小倉 襄二(おぐら じょうじ、1926年(大正15年)10月… 小倉 襄二(おぐら じょうじ、1926年(大正15年)10月1日 ‐ 2014年(平成26年)12月7日)は、日本の社会政策学者。同志社大学名誉教授。社会問題・社会保障論・社会福祉体系・公的扶助論専攻。元日本社会福祉学会理事。 京都府京都市生まれ。同志社大学卒業。同志社大学文学部社会学科助教授、教授、文学部長、1997年定年退職、名誉教授、新島学園女子短期大学学長、2001年大阪人間科学大学特任教授。 2014年12月7日、慢性腎不全のため死去。
宅間 英夫(たくま ひでお、1926年9月16日 - 197… 宅間 英夫(たくま ひでお、1926年9月16日 - 1979年4月26日)は京都府出身の部落解放運動家。京都こどものとも社社長。部落解放同盟京都府連南丹地協議長の国府泰造から「兄ちゃん」と呼ばれる存在だった。 京都府船井郡富本村(現・南丹市)生まれ。父は郡是製糸社員。 京都府立第二中学校(現・京都府立鳥羽高等学校)時代から松居直や木島始と交際があった。松山高等学校 (旧制)の受験に失敗し、海軍通信学校に入隊したが1ヶ月で敗戦を迎える。 1946年、京都人文学園入学。1949年、同志社大学新聞学科に聴講生として学びつつ郷里の八木町青年団で活動。このころは朝田善之助や日本共産党の山林解放闘争のニセ情報を警察に200円で売ってなぶる計画の軍師だった。
武藤 庸之助(むとう ようのすけ、1926年7月3日 - 2… 武藤 庸之助(むとう ようのすけ、1926年7月3日 - 2003年8月13日)は、日本の経営者。ユニー社長を務めた。 愛知県出身。1950年に同志社大学経済学部経済学科を卒業し、同年に東海銀行に入行。1974年11月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1982年6月に専務を経て、1983年5月にユニー副社長に就任し、1991年5月には社長に昇格し、1993年5月までに務めた。 2003年8月13日膵臓癌のために死去。77歳没。
沢島 忠(さわしま ただし、旧字体:澤島、1926年〈大正1… 沢島 忠(さわしま ただし、旧字体:澤島、1926年〈大正15年〉5月19日 - 2018年〈平成30年〉1月27日)は、日本の映画監督、舞台演出家である。時代劇、ひばり映画、および東映任侠映画の先駆者・巨匠として知られ、舞台演出家としても活躍していた。沢島 正継(読みは同じ)とも。 滋賀県愛知郡(現在の東近江市)に生まれる。八日市中学校(現・滋賀県立八日市高等学校)卒業。1948年(昭和23年)、同志社大学文学部の聴講生となり、同大で教えていた野淵昶監督に師事、野淵の主宰する劇団「エランヴィタール」に参加し、演出助手となる。翌年大学を中退する。1950年(昭和25年)3月、同劇団が解散、俳優の月形龍之介の紹介で東横映画助監督部に入社する。
小川 光暘(おがわ こうよう、1926年1月3日 - 199… 小川 光暘(おがわ こうよう、1926年1月3日 - 1995年1月12日)は、日本の美術史学者。東西の古代文化・美術、日本の寝具史を研究。 奈良県奈良市に生まれる。父・小川晴暘と弟・小川光三は著名な写真家。 同志社大学文学部文化学科卒業。同志社大学大学院、同志社大文学部教授として日本美術史を担当。1995年1月12日、在職中に脳梗塞のため死去。
前 登志夫(まえ としお、1926年(大正15年)1月1日 … 前 登志夫(まえ としお、1926年(大正15年)1月1日 - 2008年(平成20年)4月5日)は、日本の歌人。本名、前 登志晃(まえ としあき)。日本芸術院会員。短歌結社「山繭の会」主宰。 奈良県吉野郡下市町広橋で、父理策、母可志の二男として誕生。旧制奈良中学(現・奈良県立奈良高等学校)を経て、同志社大学経済学部に入学するが、1945年(昭和20年)に応召されて中退。戦後まもなく詩作を始め、フランスやドイツの詩を学ぶ一方、柳田國男や折口信夫の民俗学にも傾倒した。1951年(昭和26年)に吉野に戻り、前川佐美雄を訪問。1956年(昭和31年)、詩集『宇宙駅』を刊行した。 その後、短歌に転じ、前川に師事する。
吉田和夫(よしだ かずお、1925年〈大正14年〉9月14日… 吉田和夫(よしだ かずお、1925年〈大正14年〉9月14日- )は、日本の経営学者、関西学院大学名誉教授。専門はドイツ経営学。 京都市生まれ。同志社大学経済学部卒。1971年「ドイツ企業経済学」で関西学院大学商学博士。関西学院大学商学部講師、助教授、教授。89年定年、名誉教授、大阪学院大学教授。
櫟 信平(いちい しんぺい、1925年6月22日 - 200… 櫟 信平(いちい しんぺい、1925年6月22日 - 2008年6月10日)は京都府京都市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
榎本 保郎(えのもと やすろう、1925年5月5日 - 19… 榎本 保郎(えのもと やすろう、1925年5月5日 - 1977年7月27日)は、日本の牧師。アシュラム運動の普及に貢献した。「ちいろば牧師」の愛称で知られる。三浦綾子の「ちいろば先生物語」で広く知られるようになった。 配偶者はアシュラムセンター主事の榎本和子(1925-2023)。榎本栄次牧師は実弟。後宮俊夫牧師は義弟。娘は実践神学者の榎本てる子(関西学院大学准教授、1962-2018)。 1925年、兵庫県三原郡神代村(現南あわじ市神代)に生まれる。1938年に旧制洲本中学校に入学する。少年時代は軍国少年だった。1944年に徴兵検査を受け、満州に出征する。1945年満州で敗戦を迎える。帰国後、敗戦の喪失の中で虚無感に陥っていた。
江崎 玲於奈(えさき れおな、1925年〈大正14年〉3月1… 江崎 玲於奈(えさき れおな、1925年〈大正14年〉3月12日 - )は、日本の物理学者。日本国外においてはレオ・エサキ(Leo Esaki)の名で知られる。 1973年(昭和48年)、トンネル効果の研究に関連して、アイヴァー・ジェーバー、ブライアン・ジョゼフソンとともにノーベル物理学賞を受賞し、日本人としては4人目となるノーベル賞受賞者となった。 文化勲章受章者、勲一等旭日大綬章受章者。学位は理学博士(東京大学・1959年)。学位論文は「薄いp-n接合における新現象」。 大阪府中河内郡高井田村(後の同郡布施町、さらに布施市、現在の東大阪市布施地区)で生まれ、1947年に東京帝国大学を卒業し、川西機械製作所(後の神戸工業株式会社、現在のデンソーテン)に入社、真空管の陰極からの熱電子放出の研究を行った。
園田 正和(そのだ まさかず、1925年1月5日 - 201… 園田 正和(そのだ まさかず、1925年1月5日 - 2012年1月20日)は、兵庫信用金庫の名誉会長。 1965年瀧川勝二(当時兵庫トヨタ自動車社長)などの推薦をうけ、1951年に誕生した神和信用金庫の、全国で一番若い理事長として30歳にて就任。1974年はりま信用金庫と神和信用金庫は合併し、兵庫信用金庫が誕生。理事長に就任。 兵庫県神戸市出身。雲中小学校、神戸一中、(現兵庫県立神戸高等学校)、同志社大学卒業。神戸市中央区熊内の財閥一家で当時は不動産や両替業を営む園田家の長男として誕生。(詳細:自費出版「奴雁の人」より)。
高原 宏平(たかはら こうへい、1924年12月 - 200… 高原 宏平(たかはら こうへい、1924年12月 - 2006年3月)は、日本のドイツ文学者。ローザ・ルクセンブルクやヴァルター・ベンヤミン、エルンスト・ブロッホ、ヨハネス・R・ベッヒャーの翻訳者。同志社大学名誉教授。関西国民文化会議・対外文化連絡部〈ドイツ・グループ〉や新日本文学会、活動家集団思想運動で活動した。 東京都目黒区生まれ。第二次世界大戦中には、東京大学農学部農業経済学科で東畑精一に師事しながら、高津正道らの集まりに参加していた。後年、武井昭夫は、吉本隆明の「自分たちの世代の学生・生徒は左翼思想の影響を受けることがまったくできなかった」という主張を批判する際に、吉本と同い年である高原宏平の戦時下における学生生活に触れて、「吉本さんと同年配ないしもっと若い人たちで戦中から左翼だった人はいるわけです」と証言していた。
東中 光雄(ひがしなか みつお、1924年7月23日 - 2… 東中 光雄(ひがしなか みつお、1924年7月23日 - 2014年8月7日)は、日本の元政治家。日本共産党所属の衆議院議員(日本共産党中央委員会委員)。弁護士(大阪弁護士会)。
中島 千恵子(なかじま ちえこ、1924年5月21日 - 1… 中島 千恵子(なかじま ちえこ、1924年5月21日 - 1999年11月16日)は、日本の児童文学作家・放送作家。 京都市出身。1949年同志社大学文学部卒。長浜市立図書館館長を経て、滋賀文教短期大学教授を務めた。1967年「まめだの三吉」で毎日児童小説入選、1968年『タブーの島』で毎日児童小説入選。ラジオ作品に「山にあるいのち」「日本海」などがある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大塚 達雄(おおつか たつお、1924年4月14日 - 19… 大塚 達雄(おおつか たつお、1924年4月14日 - 1999年7月26日)は、日本の労働経済学者、福祉事業家。 1949年に同志社大学法経学部経済学科卒、1948年-1954年に京都社会福祉研究所、京都府社会福祉協議会、京都市民生局などで社会福祉事業に携わる。1954年に同志社大学文学部社会学科助手、講師、助教授、1964年に教授、1990年に名誉教授。1955年、京都YMCAによって第一回肢体不自由児療育キャンプが琵琶湖畔の佐波江で行われた際に関わった事をきっかけとして、障害児の療育キャンプ(きゅうそキャンプ)を実施。のちに京都障害児福祉協会を設立し、理事長を務めた。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
徳網 茂(とくあみ しげる、1924年3月30日 - 197… 徳網 茂(とくあみ しげる、1924年3月30日 - 1976年5月23日)は京都府出身のプロ野球選手、野球指導者。
西村 豁通(にしむら ひろみち、1924年2月26日 - 2… 西村 豁通(にしむら ひろみち、1924年2月26日 - 2010年12月3日)は、日本の社会政策学者。同志社大学名誉教授。 京都市伏見区深草出身。桃山中学校卒、第三高等学校卒、1947年東京帝国大学経済学部卒、京都大学大学院入学。1953年大阪市立大学講師、1953年同志社大学経済学部専任講師、1955年助教授、1961年教授、1969-1971年経済学部学部長、1995年定年、名誉教授。90年「現代社会政策の基本問題」で、経済学博士(北海道大学)。短歌も詠んだ。
黒岩 重吾(くろいわ じゅうご、1924年2月25日 - 2… 黒岩 重吾(くろいわ じゅうご、1924年2月25日 - 2003年3月7日)は、日本の小説家。社会派推理小説、風俗小説、古代史を題材にした歴史小説で活躍した。 大阪市生まれ。父方の祖先は和歌山県新宮市の廻船問屋。父は大同電力の電気技師、母は植村正久の弟子の牧師で名古屋の金城女学校で教頭も務めた池田勤之助の娘で、重吾は安治川発電所の社宅で生まれた。小学生の頃はキリスト教の日曜学校に通わされたが、結局信者にはならなかった。大阪の府立中学受験に失敗し、旧制宇陀中学(現・奈良県立大宇陀高等学校)に入学し、4年で終了して同志社大学の予科に入学。同志社大学在学中に学徒出陣し、北満に出征する。 ソ連国境に近い綏芬河の町で終戦を迎え、厳しい逃避行の末、1946年に朝鮮に辿り着き、内地へ帰還した。
吉本 晴彦(よしもと はるひこ、1923年(大正12年)9月… 吉本 晴彦(よしもと はるひこ、1923年(大正12年)9月30日 - 2017年(平成29年)5月30日)は、日本の実業家。元大阪マルビル会長。「大日本どケチ教」の教祖。 大阪・梅田の大地主の家に生まれ、祖父彦太郎に「どケチ道」を仕込まれた。学徒動員された経験を持ち、中国で終戦を迎えた。復員後に不動産業を始めた。1946年(昭和26年)、同志社大学経済学部卒業と同時に不動産事業を興し、吉本土地建物株式会社社長に就任。 1970年(昭和45年)、自分の半生に基づいてケチを勧めた著書「どケチ人生」がベストセラーになり、1973年に「大日本どケチ教」を設立して教祖に就任した。元サントリー副会長の鳥井道夫、森下仁丹社長だった森下泰とともに「大阪の三ケチ」と呼ばれた。
大北 一夫(おおきた かずお、1923年9月1日 - 200… 大北 一夫(おおきた かずお、1923年9月1日 - 2001年9月10日)は、日本の経営者。昭和シェル石油社長を務めた。京都府京都市出身。 1947年に同志社大学文学部社会学科を卒業し、函館ドックでの勤務を経て、1949年にシエル石油に入社。1969年に取締役に就任し、1975年に常務、1978年に専務、1981年に副社長を経て、1982年には社長に就任。昭和石油との合併を取り仕切り、1985年に昭和シェル石油社長に就任。1989年3月に副会長に就任し、1991年3月に取締役相談役を経て、1993年3月に相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章し、1996年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2001年9月10日に肺炎のために神奈川県横浜市の病院で死去。
蔦 文也(つた ふみや、1923年(大正12年) 8月28日… 蔦 文也(つた ふみや、1923年(大正12年) 8月28日 - 2001年(平成13年) 4月28日)は、プロ野球選手(投手)、徳島県立池田高等学校野球部元監督。「攻めダルマ」の異名を持ち、「さわやかイレブン」「やまびこ打線」として知られる池田高校野球部を40年間指導。選抜高等学校野球大会、全国高等学校野球選手権大会において、優勝3回(夏春連覇1回)、準優勝2回の実績をあげた。池田町名誉町民第1号。
梅田 正巳(うめだ まさみ、1923年5月24日 - 没年不… 梅田 正巳(うめだ まさみ、1923年5月24日 - 没年不明)は、広島県出身のプロ野球選手。
千 玄室(せん げんしつ、1923年〈大正12年〉4月19日… 千 玄室(せん げんしつ、1923年〈大正12年〉4月19日 - 2025年〈令和7年〉8月14日)は、茶人。茶道裏千家15代家元汎叟宗室。斎号は鵬雲斎、若宗匠時代は宗興。家元譲座後は大宗匠を務めた。位階は従三位。 「玄室」の名は、裏千家4代目の仙叟宗室が宗室を襲名する以前の名で、12代直叟宗室が隠居した際にも「玄室」を名乗っていた。最初の「宗室」への改名前の本名は千 政興。 青年時代には大日本帝国海軍に特攻隊員として入隊した経験を持ち、メディアなどを通し、戦争体験者の1人として実体験を語り継いでいた。終戦直前には松山海軍航空基地で航空隊分隊士教官として甲飛第15期の訓練にあたった。後に特秘命令として南方戦線に居る高官を陸軍の大型輸送機を使用して連れて帰るように命ぜられた。
飯塚 一郎(いいづか いちろう、1923年〈大正12年〉- … 飯塚 一郎(いいづか いちろう、1923年〈大正12年〉- 1986年〈昭和61年〉5月29日)は、日本の経済学者(専攻は経済史・経済思想史・経済学史)。学位は、経済学博士。位階は従四位。 静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡中学校を経て、1946年、同志社大学経済学部卒。山梨大学教授を務めた。1971年、「貨幣学説前史の研究」で関西学院大学経済学博士の学位を取得。1986年死去。死没日付をもって従四位に叙された。 もともとイギリス重商主義についての研究を進めていたが、その後、これに先行するスペインの植民地政策や経済思想にも関心を拡げていくことになった。特に伊藤不二男と並んで、日本におけるサラマンカ学派研究に先鞭をつけたことで知られる。
増田 眞一(ますだ みちかず、選挙時の通名:マスダシン一、1… 増田 眞一(ますだ みちかず、選挙時の通名:マスダシン一、1923年〈大正12年〉 - 2000年〈平成12年〉6月3日)は、日本の実業家、政治活動家(政事公団太平会同人)。 京都府舞鶴市出身。同志社大学法学部在学中に学徒出陣で応召。熊谷陸軍飛行学校特操2期生を経て、知覧特攻基地神鷲隊に配属される。1945年8月10日、ウィリアム・ハルゼー率いる米海軍機動部隊に向け出撃したが、天候不良と搭乗機の不調で突入に失敗、帰投。そのまま終戦を迎えた。 戦後復学して同大学院で田村徳治教授の薫陶を受け、皇国史観を保持しつつ労農運動に目覚める。その後地元で旅館、青年の家、マリーナ等経営の傍ら反基地闘争・反公害運動を行い、政治団体『政事公団太平会』を組織。
金野 滋(こんの しげる、1922年7月7日 - 2007年… 金野 滋(こんの しげる、1922年7月7日 - 2007年4月1日)は、日本のラグビー選手で、元日本ラグビーフットボール協会会長。
オーテス・ケーリ(Otis Cary、1921年10月20日… オーテス・ケーリ(Otis Cary、1921年10月20日 - 2006年4月14日)は、アメリカ合衆国の情報将校、教育者である。同志社大学名誉教授。オーティス・ケーリ、オティス・ケーリなどの表記もある。 1921年、北海道小樽市富岡町に生まれる。父フランク・ケーリ(1888年 – 1973年)は、宣教師、同志社理事。祖父は宣教師で同志社神学校教授、理事のオーテス・ケーリ(1851年 - 1932年)。 14歳でアメリカに帰国、アマースト大学に学び、日米開戦に入った1941年にアメリカ海軍日本語学校に入学。ドナルド・キーンは同級生だった。 1943年2月、海軍少尉となり真珠湾の陸海軍情報局に配属され、アリューシャン列島の作戦及びサイパン島の占領に参加。
野辺地 正之(野邊地正之、のべち まさゆき、1921年8月1… 野辺地 正之(野邊地正之、のべち まさゆき、1921年8月15日-2005年2月2日)は、日本の心理学者。東京府(現中野区)出身。同志社大学卒業。1966年「自我の変容に関する心理学的研究」で京都大学教育学博士。同志社大学文学部助教授、教授。1992年定年退任、名誉教授。1998年勲三等瑞宝章受勲。
渡辺 博之(わたなべ ひろゆき、1921年1月1日 - 19… 渡辺 博之(わたなべ ひろゆき、1921年1月1日 - 1990年10月2日)は、大阪府大阪市阿倍野区出身のプロ野球選手(外野手、内野手)・監督。 旧制桃山中学校卒業後、同志社大学に進学し野球部に所属した。1941年と1942年春秋リーグ戦では関西六大学リーグ初優勝かつ4連覇(戦後まもなくの1946年春秋リーグ戦連覇で6連覇)に貢献するなどエースとして活躍。在学中に南海軍から入団の打診を受けるも拒否し、卒業後に応召を受ける。戦後は会社員として働くが、それから間もなく独立し、御堂筋に洋品雑貨の店を構えていた。これと並行してノンプロチーム「全大阪」に参加し、1946年から1948年まで3年連続で都市対抗に出場。
中牟田 栄蔵(なかむた えいぞう、1920年10月17日 -… 中牟田 栄蔵(なかむた えいぞう、1920年10月17日 - 1997年7月18日)は、日本の経営者。岩田屋社長を務めた。福岡県出身。 1943年に同志社大学経済学部を卒業し、1945年に岩田屋に入社した。1947年に取締役に就任し、1956年に常務、1971年に専務、1979年に副社長を経て、1985年5月に社長に就任した。1989年5月から相談役を務めた。 1997年7月18日肺癌のために死去。76歳没。
大久保 怜(おおくぼ れい、本名:大久保 捨次〔おおくぼ す… 大久保 怜(おおくぼ れい、本名:大久保 捨次〔おおくぼ すてつぐ〕、1920年〈大正9年〉4月21日 - 2007年〈平成19年〉2月12日)は、日本の関西地方を中心に活躍した放送タレント、声帯模写芸人。時折「大久保玲」と表記されることがあるが誤り。 大久保の先祖は大久保忠教(大久保彦左衛門)の三男の子孫といわれている。 神奈川県横浜市中区太田町生まれ。幼少時に兵庫県神戸市へ移住。大久保が育った当時の生家は、「全国で一、二を争う真珠養殖業者」であった。旧制灘中学校を経て、1942年に同志社大学法学部を卒業。戦時中の折で6月の卒業となり、同年10月、予備役として丸亀の陸軍部隊に配属される。兵卒としてのつらい経験から幹部候補生を目指し、試験に合格して予備少尉となる。
王 相殷(ワン・サンウン、朝鮮語: 왕상은、1920年3月3… 王 相殷(ワン・サンウン、朝鮮語: 왕상은、1920年3月31日 - 2019年10月16日)は、韓国の実業家、政治家。韓国の海運業と釜山の地域発展には多大な貢献をしたほか、第11・12代国会議員を歴任した。 本貫は開城王氏。号は草渓(チョゲ、초계)。仏教徒。 日本統治時代の黄海道黄州郡黄州面に生まれ、釜山出身。釜山第8小学校、釜山公立中学を経て、1941年に同志社大学商科大学卒。 1951年に協成海運を設立し、同社代表取締役を経て、国際商業会議所委員、釜山商工会議所副会長を務めた。特に1960年代に韓国初の船員派遣業への参入、釜山と下関を繋ぐ釜関フェリーの導入、国籍取得条件付裸傭船の運航などを主導し、韓国の海運業の発展に多大な貢献をした。
朴 忠勲(パク・チュンフン、朝鮮語: 박충훈 / 朴忠勳、P… 朴 忠勲(パク・チュンフン、朝鮮語: 박충훈 / 朴忠勳、Park Choong-hoon、1919年1月19日 - 2001年3月16日)は、大韓民国の商工官僚、軍人、政治家を務めた人物である。本貫は密陽朴氏。 全羅南道済州郡(現在の済州特別自治道)出身。京城第一公立高等普通学校、日本の同志社高等商業学校をそれぞれ卒業後、韓国へ帰って大韓民国陸軍歩兵学校(朝鮮語版)を卒業した。 大韓民国空軍軍人として国防部経理局長などを務め、1961年に空軍少将を最後に予備役へ編入となり軍を離れた。予備役編入後に商工部に転じ、貿易局長、次官を歴任。 1963年に朴正煕大統領による第三共和制政権が発足すると商工部長官に就任し、張基栄(朝鮮語版)国務副総理とコンビを組み、大韓民国経済の市場自由化や輸出政策振興に取り組んだ。
石田 徳次郎(いしだ とくじろう、1918年12月3日 - … 石田 徳次郎(いしだ とくじろう、1918年12月3日 - 1990年3月28日)は、日本の経営者。京都府京都市出身。 1939年1月に石田旭山印刷取締役に就任し、1941年に同志社大学法学部政治学科を卒業。1943年に大日本スクリーン製造専務に就任し、1947年5月には社長に就任。1989年4月に会長に就任。 1963年6月に紺綬褒章を受章し、1980年4月に藍綬褒章を受章。 1990年3月28日心不全のために死去。71歳没。
相見 志郎(あいみ しろう、1918年6月1日 - 2014… 相見 志郎(あいみ しろう、1918年6月1日 - 2014年6月26日)は、日本の経済学者。同志社大学経済学部名誉教授。夫人は作家の相見とし子(1925 - 2005年)。プロ写真家であった長男、相見明は1981年にアメリカで不慮の事故死。 作詞家もず唱平の目にとまり、作曲家の山上敏が演歌に仕上げた。 相見志郎は島倉千代子の大ファンの一人である。
金関 寿夫(かなせき ひさお、1918年2月17日 - 19… 金関 寿夫(かなせき ひさお、1918年2月17日 - 1996年7月6日)は、日本の英文学者・翻訳家。東京都立大学名誉教授。専門はアメリカ現代詩、先住民の詩。数多くの翻訳で知られる。 1918年、島根県松江市で生まれた。同志社大学文学部英文科に入学し、アメリカ文学および文化を専攻した。 神戸大学教授、旧・東京都立大学教授、駒澤大学教授を務めた。 アメリカの現代詩、口承詩に関する著作を多く書いており、詩人の谷川俊太郎と友人であった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
富永 嘉郎(とみなが よしろう、1917年4月12日 - 2… 富永 嘉郎(とみなが よしろう、1917年4月12日 - 2010年3月25日)は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手(プロ野球では、左翼手,右翼手としての出場がある)。
田口 正治(たぐち まさはる、1916年(大正5年)1月9日… 田口 正治(たぐち まさはる、1916年(大正5年)1月9日 - 1982年(昭和57年)6月29日)は、日本の水泳選手。専門は自由形。1936年ベルリンオリンピック800mフリーリレー金メダリスト。 1916年(大正5年)1月9日、京都府出身。同志社大学在学時の昭和8年度第7回明治神宮体育大会水上競技大会の新人競技の部・男子100m自由形に出場して1分1秒6のタイムで優勝し、注目を集める。 同志社大学から立教大学へ転じて、立教大学在学中の1936年(昭和11年)日本選手権水泳競技大会の競泳男子200m自由形で2分14秒8のタイムで優勝。その年のベルリンオリンピック日本代表選手に選出される。 ベルリンオリンピックでは100メートル自由形で4位入賞を果たし、男子800メートルリレーで、遊佐正憲・杉浦重雄・新井茂雄と共に金メダルを獲得。
権 東哲(クォン・ドンチョル、朝鮮語: 권동철/權東哲、19… 権 東哲(クォン・ドンチョル、朝鮮語: 권동철/權東哲、1916年1月1日または1月21日 - 2006年11月24日)は、日本統治時代の朝鮮の教育者、大韓民国の公務員、政治家。青松郡守、第8代義城郡守、第4代達城郡守、参議員などを歴任した。 本貫は安東権氏(朝鮮語版)、号は汾谷(プンゴク、분곡)。キリスト教徒。 日本統治時代の慶尚北道義城郡出身。同志社大学文学部神学科卒。私立白牙島(朝鮮語版)学院院長、義城学院院長、米軍政庁人事行政処職員、慶尚北道人事処補任課長、青松郡守、第8代義城郡守(1950年9月24日 - 1951年9月19日)、第4代達城郡守(1951年9月19日 - 1955年8月23日)、慶尚北道農道院長、サムソン中学校長、学校法人サムソン学院理事長、大韓民国憲政会(朝鮮語版)運営委員などを務めた。
岡本 利三(おかもと としぞう、1915年10月20日 - … 岡本 利三(おかもと としぞう、1915年10月20日 - 2002年5月)は、大阪府出身のプロ野球選手(捕手、外野手)。
吉野 義子(よしの よしこ 1915年7月13日 - 201… 吉野 義子(よしの よしこ 1915年7月13日 - 2010年12月6日)は、俳人。台湾台北市に生まれる。父は言語学者の小川尚義。幼時に母方の伯父の養女となり、愛媛県松山市にて育つ。県立松山高等女学校(現松山南高等学校)を経て、1933年、同志社大学英文科に入学。1934年、結婚のため中退。当初は詩を作っていたが、1947年に俳句に転向。1948年、「濱」に入会、大野林火に師事。1954年、「濱」同人。1972年、濱同人賞受賞。1979年、「芭蕉の精神を基盤とした叙情を継承する」として「星」を創刊・主宰。2001年、『流水』により第1回俳句四季大賞受賞。2003年、「星」終刊。代表句に「むらさき着て掌にあたたむる龍の玉」など。
上林 猷夫(かんばやし みちお、1914年2月21日 - 2… 上林 猷夫(かんばやし みちお、1914年2月21日 - 2001年9月10日)は、日本の詩人。 北海道札幌市出身。旧姓は高垣。生後6ヶ月で伯父の養子となり、大蔵省専売局官吏だった養父に従って全国を転々とする。同志社高等商業学校卒。大阪地方専売局を経て、高砂香料工業に勤務。取締役総務部長を務めた。 1936年池田克己、佐川英三らと『豚』を創刊。戦後は『花』を創刊、『日本未来派』に参加。1952年『都市幻想』で第3回H氏賞受賞。1963年から日本現代詩人会理事長として、事務的手腕を発揮した。1987年日本現代詩人会会長。
石井 秋雄(いしい あきお、1914年 - 没年不明)は、千… 石井 秋雄(いしい あきお、1914年 - 没年不明)は、千葉県出身のプロ野球選手。
大竹 富江(おおたけ とみえ、1913年〈大正2年〉11月2… 大竹 富江(おおたけ とみえ、1913年〈大正2年〉11月21日 - 2015年〈平成27年〉2月12日)は、日本からブラジルに帰化した美術家。 長男は建築家のルイ・オオタケ、次男はサンパウロ州文化長官を務めたリカルド・オオタケ。 京都府京都市で材木商の子として生まれる。富江は6人兄弟の末子。 京都府立第二高等女学校(現・京都府立朱雀高等学校)中途退学、同志社大学文学部卒業。 1936年、ブラジルに渡り、現地の日本人(兄の友人)と結婚。1951年、日本に一時帰国する。 1952年、絵画の制作を始める。1968年、ブラジル国籍取得。 2015年2月12日、気管支肺炎による敗血症性ショックのため入院先のサンパウロの病院で死去。
大宮 隆(おおみや たかし 1913年(大正2年)4月23日… 大宮 隆(おおみや たかし 1913年(大正2年)4月23日 - 2007年(平成19年)6月4日)は、日本の実業家。寳酒造株式会社元会長・社長を務め、京都財界の顔役の一人だった。宝ホールディングス会長の大宮久は子。
李 万根(イ・マングン、朝鮮語: 이만근、1913年1月11… 李 万根(イ・マングン、朝鮮語: 이만근、1913年1月11日 - 1959年9月2日)は、日本統治時代の朝鮮、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国の実業家、警察官僚、政治家。制憲韓国国会議員。 忠清北道清原郡出身。清州公立高等普通学校を卒業後、1937年に同志社大学法学部経済学科卒。光復後は米軍政庁警務部官房勤務を経て、行政官補官房庶務課長、監察官、総警補官房長、第1管区警察庁副庁長(1947年8月より)、制憲国会議員、国会内務治安委員会委員、無所属議員からなる国策研究会メンバー、国会治安・民政視察団(慶尚道)メンバーを務めた。1949年9月に民主国民党に入党し、1950年4月に趙炳玉を次期国務総理に推薦したが、朝鮮戦争中の1950年7月2日にソウルで北朝鮮に拉致され、西大門刑務所に収容された。
平石 善司(ひらいし よしもり、1912年 - 2006年3… 平石 善司(ひらいし よしもり、1912年 - 2006年3月20日)は、日本の哲学研究者、同志社大学名誉教授。 同志社大学文学部神学科卒業、広島文理科大学哲学科卒業。1961年「フィロンのロゴス論」で広島大学文学博士。同志社大学助教授、教授、1982年定年退任、名誉教授。
竹田 助一(たけだ すけかず、1911年9月2日 - 没年不… 竹田 助一(たけだ すけかず、1911年9月2日 - 没年不明)は、兵庫県出身のプロ野球選手。 旧制姫路中学、同志社大学を経て1936年に阪急軍へ入団。同年秋季リーグ終了後退団。
小南 弘久(こなみ ひろひさ、1911年 <明治44年> 9… 小南 弘久(こなみ ひろひさ、1911年 <明治44年> 9月2日 - 1977年 <昭和52年> 7月24日)は、日本の経営者。日動火災海上保険社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1932年に同志社大学予科を中退し、1939年に日動火災海上保険に入社。 1959年に取締役に就任し、1960年に常務、1962年に専務を経て、1964年に社長に就任。1966年2月までに社長を務め、同年6月には相談役に就任した。 1968年12月に日本サラリーマンユニオンを設立し、代表にも就任した。 1977年7月24日、出血性脳梗塞のために死去。65歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
野村 かつ子(のむら かつこ、1910年11月26日 - 2… 野村 かつ子(のむら かつこ、1910年11月26日 - 2010年8月21日)は、日本の社会運動家。生活協同組合の組織など、消費者運動に取り組んだ。 京都市西陣の商家、稲垣家に生まれ、カツと名付けられる。姉・貞(後の鑓田貞子)の影響もあり、早くからキリスト教に傾倒する。 京都府立京都第一高等女学校(京都府立鴨沂高等学校の前身)から、同志社女子専門学校(同志社女子大学の前身)英文科に進み、賀川豊彦、中島重などの薫陶を受ける。 女専在学中に同志社大学法学部の学生だった野村治一と結婚。かつ子は1931年に女専を卒業し、夫との間に長女と長男をもうけた。夫・治一は、同志社大学法学部に助手として残り、やがて助教授に昇任したが、1937年に肺結核のため他界した。