北御門 二郎(きたみかど じろう、1913年2月16日 - … 北御門 二郎(きたみかど じろう、1913年2月16日 - 2004年7月17日)は日本のレフ・トルストイ専門の翻訳家・文学研究者、農場経営者、平和主義者。トルストイの平和思想に共鳴し、農業を営みながら彼の作品を翻訳した。良心的兵役拒否をしたことでも知られる。
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北御門 二郎(きたみかど じろう、1913年2月16日 - … 北御門 二郎(きたみかど じろう、1913年2月16日 - 2004年7月17日)は日本のレフ・トルストイ専門の翻訳家・文学研究者、農場経営者、平和主義者。トルストイの平和思想に共鳴し、農業を営みながら彼の作品を翻訳した。良心的兵役拒否をしたことでも知られる。
大崎 正二(おおさき しょうじ、1913年1月18日 - 2… 大崎 正二(おおさき しょうじ、1913年1月18日 - 2003年)は、日本の著述家、翻訳家。 旧制福岡県嘉穂中学校卒。1935年に東京外国語学校仏語科卒業、大倉商事に入社。1937年から1944年までパリ支店勤務、次いでベルリン支店に移り、敗戦直前にシベリア経由で帰国。戦後、ロンドン支店長、パリ支店長を経て退職。その間、東京外国語大学講師。フランス文学の翻訳を行った。
川本 茂雄(かわもと しげお、1913年1月3日 - 198… 川本 茂雄(かわもと しげお、1913年1月3日 - 1983年8月1日)は、日本の言語学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 東京市本郷区生まれ。1937年早稲田大学文学部卒業。早稲田大学文学部教授を務め、1982年定年、名誉教授。フランス語、英語を研究し、諸種の言語学文献を翻訳した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
松田 銑(まつだ せん、1913年 - 2002年)は、日本… 松田 銑(まつだ せん、1913年 - 2002年)は、日本の翻訳家、編集者。岡山県岡山市出身。 1913年(大正2年)岡山県岡山市に生まれる。旧制岡山第一中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)、旧制第六高等学校を経て、1939年(昭和14年)東京帝国大学経済学部を卒業する。実家の家業を手伝うが、戦時下、上京して農業関係の団体に就職。横浜正金銀行、日本銀行、ワシントンD.C.の世界銀行、メルボルンのオーストラリア放送協会、『リーダーズ・ダイジェスト』日本語版編集長などを務め、翻訳家となる。アレックス・ヘイリー『ルーツ』の翻訳で知られる。 映画監督の内田吐夢の甥にあたる。
大沢 寛三(おおさわ ひろみ、1913年 - 2001年12… 大沢 寛三(おおさわ ひろみ、1913年 - 2001年12月8日)は、日本の美術史家、翻訳家。 東京生まれ。早稲田大学仏文科卒。朝日新聞記者。女子美術大学講師。1978年、ひろしま美術館副館長。千葉そごう美術館館長。
塙 英夫(はなわ ひでお、1912年10月25日 - 198… 塙 英夫(はなわ ひでお、1912年10月25日 - 1988年2月20日)は、日本の作家、翻訳家、左翼活動家。 東京生まれ。本名・正。千葉県立旧制匝嵯中学校を経て第一高等学校に進学するが、伊藤律らと非合法政治活動に加わり、1931年に校友会雑誌に発表したものが問題となり検挙され中退。満州に渡り農村工作に当たる。 1941年、「アルカリ地帯」が『中央公論』懸賞小説に当選し掲載。一方で検挙され奉天の監獄に入る。 敗戦後、引き揚げの手助けをして1947年帰国。1953年、引き揚げの経験を描いた『背教徒』で芥川賞候補、同年「すべて世はこともなし」で再度候補。 日本教職員組合関係の仕事に就いて翻訳を行った。
曽根 元吉(そね もときち、1912年10月12日 - 20… 曽根 元吉(そね もときち、1912年10月12日 - 2000年9月28日)は、日本の翻訳家・編集者。専門はフランス文学。本名・谷口 正元。明治大学教授などを歴任。 京都帝国大学文学部仏文科卒業。1955年に、休刊していた文芸誌『同時代』の再刊に参加。同志社大学、大谷大学各講師を経て、関西日仏学館教授、明治大学教養部教授などを歴任。 東京創元社編集長もつとめ、『ジャン・コクトー全集』を編纂した。息子は谷口正和。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
増野 正衛(ますの まさえ、1912年10月1日 - 198… 増野 正衛(ますの まさえ、1912年10月1日 - 1985年〈昭和60年〉3月10日)は、日本の英文学者、翻訳家。 1938年京都帝国大学文学部英文科卒、立命館大学助教授、京都工芸繊維大学教授、甲南大学教授、就実女子大学教授。ワイン研究家でもあった。 父親は、増野製作所創業者の増野清香。2代目社長の増野香次、3代目社長の増野鋼四郎は弟である。 東京府立第五中学校時代の同級生にNHKアナウンサーの田辺正晴がいる。
関根 文之助(せきね ぶんのすけ、1912年〈大正元年〉9月… 関根 文之助(せきね ぶんのすけ、1912年〈大正元年〉9月28日 - 1994年〈平成6年〉1月16日)は、日本の宗教学者、評論家、翻訳家、放送作家。キリスト教徒。 1912年(大正元年)9月28日、東京府東京市京橋区入船町(現・東京都中央区入船)に関根文治郎の次男として生まれる。日本学園卒、1934年(昭和9年)國學院大學文学部国文学科卒。麹町小学校、明治学院教諭を経て1947年(昭和22年)基督教教育同盟会主事。東洋英和女学院短期大学教授、聖書改訳委員を経て1961年(昭和36年)「日本精神史における一問題」で文学博士号を取得。 1965年(昭和40年)に共愛学園長となり、のち名誉学園長。
原 百代(はら ももよ、1912年9月16日 - 1991年… 原 百代(はら ももよ、1912年9月16日 - 1991年8月12日、女性)は、日本の作家、翻訳家。 東京生まれ。1934年に津田英学塾(現津田塾大学)卒業。戦前から英文翻訳業を行い占領下では、GHQ機関に勤務、独立後は翻訳家に戻った。 知人から贈られたヘレン・ミアーズ(Helen Mears、1900 - 1989)『Mirror for Americans.JAPAN』を読み感銘を受け著者の承諾を得て、1949年にCIE(民間情報教育局)へ翻訳許可を願い出たが認可されず、講和独立後の1953年に訳書『アメリカの反省』を上梓した(新訳は1995年に、伊藤延司訳『アメリカの鏡・日本』で刊行)。
蕗沢 忠枝(ふきざわ ただえ、女性、1912年9月4日 - … 蕗沢 忠枝(ふきざわ ただえ、女性、1912年9月4日 - 2001年)は、日本の翻訳家。 千葉県夷隅郡大多喜町出身で、旧姓は川崎 忠枝。1935年東京女子大学英文科卒業。武蔵野音楽学校講師を経て内務省勤務。推理小説、児童文学など英語文学を翻訳した。日本翻訳家協会理事(1965年、1966年時点)。「マガーク少年探偵団シリーズ」 で日本翻訳出版文化賞を受賞している。 夫の蕗沢紀志夫()(旧名:蕗沢喜芳())は、東京高等工業学校附設工業教員養成所(応用化学科)出身で、のちに英文学翻訳家、日本大学芸術学部講師となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
安士 正夫(やすし まさお、1912年9月3日 - 1970… 安士 正夫(やすし まさお、1912年9月3日 - 1970年10月4日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。東京都立大学名誉教授。筆名に中田 精一。 北海道小樽市生まれ。1937年東京帝国大学仏文科卒、東京都立大学教授を務めた。 バルザックが専門だが、ルソー『新エロイーズ』を初めて完訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
福田 恆存(ふくだ つねあり、1912年〈大正元年〉8月25… 福田 恆存(ふくだ つねあり、1912年〈大正元年〉8月25日 - 1994年〈平成6年〉11月20日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。現代演劇協会理事長、日本文化会議常任理事、日本芸術院会員などを務めた。名前については「こうそん」と音読みされることも多い。 保守派の文士であり、進歩的文化人を批判した『平和論にたいする疑問』(1955年)は、戦後思潮の転換点となる。討議倫理が戦後民主主義を軸とする進歩派にも影響を与えるなど、戦後日本を代表する思想家。 また、同時期には『ハムレット』(1955年)をはじめとするシェイクスピア戯曲の翻訳、演出を開始する。新劇を日本の近代化問題の象徴的な弱点と捉え、演劇の革新に取り組んだ。
佐藤 文樹(さとう ふみき、1912年8月10日 - 198… 佐藤 文樹(さとう ふみき、1912年8月10日 - 1987年6月27日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。九州大学名誉教授。18世紀フランス文学が専門。 東京府東京市下谷区(現東京都台東区)生まれ。1937年東京帝国大学文学部仏文科卒、陸軍経理学校経理部嘱託。1938年東調布高等女学校教諭。1939年東大付属図書館嘱託、1944年陸軍通訳官。1948年東洋大学教授。1949年九州大学助教授、1955年教授。1962年「ペイザン・バルブニユとタンザイとネアダルネの初版刊行年」で東大文学博士。1963 - 1964年フランス政府招聘教授、第1回仏蘭西派遣教授団団長として渡仏。1968年九州大学退官、上智大学文学部教授。
大羽 綾子(おおば あやこ、1912年6月8日 - 没年不明… 大羽 綾子(おおば あやこ、1912年6月8日 - 没年不明)は、日本の労働官僚・婦人問題評論家・翻訳家。 東京生まれ。父は元日本興業銀行理事の二宮基成(1873年2月3日 - 1920年1月9日)。東京女子大学英文科卒。労働省に入り、婦人労働課長。婦人雇用研究室長。国際婦人連絡会代表委員などを務め、女性の地位向上に尽くした。
森本 薫(もりもと かおる、1912年(明治45年)6月4日… 森本 薫(もりもと かおる、1912年(明治45年)6月4日 - 1946年(昭和21年)10月6日)は、日本の劇作家、演出家、翻訳家。代表作として『女の一生』や『華々しき一族』などがある。 1912年(明治45年)、大阪府西成郡中津町下三番(現・大阪市北区)に生まれる。中津第二尋常小学校、旧制北野中学校を経て第三高等学校文科へと進んだ。三高在学中は、ノエル・カワードやサマセット・モームなどのヨーロッパ近代戯曲を読みふけて過ごし、1932年(昭和7年)には処女作となる一幕ものの戯曲『ダムにて』を発表している。三高卒業後、京都帝国大学文学部英文科に進んだ森本は、入学から時を経ずして胸部疾患のために療養生活を余儀なくされた。
尾上 政次(おのえ まさじ、1912年3月14日 - 199… 尾上 政次(おのえ まさじ、1912年3月14日 - 1994年1月18日)は、日本の英語学・アメリカ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。 兵庫県姫路市生まれ。尾上作兵衛の六男。姫路高等学校を経て、1934年東京帝国大学英文科卒。1939年まで大学院に在籍し、大阪高等学校教授、武蔵大学教授、戦後1951年中央大学経済学部助教授、1953年文学部助教授、教授、1982年定年となり名誉教授。はじめアメリカ英語を研究し、のち文学研究、翻訳をおこなった。 1994年1月18日、急性心不全のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
原子 林二郎(はらこ りんじろう、1912年3月10日 - … 原子 林二郎(はらこ りんじろう、1912年3月10日 - 1980年6月25日)は、日本のジャーナリスト、ロシア語翻訳家、国際問題評論家。 戦前は同盟通信社の記者の傍らロシア文学を翻訳、戦後は時事通信社の記者として主としてロシア問題を論じていたが、1959年、社命によりボリス・パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』を初めて日本語に翻訳した。 秋田県生まれ。1933年、青山学院文学部英語師範科卒業。 1939年、同盟通信社入社。1945年、時事通信社に入社し、外信部長、モスクワ特派員、時事研究所長などを歴任。1971年退職。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
宮内 寒弥(みやうち かんや、1912年2月29日(戸籍上は… 宮内 寒弥(みやうち かんや、1912年2月29日(戸籍上は28日) - 1983年3月5日)は、日本の小説家、翻訳家。本名は池上 子郎。 岡山県岡山市生まれ。 宮内の父は元逗子開成中学校社会科教師の石塚巳三郎(1881年生)。巳三郎は1910年に七里ヶ浜で起きた逗子開成生徒のボート遭難事件で世間から猛批判を受けて逗子開成を辞し、四国八十八箇所巡礼の旅に出た。岡山で教員となり、その地で池上家へ婿養子に入り世間から身を隠すように苗字を変え、池上巳三郎となり、生まれた子が池上子郎、すなわち宮内寒弥である。 1923年に一家で南樺太に移住。1932年早稲田大学に入学し、同人雑誌『早稲田文科』などに作品を発表する。
桝本 セツ(ますもと せつ、1912年2月 - 没年不明)は… 桝本 セツ(ますもと せつ、1912年2月 - 没年不明)は、日本のロシア語翻訳家、政治運動家。岡邦雄の愛人として知られる。名前は節子とも。 長崎県生まれ。父は造船技師の桝本卯平、母は長崎の料亭で働いており、3歳のときに死別。日本女子大学附属女学校卒、東京女子高等師範学校中退。朝鮮京城で2年間ロシア語を学び帰国。唯物論研究会に入り、1936年に妻のある岡邦雄と恋におち、アパートに同棲。 1938年、岡とともに治安維持法違反で検挙される。1942年に男児、1944年に女児を生む。1946年、岡と日本共産党に入党。1957年に離党。1971年岡が死去する。
金子 幸彦(かねこ ゆきひこ、1912年1月5日 - 199… 金子 幸彦(かねこ ゆきひこ、1912年1月5日 - 1994年7月25日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。一橋大学名誉教授。 1912年、東京市・新宿津久戸町で生まれた。私立早稲田中学校を経て、東京外国語学校ロシア語科に進学。在学中に治安維持法違反で逮捕され勾留された。 卒業後は、逓信省勤務を経て、1948年に旧制東京商科大学予科非常勤講師となった。1951年、一橋大学社会学部専任講師に採用され、ロシア語を担当。1954年に助教授、1957年に教授昇格。この間、1953年から1972年まで北海道大学スラブ研究センター(現・北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター)客員研究員も兼ねた。1977年一橋大学を定年退官。
刈田 元司(かりた もとし、1912年1月3日 - 1997… 刈田 元司(かりた もとし、1912年1月3日 - 1997年3月8日)は、日本の英米文学者・翻訳家。上智大学名誉教授。 1912年、新潟県生まれ。1935年上智大学文学部英文科を卒業。1937年ジョージタウン大学大学院修士課程を修了。上智大学講師、1940年助教授、1945年教授。1955 - 1956年ハーバード大学に留学、1969 - 1972年上智大学文学部長、1983年に定年退職した。その後は中京大学教授として教鞭をとった。 1920年代のアメリカ文学を中心に広く研究、翻訳をおこなった。日本英文学会編集委員、評議員、理事、日本アメリカ文学会会長等を歴任した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
川口 正吉(かわぐち しょうきち、1912年 - 1982年… 川口 正吉(かわぐち しょうきち、1912年 - 1982年2月25日)は、日本の翻訳家。 新潟県三条市生まれ。中央大学経済学部卒業。英語の小説、ノンフィクションを翻訳。キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』がベストセラーになった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
斎藤 正直(さいとう まさなお、1911年10月11日 - … 斎藤 正直(さいとう まさなお、1911年10月11日 - 1994年4月7日)は、日本のフランス文学者、文芸評論家、翻訳家。明治大学文学部教授、学長も務めた。 東京外国語学校へ進むが学生運動で放校、小林秀雄の援助を受け、1934年明治大学文芸科に入学して里見弴、今日出海、豊島与志雄の教えを受け、豊島の娘と結婚。1939年には同人誌『批評』の創刊に参加。 戦後『近代文学』同人となり、助手から明大文学部仏文科助教授、教授として倉橋由美子らを教えた。ヴィクトル・ユゴー、ロマン・ロランなどを翻訳、長島良三、矢野浩三郎らの翻訳家を育てた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
海老池 俊治(えびいけ しゅんじ、1911年8月27日 - … 海老池 俊治(えびいけ しゅんじ、1911年8月27日 - 1968年7月3日)は、英文学者、翻訳家。 京都市生まれ。1931年東京帝国大学文学部美学美術史卒、34年同英文科卒。女学校教師などをしながら、英文学で斎藤勇に師事し、また横光利一に師事して創作も目指した。戦後1951年から68年まで一橋大学社会学部教授。
石 一郎(いし いちろう、1911年8月1日 - 2012年… 石 一郎(いし いちろう、1911年8月1日 - 2012年3月21日)は、日本のアメリカ文学者、作家、翻訳家。 茨城県生まれ。1935年東京帝国大学英文科卒。1942年北支に出征。戦後明治大学教授を勤め、1982年定年退職。ヘミングウェイ、スタインベックが専門で、『怒りの葡萄』の翻訳は広く読まれた。 2012年3月21日に老衰で死去。100歳没。 妻は俳人杉田久女の長女で俳人でもある石昌子(2007年1月に没)で、編著書が10数冊ある。 なお河出書房より小説『海のサムライ』を刊行しているが、姓名が似ている作家白石一郎の歴史小説に『海のサムライたち』がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
安藤 孝行(あんどう たかつら、1911年7月28日 - 1… 安藤 孝行(あんどう たかつら、1911年7月28日 - 1984年5月26日)は、日本の哲学者、翻訳家。岡山大学名誉教授。 1911年、愛知県西春日井郡豊山村(現:豊山町)生まれ。1929年、旧制・明倫中学校を出て、第八高等学校(文科甲類)に進学。1933年、京都帝国大学文学部哲学科に進んだ。大学では、田辺元らの指導を受ける。1936年に同大学を卒業し、大学院に進んだ。 1941年、第四高等学校教授に着任。太平洋戦争を経て、1949年に金沢大学助教授に就任。1951年、教授に昇格。1953年より立命館大学文学部教授。1958年からは文学部長を務めた。1956年、東京大学にて文学博士号を取得。1967年、岡山大学教授に転じた。
長門 美保(ながと みほ、1911年(明治44年)6月23日… 長門 美保(ながと みほ、1911年(明治44年)6月23日 - 1994年(平成6年)11月11日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、歌手、オペラ歌手、翻訳家(訳詞家)、歌劇団主宰者・総監督、オペラ演出家。本名は鈴木 美保。 福岡県若松市(現: 北九州市若松区)出身。3歳の時、家族とともにドイツに渡り、幼時をドイツで過ごす。小学校1年のとき帰国し、日本女子大学附属豊明小学校に半年遅れで編入。日本女子大学校附属高等女学校を経て、東京音楽学校に入学。在学中に東京音楽学校春期演奏会におけるマーラーの交響曲第2番(指揮: クラウス・プリングスハイム)のソリストとなる。1933年(昭和8年)同校を卒業し研究科に進む。
川田 周雄(かわた かねお、1911年6月13日 - 198… 川田 周雄(かわた かねお、1911年6月13日 - 1984年7月3日)は、日本の英文学者、翻訳家。 東京出身。漢学者で貴族院議員を歴任した川田甕江の孫。熱帯産業社長・川田鷹の四男で、叔父で歌人・住友総本社理事の川田順の養子となる。1937年京都帝国大学文学部英文科卒、京都大学医学専門学校教授、京都大学教養部助教授、教授、1974年定年退官、名誉教授、甲南大学教授。
森 亮(もり りょう、1911年6月7日 - 1994年3月… 森 亮(もり りょう、1911年6月7日 - 1994年3月19日)は、日本の英文学・比較文学者、詩人、翻訳家。 大阪府生まれ。東京帝国大学英文科卒。旧制松江高等学校教授、お茶の水女子大学教授。 「新体詩抄」や「海潮音」など明治期の訳詩集の研究のほか、小泉八雲の研究でも知られ、『小泉八雲作品集』を翻訳。また『ラフカディオ・ハーン作品集』の編集と解説を担当。 1992年に訳詩集『晩国仙果』で第43回読売文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
谷 友幸(たに ともゆき、1911年5月13日 - 1981… 谷 友幸(たに ともゆき、1911年5月13日 - 1981年7月24日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 東京市本郷区生まれ。1931年第六高等学校理科乙類卒業、1939年京都帝国大学文学部独文科卒業。戦後京大教養部助教授、1957年文学部助教授、1962年「ヘルダーリーン文学の基礎的研究」(未公刊)で文学博士、1967年教授、1975年定年退官、名誉教授。大谷大学文学部教授。初期にはライナー・マリア・リルケを主として研究、翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
松村 達雄(まつむら たつお、1911年4月29日 - 19… 松村 達雄(まつむら たつお、1911年4月29日 - 1990年8月13日)は、日本の英文学者、翻訳家。専門は英国近代小説。 1911年(明治44年)大阪市心斎橋生まれ。大阪高等学校 (旧制)を卒業後、東京帝国大学英文学科に入学。同大学院に進み、1938年(昭和13年)に修士課程を修了。 卒業後は世界経済調査会で研究員を務めた後、明治大学文学部教授に就任。戦後、東京大学教養学部教授を務めた。1972年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は玉川大学教授として教鞭をとった。
加納 秀夫(かのう ひでお、1911年3月9日 - 2003… 加納 秀夫(かのう ひでお、1911年3月9日 - 2003年9月2日)は、日本の英文学者、翻訳家。 1911年、広島県で生まれた。東京帝国大学文学部英文科で学び、1934年に卒業。 戦後、東京大学教養学部助教授に就いた。1953年、東京都立大学教授に転じ、のち青山学院大学教授。 専門は英文学で、ワーズワースなどのロマン派詩人からエリオット、イエーツなどの現代詩人を研究テーマとした。
長谷川 松治(はせがわ まつじ、1911年3月4日 - 19… 長谷川 松治(はせがわ まつじ、1911年3月4日 - 1998年1月28日)は、日本の言語学者、英語学者、翻訳家。 翻訳に多くの業績があり、1948年(昭和23年)ルース・ベネディクトの『菊と刀』の翻訳に携わった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中山 一郎(なかやま いちろう、1911年 - 1993年)… 中山 一郎(なかやま いちろう、1911年 - 1993年)は、日本の翻訳家、研究者。熊本県出身。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校)、第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。 東大卒業後、南満州鉄道に入社し、調査部などに勤務した。戦後、ソビエト抑留から帰還し、東京大学に勤務、東京大学社会科学研究所図書資料室長などを歴任した。 その傍ら、ロシア語の本の翻訳を行った。
小倉 多加志(おぐら たかし、1911年 - 1991年)は… 小倉 多加志(おぐら たかし、1911年 - 1991年)は、日本のイギリス文学者、翻訳家、実践女子大学名誉教授。本名・小倉皐(読みは同じ)。1934年京都帝国大学文学部英文科卒。戦後、定年退職まで実践女子大教授を務め、オスカー・ワイルドを専攻とする研究活動をする傍ら、対訳の英語教科書の執筆のほかに、推理小説などの数多くの文芸作品を翻訳した。日本バートランド・ラッセル協会設立発起人の一人。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
古崎 博(ふるさき ひろし、1911年 - 没年不詳)は、日… 古崎 博(ふるさき ひろし、1911年 - 没年不詳)は、日本の翻訳家、教育者。主に中東・イスラエル関連の著作の翻訳で知られる。また、鎮西学院(長崎県)関連の教育機関で理事長などを務め、オペラ『蝶々夫人』の原作小説の日本語訳を出版したことでも知られる。 東京帝国大学理学部を卒業後、三井物産に勤務。 1940年(昭和15年)、軍事物資である水銀調達の相談のため大連特務機関長・安江仙弘大佐を訪問した際、杉原千畝がリトアニアでユダヤ難民に大量の通過査証を発行していた話を聞き、その事実を記録した。この記録は戦後、杉原千畝の「命のビザ」に関する重要な証言資料の一つとなっている。 また、陸軍主計大佐の新庄健吉がアメリカの国力を調べるためにニューヨークに赴いた際、三井物産社員として調査に協力している。
角 邦雄(すみ くにお、1911年または1919年生まれ -… 角 邦雄(すみ くにお、1911年または1919年生まれ - ?)は、日本の翻訳家。 鳥取県米子市出身。関西大学文学部を中退または卒業。北海道新聞で外信部長をつとめる。のち、貿易会社の常務をつとめる。 はじめジョン・スタインベックなどのノンフィクションを翻訳、のち「犬もの」の翻訳で人気を博した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
山本 藤枝(やまもと ふじえ、1910年〈明治43年〉12月… 山本 藤枝(やまもと ふじえ、1910年〈明治43年〉12月7日 - 2003年〈平成15年〉7月7日)は、日本の児童文学作家、翻訳家、女性史研究家。 本名・フジヱ(旧姓・岡村)。筆名に露木 陽子(著書節、再話・翻訳節参照)。夫は児童文学作家、詩人の山本和夫。ロシア児童文学の翻訳・研究家の松谷さやかはその子にあたる。 和歌山県伊都郡笠田村(現・かつらぎ町)生まれ。高等女学校を経て東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)を卒業。卒業後は神奈川高等女学校(現・神奈川学園中学校・高等学校)の教諭を務め、のちに結婚退職した。 1977年『細川ガラシャ夫人』で産経児童出版文化賞受賞。 子ども向けの伝記、海外作品の再話・翻訳した著作を多く物するとともに、とりわけ日本史上の女性の生涯の執筆に意を注いだ。
大島 博光(おおしま ひろみつ、1910年11月18日 - … 大島 博光(おおしま ひろみつ、1910年11月18日 - 2006年1月9日)は、日本の詩人、翻訳家である。
村上 至孝(むらかみ しこう、1910年10月31日 - 1… 村上 至孝(むらかみ しこう、1910年10月31日 - 1987年4月17日)は、日本の英文学者、翻訳家。 1933年京都帝国大学文学部英文科卒、第三高等学校教授、1949年京都大学教養部教授、1959年大阪大学文学部英文科教授、1974年定年退官、名誉教授、龍谷大学教授、大手前女子大学教授。1983年勲二等瑞宝章受章。 17-19世紀英国文学を専攻し、サッカレーなどの長篇小説、ヘンリー・フィールディングの悪漢小説の翻訳を行い、ロマン主義詩人の研究を行った。
双葉 十三郎(ふたば じゅうざぶろう、1910年10月9日 … 双葉 十三郎(ふたば じゅうざぶろう、1910年10月9日 - 2009年12月12日)は、日本の映画評論家、翻訳家である。本名は小川 一彦(おがわ かずひこ)。ペンネームはトム・ソーヤーに由来する(双葉は「Sauyer」、十三は「Tom」をもじったもの)。 東京府東京市出身。父は化学者の小川若三郎。幼少時から映画に熱中、映画館に入り浸り、映画三昧の日々を送っていた。 東京府立第八中学校(現在の東京都立小山台高等学校)時代から埼玉県立浦和中学校(現在の埼玉県立浦和高等学校)、東京帝国大学(現在の東京大学)に至る学生生活のあいだ書き留めた「映画ノオト」は数十冊に及んだ。 自身は辰野隆に傾倒し、仏文科へ進みたかったのだが、父・若三郎から「仏文に行ったら勘当する」と強硬に申し渡されたため、泣く泣く経済学部に入学した。
津田 穣(つだ ゆたか、1910年〈明治43年〉8月4日 -… 津田 穣(つだ ゆたか、1910年〈明治43年〉8月4日 - 1955年〈昭和30年〉8月12日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 京都府出身。1935年京都帝国大学文学部仏文科卒。第三高等学校講師、大阪高等学校(旧制)教授。 ブレーズ・パスカル『パンセ』の翻訳で知られる。 息子は俳優、声優、ナレーターの津田喬。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
中村 佐喜子(なかむら さきこ、1910年5月7日 - 19… 中村 佐喜子(なかむら さきこ、1910年5月7日 - 1999年10月10日)は、日本の翻訳家・作家。本名は石川佐喜子 北海道札幌市出身。日本女子大学英文科卒業。1942年に発表した小説『雪のりんご畑』が改造社の文芸推薦を受け、その後数作を発表。戦後は翻訳家としての活動が中心となり、数多くの英米文学の翻訳を行う。中でも角川文庫版『赤毛のアンシリーズ』は、その格調高く、且つ温かみのある訳文によって親しまれ、村岡花子訳の新潮文庫版とともにロングセラーとなった。 その他の著書に評伝『ロレンスを愛した女たち』、エッセイ『トマス・ハーディの全小説を楽しむ』などがある。
江上 照彦(えがみ てるひこ、1910年4月25日 - 19… 江上 照彦(えがみ てるひこ、1910年4月25日 - 1990年9月4日)は、日本の翻訳家。テレビ・歴史等の評論家、エッセイスト。 福岡県大牟田市生まれ。東京帝国大学経済学部で河合栄治郎に学び1934年に卒業。 その後渡満し、満洲電業勤務を経て復員後に会社役員を務める傍ら、河合門下生らで結成した社会思想研究会やそれを母体とした出版部門として発足した社会思想社で役員となる。 テレビ放送初期の頃に海外テレビ番組の翻訳や翻案を手掛け、テレビ論や歴史などの執筆活動を行いながら1956年から相模女子大学へ講師として出講、1964年には同大教授となり明治大学や上智大学でも英米演劇を講じた。 また社会思想研究会とのつながりから、民社党系のブレーン的存在となり同党の機関紙や機関誌にエッセーを連載した。
広安 孝夫(ひろやす たかお、1910年4月17日 - 19… 広安 孝夫(ひろやす たかお、1910年4月17日 - 1959年4月18日)は、日本の官僚、聖職者、教育者、翻訳家。文部省文部事務官、文部省宗教課文部属、日本聖公会の伝道師。 1910年(明治43年)4月17日、広島県沼隈郡郷村(現・福山市)にて、広安助一郎の三男として生まれる。 1923年(大正12年)、広島県立福山中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)へ入学。結核のため2年間の休学を経て、1930年に同校を卒業。青年期に兄・広安謙一の影響を受けてキリスト教を知るが、兄は、札幌農学校のクラーク博士の遺風を慕って、北海道帝国大学医学部に学び、後に旭川で開業医となっている。 1932年(昭和7年)3月25日に、地元の福山基督教会の司祭・横田金熊のもとで洗礼を受ける。
石賀 修(いしが おさむ、1910年4月1日 - 1994年… 石賀 修(いしが おさむ、1910年4月1日 - 1994年10月17日)は、日本の高校教諭、翻訳家、平和運動家。キリスト教徒。筆名イシガオサム。 福岡県出身。旧制福岡高等学校、東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。クエーカー、無教会主義のキリスト教に共鳴。療養生活中に、エスペラントとスウェーデン語を学ぶ。1934年、良心的兵役拒否者の支援などをしている平和主義国際組織「戦争抵抗者インターナショナル」WRIに加入し、1943年、良心的兵役拒否を実行。戦後は、国立療養所星塚敬愛園での勤務生活を経て、筑陽学園高等学校教諭。平和運動や人権活動の傍ら、セルマ・ラーゲルレーヴの作品を翻訳した。
河合 亨(かわい とおる、1910年3月31日 - 1993… 河合 亨(かわい とおる、1910年3月31日 - 1993年10月14日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 東京生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。早稲田大学教授を務め、1980年定年退任、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
白木 茂(しらき しげる、1910年2月19日 - 1977… 白木 茂(しらき しげる、1910年2月19日 - 1977年8月5日)は、日本の児童文学者・翻訳家。 青森県三戸郡向村(現在の南部町)生まれ。日本大学英文科卒業。戦前は大久保康雄の翻訳工房に参加。田中西二郎、中村能三らと下訳を担当し翻訳工場と呼ばれた。 英米児童文学の紹介で数多くの翻訳、編著を刊行、日本児童文芸家協会常任理事、少年文芸作家クラブ初代会長として大衆的児童文学の育成に努めた。国際アンデルセン賞国内選考委員などを歴任。 『児童文学辞典』(共編、東京堂出版、1970)がある。欧米の少年向けSF「少年少女世界科学冒険全集」(講談社、1956)の企画者で、自らもイーラム『少年火星探検隊』を訳した。
久野桂一郎(くの けいいちろう、1910年 - 1990年)… 久野桂一郎(くの けいいちろう、1910年 - 1990年)は、日本の翻訳家、鉄道官僚。 東京に生まれる。東京大学法学部卒業し国鉄に入社。青函船舶鉄道管理局長ほかを務めた。