足立 良平(あだち りょうへい、1935年11月27日 - … 足立 良平(あだち りょうへい、1935年11月27日 - )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、参議院労働委員長、民主党参議院幹事長(初代)、電力総連副会長などを歴任した。 兵庫県出身。1964年関西大学経済学部卒。関西電力入社後、同労組執行委員長、電力総連副会長、電力労連副会長、大阪同盟会長代理を歴任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で比例区に民社党から立候補して当選。1994年の新進党結党に参加。その後新党友愛を経て民主党(民社協会に所属した)に合流し、同党の初代参議院幹事長に就任。参議院議員として2期務め、2001年の第19回参議院議員通常選挙に立候補せず、政界から引退する。 2006年4月の春の叙勲で旭日中綬章を受章する。
近江 巳記夫(おおみ みきお、1935年〈昭和10年〉10月… 近江 巳記夫(おおみ みきお、1935年〈昭和10年〉10月1日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(10期)。元科学技術庁長官。 1954年 (昭和29年) 大阪市立都島工業高等学校建築科卒業。1962年(昭和37年)関西大学経済学部卒業。1963年(昭和38年)大阪市会議員(西成区選挙区)に当選。1967年(昭和42年)2月の第31回衆議院議員総選挙の大阪3区に公明党から立候補し初当選(通算10回)する。委員長の竹入義勝の下で中央執行委員を歴任。 1986年(昭和61年)12月の公明党大会で委員長選出された委員長の矢野絢也の下で中央統制委員長、国会対策副委員長を歴任。 1990年(平成2年)11月に委員長の石田幸四郎の下で筆頭・中央執行副委員長に就任。
長田 義明(ながた よしあき、1934年11月19日 - 2… 長田 義明(ながた よしあき、1934年11月19日 - 2013年1月14日)は、日本の政治家。元大阪府議会議員(6期)、元大阪府議会議長(第106代)。 大阪市会議員、大阪府議会警察常任委員長、大阪府議会地球環境問題調査特別委員長、大阪府議会文教常任委員長、自由民主党大阪府議会議員団副幹事長、大阪府監査委員などを歴任した。 大阪府出身。サラリーマンとして日立造船株式会社に勤務の後、大阪市会議員および府議会議員として活動した。長らく自由民主党に所属。 2013年1月14日、大阪市内の病院で心不全のため死去。78歳没。 大阪府議会議長就任中、2011年3月20日の自身の事務所開所式にて、9日前に発生した東日本大震災について「大阪にとって天の恵みというと言葉が悪いが、本当にこの地震が起こってよかった。
新井 彬之(あらい よしゆき、1934年9月15日 - 20… 新井 彬之(あらい よしゆき、1934年9月15日 - 2017年3月7日)は、日本の政治家。公明党所属の衆議院議員(6期)。 静岡県榛原郡川崎町(現在の牧之原市)出身。1957年関西大学法学部卒。神戸市議を経て、1969年の第32回衆議院議員総選挙に兵庫4区から公明党公認で立候補して当選、6期務めた。党内では建設部会長、兵庫県本部副本部長、中央委員を務める。1990年の第39回衆議院議員総選挙に立候補せず、政界から引退した。 2017年3月7日、肺がんのため、死去した。82歳没。
井上 信也(いのうえ しんや、1934年〈昭和9年〉1月11… 井上 信也(いのうえ しんや、1934年〈昭和9年〉1月11日 - 2010年〈平成22年〉3月1日 )は、日本の政治家。位階は正五位。 サラリーマン新党代表、大阪府摂津市長(3期)など務めた。兄は前任の摂津市長で郵政大臣なども務めた井上一成で、兄弟で20年間革新市政を続けた。 大阪府三島郡鳥飼村(現・摂津市鳥飼野々)生まれ。関西大学在籍。大阪府議会議員に日本社会党から立候補し初当選。1976年(昭和51年)10月の摂津市長選挙で、第2代市長の兄・井上一成の後継として立候補し、無投票で初当選。10月12日に就任し、1988年10月11日まで3期務めた。 1989年(平成元年)7月23日の第15回参議院議員通常選挙にサラリーマン新党から出馬も落選。
東 潤(あずま じゅん、1932年(昭和7年)11月13日 … 東 潤(あずま じゅん、1932年(昭和7年)11月13日 - 2017年(平成29年)6月3日)は、昭和から平成時代の政治家。大阪府門真市長。位階は従四位。 大阪府出身。関西大学卒業。門真市議会議員5期、市議会議長を経て、1985年(昭和60年)門真市長に当選。5期20年間務めた。 2017年(平成29年)6月3日、肺炎のため死去した。死没日付をもって従四位に叙された。
池田 忠雄(いけだ ただお、1932年(昭和7年)8月4日 … 池田 忠雄(いけだ ただお、1932年(昭和7年)8月4日 - 2016年(平成28年)2月21日)は、日本の元政治家。大阪府和泉市の市議会議員(1963年 - 1975年)、市長(第6 - 10代、1975年 - 1995年)を歴任した。位階は従四位。勲三等瑞宝章。
喜多 洋三 (きた ひろみ、1931年 <昭和6年> 7月2… 喜多 洋三 (きた ひろみ、1931年 <昭和6年> 7月23日 -2013年 <平成25年> 8月5日) は、日本の政治家。元大阪府守口市長(5期)。位階は従四位。旭日中綬章。 大阪府出身。関西大学経法学部卒。守口市役所に入り、第二助役などを務める。 1987年守口市長選挙に立候補し、当選。守口市長を5期務める。2007年に退任した。2013年に死去。
溝田 弘利(みぞた ひろとし、1931年3月8日 - 201… 溝田 弘利(みぞた ひろとし、1931年3月8日 - 2012年10月12日)は、日本の実業家、政治家。溝田旗工業元社長、エドモンズ大学日本校元理事長、元神戸市会議員(長田区選出)、同議長。 1955年(昭和30年)関西大学文学部卒業。先代の前社長溝田利松が1930年(昭和5年)5月に個人で創業した溝田旗工業の跡を1984年(昭和59年)3月に利松の死去にともない引き継ぐ。同時に神戸市会議員も務め、市会議長などを歴任する。その後、1992年(平成4年)には国政選挙にくら替えするため市会議員を辞職し、第16回参議院議員通常選挙兵庫県選挙区に出馬したが落選(78,413票、10人中7位)。供託金も約6,000票差で没収された。
古堅 実吉(ふるけん さねよし、選挙ポスター等では「フルゲン… 古堅 実吉(ふるけん さねよし、選挙ポスター等では「フルゲン実吉」と表記、1929年7月5日 - )は、日本の政治家。日本共産党所属の元衆議院議員(3期)。沖縄県国頭村出身。 OKINAWA 2015 少年兵の見た戦場 古堅実吉さんの証言(完全版) 戦火に焼かれた首里城 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
塚田 新市(つかだ しんいち、1928年12月10日 - 2… 塚田 新市(つかだ しんいち、1928年12月10日 - 2004年10月3日)は日本の政治家。鹿児島県串木野市長(6期)。串木野市名誉市民。 鹿児島県串木野市下名(現いちき串木野市)出身。串木野の尋常高等小学校を1929年に卒業した後、大阪で鋳物工場の給仕や夜学の教師として働きながら苦学。1933年関西大学第二商業科卒業。1941年関西大学法文学部法律学科(現関西大学法学部)卒業。関大法科卒業後は東京に移り、築地本願寺近くの織物統制会社に就職。1944年5月、鹿児島県庁に入職。鹿児島県職業指導主事補(1944年)、地方事務官鹿児島県勤務(1946年)、鹿児島県議会事務局庶務課長(1951年)、調査課長(1955年)、鹿児島県民生労働部労政課長(1958年11月)、農政部農業経済課長(1963年5月)、衛生部医務課長(1965年)、鹿児島県監査委員事務局長(1967年6月)を経て、1968年7月より鹿児島県民生労働部長。
荒木 宏(あらき ひろし、1928年4月1日 - 1995年… 荒木 宏(あらき ひろし、1928年4月1日 - 1995年1月14日)は、日本の教育者、弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、2期)を務めた。自由法曹団幹事。 神戸市出身。神戸商業大学(現・神戸大学)中退。小学校の教員をやりながら、関西大学法学部を卒業。1959年に弁護士となり、同年共産党に入党した。 1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧大阪5区から立候補し1位で初当選を果たした。続く1976年の第34回衆議院議員総選挙でも同区から立候補し再選を果たすも、体調不良により1979年の第35回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界からの引退を表明する。地盤は引退当時、堺市選出の大阪府議会議員であった藤田スミに譲る。
日下 章(くさか あきら、1927年7月22日 - 2004… 日下 章(くさか あきら、1927年7月22日 - 2004年1月10日)は兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手、政治家。
西風 勲(にしかぜ いさお、1926年12月2日 - 202… 西風 勲(にしかぜ いさお、1926年12月2日 - 2023年5月16日)は、日本の政治家、社会運動家。元衆議院議員(1期)。関西大学卒業。 父・金之助は鉄工所勤務から1947年の第一回統一地方選挙で大阪市議会議員に当選(日本社会党→右派社会党→日本社会党→民主社会党→日本社会党)、7期務めた。 勲は1926年(大正15年)に大阪府で生まれ、大阪貿易学院を卒業。1950年代から大阪を基盤に社会党青年部で活動し、左派社会党青年部時代は社会主義協会色の強い左社綱領草案に反対し清水私案支持で論陣を張った。1954年(昭和29年)左派社会党本部青年部長に当選し上京、両社合同に二年遅れて青年部が統一すると、本部青年部長に選出される。
中谷 鉄也(なかたに てつや、1926年(大正15年)5月1… 中谷 鉄也(なかたに てつや、1926年(大正15年)5月1日 – 1992年(平成4年)3月20日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。位階は正五位。 満州鉄嶺で陸軍将校・中谷亮一の長男として生まれる。1931年(昭和6年)に父の死去に伴い本籍地和歌山県伊都郡高野口町大字大野(現橋本市)に移った。名古屋陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校(59期)に進み、終戦により1945年(昭和20年)8月31日に修業した。 1946年(昭和21年)関西大学法学部に入学。1948年(昭和23年)高等試験司法科試験に合格し、同年、関西大学を中退した。極東国際軍事裁判弁護人を務め、日本労働組合総評議会(総評)弁護団に加わった。
秦 豊(はた ゆたか、1925年2月6日 - 2003年7月… 秦 豊(はた ゆたか、1925年2月6日 - 2003年7月29日)は、日本のニュースキャスター、政治家。参議院議員(2期)。 1925年愛媛県西条市に生まれる。1945年旧制関西大学専門部経済学科中退、NHKに入局し記者、アナウンサーとなる。 1950年レッドパージによりNHKを退職。翌1951年ラジオ九州入社。1957年同局で日米会談特派員、報道課長、制作部長、論説委員などを歴任。 1966年文化放送ニュースキャスター。1967年4月 - 1971年3月日本教育テレビニュースキャスター。夕方のANNニュース→ANN 夜のワイドニュースメインキャスター。1972年5月日本教育テレビの沖縄復帰記念式典中継特別番組の司会を務める。
原 曻(はら のぼる、1922年(大正11年)5月8日 - … 原 曻(はら のぼる、1922年(大正11年)5月8日 - 2016年(平成28年)2月14日)は、日本の政治家。大阪府岸和田市長。大阪府市長会顧問。 大阪府岸和田市出身。元特攻隊隊員。1956年(昭和31年)関西大学経済学部を卒業後、岸和田市役所に入る。1962年(昭和37年)青少年課長、1965年(昭和40年)職員課長、1970年(昭和45年)総務部長と昇進を続け、1973年(昭和48年)の岸和田市長選挙に立候補、社会党と共産党の推薦を得て、当時4選を狙っていた自民推薦の現職・中澤米太郎を破り初当選する。泉州地域では初めて社共共闘による革新市長が誕生した。 定住外国人(主に在日朝鮮人)への地方参政権付与を認める決議を採択し、韓国の当時の大統領盧武鉉より修交勲章崇礼章を授与された。
上田 繁潔(うえだ しげきよ、1921年10月16日 - 2… 上田 繁潔(うえだ しげきよ、1921年10月16日 - 2011年5月20日)は、日本の政治家。第10代~第12代奈良県知事。 奈良県奈良市生まれ。旧制小学校を卒業後、奈良県庁で働きながら夜間の旧制金鐘中学(現:東大寺学園中学校・高等学校)に通学し、1946年関西大学経済学部卒業。奈良県庁に再度入庁し、各課長、総務部長を歴任、1975年下位副知事の後を受け副知事に就任した。 1980年9月、奥田良三知事が健康上の理由で辞任を表明すると、副知事を務めていた上田繁潔が10月の知事選挙に立候補して当選した。奈良県知事を3期11年余り務め、在任期間の後半はバブル景気に恵まれた。1988年に開催されたなら・シルクロード博覧会では、主催団体だった「財団法人なら・シルクロード博協会」の会長を兼任し、成功した。
平石 磨作太郎(ひらいし まさたろう、1921年10月9日 … 平石 磨作太郎(ひらいし まさたろう、1921年10月9日 - 1992年12月23日)は、日本の政治家。公明党衆議院議員(5期)。 高知県長岡郡大豊町出身。1943年関西大学専門部法律学科卒。東豊永村農業協同組合長を経て、高知市役所に入り、財政課長、厚生部長などを歴任する。公明党高知県本部に入り、1974年5月の参院補選と7月の通常選挙に高知県から公明党公認で立候補したが落選。1976年の第34回衆議院議員総選挙で高知県全県区から立候補して初当選。連続5期務めた。1990年の総選挙に立候補せず、政界から引退する。 1991年11月の秋の叙勲で、勲二等瑞宝章受章。 1992年12月23日、死去。
伊賀 定盛(いが さだもり、1921年(大正10年)2月28… 伊賀 定盛(いが さだもり、1921年(大正10年)2月28日 - 1990年(平成2年)9月1日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員(4期)、兵庫県城崎郡余部村長。 兵庫県城崎郡余部村(香住町を経て現香美町)出身。1944年(昭和19年)関西大学法文学部卒業。その後、中央大学でも学んだ。従軍し陸軍主計少尉で除隊した。 1947年(昭和22年)余部村長に初当選。兵庫県立豊岡高等学校教諭を務め兵庫県高等学校教職員組合但馬支部書記長に在任。1950年(昭和25年)兵庫県議会議員に初当選し、以後3期務める。兵庫県議会日本社会党議員団幹事長、兵庫県日本社会党県本部副委員長などを歴任した。 1967年(昭和42年)第31回衆議院議員総選挙で旧兵庫5区に日本社会党公認で立候補し初当選。
瓜生 清(うりう きよし、1920年(大正9年)10月26日… 瓜生 清(うりう きよし、1920年(大正9年)10月26日 - 1970年(昭和45年)11月9日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。 大阪府出身。1942年(昭和17年)関西大学専門部を卒業した。兵役に従事。 復員後、織布会社に入社。1949年(昭和24年)労働運動に加わり主に繊維産業対策に従事。大阪府地方労働委員、社会保障診療報酬支払基金理事、社会保障制度審議会(現社会保障審議会)委員などを務めた。 1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙で全国区に民主社会党(民社党)公認で立候補して当選。民社党中央執行委員、同党選挙対策委員長、全国繊維産業労働組合同盟(のちゼンセン同盟)顧問などを務めた。
平野 喜八郎(ひらの きはちろう、1920年〈大正9年〉8月… 平野 喜八郎(ひらの きはちろう、1920年〈大正9年〉8月21日 - 2010年〈平成22年〉10月24日)は、日本の政治家。元岐阜県各務原市長。岐阜県郡上市(旧・郡上郡大和町)出身。
芳本 甚二(よしもと じんじ、1920年〈大正9年〉7月23… 芳本 甚二(よしもと じんじ、1920年〈大正9年〉7月23日 - 2014年〈平成26年〉7月5日)は、日本の政治家。元奈良県御所市長(5期)。位階は正五位。勲四等瑞宝章。 奈良県出身。1943年〈昭和18年〉関西大学法学部卒。1946年〈昭和21年〉福助足袋に入社。1952年〈昭和27年〉に退社し、家業の芳本商店を継ぐ。1978年〈昭和53年〉御所市長選挙に立候補し、初当選する。市長を5期務め、任期途中の1996年〈平成8年〉に退任した。1997年叙勲で勲四等瑞宝章を受章。2014年〈平成26年〉死去。死没日付をもって正八位から正五位に進階。
北川 石松(きたかわ いしまつ、1919年1月28日 - 2… 北川 石松(きたかわ いしまつ、1919年1月28日 - 2013年5月19日)は、日本の政治家。環境庁長官(第24代)、衆議院議員(6期)、大阪府議会議員(5期)、寝屋川市議会議員(1期)等を歴任した。位階は従三位。 長男北川法夫は元・寝屋川市長。次男北川知克は元衆議院議員。 大阪府寝屋川市生まれ。関西大学第二商業学校、大阪工業専修学校応用化学科を卒業。関西大学法学部中退。 1951年、寝屋川市議会議員選挙に出馬し、初当選した。1955年には大阪府議会議員選挙に鞍替えし、当選。以後5期連続で当選し、1970年には大阪府議会議長に就任する。 1972年、第33回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧大阪府第3区から出馬するが、落選。
岡村 雅夫(おかむら まさお、1919年1月1日 - 200… 岡村 雅夫(おかむら まさお、1919年1月1日 - 2005年6月27日)は日本の政治家。高知県安芸郡芸西村長などを歴任する。 高知県出身。関西大学専門部卒。旧安芸郡西分村役場に入り、県水産課雇員、西分村の助役などを経て、1946年に27歳で官選時代の西分村長に就任。1947年に西分村長選挙で当選。1954年、西分、馬ノ上、和食の旧3村が合併して誕生した芸西村の初代村長に当選した。その後、連続13選(うち10選が無投票当選)を果たし、1996年8月に村長在任50年を迎えた。同年10月に最後は「体力の限界」と任期2年を残したまま引退した。芸西村役場に顕彰碑が建てられている。 地方自治体首長の連続13選は公選首長では全国最多である。
金 基喆(キム・ギチョル、朝鮮語: 김기철、1917年5月3… 金 基喆(キム・ギチョル、朝鮮語: 김기철、1917年5月31日 - 1986年10月10日)は、満洲国の教育者、大韓民国の政治家。制憲、第3・5・11代韓国国会議員。 本貫は慶州金氏、別称はソウォン(소원)。カトリック教徒。タレントであるリュ・シウォンの母方の祖父にあたる。 ソウルまたは忠清北道陰城郡生まれ。関西大学専門部修了(または学生赤友会事件により関西大学を中退し明倫学院卒業)後、満州吉林師範学校を経て教師として勤務し、1939年に満洲国神仙公立国民優級学校校長に任命され、その他に新京朝鮮青年団農場文化部長、東亜日報記者も務めた。一方で大韓民国臨時政府に登録し、1945年の時点で大韓民国臨時政府非常国民会議代議員も務めた。
小谷 守(こたに まもる、1915年(大正4年)9月23日 … 小谷 守(こたに まもる、1915年(大正4年)9月23日 – 2008年(平成20年)11月20日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 鳥取県出身。1933年(昭和8年)米子中学校、1936年(昭和11年)関西大学大学専門部法科を卒業した。1940年(昭和15年)から神戸市の旧制中学校で教員を務めた。 戦後すぐに教職員組合の結成に取り組み、神戸市教職員組合の役員を務めた。1950年(昭和25年)日本社会党に入党。同党兵庫県本部書記長、同委員長、同顧問を歴任。1951年(昭和26年)兵庫県議会議員に選出され5期在任した。 1971年(昭和46年)6月の第9回参議院議員通常選挙に兵庫県地方区から社会党公認で出馬して初当選。
広田 幸一(廣田 幸一、ひろた こういち、1915年8月2日… 広田 幸一(廣田 幸一、ひろた こういち、1915年8月2日 - 2013年6月4日)は、日本の政治家、参議院議員(1期、日本社会党)。 鳥取県鳥取市出身。関西大学専門部中退。陸軍に入り、ソ連軍に抑留され、1948年復員。日本通運に入り、同社の労働組合で活動する。鳥取県議を5期務め、1977年の参院選で鳥取地方区から日本社会党公認で立候補して自民党候補などを破り当選する。国会内では災害対策特別委員長を歴任した。1983年の参院選で落選。 2013年6月4日死去、97歳。死没日をもって正八位から正五位に叙される。
大上 司(おおかみ つかさ、1914年10月2日 - 199… 大上 司(おおかみ つかさ、1914年10月2日 - 1993年5月)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。兵庫県上郡町出身。 1932年兵庫県上郡農学校(現・兵庫県立上郡高等学校)卒業、1935年関西大学経済学部卒業、1942年立命館大学法経学部経済学科卒業。 1937年に大蔵省官吏(阪神地区税務署近畿財務局)となった後、1941年産経新聞社入社。内外財務研究所理事長などを経て、1947年の第23回衆議院議員総選挙にて、民主党公認で兵庫県第4区(姫路市、相生市、飾磨郡、神崎郡、揖保郡、赤穂郡、佐用郡、宍粟郡)より出馬し初当選。 以後、民主自由党、自由党、自由民主党と変遷し、通算当選5回。その間、1958年の第28回衆議院議員総選挙では当選したものの、公職選挙法違反を問われた。
柳 志元(ユ・ジウォン、リュ・ジウォン、朝鮮語: 유지원/류… 柳 志元(ユ・ジウォン、リュ・ジウォン、朝鮮語: 유지원/류지원、1913年1月30日 - 1981年12月31日)は、大韓民国の実業家、政治家。第3・4代韓国国会議員。本貫は文化柳氏(朝鮮語版)。 日本統治時代の忠清南道燕岐郡出身。関西大学法科3年中退または卒業。三益社専務理事、全国青年総連盟中央委員、大同青年団(のちの大韓青年団(朝鮮語版))中央執行委員・外交部長、青年新聞社長、大韓青年団総本部団長、失踪軍人遺族会長、自由党燕岐郡党委員長・中央執行委員・企画委員(1967年時点)、第3代国会米軍撤退反対国民運動展開対策委員会委員長、第3・4代国会国防委員会委員長(1954年6月23日~1955年2月19日、1955年3月2日~1956年2月19日、1958年6月17日~8月31日)を務めた。
寒川 喜一(かんかわ きいち、1911年(明治44年)10月… 寒川 喜一(かんかわ きいち、1911年(明治44年)10月27日 - 1990年(平成2年)2月3日)は、日本の地方公務員、政治家。衆議院議員。 徳島県出身。1933年に関西大学専門部第1部法科を卒業。大阪府書記となり、地方事務官、大阪府人事委員会事務局長、同府労働部長などを歴任。その後、大阪府職業訓練協会副会長、寒川労働コンサルタント所長、関西大学評議員などを務めた。 1963年(昭和38年)第30回衆議院議員総選挙、次の第31回総選挙で落選。1969年(昭和44年)12月、第32回総選挙で大阪府第1区に民社党から出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。民社党大阪府支部連合会副会長、同会長代理、同大阪1区連会長、同党本部中央委員、同沖縄対策部会長、民社中小企業政治連合大阪1区連合会会長などを務めた。
田淵 久(たぶち ひさし、1911年〈明治44年〉8月6日 … 田淵 久(たぶち ひさし、1911年〈明治44年〉8月6日 - 1995年〈平成7年〉4月4日)は、日本の政治家。岡山県岡山市長。位階は従六位。 1911年(明治44年)岡山県岡山市生まれ。1939年3月、関西大学法学部政治学科卒業。 大学卒業後は満州国へ渡り、満州国協和会に勤務。満州国興安総省興北地区指導科長等を務めた。1945年にシベリア抑留され、1950年帰国。香川県財田町長を経て、1955年5月、岡山市長に就任。岡山市名誉市民制度を制定したほか、姉妹都市提携をアメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼ市と結んだ。 退任後に1959年の参院選に無所属で全国区に出馬するが落選、また1972年の衆院総選挙でも民社党公認で岡山県第1区から出馬するが落選している。
田淵 実夫(たぶち じつお、1909年1月25日 - 199… 田淵 実夫(たぶち じつお、1909年1月25日 - 1991年3月8日)は、日本の俳人、政治家、民俗学者。 俳号・十風子。広島県三次市生まれ。関西大学卒、京都大学大学院言語学専攻博士課程満期退学。中学、高校、大学教師ののち、1947年、第23回衆議院議員総選挙に旧広島3区から日本社会党公認で出馬し初当選。1949年、落選。広島市立図書館長。広島市文化センター管理者。比治山女子短期大学教授、広島女学院大学教授。広島方言、石垣などを研究した。
山本 伊三郎(やまもと いさぶろう、1906年1月25日 -… 山本 伊三郎(やまもと いさぶろう、1906年1月25日 - 1971年7月8日)は、日本の政治家、参議院議員(3期)。位階は従四位。勲等は勲二等。浪華商業学校、関西大学専門部卒業。 大阪市生まれ。1918年(大正7年)小学校卒業。社会主義理論の原典を知りたいとの思いから大阪キリスト教青年会英語学校入学。 1926年(大正15年)、大阪市役所採用。1947年(昭和22年)、日本社会党入党。1948年(昭和23年)、大阪市職員労働組合委員長。 1956年(昭和31年)、全日本自治団体労働組合中央執行委員長。1959年(昭和34年)、第5回参議院議員通常選挙全国区当選。1965年(昭和40年)、第7回参議院議員通常選挙二選。
田中 久雄(たなか ひさお、1905年(明治38年)12月1… 田中 久雄(たなか ひさお、1905年(明治38年)12月18日 - 1981年(昭和56年)4月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 三重県出身。1928年、関西大学専門部商業科を卒業。 時事新報社横浜販売局長、鐘淵紡績東北販売店取締役店長、鐘淵盛岡産業監査役、仙台市繊維製品統制組合理事長、東海航空社長などを務めた。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に三重県から立候補し当選。その後、第23回、第25回から第27回総選挙まで4回当選し、衆議院議員を通算五期務めた。この間、第2次鳩山一郎内閣・防衛政務次官、改進党政策委員会文部々長、自由民主党青年局長などを歴任した。 1976年4月の春の叙勲で勲二等に叙され、瑞宝章を受章する。
福田 繁芳(ふくだ しげよし、1905年〈明治38年〉3月1… 福田 繁芳(ふくだ しげよし、1905年〈明治38年〉3月15日 - 1977年〈昭和52年〉2月12日)は、日本の政治家。自由民主党の衆議院議員。 1927年関西大学専門部法律学科卒業後、1946年の第22回衆議院議員総選挙に立候補するが次点で落選。しかしその後三木武吉の公職追放により繰り上げ当選となる。 1951年10月5日、高松地方検察庁に観音寺競輪場誘致運動資金の一部を横領した容疑で逮捕される。 1961年3月、日興連汚職事件で福田に対して懲役1年の実刑判決が確定し、公民権停止となったため国会法の規定で退職(自動失職)。賄賂罪の実刑判決が確定して国会議員が退職(失職)となったのは初めてであった。
光村 甚助(みつむら じんすけ、1905年(明治38年)2月… 光村 甚助(みつむら じんすけ、1905年(明治38年)2月20日 - 1992年(平成4年)3月23日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 鹿児島県肝属郡牛根村、後の垂水市牛根境に生まれる。貧農の塩屋家の8人兄弟の五男。小学校卒業後、母校の小間使いとして働く。1919年(大正8年)鉄道員の求人に応募し、福岡県の折尾駅に勤務。1年半後に鉄道員を辞め、大阪の紡績会社で給仕として働きながら夜学に通う。その後、上京して新聞配達をしながら神田の予備校に通ったが、関東大震災被災のため大阪へ戻って、ガラス会社の職工となり、1925年(大正14年)関西大学専門部別科入学。さらに京阪商業学校(後の大阪府立守口高等学校、現大阪府立芦間高等学校)を経て、1931年(昭和6年)関西大学専門部法科を卒業した。
上林山 榮吉(かんばやしやま えいきち、1904年10月18… 上林山 榮吉(かんばやしやま えいきち、1904年10月18日 – 1971年8月10日)は、日本の政治家。衆議院議員、防衛庁長官を務めた。 現在の鹿児島県指宿市生まれ。鹿児島実業学校出身。関西大学専門部法律学科中退後、1928年日本大学法律科を卒業、鹿児島毎夕新聞社記者、鹿児島県庁勤務を経て、1936年鹿児島市会議員補欠選挙に当選。1939年からは鹿児島県会議員を務める。1946年第22回衆議院議員総選挙で日本自由党から旧鹿児島1区にて立候補し初当選する(当選同期に小坂善太郎・二階堂進・江﨑真澄・小沢佐重喜・石井光次郎・坂田道太・水田三喜男・村上勇・川崎秀二・井出一太郎・早川崇・中野四郎など)。
高見 三郎(たかみ さぶろう、1904年1月8日 – 197… 高見 三郎(たかみ さぶろう、1904年1月8日 – 1978年2月28日)は、昭和期の政治家、内務・警察官僚。位階は正三位。 衆議院議員(8期)、文部大臣を歴任した。 山口県美祢郡東厚保村(現・美祢市)小杉に、農業・高見政五郎の次男として生まれる。高等小学校を卒業後、炭焼きをしながら独学で教員免許を取得、小学校代用教員となる。その後軍隊生活等を経て、1928年大阪府天王寺師範学校第二部(現・大阪教育大学)を卒業、1929年関西大学専門部法科卒業後、大阪府庁学務部に勤務するが、1929年に高等文官試験行政科に合格する。翌1930年には法律科にも合格し、1938年内務省に入省する。 秋田県社会部長、警視庁警視、和歌山県警察部長、奈良県経済部長等を経て、静岡県経済部長となるが、1951年次期県知事の有力候補者であった県総務部長の斎藤寿夫と親しいことを理由に、当時の小林武治知事によって左遷される。
飯国 壮三郎(飯國 壯三郎、いいぐに / いいくに そうざぶ… 飯国 壮三郎(飯國 壯三郎、いいぐに / いいくに そうざぶろう、1901年(明治34年)9月8日 - 1955年(昭和30年)10月27日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 島根県簸川郡塩冶村上塩冶(現出雲市上塩冶町)で、飯国恒一の六男として生まれる。同郷出身の宍道政一郎(出雲製織創業者)の書生を務めながら、堺中学(現大阪府立三国丘高等学校)、関西大学専門部法律科を卒業した。 宍道が経営していた大阪帆布、出雲製織で勤務。1941年(昭和16年)、出雲製織、錦華紡績、日出紡織、和歌山紡織が合併して大和紡績が設立されると、出雲工場長に就任。戦後は、常務、専務取締役を務めた。その他、島根県商工経済会評議員、石見人絹工場取締役、島根繊維工業取締役・社長、大和工業取締役、浜田機械工業取締役、大和農機具工業社長なども務めた。
吉田 吉太郎(よしだ よしたろう / きちたろう、1900年… 吉田 吉太郎(よしだ よしたろう / きちたろう、1900年(明治33年)9月25日 - 1968年(昭和43年)1月22日)は、大正末から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 大阪府出身。1924年(大正13年)関西大学専門部法律科を卒業した。 大阪市役所勤務を経て、映画興業、不動産業を経営し、摂津怛産取締役社長、新大阪土地開発取締役社長、阪神土地興業取締役社長を務めた。 政界では、尼崎市会議員(1940年-1947年)、兵庫県会議員(1947年-1948年)を務めた。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に兵庫県第1区から日本自由党所属で立候補して落選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙に兵庫県第2区から民主自由党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
山口 冨次郎(やまぐち とみじろう、1900年(明治33年)… 山口 冨次郎(やまぐち とみじろう、1900年(明治33年)9月10日 - 没年不明)は、日本の政治家。大阪府吹田市長。 関西大学法学部卒業。大審院部長を経て、1955年(昭和30年)吹田市長に就任した。
大川光三(おおかわ みつぞう、1899年3月30日 - 19… 大川光三(おおかわ みつぞう、1899年3月30日 - 1965年11月7日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。衆議院議員(2期)。 現在の大阪府高槻市生まれ。加島銀行に勤務するかたわら関西大学専門部経済科に通い、1923年に同専門部卒業し弁護士試験に合格。1927年に独立し、弁護士事務所を開業。 1931年に大阪府会議員に当選して政界入り(立憲民政党所属)、大阪府会では副議長まで務め上げ、1942年の総選挙で大阪4区(当時)から翼賛政治体制協議会推薦で立候補して国政入りを果たした。このため戦後、公職追放を受けるも、追放解除後の1952年総選挙に旧大阪3区から改進党から出馬し国政復帰。しかし翌年の総選挙で落選して再度国政から遠ざかる。
高梨 乙松(たかなし おとまつ、1898年〈明治31年〉9月… 高梨 乙松(たかなし おとまつ、1898年〈明治31年〉9月30日 - 1943年〈昭和18年〉7月6日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(大阪府第三区選出、当選1回)。 鳥取県西伯郡外江村(現在の境港市外江町)に生まれる。万太郎の三男。1920年(大正9年)に関西大学を卒業し、1921年(大正10年)に弁護士試験に合格。弁護士事務所を開業した。一般民刑事件の依頼に応じる。 1913年(大正2年)以来国民党の政策に共鳴し、旧党解散の後革新倶楽部となり、更に革新党となるのに伴って一貫して行動を共にする。革新党大阪支部長として同党内に重きをなす。 司法省委員となる。その他、榎本鋳造鉄工所監査役、油谷機械工作所監査役、油谷重工業常監などを務めた。
高垣 善一(たかがき ぜんいち、1898年〈明治31年〉2月… 高垣 善一(たかがき ぜんいち、1898年〈明治31年〉2月25日 - 1966年〈昭和41年〉5月31日)は、日本の政治家。長男は元和歌山市議会議員の高垣弼。曾孫はテレビ朝日アナウンサーの島本真衣[要出典]。 1898年(明治31年)2月25日、和歌山県有田郡田殿村(現在の有田川町)で高垣紋之助の長男として生まれる。父が事業に失敗したため、1912年(明治45年)から地元の郵便局に勤務し、新宮郵便局、和歌山郵便局を経て、大阪中央電話局に転任した。1916年(大正5年)、退職して南海鉄道に入社したが、1918年(大正7年)には鉄道院に転職した。 1925年(大正14年)からは和歌山市三番丁の中村愛三郎法律事務所に勤め、関西大学で法律学や政治学について学んだ。
田中 藤作(たなか とうさく、1898年(明治31年)2月2… 田中 藤作(たなか とうさく、1898年(明治31年)2月20日 - 1979年(昭和54年)11月21日)は、大正末から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 大阪府河内郡で、田中秀吉の長男として生まれる。1921年(大正10年)関西大学専門部法律科を卒業した。 1922年(大正11年)弁護士を開業。1931年(昭和6年)大阪府会議員に選出され3期在任し、同副議長も務めた。1937年(昭和12年)大阪市会議員に当選。その他、南方経済協会理事長、高津町会連合会長、高津警防団長、三和信用組合理事長なども務めた。 1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙で大阪府第2区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選。
信正 義雄(のぶまさ よしお、1897年(明治30年)8月2… 信正 義雄(のぶまさ よしお、1897年(明治30年)8月23日 - 1985年(昭和60年)12月2日)は、大正末から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)、滋賀弁護士会長、大津市会議長を務める。 奈良県出身。1919年(大正8年)、大阪府警察部に入り、同巡査、同警部補となる。一方で、1922年(大正11年)に関西大学法科を卒業し、弁護士試験に合格する。関西大学在学中に、同窓の先輩で大津市会議長の信正時治郎の知遇を得て、時治郎の二女・賤子に入婿する。 1923年(大正12年)、大津市材木町に法律事務所を開業し、京都、大阪にも手を広げ、大津弁護士会長を務める。1929年(昭和4年)、大津市会議員に初当選し、同副議長、同議長を務める。
山本 勝市(やまもと かついち、1896年〈明治29年〉3月… 山本 勝市(やまもと かついち、1896年〈明治29年〉3月20日 - 1986年〈昭和61年〉8月1日)は、日本の経済学者、政治家。和歌山高等商業学校教授、衆議院議員(5期)、大東文化大学教授。和歌山県出身。 京都帝国大学経済学部卒業、経済学博士 (東京商科大学)。戦前は経済学者として和歌山高商教授や文部省国民精神文化研究所所員を務め、戦後は日本自由党の結党に参加した。『福祉国家亡国論』の著述やマルクス主義への批判、経済計算論争の紹介など、自由主義経済の推進者として知られる。 1896年(明治29年)3月20日、和歌山県東牟婁郡四村(現・田辺市)生まれ。1913年(大正2年)3月、私立京都中学校(後の新制京都高等学校、廃校)卒業。
小林 和一(こばやし わいち、1895年(明治28年)11月… 小林 和一(こばやし わいち、1895年(明治28年)11月25日 - 1968年(昭和43年)6月1日)は、日本の政治家、地方公務員。第5代福山市長。 広島県福山町(現・福山市地吹町)に生まれる。1915年(大正4年)、広島県立福山誠之館中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。深安郡書記、大阪北区職員を勤めたあと、関西法律学校(現・関西大学)に入り、同校を卒業した。 1919年(大正8年)7月、福山市は大水害に見舞われる。帰郷を決意し、福山市役所に奉職。庶務課長、税務課長、収入役などを歴任した。 1939年(昭和14年)1月、助役に選任される。小林壽夫市長の懐刀と言われた。1944年(昭和19年)9月26日、三菱鉱業取締役会長などを務めた三谷一二が第6代市長に就任。
押谷 富三(おしたに とみぞう、1893年〈明治26年〉2月… 押谷 富三(おしたに とみぞう、1893年〈明治26年〉2月5日 - 1985年〈昭和60年〉4月15日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(5期)。幕末出石藩家老、河合長孝の孫にあたる。 滋賀県東浅井郡浅井町(現・長浜市)出身。1916年(大正5年)関西大学法科を卒業。弁護士となる。 1931年(昭和6年)9月25日、大阪府会議員選挙に大阪市北区選挙区から立候補して当選した。その後、再選して1936年(昭和11年)1月25日に辞職した。1939年(昭和14年)9月25日に3選を果たした。1946年(昭和21年)12月29日から1947年(昭和22年)4月29日まで第40代大阪府会副議長を務めた。