金子 ひろみ(かねこ ひろみ、1963年12月24日 - )… 金子 ひろみ(かねこ ひろみ、1963年12月24日 - )は、東京都出身の管理栄養士、料理研究家、健康運動指導士、日本酒スタイリスト、国税審議会委員 栄養指導や実践に基づいた科学的料理法で、健康・ダイエット・スポーツ栄養のアドバイスなど、食生活のカウンセリングを行っている。また、講演会、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど数多くに出演。実践に基づいた科学的料理法はダイエット面でも注目されている。 その上には何月さん月、。他多数 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、食品・食文化に関連した書きかけの項目です。
奥薗 壽子(おくぞの としこ、1962年8月13日 - 旧姓… 奥薗 壽子(おくぞの としこ、1962年8月13日 - 旧姓・松尾壽子(まつお としこ))は、京都府出身の料理研究家。手軽に作れる家庭料理のレシピを数多く紹介している。 神戸市外国語大学外国語学部中国学科卒業後、イラストレーター・役者・コンパニオンなどさまざまな職業を経験したのち、料理研究家となる。 ナマクラ流ズボラ派料理研究家と自称しているが、手抜き料理を勧めているわけではなく、調理における無駄を省き、素材のよさを最大に引き出すレシピを紹介することで、人気を集めている。 料理を始めたのは小学校1年生ごろで、母親が料理嫌いだったために、幼くして一家の台所を担っていたという。 2002年、『TVチャンピオン』(テレビ東京)の『3分間料理王選手権』に出場し、「3分じゃがいもピザ」を作って優勝した。
森野 熊八(もりの くまはち、1962年〈昭和37年〉7月1… 森野 熊八(もりの くまはち、1962年〈昭和37年〉7月18日 - )は、日本の料理人、料理研究家、タレント。通称“アジクマさん”。妻は料理研究家の市瀬悦子。 神奈川県出身。16歳の時から料理を始め、桜美林大学経済学部卒業後、横浜のレストランで「フランス料理」と「イタリア料理」を修業。その後、料理学校にて西洋料理担当教授の経験を積む。 シンガーソングライターとしてポピュラーソングコンテスト最優秀歌唱賞受賞などの実績を活かし、1990年より「“料理の作り方が歌詞になっている歌”を歌いながら作る」という、まったく新しいタイプのクッキングショーで注目を集めた。しかし、当時料理界の権威、ステータスであった料理の鉄人とは、距離を置き挑戦者にも選ばれなかった。
パンツェッタ 貴久子(パンツェッタ・キクコ、旧姓谷澤、196… パンツェッタ 貴久子(パンツェッタ・キクコ、旧姓谷澤、1960年7月24日 - )は、日本の料理研究家。 東京生まれ。多摩美術大学日本画科卒業後、イタリア・ナポリに渡り、国立カポディモンテ磁器学校に留学。1988年、来日中だったイタリア人のパンツェッタ・ジローラモと結婚。 イタリア料理教室「ラ・ターヴォラ・ディ・タータ」主宰兼イタリア料理店「コチネッラ(coccineLLA・てんとう虫のイタリア語訳)」(東京・中目黒)のオーナー。著書に『ジローラモさんちの嫁入りレシピ』等がある。他にもジローラモとの共著や著書を翻訳したりしている。
河合 真理(かわい まり、1959年10月12日 - )は東… 河合 真理(かわい まり、1959年10月12日 - )は東京都出身の料理研究家、フード・コンサルタントである。 祖母は料理研究家の草分けの一人であった阿部なを。小学校5年生の時に両親が離婚。祖母との生活が始まった。毎朝、祖母の作った味噌汁と青汁を飲んで登校し、遠足などのお弁当は祖母の経営する料理店の板前が作ったものだった。そんな立派なお弁当が恥ずかしくて、中学生になってからは毎日の弁当を自分で作るようになったという。 青森県出身の阿部なをは津軽の郷土料理をもとに、チーズやバターをアレンジした当時としてはモダンな料理を発表していた。津軽の訛りそのままできょうの料理に出演した。夫は画家の阿部合成。
江上 佳奈美(えがみ かなみ、1959年2月27日 -)は、… 江上 佳奈美(えがみ かなみ、1959年2月27日 -)は、日本の料理研究家。江上料理学院副院長。フードアドバイザー。株式会社ラボラトール・エガミ取締役。フランス鑑評騎士の会会員。 1959年、料理研究家江上栄子(現・江上料理学院院長)の長女として東京都に生まれる。父方の祖母は江上料理学院創設者江上トミ。 1981年、学習院大学文学部フランス文学科卒業。ル・コルドン・ブルー料理学校卒業。1989年、江上料理学院副院長に就任する。それ以来、江上料理学院の授業のほか、各地の料理講習会の講師を務める。マルコメ、ホクトといった食品メーカー、外食、食品流通各社のアドバイザーを務め、商品の開発や企画を行う。
井上 絵美(いのうえ えみ、1959年 - )は、日本の料理… 井上 絵美(いのうえ えみ、1959年 - )は、日本の料理研究家である。 慶應義塾幼稚舎を経て聖心女子大学卒業。 大学卒業後に渡仏し、辻調理師専門学校フランス校リヨンにてフランス料理、ルノートル製菓学校パリでフランス菓子を学んだ。日本に帰国後、料理教室を設立し、「エコール・エミーズ」という総合的に「食」を学ぶスクールを主宰している。 父は映画監督の井上梅次、母は元タカラジェンヌの娘役トップで宝塚歌劇団卒業生で女優の月丘夢路、叔母は宝塚音楽学校卒業生で女優の月丘千秋と松竹映画『花ある星座』や日活映画『美徳のよろめき』に出演した月丘洋子。
冬木 れい(ふゆき れい、1959年 - )は、日本の料理研… 冬木 れい(ふゆき れい、1959年 - )は、日本の料理研究家、料理サロン・大きな竈を主宰。良い食品づくりの会・会友、希望郷いわて文化大使、栃木市ふるさと大使、国際薬膳師、本草薬膳研究会副会長。夫は作家の大岡玲。 栃木県出身。真言宗豊山派の寺に生まれる。栃木県立栃木女子高等学校を経て、学習院大学法学部を卒業。 幼少時より行事料理、郷土料理に興味を持ち、1999年より料理サロン・大きな竈を主宰している。岩手県や栃木県を中心に、地方食材を活用したレシピの執筆や商品開発を行っている。 江戸料理に造詣が深く、栃木市の町おこし事業・とちぎ江戸料理のアドバイザーを務めるほか、NHKドラマの幕末グルメドラマ・ブシメシ!の料理監修も手がけている。
小野 員裕(おの かずひろ、1959年 - 2024年5月1… 小野 員裕(おの かずひろ、1959年 - 2024年5月1日)は、日本の文筆家、大衆料理研究家、出張料理人。 元祖カレー研究家。日本のカレー論評の第一人者で、横濱カレーミュージアムの初代名誉館長を務める(2001年〜2007年)。カレーやラーメンなど大衆料理を中心に辛口論評で知られる。また、明治大学等著名な大学でカレーの教鞭を執る。 北海道に生まれ、東京都練馬区で育つ。国士舘大学文学部卒業。17歳の頃からカレーの食べ歩きをしていた。 1984年、MG出版の編集者、1989年、芸文社の編集者として勤める傍ら、1994年『週末はカレー日和』を刊行。2001年、横濱カレーミュージアム初代名誉館長に就任。
若林 三弥子(わかばやし みやこ、1958年 - )は、大阪… 若林 三弥子(わかばやし みやこ、1958年 - )は、大阪府大阪市淀川区塚本出身、神奈川県鎌倉市在住の日本の料理研究家である。元アナウンサーの若林理紗は長女。 3人姉妹の長女として誕生する。父親は元大阪市議会議員の北野禎三で、父の後継者として市議会議員をしている北野妙子は実妹である。大阪市立塚本小学校、大阪市立新北野中学校を経て北野高校に進学し(なお、父(66期)・妹2人も北野の卒業生である事から、地元では『北野3姉妹』と呼ばれていた)、卒業後に同志社大学法学部に進学した。 大学卒業後は三菱商事に入社し、同僚の男性と職場結婚をした。夫の転勤に伴い海外各国を転々とする。帰国後、鎌倉市内の自宅にて料理教師を始めた事が切っ掛けで好評となり、料理研究家としての道を歩み始める。
土井 善晴(どい よしはる、1957年2月8日 - )は、日… 土井 善晴(どい よしはる、1957年2月8日 - )は、日本の料理研究家、フードプロデューサー。早稲田大学文化構想学部非常勤講師・早稲田大学感性領域総合研究所招聘研究員・立命館大学客員研究員。元芦屋女子短期大学講師。
陳 建一(ちん けんいち、1956年〈昭和31年〉1月5日 … 陳 建一(ちん けんいち、1956年〈昭和31年〉1月5日 - 2023年〈令和5年〉3月11日)は、中華料理(四川料理)の料理人、調理師、料理研究家。勲等は旭日小綬章。本名は東 建一(あずま けんいち)。 四川飯店店主、民権企業株式会社社長、社団法人日本中国料理協会会長などを歴任した。 中華料理店「四川飯店」のオーナーであり、同店の運営会社である民権企業の社長を務めていた。テレビ番組『料理の鉄人』への出演でも知られる。日本中国料理協会の会長に推され、2011年5月に就任しており、全日本・食学会においても理事を務めるなど、要職を歴任した。 東京都生まれ。四川料理の第一人者である父の陳建民と日本人の母の間に生まれた。
枝元 なほみ(えだもと なほみ、1955年〈昭和30年〉3月… 枝元 なほみ(えだもと なほみ、1955年〈昭和30年〉3月22日 - 2025年〈令和7年〉2月27日)は、日本の料理研究家。本名は東 菜穂美(あずま なほみ)。愛称は「エダモン」。 神奈川県横浜市生まれ。横浜市立中田中学校、神奈川県立横浜平沼高等学校を経て、明治大学文学部英米文学科を卒業した。 1981年、太田省吾を中心とした劇団「転形劇場」の研究生となり、役者として活動するかたわら無国籍レストランに勤務した。その後、1988年に料理研究家としてデビューし、雑誌やテレビなどで活動した。料理研究家の阿部なをについて、「いまでも師匠だと思っている」と語っている。 NHK『きょうの料理』、NHK教育テレビ『ひとりでできるもん!どこでもクッキング』、CBCテレビ『キユーピー3分クッキング』などの料理番組に講師として出演した。
浜内 千波(はまうち ちなみ、1955年1月1日 - )は、… 浜内 千波(はまうち ちなみ、1955年1月1日 - )は、日本の料理研究家。徳島県海部郡海陽町(旧海南町)出身。大阪成蹊女子短期大学(現・大阪成蹊短期大学)栄養科卒業。 徳島県の徳島県立海南高等学校を経て、大阪成蹊女子短期大学(現・大阪成蹊短期大学)栄養科を卒業。大阪の証券会社にて3年間勤務。1978年、23歳の時に単身、大阪から上京。岡松料理研究所へ入所し、岡松喜与子先生の弟子となる。1980年に東京都中野区中野坂上に「ファミリークッキングスクール」を開校する。1990年に株式会社ファミリークッキングスクールの社長に就任。2006年にキッチン用品「Chinami」のブランドを立ち上げる。現在ではテレビや雑誌などでも活躍している。
塩田 ノア(しおだ ノア、 1955年 - )は、日本の料理… 塩田 ノア(しおだ ノア、 1955年 - )は、日本の料理研究家。 1955年、作家・評論家の父、塩田丸男と料理研究家の母、塩田ミチルの一人娘として東京都に生まれる。 結婚後に料理を覚えた母・ミチルとは違い幼少時から料理を始め、小学校高学年の頃には既にかなりの腕前だった。慶応義塾大学経済学部卒業、銀行に10年間勤務。24歳の時に結婚したが、29歳で離婚、3年後に銀行も退職した。退行後はしばらく母ミチルのアシスタントを務めた。1993年にイタリアに留学、まず語学学校のあるトスカーナ州シエーナに住み、イタリア語に磨きをかけながら料理を習った。その後エミリア=ロマーニャ州ボローニャに下宿し、同地を中心に主に家庭料理を習い、料理教室にも通った。
杵島直美(きじまなおみ、1954年1月8日 - )は、日本の… 杵島直美(きじまなおみ、1954年1月8日 - )は、日本の料理研究家。東京都出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
堀井 和子(ほりい かずこ、1954年 - )は日本のスタイ… 堀井 和子(ほりい かずこ、1954年 - )は日本のスタイリスト・粉料理研究家・エッセイスト。 東京都生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科卒業。結婚後、フリーの料理スタイリストに。夫の転勤に伴い、1984年からの3年間、ニューヨークに暮らす。1987年に帰国後は、食に関するエッセイやレシピ本を多数執筆。エッセイでは写真も自ら手掛けることが多い。
潟口 いくこ(かたぐち いくこ 、1954年 - )は、東京… 潟口 いくこ(かたぐち いくこ 、1954年 - )は、東京都出身の料理研究家。 武蔵野美術大学卒業。マドモアゼルいくこ名義で料理本を出版している。本来の専門は油絵であるため、著作内の挿絵も手掛ける。 彼女の著書には完成品の写真がほとんど掲載されず、潟口自身が手がける挿絵でのみ、その料理の概要が判るという特色がある。これは料理本としては異例のことである。また、発表された時代柄、バターよりマーガリンを使用したレシピが多い。
古川 年巳(ふるかわ としみ、男性、1953年2月22日 -… 古川 年巳(ふるかわ としみ、男性、1953年2月22日 - )は、日本の料理研究家。福岡県出身・在住、血液型O型。中村学園大学卒業。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、食品・食文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:食)。
グッチ 裕三(グッチ ゆうぞう(ゆうぞお)、1952年〈昭和… グッチ 裕三(グッチ ゆうぞう(ゆうぞお)、1952年〈昭和27年〉2月27日 - )は、日本のタレント・歌手・作曲家・料理愛好家。長良グループの長良マネジメント所属。本名は高田 裕(たかた ゆたか)で、旧芸名は、高田 裕三(たかた ゆうぞう)。 東京都板橋区出身。暁星小学校、暁星中学校・高等学校卒業。血液型はA型。歌手の田中星児は従兄にあたる。 暁星高校卒業後、米軍キャンプやクラブ等で音楽活動を開始。ブルーエンジェル(モト冬樹、エド山口)、スリーチアーズ・アンド・コングラッツレイションズ(ウガンダ・トラ、宮本典子)など多くの人物といくつものバンドを組んで活動。当時は主にソウル・ミュージックを歌っていた。
宮本 和秀(みやもと かずひで、1951年5月12日 - )… 宮本 和秀(みやもと かずひで、1951年5月12日 - )は、日本の料理研究家。愛知県名古屋市出身。宮本料理プロダクション代表。 1974年 - 東京農業大学農学部栄養学科卒業。名古屋市内の料亭にて住み込みの修業を始める。 1977年 - フランスに渡り、レストランやベーカリーで2年間修業し、本場の料理や菓子の作り方を習得する。 1979年 - CBCラジオの番組、キユーピーラジオクッキングに出演する。 1980年 - CBCテレビ・キユーピー3分クッキングの初代講師を務めていた父であり同じ料理研究家である宮本三郎の後任として同番組に講師として出演する。1988年から1991年の3年間は、同番組の日本テレビ版でも講師を務めた。
星澤幸子(ほしざわ さちこ、(旧姓 小林)1951年4月10… 星澤幸子(ほしざわ さちこ、(旧姓 小林)1951年4月10日 - )は、北海道を中心に活動している料理研究家、料理キャスター。北海道空知郡南富良野町出身。星澤クッキングスタジオの主宰。YOSAKOIソーラン祭りの審査員の一人。
きよ彦(きよひこ、本名・大堀 清日古(おおほり きよひこ)、… きよ彦(きよひこ、本名・大堀 清日古(おおほり きよひこ)、1950年3月25日 - 2019年10月28日)は、日本の着物デザイナー、タレント、料理人、料理研究家。 福島県耶麻郡西会津町出身。福島県立西会津高等学校卒業。血液型はO型。趣味は宝塚観劇。 旅館の板前をしていた父と、農家出身の母の間に生まれる。 小学5年の時に両親が離婚。 母と妹と3人で暮らし、高校卒業後に上京。 サラリーマン、六本木のバーのオーナーを経て、1988年に京都の呉服問屋の勧めで着物のデザインを始める。花をモチーフにした斬新なデザインで知られる。 1990年代初頭からコメンテーター・タレントとしてテレビ番組に出演するようになる。
内山 昭一(うちやま しょういち、1950年- )は日本の昆… 内山 昭一(うちやま しょういち、1950年- )は日本の昆虫料理研究家。NPO法人昆虫食普及ネットワーク理事長、NPO法人食用昆虫科学研究会理事を務め、著作・講演・メディア出演などを通じて昆虫食の普及に携わっている。著書に『楽しい昆虫料理』『昆虫食入門』『昆虫を食べてわかったこと』『人生が変わる!特選昆虫料理50』『食べられる虫ハンドブック』などがある。 長野県長野市生まれ。幼少期から伝統的な昆虫食文化の中で育つ。学校卒業後、地元のパソコンメーカー勤務を経て書店に勤め、同人誌を立ち上げるなど文筆活動に取り組む。その後、専門学校でロシア語を学び、ロシア文学者の箕浦達二と知り合い、翻訳の手伝いを行った。
藤野 真紀子(ふじの まきこ、旧姓:金坂、1949年〈昭和2… 藤野 真紀子(ふじの まきこ、旧姓:金坂、1949年〈昭和24年〉9月15日 - )は、日本の政治家、料理研究家、エッセイストである。自由民主党に所属し、衆議院議員(1期)を務めた。 東京都千代田区生まれ。白百合学園幼稚園、白百合学園小学校、白百合学園中学校・高等学校を経て、聖心女子大学文学部を卒業。大学ではフランス史を専攻していた。 アメリカとフランスでの経験に基づいて、菓子や料理の研究や指導を行う。特にフランスの食文化を日本に伝える活動をしているほか、食を通じて豊かな心を育てる「食育」にも力を入れており、子供たちには菓子作りの楽しさ、母親には子供とのお菓子作りの大切さを伝えるとしている。 大学卒業の翌年である1973年(昭和48年)、当時運輸省の官僚であり、後に参議院議員を務めた夫、藤野公孝と結婚した。
福井 ミカ(ふくい みか、本名:福井光子、1949年4月17… 福井 ミカ(ふくい みか、本名:福井光子、1949年4月17日 - )は、料理研究家、シンガー。1970年代にロック・バンドのサディスティック・ミカ・バンドのミカとして、ボーカルとコーラスを担当したことで知られる。加藤和彦の元妻である。 1949年4月17日、京都府船井郡園部町(現在の南丹市)で材木商を営む福井三郎の長女として生まれる。妹が一人いる。父の生家は山を幾つも持つ、裕福な家だった。ミカが2歳の時、一家は京都市東山区に移り住む。活発な性格のミカは、男の子とばかり遊んでいた。ビー玉、メンコ、時代劇遊びなど、ワンパク坊主たちを従えてのガキ大将となる。 中学のころから、ポップスやモダンジャズにのめり込む。
河村 通夫(かわむら みちお、1948年〈昭和23年〉3月1… 河村 通夫(かわむら みちお、1948年〈昭和23年〉3月11日 - )は、日本のラジオパーソナリティ、ナチュラリスト、料理研究家、ミュージシャン。 身長173cm、血液型O型。滋賀県生まれ、京都府京都市左京区出身。 滋賀県で生まれ、幼少期と青年期を京都で過ごす。 農協職員や料理講師だった母からは料理、竹細工職人のおじからはカンナの刃の研ぎ方をはじめ、木工の技術を学ぶ。また中学時代には石に興味を持ち地学部に入り石の研究でユネスコのコンクールで表彰される。その後京都府立鴨沂高等学校に入学し能狂言部や新聞部を経て、アコースティックギターを覚えアメリカ民謡同好会を設立しフォークソングに傾倒。 父や高校の教師から「国家から離れ在野で生きるべき」と言われ生き方に悩む中見聞を広めるべく北海道への移住を志し高校3年の夏休みから札幌市内の割烹での修行を行い、1969年にフォーク喫茶・ライブハウス「パフ」を開業し経営に携わり、札幌市東区の自宅の庭で家庭菜園を始め5年間住んだ後26歳で苗穂に引っ越し畑を広げ野菜の有機栽培を試みる。
山本 麗子(やまもと れいこ、1947年6月15日- )は、… 山本 麗子(やまもと れいこ、1947年6月15日- )は、宮城県出身の料理研究家(クッキングプロデューサー)。日本体育大学女子短期大学部卒業。 4歳から東京で暮らし、台湾で生活をした両親の影響で中国料理に目覚め、今も年に数回中国に出掛ける。20代にフランス料理を食べ歩き。フランスを中心にヨーロッパ等で料理を学ぶ。その後、香港をはじめとしてアジア料理の研究を重ね、広く和洋中の料理を探求。リヨンのピラミッドで衝撃的なタルトタタンに出会い、ケーキ、デザートの道に入る。1994年、長野県北佐久郡北御牧村(現在の東御市)に移住し、自宅で料理、お菓子教室を主宰している。北は北海道、南は沖縄から通う受講生もいる。
堀江 ひろ子(ほりえ ひろこ、1947年5月1日 - )は、… 堀江 ひろ子(ほりえ ひろこ、1947年5月1日 - )は、日本の料理研究家、栄養士。 宮崎県出身。日本女子大学家政学部食物学科卒業。父の堀江正夫は元参議院議員。夫は大学教授の山崎素直。母も料理研究家の堀江泰子であり、長女ほりえさわこも料理研究家として活動。 ボランティアで老人給食の指導にも当たっている。身近な材料で簡単に手早く作れる家庭料理や電子レンジ、スピードカッター、圧力鍋などを活用する、うまく手抜きをするなど主婦の視点でのメニュー開発を得意としている。
平野 レミ(ひらの レミ、1947年(昭和22年)3月21日… 平野 レミ(ひらの レミ、1947年(昭和22年)3月21日 - )は、日本の料理愛好家、タレント、シャンソン歌手。戸籍名:和田 レミ(わだ レミ、旧姓:平野)。父はフランス文学者の平野威馬雄。夫はイラストレーターの和田誠。長男はTRICERATOPSの和田唱。長男の妻は女優の上野樹里。次男の妻はモデルで食育インストラクターの和田明日香。祖父は日本美術史家で法律家のヘンリイ・パイク・ブイ。
高城 順子(たかぎ じゅんこ、1947年1月25日 - )は… 高城 順子(たかぎ じゅんこ、1947年1月25日 - )は、日本の料理研究家。栄養士。大阪府出身。有限会社タカギ代表。 大阪府に生まれ、名古屋で育つ。女子栄養短期大学食物栄養科卒業後、世界各地のレストランや料理教室などを訪ね、調理法と味覚に関する研究を行う。和・洋・中の専門家(東畑朝子・木村春子・川上のぶ)に師事した後、料理教室の講師を経てフリーになる。その後は「臨機応変に、材料がなければないで工夫する」をモットーに、旬の食材を使って、形式にとらわれずシンプルで手軽に作れる本格的な料理のレシピを考案し紹介している。栄養学に基づいた身近な材料を用いたおかずは、誰にでも作れる美味しいレシピとして定評がある。
坂本 廣子(坂本広子、さかもと ひろこ、1946年12月19… 坂本 廣子(坂本広子、さかもと ひろこ、1946年12月19日 - 2018年6月28日)は、日本の料理研究家。イラストレイターの坂本佳奈は娘。 兵庫県神戸市出身。旧姓・原田。1969年同志社大学文学部英文学部卒。美作大学大学院卒。2016年「学校外食育の指導方法に関する研究」で学術博士。幼児期からの食育の重要性を説き、NHK「ひとりでできるもん!」監修を務めた。相愛大学客員教授。 2018年6月28日、肺血栓症のため死去。71歳没。
斉藤 美穂(さいとう みほ、1946年 - )は、日本の料理… 斉藤 美穂(さいとう みほ、1946年 - )は、日本の料理人、料理研究家、ショコラティエール。 生誕地は非公表。フェリス女学院大学卒業。かつて三菱自動車工業の副社長を務めた伊藤皆美の長女である。また、東海銀行(現三菱UFJ銀行)の常務営業本部長を務めていた伊藤是介は叔父にあたる。 1984年8月、三井物産に勤務していた夫の赴任先であるメキシコシティに移住の後、パリ16区の三つ星レストラン「ジャマン」のジョエル・ロブションの弟子の元で2年間短期修行。主婦の趣味だと思われたが、斉藤の本気の姿を見て認められる。 その後パリへ渡り、日本人女性として初めてフランスの第一人者のシェフ、ジョエル・ロブションに学ぶ。
バーバラ寺岡(バーバラ てらおか、本名;寺岡 たみ子、194… バーバラ寺岡(バーバラ てらおか、本名;寺岡 たみ子、1945年〈昭和20年〉3月 - 2017年〈平成29年〉6月2日)は、料理研究家。「バーバラ」(ハンガリー語の「ボルバーラ」(Borbála [ˈborbɑ̈ːlɒ]) を英語読みしたもの)という名前は彼女の祖母の名前であり、仕事をするようになった際に姓名判断により選んだ名前である。白百合学園卒業。 ハンガリーのブダペストに、日本公使だった寺岡洪平と美顔術師の母親・ユーハース・エリザベス(ハンガリー語の「ユハース・エルジェーベト」(Juhász Erzsébet [ˈjuhɑ̈ːs ˌerʒe̝ːbɛt]) を英語読みしたもの)の間に生まれる。
上村 泰子(かみむら やすこ、1944年10月11日- )は… 上村 泰子(かみむら やすこ、1944年10月11日- )は日本の料理研究家、フードコンサルタント。鹿児島県出身。フード・アイ社長。 この項目は、食品・食文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:食)。
柳原 一成(やなぎはら かずなり、1942年9月25日 - … 柳原 一成(やなぎはら かずなり、1942年9月25日 - 2022年1月29日)は、日本の料理研究家である。近茶流宗家。東京都出身。暁星小学校、暁星中学校・高等学校、東京農業大学農学部卒業。 父は先代宗家の柳原敏雄(1912年 - 1991年)で、息子は近茶流嗣家の柳原尚之である。 日本料理の指導だけでなく、食材に研究、テレビ番組の出演やテレビドラマの料理指導のスタッフして活躍していた。 本職だけでなく母校の東京農業大学の客員教授・儀礼文化学会の常務理事も務めていた。 東京都港区に自宅、長野県軽井沢町に別荘と畑があり、両地をよく行き来していた。 2022年1月28日夜、群馬県安中市の国道18号を自身が運転する軽ワゴン車で走行中、側道との分岐にある縁石にぶつかり横転した。
村上 祥子(むらかみ さちこ、1942年2月18日 - )は… 村上 祥子(むらかみ さちこ、1942年2月18日 - )は、日本の料理研究家、管理栄養士。福岡県出身。電子レンジを用いたレシピを積極的に開発したことから、電子レンジ調理の第一人者と評される。 福岡県立八幡高等学校を経て、福岡女子大学家政学部を卒業した翌月に結婚。夫の転勤先で同僚の妻に料理を教えたことがきっかけで、社宅で料理教室を開くようになった。数々の料理コンテストに出演する一方で、1985年から母校の福岡女子大学で栄養指導講座も担当した。それ以来「ちゃんと食べてちゃんと生きる」をモットーに「食べ力」をつけることへの提案、および実践的な食育指導を行う。特に、電子レンジを使った簡単な調理法によるレシピを積極的に開発し、電子レンジ調理の第一人者と評される。
結城 貢(ゆうき すすむ、1940年〈昭和15年〉8月6日 … 結城 貢(ゆうき すすむ、1940年〈昭和15年〉8月6日 - 2022年〈令和4年〉4月24日)は、日本の料理研究家。愛称は「結城先生」。 旧満州旅順(現在の中華人民共和国遼寧省大連市旅順口区)に生まれ、香川県の善通寺市で育った。香川県立善通寺第一高等学校、日本大学経済学部卒業後、野村證券入社。3年間サラリーマン生活を送った後、料理の道へ進んだ。ロシア料理店で修業後、原宿に会員制割烹料理「結城」を開店、フジテレビのプロデューサーが多く通っていた縁で同局の番組に出演するようになる。 1980年代にオールナイトフジの「結城先生の真夜中のお料理教室」や料理番組『夕食ばんざい』に出演した。独特のダミ声と頑固親父のキャラクターで人気を博し、フジテレビの女子アナウンサーや女性アイドルなど多くが結城の洗礼を受けている。
高森 直史(たかもり なおふみ、1939年(昭和14年) -… 高森 直史(たかもり なおふみ、1939年(昭和14年) - )は、海上自衛官、海軍史・海軍料理研究家、管理栄養士。本名は、日浦直史。最終階級は1等海佐。 熊本県人吉市出身。1959年(昭和34年)、佐伯栄養専門学校卒業。1960年(昭和35年)、海上自衛隊に入隊(2等海士)。1965年(昭和40年)、海上自衛隊幹部候補生学校卒業。防衛大学校教官、護衛艦補給長、航空群司令部幕僚、海上幕僚監部人事課、護衛艦隊司令部幕僚、海上幕僚監部衣糧班長、同給与班長、第4術科学校研究部長、舞鶴地方総監部経理部長を歴任。1986年(昭和61年)、1等海佐に昇任。1994年(平成6年)、退官。 旧海軍料理書から「肉じゃが」のルーツを発掘し、舞鶴や呉の町おこしに協力。
河内さくら(かわち さくら、1938年 - )は、日本の郷土… 河内さくら(かわち さくら、1938年 - )は、日本の郷土料理研究家。新潟県新潟市沼垂出身。 東京家政大学家政学部児童栄養科専攻卒業後、新潟大学附属新潟小学校・新潟大学附属新潟中学校に勤務した後、1963年、さくらクッキングルームを開設する。 1984年に放送が開始された新潟県のローカル料理番組「NST河内さくらの料理教室」に出演し、1993年まで9年間に亘ってレギュラー講師を務めた。「明るく人生を過ごすためには、まず健康でなければならない。健康でいるためには食事が大事であること。」をモットーに、マスメディアを通して郷土料理、家庭料理の普及をはかり、新潟県内の経済連や各地公民館などで講演活動を行う。
小林 カツ代(こばやし カツよ、1937年(昭和12年)10… 小林 カツ代(こばやし カツよ、1937年(昭和12年)10月24日 - 2014年(平成26年)1月23日)は、日本の料理研究家・エッセイストである。神楽坂女声合唱団創設者、団長。血液型O型。 料理研究家として、簡単ではあるが手抜きではない料理を研究、紹介しており、生涯で出版した著書は200冊を超える。また、台所用雑貨や食器のプロデュース、講演活動も行っていた。 長男のケンタロウも料理研究家。選択的夫婦別姓制度実現をめざす民法改正運動を行っているmネット(民法改正情報ネットワーク)の呼びかけ人でもあった。 1937年(昭和12年)、大阪市で製菓材料の卸問屋を経営する一家に生まれた。幼少のころ父や母に大衆食堂、フランス料理店、高級中華料理店、日本料理店に連れていかれたため舌は肥えていたという。
赤堀 千恵美(あかほり ちえみ、1936年6月6日 - 20… 赤堀 千恵美(あかほり ちえみ、1936年6月6日 - 2019年3月25日)は、日本の料理研究家。赤堀料理学園名誉校長。本名は赤堀 綾子。 1959年、日本女子大学家政学部卒業。翌1960年に赤堀料理学園理事長であった赤堀有宏と結婚。(有宏は代々料理指導を家業とする赤堀全子の長男で、早稲田大学大学院文学研究科修了後、北海道放送に入り、1960年に退社後、家業の赤堀料理学園理事兼副校長となり、1963年より5代目学園理事長を務めた。) 1965年9月20日に長女・赤堀 博美、1969年5月8日に次女・赤堀 友美、1970年9月15日に長男・赤堀 有一が誕生。 1972年6月6日、千恵美36歳の誕生日に、夫の有宏が死去(享年41歳)。
脇山 順子(わきやま じゅんこ、1936年 - )は、日本の… 脇山 順子(わきやま じゅんこ、1936年 - )は、日本の料理研究家。元長崎女子短期大学教授。長崎の味研究グループ代表を務め、長崎の食文化について研究している。 1936年、長崎県長崎市生まれ。長崎市立桜馬場中学校、長崎県立長崎東高等学校を経て、長崎大学学芸学部(現・教育学部)を卒業。 長崎女子商業高等学校の家庭科教員、長崎総合科学大学附属高等学校の非常勤講師を経て、1983年から2002年まで長崎女子短期大学で調理学・食育学を教えた。その後も県立長崎シーボルト大学やこころ医療福祉専門学校などで非常勤講師を務めた。 長崎の食文化についての研究に努め、ながさきの「食」推進委員会食育部会会長や長崎市地産地消アドバイザーを歴任。
江上 栄子(えがみ えいこ、1935年9月28日 - )は、… 江上 栄子(えがみ えいこ、1935年9月28日 - )は、日本の料理研究家。江上料理学院学院長、一般社団法人全国料理学校協会理事、特定非営利活動法人NPO日本食育インストラクター協会副理事長、東日本料理学校協会名誉会長。フランスチーズ鑑評騎士の会(チーズシュバリエ)理事長。フランス政府より農事勲章オフィシェを受賞。 高名な料理研究家であった江上トミの長男と結婚し、トミの死後にトミが創設した江上料理学院院長を継いだ。日本テレビの「キユーピー3分クッキング」に1981年4月-1985年3月までの4年間と、1988年8月6日・8月13日・8月20日・8月27日の毎週土曜日、1989年10月-1992年10月までの3年間と1995年4月- 1996年3月までの1年間(合計で8年間と4日)出演し、レギュラー講師と土曜日・講師、隔週土曜日の講師を務めた。
田川 律(たがわ ただす、1935年3月15日 - 2023… 田川 律(たがわ ただす、1935年3月15日 - 2023年1月28日)は、日本の音楽評論家、舞台監督、歌手、料理研究家、翻訳家、ミステリ評論家。 1935年、大阪市生まれ。本名、永島律〈ながしま・ただす〉。1960年、大阪大学文学部国史学科卒業。 関西フォークの全盛期に、鑑賞団体「大阪労音」事務局に勤務。大阪労音事務局時代に、助言者的な立場で関わっていた音楽評論家の中村とうよう、飯塚晃東と知り合う。 1968年、東京に移る。 1969年4月に飯塚晃東、小倉エージらとともに、中村とうようを編集長とする雑誌「ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)」創刊に参加。 1970年、フリーとなり、音楽評論、舞台監督、レコーディングディレクターなど様々な音楽関連の仕事を体験。
渡口 初美(とぐち はつみ、1935年1月15日 - 202… 渡口 初美(とぐち はつみ、1935年1月15日 - 2020年11月26日)は、日本の料理研究家、政治家。那覇市議会議員。 沖縄県那覇市出身。父親は実業家・政治家の高良一。沖縄県立那覇高等学校卒業、東京国際クッキングスクール卒業。 沖縄県那覇市三原の郷土料理店「まんがん」を経営。また、琉球料理研究家として活動。主な著書として『渡口初美の琉球の家庭祭祀』『沖縄の葬祭と祖先供養』『琉球料理と御火の神様』など、沖縄の年中行事、祖先供、伝統料理などの書籍がある 。日本各地での琉球料理の講習会の開催でも活動している。料理漫画『美味しんぼ』では単行本28巻で、主人公に料理を提供する役として登場している。 2020年11月26日、肺炎のため那覇市内の病院で死去。
牧野 哲大(まきの てつひろ、1934年9月- )は、日本の… 牧野 哲大(まきの てつひろ、1934年9月- )は、日本の料理研究家。人形作家。 愛知県一宮市生まれ。東京栄養食糧学校卒。同愛記念病院に栄養士として勤務。1960年に中原淳一主宰の雑誌『ジュニアそれいゆ』に料理記事を連載。女性週刊誌ではじめて料理をカラーグラビアで発表し、その後テレビ、ラジオ、新聞等でも活躍。ヨーロッパの事情に詳しく、料理と文学を結びつけるなど、ユニークな発想も得意。1962年からNHK「きょうの料理」に出演、日本初の男性料理評論家とも。人形作家としては銀座和光ギャラリーで、80年以降、仏蘭西人形の個展を8回行う。
甘糟 幸子(あまかす さちこ、1934年6月18日 - )は… 甘糟 幸子(あまかす さちこ、1934年6月18日 - )は、静岡県生まれのエッセイスト、作家、野草料理研究家。 1934年(昭和9年)、静岡県沼津市に生まれる。早稲田大学第二文学部露文科中退。在学中に東京大学新聞の第1回五月祭賞を小説で受賞。在学中より雑誌のフリーライターとして活動する。1960年(昭和35年)5月には向田邦子らと女性3人のフリーライター事務所「ガリーナクラブ」を開く。結婚後、娘のりり子が3歳の頃の1968年(昭和43年)3月末に横浜から鎌倉に移住。1974年(昭和49年)、通信社の人にすすめられて書いた食べられる野草についての新聞連載エッセイが好評となり、のちに『野草の料理』として本にまとめられる。
丸元 淑生(まるもと よしお、1934年2月5日 - 200… 丸元 淑生(まるもと よしお、1934年2月5日 - 2008年3月6日)は、作家、料理研究家。 大分県生まれ。旧制の福岡中学校から、新制の福岡県立福岡高等学校に進み、卒業。東京大学文学部仏文科卒。大学在学中に出版書肆パトリアを創設し、演劇書や島尾敏雄『地の果て』を出すが、1年で倒産、1957年株式会社パトリア書店を創設、刊行した土門拳の写真集『筑豊のこどもたち』が話題になるも、会社は倒産。 1958年『女性自身』創刊以来フリーライターとして執筆、村上進の筆名で『週刊新潮』に「黒い報告書」も書いた。1965年、『週刊女性』に社外から編集長に抜擢され、松村栄の筆名で読者の悩みに応える「わが愛の悩み」を書いたりして低迷していた部数を盛り返す。
鄭大聲(ちょん でそん、1933年8月10日- )は、在日韓… 鄭大聲(ちょん でそん、1933年8月10日- )は、在日韓国人の朝鮮料理研究家、滋賀県立大学名誉教授。 京都府生まれ。本籍、韓国慶尚南道。1961年大阪市立大学大学院理学研究科修士課程修了。77年「黒カビAspergillus nigerのアミラーゼ系,特に耐酸性α-アミラーゼに関する研究」で理学博士。モランボン(株)研究所所長、国立民族学博物館共同研究員、大阪経済法科大学客員教授、滋賀県立大学人間文化学部教授、97年定年退官、名誉教授。