平田 次郎(ひらた じろう、1933年(昭和8年)8月9日 … 平田 次郎(ひらた じろう、1933年(昭和8年)8月9日 - 1993年(平成5年)3月15日)は、日本の政治家。香川県宇多津町長(6期)。 香川県立丸亀高等学校、明治大学法学部卒業。1963年(昭和38年)から1970年(昭和45年)まで宇多津町議会議員を2期務め、1970年(昭和45年)から1993年(平成5年)まで宇多津町長を6期務める。1991年(平成3年)から1993年(平成5年)まで香川県町村会会長を務めた。 父は第10代(公選3代)宇多津町長 平田三次郎。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
蓮実 進(はすみ すすむ、1933年2月12日 - )は、日… 蓮実 進(はすみ すすむ、1933年2月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(当選4回)。 栃木県那須郡那須町に七人兄弟の五男として生まれる。栃木県立大田原高等学校、明治大学政治経済学部を卒業する。 作新学院の経営者・船田中の秘書として25年間勤める。また、1978年の江川事件にも関わった。 1983年、栃木県選挙区の参議院議員補欠選挙に立候補するも落選。以降、衆議院議員総選挙に旧栃木1区より2回出馬するが、いずれも落選。 1993年、第40回衆議院議員総選挙で旧栃木1区から初当選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の第41回衆議院議員総選挙では、栃木3区の党公認をめぐって新人の渡辺喜美と激しく争ったが、最終的には比例代表に回り、2期目の当選を果たす。
福岡 宗也(ふくおか そうや、1932年10月 - 2000… 福岡 宗也(ふくおか そうや、1932年10月 - 2000年4月11日)は元衆議院議員(1期)。
藤森 英二(ふじもり えいじ、1932年〈昭和7年〉7月25… 藤森 英二(ふじもり えいじ、1932年〈昭和7年〉7月25日 - 2018年〈平成30年〉4月4日)は、日本の政治家。郡山市長(3期)を務めた。 長野県諏訪市出身。福島県立安積高等学校卒業。 1955年(昭和30年)明治大学商学部卒業。同年郡山市役所に入り、総務部長、保健衛生部長などを歴任する。 1989年(平成元年)の市長選に立候補したが、この時は現職の青木久に敗れた。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:71.27%(前回比:-pts) 1993年(平成5年)の市長選に社会党、日本新党の推薦を受けて立候補して、自民党前県議の新人を破って初当選する。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:67.55%(前回比:-pts) 1997年(平成9年)郡山市を東北初の中核市に移行させる。
海老澤 順三(えびさわ じゅんぞう、1932年〈昭和7年〉2… 海老澤 順三(えびさわ じゅんぞう、1932年〈昭和7年〉2月11日 - 2025年〈令和7年〉3月13日)は、日本の政治家。位階は従四位。元北海道北斗市長(1期)上磯町長(8期)。 北海道上磯郡上磯町(現北斗市)出身。明治大学農学部卒。上磯町役場に入り、町議会事務局長を経て、1975年(昭和50年)、上磯町長に当選する。以来上磯町が合併するまで連続8期務めた。この間、道町村会会長、道漁港協会副会長を務めた。 2005年(平成17年)12月、翌年2月の北斗市発足による市長選挙に立候補を表明、市長選挙には元大野町長や元上磯町議が立候補、3人の争いになった。選挙の結果、海老澤が当選した。 北斗市長を1期務め、2010年(平成22年)に退任。
芝崎 亨(しばざき とおる、1931年(昭和6年)7月4日 … 芝崎 亨(しばざき とおる、1931年(昭和6年)7月4日 - 1999年(平成11年)10月20日)は、昭和から平成時代初期の政治家。埼玉県東松山市長。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 埼玉県出身。1953年(昭和28年)明治大学商学部卒業。1959年(昭和34年)以来東松山市議会議員を3期務め、1974年(昭和49年)同市長に就任し、5期務めた。退任後は、東松山市施設管理公社理事長を務めた。1999年死去。死没日付をもって正五位に叙され、勲三等瑞宝章を追贈された。
白木沢 桂(しらきざわ かつら、1931年〈昭和6年〉3月2… 白木沢 桂(しらきざわ かつら、1931年〈昭和6年〉3月27日 - 2008年〈平成20年〉10月4日)は、日本の政治家。岩手県大船渡市長(2期)。岩手県議会議員(2期)。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 岩手県出身。明治大学政経学部卒。1975年から岩手県議を2期務め、1986年、大船渡市長に当選した。市長を2期務めたが、1994年の選挙で元大船渡市議の甘竹勝郎に敗れた。2001年春の叙勲で勲四等瑞宝章を受章。2008年に死去。死没日付をもって従五位に叙された。
内藤 功(ないとう いさお、1931年3月2日 - )は、日… 内藤 功(ないとう いさお、1931年3月2日 - )は、日本の弁護士、政治家。日本共産党所属の元参議院議員(2期)。日本共産党名誉幹部会顧問。日本平和委員会代表理事。自由法曹団本部常任幹事。 東京都中央区出身。1952年明治大学法学部卒業後、同大学講師にて教鞭を執りながら弁護士として活動。恵庭事件や砂川事件、長沼ナイキ基地訴訟など憲法裁判で弁護団に関わったほか、恵庭裁判の過程で統幕会議事務局長を法廷で証人喚問、自衛隊による有事研究(三矢研究)を明らかにしたことでも知られる。 1974年の参院選に全国区から立候補し初当選。2期12年参議院議員を務めたが、1989年の参院選で落選するとそのまま政界を引退する。
上野 建一(うえの けんいち、1931年2月25日 - )は… 上野 建一(うえの けんいち、1931年2月25日 - )は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(2期)。 山形県鶴岡市生まれ。1945年2月に、海軍少年兵に志願して、防府海軍通信学校に入った。復員後、鶴岡市役所土木課に勤める。県立鶴岡高等学校(現・山形県立致道館高等学校)定時制在学中に社会党に入党した。1953年、高校を卒業した。同年、上京して『社会タイムス』の記者となった。『社会タイムス』が1954年に休刊すると同年社会主義協会に入局、『社会主義』編集などに携わる。明治大学法学部中退。1962年10月に社会主義協会を退職した。 1963年千葉県議に当選し4期務めた。三里塚闘争初期において小川国彦らとともに支援活動を行う。
三浦 久(みうら ひさし、1931年1月1日 - 2024年… 三浦 久(みうら ひさし、1931年1月1日 - 2024年4月3日)は、日本の政治家、弁護士。元衆議院議員(日本共産党所属、通算5期)。日本共産党名誉幹部会顧問。 秋田県北秋田郡阿仁合町(阿仁町を経て現在は北秋田市)出身。1954年明治大学法学部を卒業後、弁護士となる。総評弁護団にて三井三池争議の弁護を担当していた縁で北九州市に居住、同地に弁護士事務所を開設。地元北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)から西日本一帯に広まったカネミ油症事件では弁護団の副団長も務めた。 1971年の北九州市長選に社共共闘で出馬するも無所属現職の谷伍平(自民、民社推薦)に敗れる。翌年の総選挙で旧・福岡4区から出馬し初当選を果たす。
青木 伊平(あおき いへい、1930年12月9日 - 198… 青木 伊平(あおき いへい、1930年12月9日 - 1989年4月26日)は、日本の議員秘書。竹下登の秘書として知られている。 島根県簸川郡大社町(現・出雲市)出身。島根県立大社高等学校、明治大学工学部卒業。大学卒業後、ベアリングメーカーに就職したが1953年に島根選出の高橋円三郎衆議院議員の秘書となって政界に職を得る。1956年に高橋が死亡したためやはり島根選出の小瀧彬の秘書となる。1958年に小瀧が死去すると、ほぼ同時期に高橋の地盤を継いで衆議院議員となった竹下登の秘書となる。以降、竹下が首相の座に上り詰めるまで、30年間にわたり秘書を勤める。 初当選当時の竹下は、県議時代から議員報酬の大半を政治活動に充てるなど、家計が自転車操業状態にあった。
石田 幸四郎(いしだ こうしろう、1930年〈昭和5年〉8月… 石田 幸四郎(いしだ こうしろう、1930年〈昭和5年〉8月22日 - 2006年〈平成18年〉9月18日)は、日本の政治家。 衆議院議員(10期)、公明党委員長(第5代)、総務庁長官(第13・14代)、公明新党代表(初代)、新進党副党首、公明党最高顧問を歴任した。実兄は参議院議員を務めた石田次男。 北海道札幌市生まれ。旧制明治中学、明治大学商学部を卒業後、聖教新聞広告部に務める。 1967年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に旧愛知6区から立候補し、初当選(通算10期)。公明党臨時党大会で公明党副書記長に就任し、19年に渡り務める。 1986年12月、衆参同日選挙後に行われた公明党大会で公明党筆頭副委員長に就任する。
今井 英二(いまい ひでじ、1930年(昭和5年)7月27日… 今井 英二(いまい ひでじ、1930年(昭和5年)7月27日 - 1994年(平成6年)7月13日)は、昭和から平成時代の政治家。福島県白河市長。 白河市出身。明治大学商学部中退。中退後は帰郷し、家業の製麺工場を経営する。その傍ら白河青年会議所に入り、理事長となる。 1973年(昭和48年)から2期白河市長を務め、1981年(昭和56年)落選。1989年(平成元年)4月、再選し通算4期務めた。1994年(平成6年)7月、急性心不全のため死去。
桑名 義治(くわな よしはる、1930年3月18日 - 20… 桑名 義治(くわな よしはる、1930年3月18日 - 2021年1月2日)は、日本の元政治家。元公明党衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)。 福岡県出身。1956年明治大学法学部卒。福岡県議を経て、1969年の第32回衆議院議員総選挙で福岡4区から公明党公認で立候補して当選。1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選。1974年の第10回参議院議員通常選挙で福岡県選挙区から公明党公認で立候補して当選。2期務める。参議院運輸委員長、党中央委員などを歴任した。1986年の第14回参議院議員通常選挙で落選した。 2021年1月2日11時35分、誤嚥性肺炎のため、北九州市内の病院で死去。90歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
小枝 英勲(こえだ ひでのり、1929年〈昭和4年〉6月1日… 小枝 英勲(こえだ ひでのり、1929年〈昭和4年〉6月1日 - 2014年〈平成26年〉8月12日)は、日本の政治家。岡山県久米郡中央町長。岡山県議会議員・議長。(自由民主党)。 岡山県久米郡加美村(加美町→中央町を経て、現在の美咲町)原田に生まれる。旧制岡山県立津山中学校(現在の岡山県立津山中学校・高等学校)を経て、明治大学法学部を卒業する。卒業後は、アメリカのスタンフォード大学大学院に学び、修了する。帰国後は全国農業協同組合中央会に入り、経理課長、教育部次長などを務める。その後、帰郷し、1976年の衆議院議員総選挙に岡山1区から新自由クラブ公認で立候補したが、落選した。3年後の1979年の総選挙では無所属で立候補したが落選した。
富塚 三夫(とみづか みつお、1929年2月27日 - 20… 富塚 三夫(とみづか みつお、1929年2月27日 - 2016年2月20日)は、日本の労働運動家、政治家。元日本労働組合総評議会(総評)事務局長、日本社会党衆議院議員(2期)。 福島県伊達郡国見町出身。1943年、国有鉄道に就職。1955年3月、明治大学政治経済学部(二部)卒。 1966年に国労東京地方本部委員長、1973年に国労本部書記長となる。 1975年の統一ストライキ(スト権スト)においては、公労協代表幹事として取り組んだ。 1976年7月から1983年7月まで7年間総評事務局長を務めた。 1983年12月の衆議院議員総選挙に旧神奈川5区より日本社会党公認で立候補し当選。1986年の総選挙は落選したが、1990年に返り咲く。
小林 一夫(こばやし かずお、1929年(昭和4年)1月24… 小林 一夫(こばやし かずお、1929年(昭和4年)1月24日 - 2007年(平成19年)12月13日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県熊谷市長。埼玉県議会議員(1期)。熊谷市名誉市民。 位階は従四位。現熊谷市長の小林哲也は実子。 埼玉県大里郡熊谷町(現熊谷市)出身。明治大学法学部卒業。熊谷市議会議員(3期)、同議長を経て、1983年(昭和58年)、自由民主党公認で埼玉県議会議員に当選。ついで1期目途中の1986年(昭和61年)、熊谷市長増田敏男の衆院選立候補(落選)による辞職に伴う市長選挙に立候補し、当選した。市長は2002年まで4期務めた。2007年死去。死没日付をもって従四位に叙された。
三枝 安茂(みえだ やすしげ、1928年〈昭和3年〉10月2… 三枝 安茂(みえだ やすしげ、1928年〈昭和3年〉10月24日 - 2025年〈令和7年〉2月28日)は、日本の政治家。位階勲等は従四位旭日中綬章。埼玉県春日部市長(5期)等を歴任した。 埼玉県出身。旧制埼玉県立粕壁中学校(現在の埼玉県立春日部高等学校)を経て、海軍通信学校に入る。戦後、明治大学商学部に入り、1949年(昭和24年)に卒業する。卒業後は幸手町(現在の幸手市)の肥料店に勤務する、1955年(昭和30年)、春日部市議会議員に当選。市議を6期務め、副議長、議長になる。6期目途中の1978年(昭和53年)、春日部市助役となる。1986年(昭和61年)春日部市長に当選。春日部市長を5期務める。
五十嵐 悦郎(いがらし えつろう、1928年(昭和3年)9月… 五十嵐 悦郎(いがらし えつろう、1928年(昭和3年)9月30日 - 2000年(平成12年)1月3日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道留萌市長。留萌市名誉市民。位階は従六位。勲五等瑞宝章。 留萌市出身。旧制留萌中学校を経て、明治大学商学部を卒業。 1951年(昭和26年)北海道庁に入り、留萌支庁総務課勤務を経て、1969年(昭和44年)留萌市役所に転じた。企画室長、産業港湾部長、総務部長を経て、1983年(昭和58年)助役に就任。1984年(昭和59年)7月、退任。 留萌商工会議所専務理事を経て、1986年(昭和61年)の留萌市長選に市民党として出馬し、当選。1994年(平成6年)まで2期8年間市長を務めた。
許 佶(ホ・ギル、朝鮮語: 허길、1928年7月10日 - … 許 佶(ホ・ギル、朝鮮語: 허길、1928年7月10日 - 2016年3月18日)は、大韓民国の実業家、政治家。第5代韓国国会議員。 本貫は陽川許氏。キリスト教徒。元法務法人太平洋顧問の許京旭(朝鮮語版)は息子。 日本統治時代の京畿道金浦郡(現・金浦市)出身。城東高等学校、東国大学(現・東国大学校)専門部文科大学卒。高麗大学校政法大学法科2年修了。明治大学政経学部3年卒、同大学院国際政治科2年修了。共盛染料株式会社専務理事・専務取締役、大韓行政学会理事、陽川許氏中央宗親会顧問、陽川許氏本山宗親会長・長安宗親会長、民主党中央党常務委員・中央委員・金浦郡党委員長を務めた。 2016年に死去。享年88。
鍛治 清(かじ きよし、1928年2月18日 - 2019年… 鍛治 清(かじ きよし、1928年2月18日 - 2019年3月6日)は、日本の政治家。位階は従四位。 元公明党衆議院議員(5期)。 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)出身。1948年明治工専 (現・明治大学工学部) 卒。北九州市議を3期務めた後、1975年の北九州市市長選挙に立候補したが落選した。翌1976年の第34回衆議院議員総選挙で旧福岡4区から立候補して初当選。この間、公明党福岡県副本部長、公明党中央委員を務めた。1993年に政界から引退した。1998年勲二等瑞宝章受章。 2019年3月6日、心不全のため北九州市内の病院で死去。91歳没。叙従四位。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
佐藤 孝行(さとう こうこう、本名読み:さとう たかゆき、1… 佐藤 孝行(さとう こうこう、本名読み:さとう たかゆき、1928年〈昭和3年〉2月1日 - 2011年〈平成23年〉5月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)、運輸政務次官、国務大臣総務庁長官(第20代)、自民党総務会長(第34代)、自由民主党行政改革推進本部長などを歴任した。 北海道瀬棚郡北檜山町(現久遠郡せたな町)出身。旧制函館中学定時制、明治大学政治経済学部政治学科卒業。 自民党の実力者・河野一郎の秘書を経て、1963年の衆院選で旧北海道3区から初当選し以後11期当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
小川 進(おがわ すすむ、1927年〈昭和2年〉6月2日 -… 小川 進(おがわ すすむ、1927年〈昭和2年〉6月2日 - 1996年〈平成8年〉9月11日)は、日本の政治家、千葉県四街道市長(2期)。 千葉県出身。明治大学政治経済学部卒。印旛郡千代田町(のち四街道町を経て、四街道市)役場に入り、教育長、収入役を務めた。1992年の四街道市長選挙に立候補し、初当選する。1996年に再選。当選後の9月に死去した。
加藤 卓二(かとう たくじ、1926年9月19日 - 200… 加藤 卓二(かとう たくじ、1926年9月19日 - 2004年7月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期、自由民主党)。 埼玉県小鹿野町出身。1951年明治大学専門部法科卒。 秩父長瀞の舟下りの会社や、池袋のロサ会館経営など、さまざまな事業を手がけた。1983年の第37回衆議院議員総選挙で旧埼玉3区から立候補して当選。衆議院議員を5期務めた。 竹下改造内閣の総務政務次官、第2次海部内閣の労働政務次官、小渕第2次改造内閣と第1次森内閣の建設政務次官などを務めた。 2000年(平成12年)春の叙勲で勲一等瑞宝章受章。 2004年7月22日、敗血症のため東京都新宿区の病院で死去、77歳。
波多野 重雄(はたの しげお、1926年(大正15年)2月1… 波多野 重雄(はたの しげお、1926年(大正15年)2月11日 - 2023年(令和5年)4月14日)は、日本の税理士、政治家。東京都八王子市長(第22・23・24・25代、4期)。 山梨県北都留郡上野原町(現:上野原市)出身。 1950年明治大学商学部卒業。1958年税理士開業。1975年東京税理士会会長を経て、1984年自民党、公明党、新自由クラブ推薦で八王子市長選挙に立候補し初当選。1988年自民党、公明党、民社党推薦で再選。1992年自民党、公明党、民社党、社民連推薦で3選。1996年自民党推薦で4選。1999年からは東京都市長会会長も務めた。2000年に5選を目指して立候補した市長選では、多選批判を受ける形で元東京都議会議員の黒須隆一に倍以上の票差を付けられて、落選した。
渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 19… 渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 1998年8月1日)は、日本の政治家。衆議院議員。熊本県八代市出身。旧制八代中学、明治大学法学部卒業。 坂田道太の秘書を経て政界入り。1990年、第39回衆議院議員総選挙に坂田の後継者として旧熊本2区から自由民主党公認で立候補し、初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・藤井裕久・鈴木俊一・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・簗瀬進など)。2期務め、河本派に所属した。この間、防衛政務次官、衆議院文教委員会理事、衆議院安全保障委員会委員、衆議院厚生委員会委員、石炭対策特別委員会委員などの要職を歴任。
斉藤 一雄(齋藤 一雄、さいとう かずお、1925年(大正1… 斉藤 一雄(齋藤 一雄、さいとう かずお、1925年(大正14年)1月30日 - 2005年(平成17年)10月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、東京都議会議員(4期)。東京神田出身。 1952年(昭和27年)明治大学商学部を卒業する。労働組合に入り、東京都労連政治部長、東京地評副議長などを歴任し、1973年(昭和48年)東京都議会議員に当選する。以後4回当選。1986年(昭和61年)日本社会党自治体議員団全国会議議長を務める。 1990年(平成2年)第39回衆議院議員総選挙に社会党公認で旧東京3区から立候補し初当選、当選1回。社会党東京都本部委員長、衆議院環境委員会理事などを歴任した。
内田 喜久(うちだ よしひさ、1925年(大正14年)1月5… 内田 喜久(うちだ よしひさ、1925年(大正14年)1月5日 - )は、日本の政治家、新聞記者。愛知県岡崎市長(3期)、愛知県議会議員(2期)を歴任した。「喜久」を音読みして「きく」と読まれることも多い。 長男の内田康宏を擁立した1980年6月の衆院選で、検挙者128人(うち逮捕者55人)におよぶ空前の選挙違反事件を引き起こした。愛知県警が解明しただけでも計4,424万円の現金をばらまき、自身のほか、県議1人、岡崎市議25人、安城市議7人、幸田町議6人、旧額田町議4人が逮捕された。長年にわたる土建業者との癒着も暴かれ、同年8月、収賄容疑で再逮捕された。 愛知県岩津村井ノ口(現・岡崎市井ノ口町字楼)に、農業を営む父:内田松太郎、母:かまの三男として生まれる。
野口 岡治(のぐち おかじ、1924年〈大正13年〉9月21… 野口 岡治(のぐち おかじ、1924年〈大正13年〉9月21日 - 1996年〈平成8年〉8月20日)は、日本の政治家、千葉県富津市長(1期)。元千葉県議会議員(自由民主党)。 千葉県出身。旧制木更津中学校を経て、明治大学商学部卒。豊橋第二陸軍予備士官学校に入るが、終戦により閉校。戦後、陸上自衛隊に入り、一等陸尉に進む。南房総開発(株)代表取締役、木更津信用金庫理事、(株)南房総クラブ代表取締役を務めた。 政界では君津郡天羽町(のち富津町を経て、富津市)議会議員、同町長となり、千葉県議会議員を5期務め、議長を務めた。また、自民党千葉県連副幹事長、政調会長、総務会長などを務めた。1991年に落選。
和田 一仁(わだ かずひと、1924年7月30日 - 201… 和田 一仁(わだ かずひと、1924年7月30日 - 2010年12月8日)は、衆議院議員(5期)。元民社党副書記長。 東京都生まれ。明治大学卒業。商工省に入り、その後西尾末広の秘書を経て、1969年の第32回衆議院議員総選挙と1972年の第33回衆議院議員総選挙に埼玉1区から民社党で立候補するが、落選。1979年の第35回衆議院議員総選挙で選挙区を埼玉5区に移し、初当選。以後連続5回当選。1981年、民社党統制委員。1993年の第40回衆議院議員総選挙で落選し、政界引退。1994年、勲二等瑞宝章受章。2010年、多臓器不全のため死去。
林 迶(はやし ゆう、1924年5月19日 - 1994年2… 林 迶(はやし ゆう、1924年5月19日 - 1994年2月11日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。労働大臣(第48代)。 逓信相や農商務相を歴任した林有造の孫、副総理や衆議院議長などを歴任した林譲治の長男。弟・林遉(さすが)は宿毛市市長を務めた。 高知県出身。明治大学政経学部卒業後、東邦レーヨンに勤務。1974年参議院高知県選挙区補欠選挙で当選し、3期務める。 1979年6月6日、参議院本会議で元号法案に対し自由民主党・自由国民会議を代表し賛成討論を行った。 1985年、第2次中曽根第2次改造内閣の労働大臣に就任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選。翌1990年の第39回衆議院議員総選挙に無所属で出馬したが、再度落選し引退。
村山 富市(むらやま とみいち、1924年〈大正13年〉3月… 村山 富市(むらやま とみいち、1924年〈大正13年〉3月3日 - 2025年〈令和7年〉10月17日)は、日本の政治家。労働組合指導者。位階は正二位。勲等は大勲位。 労働組合運動から日本社会党に所属し政治家となり、大分県大分市議会議員(2期)、大分県議会議員(3期)、衆議院議員(8期)、日本社会党委員長(第13代)、内閣総理大臣(第81代)、社会民主党党首(初代)、名誉党首を歴任した。 1955年の自由民主党発足以降の内閣総理大臣で初の自民党所属歴が無い内閣総理大臣である。現在に至るまでこの事例は3名のみである。 歴代の内閣総理大臣では東久邇宮稔彦王に次いで2番目の長寿記録保持者(101歳228日)である。
羅 吉祚(ナ・ギルジョ、朝鮮語: 나길조、1923年2月3日… 羅 吉祚(ナ・ギルジョ、朝鮮語: 나길조、1923年2月3日 - 2008年4月11日)は、大韓民国の法曹、政治家。第11代韓国国会議員。本貫は羅州羅氏。 元教育部政策企画官の羅向栯(朝鮮語版)は従甥。 日本統治時代の慶尚南道馬山府出身。1943年に明治大学法学部卒。1947年に第1回朝鮮弁護士試験合格。釜山地方検察庁、全州地方検察庁、ソウル地方検察庁、大邱地方検察庁で検事を務めた後、1962年に清州地方検察庁検事長、1964年に全州地方検察庁検事長、1966年に法務部企画管理室長、1969年に大検察庁検事、1971年に釜山地方検察庁検事長、全国密輸合同捜査本部長、1973年に光州高等検察庁検事長、1975年に大法院判事、憲法委員、1981年に第11代国会議員を歴任した。
宮田 輝(みやた てる、1921年12月25日 - 1990… 宮田 輝(みやた てる、1921年12月25日 - 1990年7月15日)は、日本のアナウンサー、政治家。参議院議員(3期)。本名、宮田 輝(みやた あきら)。妻は声優の河口恵美子。 東京都足立区出身。血液型B型。明治大学専門部商科卒業。1942年にNHKに入局。NHKにおいて、高橋圭三や青木一雄らと同じく、「芸能番組向けアナウンサー」の先鞭を付けた人物の一人に数えられる。1974年に同局退職後、参議院議員(3期)を務めながらフリーアナウンサーとしても活躍。1990年、議員在職中に死去。 1942年9月に明治大学専門部商科卒業。同年NHKに入局。同期に高橋圭三がいる。1948年10月21日に東京放送劇団の団員であった河口恵美子と結婚。
青木 來三郎(あおき らいざぶろう、1921年 <大正10年… 青木 來三郎(あおき らいざぶろう、1921年 <大正10年> 11月 - 2007年 <平成19年> 12月30日)は、茨城県の政治家。自由民主党所属の元茨城県議会議員。位階は正五位。旭日中綬章。 明治大学卒業。第76代茨城県議会議長。 古河市議会議員(3期)、同市助役(当時)を経て、1963年の茨城県議会議員選挙に出馬したが、落選。1967年の出直し県議選にて初当選。以後10期連続当選。古河市古河地区のJR宇都宮線高架化などに尽力した。県議会議長在職中にはつくば万博を成功させ、「万博議長」と呼ばれた。 2006年12月10日の県議選に出馬せず、政界を引退。同年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。2007年12月30日、急性心不全により死去。
山口 吉暉(やまぐち よしてる、1921年7月27日 - 2… 山口 吉暉(やまぐち よしてる、1921年7月27日 - 2006年7月15日)は、日本の政治家。千葉県勝浦市長(8期)。 千葉県出身。1943年明治大学専門部卒。1963年勝浦市議会議員に当選し1期務める。1967年勝浦市長に当選。以来連続8期32年務める。在職中国際武道大学を勝浦市に誘致し、開学した。同大学の副理事長や日本武道館常任理事を務めた。1999年退任する。2002年勲三等旭日中綬章受章。2006年7月15日死去、84歳。死没日をもって従四位に叙される。
呉 鐸根(オ・タックン、ご たくこん、大正10年(1921年… 呉 鐸根(オ・タックン、ご たくこん、大正10年(1921年)6月12日 - 2013年9月15日)は、韓国の政治家。元検察総長、法務部長官。 元財務部長官の千炳圭は姉妹の夫。元国会議員の金龍周の息子の1人(金武星の兄)は娘婿。 1921年、慶尚北道義城にて出生。本貫は海州呉氏。1943年、明治大学法学部卒業(戦時下の繰り上げ卒業)。史上最年少で日本の高等文官試験(後の国家公務員Ⅰ種試験)に合格。1950年、大邱地検検事に着任して以降、累進し、検察総長、法務長官などを務めた。
本橋 保正(もとはし やすまさ、1921年(大正10年)3月… 本橋 保正(もとはし やすまさ、1921年(大正10年)3月7日 - 2015年(平成27年)9月21日)は、日本の政治家。東京都杉並区長(1期)。 杉並区内で生まれ育った。明治大学専門部政治経済学科卒業後東京都に入職。1963年芝授産事業所長を経て、1965年に杉並区役所に移る。土木部管理課長、1969年総務部総務課長、1971年区民部長、1974年総務部長を務める。 1979年にエコー保険企画社長に就任、1980年、安田火災海上保険顧問に就く。同年杉並区収入役、1983年に助役就任。 1995年4月23日に行われた杉並区長選挙に自民党・社会党・公明党の推薦を得て立候補。3人の候補者を破り初当選した。
金 鍾哲(キム・ジョンチョル、朝鮮語: 김종철、1920年1… 金 鍾哲(キム・ジョンチョル、朝鮮語: 김종철、1920年11月7日 - 1986年11月4日)は、大韓民国の政治家、実業家。第4・7・8・9・10・12代韓国国会議員。 本貫は順天金氏(朝鮮語版)、号は白岩(ペガム、백암)。実業家の金鍾喜と第13代国会議員の金鍾植は弟、実業家の金升淵と金昊淵は甥。 忠清南道天安郡に生まれた。1942年、明治大学商科卒。解放後は右翼青年団体の大同青年団本部宣伝・教育部長を務め、士官学校と軍事英語学校の設立など韓国国軍の創設にも財政支援をした。1952年に弟の金鍾喜と共に現在のハンファグループ(当時は「韓国火薬」)を設立し、会長を務めた。他に韓国ベアリング・韓国化成・太平物産株式会社理事会会長、大韓フィールドホッケー協会会長も務めた。
杉元 恒雄(すぎもと つねお、1920年(大正9年)10月1… 杉元 恒雄(すぎもと つねお、1920年(大正9年)10月15日 - 1997年(平成9年)2月16日)は、日本の税理士、司法書士、政治家。参議院議員(1期)。 1920年、現在の宮城県大和町にて出生。 明治大学専門部商科卒後、杉元会計事務所を設立、税理士、司法書士として活動する。 政界に転じ、神奈川県議会議員から、県議会議長に就任し、党県連幹事長、県経営診断協会理事長、県遺族会副会長などを兼務。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に神奈川県選挙区より自由民主党公認で立候補し、初当選。環境政務次官などを務めた。 任期中、体調を崩す。1988年10月24日、自民党神奈川県連は、病気療養中で政治活動が困難と判断し、翌年の参院選をめぐり杉元の出馬とりやめを決めた。
梁 粛戎(りょう しゅくじゅう、1920年〈民国9年〉8月8… 梁 粛戎(りょう しゅくじゅう、1920年〈民国9年〉8月8日 - 2004年〈民国93年〉8月27日)は、中華民国(台湾)の政治家。立法院長を務めた。 1920年、奉天省昌図県で出生する。 1941年、満洲国長春法政大学(長春大学)卒業。大学在学中の1939年に中国国民党の秘密党員となり、地下工作員として抗日活動に従事した。満州国の官吏養成機関であった大同学院、司法官訓練所で学ぶ。立法委員となってから、日本の明治大学で修士号を取得した後、1976年に博士号を取得(法学)。 満州国の検察官となるが、工作員であることが発覚して1944年3月に逮捕され、1945年(康徳12年)5月に満洲国法院で懲役12年の実刑判決を受けて服役する。
有馬 輝武(ありま てるたけ、1920年(大正9年)6月20… 有馬 輝武(ありま てるたけ、1920年(大正9年)6月20日 - 2003年(平成15年)1月10日)は、昭和期の農林技官、労働運動家、政治家、俳人。衆議院議員(3期)。俳号・明彦(あきひこ)。 後の鹿児島県西之表市出身。海軍予備学生として出征し、海軍中尉で解員(復員)した。1946年(昭和21年)明治大学商学部を卒業した。 復員後は鹿児島食糧事務所勤務で組合運動に従事し、同所の労働組合委員長となる。全食糧労働組合の副委員長に就任するため1948年農林省食糧庁に転じ、農林技官兼農林事務官に任官。その後、全食糧労働組合中央執行副委員長、同中央執行委員長、全農林労働組合中央執行副委員長、同書記長、同中央執行委員長、鹿児島地方労働組合評議会事務局長などを務めた。
天野 房三(あまの ふさぞう、1919年(大正8年)11月1… 天野 房三(あまの ふさぞう、1919年(大正8年)11月17日 - 2020年(令和2年)3月24日)は、昭和から平成時代の政治家。東京都渋谷区長。 東京府東京市神田区(現千代田区西神田)出身。1944年、明治大学専門部文科卒業。 1949年、渋谷区役所に入庁。1966年、渋谷区区民部長。1968年、総務部長。1970年、助役。 1975年、東京都の特別区において区長の公選選挙が復活。4月27日に行われた渋谷区長選挙に、自民党の推薦を得た天野、社会党・民社党の推薦と公明党の支持を得た北田繁、共産党公認の羽渕三良の3人が立候補し、天野が次点の北田を70票差で下し、初当選した(天野:38,966票、北田:38,896票、羽渕:8,863票)。
山下 徳夫(やました とくお、1919年10月7日 - 20… 山下 徳夫(やました とくお、1919年10月7日 - 2014年1月1日)は、日本の政治家。位階は正三位。 厚生大臣、内閣官房長官、総務庁長官、運輸大臣、衆議院議員などを歴任。 佐賀県伊万里市出身。山下徳次郎の長男として誕生。福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)卒業後、明治大学専門部法科を経て、1944年、専修大学法学部卒業。 父の徳次郎は1926年に炭鉱向け材木店(現・ヤマシタ)を創業。大学卒業後の1947年に佐賀県議会議員に初当選。1949年に父の家業である山下徳次郎商店の代表取締役に就任する。その後、日本杭木協会理事や全国木材協会理事、佐賀県木材協会会長を歴任し佐賀県議会にて議員4期・議長2選を経て、1969年、旧佐賀県全県区から第32回衆議院議員総選挙に立候補し、初当選(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・林義郎・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
佐藤 文生(さとう ぶんせい、1919年7月21日 - 20… 佐藤 文生(さとう ぶんせい、1919年7月21日 - 2000年4月25日)は、日本の政治家。明治大学専門部卒業。別府市名誉市民。ジェラルド・カーティスの著書『代議士の誕生』のモデルとして知られた。 大分県別府市西部の温泉旅館主佐藤倉八の長男として出生。 地元の初等・旧制中学校を経て、明治大学専門部政治経済科に入学。1939年の卒業後、まもなく第二次世界大戦が勃発。陸軍大尉として従軍する。終戦後別府に戻り自動車セールスマンとして働きながら、「日本の伝統の良さを守りたい」という思いから政治に関心を持ち始めた。 佐藤家には政治家と直接のコネはなく、政界進出には大きな壁があった。そこで佐藤は実の妹を大分県議会議長の荒金啓治の子息に嫁がせた。
丸谷 金保(まるたに かねやす、1919年〈大正8年〉6月2… 丸谷 金保(まるたに かねやす、1919年〈大正8年〉6月25日 - 2014年〈平成26年〉6月3日)は、日本の政治家。従四位。 北海道中川郡池田町町長、参議院議員(2期)などを歴任した。コンビニエンスストアチェーン・セイコーマート会長の丸谷智保は長男。 北海道中川郡池田町で理髪店の長男として生まれる。1942年、明治大学専門部法科を卒業した。在学中には哲学研究部に入り、穂積五一が運営する私塾で学生寮の「至軒寮」に出入りして、小林與三次、村山富市など保守革新を問わない幅広い人脈を築く。この時の人脈はのちに十勝ワインの販路拡大にも生かされる。 十勝日日新聞の編集長を務める傍ら農民運動に携わり、日本社会党に入党した。
原田 憲(はらだ けん、1919年(大正8年)2月12日 -… 原田 憲(はらだ けん、1919年(大正8年)2月12日 - 1997年(平成9年)1月29日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(14期)、運輸大臣、郵政大臣、経済企画庁長官を歴任した。長男は衆議院議員の原田憲治。 大阪府出身。父親は大阪府議会議長を務めた。大阪府立第十三中学校(現・大阪府立豊中高等学校)、関西大学予科を経て、1942年(昭和17年)明治大学専門部政治科を中退。池田産報協力工業労務課長、農工社勤労人事課長、原田印刷工業社長、阪神毎朝新聞社長などを務めた。 1946年(昭和21年)27歳で大阪2区(当時)より第22回衆議院議員総選挙に日本自由党から立候補したが落選。翌1947年(昭和22年)旧大阪3区より第23回衆議院議員総選挙に日本自由党から立候補し初当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘・増田甲子七・中山マサ・松野頼三・倉石忠雄・石田博英・園田直・櫻内義雄・根本龍太郎・佐々木秀世・中村寅太など)。
内田 芳郎(うちだ よしろう、1918年(大正7年)9月5日… 内田 芳郎(うちだ よしろう、1918年(大正7年)9月5日 - 2008年(平成20年)2月11日)は、日本の参議院議員。旧名・俊朗。 熊本県出身。1940年明治大学政治経済学部を卒業後、竹中工務店に勤務し、営業部長などを歴任。1965年に自由民主党から第7回参議院議員通常選挙に全国区から出馬し当選。第3次佐藤内閣で通商産業政務次官に就任。日中協会役員などを務めた他、小金井カントリー倶楽部の理事を務め、愛好家として知られる内閣総理大臣・田中角栄にゴルフの手ほどきをした。
金 正斗(キム・ジョンドゥ、朝鮮語: 김정두、1918年8月… 金 正斗(キム・ジョンドゥ、朝鮮語: 김정두、1918年8月2日 - 1985年4月5日)は、大韓民国の裁判官、弁護士、政治家。大邱弁護士会(現・大邱地方弁護士会)会長、第8代韓国国会議員、民権党総裁権限代行を歴任した。 本貫は慶州金氏。元ソウル高等法院院長の金東建(朝鮮語版)は娘婿、裁判官の潘侹佑は孫娘婿。 日本統治時代の慶尚北道高霊郡出身。京城第1高等普通学校(現・京畿高等学校)、1941年明治大学法科卒。1945年司法要員考試合格。1948年大邱地方法院(朝鮮語版)判事、1951年大邱高等法院(朝鮮語版)判事、大邱地方法院・ソウル高等法院(朝鮮語版)部長判事、1968年第21代大邱弁護士会(現・大邱地方弁護士会)会長、第8代国会議員、慶州金氏宗親会中央会副会長、崇恵殿陵保存会専務理事、新民党統一分科委員長・大邱東地区党委員長、民権党中央党事務総長・慶北第2地区党委員長・総裁代行を務めた。
朴 基玎(パク・キジョン、朝鮮語: 박기정、1918年6月7… 朴 基玎(パク・キジョン、朝鮮語: 박기정、1918年6月7日 - 1993年5月9日)は、大韓民国の教員、政治家。第2代慶尚南道議会(朝鮮語版)議員、第5代韓国国会議員を歴任した。 東萊公立高等普通学校(現・東萊高等学校(朝鮮語版))、明治大学専門部法科卒。国民学校(現・初等学校)教員、昌寧公立初級中学校及び改編後の霊山中学校(朝鮮語版)教員、醸造業経営を経て、第2代慶尚南道議会議員を務めた。1960年の第5代総選挙では昌寧郡選挙区から民主党所属で出馬して当選し、国会議員を1期務めた。なお、開票中盤には対立候補の自由党の辛泳柱(朝鮮語版)の先行を許さない昌寧郡民が投票箱に火をつけ、辛陣営の運動員と乱闘した末、辛候補を捕まって「郡民裁判」を行ったという前代未聞の騒乱事件が発生した。