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小杉 泰(こすぎ やすし、1953年12月10日 - )は、… 小杉 泰(こすぎ やすし、1953年12月10日 - )は、日本のイスラム研究者。立命館大学立命館アジア日本研究機構教授。元京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授。紫綬褒章受章。 1953年、北海道夕張市生まれ。神奈川県立希望ヶ丘高等学校を経て、東京外国語大学アラビア語学科に進学。その後、エジプトに留学し、1983年、エジプト国立アズハル大学イスラーム学部タフスィール・クルアーン学科卒業。 1984年、国際大学大学院国際関係学研究科助手、1985年、同大学中東研究所主任研究員・主幹、1986年同大学大学院国際関係学研究科専任講師。1989年、同助教授、1997年、同教授。1998年、京都大学東南アジア研究センター教授。
國廣 喜和武(くにひろ きわむ、1953年8月31日 - )… 國廣 喜和武(くにひろ きわむ、1953年8月31日 - )は、日本の実業家。ポッカサッポロフード&ビバレッジ代表取締役社長や、森を育む紙製飲料容器普及協議会会長を務めた。 神奈川県逗子市生まれ。のち大和市、横浜市に転居し、神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒業後、3年間の大学受験浪人生活を経て、横浜国立大学経済学部に進学。佐藤金三郎ゼミ出身。 1979年に大学卒業後、サッポロビール入社。1995年北陸支社富山支店長。998年東京支社特約店営業部長。2000年首都圏本部特約店営業部長。2001年営業部グループリーダー。2003年札幌支社札幌支店長。2004年北海道本部札幌支店長。2006年東海北陸本部長。
石井 辰彦(いしい たつひこ、1952年6月7日 - )は、… 石井 辰彦(いしい たつひこ、1952年6月7日 - )は、日本の歌人。本名同じ。いずれの結社にも属さないTanka poet。作品に古今東西の芸術作品を引用、暗示するとともに句読点や記号類を多用、また、文語と口語を混淆させ視覚的な配列をも重視する連作構造を採る特異な作風に特徴がある。アクロスティック、ダブル・アクロスティック、隠し題等の遊び心に満ちた作品も多い。 神奈川県横浜市生まれ、同市育ち。1968年(昭和43年)神奈川県立希望ヶ丘高等学校に入学。二浪の後、1973年(昭和48年)早稲田大学商学部に入学した。入学直前に三一書房が募集した現代短歌大系新人賞に「七竈」50首で応募、同賞を受賞した。
山梨 俊夫(やまなし としお、1948年4月1日 - )は、… 山梨 俊夫(やまなし としお、1948年4月1日 - )は、日本の美術史家、国立国際美術館館長。日本とフランスの近現代美術を主な専門領域とし、数多くの展覧会企画を担当する。 神奈川県横浜市生まれ。1972年東京大学文学部美学美術史学科卒業。1976年神奈川県立近代美術館学芸課勤務、1992年同館学芸課長、2002年副館長、2004年館長。定年後も非常勤館長として勤務。2011年国立国際美術館館長。2013年全国美術館会議副会長。2017年『風景画考』で平成28年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
山木 利満(やまき としみつ、1947年(昭和22年)5月3… 山木 利満(やまき としみつ、1947年(昭和22年)5月3日 - )は、日本の実業家。元小田急電鉄代表取締役会長執行役員。元日本民営鉄道協会会長。公益財団法人小田急財団理事長(代表理事)。小田急電鉄株式会社特別顧問
高橋 勝(たかはし まさる、1946年10月19日- )は、… 高橋 勝(たかはし まさる、1946年10月19日- )は、日本の教育学者、横浜国立大学名誉教授、帝京大学専門職大学院教職研究科長(教授)。専門は、教育哲学、教育人間学、ドイツ教育思想、道徳教育論。神奈川県出身。
太田 正孝(おおた まさたか、1945年〈昭和20年〉11月… 太田 正孝(おおた まさたか、1945年〈昭和20年〉11月11日 - )は、日本の政治家、実業家。横浜市会議員(12期)。 神奈川県横浜市磯子区出身。1961年、日本鋼管鶴見造船所養成校に入学。1964年に神奈川県庁に入庁し、働きながら1966年に神奈川県立希望ヶ丘高等学校定時制を卒業する。中央大学法学部通信教育課程中退。 1971年、神奈川県庁を退職し、横浜市会議員選挙に立候補するが落選。1975年に再び横浜市議選に立候補したが、再度落選した。 1979年、新自由クラブ公認で磯子区選挙区から横浜市議選に立候補し、初当選を果たす。新自由クラブ解党後は横浜市会で横浜自由クラブを結成。1987年の横浜市議選では横浜自由クラブに加え、進歩党(新自由クラブ解党後、田川誠一が結成)推薦で3選を果たした。
大森 陽一(おおもり よういち、1944年1月4日 - )は… 大森 陽一(おおもり よういち、1944年1月4日 - )は、日本の特許庁技官。特許技監や、知的財産研究所専務理事、知的財産研究教育財団理事長を務めた。 長野県上伊那郡藤沢村(現伊那市)生まれ。神奈川県立希望ヶ丘高等学校を経て、埼玉大学理工学部卒業。特許庁に入庁し、特許技監や、一般社団法人知的財産研究所専務理事、一般財団法人知的財産研究教育財団理事長(代表理事)等を歴任した。2015年春の叙勲で瑞宝中綬章受章。
間塚 道義(まづか みちよし、1943年10月17日 - )… 間塚 道義(まづか みちよし、1943年10月17日 - )は、日本の実業家。富士通代表取締役会長兼社長や、同社取締役会長、情報通信ネットワーク産業協会会長、日本知的財産協会会長などを務めた。 東京都出身。神奈川県立希望ヶ丘高等学校を経て、1968年学習院大学経済学部経済学科卒業後、富士通ファコム入社。1971年富士通に転社。1999年常務理事兼産業営業本部長。2001年取締役東日本営業本部長。2002年執行役。2003年経営執行役常務。2005年取締役専務。2006年代表取締役副社長。2008年代表取締役会長。2009年代表取締役会長兼社長。2010年代表取締役会長。2012年取締役会長。2014年社内定年規定に従い取締役相談役に退いた。
佐藤 次高(さとう つぎたか、1942年8月27日 - 20… 佐藤 次高(さとう つぎたか、1942年8月27日 - 2011年4月11日)は、日本の歴史学者。専門はアラブ・イスラーム史。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1981年)(学位論文「アラブ中世社会史研究」)。東京大学名誉教授。東洋文庫研究部長、日本中東学会会長、史学会理事長、早稲田大学文学学術院教授などを歴任。 1973年流沙海西奨学会賞受賞。2000年恩賜賞・日本学士院賞受賞。 1942年8月27日神奈川県横浜市に生まれる。神奈川県立希望ケ丘高等学校から、1961年東京大学理科II類に入学するが、1963年文学部東洋史学科へ進学。1965年東京大学文学部東洋史学科を卒業、卒業論文はアッバース朝時代の行政制度に関するものであった。
髙橋 正征(たかはし まさゆき、1942年7月6日 - )は… 髙橋 正征(たかはし まさゆき、1942年7月6日 - )は、日本の生態学者。東京大学名誉教授、高知大学名誉教授。専門分野は、生態学、生物海洋学、地球環境科学、海洋深層水利用学。 神奈川県横須賀市生まれ。1961年神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒業後、1965年東京教育大学理学部卒。東京教育大学理学研究科博士課程修了(植物学専攻)。1970年東京教育大学に博士論文「Physiological and ecological studies on photosynthetic sulfur bacteria in aquatic environments(水界における光合成硫黄細菌の生理生態学的研究)」を提出し理学博士を取得。
門奈 紀生(もんな としお、1940年4月21日 - )は日… 門奈 紀生(もんな としお、1940年4月21日 - )は日本のバンドネオン奏者。タンゴ楽団『アストロリコ』代表。東京都出身。神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒業。 中学生のときに聴いたタンゴのレコードに魅せられて、21歳のときにバンドネオンを始める。新宿のキャバレーのタンゴバンドでデビューを果たし、ダンスホールなどのいろいろ楽団を転々して、『坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテーニャ』に入団し、海外公演もこなす。『ロス・タンゲーロス』を始めとして、様々な楽団での演奏もある。 1973年、プロのバンドネオン奏者としての活動を休止する。プロ活動休止の間も、教会で賛美歌をバンドネオンで演奏することもしていた。
冨沢 篤紘(とみざわ あつひろ、1939年(昭和14年)12… 冨沢 篤紘(とみざわ あつひろ、1939年(昭和14年)12月5日 - [疑問点 – ノート])は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)・元神奈川県議(2期)・元大和市議(1期)。 神奈川県大和市生まれ。神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒業。1963年(昭和38年)慶應義塾大学法学部卒業後、都市銀行に入行し、のちに貸しビル会社社長を務めた。1979年(昭和54年)より大和市市議会議員を1期、1987年(昭和62年)から神奈川県議会議員(自民党)を2期務め、1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で神奈川13区から出馬し中曽根派現職甘利明破り初当選。新進党分党で1998年(平成10年)1月改革クラブに、その後1999年(平成11年)12月民主党に移ったが、2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙では前回比例復活した甘利に破れ落選した。
田中 美一(たなか よしかず、1938年 - 2012年2月… 田中 美一(たなか よしかず、1938年 - 2012年2月23日)は、神奈川県横浜市出身のアマチュア野球審判員。六大学野球、都市対抗野球大会、春夏の甲子園などの大試合で球審を任され、「ミスター球審」と呼ばれた。 小学4年生の時から野球を始め、中学、神奈川県立希望ケ丘高等学校時代は投手だった。高校時代は投手・4番で2年次と3年次に県ベスト4という活躍を見せる。 立教大学に進むも、1年から2年に上がる春のキャンプで他の選手の打球を右足首に受けて骨折。その後は伸び悩み、リーグ戦で投げることはできなかった。日本通運浦和に就職後、捕手に転向し、4年で社会人野球を辞めた後は横浜市にある実家の材木店を継いだ。
杉崎 喬(すぎさき たかし、1935年10月20日 - )は… 杉崎 喬(すぎさき たかし、1935年10月20日 - )は、日本の録音技師である。東京録音現像チーフミキサーを経て、ニューメグロスタジオ常務取締役を歴任した。日本映画・テレビ録音協会元会員。 1935年(昭和10年)10月20日、日本統治時代の朝鮮の全羅南道光州府(現在の大韓民国光州広域市)に生まれる。 第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)4月、新制・神奈川県立希望ヶ丘高等学校に進学、1954年(昭和29年)3月、同校を卒業する。1955年(昭和30年)、東京録音現像に入社、録音部に配属される。同社はいわゆる「目黒スタジオ」と通称され、同社創業者であり代表取締役であった金井喜一郎(1901年 - 1961年)は、都映画社代表や、伊藤武郎らの独立映画の監査役も務めており、したがって同社は、独立系のアフレコや現像を請け負うポストプロダクションであった。
大須賀 明(おおすが あきら、1934年1月21日 - 20… 大須賀 明(おおすが あきら、1934年1月21日 - 2015年12月23日)は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1984年)(学位論文「生存権論」)。早稲田大学名誉教授。元早稲田大学比較法研究所所長。元司法試験第二次試験考査委員(憲法)。神奈川県横浜市出身。女優・十朱幸代は母方の従妹。 特に社会権関係の研究で知られる。生存権について具体的権利説を推進した。具体的権利説によれば具体的な立法(例えば生活保護法)が存在しなくとも、直接憲法25条によって司法に訴えることが出来ることになる。大須賀の具体的権利説の場合は、立法権(国会)に対してその最高機関性をなるべく侵害しない形で、作為を義務づけるのではなく、不作為の違憲確認訴訟を起こすことにその意義がある。
米川 忠吉(よねかわ ただよし、1932年(昭和7年)10月… 米川 忠吉(よねかわ ただよし、1932年(昭和7年)10月1日 - 2011年(平成23年)9月16日)は、日本の航空自衛官。第19代航空幕僚長。 神奈川県横浜市出身。横浜第一中学、希望ヶ丘高校を経て、青山学院大学へ進み、学生時代はラグビーに熱中した。入隊の動機は、1955年(昭和30年)頃は不況で入社を予定していた会社は皆、採用中止となり、自衛隊に入隊した親戚やラグビー部の同輩に相談し、入隊を勧められた。陸上自衛隊の採用試験を受験し、第15期一般幹部候補生として採用されたが、採用となってから航空自衛隊のパイロット要員が足りないため、空自に行かないかとの話があり、興味もあったことから航空自衛隊に入隊した。
行天 豊雄(ぎょうてん とよお、1931年1月2日 - )は… 行天 豊雄(ぎょうてん とよお、1931年1月2日 - )は、日本の大蔵官僚、財務官。 神奈川県出身。1943年(昭和18年)に間門国民学校卒業、1948年(昭和23年)には神奈川県立横浜第一中学校卒業した。 同年、第一高等学校に入学。同校文科乙類(ドイツ語)のクラスメートには、本間長世(東大名誉教授、アメリカ史)、芳賀徹(東大教授、比較文化史)、高階秀爾(東大教授、美術史)らがいた。翌年、学制改革に伴い新制東京大学を受験するも不合格となり、1950年(昭和25年)に早稲田大学政治経済学部新聞学科に入学した。同大学新聞学科のクラスメートには、早坂茂三(田中角栄秘書)、岡村喬生(オペラ歌手)、越智勝幸(日本経済新聞政治部長)らがいた。
左近 淑(さこん きよし、1931年1月2日 - 1990年… 左近 淑(さこん きよし、1931年1月2日 - 1990年9月7日)は、日本の牧師・聖書学者。 日本画家であった父・木下茂・イクの次男として神奈川県横浜市に誕生。旧制神奈川県立横浜第一中学校を卒業。肺病による療養生活、並びに敗戦による心身両面の挫折を契機に1947年、日本基督教団横浜明星教会にて洗礼を受け、同時に伝道者としての召命を与えられて、1948年、日本基督教神学専門学校(現・東京神学大学)に入学。 1955年、「アリステアスの手紙」の研究で、同校より神学修士を授与される。日本基督教団四谷新生教会伝道師を経て、1958年から1963年にかけてフルブライト奨学金を得てニューヨークのユニオン神学大学大学院Th.D.課程に学ぶ。
黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929年2月20日 - 19… 黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929年2月20日 - 1997年4月10日)は、日本の作曲家。戦後のクラシック音楽、現代音楽界を代表する音楽家の一人として知られる。また、東京藝術大学作曲科講師として後進の育成にもあたった。
小此木 彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう、1928年〈昭和3年… 小此木 彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう、1928年〈昭和3年〉1月26日 - 1991年〈平成3年〉11月4日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等。建設大臣(第52代)、通商産業大臣(第43代)、衆議院議員(8期)。 神奈川県横浜市出身。父親は衆議院議員の小此木歌治。三男は元衆議院議員の小此木八郎。1945年5月の横浜大空襲で母と妹を亡くす。 神奈川県立第一中学校を経て、1952年に早稲田大学文学部哲学科卒業。父の教育方針で関西で修業、1953年に父が死去、家業の材木商を継ぐ。藤木企業の大番頭の伊藤清蔵の長女と結婚。 1963年、横浜市会議員にトップで初当選。人口増加問題や遅れをとっていた都市整備問題に取り組む。
小原 敏人(こはら としひと、1927年1月15日 - )は… 小原 敏人(こはら としひと、1927年1月15日 - )は日本の実業家。日本ガイシ社長・会長、日本ファインセラミックス協会会長等を務めた。勲二等瑞宝章、フランス共和国レジオンドヌール勲章シュヴァリエ章、ベルギー王冠章コマンドール勲章、藍綬褒章受章、日本セラミックス協会賞功労賞受賞、在名古屋フランス名誉領事。
藤永 保(ふじなが たもつ、1926年10月2日 - 201… 藤永 保(ふじなが たもつ、1926年10月2日 - 2016年1月21日)は、日本の発達心理学者。専門は幼児心理。お茶の水女子大学名誉教授。 山口県下関市に生まれる。神奈川県立横浜第一中学校卒、1948年第一高等学校卒、1952年東京大学文学部心理学科卒業。1954年東京大学大学院中退、東京外国語大学教務補佐員、1955年東京女子大学心理学科助手、1956年専任講師、1960年助教授、1967年教授、1968年お茶の水女子大学助教授、1970年教授、1992年定年退官、名誉教授、国際基督教大学特任教授、1997年定年退任、2006年~9年日本教育大学院大学学長、NPO法人保育子育てアドバイザー協会理事長。
桑田 弘一郎(くわた こういちろう、1926年(大正15年)… 桑田 弘一郎(くわた こういちろう、1926年(大正15年)9月18日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。朝日新聞社専務、全国朝日放送(テレビ朝日)社長として勤務。また日本民間放送連盟会長ともなった。 東京都渋谷区出身。1950年(昭和25年)早稲田大学文学部卒業。朝日新聞社入社。78年4月大阪本社編集局長、83年4月東京本社代表。 1983年(昭和58年)6月取締役・東京本社代表、86年6月常務・東京本社代表、87年6月常務・東京本社代表・電子計算室担当、88年6月専務・東京本社代表・電子計算室担当。 1989年(平成元年)6月、顧問を経て全国朝日放送社長に就任し、93年6月代表取締役相談役に退く。
岡部 三郎(おかべ さぶろう、1926年8月12日 - 20… 岡部 三郎(おかべ さぶろう、1926年8月12日 - 2024年6月25日)は、日本の農水官僚、政治家。元参議院議員(3期)。北海道開発庁長官(第64代)、沖縄開発庁長官(第33代)を務めた。 神奈川県横浜市出身。旧制横浜一中(現・神奈川県立希望ケ丘高等学校)、二高、東京大学農学部卒業。 1948年に農林省(現在の農林水産省)に入省。農林省構造改善局設計課長、構造改善局建設部長、構造改善局次長などを務め、1979年に農林省を退職。 ほかに、科学技術政務次官、参議院農林水産委員長、参議院内閣委員長、参議院教育改革・スポーツ振興特別委員会副委員長、参議院総合政策委員会委員、グリーン・ツーリズム議員懇談会会長、全国土地改良事業団連合会理事などの要職を歴任した。
上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 20… 上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 2019年6月28日)は、日本の哲学者。専門はドイツ哲学・宗教哲学。京都大学名誉教授。京都学派を継承し、禅、東西神秘主義、エックハルト、ハイデッガー、京都学派思想などの研究を行った。 1926年、高野山真言宗僧侶の父・上田天瑞の長男として東京都で生まれた。横浜市立間門小学校、神奈川県立横浜第一中学校で学んだ。1943年に中学を卒業し、第一高等学校に入学。太平洋戦争の戦局悪化により就学期間が2年短縮され、1945年3月に卒業。京都帝国大学文学部に進学したが、4月中に召集し、本土防衛の任に就いた。戦後、1946年に京都帝国大学文学部に復学。哲学科で宗教学を専攻した。
中村 俊一(なかむら しゅんいち、1926年〈大正15年〉1… 中村 俊一(なかむら しゅんいち、1926年〈大正15年〉1月4日 - 1980年〈昭和55年〉11月25日)は、日本の演出家、俳優、劇団「仲間」主宰者。 神奈川県横浜市生まれ。松尾鉱業の2代目社長中村正雄の長男。父方の祖父は松尾鉱業、太洋鉱業、増田屋各社長などをつとめた中村房次郎。母方の祖父は日本の社会主義運動の先駆者で、早稲田大学野球部を創設したことでも知られる安部磯雄で、母・京はその次女である。 1945年に早稲田大学文学部国文科を中退。千田是也の知遇を得て俳優講習所に学び、1945年に俳優座に入団。演出助手や舞台監督を経て、1949年に養成所講師となる。1953年、俳優座養成所の2期生とともに劇団仲間を結成、主宰者となる。
冨澤 繁信(とみざわ しげのぶ、1926年 - )は、日本の… 冨澤 繁信(とみざわ しげのぶ、1926年 - )は、日本の実業家・歴史研究家。日本「南京」学会理事兼事務局長。 神奈川県横浜市生まれ。東京大学文学部ドイツ文学科卒業、更に同大経済学部経済学科入学。 戦後の1951年、住友信託銀行入社。退任後は住商リースで副社長。1998年退任。 「新しい歴史教科書をつくる会」の創立に参加。
金子 太郎(かねこ たろう、1925年(大正14年)8月30… 金子 太郎(かねこ たろう、1925年(大正14年)8月30日 - 2020年(令和2年)12月26日)は、日本の大蔵官僚。環境庁(当時)事務次官、丸三証券社長、会長、エコノミスト、株式投資のプロ。フィランソロピストとして、財団の理事を務めた。 中国山東省青島で生まれ。父(金子慶治)は新潟県刈羽郡南鯖石村(現柏崎市)出身で、当時日本最大の鈴木商店を経て独立ビジネスや不動産投資で成功し、戦後、東京・田園調布の邸宅を連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に一時没収されていた。母(旧姓城野民子)は博多の商家の出身。賢母の母に連れられ終戦より前に帰国後、八幡小学校、旧制横浜第一中学校、第一高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学法学部に入り、1949年3月に東京大学法学部政治学科を卒業。
種瀬 茂(たねせ しげる、1925年(大正14年)1月18日… 種瀬 茂(たねせ しげる、1925年(大正14年)1月18日 - 1986年(昭和61年)6月17日)は、日本の経済学者。マルクス経済学専攻。一橋大学学長、国立大学協会副会長、経済理論学会代表幹事等を歴任した。 神奈川県横浜市生まれ。横浜市立横浜小学校、神奈川県立横浜第一中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)、東京商科大学(現一橋大学)予科を経て、東京商科大学では杉本栄一ゼミナールに所属。1948年の卒業後、助手として大学に残る。助手時代は、杉本の『近代経済学の解明』において質問者の一人として貢献する。 1953年講師、57年助教授、65年教授。79年より2年間学部長。83年から2年間、野々村一雄一橋大学名誉教授の後任として経済理論学会代表幹事。
吉野 實(よしの みのる、1924年3月5日 - 2016年… 吉野 實(よしの みのる、1924年3月5日 - 2016年1月9日)は、日本の大蔵官僚。内閣官房公共企業体等関係閣僚協議会事務局次長、関東財務局長、造幣局長、防衛庁経理局長、防衛施設庁長官、防衛事務次官、航空貨物通関情報センター理事長、国際メディア研究財団理事長などを歴任。東京都新宿区市谷砂土原町在住。長男は吉野維一郎。 神奈川県藤沢市出身。旧制横浜第一中学校、旧制第一高等学校から東京帝国大学に入学。陸軍伍長、陸軍少尉を務め、1945年9月に退役。1949年2月 国家公務員六級職試験を合格。1950年1月 国家公務員一般職・専門職試験を合格。東京大学法学部政治学科卒業。1950年 大蔵省入省。
臼淵 磐(うすぶち いわお、1923年(大正12年)8月22… 臼淵 磐(うすぶち いわお、1923年(大正12年)8月22日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少佐。 海兵71期。太平洋戦争末期の天一号作戦(坊ノ岬沖海戦)に参加して戦死。個人的に親交があり、同作戦に参加して生還した作家の吉田満(当時・海軍少尉)の著書『戦艦大和ノ最期』や、その列伝作品『臼淵大尉の場合――進歩への願い』で取り上げられたことによって、戦後、広く知られるようになった。 なお、吉田満『戦艦大和ノ最期』を出典として広く知られている臼淵の発言 は、吉田満の創作である(→人物/エピソード/戦艦大和出撃時の挿話〈吉田満の創作〉)。 1923年(大正12年)8月22日、臼淵清忠・海軍機関中佐の長男として東京府東京市青山(現:東京都青山)に生まれる。
横山 亨(よこやま とおる、1923年1月9日 - 1998… 横山 亨(よこやま とおる、1923年1月9日 - 1998年11月17日)は、日本の金属工学者。第9代横浜国立大学学長。工学博士(東京大学)。 長野県東筑摩郡片丘村北内田(現松本市)生まれ。神奈川県横浜市育ち。旧制横浜第一中学校、旧制第一高等学校を経て、1945年東北帝国大学工学部航空学科卒業。横浜高等工業学校航空工学科助教授となる。1961年横浜国立大学工学部機械工学科教授。1962年西ドイツ・フンボルト研究員として理工学研究所客員研究員となる。1977年 横浜国立大学工学部長。1985年同学長。1988年退官。1996年勲二等旭日重光章受章。 父の横山盛彰は金沢高等工業学校校長を務めた。
吉瀬 維哉(よしせ しげや、1922年7月4日 - 2003… 吉瀬 維哉(よしせ しげや、1922年7月4日 - 2003年12月22日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。 神奈川県横浜市生まれ。横浜第一中学校時代、「開校以来の秀才」と言われていた。第一高等学校を経て、1944年、東京帝国大学法学部を卒業。武山海兵団に入団後、短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、第31海軍航空廠付となる。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年4月、東京監督官事務所横浜支部に転じ、造船関係を担当。同年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1946年に大蔵省へ入省し大臣官房文書課に配属。
浅沼 清太郎(あさぬま せいたろう、1920年〈大正9年〉1… 浅沼 清太郎(あさぬま せいたろう、1920年〈大正9年〉12月2日 - 2011年〈平成23年〉11月30日)は、日本の内務・警察官僚。警察庁長官。神奈川県出身。 旧制一高を経て東京帝大法学部を卒業後、内務省に入省し東京府属となる。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年(昭和17年)9月、海軍経理学校に入学、1943年(昭和18年)1月に卒業し、海軍主計中尉に任官。1944年(昭和19年)5月、主計大尉に進み終戦を迎えた。 内閣総理大臣秘書官、警察庁長官官房長、大阪府警察本部長、警察庁警務局長、警察庁次長を経て、1974年(昭和49年)警察庁長官に就任。 1978年(昭和53年)に退官し、1979年(昭和54年)から1987年(昭和62年)まで阪神高速道路公団理事長。
山本 鎮彦(やまもと しずひこ、1920年(大正9年)11月… 山本 鎮彦(やまもと しずひこ、1920年(大正9年)11月1日 - 2012年(平成24年)9月17日)は、日本の内務・警察官僚。第9代警察庁長官。位階は従三位。 長野県長野市生まれ。横浜第一中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)、旧制松本高等学校文科甲類を経て1943年東北帝国大学(現東北大学)法文学部法科卒。 1943年内務省入省。警視庁の初代公安三課長、警務部監察官など警備・公安畑一筋に歩む。公安三課長時代にラストヴォロフ事件を手掛けたのを始め、公安部長時代には第二次安保騒動、警備局長時代には赤軍派による日航機ハイジャック事件、金大中事件、連続企業爆破事件など歴史的事件に遭遇し、陣頭指揮を執った。
國領 經郎(こくりょう つねろう、1919年 <大正8年> … 國領 經郎(こくりょう つねろう、1919年 <大正8年> 10月12日 - 1999年 <平成11年> 3月13日)は、洋画家、日本芸術院会員。位階は従四位。 神奈川県横浜市生まれ。東京美術学校図画師範科卒業。日展、光風会展、日洋展などのほか、国際形象展、アジア現代美術展などにも出品、国際的に活動。戦前の中学校美術科教諭に始まり、1985年に横浜国立大学教育学部の教授を退任するまで、美術教育の分野でも多くの業績を残した。 1947年日展初入選、1955年、1969年、1971年の日展で特選、1983年第2回宮本三郎記念賞受賞、1986年日展で内閣総理大臣賞受賞。1991年日本芸術院賞受賞、同年日本芸術院会員。
力石 健次郎(ちからいし けんじろう、1916年〈大正5年〉… 力石 健次郎(ちからいし けんじろう、1916年〈大正5年〉8月6日 - 1995年〈平成7年〉2月9日)は、日本の外交官。 愛媛県喜多郡大洲町(現:大洲市)出身。旧大洲藩士・力石八十綱の三男・力石敏三郎(海軍中佐)の次男として母マツ(海軍主計中将池辺安雄の妹)との間に横須賀市汐入で生を受ける。 敏三郎は力石雄一郎の弟にあたる。幼少期は海軍士官だった父の赴任先である朝鮮鎮海にも帯同している(妹 スミ子の出生地)。 父が本土に戻った後、一時期母マツの実家でもある熊本で暮らし熊本市立春日尋常小学校卒業~中学校入学となるが、その後横浜(神奈川区台町とも)に移り住み神奈川県立第一中学校に転校。 その後旧制第一高等学校を経て1940年(昭和15年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。
川合 武(かわい たけし、1915年9月21日 - 1991… 川合 武(かわい たけし、1915年9月21日 - 1991年1月15日)は日本の内務・自治官僚・政治家。元衆議院議員(1期)。 神奈川県出身。横浜一中、水戸高卒業。1940年、東京帝国大学法学部卒業後、内務省入省、長野県特高課長などを務めた。総理秘書官、自治省官房調査官を経て消防庁次長を務める。その後、日本消防協会常任顧問。1952年第25回衆議院議員総選挙(日本自由党公認)、1953年第26回衆議院議員総選挙(無所属)、1958年第28回衆議院議員総選挙(無所属)で神奈川県第1区(中選挙区。横浜市全域が選挙区)から立候補するも落選し、1971年横浜市長選挙に自民党推薦で立候補し現職の飛鳥田一雄に敗れたが、1976年、第33回衆議院議員総選挙で神奈川県第4区から新自由クラブから立候補し、初当選。
飛鳥田 一雄(あすかた いちを、1915年〈大正4年〉4月2… 飛鳥田 一雄(あすかた いちを、1915年〈大正4年〉4月2日 - 1990年〈平成2年〉10月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)、横浜市長(4期)、日本社会党委員長を歴任した。 横浜市滝頭町出身。厚木市の旧家で医師の家に生まれる。 父は弁護士で横浜市会議長・高松高検検事長を務めた飛鳥田喜一。5歳の頃に小児麻痺にかかり、左足が不自由となった。これを機に、名の読みを「かずお」から「いちを」に改める。障碍を理由に入学を反対する教員を長野正義(のち飛鳥田夫婦の仲人。横須賀市教育長を経て横須賀市長)らの教員が説得して入学できた神奈川県立横浜第一中学校(現・神奈川県立希望ヶ丘高等学校)を経て、旧制水戸高等学校(現・茨城大学)を受験するが、左足の障害を理由に不合格とされた。
寺田 透(てらだ とおる、1915年〈大正4年〉3月16日 … 寺田 透(てらだ とおる、1915年〈大正4年〉3月16日 - 1995年〈平成7年〉12月21日)は、日本の文芸評論家・フランス文学者。東京大学教養学部教授を歴任。 神奈川県横浜市出身。神奈川一中から第一高等学校をへて東京帝国大学文学部仏文学科卒業、大学時代に、立原道造・杉浦明平とともに同人雑誌をやっていたが、立原が日本浪曼派に接近したことで絶交し、同人雑誌も終わりとなった。戦後、中央大学予科教授、第一高等学校教授から、1949年東京大学教養学部教授。1969年大学紛争のときに事態の収拾法に不満をもち、辞職した。ただし当時の文章や対談では、以前から新制大学に「文人」は適合できないと感じていたと言っている。
加藤 衛(かとう まもる、1914年11月9日 - 1992… 加藤 衛(かとう まもる、1914年11月9日 - 1992年3月19日)は、ドイツ文学者、演劇評論家、劇作家。神奈川県立横浜第一中学校(現在の神奈川県立希望ヶ丘高等学校)、1939年上智大学卒業。ドイツ文学専攻、東京水産大学助教授、横浜市立大学教授を務め、演劇評論のほか劇作・上演も行い、横浜演劇研究所所長を務めた。ほか、1948年に湘南工業短期大学の前身とされる湘南工業専門学校の教員にも就任している。 (秋 現代日本戯曲大系 第3巻 三一書房 1971)
村尾 次郎(むらお じろう、1914年(大正3年)9月20日… 村尾 次郎(むらお じろう、1914年(大正3年)9月20日 - 2006年(平成18年)12月9日)は、日本の歴史学者。東京大学文学博士。 静岡県浜松市の医家(父は医学博士・圭介。松籟と号す)に生まれた。虎童子と号す。考証学者・村尾元融は、血縁の父祖にあたる。 横浜一中、静岡高等学校卒業後、1936年(昭和11年)、東京帝国大学文学部国史学科に進学後は平泉澄の内弟子となった。1940年(昭和15年)、卒業と同時に東京帝国大学文学部助手となるも、1943年(昭和18年)3月に応召される。歩兵より船舶兵科に転じ、陸軍船舶幹部候補生隊本部教官[要出典]。 戦後は古代史専攻の研究者となり、1961年(昭和36年)に「律令財政史の研究」で東京大学より文学博士の学位を受けた。
龍崎 一郎(りゅうざき いちろう、1912年2月20日 - … 龍崎 一郎(りゅうざき いちろう、1912年2月20日 - 1988年6月28日)は、日本の俳優。神奈川県横浜市出身。本名は龍崎 光一郎。旧芸名は竜崎 一郎。特技は剣道(5段)。師は映画監督の牛原虚彦。 旧制横浜第一中学校(現:神奈川県立希望ヶ丘高校)卒。 新興キネマ、高田プロダクション、東宝、ぷろだくしょん森に所属していた。 1988年6月28日、肺癌のため死去。76歳没。
池田 善長(いけだ よしなが、1909年(明治42年)8月 … 池田 善長(いけだ よしなが、1909年(明治42年)8月 - 1982年(昭和57年)1月25日)は、日本の農業経済学者。専門は、農業経済学・開発政策。学位は、経済学博士(北海道大学)・農学博士(北海道帝国大学)。北海学園大学名誉教授。父は内務官僚や県知事を務めた池田宏。恩師は高岡熊雄。弟子に小田清、ゼミ出身者に森本正夫がいる。 三重県出身。1927年(昭和2年)横浜一中卒業。1934年(昭和9年)北海道帝国大学農学部農業経済学科卒業。同農学部助手。東亜研究所研究員や、北海道庁経済部勤務を経て、1947年(昭和22年)経済安定本部経済調査官。1950年(昭和25年)経済調査庁査察部課長。1952年(昭和27年)北海学園大学経済学部教授。
吉原 慎一郎(よしはら しんいちろう、1908年12月7日 … 吉原 慎一郎(よしはら しんいちろう、1908年12月7日 - 2009年8月2日)は、日本の建築家。株式会社創和建築設計事務所(現 株式会社創和三幸設計)創業者。 横浜市長であった飛鳥田一雄とは神奈川県立第一中学校(現 神奈川県立希望ヶ丘高等学校)の同窓であり、その縁で横浜市内を中心とした建築物の設計を数多く手がけたことで知られている。
服部 逸郎(はっとり いつろう、1907年12月3日 - 1… 服部 逸郎(はっとり いつろう、1907年12月3日 - 1973年8月5日)は、昭和期の日本の作曲家、歌手、作詞家、元アナウンサーである。別名をレイモンド服部、服部レイモンド、服部ヘンリー。なお、同姓の服部良一や服部正との血縁関係はない。 1907年(明治40年)12月3日、神奈川県横浜市出身。若い頃にキリスト教に入信した為、洗礼名をレイモンドという。 1931年(昭和6年)慶應義塾大学文学部卒業後に作曲家としての活動を開始。ハワイへの音楽留学から帰国した1934年(昭和9年)1月に、NHKが初めて行った全国規模でのアナウンサー採用試験に応募し、応募者728名中25名の合格者の1人として入局。
小船 幸次郎(こぶね こうじろう、1907年〈明治40年〉4… 小船 幸次郎(こぶね こうじろう、1907年〈明治40年〉4月4日 - 1982年〈昭和57年〉2月17日)は日本の作曲家、指揮者である。 横浜市生まれ。出生時の名は幸太郎。父が横浜の羽衣座という演芸場に関係していたので、幼時は日本音楽と演劇が身近な環境に育った。18歳の頃に作曲を志して独学し、1936年、30歳の時にチェレプニンに指導を受けたのみである。指揮法は15歳の頃より独学し、1937年にローゼンシュトックに師事した。 1932年に八十島外衛らと共に新交響楽団を離れ、横浜交響楽団の旗揚げに踏み切った。 1938年、第6回毎日音楽コンクールに《序曲第1番》が第1位入選、同年新響第2回邦人作品コンクールに《祭りの頃》が入選、日本放送協会募集管弦楽に《組曲第1番》が入選した。
尾崎 喜左雄(おざき きさお、1904年〈明治37年〉5月3… 尾崎 喜左雄(おざき きさお、1904年〈明治37年〉5月30日 - 昭和53年〈1978年〉1月4日)は、日本の歴史学者・考古学者。主に群馬県で古墳の調査を行い、群馬県の考古学の礎を築いた。文学博士、群馬大学名誉教授。 1904年(明治37年)、神奈川県足柄上郡川村(現・山北町)に生まれる。1923年(大正12年)神奈川県立第一横浜中学校(現・神奈川県立希望ケ丘高等学校)を卒業。1926年(大正15年)日本メソヂスト静岡教会で受洗。同年静岡高等学校卒業後、東北帝国大学法文学部に入学するも中退。1930年(昭和5年)九州帝国大学法文学部を卒業(法学士)。1932年(昭和7年)近衛砲兵大隊に入隊し工兵科幹部候補生となるが同年除隊し予備役となる。
大野 林火(おおの りんか、1904年3月25日 - 198… 大野 林火(おおの りんか、1904年3月25日 - 1982年8月21日)は、昭和期の俳人。本名は大野正(おおの まさし)。 神奈川県横浜市生まれ。旧制県立横浜第一中学校、旧制第四高等学校を経て、1927年東京帝國大学経済学部を卒業。大学卒業後は日本光機工業に入社。1930年に会社を辞めて神奈川県立商工実習学校(現・神奈川県立商工高等学校)教諭となる。当時の教え子に、後に高弟となる宮津昭彦がいる。中学時代より鈴木三重吉や佐藤春夫の抒情詩に傾倒。俳句は中学時代の1920年、親友の荻野清(のち俳文学者となる)の父から手ほどきを受け、1921年、荻野の勧めをうけて「石楠」に入会、臼田亞浪に師事する。