安藤 達己(あんどう たつみ、1938年 - 2013年2月… 安藤 達己(あんどう たつみ、1938年 - 2013年2月7日)は、映画監督。本名は安藤 達久。東京都出身。 シャープなカット構成による演出が特徴である。娘に元コスミック・インベンションの安藤聖己がいる。
東京都立上野高等学校:102人
安藤 達己(あんどう たつみ、1938年 - 2013年2月… 安藤 達己(あんどう たつみ、1938年 - 2013年2月7日)は、映画監督。本名は安藤 達久。東京都出身。 シャープなカット構成による演出が特徴である。娘に元コスミック・インベンションの安藤聖己がいる。
石毛 直道(いしげ なおみち、1937年11月30日 - )… 石毛 直道(いしげ なおみち、1937年11月30日 - )は、日本の人類学者。専門は文化人類学。勲等は瑞宝中綬章。学位は、農学博士(東京農業大学・1986年)。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。文化功労者。 京都大学人文科学研究所助手、甲南大学文学部助教授、国立民族学博物館教授、国立民族学博物館館長などを歴任した。 千葉県出身の文化人類学を専攻する人類学者である。京都大学や甲南大学に勤務し、国立民族学博物館では館長に就任した。東京農業大学より農学博士の学位を授与された。国立民族学博物館と総合研究大学院大学より名誉教授の称号を授与された。日本コナモン協会では筆頭理事を務めた。
岡本吉司(おかもと よしじ、1937年6月7日 - 2016… 岡本吉司(おかもと よしじ、1937年6月7日 - 2016年9月12日)は日本の大蔵官僚。国税庁直税部長、国税庁次長、農用地整備公団副理事長などを務めた。血液型はO型。 東京都台東区出身。東京都立上野高等学校、東京大学法学部卒業。1961年 大蔵省入省(管財局総務課)。1967年7月 津税務署長。 1985年6月25日 国税庁長官官房総務課長。1986年6月10日 福岡国税局長。1987年6月25日 関東信越国税局長。1988年6月15日 国税庁直税部長。1989年6月23日 国税庁次長。1990年6月29日 大臣官房付、退官。 同年7月 農用地整備公団副理事長。1994年6月 福岡銀行常務取締役。
山﨑 努(やまざき つとむ、1936年〈昭和11年〉12月2… 山﨑 努(やまざき つとむ、1936年〈昭和11年〉12月2日 - )は、日本の俳優。妻は元宝塚歌劇団星組出身の黛ひかる。娘は山崎直子。 千葉県東葛飾郡松戸町(現︰松戸市)出身。東京都立上野高等学校卒業。 俳優座養成所を経て、1959年に文学座に入団。 1960年、岡本喜八監督作品の『大学の山賊たち』で映画デビュー。 1963年、劇団雲結成に参加し、1975年の劇団雲分裂を機にフリーになる。 1963年、黒澤明監督作品のサスペンス映画『天国と地獄』で誘拐犯・竹内銀次郎役を演じ、一躍注目を浴びる。この年、前年のNHKドラマ『アラスカ物語』 での共演がきっかけで交際していた元・宝塚歌劇団星組の黛ひかると結婚。
山﨑 努(やまざき つとむ、1936年(昭和11年)12月2… 山﨑 努(やまざき つとむ、1936年(昭和11年)12月2日 - )は、日本の俳優・ナレーター。千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)出身。東京都立上野高等学校卒業。妻は元宝塚歌劇団星組出身の黛ひかる。娘は山崎直子。
北島 敬介(きたじま けいすけ、1936年11月27日 - … 北島 敬介(きたじま けいすけ、1936年11月27日 - 2008年3月2日)は、東京都出身の検事総長、弁護士。正三位瑞宝大綬章。東京地検検事正時代には、ゼネコン汚職事件の捜査を指揮したことでしられている。
飯田 和平(いいだ わへい、1936年3月26日 - 201… 飯田 和平(いいだ わへい、1936年3月26日 - 2012年3月8日)は、日本の男性俳優、声優。劇団昴所属。東京都出身。東京都立上野高等学校卒。
茂木 友三郎(もぎ ゆうざぶろう、1935年(昭和10年)2… 茂木 友三郎(もぎ ゆうざぶろう、1935年(昭和10年)2月13日 - )は、日本の経営者。キッコーマン株式会社取締役名誉会長・取締役会議長。父はキッコーマン中興の祖・茂木啓三郎元社長。茂木賢三郎独立行政法人日本芸術文化振興会理事長は弟。 コロンビア大学コロンビア・ビジネス・スクールで経営学修士の学位を修得し、コロンビア大学名誉理事も務めた。日本経済団体連合会常任理事、経済同友会終身幹事、文部科学省中央教育審議会副会長、産業教育振興中央会会長、慶應義塾評議員・理事、日本国際フォーラム顧問、日本経営協会会長等を歴任。 2014年6月に公益財団法人日本生産性本部会長に79歳という異例の老齢で就任した。
野上 透(のがみ とおる、1935年〈昭和10年〉- 200… 野上 透(のがみ とおる、1935年〈昭和10年〉- 2002年〈平成14年〉)は、日本の写真家。本名は、根岸 秀廸(ねぎし ひでみち)。 1935年(昭和10年)、東京都台東区に生まれる。1958年(昭和33年)、日本大学芸術学部写真学科を卒業後、講談社へ入社。1964年(昭和39年)にフリーランスとなる。文士をはじめ、各界で活躍する人々の人物写真、報道写真、ルポルタージュ等を撮影。1977年(昭和52年)、第8回講談社出版文化賞を受賞。女子美術大学、NHK文化センターの講師を務める。2002年(平成14年)、死去。 作品は東京都写真美術館、JCIIフォトサロン、日本写真保存センター、日本大学芸術学部、横浜市民ギャラリーなどに収蔵されている。
堀 秀道(ほり ひでみち、1934年5月21日 - 2019… 堀 秀道(ほり ひでみち、1934年5月21日 - 2019年1月3日)は、日本の鉱物学者。鉱物科学研究所所長、鉱物標本商。理学博士(東北大学)。 東京都台東区出身。中学時代より鉱物を愛好し、櫻井欽一に師事する。1952年都立上野高校卒業後、北里大学化学科助手として就職。モスクワ大学地質学部留学を経て、1970年帰国。シベリアの石油採掘事業に関わった後、1977年に株式会社鉱物科学研究所を設立。鉱物標本の販売、鑑定、研究を行う。 新鉱物の欽一石(kinichilite、1981)を発見した功績により、1986年に櫻井賞を受賞。同年にアンモニウム白榴石(ammonioleucite、1986)、翌年にはストロナルシ石(stronalsite、1987)を発見した。
木山 英雄(きやま ひでお、1934年4月20日 - )は、… 木山 英雄(きやま ひでお、1934年4月20日 - )は、日本の中国文学者、一橋大学名誉教授。東京市荒川区日暮里生まれ。東京都立上野高等学校卒。1957年、東京大学文学部中国文学科卒。1960年、同大学院修士課程修了、同助手。1966年埼玉大学教養部講師、1967年助教授。1969年一橋大学商学部助教授、1977年教授、1981年一橋大学社会学部教授。1991年から1993年まで社会学部長。1998年定年退官、名誉教授、神奈川大学外国語学部教授、2005年同退職。近現代中国文学、特に周作人が専門。指導学生に加藤栄など。
桜本(櫻本) 富雄(さくらもと、とみお、1933年9月28日… 桜本(櫻本) 富雄(さくらもと、とみお、1933年9月28日 - 没年不明)は、日本の詩人・評論家。 長野県小諸市生まれ。1952年東京都立上野高等学校卒業、1957年日本大学法学部法律学科卒業。「かつしか幼稚園」を姉弟で経営し、1972年から92年まで理事長。93年から99年まで東京学芸大学非常勤講師。1979年から個人通信誌『空席通信』を発行、戦時中の文学者の動向などを研究・調査してきた。2020年9月『空席通信』休載。「空席通信・余話」のSeesaaブログのみ継続。
青木 正美(あおき まさみ、男性、1933年4月22日 - … 青木 正美(あおき まさみ、男性、1933年4月22日 - )は、古書店主、日本近代文学研究者。
神林 留雄(かんばやし とめお、1933年2月12日 - 2… 神林 留雄(かんばやし とめお、1933年2月12日 - 2023年8月18日)は、日本の実業家。 東京出身で、東京都立上野高等学校を経て東京大学法学部卒業し、NTTデータ社長・会長などを歴任した。 1955年4月、日本電信電話公社(現 日本電信電話株式会社)入社。 1995年6月、NTTデータ通信株式会社(現 株式会社NTTデータグループ)の社長に就任。上場後約1年で東京証券取引所一部指定替えを果たすとともに、国内外同時募集の公募増資を行い、当社の経営基盤・財務基盤の礎を確立した。インターネットビジネス、電子商取引など、当時の新たな情報サービス分野に積極的に取り組むとともに、電子商取引実証推進協議会の理事に就任するなど、個社の垣根を越えて業界全体の発展に貢献した。
斎藤 守弘(さいとう もりひろ、1932年7月7日 - 20… 斎藤 守弘(さいとう もりひろ、1932年7月7日 - 2017年4月14日)は、日本の科学評論家、SF作家、超古代文明研究家。 1960年代、自分では前衛科学評論家を名乗った。日本考古学会会員、日本天文学会会員。超歴史学研究会理事。 東京府北豊島郡三河島町(現・東京都荒川区)出身。父は九州帝国大学(現・九州大学)農学部助手、母方の一族は三河島の大地主。第一峡田小学校(現・荒川区立峡田小学校)5年生の時、福島県伊達郡梁川町(現・伊達市)に疎開。中学校1年生の時に敗戦を迎えて東京に戻り、東京都立上野中学校(現・東京都立上野高等学校)に入る。当時、アメリカへの復讐として原子破壊機の発明を誓い、物理学の本を読みあさっていた。
佐藤 猛郎(さとう たけろう、1931年11月18日 - )… 佐藤 猛郎(さとう たけろう、1931年11月18日 - )は、英文学者。 東京生まれ。1954年東京教育大学英文科卒業。日本交通公社勤務、東京都立上野高等学校教諭、学習院高等科教諭、帝京技術科学大学教授、つくば国際大学教授。2002年定年退任。19世紀英文学、特にウォルター・スコットを研究。NPO日本スコットランド協会代表理事。日本カレドニア学会幹事。
奥野 中彦(おくの なかひこ、1930年8月29日 - 20… 奥野 中彦(おくの なかひこ、1930年8月29日 - 2010年11月18日)は、日本の歴史学者、国士舘大学教授。 東京市赤坂に弁護士の奥野彦六の二男として生まれる。二本松藩士の家だという。1951年に日本史を学ぶため大学に進学し、学生団体の早稲田大学歴史学研究会で日本中世史を学び、網野善彦、松本新八郎らの指導も受けていた。1955年に早稲田大学第一文学部を卒業し、同大学大学院に進学。大学院では前年に東京大学史料編纂所から転任していた西岡虎之助に学び、日本中世史を専攻する。東京都立上野高等学校教諭を勤めたのち、1981年鹿児島県立短期大学教授、1984年に山形県立米沢女子短期大学教授、1991年に国士館大学文学部教授となる。
足立原 貫(あだちはら とおる、1930年7月15日 - 2… 足立原 貫(あだちはら とおる、1930年7月15日 - 2025年6月30日)は、日本の哲学者。地べたの哲学者、土に根ざした思想―農哲学者・農学者(農業原論、農作業研究、農村地域研究)。詩人(筆名 光原邦夫)。東京市本所区(現在の墨田区)で生まれ。富山県富山市大沢野町小羽在住。 社会における“農”の機能の一端を担いつづけていこうとする“やる者”によって、開かれた営農体の確立と高度成長の時流への問題提起をねらい、“地球を耕そう”を合言葉に「農業技術者協会」結成。その実践の場を廃村に求めた。また廃村を拠点とした運動を基軸に「人と土の大学」「草刈り十字軍」「『山崎賞』の創設」「中国への技術協力」など幅広い実践を続けた。
堀 源一郎(ほり げんいちろう、1930年5月19日 - 2… 堀 源一郎(ほり げんいちろう、1930年5月19日 - 2023年3月14日)は日本の天文学者。専門は天体力学。東京大学名誉教授。 東京府北豊島郡日暮里町(現・東京都荒川区西日暮里)出身。荒川区立真土小学校(現・荒川区立ひぐらし小学校)から東京市立第二中学校(現・東京都立上野高等学校)に進み、その後第一高等学校を経て学制改革で東京大学を再受験し、東大理科に入学した。 萩原雄祐の弟子で、専門は師の萩原と同じく天体力学。天体力学の中でも、惑星、衛星、人工衛星の長年運動理論の世界的権威であり、特に1966年に発表した正準変数による一般摂動理論は、2020年7月現在で実に390篇の他の論文に引用されている。
俵 浩三(たわら ひろみ、1930年5月11日 -2020年… 俵 浩三(たわら ひろみ、1930年5月11日 -2020年11月30日)は、日本の景観学者、林学者、専修大学北海道短期大学名誉教授、学術博士(北海道大学)。東京都台東区生まれ。
渡辺 滉(わたなべ ひろし、1930年1月20日 - 202… 渡辺 滉(わたなべ ひろし、1930年1月20日 - 2021年6月8日)は、日本の実業家。三和銀行頭取や三菱東京UFJ銀行名誉顧問のほか、全国銀行協会連合会副会長、経済同友会副代表幹事等の公職も務めた。1993年藍綬褒章受章。 東京・赤羽出身。渡辺幸吉(中央大学名誉教授)は父。旧制第二東京市立中学校(東京都立上野高等学校の前身)を経て、旧制東京商科大学(一橋大学の前身)に入学。渡辺文雄(俳優)は旧制中学の同級生。大学時代は弓道部に所属。またキリスト教青年会にも参加。大学同期の伊藤助成(元日本生命社長)と親しい関係であった。 1953年に大学を卒業し、三和銀行入行。入行後は、丸善石油(現コスモ石油)や岩井産業(現双日)への出向を経て、営業本部第二部長、融資部長、営業本部長等、国内営業部門を歩み、1988年に川勝堅二の後任として、頭取に就任した。
黄 信介(こう しんかい、1928年8月20日 - 1999… 黄 信介(こう しんかい、1928年8月20日 - 1999年11月30日)は台湾の政治家。祖籍は福建省安渓。原名は黄金竜。 1940年代初め、小学を卒業した黄信介は日本に渡り印刷工として働きながら旧制上野中学(現在の東京都立上野高等学校)に学んだ。1946年台湾に戻り、1948年には北京大学に合格するも国共内戦により入学は実現しなかった。1949年に台湾地方行政専科学校(現在の 国立台北大学)に入学し、1951年に卒業した。 黄信介は学生時代政治活動に積極的に参加するようになり、専科学校入学直後には中国国民党に入党している。1950年冬、国民党の指示に従い、1954年以降の台北市長選挙に応援として参加し候補者当選に貢献した。
小森 厚(こもり あつし、1928年1月15日 - 2002… 小森 厚(こもり あつし、1928年1月15日 - 2002年4月3日)は、動物園職員の文筆家。 インド・ボンベイ生まれ、長崎県出身。1947年東京都立上野高等学校夜間部卒。在学中から上野動物園に就職。1964年から多摩動物公園勤務、飼育課長をへて1979年上野動物園飼育課長。1984年退職、日本動物園協会事務局長となる。日本動物園水族館協会専務理事、のち顧問を務めた。 1966年、毎日出版文化賞(小原秀雄,浦本昌紀共著『現代の記録・動物の世界』)受賞。
堤 精二(つつみ せいじ、1927年2月27日 -2017年… 堤 精二(つつみ せいじ、1927年2月27日 -2017年11月7日)は、日本の国文学者。お茶の水女子大学名誉教授。専門は日本近世文学、特に井原西鶴。息子に堤玄太がいる。 東京市小石川区(現在の東京都文京区)に生まれる。1945年(昭和20年)3月、都立上野中学校(現在の東京都立上野高等学校)卒業。1948年(昭和23年)3月、松本高等学校(現在の信州大学)文科乙類卒業。松本高校在学時代は蹴球ばかりしていて1年留年した。松本高校の体育教師は彼に97点という成績をつけたが、これはこの教師が松本高校で教えていた期間中最高の点数だったという。 1952年(昭和27年)3月、東京大学文学部国語国文学科卒業、同大学文学部助手。
肥後 亨(ひご とおる、1926年〈大正15年〉3月25日 … 肥後 亨(ひご とおる、1926年〈大正15年〉3月25日 - 1964年〈昭和39年〉3月8日)は、日本の政治活動家。広義の行動右翼に該当するが任侠系人士ではない。東京商科大学(現・一橋大学)中退。 1950年代から1960年代にかけて、各地の選挙に出馬して奇怪なパフォーマンスを繰り広げた右翼活動家である。個人的な信念によって選挙に出馬しているように見えたが、実際は政界の大物から資金の提供を受け、革新陣営に対する選挙妨害を目的とした政治ゴロであった。保守・革新の対立する時代(55年体制)において、「権力の選挙」「金力の選挙」の象徴的人物。 最終的に、1963年4月のニセ証紙事件に関連して発覚した「はがき横流し事件」で1963年5月に逮捕された。
中村 雄二郎(なかむら ゆうじろう、1925年(大正14年)… 中村 雄二郎(なかむら ゆうじろう、1925年(大正14年)10月13日 - 2017年(平成29年)8月26日)は、日本の哲学者、評論家、文学博士。明治大学名誉教授。 東大哲学科卒。卒業後、文化放送に就職するが、1955年から明大に勤務し、1964年に教授となった。 早くからフランス人文主義に関心をもち、パスカルやデカルトを研究し『パスカルとその時代』(1965年)を書く。一方、近代合理主義を厳しく批判し、感性や情念の正当な位置づけを試みて『感性の覚醒』(1975年)を著した。また人間存在を根源から回復させる方法として、人間の共通感覚を重視する『共通感覚論』(1979年)を執筆。現代日本を代表する国際的な哲学者の一人。
太田 武彦(おおた たけひこ、1925年1月5日 - 没年不… 太田 武彦(おおた たけひこ、1925年1月5日 - 没年不明)は、日本の作詞家、元自衛官。別名義に太田 かおる、太田 かほる。 現在の東京都江戸川区生まれ。1944年(昭和19年)に旧制上野中学校を卒業後、陸軍少年飛行兵に志願して終戦を迎える。復員後は国警秋田県本部に採用され警察官となったが、1950年(昭和25年)の警察予備隊発足と同時に入隊して以降、陸上自衛隊で仙台・青森・札幌・帯広を経て美幌駐屯地に転属した。 美幌時代は本名もしくは「太田かほる」名義で作詞の懸賞募集への投稿を精力的に行い、1966年(昭和41年)に北海道が公募した「道民のうた」で応募作「光あふれて」が入選した。以降も1970年(昭和45年)の日本万国博覧会公式テーマソング「世界のひろばで」、三越の2代目社歌などで入選。
石田 五郎(いしだ ごろう、1924年〈昭和9年〉2月21日… 石田 五郎(いしだ ごろう、1924年〈昭和9年〉2月21日 - 1992年〈平成4年〉7月27日)は、日本の天文学者・文筆家。理学博士(東京大学・論文博士・1978年)。元東京大学教授。 萩原雄祐に師事。自称・二世天文屋。但し、石田にとって初代の天文屋とは野尻抱影のことであり、決して学問上の恩師である萩原のことではない。 東京天文台(三鷹市)に1年、かつて麻布狸穴町にあった東京大学理学部天文学教室に9年、東京大学東京天文台(現:国立天文台)岡山天体物理観測所に24年勤務した。 天文学者である一方で、歌舞伎や能などの日本伝統芸能・文学・美術・音楽などの広い分野に造詣が深く、『天文台日記』をはじめとする一般向け書籍を多く上梓した文筆家としても知られる。
市川 平三郎(いちかわ へいざぶろう、1923年10月28日… 市川 平三郎(いちかわ へいざぶろう、1923年10月28日 - 2014年8月15日)は、日本の医学者。医学博士。専門は放射線医学。国立がんセンター名誉院長。東京都出身。
重富 健一(しげとみ けんいち、1923年3月16日 -20… 重富 健一(しげとみ けんいち、1923年3月16日 -2020年10月11日)は、日本の経済学者。専門は農業経済学。東洋大学名誉教授。 佐賀県生まれ。佐賀師範学校卒、1945年東京高等師範学校卒、1947年まで東京都立上野中学校(旧制)(現東京都立上野高等学校)教諭、1950年京都大学農学部卒、政治経済研究所研究員、1961年東洋大学経済学部専任講師、1962年助教授、1967年教授。1976年東洋大学理事。1979年評議員。1983年東洋大学経済研究所長。1992年退任、名誉教授。 全日本学生自治会総連合設立に関わり、日本共産党に入党した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
守屋 富生(もりや とみお、1921年10月11日 - 20… 守屋 富生(もりや とみお、1921年10月11日 - 2007年?)は、日本の英文学者。早稲田大学名誉教授。アーノルド・ベネットを専門とした。 北海道沙流郡(現日高町)出身。1942年早稲田大学文学部英文科入学、1943年学徒出陣し、1944年特別措置で大学を卒業。温祢古丹島に駐留、1945年ポツダム少尉。1946年早大大学院に在籍。1948年東京都立上野高等学校教諭、1953年谷崎精二の世話で早稲田高等学院教諭、1956年早大文学部専任講師、1959年助教授、1964年教授、1972-1974年第二文学部長、1992年定年退任、名誉教授。1996年勲四等旭日小綬章受勲。
朝倉 隆太郎(あさくら りゅうたろう、1921年8月7日 -… 朝倉 隆太郎(あさくら りゅうたろう、1921年8月7日 - 2002年10月21日)は、日本の地理学者・教育学者。 栃木県宇都宮市生まれ。1942年東京高等師範学校卒。1945年9月東京文理科大学地理学科卒、東京都立上野中学校(現東京都立上野高等学校)教諭。47年東京高等師範学校附属中学校(現筑波大学附属中学校・高等学校)教諭。51年東京教育大学助教授。56年文部省初等中等教育局長事務官、58年同教科調査官。1963年宇都宮大学学芸学部助教授、68年教養部助教授、70年教授、72年教育学部教授、74-78年宇都宮大学教育学部附属中学校校長、1979年筑波大学教授、85年定年退官、上越教育大学教授、87-89年上越教育大学附属中学校校長兼任、90年定年退官、名誉教授、豊田短期大学教授、94年学長。
尾形 仂(おがた つとむ、1920年1月28日 - 2009… 尾形 仂(おがた つとむ、1920年1月28日 - 2009年3月26日)は、日本の国文学者。
安良岡 康作(やすらおか こうさく、1917年9月14日 -… 安良岡 康作(やすらおか こうさく、1917年9月14日 - 2001年10月1日)は、日本の国文学者。東京学芸大学名誉教授。日本中世文学、国語教育専攻。
神田 順治(かんだ じゅんじ、1915年3月29日 - 20… 神田 順治(かんだ じゅんじ、1915年3月29日 - 2005年8月13日)は、元日本野球規則委員会委員長、東京大学運動会硬式野球部監督、東京大学教養学部教授。 1915年(大正4年)、東京・本郷に生まれる。第二東京市立中学校(現東京都立上野高等学校)、第八高等学校を経て、1936年(昭和11年)に東京帝国大学文学部教育学科に入学し、1939年に卒業後は厚生省体力局体育科に嘱託職員として勤務。中国戦線に応召し、南苑飛行場整備班長の陸軍中尉であった。 復員後、東京大学厚生部に勤務し、東京大学運動会主事を経て、東京大学運動会硬式野球部監督、1949年より同大教養学部助教授。プロ野球コミッショナー参与、朝日新聞社運動部嘱託、清和女子短期大学教授などを歴任。
桑原 甲子雄(くわばら きねお、1913年〈大正2年〉12月… 桑原 甲子雄(くわばら きねお、1913年〈大正2年〉12月9日 - 2007年〈平成19年〉12月10日)は、日本の写真家、写真評論家、編集者。 東京府東京市下谷車坂町(現東京都台東区東上野)に生まれる。濱谷浩とは幼なじみ。1926年に東京市立第二中学校(現都立上野高校)入学。1931年の卒業後、体をこわし進学を断念。家業の質屋を手伝うが商売が厭わしく、同じ町内に住んでいた濱谷の影響もあって、中古のベスト・ポケット・コダックを手に入れ写真を撮りはじめる。1934年にはライカI(C)型をフォーディス距離計付きで父親に200円で買ってもらい、アマチュア写真家として活発に活動を始め、1934年のうちに浅沼商会発行の写真雑誌『写真新報』主催、シュミット商会協賛のライカ作品公募コンクール第2回の特賞を獲得している。
宮口 精二(みやぐち せいじ、1913年〈大正2年〉11月1… 宮口 精二(みやぐち せいじ、1913年〈大正2年〉11月15日 - 1985年〈昭和60年〉4月12日)は、日本の俳優。本名は宮口 精次。身長159 cm。 築地座を経て文学座に参加し幹部座員として多くの舞台に立ち、文学座退団後は東宝演劇部に所属し商業演劇に出演した。戦後から映画にも多く出演、巨匠監督の作品に立て続けに起用され脇役として活躍した。主な出演映画に『七人の侍』『張込み』『日本のいちばん長い日』など。亡くなるまで約15年間、編集兼発行人として季刊『俳優館』を出し続けた。 1913年(大正2年)11月15日、東京府東京市本所区緑町(現:墨田区緑)に、大工の父・周市と母・もとの6人兄弟の次男として生まれる。
大宮 敏充(おおみや としみつ、1913年4月13日 - 1… 大宮 敏充(おおみや としみつ、1913年4月13日 - 1976年12月23日)は昭和時代に浅草を中心に活躍したコメディアンである。本名は、恒川 登志夫。大宮デン助はあるいは単にデン助という愛称で広く知られている人物。彼が演じるキャラクター「デン助」は戦後浅草喜劇界やテレビで一世を風靡した。脚本を執筆する際の、ペンネームは言問 三平。
大宮 敏充(おおみや としみつ、1913年4月13日 - 1… 大宮 敏充(おおみや としみつ、1913年4月13日 - 1976年12月23日)は昭和時代に浅草を中心に活躍したコメディアンである。本名は恒川 登志夫(つねかわ としお)。 「大宮デン助」はあるいは単に「デン助」という愛称で広く知られている人物。彼が演じるキャラクター「デン助」は、戦後浅草喜劇界やテレビで一世を風靡した。脚本を執筆する際のペンネームは「言問 三平」。 東京府東京市浅草区(現:東京都台東区浅草)生まれ。旧制第二東京市立中学校※五年制(現:東京都立上野高等学校)を3年で中退後、当時のスター歌手・田谷力三に憧れ芸能界入り。実家からは勘当され独力でタップダンスを習得、これを糧にする。1939年、26歳にて大宮登志夫の芸名で一座を結成。
高橋 義孝(たかはし よしたか、1913年3月27日 - 1… 高橋 義孝(たかはし よしたか、1913年3月27日 - 1995年7月21日)は、日本のドイツ文学者・評論家・随筆家。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1961年)(学位論文「文学研究の諸問題」)。九州大学教授、名古屋大学教授などを歴任。 1913年、東京府東京市神田区生まれ。錦華尋常小学校、第二東京市立中学校(現東京都立上野高等学校)で学び、その際には福田恆存と同級であった。旧制高知高等学校を経て、東京帝国大学独文科に進んだ。1935年、東京帝国大学を卒業。その後は同大学大学院に進学し、1936年に卒業。翌1937年よりフンボルト財団給費生としてベルリン大学へ留学。1938年、ケルン大学へ移りドイツ文学を学んだ。
山崎 正一(やまざき まさかず、1912年11月4日 - 1… 山崎 正一(やまざき まさかず、1912年11月4日 - 1997年8月17日)は、日本の哲学者。東大名誉教授。臨済宗の僧侶。谷中・興禅寺先住職。
福田 恆存(ふくだ つねあり、1912年〈大正元年〉8月25… 福田 恆存(ふくだ つねあり、1912年〈大正元年〉8月25日 - 1994年〈平成6年〉11月20日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。現代演劇協会理事長、日本文化会議常任理事、日本芸術院会員などを務めた。名前については「こうそん」と音読みされることも多い。 保守派の文士であり、進歩的文化人を批判した『平和論にたいする疑問』(1955年)は、戦後思潮の転換点となる。討議倫理が戦後民主主義を軸とする進歩派にも影響を与えるなど、戦後日本を代表する思想家。 また、同時期には『ハムレット』(1955年)をはじめとするシェイクスピア戯曲の翻訳、演出を開始する。新劇を日本の近代化問題の象徴的な弱点と捉え、演劇の革新に取り組んだ。
市川 都志春(いちかわ としはる、1912年〈明治45年〉1… 市川 都志春(いちかわ としはる、1912年〈明治45年〉1月18日 - 1998年〈平成10年〉4月29日)は、日本の作曲家、音楽教育者。教育芸術社の創業者。静岡県浜松市出身。 音楽教育に力を入れ、多くの音楽教科書の著述、編集を務めたことで知られる。また、各地の学校で校歌の作曲を多く手がけている。 浜松市で生まれ、中学からは東京に移り住んだ。旧制市立ニ中(現・東京都立上野高等学校)では、福田恆存(英文学)、高橋義孝(独文学)と同期。作曲を志し、1935年に東京音楽学校の器楽部ヴァイオリン科に入り、安藤幸子、ウィリー・フライに師事した。また課外でクラウス・プリングスハイムに作曲を学び、1937年本科卒業後は研究科に進んで、信時潔に半年間作曲を学ぶ。
浅香 幸雄(あさか ゆきお、1910年4月29日 - 199… 浅香 幸雄(あさか ゆきお、1910年4月29日 - 1994年7月24日)は、日本の地理学者。学位は、理学博士(東北大学)。東京教育大学名誉教授。 富山県高岡市出身。1932年東京高等師範学校卒、陸軍士官候補生、1936年東京文理科大学地理学科卒。 1953年「近世期の集落発達に関する地理学的研究」で、東北大学より理学博士の学位を取得(主査:富田芳郎教授)、東京市立第二中学校(現東京都立上野高等学校)教諭、朝鮮水原の高等農林学校の地理博物教員養成所教員、1944年東京高等師範学校教授、1949年至徳専門学校(現国士舘大学)地理科教授(兼任)、東京教育大学教授。74年定年退官、名誉教授、専修大学教授、1981年北陸工業専門学校教授、富山県教育委員会長。
岩田 孝三(いわた こうぞう、1907年1月30日-1994… 岩田 孝三(いわた こうぞう、1907年1月30日-1994年2月21日)は、日本の地理学者。専門は地政学。 新潟市出身。本籍は埼玉県浦和市。1930年東京高等師範学校文科第一部卒業、1933年東京文理科大学地理学科卒業。1934年同大学院退学、第二東京市立中学校(現東京都立上野高等学校)教諭、1936年陸軍経理学校教授、1937年陸軍教授。1945年敗戦により解雇、1951年東京学芸大学教授。1952年「わが国、国界、藩界についての政治地理学的研究」で東北大学理学博士(主査 富田芳郎教授)。1970年東京学芸大学定年退官、名誉教授、国士舘大学文学部地理学専攻教授。
熊澤 英昭 は、日本の農林官僚。姓の「澤」は「沢」の旧字体で… 熊澤 英昭 は、日本の農林官僚。姓の「澤」は「沢」の旧字体であるため、熊沢 英昭とも表記される。
齊藤 紀子(さいとう のりこ)は、テレビ東京所属のテレビプロ… 齊藤 紀子(さいとう のりこ)は、テレビ東京所属のテレビプロデューサー。
鈴木 杏樹 は、日本の女優、司会者、歌手。ジャパン・ミュージ… 鈴木 杏樹 は、日本の女優、司会者、歌手。ジャパン・ミュージックエンターテインメント(イー・コンセプト)所属。
高橋 大海(たかはし たいかい)は、日本の声楽家(バス)、指… 高橋 大海(たかはし たいかい)は、日本の声楽家(バス)、指揮者、音楽教育者。 東京都立上野高等学校卒業。東京藝術大学卒業・同大学院修了。ドイツ・イタリア留学。 オペラのデビューは、1966年(昭和41年)二期会・都民劇場ワーグナー『タンホイザー』(原語初演)ラインマル。二期会、東京室内歌劇場、日生劇場等で活躍し、歌手としての出演は1996年(平成8年)日生劇場オネゲル『火刑台上のジャンヌ・ダルク』ドミニクまで約100作品にのぼる。一方、1980年代以降はスタッフ側につくことが多くなり、歌唱指導、制作、公演監督などを務め、そして1990年代からはオペラ指揮者として活動を開始し、2000年代以降は専らオペラ指揮者として活躍している。
津田 和男(つだ かずお)、1948年(昭和23年)- 20… 津田 和男(つだ かずお)、1948年(昭和23年)- 2025年(令和7年)は、日本の教育者。国連国際学校教員。 埼玉県出身。麹町小学校、麹町中学校、東京都立上野高等学校、上智大学文学部卒業。上智大学では、社会学者鶴見和子のゼミに所属し、マックス・ウェーバーや柳田国男の研究に没頭した。ニューヨーク国連国際学校日本語教師、北東部日本語教師会会長。小学校から中学校まで、連合赤軍事件の吉野雅邦と同級生であった。