水野 正夫(みずの まさお、1928年7月25日 - 201… 水野 正夫(みずの まさお、1928年7月25日 - 2014年5月3日)は、日本の服飾デザイナー。愛知県名古屋市出身。
職業がデザイナー:1,089人
水野 正夫(みずの まさお、1928年7月25日 - 201… 水野 正夫(みずの まさお、1928年7月25日 - 2014年5月3日)は、日本の服飾デザイナー。愛知県名古屋市出身。
木村 恒久(きむら つねひさ、1928年5月30日 - 20… 木村 恒久(きむら つねひさ、1928年5月30日 - 2008年12月27日)は、日本のグラフィックデザイナー。東京造形大学客員教授。 大阪市出身。1946年に大阪市立工芸学校(現・市立工芸高校)図案科卒。1950年代にかけて大阪で精力的にデザイン制作や批評活動を展開、永井一正、片山利弘、田中一光らとともに「若手四天王」と称された。 1960年に上京し日本デザインセンターに入社、1964年に独立する。この間の1962年、日本建築家協会主催の「モデュール展」で原弘と共同制作を行い、ADC銅賞を受賞している。1964年の東京オリンピックではピクトグラムの制作に携わっている。 1966年には、前年に宇野亜喜良、永井一正、和田誠らとともに開催した展覧会「ペルソナ」で毎日産業デザイン賞を受賞している。
マサ アカシ(まさ あかし、本名:明石正義、(あかしまさよし… マサ アカシ(まさ あかし、本名:明石正義、(あかしまさよし)1928年 - 2023年)は、水彩画家、イラストレーター、ファッションデザイナー。イラスト専門学校マサモードアカデミー主宰。明石マサとも。 日本のファッション・イラストレーターの草分け的存在。 この項目は、ファッション関係の人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル ファッション)。
稲田 茂(いなだ しげる、1928年 - 2009年7月、8… 稲田 茂(いなだ しげる、1928年 - 2009年7月、80歳または81歳没)は、書体デザイナー、グラフィックデザイナー。岡山県小田郡矢掛町出身。稲田しげる、亜井宇重夫(あい・うえお)名義でも活動した。「イナブラッシュ」「イダシエ」「昭和モダン体」などの書体をデザインしたことで知られている。とくに「昭和モダン体」は漫画『さよなら絶望先生』のロゴに使用されたことがきっかけで「絶望書体」と呼ばれ人気を集めた。死後、書体は有限会社六歌仙が管理している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
森 正洋(もり まさひろ、1927年11月14日 - 200… 森 正洋(もり まさひろ、1927年11月14日 - 2005年11月12日)は日本の陶磁器デザイナー。 「日常の生活で使う器を考え、形を創り工場で生産することにより、多くの人々とともに共有し生活することに、デザインの喜びを感じる」というデザインポリシーにもとづき、戦後日本の生活を見つめた食器のデザインを、考え、作り続けたデザイナーである。 生涯で110を超えるGマーク選定作品がある。 1958年に森がデザインした<G型しょうゆさし>は、1960年に第1回グッドデザイン賞(Gマーク選定)を受賞、1977年にはGマークロングライフデザイン賞を受賞し、以来今日まで(2011年11月22日現在)生産販売が続くロングライフ製品である。
鹿目尚志(かのめ たかし、1927年 - 2017年9月2日… 鹿目尚志(かのめ たかし、1927年 - 2017年9月2日)は、日本のアーティスト、デザイナー。北海道生まれ。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
大高 猛(おおたか たけし、1926年 (大正15年) 4月… 大高 猛(おおたか たけし、1926年 (大正15年) 4月20日 - 2000年 (平成12年) 1月22日)は、日本のグラフィックデザイナー。大阪を拠点に活動していた。 山口県出身。山口県立下関工業高等学校卒業。1948年(昭和23年)、明治工業専門学校(現・九州工業大学)卒業。 1953年(昭和28年)、大高デザインアソシエーツ(後の大高デザインプロダクション)を設立。1966年(昭和41年)、日本万国博覧会アートディレクター。1981年(昭和56年)、国際デザイン交流会アートディレクター。 1988年(昭和63年)、浪速短期大学(現在、大阪芸術大学短期大学部)教授に就任(のち、名誉教授)。
中田 幸平(なかた こうへい、1926年2月10日 - )は… 中田 幸平(なかた こうへい、1926年2月10日 - )は、日本の舞台衣裳デザイナー、玩具研究家、歴史家。 栃木県栃木市生まれ。戦後上京し俳優座に入る。1955年過ぎ桑沢デザイン研究所講師となり、舞台衣裳デザイナーとして独立する。1985年NHK大河ドラマ「春の波涛」の風俗考証を手がける。かたわら尾崎秀樹の大衆文学研究会に参加した。
森 英恵(森 英惠、もり はなえ、1926年〈大正15年〉1… 森 英恵(森 英惠、もり はなえ、1926年〈大正15年〉1月8日 - 2022年〈令和4年〉8月11日)は、日本のファッションデザイナーであり、日本人で唯一のパリのオートクチュールデザイナー。地域経済総合研究所評議員。森英恵ファッション文化財団理事長。位階は従三位。1996年、文化勲章、2002年、レジオンドヌール勲章オフィシエ章を受章。旧姓「藤井」。 1965年にニューヨーク・コレクションで成功をおさめ、日本人デザイナーの海外進出の先駆けとなった。1977年には東洋人として初めてパリ・オートクチュール協会(サンディカ)のメンバーとなる。バルセロナおよびリレハンメルオリンピックの日本選手団の公式ユニフォームのデザインや、歌舞伎、海外のオペラやバレエの舞台衣裳を担当するなど、ファッション界の第一人者として活躍した。
鴨居 羊子(かもい ようこ、本名:洋子、1925年2月12日… 鴨居 羊子(かもい ようこ、本名:洋子、1925年2月12日 - 1991年3月18日)は、日本の下着デザイナー。 スキャンティーの命名者とされる。洋画家の鴨居玲は弟。 大阪府豊中市生まれ。父はジャーナリストの鴨居悠。 幼少期から子供時代の大半を石川県金沢市で過ごす。 豊中高等女学校(現・大阪府立桜塚高等学校)卒業。 旧制大阪府女子専門学校(大阪女子大学)国文科卒業。 新関西(夕刊紙)の校正係・家庭欄記者や、大阪読売新聞の学芸課記者を経て、独立。 3万円の退職金を元手に、下着デザイン・製造販売に着手。 1956年(昭和31年)1月、大阪市内に「チュニック制作室」という下着メーカーを設立(1958年に株式会社化)。
三輪 正弘(みわ まさひろ、1925年2月7日 - 2013… 三輪 正弘(みわ まさひろ、1925年2月7日 - 2013年7月7日)は、日本の建築家、インテリアデザイナー。 東京市(現中野区東中野)出身。父は弁護士・政治家の三輪寿壮、弟は医学者の三輪史朗。1949年東京工業大学建築学科卒。『新建築』の編集、建築綜合研究所(現アール・アイ・エー)を経て、1971年三輪環造形研究所を設立し所長(のち三輪環境計画と改称)。1971年東京造形大学教授、1977年武蔵野美術大学教授、1995年名誉教授。日本インテリアデザイナー協会会長。一級建築士。1985年『インテリアデザインとは何か』で日本図書館協会特定賞受賞。「にんべん本店ビル」「貝類博物館」「軽井沢町立博物館」など。
森 康二(もり やすじ、1925年1月28日 - 1992年… 森 康二(もり やすじ、1925年1月28日 - 1992年9月4日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、絵本作家。日本アニメーション所属。森やすじ、もりやすじという表記も使用した。 鳥取県鳥取市出身。台湾で幼少期を過ごす。東京美術学校(現・東京芸術大学)卒業。 政岡憲三に師事しアニメーションを学ぶ。日本における初期の本格的な商業用アニメーション製作会社・東映動画(現・東映アニメーション)に発足当初から参加し、同社草創期の作画部門において大工原章らとともに指導的な役割を果たす。以後長年にわたり、数々の児童向けアニメーション映画・テレビ番組制作に携わる。 日本アニメーションに所属してからは、アニメーション制作の他に新人、若手アニメーターの教育や指導も行っていた。
宮坂 博文(みやさか ひろふみ、1925年 - 2013年)… 宮坂 博文(みやさか ひろふみ、1925年 - 2013年)は、日本のテキスタイルデザイナー。 1981年 信州紬伝統工芸士認定。 ふるさと産業だより『岡谷絹工房-専門家育成と岡谷の織を再発見-』 講演会記録"信州の紬作家展"1999.10.23『紬の魅力と岡谷の絹織物の歴史』講師:宮坂博文氏 『絁に夢を託して-ふるさと岡谷に絹の痕跡を残す-』 『染め織り人の視点19 紬織博士 宮坂博文さんの直言』著:富山弘基
伊藤邦衛(いとう くにえ、1924年6月16日 - 2016… 伊藤邦衛(いとう くにえ、1924年6月16日 - 2016年9月29日)は、日本の造園家・作庭家・環境デザイナー。広島県出身。 1947年、東京農業大学農学部造園学科を卒業し、清水建設入社、設計部に配属。1963年に独立し、伊藤造園設計事務所創立。東京農業大学講師、日本造園修景協会常務理事、日本造園学会理事を歴任。 北の丸公園池他一連の造園設計で、日本造園学会賞計画設計作品部門受賞。1989年第11回日本公園緑地協会北村賞受賞。1994年園芸文化賞受賞。
五十嵐 平達(いがらし へいたつ、男性、1924年 - 20… 五十嵐 平達(いがらし へいたつ、男性、1924年 - 2000年12月17日)は、日本の自動車デザイナー。後に自動車評論家に転身する。産業考古学の立場から自動車の歴史を論ずるという独自の視点を持っていた。 1924年、会津若松市に生まれ、旧制都立工業高校で機械工学を学んだ。1940年、16歳で運転免許を取得し、卒業後ヂーゼル工業(後のいすゞ自動車)に入社、軍用トラックなどの設計を担当する。その後、乗用車のボディ設計を学ぶために、オオタ自動車工業創立者の子息太田祐一が経営したコーチビルダーのワイドフィールド・モータースに移籍する。 その傍ら、1949年頃より自動車の写真撮影に取り組み、専門雑誌に寄稿するなど、自動車評論家の草分けとしても活動を開始する。
大塚 清六(おおつか せいろく、1923年8月18日 - 1… 大塚 清六(おおつか せいろく、1923年8月18日 - 1974年6月5日)は、日本の画家、イラストレーター、装幀家、グラフィックデザイナー。先駆的なミニマリストとしても知られる。 1950年代から1970年代前半にかけて、小説の挿絵や装幀、油彩画などを手がける一方、商業デザインでも活躍。1962年(昭和37年)からは広瀬鎌二設計の自邸「SH-60」に居住した。 1923年(大正12年)8月18日、福島県喜多方町(現:喜多方市)に生まれる。女手ひとつで育てられ、町立喜多方幼稚園、喜多方小学校を経て、1941年(昭和16年)に喜多方商業学校を卒業する。1943年(昭和18年)、父親の位牌を鉈で割って上京し、東京美術学校に入学。
おおば比呂司(おおば ひろし、1921年12月17日 - 1… おおば比呂司(おおば ひろし、1921年12月17日 - 1988年8月18日)は、日本の漫画家、デザイナー。北海道札幌市出身。本名は、大場博司。 漫画集団に所属し、イラストレーションの手法を取り入れたユニークな一コマ漫画で知られた。デザイナーとしての評価も高く、商業デザインの分野でも活躍した漫画家の草分けでもあった。また、テレビタレントとしても活動した。 蕎麦屋を営む大場清男・サン夫妻の次男として生まれ、幼少期から漫画・イラストの才能を発揮。札幌市第二高等小学校(現・柏中学校)卒業後印刷会社や看板描き、草履店での丁稚奉公を経て、1942年12月・21歳の時に徴兵で陸軍航空隊に入隊し整備士となる。
長 大作(ちょう だいさく、1921年9月16日 - 201… 長 大作(ちょう だいさく、1921年9月16日 - 2014年5月1日)は、日本の家具デザイナー、建築家。 中国東北部(旧満洲)生まれ。1945年に東京美術学校建築科を卒業し、1947年に坂倉準三建築研究所に入社。 1957年の「藤山愛一郎邸」、1958年の「八代目 松本幸四郎邸」では、建築の設計から家具のデザインに至るすべてを手がけたという。 1960年に「低座イス」を発表して同年グッドデザイン賞を受賞。1972年に長大作建築設計室を立ち上げた。
水之江 忠臣(みずのえ ただおみ、1921年(大正10年)7… 水之江 忠臣(みずのえ ただおみ、1921年(大正10年)7月16日 - 1977年(昭和52年)7月18日)は、日本の家具デザイナーである。大分県豊後高田市出身。 日本大学卒業後、1942年(昭和17年)に前川國男が創設したデザイン建築事務所に入所し、デザイナーとしての活動を始める。その後前川から建築の設計を教わり、椅子やテーブル等の家具の設計に携わる。水之江の作品はこれまで以上に丈夫な材料を用いた事や斬新なデザインによって、1954年(昭和24年)に神奈川県立音楽堂や神奈川県立図書館に所蔵され、一躍有名となった。 後に公共施設のみならず、家庭向けの家具の設計にも従事する。1958年(昭和33年)には日本室内設計家協会の発足と共に理事長を務め、1963年(昭和38年)には独立して自身のデザイン設計事務所を創設した。
新居 猛(にい たけし、1920年(大正9年)8月4日 - … 新居 猛(にい たけし、1920年(大正9年)8月4日 - 2007年(平成19年)10月5日)は、日本の家具デザイナー。インテリア・デザイナー協会名誉会長。徳島県徳島市出身。旧制徳島中学校(現徳島県立城南高等学校)卒業。 1920年(大正9年)に徳島市の剣道具製造業の家に生まれた。デンマークの家具の美しさに影響されたのがきっかけで椅子づくりにのめり込む。1969年(昭和44年)、有限会社ニーファニチアを設立し代表取締に就任する。1974年(昭和49年)、自身の作品であるニーチェアXがニューヨーク近代美術館にて永久収蔵が認められた。その後、インテリア・デザイナー協会の名誉会長となる。 2007年10月5日、急性敗血症のため死去。
境沢 孝(さかいざわ たかし、1919年 - 2001年)は… 境沢 孝(さかいざわ たかし、1919年 - 2001年)は、日本人のインテリアデザイナー・建築家。1950年に個人アトリエを開設。以後、主に飲食店のインテリアデザインと建築デザインを手がける。家具やオブジェなどの特徴的な造形要素を一見至って自由に配置しながらも機能性を損なうことのない巧みなプランニング、親しみやすいモティーフを主題とする軽妙で詩的なデザインは、高度経済成長期において店舗事業者から広く受け入れられ、数多くの作品が発表された。国内におけるインテリアデザイナーの社会的認知を高め、その活動の場を拡げるとともに、現在に至るインテリアデザインの主要なボキャブラリーをかたち作った人物のひとりである。
長沢 節(ながさわ せつ、1917年5月12日 - 1999… 長沢 節(ながさわ せつ、1917年5月12日 - 1999年6月23日)は、日本のイラストレーター、水彩画家、デザイナー、エッセイスト、ファッション評論家、映画評論家。セツ・モードセミナー創設者。日本のファッション・イラストレーターの草分け。 本名は、長沢 昇(ながさわ のぼる)。 福島県会津若松市に生まれる。 小学校時代、画家で小学校教師の渡部菊二と出会う。会津中学入学。 軍事教練をボイコットした為、官立校の東京美術学校(東京芸大)への受験資格を失う。文化学院へ入学。卒業後水彩画家へ。 春日部たすく画伯と親交。戦前から中原淳一の推薦で女性誌『新女苑』にデビュー。『それいゆ』や『ひまわり』といった雑誌にイラストやエッセイを掲載。
早川 良雄(はやかわ よしお、1917年2月13日 - 20… 早川 良雄(はやかわ よしお、1917年2月13日 - 2009年3月28日)は、昭和期の日本を代表するグラフィックデザイナー。それぞれに違う色彩と描かれ方の違うパーツからなる『女の顔』シリーズ(1985年 - )や、独特の形態、配置から構成されるポスター作品などが特徴とされる。 1917年大阪府に生まれる。大阪市立工芸学校(現・大阪市立工芸高校)図案科(現在はビジュアルデザイン科・プロダクトデザイン科・インテリアデザイン科に分科)卒(1936年卒)。敗戦後、百貨店の三越などの広告部のデザイナーを経てグラフィックデザイナーとして独立、以後海外の国際的なデザインプロジェクトなどに精力的に関わる。 デザイナーとして、今日では伝説的ともいえる斬新なポスター・広告を多数製作、戦後日本のモダニズムを表現し、一躍注目を集めた。
加藤 渉(かとう わたる、1915年8月15日 - 1997… 加藤 渉(かとう わたる、1915年8月15日 - 1997年6月12日)は、日本の建築構造学者、海洋建築工学者、構造デザイナー。 東京神田生まれ。大学卒業後満洲国大陸科学院に勤務。小野薫に師事。その後仲間の建築技師らと現地召集により、陸軍造船中隊凌水屯部隊でコンクリート船設計に関与。 戦後は母校日本大学旧工学部、現理工学部で長く教鞭を執り、その後理工学部長を歴任。在任中海洋建築工学科を創設。大学外部では株式会社カトー設計事務所を主宰。シェル構造建築を1951年に「鶴見倉庫」を小野薫と試みる。こうしたシェル構造に関する一連の研究により、日本建築学会賞を受賞。
河本 将(こうもと まさ、1915年(大正4年)4月12日 … 河本 将(こうもと まさ、1915年(大正4年)4月12日 - 没年不詳)は、日本の女性ファッションデザイナーである。本姓は山崎。 京都にて河本大作の長女として生まれる。後に上京し桜蔭高等学校卒業後、伊東茂平に師事し洋裁を学んだ。1941年(昭和26年)に鐘淵紡績(後のカネボウ、現在のクラシエホールディングス)に入社し、同社が製造・販売するディオールの商品開発を担当し、使用普及に貢献した。 1967年(昭和42年)に退社後はフリーランスとしての活動を開始し、後に自身が主催するファッションショーの開催を始める。1975年(昭和50年)には当時イギリス国王であったエリザベス2世の専属デザイナー・ハーディー・エイミス(英語版)日本銀座店の店長を務めた。
亀倉 雄策(かめくら ゆうさく、1915年4月6日 - 19… 亀倉 雄策(かめくら ゆうさく、1915年4月6日 - 1997年5月11日)は、日本のグラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)初代会長。 代表作にフジテレビジョンの旧シンボルマーク(8マーク)や日本電信電話(NTT)のマーク(ダイナミックループ)、TDKおよびニコンFのロゴマーク、1964年東京オリンピックのポスター、サンケイアトムズ、ヤクルトスワローズのユニフォームがある。 没後、亀倉雄策の遺族の寄付により、亀倉の業績を讃えるとともにグラフィックデザインのさらなる発展をめざして亀倉雄策賞が設けられている。
宮本 順三(みやもと じゅんぞう、1915年4月1日 - 2… 宮本 順三(みやもと じゅんぞう、1915年4月1日 - 2004年1月13日)は玩具デザイナー。 1915年大阪府に生まれる。生まれた時の名前は村田順三だった。父の村田兼吉は呉服屋の経営者であるとともに羽織裏の友禅デザイナーでもあった。母が病弱だったことから生まれてすぐに親戚の宮本甲造の養子になった。幼少時から玩具と絵に興味を示していた。彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)に進学し美術部を創部して自身の名前をもじったZUNZOの号を使用した。部活動の他に中之島洋画研究所で学んだ。昭和東北大凶作を憂いて募金集めに絵画即売会を彦根土橋町(現・彦根市銀座町)のマルビシ百貨店で開催したこともある。
小杉 二郎(こすぎ じろう、1915年(大正4年)3月25日… 小杉 二郎(こすぎ じろう、1915年(大正4年)3月25日 - 1981年(昭和56年)2月17日)は、日本のインダストリアルデザイナー。東洋工業(現在のマツダ)の乗用車やトラック、新三菱重工業(現在の三菱重工業)のスクーター、蛇の目ミシン工業のミシンなどのデザインを手がけ、日本のインダストリアルデザイナー第一世代を代表する人物として知られる。没後38年を経た2019年(令和元年)11月、日本自動車殿堂の2019年度の殿堂者に選出された。 父は洋画家の小杉放庵、兄は美術史学者の小杉一雄、甥には洋画家の小杉小二郎(一雄の子)がいる。 1915年(大正4年)、東京市滝野川区にて洋画家である父・小杉放庵(国太郎)と母・ハルの二男として生まれる。
福冨 芳美(ふくとみ よしみ、1914年11月23日 - 1… 福冨 芳美(ふくとみ よしみ、1914年11月23日 - 1992年4月22日)は、昭和~平成初期のファッションデザイナー、教育者。旧姓は小田。 岡山県生まれ。兵庫県立第一神戸高等女学校を卒業後、婦人服の仕立て職人に弟子入り。その後上京して杉野学園ドレスメーカー女学院で学び、1937年に神戸ドレスメーカー女学院(現・神戸ファッション専門学校)開校。戦後は大丸神戸店の顧問デザイナーに招聘され、パリやニューヨークへ出かける機会を得る。また、神戸在住のまま飛行機で日本大学芸術学部美術学科に通い、1961年に卒業した。 1967年に明石女子短期大学を創立し、学長兼教授となる。日本家政学会、人間工学会、日本デザイナークラブ、ザ・ファッション・グループ(本部ニューヨーク)等の会員。
小篠 綾子(こしの あやこ、1913年(大正2年)6月15日… 小篠 綾子(こしの あやこ、1913年(大正2年)6月15日 - 2006年(平成18年)3月26日)は、日本のファッションデザイナーである。同じくファッションデザイナーとなったコシノ三姉妹(コシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコ)の母親としても知られる。
富永 直樹(とみなが なおき、本名 富永 良雄、1913年(… 富永 直樹(とみなが なおき、本名 富永 良雄、1913年(大正2年)5月18日 - 2006年(平成18年)4月11日)は、日本の彫刻家、三洋電機の工業デザイナー。長崎県長崎市生まれ。叙従三位。 東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科塑像部首席卒業。同校では北村西望、朝倉文夫、建畠大夢が教鞭をとっており、特に北村西望に師事した。〈在学中の1936年(昭和11年)に日展の前身、文展に「F子の首」(長崎県美術館蔵)にて初入選して以来、日展を主な舞台に活躍した。1950年(昭和25年)から1952年(昭和27年)にかけ、3年連続で日展の特選を受賞〉。同研究科卒業。 1972年(昭和47年)日本芸術院賞受賞。
小池 岩太郎(こいけ いわたろう、1913年(大正2年)2月… 小池 岩太郎(こいけ いわたろう、1913年(大正2年)2月22日 - 1992年(平成4年)7月21日)は、日本の美術教育者、インダストリアルデザイナーである。東京府(現・東京都)出身。 東京美術大学(現在の東京芸術大学)卒業後、地方公務員として福岡県庁に勤務する。その後東京に戻り商工省(現在の経済産業省)に入省し、工芸指導所にて技手として活動した。1947年(昭和22年)には古巣の東京芸術大学にて助教授として復帰し、1965年(昭和40年)に教授に昇格する。1980年(昭和55年)に退職後は、同大学の名誉教授に選出され、同時期に池を中心に複数のデザイナーと共にGKデザイングループを結成し、日本酒「大関」のボトルデザインやオートバイ、レコード、家庭用品等幅広いデザイン設計に携わった。
中原 淳一(なかはら じゅんいち、1913年〈大正2年〉2月… 中原 淳一(なかはら じゅんいち、1913年〈大正2年〉2月16日 - 1983年〈昭和58年〉4月19日)は、日本の画家、ファッションデザイナー、編集者、イラストレーター、人形作家。 妻は宝塚歌劇団元男役トップスターの葦原邦子。長女芙蓉、長男洲一、次男蒼二、次女すみれの二男二女があり、長男は画家。姪はシャンソン歌手の中原美紗緒。俳優・声優の加古臨王は孫。 先祖は物部姓中原氏といわれる。 幼少の時より絵や造形に才能を示し、18歳の時、趣味で作ったフランス人形が認められて東京の百貨店で個展を開催。それがきっかけで雑誌『少女の友』の挿絵、口絵、表紙絵、付録等を手掛けるようになり、一世を風靡する人気画家となる。
高田 正二郎(たかだ しょうじろう、1913年1月13日 -… 高田 正二郎(たかだ しょうじろう、1913年1月13日 - 1989年7月4日)は、日本の洋画家、グラフィックデザイナー。 東京都日本橋区の寿司屋の次男として生まれる。 東京都立第三中学校在学中に日本パステル画会に入会、洋画家の矢崎千代治(やざき ちよじ)に師事。1929年卒業。 1930年頃に従兄で彫刻家の吉田久継(よしだ きゅうけい)や東京美術学校教授の島田佳矣(しまだ よしなり)、同助教授の千頭庸哉(ちかみ ようさい)にデザインや鉛筆画を学ぶ。 1931年、東京美術学校図案科入学。和田三造、広川松五郎に師事。 1932年に東京湾汽船、キッコーマンの広告懸賞に入選したのを皮切りに各コンクールで入賞・受賞を重ねる。
太田 祐一(おおた すけかず、1913年 - 1998年)は… 太田 祐一(おおた すけかず、1913年 - 1998年)は日本の自動車技術者・自動車デザイナー。1957年(昭和32年)に日本内燃機と合併するまで存在していた日本の自動車メーカー・オオタ自動車工業の創業者・太田祐雄の長男である。 父・祐雄が巣鴨郊外に個人経営の「太田工場」を開業、教材用の小型発動機、模型飛行機、オートバイ部品製造に着手した翌年に出生。少年時代から父の仕事を手伝い、府立実科工業学校機械科在学中も、教師の許可を得て製図の時間に父の描いた図面のトレースを行っていた。 父の町工場が三井財閥の出資で、資本金100万円の「高速機関工業」に改組された翌年の1936年(昭和11年)、同社に入社。
花森 安治(はなもり やすじ、1911年10月25日 - 1… 花森 安治(はなもり やすじ、1911年10月25日 - 1978年1月14日)は、日本の編集者・グラフィックデザイナー・ジャーナリスト・コピーライター。生活雑誌『暮しの手帖』の創刊者。 1911年、兵庫県神戸市に6人兄弟の長男として生まれる。父親の花森恒三郎は裕福な薬種商であったが、競馬や株などで財を無くし、安治が8歳のときには火事で家が全焼したため長屋暮らしとなった。安治は幼い頃より画才に優れ、神戸市立雲中小学校の同級には田宮虎彦がいた。旧制兵庫県立第三神戸中学校では活動写真部と弁論部に入り、1年浪人して旧制松江高等学校に進む。旧制高校時代、田所太郎らと校友会雑誌(第20号:1932年12月が花森の責任編集号)の編集に参加したことが編集者としての出発点になったと語る。
石津 謙介(いしづ けんすけ、1911年10月20日 - 2… 石津 謙介(いしづ けんすけ、1911年10月20日 - 2005年5月24日)は、20世紀に活動した日本のファッションデザイナー。株式会社ヴァンヂャケット創業者。日本メンズファッション協会最高顧問。 高度経済成長期にあたる1960年代の日本に登場した男性ファッション「アイビールック」の生みの親で、“メンズファッションの神様”と呼ばれた。岡山県岡山市出身。石津祥介は長男、ファーストサマーウイカは曽姪孫。 岡山の紙問屋の次男として生まれる。岡山師範学校附属小学校から旧制第一岡山中学(現・県立岡山朝日高校)を経て、明治大学専門部商科に入学。スポーツ万能であるとともに流行の先端をいく遊びに長け、明大在学中はオートバイ・クラブ、自動車部、航空部などを創部した他、ローラースケート、乗馬、水上スキーなどにも興じた。
栗谷川 健一(くりやがわ けんいち、1911年2月28日 -… 栗谷川 健一(くりやがわ けんいち、1911年2月28日 - 1999年8月12日)は、北海道岩見沢市出身の画家・グラフィックデザイナー。 観光ポスターを中心に北海道の自然・酪農・アイヌ文化をモチーフとしたイラストを数多く描き、さっぽろ雪まつりや札幌オリンピックなどのイベントにも携わり「北海道デザイン界の父」とも評される。生涯を通じ北海道を拠点に活動、独自の趣きを持ったポスター類は北海道観光の起爆剤の一翼を担い、企業のカレンダーやパッケージ、デザイン学校の経営にも携わり幅広く活躍した。 1911年に岩見沢の開拓農家、林忠太郎・たまき夫妻の第7子3男として生まれたが、生後数日で母の妹きくよと製材所職員の栗谷川衛の夫妻の養子となる。
桑沢 洋子(くわさわ ようこ、1910年11月7日 - 19… 桑沢 洋子(くわさわ ようこ、1910年11月7日 - 1977年4月12日)は、20世紀の昭和時代に活動した日本のファッションデザイナー。桑沢デザイン研究所および東京造形大学の創立者で、服飾から生活全般にわたる分野において「産業デザイン」を提唱した。桑澤洋子と表記されることもある。 東京市神田区東紺屋町(現在の東京都千代田区)に出生。神田高等女学校(現在の神田女学園高等学校)卒業後、1928年に女子美術学校(現在の女子美術大学)師範科西洋部へ入学、1932年に卒業。卒業後は東京社に就職するが、1933年に新建築工芸学院へ入学しバウハウスの思想に触れた。写真家の田村茂と1934年に結婚するも、1951年に離婚。
秦 万紀子(はた まきこ、1910年1月30日 - 1965… 秦 万紀子(はた まきこ、1910年1月30日 - 1965年10月10日)は日本のファッションデザイナー、カラリスト。自らのコレクション発表と共に、日本各地で編物デザイナー養成をし、服飾編み物界の興隆に寄与した。1951年、財団法人白南風社 しらはえしゃ (1951-2009)を労働省の認可を得て設立。編物手芸にデザイン・色彩・製図 法の指導で付加価値を高めて提供をする授産事業を行い、第2次大戦による戦争未亡人の自立のために活躍した。1961年パリのサロン・デ・エトワール(SALONS DE L’ETOILE)にて「秦 万紀子コレクション」を開催し、パリ市会よりパリ名誉市民賞(AMI DE PARIS)を受賞。
芳武 茂介(よしたけ もすけ、1909年(明治42年)11月… 芳武 茂介(よしたけ もすけ、1909年(明治42年)11月12日 - 1993年(平成5年)8月3日)は、日本のクラフトデザイナー。現在の山形県南陽市出身。 1935年、東京美術学校(のちの東京芸術大学)を卒業後、商工省工芸指導所に勤務。1941年、第4回新文展に「飛鳥置物」を出品して特選を受賞。1945年には日本陸軍向けの囮飛行機の開発に参加した。 1956年、ガラス工芸の佐藤潤四郎らと日本デザイナークラフトマン協会を設立した。1961年、工業技術院産業工芸試験所意匠第二部長を退官、デザイン事務所東京クラフトを設立し、武蔵野美術大学教授に就任。1974年、国井喜太郎賞を受賞。1976年、鋳鉄による皿、鍋で芸術選奨文部大臣賞を受賞、1980年、勲四等旭日小綬章を受勲。
真木 小太郎(まき こたろう、1909年6月4日 - 198… 真木 小太郎(まき こたろう、1909年6月4日 - 1984年7月28日)は、日本の舞台美術家、衣裳デザイナーである。日本舞台テレビ美術家協会会長を歴任した。 1909年(明治42年)6月4日、茨城県に生まれる。1927年に水戸中学卒業。 東京に移り、旧制・東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学する。 1935年(昭和10年)、東京宝塚劇場(現在の東宝)に入社、1936年(昭和11年)に同社が合併した日本劇場では、衣裳も装置も手がけている。1944年に妻との間に息子・マイク真木をもうける。 第二次世界大戦後、東宝を退社してフリーランスとなった。1958年(昭和33年)、大映東京撮影所が製作した増村保造監督の『巨人と玩具』や、1959年(昭和34年)、東宝が製作・配給した山本嘉次郎監督の『孫悟空』等の衣裳をデザイン・構成を手がけた。
大智 浩(おおち ひろし、1908年〈明治41年〉8月10日… 大智 浩(おおち ひろし、1908年〈明治41年〉8月10日 - 1974年〈昭和49年〉7月18日)は、日本のグラフィックデザイナーである。岡山県出身。 旧制新潟県立村上中(現:新潟県立村上高等学校)、長岡高等工業学校を経て、東京美術大学(現在の東京芸術大学)卒業後、当時第二次世界大戦下で情報及び宣伝要員として活動した。戦後に独立し自身のデザイン事務所を設立し、多くの企業のCIマークの制作に携わる。1954年(昭和29年)にはニューヨークで開催された個展で大智の作品が出品され、デザイナー団体の日本代表に選出される等外でも有名となった。 その後は誠文堂新光社のデザイン雑誌『アイデア』のアートディレクターや東京教育大学や金沢美術工芸大学、実践女子大学の教授、国際デザイン交流協会会長を務めるなど、学生や海外のデザイナー対しての交流を深めた。
佐藤 章蔵(さとう しょうぞう、1907年〈明治40年〉 -… 佐藤 章蔵(さとう しょうぞう、1907年〈明治40年〉 - 1981年〈昭和56年〉7月12日)は日本の工業デザイナー。東京都出身。若い頃から自動車の造形美に魅せられ、第二次世界大戦前から東京の街頭で多くの名車・珍車を撮影していた。 1937年(昭和12年)に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、日産自動車に入社。1954年(昭和29年)に同社初代造形課課長となり、ダットサン・110/210型系(1955年発表)及びその後継車である初代ブルーバード(310型系、1959年発表)をデザインした。1956年(昭和31年)には110型の改良型である112型のデザインで毎日デザイン賞を受賞する。両車のデザインは共に虚飾が無く、シンプルで機能的なことが特徴であった。
田中千代(たなか ちよ 1906年8月9日 - 1999年6… 田中千代(たなか ちよ 1906年8月9日 - 1999年6月28日)は、教育者、服飾デザイナー。昭和初期に渡欧し欧米の文化・服飾を学び、日本に近代洋裁教育、服飾デザインの礎を作った。民族衣装の研究・収集家でもあった。
河野 鷹思(こうの たかし、本名・河野孝、1906年3月21… 河野 鷹思(こうの たかし、本名・河野孝、1906年3月21日 - 1999年3月23日)は、日本のグラフィックデザイナー、エディトリアルデザイナー。愛知県立芸術大学名誉教授。日本における商業デザインの草分けの1人。 東京都神田出身。1929年に東京美術学校(現・東京芸術大学)図案科卒業。同年松竹の宣伝部に入り、その後、ポスター、舞台美術、衣裳(コスチューム)、パッケージ、ディスプレイ、(屋外の)サインなど、幅広いデザインをこなした。 名取洋之助の日本工房にも参加し、雑誌NIPPONのレイアウト、グラフィックデザイン等も担当した。 1940年から1941年にかけては、日本写真工芸社に参加し、『VAN』と『NDI』という対外宣伝誌のデザインを担当した。
杉本健吉(すぎもと けんきち、1905年9月20日 - 20… 杉本健吉(すぎもと けんきち、1905年9月20日 - 2004年2月10日)は、日本の洋画家、イラストレーター、グラフィックデザイナー。
イサム・ノグチ(Isamu Noguchi、1904年11月… イサム・ノグチ(Isamu Noguchi、1904年11月17日 - 1988年12月30日)は、アメリカ合衆国ロサンゼルス出身の彫刻家、造園家、作庭家、インテリアデザイナー、舞台芸術家。日系アメリカ人。日本名は野口 勇(のぐち いさむ)。ニューヨーク建築協会金賞、アメリカ国民芸術勲章、京都賞思想・芸術部門受賞など、アメリカと日本はもとより世界で愛された。北海道札幌市のモエレ沼公園は彼の遺作にして金字塔でもあった。 1904年、日本人詩人の野口米次郎とアメリカ人作家のレオニー・ギルモアとの間に生まれる。1907年、ノグチが3歳の時に母レオニーと来日し、米次郎と同居する。そして米次郎は武田まつ子と結婚し、ノグチは野口勇として森村学園付属幼稚園に通園する。
永田一脩(ながた いっしゅう、1903年11月11日 - 1… 永田一脩(ながた いっしゅう、1903年11月11日 - 1988年4月9日)は、日本戦前期の、前衛美術系およびプロレタリア美術系の画家、写真家、グラフィックデザイナー。演劇にも携わる。本名永田一脩(ながた かずなが)。 福岡県門司市生まれ。1927年東京美術学校洋画科卒。労働美術家連盟、前衛芸術家同盟、ナップに参加。1929年国際文化研究所に入り、『国際文化』を編集。1930年ナップの一斉検挙にあい、保釈後フリーで活動する。1941年東京日日新聞社入社、毎日新聞となり1958年まで勤務。 写真に関しては、1930年代に、写真評論などを『フォトタイムス』誌に執筆し、実作品も制作した。写真作品としては、フォトモンタージュを利用したシュルレアリスム的な作品が多い。
北園 克衛(きたぞの かつえ、1902年(明治35年)10月… 北園 克衛(きたぞの かつえ、1902年(明治35年)10月29日 - 1978年(昭和53年)6月6日)は、三重県出身の詩人、写真家、デザイナー。中央大学経済学部卒。本名は橋本健吉(はしもと けんきち)。実兄は彫刻家の橋本平八。代表的な詩集に『白のアルバム』『黒い火』などがある。「Kitasono」と署名していたことから<きたその>と表記されることが多いが<ぞの>が正しい(ローマ字ではなくフランス語の署名)。周辺からは「ゾノさん」と呼ばれていた。エズラ・パウンドは北園との往復書簡の中で「キットカット」(Kit Kat)と呼んだ。 1902年、現在の三重県伊勢市朝熊町に生まれる。上京し中央大学経済学部を卒業。