岡田 吉美(おかだ よしみ、1929年(昭和4年)2月3日 … 岡田 吉美(おかだ よしみ、1929年(昭和4年)2月3日 - 2022年(令和4年)8月17日) は、日本の分子生物学者。従四位瑞宝中綬章。東京大学名誉教授。理学博士。静岡市出身。 1945年静岡県立静岡中学校(現・静岡県立静岡高等学校)卒業。1952年大阪大学理学部化学科卒業。赤堀四郎に師事。同大学院理学研究科修了。九州大学医学部、大阪大学医学部で助手。1964年オレゴン大学客員準教授(1966年まで)。留学中、ストライジンガーと共同でT4リゾチームの系を用い、フレームシフト変異の存在を蛋白質化学により、世界で初めて実証した。帰国後、新設の農林省植物ウイルス研究所において、タバコモザイクウイルス(TMV)の研究に着手。
福山 象三(ふくやま しょうぞう、1929年2月3日 - 1… 福山 象三(ふくやま しょうぞう、1929年2月3日 - 1996年10月2日)は、日本の俳優、演出家。本名及び別名義は福山 博寿(1954年から1966年頃まで使用)。別名義は福山 升三(1986年から1995年頃まで使用)、日本俳優連合理事。 鹿児島県出身。関西工業専門学校(後の関西大学工学部)卒業。生前は松竹芸能、東京アーチストプロを経て、芸峰制作、中里事務所に所属していた。 NHK大阪放送劇団出身。 数々の刑事ドラマ、時代劇、特撮作品で、主に悪役を演じた。 1996年10月2日4時13分、胸腹部大動脈瘤破裂のため、死去。67歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
金子ハルオ(かねこ はるお、1929年2月3日 - )は、日… 金子ハルオ(かねこ はるお、1929年2月3日 - )は、日本のマルクス経済学者、東京都立大学 (1949-2011)・大妻女子大学名誉教授。門下に五十嵐仁がいる 茨城県新治郡千代田村(現かすみがうら市)出身。1953年東京大学経済学部卒。1959年同大学院社会科学研究科理論経済学博士課程満期退学。1959年東京都立大学法経学部助手、1961年講師、1962年助教授、1970年経済学部教授、1975年-1979年・1981年-1985年経済学部長。1992年定年退官、大妻女子大学社会情報学部教授、学部長、2000年同名誉教授。 1969年「生産的労働と国民所得」で東大経済学博士。1978年-1984年日本学術会議会員。
早川 東三(はやかわ とうぞう、1929年2月3日 - 20… 早川 東三(はやかわ とうぞう、1929年2月3日 - 2017年10月15日)は、日本のドイツ語学者・ドイツ文学者、学習院大学名誉教授。 愛知県生まれ。1952年東京大学文学部独文科卒。1955年、同大学院博士課程中退と同時に学習院大学文学部講師、わずか2年後に助教授、のちに教授。1972年、43歳の若さで文学部長を務めたほか、学習院大学常務理事、学習院大学言語共同研究所長、学習院評議員、学習院大学学長などの要職を歴任。1998年、学習院女子大学学長。1999年、定年、名誉教授。 1983年 - 1985年、日本独文学会理事長。1992年、ドイツ語学文学振興会の理事長として、ドイツ語技能検定試験(独検)を発足させた。
水島 哲(みずしま てつ、1929年2月3日 - 2015年… 水島 哲(みずしま てつ、1929年2月3日 - 2015年6月27日)は、日本の作詞家。 1929年2月3日、宮城県仙台市出身。本名は安倍亮一。 早稲田大学理工学部在学中より音楽業界に入り、1958年に平尾昌章が歌った『星は何でも知っている』で作詞家としてデビュー。 その後、読売新聞社に記者として入社。東京本社文化部記者として音楽関係の記事や評論を書きながら、一方では作詞家として数々の作品を世に送り出す。 1989年頃まで読売新聞に在職しており、その後フリーの音楽評論家となった。 2015年6月27日、大腸癌のため死去。86歳没。 水島は洋楽曲の訳詞、和製ポップス、演歌、グループ・サウンズまでジャンルを問わない創作活動を行っていた。
斎藤 耕一(さいとう こういち、1929年2月3日 - 20… 斎藤 耕一(さいとう こういち、1929年2月3日 - 2009年11月28日)は、日本の映画監督、写真家、スチルカメラマン。 東京府八王子市に生まれる。立教大学中退後、東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)に入学する。卒業後、1949年、太泉映画(現・東映東京撮影所)にスチルカメラマンとして入社し、今井正の『ひめゆりの塔』で「キネマ旬報スチールコンテスト」で1位入賞する。 1954年、日活に引き抜かれ、中平康、今村昌平、市川崑など多くの作品のスチルを担当した。その他には中平康の『月曜日のユカ』などの脚本も手がけている。 しかし次第に自身のイメージと作品とのあまりのずれに失望し、1967年、私財を投じて「斎藤プロダクション」を設立する。
山口 俊夫(やまぐち としお、1928年2月3日 - 200… 山口 俊夫(やまぐち としお、1928年2月3日 - 2007年12月12日)は、日本の法学者(フランス法・労働法)。東京大学名誉教授。日仏法学会会長。元中央労働委員会会長。東京都出身。
鴨居 玲(かもい れい、男性、1928年2月3日 - 198… 鴨居 玲(かもい れい、男性、1928年2月3日 - 1985年9月7日)は、日本の洋画家である。社会や人間の闇を描いた画家であった。 下着デザイナーの鴨居羊子は姉。 石川県金沢市生まれ。1941年、旧制金沢中学校(現在の金沢高等学校)に入学。1946年、金沢市立金沢美術工芸専門学校(現在の金沢美術工芸大学)に入学。宮本三郎に師事する。1950年、金沢市立金沢美術工芸専門学校洋画科専攻を卒業。二紀会同人に推挙される。1952年、芦屋・田中千代服装学園の講師となる。 1959年、31歳で初渡欧。1961年に帰国し、二紀会を退会。1964年、創作活動に行き詰まり、南米、フランスの首都パリ、イタリアの首都ローマを渡り歩く。
秋間 実(あきま みのる、1928年2月3日 - )は、日本… 秋間 実(あきま みのる、1928年2月3日 - )は、日本の哲学者。旧・東京都立大学名誉教授。マルクス主義哲学を研究した。元唯物論研究協会委員長。 東京生まれ。1951年東京大学文学部哲学科卒。同大学院修士課程修了。北海道大学講師、助教授、東京都立大学人文学部助教授、教授。1988年唯物論研究協会委員長。1991年定年退官、名誉教授。九条の会賛同人。
井口 洋夫(いのくち ひろお、1927年2月3日 - 201… 井口 洋夫(いのくち ひろお、1927年2月3日 - 2014年3月20日)は、日本の化学者(物理化学)。勲等は文化勲章。学位は理学博士(東京大学)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。位階は従三位。 東京大学理学部助教授、東京大学物性研究所教授、分子科学研究所教授・所長、岡崎国立共同研究機構機構長、国際高等研究所副所長、豊田理化学研究所所長のほか、学士会理事長などを歴任した。 1927年2月3日、広島県広島市段原(現在の南区段原)生まれ。炭素原子の持つπ電子の重なりにより、有機物質内の分子間で電子が移動し導電性を示すことを実証した。東京大学、分子科学研究所、国際高等研究所、豊田理化学研究所などで研究に従事した。
岡野 裕(おかの ゆたか、1927年〈昭和2年〉2月3日 -… 岡野 裕(おかの ゆたか、1927年〈昭和2年〉2月3日 - 2004年〈平成16年〉8月23日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、労働大臣(第63代)。 福島県福島市出身。静岡県立沼津中学校 (旧制)、山形高等学校 (旧制)を経て1953年京都大学法学部卒業後、郵政省入省。九州郵政局長、人事局長などを歴任。退官後の1983年参院選に比例区から自民党公認で出馬し初当選。連続当選3回。1996年11月から翌年の9月まで第2次橋本内閣の労働大臣を務めた。2000年春の叙勲で勲一等瑞宝章受章。2001年政界引退。 2004年8月23日午後11時40分、心不全のため東京都内の病院で死去。
東 洋(あずま ひろし、1926年2月3日- 2016年12… 東 洋(あずま ひろし、1926年2月3日- 2016年12月13日)は、日本の心理学者。Ph.D(イリノイ大学・1960年)。東京生まれ。専門は、多岐にわたり日本における教育心理学・発達心理学・教育工学の分野に業績を残している。
長尾 宇迦(ながお うか、1926年2月3日 - 2018年… 長尾 宇迦(ながお うか、1926年2月3日 - 2018年1月2日)は、日本の作家。 大連市生まれ。本籍山口県。本名・豊。國學院大學卒。盛岡市で高校教師を務めるかたわら、同人誌『東北文脈』を発刊。 1958年「白い寒波」で岩手日報新聞小説賞、1964年「山風記」で小説現代新人賞受賞。1971年初の著書を刊行、1987年「幽霊記―小説・佐々木喜善」で直木賞候補。 歴史に埋もれた人物を描くことが多い。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
東 洋(あずま ひろし、1926年2月3日 - 2016年1… 東 洋(あずま ひろし、1926年2月3日 - 2016年12月13日)は、日本の心理学者。Ph.D(イリノイ大学・1960年)。東京大学名誉教授。 東京生まれ。多岐にわたり日本における教育心理学・発達心理学・教育工学の分野に業績を残した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
栗原 福也(くりはら ふくや、1926年2月3日 - 201… 栗原 福也(くりはら ふくや、1926年2月3日 - 2016年3月20日)は、日本の西洋史学者。 東京都生まれ。東京商科大学本科卒。同特別研究生をへて、1956年東京女子大学短期大学講師、60年助教授、67年東京女子大学教授。94年定年、名誉教授。 2006年11月瑞宝中綬章受章。
高橋 二三(たかはし にいさん、1926年〈大正15年〉2月… 高橋 二三(たかはし にいさん、1926年〈大正15年〉2月3日 - 2015年〈平成27年〉5月5日)は、日本の脚本家。本名:高橋 幸人(たかはし ゆきと)。群馬県佐波郡玉村町出身。 1960年代の大映や松竹映画で活躍し、84本の映画脚本を手がけた。特に1965年から6年続いた特撮怪獣映画の「ガメラシリーズ」では、科学考証を無視したキャラクタライズしたシナリオで、「怪獣ガメラ」を東宝の「ゴジラ」と双璧をなす人気怪獣へと押し上げた。1970年代に入るとテレビ番組を数多く手がけた。 「ガメラシリーズ」の湯浅憲明監督は、「怪獣の登場する映画で科学考証など意味がないと、高橋さんと打ち合わせて脚本作りを行った。
伊藤 栄樹(いとう しげき、1925年2月3日 - 1988… 伊藤 栄樹(いとう しげき、1925年2月3日 - 1988年5月25日)は、日本の検事総長・東京高検検事長・法務事務次官。「ミスター検察」と呼ばれた。名前の「栄」の正しい表記は旧字体の「榮」。没後、従三位を贈られた。
吉田 正樹(よしだ まさき、1925年2月3日 - 1993… 吉田 正樹(よしだ まさき、1925年2月3日 - 1993年2月6日)は、日本の経営者。三菱油化(現在の三菱ケミカル)社長を務めた。山口県下関市出身。 1947年に九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に商工省に入省した。1963年4月に三菱油化に移り、1973年2月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年3月に社長に就任した。 1984年11月に藍綬褒章を受章した。 1993年2月6日肝不全のため死亡。68歳没。
山口 昌哉(やまぐち まさや、1925年2月3日 - 199… 山口 昌哉(やまぐち まさや、1925年2月3日 - 1998年12月24日)は、日本の数学者(非線形数学)。京都大学名誉教授。社会・経済システム学会初代会長。 数学の力学系分野におけるカオス・フラクタル研究の先駆者。その他、主として非線型偏微分方程式の数値解析分野で業績を残した。研究の幅が広く、生物科学や社会科学への応用も積極的に行った。 溝畑茂とは京大在学中からの親友。弟子は多く、まとめて山口組と通称されることがある。西田孝明、西浦廉政、俣野博、宍倉光広、磯祐介らがいる。
諸井 勝之助(もろい かつのすけ、1924年2月3日 - 2… 諸井 勝之助(もろい かつのすけ、1924年2月3日 - 2018年1月5日)は、日本の会計学者。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。2000年勲二等瑞宝章受章。 東京府生まれ。永田甚之助の三男。母方の祖父は尾高次郎、曾祖父は尾高惇忠と渋沢栄一。秩父セメント社長諸井貫一(遠戚にあたる)の婿養子となる。 武蔵高等学校卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年4月、呉施設部宮崎地方施設事務所内務主任に就任。同年6月、海軍主計少尉に任官し佐世保施設部宮崎地方施設事務所内務主任となり終戦を迎えた。 1946年東京帝国大学経済学部商業科卒業、1950年東京大学経済学部助教授。
石本 美由起(いしもと みゆき、男性、1924年〈大正13年… 石本 美由起(いしもと みゆき、男性、1924年〈大正13年〉2月3日 - 2009年〈平成21年〉5月27日)は、日本の作詞家。本名は美幸。 荒廃した戦後の日本に希望に満ちた歌詞で永遠に歌い継がれる名曲を生んだ、昭和の歌謡界を代表する作詞家の一人である。広島県大竹市立戸出身。 幼少から喘息を患い、家に閉じこもるような生活を送る。生家は宮島や江田島など瀬戸内海を見渡せる風光明媚な場所に建ち、幾分救われる。そばにある文学は全て読んだが、なかでも北原白秋やゲーテを読みふけった。1944年、海軍大竹海兵団に入隊するが、すぐ体調を崩して岩国海軍病院に入院。慰問に来た東海林太郎の歌声に戦争に傷ついた兵士たちが瞳を輝かせるのを見て歌の魅力を知った。
増岡 博之(ますおか ひろゆき、1923年2月3日 - 20… 増岡 博之(ますおか ひろゆき、1923年2月3日 - 2011年7月24日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党衆議院議員(8期)、厚生大臣(第64代)を歴任。元鉄鋼ビルディング代表取締役会長。 広島県呉市出身。増岡組創業者・増岡登作の次男。1948年(昭和23年)早稲田大学政治経済学部卒業。 1948年(昭和23年)増岡組に入り、取締役東京営業所長、1952年(昭和27年)専務。1959年(昭和34年)呉商工会議所会頭に選ばれる。 池田勇人元首相の地盤を継いで1967年(昭和42年)衆議院議員に初当選。以来通算8期。運輸政務次官、自民党交通部会長、衆議院運輸委員長、大蔵委員長の他、議院運営委員会理事、国会対策副委員長などを歴任し、1984年(昭和59年)第2次中曽根内閣の厚生大臣に就任。
戸村 政博(とむら まさひろ、1923年2月3日 - )は、… 戸村 政博(とむら まさひろ、1923年2月3日 - )は、日本の牧師。 山口県出身。日本基督教神学専門学校(東京神学大学の前身)卒。日本基督教団の伝道委員会・社会委員会幹事をへて1975年浅草北部教会、のち日本堤伝道所の牧師。教団内の紀元節復活反対、戦争責任告白発表などを推進してきた。83年教団靖国神社問題特別委員会委員長。
羅 吉祚(ナ・ギルジョ、朝鮮語: 나길조、1923年2月3日… 羅 吉祚(ナ・ギルジョ、朝鮮語: 나길조、1923年2月3日 - 2008年4月11日)は、大韓民国の法曹、政治家。第11代韓国国会議員。本貫は羅州羅氏。 元教育部政策企画官の羅向栯(朝鮮語版)は従甥。 日本統治時代の慶尚南道馬山府出身。1943年に明治大学法学部卒。1947年に第1回朝鮮弁護士試験合格。釜山地方検察庁、全州地方検察庁、ソウル地方検察庁、大邱地方検察庁で検事を務めた後、1962年に清州地方検察庁検事長、1964年に全州地方検察庁検事長、1966年に法務部企画管理室長、1969年に大検察庁検事、1971年に釜山地方検察庁検事長、全国密輸合同捜査本部長、1973年に光州高等検察庁検事長、1975年に大法院判事、憲法委員、1981年に第11代国会議員を歴任した。
林礼二(林禮二、はやし れいじ、1920年2月3日- )は、… 林礼二(林禮二、はやし れいじ、1920年2月3日- )は、日本の地理学者。 富山県出身。1941年東京帝国大学文学部哲学科卒。出版文化協会に勤務。その間、1942年2月、金沢の砲兵連隊に入営し見習士官となる。43年5月、南方へ出征。山砲兵としてビルマ各地を転戦、その後石油の積み出し業務に携わる。44年4月よりビルマ方面軍司令部参謀部に配属され情報の整理・司令官の通訳などの任にあたる。敗戦時、参謀部第二課情報将校(中尉)。収容所生活を経て1947年8月復員。
吉村 虎蔵(よしむら とらぞう、1919年2月3日 - 19… 吉村 虎蔵(よしむら とらぞう、1919年2月3日 - 1995年6月14日)は、日本の工学者。土木工学者。福岡県出身。工学博士。九州大学元教授。有明工業高等専門学校元校長。教育者。 1919年、福岡県福岡市生まれ。1941年九州帝国大学工学部土木工学科卒業。構造力学及び橋梁工学の理論的研究を専門とする。 1945年、内務省九州土木出張所に就く。民間を経て、1947年、福岡高等工業学校、1950年熊本工業専門学校、1951年熊本大学工学部、1952年同大学助教授に就き、1954年、工学博士となる。 1955年同大学工学部教授に就任。1973年九州大学工学部教授となる。1980年有明工業高等専門学校校長。
桑江 朝幸(くわえ ちょうこう、1918年(大正7年)2月3… 桑江 朝幸(くわえ ちょうこう、1918年(大正7年)2月3日 - 1993年(平成5年)12月16日)は、琉球政府・沖縄県の政治家である。軍用地主の団体である市町村土地特別委員連合会(現:沖縄県軍用地等地主会連合会、通称:土地連)の初代会長となった。1978年から1990年まで沖縄市の市長を務めた。1989年に泡瀬干潟の埋め立て事業を含む東部海浜開発計画市案を発表する。2014年から2024年の死去まで沖縄市長を務めた桑江朝千夫の父である。 琉球列島米国民政府(略称:USCAR)については、「アメリカ民政府」と記述する。また肩書、施設名、その他名称について、当時のもので表記する。 1918年(大正7年)に沖縄県中頭郡越来村(現:沖縄市)に生まれる。
横田 みさを(よこた みさお、1917年2月3日 - 200… 横田 みさを(よこた みさお、1917年2月3日 - 2003年6月13日)は、日本の水泳選手、女優。同志社高等女学校在学中に女子100m背泳ぎの日本記録を更新し、1932年ロサンゼルスオリンピックに15歳で出場した。その後は芸能界に転身し、松竹歌劇団と宝塚歌劇団に入団、さらに映画女優となった。夫は作曲家の竹岡信幸。 京都市出身。同志社高等女学校(現在の同志社女子中学校・高等学校)に学ぶ。横田在学中の同志社高女は、団体優勝を重ねる水泳の強豪校であった。もっとも学校にはプールがなかったため、スイミングクラブである大日本武徳会遊泳部(のちの京都踏水会)に属し、夷川ダム(琵琶湖疏水)で練習を重ねていたという。
海原 治(かいはら おさむ、1917年2月3日 - 2006… 海原 治(かいはら おさむ、1917年2月3日 - 2006年10月21日)は、日本の内務・警察・防衛官僚、軍事評論家。大阪府出身。本籍は徳島県。 第一東京市立中学校・第一高等学校を経て、1939年に東京帝国大学法学部を卒業し、内務省入省。入省同期に後藤田正晴がいた。内務省大臣官房文書課勤務を経て、1940年1月に高知県事務官を発令。太平洋戦争勃発と前後して、1940年2月、陸軍第11師団歩兵第43連隊(徳島)に入営、経理部幹部候補生になり、第11師団経理勤務班隊長の陸軍主計大尉として終戦を迎える。 終戦によって第11師団は兵器を県に引渡し、県が占領軍へと引き渡すことになっていたが、目録を作成して引き渡す第11師団の経理勤務班の隊長でありながら、それを受け取る高知県事務官でもあったので同師団でもっとも早い召集解除となった。
佐竹 弘造(さたけ こうぞう、1916年2月3日 - 199… 佐竹 弘造(さたけ こうぞう、1916年2月3日 - 1993年2月1日)は、日本の政治家。石川県小松市長(2期)。 石川県出身。1941年慶應義塾大学法学部卒。読売新聞に入り、政治部記者となる。その後ジャパンタイムス政経部長、佐藤栄作国務大臣秘書官、同内閣総理大臣秘書官を経て、1967年小松市長選に立候補し、現職の藤田栄次を破って初当選した。1971年2回目の市長選でも当選した。市長在職中は小松空港の整備拡張、下水道事業などに取り組んだ。1972年7月、衆院選に立候補するために市長を辞職。12月の総選挙に石川1区から無所属で出馬したが落選した。1993年死去。
山田 時雄(やまだ ときお、1916年2月3日 - 2001… 山田 時雄(やまだ ときお、1916年2月3日 - 2001年5月20日)は、日本の経営者、銀行家。阪神相互銀行社長を務めた。兵庫県出身。 1939年に神戸商科大学を卒業し、同年に神戸銀行に入行。1945年に川西機械製作所を経て、1952年に阪神相互銀行に転じ、1962年5月に取締役に就任し、1967年5月に常務、1973年5月に専務を経て、1975年5月に社長に就任。1981年6月に会長、1983年6月に取締役相談役、1985年6月相談役を経て、同年12月には顧問に退いた。 1978年11月に藍綬褒章を受章し、1986年4月に勲四等瑞宝章を受章。 2001年5月20日肺炎のために死去。85歳没。
石田 忠(いしだ ただし、1916年2月3日 - 2011年… 石田 忠(いしだ ただし、1916年2月3日 - 2011年1月25日)は、日本の社会学者。一橋大学名誉教授。専門は社会調査。長崎被爆者調査を組織し、日本原水爆被害者団体協議会専門委員等を務めた。 島根県邑智郡吾郷村(現美郷町)大字奥山出身。旧制東京商科大学(現一橋大学)で山中篤太郎に師事。 1965年に厚生省による第1回原子爆弾被爆者実態調査に、隅谷三喜男や中鉢正美とともに参加。その後厚生省調査を批判し、独自に一橋大学に社会調査室を組織。伊東壮(元山梨大学学長)や、門下の濱谷正晴とともに長崎県の被爆者調査に従事。被爆者に生き残ったことに対する罪意識が存在することなどを明らかにした。 日本原水爆被害者団体協議会専門委員等を歴任し、日本被団協調査の企画分析を担当。
森 龍吉(森 竜吉、もり りゅうきち、1916年2月3日-1… 森 龍吉(森 竜吉、もり りゅうきち、1916年2月3日-1980年3月22日)は、仏教史学者。 三重県出身。龍谷大学文学部社会学科卒。夕刊京都新聞の記者をしていてレッドパージにあう。平安女学院大学助教授、龍谷大学経済学部教授。浄土真宗の歴史を研究した。
石川 利光(いしかわ としみつ、1914年2月3日 - 20… 石川 利光(いしかわ としみつ、1914年2月3日 - 2001年7月14日)は、日本の作家。宮中研三名義の官能小説も発表した。 弁護士を父に持ち、三男として大分県日田市に生まれる。日田中学(現在の大分県立日田高等学校)を卒業し、1932年早稲田高等学院を経て早稲田大学に入るが、1937年近藤忠義に誘われて法政大学国文科に転学し、1940年に卒業。1941年に同人誌を統合した『文藝主潮』の編集委員となる。1944年に日本文学報国会会員となり、日本航空機工業に勤務。1946年に九州書院を興す。丹羽文雄を中心とした会合に参加し、『文学者』の刊行を引き受ける。 1951年に執筆活動に入り、第25回芥川賞を『春の草』で受賞した。
檀 一雄(だん かずお、1912年〈明治45年〉2月3日 -… 檀 一雄(だん かずお、1912年〈明治45年〉2月3日 - 1976年〈昭和51年〉1月2日)は、日本の小説家、作詞家、料理家。 私小説や歴史小説、料理の本などで知られる。「最後の無頼派」作家・文士ともいわれた。また、西遊記の日本語抄訳もある(東京創元社ほか)。 代表作は、律子夫人の没後に描いた『リツ子 その愛』『リツ子 その死』、時代娯楽作品も人気があり『真説石川五右衛門』(1950年、第24回直木賞受賞)、『夕日と拳銃』など、また20年以上に亘り、書き継がれライフワークとなった遺作『火宅の人』(1986年、東映で異父弟のプロデューサーの高岩淡の企画、深作欣二監督、緒形拳主演により映画化)など。
小形 研三(おがた けんぞう、1912年2月3日 - 198… 小形 研三(おがた けんぞう、1912年2月3日 - 1988年2月13日)は、日本の造園家、作庭家。 作庭、公共造園の設計、海外への日本庭園文化の紹介、後進の教育、育成などなど、その生涯を造園分野の向上に捧ぐ。社団法人日本造園コンサルタント協会会長としては広く造園学の目的とする住環境の向上に貢献する。 自然観察から養われた作庭の発想から「自然写景式庭園」に多大の関心を持ち、飯田十基の門下となる。作庭にあたり創意工夫による岩、水、樹木などによる造景美には、伝統庭園技術の研さんを積みながら、新に現代の庭園のあり方を示され今後の指標となっていく。これらの新しい傾向の作庭活動は、後継者の養成にも貢献する。
安西 正道(あんざい まさみち、1912年 <大正15年> … 安西 正道(あんざい まさみち、1912年 <大正15年> 2月3日 - 1990年 <平成2年> 9月10日)は、日本の官僚、実業家。元全日本空輸社長。千葉県出身。位階は従三位。
西沢 一俊(にしざわ かずとし、1912年2月3日 - 20… 西沢 一俊(にしざわ かずとし、1912年2月3日 - 2012年10月10日)は、日本の化学者、東京教育大学名誉教授。 長野県更級郡布施村(現・長野市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1933年東京高等師範学校三年修了、1936年東京文理科大学生物学科植物学専攻卒、1948年「Studien uber die enzymatische Spaltung von Galaktosiden (ガラクトシドの酵素分解に関する研究) 」」で理学博士。 1936年東京文理科大学副手、1945年上田繊維専門学校講師、1949年信州大学繊維学部助教授、1957年から1959年まで州立アラバマ大学に留学し糖質化学を学ぶ。
高橋 清一郎(たかはし せいいちろう 1910年2月3日 -… 高橋 清一郎(たかはし せいいちろう 1910年2月3日 - 1972年10月29日)は、衆議院議員を5期務めた日本の政治家である。 1910年(明治43年)2月、新潟市に生まれる。私立新潟夜間中学校、高検を経て新潟高等学校卒業。1936年(昭和11年) 京都帝国大学法学部卒業。 1937年(昭和12年)、南方に出征。 1947年(昭和22年)、新潟県議会議員・新潟市議会議員。1958年(昭和33年)5月、第28回衆議院議員総選挙で新潟1区初当選(無所属)し、以後5期連続で務める。 1964年(昭和39年)7月、第3次池田改造内閣防衛政務次官。同年11月、第1次佐藤内閣防衛政務次官。1967年(昭和42年)11月、第2次佐藤第1次改造内閣郵政 政務次官。
金 三純(キム・サムスン、朝鮮語: 김삼순、1909年2月3… 金 三純(キム・サムスン、朝鮮語: 김삼순、1909年2月3日 - 2001年12月11日)は、大韓民国の生物学者。韓国最初の女性農学博士で、特に菌類学の分野ではヒラタケの韓国国内での人工栽培の実現など多くの業績があり、著書に『韓国産キノコ図鑑』がある。 号は声至。3人の兄弟(金洪鏞、金汶鏞、金星鏞(朝鮮語版))と夫の姜世馨はいずれも国会議員を務めた。政治家の李会昌は妹と李弘圭(朝鮮語版)の息子である。 金海金氏の7人きょうだいの上から4番目の三女として大韓帝国全羅南道潭陽郡昌平面に生まれた。1929年、京畿高等女学校卒業。1933年3月、東京女子高等師範学校理科選科修了。のち東京女子高等師範学校研究科を経て、1941年4月、北海道帝国大学理学部植物学科入学。
宮島 義勇(みやじま よしお、1909年2月3日 - 199… 宮島 義勇(みやじま よしお、1909年2月3日 - 1998年2月21日)は、日本の撮影監督。 長野県上高井郡高山村で出生、東京都で育つ。学生時代よりアナキズムなどの左翼思想に傾倒する。1929年、横浜高等工業学校(現・横浜国立大学)卒業。同年、父の知人から増谷麟を紹介され松竹蒲田撮影所入社、現像技術を学ぶ。1931年、増谷が写真化学研究所(略称:P.C.L.、後の東宝映画、現在の東宝)を設立したのに伴い移籍。1933年、同社の劇映画製作開始により撮影部に異動、1935年に撮影技師に昇格。1936年、『唄の世の中』が第1回作品となった。1940年、『燃ゆる大空』で一躍その名が高まる。陸軍などから評判により国策映画・反米映画を撮る一方、日本映画カメラマン協会の書記長として活動した。
大村 秀雄(おおむら ひでお、1906年2月3日 - 199… 大村 秀雄(おおむら ひでお、1906年2月3日 - 1993年1月13日))は、日本の哺乳類学者。日本近代クジラ学の創始者。日本鯨類研究所第2代所長。日本学士院賞受賞。 1906年、東京府生まれ。静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校理科乙類を経て、1929年、東京帝国大学農学部水産学科卒業。 卒業後1年間は内閣の嘱託として人口食料問題調査会の業務に従事し、続く3年間は農林省の嘱託として漁業に関する調査に従事した。この時に沿岸捕鯨の事業場の許可事務や捕鯨統計をまとめたりしたのが鯨との関わりの始まりであった。1933年5月に農林技手として水産庁に勤務を命じられ、1936年8月、地方農業技師として和歌山県経済部水産課に勤務。
木下 順治(きのした じゅんじ、1906年2月3日 - 19… 木下 順治(きのした じゅんじ、1906年2月3日 - 1992年9月23日)は、日本の牧師、聖書学者。 北海道旭川出身。日本神学校(現:東京神学大学)卒。日本基督教団の牧師。豊浦、日立、栃木、東京主僕教会、旭川にて布教。
田口 連三(たぐち れんぞう、1906年2月3日 - 199… 田口 連三(たぐち れんぞう、1906年2月3日 - 1990年3月14日)は、日本の実業家。石川島播磨重工業社長や、同社会長、日本機械工業連合会会長、日本・トルコ協会会長などを歴任した。 山形県出身。1929年米沢高等工業学校(現山形大学工学部)機械科卒業、石川島造船所入社。1950年取締役に昇格。1964年社長。1970年日本機械工業連合会会長。1972年会長。1973年日本産業広告協会会長。1979年相談役。1980年日本・トルコ協会会長。日本銀行参与なども務めた。
生田 乃木次(いくた のぎじ、1905年(明治38年)2月3… 生田 乃木次(いくた のぎじ、1905年(明治38年)2月3日 - 2002年(平成14年)2月22日)は、日本海軍士官・戦闘機操縦士。福井県出身。日本軍のパイロットとして初めて敵機を撃墜した人物である。 1905年(明治38年)2月3日福井県に生まれた。「日露戦争で活躍した乃木将軍に続け」という意味で乃木次と命名された。1924年海軍兵学校52期卒業、1929年19期飛行学生修了。 1931年空母「加賀」に戦闘機隊分隊長として乗組み。1932年1月第一次上海事変勃発に伴い「加賀」は上海沖に出動、飛行隊は公大基地に進出した。2月22日、生田は三式艦上戦闘機の小隊3機を率い、艦攻隊3機とともに出撃、蘇州上空において、アメリカ人義勇兵のロバート・ショートの操縦するボーイング218と交戦し、撃墜した。
漆野 寿一(うるしの じゅいち、1905年2月3日 - 19… 漆野 寿一(うるしの じゅいち、1905年2月3日 - 1992年8月4日)は、茨城県出身の実業家。山下汽船(現:商船三井)常務、山栄船舶社長等を歴任した。 1905年2月3日、茨城県新治郡志士庫村宍倉に於いて漆野佐一郎と孝子の長男として生まれる。父佐一郎は1903年に東京帝国大学工学部を卒業後、大倉鉱業や入山採炭などの重役を務めた。母孝子は利根運河開鑿など地方産業開発に貢献した、茨城県北相馬郡高井村の広瀬誠一郎の次女。 1928年に弘前高校を卒業後、京都帝国大学経済学部に入学。在学中は剣道に打ち込んだ。1931年に同大学を卒業して山下汽船に入社。1935年、会社に命じられてアメリカ・カナダを視察。
目加田 誠(めかだ まこと、1904年〈明治37年〉2月3日… 目加田 誠(めかだ まこと、1904年〈明治37年〉2月3日 - 1994年〈平成6年〉4月30日)は、古典中国文学者、九州大学名誉教授、日本学士院会員。 1904年、山口県岩国市で生まれた。。父母が相次いで早世し、中学生にして一家の長としての責任を負うことになった。水戸高等学校を経て、東京帝国大学支那文学科に入学。1929年に東京帝国大学を卒業。 卒業後は、1930年に第三高等学校教授となった。1931年に結婚。1933年、九州帝国大学助教授に任じられ、そのまま文部省在外研究員として北平に研究留学(1933年10月から1935年10月まで)。この留学期間中の記録として『北平日記』8冊を記していた。
六代目 歌川 豊国(うたがわ とよくに、明治36年(1903… 六代目 歌川 豊国(うたがわ とよくに、明治36年(1903年)2月3日 - 平成12年(2000年)11月11日)は、大正時代から平成時代の浮世絵師。 明治36年、2代目歌川国鶴の次男として、東京市麻布区笄町(現在の東京都港区西麻布)に生まれる。母は四条派の絵師ゆた。祖父は歌川国鶴。始めは2代目歌川国春と号しており、明治38年(1905年)に大阪市南区(現在の中央区)徳井町に移った。さらにその3年後、明治41年(1908年)には京都市に転居している。父の2代目歌川国鶴のもと、浮世絵を学んだ後、山元春挙及び中井汲泉に師事し、運筆及び風景画を習得した。大正7年(1918年)には、叔父の5代目歌川豊国に引き取られ、再び浮世絵を学んだ後、大正11年(1922年)には東京府下幡ヶ谷の前田英に師事し、写真背景画を学んでいる。
橋 閒石(はし かんせき、1903年2月3日 - 1992年… 橋 閒石(はし かんせき、1903年2月3日 - 1992年11月26日)は、石川県出身の俳人、英文学者。神戸商科大学名誉教授。俳誌「白燕」(びゃくえん)創刊・代表。本名泰来(やすき)。 金沢市十三間町に生まれる。本名の泰来は、石圃または閒遊と号した書家であった祖父・往來(ゆきき)の名からとっており、のちの俳号閒石もこの祖父の号に由来する。金沢二中(現・石川県立金沢錦丘中学校・高等学校)、四高を経て京都帝国大学英文科卒。中学の後半からたびたび病に臥せるようになり、病床で俳書を読んだことから独学で俳句を学ぶ。 1928年、京大卒業し和歌山県立和歌山中学校(現・和歌山県立桐蔭高等学校)教諭に赴任。1931年、新設された兵庫県立神戸高等商業学校(兵庫県立神戸商科大学を経て、現・兵庫県立大学)教授となり神戸に移住。
板垣 正貫(いたがき まさつら/しょうかん、明治36年(19… 板垣 正貫(いたがき まさつら/しょうかん、明治36年(1903年)2月3日 – 昭和17年(1942年)11月26日)は、板垣退助の孫で土佐板垣氏(乾氏)の第12代当主。 明治36年(1903年)2月3日、板垣鉾太郎の三男として東京府荏原郡品川町大字北品川宿141番地に生まれる。母は松本丑太郎の長女 節子(せつこ)。本名は「まさつら」と読むが、家人をはじめ親しい人からは「しょうかん」と音読みで呼ばれた。 大正15年(1926年)、早稲田大学専門部政治経済科を卒業し、浅野スレート株式会社に勤務する。 同年(1926年)、兄板垣守正が、祖父退助を侮辱するかのような戯曲『自由党異変』を上演しようとして、自由党員らの反発を買い問題化したため、同5月24日付けで東京区裁判所の判決により6月12日に守正が隠居し、正貫が家督を相続することで事態を沈静化させた。