渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 … 渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 - 1996年〈平成8年〉8月4日)は、日本のコメディアン、俳優、歌手。本名:田所 康雄(たどころ やすお)。 代表作『男はつらいよ』シリーズで、柴又育ちのテキ屋で風来坊の主人公「車 寅次郎」を演じ、「寅さん」として広く国民的人気を博した昭和の名優。 没後に国民栄誉賞を受賞している。 1928年3月10日、東京府東京市下谷区(現:台東区下谷)で、地方新聞の記者をしていた父・友次郎と、元小学校教諭で内職の封筒貼りをする母・タツとの間に次男として生まれる。兄・健一郎がいる。 1934年11月、板橋尋常小学校に入学。1936年、一家で板橋区志村清水町に転居し、志村第一尋常小学校へ転入。
喜味 こいし(きみ こいし、1927年〈昭和2年〉11月5日… 喜味 こいし(きみ こいし、1927年〈昭和2年〉11月5日 - 2011年〈平成23年〉1月23日)は、日本の漫才師、俳優。実兄の夢路いとしと共に漫才コンビ「夢路いとし・喜味こいし」のツッコミ担当として活動した。本名は篠原 勲(しのはら いさお)。神奈川県横浜市出身。 上方漫才を代表する人物であるが、川越出身とされているのは、一家が旅回りの芸人一家であったからたまたま川越で生を受けたという事情によるものである。川越以外にも、全国津々浦々の地を少年時代から回っていた。旅回り中に生まれたため出生届の提出が遅れ、戸籍上の生年月日は1927年11月5日となっているが、本当の生年月日は1927年8月6日であるとテレビ番組や新聞取材において明かしていた。
若水 ヤエ子(わかみず やえこ、本名:鏑木 八枝子、1927… 若水 ヤエ子(わかみず やえこ、本名:鏑木 八枝子、1927年10月8日 - 1973年5月28日)は、日本の女優、コメディアン。東北弁(いわゆるズーズー弁)訛りを売り物にした女性コメディアンの第一人者である。「おヤエ」の愛称で知られ、天性とも言える抜群の歌唱力と演劇センスから「女エノケン」の異名も持っていた。 千葉県船橋市で生まれる。父親は国鉄の職員(両国駅の助役)であり、厳格な性格だった。そのため、若水は大変堅い家庭で育ったと言う。 1943年(昭和18年)、船橋市にある船橋高等女学校に入学するも、当時新劇や新派の大スターだった女優の水谷八重子に憧れて演劇への道を志すため、進学を希望していた両親の反対を押し切って中退した。
コロムビア・ライト(1927年3月30日 - 2010年10… コロムビア・ライト(1927年3月30日 - 2010年10月26日)は、日本の漫才師、漫談家。落語芸術協会所属。社団法人あゆみの箱常務理事。本名、鳥屋 二郎(とりや じろう)。
はた のぼる(1927年3月15日 - 2022年11月22… はた のぼる(1927年3月15日 - 2022年11月22日)は、日本のお笑い芸人。 福井県鯖江市出身。本名・川畑 正雄(かわばた まさお)。東京演芸協会名誉会長。日本演芸家連合・常任理事。5代目鈴々舎馬風ファミリーの一員。 1951年 - コミックバンド「フラット・セブン」を結成。 1959年 - 灘康次とモダンカンカンに加入。当時の芸名は「畑のぼる」 1964年 - モダンカンカンを退団し、「はたのぼるとポニーズ」(スリーボンボンと改名)を結成。 1968年 - スリーボンボンを解散し、漫談師となる。 1981年 - ロンドンで開催された「一芸名人世界大会」で準優勝する。 1996年 - 日本芸能実演家団体協議会(芸団協)芸能功労者表彰。
谷村 昌彦(たにむら まさひこ、1927年〈昭和2年〉2月2… 谷村 昌彦(たにむら まさひこ、1927年〈昭和2年〉2月25日 - 2000年〈平成12年〉8月6日)は、日本の俳優、タレント、コメディアン。山形県山形市出身。血液型はB型。旧芸名は谷村伸一。本名は武田忠。 1941年に上京。文化座に入団。 浅草公園六区の舞台で役者としての活動を始め、同時に高輪工業学校(現・高輪中学校・高等学校)に通ったが、最終的には中退。 1944年に森川信一座へ入団。その後は空気座に所属し、1954年に金星プロに所属。 田舎訛りのキャラクターや東北弁を使っているのが受けて、刑事ドラマや時代劇のレギュラーとして活躍。 日本喜劇人協会の理事も務めていた。 『Gメン'75』には多くゲスト出演があったが、晩年に古田刑事としてレギュラーに迎えられる。
植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1927年2月25日 -… 植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1927年2月25日 - 2007年3月27日)は、日本の俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト、タレント。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。愛称は、「ボンさん」「植木屋」「植木やん」。 父は僧侶の植木徹誠。長男は作曲家の比呂公一。妹の夫は部落問題研究者の川村善二郎。父方の祖母の親類に御木本幸吉がいる。 1927年(昭和2年)2月25日、父・植木徹誠、母・いさほの間に三男として愛知県名古屋市で生まれた。父・徹誠は、真宗大谷派名古屋別院にて僧侶としての教修中だった。 実際の生年月日は1926年12月25日。ちなみにこの日は、大正天皇が崩御した日である。植木本人が『徹子の部屋』で語ったことによると、父が出生時に体調を崩しており、叔父・保之助に役所への届けを依頼したが叔父がそれを忘れ、翌年ようやく出生届を出したことから、戸籍上の生年月日が翌年になったという。
八波 むと志(はっぱ むとし、1926年〈大正15年〉12月… 八波 むと志(はっぱ むとし、1926年〈大正15年〉12月1日 - 1964年〈昭和39年〉1月9日)は、日本のコメディアン、俳優。本名、坪田 稔(つぼた みのる)旧姓、富沢(とみさわ)。 1926年(大正15年)12月1日、鹿児島県大島郡徳之島町に生まれる。父は道楽好きで母が四人も変っており、幼少期を極貧で過ごす。 東京工専卒業後1943年(昭和18年)に志願兵で兵隊入り、1946年(昭和21年)に森川信の一座に入り、浅草常盤座で八波むと志の名で初舞台。浅草フランス座1代目座長。1956年(昭和31年)に南利明、由利徹と脱線トリオを結成し浅草を中心にテレビ・ラジオ、はたまた役者として活躍する。
ク・ボンソ(具 鳳書、朝鮮語: 구봉서、1926年11月5日… ク・ボンソ(具 鳳書、朝鮮語: 구봉서、1926年11月5日 - 2016年8月27日)は、大韓民国のコメディアン、俳優。本貫は綾城具氏。キリスト教徒。 日本統治時代の平安南道平壌府(現・平壌直轄市)出身。実家は衣料品を商う裕福な家庭であった。3歳時に大同郡に、次に京城府に移住した。様々な楽器を扱うことができたため、キム・ヨンファン楽劇団の団員をしていた。1945年に大東商業高等学校(現・大東税務高等学校)を卒業後、1947年に東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業した。1945年から1954年まで太平洋・白鳥歌劇団および陸軍軍芸団で活動し、海兵芸能隊を創設した。1961年喜劇に登場し、出世作『オブジャ』で「末っ子」という愛称がついた。
桜井 センリ(さくらい センリ、1926年〈大正15年〉3月… 桜井 センリ(さくらい センリ、1926年〈大正15年〉3月20日 - 2012年〈平成24年〉11月10日)は、日本のピアニスト、コメディアン、俳優。本名・桜井 千里。ワタナベエンターテインメント所属。 公式プロフィール上では1930年(昭和5年)3月20日生まれとなっているが、実際は1926年(大正15年)生まれ。これはハナ肇とクレージーキャッツの他のメンバーとのバランスを取るためだったとされている(最年少の安田伸は1932年(昭和7年)生まれ)。その結果、旧制中学の後輩である石橋エータロー、犬塚弘より年少ということになった。旧名・桜井 ヘンリーとして父志郎の赴任地のイギリス・ロンドンに生まれ、3歳までその地で育つ。
吾妻 ひな子(あづま ひなこ、1924年8月21日 - 19… 吾妻 ひな子(あづま ひなこ、1924年8月21日 - 1980年3月8日)は、上方の漫才師、漫談家。かつての女道楽を「おんな放談」という形にアレンジし、一世を風靡した。本名、杉森(旧姓・米沢)芙美子。鳥取県鳥取市出身。 鳥取県の米卸問屋・米沢徳治の三女として誕生した。1927年(昭和2年)に一家で大阪に移り住み、その頃から三味線、琴、日本舞踊などを習う。1938年(昭和13年)に小学校を卒業したが、母、姉を結核で相次ぎ亡くした。1940年(昭和15年)頃、父である浅田家朝日門下で「朝日・小日奈」を名乗った。17歳のときに親子漫才により「和歌山県有楽座」で初舞台を踏み、地方や中国大陸などをドサ回りする。
宮城 けんじ(みやぎ けんじ、1924年(大正13年)8月2… 宮城 けんじ(みやぎ けんじ、1924年(大正13年)8月20日 - 2005年(平成17年)10月19日)は、東けんじとコンビ漫才「Wけんじ」を結成した日本の漫才師、または司会者、俳優。本名は寺島 文雄(てらしま ふみお)。宮城県亘理郡逢隈村(現:亘理町)出身。血液型A型。趣味は読書。晩年はマセキ芸能社に所属していた。 座右の銘「努力ある所に自信あり」。競馬、競輪、オートレース、麻雀、パチンコと何でもござれの大の博打好き。 3歳の時に養子に入った巣鴨の家の隣が大都映画の撮影所であったことから、遊び場として出入りしているうちに7歳で子役としてデビュー。 大都映画の専属俳優から軽演劇界、新宿ムーランルージュを経て、歌手の春日八郎の専属司会を約10年勤め話芸を磨いた。
南都 雄二(なんと ゆうじ、1924年〈大正13年〉4月26… 南都 雄二(なんと ゆうじ、1924年〈大正13年〉4月26日 - 1973年〈昭和48年〉3月19日)は昭和後期の上方の漫才師、俳優。本名は戸田 朝治(とだ ちょうじ)。大阪府大阪市生まれ。大阪電機学校卒業。 ミヤコ蝶々との漫才コンビ「蝶々・雄二」として知られ、「夫婦善哉」の司会で人気を博した。 1941年に大阪電機学校を卒業した。戦後、大阪中央郵便局の電気係を経て、三遊亭柳枝主宰の柳枝劇団に参加し、照明部で裏方をしていた。その後演者側に回り、看板女優だったミヤコ蝶々の弟子となり「鈴夫」と名乗る。 1947年に柳枝と離婚した蝶々と結婚し、1948年、柳家三亀松の改名の提案で「蝶々・鈴夫改め上方トンボ」として夫婦漫才コンビを結成した。
三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 19… 三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 1999年1月25日)は、日本の俳優・演出家・コメディアン。日本喜劇人協会第5代会長。本名は田沼 則子()。長男は、コメディアンの小林のり一。 東京市日本橋区浜町(現:東京都中央区日本橋浜町)生まれ。母は待合「芳柳」を営んでいた。 1942年、旧制日本大学第一中学校を卒業。日本大学法文学部芸術学科に入学し、同期生には映画科に小沢茂弘・沼田曜一がいた。大学には当初画家を目指して入学したが、その後舞台美術に興味を持ったことで演劇学科に転籍し、1947年に同学科を卒業。 その後慰問公演の俳優に欠員が出てその穴埋めとして出演を頼まれたのを機に、新劇の世界に入ることになった。
東けんじ(あずま けんじ、1923年〈大正12年〉12月17… 東けんじ(あずま けんじ、1923年〈大正12年〉12月17日 - 1999年〈平成11年〉1月7日)は、宮城けんじと漫才コンビ「Wけんじ」を結成した日本の漫才師。本名は大谷 健二(おおたに けんじ)。栃木県宇都宮市出身。大の酒好き。内向的な性格で普段は無口であった。 実父は大田原町長(現・大田原市)。中学卒業後に地元の東野鉄道に就職し小荷物係として働いていた。元来の芸事好きが高じて駅員仲間を集めて素人劇団を結成したが、それを駅長にとがめられた事に腹を立て辞表を提出。サーカス団に入り「ヘンリー東」を名乗り、生まれつきの身体の柔らかさを生かしたパントマイムやアクロバット、または花形ピエロとしても活躍した。
千葉 信男(ちば のぶお、1923年12月10日 - 196… 千葉 信男(ちば のぶお、1923年12月10日 - 1967年8月10日)は、日本の俳優、コメディアン。 実業家の千葉芳男と友子(1896年生、宮城県の大友耕三の妹)の三男として東京府東京市淀橋区下落合(現在の東京都新宿区)に生まれる。兄に恭、茂、姉に篤子、弟に孝、芝之がいる。 父芳男は1889年11月3日に宮城県志田郡の仙台藩士族千葉軍記(農事試験場の助手を勤めたのち、上海に渡り、旅館の萬蔵館を経営)の長男として生まれ、東京商工学校卒業後、浅野セメントに入社し、本社検査課や川崎、深川両工場のスレート部、共同販売会社主任、東京支店長心得などを務めたのち独立。1931年に日本スレート販売株式会社が創立されると社長となった。
内海 桂子(うつみ けいこ、本名:安藤 良子(あんどう よし… 内海 桂子(うつみ けいこ、本名:安藤 良子(あんどう よしこ)、1923年〈大正12年〉1月12日 - 2020年〈令和2年〉8月22日)は、日本の芸人、漫才師、女優。漫才協会名誉会長、マセキ芸能社所属。 内海好江と約半世紀に渡って音曲漫才コンビ内海桂子・好江(1950年 - 1997年)を組んで人気となった。今村昌平との縁で横浜放送映画専門学院(当時)の専任講師も務めた。 桂子の当時の相方と好江の母親が兄弟弟子という縁で、当時14歳の好江を預けられる形でコンビを組んだ。好江とは14歳差で血縁関係はない。 好江の没後は漫才協団会長として東京演芸界を率いる傍ら、最古参の現役ピン芸人として都々逸や漫談、「名鳥名木 何の木に留めた」、「○○尽くし」などの軽口もこなした。
トニー 谷(トニー たに、1917年〈大正6年〉10月14日… トニー 谷(トニー たに、1917年〈大正6年〉10月14日 - 1987年〈昭和62年〉7月16日)は、東京府東京市京橋区銀座(現:東京都中央区銀座)出身の舞台芸人(ヴォードヴィリアン)。本名、大谷 正太郎(おおたに しょうたろう)。 『モルガンお雪』
西条 凡児(さいじょう ぼんじ、1914年〈大正3年〉10月… 西条 凡児(さいじょう ぼんじ、1914年〈大正3年〉10月17日 - 1993年〈平成5年〉5月31日)は、日本の漫才師、漫談師、放送タレント。本名:河内 弘明。 毒舌と鋭い社会風刺を売り物にした漫談で知られ、戦後の民間放送誕生初期に人気を博した。 大阪府大阪市生まれ。旧制浪華商業学校卒業、関西大学専門部中退。最初、五代目笑福亭松鶴に弟子入りするが芸人を志し、来阪した古川ロッパや初代大辻司郎に弟子入り志願をしたが断られ、知人の紹介で当時「漫談屋」と称していた花月亭九里丸の内弟子となる。「西条」の亭号は九里丸のペンネーム「西条ちかし」および西条八十から、「凡児」は麻生豊の漫画『只野凡児』から取ったとされる。
堺 駿二(さかい しゅんじ、1913年〈大正2年〉12月10… 堺 駿二(さかい しゅんじ、1913年〈大正2年〉12月10日 - 1968年〈昭和43年〉8月10日)は、東京都出身のコメディアン、喜劇俳優である。本名は栗原 正至。 実兄は浪曲師の港家小柳丸(初代)、次男はマルチタレントの堺正章。甥にボンボンブラザースの鏡味繁二郎(本名:栗原重夫)がいる。 東京府東京市本所区太平町1丁目(現:東京都墨田区太平1丁目)の桶製造業の家に8人兄弟の末子の3男として生まれる。芝居好きの母の勧めで尋常小学校を中退し11歳で新派の伊村義雄一座に入る。伊村は師匠の伊井蓉峰と河合武雄から一字ずつもらって芸名とした新派俳優で、20代半ばで一座を立ち上げ、浅草公園六区の公園劇場を中心に活躍していた。
森繁 久彌(もりしげ ひさや、1913年5月4日 - 200… 森繁 久彌(もりしげ ひさや、1913年5月4日 - 2009年11月10日)は、日本の俳優、歌手、コメディアン、元NHKアナウンサー。最終期はアクターズセブン所属。別表記に森繁久弥。
森繁 久彌(もりしげ ひさや、1913年5月4日 - 200… 森繁 久彌(もりしげ ひさや、1913年5月4日 - 2009年11月10日)は、日本の俳優、歌手、コメディアン、元NHKアナウンサー。最終期はアクターズセブン所属。別表記に森繁久弥。
清水 金一(しみず きんいち、本名雄三(のちに武雄)、191… 清水 金一(しみず きんいち、本名雄三(のちに武雄)、1912年5月5日 - 1966年10月10日)は、日本のコメディアン、映画俳優である。浅草の軽演劇、およびトーキー初期を彩るミュージカル・コメディのスターとして知られる。愛称はシミキン。「ハッタースゾ!(ハッ倒すぞ!)」の流行語を生んだほか、「ミッタァナクテショーガネェ(みっともなくてしょうがない)」も有名なフレーズであった。 山梨県甲府市に生まれる。 上京し、1928年(昭和3年)、16歳のときに、浅草オペラの一座を開いていた東京音楽学校声楽科出の清水金太郎に弟子入りし、清水金一を名乗る。このころ一座の女優嶺レイ子との間に1児をもうけている。
東富士夫(あずまふじお、1912年2月18日 - 1991年… 東富士夫(あずまふじお、1912年2月18日 - 1991年1月1日)は昭和時代の寄席芸人、曲芸師。 静岡県下田市出身。18歳で針金渡り名人の東冨士子に弟子入りし、富士坊を名乗る。1935年、東冨士夫に改名。出征を経て、1946年に復員。その後は駐留軍のキャンプ回りも経験。寄席出演時には撥の曲、皿回し、帽子回しなどの他、足で樽を回す曲芸などを披露した。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。
森川 信(もりかわ しん、1912年(明治45年)2月14日… 森川 信(もりかわ しん、1912年(明治45年)2月14日 - 1972年(昭和47年)3月26日)は、日本の俳優およびコメディアン。本名は森川 義信。神奈川県横浜市南区出身。横浜市立商業学校卒業。元妻は水戸光子。 商業学校卒業後、銀行に勤める傍ら、役者になるために演劇学校へ通う。 1931年、遠戚にあたる俳優・静香八郎と共に俳優の道へ進み、1932年に静香主演の『肉弾三勇士』での死体役でデビュー。 その後、一座を組んで浅草で芝居を試みるが、浅草演劇界ではエノケンとロッパが君臨していたため、競合を余儀なくされた。 その後、大阪、名古屋、京都、博多など各地を転々とし、この頃に清水金一、田崎潤、淀橋太郎などを知った。
岸井 明(きしい あきら、1910年10月13日 - 196… 岸井 明(きしい あきら、1910年10月13日 - 1965年7月3日)は日本のコメディアン、俳優、歌手。
坊屋 三郎(ぼうや さぶろう、本名:柴田 俊英、1910年〈… 坊屋 三郎(ぼうや さぶろう、本名:柴田 俊英、1910年〈明治43年〉3月28日 - 2002年〈平成14年〉5月25日)は、日本の芸人、俳優。北海道夕張市出身。 出生時の氏名は石川博、生後数ヶ月で実相寺へ養子に出され、柴田俊英と改名。私立北海中学校に入学し、弓道部に所属した。日本大学専門部宗教科に進学するも、専門部芸術学科(現在の日本大学藝術学部の前身)に転科して声楽を学ぶ。 吉本興業(東京吉本)に入り、1937年に弟の芝利英・川田義雄(第二期は山茶花究)・益田喜頓(北海中学の同級生)とボーイズ演芸のあきれたぼういずを結成。1939年、新興キネマ演芸部に高額報酬を条件に引き抜かれ、吉本子飼いの芸人であった川田を除く3人で移籍した。
伴 淳三郎(ばん じゅんざぶろう、1908年〈明治41年〉1… 伴 淳三郎(ばん じゅんざぶろう、1908年〈明治41年〉1月10日 - 1981年〈昭和56年〉10月26日)は、昭和期のコメディアン、俳優。本名は鈴木 寛定(すずき ひろさだ)、愛称は「バンジュン」。息子はスタイリストの山本康一郎(1961年生まれ)。 山形県米沢市に南画家の鈴木蘭涯と、妻フクの息子として生まれる。父について山形と東京を行ったり来たりするが、5歳のときから山形市小姓町で育つ。 山形市立第一尋常小学校卒業後、熊谷市の兄の家に寄宿して高等小学校に通っていたが、兄との折り合いが悪く家出し、東京に出る。そこで、母方の叔父で新派劇の河合武雄の番頭をしていた斎藤好三郎を頼り、「文芸協会」出身の新劇俳優、東儀鉄笛の付き人となり、彼が主演した映画に出演する。
川田 晴久(川田 義雄)(かわだ はるひさ(かわだ よしお)… 川田 晴久(川田 義雄)(かわだ はるひさ(かわだ よしお)、本名:岡村 郁二郎、1907年〈明治40年〉3月15日 - 1957年〈昭和32年〉6月21日)は、昭和期を代表する日本の俳優、歌手、コメディアン、ボードビリアン。いわゆるボーイズものの創始者である。灘康次を始め、多くの弟子を育てたことでも知られる。また、美空ひばりの「師匠」または「芸能界の育ての親」としても、近年、再評価が為されている。戦前は主に吉本興業(東京吉本)所属。 東京府東京市本郷区根津の印刷所を経営する岡村嘉松の子として生まれる。貧しかった少年時代に、家々の屋根を棒で飛び越えるという遊びに興じていた際に転落してしまう。この不慮の事故により脊椎カリエスを患うことになり、これが終生川田を悩ませる病となる。
榎本 健一(えのもと けんいち、1904年(明治37年)10… 榎本 健一(えのもと けんいち、1904年(明治37年)10月11日 - 1970年1月7日)は、日本の俳優、歌手、コメディアンである。当初は浅草を拠点としていたが、エノケンの愛称で広く全国に知られていった。「日本の喜劇王」とも呼ばれ、第二次世界大戦期前後の日本で国民的喜劇俳優として活躍した。 東京市赤坂区青山(現在の東京都港区青山)で生まれる。幼少期に母を亡くし、その家系の祖母が引き取るが、その祖母も死去。父親の元で育てられるものの、生来のやんちゃな性格が仇となり、学校から親が呼び出されることもしばしばあった。小学校時代の通信簿に「修身」で「甲乙丙丁」の落第点である「丁」をつけられて、鉛筆で上手に丁の字に線を書き加えて「甲」に見せかけて父親に見せたが、すぐに見破られて大変叱られたエピソードがある。
古川 ロッパ(ふるかわ ろっぱ、古川 緑波とも、1903年〈… 古川 ロッパ(ふるかわ ろっぱ、古川 緑波とも、1903年〈明治36年〉8月13日 - 1961年〈昭和36年〉1月16日)は、1930年代の日本の代表的コメディアン。本名は古川 郁郎(ふるかわ いくろう)。編集者、エッセイストとしても活動した。 古川郁郎は東京帝国大学総長を務めた加藤弘之男爵の長男である加藤照麿男爵の六男として東京市麹町区に生まれた。嫡男以外は養子に出すという家訓により、生後間もなく義理の叔父(父の妹婿)で満鉄役員の古川武太郎(元陸軍中将の古川宣誉の長男)の養子となる。幼少期より文才に優れ、のちに芸名として用いた「緑波」の号は尋常小学校3年生の頃、童話作家の巖谷小波にちなんで自らつけた筆名である。
花菱 アチャコ(はなびし あちゃこ、1897年〈明治30年〉… 花菱 アチャコ(はなびし あちゃこ、1897年〈明治30年〉7月10日 - 1974年〈昭和49年〉7月25日)は、大正・昭和期の漫才師、俳優である。本名:藤木 徳郎。福井県勝山市出身。 生家は法沢寺という寺院であった。幼くして両親とともに大阪に移り住む。父は仏壇職人になった。移住後、アチャコは奉公に出るなどしていたが、遊芸に興味を持ち、1913年に15歳で新派の山田九州男(山田五十鈴の父)の一座に入って「東明幸四郎」と名乗り、千日前敷島倶楽部で初舞台を踏む。1914年、神戸の喜劇一座「鬼笑会」に入り、漫才に転向。このとき「花菱アチャコ」を名乗る。芸名のうち、亭号の「花菱」は、生家の家紋が由来である。
横山 エンタツ(よこやま エンタツ、1896年(明治29年)… 横山 エンタツ(よこやま エンタツ、1896年(明治29年)4月22日 - 1971年(昭和46年)3月21日)は、大正・昭和期の漫才師・俳優である。本名:石田 正見(いしだ まさみ)。花菱アチャコとのコンビ(エンタツ・アチャコ)で、「万才」に代わり、「しゃべくり漫才」を発明。今につながる漫才ブームを作った。現在の(全国的に流布した)漫才スタイルの元祖である。漫才作家秋田實の良き相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。吉本新喜劇初期の出演者でもある。
芦乃家 雁玉(あしのや がんぎょく、1894年1月20日 -… 芦乃家 雁玉(あしのや がんぎょく、1894年1月20日 - 1960年12月30日)は、漫才師。本名: 三井 寒三郎。難波新地の生まれ。享年66。愛称は風貌から「タコ壺」、または「雁さん」。 「雁玉」「雁」という字は尊敬する歌舞伎役者の二代目實川延若の替紋の五つ雁金に由来。 幼少から芸事が好きであった。俄役者の東明幸三郎を兄に持つ。袋物商に奉公しながら、勝手に春の家雁玉を名乗り天狗連で活躍する。1916年頃に晩年の笑福亭吉右衛門(当時は5代目笑福亭吾竹)に見出され弟子に迎え入れられ落語や音曲の修業を積む。1917年頃に雁玉と名乗り独立。 その後、玉子家春夫と名乗り軽口に転向、安来節、万歳の一座に入る。
都家 文雄(みやこや ふみお、1893年3月1日 - 197… 都家 文雄(みやこや ふみお、1893年3月1日 - 1971年5月4日)は大正・昭和期の漫才師。本名・苗村 正次。 世相を槍玉に上げては、とんちんかんな難癖を付ける「ぼやき漫才」の創始者。 滋賀県三上山の麓に生まれる。父は興行師だったとされる。落語家を志し、1912年に桂三路(後の2代目三遊亭圓若)門下で桂歌路を名乗る。同年、神戸新開地・千代廼座で初舞台。落語家時代は、端席で出ることが多かった。24歳のときに、のちに相方となる静代と結婚。 大正に入ると、上方落語は凋落期に入った。当時の落語家は所属事務所から漫才師への転身をすすめられる事例が多かった。歌路も例外ではなく、1921年に「都家文雄」に改名し、漫才師に転身。
玉子屋 円辰(たまごや えんたつ 旧字表記:玉子屋 圓辰、1… 玉子屋 円辰(たまごや えんたつ 旧字表記:玉子屋 圓辰、1865年7月27日(慶応元年6月5日) - 1944年(昭和19年)6月19日)は日本の萬歳および音頭取りの芸人。明治末期から昭和初期にかけ、古典芸能であった萬歳をのちの「漫才」につながる近代的な形式の寄席芸能に仕立て直し、多くの後進を育てたことから、「上方漫才中興の祖」「近世漫才の祖[要出典]」と称される。本名:西本 為吉。 河内国河内郡池島村(のちの大阪府東大阪市)の生まれ。生家は農家。成人して鶏卵の行商をはじめると、河内音頭や江州音頭を歌いながら通りを歩いて鶏卵を売り、評判を取った。音頭取りは俄、講談などと並ぶ当時の大阪の寄席芸の主流であり、そのうち江州音頭は鶴賀鶴年一座や桜川大蔵一座などによるブームの真っ只中だった。
志真うた(しまうた、3月11日 - )は、日本のお笑い芸人(… 志真うた(しまうた、3月11日 - )は、日本のお笑い芸人(ピン芸人)、プロレスラー。歴史×温泉ナビゲーター。 富山県黒部市出身。ワタナベエンターテインメントに所属後、現在はフリー。デビュー後しばらくはシマウタ♪名義で活動し、のちに現在の芸名に変更。 近畿大学在学中、大学の講師だった神澤和夫主宰による『神澤和夫創作舞踏研究所』にてコンテンポラリーダンスを学ぶ。大学卒業後、近畿地方にて広告代理店の企画営業職に就き、数々の賞を受賞。その後SOHOでWEBディレクター・クリエイター、近畿地方の異業種勉強会・交流会『プライム関西』スタッフとしても活動。 就職後は芸事から離れていたが、藤山直美のような喜劇役者を志し退職。
高峰 東天(たかみね とうてん)は、日本のお笑い芸人。本名∶… 高峰 東天(たかみね とうてん)は、日本のお笑い芸人。本名∶渡辺 勝吉
CRAZY COCO は、吉本興業所属のお笑い芸人。大阪府箕… CRAZY COCO は、吉本興業所属のお笑い芸人。大阪府箕面市出身。本名は井上 徳子。
東ブクロ は、日本のお笑い芸人、実業家、作家、俳優、YouT… 東ブクロ は、日本のお笑い芸人、実業家、作家、俳優、YouTuber、ラジオパーソナリティ。お笑いコンビ・さらば青春の光のボケ、ツッコミ担当。身長167 cm。血液型O型。所属事務所であるザ・森東の副社長である(代表取締役社長は相方の森田哲矢)。
メイ・イズモトは日本のタレント・俳優。元松竹芸能所属。
ハギノリザードマンは、日本のお笑い芸人。R-1グランプリ20… ハギノリザードマンは、日本のお笑い芸人。R-1グランプリ2025準優勝。 岡山県立玉島高等学校卒業。 中学時代、友人から一緒にお笑いをやろうと持ちかけられたのが芸人を志すきっかけ。その友人とは高校の進路が別々だったものの、3年ぶりに再会してみるとハギノ曰く「つまらないヤンキーに成り下がっていた」ようでその頃の友人はすっかりお笑いへの情熱が失せていたため腹が立ち、たとえ1人でもやってやろうとNSC大阪校へ26期生として入学した。在籍中の同期にはかまいたちなどがいたものの、かまいたちはハギノとは異なる成績優秀者のクラスだったため面識はなかったという。 プロデビュー後は1期上の先輩とコンビ「三日坊主」を結成し、約6年ほど活動の末に解散。
池田 直人 は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビ・レインボーの… 池田 直人 は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビ・レインボーのメンバー。
居島 一平 は、日本のお笑い芸人、司会者、ニュースキャスター… 居島 一平 は、日本のお笑い芸人、司会者、ニュースキャスター、漫才コンビ「米粒写経」のボケ担当。「大本営八俵」 名義でピン芸人としても活動。ワタナベエンターテインメント所属。
酒井 健太 は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビアルコ&ピース… 酒井 健太 は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビアルコ&ピースのツッコミ(ネタによってはボケ)担当、立ち位置は向かって右。
関 武志 は、日本のコメディアン・タレント。ポール牧とともに… 関 武志 は、日本のコメディアン・タレント。ポール牧とともにコント・ラッキー7を結成し、人気を博した。
ケンキは、日本のお笑い芸人、ナレーター、俳優、レポーター、パ… ケンキは、日本のお笑い芸人、ナレーター、俳優、レポーター、パーソナリティ、作家である。 国家資格(宅地建物取引士、2級ファイナンシャルプランニング技能士、管理業務主任者)を取得している。
ZIKU(じく)は、日本のミュージシャン、ラジオパーソナリテ… ZIKU(じく)は、日本のミュージシャン、ラジオパーソナリティ、芸人。ニックネームは「ジク兄(にぃ)」「ジク姉(ねぇ)」であり、「桃屋」という自身の愛人であると公言している名義も存在する。鹿児島発テクノポップユニット「亀之子エレクト」とバンド「Imperfection tale」のボーカリストでもある。
小波津 正光 は、日本のお笑い芸人、脚本家、演出家。沖縄県那… 小波津 正光 は、日本のお笑い芸人、脚本家、演出家。沖縄県那覇市出身。演芸集団FEC所属。芸名はまーちゃん。
プチ鹿島 は、日本のお笑い芸人、コラムニスト、映画監督。本名… プチ鹿島 は、日本のお笑い芸人、コラムニスト、映画監督。本名は、鹿島 智広。ワタナベエンターテインメント所属。