養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )… 養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )は、日本の医師、医学者、解剖学者。東京大学名誉教授。医学博士。ニュース時事能力検定協会名誉会長。神奈川県鎌倉市出身。 2003年に出版された『バカの壁』は450万部を記録し、第二次世界大戦後の日本における歴代ベストセラー5位となった。 1937年(昭和12年)、小児科医の養老静江(1899〜1995年)と養老文雄(三菱商事勤務)の次男として神奈川県鎌倉市で生まれる。4歳の時に父親を結核で亡くし、その後は鎌倉で小児科「大塚医院」を営む母・静江の腕一つで育てられる。 私立ハリス幼稚園(鎌倉市)を卒園し、鎌倉市立御成小学校、栄光学園中学校・高等学校、東京大学医学部を卒業後、東京大学医学部附属病院での1年間のインターン(研修医)を務める。
八木田 宜子(やぎた よしこ、1937年11月11日 - 2… 八木田 宜子(やぎた よしこ、1937年11月11日 - 2022年12月12日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。 東京生まれ。東京大学教育学部卒業。駒場時代は樺美智子の同級生で、安保反対運動に参加していた。卒業後は編集者。乙骨淑子、奥田継夫、山下明生、掛川恭子らの同人誌「こだま」の参加を機に創作活動の傍ら、英米文学の翻訳を手掛ける。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
甲斐 道清(かい みちきよ、1937年(昭和12年)11月1… 甲斐 道清(かい みちきよ、1937年(昭和12年)11月11日 - 2025年(令和7年)10月24日)は、日本の政治家。元滋賀県守山市長(2期)。 滋賀県守山市出身。実家は守山市にある臨済宗大徳寺派少林寺。6歳で得度する。同志社大学文学部を卒業。卒業後はマツダオート京都に就職し、課長となる。その後、守山市役所に入り、守山市土地開発公社に勤務し、同事務局長になる。1989年少林寺の住職に就く。 1995年守山市長選挙に立候補し初当選。1999年は無投票で再選。2003年に三選を目指したが、元守山市議の山田亘宏に敗れた。 2008年春の叙勲で旭日双光章を受章する。 2025年10月24日、病気療養中に守山市内の病院で死去した。
森永 純(もりなが じゅん、1937年11月11日 - 20… 森永 純(もりなが じゅん、1937年11月11日 - 2018年4月5日)は、日本の写真家。 1937年、長崎県長崎市にて誕生。日本大学芸術学部写真学科を卒業し、1962年にアメリカ合衆国の写真家であるユージン・スミスの助手を勤めていた。日本写真批評家協会新人賞、日本写真協会年度賞を受賞。 2018年4月5日、心不全のため死去。80歳没。
柴原 光三(しばはら みつぞう、1936年11月11日 - … 柴原 光三(しばはら みつぞう、1936年11月11日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手(投手)。左投右打。 1955年に宇都宮学園高校からトンボユニオンズに入団。チームの戦力不足の中、勝ち星こそなかったが19試合に登板した。翌1956年は期待されたがわずか9試合の登板に留まり、チーム解散により1957年には大映ユニオンズに移籍したが1試合も登板なくこの年でユニフォームを脱いだ。 球種はストレート、ドロップ、カーブ。 1957年に1度だけ代打出場がある。
北川 正人(きたがわ まさと、1936年〈昭和11年〉11月… 北川 正人(きたがわ まさと、1936年〈昭和11年〉11月11日 - 2023年〈令和5年〉6月12日)は、日本の実業家、経営コンサルタント。元千代田化工建設代表取締役社長。妻は加賀前田家17代当主前田利建侯爵の長女。 アメリカ・カリフォルニア州バークレーにて誕生。第二次世界大戦開戦直前の1941年(昭和14年)8月、日本に帰国。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を経て、1959年(昭和34年)に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。同年、千代田化工建設入社。営業部門を経て、1982年(昭和57年)取締役就任。1987年(昭和62年)常務、1989年(平成元年)専務、1992年(平成4年)副社長を経て、1996年(平成8年)12月柏原正明に代わり社長に就任。
鈴木 章介(すずき しょうすけ、1936年11月11日 - … 鈴木 章介(すずき しょうすけ、1936年11月11日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は十種競技、棒高跳び。 1936年11月11日、静岡県浜松市鴨江にて生まれる。 中学校の時に陸上を始める。当初は走幅跳と三段跳を中心にやっていたが、中学校3年の時に陸上部顧問教師から「棒高跳をやれよ」と言われて、棒高跳に取り組む。中学3年次のベストは2m67cmであった。 1952年に静岡県立浜松商業高等学校へ進学。ここで本格的に棒高跳に取り組みつつも、中学時代にやっていた走幅跳、三段跳でも競技会に出場する。高校3年次の1954年に熊本県熊本市水前寺競技場で開催された第7回全国高等学校総合体育大会陸上競技大会男子棒高跳で当時の大会記録である3m71cmを跳び優勝、高校日本一となった。
佐川 守一(さがわ もりかず、1935年11月11日- )は… 佐川 守一(さがわ もりかず、1935年11月11日- )は、香川県出身の元プロ野球選手(投手)。 香川県立観音寺第一高等学校卒業。 1954年(昭和29年)観音寺第一高校を卒業後、倉敷レイヨン(現・クラレ)へ入社。同社の硬式野球部(1973年に廃部)に入部し、活躍する。 1955年(昭和30年)倉敷レイヨンを退社し、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)へ入団。同年3月31日、近鉄パールス戦(平和台球場)で、プロ初勝利を記録する。同年4月17日、大映スターズ戦(茨城県営球場)で、2勝目を挙げる。 1958年(昭和33年)広島カープ(現・広島東洋カープ)へ移籍。しかしここでは、1試合のみの登板に終わる。
朝崎 郁恵(あさざき いくえ、1935年11月11日 - )… 朝崎 郁恵(あさざき いくえ、1935年11月11日 - )は鹿児島県大島郡瀬戸内町加計呂麻島生まれの唄者(奄美民謡歌手)。奄美島唄独特のこぶしや裏声で聞く者の心に訴えかける唄声を持ち、ひぎゃ唄と呼ばれる奄美大島南部の島唄伝承の第一人者と言われるベテランである。 加計呂麻島花富(けどみ)の鍼灸師で島唄の研究に情熱を傾けた父辰恕(たつじょ)や、母、祖母の影響を受けて島唄を覚え、10代で天才唄者として活躍。吟遊詩人福島幸義を師匠とし、加計呂麻島、奄美大島各地で唄を披露していた。結婚後は東京を中心に活動し、奄美島唄朝崎會を主宰して後進の育成を図るとともに、日本各地の芸能・各国の民族音楽とも交流し、新しい島唄の創作に力を注ぐ。
荒又 重雄(あらまた しげお、1934年(昭和9年)11月1… 荒又 重雄(あらまた しげお、1934年(昭和9年)11月11日 - )は、日本の経済学者。経済学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授、元釧路公立大学学長。北海道出身。恩師は新川士郎。 この他、1967年北海学園大学経済学部非常勤講師(~1969年)、北海道労働文化協会会長を務める。 福祉国家の変貌の方向性、ロシア極東の労働事情、女性の労働力化や雇用問題など幅広く研究。また、石川啄木の短歌の英訳も行なっている。 「荒又重雄学長略歴・業績一覧 (荒又重雄学長退職記念号)」『社会科学研究 (16)』(p3-14 2004.3 釧路公立大学編集・発行)
潮木 守一(うしおぎ もりかず、1934年11月11日 - … 潮木 守一(うしおぎ もりかず、1934年11月11日 - 2023年2月26日)は、日本の教育社会学者。専門は、教育開発論・教育社会学。名古屋大学名誉教授。桜美林大学招聘教授。元日本教育社会学会会長。牧野巽の教え子。瑞宝中綬章受章。 1934年、神奈川県横須賀市生まれ。1957年、東京大学教育学部教育学科を卒業。1975年、東京大学に学位論文を提出して教育学博士の学位を取得。2023年2月26日、急性心筋梗塞のため死去、88歳没。 中央教育審議会委員、国民生活審議会委員、日本学術会議会員、ユネスコ国内委員会委員などを務めた。 国立大学法人山梨大学経営協議会委員
新宮 威一(しんぐう いいち、1934年11月11日 - )… 新宮 威一(しんぐう いいち、1934年11月11日 - )は、日本の経営者。ダイハツ工業社長を務めた。佐賀県藤津郡太良町出身。 1958年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。1986年9月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1994年9月に顧問とダイハツ工業副社長に就任。1995年6月に社長に昇格。2000年6月から2004年6月までに会長を務めた。 2000年11月に藍綬褒章を受章。
塚原 仲晃(つかはら なかあきら、1933年11月11日 -… 塚原 仲晃(つかはら なかあきら、1933年11月11日 - 1985年8月12日)は、日本の医学者・大脳生理学者・脳神経学者。大阪大学基礎工学部教授。医学博士。 京都府京都市生まれ。東京大学医学部卒業。1963年に東京大学より医学博士を授かる。博士論文の題は「A contribution of internuncial activity to motoneuronal discharges(前柱細胞発射にたいする介在細胞活動の関与について)」。 36歳で大阪大学教授に就任。シナプス、記憶に関する研究においては世界をリードしていたとの評価もある[誰によって?]。当時の日本を代表する脳神経学者の一人でもあった。
池田 敬子(いけだ けいこ、旧姓 : 田中、1933年11月… 池田 敬子(いけだ けいこ、旧姓 : 田中、1933年11月11日 - 2023年5月13日)は、元女子体操競技選手で、指導者、教育者。広島県豊田郡鷺浦村(現:三原市鷺浦町)出身。息子は教師。 メルボルン五輪・ローマ五輪・東京五輪体操女子代表。1954年世界体操競技選手権で日本女子体操界初の金メダリストとなり、「ローマの恋人」と呼ばれた。東京五輪団体銅メダリスト。体操ニッポンの先駆者と言える。いわゆる「ママさん選手」の先駆けとなった人物。指導者としても名を残し、五輪代表選手を育てている。日本女子体操界初の国際体操殿堂入り。2012年、瑞宝中綬章受章。 三原市名誉市民、日本体操協会功労賞、横浜文化賞。
永井 順裕(ながい まさひろ、1933年(昭和8年)11月1… 永井 順裕(ながい まさひろ、1933年(昭和8年)11月11日 - 2025年7月27日)は、日本の政治家。元長野県須坂市長。 現在の須坂市出身。長野県須坂農業高等学校(長野県須坂創成高等学校)卒業。衣料品販売会社の役員から、平成4年(1992年)須坂市長選挙に当選し、3期務めた。同18年(2006年)旭日小綬章受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
辻村 寿三郎(つじむら じゅさぶろう)1933年〈昭和8年〉… 辻村 寿三郎(つじむら じゅさぶろう)1933年〈昭和8年〉11月11日 - 2023年〈令和5年〉2月5日)は、日本の人形作家、人形操作師。アートディレクター。旧名は辻村ジュサブロー。 その異才ぶりを遺憾なく発揮し、数々の創作人形の発表、人形芝居の上演、舞台衣裳デザインなど精力的な活動を行った。日本を代表する人形作家でありながら人形の世界にとどまらず、総合的なアーティストとして各方面より大きな注目を集めていた。また人形館(ジュサブロー館)では作品展示の他、アトリエを公開しファンとの交流を図っていた。人形町で唯一人の人形職人であった。 なお人形町にあったジュサブロー館は2015年9月12日をもって閉館。
鵜飼 勝美(うかい かつみ、1932年11月11日 - )は… 鵜飼 勝美(うかい かつみ、1932年11月11日 - )は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手、外野手。1953年は鵜飼 勝助(うかい かつすけ)の登録名でプレー。
磯浦 康二(いそうら こうじ、1932年11月11日 - 2… 磯浦 康二(いそうら こうじ、1932年11月11日 - 2018年4月7日)は、元日本放送協会(NHK)のアナウンサー。 東京都豊島区出身。1957年上智大学文学部新聞学科卒業。同年、日本放送協会(NHK)にアナウンサーとして入局。1990年まで同局にて活躍。同局退社後、ラジオ・パーソナリティー、上智大学文学部新聞学科講師、対話総合研究所主任研究員、国会議員政策担当秘書を歴任。2000年4月よりNHK水戸文化センターで「心を開く話し方講座」「朗読講座」の講師を務める。 また、1988年にマスコミ・ソフィア会の創設に参加し、東京放送ホールディングス社長や社長室名誉顧問を歴任した濱口浩三初代会長とともに同会の発展に寄与した。
国場 幸一郎 (こくば こういちろう、1932年11月11日… 国場 幸一郎 (こくば こういちろう、1932年11月11日 - 2019年4月11日)は、沖縄県国頭村生まれの國場組代表取締役会長、国建、ムーンビーチ、ザ・テラスホテルズ社長、宜野座リゾート開発社長、沖縄観光コンベンションビューロー理事、沖縄建設業協会会長。沖縄県日中友好協会会長など歴任。父は國場幸吉、また国場組の創設者、國場幸太郎は叔父にあたる。また自民党の衆議院議員国場幸之助にとっては伯父にあたる。 1932年、国頭村に生まれる。沖縄戦当時は宮崎県へ疎開し、米軍統治下で封鎖された沖縄に密航によって帰郷した。石川高等学校、沖縄工業高校建築科、九州大学教養学部を経て、早稲田大学第一理工学部建築科、同大学院工学研究科で建築を学ぶ。
清水 茂(しみず しげる、1932年[昭和7年]11月11日… 清水 茂(しみず しげる、1932年[昭和7年]11月11日 - 2020年[令和2年]1月16日)は、日本のフランス文学者、詩人、翻訳家、早稲田大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人、編集長。日本詩人クラブ会長。 東京府出身。1956年早稲田大学文学部仏文科卒、1961年同大学院文学研究科退学。1959年より早稲田大学文学部助手、専任講師、助教授、教授を経て、2003年定年退職、同年より名誉教授となる。 1953年片山敏彦を中心に集まった若者たちによる詩誌『横笛』を創刊。1972年パリのロマン・ロラン研究所にてロランの未公開資料の研究をする。1976年より文芸誌『同時代』同人として活動し、編集長も兼任した。
高橋 貢(たかはし みつぐ、1932年11月11日 - )は… 高橋 貢(たかはし みつぐ、1932年11月11日 - )は、日本の国文学者、専修大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学文学部国文科卒、同大学院博士課程満期退学、1973年「説話文学の研究」で博士(文学)取得。早稲田実業学校教諭、梅光女学院短期大学助教授、梅光女学院大学教授を経て、専修大学文学部教授。2003年に専修大学を定年退職し、名誉教授に就任。専門は中古説話文学。
和田 亮介(わだ りょうすけ、1931年(昭和6年)11月1… 和田 亮介(わだ りょうすけ、1931年(昭和6年)11月11日―2021年(令和3年)5月25日)は、日本の実業家、エッセイスト。大阪船場の老舗卸「和田哲(株)」三代目社長(のち会長。和田哲はその後、ワテックス株式会社に社名変更)。大阪商工会議所常議員(名誉議員)、大阪織物卸商業組合理事長、大阪市中小企業対策審議会委員、テレビ大阪番組審議会委員長、近畿島根県人会会長、近畿島根経済倶楽部会長等を歴任。日本ペンクラブ会員、日本エッセイストクラブ特別会員、財界人文芸誌『ほほづゑ』同人、関西同人雑誌『千里眼』同人。山陰尺八道場二世道場主(竹号「真月」)。1996年藍綬褒章受章、1999年大阪市文化功労賞。
沼川 洋一(ぬまかわ よういち、1931年11月11日 - … 沼川 洋一(ぬまかわ よういち、1931年11月11日 - 2016年10月28日)は、日本の政治家、薬剤師。衆議院議員(2期)、熊本県議会議員(4期)、熊本市議会議員(1期)。公明党に所属した。 衆議院石炭対策特別委員会委員、社会労働委員会委員、公明党熊本県支部選挙対策委員長、明治薬科大学同窓会組織明薬会熊本支部長などを歴任。 熊本県生まれ。1955年、明治薬科大学卒業。1963年、熊本市議会議員選挙に公明政治連盟公認で立候補して当選し、当選後は公明会(その後公明党に改称)に所属した。1967年の熊本県議会議員選挙立候補を理由に同年3月31日付で市議を辞職した。県議選は熊本市選挙区から公明党公認で立候補して初当選を果たした。
常見 忠(つねみ ただし、1930年11月11日 - 201… 常見 忠(つねみ ただし、1930年11月11日 - 2011年11月30日)は、日本の元プロ野球選手、釣り師。群馬県桐生市出身。
大庭 みな子(おおば みなこ、1930年〈昭和5年〉11月1… 大庭 みな子(おおば みなこ、1930年〈昭和5年〉11月11日 - 2007年〈平成19年〉5月24日)は、日本の小説家。本名・美奈子。東京市出身。出生名は椎名 美奈子。 東京渋谷に生まれる(生家は千駄ヶ谷)。海軍軍医の父の転勤に伴い、全国各地を転々とした他、海外転勤となった1941年(昭和16年)には数カ月だけ母の生家がある新潟の伯母の家で暮らしたこともあった。敗戦を広島で迎え、原爆の惨状が文学の原点となった。 津田塾大学英文学科を卒業後、結婚。夫の転勤によるアラスカ生活中、現地から投稿した『三匹の蟹』(1968年)で芥川賞受賞。以後、時空を超えて混沌とした人間関係と性の様態に迫った『寂兮寥兮』(1982年)などを発表。
柴田 英治(しばた えいじ、1930年11月11日 - 19… 柴田 英治(しばた えいじ、1930年11月11日 - 1999年8月19日)は、岐阜県出身の元プロ野球選手(投手)。引退後に加藤(かとう)へ改姓。
橋本 喜典(はしもと よしのり、1928年11月11日 - … 橋本 喜典(はしもと よしのり、1928年11月11日 - 2019年4月8日)は、日本の歌人。 東京府生まれ。早稲田大学第一文学部国文学専修卒業後、早稲田中学校・高等学校教諭。大学在学中は早稲田大学短歌会に参加し、後輩の篠弘や来嶋靖生らとともに活動した。1948年、窪田章一郎に師事、『まひる野』に入会。師没後の2001年より2014年まで運営、編集委員長を務めた。1995年、歌集『無冠』で第22回日本歌人クラブ賞受賞。2004年、歌集 『一己』で第4回短歌四季大賞受賞。2009年、歌集『悲母像』で第24回詩歌文学館賞と短歌新聞社賞を受賞。2015年、「わが歌」で第51回短歌研究賞受賞。2017年、歌集『行きて帰る』で第28回斎藤茂吉短歌文学賞、第51回迢空賞を受賞。
高瀬 広居(たかせ ひろい、1927年11月11日 - 20… 高瀬 広居(たかせ ひろい、1927年11月11日 - 2006年5月28日)は日本の宗教家。 東京の浄土宗の寺に生まれる。昭和18年(1943年)に僧侶資格を得る。 東京都立第七中学校を経て早稲田大学第一文学部(西洋哲学および国文学専攻)を卒業後、日本放送協会(NHK)に入局、「国会討論会」他、政治・社会番組のプロデューサーを務める。 その後ニュースキャスター、ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)常務取締役、放送批評懇談会理事長、講話塾「全国疏石会」会主。拓殖大学客員教授、拓殖大学理事。 創価学会・公明党の支持者であり、天皇崇拝家でもあった。 昭和62年(1987年)から、テレビ東京系『レディス4』(のちの『L4 YOU!』)で毎月最終金曜日の「月末対談」(12月の月末対談のみ「年末対談」と改題)に出演していた。
片山 明彦(かたやま あきひこ、1926年11月11日 - … 片山 明彦(かたやま あきひこ、1926年11月11日 - 2014年11月16日)は、日本の俳優、元子役。本名は鹿児島 燁彦。東京市世田谷区船橋[要出典](現:東京都世田谷区船橋[要出典])出身。京都府京都市出生[要出典]。暁星中学校・高等学校卒。 太平洋戦争以前に映画会社日活多摩川で子役として映画に出演した。戦時中は長崎県大村市の西部方面後方支援隊に召集された。戦後は70年代前半まで俳優として活動した。所属した映画会社は、大映、東宝、新東宝、東映、赤坂プロダクションなどであった。 2014年11月16日、心不全のため死去。88歳没。墓所は多磨霊園。 父は俳優の島耕二、母は女優の大谷良子。
住谷 磬(すみや けい、1926年〈大正15年〉11月11日… 住谷 磬(すみや けい、1926年〈大正15年〉11月11日 - 2009年〈平成21年〉7月24日)は、社会福祉学者。 住谷悦治の次男として京都市に生まれる。兄は住谷一彦。1956年同志社大学文学部卒、58年同大学院社会福祉専攻修士課程修了、同志社大学文学部助手、講師、助教授、1972年教授。94年定年退任、名誉教授、滋賀文化短期大学教授、95年学長。毎日社会福祉顕彰特別賞受賞。
川上 玲子(かわかみ れいこ、1926年〈大正15年〉11月… 川上 玲子(かわかみ れいこ、1926年〈大正15年〉11月11日 - 没年不明)は、日本のソプラノ歌手。徳島文理大学名誉教授。 武蔵野音楽大学音楽学部声楽科卒業。兵庫県西宮市出身。 兵庫県西宮市出身。1948年(昭和23年)に武蔵野音楽大学音楽学部声楽科を卒業し、声楽をリア・フォン・ヘッサートに師事する。 大学を卒業後は徳島女子大学音楽学部で教鞭を執り、1972年(昭和47年)に同大学が改称し徳島文理大学音楽学部の教授となる。また全四国大学音楽学会などに所属した。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
石井 亨(いしい とおる、1925年(大正14年)11月11… 石井 亨(いしい とおる、1925年(大正14年)11月11日 - )は、日本の自治官僚、政治家。仙台市長(第26、27期)。 仙台市の政令指定都市昇格や市営地下鉄の開業などの実績があるが、ゼネコンに絡む贈収賄事件で失職した。 北海道空知郡赤平村(現:赤平市)出身。札幌二中、旧制一高を経て、1950年(昭和25年)に東京大学法学部政治学科を卒業した。地方自治庁(当時)に入庁し、千葉県開発部管理課長などを務めたが、1963年(昭和38年)、当時の宮城県知事・山本壮一郎に同県職員として招かれた。 その後、総務部次長、商工労働部長、総務部長を務め、1974年(昭和49年)に宮城県副知事に就任した。山本の後継者候補の一番手と見られていたが、1984年(昭和59年)11月に当時の仙台市長・島野武が急逝し、急遽、革新系とされた島野に代わる保守系の市長候補として担ぎ出されることとなった。
勝山 淳(かつやま じゅん、1924年〈大正13年〉11月1… 勝山 淳(かつやま じゅん、1924年〈大正13年〉11月11日 - 1945年〈昭和20年〉7月24日)は、日本の海軍軍人。海兵73期。大東亜戦争(第二次世界大戦)の末期、人間魚雷「回天」で出撃し、米護衛駆逐艦「アンダーヒル」を撃沈した。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少佐。 1924年(大正13年)11月11日に茨城県那珂郡那珂町(現在の那珂市)で生まれる。色白・真面目でいつも「自分は水戸っぽだ」と周囲に言っていた。旧制水戸中学校を卒業後、海軍兵学校(73期)へ進学する。1944年(昭和19年)3月22日に海軍兵学校を卒業すると、柱島泊地から戦艦「大和」に乗艦し、訓練を続けながらシンガポールのリンガ泊地へ向かい、そこで軽巡洋艦「能代」へ乗り組んで実習を重ねる。
厨川 圭子(くりやがわ けいこ、1924年〈大正13年〉11… 厨川 圭子(くりやがわ けいこ、1924年〈大正13年〉11月11日 - )は、日本の翻訳家。 夫は英文学者・厨川文夫。旧姓は広瀬 圭子(ひろせ けいこ)。 オスカー・ワイルド、サマセット・モームなどを訳し、後年は児童書を多く訳した。 厨川圭子は、医師・広瀬季雄の娘として中華民国奉天市(現・中華人民共和国瀋陽市)で生まれた。1942年に東京府立第三高等女学校を卒業、1944年には津田英学塾を卒業した。終戦後の1946年、慶應義塾大学文学部英文科に女子学生の第一期生として入学し、西脇順三郎、厨川文夫に師事して1949年卒業した。 1949年、1月に前妻と離婚した厨川文夫と同年7月結婚。1950年、単身でアメリカへ1年間留学。
阿部 桂一(あべ けいいち、1923年11月11日 - 19… 阿部 桂一(あべ けいいち、1923年11月11日 - 1991年8月15日)は、日本の脚本家である。 筆名は別に新井 啓(あらい けい)がある。日本シナリオ作家協会会員・功労賞受賞者、日本放送作家協会会員、日本脚本家連盟信託者。フジテレビジョン映画部の五社英雄が手がけたテレビ映画『トップ屋』、『刑事』で頭角を現し『三匹の侍』の成功で知られる。テレビの代表作はほかに『SFドラマ 猿の軍団』、『佐武と市捕物控』等、劇場用映画の代表作には『花と怒濤』等がある。 1923年(大正12年)11月11日、宮城県に生まれる。『放送作家年鑑 1966』の阿部の項には東京府(現在の東京都)に生まれた旨の記述がある。
乾 死乃生(いぬい しのぶ、1923年(大正12年)11月1… 乾 死乃生(いぬい しのぶ、1923年(大正12年)11月11日 - 2004年(平成16年)11月19日)は、日本の保健婦。大阪府富田林市伏山出身。大坂の同和地区(被差別部落)の保健対策や難病対策に尽力した人物。名前の「死乃生」は、帝国劇場のファンだった父親が、帝劇女優の1人が私生児に「死生」と名付けたことをヒントとしたものだが、「死」の字が人に与える印象を配慮して平仮名で「しのぶ」と表記することもある。 戦時中に国に尽くしたいとの思いをきっかけに、看護婦を志した。日本赤十字社和歌山支部看護婦養成所を卒業し、1945年(昭和20年)、石川県の山中海軍病院に従軍看護婦として勤務。終戦後に帰郷し、1946年(昭和21年)に南河内郡狭山村立三都小学校の教員となったが、医療の道を捨てきれず、1948年(昭和23年)に退職。
小林孝輔(こばやし たかすけ、1922年11月11日 - 2… 小林孝輔(こばやし たかすけ、1922年11月11日 - 2004年11月19日)は、日本の法学者。専門は、憲法学(日本憲法史・ドイツ憲法史)。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1981年)(学位論文「近代ドイツ国法思想の史的研究」)。青山学院大学名誉教授。 大雲山金龍寺(調布市)住職の長男として、1922年に東京市神田区で誕生。旧制世田谷中学(現在の世田谷学園中学校・高等学校)で学び、僧籍を得た後に早稲田大学に進学。1944年早稲田大学法学部独法科卒業。兵役をへて1950年早稲田大学大学院(旧制)修了。 1950年立正大学経済学部講師。1951年青山学院大学経済学部講師、1953年青山学院大学経済学部助教授、1959年青山学院大学法学部教授、1969年青山学院大学法学部長。
大西 寛介(おおにし ひろすけ、1921年11月11日 - … 大西 寛介(おおにし ひろすけ、1921年11月11日 - 1987年1月29日)は、愛知県岡崎市出身のプロ野球選手。
北川 力夫(きたがわ りきお、1921年(大正10年)11月… 北川 力夫(きたがわ りきお、1921年(大正10年)11月11日 - 没年月日不詳)は、日本の官僚。元厚生事務次官。滋賀県出身。妻の兄・草場敏郎は三井銀行社長。 東京帝国大学法学部卒業後、内務省に入省。岐阜県属。厚生省医務局次長、年金局長、保険局長を経て、1975年(昭和50年)に社会保険庁長官、1976年(昭和51年)厚生事務次官に就任。 1977年(昭和52年)に退官後は、医療金融公庫総裁、全国土木建築国民健康保険組合理事長を歴任した。1993年(平成5年)には勲二等旭日重光章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
千谷 道雄(ちや みちお、1920年11月11日 - 200… 千谷 道雄(ちや みちお、1920年11月11日 - 2006年)は、日本の歌舞伎評論家。 愛知県名古屋市生まれ。1942年東京帝国大学国文科を繰り上げ卒業で兵役。同期に阿川弘之がいる。戦後ソ連に抑留され、1947年帰国し、東京で中学の国語教師、1949年守随憲治の世話で松竹に入り、中村吉右衛門劇団で制作担当となった。1961年、8代目松本幸四郎とともに東宝へ移籍。大部屋俳優の暮らしぶりの悲惨さなど、歌舞伎世界の裏面を描いた『秀十郎夜話』で、1959年読売文学賞を受賞した。 三島由紀夫が6代目中村歌右衛門を描いた『女方』の視点人物・増山について、千谷は「自分をモデルにしている」と述べている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
孫 承徳(ソン・スンドク、朝鮮語: 손승덕/孫承德、1920… 孫 承徳(ソン・スンドク、朝鮮語: 손승덕/孫承德、1920年11月11日 - 1993年5月22日)は、大韓民国の政治家。第9・10・14代大韓民国国会議員。 1920年11月11日に生まれた。春川高等学校を卒業後渡日し、日本大学の専門部(商科)に進学し、卒業した。1973年2月27日に行われた第9代総選挙にて当選し国会議員となり、その後も2度国会議員を務めた。他には江原大学校期成会長、大韓体育会理事、大韓軟式庭球協会会長を務めた。 1992年の第14代総選挙で3選したが、1993年5月22日、江原道春川市漆田洞88公園の前で京春国道を渡る途中に孫娘と共にトラックにひかれて死去した。73歳没。
中村 菊男(なかむら きくお、1919年11月11日 - 1… 中村 菊男(なかむら きくお、1919年11月11日 - 1977年5月17日)は、日本の政治学者、政治家。慶應義塾大学名誉教授。 三重県鳥羽町(現・鳥羽市)出身。慶應義塾大学予科時代に高畠基之門下である井原糺の薫陶を受け、1943年に慶大法学部を卒業。板倉卓造と米山桂三の推薦で助手となり、同時に文部省の特別研究生。1946年に助教授、1952年教授。 民主社会主義を唱え、1952年民主社会主義連盟の結成に参加。1955年左右社会党の統一に際しては右派代表として統一綱領を作成し、社会党右派が脱党して民主社会党を結成するとそのブレーン的存在となる。1958年にはワシントン大学のジャパン・セミナーで講師を務めた。
渡辺 仁(わたなべ ひとし、1919年11月11日 - 19… 渡辺 仁(わたなべ ひとし、1919年11月11日 - 1998年5月25日)は、日本の考古学者。 三重県宇治山田市(現伊勢市)出身。松本高等学校卒、1946年東京帝国大学理学部人類学科卒、1960年「ヒトの生態並びにヒトとその棲息地との社会的結合関係の群構造との関連における研究」で理学博士。1967年東京大学理学部助教授、1972年文学部考古学科教授。1980年定年退官、名誉教授となり、北海道大学教授、麗澤大学教授を務めた。
鳩山 威一郎(はとやま いいちろう、1918年〈大正7年〉1… 鳩山 威一郎(はとやま いいちろう、1918年〈大正7年〉11月11日 - 1993年〈平成5年〉12月19日)は、日本の政治家、大蔵官僚。正三位勲一等。 第52・53・54代内閣総理大臣を務めた鳩山一郎の長男。祖父は第6代衆議院議長の鳩山和夫。母方の祖父は右翼団体玄洋社出身の貴族院議員寺田栄。鳩山由紀夫、鳩山邦夫は息子。井上和子は長女。指揮者の渡邉暁雄とは義兄弟に当る。 東京市小石川区(現・東京都文京区)出身。高等師範附属小(現・筑波大附属小)、旧制府立高等学校高等科文科甲類(後の旧・都立大学)を経て、1941年(昭和16年)に東京帝国大学法学部法律学科を首席で卒業。高等試験行政科も1番で合格したと伝わっており、大蔵省に入省(専売局書記兼大臣官房文書課に配属)、同期に柏木雄介、加治木俊道など。
深澤 俊勇(ふかざわ としお、1917年11月11日 - 没… 深澤 俊勇(ふかざわ としお、1917年11月11日 - 没年不明)は、日本の経営者。日野自動車社長を務めた。長野県長野市出身。 旧制長野中学を経て、1937年に名古屋高等工業学校を卒業し、同年に東京自動車工業に入社。1965年11月に日野重工業(のちの日野自動車)取締役に就任し、常務、専務を経て、1980年6月に副社長に就任し、1983年6月に社長に昇格。1987年6月に相談役を経て、1993年7月から顧問を務めた。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。
田原 虎次(たはら とらじ、1917年11月11日 - 19… 田原 虎次(たはら とらじ、1917年11月11日 - 1995年7月7日)は、日本の農業機械学者。東京農工大学名誉教授。 福岡県出身。1935年福岡県中学修猷館を経て、1943年九州帝国大学農学部農業工学科を卒業。 東京農林専門学校教授を経て、1949年同校が東京農工大学に統合されると、1950年助教授となり、1962年教授に就任。1969年には付属図書館館長を務めた。 1981年日本大学農獣医学部農業工学科教授に就任。1987年定年退職。 1990年勲三等旭日中綬章。
大柴 滋夫(おおしば しげお、1917年(大正6年)11月1… 大柴 滋夫(おおしば しげお、1917年(大正6年)11月11日 – 1998年(平成10年)11月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、社会民主連合副代表。 山梨県北巨摩郡小淵沢村(現北杜市)生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。故郷の貧しい農村の状況を見て社会主義革命による変革を望み、1945年に日本社会党に入党。社会党が左右に分裂した際は左派社会党に所属した。以後党本部書記の地位に15年間あった他、中央執行委員・組織部長・総務部長などを歴任する。 1953年の第26回衆議院議員総選挙から旧東京2区(定数3)で立候補し、1960年の第29回衆議院議員総選挙で初当選。1963年の第30回衆議院議員総選挙では、自由民主党の菊池義郎、宇都宮徳馬を抑えトップ当選(大柴の当選により、割を食う形で社会党のベテラン加藤勘十が次点で落選した)。
久保田 実(くぼた みのる、1915年11月11日 - 19… 久保田 実(くぼた みのる、1915年11月11日 - 1997年2月10日)は、日本の経営者。長野県長野市出身。 1934年に長野商業学校を卒業し、1940年に八十二銀行に入行。1971年11月に取締役に就任し、1975年12月に常務を経て、1979年6月には三協精機製作所社長に就任。1984年6月には会長に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章。 1997年2月10日心不全のために死去。81歳没。
石原 吉郎(いしはら よしろう、1915年(大正4年)11月… 石原 吉郎(いしはら よしろう、1915年(大正4年)11月11日 - 1977年(昭和52年)11月14日)は、日本の詩人。シベリア抑留の経験を文学的テーマに昇華した、戦後詩の代表的詩人である。
辻 光典(つじ みつのり、1915年11月11日 - 199… 辻 光典(つじ みつのり、1915年11月11日 - 1992年9月17日)は、日本の漆芸家。日展参事。日展出品作「装飾画、雲連作の六『クノサス』」により日本芸術院賞を受賞した。 旧満洲ハルビン市に生まれる。青山学院を経て、1939年に東京美術学校工芸科漆工部を卒業した。在学中の1938年、春台美術展に「文庫」、光風会展に「花器」で初入選した。翌年には実在工芸展に出品し、新工芸運動にも参加した。 1940年に東京都工芸展「蛾の踊り」で知事賞を受賞し、1943年には光風会会員となった。戦後は1948年に型々工芸、1950年には洋和会を主宰し、建築物と結びついた壁面装飾に漆工家としての新しい方向を求めた。