森山 榮治(もりやま えいじ、1928年〈昭和3年〉10月1… 森山 榮治(もりやま えいじ、1928年〈昭和3年〉10月15日 - 2019年〈平成31年〉3月 )は、日本の地方公務員、実業家、人権教育講師。 京都府京都市伏見区生まれ、福井県大飯郡高浜町西三松出身。京都府職員・綾部市都市計画係長・高浜町企画室主幹等を経て、部落解放同盟福井県連合会書記長、高浜町助役、同町教育委員長、福井県人権研究員などを務めた。2017年まで京都府京都市在住。浜田倫三元高浜町長に招聘された後は、福井県を中心に関西電力や福井県庁を含む複数の官民に「人権教育講師」の立場を通じて、大きな影響力を持っていた。瑞宝双光章受章。法務省人権擁護局長感謝状受賞。 1970年、福井県高浜町の幹部職員として、町議会に出席した当時41歳の森山は散会後、ある町議から大声で呼び止められ、「おい、森山よ。
入谷 正典(いりたに まさのり、1928年10月15日 - … 入谷 正典(いりたに まさのり、1928年10月15日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
森岡 俊夫(もりおか としお、1928年10月15日 - )… 森岡 俊夫(もりおか としお、1928年10月15日 - )は、日本の歯科医師・歯学者。九州大学名誉教授、元九州大学歯学部予防歯科学講座教授、大垣女子短期大学名誉教授、日本歯科学院専門学校理事、学科長。元日本レーザー歯学会理事長、元ピエールフォシャールアカデミー国際歯学会日本部会会長。 1949年大阪歯科医学専門学校卒業、1950年 大阪大学医学部選科修了。以後大阪大学助手、講師、助教授を経て1970年より九州大学教授に就任。1958年 医学博士 論文の題は「免疫溶菌現象の機作に関する実験的研究 」。1992年同大学名誉教授、大垣女子短期大学教授、1999年日本歯科学院専門学校理事、学科長に就任。
島野 卓爾(しまの たくじ、1928年10月15日 - 20… 島野 卓爾(しまの たくじ、1928年10月15日 - 2004年6月4日)は、日本の経済学者。 東京出身。1953年学習院大学政治学科卒、1956年西ドイツ・キール大学博士課程修了、政治学博士。1956年上智大学講師、60年学習院大学政経学部講師、助教授、67年同経済学部教授。99年定年、名誉教授。妻は上原七之助(上原勇作の長男)の次女、仲子。
荒川 幾男(あらかわ いくお、1926年10月15日 - 2… 荒川 幾男(あらかわ いくお、1926年10月15日 - 2005年1月1日)は、日本の哲学者。東京経済大学名誉教授。専攻は、現代ヨーロッパ・日本近代思想史。 1926年、兵庫県神戸市で生まれた。東京大学文学部哲学科で学び、卒業。 卒業後は平凡社に入社し、『世界大百科事典』編集部などで勤務。その後、東京経済大学助教授に転じた。1969年に教授昇格。1988年、東京経済大学第3代学長に就任。1998年に東京経済大学を定年退任し、名誉教授となった。
中村 隆英(なかむら たかふさ、1925年10月15日 - … 中村 隆英(なかむら たかふさ、1925年10月15日 - 2013年9月26日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。専門は、経済統計学・日本経済論。東京出身。
大島 国雄(大島 國雄、おおしま くにお、1923年10月1… 大島 国雄(大島 國雄、おおしま くにお、1923年10月15日 - 2016年1月24日)は、日本の経営学者。 名古屋市出身。1944年陸軍士官学校卒、1950年愛知大学法経学部卒、75年「公企業に関する経営学的研究」で神戸大学経営学博士。50年運輸調査局研究員、1955年東京都立商科短期大学講師、助教授、教授、1966年青山学院大学経営学部教授、70-72年学部長、92年定年、名誉教授、駿河台大学教授。99年退職。ソビエト経営学が専門。
下村 良之介(しもむら りょうのすけ、1923年10月15日… 下村 良之介(しもむら りょうのすけ、1923年10月15日 - 1998年12月30日)は、戦後に活躍した日本画家である。本名・良之助。 1923年(大正12年)10月15日大阪市に生まれる。1935年(昭和5年)12歳の時に京都府に移る。1943年(昭和18年)京都市立絵画専門学校日本画科を学徒動員のため繰上げ卒業。 1949年(昭和24年)パンリアル美術協会の結成に参加。戦後の日本画界にあって革新運動を展開した同協会第1回展から出品を続け、やがて指導者的役割を果たし、旺盛な活動を展開、最晩年まで協会とともに歩んだ。「反骨の画人」とも称されているその貴重な足跡は、「日本画」という伝統的なジャンルにとどまりながら開拓精神に貫かれている。
笹 哲三(ささ てつぞう、1923年10月15日 - 201… 笹 哲三(ささ てつぞう、1923年10月15日 - 2019年4月2日)は、日本の経営者。興亜火災海上保険社長、会長を務めた。北海道出身。 1947年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年に興亜火災海上保険に入社。1976年7月に取締役に就任し、1980年7月に常務、1982年7月に専務を経て、1983年11月に副社長に就任し、1990年6月には社長に昇格。1994年6月に会長に就任し、1998年6月に相談役に就任。 1994年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2019年4月2日に老衰によって死去。95歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
片岡 みどり(かたおか みどり、1923年(大正12年)10… 片岡 みどり(かたおか みどり、1923年(大正12年)10月15日 - 2009年(平成21年)12月1日)は、日本のピアニスト。相愛大学名誉教授。 東京音楽学校卒業。愛知県出身。 愛知県出身。中村佳永子、井口基成に師事し、1944年(昭和19年)に東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)本科器楽部ピアノ専攻を卒業。相愛大学名誉教授や日本シマノフスキ協会の理事を務めていた。 門下生に花房晴美、太田紗和子、平野智子、今岡淑子などがいる。 2009年(平成21年)12月1日、86歳で亡くなった。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
宮野 秋彦(みやの あきひこ、1923年(大正12年)10月… 宮野 秋彦(みやの あきひこ、1923年(大正12年)10月15日 - 2016年(平成28年)12月7日)は、日本の建築学者。名古屋工業大学名誉教授。元日本熱物性研究会会長。元日本建築学会副会長。 名古屋生まれ。1944年名古屋高等工業学校(現名古屋工業大学)建築科卒業。1945年東京工業大学工学部建築学科卒業。1962年東京工業大学工学博士。東京工業大学助手、同助教授、名古屋工業大学助教授、同教授を経て、退官後福山大学教授、名古屋工業大学名誉教授。1972年日本建築学会賞受賞。1986年日本熱物性研究会会長。1987年日本建築学会副会長。2001年勲三等瑞宝章受章。日本建築学会名誉会員、日本熱物性学会名誉員、中国文物学会名誉理事。
井川 邦子(いがわ くにこ、1923年10月15日 - 20… 井川 邦子(いがわ くにこ、1923年10月15日 - 2012年10月4日)は、日本の女優。一ツ橋家政女学校卒業。本名は野中 敏子(のなか としこ)。 1940年、松竹に入り、同年、河野敏子の芸名で『絹代の初恋』で映画デビュー。戦後、井川邦子と改名し、木下惠介、小津安二郎など巨匠の作品に数多く出演。中でも『わが恋せし乙女』『結婚』『肖像』『カルメン故郷に帰る』など木下作品に次々と出演し、木下学校の優等生としてスターの道を歩んだ。1960年の『笛吹川』を最後に映画界を離れ、その後はテレビドラマに出演していたが、1977年に女優業を引退。引退後は神奈川県鎌倉市で喫茶店を経営し、悠々自適の生活を送っていた。
森重 敏(もりしげ さとし、1922年10月15日 - 20… 森重 敏(もりしげ さとし、1922年10月15日 - 2007年5月28日)は、日本の国語学者、国文学者、奈良女子大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1945年京都帝国大学国文科卒。京都女子大学助教授、奈良女子大学助教授、教授、1986年定年退官、名誉教授、天理大学教授、1996年退任。 1999年、勲三等旭日中綬章を受章。2007年5月28日、肺癌のため死去。没後正四位叙勲。
水野 弥穂子 (水野 彌穗子 みずの やおこ、1921年10… 水野 弥穂子 (水野 彌穗子 みずの やおこ、1921年10月15日 - 2010年1月26日)は、日本の仏教学者・曹洞宗僧侶。駒澤大学名誉教授。東京女子大学教授。専門は道元の思想。 1921年、東京市出身。1939年4月、東京女子大学国語専攻部予科入学、1942年9月に本科を繰り上げ卒業。その後、東北大学法文学部に進学、卒業後、文部省に勤め、国立国語研究所研究員に転じる。駒澤大学助教授・教授、法政大学通信教育部非常勤講師などを経て、1975年より東京女子大学教授に、1987年3月に退任。 半世紀に及ぶ道元『正法眼蔵』研究で著名。主な注解版は、岩波文庫(全4巻)と、春秋社版『原文対照現代語訳 道元禅師全集』(全7巻)。
三宮 武夫(さんのみや たけお、1921年10月15日 - … 三宮 武夫(さんのみや たけお、1921年10月15日 - 2007年11月13日)は日本の実業家。 1921年、神奈川県大磯町にて出生。1942年、明治大学専門部卒業。 日本曹達入社後は、事業の柱のひとつとなるアグリビジネスなどを手掛け、現在に至る全国農業協同組合連合会との事業基盤などを築き上げた。 昭和期の十五大財閥の1つである、日曹コンツェルン(GHQによる財閥解体前の傘下企業数は42社)の中核企業であった日本曹達は、歴代トップが中央官僚トップ階層の天下りや、メインバンクであった日本興業銀行出身者などが主だったが、三宮は1983年に内部昇格により第10代社長に就任。後に会長となった。
坂元 貞一郎(さかもと ていいちろう、1920年10月15日… 坂元 貞一郎(さかもと ていいちろう、1920年10月15日 - 1984年5月18日)は、日本の官僚、厚生事務次官。厚生省年金課長時代に国民年金制度を作り、児童家庭局長時代には1971年の予算編成で児童手当制度創設に尽力。正四位勲二等旭日重光章。 鹿児島県阿久根村生まれで、阿久根小学校卒業後に鹿児島市の伯母に引き取られ、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業し1938年4月第七高等学校造士館 (旧制)文科甲類入学、1941年3月に同校を卒業。1943年9月に東京帝国大学法学部政治学科卒業。卒業前の文官高等試験行政科に合格しており、9月27日に厚生省へ入省し大臣官房総務課勤務。翌年兵役に従事し、敗戦とともに復員復職。
水本 浩(みずもと ひろし、1920年〈大正9年〉10月15… 水本 浩(みずもと ひろし、1920年〈大正9年〉10月15日 - 1999年〈平成11年〉12月3日)は、日本の法学者(民法)。借地借家法、土地法の研究で知られる。立教大学名誉教授。 熊本県出身。1944年、東京帝国大学法学部卒業(指導教授は我妻栄)。同法学部助手。1949年、神奈川大学商経学部専任講師。1950年、同法経学部専任講師。後に、同法経学部助教授。1962年、法学博士(東北大学)(学位論文「借地借家法と不動産賃貸借法の構造 」)。1963年、立教大学法学部教授に就任。1969年、立教大学法学部長。1986年3月、立教大学を定年退職。立教大学名誉教授。同年4月獨協大学法学部教授。1991年獨協大学退職。
杉元 恒雄(すぎもと つねお、1920年(大正9年)10月1… 杉元 恒雄(すぎもと つねお、1920年(大正9年)10月15日 - 1997年(平成9年)2月16日)は、日本の税理士、司法書士、政治家。参議院議員(1期)。 1920年、現在の宮城県大和町にて出生。 明治大学専門部商科卒後、杉元会計事務所を設立、税理士、司法書士として活動する。 政界に転じ、神奈川県議会議員から、県議会議長に就任し、党県連幹事長、県経営診断協会理事長、県遺族会副会長などを兼務。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に神奈川県選挙区より自由民主党公認で立候補し、初当選。環境政務次官などを務めた。 任期中、体調を崩す。1988年10月24日、自民党神奈川県連は、病気療養中で政治活動が困難と判断し、翌年の参院選をめぐり杉元の出馬とりやめを決めた。
石田 孝(いしだ たかし、1918年〈大正7年〉10月15日… 石田 孝(いしだ たかし、1918年〈大正7年〉10月15日 ‐ 1987年〈昭和62年〉)は、日本の政治家。北海道浜頓別町長(1980年 ‐ 1987年)。 北海道枝幸郡頓別村出身。北海道庁立旭川商業学校卒業。戦時中は徴兵により戦地に赴く。復員後、1947年に頓別村村議会議員に初当選。以後、浜頓別町制に移行後も当選を続け、連続8期32年務める。この間、1962年(昭和37年)から1979年(昭和54年)まで浜頓別町議会議長や1962年(昭和37年)から1980年(昭和55年)まで浜頓別町商工会長、1970年(昭和45年)から1980年(昭和55年)まで北海道商工会連合会副会長を務めた。同年、町長が参院選立候補のため辞職したのに伴い実施された町長選に立候補し、前町長の後継者とされた前助役を破って、初当選を果たした。
小松原 俊一(こまつばら しゅんいち、1917年10月15日… 小松原 俊一(こまつばら しゅんいち、1917年10月15日 - 2007年3月9日)は、日本の実業家。元三井鉱山(現 日本コークス工業)社長。元三井鉱山会長。元三井鉱山相談役。栃木県出身。 旧制栃木県立栃木中学校(現・栃木県立栃木高等学校)を経て、東京商科大学(現 一橋大学)を卒業。三井鉱山(現・日本コークス工業)社長、同会長および相談役を歴任。 2007年、急性呼吸不全のため89歳で死去。
宮崎 康二(みやざき やすじ、1916年(大正5年)10月1… 宮崎 康二(みやざき やすじ、1916年(大正5年)10月15日 - 1989年(平成元年)12月30日)は、日本の水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック100m自由形、800mリレーの金メダリスト。元・日本水泳連盟理事。 静岡県浜名郡吉津村(現在の湖西市)の出身。吉津尋常小学校を経て浜松一中(現・静岡県立浜松北高等学校)時代に15歳で1932年ロサンゼルスオリンピックに出場。身長179cm、体重66kgの恵まれた体躯を生かし、100m自由形の予選で58秒7の日本新記録を樹立し、準決勝ではジョニー・ワイズミュラーの記録を破る58秒0の五輪新記録・日本新記録を打ち立てる。決勝では58秒2で金メダルを獲得、アメリカのこの種目の連勝を6でストップさせた。
岩動 道行(いするぎ みちゆき、1913年〈大正2年〉10月… 岩動 道行(いするぎ みちゆき、1913年〈大正2年〉10月15日 - 1987年〈昭和62年〉1月25日)は、日本の政治家、大蔵官僚。自由民主党衆議院議員(1期)・参議院議員(4期)。科学技術庁長官。 元衆議院議長林譲治の女婿。元衆議院議員岸田正記の妻・和子は従姉妹に当たる。 岩手県紫波郡赤石村(現・紫波町)に生まれた。岩動康治の二男。 盛岡中学、旧制府立高校を経て、1939年、京都帝国大学法学部卒業、大蔵省に入省。為替局属。広島税務署長、吉田内閣総理大臣秘書官、主計局主計官(文部・厚生担当)、管財局閉鎖機関課長、管財局特殊清算課長、外務省在英国大使館参事官などを歴任。1960年2月1日、東海財務局長。
川島 宙次(かわしま ちゅうじ、1912年10月15日 - … 川島 宙次(かわしま ちゅうじ、1912年10月15日 - 1998年)は、日本の民家研究家・画家。 東京生まれ。1932年大阪市立都島工業学校建築科卒。一級建築士。大林組に入り、住宅部長、大林ハウジング取締役を歴任。欧米、東南アジア諸国を歴訪し住居建築を研究。1990年第1回竹内芳太郎賞受賞。日本民族建築学会評議員、東京民芸協会会員、日本美術家連盟会員。
野田 良之(のだ よしゆき、1912年10月15日 - 19… 野田 良之(のだ よしゆき、1912年10月15日 - 1985年10月11日)は、日本の法学者、東京大学名誉教授。専門はフランス法、比較法。
井原 伍郎(いはら ごろう、1909年10月15日 - 19… 井原 伍郎(いはら ごろう、1909年10月15日 - 1974年1月7日)は、日本の経営者。福岡県福岡市出身。 1930年に大倉高等商業学校を卒業し、同年に西部ガスに入社。1958年3月に福岡支店長に就任、取締役、常務、専務、副社長を経て、1970年2月に社長に就任。 1974年1月7日心筋梗塞のために死去。64歳没。
桑原 万寿太郎(くわばら ますたろう、1909年10月15日… 桑原 万寿太郎(くわばら ますたろう、1909年10月15日 - 1998年2月17日)は、日本の動物行動学者、基礎生物学研究所・九州大学名誉教授。 東京府生まれ。1933年北海道帝国大学理学部動物学科卒、1944年同理学部助教授、1949年「蜜蜂の空間定位に於ける触角の機能 (独文)」で北海道大学理学博士、1949年九州大学理学部教授、1973年定年退官、名誉教授、上智大学教授、1977年岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所初代所長、1981年岡崎国立共同研究機構長兼基礎生物学研究所長、1983年退官、名誉教授。 ミツバチの帰巣行動などを題材に、昆虫の生理、行動、感覚などの仕組みを研究、動物行動学を広く紹介した。
板垣 與一(いたがき よいち、1908年 <明治41年> 1… 板垣 與一(いたがき よいち、1908年 <明治41年> 10月15日 - 2003年 <平成15年> 8月28日)は、日本の経済学者、国際政治学者。1932年に旧制東京商科大学を卒業。以後同大学(のち一橋大学)を研究拠点とし、戦前は植民地政策を研究領域として南方軍占領地の軍政に関与。戦後はアジア政治経済を研究領域とし、アジア経済研究所の設立を提言した。1972年亜細亜大学教授、経済学部長。1988年八千代国際大学初代学長。1972年一橋大学名誉教授。1980年勲二等瑞宝章受章。1984年経済社会学会会長。位階は正四位。 1908年、富山県射水郡新湊町(現射水市)の漁師の家に生まれた。1921年に富山県立高岡甲種商業学校(現富山県立高岡商業高等学校入学。
相馬 遷子(そうま せんし、1908年10月15日 - 19… 相馬 遷子(そうま せんし、1908年10月15日 - 1976年1月19日)は、日本の俳人、医師。本名は相馬富雄。 長野県出身。東京帝国大学医学部卒。 水原秋櫻子に俳句の指導を受け、1940年より「馬酔木」同人。1945年より同人会長。同時に1938年から「鶴」同人、石田波郷に兄事する。同年斎藤玄の斡旋で句集『草枕』を出版。故郷の自然を詠み堀口星眠、大島民郎などとともに馬酔木高原派と呼ばれたが、山本健吉は遷子の句に他の「高原派」にはない、「鶴」との関わりからくる境涯性を指摘している。以後の句集に『山国』(1956年。一般にはこれが第一句集とされている)、『雪嶺』(1969年)、『山河』(1976年)、『相馬遷子全句集』(1982年)がある。
小川 芳男(おがわ よしお、1908年10月15日 ‐ 19… 小川 芳男(おがわ よしお、1908年10月15日 ‐ 1990年7月31日)は、日本の英語学者。東京外国語大学名誉教授。神田外語大学初代学長。日本語教育学会初代会長。 岡山県生まれ。東京外国語学校英語科卒。戦後、東京外国語大学助教授、1955年教授、1961年学長。NHKラジオ「基礎英語」を長く担当した。 1972年、中央教育審議会の委員に就任。1977年初代日本語教育学会副会長。 発音を重視した英語教授法を広めた人物として一般に知られている。英語教育においては「語学の学習は根本的には誤りをおかさせないようにすることが大切である。(中略)間違ったことは、耳にも聞かせず口にも発音させず目にも見せず手でも書かせないようにしなければならない(中略)たとえば生徒に英語を音読させる場合でも最後まで黙って聞いていてそれから強制するのではなく、間違いを犯した場合はただちにその場で矯正するようにしなければならない」という考えを一般に広めている。
秘田 余四郎(ひめだ よしろう、1908年10月15日 - … 秘田 余四郎(ひめだ よしろう、1908年10月15日 - 1967年9月18日)は、字幕翻訳家、翻訳家、小説家。本名・姫田 嘉男(ひめだ よしお)。 徳島県板野郡一条村(現・阿波市)生まれ。幼時一家で上京。東京府立第四中学校中退、成城中学校卒業、1931年東京外国語学校フランス語卒業。1936年東和商事映画部に入社し、フランス映画を始めとする字幕作成に活躍。1938年に解雇され、「香具師もの」小説を書く。1940年陸軍通訳。仏印へ渡り、字幕翻訳を中華電影で続け、上海で高見順と知り合い生涯の友となる。敗戦で鎌倉へ引き揚げ。また、海外小説の翻訳(一部、姫田嘉男名義)もおこなった。 RKOの作品を中心に外国映画をテレビ局に配給する企業、日本テレピックスを設立したが、同社は秘田の死後に倒産し、秘田の弟によって東京放映として再興されたが、彼が山田かつらの一人娘と結婚したことがきっかけで鬘の卸売業を始めたことで東京放映の事業は縮小されてしまったと同社で働いていた諸橋健一は述べている。
石本 統吉(いしもと とうきち、1907年10月15日 ‐ … 石本 統吉(いしもと とうきち、1907年10月15日 ‐ 1977年2月20日)は、日本の映画監督、映画プロデューサー、実業家。 東京出身。第一映画社で伊藤大輔、溝口健二の劇映画の編集を担当。鈴木伝明、中野英治が出演した劇映画『名物三人男』『ある駅の出来事』『与太者サーカス』を監督。芸術映画社で長期ロケを刊行した記録映画『雪國』を監督し、文部大臣賞を受賞。日本映画社ジャカルタ撮影所次長兼製作部長をへて、戦後、人員整理が始まっていた日本映画社でSF劇映画『空気の無くなる日』を製作。日映科学映画製作所を設立した後、記録映画『結核の生態』、『せんたく』、『火と炎』ほかの製作に対して、第3回ブルーリボン賞受賞。
篠原 周一(しのはら しゅういち、1906年10月15日 -… 篠原 周一(しのはら しゅういち、1906年10月15日 - 2001年6月3日)は、日本の経営者。協和銀行社長、会長を務めた。長野県長野市出身。 1930年に東京帝国大学法学部英法学科を卒業し、同年4月に日本銀行に入行した。1958年5月に協和銀行副頭取に就任し、1962年12月には頭取に昇格した。1971年5月に会長に就任し、1978年6月に名誉会長相談役を経て、1998年4月から名誉顧問を務めた。 2001年6月3日肺炎のために死去。94歳没。
鈴木 清(すずき きよし、1906年10月15日 - 198… 鈴木 清(すずき きよし、1906年10月15日 - 1982年9月2日)は、日本の教育学者。東京教育大学名誉教授、元東京女子体育大学学長。元日本心理学会会長。静岡県出身。 1936年、東京文理科大学心理学科卒業。1961年、「自我意識の発達に関する研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。横浜国立大学教授を経て、東京教育大学教授。1970年、定年退官、名誉教授。東京女子体育大学教授・学長(在任期間: 1970年 - 1980年)。1974年、東京都立高等学校入学者選抜研究協議会会長に就任し、学校群制度廃止・新学区制導入などを推進したことでも知られる。1977年、勲三等旭日中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
見明 凡太朗(みあけ ぼんたろう、1906年10月15日 -… 見明 凡太朗(みあけ ぼんたろう、1906年10月15日 - 1987年)は、日本の俳優。旧芸名は見明 凡太郎(読み同じ)。 本名は見明 すすむ(みあけ すすむ)。元妻は女優の村田知栄子(1947年離婚)。 島根県美濃郡高津村(現・益田市)出身。1906年島根県美濃郡豊田村の渡辺市太郎の次男として出生。高津村で染屋を営む見明家の養子となる。 1923年に下関商業高校を卒業後、日本映画俳優学校に第2期生として入学。同期には島耕二、小杉勇がいた。その後、1926年に日活に入社。1927年公開の映画『彼を繞る五人の女』(監督:阿部豊)でデビューを果たし、翌1928年の映画『松竹梅』で初主演を果たす。1932年から1934年にかけて不二映画社、新興キネマに在籍したのち日活に復帰した。
田中 香苗(たなか かなえ、1904年(明治37年)10月1… 田中 香苗(たなか かなえ、1904年(明治37年)10月15日 - 1985年(昭和60年)10月13日)は、日本のジャーナリスト、実業家。毎日新聞社社長、日本国際連合協会理事長。東亜国内航空会長。 香川県大川郡白鳥町(現・東かがわ市)生まれ。 東亜同文書院卒業後、大阪毎日新聞社に入社。満洲事変や西安事件報道などを手掛け、戦中は東亜部長を務め、敗戦後は海外特派員の引揚げ業務を担当した。その後、ラジオ東京(現・TBSラジオ)など放送事業畑で活躍し、同郷の政治家平井太郎が民間放送を設立する際、協力し、1953年(昭和28年)にラジオ四国(現・西日本放送)が開局している。 西部本社代表を経て、1956年(昭和31年)に取締役に選任され、代表取締役・編集主幹、代表取締役会長・主筆を経て、1974年11月から76年2月までに社長を務めた。
宇田 耕一(うだ こういち、1904年(明治37年)10月1… 宇田 耕一(うだ こういち、1904年(明治37年)10月15日 - 1957年(昭和32年)12月30日)は、昭和期の日本の政治家、実業家。経済企画庁長官(第3-4代)、科学技術庁長官(第2-3代)、衆議院議員(3期)。旧姓は六田。 高知県出身。大阪市西区で六田橘太郎、ウタ夫妻の六男として生まれる。1917年(大正6年)土佐中学校・高等学校の創立者でもある海運業者で衆議院議員(憲政会)も務めた宇田友四郎の養子となる。幼少期は高知県香美郡岸本町の伯父の家で育ち、岸本尋常小学校から高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、高知高等学校(現高知大学)を経て、京都帝国大学法科に入学。1929年(昭和4年)卒業後、ヨーロッパ視察、兵役を経て、1930年(昭和5年)南満洲鉄道に入社。
仲村 清栄(清榮、なかむら せいえい、1904年(明治37年… 仲村 清栄(清榮、なかむら せいえい、1904年(明治37年)10月15日 - 1958年(昭和33年)5月27日)は、昭和期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 沖縄県那覇区垣花町(現那覇市垣花町)で、清水泡盛醸造元の仲村家に生まれる。1923年(大正12年)那覇市立商業学校を卒業。その後上京して、1927年(昭和2年)、早稲田大学法律科を卒業。 帰郷して家業に従事。その後、沖縄酒造組合連合会代議員、同評議員、那覇商工会議所議員、首里無尽社長などを務めた。 1941年(昭和16年)沖縄県多額納税者として補欠選挙で貴族院多額納税者議員に選出され、同年9月20日に就任し交友倶楽部に所属したが、1942年(昭和17年)12月14日に議員を辞職した。
水上 達三(みずかみ たつぞう、1903年〈明治36年〉10… 水上 達三(みずかみ たつぞう、1903年〈明治36年〉10月15日 - 1989年〈平成元年〉6月16日)は、日本の実業家。 山梨県北巨摩郡清哲村字青木(現・韮崎市)に農業水上勘三郎・千鶴夫妻の五男として生まれる。水上家は江戸時代、庄屋を務めた家系という。国文学者の清水泰は実兄。 旧制甲府中学校(現山梨県立甲府第一高等学校)を経て、1928年東京商科大学(現一橋大学)卒。大学の同期には三井物産副社長や東レ副社長等を務めた町田栄次郎、三菱地所社長を務めた伊藤達二、松下電器理事を務めた乗松健二、第一電工社長等を務めた松原美義がいる。 1928年三井物産入社。高崎派出所駐在員を命ぜられ、以後6年間を同地で過ごす。
西田 信一(にしだ しんいち、1902年10月15日 – 2… 西田 信一(にしだ しんいち、1902年10月15日 – 2003年4月10日)は、昭和期の政治家、参議院議員(3期)。北海道開発庁長官(第22代)、科学技術庁長官(第31代)。 北海道空知郡岩見沢町(現・岩見沢市)に、鉄道員・西田栄次郎の長男として生まれる。両親はいずれも富山県出身。 高等小学校卒業後、郵便局員、鉄道員を経て、札幌工業学校(現・札幌工業高校)に入学する。 1924年札工を卒業後、苫小牧工業学校(現苫小牧工業高校)助教諭を経て、1928年苫小牧町役場に入庁する。仕事の傍ら王子製紙アイスホッケー部のコーチも務め、1932年には全日本選手権大会で初出場・初優勝の快挙を成し遂げた。土木課長、助役を経て、1946年4代目苫小牧町長に就任する。
野間 繁(のま しげる、1902年10月15日 - 1978… 野間 繁(のま しげる、1902年10月15日 - 1978年8月12日)は、日本の法学者、裁判官、弁護士。明治大学名誉教授。民事訴訟法が専門。勲二等正四位。 1902年、広島県広島市生まれ。1921年明治大学予科に入学。雄弁部に所属する。1926年明治大学法学部を卒業。卒業後は裁判官となり、東京区裁判所判事、東京地方裁判所部長判事、函館地方裁判所部長判事、東京控訴院判事・勅任部長、裁判官訴追委員会事務局長を歴任、1958年に退官。 1947年、「上訴法の基礎理論」を明治大学に提出して法学博士号を取得。1958年明治大学教授となる。國學院大學教授も兼任。1974年、明治大学を定年退職し、名誉教授となった。
笹山 茂太郎(ささやま しげたろう、1901年10月15日 … 笹山 茂太郎(ささやま しげたろう、1901年10月15日 - 1982年5月15日)は、日本の政治家。秋田県横手市出身。位階は従三位、勲等は勲一等。衆議院議員(9期)などを務めた。 秋田県立横手中学校、第一高等学校を経て、1926年東京帝国大学英法科卒業。農林省入省。販売改善課長、埼玉県経済部長、米穀課長、本省会計課長などを経たが、その後、山林局長のときに、戦時中の政府・軍部の方針であった里山伐採・平地林伐採運動について『行き過ぎのないように』との局長通達を全国の林務課長あてに出したことが、全国知事会で問題となり、熊本の営林局長に左遷させられる事態となった。本省の局長が営林局長に降格されることは、いまだかつてないことであった。
井上 金太郎(いのうえ きんたろう、1901年10月15日 … 井上 金太郎(いのうえ きんたろう、1901年10月15日 - 1954年1月29日)は、日本の映画監督、脚本家である。最初のキャリアは映画俳優であり、芸名は栗井 饒太郎(くりい じょうたろう)であった。脚本家としての名は秋篠 珊次郎(あきしの さんじろう)である。
池谷 信三郎(いけたに しんざぶろう、1900年10月15日… 池谷 信三郎(いけたに しんざぶろう、1900年10月15日 - 1933年12月21日)は、日本の小説家、劇作家。 東京生まれ。東京帝國大學法学部、ベルリン大学法科中退。 暁星小学校、東京府立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)、旧制第一高等学校卒業。一高在学時より校友会雑誌に短歌などを発表し創作活動をはじめる。1922年に東京帝大へ入学するが、その年の終わりには休学してベルリン大学へ行き、先にベルリンへ来ていた一高時代の先輩である村山知義の影響を受けヨーロッパの芸術運動に触れる。最終的に東大は中退した。 1923年9月1日に起きた関東大震災により実家を失い帰国。 1925年、ベルリン滞在の経験を元に執筆した『望郷』が「時事新報」の懸賞小説に当選。
本田 明(ほんだ あきら、1900年10月15日 - 196… 本田 明(ほんだ あきら、1900年10月15日 - 1965年7月3日)は、日本の実業家。帝拳プロモーション元会長、日本プロボクシング協会(旧・日本ボクシング協会)初代会長を務め、ボクシング界の天皇と言われた。 衆議院議員を務めた本田義成の長男。大正期に立教大学に入学し、同級生の荻野貞行(日本ボクシングの母)と親交を深める。 1926年7月に、荻野貞行が上海へ無断遠征したことで渡辺勇次郎が率いる日本拳闘倶楽部から破門されたことにより、荻野は神戸銀行頭取の樽谷公一を担いで東京拳闘会(現・東拳ボクシングジム)を設立した後、程なくして新橋駅近くに新たに「帝国拳闘協会拳道社」(現・帝拳プロモーション)を設立する。
久保田 鶴松(くぼた つるまつ、1900年10月15日 - … 久保田 鶴松(くぼた つるまつ、1900年10月15日 - 1984年1月12日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(10期)。元衆議院副議長。大阪府中河内郡高安村(現八尾市)出身。 1921年(大正10年)に大正動力供給に入り、大阪労働学校に学んだ後、1926年に日本労働組合総連合結成に参加、執行委員となる。戦後は社会党に入党。 大阪府議会議員(3期)を経て、1947年衆議院議員総選挙に旧大阪4区から日本社会党公認で立候補し初当選。左右分裂時は左派社会党に属した。党代議士会長などを経て、1960年12月7日衆議院副議長に就任したが、1961年6月8日に与党自由民主党から、「農業基本法案や政治的暴力防止法案等といった重要法案の審議にあたって清瀬一郎議長に協力しなかった」という理由で不信任決議案を提出され、賛成207票・反対150票で可決された後、辞任した。
阪本 勝(さかもと まさる、1899年(明治32年)10月1… 阪本 勝(さかもと まさる、1899年(明治32年)10月15日 - 1975年(昭和50年)3月22日)は、大正・昭和期日本の政治家、戯曲作家、美術評論家。衆議院議員(1期)、兵庫県知事(2期)を歴任。 1899年(明治32年)、兵庫県川辺郡尼崎町(現在の尼崎市)で眼科医の家に生まれる。家は尼崎藩の藩医の家柄であった。北野中学校・第二高等学校を経て1922年に東京帝国大学経済学部を卒業、学生時代は新人会(前期新人会)に属した。北野中学時代の同級生には、後に洋画家となった佐伯祐三がいた。 卒業後は福島県立福島中学校の英語教諭や大阪毎日新聞学芸部記者などを務めたが、水平社運動との関わりなどで1926年(大正15年)3月に大阪毎日新聞を辞し、1927年(昭和2年)に関西学院大学の講師となった。
町野 碩夫(まちの せきお、1899年10月15日 - 19… 町野 碩夫(まちの せきお、1899年10月15日 - 1971年2月6日)は、日本の産婦人科学者、鹿児島大学長。 山口県下関市豊田町大河内百合野出身。三豊小学校、旧制豊浦中学校、山口高等学校を経て九州帝国大学医学部卒業。1934年九州大学医学博士。論文の題は「子宮筋腫に対する硬レ線作用の臨床的並に組織化学的研究」 九州帝国大学助教授、鹿児島県立病院産婦人科部長を経て、1943年鹿児島医専教授。県立鹿児島医科大学創立と同大の国立移管につくした。1951年-55年県立鹿児島医科大学学長・医学部長。1968年-1969年鹿児島大学長。正心女子短期大学学長も務めた。
吉岡 範武(よしおか のりたけ、1899年10月15日 - … 吉岡 範武(よしおか のりたけ、1899年10月15日 - 1969年7月15日)は、日本の外交官。初代駐カンボジア特命全権大使。 熊本県熊本市出身。府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)、第三高等学校を経て、1923年東京帝国大学法学部政治学科卒業。1936年在中華民国大使館二等書記官。1940年外務省調査部第六課長。1945年在フランス大使館参事官。 同年から外務大臣官房儀典課長事務取扱を務め、帝国ホテルの犬丸徹三と相談し、連合国軍占領下の日本における連合軍将官宿舎の選定を進めた。 1946年終戦連絡京都事務局長。1948年京都連絡調整事務局長。1953年外務省参与。1954年駐カンボディア特命全権公使。
谷口 善太郎(たにぐち ぜんたろう、1899年10月15日 … 谷口 善太郎(たにぐち ぜんたろう、1899年10月15日 - 1974年6月8日)は、日本の小説家、政治家である。衆議院議員(6期)。小説家としては、ペンネームの須井一(すい はじめ)・加賀耿二(かが こうじ)で知られることも多い。愛称は「谷善(たにぜん)」。 石川県能美郡国造村和気(現在の石川県能美市和気町)出身。和気高等小学校卒業後、村の読書サークルに参加、谷口夢草の名前で短歌をつくる。その後上京、その後には京都で清水焼の労働をしながら労働運動に従事する。1928年の三・一五事件で検挙され、外出や執筆をしないという条件で仮釈放された。 しかし、1931年、東京から訪れた貴司山治のすすめにより、『須井一』のペンネームで執筆した「綿」が評判になる。
細川 政之助(ほそかわ まさのすけ、1898年(明治31年)… 細川 政之助(ほそかわ まさのすけ、1898年(明治31年)10月15日 - 1990年(平成2年)4月18日)は、日本の商工官僚、実業家、弁理士。細川特許事務所長。 富山県人・細川次郎左衛門の二男。1924年、東京帝国大学法学部政治科を卒業。商工省に入る。特許局事務官、鉱山監督局書記官等を経て、大阪鉱山監督局長、技術院審判部長等を歴任。 退官後日本金属常務専務を経て1947年、日本歯科機材社長に就任。趣味はゴルフ、旅行。宗教は仏教。東京在籍で、住所は東京大田区田園調布、同区北千束。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。