中村 邦子(なかむら くにこ、1936年(昭和11年)1月2… 中村 邦子(なかむら くにこ、1936年(昭和11年)1月21日 - 1996年(平成8年)9月1日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。旧姓:大庭。 東京出身。青山学院中等部・高等部を経て、1959年(昭和34年)に東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。畑中良輔、畑中更予、伊藤京子、リリー・コラーに師事。 在学中の1958年(昭和33年)にデビュー。以後、二期会、東京室内歌劇場を中心に多数のオペラに出演しており、昭和音楽大学オペラ情報センターだけでも58回の出演歴が記録されている(大庭邦子3回、中村邦子55回)。 歌曲や宗教曲等でも活躍。特に日本歌曲においてリサイタル等で活躍し、多くの録音も残している。
叶 順子(かのう じゅんこ。本名:吉田順子(旧姓・中沢)、1… 叶 順子(かのう じゅんこ。本名:吉田順子(旧姓・中沢)、1936年1月21日 - )は、日本の女優。東京都中野区野方出身。 スッポン料理店主の娘として育ち、都立北野高校を卒業。1954年、ミス資生堂に選ばれ、同社に入社して勤務。その美貌を目にした同社の美容部長・藤原あき(後の参議院議員)の推薦で1956年、第10期ニューフェイスとして大映に入社。同期に田宮二郎がいた。 1957年、「朝の口笛」でデビュー。「透明人間と蝿男」に主演。1959年、島耕二監督の「細雪」の四女役を演じスターの仲間入り。以後、京マチ子、山本富士子、若尾文子の三大女優に次ぐスター女優として売り出され活躍。 1963年7月、人気のピークで引退。
永田 徹登(ながた てつと、1935年1月21日 - )は、… 永田 徹登(ながた てつと、1935年1月21日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。
三浦 仁(みうら ひとし、1935年1月21日 - )は、日… 三浦 仁(みうら ひとし、1935年1月21日 - )は、日本近代文学研究者。山梨県立女子短期大学教授を歴任。 茨城県生まれ。東京教育大学国文科卒、1966年同大学院博士課程単位修得。山梨県立女子短期大学国文科教授を務めた。
森島 賢(もりしま まさる、1934年〈昭和9年〉1月21日… 森島 賢(もりしま まさる、1934年〈昭和9年〉1月21日 - )は、日本の農業経済学者、立正大学名誉教授。農学博士。 群馬県前橋市生まれ。1952年群馬県立前橋高等学校卒業、1957年東京大学工学部土木工学科卒業。1963年同大学院農業経済学専攻修了、「農業における用水生産力の計測的研究」で農学博士。1964年農林省農業技術研究所入所。1978年北海道大学農学部助教授。1981年東京大学農学部助教授、84年教授。94年定年退官、立正大学経済学部教授。2004年定年退職、名誉教授。2003年社団法人農協協会理事。各種委員、農林水産統計観測審議会委員。千葉県農政審議会委員。
鳥海 靖(とりうみ やすし、1934年1月21日 - 202… 鳥海 靖(とりうみ やすし、1934年1月21日 - 2020年2月29日)は、日本の歴史学者・日本近現代史研究者。東京大学名誉教授。立憲政治体制や歴史の相互理解を研究する。 東京市目黒区出身。東京都立大学附属高等学校卒、1958年東京大学文学部国史学科卒業。1961年同大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程中退し、同年東京大学教養学部助手、1964年専任講師、1967年助教授、1982年同教授となる。1994年に定年退官し、名誉教授、中央大学教授。2004年定年退職。2007年、第2期日韓歴史共同研究委員会・日本側委員長。NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」では監修(脚本諮問委員)を務めた。
大須賀 明(おおすが あきら、1934年1月21日 - 20… 大須賀 明(おおすが あきら、1934年1月21日 - 2015年12月23日)は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1984年)(学位論文「生存権論」)。早稲田大学名誉教授。元早稲田大学比較法研究所所長。元司法試験第二次試験考査委員(憲法)。神奈川県横浜市出身。女優・十朱幸代は母方の従妹。 特に社会権関係の研究で知られる。生存権について具体的権利説を推進した。具体的権利説によれば具体的な立法(例えば生活保護法)が存在しなくとも、直接憲法25条によって司法に訴えることが出来ることになる。大須賀の具体的権利説の場合は、立法権(国会)に対してその最高機関性をなるべく侵害しない形で、作為を義務づけるのではなく、不作為の違憲確認訴訟を起こすことにその意義がある。
千野 忠男(ちの ただお、1934年1月21日 - 2008… 千野 忠男(ちの ただお、1934年1月21日 - 2008年7月17日)は、静岡県藤枝市出身の大蔵(財務)官僚。血液型はO型。国際金融局長、財務官、アジア開発銀行総裁などを歴任。正四位瑞宝重光章。 ざっくばらんで竹を割ったような性格。主計局主計官補佐時代には農林係主査を5年間務め、省内きっての農政通とされていた。 事務次官候補として主計官補佐(主査)、主計局総務課企画官、主計官、大臣官房文書課長、近畿財務局長を経験していたが、大学時代にスタンフォード大学に長期間留学していたため、他の同期より年齢が上で、主計局長→事務次官の順番待ちの最中に定年の壁に引っかかるため、同期の篠沢を主計コースとし、千野は財務官となる国際金融コースへと変更となった。
柴垣 和夫(しばがき かずお、1934年1月21日 - )は… 柴垣 和夫(しばがき かずお、1934年1月21日 - )は、日本の経済学者・マルクス経済学研究者。東京大学名誉教授、武蔵大学名誉教授。
天野 武(あまの たけし、1933年1月21日 - 2022… 天野 武(あまの たけし、1933年1月21日 - 2022年5月23日)は、日本の民俗学者。 石川県羽咋郡志賀町出身。石川県立羽咋高等学校・金沢大学法文学部卒業。石川県立郷土資料館勤務後、1974年から文化庁に入り主任文化財調査官を務める。1991年から帝京大学教授。1978年『若者組の研究』で柳田賞受賞。
淺井 康宏(あさい やすひろ、1933年1月21日 - 20… 淺井 康宏(あさい やすひろ、1933年1月21日 - 2022年8月17日)は、日本の歯学者・植物学者。東京歯科大学名誉教授。日本植物友の会名誉会長。専門は歯科保存学・帰化植物。東京都出身。享年89歳。 1933年、東京の歯科医の家系に生まれる。中学生の時に植物、特に外来植物に興味を持ち久内清孝に師事するも、歯学の道に進む。1958年に東京歯科大学を卒業、同大附属病院歯科保存学講座入職。1971年に同大教授に昇任。保存治療科部長、同大歯科衛生士専門学校校長、同大副学長を歴任。 歯学者として治療・研究のかたわら、夢の島や多摩川河川敷等で帰化植物を調査・研究し、マメアサガオを始め100種以上の和名を名付けたほか、永年に亘り横浜国立大学で帰化植物の講義を行う。
稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年〈昭和7年〉1月21… 稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年〈昭和7年〉1月21日 - 2022年〈令和4年〉8月24日)は、日本の実業家、技術者。京セラや第二電電(現・KDDI)の創業者であり、京セラ社長・名誉会長を歴任した他、後年には経営破綻した日本航空の会長に就任し、同社の経営再建を担った(後に日本航空名誉会長)。公益財団法人稲盛財団理事長。「盛和塾」塾長。 妻の朝子は、禹長春の四女である。 1932年(昭和7年)、鹿児島県鹿児島市薬師町に7人兄弟の次男として生まれる。父の畩市は「稲盛調進堂」という名で印刷工場を経営していた。西田尋常高等小学校(現在の鹿児島市立西田小学校)を卒業し、私立鹿児島中学校(旧制、現在の鹿児島高等学校)へ進む。
横川 端(よこかわ ただし、1932年1月21日 - 202… 横川 端(よこかわ ただし、1932年1月21日 - 2024年12月2日)は日本の実業家。 すかいらーく創業者の一人であり、東京交響楽団会長を歴任している。藍綬褒章受章。2002年、勲二等瑞宝章受章。 1932年(昭和7年)1月21日、横川家の長男として長野県諏訪郡四賀村(現諏訪市)に生まれる。1947年(昭和22年)3月に長野県諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)を中退し、同年4月に諏訪精工舎(現セイコーエプソン)に入社、後に諏訪精工舎を退社し、兄弟と共に設立した、ことぶき食品有限会社取締役になる。すかいらーくの専務取締役、代表取締役会長、取締役グループ統括機構代表理事、取締役最高顧問などを歴任した。
小瀬 格(おせ いたる、1931年〈昭和6年〉1月21日 -… 小瀬 格(おせ いたる、1931年〈昭和6年〉1月21日 - 1995年〈平成7年〉8月30日)は、日本の俳優。本名は佐藤 格。 東京都出身。東京都立新宿高等学校、早稲田大学文学部卒業。文学座に所属していた。 昭和30年に劇団・文学座に入団。 福田恆存の『キティ颱風』で初舞台。その後は『握手握手握手』『華岡青洲の妻』『好色一代女』などに出演。
久我 美子(くが よしこ、1931年1月21日 - 2024… 久我 美子(くが よしこ、1931年1月21日 - 2024年6月9日)は、日本の女優。身長153cm。本名:小野田 美子(おのだ はるこ)、旧姓:久我(こが)。所属芸能事務所はワタナベエンターテインメント。 侯爵、貴族院議員久我通顕の長女。母は日本橋区薬研堀町のべっ甲商、永峰セルロイド工業社長篠崎宗太郞長女與志江。久我家は村上天皇まで遡る村上源氏の流れを汲む清華家の家格であり、華族の家柄である。東京市牛込区(現・東京都新宿区)に生まれる。1946年、 女子学習院(女学校課程)在学中、第一期東宝ニューフェイスに合格。同期に三船敏郎・堀雄二・伊豆肇・若山セツ子・堺左千夫らがいる。1947年、女子学習院を中退し、『四つの恋の物語』で映画デビューを果たす。
杉本 秀太郎(すぎもと ひでたろう、1931年1月21日 -… 杉本 秀太郎(すぎもと ひでたろう、1931年1月21日 - 2015年5月27日)は、日本のフランス文学者・文芸評論家・エッセイスト。国際日本文化研究センター名誉教授、京都女子大学名誉教授。日本芸術院会員。 京都府京都市出身。1948年、旧制四高に入学。1949年に学制変更で、新制京都大学文学部仏文科に入学。1953年に卒業後、1956年、同大学院に入学し、1961年、博士課程単位取得満期退学。 1962年、京都女子大学文学部専任講師、1965年、助教授、1971年、教授。1988年に新設された国際日本文化研究センター教授に就任し、1996年に定年退職。同年に日本芸術院会員、筑摩書房で『杉本秀太郎文粋』(全5巻)が刊行された。
神鳥 統夫(かんどり のぶお、1931年1月21日 - 20… 神鳥 統夫(かんどり のぶお、1931年1月21日 - 2007年)は、日本の児童文学翻訳家。別筆名に美山 二郎。 関東州大連市出身。1957年東京大学経済学部卒。偕成社の編集者を務め、1979年退職。
後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 201… 後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 2016年10月18日は、日本画の画家。 昭和5年(1930年)、千葉県東葛飾郡木間ヶ瀬村(現野田市)に生まれる。昭和7年(1932年) に埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)へ転居。昭和61年(1986年)に内閣総理大臣賞を受賞、昭和63年(1988年)から平成9年(1997年)まで東京藝術大学美術学部の教授を務めた。平成18年(2006年)に旭日小綬章受章。平成28年(2016年)に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞する。 歌人の米川千嘉子は姪。 2016年10月18日、敗血症により死去。86歳没。
森田 雄三郎(もりた ゆうざぶろう、1930年1月21日 -… 森田 雄三郎(もりた ゆうざぶろう、1930年1月21日 - 2000年4月25日)は、日本の神学者、同志社大学名誉教授。日本基督教学会理事。学会誌『日本の神学』編集委員長。 1960年、京都大学大学院文学研究科基督教学専攻満期退学。1961年、同志社大学商学部専任講師。1963年、助教授。1963年7月、フルブライト留学生としてニューヨークのユニオン神学校留学。1964年5月、STM課程修了、神学修士。1969年、同志社大教授。1975年、「キリスト教の近代性 : 神学的思惟における歴史の自覚」により京都大学文学博士。1976年から1977年まで、スイスのバーゼル大学で在外研究。1995年、同志社大定年、名誉教授。
鯉ノ勢 寅雄(こいのせ とらお、1930年1月21日 - 没… 鯉ノ勢 寅雄(こいのせ とらお、1930年1月21日 - 没年不明)は、愛媛県越智郡乃万村(現・同県今治市)出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は小沢 寅雄(おざわ とらお)。最高位は東前頭12枚目(1958年1月場所)。得意手は左四つ、押し、寄りなど。現役時代の体格は170cm、105kg。 19歳の時、元関脇・二瀬川が率いる朝日山部屋に入門し、1950年1月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外と新序で共に好成績を残したため、翌場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 当初より「鯉ノ勢」の四股名を名乗り、一時「鯉ノ瀬」に改名するも、1場所で「鯉ノ勢」に戻している。 出世は早く、番付に付いてから4年半弱の1954年9月場所で十両に昇進。
新田 義弘(にった よしひろ、1929年1月21日 - 20… 新田 義弘(にった よしひろ、1929年1月21日 - 2020年3月15日)は、日本の哲学研究者、東洋大学名誉教授。専攻は、現象学・解釈学。 1929年、石川県生まれ。東北大学文学部を卒業。卒業後は、東洋大学助教授となり、教授となった。2000年に定年退任し、名誉教授となった。 新田義貞の末裔[要出典]。 (古田光、廣川洋一、中野幸次、竹田篤司、上妻精、飯島宗享、城塚登、岩永達郎、新田義弘、市倉宏祐による共編著)
大山 正(おおやま ただす、1928年1月21日 - 201… 大山 正(おおやま ただす、1928年1月21日 - 2019年12月16日)は、日本の心理学者、元東京大学教授。専門は実験心理学、色彩学。東京府出身。
堀田 英二(ほった えいじ、1928年1月21日 - 199… 堀田 英二(ほった えいじ、1928年1月21日 - 1999年10月11日)は、日本の建築家。今井兼次に師事。代表作に、1960年代の日本における高級集合住宅の先駆けであり、ヴィンテージマンションとして近年再評価される「ビラ・ビアンカ」がある。 東京都出身。1952年に早稲田大学第一理工学部建築学科を卒業した。 大学卒業後は、山下寿郎設計事務所、山脇巌設計事務所に勤務。1959年に堀田英二建築設計事務所を設立し独立した。独立後、施主である興和商事の石田とともにヨーロッパ各国の建築視察を行い、帰国後の1964年に代表作となるビラ・ビアンカやビラ・ローザを設計した。 その後佐藤武夫設計事務所に一時期在籍後、再び堀田英二建築設計事務所を設立、そのあとAVA INTERNATIONALに名称を変更した。
三輪 隆康(みわ たかやす、1927年 <昭和2年> 1月2… 三輪 隆康(みわ たかやす、1927年 <昭和2年> 1月21日 - 2013年 <平成25> 1月14日)は、日本の経営者。興和社長、会長を務めた。位階は正五位。 愛知県名古屋市出身。1950年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に興服産業(のちの興和)に入社。1951年に取締役に就任し、1959年8月には社長に昇格。1995年8月に会長に就任。 1990年3月に名古屋商工会議所副会頭に、1994年7月に愛知県公安委員長にそれぞれ就任。 1985年4月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2013年1月14日肺炎のために死去。85歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
黒田 俊雄(くろだ としお、 1926年1月21日 - 19… 黒田 俊雄(くろだ としお、 1926年1月21日 - 1993年1月26日)は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。専門は日本中世史。文学博士。『黒田俊雄著作集』全8巻(法藏館)がある。 1926年、富山県生まれ。第四高等学校文科甲類卒業。1948年、京都大学文学部史学科を卒業。 1955年、神戸大学教育学部専任講師に着任。1961年、大阪大学文学部助教授となった。1975年、同大教授に昇進。1981年から3期学術会議会員を務めた。1983年、学位論文『日本中世の国家と宗教』を大阪大学に提出して文学博士号を取得。1989年、大阪大学を定年退任し、名誉教授となった。その後は同年より大谷大学教授として教鞭をとった。
嶋崎 譲(嶋﨑 譲、しまさき ゆずる、1925年(大正14年… 嶋崎 譲(嶋﨑 譲、しまさき ゆずる、1925年(大正14年)1月21日 ‐ 2011年(平成23年)10月26日)は、日本の政治学者、政治家。衆議院議員(8期)。 石川県小松市粟津町に生まれる。兄の均は自由民主党所属の参議院議員、法務大臣を歴任し、兄弟で党籍が与野党に別れていた。また、弟の丞は石川県立美術館館長。 旧制第四高等学校を経て九州大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。 大学院修士課程修了後、九州大学助教授、教授となる。向坂逸郎らと共に社会主義協会系の学者として活躍するが、1967年(昭和42年)社会主義協会分裂の際は太田派の中心人物の一人となった。 1969年(昭和44年)、社会党執行部から求められて九州大学教授を辞職し、旧石川1区から第32回総選挙に立候補するが落選。
久田 宗也 (12代)(ひさだ そうや、1925年1月21日… 久田 宗也 (12代)(ひさだ そうや、1925年1月21日-2010年10月22日)は、茶道表千家流久田家十二世家元。 京都市生まれ。本名は和彦、号は半床庵・尋牛斎。十一世無適斎宗也の長男。京都大学文学部史学科卒。十三世即中斎千宗左に師事。
濤崎 忍(とうさき しのぶ、1925年1月21日 - 199… 濤崎 忍(とうさき しのぶ、1925年1月21日 - 1996年6月6日)は、日本の経営者。川崎製鉄社長、会長を務めた。大分県中津市出身。 1944年に東京帝国大学第一工学冶金学科を卒業し、同年に川崎重工業に入社した。1950年に川崎製鉄に移り、取締役、常務、専務を経て、1986年に副社長に就任し、1990年6月には社長に昇格した。1995年から会長に就任した。 1979年と1981年に大河内賞を受賞した。 1996年6月6日心不全のために死去。71歳没。
舟橋 正輝(ふなばし まさてる、1925年 <大正14年> … 舟橋 正輝(ふなばし まさてる、1925年 <大正14年> 1月21日 - 2009年 <平成21年> 4月16日)は、日本の経営者。フジパン社長、会長や公益財団法人エリザベス・アーノルド富士財団の理事長なども務めた。位階は従五位。 フジパンの創業者である舟橋甚重の長男である。 愛知県出身。1945年に家業製パンに従事し、1957年に日本大学経済学部を卒業。 1951年にフジパン専務に就任し、1965年には社長に昇格。1994年5月には会長に就任し、1998年5月から2000年4月までに社長も兼任した。 1986年4月に藍綬褒章を受章し、1995年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2009年4月16日多臓器不全のために死去。
奥山 融(おくやま とおる、1924年1月21日 - 200… 奥山 融(おくやま とおる、1924年1月21日 - 2009年11月7日)は、日本の実業家・映画プロデューサー。元松竹株式会社社長。創業家である白井家、大谷家以外からは永山武臣以来2人目の社長であった。父は元松竹専務の奥山市三、次男は元松竹専務でチームオクヤマ代表の奥山和由。 京都市出身。京都府立京都第一中学校、第五高等学校を経て、1947年京都帝国大学法学部政治学科卒業。同年大和証券入社。1951年松竹入社。主に映画興行部門、国際部門を歩き、1955年プロデューサー、国際部長を経て1968年取締役、1971年常務、1974年専務、1978年副社長。1986年、松竹大船撮影所50周年を期して「ニュー大船調」を打ち出す。
滝 正(たき ただし、1923年(大正12年)1月21日 -… 滝 正(たき ただし、1923年(大正12年)1月21日 - 2003年(昭和15年)7月26日)は、日本の政治家、獣医師。1942年空知農業学校獣医専科卒業。北海道美唄市出身。美唄市長(1980年(昭和55年) - 1996年(平成8年))。 1942年(昭和17年)静岡農学校教員。その後、徴兵を経て復員。1949年(昭和24年)美唄農業共済組合に獣医師として勤務。1967年(昭和42年)美唄市議に初当選。以後連続4期当選し、副議長などを務めた。議長在職中の1980年(昭和55年)美唄市長に初当選。連続4期務め、1996年(平成8年)に引退。
恒松 制治(つねまつ せいじ、1923年(大正12年)1月2… 恒松 制治(つねまつ せいじ、1923年(大正12年)1月21日 - 2011年(平成23年)7月23日)は、日本の経済学者、政治家。島根県知事(3期)。第5代獨協大学学長。連邦制・道州制を提唱。戦国武将で尼子氏の家臣・立原久綱の後裔にあたる。 島根県大田市生まれ。武蔵高等学校、京都帝国大学経済学部卒業後、農林省(現・農林水産省)入省。 1958年(昭和33年)学習院大学経済学部教授に転じ、1975年郷里の知事に担ぎ出され、日本社会党の推薦で初当選。県議の8割を占める保守系県議の支援も得て、3期務めた。任期中は、賛否が割れていた宍道湖・中海淡水化事業を巡って苦心したほか、1981年(昭和56年)には韓国・慶尚北道を訪れ、姉妹提携の筋道をつけた。
近江 宗一(おおみ むねかづ、1923年1月21日 - 20… 近江 宗一(おおみ むねかづ、1923年1月21日 - 2016年1月12日)は、日本の工学者。専攻は冶金工学、流体工学。大阪大学名誉教授。工学博士。 静岡県静岡市出身。1968年(昭和43年)、大阪大学工学部冶金設備工学研究室教授(〜1986年度(昭和61年度)。 1999年、勲三等旭日中綬章を受章。
波多野 爽波(はたの そうは、1923年1月21日 - 19… 波多野 爽波(はたの そうは、1923年1月21日 - 1991年10月18日)は、東京府出身の俳人。高浜虚子に師事、「ホトトギス」同人、俳誌「青」を創刊・主宰。本名・敬栄(よしひで)。 父・敬三、母・辰子の長男として東京府に生まれる。祖父は元宮内大臣の子爵・波多野敬直。生まれた年に鎌倉の母の実家の別荘で関東大震災に遭い家屋の下敷きとなるも、叔父に庇われて助けられた。なおこの別荘は虛子の次女・星野立子の隣家であり、爽波が助けられる場面に19歳の立子の姿もあったという。1939年、健康を害し鎌倉で療養中に「ホトトギス 」を読みふけり、翌年より同誌に投句をはじめる。1929年。学習院初等科、1935年、学習院中等科、1940年、学習院高等科文科甲類入学。
渡辺 哲也(わたなべ てつや、1923年1月21日- 199… 渡辺 哲也(わたなべ てつや、1923年1月21日- 1991年9月27日 )は、日本の経営者。 熊本県出身。1948年に東京大学法学部を卒業し、同年に九州配電(のちの九州電力)に入社。熊本支店長、理事、総務を経て、1977年6月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1987年6月に社長に就任した。 1987年11月には藍綬褒章を受章。 1991年9月27日、肝不全のために死去。68歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
石川 忠雄(いしかわ ただお、1922年(大正11年)1月2… 石川 忠雄(いしかわ ただお、1922年(大正11年)1月21日 - 2007年(平成19年)9月25日)は、日本の中国現代史家。慶應義塾長を戦後最長、鎌田栄吉以来歴代2番目の長さとなる4期16年務めた。 1991年文化功労者。1995年勲一等旭日大綬章、2000年文化勲章受章。弟に石川明 (法学者)がいる。 中国政治史研究者で、及川恒忠に師事。初期に中国憲法史と中国共産党史を研究。主著は中国共産党に関する先駆的業績となった『中国共産党史研究』。次いで中華人民共和国の政治及び外交の研究を行ない、同時に日中国交正常化へ至る政策決定にも関与した。1984年から日中友好21世紀委員会の日本側座長を務め、日中関係の基礎作りに邁進した。
江崎誠致(えさき まさのり、1922年1月21日 - 200… 江崎誠致(えさき まさのり、1922年1月21日 - 2001年5月24日)は、日本の小説家。福岡県出身。フィリピンでの戦争体験を題材にした『ルソンの谷間』で直木賞受賞。囲碁愛好家としても知られ、呉清源などの棋士の評伝やモデル小説もある。 久留米市に生まれる。父は小学校教師、少年時代から文学好きで、千田是也と中野重治を愛読した。明善中学入学、卒業を待たずに上京し、図書館講習所を経て小山書店に入社し編集、出版業に就く。1943年に召集されて久留米歩兵第48連隊から第4航空隊に転属し、フィリピンに出征。1946年に復員して小山書店に復帰。1949年に小山書店を辞めて独立し冬芽書房を設立、翌年解散して洋紙店などを経営しながら、日本共産党の資金部にて政治活動を行う。
平尾 邦雄(ひらお くにお、1922年1月21日 - 200… 平尾 邦雄(ひらお くにお、1922年1月21日 - 2009年2月13日)は、日本の物理学者、東京大学名誉教授。専門は太陽系プラズマ物理学。 1944年9月に東京帝国大学理学部地球物理学科を卒業後、約1年の海軍技術将校を経て、理学部助手として東京大学に在職。1950年2月に郵政省電波研究所に転任し、同研究所電離気体研究室長を経て、1965年9月に東京大学に戻り宇宙航空研究所教授に着任した。1981年4月に同研究所が宇宙科学研究所に改編されるのに伴い、宇宙科学研究所教授となり、その後は同研究所惑星研究系研究主幹などを併任した。1985年3月に停年退官。 当初は電波気象学を専門としていたが、1957年 - 1958年の国際地球観測年(IGY)を契機に始まった日本のロケット実験を用いて、電離圏プラズマの研究を始めた。
敦賀 一夫(つるが かずお、1922年〈大正11年〉1月21… 敦賀 一夫(つるが かずお、1922年〈大正11年〉1月21日 - 2025年〈令和7年〉4月14日)は、日本の政治家。元北海道稚内市長(2期)。 北海道宗谷郡稚内町または礼文町出身。札幌逓信講習所卒。卒業後は稚内郵便局に勤務し、地区労働組合事務局長を経て、1959年(昭和34年)に稚内市議会議員を1期務める。その後は日本電信電話公社に勤務し、1971年(昭和46年)に共同ボデー工業株式会社取締役社長に就任。1967年(昭和42年)と1971年の2回北海道議会議員選挙に稚内市選挙区から社会党公認で立候補したが、いずれも落選した。 1991年(平成3年)、8期32年務めた現職の浜森辰雄を破って稚内市長に当選する。
伊部 真(いべ まこと、1921年(大正10年)1月21日 … 伊部 真(いべ まこと、1921年(大正10年)1月21日 - 1973年(昭和48年)10月9日)は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員。位階は正五位。 福井県出身、本籍は大阪府。1939年、此花商業学校(現・大阪偕星学園高等学校)を卒業。 1941年に日本通運に入社、大阪支店労務主任を務めた。戦時中は宮崎県小林市で入隊。その後、全日通労働組合(全日通)梅田支部執行委員、同執行委員長、全日通中央執行委員、同関西地区本部副委員長、同大阪支部書記長、同中央執行副委員長などを経て、1960年、全日通中央執行委員長に就任。 その後、全国通運労働組合協議会議長、全国交通運輸労働組合総連合議長、運輸労連中央執行委員長などを務めた。
梅渓 昇(梅溪 昇)(うめたに のぼる、1921年1月21日… 梅渓 昇(梅溪 昇)(うめたに のぼる、1921年1月21日 - 2016年2月18日)は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。専門は日本近代史・軍事史。文学博士(大阪大学・1962年)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
和田 敏信(わだ としのぶ、1921年(大正11年)1月21… 和田 敏信(わだ としのぶ、1921年(大正11年)1月21日 - 2006年(平成18年)11月14日)は、石油資源開発社長、通商産業事務次官。位階は従三位。 山口県出身の鎌倉育ち。父は海軍中将・和田専三。水戸高等学校文科甲類を経て、1944年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1947年に商工省入省し総務局に配属。入省同期に、増田実(通産審議官)、森口八郎(通産審議官)、林信太郎、山口衛一(防衛庁装備局長、日本航空機開発協会特別顧問)など。
永井 明(ながい あきら、1921年1月21日 - 1979… 永井 明(ながい あきら、1921年1月21日 - 1979年3月)は、日本の児童文学者、キリスト教者。日本児童文学者協会会員、現代少年文学同人。 栃木県佐野市に生まれる。小児マヒにかかり歩行不能となったため、肢体不自由施設の柏学園で小学教育を受ける。その後はほぼ独学で、歴史や文学、哲学や外国語を勉強する。16歳でキリスト教の洗礼を受ける。1941年、埼玉県深谷市に居住し、児童文学を志す。神戸淳吉、山本彰、高田彰らと児童文学の同人誌『白い馬』を刊行する。1956年、『ピイ公物語』でデビュー。1969年に出版された『終りのない道』は自伝的な要素が強く、障害児の視点から書いた文学作品として先駆的なものであり、当時の障害児に関する社会的記録としても評価されている。
暁 テル子(あかつき てるこ、1921年1月21日 - 19… 暁 テル子(あかつき てるこ、1921年1月21日 - 1962年7月20日、本名:関根 ひさ)は、昭和20年代に活躍した日本の歌手、女優。愛称は「テリー」。 SSK(松竹少女歌劇団)出身。 1933年(昭和8年)、子役でデビュー。 1939年(昭和14年)準幹部となり、並木路子らと4人のジョリー・シスターズで活躍。 1941年(昭和16年)古川ロッパ一座に入団。東宝、松竹の舞台でも活躍。 戦後はアーニー・パイル劇場(東京宝塚劇場)専属となり外国人兵から「テリー」と愛称で呼ばれ人気を博した。 1948年(昭和23年)大映と契約し、『春爛漫狸祭』で映画デビュー。 1949年(昭和24年)、照子からテル子に改名。
古森 敬造(こもり けいぞう、1920年(大正9年)1月21… 古森 敬造(こもり けいぞう、1920年(大正9年)1月21日 - 不明)は、日本の銀行員、実業家。ガダルカナル島の戦いにおける川口支隊の生還者の一人。三和銀行参与、象印マホービン常務取締役。 福岡県福岡市出身。松次郎、ツルの三男。1937年(昭和12年)に福岡商業学校(現・福岡市立福翔高等学校)を卒業後、三和銀行に入社。1940年に応召し、第18師団隷下の歩兵第124連隊に配属。連隊は川口支隊隷下として南方に向かい、ボルネオ島、ミンダナオ島、フィジー諸島攻略を経て、1942年(昭和17年)9月3日よりガダルカナル島の戦いに連隊本部附書記(上等兵、のち伍長)として参加。支隊本部とは別途舟艇で上陸したが、その直後より敵戦闘機の機銃掃射に遭い、連隊主力とともにアウステン山(英語版)で包囲孤立し、以後3か月にわたる籠城を耐えた。
照屋 寛善(てるや かんぜん、てるや ひろよし、1920年1… 照屋 寛善(てるや かんぜん、てるや ひろよし、1920年1月21日 - 2004年7月31日)は、日本の医師である。戦後の沖縄の医療界の発展に尽し、沖縄の古典芸能を研究した。琉球大学名誉教授。 1920年1月沖縄県首里に生まれる。1942年九州医専(現久留米大学)卒業。内科の軍医になり南洋のナンボン島などに駐留。1946年復員、九州医専で勉強、後沖縄に帰る。宜野座の松田診療所勤務。沖縄には医師が少なく過労気味であったので1950年にそのことを訴えた。この反響は大きかった。既に始まっていた医学部留学制度は、50年には2回も募集があり、また、本土で勉強している沖縄出身の医師も帰還した人もいる。真和志診療所勤務。
武田 武彦(たけだ たけひこ、1919年1月21日 - 19… 武田 武彦(たけだ たけひこ、1919年1月21日 - 1998年4月23日)は、日本の作家、翻訳家、アンソロジスト。蘭 妖子としても活動した。 東京出身。早稲田大学専門部政経学科卒業。 詩人の岩佐東一郎の紹介で岩谷満と知りあいとなり、1946年に岩谷とともに『宝石』の創刊に携わり、武田自身の作品も掲載された。1948年に『宝石』の編集長となったあとも、推理小説家としての活動も並行して行なった。1950年に編集長を退任すると、翻訳や子供向けリライト、アンソロジーを手掛けた。熱心な宝塚歌劇のファンでもあった。
柳沢 錬造(柳澤 錬造、やなぎさわ れんぞう、1919年1月… 柳沢 錬造(柳澤 錬造、やなぎさわ れんぞう、1919年1月21日 - 2007年6月10日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 長野県埴科郡戸倉町(現千曲市)出身。小学校入学前から新聞配達を行う。私立石川島造船所青年学校卒業(6期)。その後、パプアニューギニアのラバウルに従軍。 戦後、石川島播磨重工業に入社し、同社労働組合委員長、造船重機労連委員長を務める。 1977年の第11回参議院議員通常選挙全国区初当選(民社党)。1979年、民社党組織局長。1983年、第13回参議院議員通常選挙比例区再選。 1989年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲八等からの昇叙)。同年の第15回参議院議員通常選挙に立候補せず、政界引退。
早川 泰正(はやかわ やすまさ、1918年1月21日 - 2… 早川 泰正(はやかわ やすまさ、1918年1月21日 - 2010年12月26日)は、日本の経済学者。北海道大学名誉教授。第5代千葉商科大学学長。 北海道札幌市生まれ。1935年札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)卒業。1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業。杉本栄一ゼミ出身。同年末永隆甫とともに企画院嘱託となる。同年東京商科大学経済研究所員。1947年北海道大学法文学部助教授。1957年北海道大学経済学部教授。1960年理論・計量経済学会理事。1961年北海道同大学経済学博士。1965年北海道大学経済学部長。1968年北海道地方労働委員会公益委員、北海道開発委員会委員。1969年北海道地方最低賃金審議会委員。
村山 徑(むらやま けい、1917年(大正6年)1月21日 … 村山 徑(むらやま けい、1917年(大正6年)1月21日 - 1987年(昭和62年)1月23日)は、新潟県柏崎市出身の日本の日本画家。本名は勲。風景画、山岳を主題にした作品が多い。 1917年(大正6年)1月21日、新潟県柏崎市北条荒町に農家の長男として生まれる。 新潟市生まれの尾竹国観に師事。上京し京華中学に進むが、3年時にカリエスに罹患し帰郷。1935年(昭和10年)再上京し川端画学校の日本画科へ進み、のちに太平洋画学校へ。在学中に各種展覧会で入賞を繰り返した。 1943年(昭和18年)、26歳のとき第6回新文展に出品した「子等」が初入選。 戦時中は従軍画家として南方戦線に1945年敗戦まで応召。