、駐インドネシア大使、駐英大使を歴任した。 1988年10月から公安審査委員会委員を務める。在任中の1995年3月にオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生して一連のオウム真理教事件が注目されたことにより、公安調査庁がオウム真理教について破壊活動防止法が規定する解散請求を公安審査委員会に行なったことから、公安審査委員会委員の1人としてオウム真理教破壊活動防止法問題の審査にあたった(1997年1月に解散請求は棄却となった)。
橘 正忠(たちばな まさただ、1922年2月2日 - 200… 橘 正忠(たちばな まさただ、1922年2月2日 - 2004年4月1日)は、日本の外交官。 1944年東京大学法学部卒、1945年外務省に入省後、1950年米国留学、カナダ在勤、シドニー領事、報道課長、香港領事、1969年在オーストリア日本大使館参事官、1970年アメリカ局参事官などを歴任。 1972年アメリカ局長心得、1975年-1977年欧亜局長、1977年-1980年駐デンマーク大使、1980年10月から在ビルマ日本大使館特命全権大使、1983年10月から1986年まで在タイ日本国大使館特命全権大使となる。 後に国立京都国際会館館長、京都市国際交流協会理事や上場企業役員を歴任した。 1980年11月にヤンゴン日本人学校名誉校長に就任する。
鹿取 泰衛(かとり やすえ、1921年7月16日 - 200… 鹿取 泰衛(かとり やすえ、1921年7月16日 - 2003年1月11日)は、日本の外交官。位階は正三位。 外務大臣官房長、外務審議官、駐中国特命全権大使、駐ソ連特命全権大使。 宮城県仙台市出身。1941年浦和高等学校文科乙類卒業。1943年東京帝国大学法学部政治学科中退、外務省入省。ドイツ語研修を受ける。在ドイツ日本国大使館一等書記官を経て、1963年外務省欧亜局西欧課長。1965年外務省外務大臣官房会計課長。1967年外務省北米局外務参事官。同年在シアトル日本国総領事館総領事。1969年在インド日本国大使館参事官。1970年外務省経済協力局外務参事官。1972年外務省外務大臣官房長。1974年外務省経済協力局長。
岡田 富美也(おかだ ふみや、1921年 - )は、日本の外… 岡田 富美也(おかだ ふみや、1921年 - )は、日本の外交官、国際公務員。駐ジョルダン(ヨルダン)特命全権大使、北海道派遣特命全権大使、駐ポルトガル特命全権大使等を歴任した。 千葉県出身。成田中学校、第一高等学校文科甲類を経て、1948年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省入省。1964年外務大臣官房書記官。1966年外務省国際連合局経済課長。1969年外務省経済局国際貿易課長。1970年外務省経済局外務参事官。 1971年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官。1972年在インド日本国大使館参事官。1974年外務大臣官房調査部外務参事官兼経済協力局。同年在オーストラリア日本国大使館公使。1976年在トロント日本国総領事館総領事。
平原 毅(ひらはら つよし、1920年10月25日 - 19… 平原 毅(ひらはら つよし、1920年10月25日 - 1999年4月24日)は、外交官。 中国広東生まれ。鹿児島県鹿児島市出身。外交官藤田栄介の二男。旧制東京高校を経て東京帝国大学入学。1941年高等文官試験外交科合格。1943年東京帝国大学法学部卒業後、ハルピンでロシア語研修中に学徒動員で出征。戦後の1946年外務省に戻る。在パリユネスコ本部アジア局長、ミラノ総領事、1968年臨時代理でベルギー公使。1969年外務省経済局次長。1970年外務省経済局長時には日米繊維交渉にあたる。1972年モロッコ大使、75年OECD代表部大使、81年英国大使。 1982年フランス政府からレジオンドヌール勲章コマンドール章受章。
鈴木 文彦(すずき ふみひこ、1919年〈大正8年〉9月13… 鈴木 文彦(すずき ふみひこ、1919年〈大正8年〉9月13日 - 没年不詳)は、日本の外交官、国際公務員。外務省経済局次長、外務省国際連合局長等を経て、1979年から82年までジュネーヴ国際機関日本政府代表部特命全権大使を務めた。 東京出身。東京府立第八中学校(現東京都立小山台高等学校)を経て、1940年浦和高等学校文科甲類卒業。1942年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。1946年に解員(復員)した。 外務省経済局国際機関課長等を経て、1962年在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部一等書記官。
中村 輝彦(なかむら てるひこ、1919年 <大正8年> 8… 中村 輝彦(なかむら てるひこ、1919年 <大正8年> 8月27日 - 2007年 <平成19年> 2月7日)は、日本の外交官。 栃木県出身。東京帝国大学法学部卒業後、外務省に入省。調査局に配属。1979年から駐サウジアラビア大使を務めた(〜1982年)。また、外務省中近東アフリカ局長などの要職を歴任。1986年より住友商事顧問。1989年秋の叙勲で勲二等旭日重光章を受章。 死後、死亡日に遡って従三位に叙せられた(2007年(平成19年)3月13日付官報にて告示)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。