菅原 操(すがわら みさお、1927年2月22日 - 202… 菅原 操(すがわら みさお、1927年2月22日 - 2021年)は、日本の運輸官僚。海外鉄道技術協力協会(JARTS)最高技術顧問。極東鋼弦コンクリート振興株式会社(FKK)顧問。日本モノレール協会副会長。日本地下鉄協会リニアメトロ研究委員長。工学博士。 静岡県静岡市出身。1939年、静岡県立静岡中学校入学、四年終了にて1943年、陸軍予科士官学校に入学。翌1944年、陸軍航空士官学校に進み、満州・平安鎮にて訓練を受けた。その地で敗戦を迎え、1945年8月末、帰国、故郷の静岡での大学受験準備を経て、1946年、東京大学第二工学部土木工学科に入学、1949年、同卒業、運輸省入省。1952年6月、鉄道技術研究所。
青木 薪次(あおき しんじ、1926年4月8日 - 2015… 青木 薪次(あおき しんじ、1926年4月8日 - 2015年11月6日)は、日本の政治家。愛称はシンちゃん。 参議院議員(4期)、参議院建設委員長、参議院逓信委員長、日本社会党参議院議員会長、労働大臣(第60代)。 静岡県庵原郡庵原村(のちの静岡県静岡市清水区)出身。東海大学科学技術専門学校を中退。国鉄労働組合を経て、1974年7月の第10回参議院議員通常選挙にて日本社会党から立候補する。静岡県選挙区で初当選を果たし、以後、連続4回当選。 1994年6月、自社さ連立政権の村山内閣において、日本社会党参議院議員会長の浜本万三が労働大臣に就任したため、その後任として日本社会党参議院議員会長に就任した。
須山 静夫(すやま しずお、1925年7月22日 - 201… 須山 静夫(すやま しずお、1925年7月22日 - 2011年7月10日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家、小説家。 静岡市出身。1943年、静岡県立静岡中学校卒業。横浜工業専門学校造船科卒業後、1947年、農林省水産局漁船課に入省。1952年より、ガリオア資金による留学生としてアメリカに渡り、ミシガン大学で1年間学ぶ。ここで妻となる越川さち(後、共立女子大学教授)と知り合う。その後、明治大学文学部夜間三年に編入学し、青沼一郎の教えを受け、1954年、ハーマン・メルヴィル「モービー・デイック」論により卒論提出。明治大学大大学院に進学。越川さちと結婚、農林省水産庁退職。1956年、明治大学文学部助手。
三枝 充悳(さいぐさ みつよし、1923年 <大正12年> … 三枝 充悳(さいぐさ みつよし、1923年 <大正12年> 4月18日 - 2010年 <平成22年> 10月19日)は、日本の仏教学者。専門は、仏教学・インド哲学。筑波大学名誉教授。位階は正五位。 1923年、静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡中学校に学ぶ。第一高等学校在学中、1943年、学徒出陣するが内地勤務で敗戦を迎えた。 戦後は東京大学文学部哲学科へ進み、学部卒業後は同大学院(旧制)修了。卒業後は母校の東京大学助手となった。ミュンヘン大学に留学、1962年にPh.Dを取得し帰国。帰国後、國學院大學助教授に就任。1971年、『東洋思想と西洋思想』を國學院大学に提出して文学博士号を取得した。 1975年より筑波大学教授。
近江 宗一(おおみ むねかづ、1923年1月21日 - 20… 近江 宗一(おおみ むねかづ、1923年1月21日 - 2016年1月12日)は、日本の工学者。専攻は冶金工学、流体工学。大阪大学名誉教授。工学博士。 静岡県静岡市出身。1968年(昭和43年)、大阪大学工学部冶金設備工学研究室教授(〜1986年度(昭和61年度)。 1999年、勲三等旭日中綬章を受章。
飯塚 一郎(いいづか いちろう、1923年〈大正12年〉- … 飯塚 一郎(いいづか いちろう、1923年〈大正12年〉- 1986年〈昭和61年〉5月29日)は、日本の経済学者(専攻は経済史・経済思想史・経済学史)。学位は、経済学博士。位階は従四位。 静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡中学校を経て、1946年、同志社大学経済学部卒。山梨大学教授を務めた。1971年、「貨幣学説前史の研究」で関西学院大学経済学博士の学位を取得。1986年死去。死没日付をもって従四位に叙された。 もともとイギリス重商主義についての研究を進めていたが、その後、これに先行するスペインの植民地政策や経済思想にも関心を拡げていくことになった。特に伊藤不二男と並んで、日本におけるサラマンカ学派研究に先鞭をつけたことで知られる。
長谷川 房雄(はせがわ ふさお、1922年(大正11年)1月… 長谷川 房雄(はせがわ ふさお、1922年(大正11年)1月 - 2020年(令和2年)12月29日)は、日本の建築学者。専門は建築環境工学、建築計画学。東北大学名誉教授。工学博士。 1922年(大正11年)、静岡市生まれ。1934年(昭和9年)3月、静岡市立安西小学校卒業。1939年(昭和14年)3月、静岡県立静岡中学校卒業。1942年(昭和17年)9月、静岡高等学校 (旧制)理科一類卒業。1945年(昭和20年)9月、東京帝国大学第二工学部建築学科卒業。同年11月、財団法人建設技術研究所に就職。1951年(昭和26年)3月、同退職。4月、東北大学工学部建築学科助教授、1961年(昭和36年)9月、『建築壁体の熱伝導計算法に関する研究』により工学博士(東京大学)。
森 麗子(もり れいこ、1921年3月6日 - )は、日本の… 森 麗子(もり れいこ、1921年3月6日 - )は、日本の教育者、生物学者、手芸家、詩人。 旧姓は萩原(はぎわら)。書籍などで森 れい子(もり れいこ)との名義を用いることもある。 静岡県森町高等女学校、静岡高等学校、文化服装学院での勤務を経て、ガブロム工房主宰などを歴任した。 静岡県出身の手芸家である。旧制高等女学校や旧制高等学校の教員を経て、結婚を機に手芸家として活動する。エドナ・マーチンに師事したのち、さまざまな技法を駆使して糸で絵を描く「ファブリックピクチャー」を確立し、日本における第一人者として知られている。ガブロム工房の主宰としても活動し、個展だけでなく工房展なども開催した。旧制の静岡県森町高等女学校や静岡高等学校で教鞭を執り、戦後は文化服装学院において後進を育てた。
大塚 武(おおつか たけし、1917年(大正6年)1月9日 … 大塚 武(おおつか たけし、1917年(大正6年)1月9日 - 1983年(昭和58年)8月30日頃)は、日本の銀行家。北洋相互銀行取締役社長、日本銀行事務管理部長、北海道経営者協会会長などを歴任した。 静岡県静岡市出身。静岡県立静岡中学校を経て、1941年東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。卒業と同年に日本銀行に入行する。学生時代は年間百日以上も山登りに費やしたが、高橋泰蔵ゼミナールでは抜群の成績で、入行後も、2度ぐらい大学に戻らぬかといわれた逸材であった。 1953年に通商産業省に出向する。日銀に戻って外国為替局次長、新潟支店長を歴任後、1964年から札幌支店長を務め、大学同窓の森鼻武芳(のちに北海道銀行頭取)とゴルフや囲碁を嗜み、交遊を持つようになる。
佐藤 公一(さとう こういち、1913年(大正2年) - 1… 佐藤 公一(さとう こういち、1913年(大正2年) - 1991年(平成3年))は、日本の農業技術者。元農林省技官。日本で初めて柑橘水耕栽培を行った。農学博士。静岡市出身。 安倍郡美和村(現在の静岡市)に生まれる。静岡県立静岡中学校を経て、旧制静岡高等学校卒業。東京帝国大学卒業。農林省園芸試験場(興津)見習生終了後、1938年(昭和13年)、静岡県、山形県、山梨県農業試験場を経て、1946年(昭和21年)、米軍水耕農場の管理に雇用される。1947年(昭和22年)、農林省園芸試験場東海支場(興津)。1950年(昭和25年)、農業技術研究所園芸部(平塚)に転出、果樹部長を経て、1967年(昭和42年)、園芸試験場興津支場長。
桜井誠(さくらい まこと、1912年 - 1983年5月11… 桜井誠(さくらい まこと、1912年 - 1983年5月11日)は、主に絵本や児童書などの挿絵の執筆で活動した日本の挿絵画家。静岡県静岡市出身。
野間 省一(のま しょういち、1911年4月9日 - 198… 野間 省一(のま しょういち、1911年4月9日 - 1984年8月10日)は、日本の出版人、実業家。講談社第4代社長。日本書籍出版協会会長。出版文化国際交流会会長。日本雑誌広告協会会長。旧姓高木。
花岡 菊子(はなおか きくこ、1910年9月11日 - 19… 花岡 菊子(はなおか きくこ、1910年9月11日 - 1984年6月12日)は、日本の女優である。出生名は瀧川 幾代(たきがわ いくよ)、結婚後本名は松崎 幾代(まつざき いくよ)。1920年代末の松竹蒲田撮影所の喜劇女優として知られ、戦後は新東宝に所属、脇役俳優として映画に多く出演した。 1910年(明治43年)9月11日、静岡県静岡市寺町(現在の同県同市葵区駿河町)に生まれる。『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』(蒲田雑誌社)には「1911年9月1日出生」との旨の記述がみられる。 旧制小学校卒業後、旧制・静岡精華高等女学校(現在の静岡大成高等学校)に進学、1928年(昭和3年)3月、同校を卒業する。
原 ひさ子(はら ひさこ、1909年(明治42年)8月6日 … 原 ひさ子(はら ひさこ、1909年(明治42年)8月6日 - 2005年(平成17年)12月4日)は、日本の女優。本名は石島 久(いしじま ひさ)。旧芸名に原緋紗子、原緋沙子。 1909年(明治42年)、静岡県静岡市に四人兄妹の末っ子として生まれた。父は銀行員だったが、6歳の時に亡くなっている。 不二高等女学校(現:静岡雙葉高等学校)を卒業すると同時に上京し、伯父夫婦の養子となった。伯父は会社のエンジニアだったが、東京大学の近くで下宿と喫茶店も経営していた。この当時原は家業を手伝ったり、長唄や生け花を習うなど花嫁修業をしていた。 1933年(昭和8年)、新聞の広告で見た前進座の座員募集に応募した。
荻野 凖平(おぎの じゅんぺい、1909年(明治42年)6月… 荻野 凖平(おぎの じゅんぺい、1909年(明治42年)6月1日 - 2001年(平成13年)1月22日)は、日本の政治家。(旧)静岡市長。位階は従四位。
井出 多米夫(いで ためお, 1908年11月27日 - 1… 井出 多米夫(いで ためお, 1908年11月27日 - 1998年8月17日 )は、静岡県清水市(現:静岡市)出身のサッカー選手、サッカー指導者。 静岡県立静岡中学校(現・静岡県立静岡高等学校)を卒業。 早稲田大学に入学後はア式蹴球部に入部した。工藤孝一が同期に当たる。在学中の1930年5月に開催された第9回極東選手権競技大会の日本代表に選出され、1試合に出場した。 1933年10月開催されたア式蹴球全國優勝競技會(第13回天皇杯全日本サッカー選手権大会)に東京OBクラブの一員として優勝した。 1942年に地元の清水市に戻って静岡県立庵原中学校(現:静岡県立清水東高等学校)などで指導し、1948年には同年に創設された清水サッカー協会の初代理事長に就任した。
山田 栄一(やまだ えいいち、1908年5月10日 - 19… 山田 栄一(やまだ えいいち、1908年5月10日 - 1995年1月10日)は、第三代シチズン時計社長(1946年 - 1981年)。静岡市出身。旧姓鈴木。 1908年、横浜に生まれる[要出典]。静岡県立静岡中学校を経て、1931年、東京商科大学卒業。同年、三井生命入社、1937年、シチズン時計入社、1941年、シチズン時計取締役、1944年、シチズン時計常務取締役、1945年、シチズン時計専務取締役、1946年、シチズン時計代表取締役社長。1968年、藍綬褒章受章、1978年、勲三等旭日中綬章受章、1981年、シチズン時計会長。1986年、シチズン時計取締役相談役、1987年、シチズン時計相談役。
川野辺 静(川野邉 静、かわのべ しづ、1907年(明治40… 川野辺 静(川野邉 静、かわのべ しづ、1907年(明治40年)9月24日 - 2003年(平成15年)4月25日)は、日本の政治家、小児科医。位階は正五位。参議院議員(1期、自由民主党)。 静岡県静岡市出身。7人兄弟の長女。不二高等女学校を経て、1930年に東京女子医学専門学校を卒業。同附属病院の小児科医局長となる。帰郷後、1935年に焼津市で小児科医院を開業、2年後には静岡市に移転。静岡大火や空襲でたびたび被災するが、恩師の吉岡彌生からの医療器具の寄付や、趣味の日本舞踊を通じて懇意にしていた尾上菊五郎(6代目)の見舞金に助けられたという。 1951年、静岡市議会議員に当選。児童福祉事業中心に活動、静岡県婦人団体連絡会の会長となる。
大岡 博(おおおか ひろし、1907年(明治40年)3月9日… 大岡 博(おおおか ひろし、1907年(明治40年)3月9日 - 1981年(昭和56年)10月1日)は、日本の歌人。 静岡県静岡市生まれ。貿易商だった父延時(1883年 - 1935年)の関係で少年期までを神戸で過ごす。その後、三島に定住。曾祖父の永夢は幕臣で旗本。徳川慶喜の駿府移住に随行し、同地に住んだ、祖父直時は、三島に移り、のちに三島警察署長を務めた。1924年(大正13年)沼津中学校(現静岡県立沼津東高等学校)卒業後、父不在のもと苦学し、家族の病気や経済面から進学を断念して三島市で教職につく。のちに1949年(昭和24年)から1951年(昭和26年)まで県教職員組合執行委員長、初代県立児童会館長、中学校校長を務めるなど教育者として力を尽くした。
山田 和男(やまだ かずお、1906年1月2日 - 1985… 山田 和男(やまだ かずお、1906年1月2日 - 1985年12月15日)は、日本の英語学者。 静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡商業学校卒業、1927年東京外国語学校英語部貿易科卒業。京北実業学校教諭、1928年米沢高等工業学校講師、助教授、1935年東京商科大学予科講師、1938年同付属商学専門部教授、1949年一橋大学商学部教授、1969年定年退職、名誉教授。
俵 静夫(たわら しずお、1905年10月3日 - 1992… 俵 静夫(たわら しずお、1905年10月3日 - 1992年1月8日)は、日本の法学者。神戸大学名誉教授。 静岡県静岡市生まれ。京都府立第二中学校、第三高等学校、1929年、京都帝国大学法学部卒、神戸商業大学助手、神戸経済大学助教授、神戸大学法学部教授。1968年、「地方自治法」で神戸大法学博士。1969年、定年退官、名誉教授。神戸学院大学教授、1987年、退職。 地方自治が専門。1975年勲二等瑞宝章受章。
田宮 義雄(たみや よしお、1905年(明治38年)5月15… 田宮 義雄(たみや よしお、1905年(明治38年)5月15日 - 1988年(昭和63年)11月2日)は、模型メーカータミヤの創業者。
大村 純毅(おおむら すみたけ、1903年(明治36年)4月… 大村 純毅(おおむら すみたけ、1903年(明治36年)4月11日 - 1974年(昭和49年)4月17日)は、日本の昭和時代の華族、陸軍軍人、政治家(第5代〜第8代大村市長)。大村家第33代当主。大村市名誉市民。 父大村純英が陸軍軍人として赴任中の静岡県静岡市で誕生、ほどなく東京へ移る。 学習院初等科で院長であった乃木希典の薫陶を受け、学習院中等科を経て陸軍中央幼年学校へ入り、1924年(大正13年)7月に陸軍士官学校本科卒業(第36期)。同年10月に砲兵少尉任官。以後、砲兵部隊中心に軍歴を重ねる。最終的には野戦重砲第八連隊付を経て中佐に昇進した。1933年(昭和8年)6月、父の死没に伴い伯爵を襲爵。
杉山 昌作(すぎやま しょうさく、1900年(明治33年)1… 杉山 昌作(すぎやま しょうさく、1900年(明治33年)10月18日 – 1994年(平成6年)3月1日)は、昭和期の大蔵官僚、政治家。参議院議員(2期)、専売局長官。 静岡県静岡市出身。小樽高等商業学校を卒業。1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格。1925年(大正14年)京都帝国大学経済学部を卒業した。同年、大蔵省に入省し専売局書記となる。 以後、専売局参事、大蔵省調査官、専売局長官などを歴任。その他、東北興業(のち東北開発)副総裁、専売事業協会会長、全国たばこ耕作組合中央会理事などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して初当選し、1956年(昭和31年)7月の第4回通常選挙に全国区から緑風会公認で出馬して再選され、参議院議員に連続2期在任した。
榎田 竹林(えのきだ ちくりん、1898年(明治31年) -… 榎田 竹林(えのきだ ちくりん、1898年(明治31年) - 1974年(昭和49年))は、川柳作家。本名は圭太良(または桂太郎)。静岡市出身。 1916年(大正5年)3月、静岡県立静岡中学校卒業後、教職に就き、のち上京。川柳栗吟社同人として活躍。1923年(大正12年)に帰省、静岡川柳社を興す。以後門弟の育成に努め、1966年(昭和41年)4月、静岡県川柳協会会長。その間、静岡刑務所篤志面接委員、静岡新聞、NHKの文芸選者などを務め、静岡市教育文化功労者、静岡県文化奨励賞を受賞。 静岡市登呂公園に句碑が建ち、後に静岡市常磐公園に移され現在に至っている。夫人は川柳作家の榎田柳葉女(りゅうようじょ)。
山家 亨(やまが とおる、1897年(明治30年)- 195… 山家 亨(やまが とおる、1897年(明治30年)- 1950年(昭和25年)1月)は、日本陸軍の軍人、大佐。宣撫工作「山家機関」の責任者。中国名、王嘉亨(ワンチアホン)。川島芳子の初恋の相手としても知られる。 1897年(明治30年)、静岡市生まれ。1916年、静岡県立静岡中学校卒業、静岡中学時代は野球部(現在の静岡高校野球部)に所属した。1921年(大正10年)、陸軍士官学校(33期)卒業後、陸軍士官学校の委託生として東京外国語学校に入学、中国語、蒙古語、ロシア語を学んだ。松本第五十連隊機関銃隊付少尉(一説に中尉)のころ、満蒙ロビーの川島浪速への接近がきっかけで川島芳子と知り合って恋仲となり、中国語の手ほどきを受けた。
青嶋 次郎(あおしま じろう、1897年(明治30年) - … 青嶋 次郎(あおしま じろう、1897年(明治30年) - 1949年(昭和24年))は、日本の飛行家・実業家。青島文化教材社の創業者。 静岡県静岡市葵区両替町生まれ。 静岡尋常高等小学校(現・静岡市立葵小学校)卒業後、近くの建具店に奉公に出るが、1915年(大正4年)に家出同然で上京。 その後、伊藤音次郎を頼り、1917年に(大正6年)に工員として伊藤飛行機研究所に入る。1919年(大正8 年)には飛行機の操縦訓練を受けるようになり、1921年(大正10年)に、勤め先で知り合った女性と結婚。1923年(大正12年)に三等飛行機操縦士免状を交付され、退社。 翌1924年(大正13年)、安東練兵場の隣地に青島文化教材社の前身となる青島飛行機研究所を設立し、資金を集めてニューポール83型機「静岡号」で郷土訪問飛行を果たした。
大石 光之助(おおいし こうのすけ、1896年(明治29年)… 大石 光之助(おおいし こうのすけ、1896年(明治29年)9月9日 - 1971年(昭和46年)2月8日)は、日本の実業家。静岡新聞社初代社長。静岡放送創設者。 静岡県静岡市出身。浅吉の三男、あるいは磯吉の男。上京して徳富蘇峰の書生になる。徳富の国民新聞社に入社。欧米業界を視察する。 経営不振に陥っていた静岡民友新聞社の再建にあたる。1928年に総支配人となる。1941年に戦時新聞統合により県下6紙を統合して「静岡新聞」が創立されると初代社長に就任。 放送界にも進出し、1952年に静岡放送を設立、社長となる。1971年、駿府博物館設立。趣味は庭球、家庭菜園。住所は静岡市紺屋町、東京都目黒区平町。
海野 厚(うんの あつし、1896年8月12日 - 1925… 海野 厚(うんの あつし、1896年8月12日 - 1925年5月20日)は、童謡作家、俳人。本名は厚一(こういち)。俳号は長頸子(ちょうけいし)。 静岡県安倍郡豊田村曲金(現:静岡市駿河区曲金二丁目)の出身。生家は大地主だったが、後に没落。 旧制静岡中学卒業後、早稲田大学に入学。童話雑誌「赤い鳥」に投稿した作品が北原白秋に認められ童謡作家となる。俳句同人誌「曲水」にも参加。中山晋平らとともに「子供達の歌」を出版。雑誌「海国少年」の編集長も務めた。結核のため28歳で死去したため作品数は多くない。没後は西豊田小学校に隣接する法蔵禅寺に葬られ、墓石が存在する。 彼の母校である静岡市立西豊田小学校には「背くらべ」の歌碑が建てられている。
池田長十郎(いけだ ちょうじゅうろう、1891年(明治24年… 池田長十郎(いけだ ちょうじゅうろう、1891年(明治24年)10月11日 - 1943年(昭和18年)1月27日)は、ホーリネス教会の牧師、殉教者の1人である。 1891年(明治24年)に静岡県静岡市に生まれる、尋常小学校3年生頃中退して、奉公に出る。その後、静岡県庁の給仕をする。その時に日本基督教団静岡教会10代目牧師の村岡菊三郎に出会い世話になる。このことがきっかけになり1907年(明治40年)に洗礼を受ける。 1907年、献身し、牧師になる勉強をするために、聖書学院に入学する。1909年(明治42年)、19歳の時に、名古屋に任命され、東洋宣教会福音伝道館の教役者になる。 以後、淀橋教会、鳥取教会、秋田県小坂の福音伝道館を経て、北海道の北見と札幌を牧会し、宇都宮、秩父に移る。
朝比奈 宗源(あさひな そうげん、1891年(明治24年)1… 朝比奈 宗源(あさひな そうげん、1891年(明治24年)1月9日 - 1979年(昭和54年)8月25日)は、臨済宗の禅僧。臨済宗円覚寺派管長、円覚寺住職。日本を守る会代表委員、スパイ防止法制定促進国民会議呼びかけ人なども務めた。 静岡県清水市(現在の静岡市清水区)出身。鎌倉・円覚寺住職。臨済宗円覚寺派管長。 32歳の時に日本大学宗教専門部(現存しない)卒。京都妙心寺、鎌倉円覚寺で修行。1934年~1942年まで横濱専門学校(現神奈川大学)で倫理学講師を担当、高歯の下駄で鎌倉から通った。その後、駒澤大学教授。 1942年、円覚寺住職。1945年、円覚寺派管長。大戦中は中国や南方で従軍布教をした。
尾崎 元次郎(おざき もとじろう、1870年10月5日(明治… 尾崎 元次郎(おざき もとじろう、1870年10月5日(明治3年9月11日)- 1945年(昭和20年)1月9日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、貴族院議員。 現在の静岡県静岡市出身。尾崎伊兵衛の長男。1890年(明治23年)静岡県立尋常中学校を卒業。 日清戦争・日露戦争に従軍し、陸軍歩兵大尉に昇る。退役後、茶業・林業の経営を行い、静岡銀行監査役、静岡地方森林会議員、静岡市奨兵会長、静岡県勧善会理事、静岡市消防組頭などを務める。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙に静岡県静岡市区から出馬し当選。1917年(大正6年)4月の第13回総選挙まで当選し連続3期を務める。政党は中正会、正交倶楽部に所属した。
鈴木 禎次(すずき ていじ、明治3年7月6日(1870年8月… 鈴木 禎次(すずき ていじ、明治3年7月6日(1870年8月2日) - 昭和16年(1941年)8月12日)は、日本の建築家。静岡県静岡市出身。夏目漱石の相婿(妻同士が姉妹)で、漱石の小説の中にも登場する。[要出典] 1870年(明治3年)駿河国静岡に旧旗本で大蔵官僚の鈴木利亨の長男として生まれる。1896年(明治29年)に帝国大学工科大学造家学科を卒業。翌年、三井銀行に入り建築係に勤務する。1898年(明治31年)夏目漱石の妻である夏目鏡子(旧姓:中根)の妹(時子)と結婚し、1903年(明治36年)、文部省の命を受けイギリスとフランスに留学。1906年(明治39年)名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)の建築科教授・同科長となり赴任。
大森 鍾一(おおもり しょういち、1856年6月16日〈安政… 大森 鍾一(おおもり しょういち、1856年6月16日〈安政3年5月14日〉- 1927年〈昭和2年〉3月3日)は、日本の内務官僚、政治家。貴族院議員、枢密顧問官、皇太后宮大夫、男爵。 幕臣、駿府与力・大森直正(水野忠邦家臣森川源左衛門の男)と先代鯛次郎直由の娘である銀の長男として生まれる。幼名は鍾一郎、後に諱の直興を名乗る。静岡学校、名古屋学校を経て、明治5年10月(1872年11月)に林欽次塾に入り、後に中退。 1873年(明治6年)4月、明治政府に出仕し陸軍造兵司・一等附属となる。司法省、法制局、太政官を経て、1878年(明治11年)10月、内務省に移り四等属に任官。以後、内務権大書記官、兼戸籍局長、内務卿官房長心得、内務大臣秘書官(山縣有朋大臣)、内務書記官・総務局文書課長兼勤、県治局長、兼警保局長などを歴任した。
井上 彦左衛門(いのうえ ひこざえもん、1853年11月25… 井上 彦左衛門(いのうえ ひこざえもん、1853年11月25日(嘉永6年10月25日) - 1929年(昭和4年)5月2日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。新聞経営者。大地主。衆議院議員(5期)。幼名は幾次郎。 先代の豪農・井上彦左衛門の長子として、駿河国有渡郡八幡村(安倍郡豊田村を経て現静岡市)に生まれ、1883年(明治16年)3月、家督を相続する。下総の遠藤良規に学ぶが水戸城焼失事件で疑われ投獄される。1873年(明治6年)釈放され帰郷し、1882年(明治15年)野崎銀行創立に参画し取締役兼支配人に就任する。1884年(明治17年)静岡県会議員に当選し1890年(明治23年)まで務めた。
高田 愛弓(たかだ あゆみ、9月5日 - )は、日本のアナウ… 高田 愛弓(たかだ あゆみ、9月5日 - )は、日本のアナウンサー。2024年より静岡放送(SBS)に所属する。静岡県静岡市出身。 静岡県静岡市出身。読売新聞社主催「全国小・中学校作文コンクール」において複数回入選しており、中学2年時に文部科学大臣賞を受賞した作品『夢の跡』が報じられている。 高校時には、「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」においてNHK会長賞を受賞している。 また、県内のスピーチコンテストでも入賞している。 大学は慶應義塾大学法学部政治学科を卒業したと報じられている。 2024年、静岡放送(SBS)にアナウンサーとして入社した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
内野 菜美(うちの なみ、5月22日 - )は、日本・静岡県… 内野 菜美(うちの なみ、5月22日 - )は、日本・静岡県静岡市出身のキャスタードライバー、ラジオパーソナリティ 2025年現在、静岡放送(SBSラジオ)にてリポーター/キャスタードライバーとして活動し、昼の帯番組『鉄崎幹人のWASABI』木曜日のパーソナリティを務めている。 静岡県静岡市出身。誕生日は5月22日。高校生の時(2011年)に秋葉原の地下アイドルを経験。ソロおよびグループ活動を経て、2019年までアイドル活動、司会、撮影モデルとしてマルチに活動。 2023年よりSBSラジオのキャスタードライバーとして活動開始。番組中継リポートやパーソナリティを担当。 趣味は「ドルオタ(アイドル好き)」「アニメ」「犬」「ポテトチップス」「静岡茶」。
服部 寛一郎(はっとり かんいちろう)は静岡県出身の元静岡県… 服部 寛一郎(はっとり かんいちろう)は静岡県出身の元静岡県議会議員、元静岡市議会議員。静岡県オンブズマンネットワーク代表。「ハットリカンちゃん」の愛称で知られる。
あいざわ ひろしは、日本の漫画家、イラストレーター、同人作家… あいざわ ひろしは、日本の漫画家、イラストレーター、同人作家。女性。美少女漫画を主に執筆する。静岡市出身 商業作家としてはペンギンクラブ山賊版・キルタイムコミュニケーション出版の書籍・フランス書院出版の書籍・E☆2・アダルトゲームなどでイラストレーターおよび漫画家として執筆している。 同人誌は同人サークルHIGH RISK REVOLUTIONで個人執筆。 ペンネームが「あいざわひろし」という男性名であるが故に、プログラマーかつ同人サークルのメンバーであり、夫である岩崎啓眞はあいざわに直接会うまで男性作家だと思っていたとのこと。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
天野 喜孝 は、日本の画家、キャラクターデザイナー、イラスト… 天野 喜孝 は、日本の画家、キャラクターデザイナー、イラストレーター、装幀家。舞台美術や衣裳デザインも手がける。旧名は天野 嘉孝。80年代に喜孝に改名した。
池ヶ谷 夏美 は、静岡県出身の元女子サッカー選手、サッカー指… 池ヶ谷 夏美 は、静岡県出身の元女子サッカー選手、サッカー指導者。WEリーグ・AC長野パルセイロ・レディース所属。現役時のポジションはゴールキーパー。
稲木 亀次郎(いなぎ かめじろう、生年不詳 - 1924年〈… 稲木 亀次郎(いなぎ かめじろう、生年不詳 - 1924年〈大正13年〉)は、日本の実業家。 静岡県の鳥獣剥製業者で、製革業を営む。斃牛馬化製所を経営する。駅弁を製造販売するが、中途で他に譲り廃業する。静岡屠場監査役をつとめる。 日本赤十字社特別社員である。住所は静岡市八番町、同市白山町。長男は皮革骨脂製造販売業を営む稲木芳雄(稲木商店)。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
池田 多恵子(いけだ たえこ、11月29日 - )は、日本の… 池田 多恵子(いけだ たえこ、11月29日 - )は、日本の漫画家。女性。静岡県静岡市出身。 デビュー作は「EQUALロマンス」(ちゃおDX1990年新年号掲載)。 『ちゃお』1994年10月号から1995年8月号まで『とんでぶーりん』を同名のテレビアニメの放映と平行する形で連載。 その後、2000年代まで小学館の学年別学習雑誌で活動する。 アニメの『とんでぶーりん』は1993年『ちゃおデラックス』秋の増刊号に掲載された『ビビデ・バビデ・ぶーりん!!』(『二代目ねずみ小僧 おりん参上!!』に収録)を元にして制作されており、1994年9月放送開始のアニメの『とんでぶーりん』と漫画の『とんでぶーりん』の制作は同時進行であった。
大木 麻理(おおき まり) は、日本のオルガニスト。ミューザ… 大木 麻理(おおき まり) は、日本のオルガニスト。ミューザ川崎シンフォニーホール・ホールオルガニスト。 静岡市出身。東京藝術大学卒業、同大学院修士課程修了。オルガンを菊池みち子、廣野嗣雄、椎名雄一郎、チェンバロを鈴木雅明、大塚直哉、アンサンブルを今井奈緒子、廣澤麻美に師事。 DAAD(ドイツ学術交流会)、ポセール財団の奨学金を得てドイツ・リューベック国立音楽大学(ドイツ語版)、デトモルト音楽大学(ドイツ語版)に留学し、アルヴィート・ガスト、マルティン・ザンダー(ドイツ語版)、ミヒャエル・ラドレスク(ドイツ語版)に師事、最優等で国家演奏家資格を得て卒業。 ソロのみならず東京交響楽団、東京都交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団等、国内外のオーケストラ、アンサンブルと共演。
山田 チカラ(やまだ ちから、年齢非公表 - )は、日本の料… 山田 チカラ(やまだ ちから、年齢非公表 - )は、日本の料理人、食文化プロデューサー。スペインバル「BCN groc - バルセロナグロック」・創作料理店「山田チカラ」オーナーシェフ。エスプーマ料理を日本に広げたパイオニアの第一人者。 静岡県静岡市出身。実家はお茶農家。飲食業とは無縁の家庭で育つ。静岡聖光学院中学校・高等学校卒業後に、日本で料理人の基本を習得。その後にヨーロッパに渡り修業し、縁あって現地スペイン バルセロナ市内に自身の店を持つ。その半年後には2店目の日本酒を楽しめるバールスタイルの店を出店し、オーナーとして2店舗を経営に携わる。また現地では日本人ということもありモデルとしても活動し、サン・ミゲル(絶大な人気とシェアを持ったビール)やコカ・コーラのテレビCMにも出演。
美保 純 は、日本の女優、コメンテーター。本名、曽根 ちよ美… 美保 純 は、日本の女優、コメンテーター。本名、曽根 ちよ美。
市川 和彦(いちかわ かずひこ)は、日本のトランペット奏者。… 市川 和彦(いちかわ かずひこ)は、日本のトランペット奏者。静岡市出身。東海大学第一高校卒業-国立音楽大学中途退学。大学在学中に新日本フィルに入団。1993年文化庁在外研修員としてウィーン国立音楽大学で学ぶ。1987年津堅直弘氏らとトランペットアンサンブル・トランペット5を結成。1989年にアメリカ、2006年にはタイで行われたITG(インターナショナルトランペットギルド)の招待を受け演奏。1993年文化庁の在外研修員としてウィーンに留学。ウィーン国立音楽大学でウィーンフィルのアドルフ・ホラー教授に師事。これまでにトランペット5、東京トランペットコアーなどでCDをリリース。国立音楽大学、洗足学園音楽大学非常勤講師。
鈴木 由美子(すずき ゆみこ)は、日本の化学者(有機合成化学… 鈴木 由美子(すずき ゆみこ)は、日本の化学者(有機合成化学・有機触媒化学・ヘテロ環化学・創薬化学)、薬剤師。学位は博士(薬学)(静岡県立大学・1996年)。上智大学理工学部准教授。 コロンビア大学博士研究員、静岡県立大学薬学部講師などを歴任した。 有機合成化学、有機触媒化学、ヘテロ環化学、創薬化学を専攻する静岡県出身の化学者である。有機低分子を触媒とする反応や合成の研究で知られている。静岡県立大学、コロンビア大学、上智大学に勤務し、後進の育成に努めた。 静岡県静岡市出身。静岡県により設置・運営される静岡県立大学に進学し、薬学部の薬学科にて学んだ。1991年(平成3年)3月、静岡県立大学を卒業した。
笹尾 光彦(ささお みつひこ)は日本の画家。洗練された洒落た… 笹尾 光彦(ささお みつひこ)は日本の画家。洗練された洒落た色彩感覚で「赤の画家」として知られる。個展「花のある風景」を毎年開催、2024年に第27回を迎えた。 静岡市出身。日本画家の父、笹尾好一の影響で、幼い頃より絵に興味を持つ。高校時代、美大入試のために美術教師大村政夫のアトリエに通い、デッサンに励んだ。1959年、静岡県立静岡高等学校卒業。多摩美術大学図案化卒業。大手印刷所デザイナー、外資系広告代理店クリエイティブディレクター、制作担当副社長を務め、広告業界で活躍。その間ヨーロッパ、特にパリへ何度も足を運んだ。仕事のかたわら絵を描き始め、56歳で本格的に画家になる決心をし、1997年11月、画家として独立。
若王子 耳夫(わかぷりんす みみお)は、日本の音楽家。静岡県… 若王子 耳夫(わかぷりんす みみお)は、日本の音楽家。静岡県静岡市出身。 1989年から1990年まで電気グルーヴのメンバーとして在籍。在籍時はギターとストリングスを担当した。 石野卓球の高校の同級生という縁で1985年7月23日の静岡サーカスタウンでのライブから電気グルーヴの前身バンド「人生(ZIN-SÄY!)」に加入するも「ギャグレベルが低い」という理由から、たった1回のライブでクビになる。翌年1986年10月10日、静岡モッキンバードでのライブから正式に再加入した。その後、一浪して東京国際大学に進学し、1987年春から活動の拠点を東京に移す。また大学では、劇団健康(現・劇団ナイロン100℃)に所属していた三宅弘城や筋肉少女帯の大槻モヨコ(現・大槻ケンヂ)と知り合う。