スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
板倉 英則(いたくら ひでのり、1946年8月 - )は、日… 板倉 英則(いたくら ひでのり、1946年8月 - )は、日本の官僚。愛知県豊川市出身。 1965年愛知県立時習館高校卒業、1969年東京大学法学部卒業。同年建設省入省、都市計画課長、人事課長、道路局次長、都市・地域整備局長、国土交通審議官などを歴任した後、2005年7月から日本下水道事業団理事長。2009年7月(一財)不動産適正取引推進機構理事長、また2015年5月には(公財)都市計画協会会長に就任した。2016年11月、瑞宝重光章を受章。
太田 昭宏(おおた あきひろ、1945年〈昭和20年〉10月… 太田 昭宏(おおた あきひろ、1945年〈昭和20年〉10月6日 - )は、日本の政治家。公明党常任顧問。北区ボディビル・フィットネス連盟最高顧問。 衆議院議員(8期)、新進党副幹事長、公明党幹事長代行、公明党国会対策委員長、公明党代表(第2代)、国土交通大臣(第18・19代)、水循環政策担当大臣(第1・2代)、公明党全国議員団会議議長(初代)を歴任した。 現在の愛知県新城市に生まれ、生後間もなく豊橋市へ転居する。愛知県立時習館高等学校、京都大学工学部土木工学科を卒業した。京大在学中は相撲部に所属した。 京都大学大学院工学研究科修士課程を修了した後、1971年4月に公明党機関紙局に就職し、公明新聞で国会担当記者を務める。
伊丹 敬之(いたみ ひろゆき、1945年3月16日 - )は… 伊丹 敬之(いたみ ひろゆき、1945年3月16日 - )は、日本の経営学者。一橋大学名誉教授、国際大学前学長、組織学会元会長。経営学分野初の文化功労者。 愛知県豊橋市生まれ。愛知県立時習館高等学校を経て、一橋大学商学部で宮川公男、今井賢一らの指導を受けた。カーネギーメロン大学経営大学院博士課程修了、経営学博士。スタンフォード大学経営大学院客員准教授、一橋大学商学部教授、INSEAD客員教授、ザンクトガレン大学客員教授等を歴任し、日本の経営学界において、日本企業の実証研究を第一世代として行った。東芝取締役、JFEホールィングス監査役、商船三井監査役等も務めた。紫綬褒章受章。日経・経済図書文化賞等受賞。
宮城谷 昌光(みやぎたに まさみつ、1945年2月4日 - … 宮城谷 昌光(みやぎたに まさみつ、1945年2月4日 - )は、日本の小説家、歴史小説・時代小説作家である。古代中国の偉人にスポットを当てた作品を得意とする。本名は宮城谷 誠一(みやぎたに せいいち)。静岡県浜松市在住。 愛知県宝飯郡三谷町(現・蒲郡市三谷町) 生まれ。愛知県立時習館高等学校を経て、早稲田大学第一文学部英文学科卒業。大学卒業後、出版会社勤務や家業の土産物屋の手伝いなどを経て、郷里で英語の塾を開いていたが、作家として名が売れるまでは苦しい生活が長く続いた。その後、立原正秋と出会い、教えを受ける。立原に「必然性のない漢字を使ってはならない」と言われたことから、日本語と漢字に向き合う日々を送ることになる。
内田 雅敏(うちだ まさとし、1945年 - )は、日本の弁… 内田 雅敏(うちだ まさとし、1945年 - )は、日本の弁護士、社会運動家。 愛知県蒲郡市生まれ。愛知県立時習館高等学校卒業。1968年、早稲田大学法学部卒業。1975年、東京弁護士会登録。1978年、四谷総合法律事務所を設立した。 日弁連人権擁護委員会委員、同接見交通権確立実行委員会委員長、関東弁護士会連合会憲法問題協議会委員長を経て、日弁連憲法委員会幹事、西松安野友好基金運営委員会委員長を務める。弁護士としての通常業務の他に、中国人労働者の戦後補償問題、靖国問題などに関与した。 1992年の第16回参議院議員通常選挙では、PKO法案に賛成していた森田健作の野党統一候補(社会・民社・社民連)としての推薦に反発し、反対派候補として社会党、社民連の一部議員の支援を得て東京都選挙区から立候補したが、落選した。
杉田 成道(すぎた しげみち、1943年〈昭和18年〉10月… 杉田 成道(すぎた しげみち、1943年〈昭和18年〉10月5日 - )は、日本の演出家、映画監督。フジテレビ役員待遇エグゼクティブディレクター、日本映画放送社長を務めた。 『北の国から』シリーズなどの演出家として知られる。日本映画テレビプロデューサー協会会長(2003年 - 2015年)。 「すぎた せいどう」と呼ぶ者もある。 愛知県豊橋市新本町 で3人兄弟の末っ子として出生。生家は江戸時代から300年続く老舗の酒問屋。成道という名は、父と親交のあった陸軍大将の宇垣一成から1字をとって名付けられた。兄はピアニストの杉田谷道。 1962年(昭和37年)愛知県立時習館高等学校を卒業し、慶應義塾大学文学部へ進学。
岡田 康彦(おかだ やすひこ、1943年6月1日 - )は、… 岡田 康彦(おかだ やすひこ、1943年6月1日 - )は、日本の大蔵・環境官僚、弁護士。環境事務次官などを歴任した。 愛知県宝飯郡出身。愛知県立時習館高等学校、東京大学法学部卒業。大学在学中に国家公務員上級試験で1位を取り(長野庬士と同点)、司法試験にも合格する。1966年に大蔵省に入省する。配属先は大臣官房財務参事官付。同期には長野のほか、武藤敏郎(東京五輪・パラリン競技大会組織委員会事務総長、日銀副総裁、初代財務事務次官、主計局長)、中島義雄(Kエナジー代表取締役、財政金融研究所長、主計局次長)、佐藤謙(世界平和研究所理事長、防衛事務次官)、中山成彬(国土交通大臣、文部科学大臣、初代経済産業副大臣)、中山恭子(拉致問題担当大臣、首相補佐官〈北朝鮮による拉致問題担当〉)らがいる。
近江 誠(おうみ まこと、1941年3月18日 - )は、ス… 近江 誠(おうみ まこと、1941年3月18日 - )は、スピーチコミュニケーション教育の専門家。南山短期大学名誉教授。日本コミュニケーション学会元会長。テーマは「ドラマ・スピーチ学の方法を使っての言語習得―言語パロール観へのパラダイム転換ー」。近江メソッドはその中核。現在は近江アカデミー主宰として、英語教師対象にしたワークショップを愛知県名古屋市と神奈川県(三浦郡葉山町)で開催。2019年には瑞宝小綬章を受賞。 1941年静岡市に生まれる。1963年南山大学英語学英文学科卒業後、愛知県立時習館高等学校英語教諭。在職中に言語の研究が文学か語学に二分されている状況に疑問を抱き、第三の道ドラマ・スピーチ学を学ぶために1967年フルブライト留学生として渡米。
小川 晴久(おがわ はるひさ、1941年3月8日 - )は、… 小川 晴久(おがわ はるひさ、1941年3月8日 - )は、東洋思想学者、東京大学名誉教授、元二松學舍大学教授。NPO「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」名誉代表。 1941年(昭和16年、愛知県で生まれた。1959年に愛知県立時習館高等学校を卒業し、東京大学文学部に進学。東洋史学科で学び、1963年に卒業。同大学大学院人文科学研究科中国哲学専門課程で学び、1969年に博士課程を中退。 その後は東京女子大学助教授に就いた。1978年より韓国延世大学校国学研究所客員研究員を兼任。1980年、東京大学教養学部助教授に転じ、1988年に同大学教授昇格。2001年に東京大学を定年退官し、同大学名誉教授となった。
藤田 佳久(ふじた よしひさ、1940年(昭和15年)11月… 藤田 佳久(ふじた よしひさ、1940年(昭和15年)11月1日 - )は、日本の地理学者。愛知大学名誉教授。 1940年、愛知県豊橋市生まれ。愛知学芸大学学芸学部で学んだ後、名古屋大学大学院文学研究科へ進み、1967年(昭和42年)に博士課程中退。(後の1976年(昭和51年)「日本における育成林業地域の形成に関する研究」で東京教育大学理学博士号を取得している。) その後は名古屋大学教育学部附属高等学校教諭を務め、その後奈良大学助教授となる。愛知大学文学部助教授を経て、教授。2011年に定年退任し、名誉教授となる。近年は東亜同文書院大学について研究を続けている。
板倉 文忠(いたくら ふみただ、1940年8月6日 - )は… 板倉 文忠(いたくら ふみただ、1940年8月6日 - )は、日本の工学者。専門は情報通信工学。名古屋大学名誉教授。元電子情報通信学会副会長。紫綬褒章受章。愛知県豊川市出身。 専門は音声情報処理、デジタル信号処理。1967年自己回帰過程の漸近的最尤スペクトル推定による音声分析合成方式の発明、1969年偏自己相関係数 (PARCOR) 方式の発明、1973年最小予測残差による音声認識の提案、1975年線スペクトル対 (LSP) による音声分析合成方式の発明と携帯電話等への応用などの業績で知られる。 電子情報通信学会・日本音響学会から多数の論文賞、業績賞、功績賞を受賞。電子情報通信学会フェロー、名誉会員、IEEEフェロー。
水越 武(みずこし たけし、1938年5月1日 - )は、愛… 水越 武(みずこし たけし、1938年5月1日 - )は、愛知県豊橋市出身で北海道川上郡弟子屈町在住の写真家。 愛知県立時習館高等学校を1957年に卒業。1958年東京農業大学林学科を中退した後、田淵行男に師事、26歳の時から写真を始める。 1971年に独立。フリーフォトグラファーとして、山岳を中心とした自然写真などが評価される、国際的山岳写真家である。
稲垣 正浩(いながき まさひろ、1938年3月26日 - 2… 稲垣 正浩(いながき まさひろ、1938年3月26日 - 2016年2月6日)は、日本のスポーツ史学者。 大阪府富田林市生まれ。愛知県豊橋市で育ち、愛知県立時習館高等学校を卒業しており、愛知県出身と紹介されることもある。 東京教育大学体育学部を1960年に卒業して、専攻科に進み、さらに1962年に同大学院教育学研究科へ進学、1969年に博士課程を単位取得退学し、東京教育愛学教務補佐員となった。1974年から愛知教育大学助教授、1976年から大阪大学助教授を経て、1978年から奈良教育大学助教授、1984年から同教授となり、1997年まで在職した。その後、1997年に日本体育大学体育研究所教授、翌1998年に同大学院教授となった。
牧野 圭一(まきの けいいち、1937年11月1日 - 20… 牧野 圭一(まきの けいいち、1937年11月1日 - 2022年8月14日)は、日本の漫画家、漫画文化の研究者。京都精華大学名誉教授。 愛知県豊橋市出身。4人きょうだいの長男。漫画家の牧野和子は実妹である。 愛知県立時習館高等学校卒業。上京して2度美術大学受験に失敗し、1958年に日本テレビジョン(TCJ)へ入社。アニメーターとして働く。27歳で博報堂へ転職し、テレビCMの絵コンテを手がける。1964年には独立して、島充とともにマキノプロダクションを設立。 1966年より近藤日出造に師事し、近藤没後の1976年3月から約15年間、近藤の後を継いで読売新聞に政治漫画を連載した。1976年11月に読売新聞社の嘱託に。
宮田 和明(みやた かずあき、1937年6月5日 - 201… 宮田 和明(みやた かずあき、1937年6月5日 - 2010年2月5日)は、日本の社会福祉学者。第5代日本福祉大学学長。 愛知県豊橋市出身。豊橋市立福岡小学校、豊橋市立南部中学校、愛知県立時習館高等学校を経て、1961年名古屋大学経済学部卒。1963年同大学院経済学研究科修士課程修了、1966年同博士課程単位取得満期退学。1998年「現代日本社会福祉政策論」で東洋大学より博士(社会福祉学)の学位を取得。名大経済学部助手、1969年日本福祉大学講師、1976年助教授、1983年教授、1991年社会福祉学部長、1993年副学長、2003-09年学長。名誉教授。
高柳 先男(たかやなぎ さきお、1937年4月3日 - 19… 高柳 先男(たかやなぎ さきお、1937年4月3日 - 1999年7月16日)は、日本の政治学者。専門は国際政治学。元中央大学法学部教授。平和学研究で知られ、日本平和学会会長を務めた。 愛知県生まれ。1956年愛知県立時習館高等学校卒業。1960年中央大学法学部政治学科卒業、1963年同大学院法学研究科修士課程修了。1966年同大学院法学研究科博士課程中退(指導教授:小松春雄)。中央大学法学部助手、1969年同法学部助教授、1976年同法学部教授。1979年同大学院法学研究科教授。1981年エクス=マルセイユ大学客員教授。1985年社会科学高等研究院客員教授。1987年フランス国立科学研究センター客員教授。
野田 弘志(のだ ひろし、1936年 6月11日 - )は、… 野田 弘志(のだ ひろし、1936年 6月11日 - )は、日本の画家。近縁の画風で知られる中山忠彦、森本草介とは同世代で旧知の間柄。 野田は、凡そ10年単位でその個人様式を大きく転換させるという特徴的な変遷を見せる。しかしその核心は一貫しており、モチーフを細密に写真で記録し徹底した描写でカンバスに再現する粘り強いリアリズム表現が際立つ。1992年以降は低彩度の明るい色(ライトグレーや白)などを中心としており、安定している。 1970年代から1997年頃まで、藤田吉香にも似た、シンプルな大面積の背景を特徴として画面を構成してきた所があるが、近年では、大面積でシンプルな背景は影を潜めている。 1970年から絵画制作に専念し先ず制作された絵画は、黒い背景によって特徴づけられる絵画である。
牧田 哲明(まきた てつあき、1935年10月4日 - 20… 牧田 哲明(まきた てつあき、1935年10月4日 - 2022年11月23日)は、日本の版画家(木版画)。自動車画家としても知られる。戦前生まれの世代ながら自動車レースやクラシックカーを題材に独自の木版画作品を制作、国内外に名を知られた。 1935年10月4日、愛知県豊橋市に生まれる。 豊橋市立豊城中学校から愛知県立時習館高等学校へ進学し、高校では美術部に所属して写実画家の野田弘志らと活動した。 愛知大学を卒業後、大阪や東京の商社勤務を経て故郷の豊橋に戻り、地元のデザイン会社にデザイナーとして勤務。その後、創作活動に専念するため独立し、自動車画家・版画家としてのキャリアを開始。独立後は各地の展覧会で作品を発表するとともに、自動車イベントのポスター制作や企業からの依頼作品も手掛けた。
荒 道子(あら みちこ、本名:田中 道子(たなか みちこ)、… 荒 道子(あら みちこ、本名:田中 道子(たなか みちこ)、1934年(昭和9年)11月20日 - )は、日本の声楽家(メゾソプラノ・アルト)、音楽教育者。海外経験が豊富であり、欧州の歌劇場と専属契約する日本人歌手の草分けとして、オペラの重要な役柄を務めた。また、数多くのコンサートでも活躍している。現在は音楽教育者として後進の育成に注力している。 愛知県豊橋市出身。愛知県立時習館高等学校卒業。1961年(昭和36年)東京藝術大学声楽科卒。 藝大在学中にモーツァルト『フィガロの結婚』マルチェリーナでデビュー。1964年(昭和39年)には2月16,18日 日生劇場 ストラヴィンスキー『放蕩者のなりゆき』(指揮:森正)トルコ女ババ、続いて3月20日 NHK歌劇の夕べ・東京文化会館大ホール 石井歓『役の行者』(指揮:若杉弘)葛城の魔女を演じた後、留学に出発する。
子安 美知子(こやす みちこ、1933年9月5日 - 201… 子安 美知子(こやす みちこ、1933年9月5日 - 2017年7月2日)は、日本のドイツ文学者、ドイツ語翻訳者。早稲田大学名誉教授。正五位。 ドイツの神秘家・教育者ルドルフ・シュタイナーの思想である人智学(アントロポゾフィー)と教育実践であるシュタイナー教育(ヴァルドルフ教育)を日本に紹介した。2004年3月まで早稲田大学語学教育研究所教授。 朝鮮・京城生まれ。父は経済学者の森谷克己。敗戦で引き揚げ、父の郷里である岡山県上房郡上水田村に落ち着く。その後、朝鮮から引き揚げた大学教員たちが学校を作るというので、愛知県豊橋市に転居。父は愛知大学に勤務。子安は豊橋市立高等女学校で学び、その後愛知県立豊橋時習館高等学校で学ぶ。
川合 伸旺(かわい のぶお、1932年4月18日 - 200… 川合 伸旺(かわい のぶお、1932年4月18日 - 2006年6月24日)は、日本の俳優、声優。愛知県豊橋市出身。 悪役俳優として知られ、特に時代劇での悪代官役で著名であった。 1945年、豊橋市立八町小学校卒業。同年に豊橋空襲で自宅を失う。 終戦後、通学する愛知県立豊橋中学校が新学制度により、愛知県立豊橋時習館高等学校となる。在学中は美術部に在籍しており、演劇部のため書き割りを描いてた際に「役者が足りないからちょっとやってみて」と言われたことがきっかけで俳優を目指す。1951年に高校を卒業し上京、舞台芸術学院本科に入学する。 卒業後は劇団青俳へ入所。『反応工程』『モンセラ』などの舞台に立つ傍らで、1956年公開の映画『道』に「河井信旺」名義で映画初出演を果たした。
今泉 潤太郎(いまいずみ じゅんたろう、1932年 - )は… 今泉 潤太郎(いまいずみ じゅんたろう、1932年 - )は、日本の中国語学者。愛知県豊橋市出身。愛知大学名誉教授。現在、『中日大辞典』編集主幹を務めている。 1951年、愛知県立豊橋時習館高等学校卒業。1955年、愛知大学文学部文学科卒業、愛知大学華日辞典編纂所に勤務する。1959年、同大学教養部にて中国語を担当する。1997年、同大学現代中国学部教授。大学院中国研究科教授(中国語学)。2000年、同大学現代中国学部長。2003年、同大学名誉教授。 2012年、瑞宝中綬章受章。 1933年5月、東亜同文書院において、鈴木擇郎を責任者として『華日辞典』の編纂が始まり、「華日辞典カード」14万枚が作成された。
神野 信郎(かみの のぶお、1930年(昭和5年)8月2日 … 神野 信郎(かみの のぶお、1930年(昭和5年)8月2日 - 2018年(平成30年)11月12日 )は、日本の実業家。サーラグループ名誉顧問、中部ガス元社長、相談役。勲三等旭日中綬章。長男は神野吾郎。父は神野太郎。祖父は神野三郎。 祖父・神野三郎が創立した中部ガスの社長を29年間、会長を16年間にわたって務める一方、日本青年会議所会頭をはじめとして、豊橋商工会議所会頭、中部経済連合会副会長などを歴任。この功績から、2016年には豊橋市名誉市民に推挙された。 神野新田の管理のために八開村(現・愛西市)から移り住んだ神野金之助を初代とする神野家の4代目。出生地は父である神野太郎の仕事の関係で東京都であるが、1933年に豊橋市に転居。
影山 健(かげやま けん、1930年8月1日 - 2016年… 影山 健(かげやま けん、1930年8月1日 - 2016年6月16日)は、日本の体育学者、市民活動家。愛知教育大学名誉教授。 管理教育に反対し、様々な市民運動を牽引したことで知られる。学究生活のかたわら、名古屋オリンピック招致反対運動や愛知万博反対運動などにも深く関わった。 静岡県静岡市生まれ。師範学校の教師だった父親の異動に伴い、3歳で静岡市を離れ、福島県、長野県などを転々とした。福島県少年スキー大会で滑降3位を記録した。 6度目の引っ越しとなる16歳のときに愛知県に移住。豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)に入学。1951年(昭和26年)、岡崎高等師範学校卒業。1953年(昭和28年)3月、東京教育大学体育学部卒業。
大林 太良(おおばやし たりょう、1929年(昭和4年)5月… 大林 太良(おおばやし たりょう、1929年(昭和4年)5月10日 - 2001年(平成13年)4月12日)は日本の民族学者。東京大学名誉教授。従四位勲三等旭日中綬章。東京都生まれ、愛知県育ち。
白井 昭(しらい あきら、1927年9月24日 - 2025… 白井 昭(しらい あきら、1927年9月24日 - 2025年2月26日)は、日本の評論家。鉄道技術者。鉄道ファン。元名古屋鉄道社員。元大井川鐵道副社長・顧問。日本ナショナルトラスト会員。 名古屋鉄道在籍時に、鉄道技術者としてパノラマカー(7000系)、モノレール車両(東京モノレール100形、名鉄MRM100形)の企画・製作・設計に携わった。大井川鐵道在籍時に井川線のアプト式新線開業、蒸気機関車の動態保存を手がけている。 同じく鉄道ファンであり鉄道関連の著書を多く手がけている白井良和は実弟である。 愛知県岡崎市出身。旧制豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)、名古屋工業専門学校(現・名古屋工業大学)卒業。
村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年〈大正13年〉2… 村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年〈大正13年〉2月12日 - 2003年〈平成15年〉4月2日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は正三位。 自由民主党衆議院議員(10期)、通商産業大臣(第44代)、自治大臣(第43代)、国家公安委員会委員長(第53代)などを歴任した。 愛知県豊橋市出身。愛知県豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。旧制第三高等学校に進み、1949年(昭和24年)、京都帝国大学法学部卒業。同年、自治省に入省。愛知県建設部長などを務めた。 1969年(昭和44年)4月、地元政財界から衆院選出馬を促され、県庁を辞職。同年12月の第32回衆議院議員総選挙に旧愛知5区から立候補し初当選を果たした(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・林義郎・渡部恒三・綿貫民輔・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
高橋 アキラ(たかはし あきら、本名:高橋 燎(あきら)、1… 高橋 アキラ(たかはし あきら、本名:高橋 燎(あきら)、1923年8月23日 - 2007年1月8日)は、日本の政治家。豊橋市長(4期)、愛知県議会議員(3期)、同議長(第62代)、豊橋市議会議員(2期)。 愛知県豊橋市菰口町出身。1941年(昭和16年)愛知県豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。1943年(昭和18年)12月、学徒出陣。1947年(昭和22年)3月、早稲田大学法学部卒業。同年10月、大同製鋼株式会社入社。1948年5月、有限会社高橋製糸場入社。 1963年(昭和38年)4月30日に行われた豊橋市議会議員に無所属で立候補し、トップで初当選を果たした。1967年の市議選は自由民主党公認で立候補し再選。
青木 茂(あおき しげる、1922年(大正11年)10月29… 青木 茂(あおき しげる、1922年(大正11年)10月29日 - 2016年(平成28年)1月27日)は、日本の経済学者、政治家。サラリーマン新党代表。元参議院議員。妻は生活経済評論家の青木淑子。次女はノンフィクション作家の青樹明子(1955年7月5日 - )。長男はテレビ朝日プロデューサーの青木吾朗(1958年12月21日 - )。
稲垣 正夫(いながき まさお、1922年10月27日 - 2… 稲垣 正夫(いながき まさお、1922年10月27日 - 2015年4月16日)は、日本の実業家。外務省勤務を経て1956年に広告代理店の旭通信社(現・ADKホールディングス)を創業した。 日本広告業協会副理事長、日本広告業厚生年金基金理事長などを歴任した。
山口 恵一郎(やまぐち けいいちろう、1921年(大正10年… 山口 恵一郎(やまぐち けいいちろう、1921年(大正10年)1月18日 - 1991年(平成3年)10月9日)は、日本の地理学者、地名研究家。 1921年(大正10年)1月18日、愛知県豊橋市に生まれる。旧制豊橋中学校卒業後、小学校教諭を務めるが、退職して上京。1942年(昭和17年)に法政大学高等師範部歴史地理科を卒業する。渡辺光に師事した。文科省図書局・教科書局を経て、1946年建設省国土地理院地図部研究員に勤務。地図部研究係長、技術院養成所(建設大学校)教官、同研究員などを歴任する。1960年からは国土地理院の代表として、海上保安庁水路部と共同で設立された「地名等の統ーに関する連絡協議会」の委員を勤めた。
今西 晃(いまにし あきら、1920年11月27日 - 20… 今西 晃(いまにし あきら、1920年11月27日 - 2007年3月29日)は、日本の実業家。丸美屋食品工業社長。 岐阜県出身。旧制豊橋中学(のちの愛知県立時習館高等学校)を経て、旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業[要出典]。 1962年丸美屋食品工業入社。1966年に資金難に陥り三井物産と国内総代理店契約を締結し資金援助を受け、4年後に完済。ふりかけトップの丸美屋を、1978年にふりかけに参入した永谷園が追い上げてくる中、需要層の9割を占める中学生以下の子供向けに「Dr.スランプふりかけ」、「忍者ハットリくんふりかけ」、「ドラゴンボールふりかけ」のほか、大人向けふりかけ「是はうまい」、学校給食向け「いわしくん」などを販売し、首位攻防戦を展開する。
崔 慶禄(チェ・ギョンノク、최경록、1920年9月21日 -… 崔 慶禄(チェ・ギョンノク、최경록、1920年9月21日 - 2002年9月2日)は、大韓民国の軍人、外交官、政治家。本貫は慶州崔氏。創氏改名時の日本名は新田慶吉。 5・16軍事クーデター当時は朴正煕の直属の上官であり、第四共和国期に22代交通部長官、第五共和国期には国会議員を経て7代駐日大使を務めた。 1920年9月、日本統治時代の忠清北道陰城郡に生まれる。陰城三成普通学校を卒業した後、内地に留学し豊橋中学校で学んだ。 1938年、日本陸軍に志願(志願兵1期)。1939年12月、陸軍兵志願者訓練所を修了して歩兵第79連隊に配属。同世代の中で最も優秀な成績であり、下士官候補生に選ばれた。そこで中隊長の松田靖彦大尉に目をかけられ、彼の推薦で陸軍士官学校の試験にも合格したほか、1942年秋、汝威島での演習中に引き合わされた小野武雄中佐に薫陶を受ける。
小島 貞二(こじま ていじ、1919年3月21日 - 200… 小島 貞二(こじま ていじ、1919年3月21日 - 2003年6月24日)は、日本の著作家、相撲・プロレス・演芸評論家にしてそれらの歴史研究者、作詞家。 相撲関係の雑誌などでは大須 猛三(おおす もうさん)のペンネームを使っていたことがある。 愛知県豊橋市出身。旧制豊橋中学校(現:愛知県立時習館高等学校)を卒業後、漫画家を志して上京し、川原久仁於に師事して絵を描いていたが、身長182cmの体格を見込まれて大相撲の出羽海部屋に入門することになり、1938年5月場所に本名で初土俵を踏む。双葉山の70連勝を阻止した平幕時代の安芸ノ海の付け人を経験し、その70連勝阻止の瞬間を裏方からの目線で見た著作がある(別冊1億人の昭和史 昭和大相撲史)。
中尾 佐助(なかお さすけ、1916年8月16日 - 199… 中尾 佐助(なかお さすけ、1916年8月16日 - 1993年11月20日)は、日本の植物学者。大阪府立大学名誉教授。専門は遺伝育種学、栽培植物学。ヒマラヤ山麓から中国西南部を経て西日本に至る「照葉樹林帯」における文化的共通性に着目した「照葉樹林文化論」を提唱した。
白井 永二(しらい えいじ、1915年〈大正4年〉12月10… 白井 永二(しらい えいじ、1915年〈大正4年〉12月10日 - 2008年〈平成20年〉1月1日)は、日本の民俗学者、神職。神社本庁総長、日本会議顧問、鶴岡八幡宮名誉宮司などを務めた。 愛知県豊橋市花田町西羽田に生まれる。1928年、豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。國學院大學国文科卒業。折口信夫に師事し祝詞を研究。鶴岡八幡宮宮司を務め、かたわら菅江真澄などの研究を行った。 1979年2月24日、国際勝共連合と自民党の国防関係国会議員が中心となり、「スパイ防止法制定促進国民会議」が設立された。呼びかけ人は木内信胤、朝比奈宗源、宇野精一、郷司浩平、宝井馬琴、三輪知雄の6人。サンケイ会館で設立発起人総会が開かれ、白井は発起人に名を連ねた。
杉浦 明平(すぎうら みんぺい、1913年〈大正2年〉6月9… 杉浦 明平(すぎうら みんぺい、1913年〈大正2年〉6月9日 - 2001年〈平成13年〉3月14日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家。 1913年(大正2年)愛知県渥美郡福江村(現在の田原市折立町)で、小地主兼雑貨商の長男として生まれる。父の太平は、1963年(昭和38年)から1967年(昭和42年)に死去するまで渥美町長をつとめている。 1926年(大正15年)、愛知県豊橋中学校(現在の愛知県立時習館高等学校)を四年生修了で第一高等学校へ進学、1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部国文学科卒業。一年下の後輩、立原道造と一高の短歌会で知り合い、共に1935年(昭和10年)同人誌「未成年」を発行。
清川 正二(きよかわ まさじ、1913年〈大正2年〉2月11… 清川 正二(きよかわ まさじ、1913年〈大正2年〉2月11日 - 1999年〈平成11年〉4月13日)は、日本の水泳選手、実業家。愛知県豊橋市出身。オリンピックに2度出場し、1932年ロサンゼルス五輪で100m背泳ぎ金メダリスト、1936年ベルリン五輪でも銅メダルを獲得。第二次世界大戦後は総合商社兼松江商の社長・会長を務める。アマチュアスポーツの振興にも尽力し、日本人として初めて国際オリンピック委員会(IOC)副会長となった。位階は従四位。 豊橋市関屋町出身。旧制愛知第四中学校(現・愛知県立時習館高等学校)、名古屋高等商業学校(現・名古屋大学)を経て、1936年(昭和11年)東京商科大学(現・一橋大学)卒業。
近藤 恒次(こんどう つねじ、1910年8月22日 - 19… 近藤 恒次(こんどう つねじ、1910年8月22日 - 1978年8月16日)は、愛知県豊橋市中柴町出身の教育者・郷土史家。文学博士(東洋大学、1972年)。 1910年に豊橋市中柴町に生まれた。建具商である近藤宇一の長男であり、生家は大手通りから諏訪神社に曲がる角にあった。松山尋常小学校(現・豊橋市立松山小学校)、愛知県豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)を卒業。教員志望だったため、1928年(昭和3年)には東洋大学専門部倫理学東洋文学科に入学し、1931年(昭和6年)に卒業した。 1934年(昭和9年)に花田尋常小学校(現・豊橋市立花田小学校)代用教員となったのが教職の始まりである。豊橋市立商業学校(現・愛知県立豊橋商業高等学校)、豊橋市立工業学校(現・愛知県立豊橋工業高等学校)、愛知県立時習館高等学校の教員を務め、1971年(昭和46年)に時習館高校で定年を迎えた。
影山 正治(かげやま まさはる、1910年〈明治43年〉6月… 影山 正治(かげやま まさはる、1910年〈明治43年〉6月12日 - 1979年〈昭和54年〉5月25日)は、日本の右翼活動家、思想家、歌人。 愛知県豊橋市生まれ。家は神官。父は影山庄平。豊橋中(現在の愛知県立時習館高等学校)卒、國學院大學哲学科中退、在学時代から右翼運動に入り、1931年(昭和6年)全国大日本主義同盟、日本学生連合に参加、32年生産党常任中央委員、33年神兵隊事件で検挙。36年に維新寮を結成、39年これを大東塾と改め塾長となった。40年7月皇民有志決起事件で検挙、42年禁錮5年の判決を受けたが、43年には特赦となった。44年11月応召。1946年5月帰国。54年4月3日大東塾再建。
大橋 武夫(おおはし たけお、1906年(明治39年)11月… 大橋 武夫(おおはし たけお、1906年(明治39年)11月18日 - 1987年(昭和62年)7月13日)は、日本の陸軍軍人、実業家、経営評論家。 軍人として第53軍参謀・東部軍参謀等を務め、階級は陸軍中佐に至る。戦後東洋精密工業社長、同社相談役や偕行社副会長を歴任する。愛知県蒲郡市出身。 明治39年11月陸軍中佐大橋崧次郎の四男として生まれ、愛知四中・名古屋陸軍幼年学校・陸軍士官学校予科を経て昭和2年7月19日に陸軍士官学校を卒業。同年10月25日、陸軍砲兵少尉に任官され、野戦重砲兵第2連隊附を命ぜられる。士官候補生第39期の大橋の同期には陸軍省軍務局軍事課高級課員で戦後陸将・陸上幕僚副長となる高山信武大佐や、南方軍第2課長の矢野連大佐、関東軍作戦主任参謀の草地貞吾大佐がいる。
穂積 七郎(ほづみ しちろう、1904年9月30日 - 19… 穂積 七郎(ほづみ しちろう、1904年9月30日 - 1995年12月10日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(7期)。 父は帝国議会議員を1期務めた鈴木麟三。兄は「アジア学生文化協会」などの設立者で社会教育家の穂積五一。義父は愛知県知事を1期務めた小畑忠良。新城市長の穂積亮次は子。 愛知県八名郡七郷村(現・新城市)出身。旧姓は鈴木。生まれる前の1904年6月27日に父を亡くした。 旧制愛知県豊橋中学校を経て、旧制第七高等学校造士館を1926年に卒業。同年東京帝国大学に入学。共に入学した兄の穂積五一は国家主義者らからなる「帝大七生社」に所属していたが、左翼の「新人会」とも交流し、両者の仲介も行った。
神野 太郎(かみの たろう、1903年9月9日 - 1983… 神野 太郎(かみの たろう、1903年9月9日 - 1983年9月24日)は、愛知県渥美郡牟呂村(現・豊橋市)出身の実業家。中部瓦斯(現在のサーラエナジー)社長。豊橋市名誉市民。 神野新田を開発した初代神野金之助の孫であり、豊橋市名誉市民である神野三郎の長男である。西春日井郡清洲村の旧家に生まれた三郎は、18歳の時に新田開発を行うために渥美郡にやってきて、1898年(明治31年)に義兄神野金之助の三女りきと結婚した。 1903年(明治36年)9月9日、神野太郎は愛知県渥美郡牟呂村大字牟呂字松島44番地(現・豊橋市神野新田町)に生まれた。1908年(明治41年)には豊橋市大字花田字城海津の借家に転居し、1910年(明治43年)に豊橋市立狭間尋常小学校(現・豊橋市立松山小学校)に入学した。
彦坂 忠義(ひこさか ただよし、1902年12月25日 - … 彦坂 忠義(ひこさか ただよし、1902年12月25日 - 1989年3月27日)は、日本の原子核物理学者。新潟大学名誉教授。愛知県渥美郡老津村(現・豊橋市)出身。理学博士(東北大学、1950年)。 長男は社会評論家、翻訳家、社会運動家の彦坂諦。四男は物理学者の彦坂正道。岳父(妻の父)は西洋史学者の阿刀田令造。 愛知県出身。旧制愛知県立第四中学校を経て、旧制第二高等学校を卒業後、1923年に東北帝国大学理学部物理学科に入学した。1926年に同大学を卒業し、当時の同大学教授高橋胖のもとで助手を務めた。1934年に原子核の内部構造を提唱し、当時広く考えられていたニールス・ボーアの液滴模型とは異なった今日殻模型と呼ばれるものに近い模型を発表したが、広く受け入れられることはなかった。
山本 照(やまもと てる、1902年11月18日 - 199… 山本 照(やまもと てる、1902年11月18日 - 1998年10月27日)は、愛知県出身のNHKアナウンサーである。日本の相撲中継において、松内則三に続く2人目のアナウンサーであった。 4人兄妹の三男。少年時代に地元の草相撲を見て以来の相撲好きであった。愛知県立第四中学校(後の時習館高校)では相撲部に所属、身体は小さかったが腕力は強く、右四つからの上手投げが得意で県下の中学校対抗相撲大会にも出場した。東京外国語学校(後の東京外国語大学)時代、大相撲の本場所の時期に語学以外の授業をサボっては国技館に通い詰め、学友からは「角狂」と呼ばれるほどであった。 東京外国語学校スペイン語科を卒業後、1925年4月に萬朝報に入社、1927年10月には國民新聞に移り相撲記者として活躍。
穂積 五一(ほづみ ごいち、1902年3月26日 - 198… 穂積 五一(ほづみ ごいち、1902年3月26日 - 1981年7月17日)は、日本の社会教育家。アジア学生文化協会、アジア文化会館の創設者として知られる。アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどから2万人を超える留学生を受け入れ、国際交流に貢献した。 愛知県八名郡能登瀬村(現・新城市能登瀬)に生まれる。父親は帝国議会議員を1期務めた鈴木麟三。弟に日本社会党衆議院議員の穂積七郎がいる。幼くして1904年6月27日に父を亡くし、母とともに生家を追われる。旧制愛知県豊橋中学校を経て、旧制第七高等学校造士館を1926年に卒業し、同年東京帝国大学に進学。 1925年(大正14年)、上杉慎吉を中心とする思想団体「帝大七生社」が結成され、穂積は同団体において会員の育成にあたった。
山口 保治(やまぐち やすはる、1901年10月20日 - … 山口 保治(やまぐち やすはる、1901年10月20日 - 1968年7月24日)は、愛知県豊川市出身の作曲家。 愛知県立第四中学校(現愛知県立時習館高等学校)卒業、1923年東京音楽学校甲種師範科(現東京藝術大学)入学。福井高等師範学校教員などを経て、1941年「さよなら三丁目」で童謡として初めての文部大臣賞を受賞した。1944年(昭和19年)豊川市国府町に疎開し、国府高等女学校(現愛知県立国府高等学校)教員。1961年「かかしのねがいごと」で日本レコード大賞童謡賞を受賞する。
池田 末男(いけだ すえお、1900年〈明治33年〉12月2… 池田 末男(いけだ すえお、1900年〈明治33年〉12月21日 - 1945年〈昭和20年〉8月18日)は、日本の陸軍軍人。陸士34期。 太平洋戦争終戦3日後の1945年(昭和20年)8月18日 午前1時30分頃、千島列島(日本領)と南樺太(日本領)の占領を図る赤軍が、占守島(千島列島の北端)に侵攻してきた(占守島の戦い)。 池田は戦車第11連隊を陣頭指揮して赤軍を迎え撃ち、8月18日午前に戦死した(満44歳没)。戦死時の階級は陸軍大佐、戦死により同日付で陸軍少将に進級。 愛知県豊橋市向山町(現)で出生。陸軍憲兵少佐・池田筆吉の五男。兄の池田廉二(陸士23期)は陸軍中将。 愛知県豊橋中学校(現:愛知県立時習館高等学校)、陸軍中央幼年学校予科(東京陸軍幼年学校に相当)、陸軍中央幼年学校本科(後の陸軍士官学校予科、陸軍予科士官学校)を経て、陸軍士官学校に入校。
丸山 薫(まるやま かおる、1899年〈明治32年〉6月8日… 丸山 薫(まるやま かおる、1899年〈明治32年〉6月8日 - 1974年〈昭和49年〉10月21日)は、日本の詩人。男性。海軍軍人の松田千秋は義弟(妹こまの夫)にあたる。 官吏をしていた父の任地大分県大分市で生まれる。1歳で長崎市へ移り、以後東京、京城、松江などを転々としたが、父が亡くなったあと、小学6年の秋に母方の祖父を頼って家族4人で愛知県豊橋市に移り住んだ。身内はそこで旅館業をしていたという。豊橋市立八町小学校を卒業し、愛知県立第四中学校(現・愛知県立時習館高等学校)を卒業。海洋への憧れから、周囲の反対を押し切って東京高等商船学校(現・東京海洋大学)を志し、2度目の受験にして合格するが、まもなく脚気のため退学する。
宮崎 周一(みやざき しゅういち、1895年(明治28年)2… 宮崎 周一(みやざき しゅういち、1895年(明治28年)2月6日 - 1969年(昭和44年)10月16日)は、昭和期日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。兵科は歩兵。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)出身。警察官・宮崎岩太郎の長男として生まれる。豊橋中学校を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第17連隊付となる。陸士予科区隊長などを経て、1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を卒業し歩兵第17連隊中隊長に就任。 1929年(昭和4年)2月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員(外国戦史課)に異動。1931年(昭和6年)8月、歩兵少佐に昇進。