水越 武(みずこし たけし、1938年5月1日 - )は、愛… 水越 武(みずこし たけし、1938年5月1日 - )は、愛知県豊橋市出身で北海道川上郡弟子屈町在住の写真家。 愛知県立時習館高等学校を1957年に卒業。1958年東京農業大学林学科を中退した後、田淵行男に師事、26歳の時から写真を始める。 1971年に独立。フリーフォトグラファーとして、山岳を中心とした自然写真などが評価される、国際的山岳写真家である。
東京農業大学:424人
水越 武(みずこし たけし、1938年5月1日 - )は、愛… 水越 武(みずこし たけし、1938年5月1日 - )は、愛知県豊橋市出身で北海道川上郡弟子屈町在住の写真家。 愛知県立時習館高等学校を1957年に卒業。1958年東京農業大学林学科を中退した後、田淵行男に師事、26歳の時から写真を始める。 1971年に独立。フリーフォトグラファーとして、山岳を中心とした自然写真などが評価される、国際的山岳写真家である。
西 太一郎(にし たいちろう、1938年3月13日 - 20… 西 太一郎(にし たいちろう、1938年3月13日 - 2022年1月19日)は、日本の経営者。三和酒類社長を務めた。大分県宇佐市出身。 1960年に東京農業大学農学部を卒業し、同年に三和酒類に入社。1972年に代表取締役、1978年に専務を経て、1989年には社長に就任。1997年に会長に就任し、2009年に名誉会長を経て、2018年には相談役に就任。 2022年1月19日肺炎のために死去。83歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
松山 正治(まつやま まさじ、1938年(昭和13年)2月2… 松山 正治(まつやま まさじ、1938年(昭和13年)2月22日 - )は、日本の政治家、教諭。元京都府福知山市長(2期)。旭日小綬章。 1960年(昭和35年)3月、東京農業大学農学部農学科卒業。1962年(昭和37年)4月、京都府中学校教員に採用。1964年(昭和39年)4月、京都府高等学校教員に採用。 1989年(平成元年)4月、京都府立水産高等学校(現京都府立海洋高等学校)校長に就任。1995年(平成7年)4月、京都府教育庁教育次長に就任。1997年(平成9年)4月、京都府庁を退職すると共に財団法人京都府少年教育振興会理事長と京都府立るり渓少年自然の家所長に就任。2003年(平成15年)3月、退職。
岩松 鷹司(いわまつ たかし、1938年2月11日 - )は… 岩松 鷹司(いわまつ たかし、1938年2月11日 - )は、日本の生物学者。愛知教育大学名誉教授、日本動物学会評議員。生殖生物学と発生生物学の専門家。 高知県高知市長浜出身。東京農業大学を卒業後、名古屋大学大学院理学研究科生物学専攻に進学し、山本時男に師事した。 メダカを研究材料として選び、卵の操作等の微細実験技術を独自に開発し、卵や受精の発生現象に多くの業績をあげた。イクオリンを用いた受精波の可視化などで有名。定年退官時までに発表した論文は180編を超える。 生殖生物学、発生生物学だけではなく、メダカの分類学、形態学にも多くの業績があり、それらは『メダカ学全書』を始めとした多数の著書に結実されている。
黒田 淳之助(くろだ じゅんのすけ、1938年 - )は、日… 黒田 淳之助(くろだ じゅんのすけ、1938年 - )は、日本の政治家。勲等は旭日双光章。大井川右岸土地改良区理事長。静岡県小笠郡小笠町町長、静岡県菊川市市長職務執行者を歴任した。 静岡県立掛川西高等学校を経て、東京農業大学農学部を卒業した。 1989年、静岡県小笠郡小笠町の町長に就任し、デイサービス事業の拡充など、主に福祉施策に重点をおいて活動した。 隣の菊川町との合併交渉をまとめ、発足した菊川市では市長職が決まるまでの間の市長職務執行者を務めた。しかし、菊川町対小笠町という対立を避けたいとの意向を示し、市長選挙では菊川町の町長太田順一を推し、自らは身を引いた。2005年からは、大井川右岸土地改良区理事長を務めている。
竹下 元章(たけした もとあき、1937年8月26日 - 1… 竹下 元章(たけした もとあき、1937年8月26日 - 1985年8月12日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。 兵庫県立西宮高等学校を卒業。 1956年に広島カープへ入団。 1958年に公式戦初出場を果たすも、田中尊らの壁に阻まれて出場機会には恵まれず。 1961年オフに現役を引退した。 その後は三菱電機グループである指月電機製作所に転職し、同社の北関東営業所に配属されたため群馬県に在住していた。 1985年、第67回全国高等学校野球選手権大会に群馬県代表として出場する東京農業大学第二高等学校野球部在籍の息子・政宏(まさひろ)の応援で阪神甲子園球場へ向かうため、8月12日に羽田発伊丹行の日本航空123便に搭乗し、墜落事故に巻き込まれ死亡。
豊山 勝男(ゆたかやま かつお、1937年8月18日 - )… 豊山 勝男(ゆたかやま かつお、1937年8月18日 - )は、新潟県新発田市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は内田 勝男(うちだ かつお)。最高位は東大関。現役時代の体格は189cm、137kg。得意手は突っ張り、右四つ、吊り、寄り、上手投げ。元日本相撲協会理事長(第8代)。 母子家庭に育ち、苦学しながら文武両道に励んだ。新潟県立新発田商工高等学校定時制在学中は陸上(投擲競技)や野球で活躍。一時はプロ野球の有名球団からの誘いもあったが、OBである先生の勧めにより東京農業大学農学部農芸化学科に進学し、相撲部に入部。相撲の経験は無かったが4年次には学生横綱となり、その実績が認められて1961年3月場所に時津風部屋から、異例の幕下10枚目格付出という破格待遇で初土俵を踏んだ。
川瀬 篤美(かわせ あつみ 1937年 - )は、日本の造園… 川瀬 篤美(かわせ あつみ 1937年 - )は、日本の造園家。ランドスケープコンサルタントの株式会社環境設計研究室代表として日本の造園設計業に従事する。武蔵野美術大学造形学部建築学科の講師も歴任。 1961年、東京農業大学農学部造園学科卒業。同年、招聘留学生として、ペンシルベニア大学に留学、同大学でイアン・マクハーグに師事しMLAを取得。帰国後の1964年、株式会社環境設計研究室(東京都港区)を設立。同社は1983年に白川環境整備計画で日本造園学会賞を受賞。1986年、三崎公園いわきマリンタワーで日本建築学会東北建築賞佳作、1988年、赤穂市海洋科学館で兵庫県みどりの建築賞受賞。1993年、二本松市城山総合体育館で第11回福島県建築文化賞、1994年、京都府立植物園新観覧温室で、第3回京都市都市景観賞、世田谷区呑川親水公園で、1993年手づくり郷土賞(人々が集い憩う水辺づくり)を受賞している。
小林 治人(こばやし はると、1937年 - )は、日本のラ… 小林 治人(こばやし はると、1937年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト。長野県松本市出身。英国ラントスケープ学会名誉会員。東京ランドスケープ研究所創設者。 1960年に「国家公務員試験上級造園職に合格。1961年、東京農業大学農学部造園学科卒業。同年から1963年まで建設省に属し都市局人事で新潟県に出向、土木部技術吏員として、三条と長岡においての災害復旧直江津港背後地の土地区画整理事業に従事後、東京コンサルタントに籍をおきながら友人ら三人でLA規格制作事務所を創設。1968年に株式会社東京ランドスケープ研究所を設立し代表取締役社長就任。2016年、株式会社東京ランドスケープ研究所の代表取締役会長、2018年、株式会社東京ランドスケープ研究所会長(founder)。
桑原 史成(くわばら しせい、本名はふみあき、1936年10… 桑原 史成(くわばら しせい、本名はふみあき、1936年10月7日 - )は、日本の報道写真家。水俣病の先駆的な写真家として知られる。 島根県鹿足郡木部村(現・津和野町)生まれ。 1960年3月、東京農業大学と東京総合写真専門学校をともに卒業。フリーの写真家になることを目指す。就職を選ばなかったため、母親から一度郷里に帰れという電報が届く。東京駅に餞別に来た友人から、車中で読めと言って渡された夕刊や雑誌の中に、『週刊朝日』5月15日号があった。同号に掲載された小松恒夫の現地ルポ「水俣病を見よ」に衝撃を受けた桑原は、水俣病の取材撮影を決意。小松に水俣市立病院(現・国保水俣市立総合医療センター)の大橋登院長宛ての紹介状を書いてもらい、同年7月14日、熊本県水俣市に入る。
杉尾邦江(すぎお くにえ、1936年-2023年)は、日本の… 杉尾邦江(すぎお くにえ、1936年-2023年)は、日本の女性ランドスケープアーキテクト。ランドスケープコンサルタント協会登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。技術士。都市計画コンサルタント協会マスター都市プランナー。ランドスケープコンサルタントのプレック研究所代表取締役会長。自然環境共生技術協会自然環境共生技術フォーラム理事。文化庁文化審議会専門委員、歴史的砂防施設の保存活用調査委員会委員。武蔵工業大学講師を歴任 東京都新宿区牛込出身。。 都市計画コンサルタント協会の紹介 参照。東京都立新宿高等学校を経て東京農業大学を1960年に卒業。 在学中の1959年 国家公務員上級職試験(造園職)に合格。
今井 忠光(いまい ただみつ、1935年(昭和10年)12月… 今井 忠光(いまい ただみつ、1935年(昭和10年)12月14日 - 2019年(平成31年)4月25日)は、昭和から平成時代の政治家。福島県白河市長。 白河市出身。1957年(昭和32年)東京農業大学農学部短期大学を卒業後、家業の農業に従事。1967年(昭和42年)大村旅館経営、1982年(昭和57年)ホテル大村経営。 1977年(昭和52年)以来、白河市議会議員を5期、うち同議長を2期、副議長を務めた。1994年(平成6年)白河市長に当選。2期8年務め、教育環境の整備や社会福祉施設の充実に尽力した。 ほか、白河地方広域市町村圏整備組合、西白河地方衛生処理一部事務組合各管理者を歴任した。
中本博皓(なかもと ひろつぐ、1934年5月1日- )は、日… 中本博皓(なかもと ひろつぐ、1934年5月1日- )は、日本の農業経済学者、大東文化大学名誉教授。 東洋大学経済学部卒、1965年東京農業大学大学院農学研究科博士後期課程修了。農学博士。上武大学教授、大東文化大学教授。2003年定年、名誉教授。
田村 善次郎(たむら ぜんじろう、1934年(昭和9年)1月… 田村 善次郎(たむら ぜんじろう、1934年(昭和9年)1月10日 - )は、日本の民俗学者、武蔵野美術大学名誉教授。 福岡県に生まれる。1957年に東京農業大学を卒業市、引き続き同大学院に進んで修士課程を修了した。武蔵野美術大学教授、同附属美術図書館館長を務めた。2005年に退職、名誉教授となる。宮本常一に師事し、その著作集を編纂した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
雜賀 慶二(さいか けいじ、1934年 - )は、日本の実業… 雜賀 慶二(さいか けいじ、1934年 - )は、日本の実業家。東洋ライス代表取締役。創業者。東京農業大学客員教授。一般社団法人和歌山県発明協会副会長。和歌山市少年少女発明クラブ副会長。一般財団法人雑賀技術研究所名誉会長。全国無洗米協会顧問。 和歌山県和歌山市に生まれる。1949年、和歌山市立城東中学校を卒業。祖父が1916年(大正5年)に設立した雜賀商会を手伝う。1961年に石抜機を発明(無石米)。11月1日、株式会社東洋精米機製作所を設立。1963年4月8日、財団法人雑賀技術研究所を設立し会長に就任。1985年、東洋精米機製作所社長に就任。1990年、味度計を開発。1991年、無洗米を発明。
橋本 保(はしもと たもつ、1933年8月 - 2008年… 橋本 保(はしもと たもつ、1933年8月 - 2008年6月)は日本の植物学者である。 1957年に東京農業大学を卒業し、東京大学理学部付属植物園で働いた。1961年からアフガニスタン政府農業省園芸専門官として、アフガニスタンの植物を研究。1965年から南アメリカ、アンデス地帯の植物を調査した。1983年に開園した国立科学博物館の筑波実験植物園の主任研究官となり1997年から園長を務めた。
奥井 一満(おくい かずみつ、1933年(昭和8年)7月8日… 奥井 一満(おくい かずみつ、1933年(昭和8年)7月8日 - 2004年(平成16年)2月11日)は、日本の評論家。学位は、農学博士。北里大学名誉教授。専門は、動物行動学・昆虫学・博物学。群馬県太田市出生、神奈川県鎌倉市出身。
円子 宏(まるこ ひろし、1933年3月22日 - 1998… 円子 宏(まるこ ひろし、1933年3月22日 - 1998年6月9日)は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手)。東都大学野球連盟やプロ野球関連の資料では旧字体の圓子 宏と表記されることが多い。 岩手高校から東京農業大学へ進学。東都大学野球リーグでは専大、日大など伝統校の壁を破れず、在学中4位以下に沈む。リーグ通算85試合登板で23勝44敗をマークするが、44敗はリーグ記録である。3年次の1953年秋季リーグで記録した83奪三振は、1990年春季リーグで111奪三振を記録した亜大の小池秀郎に抜かれるまで、長らくリーグ歴代1位の記録であった。ただし、この記録は後に改定され、中大の高橋輝による107奪三振(1949年春)となっている。
安田 辰昭(やすだ たつあき、1933年 - 2008年2月… 安田 辰昭(やすだ たつあき、1933年 - 2008年2月21日)は、日本の高校野球指導者、教員。小千谷高野球部監督、新発田農高野球部監督、新潟県高校野球連盟理事長などを歴任した。
野沢 清(のざわ きよし、旧字体: 野澤 淸、1932年(昭… 野沢 清(のざわ きよし、旧字体: 野澤 淸、1932年(昭和7年)11月 - 2006年(平成18年)8月)は、日本の造園家。東京生まれ。日本造園アカデミー会議議長、「園学むだん塾」を主宰した。 1958年(昭和33年)、東京農業大学農学部造園学科卒業。荒木芳邦や中島健に師事した後、鈴木崇と野沢・鈴木造園設計事務所を設立した。 1982.4-2006年まで、日本造園アカデミー会議 運営委員。2003.4からは議長を務める。 1990年から1年間は中央技能検定委員(造園職種)を歴任。 六人兄弟の五番目として昭和七年(1933年)、東京杉並区荻窪生まれ。小学校二年の時、サラリーマンであった父親の転勤に伴って宇都宮市に転校していく。
山本 孫春(やまもと まごはる、1932年〈昭和7年〉2月2… 山本 孫春(やまもと まごはる、1932年〈昭和7年〉2月27日 - 2026年〈令和8年〉2月3日)は、日本の政治家。宮崎県日向市長(1期)等を歴任した。 現在の宮崎県日向市に生まれる。東京農業大学農学部卒業。 日向市議会議員、宮崎県議会議員を務めた。 2000年(平成12年)の日向市長選挙に無所属、社民党支持で立候補し、赤木欣康を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:45,531人 最終投票率:69.93%(前回比:-pts) 同年3月31日に日向市長に就任した。 2002年(平成14年)7月1日にオープンした日向市の第三セクターの温泉施設「日向サンパーク温泉」からレジオネラ菌が検出され、死者7人を含む多くの感染者を出した問題が発生した。
佐藤 富雄(さとう とみお、1932年1月6日 - 2012… 佐藤 富雄(さとう とみお、1932年1月6日 - 2012年11月5日)北海道北見市生まれの自己啓発書作家。東京農業大学、早稲田大学卒業。医学博士、農学博士。スピール・ハーレ大学(ルーマニア)教授、ルーマニア名誉領事。大脳・自律神経系と人間の行動・言葉の関連性を研究していた。 2012年11月5日、肺炎のため死去。
岩野 貞雄(いわの さだお、1932年1月3日 - 1998… 岩野 貞雄(いわの さだお、1932年1月3日 - 1998年9月13日)は、日本のワイン醸造家・ワイン研究家。 東京市出身。東京農業大学農学部農芸化学科卒業。東京大学大学院応用微生物研究所で学び、1955年にイタリアのトリノ大学に留学し、ブドウ栽培とワイン醸造学を学ぶ。 帰国後、大黒葡萄酒、名城大学を経て、1964年に北海道池田町のブドウ・ブドウ酒研究所の初代所長に就任し、十勝ワインを開発。 その後、北海道富良野市、新潟県大和町、神戸市で地場のワイン作りに携わる。中国の新疆ウイグル自治区でのブドウ栽培を指導したこともある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
河原 武敏(かわはら たけとし、1931年3月24日 - 2… 河原 武敏(かわはら たけとし、1931年3月24日 - 2013年4月25日)は、日本の造園教育者。庭園研究者。第5代日本庭園学会会長 (2000年-2003年)。 東京生まれ。1953年(昭和28) 3月 東京農業大学農学部緑地学科(現・地域環境科学部造園科学科)卒業。大学時代は特待生で総代。1953年(昭和28) 6月東京都建設局に採用。造園技術者としての活躍を開始。同年日本造園学会に入会し学会活動も開始。 1976年(昭和51) 3月に東京都を依願退職し、同年4月に東京農業大学農学部造園学科助教授就任。江山正美の後任として造園計画学第1研究室 主任(後の庭開学・造園学原論研究室、現ガーデンデザイン研究室)を経て庭園学・造園学原論研究室主任、庭園史・近代造園史の授業科目、実務経験を活かした「庭園学及び演習」などの設計演習等を担当。
埴 沙萠(はに しゃぼう、1931年2月3日 - 2016年… 埴 沙萠(はに しゃぼう、1931年2月3日 - 2016年2月23日)は、日本の植物生態写真家。40年以上植物の生態を撮り続けた。特に人生の後半は、植物が芽を出す瞬間を取り続けた。持論は足元に小宇宙がある。 1949年に「シャボテン研究家」(原文のママ)の龍膽寺雄に師事。1951年に東京農業大学に砂漠植物研究室を設置したとしている。 また、1960年には静岡県伊東市大室山のシャボテン公園の企画設計を担当し、砂漠植物研究室のコレクションを移した。 なお、同地は2016年10月22日に名称変更して「伊豆シャボテン動物公園」となっている。公園完成後に東京農業大学を辞して、山口県屋代島(周防大島)に移住。
實吉 達郎(さねよし たつお、1929年11月29日 - 2… 實吉 達郎(さねよし たつお、1929年11月29日 - 2025年9月23日)は、日本の動物研究家、作家。未確認動物「UMA」の命名者として知られる。 シャーロック・ホームズの研究家でもあり、日本シャーロック・ホームズ・クラブ会員である。 子爵實吉安純の孫として広島県(父の赴任地・呉市)に生まれる。学習院幼稚園から学習院初等科、学習院中等科を経て、東京農業大学卒業後、宮内庁下総御料牧場、野毛山動物園に勤務。 1955年から1962年までブラジルで動物を研究。帰国後、動物作家として活躍。また、数多くのテレビ番組に出演している。 娘はシンガーソングライターのさねよしいさ子、風水鑑定士の佐々木啓乃。
加藤 日出男(かとう ひでお、1929年8月31日 - 20… 加藤 日出男(かとう ひでお、1929年8月31日 - 2019年12月22日)は、日本の社会運動家、随筆家。 日本の高度経済成長期、地方から集団就職した勤労青年たちの交流サークル「若い根っこの会」を創設し、亡くなるまで会長を務めた。 秋田県秋田市出身。秋田県立秋田中学校(現・秋田県立秋田高等学校)を経て、1946年に秋田鉱山専門学校(現・秋田大学)に入学するが翌年中退、しばらく住み込みで農業に従事。1953年、東京農業大学農学部農業経済学科卒業。在学中、青山ほとりに合わせ大根を持って応援を行う「大根踊り」を考案したという説がある(異説あり。詳細は青山ほとり#大根踊りを参照)。 1952年から1958年にかけ、東農大在学生のサークル「あすなろ会」、および若者の交流サークル「経堂青年会」「雑草の会」「東京青年の会」を立ち上げる。
高瀬 一太郎(たかせ いちたろう、1929年(昭和4年)8月… 高瀬 一太郎(たかせ いちたろう、1929年(昭和4年)8月9日 - 2010年(平成22年)9月11日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県加須市長。加須市名誉市民。 埼玉県北埼玉郡加須町(現加須市)出身。東京農業大学専門部卒業。埼玉県農業振興公社理事長、加須市助役を経て、1994年(平成6年)加須市長に当選した。2006年(平成18年)12月、加須市名誉市民に推挙された。2008年、旭日小綬章受章。没後叙従五位。
青柳 志解樹(あおやぎ しげき、1929年1月24日 - 2… 青柳 志解樹(あおやぎ しげき、1929年1月24日 - 2021年2月14日)は、日本の俳人・実業家。本名・青柳茂樹。長野県出身。 長野県南佐久郡穂積村(現・佐久穂町)に生まれる。旧制東京農業大学専門部修了。1957年東急グループの「五島ローズガーデン」に入社し、バラ栽培に従事する。1963年に独立し、造園業の「東京緑地」を設立するが、1983年に廃業し、文筆に専念する。 1953年、林邦彦を知り、加藤楸邨の「寒雷」に投句。また同郷の相馬遷子の影響を受ける。1957年「鹿火屋」に入会、原コウ子に師事。1979年「山暦」を創刊・主宰。1992年、句集『松は松』で第32回俳人協会賞、2014年『里山』で第3回与謝蕪村賞を受賞。
添田 増太郎(そえた ますたろう、1928年11月1日 - … 添田 増太郎(そえた ますたろう、1928年11月1日 - 2019年11月6日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 福島県出身。東京農業大学通信学科卒。鏡石町議会議員を経て、1968年、福島県議会議員選挙で岩瀬選挙区から立候補し、初当選。1983年、第55代福島県議会議長就任。1984年、全国養蚕農業協同組合連合会長。 1985年1月28日、議長を辞職し、同年2月の福島県選挙区選出の村田秀三(日本社会党)の死去による第13回参議院議員通常選挙福島県選挙区補欠選挙に自由民主党から立候補し初当選。1988年12月竹下改造内閣法務政務次官。1989年6月、宇野内閣法務政務次官。同年7月の第15回参議院議員通常選挙で落選。
玉城 哲(たまき あきら、1928年7月-1983年7月2日… 玉城 哲(たまき あきら、1928年7月-1983年7月2日)は、日本の農業経済学者。 東京出身。経済学者玉城肇の次男。兄は歌人の玉城徹、弟は現代コリア研究所理事長を務めた玉城素。東京農業大学農学科卒、同大学院博士課程中退、専修大学経済学部助教授、教授。
佐藤 隆(さとう たかし、1927年12月11日 - 199… 佐藤 隆(さとう たかし、1927年12月11日 - 1991年4月17日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(2期)・衆議院議員(6期)。新潟県中蒲原郡亀田町(現新潟市)出身。東京農業大学卒業。従三位勲一等瑞宝章。父は衆議院議員・参議院議員と務めた佐藤芳男、子は新潟県議会議員の佐藤純。 1949年東京農業大学農学部農業経済学科卒業後、農林中央金庫に入り、後に農林漁業金融公庫に移る。退社後は父・芳男の秘書を経て、1967年の衆議院議員総選挙に旧新潟2区から無所属で出馬したが落選。しかし同年8月に父が災害で急死し、それを受けて行われた参議院議員補欠選挙に新潟選挙区から自民党公認で出馬し初当選。
鹿熊 安正(かくま やすまさ、1927年(昭和2年)1月9日… 鹿熊 安正(かくま やすまさ、1927年(昭和2年)1月9日 - 2019年(令和元年)6月2日)は、日本の政治家。元・富山県議会議員、同議長。元・自由民主党・参議院議員(2期)。安倍派。元・県スキー連盟会長。元・小川温泉社長。 富山県下新川郡山崎村(現・朝日町)出身。鹿熊久安の息子。東京農業大学卒業。 1959年(昭和34年)、県庁職員を経て富山県議会議員当選。以後8期務める(下新川郡選挙区)。自民党県連幹事長、県議会議長を歴任。 1989年(平成元年)、第15回参議院議員通常選挙富山県選挙区初当選。 1992年(平成4年)、宮澤改造内閣で通商産業政務次官に就任。 1994年(平成6年)、村山内閣で郵政政務次官に就任。
菅沼 正久(すがぬま まさひさ、1927年 - )は、日本の… 菅沼 正久(すがぬま まさひさ、1927年 - )は、日本の経済学者。長野大学名誉教授。 神奈川県生まれ。1958年東京農業大学農業経済学科卒。本州大学助教授、教授、改称で長野大学教授、1993年定年退任、名誉教授。農業経済についての論文から、中国問題まで論じた。山内一男らと共に文化大革命を礼賛した代表的な人物として知られる。中国研究所所員。
竹中 久二雄(たけなか くにお、1926年11月4日 - )… 竹中 久二雄(たけなか くにお、1926年11月4日 - )は、日本の農業経済学者。 山形県山形市生まれ。東京農業大学卒、1959年同大学院修士課程修了、同助手、講師、助教授、1975年教授、1987年常務理事、1994-1995年理事長。農学博士。
大沢 紀三男(おおさわ きみお、1926年2月16日 - 2… 大沢 紀三男(おおさわ きみお、1926年2月16日 - 2003年11月4日)は、神奈川県藤沢市出身のプロ野球選手。本名は君夫。ポジションは投手・外野手。
福井 高行(ふくい たかゆき、1926年2月5日 - 201… 福井 高行(ふくい たかゆき、1926年2月5日 - 2017年1月30日)は、日本の経営者。カルピス食品工業(現在のアサヒ飲料)社長を務めた。奈良県出身。 1952年に東京農業大学農芸化学科を卒業し、同年にカルピス食品工業に入社した。1973年2月に取締役に就任し、1979年10月に常務を経て、1985年3月に社長に就任。1988年11月に顧問に就任。 2017年1月30日消化管出血のために死去。90歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
中原 成男(なかはら しげお、1926年1月1日 - )は、… 中原 成男(なかはら しげお、1926年1月1日 - )は、日本の元俳優。本名同じ。 東京府(現:東京都)出身。東京農業大学畜産学科、日本映画学校卒業。俳協に所属していた。 東宝演技者集団、東京映画を経る。映画『恐喝』(1958年)、『激動の昭和史 軍閥』(1970年)、テレビドラマ『開化探偵帳』(1968年)などに出演。1972年の特撮テレビドラマ『超人バロム・1』では、主人公の父親である日読新聞デスク・白鳥敬太郎役でレギュラー出演した。 特技は、剣道(二段)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
江尻 光一(えじり こういち、1926年 - 2011年5月… 江尻 光一(えじり こういち、1926年 - 2011年5月6日)は、日本の園芸家である。かつて、NHKの番組「趣味の園芸」の講師を務めるなどし、家庭園芸の普及に努めた。
野坂 恒如(のさか つねゆき、1925年〈大正14年〉12月… 野坂 恒如(のさか つねゆき、1925年〈大正14年〉12月6日 - 1989年〈平成元年〉3月6日)は、日本のジャズ評論家。レコードコレクター。新潟県職員として定年まで務めた。 東京府東京市麹町区で生まれる。弟は作家の野坂昭如。 父・相如の後妻・笑子は活動弁士西村楽天の長女。その影響で頻繁に寄席に通い、一時は落語家を目指す。 1945年〈昭和20年〉東京農業大学専門部緑地土木科卒業。新潟県緑地部に土木技師として務める。 昭和30年代からジャズ評論、新潟県へのアーティスト招聘活動をはじめる。毎月50〜70枚のレコードを買い続け、ジャズ同好会「ニイガタ・ジャズ・フレンズ・アソシエイション」を発足すると、会員に輸入レコードを市価の3割引価格で斡旋。
正部家 種康(しょうぶけ たねやす、1925年(大正14年)… 正部家 種康(しょうぶけ たねやす、1925年(大正14年)1月28日 - 2012年(平成24年)12月6日)は、元八戸市博物館館長。八戸市の郷土史家。 八戸中学-東京農業大学卒業後青森県農業改良普及員となる。1958年から八戸市職員となり、総務部長などを務め、秋山皐二郎市長に重用された。 1983年に八戸市博物館の初代館長に就任し、1989年まで務めた。八戸観光協会長、根城史跡保存会、八戸市文化財審議会委員等を歴任。 郷土史家としても八戸地方の民話に関する本など、多くの著書を執筆している。
金井 格(かない ただし、1925年1月28日 - 没年不詳… 金井 格(かない ただし、1925年1月28日 - 没年不詳)は東京農業大学名誉教授。専門は造園学の工学分野。 長野県長野市出身。生まれは外地で母方の祖父は片倉製紙の重役。本籍長野の他は埼玉で長く暮らす。 1945年9月 東京農業大学専門部緑地土木科を卒業し、1946年9月から1954年まで東京農業大学専門部緑地科助手、1954年からは埼玉県行田市役所技術嘱託土木課公園掛、1956年から1962年3月までは行田市役所技術吏員で、その間の1957年から1961年まで東京農業大学造園学科造園工学専攻で年度講師として測量などを担当し、1962年4月から東京農業大学造園学科講師、1965年に同大学助教授、1978年から同大学教授就任、1995年に退職し名誉教授。
小山 智士(こやま ともじ、1925年 - )は、日本の農業… 小山 智士(こやま ともじ、1925年 - )は、日本の農業官僚、農業経済学者。 広島県尾道市生まれ。1947年東京農業大学卒。1948年農林省入省、1972年農政調査委員会国内調査部長、85年理事。1987年「現代農業・農村の高齢化問題に関する政策的研究」で東京農業大学農学博士。
椿 啓介(つばき けいすけ、男性、1924年6月21日 - … 椿 啓介(つばき けいすけ、男性、1924年6月21日 - 2005年8月18日)は、日本の菌類学者。不完全菌の分類体系を、分生子形成様式に基づいて構築した。東京都出身。 1924年(大正13年)6月21日に東京に生まれ、幼少期を一時北海道函館市で過ごした他は東京で育った。1948年(昭和23年)3月に東京農業大学農学部農芸化学科を卒業した。卒業研究ではカビの生産物を扱ったが、カビそのものへの関心を強め、卒業後は研究の主軸をこちらに移していった。 その年の4月にカビ、酵母のジーンバンク活動を行っていた財団法人長尾研究所に入所し、不完全菌類の研究を開始。ここでは主任研究員にまでなり、また1959年(昭和34年)8月には、1954年から1958年にかけて発表した、不完全菌の分類体系に関する一連の論文に基づき、広島大学から理学博士の学位を授与された。
伊藤邦衛(いとう くにえ、1924年6月16日 - 2016… 伊藤邦衛(いとう くにえ、1924年6月16日 - 2016年9月29日)は、日本の造園家・作庭家・環境デザイナー。広島県出身。 1947年、東京農業大学農学部造園学科を卒業し、清水建設入社、設計部に配属。1963年に独立し、伊藤造園設計事務所創立。東京農業大学講師、日本造園修景協会常務理事、日本造園学会理事を歴任。 北の丸公園池他一連の造園設計で、日本造園学会賞計画設計作品部門受賞。1989年第11回日本公園緑地協会北村賞受賞。1994年園芸文化賞受賞。
平井 昌信(ひらい まさのぶ、1924年 - 2019年(平… 平井 昌信(ひらい まさのぶ、1924年 - 2019年(平成31年)1月)は、元東京農業大学造園学科助教授。東京農業大学東京緑友会相談役。造園家、 1945年東京農業大学卒業。代表作の武蔵丘陵森林公園他一連の造園設計 で、昭和49年度日本造園学会賞受賞。1993年第15回日本公園緑地協会北村賞受賞。 著書に『都市緑地の計画と設計』(彰国社、1987年)など。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉沢 正五(よしざわ しょうご、1922年 <大正11年> … 吉沢 正五(よしざわ しょうご、1922年 <大正11年> 6月24日 - 1994年 <平成6年> 11月18日)は日本の政治家。白根市(現・新潟市)長(6期)。土地家屋調査士。位階は従五位。 新潟県出身。1942年東京農業大学農業土木技術員養成所卒。翌年兵役に就いた。戦後は新潟県中蒲原郡庄瀬村(のち白根市、現・新潟市)農地委員会、長岡市農林課、新潟県農業会議などに勤務する。1961年白根市長に当選。市長在職中は上下水道や都市ガスの整備、保育や教育施設の充実、農村総合整備モデル事業や大圃馬整備事業を推進した。市長を1985年までの6期24年務めた。1994年死去。死没日付をもって従五位に叙された。
荒木 芳邦(あらき よしくに、1921年 - 1997年)は… 荒木 芳邦(あらき よしくに、1921年 - 1997年)は、日本の造園家、作庭家。活動拠点は大阪。関西を中心とする日本およびドイツに多くの日本庭園、公共造園や公園作品を残した。 (日本国外の日本庭園) 作品は共通して大胆で直截的な景色作りが行われている。公園等、公共の空間で機能性を有しながら大胆な仕掛けを施すことで知られ、滝をダイナミックな階段状にする、自然風景式園に正円の園地を突如挿入する、外来種を積極的に用いたカラフルでボタニナルな植栽の庭園を構築など、従来の日本庭園作品にはみられない試みを実施。日本造園学会賞の大阪ロイヤルホテルでは、プラスティック製の擬木/擬石での庭づくりを行った。 東京における業務空間のデザインは、本人の持つ力量に対して、意外とおとなしい意匠でまとめている印象があるという[要出典]。
粟田 彰常(あわた あきつね、1920年〈大正9年〉5月13… 粟田 彰常(あわた あきつね、1920年〈大正9年〉5月13日 - 2006年〈平成18年〉8月30日)は、日本の皇族、華族、陸軍軍人。陸軍大将東久邇宮稔彦王の第3王子。母は、明治天皇第9皇女・聡子内親王。兄に盛厚王、師正王、弟に俊彦王がいる。階級は陸軍大尉、勲等は勲一等旭日桐花大綬章、爵位は侯爵。皇族時代は、彰常王(あきつねおう)と称された。 1920年(大正9年)5月13日、 東久邇宮稔彦王と同妃聡子内親王の第3男男子として生まれる。1940年(昭和15年)5月13日に皇族議員として貴族院議員となり、同年9月陸軍士官学校(54期)を卒業する。翌月の10月25日願による臣籍降下が認められ、昭和天皇から粟田の氏を賜り、侯爵の爵位を授けられ華族に列せられ貴族院議員の資格が消滅。
國分 保男(こくぶん やすお、1918年(大正7年)9月22… 國分 保男(こくぶん やすお、1918年(大正7年)9月22日 - 2010年(平成22年)4月8日)は、日本の政治家。岩手県二戸市長(5期)。 岩手県二戸郡福岡町(現・二戸市)出身。1941年、東京農業大学農学部卒。農林省に入り、その後、岩手県庁に転じ、1953年、岩手県厚生部二戸福祉事務所所長となる。1960年、岩手県福岡町長に当選。3期務め、1972年、福岡町は金田一村と合併、二戸市となり、これに伴う市長選挙に立候補し、当選した。二戸市長を5期務め、1992年の市長選挙にも立候補したが、元環境庁職員の小原豊明に敗れた。2010年4月8日午後5時、肺炎のため二戸市内の病院で死去、91歳。死没日をもって従七位から従四位に叙される。