高島 正義(たかしま まさよし、1938年2月7日 - 没年… 高島 正義(たかしま まさよし、1938年2月7日 - 没年不明)は、福岡県出身のプロ野球選手(内野手)。 西南学院高校では、1956年に春季九州大会県予選南部準決勝に進むが修猷館高に敗退。卒業後は門司鉄道管理局に進み、都市対抗などで活躍。この時のチームメートに宮川孝雄がいた。 1960年に東映フライヤーズへ入団。1年目から西園寺昭夫の控え三塁手として起用され、6月からは西園寺の故障もあって26試合に先発出場。その後は一時低迷するが、1963年には準レギュラーとして復帰。1964年は二塁手も兼ね自己最多の124試合に出場、うち32試合に先発する。翌1965年は主に守備固めとして出場、1966年限りで引退。
浅野 孝(あさの たかし、1937年2月7日 - ) は、日… 浅野 孝(あさの たかし、1937年2月7日 - ) は、日本出身でアメリカ合衆国の環境工学者。カリフォルニア大学デービス校名誉教授。 北海道札幌市生まれ。北海道札幌南高等学校卒業後、1959年北海道大学農学部農芸化学科卒業。1965年カリフォルニア大学バークレー校工学部土木・環境工学科工学修士(M.S.E.)。1970年ミシガン大学土木環境工学科工学博士(Ph.D.)。1978年から1999年までカリフォルニア州水資源管理局水質高度利用専門官兼務。1981年カリフォルニア大学デービス校教授。2002年カリフォルニア大学デービス校名誉教授。2009年科学技術振興機構水領域アドバイザー。
阿久 悠(あく ゆう、1937年〈昭和12年〉2月7日 - … 阿久 悠(あく ゆう、1937年〈昭和12年〉2月7日 - 2007年〈平成19年〉8月1日)は、淡路島出身の放送作家、詩人、作詞家、小説家。数々のヒット曲の歌詞を生み出し、日本歌謡界の黄金時代を築いた。 ペンネームの由来は、広告会社勤務時代に放送作家として活躍を始めたが、兼業禁止の会社にばれないよう“悪友”をもじった筆名として使い始めた事から。深く考えずにつけたため、いずれは別の筆名にするつもりだったが、仕事が途切れなかったので、独立後も使い続けた。また、多夢星人(たむせいじん)の変名も使用した(阿久の小説『グッドバイ―BN童子の青春』の登場人物であるロック歌手の名に由来する)。 長男は作曲家の深田太郎で、阿久作詞・深田作曲の楽曲も存在する。
佐藤 安弘 (さとう やすひろ、1936年2月7日 - 20… 佐藤 安弘 (さとう やすひろ、1936年2月7日 - 2020年1月24日)は、日本の実業家。東京都出身。キリンビール(麒麟麦酒)株式会社元社長。 1958年、早稲田大学商学部卒業、麒麟麦酒に入社。不動産事業開発部長、経営企画室長、常務、専務を経て、1990年取締役。1996年3月から2001年3月まで社長を務め、2004年から会長に就任した。営業畑の出身ではなく、ビール業界トップとしては異色の経歴をもつ。発泡酒の投入などで同社の市場シェアの低迷を食い止めた。人事面では、知識や技能よりも人柄や人格を重視した。 2012年白川忍賞を受賞。2020年1月24日、虚血性心疾患のため東京都内の病院で死去。
國分 正明(こくぶん まさあき、1936年(昭和11年)2月… 國分 正明(こくぶん まさあき、1936年(昭和11年)2月7日 - )は、日本の官僚。元文部事務次官。福島県三春町出身。 福島県出身。東京大学法学部卒業後、文部省入省(社会教育局社会教育課)。大臣官房会計課長、高等教育局私学部長体育局長、高等教育局長などを経て、1989年(平成元年)4月 大臣官房長。1990年(平成2年)7月 文部事務次官に就任。 1992年(平成4年)に退官後。同年から1995年(平成7年)まで公立学校共済組合理事長、1995年(平成7年)から2004年(平成16年)まで日本芸術文化振興会理事長を務めた。 2003年(平成15年)より財団法人修養団(現 公益財団法人修養団)理事長。
島村 慎市郎(愼市郎、しまむら しんいちろう、1936年(昭… 島村 慎市郎(愼市郎、しまむら しんいちろう、1936年(昭和11年)2月7日 - 2012年(平成24年)2月20日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県越谷市長。位階は従四位。旭日中綬章。 のちの埼玉県越谷市出身。1958年(昭和33年)早稲田大学理工学部土木工学科卒業。東京都交通局、春日部市都市計画課長補佐、同区画整理課長、同土木課長を経て、1973年(昭和48年)島忠取締役に就任。1977年(昭和52年)越谷市長に当選し5期務めた。2008年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。死没日付をもって叙従四位。
大島 寅夫(おおしま とらお、1935年2月7日 - )は、… 大島 寅夫(おおしま とらお、1935年2月7日 - )は、日本の実業家。中日新聞社元社長。岐阜県出身。 1935年(昭和10年)、岐阜県海津郡東江村(海津町を経て現在の海津市)で安田順時の四男として出生、1960年(昭和35年)に同志社大学法学部を卒業。同年に中部日本新聞社へ入社し、常務の大島一芳から養嗣子に迎えられる。 広告局次長を経て1991年(平成3年)に取締役となり、1997年(平成9年)に常務、2001年(平成13年)に名古屋本社代表。2003年(平成15年)6月から2011年(平成25年)6月まで社長を務め、その間には2007年から横綱審議委員会委員に就任している。2011年を以て社長職を小出宣昭に譲って退任し、副会長に就任した。
鈴木 淳(すずき じゅん、1934年2月7日 - 2021年… 鈴木 淳(すずき じゅん、1934年2月7日 - 2021年12月9日)は、日本の作曲家、音楽プロデューサーである。本名:藤田 順二郎(ふじた じゅんじろう)。 夫人は元女優で作詞家の悠木圭子、前妻は作詞家の有馬三恵子。鈴木淳音楽事務所所属。 1934年(昭和9年)2月7日、山口県防府市の防府天満宮の宮司の子息として生まれる。 山口県立防府高等学校、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、音楽之友社に入社、音楽雑誌の編集を手がけるが、過労により郷里に戻り、入院生活を送る。2年間の療養生活を経て、さらに2年間、同地の女子高校に国語科教諭として勤務する。合計4年の時期を経て東京に戻り、音楽之友社に復帰、音楽雑誌『教育音楽』『ポップス』の編集に携わり、『ポップス』編集長に就任する。
河村 孝道(かわむら こうどう、1933年2月7日 -202… 河村 孝道(かわむら こうどう、1933年2月7日 -2022年8月8日 )は、日本の仏教学者、博士。駒澤大学名誉教授。明本寺十八世住職。義範孝道大和尚。「正法眼蔵」研究の第一人者。 広島県生まれ。駒澤大学仏教学部卒業。1958年同大学院修士課程修了。駒澤大学講師、助教授を経て、教授。 1984年『「正法眼蔵」の成立史的研究』で駒澤大学より博士(仏教学)の学位を取得。 2004年駒澤大学を退職、名誉教授。曹洞宗文化財調査委員を歴任。 東京都港区の泉岳寺学寮に於いて毎月2回、学寮講座「正法眼蔵提唱」(講義)と参禅会を行う。 著書に『正法眼蔵の成立史的研究』『諸本対校・永平開山道元禅師行状・建撕記』、『道元禅師全集 第2巻』(編著)など。
千野 栄一(ちの えいいち、1932年2月7日 - 2002… 千野 栄一(ちの えいいち、1932年2月7日 - 2002年3月19日)は、日本の言語学者、翻訳家、東京外国語大学名誉教授、元和光大学学長。専門は言語学、およびチェコ語を中心としたスラブ語学。 晩年は旧字体の「千野 榮一」と表記した。 1932年、東京府豊多摩郡渋谷町(現:東京都渋谷区)栄通1丁目生まれ。1948年、東京都立高校(旧制)尋常科(現:東京都立桜修館中等教育学校)修了。当時からの友人に地理学者江波戸昭がいる。 1949年、東京都立高校高等科(現:東京都立大学)修了。1955年、東京外国語大学第四部(ロシア語)を卒業。1958年、東京大学文学部言語学専攻を卒業した。同年よりチェコスロヴァキア政府奨学生としてプラハのカレル大学に入学。
小平 修(こだいら おさむ、1932年2月7日 - 1998… 小平 修(こだいら おさむ、1932年2月7日 - 1998年6月4日)は、日本の政治学者。京都産業大学教授。 長野県松本市出身。1952年(昭和27年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1956年早稲田大学政治経済学部卒業、1959年同大学院政治学研究科修了。1970年京都産業大学法学部助教授、1972年教授を務めた。専門は比較政治学。教授在職中の1998年(平成10年)逝去。日本選挙学会会員。政治の世界でいう「左派」「右派」などの定義を提唱し定着させた功績は彼によるところが大きい。
田中 日佐夫(たなか ひさお、1932年2月7日 - 200… 田中 日佐夫(たなか ひさお、1932年2月7日 - 2009年5月15日)は、日本の美術史学者。専門は日本美術史。成城大学名誉教授。 岡山県岡山市生まれ。香里高等学校、同志社大学短期大学部英語科卒業後、立命館大学文学部史学科に編入した後、立命館大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了。龍村織物美術研究所、滋賀県教育委員会文化財保護課に勤務。その後、1972年に成城大学文芸学部助教授、1979年に教授となる。1984年『日本画 繚乱の季節』でサントリー学芸賞受賞。1988年『竹内栖鳳』で芸術選奨文部大臣賞受賞。1994年秋田県立近代美術館館長に就任。1999年紫綬褒章受章。2003年成城大を定年退任、名誉教授。
長山 泰久(ながやま やすひさ、1932年2月7日 - 20… 長山 泰久(ながやま やすひさ、1932年2月7日 - 2022年8月24日)は、日本の心理学者。専門は、交通心理学、交通教育学、産業心理学。大阪大学名誉教授。日本においてはじめて交通心理学を体系化し、心理学の中で独自の研究領域として確立する先導的役割を果たした。また、危険予測、防衛運転、暴走族研究、二輪車事故の研究等、さまざまな研究課題への取り組みを通じ、交通安全教育・交通安全対策の提言や実践を行ってきた。 大阪府枚方市生まれ。1955年大阪大学文学部卒業、1960年大阪大学大学院文学研究科博士課程を単位取得。 1960年大阪大学文学部助手、1967年追手門学院大学文学部講師、1968年同助教授を経て、1974年大阪大学人間科学部助教授、1984年同教授。
五十嵐 日出夫(いがらし ひでお、1932年 <昭和7年> … 五十嵐 日出夫(いがらし ひでお、1932年 <昭和7年> 2月7日 - 2006年 <平成18年> 10月20日)は、日本の工学者・官僚。北海道大学名誉教授・北海学園大学名誉教授。北海道における都市計画学の第一人者。札幌市出身。位階は正四位。 1954年(昭和29年)北海道大学工学部土木工学科卒業後、同年運輸省入省。間もなく北海道開発局へ出向。1956年(昭和31年)北海道大学工学部土木工学科専任講師(都市計画学担当)。1958年(昭和33年)同工学部土木工学科助教授(都市計画学担当)。1975年(昭和50年)同工学部土木工学科教授(交通計画学講座)。1995年(平成7年)北海道大学停年退官。
西澤 信正(西沢 信正、にしざわ のぶまさ、1931年2月7… 西澤 信正(西沢 信正、にしざわ のぶまさ、1931年2月7日 - 2009年8月14日)は、名古屋を中心に活動したジャーナリスト、ニュースキャスター、大学教授。 山口県下関市出身。京都府立洛北高等学校→同志社大学文学部英文科卒業後、1953年に中日新聞社(当時は「中部日本新聞社」)に入社。当初は社会部記者として活動するが、後にカイロ、ワシントンD.C.特派員記者、東京本社(東京新聞)国会担当記者を歴任。1976年から名古屋本社文化部長を務めた。 1978年、東海テレビ放送が「イブニングニュース」シリーズ (630→600) をスタートさせると、中日新聞社が東海テレビのニュース制作に現在に至るまで協力している関係から初代メインキャスターに抜擢される。
古川 俊之(ふるかわ としゆき、1931年2月7日 - 20… 古川 俊之(ふるかわ としゆき、1931年2月7日 - 2014年10月21日)は、日本の医師・医学者。 大阪府堺市出身。大阪大学医学部卒、同大学院循環器内科博士課程修了、1960年医学博士。1961年阪大医学部助手、1972年講師、1975年東京大学医学部教授、1989年国立大阪病院院長。長崎県立大学学長・長崎県立公立大学法人副理事長を務めた。 1973年ベルツ賞2等賞受賞。
田村 四郎(たむら しろう、1931年2月7日 - 2003… 田村 四郎(たむら しろう、1931年2月7日 - 2003年10月9日)は、日本の実業家。日医工創業者。 1953年富山大学薬学部卒業。同期にリードケミカル創業者の森政雄がいた。日本医薬品工業(現日医工)を創業し、ジェネリック医薬品の製造・販売を行った。1984年富山県の大学の研究振興などを目的に田村科学技術振興財団設立。富山県薬業連合会会長なども務めた。2003年10月9日、呼吸不全のため死去。田村友一は長男で、2000年に第2代代表取締役社長に就任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
桑原 通徳(くわばら みちのり、1931年2月7日 - 19… 桑原 通徳(くわばら みちのり、1931年2月7日 - 1999年12月30日)は、日本の実業家。元コカ・コーラナショナルセールス社長、元全国清涼飲料工業会会長。 1953年一橋大学経済学部卒業、キリンビール入社。大阪で営業を担当し、1979年神戸支店長就任。1983年からマーケティング部長を務め、前田仁を使い商品開発を進めるなどした。やがて、社内で絶対的な権力を有した本山英世社長が大阪時代に担当していた特約店が、桑原の担当する特約店と競合するようになり、また経営会議でも本山に対して直言するなどしていたが、社長の目がなくなり、常務大阪支社長、専務大阪支社長、近畿コカ・コーラボトリング社長、コカ・コーラナショナルセールス社長を経て、1996年から全国清涼飲料工業会会長を務めた。
木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023… 木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023年6月12日)は、日本の歌人、詩人。本名は重夫(しげお)。 京都府綴喜郡青谷村(現在の城陽市)の宇治茶問屋・丸京山城園製茶場の経営者であった木村重太郎とトヨの三男として出生。姉兄妹六人きょうだいの四番目である。太宰治が『パンドラの匣』の元とした日誌の書き手である木村庄助は長兄であり、大阪大学教授、国立国際美術館館長、兵庫県立美術館館長などを歴任した美術史家の木村重信は次兄。 青谷小学校、京都府立桃山中学校(旧制)を卒業後、1948年に大阪外事専門学校(後の大阪外国語大学、現在の大阪大学外国語学部)フランス語科入学。同級生に言語学・国語学者の玉村文郎や田辺保らがいた。
梯 郁太郎(かけはし いくたろう、1930年2月7日 - 2… 梯 郁太郎(かけはし いくたろう、1930年2月7日 - 2017年4月1日)は、日本の技術者、実業家。エース電子工業、ローランド、ATVの創業者。ATV株式会社代表取締役会長、公益財団法人かけはし芸術文化振興財団名誉顧問。 梯は電子音楽の規格MIDI(Musical Instrument Digital Interface)の制定に貢献した。長年にわたって電子楽器の発展および普及に努めた多大な功績により、1991年には米国バークリー音楽大学から、名誉音楽博士号を授与された。また、2000年にはハリウッドにあるロック・ウォークに手形を残し殿堂入りした。そして、2013年には第55回グラミー賞にて、デイヴ・スミス(英語版)とともにメーカーを問わない電子楽器の世界共通規格としてMIDIの制定に尽力し、MIDI規格がその後の音楽産業の発展に貢献したことが評価され、技術グラミー賞を受賞した。
菊川忠夫(きくかわ ただお、1930年2月7日- )は、日本… 菊川忠夫(きくかわ ただお、1930年2月7日- )は、日本の哲学研究者、神奈川工科大学名誉教授。 東京府(現杉並区)生まれ。1952年東京文理科大学卒、55年同大学院修士課程修了。米国オハイオ大学留学。1960年「現代功利主義論」で論争新人賞受賞。1965年東京都立九段高等学校教諭、幾徳工業高等専門学校助教授、78年教授、神奈川工科大学教授、2001年定年、名誉教授。
森 金次郎(もり きんじろう、1930年2月7日 - 201… 森 金次郎(もり きんじろう、1930年2月7日 - 2018年5月23日)は、京都府出身の税理士。元日本税理士会連合会会長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
沼 正作(ぬま しょうさく、1929年2月7日 - 1992… 沼 正作(ぬま しょうさく、1929年2月7日 - 1992年2月15日)は、日本の生化学者。元京都大学医学部教授。和歌山県和歌山市生まれ。 1952年京都大学医学部卒業。一年間のインターン期間ののち、臨床研修のため第1内科学教室に入局する。後に基礎医学研究に転向することを決意し、1956年フルブライト奨学生として渡米、ボストンのハーバード大学医学部生化学部門でJohn Lawrence Oncley教授の研究室で血清リポタンパク質の分析の研究を開始する。1958年アレクサンダー・フォン・フンボルト奨学生として渡独ミュンヘンのマックス・プランク細胞化学研究所へ移籍し、フェオドル・リュネン教授の研究室で酵素学と脂質の代謝制御の研究を開始した。
新島 淳良(にいじま あつよし、1928年2月7日 - 20… 新島 淳良(にいじま あつよし、1928年2月7日 - 2002年1月12日)は、日本の中国文学者、コミュニティー活動家。
村石 昭三(むらいし しょうぞう、1928年2月7日 - )… 村石 昭三(むらいし しょうぞう、1928年2月7日 - )は、日本の言語教育学者。国立国語研究所名誉所員。埼玉大学教育学部教授・東京家政大学教授を歴任。 静岡県生まれ。東京文理科大学大学院心理学研究科修士課程修了。国立国語研究所所員、同言語教育研究部長。1989年、埼玉大学教育学部教授。1993年、退官、東京家政大学教授。 言葉の誤用を指摘する『お言葉ですが…』という題の本は、高島俊男より先に村石が出していた。
稲子 恒夫(いなこ つねお、1927年2月7日 - 2011… 稲子 恒夫(いなこ つねお、1927年2月7日 - 2011年8月23日)は、ソビエト法・社会主義法研究者。 1948年東京大学法学部卒業。名古屋大学で法学部長を務めた。1990年名古屋大学名誉教授。日中友好協会愛知県連合会顧問。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
石渡 幸二(いしわた こうじ、1927年2月7日 - 201… 石渡 幸二(いしわた こうじ、1927年2月7日 - 2014年9月29日)は、日本の編集者、船舶評論家。 千葉県の現木更津市で網元の家に生まれる。 1951年東京商科大学(現一橋大学)を卒業し、三井銀行(現在三井住友銀行)に入行。1年で退社し、河出書房勤務。 軍艦や商船に強い興味を持っていたが、自身が満足するような趣味雑誌が存在していなかったため、1957年株式会社海人社を創立し、月刊誌『世界の艦船』を創刊。1989年まで同誌編集長。海人社代表取締役、出版協同社代表取締役などを務めた。
本間 光夫(ほんま みつお、1926年2月7日 - 2001… 本間 光夫(ほんま みつお、1926年2月7日 - 2001年5月31日)は、日本の医学者、内科医。慶應義塾大学医学部名誉教授・元JT医薬基礎研究所所長。秋田県出身。 1977年にベルツ賞2等賞を受賞し、1992年に紫綬褒章、1998年に勲三等瑞宝章を受章。2001年5月31日、腎不全のため死去。
小林 敦(こばやし あつし、1926年 <大正15年> 2月… 小林 敦(こばやし あつし、1926年 <大正15年> 2月7日 - 2000年<平成12年> 2月12日)は、日本の経営者。ライオン社長、会長を務めた。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。3代目小林富次郎の長男。 東京都出身。1950年に慶應義塾大学法学部法科を卒業し、同年に三菱化成に入社。1953年にライオン歯磨に転じ、1958年に副社長に就任し、1967年には社長に昇格。1980年1月にライオン油脂との合併で誕生したライオン初代社長に就任し、1994年3月に会長に就任。 1986年4月に藍綬褒章を受章。 2000年2月12日肺炎のため死去。74歳没。死没日付をもって従四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
青木 靖三(あおき せいぞう、1926年2月7日 - 197… 青木 靖三(あおき せいぞう、1926年2月7日 - 1977年12月27日)は、日本の科学史家。神戸大学教養部教授。 東京府出身。神戸経済大学経済学科卒業。神戸大学文理学部助教授を経て、同教養部教授を務めた。 主にルネサンス期の科学史並びにガリレオ・ガリレイの研究者として知られ、それらに関する著書、訳書が多い。
津島 恵子(つしま けいこ、1926年〈大正15年〉2月7日… 津島 恵子(つしま けいこ、1926年〈大正15年〉2月7日 - 2012年〈平成24年〉8月1日、正字では惠子)は、日本の女優、舞踊家。本名:森(旧姓:倉成)直子。 長崎県下県郡厳原町(現:対馬市)出身。三人姉妹の二女。4歳のころ一家で東京に転居。自由ヶ丘学園幼稚園、トモエ学園小学校、新宿區立四谷第三小学校を経て、東洋音楽学校普通科卒業後、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)本科中退。交易営団の秘書課に勤務ののち、飛騨高山に疎開し、現地で終戦を迎える。戦後は、弦巻町で自給自足の生活を開始。一方、6歳、自由ヶ丘幼稚園の時から舞踊を始め、同園および自由ヶ丘小学校にて宮操子から舞踊を学ぶ。のち、宮が四谷に研究所を設けたため、四谷第三小学校に転校して、同所に通う。
加藤 一(かとう はじめ、1925年2月7日 - 2000年… 加藤 一(かとう はじめ、1925年2月7日 - 2000年2月10日)は画家。元競輪選手、元自転車競技選手。競輪選手選手登録番号1690。 東京・神田小川町生まれ。幼い頃から趣味として絵を描き続ける傍ら、生家の自転車を乗り回していた。旧制法政中学校から法政大学経済学部に入学し、自転車競技において活躍する最中に太平洋戦争で召集を受ける。復員後は法大を休学して東京美術学校(現・東京藝術大学)図案科に入学したが数か月で退学し、法大に復学して自転車競技を続けることになった。 大学卒業後から国民体育大会において短距離種目だけでなくロード種目においても優勝を重ねたことからヘルシンキオリンピックの代表候補に内定していた。
三輪 正弘(みわ まさひろ、1925年2月7日 - 2013… 三輪 正弘(みわ まさひろ、1925年2月7日 - 2013年7月7日)は、日本の建築家、インテリアデザイナー。 東京市(現中野区東中野)出身。父は弁護士・政治家の三輪寿壮、弟は医学者の三輪史朗。1949年東京工業大学建築学科卒。『新建築』の編集、建築綜合研究所(現アール・アイ・エー)を経て、1971年三輪環造形研究所を設立し所長(のち三輪環境計画と改称)。1971年東京造形大学教授、1977年武蔵野美術大学教授、1995年名誉教授。日本インテリアデザイナー協会会長。一級建築士。1985年『インテリアデザインとは何か』で日本図書館協会特定賞受賞。「にんべん本店ビル」「貝類博物館」「軽井沢町立博物館」など。
比嘉 敬(ひが たかし、1925年2月7日 - 2003年1… 比嘉 敬(ひが たかし、1925年2月7日 - 2003年12月11日)は、日本の経営者。沖縄タイムス社、琉球朝日放送社長を務めた。沖縄県中頭郡宜野湾村(現在の宜野湾市)出身。 陸軍航空士官学校を卒業し、1950年に沖縄タイムス社に入社した。1974年に監査役に就任し、取締役、東京支社長、常務、専務を経て、1982年に社長に就任。1992年から1年間会長を務めた。1994年から2000年までに琉球朝日放送社長を務めた。 2003年12月11日肺癌のために死去。78歳没。
今井 清一(いまい せいいち、 1924年〈大正13年〉2月… 今井 清一(いまい せいいち、 1924年〈大正13年〉2月7日 - 2020年〈令和2年〉3月9日)は、日本の歴史学者・政治学者。横浜市立大学名誉教授。専門は日本近現代史・政治史。 1924年、群馬県前橋市小柳町(現・住吉町)に生まれる。群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、第一高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科に入学し、1945年9月卒業。編集人を経て1947年、東京帝国大学大学院に進学。丸山眞男に師事した。 卒業後は1952年より横浜市立大学専任講師となり、1955年より同校助教授。1965年同校教授に就任、1977年文理学部長。1991年より湘南国際女子短期大学教授を務めた。
室井 庸一(むろい のぶかず、1924年2月7日 - 200… 室井 庸一(むろい のぶかず、1924年2月7日 - 2005年10月1日)は、日本のフランス文学者。中央大学名誉教授。スタンダールが専門。 茨城県生まれ。1948年東京帝国大学文学部仏文科卒。1950年同大学院修士課程中退。1951年法政大学専任講師、助教授、中央大学文学部助教授、1965年教授、1994年定年、名誉教授。
坂口 三千代(さかぐち みちよ、1923年〈大正12年〉2月… 坂口 三千代(さかぐち みちよ、1923年〈大正12年〉2月7日 - 1994年〈平成6年〉11月2日)は、日本の随筆家。「無頼派」として知られる小説家・坂口安吾の妻。旧姓は梶。長男は写真家の坂口綱男。 1923年2月7日、千葉県銚子市に生まれる。千葉県立銚子高等女学校に通う。卒業後、向島に母と共に引っ越す。1943年、当時学生であった政治家の子息鈴木正人と結婚し、一女をもうける。のちに離婚した。実家は向島で料亭を営む。 1947年3月初め、24歳のとき新宿のバー「チトセ」で坂口安吾と出逢い、毎週水曜日に荏原郡矢口町字安方127番地(現・大田区東矢口)の坂口家に通う秘書となる。4月に三千代が盲腸炎から腹膜炎となり緊急入院。
嶋中 鵬二(しまなか ほうじ、1923年〈昭和7年〉2月7日… 嶋中 鵬二(しまなか ほうじ、1923年〈昭和7年〉2月7日 - 1997年〈平成9年〉4月3日)は、中央公論社社長。総合雑誌『中央公論』を中心に戦後の出版界に大きな業績を残したが、晩年は経営危機を招いた。嶋中雄作の次男。妻雅子(1924年 - 2004年)は政治学者蠟山政道の長女。子に中央公論社社長の嶋中行雄、エコノミストの嶋中雄二がいる。 1935年、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。同級生に鶴見俊輔や永井道雄、中井英夫がいた。 1940年、東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。旧制府立高校を経て東京帝国大学文学部独文科卒業。太平洋戦争中は、勤労動員で中島飛行機(現在の富士重工)の研究所に勤務。
山城 彬成(やましろ よしなり、1923年2月7日 - 19… 山城 彬成(やましろ よしなり、1923年2月7日 - 1996年2月6日)は、日本の経営者。日本鋼管社長、会長を務めた。新潟県新潟市出身。 1946年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、翌年に日本鋼管に入社した。経理部長などを経て、1976年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1982年に副社長に就任し、1985年6月に社長に昇格した。1992年6月から会長を務めた。 経済同友会副代表幹事も務めた。 1986年に藍綬褒章を受章した。 1996年2月6日肺炎のために死去。72歳没。
呉 元善(オ・ウォンソン、朝鮮語: 오원선/吳元善、1922… 呉 元善(オ・ウォンソン、朝鮮語: 오원선/吳元善、1922年2月7日または1923年 - 1978年5月31日)は、大韓民国の軍医、海軍軍人(海軍准将)、海兵隊員、政治家。原子力院院長、保健社会部長官、第7代韓国国会議員を歴任した。本貫は海州呉氏。 日本統治時代の忠清北道陰城郡出身。1943年または1944年セブランス医学専門学校(現・延世大学校)卒。1961年または1962年岐阜医科大学で医学博士取得。1949年にセブランス医科大学講師を務めたが、1950年の朝鮮戦争中に大韓民国軍に入隊した。1955年から仁川陸軍病院長、大韓民国海軍医務参謀、海軍本部医務次監、海軍軍医学校校長を経て、5・16軍事クーデターの後の1961年6月から現役の海軍大領として第3代原子力院(現・原子力安全委員会)院長を約2年間務めた。
風間 力三(かざま りきぞう、1922年2月7日 - )は、… 風間 力三(かざま りきぞう、1922年2月7日 - )は、日本の国語学者、甲南大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1947年東北帝国大学法文学部文学科国語専攻卒、甲南大学助教授、教授、1986年定年退任、名誉教授、大手前女子大学文学部教授。
宮川 哲夫(みやかわ てつお、1922年2月7日 - 197… 宮川 哲夫(みやかわ てつお、1922年2月7日 - 1974年9月30日)は、昭和期の歌謡曲作詞家。伊豆大島、大島町波浮港出身。 1922年(大正11年)、東京府大島町波浮港4番地、父・宮沢源之助と母・登代の間に生まれる。自宅以外に別荘を2軒持つ程の大きな網元「宮鉄」の長男であった。当時の波浮港は、沖に日本有数の漁場「大室出し」を抱え、全国から漁船が集まり、「銚子か、波浮か?」と歌われるほど、漁港町として繁栄していた。祖父が演劇が好きで、伊豆の踊り子一座に、別宅を貸し与えていた。 1927年(昭和2年)、5歳のとき、野口雨情作詞、中山晋平作曲の「波浮の港」がビクターから発売され、全国を風靡した。
安島 友義(安嶋友義、あじま ともよし、1922年(大正11… 安島 友義(安嶋友義、あじま ともよし、1922年(大正11年)2月7日 - 1999年(平成11年)6月9日)は日本の政治家。衆議院議員(1期、日本社会党)。 茨城県日立市生まれ。日立製作所に入社後、同社労働組合では中央執行部の幹部として活動する。茨城県労働会館を建設する際には実行委員会の副委員長を務め、組合桔成十五周年の記念事業として行った『組合史』の編纂では小委員会の委員を務め、安島が戦後編における各章の概説の執筆を担当した。 日本社会党の衆議院議員石川次夫の死去を受け、日立労組顧問だった安島が後継となり、1976年(昭和51年)、第34回衆議院議員総選挙に茨城2区から立候補。日立労祖の組織票を受け、同選挙で1位の塚原俊平に次ぐ70,600票を得票し当選した。
合崎 堅二(あいざき けんじ、1921年2月7日 - 199… 合崎 堅二(あいざき けんじ、1921年2月7日 - 1998年)は日本の会計学者。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
申 秉鉉(シン ビョンヒョン、1921年2月7日 - 199… 申 秉鉉(シン ビョンヒョン、1921年2月7日 - 1999年4月4日)は、大韓民国の政治家。本貫は平山申氏。日本名平山 榮次郞。 黄海道長淵郡にて誕生。日本内地の福島高等商業学校を卒業。1943年に朝鮮銀行に入り、1956年に韓国銀行調査部長に就任。駐米大使館参事官(1961年)を経て、国際復興開発銀行交換取締役兼顧問(1970年-1975年)を務めた。米国のアメリカン大学卒業および同大学院を修了し、1959年にコロンビア大学大学院で経済学博士号を取得。 1975年、大統領府経済担当特別補佐官に起用され、政界中枢とのコネクションを発展。韓国銀行総裁(1978年)、商工部長官(1980年)、副総理兼経済企画院長官(1980年-1982年、1983年-1986年)を歴任。
佐野 誠三(さの せいぞう、1920年2月7日 - 1976… 佐野 誠三(さの せいぞう、1920年2月7日 - 1976年6月10日)は、大阪府出身のプロ野球選手。 住吉中学校から1938年に南海軍へ入団。 チームの一年後輩に、戦後、名将として名を馳せる鶴岡一人がいた。一軍での出場機会が少ないまま、召集され、シベリア抑留後、復員したものの、1947年に引退、以後、マネージャー、スコアラー、ビデオマンとして南海を裏から支え水島新司の漫画『あぶさん』でも「VTRの誠さん」として取り上げられたことがあり、その際、氏の回想に巨人との試合で鶴岡が沢村栄治からライト前ヒットを放つシーンが描かれているが、鶴岡が南海に入団する前年、沢村は最初に召集され、昭和15年、18年と復帰、終戦前年、戦死しているのに対し、鶴岡は入団翌年、召集されたまま、終戦まで、チームに戻ることなく、実際、職業野球で対戦することはなかった。
岩間 和夫(いわま かずお、1919年2月7日 - 1982… 岩間 和夫(いわま かずお、1919年2月7日 - 1982年8月24日)は日本の技術者、経営者、実業家である。第4代ソニー社長。トランジスタに着目し、日本における半導体産業の基盤を創った男ともいわれた。愛知県名古屋市出身。
石川 貫之(いしかわ かんし、1917年(大正6年)2月7日… 石川 貫之(いしかわ かんし、1917年(大正6年)2月7日 - 1994年(平成6年)7月11日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。最終階級は日本陸軍では陸軍少佐、航空自衛隊では航空幕僚長たる空将。 果樹園経営・石川琢次の二男として生まれる。大分中学を卒業し、陸軍航空士官学校(50期)に入校。旧陸軍時代は当初、軽爆撃機操縦者であり、飛行第16戦隊に所属していた1939年(昭和14年)、ノモンハン事件で初陣を迎える。同年8月には九七式軽爆撃機で出撃し、ソ連軍のI-16に撃墜され草原に不時着したが、間一髪のところで友軍機に救助されたという。 1941年(昭和16年)3月、大尉に進級すると同隊の中隊長となるが、1943年(昭和18年)夏、飛行分科を戦闘に転科。
西沢文隆(にしざわ ふみたか、1915年2月7日 - 198… 西沢文隆(にしざわ ふみたか、1915年2月7日 - 1986年4月16日)は、日本の建築家。元坂倉建築研究所所長。関西を中心に活動し、コートハウス論や日本庭園研究でも知られる。日本芸術院賞受賞者。 関西を中心に活動し、「前橋市庁舎」「大阪府青少年海洋センター」「ホテルパシフィック東京」「ルナ・ホール」などを代表作とする。また、1967年に「大阪府野外活動センター」で日本建築学会賞を受賞した。 1985年、建築「神宮前の家」(白倉邸)ほか一連の住宅作品に対して日本芸術院賞を受賞した。 西沢は、日本の風土に即した住宅としてコートハウスに注目し、著書『コート・ハウス論』などを通してその理論化を行った。
朝吹 三吉(あさぶき さんきち、1914年2月7日 - 20… 朝吹 三吉(あさぶき さんきち、1914年2月7日 - 2001年2月3日)は、日本のフランス文学者。