長尾 重武(ながお しげたけ、1944年4月18日 - 20… 長尾 重武(ながお しげたけ、1944年4月18日 - 2025年10月23日)は、日本の建築史学者、詩人、武蔵野美術大学名誉教授。専門はイタリア建築史。詩人として『同時代』同人。 東京都出身。1967年東京大学工学部建築学科卒、同大学院博士課程単位取得満期退学。1983年「ヴィニョーラと16世紀イタリア建築 ルネッサンスの住宅構想とオーダー理論について」で工学博士。東北工業大学助教授を経て、武蔵野美術大学教授、学長を務めた。2015年定年、名誉教授となる。
吉村 実子(よしむら じつこ、1943年4月18日 - )は… 吉村 実子(よしむら じつこ、1943年4月18日 - )は、日本の女優。オフィスぴろっと所属。東京都出身。実姉は芳村真理。 女子美術大学付属高等学校在学中の17歳の時に、今村昌平にスカウトされて『豚と軍艦』のヒロイン役で映画デビュー。 1964年には新藤兼人監督作品『鬼婆』で、第15回ブルーリボン賞助演女優賞を受賞。 1970年以後は半ば引退状態だったが、1980年の『あ・うん』のヒロイン役で本格復帰した。 1968年には石立鉄男と結婚していたが、約25年間の別居生活を経て、1998年に離婚。
上杉 邦憲(うえすぎ くにのり、1943年(昭和18年)4月… 上杉 邦憲(うえすぎ くにのり、1943年(昭和18年)4月18日 - 2025年(令和7年)12月12日)は、日本の宇宙工学者。専門は、宇宙航行力学・システム工学。学位は、工学博士(東京大学・1977年)(学位論文「Optimum low-thrust multiple rendezvous(低推力による多数回ランデヴーの最適化に関する研究)」)。東京大学宇宙航空研究所助教授・文部省宇宙科学研究所教授・宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部教授などを歴任。上杉氏第32代当主。山形県生まれ。 上杉隆憲・敏子夫妻の長男で、旧米沢藩主上杉家の17代当主にあたる(山内上杉家では32代目)。また、母・敏子は徳川宗家17代当主・徳川家正と、最後の薩摩藩主・島津忠義の娘・正子の次女である。
鬼頭 洋(きとう ひろし、1943年4月18日 - )は、元… 鬼頭 洋(きとう ひろし、1943年4月18日 - )は、元プロ野球選手。ポジションは投手。三重県出身。
大西 忠生 (おおにし ただお、1943年4月18日 - 2… 大西 忠生 (おおにし ただお、1943年4月18日 - 2006年6月29日) は、京都府京都市出身 のサッカー選手(DF)、サッカー指導者。 紫野高校時代は山城高校の釜本邦茂・二村昭雄と共に「京都三羽ガラス」と称された。1967年に京都教育大学を卒業し、JSLの三菱重工へ入部。「バッファロー」 や「ハードタックルの忠」の異名を取り、日本代表としても1970 FIFAワールドカップ・予選に出場。 引退後は日本B代表コーチ(1975年 - ?)、東芝コーチ(1980年)→監督(1981年 - 1985年)、日本電装監督(1990年 - ?)を務めた。東芝監督時代は石崎信弘・川勝良一を指導し、1年目にはJSLカップ優勝に導く。
髙野 利雄(たかの としお、1943年4月18日 - )は、… 髙野 利雄(たかの としお、1943年4月18日 - )は、日本の検察官、弁護士。東京地方検察庁検事正や、名古屋高等検察庁検事長、国際研修協力機構理事長等を歴任した。瑞宝重光章受章。 1966年中央大学法学部卒業。1968年札幌地方検察庁検事。1969年釧路地方検察庁帯広支部検事。1971年東京地方検察庁検事。1973年札幌地方検察庁検事。1975年水戸地方検察庁検事。1978年東京地方検察庁検事。1987年東京地方検察庁特別捜査部副部長。1989年東京地方検察庁刑事部副部長。1990年法務大臣官房営繕課長。1992年東京地方検察庁総務部長。1993年東京地方検察庁刑事部長。1994年最高検察庁検事。
池坊 保子(いけのぼう やすこ、1942年〈昭和17年〉4月… 池坊 保子(いけのぼう やすこ、1942年〈昭和17年〉4月18日 - )は、日本の政治家。特定非営利活動法人萌木理事長。学校法人いわき明星大学理事。特定非営利活動法人日本伝統文化協会名誉顧問。横綱審議委員会委員。第125代天皇明仁の再従妹に当たる。夫は華道家の池坊専永。 衆議院議員(5期)、文部科学大臣政務官、衆議院文部科学委員長、文部科学副大臣、公明党女性委員会副委員長、衆議院青少年問題に関する特別委員長、財団法人日本漢字能力検定協会理事長、公益財団法人日本相撲協会評議員会議長などを歴任した。 1942年4月18日、旧羽林家の梅溪家に属する子爵として貴族院議員に選出されていた梅溪通虎の三女として、東京府(のちの東京都)に生まれる。
中田 昭孝(なかた あきたか、1942年4月18日 - )は… 中田 昭孝(なかた あきたか、1942年4月18日 - )は、日本の元裁判官。元大阪家庭裁判所所長。京都大学大学院法学研究科教授(法科大学院実務家専任教員)、弁護士。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
吉田 正彦(よしだ まさひこ、1941年4月18日 - 20… 吉田 正彦(よしだ まさひこ、1941年4月18日 - 2023年7月4日)は、日本のバスケットボール指導者、選手。 東京府東京市出身。暁星高等学校から立教大学を経て日本鋼管で選手として活躍。 バスケットボール男子日本代表としても1967年世界選手権に出場。しかし1968年メキシコシティオリンピック出場権は獲得できなかった。 引退後はコーチに転じ、1972年ミュンヘンオリンピックでコーチ、1976年モントリオールオリンピックで監督を務めた。 退社後は東京バスケットボール協会役員、バスケットボール日本リーグ機構専務理事を歴任し、2016年からは日本バスケットボール推進協議会の副幹事長を務めた。 2023年7月4日、死去。
石黒 直次(いしぐろ なおつぎ、1940年(昭和15年)4月… 石黒 直次(いしぐろ なおつぎ、1940年(昭和15年)4月18日 - )は、日本の政治家。元秋田県仙北市長。旧角館町(現・仙北市)長。 秋田県仙北郡角館町出身。秋田県立角館高等学校を経て、東北大学工学部精密工学科卒、同大学大学院工学研究科修士課程修了。修了後は神戸製鋼所に入社、圧縮機設計課長などを歴任する。1988年、帰郷し、横手市の横手精工に入社し、工場長となる。1994年、角館町助役に就任、2005年、同町長に当選する。同年、角館町は田沢湖町、西木村と合併し、仙北市が発足、合併後の市長選挙に立候補し、元西木村長と元田沢湖町課長を破って当選した。仙北市長を1期務め、2009年の市長選挙では再選を目指したが、元秋田県議の門脇光浩に敗れた。
重金 敦之(しげかね あつゆき、1939年(昭和14年)4月… 重金 敦之(しげかね あつゆき、1939年(昭和14年)4月18日 - )は、日本のエッセイスト、食味評論家。 東京生まれ。東京都立戸山高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。朝日新聞社に入り、編集委員、常磐大学人間科学部教授(ジャーナリズム論)を経て、文芸ジャーナリスト。「週刊朝日」在籍中に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一といった作家たちの担当編集者を務めた。食や酒に関する随筆を主に手がける。
増田 俊男(ますだ としお、1938年4月18日 - )は、… 増田 俊男(ますだ としお、1938年4月18日 - )は、日本の著作家、時事評論家、投資家。 投資顧問会社「サンラ・ワールド」最高顧問。月刊「力の意志」編集主幹。グローバル・レインボーシップ相談役 東京都生まれ。1962年に慶應義塾大学商学部を卒業し東急エージェンシーに入社するも、1964年に退社。 1974年に「アメリカンドリームを求め」て渡米、ロサンゼルスを本拠に天下一家の会の活動に従事し有罪判決を受ける。保護観察の後、畳や布団を全米各地で売り歩く等の事業を展開。1986年にハワイに渡り、先住ハワイアンの土地奪還請求運動を支援(後述)、1994年パラオが米国から独立後、同国国会アドバイザーに任命されたと自称。
二代目 野坂 操壽(にだいめ のさか そうじゅ、1938年4… 二代目 野坂 操壽(にだいめ のさか そうじゅ、1938年4月18日 - 2019年8月27日)は、日本の箏曲家、作曲家。位階は従四位。勲等は旭日中綬章。学位は音楽修士(東京芸術大学)。文化功労者。本名、および、旧芸名は野坂 惠子(のさか けいこ)。名の「壽」「惠」は旧字体のため、二代目 野坂 操寿(にだいめ のさか そうじゅ)、野坂 恵子(のさか けいこ)と表記されることもある。 日本音楽集団団員、東京芸術大学音楽学部講師、桐朋学園芸術短期大学芸術科教授、生田流箏曲松の実會主宰、生田流協会理事、公益社団法人日本三曲協会常任理事などを歴任した。 1938年4月生まれ、東京府出身。母である箏曲家の初代野坂操壽から指導を受けた。
森田 恒之(もりた つねゆき、1938年4月18日 - )は… 森田 恒之(もりた つねゆき、1938年4月18日 - )は、日本の博物学者。専攻は博物館学・保存科学・色彩材料学。国立民族学博物館名誉教授。愛知県立芸術大学客員教授。祖父は洋画家の森田恒友。 東京都出身。東京芸術大学美術学部芸術学科卒業後、同美術専攻絵画修士課程修了。ベルギー国王立文化財研究所研究生、埼玉県立博物館学芸員、東京都美術館学芸員を経て、1979年より国立民族学博物館に勤務。同第5研究部助教授を経て、1993年に教授。1998年に同博物館民族学研究部教授、2000年に同民族学研究開発センター教授を経て、2002年3月末をもって国立民族学博物館を定年退職、同名誉教授。
内藤 正敏(ないとう まさとし、1938年4月18日 - 2… 内藤 正敏(ないとう まさとし、1938年4月18日 - 2025年7月9日)は、日本の写真家、民俗学者。元・東北芸術工科大学大学院教授。日本民俗学会会員。見世物学会評議委員。 東京都大田区蒲田出身。1961年、早稲田大学理工学部応用化学科卒業。在学中より写真を制作。1961年倉敷レイヨン(現・クラレ)中央研究所入社。1962年フリーとなる。 1963年、出羽三山で修行。1966年には羽黒山伏の入峰修行を行う。以降、東北地方の民間信仰や民俗を中心とした撮影活動を展開。 2001年、東北芸術工科大学東北文化研究センター教授。2006年~2013年3月まで、同大学院教授。 2025年7月9日、肺炎のため東京都内の病院で死去。
安倍 圭子(あべ けいこ、本名:木村圭子、旧姓:安倍圭子、1… 安倍 圭子(あべ けいこ、本名:木村圭子、旧姓:安倍圭子、1937年4月18日 - )は、日本のマリンバ奏者、作曲家。東京都出身。世田谷区立代沢小学校を経て、中学2年生の時に山梨英和中学校から松山東雲中学校へ転校。松山東雲高等学校、東京学芸大学教育学部音楽専攻打楽器科を卒業。 山梨の中学生の頃には木琴を習っていたが、1950年に音楽を用いた布教で知られるアメリカのラクーア伝道団が学校に来て、メンバーが賛美歌を奏でた。この時にマリンバに出会う。 14歳でNHKの洋楽オーディションに合格し、演奏活動を始める。外国の音楽家の日本公演が難しい時代だったが、音楽史に残る世界的な演奏家が転校先の松山市の学校の体育館で演奏を見る機会があった。
加治 久典(かじ ひさのり、1937年4月18日 - 201… 加治 久典(かじ ひさのり、1937年4月18日 - 2014年4月6日)は、日本の実業家。ハローデイ創業者。同社元会長。福岡県出身。 1937年、福岡県苅田町の生まれ。福岡県立京都高等学校卒業。1958年、21歳の時、父親から15坪の食料品店である有限会社かじやを引き継ぎ、後のハローデイの礎を築く。2014年4月6日、癌性リンパ管症にて、76歳死去。 株式会社かじやが経営不振に陥るが、長男の加治敬通の入社により、危機を乗り越え、株式会社ハローデイ設立。同社社長に就任。2008年、同社会長。
青木 宥明(あおき ひろあき、1937年4月18日- 200… 青木 宥明(あおき ひろあき、1937年4月18日- 2001年11月8日)は、静岡県出身のプロ野球選手。
雨宮 淳(あめのみや あつし、1937年4月18日 - 20… 雨宮 淳(あめのみや あつし、1937年4月18日 - 2010年2月8日)は、彫刻家。位階は従四位。日本芸術院会員。 雨宮治郎の子、雨宮敬子の弟として東京府に生まれる。父、姉とともに芸術院会員となっている。 日本大学芸術学部を卒業後、彫刻家北村西望に師事し、1963年日展初入選、1984年西望賞受賞、1991年内閣総理大臣賞受賞、1997年日本芸術院賞受賞、2001年日本芸術院会員。日展常務理事。 2010年2月8日、心不全のため死去。72歳没。墓所は多磨霊園。叙従四位に叙され、旭日中綬章追贈。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
山里 朝盛(やまざと ちょうせい、1937年(昭和12年)4… 山里 朝盛(やまざと ちょうせい、1937年(昭和12年)4月18日 - 2014年(平成26年)1月14日)は、日本の政治家。沖縄県糸満市長。 琉球大学農学部卒業。糸満市収入役を経て、2000年市長選挙に立候補。元職の上原宜成を破り当選。2004年の選挙では、新人の西平賀雄に敗れ次点で落選。 2007年、旭日双光章。2012年からは糸満市社会福祉協議会会長を務めた。 2014年1月14日、癌で死去。
早川 保(はやかわ たもつ、1936年4月18日 - )は、… 早川 保(はやかわ たもつ、1936年4月18日 - )は、日本の俳優である。本名は持田芳男(もちだ よしお)。神奈川県川崎市出身。
栗原 彬(くりはら あきら、1936年4月18日 - )は、… 栗原 彬(くりはら あきら、1936年4月18日 - )は、日本の社会学者。立教大学名誉教授。立命館大学研究顧問。専門は政治社会学。 栃木県宇都宮市生まれ。東京大学教養学部卒業。三井物産勤務を経て、東京大学大学院社会学研究科で学ぶ。立教大学法学部助手、武蔵大学人文学部講師、立教大学法学部助教授・教授、2002年定年、名誉教授、明治大学文学部教授、2007年立命館大学特別招聘教授。水俣フォーラム代表および日本ボランティア学会代表。
蓬茨 霊運(ほうし れいうん、1935年4月18日 - 19… 蓬茨 霊運(ほうし れいうん、1935年4月18日 - 1999年11月12日)は、日本の天文学者・宇宙物理学者。専門は、恒星進化論・X線天文学。学位は、理学博士(京都大学・論文博士・1968年)(学位論文の題は「Thermal instability in a nuclear burning shell of stars(星の内部の核燃焼層の熱的不安定性)」)。元立教大学理学部物理学科教授。 石川県金沢市に生まれた。金沢大学理学部を卒業後1960年京都大学大学院理学研究科物理学専攻に進学。林忠四郎が教授を務める天体核研究室に入り星の進化の研究に従事。天体核研究室の同期に佐藤文隆が居る。1962年に大学院を修了。
前田 昭雄(まえだ あきお、1935年4月18日 - )は、… 前田 昭雄(まえだ あきお、1935年4月18日 - )は、音楽学者、指揮者、ウィーン大学名誉教授。シューマン研究の第一人者。 東京生まれ。東京大学文学部哲学科で美学を学び、1958年東京大学大学院修士課程修了。1961年よりウィーン大学哲学科で音楽学を専攻、同時にウィーン国立音楽大学でハンス・スワロフスキーに指揮法を師事。1967年博士論文 ‘’ N.A.Porpora als Instrumentalkomponist ‘’ (器楽作曲家としてのN.A.ポルポラ)で哲学博士を取得。1972年よりチューリッヒ大学にて日本学講師と音楽学非常勤講師を務め、1986年西ドイツ学士院連合の『シューマン全集』の編修主幹を担当し、1987年ハイデルベルク大学にて教授資格(Habilitation)取得。
橋本 昌二(はしもと しょうじ、1935年〈昭和10年〉4月… 橋本 昌二(はしもと しょうじ、1935年〈昭和10年〉4月18日 - 2009年〈平成21年>12月2日)は、日本の囲碁棋士。兵庫県明石市出身、関西棋院所属、橋本国三郎七段門下、九段。関西棋院独立当時から若手のエースとして活躍し、「天才昌二」とも言われ、入段から11年で九段に昇段、十段、王座などのタイトルを獲得。関西棋院第一位決定戦で12回優勝し、関西棋院名誉第一位の称号を持つ。棋風は深い読みの力戦型、長考派としても有名で、「重戦車」の異名を取った。 1994年から1998年まで関西棋院理事長。その後特別顧問。 日本棋院台湾支部長で、自宅に道場を開いていた国三郎を父に、台湾に生まれる。幼時から父に囲碁の手ほどきを受け、棋士を目指して厳しい指導を受けた。
新高 恵子(にいたか けいこ、本名:工藤 琳子(くどう たま… 新高 恵子(にいたか けいこ、本名:工藤 琳子(くどう たまこ)、1934年4月18日 - )は、日本の元女優。 青森県青森市出身。名門・青森高校時代は、寺山修司の一年上級生だったが、お互いに面識はなかったという。 やがて彼女は上京、新藤孝衛監督にすすめられ、当初はピンク映画の人気女優として活躍した。しかし、やがて同じセットで2本の映画を同時に撮影するというような現場に遭遇し、虚しさを感じるようになった。同郷の寺山修司と会った際には彼は、あの映画の演技はこうだったよね、と詳細に新高を演技について語ったため、彼女は感動したという。彼女は、寺山の主宰する劇団、「天井桟敷」に参加し看板女優になっていった。
山本 邦彦(やまもと くにひこ、1934年4月18日 - )… 山本 邦彦(やまもと くにひこ、1934年4月18日 - )は日本の映画監督、脚本家。
佐々木 良夫(ささき よしお、1934年4月18日 - 20… 佐々木 良夫(ささき よしお、1934年4月18日 - 2011年10月19日)は、日本の経営者。関西ペイント社長を務めた。 大阪府出身。1957年に京都大学工学部を卒業し、同年に関西ペイントに入社。1988年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務を経て、1995年6月に社長に就任。1999年6月から相談役を務めた。 1999年11月に藍綬褒章を受章。 2011年10月19日に心筋梗塞のために死去。77歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
加美 宏(かみ ひろし、1934年4月18日 - )は、日本… 加美 宏(かみ ひろし、1934年4月18日 - )は、日本の国文学者。専門は日本中世文学、特に軍記物語、『太平記』の受容史。同志社大学名誉教授。 徳島県那賀郡生まれ。1958年、早稲田大学第一文学部国文学科卒業、1964年、同大学大学院文学研究科博士課程修了。1998年「太平記享受史研究」で博士(文学)(早稲田大学)の学位を取得。 1964年、昭和女子大学付属高等部教諭、1969年、昭和女子大学短期大学部助教授(非常勤)、1972年、同助教授(専任)。1976年、甲南女子大学助教授、1979年、同教授。1983年、同志社大学文学部教授。2006年、定年退職、名誉教授。
田宮 武(たみや たけし、1933年4月18日 - 2001… 田宮 武(たみや たけし、1933年4月18日 - 2001年5月5日)は、日本の社会学者。 和歌山県橋本市出身。1959年、関西大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。関西大学社会学部助教授、教授。差別問題、マスコミ論などを論じた。在任中に死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
川合 伸旺(かわい のぶお、1932年4月18日 - 200… 川合 伸旺(かわい のぶお、1932年4月18日 - 2006年6月24日)は、日本の俳優、声優。愛知県豊橋市出身。 悪役俳優として知られ、特に時代劇での悪代官役で著名であった。 1945年、豊橋市立八町小学校卒業。同年に豊橋空襲で自宅を失う。 終戦後、通学する愛知県立豊橋中学校が新学制度により、愛知県立豊橋時習館高等学校となる。在学中は美術部に在籍しており、演劇部のため書き割りを描いてた際に「役者が足りないからちょっとやってみて」と言われたことがきっかけで俳優を目指す。1951年に高校を卒業し上京、舞台芸術学院本科に入学する。 卒業後は劇団青俳へ入所。『反応工程』『モンセラ』などの舞台に立つ傍らで、1956年公開の映画『道』に「河井信旺」名義で映画初出演を果たした。
坂本 満(さかもと みつる、1932年4月18日 - )は、… 坂本 満(さかもと みつる、1932年4月18日 - )は、日本の美術史学者、お茶の水女子大学名誉教授。専門は東西美術交渉史、西洋版画史。 東京生まれ。1955年東京大学教養学部フランス科卒、57年同文学部美学美術史卒、59年同大学院修士課程修了。吉川逸治の下でゴヤを研究、パリ図書館に学び、東京国立博物館学芸員、東京国立文化財研究所勤務、1973年お茶の水女子大学文教育学部教授、1989年国立歴史民俗博物館教授、1996年定年退官、聖徳大学教授。金沢美術工芸大学客員教授。専門は東西美術交渉史、西洋版画史。
吉村 和夫(よしむら かずお、1931年〈昭和6年〉4月18… 吉村 和夫(よしむら かずお、1931年〈昭和6年〉4月18日 - 2003年〈平成15年〉8月20日)は、日本の政治家。元山形市長(第16代、1期)。 山形県山形市出身。山形県立山形南高等学校を経て、山形大学文理学部を卒業する。 鹿野彦吉衆議院議員秘書を16年あまり務め、1971年(昭和46年)の山形県議選で初当選。以後通算6期、山形市選挙区にあっては、常にトップでの当選を果たした。またその間には、県議会副議長を務めたほか、自民党県連政調会長、同副会長も歴任をした。しかし、秘書時代から世話をしてきた鹿野道彦が政治改革を巡って、自民党を離党をしたことに伴い自身も離党した。 山形市長選には、金澤忠雄を対抗馬にして1986年(昭和61年)、1990年(平成2年)と出馬するも落選。
柳田 弘(やなぎだ ひろし、1931年(昭和6年)4月18日… 柳田 弘(やなぎだ ひろし、1931年(昭和6年)4月18日 - 2018年(平成30年)6月4日)は、日本の政治家。秋田県本荘市長(4期)、由利本荘市長(1期)。 秋田県由利郡大内町(現・由利本荘市)出身。1954年、岩手大学農学部農工学科卒。同年秋田県庁に入る。土地改良事務所長、農政部農業課長補佐、農業水利課、農地整備課各参事、仙北農林事務所長、農政部農地整備課長と農政畑を歩く。のち、由利地方部長、生活環境部長を歴任した。1991年、本荘市長選挙に立候補して当選する。本荘市長を4期務め、2005年に合併して誕生した由利本荘市長選挙に立候補し、元秋田県議の長谷部誠を700票余りで下した。由利本荘市長を1期務め、2009年に市長を退任した。
犬養 智子(いぬかい ともこ、1931年4月18日 - 20… 犬養 智子(いぬかい ともこ、1931年4月18日 - 2016年4月9日)は、日本の作家、翻訳家。 家事、女性問題、高齢者問題、都市問題などについて発言する一方、イラストも手がけ、童話、小説、翻訳も執筆する。 東京府出身。父親は波多野元武(三井物産勤務後千代田証券投資取締役)、母親は瀬下清(三菱銀行第3代会長)の三女・克。長女の犬養亜美はエッセイスト。祖父の波多野承五郎(1858年 - 1929年)は報知新聞記者、フランス公使館付書記官、朝野新聞社長、三井銀行役員、衆議院議員を歴任。 学習院女子短期大学文学科英語専攻卒業後、学習院大学政経学部政治学科に編入学して1954年に卒業する。1955年、米国イリノイ大学大学院入学。
中村 嘉人(なかむら よしひと、昭和4年(1929年)4月1… 中村 嘉人(なかむら よしひと、昭和4年(1929年)4月18日 - )は、日本の文筆家。 札幌市在住。道銀文化財団副理事長・堀江オルゴール博物館理事・札幌市民芸術祭実行委員会委員を歴任。 北海道函館市生まれ。旧制函館中学校(現、函館中部高等学校)、旧制弘前高等学校(現、弘前大学)を経て、大阪大学経済学部卒。教師、雑誌の編集者、会社経営者を経て文筆業。
中村 勝範(なかむら かつのり、1929年〈昭和4年〉4月1… 中村 勝範(なかむら かつのり、1929年〈昭和4年〉4月18日 - 2020年〈令和2年〉5月19日)は、日本の政治学者、慶應義塾大学名誉教授・平成国際大学名誉学長。 長野県南安曇郡(現松本市梓川)生まれ。1949年長野県松本深志高等学校卒業、1953年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1955年同大学大学院修士課程修了。1960年慶大助教授、1966年「明治社会主義研究」で法学博士。1967年教授。1996年定年、名誉教授、平成国際大学教授・学長。2004年6月退職、名誉学長。 民主社会主義研究会議(現・政策研究フォーラム)の理事を務め民主社会主義の立場からの反共主義者である。
愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 -… 愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 - 1998年3月20日)は、日本の実業家、政治家。祐徳自動車3代目社長・初代会長。衆議院議員(9期)、経済企画庁長官(第40代)。 父も実業家・政治家で、祐徳自動車創立者、衆議院議員の愛野時一郎。 1928年愛野時一郎、すみれ夫妻の長男として神奈川県横浜市に生まれる。1945年に旧制鹿島中学校を卒業。 1951年に中央大学法学部を卒業後、農協組合長、1968年佐賀県議会議員、父の時一郎が創立したバス会社の祐徳自動車副社長・社長(議員在任中も社長を務め、後述の経済企画庁長官就任時に辞任し、初代会長に就任)を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に自由民主党から立候補し初当選。
佐藤 幹夫(さとう みきお、男性、1928年4月18日 - … 佐藤 幹夫(さとう みきお、男性、1928年4月18日 - )は、日本の数学者で佐藤超函数、概均質ベクトル空間、D加群の創始者。大阪大学教授を経て京都大学数理解析研究所名誉教授。京都大学数理解析研究所元所長。1992年退官。東京都出身。
篠田 雄次郎(しのだ ゆうじろう、1928年4月18日 - … 篠田 雄次郎(しのだ ゆうじろう、1928年4月18日 - 1992年3月25日)は日本の経済学者。上智大学教授を務めた。 日本人論の『日本人とドイツ人 猫背の文化と胸を張る文化』を発表している。 東京・中野生まれ。海軍兵学校卒業後、1951年上智大学卒業、1957年ケルン大学卒業。上智大学社会経済研究所教授(文化社会学)、社会経済研究所長・日本船舶振興会理事長を務めた。 1992年3月25日、中咽頭癌のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
木谷 勤(きたに つとむ、1928年4月18日 - 2018… 木谷 勤(きたに つとむ、1928年4月18日 - 2018年9月15日)は、日本の歴史学者、名古屋大学名誉教授。西洋史専攻。 香川県生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒、1953年同大学院博士課程満期退学、大阪教育大学助教授、教授、名古屋大学文学部教授、1992年定年退官、名誉教授、大阪国際大学教授。 2018年9月15日、腹腔内動脈塞栓のため死去。90歳没。
佐藤 幹夫(さとう みきお、1928年〈昭和3年〉4月18日… 佐藤 幹夫(さとう みきお、1928年〈昭和3年〉4月18日 - 2023年〈令和5年〉1月9日)は、日本の数学者。京都大学名誉教授。学位は理学博士(東京大学・1963年)。 東京大学理学部数学科卒。同大学にて学位取得。大阪大学教授、京都大学数理解析研究所所長を歴任。佐藤超函数、概均質ベクトル空間、D加群の創始者。 東京都出身。東京大学理学部数学科で彌永昌吉に師事した後、一時期高校教師を務めるなど異色の経歴を持つ。ノーベル物理学賞受賞の物理学者朝永振一郎に学んだこともある。大阪大学教授を経て京都大学数理解析研究所所長。弟子には柏原正樹、河合隆裕、三輪哲二、神保道夫らがいる。1992年退官。 2023年1月9日、老衰のため京都市の自宅で死去。
堀口 英雄(ほりぐち ひでお、1927年4月18日 - 20… 堀口 英雄(ほりぐち ひでお、1927年4月18日 - 2022年2月3日) は、埼玉県浦和市出身 のサッカー元日本代表選手。 麗和サッカークラブ元会長、岩宿遺跡石器づくり友の会元会員 浦和仲町の呉服商(油仙呉服店)堀口甚吉の長男。 浦和町立第二尋常小学校(現さいたま市立常盤小学校) 埼玉県立浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校) 土浦海軍航空隊甲種飛行予科練入隊後、三重航空隊奈良分遺隊、峯山海軍航空隊、福岡海軍航空隊小富士分遺隊、土浦海軍航空隊にて終戦(一等飛行兵曹)。 旧制早稲田大学商学部へ進学しア式蹴球部へ入部、4年時主将として第1回早慶サッカー定期戦 (戦後初のナイター試合)、松永碩とともに日本代表に選出され、第1回アジア大会(インド:ニューデリー)にて3位銅メダルを獲得。
清水 信次(しみず のぶつぐ、1926年〈大正15年〉4月1… 清水 信次(しみず のぶつぐ、1926年〈大正15年〉4月18日 - 2022年〈令和4年〉10月25日)は、日本の実業家。株式会社ライフコーポレーション創業者、日本スーパーマーケット協会および国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)創立者、名誉会長。 スーパーマーケット「ライフ」を興し、売上高7,000億円という日本最大の食品スーパーマーケットチェーンを一代で築いた。ダイエーの中内㓛、セブン&アイホールディングスの鈴木敏文、イオンの岡田卓也らとともに戦後の流通業界を牽引した人物である。 三重県津市生まれ。両親は大阪市天満で乾物・缶詰・青果などを販売する食料品店を営んでいた。 1944年(昭和19年)、陸軍に入隊して戦技特別研究要員(白兵戦、剣道助教)として中国に出征した。
茂木 計一郎(もぎ けいいちろう、1926年4月18日 - … 茂木 計一郎(もぎ けいいちろう、1926年4月18日 - 2008年12月13日)は、日本の建築家。東京芸術大学名誉教授。芸大での教育と合わせて茂木建築設計事務所にて各種の設計活動を行った。代表作に学陽山勧行寺(監修)、江戸川区小岩アーバンプラザ、セントピアあわら、下田市市民文化センター、その他住宅作品などを多数手がけており、研究はイタリア、中国(また陶器などを収集)、日本では奈良、京都、また馬籠、妻籠など各地のデザイン調査研究に従事。 神奈川県横浜市に生まれる。1954年 東京芸術大学美術学部建築科卒業。1956年 東京大学大学院数物系研究科修士課程修了。丹下健三研究室在籍。修了後も東京大学建築科丹下健三研究室にて研究及び設計活動に従事。
岸本 弘(きしもと ひろむ、1925年4月18日 - )は、… 岸本 弘(きしもと ひろむ、1925年4月18日 - )は、日本の教育学者、明治大学名誉教授。 広島県豊田郡木江町生まれ。1945年8月6日広島高等学校在学中校庭で被爆 (1975年9月、被爆者健康手帳を交付される)、1951年早稲田大学商学部を卒業。1954年東京大学教育学部卒。明治大学文学部助教授(教職)、教授、1996年定年、名誉教授、東京経営短期大学教授。夫人は翻訳家の岸本紀子(1933- 京大英文科卒)。
國登 國生(くにのぼり くにお、1925年(大正14年)4月… 國登 國生(くにのぼり くにお、1925年(大正14年)4月18日 - 1995年(平成7年)10月3日)は、東京府北豊島郡板橋町(出生当時、現在の東京都板橋区)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は藤 國松(ふじ くにまつ、旧姓は小川(おがわ))。身長174 cm、体重126 kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東小結(1954年1月場所・1954年5月場所)。 甥は、お笑いタレントのグレート義太夫。 小学校を卒業後、鉄工所に勤務する。体の大きさと力強さから周囲に力士になることを勧められた。1939年(昭和14年)1月15日、職場の休みを利用して両国の相撲部屋に入門しようとして出羽海部屋を訪ねて行った。
大橋 敦子(おおはし あつこ、1924年4月18日 - 20… 大橋 敦子(おおはし あつこ、1924年4月18日 - 2014年2月21日)は、日本の俳人。 俳人大橋櫻坡子の長女として、母の生地福井県敦賀に生まれる。大阪府立清水谷高等女学校(現・大阪府立清水谷高等学校)卒。父に師事し、父没後の1972年、『雨月』の主宰を継承する。1979年句集『勾玉』で現代俳句女流賞受賞。『雨月』名誉主宰。俳人協会名誉会員。 2014年2月21日、心不全のため死去。89歳没。
粟津 正蔵(あわづ しょうぞう、1923年4月18日 - 2… 粟津 正蔵(あわづ しょうぞう、1923年4月18日 - 2016年3月17日)は、日本の柔道家(講道館九段)。 戦前から戦後にかけての現役選手時代は明治神宮競技大会や全日本選手権大会等で活躍。1950年代以降はフランスにおいて半世紀以上に渡り柔道を指導し、その礎を築いた。その功績から1999年にはフランス政府よりレジオンドヌール勲章を受賞し、“フランス柔道育ての父”として知られている。 現在の京都府京都市山科区安朱東海道町に生まれる。5歳で柔道を始め、小学生の頃から全国有数の強豪校である市立第一商業学校(現:市立西京高校)に出入りして稽古に汗を流し、そのまま同校へ進学。市立第一商業学校時代には1年生の頃から活躍しその黄金期の立役者となったほか、平野時男や大館三郎らと共に京都府代表として出場した1939年と1949年の明治神宮競技大会柔道競技(中等学校の部・団体戦)では連覇を果たしている。
稲垣 定雄(いながき さだお、1923年4月18日 - )は… 稲垣 定雄(いながき さだお、1923年4月18日 - )は、香川県出身の元プロ野球選手。