戸田 菊雄(とだ きくお、1924年3月6日 - 2013年… 戸田 菊雄(とだ きくお、1924年3月6日 - 2013年7月13日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。参議院議員(2期)。 福島県いわき市出身。1944年仙台鉄道教習所普通部卒業。国労仙台地本委員長、宮城県労評議長を経て、1962年の参院選で宮城地方区から日本社会党公認で立候補したが、落選。1965年の参議院宮城補欠選挙に社会党公認で立候補したが、落選。同年の参院選で社会党公認で立候補して初当選。2期務めた。1977年の参院選では自民党公認の大石武一に敗れて落選。1979年の総選挙で宮城1区から社会党公認で立候補したが、落選(同じ選挙区から立候補した西宮弘も落選)。次の1980年の総選挙で初当選し、衆議院議員を4期務める。
もっと読む
玉ノ川 正行(たまのかわ まさゆき、1924年3月6日 - … 玉ノ川 正行(たまのかわ まさゆき、1924年3月6日 - 没年不明)は、二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は恵良 正行(えら まさゆき)。現在の大分県宇佐市出身。176cm、92kg。最高位は西十両7枚目。得意技は右四つ、押し。 1943年5月場所に初土俵。1950年5月場所に十両昇進。自己最高位まで番付を上げた1951年1月場所は初日から休場し、この場所限りで廃業した。廃業後はプロレスラーに転向した。
もっと読む
石田 名香雄(いしだ なかお、1923年〈大正12年〉3月6… 石田 名香雄(いしだ なかお、1923年〈大正12年〉3月6日 - 2009年〈平成21年〉12月4日)は、日本の医学者、ウイルス学者。元東北大学学長。仙台市名誉市民。二男は分子生物学者の石田直理雄。 新潟県上越市生まれ。旧制仙台一中、旧制二高、東北帝国大学医学部卒業。ウイルスベクターとして知られるセンダイウイルス、また、制癌抗生物質ネオカルチノスタチンを発見した。野口英世記念医学賞、日本学士院賞などを受賞。お酒が好きなことで知られており、利酒が趣味だった。学生に抜群の人気があった。 ミシガン大学ウイルス研究所留学
もっと読む
岡部 伊都子(おかべ いつこ、1923年3月6日 - 200… 岡部 伊都子(おかべ いつこ、1923年3月6日 - 2008年4月29日)は、日本の随筆家。 大阪府大阪市出身。1936年、相愛高等女学校を結核のため中退。婚約者が沖縄戦で戦死しており、この時の体験から、自分を「加害の女」と呼び、「女は被害者ではない。送り出した自分も戦争に加担した」と語っていた。戦後すぐ結婚したが、7年後に離婚[要出典]。同人誌『文学室』に参加[要出典]、谷沢永一は岡部の才能を最初に認めたのは自分であると書いている(『回想開高健』[要ページ番号])。 1954年から朝日放送「四百字の言葉」の原稿を担当し、これをまとめた『おむすびの味』(1956年)で認められる。美術・伝統・自然・歴史・戦争・沖縄・差別・環境問題など、様々なジャンルの著書・連載を多数残した。
もっと読む
真弓 常忠(まゆみ つねただ、1923年3月6日 - 201… 真弓 常忠(まゆみ つねただ、1923年3月6日 - 2019年4月3日)は、日本の神職・神道学者・歴史学者。皇學館大学名誉教授。住吉大社名誉宮司。 大阪市生まれ。神宮皇學館大學卒業後、1975年まで住吉大社禰宜、1993年まで皇學館大学教授。退任後は八坂神社宮司を経て、住吉大社宮司に就いた。2012年より同名誉宮司。2019年4月3日に死去。96歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
もっと読む
後藤 康男(ごとう やすお、1923年3月6日 - 2002… 後藤 康男(ごとう やすお、1923年3月6日 - 2002年11月27日)は、日本の実業家で、安田火災海上保険(現・損害保険ジャパン)元会長。 愛媛県松山市出身。1949年安田火災海上保険株式会社に入社。働きながら法政大学に通った。1951年法政大学経済学部卒業。 福岡支店長、社長室長などを経て1983年から取締役社長に。社長時代に、ゴッホの名画「ひまわり」を購入したことは有名。1992年から経団連自然保護基金運営協議会会長となった。環境派の経済人としてさまざまな活動を行ったことでも評価が高い。1988年藍綬褒章を受章。 「ひまわり」について、購入者(漠然と後藤康男を指すと思われる)が「死んだら棺おけに一緒に入れて焼いてくれ」という旨の発言をしたとの都市伝説があるが、そのような発言があったのはゴッホ作「医師ガシェの肖像」を購入した当時大昭和製紙名誉会長の齊藤了英であり、高額購入されたゴッホ作ということで勘違いされているものと思われる。
もっと読む
藤平 春男(ふじひら はるお、1923年3月6日 - 199… 藤平 春男(ふじひら はるお、1923年3月6日 - 1995年7月19日)は、日本の国文学者。早稲田大学名誉教授。 東京府生まれ。1944年早稲田大学文学部卒業、早稲田大学第二文学部教授を務め、1976-1978年学部長、1992年定年退任、名誉教授。和歌、特に新古今和歌集が専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
もっと読む
村井 実(むらい みのる、1922年3月6日 - 2024年… 村井 実(むらい みのる、1922年3月6日 - 2024年10月18日)は、日本の教育学者。慶應義塾大学名誉教授。 佐賀県東松浦郡北波多村芳谷炭鉱(現:唐津市)の商店で7人兄妹の長男として生まれる。旧制唐津中学、広島高等師範学校英語科を経て、1944年広島文理科大学教育学科卒業。長崎青年師範学校助教授、同時に東部四六部隊の見習士官で終戦。1961年「教育的思惟の性格 ソクラテス研究」で広島大学より文学博士の学位を取得。 1948年慶應義塾大学文学部講師、1949年助教授、1961年教授、1962-66年慶應義塾女子高等学校校長、1987年定年、名誉教授、大東文化大学教授。ハーバード大学、テュービンゲン大学、ケルン大学、プリンストン高等研究所などの欧米の大学・研究所で教育哲学・思想史の研究を行った。
もっと読む
青木 昌治(あおき まさはる、1922年3月6日 - 199… 青木 昌治(あおき まさはる、1922年3月6日 - 1991年9月29日)は、日本の電子工学者。 東京出身。東北帝国大学理学部物理学科卒業。1960年7月より東京大学工学部電子工学科助教授、1963年6月より教授を務め、1982年に定年退官。その後、東京理科大学工学部電子工学科の教授を務めた。第12期日本学術会議会員。 1940年代末以降、熱電変換素子の研究で顕著な業績を挙げた。東京大学工学部電子工学科では化合物半導体の発光ダイオードの材料の研究を進めた。 1991年9月29日、甲状腺癌のため死去。
もっと読む
森 麗子(もり れいこ、1921年3月6日 - )は、日本の… 森 麗子(もり れいこ、1921年3月6日 - )は、日本の教育者、生物学者、手芸家、詩人。 旧姓は萩原(はぎわら)。書籍などで森 れい子(もり れいこ)との名義を用いることもある。 静岡県森町高等女学校、静岡高等学校、文化服装学院での勤務を経て、ガブロム工房主宰などを歴任した。 静岡県出身の手芸家である。旧制高等女学校や旧制高等学校の教員を経て、結婚を機に手芸家として活動する。エドナ・マーチンに師事したのち、さまざまな技法を駆使して糸で絵を描く「ファブリックピクチャー」を確立し、日本における第一人者として知られている。ガブロム工房の主宰としても活動し、個展だけでなく工房展なども開催した。旧制の静岡県森町高等女学校や静岡高等学校で教鞭を執り、戦後は文化服装学院において後進を育てた。
もっと読む
岩橋 利男(いわはし としお、1921年3月6日 - 没年不… 岩橋 利男(いわはし としお、1921年3月6日 - 没年不明)は、福岡県出身のプロ野球選手。 明善中学校から門司鉄道管理局に入社。門司鉄道管理局時代は三塁手として活躍するも、戦後の国鉄の人員整理に掛かり、退社を余儀なくされた。 1950年に、この年創設された国鉄スワローズの結成に参加。3月10日の開幕戦(かつスワローズの緒戦)・大洋戦(下関球場)では「3番・一塁手」として先発出場。チーム事情から4番を打つ機会も多かった。球団初のサヨナラ安打を含む、サヨナラヒットを2本打っている。1952年に引退した。
もっと読む
村松 幸雄(むらまつ ゆきお、1920年3月6日 - 194… 村松 幸雄(むらまつ ゆきお、1920年3月6日 - 1944年7月25日)は、静岡県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。
もっと読む
新田 伸三(にった しんぞう、1920年(大正9年)3月6日… 新田 伸三(にった しんぞう、1920年(大正9年)3月6日 - 1997年(平成9年)7月)は、日本の造園学者・造園家・造園教育者。専門は、緑化工学・種子吹付での緑化工法・法面緑化手法・運動場の土質構造など。農学博士。九州芸術工科大学名誉教授。九州芸術工科大学学生部長・日本造園学会理事・同学会副会長・日本緑化工学会会長他を歴任。京都府京都市東山区出身。 (審議会委員歴)愛知県自然環境保全審議会委員、名古屋市都市景観審議会委員北九州市都市景観審議会委員、佐賀県名護屋城跡保存整備委員会委員、他
もっと読む
小林 福子(こばやし ふくこ、1920年3月6日 - 201… 小林 福子(こばやし ふくこ、1920年3月6日 - 2012年8月9日)は日本の作曲家、音楽教師。桐朋学園大学附属子供のための音楽教室で長年教師としてソルフェージュを指導した。 1920年、東京に生まれる。成城小学校6年生のときに成城学園教師の岡本敏明から作曲の手ほどきを受けた。1938年に東京音楽学校予科に入学。橋本國彦、ヘルムート・フェルマー、井口基成に師事し、作曲とピアノを学んだ。1942年9月に同校本科作曲部を卒業。同年の『著作権者名簿』に、小林は「作曲」家として掲載され、1948年と1949年の紳士録にも「作曲家」として掲載されている。 小林はピアニストとしても活動し、1949年11月22日には声楽家柴田睦陸の伴奏者としてフォーレ、ショーソンなどの作品を演奏した。
もっと読む
芥川 隆行(あくたがわ たかゆき、1919年〈大正8年〉3月… 芥川 隆行(あくたがわ たかゆき、1919年〈大正8年〉3月6日 - 1990年〈平成2年〉10月2日)は、日本の元アナウンサー、ナレーター、司会者。本名は同じ。東京府(現・東京都)出身。 1951年10月にラジオ東京(現TBS)にアナウンサー第1期生として入社。1959年12月にラジオ東京を退社。1960年1月にフリーとなり芥川企画を設立し司会者・ナレーターとしても活躍した。日本におけるナレーターの草分け的存在でもあり、時代劇、演歌番組において、芥川節と呼ばれるめりはりのきいた渋い語り口で活躍。代表作には『木枯し紋次郎』、『必殺シリーズ』、『西遊記』、『水戸黄門』等。顔のない名優といわれた。妻はラジオ東京アナウンサー第1期生の本田節子。
もっと読む
吉田 喜一(よしだ きいち、1919年(大正8年)3月6日 … 吉田 喜一(よしだ きいち、1919年(大正8年)3月6日 - 1944年(昭和19年)12月21日)は、昭和時代戦前の競泳選手。 大分県出身。早稲田大学在学中、1936年ベルリンオリンピックに競泳日本代表として男子100m背泳ぎに出場し5位に入賞した。 太平洋戦争が勃発すると陸軍に召集され飛行第73戦隊に所属した。1944年(昭和19年)12月、ミンダナオ島にて特攻により戦死した。
もっと読む
荒木 道子(あらき みちこ、1917年〈大正6年〉3月6日 … 荒木 道子(あらき みちこ、1917年〈大正6年〉3月6日 - 1989年〈平成元年〉3月24日)は、日本の女優。元夫は文芸評論家の菊池章一。息子は俳優・歌手の荒木一郎。 1917年(大正6年)3月6日、東京府東京市神田区三崎町(現在の東京都千代田区神田)に生まれる。父は文芸評論家の至文、母は青鞜社出身の作家の滋子で、兄が2人いた。 明化尋常小学校を経て1934年(昭和9年)、女子学院を卒業。YWCAの語学部職員、帝大図書館員を経て、1938年(昭和13年)に文学座研究所に入り、賀原夏子、青野平義、小山源喜らとともに第1回生として卒業。同年に勉強会『かりそめになすな恋』で初舞台を踏み、田中澄江作『はるあき』の柿沢てい子役で本格的にデビューする。
もっと読む
広田 慎吾(ひろた しんご、1917年(大正6年)3月6日 … 広田 慎吾(ひろた しんご、1917年(大正6年)3月6日 - 2014年(平成26年)1月17日)は日本の実業家、元東洋製缶社長・会長、東洋鋼鈑・東洋ガラス・東洋機械販売各取締役。 大阪府出身。趣味はゴルフ。 1937年(昭和12年)、大阪商科大学高等商学部卒業、東洋製缶入社。営業部長等を歴任し、1962年(昭和37年)同社取締役。1964年(昭和39年)同社常務取締役、1971年(昭和46年)同社専務取締役、1976年(昭和51年)同社代表取締役副社長。 1984年(昭和59年)藍綬褒章受章。 2014年1月17日、肺炎のため死去、96歳。 交詢社 第69版 『日本紳士録』 1986年 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
坂下 昇(さかした のぼる、1917年3月6日 - 没年不明… 坂下 昇(さかした のぼる、1917年3月6日 - 没年不明)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。 鹿児島県生まれ。1943年東京帝国大学文学部卒。戦後通商産業省勤務を経て、1952年ニューヨーク大学大学院法学研究科修了、1965年までビジネスマンとして滞米。 淑徳短期大学教授を務め、メルヴィル全集を独自の訳語で翻訳、1983年日本翻訳文化賞を受賞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
もっと読む
結城 信一(ゆうき しんいち、1916年3月6日 - 198… 結城 信一(ゆうき しんいち、1916年3月6日 - 1984年10月26日)は、日本の小説家である。 東京府生まれ。1933年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。早稲田大学英文科卒。国際学友会の日本語学校の教師を経て、1948年、「秋祭」で作家デビュー。以後、『早稲田文学』ほかの文芸雑誌、年に二作程度の短篇を発表する寡作で地味な作家だったが、1980年、老人と少女の交流を描いた「空の細道」で日本文学大賞受賞。没後の2000年、未知谷より全3巻の『結城信一全集』(串田孫一、郡司勝義、結城信孝責任編集)が刊行された。アンソロジスト、エッセイストの結城信孝は息子。墓所は荒川区西日暮里の本行寺。
もっと読む
岩井 重久(いわい しげひさ、1916年3月6日 - 199… 岩井 重久(いわい しげひさ、1916年3月6日 - 1996年10月14日)は、日本の土木工学者・衛生工学者。京都大学名誉教授・衛生工学科創設者。工学博士(京都大学)。International Association on Water Pollution Research and Control(IAWPRC)名誉会員。環境技術研究協会創設者・初代会長。元土木学会関西支部常議員。勲二等瑞宝章受章。環境衛生工学の第一人者の一人。位階は正四位。 専門は、衛生工学・土木工学、上下水道学・水理学、環境科学・循環型社会システム、廃棄物処理・工業排水処理など。 京都府出身。1936年旧制大阪高等学校卒業。
もっと読む
恩田逸夫(おんだ いつお、1916年3月6日 - 1979年… 恩田逸夫(おんだ いつお、1916年3月6日 - 1979年8月24日)は、日本近代文学研究者。 東京生まれ。東京帝国大学文学部国文科卒、同大学院(旧制)修了。明治薬科大学教授、跡見学園女子大学教授を務めた。没後宮沢賢治研究の業績に対して日本児童文学学会賞受賞。弟は画家の恩田秋夫。義兄は医学者の武重千冬。
もっと読む
清水 たみ子(しみず たみこ、1915年3月6日 - 201… 清水 たみ子(しみず たみこ、1915年3月6日 - 2010年4月30日)は、日本の児童文学作家、詩人。 埼玉県生まれ。東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)卒。北原白秋の指導を受け、「赤い鳥」に児童自由詩や童謡を投稿する。1991年「清水たみ子詩集 かたつむりの詩」で第21回赤い鳥文学賞、第21回日本童謡賞受賞。日本児童文学者協会、日本童謡協会会員。
もっと読む
大塚 全一(おおつか ぜんいち、1915年3月6日 - 19… 大塚 全一(おおつか ぜんいち、1915年3月6日 - 1996年4月21日)は、日本の土木系都市計画家。都市計画研究者。早稲田大学理工学部教授。 東京出身。旧制武蔵高等学校から東京帝国大学工学部土木科に進学し1939年に卒業後、内務省都市計画地方委員会に入省し山口県に赴任。山口地方委員会に勤め都市計画を担当。その後1943年に海軍に勤務した。戦後は短期間武蔵工業専門学校講師を経て戦災復興で再び都市計画を担当することになり, 京都府や大阪府の都市計画課, 奈良県の道路課に足掛け11年奉職し, 1957年に建設省 (現国土交通省)に移る。途中2年ほど首都高速道路公団に出向したが, 技術審議官や都市局技術参事官を歴任し、1966年に中国地方建設局長(現中国地方整備局長)で退官するまで、都市計画と道路の分野で活躍した。
もっと読む
久保田 魁(くぼた かい/いさお、1915年〈大正4年〉3月… 久保田 魁(くぼた かい/いさお、1915年〈大正4年〉3月6日 - 1976年〈昭和51年〉5月27日)は、昭和時代に活動した日本画家、日展会員。 単色・同系色を繊細に使いこなして日本の山川を表現する風景画を得意とし、多くの作品が絵画として頒布されている。同時期に活動していた奥田元宋らとともに児玉希望に師事し、不忍池辯天堂の天井絵を合同で描いた。 1915年、群馬県桐生市にて生まれる。 奥田元宋や佐藤太清と親友関係にあり、絵の世界でも切磋琢磨しあう関係だったとされている。奥田と佐藤は文化勲章を叙勲しており、久保田もその才能に期待はされていたものの、久保田は長らく戦争に出兵しており惜しくもその機を逃した。
もっと読む
中井 正文(なかい まさふみ、1913年3月6日 - 201… 中井 正文(なかい まさふみ、1913年3月6日 - 2016年10月27日)は、日本の翻訳家、作家、独文学者。 東京帝国大学ドイツ文学科在籍中に、フランツ・カフカのドイツ語全集を手に入れ、戦後「変身」「アメリカ」などの翻訳を行う。 作家として「神話」で『中央公論』懸賞入選。「寒菊抄」で第20回直木賞候補。生まれ育った広島県を舞台とした戦争文学を残している。 早くから作家を志し、東大在学中は石川達三を敬愛、同氏とともに同人誌『星座』に参加する。本郷界隈で、高校、大学の後輩梅崎春生、学友の檀一雄、太宰治、織田作之助らと親交を持ち、ともに作家を目指した。 広島大学教授。のち同大学名誉教授。 1986年に勲三等旭日中綬章。
もっと読む
鷲見 四郎(すみ しろう、1913年3月6日 - 2003年… 鷲見 四郎(すみ しろう、1913年3月6日 - 2003年9月22日)は、日本のヴァイオリニストである。鷲見三郎の弟、鷲見加寿子の父、鷲見由希子と鷲見精一の祖父。 鳥取県米子市尾高町出身。1928年、レオポルト・アウアー門下のニコライ・シフェルブラットに師事する。1929年、新交響楽団(現在のNHK交響楽団)に入団する。 1932年、第1回音楽コンクール(現在の日本音楽コンクール)のヴァイオリン部門で最優秀者に贈られる「賞」(現在の第1位)を受賞し、翌1933年の第2回でも続けて「賞」を受賞した。戦後、NHK交響楽団のコンサートマスターを務めた。1961年から1981年まで国立音楽大学教授を務めた。
もっと読む
都留 重人(つる しげと、1912年〈明治45年〉3月6日 … 都留 重人(つる しげと、1912年〈明治45年〉3月6日 - 2006年〈平成18年〉2月5日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。公害の政治経済学を提唱し、雑誌『公害研究』(現『環境と公害』)創刊。 初代一橋大学経済研究所長、第6代一橋大学学長、ハーバード大学客員教授、イェール大学客員教授、国際経済学連合会長(日本人初)を歴任、日本学士院会員に選出された。日本人として2人目のハーバード大学名誉学位保持者。国民経済計算における三面等価の原則の考案・命名などをおこなった。 大分県生まれ、名古屋市育ち。小学校第5学年修了、旧制愛知県熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)第4学年修了を経て第八高等学校(現・名古屋大学)に入学したが、日本の中国侵入に反対して欠席届を出さずにストライキを起こしたため(反帝同盟事件)、宮崎辰雄(元神戸市長)、田中文雄(元王子製紙社長)、河本敏夫(元通産大臣)らとともに除籍される。
もっと読む
古関 金子(こせき きんこ、1912年(明治45年)3月6日… 古関 金子(こせき きんこ、1912年(明治45年)3月6日 - 1980年(昭和55年)7月23日)は、日本の声楽家、詩人。旧姓、内山。夫は、作曲家の古関裕而。 1912年(明治45年)、内山安蔵・みつの六女として、愛知県渥美郡高師村(現・豊橋市)に生まれる。家族は、長兄と女性10人(うち、長女・次女・三女・八女は早世)。父・安蔵は、豊橋市に駐屯していた陸軍第十五師団に蹄鉄・馬具・蹄油などの物資を納入する「内山安蔵商店」を営んでいたが、金子が12歳の時(1924年(大正13年)10月3日)に死去。その後は母親が家業を引き継ぎ、子育てをした。 金子は、幼い頃からお転婆で、音楽と文学が好きでオペラ歌手を目指していたという。
もっと読む
遠見 豊子(とおみ とよこ、1912年3月6日 - 1979… 遠見 豊子(とおみ とよこ、1912年3月6日 - 1979年8月3日)は日本のピアニスト、音楽教育者。京都府出身。1929年に東京音楽学校予科に入学。1933年3月に同校本科器楽部ピアノ専攻を卒業。同年より同校の聴講科と研究科に進学し、1935年3月に聴講科ピアノ専攻を、1936年3月に研究科作曲部を修了。レオ・シロタ、クラウス・プリングスハイム、レオニード・クロイツァーに師事した。1939年10月(2日または20日)にデビュー。上野楽星会員。東京女子高等師範学校、武蔵野音楽学校、上野児童音楽学園講師。お茶の水女子大学教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
小柳 胖(おやなぎ ゆたか、1911年〈明治44年〉3月6日… 小柳 胖(おやなぎ ゆたか、1911年〈明治44年〉3月6日 - 1986年〈昭和61年〉1月4日)は、日本の記者、新聞編集者、実業家。新潟日報社第4代社長、會津八一記念館初代館長。 新潟県新潟市に生まれ、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業後、同盟通信社(現 共同通信社)などを経て、新潟日報社編集局長の時に太平洋戦争に応召し、硫黄島でアメリカ軍の捕虜となると、ハワイの捕虜収容所に送られた。 そこで情報将校ドナルド・キーン海軍中尉と親しくなり、未来の日本について語り合った。 包容力があり、太っ腹で、日本人捕虜の仲間たちから、「おやじ」や「とっつぁん」などと呼ばれていたため、捕虜収容所所長の情報将校オーテス・ケーリ海軍中尉から、幡随院長兵衛の一字を採って「幡さん」と名付けられた。
もっと読む
羽田 明(はねだ あきら、1910年3月6日 - 1989年… 羽田 明(はねだ あきら、1910年3月6日 - 1989年12月27日)は、日本の歴史学者。研究分野はアジア史。京都大学名誉教授。父は東洋史学者の羽田亨。東京大学名誉教授羽田正の伯父にあたる。 1910年、京都市生まれ。第三高等学校を経て東京帝国大学文学部東洋史学科で学び、1934年に卒業した。1936年9月より2か年にわたりフランス政府招聘留学生としてパリ大学に留学する。 帰国翌年1939年1月より東亜研究所嘱託員となり、中央アジア近世史に着手する。1940年3月より母校である第三高等学校の講師となり、翌年に同校教授、1949年京都大学教養部教授となり、東洋史学を講じた。1962年に学位論文『中央アジア史研究(近世篇)』を京都大学に提出し、文学博士号を取得。
もっと読む
矢野 亮(やの りょう、1910年(明治43年)3月6日 -… 矢野 亮(やの りょう、1910年(明治43年)3月6日 - 1986年(昭和61年)7月24日)は昭和期の作詞家。本名三上好雄。 茨城県下館市出身。明治大学商学部卒業。 キングレコードのディレクターから作詞家になった。小畑実「星影の小径」、津村謙・吉岡妙子「あなたと共に」、若原一郎「おーい中村君」、三橋美智也「リンゴ村から」、「夕焼けとんび」など多くの曲を作詞した。 他のペンネームには、哥川欣也、鈴木尭、三上好生、三上好雄がある。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
もっと読む
大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年〈明治42年〉3… 大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年〈明治42年〉3月6日 - 1988年〈昭和63年〉12月25日)は、日本の小説家、評論家、フランス文学の翻訳家・研究者。 東京牛込に生まれた。父は相場師で、社会的身分の変動が激しく、それが自我の目覚めを早熟にしたという。戦前はスタンダールを研究した。フィリピンのミンドロ島での俘虜経験をもとにした『俘虜記』(1948年)で作家の地位を確立。『武蔵野夫人』(1950年)などの恋愛小説の秀作も書くが、その目は一貫して戦争に向けられていた。戦記文学『レイテ戦記』『野火』が代表作である。1972年に日本芸術院会員に推されたが、俘虜の経験を理由に辞退した。 1909年(明治42年)3月6日、 東京市牛込区(現:新宿区)新小川町に父・貞三郎、母・つるの長男として生まれた。
もっと読む
高 凰京(コ・ファンギョン、朝鮮語: 고황경、1909年3月… 高 凰京(コ・ファンギョン、朝鮮語: 고황경、1909年3月6日 - 2000年11月2日)は、大韓民国の社会学者、大学教授、女性運動家。ソウル女子大学校初代総長。 本貫は済州高氏、号はパロム(바롬)。 1909年3月6日、ソウルにて1男3女中の次女として生まれた。黄海道恩津義塾を経て、1924年に京城女子高等普通学校(現・京畿女子高等学校)、1928年に同志社女子専門学校(現・同志社女子大学)英文学科、1931年に同志社大学法学部、1933年にミシガン州立大学大学院卒(経済学修士)。1935年にミシガン州立大学で社会学の博士課程を修了して帰国し、1944年までに梨花女子専門学校(現・梨花女子大学校)の教授を務め、法学、経済学、社会学、英語などを教えた。
もっと読む
鳴海潟 陸奥雄(なるみがた むつお、1909年3月6日 - … 鳴海潟 陸奥雄(なるみがた むつお、1909年3月6日 - 没年不明)は、青森県南津軽郡浅瀬石村(現・黒石市)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は鳴海 源吉。最高位は西十両9枚目(ただし、後述のように十両力士として土俵に上がらなかった)。 1925年郷里の大関大ノ里に憧れて上京し出羽海部屋に入門した。翌1926年1月場所「鳴海潟」の四股名で番付についた。その後は順調に番付を上げ、1932年1月場所で十両に昇進した。しかし、番付発表後天竜は角界の改革を訴えこれに大ノ里も同調したため春秋園事件が起きた。天竜、大ノ里らは相撲協会を脱退。鳴海潟も大ノ里と行動を共にし脱退した。天竜率いる「大日本新興力士団」に加わった。
もっと読む
救仁郷 繁(くにごう しげる、1907年3月6日 - 200… 救仁郷 繁(くにごう しげる、1907年3月6日 - 2001年5月26日)は、日本の翻訳家、経済学者。 北海道札幌市生まれ。北海道帝国大学農学部農業経済学科卒。1962年「西ドイツの農業経済」で北海道大学農学博士。ソ連の農業経済などに関する著作を翻訳した。
もっと読む
矢島 悦太郎(やじま えつたろう、1906年3月6日 - 2… 矢島 悦太郎(やじま えつたろう、1906年3月6日 - 2001年2月22日)は、日本の社会政策学者。中央大学名誉教授。中央大学経済学部長や、社会政策学会代表幹事を務めた。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)を経て、1931年東京商科大学(現一橋大学)学部卒業。井藤半彌ゼミ出身。1958年から1960年まで第5期社会政策学会代表幹事。1963年から1967年まで中央大学経済学部長。1970年から1972年まで第11期社会政策学会代表幹事。中央大学バドミントン部部長なども務めた。中央大学定年後、1986年まで亜細亜大学教授。2001年2月22日、急性肺炎のため死去。
もっと読む
吉井 淳二(よしい じゅんじ、1904年〈明治37年〉3月6… 吉井 淳二(よしい じゅんじ、1904年〈明治37年〉3月6日 - 2004年〈平成16年〉11月23日)は、日本の洋画家、文化勲章受章者。鹿児島市立美術館顧問 鹿児島県曽於郡末吉町(現曽於市)出身。 鹿児島県曽於郡末吉町に生まれる。1922年(大正11年) 鹿児島県立志布志中学校(現在の鹿児島県立志布志高等学校)卒業。1929年(昭和4年) 東京美術学校洋画科卒業。 1940年(昭和15年) 二科会会員就任。1961年(昭和36年) 同会理事就任。1965年(昭和40年) 日本芸術院賞受賞。1972年(昭和47年) 南日本美術展審査委員長就任。1976年(昭和51年) 日本芸術院会員就任。1977年(昭和52年) 勲三等瑞宝章に叙される。
もっと読む
香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年〈明治36年〉3月6… 香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年〈明治36年〉3月6日 - 2000年〈平成12年〉6月16日)は、日本の第124代天皇・昭和天皇の皇后(在位: 1926年〈昭和元年〉12月25日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は、良子(ながこ)。お印は、桃。 久邇宮家出身の生まれながらの皇族であり、誕生から昭和天皇の践祚以前は、名と身位は「良子女王(ながこじょおう)」と称され、皇室典範における敬称は「殿下」であった。 1924年(大正13年)1月26日に摂政宮皇太子裕仁親王(のち昭和天皇)と成婚し、2男5女を儲けた。1926年(大正15年/昭和元年)12月25日、大正天皇の崩御及び昭和天皇の践祚に伴い、皇后に冊立された。
もっと読む
藤岡 由夫(ふじおか よしお、1903年3月6日 - 197… 藤岡 由夫(ふじおか よしお、1903年3月6日 - 1976年3月13日)は、日本の物理学者。
もっと読む
西村 龍介(にしむら りゅうすけ、1903年3月6日 - 1… 西村 龍介(にしむら りゅうすけ、1903年3月6日 - 1989年5月13日)は、日本の経営者。小西六写真工業(現在のコニカミノルタ)社長を務めた。 山口県出身。1926年に九州帝国大学工学部を卒業。商工省での勤務を経て、1932年に小西六写真工業に転じ、1948年に取締役に就任し、1954年に常務を経て、1968年4月に社長に就任。1973年11月から1979年12月までに会長を務めた。東京工芸大学理事長も務めた。 1966年9月に紫綬褒章を受章し、1973年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1989年5月13日、心不全のために死去。86歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
藤 直幹(ふじ なおもと、1903年3月6日 - 1965年… 藤 直幹(ふじ なおもと、1903年3月6日 - 1965年8月24日)は、日本の日本史学者。 徳島県徳島市に生まれる。松山高等学校を経て、1928年京都帝国大学文学部史学科卒業。1931年に同大学院を退学し、京都帝国大学文学部講師となる。1936年助教授。戦後は、1948年に大阪大学法文学部教授(1953年、文学部教授)となり、1958年には文学部長。 専門は日本中世史。「中世武家故実の研究」によって1948年に京都大学から文学博士の学位を授与される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
もっと読む
深川 正一郎(ふかがわ しょういちろう、1902年3月6日 … 深川 正一郎(ふかがわ しょういちろう、1902年3月6日 - 1987年8月12日)は、愛媛県出身の俳人。 宇摩郡上山村(現・四国中央市)に生まれる。11歳で両親と死別し祖父母に育てられる。川之江二洲学舎(戦後は愛媛県立川之江高等学校定時制に引き継がれる)を卒業。在学中より俳句・短歌をたしなむ。 1924年、文藝春秋に入社。1930年、日本コロムビア編集長に就任。翌年、俳句朗読の録音で高浜虚子と知り合い師事する。のち「ホトトギス」同人。1949年「冬扇」を創刊・主宰。1973年、妻の健康のため「冬扇」を終刊。 1987年、「ホトトギス」同人会長となり、また日本伝統俳句協会設立に伴い初代副会長に就任。
もっと読む
沖 不可止(おき ふかし、1902年3月6日 - 1976年… 沖 不可止(おき ふかし、1902年3月6日 - 1976年3月15日または3月31日)は、日本の昭和期の作曲家、指揮者、チェロ奏者。東京府出身。ハインリヒ・ヴェルクマイスターと信時潔に師事し、1926年(大正15年)3月に東京音楽学校本科器楽部チェロ専攻を卒業。妻は日本舞踊家の藤蔭絃枝(2代目藤蔭静枝、本名:沖カツ子)。数多くの学校の校歌を作曲している。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
もっと読む
馬越 晃(うまごし / うまこし あきら、1902年(明治3… 馬越 晃(うまごし / うまこし あきら、1902年(明治35年)3月6日 - 1971年(昭和46年)7月19日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)。旧姓は山口。 愛媛県北宇和郡岩松村(岩松町、津島町を経て現宇和島市)の山口家に生まれ、越智郡今治町今治(現今治市)の馬越大吉の養子となる。1924年(大正13年)愛媛県立弓削商船学校(現弓削商船高等専門学校)を卒業し、1930年(昭和5年)甲種船長に合格した。 その後、家業の魚問屋を継承して会社組織に変更。1932年(昭和7年)今治市会議員に当選。1933年(昭和8年)11月の補欠選挙で愛媛県会議員に選出され、1946年(昭和21年)まで3期在任し、同参事会員、同副議長を務めた。
もっと読む
蔭山 如信(かげやま ゆきのぶ、1901年〈明治34年〉3月… 蔭山 如信(かげやま ゆきのぶ、1901年〈明治34年〉3月6日 - 1977年〈昭和52年〉8月25日)は、日本の経営者。徳山曹達(現在のトクヤマ)社長を務めた。 東京都出身。1919年に大倉商業学校を卒業し、同年4月に岩井商店に入社。 1934年9月に徳山曹達に転じ、1939年5月に取締役に就任し、1943年10月に常務を経て、1946年7月に社長に就任。1974年5月に会長を経て、1976年6月には相談役に就任した。 経済団体連合会理事、日本経営者団体連盟理事、山口放送取締役、RKB毎日放送監査役なども歴任した。 1962年5月に藍綬褒章を受章し、1971年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1977年8月25日、心不全のために死去。
もっと読む
宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年〈明治32年〉3月… 宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年〈明治32年〉3月6日 - 1976年〈昭和51年〉9月4日)は、日本の法学者。専攻は憲法。東京大学名誉教授。立教大学法学部元教授。貴族院議員。日本野球機構(プロ野球)コミッショナー。位階は従二位。日本国憲法の制定に寄与し、憲法学の権威と謳われた。美濃部達吉門下。弟子に佐藤功、高柳信一、小嶋和司、芦部信喜、深瀬忠一など。 1899年(明治32年)3月6日、長野県長野市に生まれる。旧制長野中学、東京府立四中、第一高等学校を卒業。 1923年、東京帝国大学法学部卒業後、美濃部達吉の助手(弟子)となり、1925年、同大学法学部助教授となる。1930年から1932年にかけて、フランス、ドイツ、アメリカへ留学。
もっと読む
宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年(明治32年)3月… 宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年(明治32年)3月6日 - 1976年(昭和51年)9月4日)は、日本の法学者。専攻は憲法。東京大学名誉教授。貴族院議員。長野県長野市出身。
もっと読む
富田 至誠(とみた しせい、1897年(明治30年)3月6日… 富田 至誠(とみた しせい、1897年(明治30年)3月6日 - 1949年(昭和24年)5月31日)は、日本の洋画家であり、美術教師。熊本県出身。 旧姓松尾至誠。東京美術学校西洋画科、(現東京藝術大学油画専攻)卒業後すぐに、新設された熊本県立御船中学校、現在の熊本県立御船高等学校に図画教師(美術教師)として赴任。以後、学制改革により御船中学校が御船高等学校となった翌年(昭和24年)に病没するまでの間、同校で教鞭をとり続ける。昭和6年11月の天皇行幸、陸軍大演習に際して休憩所に飾る天覧の絵を描くなど優れた画力を持ちながら、文展、帝展等の公募展には一切出展せず、生涯一美術教師を通す。 井手宣通・浜田知明ら、日本を代表する美術家や美術教師を多数育てる。
もっと読む