大野 明男(おおの あきお、1930年〈昭和5年〉9月12日… 大野 明男(おおの あきお、1930年〈昭和5年〉9月12日 - )は、日本の思想家、社会運動家。社会評論家。 東京生まれ。旧制東京都立第三中学校、東京陸軍幼年学校、旧制群馬県立桐生中学校、旧制浦和高等学校を経て、東京大学に入学。東京大学教養学部の学生自治会委員長としてレッドパージ反対闘争を指揮し、退学処分を受ける。東大を中退後、東大生協、業界紙記者を経てフリーになる。自らの全学連(全日本学生自治会総連合)の経験を踏まえた学生運動や世代論に関する発言を中心に新中間層、経済、経営の分野に及ぶ幅ひろい評論活動を展開する。兄の評論家・大野力と共に思想の科学研究会を活動の拠点とし、思想の科学研究会の事務局長、会長もつとめた。
太田 龍(太田 竜、おおた りゅう、1930年8月16日 -… 太田 龍(太田 竜、おおた りゅう、1930年8月16日 - 2009年5月19日)は、日本の革命思想家である。
白井 厚(しらい あつし、1930年4月15日 - )は日本… 白井 厚(しらい あつし、1930年4月15日 - )は日本の大学人、社会思想史家。慶應義塾大学名誉教授。経済学博士。妻の白井尭子も社会思想史家。
小野 二郎(おの じろう、1929年8月18日 - 1982… 小野 二郎(おの じろう、1929年8月18日 - 1982年4月26日)は、日本の英文学者、思想家。 1929年、東京府高円寺で生まれた。1947年、東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を卒業。東京大学教養学部教養学科イギリス科で学び、1955年に卒業。同大学院比較文学比較文化に進み、1958年に修士課程を修了した。 卒業後は出版社の弘文堂に勤務し、谷川雁の評論集「原点が存在する」や「現代芸術論叢書」シリーズを企画し、師の島田謹二『ロシヤにおける広瀬武夫』や、澁澤龍彦『サド復活』、篠田一士『邯鄲にて』等多くを刊行した。 1960年、中村勝哉と共に晶文社を設立し、のち編集顧問。弘文堂を退職し、東海大学専任講師となった。
竹中 労(たけなか ろう、本名:たけなか つとむ、1928年… 竹中 労(たけなか ろう、本名:たけなか つとむ、1928年3月30日、戸籍上では1930年5月30日 - 1991年5月19日)は、日本のルポライター、アナーキスト、評論家。 東京都出身。甲府中学(現:山梨県立甲府第一高等学校)中退。「夢野京太郎」「ケンカ竹中」「反骨のルポライター」などの異名を持ち、芸能界や政界に斬り込む数々の問題作を世に送り出した。晩年には癌を患うが、闘病しながら活動を続けた。 父はシュルレアリスムの画家として知られる竹中英太郎であり、彼の作品にも影響を与えた。妹の金子紫は「竹中英太郎記念館」の館長を務めており、兄と父の遺志を引き継ぐ形で活動を続けている。
大池 文雄(おおいけ ふみお、1928年 - )は、日本の実… 大池 文雄(おおいけ ふみお、1928年 - )は、日本の実業家、マルクス主義者。 長野県小諸市生まれ。1947年旧制水戸高等学校文科甲類入学、梅本克己に師事。同校中退後、日本共産党水戸市委員長、同国際派全国委員会委員、同国際派・所感派統一後茨城県常任委員。1956年のハンガリー事件をめぐり中央と対立、58年同党除名。一方で、新茨城タイムス社、出版社論争社、日本ソノサービスセンター、太陽グリーンランド、裾野カンツリー倶楽部等を設立する。2005年事業から引退。同人誌『丁卯』主宰。
城塚 登(しろつか のぼる、1927年7月20日 - 200… 城塚 登(しろつか のぼる、1927年7月20日 - 2003年4月18日)は、日本の倫理学者・社会思想史家。東京大学名誉教授。元共立女子大学学長。 東京都生まれ。東京大学文学部哲学科倫理学専攻卒、同大学院中退、1957年東京大学教養学部専任講師、1959年助教授、1969年教授(社会思想史)、1988年定年退官、共立女子大学学長を務めた。日本倫理学会会長など。 ドイツの哲学・社会思想を研究、ヘーゲル、マルクスからフランクフルト学派まで幅広く著述を行なった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
安東 仁兵衛(あんどう じんべえ、1927年6月5日 - 1… 安東 仁兵衛(あんどう じんべえ、1927年6月5日 - 1998年4月24日)は、日本の社会主義者。構造改革派の論客。筆名は笹田 繁(ささだ しげる)。 旧制水戸高校在学中の1948年に日本共産党に入党。東京大学在学中は、沖浦和光とともに東大細胞や学生運動のリーダーとして活躍。イールズ闘争に関与し、東京大学戦後初の退学処分を受ける。 その後、主に日本共産党の文京地区委員会の常任活動家として類いまれな行動力で党活動に献身。50年問題などを克服する過程では国際派の宮本顕治に期待を託し、日本共産党第7回大会での宮本書記長の実現に現場の活動家として貢献。 その後、日本共産党内の構造改革派の論客となり、1959年5月、長洲一二らとともに雑誌『現代の理論』創刊に参加(同年9月終刊)。
田中 正司(たなか しょうじ、1924年3月19日 - 20… 田中 正司(たなか しょうじ、1924年3月19日 - 2020年1月26日)は、日本の社会思想史家、経済学史家。横浜市立大学名誉教授。 横浜市立大学図書館長を経て、一橋大学社会科学古典資料センター第3代主任教授。1970年経済学博士(専修大学)。ジョン・ロックやアダム・スミスを中心とするイギリス思想について研究をおこなった。 東京生まれ。昭和第一商業学校(現 昭和第一高等学校)を経て、戦時中の1943年、横浜市立横浜商業専門学校 (旧制)(現 横浜市立大学)を繰り上げ卒業、三菱石油に入社。1945年3月に召集されるが、まもなく終戦。1946年、三菱石油を退社し、東京商科大学(現一橋大学)本科に入学。
田口 貞夫(たぐち さだお、1922年12月20日 - 2… 田口 貞夫(たぐち さだお、1922年12月20日 - 2020年)は、日本の宗教学者、思想家。 1922年に東京の下町亀戸で生まれた。父は結婚前浅草寺の食客で、母は浅草寺病院の医師だった。二人は結婚後亀戸で診療所を開業した。貞夫は東京大学に入学後、第1回の学徒出陣で徴兵された。1943年10月21日に出陣学徒壮行会が明治神宮外苑競技場で開かれた。貞夫は航空隊の兵士としてカンボジアなどで従軍したが、生来の不器用のために一度も飛行機に乗らず、無事日本に戻った。東京大学文学部宗教学科で主任教授岸本英夫の指導を受け、ロシア思想史をライフワークとすべく勉強し、1950年に卒業した。東京大学図書館で勤務するかたわら、上智大学の神父ペトロ・ネメシェギ(ハンガリー語版)を知り、上智大学外国語学部ロシア学科で講師を務めた。
縫田 清二(ぬいた せいじ、1922年1月20日 - 199… 縫田 清二(ぬいた せいじ、1922年1月20日 - 1995年5月12日)は、日本の社会思想史家。横浜国立大学名誉教授。 イギリス領インド帝国ボンベイの在ボンベイ総領事館舎で生まれる。日本を経て、1927年にマニラの総領事館舎に移る。1936年暁星小学校卒業。1940年暁星中学校卒業。学徒出陣のため1943年に東京外国語学校フランス語貿易学科を半年間繰り上げ卒業した。 同年海軍第三期兵科予備学生として旅順方面特別根拠地隊予備学生教育部に入隊し、青島市で研修を受けた。1944年特信班に編入され、海軍少尉任官。同年海軍通信学校を卒業し、練馬のあたりにあった軍令部特務班で、英米の情報活動に従事した。
沖 正弘(おき まさひろ 1921年-1985年)は、ヨガ指… 沖 正弘(おき まさひろ 1921年-1985年)は、ヨガ指導者、思想家。戦後日本におけるヨガの草分け的指導者で、その普及に努め、ヨガブームを牽引した。 1921年、広島生まれ。大阪外国語大学卒業。第二次世界大戦中、参謀本部の特別諜報員としての必要上、東西医療法と各種教宗派の修行法の特別訓練を受け、モンゴル、中国、インド、アラビア各地に赴いた。戦後も探究心から中国や東南アジアに渡って医学と宗教を学ぶ。1951年、ユネスコ平和建設国際奉仕団日本代表としてインド、次いでパキスタンに赴き、医療面、福祉事業面で活動。この時、釈迦、ガンディーを悟りに導いた教えがヨガであることを知り、ヨガ哲学へ熱烈な探究心を向けた。
井野 隆一(いの りゅういち、1920年3月30日 - 20… 井野 隆一(いの りゅういち、1920年3月30日 - 2001年7月1日)は、日本の農業経済学者、マルクス主義者、日本共産党員。 東京府豊多摩郡生まれ。父は井野碩哉。1942年東京帝国大学経済学部卒、農林省に入り応召。1946年日本農業研究所勤務、日本共産党に入る。1958年東京経済大学専任講師、1961年助教授、1965年教授。1973年退職、日本農業研究所に戻る。農民運動全国連合会顧問。野呂栄太郎賞を二度受賞した。墓所は多磨霊園。
奥崎 謙三(おくざき けんぞう、1920年2月1日 - 20… 奥崎 謙三(おくざき けんぞう、1920年2月1日 - 2005年6月16日)は、日本の元陸軍兵士(最終階級は上等兵)、バッテリー商、著述家、アナーキスト。 昭和天皇パチンコ狙撃事事件のほか、不動産業者刺殺事件、皇室ポルノビラ事件、元上官家族への殺人未遂など、過激な行動や事件を度々起こしては逮捕・服役した。また、ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』に出演したことでも知られる。 自らを「神軍平等兵」と称していた。 1920年、兵庫県明石市大蔵町6丁目で生まれる。本籍地は兵庫県三木市口吉川町槙。小学校を卒業後は木綿問屋の丁稚奉公に出た。 1940年、徴兵検査に甲種合格。1941年3月に岡山連隊に入営し、後に中国の九江にある工兵隊へ転属。
鶴見 和子(つるみ かずこ、1918年(大正7年)6月10日… 鶴見 和子(つるみ かずこ、1918年(大正7年)6月10日 - 2006年(平成18年)7月31日)は、日本の社会学者、環境思想家。上智大学名誉教授。国際関係論などを講じたが、専攻は比較社会学。南方熊楠や柳田國男の研究などでも知られる。 1918年6月10日、東京府麻布区で、父・祐輔と母・愛子(後藤新平の娘)の間に、4人きょうだいの1番目(長女)として生まれる。 牛込成城小学校から1927年4月に砧の成城学園に移り、1929年4月に女子学習院5年へ転校。1934年頃から、父と親交のあった河合栄治郎の「国家権力に対する言論闘争」に共感、影響を受ける。1936年3月、女子学習院を卒業し、同年4月、津田英学塾へ進学。
井上 信一(いのうえ しんいち、大正7年(1918年)1月2… 井上 信一(いのうえ しんいち、大正7年(1918年)1月24日 - 平成12年(2000年)2月24日)は、日本の銀行家、仏教思想家。 熊本県出身。元宮崎銀行頭取。高千穂商科大学理事。「仏教経済学」を研究。 父は内務官僚(元兵庫県警察部長)の井上政信。母は元鉄道大臣小川平吉の長女。叔父井上春成は元工業技術庁長官。 小学校の五年と六年の時に、両親が続けざまに亡くなる。1930年高千穂小学校卒業、1941年東京帝国大学経済学部卒業、日本銀行に入る。1971年同行貯蓄推進部長より宮崎銀行に転じ副頭取、頭取、相談役を歴任。1983年同行を辞す。 仏教経営フォーラム会長、仏教振興財団理事長、地球主義学会会長、高千穂商科大学理事を務める。
小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11… 小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11日 - 2008年(平成20年)8月30日)は、日本のエコノミスト、思想家、教育者、実業家、官僚、政治家、俳人。参議院議員(1期)。
森田 康之助(もりた やすのすけ、1917年1月1日 - 2… 森田 康之助(もりた やすのすけ、1917年1月1日 - 2005年)は、日本の神道学者、日本思想史家。 東京市本所区生まれ。1939年東京高等師範学校文科第四部卒業。1941年東京文理科大学史学科国史学専攻卒業。村岡典嗣教授、肥後和男博士から影響を受け、日本思想史を専攻。栃木県立今市中学校、川口市立川口中学校、東京都立第十中学校、東京都立大泉中学校教諭を歴任。1949年國學院大学文学部講師、1951年国立国会図書館主事、1952年司書、1953年支部図書館部考査奉仕課長補佐。1959年人文科学参考室。閲覧部運営課主査を経て、1966年国会分館閲覧課長、1969年連絡部支部図書館課長、1975年国会分館長、1978年連絡部長、1981年専門調査員(1982年まで)。
景山 春樹(かげやまはるき、1916年1月9日-1985年7… 景山 春樹(かげやまはるき、1916年1月9日-1985年7月22日)は、日本の神道・仏教美術学者。 1916年、滋賀県大津市で生まれた。景山家は比叡山公人の家系であった。國學院大学文学部国史学科で学び、1939年に卒業。 1939年5月、京都市教育局学務課に入職。1941年1月、恩賜京都博物館鑑査員となった。1944年に応召し、1946年に復員。 1947年に文部技官となり、京都国立博物館考古室長兼普及室長を務めた。1964年、学位論文『神道美術の研究』を國學院大學に提出して文学博士の学位を取得。1970年に京都国立博物館学芸課長となり、1976年に退官。 1976年4月からは帝塚山大学教授として教鞭をとった。
武藤 光朗(むとう みつろう、1914年3月17日 - 19… 武藤 光朗(むとう みつろう、1914年3月17日 - 1998年7月25日)は、日本の社会評論家・社会思想家。学位:経済学博士(中央大学より1961年取得 / 論文タイトル「経済倫理 : 経済学と世界観」)。 社会民主主義思想、カール・ヤスパース哲学などを研究した。鈴木三郎・草薙正夫らと共に、1951年設立となったヤスパース協会創立者の一人である 福島県生まれ。幼少期に両親を失い、長崎の長兄のもとに移り育つ。長崎の旧制高等商業学校を経て、1937年東京商科大学(現一橋大学)卒業。横浜専門学校(現神奈川大学)教授、日本外政協会、日本国連協会の調査課長を務め、國學院大學教授、中央大学教授、早稲田大学客員教授を歴任した。
黒岩 一郎(くろいわ いちろう、1913年8月14日 - 1… 黒岩 一郎(くろいわ いちろう、1913年8月14日 - 1995年6月7日)は、日本の国文学者、保守思想家。 兵庫県姫路市生まれ。東京帝国大学国文科卒。修齊女学院講師。大陸に出征。帰国後姫路高等学校(旧制)教授、戦後合併により神戸大学助教授、教授。1962年、「香川景樹の研究」で東大文学博士。1977年、定年退官。棠舟の号をもつ、反共思想家。1995年6月7日、肺癌のため死去。
関 嘉彦(せき よしひこ、1912年11月19日 - 200… 関 嘉彦(せき よしひこ、1912年11月19日 - 2006年5月4日)は、社会思想史家。政治家。東京都立大学名誉教授。法学博士(京都大学、1962年)。元参議院議員(1期)。イギリス労働党の日本における紹介者として知られる。福岡県福岡市生まれ。
三浦 つとむ (みうら つとむ、1911年 (明治44年) … 三浦 つとむ (みうら つとむ、1911年 (明治44年) 2月15日 - 1989年 (平成元年) 10月27日) は、日本の哲学者、言語学者、マルクス主義者。弁証法を武器とし、在野の理論家として、認識論、言語論、芸術論、組織論、人生論など、幅広い分野において、活発な研究を続けた。 本名、三浦二郎。1911年、父松五郎、母志津江の次男として、東京都小石川区に生まれる。1925年、東京府立工芸学校印刷科に入学、1927年中退。1928年17歳、窪田商会に就職、その後、フィリップス日本ラジオに入社。印刷工をしていた兄の影響を受け、マルクス主義を学び始める。1933年、このころ勤めを辞め、ガリ板製版で生計を立てるようになった。
田中 正明(たなか まさあき、明治44年(1911年)2月1… 田中 正明(たなか まさあき、明治44年(1911年)2月11日 - 平成18年(2006年)1月8日)は、日本の歴史研究家、政治思想家、近現代史評論家、著述家、新聞編集者。戦前・戦時中は松井石根の私設秘書としてアジア解放運動に従事した。 大亜細亜協会編集責任者、戦後は、拓殖大学講師、世界連邦建設同盟事務局長、財団法人国際平和協会専務理事を務めるほか、近現代史評論家として著述活動を活発に行った。 長野県下伊那郡喬木村出身。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)卒業。1933年、興亜学塾卒業。松井石根の元私設秘書、松井が設立発起人となった大亜細亜協会編集責任者となる。応召し、無錫で終戦を迎える[要出典]。
宗 道臣(そう どうしん、1911年(明治44年)2月10日… 宗 道臣(そう どうしん、1911年(明治44年)2月10日 - 1980年(昭和55年)5月12日)は、日本の武道家、思想家、教育者、社会指導者、社会運動家、宗教家。日本の武道の一つである少林寺拳法の創始者であり、北少林義和門拳第21代正統継承者(事実上の古典的嵩山少林寺における最後の正統継承者) 姓名は中野 理男(なかの みちお)、中野 道臣(なかの みちおみ)を経て、最終的には宗 道臣を名乗った 1911年(明治44年)2月10日、岡山県英田郡江見村(現・美作市)に生まれる。1919年(大正7年)、義父が死亡し、1924年(大正12年)に家出し、祖父の住む満州へと移る。1926年(大正15年)母と妹が死亡、1927年(昭和2年)には妹と祖父が死亡、天涯孤独となる。
影山 正治(かげやま まさはる、1910年〈明治43年〉6月… 影山 正治(かげやま まさはる、1910年〈明治43年〉6月12日 - 1979年〈昭和54年〉5月25日)は、日本の右翼活動家、思想家、歌人。 愛知県豊橋市生まれ。家は神官。父は影山庄平。豊橋中(現在の愛知県立時習館高等学校)卒、國學院大學哲学科中退、在学時代から右翼運動に入り、1931年(昭和6年)全国大日本主義同盟、日本学生連合に参加、32年生産党常任中央委員、33年神兵隊事件で検挙。36年に維新寮を結成、39年これを大東塾と改め塾長となった。40年7月皇民有志決起事件で検挙、42年禁錮5年の判決を受けたが、43年には特赦となった。44年11月応召。1946年5月帰国。54年4月3日大東塾再建。
小田切 信男(おだぎり のぶお、1909年9月29日‐198… 小田切 信男(おだぎり のぶお、1909年9月29日‐1982年6月13日)は、キリスト教徒の医師で、信徒伝道者、信徒神学者、聖書研究者。 北海道釧路生まれ。1927年北海道帝国大学医学部入学。同年に洗礼を受け両親が所属していた札幌独立キリスト教会の会員として奉仕活動を始め、札幌市東端のスラムで伝道及び無料診療を行なう(召集を受ける1937年までの10年間)。 1934年北海道帝国大学医学部卒業、附属医院第二内科に入局し結核の研究に従事。太平洋戦争開始の1941年札幌市で医院を開業するも召集と解除の繰り返しの中で終戦を迎え、本格的な開業医としての生活は戦後になる。 1945年終戦により札幌独立キリスト教会の再建に努め礼拝の証詞を担当するなど信徒伝道者としての働きを本格化させる。
栗原 安秀(くりはら やすひで、1908年(明治41年)11… 栗原 安秀(くりはら やすひで、1908年(明治41年)11月17日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の陸軍軍人、国家社会主義者。陸軍士官学校第41期歩兵科出身。最終階級は歩兵中尉。 1936年2月26日に勃発した二・二六事件に参加した。磯部浅一に並ぶ急進派として知られる。 1908年11月17日、島根県松江市に生まれる(東京に在籍)。父は佐賀県出身の歩兵大佐栗原勇(12期)。父の転勤に従い、北海道旭川で暮らしている。二・二六事件において処分された予備役少将斎藤瀏(12期)とその娘で歌人の斎藤史とは家族ぐるみの付き合いをしていた。坂井直(事件時は歩兵第3聯隊第1中隊附中尉として斎藤實内大臣邸を襲撃、43期)もこの頃の幼馴染である。
宮本 顕治(みやもと けんじ、1908年〈明治41年〉10月… 宮本 顕治(みやもと けんじ、1908年〈明治41年〉10月17日 - 2007年〈平成19年〉7月18日)は、日本の政治家・共産主義者・文芸評論家。通称ミヤケン。 戦前の非合法政党時代からの日本共産党の活動家であり、戦後、1958年に党の書記長に就任してから40年間、日本共産党を指導した。参議院議員(2期)を務め、日本共産党書記長、同委員長、同議長を歴任。国会に議席を持つ国政政党の党首でありながら、国会議員ではなかった時期がある。 山口県熊毛郡光井村(現・光市)出身。父は、隣の島田村で米穀、肥料、雑貨などの小売商を営んでいたが、中学入学当時に破産状態になり、都濃郡富田村(現・周南市)にあった母の実家に預けられ、そこから中学に1年くらい通った。
筧 泰彦(かけひ やすひこ、1908年 - 2000年1月1… 筧 泰彦(かけひ やすひこ、1908年 - 2000年1月11日)は、日本の思想史学者・倫理学者・国体学者・神道思想家。
田辺 振太郎(たなべ しんたろう、1907年10月1日 - … 田辺 振太郎(たなべ しんたろう、1907年10月1日 - 1987年3月9日)は、日本の科学思想家。 京都出身。東京市本郷区西片町(現・東京都文京区)生まれ。雅号・素楽。1927年静岡県田方郡下大見村・私立大井上理農学研究所に技師として入所、1929年第一高等学校化学教室副手。1932年唯物論研究会の創立に参加。1933年岩波書店編集部勤務、1935-45年理化学研究所助手。磯部甫研究室(元・浅原源七研究室)所属。1945-47年武蔵高等学校(旧制)専任講師(化学)、1953年東京物理学校(現・東京理科大学)卒。戦前には、教育科学研究会の科学教育研究部会数学教育分会に参加。のち在野の哲学者として独自の技術論や認識論を展開した。
立野 正一(たての しょういち、1907年(明治40年)9月… 立野 正一(たての しょういち、1907年(明治40年)9月7日 - 1995年(平成7年)6月6日)は、日本の社会主義者。京都市下京区の喫茶店「フランソア喫茶室」の創業者として知られる。 山口県伊佐村(現在の美祢市伊佐町)の楮(こうぞ)卸の商家に生まれる。1915年(大正4年)京都に移住。京都市立美術工芸学校(現在の京都市立銅駝美術工芸高等学校)に入学し、フランソワ・ミレー、フィンセント・ファン・ゴッホの絵画や、志賀直哉、武者小路実篤などの自然主義文学の影響を受ける。また同校在学中の1924年(大正13年)、同じ敷地内にある市立絵画専門学校で教育管理強化に反発する争議(絵専騒動)に出遭う。これが後に立野が社会主義活動に向かう伏線となった。
舩山 信一(ふなやま しんいち、1907年7月29日 - 1… 舩山 信一(ふなやま しんいち、1907年7月29日 - 1994年3月16日)は、日本の哲学者・マルクス主義者。立命館大学名誉教授。マルクス、ヘーゲル、フォイエルバッハの研究を通じて人間学的唯物論を確立した。船山信一とも書かれる。 山形県東置賜郡吉島村(現:川西町)生まれ。米沢中学校(現:山形県立米沢興譲館高等学校)、山形高等学校を経て、1930年、京都帝国大学文学部哲学科卒業。西田幾多郎の下で哲学を学ぶ。マルクス主義者であることから、学派的には三木清、戸坂潤らとともにいわゆる西田左派に属する。1932年、戦前の著名なマルクス主義団体である唯物論研究会を戸坂潤らと結成。1933年、日本プロレタリア科学同盟に参加。
荒木 精之(あらきせいし、1907年1月7日 - 1981年… 荒木 精之(あらきせいし、1907年1月7日 - 1981年12月30日)は、小説家、思想家、文化運動家、地方雑誌「日本談義」を発行、熊本地方の文化に貢献した。 阿蘇郡長陽小学校校長荒木民次郎の長男として生まれる。母富香も同じ小学校に勤務していた。5歳時、母はなくなり父は後妻を娶る。小学校卒業後、熊本市船場町の逓信講習所に入る。郵便局の推薦でないので熊本郵便局の臨時事務員や福岡県大川の郵便局に勤務する。同僚のものが軽微な過失で懲戒免職になったので、憤慨して辞表を提出した。「懲戒免職」は彼の最初の小説である。父は現菊池市で隈府女子技芸学校を設立したので加勢をした。父の死後は義母荒木スヱヲが続けた。
毎田 周一(まいだ しゅういち、1906年〈明治39年〉9月… 毎田 周一(まいだ しゅういち、1906年〈明治39年〉9月22日 - 1967年〈昭和42年〉2月27日)は、日本の仏教思想家、詩人。金沢市出身。第四高等学校を経て、1929年京都帝国大学文学部哲学科卒業。1937年長野県師範学校教諭、1942年石川県師範学校教諭。 暁烏敏に師事し、西田幾太郎に学ぶ。雑誌『真』、『大雪山』を主宰。仏教の教えを日常の言葉で語り、多くの解説書や詩を残した。没後「毎田周一全集」が纏められた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
三上 卓(みかみ たく/たかし、1905年〈明治38年〉3月… 三上 卓(みかみ たく/たかし、1905年〈明治38年〉3月22日 - 1971年〈昭和46年〉10月25日)は、日本の海軍軍人、政治活動家、国家主義者。最終階級は海軍中尉。号は大夢。 佐賀県出身。第二次世界大戦以前の五・一五事件、および戦後の三無事件の双方に参加した人物として知られる。『青年日本の歌』(昭和維新の歌)の作詞者。著名な弟子に野村秋介がいる。 佐賀県佐賀郡本庄村(現・佐賀市本庄町)出身。父は北鮮日日新聞社長の三上新。佐賀中学校在学中は野球部に所属しており、チームメートには伊丹安広(のち早大監督、野球殿堂入り)や山口猛彦(画家)、小林竜二郎(東京製綱社長)などがいた。1926年(大正15年)3月に海軍兵学校を卒業(54期)。
高橋 貞樹(たかはし さだき、1905年3月8日 - 193… 高橋 貞樹(たかはし さだき、1905年3月8日 - 1935年11月2日)は、日本の水平運動家、共産主義者。 1920年代から30年代前半、すなわち、大正末期から昭和初期にかけての社会主義運動・水平運動・労農運動の先駆者の一人であり、理論と実践の両面で足跡を残した。ただし主著『特殊部落一千年史』は「民族と歴史 第二巻第一号 特殊部落研究」(1919年7月)の「無断まる写し」とも指摘されている。 大分県に生まれる。出生地には諸説があり、速見郡御越町(現在の別府市)内竈とする資料もあれば、「僕は大分県速見郡亀川村の部落出身」と自称していたこともあり、「速見郡海門寺に生れたりというも、かかる村は全然なし」と報じられたこともある。
神山 茂夫(かみやま しげお、1905年(明治38年)2月1… 神山 茂夫(かみやま しげお、1905年(明治38年)2月1日 - 1974年(昭和49年)7月8日)は、日本の左翼の革命運動家、共産主義者。衆議院議員(1期)。 山口県下関市伊崎町に生まれ、小学生のころ一家で台湾に転居し、1917年、台北城南小学校卒業。その後、父が夜警をしていた台湾銀行の給仕として働きながら夜間中学(私立(尾崎秀真経営)台北中学会)を終え、1919年、銀行員見習いとなる。 1921年、東京の成城中学3年生編入。「筋張っているのが気に食わぬ」と上級生杉浦に簿記棒で打擲されるも睨み返す。『赤旗』など社会主義文献を読み始め、学校自治会運動を通じ、革命運動に全生涯をかける決意をする。
小田 栄(小田 榮、おだ さかえ、1904年〈明治37年〉3… 小田 栄(小田 榮、おだ さかえ、1904年〈明治37年〉3月24日 - 1994年〈平成6年〉7月11日)は、日本の社会主義者、政治家、ジャーナリスト。衆議院議員。別名・天界。 広島県賀茂郡川尻村(川尻町を経て現呉市)で菓子製造業の家に生まれる。父の事業が失敗し、叔父からの勧めで1912年に一家で沖縄に移住。一家で飴屋を始め、小田も行商を行う。1918年、沖縄県立第一中学校に入学。4年次の学芸会で社会批判の演説を行い放校となった。 沖縄出身の先輩、アナキストで労働運動社にいた泉正重を頼り上京。同志と雑誌創刊を計画するも当局に検挙された。1922年、中浜哲、古田大次郎らのギロチン社に加わったが、1923年の関東大震災により沖縄に戻った。
唐木 順三(からき じゅんぞう、1904年(明治37年)2月… 唐木 順三(からき じゅんぞう、1904年(明治37年)2月13日 - 1980年(昭和55年)5月27日)は、日本の文芸評論家・哲学者・思想家。 京大で西田幾多郎に師事。『現代日本文学序説』(1962年)を書き、『鷗外の精神』(1943年)、『中世の文学』(1955年)と研究を進めた。反近代の思想を貫き『「科学者の社会的責任」についての覚え書』(1980年)を遺して死去した。 1904年(明治37年)、長野県上伊那郡宮田村に生まれる。旧制松本中学(現:長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校(現:信州大学)文科甲類を卒業後、1927年(昭和2年)に京都帝国大学文学部哲学科を卒業。西田幾多郎や田邊元から多大な影響を受けた。
村中 孝次(むらなか たかじ[注釈 1]、1903年10月3… 村中 孝次(むらなか たかじ[注釈 1]、1903年10月3日 - 1937年8月19日)は、日本の陸軍軍人で皇道派、国家社会主義者。
近藤 真柄(こんどう まがら、別名・筆名: 堺真柄・近藤真柄… 近藤 真柄(こんどう まがら、別名・筆名: 堺真柄・近藤真柄、旧姓戸籍名: 堺マガラ、最初の結婚改姓戸籍名: 高瀬マガラ、第2の結婚改姓戸籍名: 近藤マガラ、女性、1903年1月30日 - 1983年3月18日)は、社会主義者、婦人運動家、フェミニスト。
西田 税(にしだ みつぎ、1901年(明治34年)10月3日… 西田 税(にしだ みつぎ、1901年(明治34年)10月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、日本の陸軍軍人、思想家。 日本改造法案大綱を著し国家改造論者として知られる北一輝と親交を持つようになったことから、国家革新の志をさらに大きくするようになったという。西田の思想は革新的な青年将校から絶大に信奉されたが、1936年(昭和11年)の二・二六事件で国家転覆を図った首謀者の一人として逮捕され、翌1937年(昭和12年)、北とともに刑死した。 鳥取県西伯郡米子町大字博労町(現在の米子市博労町)に仏具店を営む父・西田久米造、母・つねの次男として生まれた。 1914年(大正3年)3月、啓成尋常小学校(現・米子市立啓成小学校)を卒業。
勝野 金政(かつの きんまさ、1901年4月9日 - 198… 勝野 金政(かつの きんまさ、1901年4月9日 - 1984年1月13日)は、日本の作家・思想家である。パリ、モスクワに滞在中フランス共産党員、ソ連共産党員として活動し、大粛清に遭遇してラーゲリに収容されながら、日本への帰国を果たした。21世紀においては、大粛清に対する先駆的批判者として「日本のソルジェニーツィン」と紹介されることもある。 長野県木曽郡読書村(現南木曽町)に生まれる。島崎藤村とは旧知であり、若いころから文学に憧れた。1914年旧制愛知一中に入学。1919年早稲田大学に入学し、フランス文学、ロシア文学を専攻する。在学中の1924年(大正13年)、フランスに留学、パリ大学で学び、フランス共産党に入党した。
仲小路 彰(なかしょうじ あきら、1901年2月26日 - … 仲小路 彰(なかしょうじ あきら、1901年2月26日 - 1984年9月1日)は、日本の思想家、哲学者、歴史哲学者。
難波 大助(なんば だいすけ、1899年(明治32年)11月… 難波 大助(なんば だいすけ、1899年(明治32年)11月7日 - 1924年(大正13年)11月15日)は、日本の共産主義者、極左テロリスト。大正期の反逆的な社会運動家。 1923年(大正12年)12月の虎ノ門事件で摂政宮(皇太子裕仁親王、のちの昭和天皇)を襲撃し、暗殺しようとした。審理が行われた大審院でも皇室否定の主張を曲げず、大逆罪により処刑された。 1899年(明治32年)、山口県熊毛郡周防村立野宮河内(現:山口県光市立野)の名家に難波作之進の四男として生まれた。難波家は長州藩士ではなく陪臣であり、長州藩寄組清水氏の家臣で、清水宗治の弟難波宗忠を家祖とし、戦国時代から主従関係は変わることはなかった。
石川 準十郎(いしかわ じゅんじゅうろう、1899年(明治3… 石川 準十郎(いしかわ じゅんじゅうろう、1899年(明治32年)6月1日 - 1980年(昭和55年)2月22日)は、日本の思想家、活動家。戦前・戦後にかけ、一貫して国家社会主義者として活動した[要出典]。 岩手県盛岡近郊に生まれた石川は、日清戦争の戦災者の関係者として成長し、兄・石川金次郎の援助の下、早稲田大学政経学部に入学。在学中に高畠素之の知遇を得、以後、高畠門下として国家社会主義運動に没頭した。高畠の死後も国家社会主義理論を発展させ、1931年に赤松克麿、津久井龍雄らとともに日本社会主義研究所を創設、『日本社会主義』『国家社会主義』を刊行。次いで日本主義に傾倒した赤松らと袂を分かち、1934年(昭和9年)3月10日、大日本国家社会党を設立、総理(党首)となる。
松本 徳明(まつもと とくめい、1898年〈明治38年〉5月… 松本 徳明(まつもと とくめい、1898年〈明治38年〉5月13日 - 1981年〈昭和56年〉2月27日)は、大正時代から昭和時代にかけての日本の仏教学者、思想家。文学博士。浄土宗の僧籍。 戦前はボン大学教授や報知新聞論説委員などを務め、戦後は日本科学振興財団理事長、芝中学校・高等学校理事長・校長、淑徳短期大学(現淑徳大学短期大学部)教授、大正大学理事長などを歴任した。 1898年、広島市に生まれる。浄土宗内地研究生となった後、1921年〈大正10年〉から1927年〈昭和2年〉にかけて仏教学者で東京帝国大学文学部教授の高楠順次郎の助手となり、「大正新脩大蔵経」刊行事業に従事。1927年〈昭和2年〉からセイロン島で南方仏教を研究した後、ドイツのボン大学に入学。
安岡 正篤(やすおか まさひろ、1898年〈明治31年〉2月… 安岡 正篤(やすおか まさひろ、1898年〈明治31年〉2月13日 - 1983年〈昭和58年〉12月13日)は、日本の易学者、陽明学者、思想家。私塾「金鶏学院」の設立、右翼政治団体「国維会」や学術団体「師友協会」の創立など、日本の伝統的な哲学・思想の「日本主義」の立場から保守派の長老として戦前から戦後に亘って活躍した。吉田茂(元内閣総理大臣)などの大物政治家とも深い交流があった。 1898年(明治31年)に現在の大阪府大阪市中央区長堀(旧順慶町)において、素封家の父・堀田喜と母・悦子の四男として誕生。堀田家は尾張の出身で紀氏の流れである。実兄に高野山金剛峯寺第403世座主の堀田真快がいる。 1904年(明治37年)に大阪市芝尋常小学校入学。
藤本 万次郎(ふじもと まんじろう、1898年2月 - 19… 藤本 万次郎(ふじもと まんじろう、1898年2月 - 1984年)は、日本の実業家、政治家、思想家。 山口県熊毛郡上関町祝島生まれ。旧制広島県立広島商業高校卒業。山口県公安委員長、(社)日本水産物輸入協議会会長、大日本水産会理事、日本海難審判協会(現:公益財団法人海難審判・船舶事故調査協会)理事、日韓親善協会会長、(社)下関水産振興協会会長、下関市社会福祉協議会会長、下関市公平委員会委員、下関都市計画審議会委員、下関市総合政策審議委員などの公職や衆議院議員・安倍晋太郎後援会連合会会長、衆議院議員・周東英雄後援会会長、参議院議員江島淳後援会会長、下関市長・井川克己後援会会長などの政治家後援会の要職を多数務めた。