猿谷 要(さるや かなめ、1923年7月19日 - 2011… 猿谷 要(さるや かなめ、1923年7月19日 - 2011年1月3日)は、日本のアメリカ史研究者。東京女子大学名誉教授。
東京大学:474人
猿谷 要(さるや かなめ、1923年7月19日 - 2011… 猿谷 要(さるや かなめ、1923年7月19日 - 2011年1月3日)は、日本のアメリカ史研究者。東京女子大学名誉教授。
牟田口 義郎(むたぐち よしろう、1923年5月11日 - … 牟田口 義郎(むたぐち よしろう、1923年5月11日 - 2011年1月22日)は、日本の歴史家、中東地域研究者、翻訳家。朝日新聞特派員・支局長を歴任した。 神奈川県生まれ。1948年東京大学仏文科卒、1949年に朝日新聞社に入社。報道記者として外報畑を主に歩み、カイロ(エジプト)支局長、パリ(フランス)支局長を務め、また論説委員を務めた。1982年退社、その後成蹊大学教授、東洋英和女学院大学教授、中近東文化センター理事長を歴任。 中東・アラブ地域の現代史に詳しく、地中海世界を軸に多くの著書・翻訳書を刊行した。 2011年1月22日、腎不全のため死去。87歳没。
今枝 愛真(いまえだ あいしん、1923年(大正12年)3月… 今枝 愛真(いまえだ あいしん、1923年(大正12年)3月30日 - 2010年(平成12年)3月9日)は、日本史学者、禅仏教研究者、曹洞宗僧侶。 静岡県生まれ。1947年東京帝国大学文学部国史学科卒業。1951年東京大学史料編纂所に入る。1962年助手、1969年助教授、1972年教授、1981年所長。1983年定年退官、名誉教授。1971年「中世禅林成立史の研究」で東大文学博士。興隆寺住持。2010年3月9日、肺炎のため死去。86歳没。没後正五位受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松崎 仁(まつざき ひとし、1923年〈大正12年〉3月14… 松崎 仁(まつざき ひとし、1923年〈大正12年〉3月14日 - 2013年〈平成25年〉2月26日)は、日本の日本近世演劇研究者。立教大学・梅光女学院大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。父は長野県士族で官僚の松崎謙二郎。母は横浜の貿易商中村房次郎の長女。 1949年、東京帝国大学文学部国文学科卒業。学習院中・高等科教諭。1957年、清泉女子大学助教授。1959年、立教大学文学部助教授、教授。1989年、定年退任、名誉教授、梅光女学院大学教授。1998年、梅光女学院大学を退職、名誉教授。 1995年、「歌舞伎・浄瑠璃・ことば」で九州大学博士(文学)、日本演劇学会河竹賞受賞。
太田 實(おおた みのる、1923年1月5日 - 2004年… 太田 實(おおた みのる、1923年1月5日 - 2004年3月6日)は、日本の建築都市環境学の研究者。都市計画家。建築家。北海道大学名誉教授。北海道大学で長く建築学、都市計画学および地域計画学に関する研究と後進の教育に従事し、工学部と大学院(工学研究科、環境科学研究科)教授として人材育成に尽力。北海道大学退官後は北海道工業大学教授も務め戦後の近代都市計画学の普及と発展に貢献する。 福岡県生まれ。1944年東京帝国大学第一工学部建築学科を卒業。同大学大学院修了。1948年、北海道大学工学部に建築工学科が新設にともない赴任。学科創設期から1986年に退官するまで、教育と研究に寄与した。1950年から1952年にかけては丹下健三らと北海道稚内市の都市計画を手がける。
今道 友信(いまみち とものぶ、1922年11月19日 - … 今道 友信(いまみち とものぶ、1922年11月19日 - 2012年10月13日)は、日本の美学者および中世哲学研究者である。「エコエティカ」(生命倫理による人間学・倫理学)を提唱したことで知られる。東京大学名誉教授、聖トマス大学名誉教授、国際形而上学会会長、国際美学会終身委員兼名誉会長、国際エコエティカ学会名誉会長といった多くの要職を歴任した。かつては哲学美学比較研究国際センター所長、日本美容専門学校校長を務め、日本アスペン研究所特別顧問でもあった。 今道は離婚歴があり、実子としてギタリストで元BARBEE BOYSのメンバーであるいまみちともたか、ピアニストの川口信子がいる。再婚したドイツ人のクリスティネとの間には、ドイツ在住の今道友紀子と、心理学者でニューヨーク市立大学教員である今道友昭がいる。
浜田 義文(濱田 義文、はまだ よしふみ、1922年(大正1… 浜田 義文(濱田 義文、はまだ よしふみ、1922年(大正11年)10月14日 - 2004年(平成16年)9月10日)は、日本の哲学研究者。法政大学名誉教授。日本を代表するカント学者。 東京府豊多摩郡(現東京都杉並区)出身。第五高等学校卒業、1947年東京帝国大学法学部政治学科卒業、1950年東京大学文学部哲学科卒業。1968年熊本大学法文学部教授。1969年熊本大学法文学部学部長。1973年法政大学文学部教授となり、同大学で図書館長、大学院議長、評議員などを歴任し、1992年に名誉教授となる。1983年「カント倫理学の成立 イギリス道徳哲学及びルソー思想との関係」で同大学文学博士。 日本倫理学会常任評議員、日本カント協会会長、日本哲学会編集委員、法政哲学会会長などを歴任した。
宇賀田 達雄(うがた たつお、1922年5月7日 - 201… 宇賀田 達雄(うがた たつお、1922年5月7日 - 2012年5月24日)は、日本の民藝運動研究者、美術評論家、編集者、記者。妻の宇賀田けようは板画家棟方志功の長女。
佐伯 彰一(さえき しょういち、1922年〈大正11年〉4月… 佐伯 彰一(さえき しょういち、1922年〈大正11年〉4月26日 - 2016年〈平成28年〉1月1日)は、日本のアメリカ文学者・比較文学研究者・文芸評論家・翻訳家。東京大学名誉教授。日本芸術院会員。勲三等旭日中綬章受章。 富山県出身。古代日本に存在した佐伯部の子孫で神官の家柄。先祖に佐伯有頼がいる。旧制富山高校を経て、東京帝国大学文学部英文科卒業、同大学院修了。旧・東京都立大学助教授を経て、1967年にカナダ・トロント大学で客員教授として日本文学を講義、1968年東京大学教養学部教授、1976年から大学院比較文学比較文化研究室主任。1983年定年退官後は中央大学教授を1993年まで勤め、世田谷文学館館長、2007年退任し名誉館長。
神代 雄一郎(こうじろ ゆういちろう、1922年4月2日 -… 神代 雄一郎(こうじろ ゆういちろう、1922年4月2日 - 2000年)は、日本の建築史研究者、建築評論家、明治大学名誉教授。専門は、近代建築史。建築と環境の関係を研究した。 東京出身。東京帝国大学工学部卒。大学院を経て明治大学理工学部助教授。1962年、「近代建築思潮形成過程の研究」で東京大学工学博士。1962年、教授。1993年、定年退任、名誉教授。
前田 敬作(まえだ けいさく、1921年12月14日 - 2… 前田 敬作(まえだ けいさく、1921年12月14日 - 2003年2月6日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 1921年、大阪府で生まれた。東京帝国大学文学部で学び、1944年に卒業。卒業後は兵役に就いた。 戦後は、関西大学予科講師となった。後に助教授昇格。1950年、京都大学教養部助教授に転じた。1967年に同教授昇格。1985年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は摂南大学教授として教鞭をとった。晩年は『フロイデ独和辞典』監修 (白水社 2003)ほか辞書編纂に関わった。 2003年2月6日、肺癌のため死去。 専門はドイツ文学で、ゲーテ、カフカ、トーマス・マンなどの多くの翻訳を行った。
末木 剛博(すえき たけひろ、1921年9月10日 - 20… 末木 剛博(すえき たけひろ、1921年9月10日 - 2007年12月1日)は、日本の哲学者、論理学者、比較思想研究者。東京大学教養学部名誉教授。 戦後いち早く現代論理学(記号論理学)を研究した一人。東大の大学院では科学史・科学哲学と比較文化を教えた。中村元を助け比較思想学会の創立に関わり、同学会の理事を務めた。 1921年、山梨県甲府市生まれ。旧制甲府中学、第一高等学校を経て、1945年東京帝国大学哲学科卒業。卒業後は東京帝国大学副手、電気通信大学助教授を経て、1954年より東京大学教養学部助教授となった。後に同大学教授に昇進。在職中には東京大学陵禪会の顧問を務め、学生と共に参禅していた。この陵禪会の繋がりで、野矢茂樹は末木を師の一人として仰ぐ様になる。
塩田 庄兵衛(しおた しょうべえ、1921年4月15日 - … 塩田 庄兵衛(しおた しょうべえ、1921年4月15日 - 2009年3月20日)は、日本のマルクス主義経済学者、社会運動史・労働運動史研究者。学位は経済学博士(立命館大学、1987年)。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授、立命館大学名誉教授。 昭和34年労働運動史研究会を設立。40年日本科学者会議常任幹事。平和・大衆運動にも参加した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
目崎 徳衛(めざき とくえ、1921年2月19日 - 200… 目崎 徳衛(めざき とくえ、1921年2月19日 - 2000年6月13日)は、国文学者、王朝文化研究者、専攻は日本文化史、平安文学研究。 新潟県生まれ。1945年東京帝国大学文学部国史学科卒業、長岡工業高等専門学校助教授、文部省教科書調査官、聖心女子大学教授、のち同名誉教授。1980年に『西行の思想史的研究』で東京大学文学博士、第一回角川源義賞。1996年に『南城三余集私抄』で第三回(95年度)やまなし文学賞<研究評論部門>を受賞。また俳句同人誌「花守」を半世紀近く主宰し、若井新一などを輩出した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山中 裕(やまなか ゆたか、1921年1月19日 - 201… 山中 裕(やまなか ゆたか、1921年1月19日 - 2014年6月13日)は、日本史学者・日本古典研究者。東京大学史料編纂所教授、関東学院大学文学部教授を経て、田園調布学園大学名誉教授。 東京府生まれ。1943年東京帝国大学文学部国史学科卒業。東京大学史料編纂所教授、定年前に1975年関東学院大学文学部教授、1989年退職、田園調布学園大学教授、のち名誉教授。1977年「平安朝文学の史的研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。『栄花物語』を専門として、平安朝の歴史と文学を横断する研究をおこない、藤原道長の日記『御堂関白記』の注釈を続けた。劇場用アニメ「紫式部 源氏物語」平安行事監修。横須賀市史編さん委員会委員長として『新横須賀市史』作成に携わる。
德川 義恭(とくがわ よしやす、1921年(大正10年)1月… 德川 義恭(とくがわ よしやす、1921年(大正10年)1月18日 - 1949年(昭和24年)12月12日)は、日本の美術研究者、装幀家。 尾張徳川家の分家の当主である男爵・徳川義恕の四男。母方の祖父・津軽承昭は弘前藩主。長兄・徳川義寛は昭和天皇の侍従・侍従長。姉・祥子の夫は北白川宮永久王。次兄・義孝(津軽英麿の養子となる)の娘は、常陸宮正仁親王妃華子で、義恭の姪にあたる。 夫人・雅子(のりこ)は田安徳川家の徳川達成の長女。 1942年(昭和17年)、学習院高等科を卒業し、東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学。同年7月1日、三島由紀夫や東文彦と共に同人誌『赤絵』を創刊した。同誌および、1944年(昭和19年)10月発行の三島の処女作品集『花ざかりの森』(七丈書院)の装幀を担当した。
小沢 俊郎(おざわ としろう、1921年 - 1982年3月… 小沢 俊郎(おざわ としろう、1921年 - 1982年3月14日)は、日本の日本近代文学研究者。 埼玉県生まれ。東京帝国大学文学部国文科を卒業後、東京都立高校の教諭をへて、1972年京都教育大学助教授に転じ、1976年教授に昇任。 宮沢賢治の研究において多くの著作を残し、『校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房、1973 - 1977年)の編纂委員も務めている。研究内容は多岐にわたるが、賢治が盛岡高等農林学校時代の親友だった保阪嘉内に宛てた70通を超える書簡を、1968年に(嘉内の子息との共著として)公表したことは、伝記研究上特筆される業績である。
藤井 澄二(ふじい すみじ、1920年(大正9年)12月14… 藤井 澄二(ふじい すみじ、1920年(大正9年)12月14日 - 2004年(平成16年)1月30日)は、機械工学を専門とする日本の研究者、教育者。工学博士(東京大学)、東京大学名誉教授、東京電機大学名誉教授。振動工学、車両工学、人間工学、安全工学、制御工学、ロボット工学など、多岐にわたる実績があり、富山県立大学では初代学長を務めた。紫綬褒章、従三位勲二等瑞宝章。 東京帝国大学助教授、東京大学教授、工学部長、東京電機大学教授、理事、理工学部長、富山県立大学学長を務めると共に、日本機械学会会長、日本ロボット学会会長、日本IFToMM会議実行委員長も歴任した。1960年代半ばから1970年代の東京大学藤井研究室におけるロボット研究は、その後のロボット制御のほとんどの基がここにあるとも言われている。
中田剛直(なかた たかなお、1920年11月8日 - 198… 中田剛直(なかた たかなお、1920年11月8日 - 1980年1月21日)は、日本文学研究者、国文学者。 秋田県大館市生まれ。父は教育者。弘前高等学校卒、1943年東京帝国大学文学部国文科卒。池田亀鑑に師事。東京高等学校講師、48年要書房編集長。1957年獨協高等学校講師、1959年上智大学文学部助教授、66年教授。 『竹取物語』研究の新井信之の義弟。池田亀鑑没後、『池田亀鑑選集』、随筆集『花を折る』(いずれも至文堂刊)を、長野嘗一、木田園子らとともに編集・刊行した。 ・『古本竹取物語』 大修館書店 1968 ・『影印本紫式部日記』新典社、1968
飯島 宗享(いいじま むねたか、1920年10月31日 - … 飯島 宗享(いいじま むねたか、1920年10月31日 - 1987年4月19日)は、日本の哲学研究者。 東京大学文学部哲学科卒、東洋大学講師、助教授、教授。キェルケゴール、シェーラーなどの実存哲学を研究、翻訳した。
西郷 竹彦(さいごう たけひこ、1920年3月15日 - 2… 西郷 竹彦(さいごう たけひこ、1920年3月15日 - 2017年6月12日)は、日本の文芸学者、児童文学研究者、ロシア文学翻訳家。 鹿児島市生まれ。幼くして両親に死なれ孤児として育つ。上京後、土方などをして苦学、東京帝国大学理学部応用物理学科に学ぶ。 第四航空師団に召集され朝鮮平壌航空隊に配属。敗戦時、ソ連の捕虜となり、のちモスクワ東洋大学日本学部講師として日本文化・文学を教え、1949年帰国。 ロシア児童文学の翻訳を多数行い、のち文学教育を中心として多数の翻訳、創作、論考、著書を著した。文芸教育研究協議会(文芸研)の理論的支柱であった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
廣末 保(ひろすえ たもつ、1919年12月18日 - 19… 廣末 保(ひろすえ たもつ、1919年12月18日 - 1993年10月26日)は、日本の近世文学研究者、演劇評論家。法政大学教授。主に松尾芭蕉、近松門左衛門、井原西鶴、弘瀬金蔵(絵金)、鶴屋南北などを研究した。 高知市出身。旧制高知高等学校を経て、1941年東京帝国大学文学部国文学科卒。1948年、法政大学第一教養部教授。戦後、日本文学協会で活動し、1955年の最初の著書『元禄文学研究』で注目された。1967年、法政大学文学部教授。1976年に文学部教授を務めた。 柳田國男、折口信夫の民俗学的方法に学び、「悪場所」と呼ばれた芝居と遊廓を、民衆のエネルギーの源泉として近世文化を捉えなおした『悪場所の発想』は、その後の近世論に大きな影響を与えた。
松山 納(まつやま おさむ、1919年7月13日 - 200… 松山 納(まつやま おさむ、1919年7月13日 - 2002年10月2日)は、日本のタイ語学研究者。東京外国語大学名誉教授。 1919年、広島県広島市生まれ。東京帝国大学を卒業。 太平洋戦争後の1950年、東京外国語大学インドシナ語学科助教授に就任。後に教授昇進。1983年に定年退官し、名誉教授となった。門下に岩城雄次郎がいる。 2002年10月2日、急性肺炎のため死去。
鈴木 重三(すずき じゅうぞう、1919年3月30日 - 2… 鈴木 重三(すずき じゅうぞう、1919年3月30日 - 2010年9月1日)は、日本の近世文学・美術の研究者。白百合女子大学教授を歴任。 東京生まれ。東京帝国大学文学部国文学科卒。国立国会図書館司書監、白百合女子大学教授を歴任。浮世絵研究に始まり、晩年は曲亭馬琴の中期読本を編纂していた。1989年、勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
入沢 恒(いりさわ ひさし、1919年 - 1993年)は、… 入沢 恒(いりさわ ひさし、1919年 - 1993年)は、日本の都市計画および都市防災研究者。建設省建築研究所第1研究部長などを経て横浜国立大学工学部教授、日本都市計画学会会長、財団法人都市防災研究所理事長を歴任した。 1943年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業。卒業論文は武藤清の指導による「耐弾床版に関する研究」で、卒業後は1941年に設立された内務省防空研究所に勤務した。この組織は1945年8月に内務省国土局分室に改組されたのち、1946年4月に大蔵省官房営繕課建築研究室、陸軍技術研究所等とともに新設の戦災復興院総裁官房技術研究所(所長:藤田金一郎)に統合された。 技術研究所では防火研究に従事していたが、技術研究所内に東大の同級生で陸軍に籍を置いていた日笠端らが組織した都市計画研究科に志願して移籍し、都市計画の研究に従事していく。
室木弥太郎(むろき やたろう、1918年3月1日 - )は、… 室木弥太郎(むろき やたろう、1918年3月1日 - )は、日本の日本演劇・芸能研究者。金沢大学名誉教授、金沢女子大学名誉教授。1969年日本演劇学会河竹賞受賞、1992年勲三等旭日中綬章受章。 石川県金沢市育ち。1940年東京帝国大学文学部国文学科卒。金沢大学助教授、教授、Ⅰ975-76年大阪大学文学部教授を併任。1983年金沢大学名誉教授、金沢女子大学教授、1999年退任、名誉教授。1969年『金平浄瑠璃正本集』全3巻で日本演劇学会河竹賞受賞。1992年勲三等旭日中綬章受勲。
宮崎 道生(みやざき みちお、1917年10月13日 - 2… 宮崎 道生(みやざき みちお、1917年10月13日 - 2005年4月1日)は、日本史学者、新井白石の研究者。 三重県尾鷲市出身。1941年、東京帝国大学文学部国史学科卒業、文学部大学院、文学部副手・助手を経て、1945年、弘前高等学校教授。1949年、弘前大学文理学部助教授。1961年、文学博士。1965年、弘前大学人文学部教授、1972年、岡山大学法文学部教授。1978年、國學院大學教授。1988年、定年退任、講師となる。1991年退任。1997年春、勲三等瑞宝章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
有馬 洪(ありま こう、1917年8月22日 - )は、日本… 有馬 洪(ありま こう、1917年8月22日 - )は、日本の薬学研究者、経営者である。また、サッカー選手としてもプレーし、日本代表として1951年アジア競技大会など国際Aマッチ3試合に出場した。名前の読みを「ひろし」とする資料もある。 1941年3月、東京帝国大学医学部薬学科を卒業。 1947年3月、三共(現:第一三共)に入社。1969年12月に同社醗酵研究所の所長に就任。 1972年5月より同社取締役、1978年6月より同社常務取締役、1982年6月より同社監査役 をそれぞれ歴任した。なお、1990年を以て同社監査役を退任した。 東京帝国大学在学中はア式蹴球部に所属し、ハーフバックとしてプレー。
青木 雄造(あおき ゆうぞう、1917年2月15日 - 19… 青木 雄造(あおき ゆうぞう、1917年2月15日 - 1982年7月4日)は、日本の英国小説研究者、東京大学名誉教授。 官吏であった父の赴任先の沖縄県で生まれる。旧姓は堀口。1939年に東京帝国大学英文科卒、翌年から四年間、軍隊生活を送る。その間、結婚し青木姓となった。43年、東亜研究所研究員を経て、1946年、東京産業大学予科講師、翌47年、一橋大学助教授、1953年に東大文学部英文科助教授、1965年に教授。1977年定年退官し名誉教授。明治学院大学教授になるも病気のため二年で退職。この間、文部省大学設置審議会専門委員、日本英文学会会長。 グレアム・グリーンやイヴリン・ウォーを中心とする現代イギリス小説に造詣が深い。
三枝 康高(さいぐさ やすたか、1917年2月11日 - 1… 三枝 康高(さいぐさ やすたか、1917年2月11日 - 1978年3月27日)は、日本近代文学研究者、文芸評論家、元静岡大学教授。 神奈川県出身。静岡県立静岡中学校卒業。旧制姫路高等学校文科甲類卒業。東京帝国大学文学部卒業。在学中に亀井勝一郎、太宰治と相知り、『日本浪漫派』に参加。創作・評論活動をおこない、戦後静岡大学教育学部助教授、のち教授。 1959年「日本浪曼派の運動」のほか、太宰、川端康成、三島由紀夫など昭和期作家、および国学の研究・評論に幅広く活躍した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
横道 萬里雄(横道 万里雄、よこみち まりお、1916年10… 横道 萬里雄(横道 万里雄、よこみち まりお、1916年10月12日 - 2012年6月20日)は、日本の能楽研究者、能作者、能演出家。東京芸術大学名誉教授。東京文化財研究所名誉研究員、文化功労者。 東京国立文化財研究所芸能部部長、東京芸術大学音楽学部教授、沖縄県立芸術大学附属研究所教授、沖縄県立芸術大学附属研究所所長などを歴任した。 東京府生まれ。暁星小学校・同中学校時代の同級生に柴田南雄がいる。東京高等学校を経て東京帝国大学理学部動物学科卒業後、1941年東京帝国大学文学部国文科卒業。 1953年東京文化財研究所芸能部文部技官となり、音楽舞踊研究室長、芸能部長。1964年表章との共編『謡曲集』により芸術選奨文部大臣賞受賞。
宮 栄二(みや えいじ、1916年8月26日 - 1986年… 宮 栄二(みや えいじ、1916年8月26日 - 1986年11月27日)は、新潟県の地方史研究者。 新潟県長岡市出身。1939年東京帝国大学文学部国史学科卒。内務省、北方文化博物館、新潟県教育長などをへて、新潟大学講師。県文化財保護審議委員、良寛会常任委員長。
瀬田 貞二(せた ていじ、1916年4月26日 - 1979… 瀬田 貞二(せた ていじ、1916年4月26日 - 1979年8月21日)は、日本の児童文学作家・翻訳家・児童文学研究者。 東京市本郷区(現:東京都文京区)湯島切通坂町にて父・瀬田金之助と母・余寧の息子として生まれる。1939年、俳人中村草田男に師事。本郷尋常小学校、開成中学校、東京高等学校を経て、1941年、東京帝国大学国文科卒業。同1941年、東京府立第三中学校(のちの、都立両国高校)の夜間部の教諭となる。 1942年、千葉県立国府台陸軍病院の衛生兵となる。1945年の終戦後、東京府立第三中学校に復職し、同年の秋、結婚。 戦後、東京府立第三中学校夜間部教師のかたわら、余寧金之助の筆名で児童文学作品を雑誌に寄稿。
大河原 春雄(おおかわら はるお、1916年(大正5年)3月… 大河原 春雄(おおかわら はるお、1916年(大正5年)3月19日 - 1997年(平成9年)7月17日)は、日本の建築行政指導者、都市計画家、都市計画研究者、教育者。東京都首都整備局技監や東京理科大学教授を歴任した。 石川県金沢市に生まれる。旧制第四高等学校を経て、東京帝国大学工学部建築学科に進学し、1938年(昭和13年)に優秀な成績で卒業する。当時の都市計画講座は内田祥三(のちに総長)の担当だった。卒業後は警視庁保安部建築課に就職し、都市計画の実務に入る。この就職には、都市計画講座に注力していた内田の薦めがあったともされる。 当時建築行政は警察業務として扱われており、東京府では警視庁が所管して市街地建築物法を執行していた。
恩田逸夫(おんだ いつお、1916年3月6日 - 1979年… 恩田逸夫(おんだ いつお、1916年3月6日 - 1979年8月24日)は、日本近代文学研究者。 東京生まれ。東京帝国大学文学部国文科卒、同大学院(旧制)修了。明治薬科大学教授、跡見学園女子大学教授を務めた。没後宮沢賢治研究の業績に対して日本児童文学学会賞受賞。弟は画家の恩田秋夫。義兄は医学者の武重千冬。
瓜生 忠夫(うりゅう ただお、1915年(大正4年)5月6日… 瓜生 忠夫(うりゅう ただお、1915年(大正4年)5月6日 - 1983年(昭和58年)2月26日)は日本の映画評論家とマスコミの研究者。東京帝国大学ドイツ文学科を卒業した後、日本映画社に入社。在学中は帝国大学新聞編集長を務めた。戦後は、映画評論やマスコミ研究に専念しながら、法政大学、明治大学、中央大学、専修大学の講師を務めた。共産党員であったため1950年にレッドパージを受ける。駅弁の研究者としても知られていた。
名越 時正(なごや ときまさ、1915年(大正4年)1月 -… 名越 時正(なごや ときまさ、1915年(大正4年)1月 - 2005年(平成17年)10月11日)は、日本の近世思想研究者。専門は水戸学(徳川光圀の唱えた日本学)。彰考館総裁の名越克敏(南渓)の子孫である名越時孝(漠然)の孫であり、父は名越時中(陸軍少将)。 東京帝国大学で平泉澄に学び、その高弟として知られている。水戸市文化財審議会委員・茨城県文化財審議会委員。水戸史学会会長。日本学協会の設立準備委員会の理事。
嘉門 安雄(かもん やすお、1913年12月1日 - 200… 嘉門 安雄(かもん やすお、1913年12月1日 - 2007年1月5日)は、日本の西洋美術研究者、美術評論家。ブリヂストン美術館館長、東京都現代美術館長、全国美術館会議議長を務めた。 1913年、石川県生まれ。1937年、東京帝国大学文学部美術史学科を卒業。西洋美術史を専攻し、児島喜久雄の助手を務めた。 1947年より東京国立博物館で勤務。表慶館で開催されたマチス展、ブラック展、ルオー展などを担当した。1959年に国立西洋美術館が開館したことに伴い、異動。事業課長としてコレクションの収集、各種の展覧会開催に関わった。1964年には、第32回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展のコミッショナーを務めた。
内田祥文(うちだ よしふみ、1913年10月 - 1946年… 内田祥文(うちだ よしふみ、1913年10月 - 1946年3月26日)は、日本の建築家、建築研究者、都市計画家、都市研究者。工学博士。戦時下で木造建築の防災などに、戦後は戦災都市復興に取り組んだが、急逝した。 東京市麻布区(現・東京都港区)にて建築家内田祥三(後に東京帝国大学総長)・みね子の長男として生まれる。 |旧制開成中学から日本大学予科を経て、1938年に日本大学工学部(現・日本大学理工学部・大学院理工学研究科)建築学科を卒業する。同1938年、東京帝国大学大学院に進学し、高山英華らと都市の研究を続ける。大学院在学中、東京帝国大学で助手をしていた経済学者•難波田春夫の思想に強い影響を受け国民住宅や労働者住宅などを計画した。
猪野 謙二(いの けんじ、1913年4月2日 - 1997年… 猪野 謙二(いの けんじ、1913年4月2日 - 1997年9月11日)は、文芸評論家、近代日本文学研究者。 宮城県仙台市生まれ。東京府立第六中(現都立新宿高等学校)を経て1937年東京帝国大学文学部国文科卒。在学中に立原道造らと『未成年』を創刊。戦後日本文学協会に属し、歴史社会学派の立場から日本近代文学の研究・評論を行った。1954年神戸大学助教授、1975年学習院大学教授。1984年定年退職。
茂手木 元蔵(もてぎ もとぞう、1912年6月21日 - 1… 茂手木 元蔵(もてぎ もとぞう、1912年6月21日 - 1998年6月25日)は、日本の古代哲学研究者。 山梨県甲府市出身。1938年東京帝国大学文学部哲学科卒。東洋高等学校講師、横浜大学[疑問点 – ノート]助教授、校名変更で横浜市立大学教授となり、1978年定年退官、名誉教授、大正大学教授を務めた。アリストテレスやルキウス・セネカを専門とする。
清水 武夫(しみず たけお、1912年 - 2011年2月1… 清水 武夫(しみず たけお、1912年 - 2011年2月14日)は、日本の花火研究者。詩人の清水哲男・清水昶兄弟の父であり、また自身でも詩集を出した。
玉村 竹二(たまむら たけじ、1911年10月9日 - 20… 玉村 竹二(たまむら たけじ、1911年10月9日 - 2003年11月11日)は、禅宗の研究者、東京大学史料編纂所教授であった。
何 初彦(が はつひこ、1911年5月4日 - 1997年7… 何 初彦(が はつひこ、1911年5月4日 - 1997年7月19日)は、日本の新聞学研究者、東京大学名誉教授[3]。東京大学新聞研究所所長、上智大学教授などを歴任した[3]。
江口 朴郎(えぐち ぼくろう、1911年3月19日 - 19… 江口 朴郎(えぐち ぼくろう、1911年3月19日 - 1989年3月15日)は、日本の西洋史研究者。東京大学名誉教授。元日本学術会議会員、元歴史学研究会委員長。 1911年、佐賀県生まれ。少年時代から神奈川県藤沢町(鵠沼(現・藤沢市鵠沼桜が岡1丁目)に在住。湘南中学校、第一高等学校を経て、1933年東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。同大学院に進んだ。 卒業後は、1934年から外務省に嘱託として勤務。1941年、姫路高等学校教授に就いた。 戦後は鵠沼(現鵠沼橘2丁目)に帰り、1947年に第一高等学校教授となった。この頃、母校の湘南高校の生徒であった江藤淳、石原慎太郎、葉山峻らが出入りしていた。1953年に東京大学教授となった。
杉浦 正一郎(すぎうら しょういちろう、1911年2月9日 … 杉浦 正一郎(すぎうら しょういちろう、1911年2月9日 - 1957年2月23日)は、日本の俳諧研究者。 兵庫県神戸市生まれ。1934年東京帝国大学文学部卒。大阪高等学校の友人と『コギト』を創刊。志田義秀、潁原退蔵に師事して俳諧を研究。天理図書館、千代田女子専門学校、佐賀高等学校、戦後北海道大学助教授、九州大学助教授、同教授。在職中に46歳で死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
池ノ上 容(いけのうえ ひろし、1910年(明治43年)12… 池ノ上 容(いけのうえ ひろし、1910年(明治43年)12月7日 - 2003年(平成15年)4月18日)は、日本の造園研究者。国立公園行政家。千葉大学園芸学部教授を歴任。国立公園創設期から国立公園行政に携わり終生自然公園と共に歩んだ先覚者。鹿児島県生まれ。台湾育ち。 旧制台北高等学校を経て1933年(昭和8年) 東京帝国大学農学部林学科を卒業。1933年(昭和8年) 内務省嘱託となり、衛生局保健課国立公園係に就任。当時内務省に入ったころはまだ国立公園の指定準備が進められている時期で、入省後間もなく中部山岳地域の現地調査に赴き何カ月も北アルプスの山々を歩き回り、5万分の1地形図に記載されている歩道は全て歩いたという。
宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5… 宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5日 - 2008年〈平成20年〉1月7日)は、日本の儒学者・中国哲学研究者・国語学者。 学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1955年)。東京大学名誉教授。尚絅大学名誉学長。國語問題協議會名誉会長。斯文会理事長、日本中国学会理事長、日本会議顧問、スパイ防止法制定促進国民会議議長、世界平和教授アカデミー常任理事、国際勝共連合代表世話人、全国勝共教授団副会長などを歴任。 1910年(明治43年)、宇野哲人の長男として東京に生まれる。1923年(大正12年)に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。1928年(昭和3年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2… 大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2日 - 2016年(平成28年)4月)は、日本の哲学研究者、東京都立大学名誉教授。近世哲学史専攻、ヘーゲル研究者。1970年以来、季刊誌「途上」を刊行。広く思想とキリスト教の諸問題の研究解明にたずさわった。 北海道札幌市生まれ、神奈川県出身。山形高等学校(旧制)卒、1935年東京帝国大学文学部哲学科卒。39年文部省教学局嘱託。41年府立学校教授、召集令状がきて、中国北部に送られたが、語学の才があり、暗号解読など情報の仕事を行った。1946年復員。1949年東京都立大学助教授、1968年教授、1973年定年退官、名誉教授、東洋大学教授、1981年退職。
太田 静一(おおた せいいち、1910年3月5日 - 200… 太田 静一(おおた せいいち、1910年3月5日 - 2003年12月5日)は、日本近代文学研究者。 奈良市生まれ。1933年東京帝国大学文学部支那哲学文学科卒。在学中から創作活動を始め、第11次、12次『新思潮』に参加。平凡社勤務、松山中学校教諭、1946年山口県立女子専門学校教員、50年山口女子短期大学教授、75年定年退任、宇部短期大学教授。『文芸山口』同人。