吉田 泰造(よしだ たいぞう、1925年(大正14年)1月1… 吉田 泰造(よしだ たいぞう、1925年(大正14年)1月10日 - )は、日本の実業家、政治家。元民社党衆議院議員。 徳島県出身。名古屋陸軍幼年学校を経て、1945年(昭和20年)6月、陸軍士官学校(58期)を卒業し、陸軍少尉に任官。1949年(昭和24年)京都帝国大学工学部を卒業した。 大進工業設立社長、太陽商事設立社長、太洋エンタープライズ設立社長、三宝倉庫取締役、阿倍野観光設立社長を務めた。 1967年(昭和42年)1月の第31回衆議院議員総選挙大阪6区に民主社会党から出馬して当選し、第32年総選挙でも再選され、連続2期在任した。この間、民社党本部中小企業対策副委員長、万国博覧会特別委員会事務局長、情報産業政策特別委員会事務局長、大阪府地域対策部会長を務めた。
井上 實(いのうえ みのる、1924年(大正13年)1月10… 井上 實(いのうえ みのる、1924年(大正13年)1月10日 - 2021年(令和3年)11月11日)は、日本の銀行家。東京銀行頭取を務めた。 東京出身。1947年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に東京銀行に入行した。 ニューヨーク支店、外国総務部、総務室各次長、同室長を歴任。 1972年11月に取締役に選任され、ロンドン支店長委嘱。常務、専務、副頭取を経て、1985年9月に前任である渡辺康病没により、頭取に就任し、1990年6月に相談役に退く。 1996年4月に三菱銀行との合併で発足した東京三菱銀行では相談役、特別顧問を務めた。 2021年11月11日、死去。97歳没。
本田 睦(ほんだ むつみ、1924年(大正13年)1月10日… 本田 睦(ほんだ むつみ、1924年(大正13年)1月10日-1991年(平成3年)2月16日)は、日本の工学者。専門は高速空気力学。東北大学名誉教授、工学博士。東北大学高速力学研究所(現東北大学流体科学研究所)所長を務めた。 鹿児島県日置郡串木野村(現・いちき串木野市)出身。父は後に串木野市議会議長を務める本田戸助。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)四年修了を経て、1942年(昭和17年)9月に旧制第七高等学校造士館理科を卒業。1945年(昭和20年)9月東京帝国大学第一工学部航空学科卒業。終戦直後で職がないため、卒業後一時帰郷してカライモ(サツマイモ)づくりや戦災で焼けた自宅の建て直しをおこなった。
酒井 忠治(さかい ただはる、1924年〈大正13年〉1月1… 酒井 忠治(さかい ただはる、1924年〈大正13年〉1月10日 - 2012年〈平成24年〉6月9日)は、日本の書家・漢文学研究家。 雅号は南山。(財)致道博物館顧問、鶴岡市文化財保護審議委員長、左衛門尉酒井家分家当主、鶴岡書道会顧問。 旧庄内藩主酒井家20代当主・酒井忠良の次男として山形県西田川郡鶴岡町(現・鶴岡市)に生れる。書家の松平穆堂より指導を受ける。1939年(昭和14年) - 山形県立鶴岡中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)卒業。 1962年(昭和37年)3月 - 昭和三十六年度学芸員無試験認定 合格。(財)致道博物館副館長。 1995年(平成7年)11月27日 - 鶴岡市の文化賞「高山樗牛賞」を受賞。
前沢 迪雄(まえざわ みちお、1924年1月10日 - 没年… 前沢 迪雄(まえざわ みちお、1924年1月10日 - 没年不明)は、日本の俳優、声優。東京府出身。 日本大学芸術学科卒業。1950年6月、田中明夫、真木恭介、西乃砂恵、高城淳一、三島雅夫とともに劇団七曜会の創立に参加、1955年、劇団葦の創立に参加、その後、フリーランス期間、風の会を経て、プロダクション・エムスリーに所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
横田 二郎(よこた じろう、1923年〈大正12年〉1月10… 横田 二郎(よこた じろう、1923年〈大正12年〉1月10日 - 2004年〈平成16年〉6月26日)は、日本の実業家、鉄道マンである。
川本 敏美(かわもと としみ、1923年〈大正12年〉1月1… 川本 敏美(かわもと としみ、1923年〈大正12年〉1月10日 - 1998年〈平成10年〉12月15日)は、昭和期の労働運動家、政治家。日本社会党衆議院議員(2期)。位階は正五位。勲三等旭日中綬章。 奈良県出身。1952年(昭和27年)旧制大阪専門学校法科(現近畿大学)卒。1959年(昭和34年)奈良県議会議員に当選し5期在任。奈良県中小労連副執行委員長、奈良総評組織部長、社団法人南和会館常任理事、奈良県地方労働委員会委員などを務めた。 1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙で奈良県全県区から日本社会党公認で立候補して初当選。1980年(昭和55年)の第36回総選挙で再選され、衆議院議員に2期在任した。
田中 保一郎(たなか やすいちろう、1923年1月10日 -… 田中 保一郎(たなか やすいちろう、1923年1月10日 - 2011年7月29日)は、日本の経営者、銀行家。東京都民銀行頭取を務めた。 東京都出身。1947年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に日本興業銀行に入行。1972年5月に東京都民銀行取締役に就任し、1975年5月に常務、1977年6月に専務、1979年6月に副頭取を経て、1982年6月に頭取に就任。1989年6月に会長に就任し、1997年6月には相談役に退いた。 1988年11月に藍綬褒章を受章。 2011年7月29日肺炎のために死去。88歳没。
松山 樹子(まつやま みきこ、1923年1月10日 - 20… 松山 樹子(まつやま みきこ、1923年1月10日 - 2021年5月22日)は日本のバレリーナ、振付師。夫の清水正夫とともに松山バレエ団を設立した日本のバレエ界のパイオニアである。長男、清水哲太郎もバレエダンサーであり、松山バレエ団代表を引き継いでいる。兄・松山吉三郎および甥(兄の次男)・松山康久は日本中央競馬会(JRA)所属の元調教師。 鹿児島県姶良郡隼人町(現霧島市隼人町)に生まれる。日本女子経済専門学校(現かえつ有明中学校・高等学校)在学時、アメリカ人教師からメヌエット、マズルカなどのダンスを教わり、バレエに興味を持つ。そこで、在学1年時に日劇ダンシングチームクラシックバレエ科1期生に選ばれて入団。
伊藤 慎一(いとう しんいち、1921年1月10日 - 20… 伊藤 慎一(いとう しんいち、1921年1月10日 - 2014年10月20日)は、新聞学者。 神戸市出身。1944年東京帝国大学文学部卒。1947年サン写真新聞入社、1950年日本新聞協会に入り、放送課長、編集課長、調査委員、1970年東京大学新聞研究所教授、76年同所長、81年定年退官、名誉教授、文教大学教授、1988年帝京大学教授。91年退職。
佐野 正一(さの しょういち、1921年(大正10年)1月1… 佐野 正一(さの しょういち、1921年(大正10年)1月10日 - 2014年(平成26年)3月20日)は、日本の建築家。大阪市生まれ。建築家安井武雄は岳父。 1942年(昭和17年)に東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、鉄道省(当時)に入省、海軍技術将校(建築部門)を経て1945年(昭和20年)に復員、運輸省、国鉄などで勤務。1955年(昭和30年)安井建築設計事務所に入社。1961年(昭和36年)同社社長に就任。その他、日本建築協会名誉会長、大阪府建築士事務所協会会長、日本建築士事務所協会連合会名誉会長、日本建築家協会関西支部顧問、建築審議会委員などを歴任。 2014年3月20日午前8時30分、腎臓疾患のため兵庫県西宮市の病院で死去。
助川 良平(すけかわ りょうへい、1921年〈大正10年〉1… 助川 良平(すけかわ りょうへい、1921年〈大正10年〉1月10日 - 1959年〈昭和34年〉6月15日)は、日本の衆議院議員(自由党→自由民主党)。 福島県田村郡片曾根村(船引町を経て現田村市)出身。父は衆議院議員を5期務め、農業政策の専門家として知られた立憲政友会所属の政治家・助川啓四郎。 東京帝国大学法学部政治学科卒業。福島県議会議員を経て1953年の第26回衆議院議員総選挙に自由党公認で立候補し初当選。以降連続3回総選挙に当選した。 父・啓四郎が農政を専門としていたことから、良平も農政のエキスパートとなり、自由党政調会農林部長・自由民主党産業局農林部長等を歴任した。 しかし1959年に入ってから病状が悪化し、福島県立医科大学附属病院に入院する。
阪谷 芳直(さかたに よしなお、1920年1月10日 - 2… 阪谷 芳直(さかたに よしなお、1920年1月10日 - 2001年9月3日)は、日本の銀行家・エコノミスト・思想史家・翻訳家。 愛知県生まれ。第一高等学校を経て、1943年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、大蔵省に入省する。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。海軍運輸本部付となり、徴用船の配船業務に従事。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 戦後は日本銀行に移り、調査局、広島支店、国庫局に在勤。その後日本輸出入銀行・アジア開発銀行に転じた。 2001年9月3日、肺腺癌のため死去。
上野 章子(うえの あきこ、大正8年(1919年)1月10日… 上野 章子(うえの あきこ、大正8年(1919年)1月10日 - 平成11年(1999年)1月15日)は、日本の俳人、随筆家。高浜虚子の六女で上野泰の妻。 1919年、高浜虚子の六女として鎌倉市に生まれる。フェリス和英女学校卒。1936年、在学中に虚子の渡欧に随行する。1942年、『ホトトギス』同人の上野泰と結婚する。戦後は夫婦で結社「春潮」を立ち上げるも1973年、泰の急逝により主宰となる。俳人協会会員。俳句の他、高浜家や虚子、夫の泰のことなど多くの随筆も残している。1999年1月15日、心不全により79歳で死去。
藤本 能道(ふじもと よしみち、1919年1月10日 - 1… 藤本 能道(ふじもと よしみち、1919年1月10日 - 1992年5月16日)は日本の陶芸家。1986年に人間国宝に認定された。
竹内 良知(たけうち よしとも、1919年1月10日 - 1… 竹内 良知(たけうち よしとも、1919年1月10日 - 1991年8月22日)は、日本の哲学者。関西大学名誉教授。 大分県出身。京都帝国大学卒。旧制松本高等学校教授、戦後は名古屋大学助教授、1977年関西大学教授。1989年定年退任。スピノザ、西田幾多郎を研究、戦後はマルクス主義に傾いた。
照國 萬藏(てるくに まんぞう、1919年1月10日 - 1… 照國 萬藏(てるくに まんぞう、1919年1月10日 - 1977年3月20日)は、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現:秋田県湯沢市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した大相撲力士。第38代横綱。本名は菅 萬藏(すが まんぞう)で、のちに大野 萬蔵(おおの まんぞう)となる。 1919年1月10日に秋田県雄勝郡秋ノ宮村の農家で生まれ、秋ノ宮第一尋常小学校を卒業後は家業である農業を手伝う。畑作業で土を掘ったり、収穫した野菜などを運搬するうちに力が付き、1930年の夏に「秋田に怪童あり」との評判を聞きつけた母の遠縁である5代伊勢ヶ濱から熱心に勧誘されたが、入門が嫌で逃げ回り、5代伊勢ヶ濱が訪問している間は実家に近寄らなかったほどだった。
下平 正一(しもだいら しょういち、1918年1月10日 -… 下平 正一(しもだいら しょういち、1918年1月10日 - 1995年8月25日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(10期)。 長野県塩尻市出身。長野県東筑摩農学校(現:長野県塩尻志学館高等学校)中退。国鉄労働組合長野地方本部委員長や塩尻町議などを歴任し、1955年の衆院選に左派社会党から立候補しトップで初当選、続く1958年の衆院選でも、社会党を脱党して立候補・当選した小沢貞孝との革新分裂選挙となったが連続当選。以後小沢が民社党へと移った後も同じ選挙区で相争う様になるが、最終的に10回連続当選した。60年安保闘争では国会内に警官隊を導入した際に負傷する。 1969年8月9日、愛知県内を自動車で走行中に後部から追突される交通事故に遭遇。
石橋 周一(いしばし しゅういち、1918年1月10日 - … 石橋 周一(いしばし しゅういち、1918年1月10日 - 2007年8月9日)は、日本の経営者。九州電力副社長、福岡放送社長を務めた。東京都出身。 1941年に九州帝国大学工学部機械学科を卒業し、1942年に日本製鉄八幡製鉄所に入社。 1946年4月に日本発送電を経て、1951年5月に九州電力に転じ、1971年5月に取締役に就任し、1975年5月に常務を経て、1979年12月に副社長に就任。1987年6月から1991年4月までに福岡放送社長を務めた。 1982年11月に藍綬褒章を受章し、1988年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2007年8月9日肺炎のために死去。89歳没。 妻の喜和子(1925年生)は岩田屋百貨店社長中牟田喜兵衛(2代)の娘。
加藤 清政(かとう きよまさ、1917年(大正6年)1月10… 加藤 清政(かとう きよまさ、1917年(大正6年)1月10日 - 1995年(平成7年)12月7日)は、日本の政治家。千代田区長(2期)、衆議院議員(1期)、東京都議会議員(4期)、千代田区議会議員(3期)。 本籍地の長野県上水内郡安茂里村(現長野市)で出生、生後間もなく東京市で育つ。父の加藤六之助は警視庁小松川警察署亀戸分署署長。旧制安田工業学校を経て、1940年法政大学法文学部卒業。東京市に入庁し城東区役所や神田区役所に勤め、第二次世界大戦終戦後、千代田区役所主事を経て、東京都庁職員労働組合(都職労)青年部長を務める。1947年から千代田区議会議員を3期務めた後、東京都議会議員に転じて4期務める。
森山 欽司(もりやま きんじ、1917年1月10日 - 19… 森山 欽司(もりやま きんじ、1917年1月10日 - 1987年5月2日)は、日本の政治家、外務官僚。科学技術庁長官・運輸大臣。元法務大臣の森山眞弓は妻。没後に正三位を追賜。愛称はモリキン。保守合同で自由民主党が誕生してからは三木派に所属し、後身の河本派では代表世話人を務める。2度の衆議院社会労働委員長、同建設委員長、第2次池田内閣で郵政政務次官等を経て、1973年 第2次田中角榮内閣第1次改造内閣で科学技術庁長官、1978年第1次大平内閣で運輸大臣として入閣した。長年、自民党の労働問題調査会の事務局長、会長を務め、政府、3公社5現業、公社公団、特殊法人の労働問題にかかわった。1987年4月29日勲一等旭日大綬章受章。
北田 正典(きただ まさのり、大正6年(1917年)1月10… 北田 正典(きただ まさのり、大正6年(1917年)1月10日 - 平成22年(2010年)8月28日 )は、日本の実業家。石油通信社社長。外交官北田正元は叔父。 代言人北田正董の子・正寅の長男。昭和9年(1934年)東京府立一中卒業。早稲田大学専門部修了、昭和16年(1941年)早稲田大学法科、昭和26年(1951年)明治大学政治科各卒業。日本精工会社などに勤め、昭和34年(1959年)米国に於ける世界石油会議に出席。米英独仏伊、スイス、ギリシャ、エジプト、レバノン、クウェート、印度、パキスタン、タイ等欧米中東の石油事情を視察す。 宗教は神道。東京都港区在籍。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
柏原 ヤス(かしわばら やす、1917年〈大正6年〉1月10… 柏原 ヤス(かしわばら やす、1917年〈大正6年〉1月10日 - 2006年〈平成18年〉11月10日)は、日本の政治家。 参議院議員(4期)、公明党副書記長、公明党婦人局長などを歴任した。 1956年7月8日、第4回参議院議員通常選挙に東京地方区から創価学会系無所属で立候補するも、落選する。 1959年6月2日、第5回参議院議員通常選挙に東京地方区から立候補し、初当選を果たす。第7回参議院議員通常選挙より全国区に移り、以降、参議院議員として通算4期を連続で務めることとなる。 公明政治連盟への所属を経て、1964年11月17日、公明党の結党に参加。公明党副書記長に就任する。 1967年、公明党委員長の竹入義勝の下で公明党婦人局長に就任し、以降16年に渡って在任する。
東 龍子(東 竜子、あずま りゅうこ、1917年1月10日 … 東 龍子(東 竜子、あずま りゅうこ、1917年1月10日 - 2004年頃)は、日本の女優である。本名は出生名は今出 りう子(いまで りゅうこ)、俳優の阿部九洲男と結婚して伊東 りう子(いとう りゅうこ)となる。 1917年(大正6年)1月10日(水曜日)、 東京府南葛飾郡吾嬬町に今出 りう子として生まれる。 1931年(昭和6年)、満14歳のときに東京・巣鴨の河合映画製作社に入社する。同年、『夜明け』に出演し、映画界にデビューした。最初の主演作は、1933年(昭和8年)の『マラソン令嬢』 であった。同年、河合と配給提携を行っている市川百々之助プロダクションが製作した市川百々之助主演映画に3作出演、『開化異聞 落花の曲』では百々之助の相手役を務めた。
大橋 史典(おおはし ふみのり、1915年〈大正4年〉1月1… 大橋 史典(おおはし ふみのり、1915年〈大正4年〉1月10日 - 1989年〈平成元年〉9月20日)は、日本の俳優、特殊技術専門の造形家、スーツアクター、特技監督、映画監督であり、日本特撮株式会社(日本特撮K.K.)の元代表取締役。本名は大橋 幸利(おおはし ゆきとし)。旧芸名は大橋 行利(読み同じ)など。 1915年(大正4年)1月10日、愛媛県に生まれる。東京美術学校(現在の東京藝術大学)彫刻科を卒業。 1935年(昭和10年)、松竹蒲田撮影所の演出課に入り、映画俳優、小津安二郎、島津保次郎の助監督としてキャリアをスタートさせ、キャメラマンも経験した。その後、末期の市川右太衛門プロダクションに関わる。
田中 英光(たなか ひでみつ、1913年(大正2年)1月10… 田中 英光(たなか ひでみつ、1913年(大正2年)1月10日 - 1949年(昭和24年)11月3日)は、日本の小説家。無頼派として知られる。 「出方名 英光(でかたな ひでみつ)」という筆名もある。名前の英光を「えいこう」と音読みされる場合もある。 息子は小説家の田中光二。 高知県出身の歴史家岩崎鏡川(英重)の息子として東京府東京市赤坂区榎坂町(現・東京都港区赤坂)に生まれ、岩崎家から母の実家である田中家に入籍、鎌倉市に育つ。神奈川県立湘南中学(現神奈川県立湘南高等学校)、早稲田大学第二高等学院卒業。 早稲田大学政治経済学部在学中の1932年(昭和7年)、ロサンゼルスオリンピックに漕艇選手としてエイト種目に出場した(予選敗退)。
斉藤 澄子(さいとう すみこ、1913年(大正2年)1月10… 斉藤 澄子(さいとう すみこ、1913年(大正2年)1月10日 - 1942年(昭和17年)8月22日)は、日本の元騎手、元厩務員(京都競馬場)。岩手県岩手郡厨川村(現在の盛岡市)出身。 一度もレースで騎乗することのなかった、日本及び世界初の女性騎手として知られる。 なお、苗字については「斎藤」、名については「すみ」「すみ子」の表記がある。 実家は農家で、幼少の頃から馬に親しんだ生活を送った。10代の前半に父が死亡し母も病気で体調を崩したため、学校をやめて馬喰に弟子入りした。修業中に訪れた黄金山競馬場(旧・盛岡競馬場)で競馬のレースを見たことをきっかけに騎手を志すようになり、1929年に福島競馬場の調教師に弟子入りした。
藤岡 一男(ふじおか かずお、1911年(明治44年)1月1… 藤岡 一男(ふじおか かずお、1911年(明治44年)1月10日 - 1994年(平成6年)1月9日)は、地質学者であり、教育者でもある。北海道帝国大学理学部を卒業後、理学部助手となり、植物化石の研究に従事。秋田鉱山専門学校教授となり、秋田大学鉱山学部教授、秋田大学名誉教授となる。位階は正四位。岡山県高梁市出身。 明治44年(1911年)1月10日、川上郡落合村福地(現・高梁市落合町福地)に生まれる。旧制高梁中学校(現・岡山県立高梁高校)を経て広島高等師範学校を卒業。高等師範学校在学中から成羽地域に分布する三畳紀植物化石の研究を始め、北海道帝国大学大石三郎助教授の指導を受け、昭和9年(1934年)北海道帝国大学理学部地質学鉱物学科に入学、引き続き大石助教授に師事する。
池上 禎造(いけがみ ていぞう、1911年1月10日 - 2… 池上 禎造(いけがみ ていぞう、1911年1月10日 - 2005年12月15日)は、日本の国語学者。大阪大学名誉教授、京都大学名誉教授。 1911年(明治44年)1月10日、京都府京都市で誕生する。父は貞吉、母は満(みち)。呉服屋である「越前屋」の一人息子であった。 第三高等学校を経て、1930年(昭和5年)に京都帝国大学文学部文学科に入学。家業が傾いていたことから思うように本を買うことができなかったが、家業が倒産したことにより国語学者となる決意が固まった。1933年(昭和8年)に同国語学国文学専攻を卒業。卒業論文の題目は「上代特殊仮名遣の一考察」。 1938年(昭和13年)まで同大学院に在籍し、副手を勤めた。
依田 勇雄(よだ いさお、1911年(明治44年)1月10日… 依田 勇雄(よだ いさお、1911年(明治44年)1月10日 - 1993年(平成5年)8月9日)は、日本の政治家。長野県議会議員(3期)、長野県佐久市長(4期)を歴任した。位階は正五位。 長野県北佐久郡中込村(後の中込町、現:佐久市)で、依田米治・ませの二男として生まれた。1935年(昭和10年)専修大学経済学部卒業。自営業から、1947年(昭和22年)長野県議会議員となり3期在任。 1961年(昭和36年)4月、佐久市長選挙で当選し、初代市長に就任し1977年(昭和52年)4月まで4期務めた。在任中は財政の立て直しや行政改革、社会基盤を整備し、北陸新幹線や高速道路の誘致・期成に尽力した。同58年(1983年)佐久市名誉市民に選出された。
大和 勝(やまと まさる、1910年1月10日 - 没年不明… 大和 勝(やまと まさる、1910年1月10日 - 没年不明)は、日本の経営者。 福岡県宗像市。1934年に桐生高等工業学校応用学科を卒業し、同年に大連市の満洲石油に入社。1947年の引き揚げに伴い、同年5月に出光興産に入社。1956年3月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1970年10月に副社長に就任し、1977年4月には社長に昇格した。1981年4月から会長を務め、1993年から1998年までに取締役相談役を務めた。
坂本 薫俊(さかもと しげとし、1910年1月10日 - 2… 坂本 薫俊(さかもと しげとし、1910年1月10日 - 2003年11月5日)は、日本の経営者。ホシザキの創業者。 島根県雲南市出身。1931年に神戸高等工業学校を卒業。1947年に星崎電機(現在のホシザキ)を創立し、社長に就任。1984年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2003年11月5日に心不全のために死去。93歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
國光 鉄太郎(くにひかり てつたろう、1910年1月10日 … 國光 鉄太郎(くにひかり てつたろう、1910年1月10日 - 1985年8月22日)は、楯山部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。13代濱風、8代谷川、6代君ヶ濱。本名は奥山 鐵太郎。現在の秋田県由利本荘市出身。171cm、84kg。最高位は東十両2枚目。 現在の由利本荘市の玉ノ池「光風園」で相撲を取っていたが、同郷の清瀬川敬之助(のち5代伊勢ヶ濱)にスカウトされ、その内弟子として、楯山部屋に入門し、1929年3月初土俵を踏んだ。四股名は師匠の8代楯山の元の四股名の国ノ音の国と、光風園の光から。故郷の有力者、須藤善一郎が命名した。1935年1月十両昇進、十両を通算で10場所務め、1941年1月引退し、13代濱風を襲名、主に師匠伊勢ヶ濱の秘書役を務めた。
加藤 進(かとう すすむ、1909年1月10日 - 1996… 加藤 進(かとう すすむ、1909年1月10日 - 1996年3月27日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員、参議院議員を各1期務めた(いずれも日本共産党公認)。日本共産党中央委員会顧問や同党愛知県委員会、日ソ協会愛知県連合会副会長などを歴任した。 愛知県名古屋市千種区出身。1945年、名古屋帝国大学理学部数学科を卒業後、第八高等学校哲学科講師や名古屋大学数学科教官に就任。この間初代愛知県教員組合副委員長を務めたほか、同県労働学校開設にも尽力した。 1963年の第30回衆議院議員総選挙で旧愛知1区から出馬し初当選。その後1971年の第9回参議院議員通常選挙で全国区から出馬し当選。1977年の第11回参議院議員通常選挙で落選した。
山田 忠義(やまだ ただよし、1909年1月10日 - 19… 山田 忠義(やまだ ただよし、1909年1月10日 - 1999年12月31日)は、日本の実業家。ワールド・トレード・センター連合会長、日加協会会長、日米協会副会長。 鳥取県出身。明治大学法学部卒業。コロンビア大学大学院修了。 大学卒業後は、渋沢敬三(日本銀行総裁、大蔵大臣、渋沢栄一の孫)の秘書などを経て、1952年に八幡製鉄に入社。財界トップである日本経済団体連合会の歴代の会長・副会長を輩出する、当時の日本を代表する名門企業に40歳を過ぎてから迎えられ、以降は本社渉外部長を経て1957年に本社外務部長、1961年参与、1962年に取締役に就任。1965年のマレーシアの現地資本との合弁によるマラヤワタ・スチールの発足に際しては、世界銀行グループの国際金融公社で副会長を務めていた旧友とのパイプなどをいかして、設立に向け大きな貢献を果し、創立理事を務めた。
伴 淳三郎(ばん じゅんざぶろう、1908年〈明治41年〉1… 伴 淳三郎(ばん じゅんざぶろう、1908年〈明治41年〉1月10日 - 1981年〈昭和56年〉10月26日)は、昭和期のコメディアン、俳優。本名は鈴木 寛定(すずき ひろさだ)、愛称は「バンジュン」。息子はスタイリストの山本康一郎(1961年生まれ)。 山形県米沢市に南画家の鈴木蘭涯と、妻フクの息子として生まれる。父について山形と東京を行ったり来たりするが、5歳のときから山形市小姓町で育つ。 山形市立第一尋常小学校卒業後、熊谷市の兄の家に寄宿して高等小学校に通っていたが、兄との折り合いが悪く家出し、東京に出る。そこで、母方の叔父で新派劇の河合武雄の番頭をしていた斎藤好三郎を頼り、「文芸協会」出身の新劇俳優、東儀鉄笛の付き人となり、彼が主演した映画に出演する。
冨士原 清一(ふじわら せいいち、1908年〈明治41年〉1… 冨士原 清一(ふじわら せいいち、1908年〈明治41年〉1月10日 - 1944年〈昭和19年〉9月18日)は、日本の詩人・翻訳家・編集者。戦前期日本のシュルレアリスムを代表する詩人。 1908年(明治41年)1月10日、大阪府に生まれる。1926年(大正15年)、大阪府立北野中学校を卒業、法政大学予科に入学。1934年(昭和9年)に法政大学法文学部文学科(仏文専攻)を卒業。卒業後は一時大阪に帰るが、1937年(昭和12年)に友人である春山行夫が編輯長を務める第一書房編輯部に勤務。1942年(昭和17年)11月に日本放送協会に転職、かけもちで太平洋協会調査局に勤務する。太平洋戦争で召集され、1944年(昭和19年)9月18日、朝鮮木浦沖にて戦没。
石谷 憲男(いしたに のりお、1908年(明治41年)1月1… 石谷 憲男(いしたに のりお、1908年(明治41年)1月10日 - 1966年(昭和41年)9月20日)は、昭和期の農林官僚、政治家。林野庁長官、参議院議員。鳥取県会議長を務めた石谷源蔵の孫。 鳥取県八頭郡智頭町出身。 1931年(昭和6年)東京帝国大学農学部卒業後、農林省に入り、秋田営林局を最初に一貫して林政に努め、鳥取営林署長も務めた。以後、経済安定本部林産課長、林野庁計画課長、同業務部長などを歴任。1955年(昭和30年)11月、林野庁長官に就任し1958年(昭和33年)6月まで在任した。 1959年(昭和34年)6月、第5回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で立候補して当選し1期在任。
小林 国司(こばやし くにじ、1908年(明治41年)1月1… 小林 国司(こばやし くにじ、1908年(明治41年)1月10日 - 1993年(平成5年)7月9日)は、昭和期の農業技術者、農林官僚、政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。 鳥取県出身。1936年(昭和11年)東京帝国大学農学部農業土木科を卒業。農林省に入り、農地局設計課長、同建設部長、北陸農政局長、八郎潟新農村建設事業団理事、全国土地改良事業団連合会副会長などを歴任した。 1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙で全国区から自由民主党公認で立候補して初当選。1974年(昭和49年)7月の第10回通常選挙(全国区、自由民主党公認)でも再選され、参議院議員を連続2期務めた。1980年(昭和55年)の第12回通常選挙には立候補しなかったが、翌1981年(昭和56年)11月、石破二朗の死去に伴う第12回通常選挙鳥取県地方区補欠選挙に自民党公認で立候補して当選し。
朴 永出(パク・ヨンチュル、朝鮮語: 박영출、1908年1月… 朴 永出(パク・ヨンチュル、朝鮮語: 박영출、1908年1月10日または1909年 - 1975年5月9日または5月10日)は、大韓民国の政治家、牧師。第2・3代韓国国会議員。 慶尚北道義城郡出身。法政大学法科、日本神学校、東京神学大学卒。日本にて崇徳学舎を設立し、13年間活動した。のちに帰国し、ソウルで崇徳学舎を再び設立し、同組織を中心に活動した。そのほか、苦学生援護会長、傷痍軍人会顧問、高等考試委員などを務め、崇徳教会で牧師として活動した。1950年の第2代総選挙に義城甲選挙区より大韓国民党所属で出馬して当選し、1951年3月9日から1951年12月19日までは国会社会保健委員会委員長を務めた。
畠中 敏郎(はたけなか としお、1907年1月10日 - 1… 畠中 敏郎(はたけなか としお、1907年1月10日 - 1998年6月25日)は、フランス文学・比較文学者。 高知県香美郡岸本町(現香南市香我美町)出身。1927年大阪外国語学校仏語科卒、京都帝国大学助手、1931年大阪外語専任講師、1936年助教授、1938年教授、1944年陸軍教授となりサイゴンに勤務、1946年復員、1947年天理語学専門学校教授、1949年天理大学教授、1951年大阪外国語大学教授、1955年初めての渡仏、1971年定年退官、名誉教授、琉球大学教授を務めた。フランス政府より数次にわたりシュヴァリエに叙勲される。南仏について研究、プロヴァンス語も研究し、のち琉球の芸能についても論をなした。
藤原 恵(ふじわら さとし、1907年(明治40年)1月10… 藤原 恵(ふじわら さとし、1907年(明治40年)1月10日 - 1990年(平成2年)3月16日)は、朝日新聞記者、関西学院大学社会学部教授などを務めた、日本のジャーナリスト、新聞学研究者。 愛媛県新居郡氷見町(後の西条市)に生まれる。1924年に愛媛県立西条中学校を卒業して、4年生の専門学校であった関西学院文学部社会学科に進み、1928年に卒業した。在学中は、河上丈太郎に師事した。 同年、大阪時事新報社に入り、1931年に大阪朝日新聞社へ転じた。1944年に出版局編集部次長兼『週刊朝日』副編集長となり、その後は在阪の出版局、整理部関係の役職を歴任して1962年に定年退職し、客員となった。この間、1945年には、収集していた新聞関係文献資料を大阪朝日新聞社に寄贈し、その目録が『藤原恵文庫目録』として出版された。
稲垣 昌子(いながき まさこ、1907年1月10日 - 19… 稲垣 昌子(いながき まさこ、1907年1月10日 - 1981年10月6日)は、日本の児童文学作家。 東京生まれ。旧姓・藤原。東京高等女学校卒、大阪の梅花女子専門学校(現梅花女子大学)卒、早稲田大学英文科卒。早大図書館に四年間勤め、稲垣達郎と結婚。1955年前後から児童文学同人誌『だ・かぽ』に作品を発表。 1965年、『マアおばさんはネコがすき』でNHK児童文学賞奨励賞、日本児童文学者協会賞受賞。
飛嶋 繁(とびしま しげし、1907年1月10日 - 198… 飛嶋 繁(とびしま しげし、1907年1月10日 - 1986年2月1日)は、日本の政治家および実業家。衆議院議員、藤沢市長および飛島組社長を務めた。父親は、飛島組の実質創業者である貴族院議員の飛嶋文吉。
森長 英三郎(もりなが えいざぶろう、1906年1月10日 … 森長 英三郎(もりなが えいざぶろう、1906年1月10日 - 1983年6月1日)は、日本の弁護士。徳島県出身。 小学校を首席で卒業し、県立農学校(後の徳島県立城西高等学校)に学ぶ。作家を志して明治学院に進むが除籍となり、山谷や浅草で放浪生活を送り帰郷。再上京後、1932年に日本大学を卒業。1936年、弁護士登録。治安維持法違反事件を担当、戦後は自由法曹団に参加、労働事件を担当。三島由紀夫「宴のあと」訴訟でプライバシー権を提起、大逆事件の再審請求も担当。
胡井 剛一(えびい こういち、1905年1月10日 - 19… 胡井 剛一(えびい こういち、1905年1月10日 - 1988年2月22日)は日本の柔道家(講道館9段)。 愛媛県出身で、京都の平安中学校を経て武道専門学校に入学。身長167cm・体重68kgと決して大柄な体格ではなかったが、絶品と言われた小内刈や大内刈、巴投から固技への連絡を武器に柔軟な体や熱心な技の研究とも相俟って腕を磨き、また背負投や大外刈にも長じてその名を轟かせた。記録上の講道館入門は1928年3月20日。1930年5月に柔道教士を拝命した。 1931年3月に武専を卒業するとそのまま同校の助手として残る傍ら京都府警察部堀川警察署でも指導を行い、また京都同志社高商では師範として寝技を部員に徹底的に叩き込んで1937年の全国高専柔道大会で同校を優勝に導いた。
飯田 一男(いいだ かずお、1905年〈明治38年〉1月10… 飯田 一男(いいだ かずお、1905年〈明治38年〉1月10日 - 1995年〈平成7年〉[要出典])は、日本の電気工学・通信工学者。工学博士(京都大学)。大阪工業大学名誉教授。元電気工学教室担当。 専門は、電気科学(特にテレビ受像機)、電気通信工学・無線工学。 京都帝国大学工学部電気工学科を卒業。 1949年、摂南工業大学(同年、大阪工業大学に改称)工学部電気工学科教授となり、電気工学教室を担当した。指導する電気科学研究部が製作したテレビ受像機が文部大臣賞(1953年)を受賞した。その後も20年わたって教鞭を執り、大学初期の電気工学・電気通信工学(特に無線工学)の研究・育成を手がけた。 1959年4月に大阪工業大学電子工学科客員教授にも就任した。
遠藤 幸吉(えんどう こうきち、1905年1月10日 - 1… 遠藤 幸吉(えんどう こうきち、1905年1月10日 - 1998年12月14日)は、日本の経営者、電気技術者。 東京エレクトロン研究所(現・東京エレクトロン)初代社長をつとめた。 北海道小樽市出身。1930年に東京帝国大学工学部電気科を卒業。電通での勤務を経て、1952年にラジオ東京に入社し、取締役を経て、1956年1月に常務取締役テレビ技術局長に就任。 1963年にラジオ東京などの出資により東京エレクトロン研究所が設立されると、同社の初代社長に就任。1974年には会長に就任。 1980年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1998年12月14日老衰のために死去。93歳没。
滝内 礼作(たきうち れいさく、1905年(明治38年)1月… 滝内 礼作(たきうち れいさく、1905年(明治38年)1月10日 - 1993年(平成5年)11月2日)は日本の裁判官、弁護士。 北海道余市郡余市町出身。小樽商業学校卒業、東北帝国大学の聴講生となり、試験を経て本科編入、在学中の1927年(昭和2年)12月、高等試験司法科合格、1928年(昭和3年)3月、同法文学部法科卒業、翌4月に司法官試補として東京地方裁判所所属、それから予備判事、1929年(昭和4年)11月判事任官、1931年(昭和6年)5月山形地方裁判所判事転任、1932年(昭和7年)9月札幌地方裁判所判事転任。 滝内は東京地裁時代の1930年(昭和5年)、日本共産党員を講師に同じく判事の為成養之助らと研究会を結成、共産主義思想に共鳴、同党が国体変革して私有財産を否定していることを知った上で同年10月から1932年8月まで東京で他の同志とともに党資金として毎月5円から7円を支出、山形転任後は同志獲得のために動き同年3月から指導者として同地裁書記中心に主義宣誓も行い、同僚判事の福田力之助も引き込み、同年5月6月に現地の婦人十数名を集めて研究会を開催して主義宣伝を行ったり同地方責任者として左翼グループを結成、山形高等学校など上層階級対象に党員獲得活動をした。
水上 不二(みずかみ ふじ、男性、1904年(明治37年)1… 水上 不二(みずかみ ふじ、男性、1904年(明治37年)1月10日 - 1965年(昭和40年)3月31日)は、日本の詩人、童話作家、絵本作家、作詞家。 宮城県本吉郡大島村(現在の気仙沼市)字長崎にて父・佐助、母・あやの の次男として生まれる。 1918年(大正7年)、本吉郡立水産学校(現在の宮城県気仙沼向洋高等学校)に入学し、卒業後は1922年(大正11年)9月より本吉郡内の小学校3校に勤務した。その後、1928年(昭和3年)4月に上京し、東京府南葛飾郡の松江第一小学校に勤務した。 1930年(昭和5年)、処女詩集『私の内在』を発行する。この頃より鈴木三重吉、北原白秋らが発刊した「赤い鳥童謡運動」に参加。