江川 多喜雄(えがわ たきお、1934年 - 2013年10… 江川 多喜雄(えがわ たきお、1934年 - 2013年10月)は、日本の小学校教師・理科教育者。 長野県生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、東京学芸大学卒業。板橋区蓮根第二小学校など、東京都小学校教諭。 科学教育研究協議会会員、この本だいすきの会会員、自然科学教育研究会代表。
長野県松本深志高等学校:266人
江川 多喜雄(えがわ たきお、1934年 - 2013年10… 江川 多喜雄(えがわ たきお、1934年 - 2013年10月)は、日本の小学校教師・理科教育者。 長野県生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、東京学芸大学卒業。板橋区蓮根第二小学校など、東京都小学校教諭。 科学教育研究協議会会員、この本だいすきの会会員、自然科学教育研究会代表。
はま みつを(本名:浜 光雄(はま みつお)、1933年9月… はま みつを(本名:浜 光雄(はま みつお)、1933年9月20日 - 2011年2月22日)は、日本の児童文学作家。 長野県塩尻市出身。旧制松本中学を経て、信州大学教育学部修了。信州児童文学会会長を務めていた。 高橋忠治、和田登らとともに「とうげの旗」創刊の参加を機に創作活動に専念。1970年処女作『わが母の肖像』を刊行。1979年『春よこい』で赤い鳥文学賞) 1983年『レンゲの季節』で塚原健二郎文学賞) 1989年『赤いヤッケの駅長さん』で産経児童出版文化賞を受賞。 2011年2月22日、肺炎のため長野県松本市の病院で死去。77歳没。 はま自身が担任を務めた塩尻市の中学校の教え子の一人に、テレビプロデューサーで上智大学文学部新聞学科教授の碓井広義がいる。
太田 宏次(おおた ひろじ、1932年11月29日 - )は… 太田 宏次(おおた ひろじ、1932年11月29日 - )は、日本の経営者。工学博士。中部電力元社長。系統事故時の自主復旧操作方式や転送遮断方式を考案するなど、系統運用技術の近代化に貢献した。 長野県松本市出身。長野県松本深志高校を経て1955年に東京大学工学部電気工学科を卒業し、同年に中部電力に入社。1985年6月に取締役、1989年6月には常務、1991年6月には副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格した。2001年6月に会長に就任した。また、1999年6月には電気事業連合会会長、2001年5月には中部経済連合会会長を務めるとともに、1970年から1985年まで愛知工業大学で講師、1998年には電気学会会長を務めた。
影山 裕子(かげやま ひろこ、1932年2月1日 - 200… 影山 裕子(かげやま ひろこ、1932年2月1日 - 2005年9月13日)は、日本の社会評論家、和光大学名誉教授。 長く日本電信電話公社に勤務し、調査役、国立電報電話局長などを歴任して女性管理職の先駆的存在として知られ、評論家としても活動し、女性の社会進出を訴え、後には和光大学教授となった。 影山は、女性の社会進出の妨げになるとして、労働時間に関する女子の保護規定撤廃を唱えるなど、男女雇用機会均等法(1986年)を先取りする主張を早くから展開していた。 長野県小諸市出身(出生地は北海道)。長野県松本深志高等学校を経て、1954年に東京大学経済学部を卒業し、成績トップで日本電信電話公社に入り、経営調査室に配属された。
有賀 貞(あるが ただし、1931年4月27日 - 2013… 有賀 貞(あるが ただし、1931年4月27日 - 2013年3月13日)は、日本の国際政治学者。位階は従四位。 専門はアメリカ政治外交史。一橋大学名誉教授。1988年から90年まで日本国際政治学会理事長、1992年から94年までアメリカ学会会長を務めた。 東京市小石川区生まれ。1948年旧制松本中学4年修了、1949年旧制松本高等学校文科乙類1年修了。1953年東京大学教養学部教養学科卒業、1955年同大学院社会科学研究科国際関係論専攻修士課程を修了し、翌年からスタンフォード大学大学院およびプリンストン大学大学院歴史学科に留学。1961年東京大学大学院社会科学研究科国際関係論専攻博士課程満期退学。
中村 登流(なかむら のぼる、1931年3月7日 - 200… 中村 登流(なかむら のぼる、1931年3月7日 - 2007年11月19日)は、日本の鳥類学者、上越教育大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、1953年に信州大学教育学部を卒業。長野県内で中学校教員として勤務したのち、1963年に信州大学医学部助手。その後、教育学部助教授として教育学部附属志賀自然教育研究施設に勤務。1971年、「エナガの個体群の行動圏構造」で京都大学より理学博士の学位を取得。1968年、日本野鳥学会賞受賞。1982年、信州大学退官、1983年、上越教育大学教授、上越教育大学附属中学校校長など。1996年、定年退官、名誉教授、山階芳麿賞受賞。日本野鳥の会、日本野鳥学会、日本生態学会会員。
永田 哲士(ながた てつじ、1931年2月5日 - 2024… 永田 哲士(ながた てつじ、1931年2月5日 - 2024年1月27日)は、日本の医学者。専門は解剖学。医学博士(信州大学)。中国承徳医学院名誉教授、河北医科大学名誉学長、信州大学名誉教授。
青柳 健(あおやぎ けん、1930年6月9日 - 没年不明)… 青柳 健(あおやぎ けん、1930年6月9日 - 没年不明)は、日本の実業家。書店創業者、登山家、詩人、随筆家。 長野県南安曇郡(現:安曇野市)生まれ。民族学者の岡正雄に影響を受ける。 1950年に長野県松本深志高等学校を卒業後、東京外国語大学フランス語学科入学。哲学科教授であった串田孫一に出会い、山岳部創設に関わる。東京外国語大学山岳会会員。まいんべるく会創立会員。もんたにゆ会(1971年 - 2011年)主宰。1968年穂高書店を創業する。2017年現在は同社の会長を務める。
熊井 啓(くまい けい、1930年6月1日 - 2007年5… 熊井 啓(くまい けい、1930年6月1日 - 2007年5月23日)は、日本の映画監督。妻はエッセイストでポプリ研究家の熊井明子。多くの監督作が『キネマ旬報ベスト・テン』に選出され、ベルリン国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭の各賞を受賞した。日本を代表する社会派映画の巨匠である。 長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)生まれ。田町小学校、県立松本中学校(現長野県松本深志高等学校)、松本高等学校 (旧制)から学制改革により信州大学文理学部卒業。大学時代は演劇と映画の日々を送っていたが、関川秀雄監督の誘いで卒業後は独立プロの助監督へ。さらに1954年日活撮影所監督部に入社する。そこで久松静児、田坂具隆、阿部豊、牛原陽一などの助監督に付くかたわら脚本家としての仕事もこなす。
三輪 公忠(みわ きみただ、1929年7月25日 - )は、… 三輪 公忠(みわ きみただ、1929年7月25日 - )は、日本の国際政治学者、上智大学名誉教授。専門は、国際関係史。
中村 勝範(なかむら かつのり、1929年〈昭和4年〉4月1… 中村 勝範(なかむら かつのり、1929年〈昭和4年〉4月18日 - 2020年〈令和2年〉5月19日)は、日本の政治学者、慶應義塾大学名誉教授・平成国際大学名誉学長。 長野県南安曇郡(現松本市梓川)生まれ。1949年長野県松本深志高等学校卒業、1953年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1955年同大学大学院修士課程修了。1960年慶大助教授、1966年「明治社会主義研究」で法学博士。1967年教授。1996年定年、名誉教授、平成国際大学教授・学長。2004年6月退職、名誉学長。 民主社会主義研究会議(現・政策研究フォーラム)の理事を務め民主社会主義の立場からの反共主義者である。
関根 日出男(せきね ひでお、1929年 - 2017年1月… 関根 日出男(せきね ひでお、1929年 - 2017年1月18日)は、医師、チェコ語の翻訳家、チェコ音楽研究家。 長野県北安曇郡大町(現大町市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、大阪陸軍幼年学校を経て、旧制松本医学専門学校(信州大学医学部)卒。1959年北海道大学医学博士。東京都内に耳鼻科医院を開業、同院長。1959年からチェコ音楽を研究、1964年からチェコ語を研究し、翻訳する。
加々美 豊(かがみ ゆたか、1928年(昭和3年)10月3日… 加々美 豊(かがみ ゆたか、1928年(昭和3年)10月3日 - )は、日本の画家で信州現代抽象画会代表。 長野県東筑摩郡中川手村(現安曇野市)出身。旧制松本中学校(現長野県松本深志高等学校)卒業、長野師範学校中退。教員を勤めた後、画家となる。水彩による風景画と、ビー玉をモチーフにした抽象画で知られる。教員時代より抽象画と風景画を発表し始め、国内だけではなく、海外においても数多くの賞を受賞した。キューバに絵画を寄贈した際に、大使より勲章を受けている。実弟の加々美益次は、東京大学山岳部所属中に、第2次南極地域観測隊に最年少の24歳で参加し、その後山下汽船(現商船三井)役員を経て、内航大型船輸送海運組合会長。
小川原 辰雄(おがわら たつお、1928年2月18日 - 2… 小川原 辰雄(おがわら たつお、1928年2月18日 - 2019年2月5日)は、日本の医師、内科医、昆虫研究者。勲等は旭日双光章、従六位。紺綬褒章受章者。長野県小県郡青木村名誉村民。青木村の青木診療所で長年所長を務め地域医療に貢献し、ハチ刺し症によるアナフィラキシーの治療や事例報告で多くの功績を残した。昆虫研究でも、青木村に信州昆虫資料館を開館させ館長を務め、長野県産昆虫の収集、情報発信などに貢献した。 長野県東筑摩郡坂井村(現筑北村)に生まれる。長野県松本中学校(現長野県松本深志高等学校)に進学。1年生の時にジャン・アンリ・ファーブルの「昆虫記」を読み、昆虫への憧れを深める。太平洋戦争下の軍事教練でキャンプを張った聖高原でもこっそりチョウの採集をするほどであった。
赤羽 太郎(あかばね たろう、1927年6月3日 - 199… 赤羽 太郎(あかばね たろう、1927年6月3日 - 1995年9月23日)は、日本の医学者(小児科学)。 長野県出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て、昭和27年(1952年)旧制松本医科大学医学部卒業。同28年米国留学、同30年(1955年)信州大学助手、同38年(1963年)医学部助教授、同44年(1969年)教授、同63年(1988年)信州大学医学部附属病院長、平成元年(1989年)学長。
馬瀬 良雄(ませ よしお、1927年3月3日 - 2014年… 馬瀬 良雄(ませ よしお、1927年3月3日 - 2014年10月8日)は、日本の日本語学者。信州大学名誉教授。専門は音韻論・音声学・方言学。長野県松本市生まれ。
藤森 昭一(ふじもり しょういち、1926年(昭和元年)12… 藤森 昭一(ふじもり しょういち、1926年(昭和元年)12月26日 - 2016年(平成28年)6月25日)は、日本の官僚。日本赤十字社名誉社長。環境事務次官、内閣官房副長官、宮内庁長官、日本赤十字社社長などを歴任。勲等は勲一等旭日大綬章。
赤羽 賢司(あかばね けんじ、1926年〈大正15年〉11月… 赤羽 賢司(あかばね けんじ、1926年〈大正15年〉11月20日 - 2015年〈平成27年〉4月22日)は、日本の天文学者。東京大学名誉教授。専門は電波天文学。日本物理学会および電子情報通信学会のフェロー会員。 長野県東筑摩郡寿村(現松本市)生まれ。旧姓は青木。 赤羽の弟子には川尻矗大、大師堂経明、海部宣男、平林久、井口哲夫、稲谷順司、福井康雄、長谷川哲夫、佐藤文男、加藤隆二、長井嗣信、春日隆、土井恒久らがいる。
大谷 茂盛(おおたに しげもり、1926年1月1日 - 19… 大谷 茂盛(おおたに しげもり、1926年1月1日 - 1990年10月15日)は、日本の化学工学者。元東北大学総長。従三位勲二等旭日重光章。 1926年、長野県南安曇郡真々部村(現・安曇野市)生まれ。1943年に 旧制長野県立松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)を卒業。旧制山梨工業専門学校(現・山梨大学工学部)に進んで1945年に卒業した。戦後、東北大学大学院第1期特別研究員として東北大学大学院工学部機械工学科で学び、1949年に卒業した。 1960年、東北大学工学部助教授に着任。1965年、「粒状物質内における水分移動に関する研究」を提出して、工学博士号を取得。また、同年に東北大学工学部化学工学科教授に昇進。
小松 恒夫(こまつ つねお、1925年6月30日 - 200… 小松 恒夫(こまつ つねお、1925年6月30日 - 2000年12月8日)は、日本の文筆家、元朝日新聞記者。 長野県南安曇郡倭村氷室(現・松本市)生まれ。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を経て松本高等学校 (旧制)理科乙類を卒業後、東京大学理学部物理学科に進学するが同文学部国文科に転部し卒業。 1952年朝日新聞社入社、「週刊朝日」記者、科学部次長、「週刊朝日」編集長を経て、1974年教育雑誌『のびのび』を創刊、1978年の休刊まで編集に参加した。 1980年『百姓入門記』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。1988年日野市教育委員。
小口 伯郎(おぐち はくろう、1924年12月27日 - 2… 小口 伯郎(おぐち はくろう、1924年12月27日 - 2005年11月3日)は日本の物理学者。東京大学名誉教授。宇宙科学研究所名誉教授。理学博士(1970年、東京大学)。専門は流体力学、気体力学。 長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、昭和21年(1946年)東京帝国大学物理工学科卒業。同理工学部研究所助手、同30年(1955年)助教授、同37年(1962年)教授に就任。また昭和35年(1960年)ブラウン大学客員准教授、同36年(1961年)コーネル大学客員研究員、同56年(1981年)宇宙科学研究所宇宙輸送研究系教授を務めた。
尾関 雅則(おぜき まさのり、1924年(大正13年)1月2… 尾関 雅則(おぜき まさのり、1924年(大正13年)1月29日 - 2014年(平成26年)1月1日)は、日本の電気工学者。鉄道技術者。元鉄道総合技術研究所理事長。 愛知県名古屋市生まれ。旧制長野県立松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て1946年東京帝国大学電気工学科卒業、同年運輸省に入省。1972年日本国有鉄道電気局長に転じ、1975年同理事。1979年日立製作所に転じ、1981年同取締役。1985年情報処理学会会長就任。1987年鉄道総合技術研究所理事長に就任し、1990年退職。
齋藤雪彦『むらづくり入門』世界思想社、2022年。 青木 志… 齋藤雪彦『むらづくり入門』世界思想社、2022年。 青木 志郎(あおき しろう、1923年12月24日 - 2017年12月)は、日本の農村建築学者。農村計画学者。東京工業大学名誉教授。日本建築学会副会長、農村計画学会会長を歴任。内閣農政審議会専門委員、農林水産省「豊かなむらづくり」審査委員等を歴任。 長野県東筑摩郡筑摩地村(現塩尻市)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制弘前高等学校を経て、1948年に東京工業大学を卒業。同年に東京工業大学工学部建築学科の助手を務めた。1949年、東北大学農学部に新設された家政学科、のち生活科学科に講師として赴任。建築計画学に生活科学の視点を組み込む農村計画学の基礎を構築。
藤岡改造(ふじおか かいぞう、1923年10月11日- )は… 藤岡改造(ふじおか かいぞう、1923年10月11日- )は、日本の作家、俳人。 長野県松本市生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て旧制二松學舍専門学校卒。新制高等学校移行後の母校国語教師となった。号は筑邨(ちくそん)。学校で飼っていた犬クロの世話役をしていた体験から、『職員会議に出た犬クロ』を執筆。ベストセラーとなり、2003年「さよなら、クロ」として映画化された。「信毎俳壇」「俳句四季」の選者。俳人協会評議員。
輪湖 公寛(わご きみひろ、1923年7月11日 - 200… 輪湖 公寛(わご きみひろ、1923年7月11日 - 2003年8月5日)は日本の裁判官。 長野県南安曇郡上野村(現松本市)生まれ。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)、旧制松本高校文科を経て、東京帝国大学卒業。1948年司法修習生となり、1950年長野地方裁判所松本支部判事補等を経て、1971年最高裁判所調査官となる。1975年東京高等裁判所判事、1981年函館地方裁判所長、1983年仙台高等裁判所裁判長。1988年退官。1993年勲二等瑞宝章。 2003年(平成15年)9月19日付の官報号外(第219号)210頁の「弁護士名簿登録・登録換・登録取消 諸事項」において、同年8月5日付で死亡により弁護士名簿登録取消となっている。
山田 作男(やまだ さくお、1922年11月27日 - 20… 山田 作男(やまだ さくお、1922年11月27日 - 2001年4月2日)は日本の歴史学者。専門は西洋史学。 長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)生まれ。幼少時を三重県桑名市で過ごす。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校を経て、昭和23年(1948年)京都大学文学部史学科西洋史学専攻卒業。同27年(1951年)同大学院中途退学。愛知教育大学教授を経て、同61年(1986年)愛知学院大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
上原 良司(うえはら りょうじ、1922年9月27日 - 1… 上原 良司(うえはら りょうじ、1922年9月27日 - 1945年5月11日)は、大日本帝国陸軍軍人。陸軍特別攻撃隊第56振武隊員。 「自由主義者」を標榜する遺書の内容で有名。上原が書き残した遺書や手記などは、近代日本史上の軍人が書き残した遺稿の中で、最もよく知られているものの一つであり、『きけ わだつみのこえ』などの多くの書籍に掲載され、映画やドキュメンタリー番組で度々取り上げられている。 長野県北安曇郡七貴村(現・池田町)に医師の父・上原寅太郎、母・よ志江の三男として生まれ、旧穂高町(現・安曇野市)有明で育つ。 遠縁にあたる「有明医院」を継いだ上原家は裕福で子供らに文化的な生活を送らせており、近くの乳房川で家族みんなで写真の撮影会をしたり、家の離れに近所の子供たちを集めて肝試し大会を開催したり、広い裏庭ではテニスをやったり、またスキーや登山といった遠出も頻繁に行っていた。
小沢 茂弘(おざわ しげひろ、1922年8月29日 - 20… 小沢 茂弘(おざわ しげひろ、1922年8月29日 - 2004年10月12日)は、日本の映画監督、脚本家、占い師、山伏。 戦後、日本映画の最盛期に娯楽性の高い作品を世に数々送り出し、職人監督と評されている。長野県東筑摩郡四賀村出身。 易者・山伏名:小沢 宏瑞(おざわ こうずい)、本名:小沢 茂美(おざわ しげよし)。 少年時代は松本市で上映される無声映画を頻繁に見ていた。1930年に旧制松本中学に入学。日本大学芸術科専門部映画科へ入学し、演劇科には三木のり平、映画科には沼田曜一がいた。在学中の17歳に映画研究会を作り、熊谷久虎・マキノ正博らに講演依頼をしたのが縁で、やがて正博の家に居候をし、薫陶を受ける。
金井 清光(かない きよみつ、1922年〈大正11年〉7月2… 金井 清光(かない きよみつ、1922年〈大正11年〉7月28日 - 2009年〈平成21年〉4月7日)は、日本の国文学者、時衆研究者。鳥取大学名誉教授。 長野県松本市に生まれる。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、姫路高等学校を経て、1943年(昭和18年)、東京帝国大学文学部国文学科に入学するも、学徒出陣する。シベリア抑留をへて帰国。1952年、東京大学国文学科卒業、同大学院に進学。この間、通学をしながら武蔵野女子学院高等部にて教鞭を執り、教頭であった雲藤義道の引見により、後年時宗法主となる河野憲善と出会う。1957年、大学院在学期限満了となり、鳥取大学学芸学部(のち教育学部)に奉職。やがて教授となるも、授業中の発言を巡って休職・退官に追い込まれる。
小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日… 小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、昭和から平成初期の政治家、実業家。塩尻市長(第4代)。位階は従四位。父は元衆議院議員の小野祐之。 長野県東筑摩郡塩尻町生まれ。1937年(昭和12年)3月、旧制長野県立松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を卒業し、1941年(昭和16年)早稲田大学専門部商科を修了。1946年(昭和21年)から小野石灰六名社を経営[要出典]、1960年(昭和35年)に信陽化学工業と改称し代表取締役となる[要出典]。1959年(昭和34年)4月から塩尻市議会議員を5期務め、1963年(昭和38年)同副議長、1967年(昭和42年)には同議長に就任。
池上 二良(いけがみ じろう、1920年5月15日 - 20… 池上 二良(いけがみ じろう、1920年5月15日 - 2011年7月15日)は、日本の言語学者。北海道大学名誉教授。専門は満洲語、その他のツングース諸語、アイヌ語など。 1920年、長野県松本市生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科(乙類)を経て、東京帝国大学文学部言語学科卒業。大学院在学中からツングース諸語、特にウイルタ語の研究を始める。 1951年に群馬大学学芸部助教授となる。1964年より北海道大学文学部教授、1976年より同大学文学部附属北方文化研究施設長を併任する。1984年に定年退官、名誉教授、札幌大学女子短期大学部教授。1991年、同大学定年退職。 旧樺太に住むウィルタ語の研究において、話者である佐藤チヨの協力のもと、『ウイルタ語基礎語彙』を出版した。
吉野 文六(よしの ぶんろく、1918年8月8日 - 201… 吉野 文六(よしの ぶんろく、1918年8月8日 - 2015年3月29日)は、日本の外交官。
宮坂 哲文(みやさか てつふみ、1918年5月10日 - 1… 宮坂 哲文(みやさか てつふみ、1918年5月10日 - 1965年1月24日)は、日本の教育学者。
原田 伴彦(はらだ ともひこ、1917年3月11日 - 19… 原田 伴彦(はらだ ともひこ、1917年3月11日 - 1983年12月8日)は、日本史学者、大阪市立大学名誉教授。
和合 正冶(わごう しょうじ、1917年2月27日 - 20… 和合 正冶(わごう しょうじ、1917年2月27日 - 2004年3月7日)は、松本市長(11代:1976年3月 - 1992年3月)、全国市長会副会長、長野県市長会会長。
小沢 貞孝(おざわ さだたか、1916年12月1日 - 20… 小沢 貞孝(おざわ さだたか、1916年12月1日 - 2002年12月17日)は、日本の政治家。民社党衆議院議員。
丸山 儀四郎(まるやま ぎしろう、1916年4月4日 - 1… 丸山 儀四郎(まるやま ぎしろう、1916年4月4日 - 1986年7月5日)は、確率過程論研究の指導者として知られる日本の数学者である。オイラー・丸山法(Euler–Maruyama method)でも知られる。日本学術会議会員、日本数学会理事長。 長野県東筑摩郡上川手村(現安曇野市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、東北帝国大学卒業。昭和16年(1941年)九州帝国大学助手、同25年(1950年)お茶の水女子大学教授、同31年(1956年)九州大学教授、同40年(1965年)東京教育大学教授、同48年(1973年)東京大学教授、同60年(1985年)東京電機大学教授、理学部数理学科長などを歴任した。
髙橋 節郎(たかはし せつろう、新字体:高橋 節郎、旧字体:… 髙橋 節郎(たかはし せつろう、新字体:高橋 節郎、旧字体:高橋 節郞、1914年(大正3年)9月14日 - 2007年(平成19年)4月19日)は、日本の漆芸家である。長野県南安曇郡北穂高村(現安曇野市)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、1938年東京美術学校工芸科漆工部卒業。日本芸術院会員、文化勲章受章者、文化功労者、日展顧問。
宮澤 俊彌(みやざわ としや、1913年10月20日 - 2… 宮澤 俊彌(みやざわ としや、1913年10月20日 - 2012年12月12日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。長野県松本市生まれ。
大池 弥三郎(おおいけ やさぶろう、1913年10月7日 -… 大池 弥三郎(おおいけ やさぶろう、1913年10月7日 - 1997年12月22日)は日本の医学者。専門は内科学。弘前大学元学長、日本脳卒中学会元会長。長野県出身。 著書に『脳卒中の臨床と研究』がある。
飯沼 正明(いいぬま まさあき、1912年8月2日 - 19… 飯沼 正明(いいぬま まさあき、1912年8月2日 - 1941年12月11日)は日本のパイロット。1937年純国産機、神風号によって東京-ロンドン間の飛行に成功した。 長野県南安曇郡南穂高村細萱(現・安曇野市)に、飯沼文五郎の五男として生まれた。飯沼家は庄屋も務めた豪農だった。3歳で母と死別し、以後祖母に育てられる。 1924年(大正13年)、長谷川清澄(豊科町出身で日本初の一等操縦士)がサルムソン 2Aに搭乗して各務原飛行場から松本市に飛行している途中に南穂高村上空で旋回飛行をおこなった光景を小学校の教室から目撃し、飛行機への憧れを抱く。 1931年(昭和6年)3月、旧制長野県松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を卒業し、第11期逓信省陸軍委託航空機操縦生として所沢陸軍飛行学校に入学した。
清水 正一(しみず しょういち、1912年8月1日 - 19… 清水 正一(しみず しょういち、1912年8月1日 - 1989年7月25日)は、日本の柔道家。 長野県東筑摩郡島立村(現松本市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、日本体育会体操学校卒業。昭和9年(1934年)母校の体操学校に奉職し、同18年(1943年)教授に就任。同13年(1938年)から慶應義塾大学柔道部師範を兼務。同20年(1945年)から同25年(1950年)まで帰農していたが、同26年(1951年)東京大学講師、慶應義塾大学柔道部師範に復職。同43年(1968年)日本体育大学武道科特任教授、同48年(1973年)学長に就任し、また、柔道整復師養成施設設立を理事会に提案し、日体柔整専門学校初代校長に就任した。
熊谷 寛夫(くまがい ひろお、1911年2月16日 - 19… 熊谷 寛夫(くまがい ひろお、1911年2月16日 - 1977年11月5日)は、日本の物理学者。学位は、理学博士(1939年)。日本物理学会会長・日本学術会議委員を歴任。世界初の「可変エネルギーサイクロトロン」を完成させ、「高エネルギー物理学の父」と言われる。長野県東筑摩郡寿村(現・松本市)生まれ。旧姓青木。1978年勲二等追叙。
花岡 堅而(はなおか けんじ、1910年11月12日 - 1… 花岡 堅而(はなおか けんじ、1910年11月12日 - 1997年4月22日)は、日本の医師。日本医師会会長、長野大学理事長、長野五輪招致委員会の自然保護専門委員長などを務めた。 長野県南安曇郡穂高町(現・安曇野市)生まれ。旧制松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科甲類を経て、1936年に新潟医科大学(現・新潟大学医学部)を卒業し、同大学の生化学教室や産婦人科教室で勤務した。1941年、岡谷市立岡谷病院の産婦人科医長に就任し、1943年から軍医として中国北部で従軍。終戦後の1946年に復員して新潟大学の産婦人科教室に戻り、翌1947年に岡谷病院の産婦人科医長に復職している。
小岩井 光夫(こいわい みつお、1910年(明治43年)5月… 小岩井 光夫(こいわい みつお、1910年(明治43年)5月22日 - 1959年(昭和34年)2月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少佐。 長野県出身。農業・小岩井鈴弥の三男として生れる。松本中学校から陸軍士官学校予科を経て、1934年(昭和9年)6月、陸軍士官学校(46期)を卒業し、同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第5連隊付となる。 その後、支那駐屯歩兵第1連隊付から、同連隊中隊長、第27師団参謀部付などを経て、1942年(昭和17年)3月、シンガポール攻略後の歩兵第41連隊第2大隊の大隊長となり、同年8月陸軍少佐に昇進した。 歩兵第41連隊第2大隊の大隊長としてポートモレスビー作戦に参戦し、ニューギニア戦線から帰還後参謀本部付を経て、1945年(昭和20年)6月、第96師団参謀となり終戦を迎えた。
折井 英治(おりい えいじ、1909年8月2日 - 2005… 折井 英治(おりい えいじ、1909年8月2日 - 2005年1月)は、日本の科学教育家。 子供向けの科学読み物や絵本などの著作を多く行った。共著者・折井雅子は娘。 長野県松本市生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、1928年、台北第一師範学校卒業後、台北第一師範附属小学校教師となる。1934年から1939年にかけて、早稲田大学や東京工業大学、台北帝国大学特別研究生として、金属材料学・化学工学・農芸学を学ぶ。台北帝国大学離農学部卒業とする記述もある。 1939年、台湾鉄工所研究所長、1942年、南方資源研究所長、1943年東京帝国大学農学博士。 1948年、学生科学協会理事、1951年、長野県上高地に私財を投じて自然科学研究所を創設し、自ら所長となる。
池田 三四郎(いけだ さんしろう、1909年(明治42年)5… 池田 三四郎(いけだ さんしろう、1909年(明治42年)5月30日 - 1999年(平成11年)12月15日)は、日本の木工家。 1909年、長野県松本市に生まれる。旧制松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)を経て、1932年、東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)写真科卒業。 1938年、東京で建築写真業「三六工房」を始める。1944年、中央構材工業会社(後の松本民芸家具)設立に参加。 1948年、柳宗悦に師事し、民藝運動に参加。柳の「用の美」の思想を実践。飛騨山脈に自生するミズメ桜、欅などを用いて、松本で指物師に受け継がれていた技術を生かす。その丈夫さは、「スクラップアンドビルド」の風潮に抵抗するもので、和家具にヨーロッパや李朝の家具の技術を取り入れた作品で知られる。
高山 萬司(たかやま まんじ、1909年5月17日 - 19… 高山 萬司(たかやま まんじ、1909年5月17日 - 1987年12月20日)は日本の実業家。 長野県北安曇郡七貴村鵜山(現池田町)生まれ。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を卒業後、池田小学校の代用教員となる。 2年後、大阪市の食品会社に入社し中央卸売市場で働く傍ら、1936年賀川豊彦に師事してキリスト教の布教活動に従事。1938年機械製作会社に転職し、経理課長・資材課長となり、1955年退職。翌年、兵庫県尼崎市に三和シヤッター製作所を設立。代理店によらず直販とし、従来職人の手によっていたシャッターを多量生産に切り替えて、実績を拡大させた。
青柳 盛雄(あおやぎ もりお、1908年11月11日 - 1… 青柳 盛雄(あおやぎ もりお、1908年11月11日 - 1993年1月22日)は、日本の弁護士、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日本共産党中央委員会顧問、日本民主法律家協会理事、日本国際法律家協会顧問などを歴任した。 長野県東筑摩郡坂北村(現・筑北村)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科甲類、東京帝国大学法学部を経て、1931年弁護士登録すると共に布施辰治法律事務所入所。自由法曹団員として三・一五事件や四・一六事件など、治安維持法違反事件を弁護するも、1933年には布施と共に検挙され執行猶予判決を受ける。また、この件により同年弁護士資格が剥奪されたのみならず、終戦まで活動停止を余儀なくされる。
鈴木 明治(すずき めいじ / あきはる、1907年8月 -… 鈴木 明治(すずき めいじ / あきはる、1907年8月 - 2005年10月27日)は、日本酒を中心に酒類を対象とした研究をおこなった、日本の醸造学、発酵化学研究者。醸造試験所所長、東京農業大学教授などを歴任した。 長野県松本市生まれ。長野県松本中学校(長野県松本深志高等学校の前身)に学び、その後、東京大学農学部を卒業した。 醸造試験所(酒類総合研究所の前身)に入所して、日本酒をはじめ各種の酒類の研究にあたり、所長も務めた。この間、東京局所属の技官であった時には、山梨県の笹一酒造と関わりが深かった。また、1961年には、「清酒原料用米麹の老若に関する考察」により12月7日付で東京大学から農学博士を授与された。