藤島 信雄(ふじしま のぶお、1950年4月8日 - )は、… 藤島 信雄(ふじしま のぶお、1950年4月8日 - )は、秋田県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 高校時代は全くの無名選手であり、日本リーグ各チームからの勧誘もなかった。 そのため、日本鋼管へは集団就職で入社したが、入社前にサッカーの指導で秋田県に来ていた日本サッカー協会のスタッフの目に留まり、急遽日本ユース代表候補に選抜されたというエピソードを持つ。それを聞いた日本鋼管側が、藤島が入社すると慌ててサッカー部に入部させたという。 1970年代の日本を代表するMF。豊富な運動量で攻守の要として活躍した。1970年11月15日のユールゴーデンIF戦で日本代表として初出場した。日本鋼管、日本代表の双方で主将を務め、国際Aマッチ64試合に出場し、7得点を挙げた。
秋山 正子(あきやま まさこ、1950年 - )は、日本の訪… 秋山 正子(あきやま まさこ、1950年 - )は、日本の訪問看護師、有限会社ケアーズ・白十字訪問看護ステーション代表取締役所長、特定非営利活動法人白十字在宅ボランティアの会理事長、新宿区介護サービス事業者協議会副会長、東京女子医科大学非常勤講師。異名は「市ヶ谷のマザー・テレサ」。 1950年(昭和25年)秋田県秋田市土崎港で9人きょうだいの末っ子として生まれる。1969年(昭和44年)秋田県立秋田高等学校卒業。1973年(昭和48年)聖路加看護大学衛生看護学部卒業。看護師、助産師、保健師の資格を取得。大学卒業後は京都府の日本バプテスト病院で産婦人科病棟に勤務。 大阪大学医療技術短期大学部看護学科助手、日本バプテスト看護専門学校専任教員を経て、1992年(平成4年)8月、医療法人春峰会白十字訪問看護ステーションに勤務。
進藤 孝生(しんどう こうせい、1949年9月14日 - )… 進藤 孝生(しんどう こうせい、1949年9月14日 - )は、日本の実業家。新日鐵住金代表取締役社長を経て、日本製鉄代表取締役会長、幕張メッセ取締役会長、日本経団連副会長、世界鉄鋼協会会長、日中経済協会会長、国土交通省社会資本整備審議会会長等を歴任。 秋田県出身。秋田県立秋田高等学校(生徒会長)、一橋大学経済学部卒業(総代)。宮澤健一ゼミ出身。ハーバード大学経営大学院修了(経営学修士)。中学では野球部に所属。高校・大学ではラグビー部でフォワードを担当し、高校では全国ベスト4、ベスト8まで進出、大学でもラグビー部主将を務めた。のちに一橋大学ラグビー部監督や同部OB会長を歴任。前任の会長は杉山武彦。
銭谷 眞美(ぜにや まさみ、1949年6月2日 - 、男性)… 銭谷 眞美(ぜにや まさみ、1949年6月2日 - 、男性)は、日本の文部官僚。第4代文部科学事務次官。2009年から2022年まで、東京国立博物館館長を務めた。 秋田県秋田市土崎港相染町出身。秋田大学附属中学校、秋田県立秋田高等学校を経て、東北大学教育学部卒業。 1973年に文部省に入省し、国際学術課に配属される。その後、施設助成課、総務課、小学校課を経て、1981年から約2年半、三重県教育委員会に出向する。文部省復帰後は中学校課や高等学校課に配属され、高等学校課ではJETプログラムの立ち上げに携わった。1991年、生涯学習局学習情報課長。その後小学校課長、学校健康教育課長、体育課長を歴任。1997年大臣官房総務課長。
若松 節朗(わかまつ せつろう、1949年(昭和24年)5月… 若松 節朗(わかまつ せつろう、1949年(昭和24年)5月5日 - )は、日本のテレビドラマ演出家・映画監督。 秋田県河辺郡河辺町(現・秋田市)生まれ。秋田市立秋田商業高等学校、日本大学藝術学部放送学科卒業後、TBS系のテレパックに入社。ADを経て『思春期の妻たち』(1984年、フジテレビ)などのテレビドラマを演出。 1986年にフジテレビ系の共同テレビジョンに移籍。局制作が少なかったフジの中でテレパック時代のノウハウを活かし、『あまえないでヨ!』『ラジオびんびん物語』『しゃぼん玉』などのヒットドラマを数々手がけた。 90年代は『振り返れば奴がいる』『お金がない!』『正義は勝つ』など織田裕二の主演ドラマを多数演出し、その縁で2000年、織田主演のアクション大作『ホワイトアウト』で映画監督デビューを果たす。
鈴木 陽悦(すずき ようえつ、1949年1月10日 - )は… 鈴木 陽悦(すずき ようえつ、1949年1月10日 - )は、日本の政治家。民主党の元参議院議員(1期)。 秋田県秋田市出身。中央大学付属高等学校[要出典]、中央大学経済学部[要出典]卒業。なお、同郷の小倉智昭は高清水小学校、中央大付属高校の1年先輩である。学生時代からSFファンとして、SF同人誌を主催するなど活発に活動。現在も「秋田SF研究所」特別顧問をつとめる他、SF大会などにゲストとして参加。高千穂遥、永井豪らと交友がある[要出典]。 1971年4月に秋田テレビのアナウンサーとして入社、記者やニュースデスクを経験した他、鹿角市の黒又山の学術調査に携わり、これについての本を出版する。2004年1月に退社して、同年7月、第20回参議院議員通常選挙に秋田県選挙区から民主党と社会民主党の推薦を受け、無所属で立候補して初当選する。
大島 ともよ(おおしま ともよ、1949年〈昭和24年〉- … 大島 ともよ(おおしま ともよ、1949年〈昭和24年〉- )は、日本の編集技師である。 1970年代初頭から、大島渚や寺山修司といった前衛作家の作品を若くして手がける。のきなみ著名な国際映画祭に出品するレヴェルの作品を編集し、現在、東京フィルメックス理事。 1949年(昭和24年)、秋田県秋田市に生まれる。 21歳になる1970年(昭和45年)、浦岡編集室に入り、編集技師の浦岡敬一に師事した。1972年(昭和47年)にはフリーランスの編集技師となり、現在に至る。 2006年(平成18年)、第7回東京フィルメックスのコンペティション審査員を、キム・ドンホ(審査員長、釜山国際映画祭ディレクター)や諏訪敦彦(映画監督)らとともに務めた。
那波 一寿(なば かずとし、 1948年12月17日 - )… 那波 一寿(なば かずとし、 1948年12月17日 - )は、日本のナレーター、声優。秋田県秋田市出身。ハイブリッヂコミュニケーション所属。ライトハウス提携タレント。以前はプロダクション・タンクに所属していた。 立教大学経済学部卒業。東京アナウンスアカデミーを経て、岩尾康延、山内雅人、坂井清成などに師事。
藤原隆(ふじわら たかし、1948年11月8日 - )は日本… 藤原隆(ふじわら たかし、1948年11月8日 - )は日本の大蔵・金融官僚。東北財務局長、金融庁総務企画局長、(株)ジャスダック証券取引所会長などを歴任。血液型はB型。 秋田県秋田市出身(父母も秋田県)。秋田県立秋田高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。1972年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1977年7月 米沢税務署長。その後は和歌山県総務部財政課長、主計局総務課長補佐(歳入・国債係主査)、主計局主計官補佐(労働係主査)、主計局主計官補佐(厚生第三係主査)などを務める。1987年7月 大臣官房企画官兼大臣官房文書課。1990年7月 三重県総務部長。1996年7月12日 証券局総務課長。1998年7月1日 東北財務局長。
内館 牧子(内舘 牧子、うちだて まきこ、1948年〈昭和2… 内館 牧子(内舘 牧子、うちだて まきこ、1948年〈昭和23年〉9月10日 - 2025年〈令和7年〉12月17日)は、日本の脚本家、作家、作詞家。 東日本大震災復興構想会議委員。東京都教育委員会委員、ノースアジア大学客員教授。元横綱審議委員会委員(2000〜2010年)。学位は造形学士(武蔵野美術大学)、修士 (文学)(東北大学)。 秋田県秋田市土崎港生まれ。父親は岩手県盛岡市、母親は秋田市出身。日本冷蔵(ニチレイ)に勤めていた父の転勤で、4歳から新潟県、小学校3年から高校2年までは東京都大田区雪谷で育った。 新潟では幼稚園に馴染めず、いじめられて退園。それ以来ずっと家で過ごすうちにラジオの大相撲中継を聞くようになった。
小畑 元(おばた はじめ、1948年(昭和23年)7月25日… 小畑 元(おばた はじめ、1948年(昭和23年)7月25日 - )は、日本の政治家、官僚。元大館市長(6期)。叔父は秋田県知事を6期(1955年~1979年)務めた小畑勇二郎。 スピーカー作りが趣味であり自宅に工房を持っている。大館市立中央公民館や大町商店街振興組合に自作の手作りスピーカーを寄贈している。 そして健康に気を使い夜遅い時間帯や土日の休日の朝早い時間帯には、大館市内をウォーキングをしている。 他にストレス解消に皿洗いもする。過去に国政選挙に出馬した際、リーフレットの趣味の欄に皿洗いと書き亡き母に怒られたというエピソードもある。また、市長時代は出勤前に「大館のために」と3回唱えてから出勤していた。
丹内モモコ(丹内百子)(たんない ももこ、1948年〈昭和2… 丹内モモコ(丹内百子)(たんない ももこ、1948年〈昭和23年〉5月30日 - )は、元秋田放送アナウンサー・フリーアナウンサー。 秋田県秋田市出身。女子美術大学短期大学部デザイン科卒業後、秋田放送入社。 アナウンス部次長からラジオ局ラジオ制作部次長(ディレクター・パーソナリティ)を経て、2008年(平成20年)12月に退職。 退職後は、同じく秋田放送アナウンサーだった参議院議員・松浦大悟の秋田事務所秘書として勤務した[要出典]。
伊藤 秀裕(いとう ひでひろ、1948年2月29日 - )は… 伊藤 秀裕(いとう ひでひろ、1948年2月29日 - )は、日本の映画監督、脚本家、プロデューサー、演出家である。映画制作会社 株式会社エクセレントフィルムズ代表取締役。CINEMA JACK映画塾 塾長。 1948年(昭和23年)2月29日、秋田県秋田市に生まれる。秋田県立秋田高等学校、東京教育大学を卒業後、電通東芝企画製作室を経て、1973年、日活入社。助監督として、神代辰巳、西村昭五郎らにつく。1979年、『団地妻 肉欲の陶酔』で監督昇進。1982年、フリーとなる。1984年、株式会社ビッグバンを設立し、プロデューサーとなる。平成3年には株式会社エクセレントフィルムズを設立し、三池崇史、渡辺武らの監督作品を発表している。
小倉 智昭(おぐら ともあき、1947年〈昭和22年〉5月2… 小倉 智昭(おぐら ともあき、1947年〈昭和22年〉5月25日 ‐ 2024年〈令和6年〉12月9日)は、日本のフリーアナウンサー、タレント、総合司会者、ラジオパーソナリティ、実業家。東京12チャンネル(現:テレビ東京)元アナウンサー。元オーケープロダクション取締役で、のちにオールラウンドに移籍。株式会社バイオテクニカ代表取締役社長、株式会社PTP社外取締役。 帝国石油の技術者だった父親(日本配管工業元取締役の小倉勇)と、鹿児島市出身の母親のもと、当時の父の赴任先だった秋田県 で第一子長女である姉に次ぐ第二子長男として生まれた。祖父は宮大工。外祖父・玉利伝十は台湾日日新報社の記者で、孫文とも面識があった。
石山 宏一(いしやま こういち、1947年 - )は、日本の… 石山 宏一(いしやま こういち、1947年 - )は、日本のジャーナリスト、辞書編纂者、評論家、英語学者、桐蔭横浜大学客員教授。 秋田県秋田市生まれ。秋田県立秋田高等学校卒業。「グル-基金」(米国大学留学制度)奨学生選抜試験合格、渡米。1969年ミドルベリー大学教養学部政治学科卒業。 1970年タフツ大学フレッチャ-法律外交大学院修士課程修了。 1971年サイマル・インターナショナル会議通訳者、1972年東京大学研究生、1973年AP通信(米国)記者、1980年ザ・タイムズ(ロンドン)記者、1983年ストレーツタイムズ(シンガポール)記者、1988年ビジネスタイムズ(シンガポール)記者 (金融担当)、1992年駒沢女子短期大学英文科助教授、1999年桐蔭横浜大学法学部助教授、2004年同教授、2010年客員教授となり、時事英語、ビジネス英語、ジャーナリズム入門等を教えている。
熊田 亮介(くまた りょうすけ、1947年 - )は、日本の… 熊田 亮介(くまた りょうすけ、1947年 - )は、日本の歴史学者、秋田大学名誉教授。専門は日本古代史。 秋田県秋田市生まれ。1972年、東北大学大学院文学研究科修士課程修了。新潟大学教育学部助教授を経て、1993年、秋田大学教育学部(現:教育文化学部)教授。2002年に東北大学より博士(文学)の学位授与。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
小野 花子(おの はなこ、1946年10月9日 - )は、秋… 小野 花子(おの はなこ、1946年10月9日 - )は、秋田県秋田市出身の女性民謡歌手。本名は星野ハナ子。 秋田県南秋田郡外旭川村神田(現・秋田市)生まれ。成田与治郎に師事し、師のもとで内弟子修行。1968年に23歳で民謡日本一となり注目される。以降、「民謡王国」と形容される秋田県出身の実力派民謡歌手として第一線に立ち活躍し、秋田民謡の歌い手として全国を舞台に活動する。同じ秋田民謡の浅野梅若一門に属していないため、基本的に個人で活動しているが、一門と行動を共にすることも多い。NHKのレギュラー民謡番組にも時折出演している。 また、秋田弁の親しみやすいキャラクターで、秋田県の各放送局制作番組に多数出演。
浅利 香津代(あさり かづよ、1944年8月11日 - )は… 浅利 香津代(あさり かづよ、1944年8月11日 - )は、日本の女優。本名、浅利 和子(あさり かずこ)。 秋田県秋田市出身。血液型はB型。 生まれも育ちも秋田駅前という生粋の秋田っ子。 秋田県立秋田北高等学校卒業。 日本大学芸術学部演劇学科卒業後、望月優子に師事。その後、新劇の第一次・第二次新人会で8年在籍。 1975年より劇団前進座に移って3代目中村翫右衛門(4代目中村梅之助の父であり、中村梅雀の祖父)に師事。10年在籍し、フリーとなる。 正しい秋田弁の使い手として秋田弁の朗読などの仕事も多い。
高田 斉(たかだ ひとし、1943年6月27日 - )は、気… 高田 斉(たかだ ひとし、1943年6月27日 - )は、気象予報士。主にNHKで気象キャスターとして活動した。 秋田県秋田市楢山出身。気象大学校通信教育を修了し、1963年、財団法人日本気象協会に入職後、秋田支部、東北本部を経て、中央本部気象情報部専任主任技師を務める。東北勤務時代の1980年代初頭からNHKに出演、東京に異動してからは同局の主要なニュース番組の気象キャスターを歴任する。2003年、日本気象協会を定年退職。その後有限会社気象環境サービスを経て、2006年4月より株式会社ウイングを経て、現在は南利幸が代表を務める株式会社南気象予報士事務所の顧問。 2002年3月から4年間担当した『NHKニュース10』の気象解説は、「冬将軍」などのキャラクターを活かしたユニークな演出により、視聴率が低迷した同番組では数少ない人気コーナーの一つとなった。
藤原 清悦(ふじわら せいえつ、1943年(昭和18年)5月… 藤原 清悦(ふじわら せいえつ、1943年(昭和18年)5月15日 - 2024年(令和6年)12月11日)は、日本の銀行家。秋田銀行頭取を務めた。 秋田県秋田市出身。慶應義塾大学文学部卒業後、秋田銀行入行。 企画部門を長く担当し、6年あまり頭取を務めた新開卓が、非常勤相談役・秋田経済研究所理事長に勇退したことに伴い、後任として昇格。 2013年(平成25年)には、頭取職を湊屋隆夫に引き継ぎ、相談役に退いた。 2024年12月11日午後9時、心不全のため東京都内の病院で死去。81歳没。
吉村 昇(よしむら のぼる、1943年(昭和18年)- )は… 吉村 昇(よしむら のぼる、1943年(昭和18年)- )は、日本の工学者。工学博士。専門は基礎電気工学。秋田大学および東北公益文科大学で学長を務めた。 新潟県で生まれ秋田県秋田市で育つ。 秋田県立秋田高等学校を卒業後、秋田大学に進学。1969年3月同大学院鉱山学研究科修士課程電気工学専攻修了。1974年名古屋大学より工学博士(電子・電気材料工学)の学位を受く。 1969年4月秋大鉱山学部助手、1974年4月同講師、1975年同助教授に就き、一度は外国の大学で研究したいと考えていた時、米国ニューヨーク州にあるクラークソン工科大学客員研究員として招かれ、家族とともに渡米。約2年間滞在した。 帰国後の1983年4月、39歳で秋大鉱山学部教授に昇進。
吉本 高志(よしもと たかし、1942年〈昭和17年〉 - … 吉本 高志(よしもと たかし、1942年〈昭和17年〉 - )は、日本の医学者。元東北大学総長。東北大学名誉教授。医学博士。専門は脳神経外科学。秋田県秋田市土崎港出身。 1961年3月秋田県立秋田高等学校卒業(東京大学総長を務めた政治学者の佐々木毅は同期)。1968年3月東北大学医学部医学科卒業。1977年東北大学より医学博士の学位を取得。 1975年4月東北大学助手。1982年5月同助教授。1988年4月同教授。2002年11月から2006年11月まで東北大学総長。日本学術会議会員も務めた。 2007年4月独立行政法人大学入試センター理事長に就任。2013年まで務める。同年医療法人社団親和会西島病院名誉院長。
新開 卓(しんかい たかし、1941年(昭和16年)9月22… 新開 卓(しんかい たかし、1941年(昭和16年)9月22日 - )は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取。秋田県卓球協会名誉会長。 秋田県秋田市出身。早稲田大学教育学部卒業後、秋田銀行入行。職員組合委員長、横手、仙台などの支店長を務め、取締役昇格後は長らく企画担当を務めた。 2001年(平成13年)、2期4年頭取を務めた諏訪純人の退任に伴い頭取に昇格した。トップ在任時は2001年の赤字決算を受け翌年度から経費を16億円削減したほか、秋田市内店舗の統廃合など経営体質のスリム化に努めた。また、法人融資の底上げに取り組むため法人営業チーム、仙台法人営業本部の部署を立ち上げたほか、2007年(平成19年)3月末には1年ぶりに総預金期末残高を2兆円に回復させる施策も講じた。
吹浦 忠正(ふきうら ただまさ、1941年3月17日 - )… 吹浦 忠正(ふきうら ただまさ、1941年3月17日 - )は、日本の旗章学者。 バングラデシュなどのアジア諸国、また、世界各国の国旗事情に詳しい。 秋田県秋田市出身。秋田県立秋田高等学校、早稲田大学第一政治経済学部卒業。早稲田大学大学院政治学研究科修了。 国際赤十字バングラデシュ・ベトナム各駐在代表、日本赤十字中央女子短期大学助教授、埼玉県立大学教授を経て、ユーラシア21研究所理事長、拓殖大学客員教授、難民を助ける会特別顧問、世界の国旗普及協会理事、日本国際フォーラム評議員などを歴任。 スポーツ関係の仕事も多く、第18回夏季オリンピック東京大会組織委員会国旗担当職員、第18回オリンピック冬季競技長野大会大会組織委員会式典担当顧問を務め、東京パラリンピック(1964年)では組織委員会のメンバーとして大会運営を担当している。
木村 興治(きむら こうじ、1940年12月11日 -)は、… 木村 興治(きむら こうじ、1940年12月11日 -)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル4個を含む計9個のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を支える選手の一人として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は4位。段級位は9段。元日本卓球協会副会長。 秋田県秋田市生まれ。秋田県立秋田高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。1961年度、北京 (中国) で行われた世界卓球選手権では星野展弥と出場した男子ダブルス準決勝で荘則棟 / 李富荣(英語版)組 (中国) に3-1で勝利。決勝でもゾルターン・ベルシック(英語版) / フェレンツ・シド組 (ハンガリー) を3-1で下し金メダル。
加賀谷 武夫(かがや たけお、1939年(昭和14年)12月… 加賀谷 武夫(かがや たけお、1939年(昭和14年)12月28日 - )は、日本の銀行家。北都銀行頭取を務めた。 秋田県秋田市土崎港出身。実家は秋田港近くの鮮魚問屋。3、4年、銀行で経験を積んだら家業を継ぐつもりでいた。 秋田県立秋田高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業後、当時横手市に本店のあった羽後銀行に入行、総合企画部長などを歴任する。 北都銀行に移行後は同期入行であった齋藤隆夫頭取を常務、専務として支え、2003年、齋藤の後任として頭取に就いた。 頭取在任時は、ビジネス商談会を軌道に乗せ、エリアサポートチームを新設したほか、みちのく銀行、荘内銀行、東北銀行と債権流動化で提携をむすんだ。
嵯峨 健四郎(さが けんしろう、1937年8月15日 - 2… 嵯峨 健四郎(さが けんしろう、1937年8月15日 - 2011年11月1日)は、秋田県秋田市上北手出身のプロ野球選手(投手)。 秋田商業高では、エースとして1954年秋季東北大会準決勝に進むが、盛岡商業高に敗退。翌1955年も夏の甲子園県予選を勝ち抜き、奥羽大会に進むが1回戦で盛岡工業高に敗れる。なお、高校時代の1年後輩には、後に大毎オリオンズや阪急ブレーブスなどで活躍する三平晴樹がいた。三平も高校卒業後、嵯峨と同じルートでプロ入りしている(但し、プロでチームメイトになる事は無かった)。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立に入団。1956年の都市対抗野球にエースとして出場、準々決勝に進むが大昭和製紙に敗れる。
遠藤 幸雄(えんどう ゆきお、1937年(昭和12年)1月1… 遠藤 幸雄(えんどう ゆきお、1937年(昭和12年)1月18日 - 2009年(平成21年)3月25日)は、日本の元体操競技選手。日本大学名誉教授。 秋田県秋田市広面字谷内佐渡出身。秋田工業高校から東京教育大学(現筑波大学)卒業。 広面小3年生の時に母親を亡くし、久保田中1年 の冬から養護施設感恩講で育つ。中学2年の時、先生の勧めで体操部に入部し、市内大会では数々の表彰台に上がる。 同じ秋田県出身の小野喬を目標に競技を続け、東京教育大学在学時代から体操競技日本代表選手に選ばれてオリンピック、世界選手権など数々の国際大会に出場した。1964年東京オリンピックでは日本選手としては初めてとなる個人総合優勝を果たした。
小野 清子(おの きよこ、1936年〈昭和11年〉2月4日 … 小野 清子(おの きよこ、1936年〈昭和11年〉2月4日 - 2021年〈令和3年〉3月13日)は、日本の体操選手、政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。旧姓は大泉。 参議院議員(3期)、環境政務次官(第2次海部改造内閣)、社団法人日本音楽著作権協会理事長、国家公安委員会委員長(第69・70代)、内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当、食品安全担当)、参議院予算委員長、独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長、笹川スポーツ財団理事長などを歴任した。 宮城県岩沼市に生まれ、その後秋田県秋田市に移る。幼少時、病弱だったため体操を始めた。 1952年の国民体育大会で後の夫となる同じ秋田県出身で4学年上の体操選手の小野喬と知り合った。
相場 一宏(あいば いっこう、または、あいば かずひろ、19… 相場 一宏(あいば いっこう、または、あいば かずひろ、1936年 - )は、囲碁ライター、編集者。 秋田県秋田市出身。1955年に僧籍に入り、駒澤大学仏教学部に入学。駒澤大学仏教学部中退。1962年に囲碁ライターに転じる。安永一の1966年の著書『囲碁百年』(全3巻、時事通信社)では、記述・編集を担当した。 囲碁ライター協会名誉会長。全日本囲碁協会元・理事。囲碁史の研究も行い、2006年4月にスタートした「囲碁史会」の運営委員。天元戦・新人王戦の観戦記者をつとめた。 1981年から1985年まで出版社・四星社も経営し、『趙治勲のかならず勝つ』『棋聖秀行の碁』『囲碁名局年鑑』『囲碁新手年鑑』などを刊行した。
阿曾村 邦昭(あそむら くにあき、1935年‐)は、日本の外… 阿曾村 邦昭(あそむら くにあき、1935年‐)は、日本の外交官 。書籍等の著者名では「阿曽村 邦昭」と表記されている。 1935年、秋田県秋田市生まれ。東京大学農業経済学科及び米国アマースト大学政治学科各卒業。 外務省に入り、1988年に在ベトナム、1991年に在チェコスロバキア(1993年チェコに改称)、1994年に在ベネズエラ各特命全権大使を歴任した。 その後、富士銀行顧問、麗澤大学外国語学部客員教授、吉備国際大学大学院国際協力研究科科長(主任教授)、ノースアジア大学法学部教授、日本紛争予防センター所長、ジャパン・プラットフォームNGOユニット理事、(社)ラテンアメリカ協会理事、(株)インターナショナル映画社取締役会長を経て、(岡山県)公設国際貢献大学校教授、日本教育再生機構代表委員、認定NPO法人「難民を助ける会」顧問、「メコン地域研究会」会長を務めた。
高杉 晋吾(たかすぎ しんご、1933年3月18日 - )は… 高杉 晋吾(たかすぎ しんご、1933年3月18日 - )は日本の社会評論家、ジャーナリスト。本名、石川晋吾。 秋田県秋田市生まれ。1957年、早稲田大学第一文学部卒業。団体記者を経て、1962年、日本社会党機関紙「社会新報」記者となるが、1970年にフリーランスとなり、『朝日ジャーナル』『現代の眼』などにルポや論文を発表。 袴田事件を当初[いつ?]から冤罪であると考え、死刑判決後にルポを発表するなど20年にわたり支援活動に携わる。人体実験についての著作も複数ある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
奈良 毅(なら つよし、1932年〈昭和7年〉12月11日 … 奈良 毅(なら つよし、1932年〈昭和7年〉12月11日 - 2014年〈平成26年〉1月20日 )は、日本のベンガル語学・文学研究者。東京外国語大学名誉教授。公益財団法人日印協会顧問 1932年(昭和7年)12月11日、秋田県秋田市生まれ。秋田大学学芸学部国文科卒。1958年、東京大学大学院言語学専攻修士課程修了。カルカッタ大学比較言語学博士課程修了。PH.D。 1964年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授、のち教授。1995年(平成7年)定年退官、名誉教授、清泉女子大学教授。2003年定年。 田中嫺玉とベンガル語による短縮版『マハーバーラタ』を共訳、1974年にマヘーンドラナート・グプターがまとめたラーマクリシュナの言行録『不滅の言葉』を共訳し抄訳として出版、これにより日本翻訳文化賞を受賞した。
堀川 孝夫(ほりかわ たかお、1931年(昭和6年)3月24… 堀川 孝夫(ほりかわ たかお、1931年(昭和6年)3月24日 - 1999年(平成11年)11月22日)は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取・会長。 秋田県秋田市出身。1953年(昭和28年)、東北大学卒業後、秋田銀入行。 職員組合委員長のほか、本部において企画や人事を長く担当。また秋銀初の外部団体への出向として、「八郎潟新農村建設事業団」へ派遣され、大潟村の大規模モデル農村づくりにも携わった。加えて支店長として初めて赴任した能代支店では、第一次オイルショックの影響を食い止めるべく奔走もした。 1991年(平成3年)、頭取に昇格。トップ在任時は不良債権処理に取り組み、1995年(平成7年)度にはいわゆる住専向け融資、翌年度には「秋田県木造住宅」向けの融資の大半を償却させ、不良債権処理に目処をつけた。
佐藤 菊夫(さとう きくお、1929年 11月4日- )は、… 佐藤 菊夫(さとう きくお、1929年 11月4日- )は、日本の指揮者。東京管弦楽団音楽監督。東京合奏団主宰・音楽監督。世田谷区民吹奏楽団音楽監督。 国立音楽大学卒業。ウィーン国立音楽大学修了。秋田県秋田市土崎港の生まれ。妻は西川清子(チェンバロ奏者)。 1954年、国立音楽大学卒業。1956年、ウィーン国立音楽大学(オーストリア)に留学し、1960年、同大学の指揮・作曲科を修了。なお、妻の西川清子(挙式は1957年5月)も一緒に留学していた。ウィーン・アカデミー管弦楽団、ウィーン古典合奏団に入団して活動。 その一方、ウィーン少年合唱団の日本招へいなど、オーストリアと日本の音楽交流で尽力。 1961年の日本帰国後、1962年から指揮者として東京交響楽団などを担当。
加藤 日出男(かとう ひでお、1929年8月31日 - 20… 加藤 日出男(かとう ひでお、1929年8月31日 - 2019年12月22日)は、日本の社会運動家、随筆家。 日本の高度経済成長期、地方から集団就職した勤労青年たちの交流サークル「若い根っこの会」を創設し、亡くなるまで会長を務めた。 秋田県秋田市出身。秋田県立秋田中学校(現・秋田県立秋田高等学校)を経て、1946年に秋田鉱山専門学校(現・秋田大学)に入学するが翌年中退、しばらく住み込みで農業に従事。1953年、東京農業大学農学部農業経済学科卒業。在学中、青山ほとりに合わせ大根を持って応援を行う「大根踊り」を考案したという説がある(異説あり。詳細は青山ほとり#大根踊りを参照)。 1952年から1958年にかけ、東農大在学生のサークル「あすなろ会」、および若者の交流サークル「経堂青年会」「雑草の会」「東京青年の会」を立ち上げる。
大戸崎 祐慈朗(おおとざき ゆうじろう、1929年4月24日… 大戸崎 祐慈朗(おおとざき ゆうじろう、1929年4月24日 - 1993年3月13日)は、秋田県秋田市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は棚谷 勇治。168cm、74kg。最高位は西十両2枚目。得意技は右四つ、投げ。 1949年5月場所で初土俵。新序で好成績を挙げ、序ノ口を飛び越えて序二段で12勝3敗の好成績でいきなり序二段優勝、その後も順調に番付を上げ、1953年9月場所で十両に昇進。1956年9月場所は自己最高位となる十両2枚目まで番付を上げるなど一時期は十両上位で定着し入幕も期待されたが、胃腸疾患で途中休場した1958年11月場所限りで廃業した。
土方 巽(ひじかた たつみ、1928年〈昭和3年〉3月9日 … 土方 巽(ひじかた たつみ、1928年〈昭和3年〉3月9日 - 1986年〈昭和61年〉1月21日)は、日本の舞踊家、振付家、演出家、俳優。暗黒舞踏の創始者として、国際的に知名度の高い舞踊家である。 『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』土方巽 著、吉増剛造 筆録(書肆山田、1992年) あんま(1963年・2007年、白黒、20分) バラ色ダンス(1965年・2007年、白黒、13分)
上田 健一(うえだ けんいち、1927年2月2日 - 201… 上田 健一(うえだ けんいち、1927年2月2日 - 2016年10月18日)は、毎日新聞元主筆であり、毎日新聞社元社友。また「日本エッセイスト・クラブ」元理事長。 秋田県秋田市出身。1951年早稲田大学政治経済学部卒業。読売新聞の渡邉恒雄とは東京大学新聞研究所(現・東京大学大学院情報学環教育部)の同期で、長きに渡る交友がある。1951年4月毎日新聞東京本社入社。社会部および政治部記者としてキャリアを積み、同社北米総局次長、ワシントン支局長、政治部長、論説委員長、大阪副代表兼編集局長を経て、1980年同社取締役に就任、同年主筆兼東京本社編集局長。1983年1月より同社顧問。1965年より1990年まで、随時TBS系列の「JNNニュースコープ」などの番組でニュースキャスターとして出演。
滝田 政治(たきた まさはる、1926年10月26日 - 没… 滝田 政治(たきた まさはる、1926年10月26日 - 没年不明)は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。左打者。 秋田県立秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)を卒業後、秋田鉱山専門学校(現:秋田大学)に入学。 卒業後はノンプロの中央工業に所属し、1948年、外野手として急映に入団。1949年からは大映に移籍、1950年には初めて規定打席(33位、打率.249)に達する。1952年6月22日にはサイクルヒットを達成し、同年は63試合に先発出場。翌1953年は一塁手に転向、開幕から三番打者として活躍しチームの3年ぶりの3位進出に貢献した。1954年は自己最高の打率.283(14位)を記録する。
辻 兵吉(つじ ひょうきち、1926年(大正15年)5月26… 辻 兵吉(つじ ひょうきち、1926年(大正15年)5月26日 - 2008年(平成20年)7月5日)は、日本の実業家。辻兵グループ総帥。日本青年会議所、秋田商工会議所会頭、日本バスケットボール協会会長などを務めた。秋田県秋田市出身。 秋田県屈指の素封家である1856年(安政3年)創業の呉服店「辻兵」に生まれた。辻兵太郎の息子。秋田県立秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)、東京商科大学(現:一橋大学)を卒業後、高島屋飯田(現:丸紅)に入社。 1952年(昭和27年)、五代目兵吉を襲名。以後、辻兵・辻不動産・秋田いすゞ自動車などの辻兵グループ企業のトップを務め、同グループを秋田県下有数の企業グループまでに育てた。
佐々木 満(ささき まん(実際の読みは、ささき ゆたか)、1… 佐々木 満(ささき まん(実際の読みは、ささき ゆたか)、1926年4月20日 - 2022年4月7日)は、日本の政治家、官僚。自由民主党所属で参議院議員(4期)を務めた。 秋田県雄勝郡山田村出身。秋田県立能代高等学校、東京大学法学部卒業。大学卒業後、自治省に入省。後に秋田県庁に移り、厚生部長などを歴任。山崎五郎の死去に伴う1976年の参議院議員補欠選挙に秋田県選挙区から自民党公認で立候補し初当選。連続当選4回。党内では中曽根康弘→渡辺美智雄派に属し、北海道開発政務次官、自民党参議院政策審議会長などを務めた後、1990年第2次海部改造内閣の総務庁長官として初入閣。1995年には政府が提出した宗教法人法改正案を審議する参議院宗教法人等に関する特別委員長に就任したが、創価学会を基盤とする野党の新進党の強い反発で審議は混乱し、精神的にも肉体的にも自信を失った佐々木は健康上の理由で委員長を辞任。
出口 廣光(でぐち ひろみつ、1925年11月17日 - 2… 出口 廣光(でぐち ひろみつ、1925年11月17日 - 2000年10月30日)は、日本の政治家、官僚、地方公務員。参議院議員(1期、自由民主党)。 秋田県秋田市出身。1949年東北大学法文学部経済学科卒。自治庁に入り、三重県児童課長、青森県広報文書、労政各課長を経て、経済企画庁に出向。福岡県医務、地方各課長、自治大学校教務部長、労働省大臣官房付、大分県企画部長、自治省大臣官房調査官を歴任。1971年に秋田県庁に出向し、総務部長、出納長、副知事を歴任する。1983年の第13回参議院議員通常選挙で秋田県選挙区から自由民主党公認で立候補し当選。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。落選後は秋田県信用保証協会会長や県交通安全協会会長などを務めた。
加藤 一夫(かとう かずお、1925年2月18日 - 201… 加藤 一夫(かとう かずお、1925年2月18日 - 2012年10月7日)は、日本の経済学者。静岡大学名誉教授。専門はイギリスの経済・政治思想。 秋田市生まれ。秋田市商業学校(現・秋田市立秋田商業高等学校)卒業後、福島経済専門学校(現・福島大学)に進学、その後、1949年東京商科大学(現・一橋大学)卒業。秋田大学学芸学部助教授、1971年静岡大学教養部助教授、1972年教授、1977年教養部長、1982年学長、1987年定年退官、名誉教授、1991年「トマス・モアの社会経済思想」で東京経済大学経済学博士。 甥は予備校講師の今井宏。今井は「経済学者ではあるが、物静かな文学青年タイプの人で、著書にもその傾向が常につきまとった」と伯父・加藤のことを評している。
渡辺 誠太郎(わたなべ せいたろう、1922年(大正11年)… 渡辺 誠太郎(わたなべ せいたろう、1922年(大正11年)2月8日 - 2013年(平成25年)6月22日)は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手。 秋田市立土崎商業学校(現:秋田市立秋田商業高等学校)卒業後、1941年に阪神軍に入団。その後、1944年(昭和19年)に応召。 1946年から大阪タイガースに復帰。同年は開幕投手を勤め、10勝を挙げる(12敗)。同年7月26日の対パシフィック戦(阪急西宮球場、1-0で勝利)では、13時15分の開始から14時10分の終了まで試合時間が僅か55分という、日本プロ野球史上最短試合時間記録を達成した。この試合ではパシフィック先発の湯浅芳彰と投げ合い、被安打5・88球で完封勝ちした。
井上 了介(いのうえ りょうすけ、1920年〈大正9年〉4月… 井上 了介(いのうえ りょうすけ、1920年〈大正9年〉4月10日 - 2000年〈平成12年〉12月7日)は、日本の銀行家。秋田銀行頭取、会長を歴任した。 秋田県秋田市出身。三菱銀行勤務を経て、秋田銀行入行。審査部長、仙台支店長等を歴任する。 1971年(昭和46年)に竣工となった現本店の建設地選考の際には、当時の役員ほぼ全員が旧本店跡地への建設へと傾いた中、企画部長であった井上が県庁、市役所などが集積し官庁街として新しい街並みが形成されつつあった「山王地区」の将来性に着目。3ヶ月で行内を説得し、同地区への新築へと構想を具体化したは長く行内でエピソードとして語り継がれた。 頭取在任時は、第二次オンラインシステムの稼動、預金残高1兆円の達成、CSモニター制の導入など営業体制の整備にあたった。
中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 -… 中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 - 1997年4月22日)は日本の教育者、政治家、文学者。元衆議院議員(日本共産党公認、3期)。柔道7段。 秋田県秋田市出身。秋田市立川尻小学校を経て秋田市商業学校(現秋田市立秋田商業高等学校)卒業。京都の紡績工場に勤務後、立正大学高等師範科卒業。 戦後は秋田市立高等学校の教師を経て、1951年に教職を辞し秋田市会議員選挙に日本社会党再建派から出馬。この時は落選するものの4年後に秋田市議となり2期務める。初出馬の際に推薦されたことから共産党との縁ができ、市議在任中の1961年12月に日本共産党に入党。1963年から秋田県議3期を経て、1972年に行われた第33回衆議院議員総選挙の秋田県第1区に、日本共産党から立候補し初当選を果たす。
後藤 弘(ごとう ひろし、1919年6月6日 - 2001年… 後藤 弘(ごとう ひろし、1919年6月6日 - 2001年6月26日)は、日本の公認会計士、税理士、俳人。 秋田県秋田市生まれ。別名・岡野等。秋田師範学校卒、1943年土浦海軍航空隊に入り、少尉に任官して大分、博多、谷田部で訓練し特攻隊を志願するが敗戦を迎える。1949年東北大学文学部卒。日本興業銀行ほか数社を経て、1957年日本能率協会に入り、経理部長、常務理事、監事、のち顧問。1980年文教大学情報学部教授、92年定年退職。日本能率協会の経営コンサルタントとして数100社に及ぶ一流企業のバランスシートを分析した。 文学に親しみ、学生時代、東北学生俳句連盟の「赤外線」の創刊に参加、1945年新俳句人連盟に入り投句。
川口 大助(かわぐち だいすけ、1918年3月5日 - 19… 川口 大助(かわぐち だいすけ、1918年3月5日 - 1981年2月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、秋田市長(3期)を務めた。 秋田県河辺郡新屋町(現在の秋田市新屋)出身。秋田県立秋田中学校(旧制、現在の秋田県立秋田高等学校)を卒業後、国鉄に入り、国労秋田地方本部委員長を務める。その後秋田県議になり、日本社会党秋田県本部書記長、同顧問となり、1959年の秋田市長選では社会党公認で立候補して初当選した。以来3期。1971年の秋田市長選では保守系候補の荻原麟次郎に敗れて落選した。1976年の第34回衆議院議員総選挙で秋田1区から日本社会党公認で立候補して当選。1979年の秋田県知事選に立候補したが落選した。
内藤 良平(ないとう りょうへい、1916年〈大正5年〉3月… 内藤 良平(ないとう りょうへい、1916年〈大正5年〉3月17日 - 1996年〈平成8年〉12月21日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 秋田県秋田市で生まれる。1933年(昭和8年)秋田市商業学校(現秋田市立秋田商業高等学校)を卒業した。 1935年(昭和10年)鉄道省(のちの日本国有鉄道)に入省。仙台鉄道局秋田運輸事務所、新潟鉄道局秋田管理部総務課などに勤務。国鉄労働組合中央委員、同秋田支部書記長、秋田県労働組合会議議長、同事務局長、護憲連合秋田県代表委員などを務めた。秋田市議会議員に選出され2期在任し、同総務財政委員長、秋田県地方労働委員も務めた。 1949年(昭和24年)日本社会党に入党。