堀切 民喜(ほりきり たみよし、1931年11月21日 - … 堀切 民喜(ほりきり たみよし、1931年11月21日 - 2017年12月16日)は、日本の経営者。本州四国連絡高速道路社長を務めた。愛媛県出身。 1954年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に住友信託銀行に入行。1979年に取締役に就任し、1983年に常務、1985年に専務、1988年に副社長、1991年に副会長、1993年に顧問を経て、2003年6月に本州四国連絡橋公団総裁に就任。2005年6月から2007年6月までに本州四国連絡高速道路社長を務めた。1989年4月から1991年4月までに関西経済同友会代表幹事を務めた。 2017年12月16日間質性肺炎のために死去。86歳没。
平林 鴻三(ひらばやし こうぞう、1930年11月21日 -… 平林 鴻三(ひらばやし こうぞう、1930年11月21日 - )は、日本の政治家、自治官僚。鳥取県知事(3期)、郵政大臣(第67代)、衆議院議員(5期)等を歴任。
辻 佐保子(つじ さほこ、1930年〈昭和5年〉11月21日… 辻 佐保子(つじ さほこ、1930年〈昭和5年〉11月21日 - 2011年〈平成23年〉12月24日)は、日本の美術史家。名古屋大学教授、お茶の水女子大学教授等を歴任。
楢崎 正也(ならさき まさや、1930年(昭和5年)11月2… 楢崎 正也(ならさき まさや、1930年(昭和5年)11月21日 - 2025年(令和7年)11月9日 )は、日本の建築学者。大阪大学名誉教授。 社団法人日本建築学会環境工学委員会空気環境運営委員会、NPO法人日本健康住宅協会空気環境部会などに参画。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
渋谷 清視(しぶや きよみ、1929年11月21日 - )は… 渋谷 清視(しぶや きよみ、1929年11月21日 - )は、日本の児童文化評論家。日本児童文学者協会会員。 京都府綾部市生まれ。兵庫県豊岡市で育ち、兵庫県立豊岡中学校卒、立命館大学予科中退、豊岡市内の小学校に勤務。53年上京、業界紙記者ののち、教育雑誌編集部に勤務、57年文学教育の会創立に参加(のち日本文学教育連盟)、常任委員(事務局長)を務める。
松村 昌家(まつむら まさいえ、1929年11月21日 - … 松村 昌家(まつむら まさいえ、1929年11月21日 - 2019年9月9日)は、日本の英文学者・比較文学者。大手前大学名誉教授。 1953年、大阪外国語大学英語学科卒業、1957年、大阪市立大学大学院文学研究科修士課程修了、1960年、天理大学講師、1965年、同志社大学講師、のち助教授、教授、1972年、神戸女学院大学教授、1985年、甲南大学教授、1996年、大手前大学教授。2007年、退職し名誉教授。 チャールズ・ディケンズなどヴィクトリア朝文学と社会を主として研究。日本比較文学会会員。日本ヴィクトリア朝文化研究学会 の初代会長。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
伊藤 安男(いとう やすお、1929年11月21日 - 20… 伊藤 安男(いとう やすお、1929年11月21日 - 2015年10月8日)は、日本の地理学者(歴史地理学)。 名古屋市熱田区生まれ。1952年立命館大学文学部地理学科卒業。1954年岐阜県立海津高等学校(現岐阜県立海津明誠高等学校)教諭、1969年岐阜県立大垣北高等学校教諭(地理)、1976年岐阜経済大学講師、1982年花園大学文学部史学科教授。1995年「治水思想の風土 近世から現代へ」で立命館大博士(文学)。2000年定年、花園大学名誉教授。岐阜地理学会会長。輪中研究で知られる。日本地理学会賞、地方文化功労者文部科学大臣表彰などを受けた。
梶 龍雄(かじ たつお、1928年11月21日 - 1990… 梶 龍雄(かじ たつお、1928年11月21日 - 1990年8月1日)は、日本の推理作家、小説家、翻訳家。本名は、可児 秀夫。 1928年岐阜県生まれ。慶應義塾大学文学部英文科卒業後、小学館に勤める。1952年に雑誌『宝石』に「白い路」を発表し作家活動のスタートを切る。1959年小学館退社後、児童小説や後に多数執筆する推理小説の翻訳などに参加し、このころからミステリー・推理小説などに関わりをもった。 1977年、真相究明によるサスペンスをとりいれながらも主人公の恋をドラマチックに描いた推理小説「透明な季節」で第23回江戸川乱歩賞を受賞。自作小説で賞を勝ち取ったのはこれが最初である。 その後の活動としては、『透明な季節』と同じ部類に入る旧制高校を舞台にした本格派推理小説をシリーズとして多数を執筆したほか、トラベル・ミステリーのような推理小説なども執筆した。
笹目 宗兵衛(ささめ そうべえ、1928年(昭和3年)11月… 笹目 宗兵衛(ささめ そうべえ、1928年(昭和3年)11月21日 - 1994年(平成6年)9月17日)は、日本の政治家。茨城県笠間市長(3期)。 茨城県出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒。笹目宗兵衛商店社長、市商工会青年部長、日本青年会議所茨城ブロック会長、市教育委員長、市体育協会会長などを務め、1984年笠間市長選挙に立候補し、初当選し、市長を3期務める。3期目途中の1994年体調を崩して入院、4月17日市議会議長に辞表を提出、翌日受理された。辞職後は療養に専念していたが、9月17日に死去した。
小林 多加士(こばやし たかし、1928年11月21日- )… 小林 多加士(こばやし たかし、1928年11月21日- )は、日本の中国学者。 東京出身。大東文化大学文政学部政経科卒業。埼玉大学講師、東京国際大学教授、1999年定年。
長谷 和夫(はせ かずお、1927年11月21日 - 没年不… 長谷 和夫(はせ かずお、1927年11月21日 - 没年不明)は、日本の映画監督。 東京市出身。1951年法政大学文学部卒業、52年松竹京都撮影所監督部入所、助監督として酒井辰雄、大曾根辰夫につき、溝口健二の教えを受ける。『海猫が飛んで』などのシナリオを執筆。64年松竹大船に移り、65年監督昇進。『その口紅が憎い』でデビュー。倍賞千恵子、三田佳子ら主演の映画を監督したあと、『戦いすんで日が暮れて』など松竹製作のテレビ映画中心に移行、『必殺仕掛人』『科学捜査官』『甘ったれるな』などを演出。76年フリーとなり、テレビのシリーズもの、2時間ドラマを手がけ、『無人霊柩車殺人事件』(1980、テレビ朝日)『女弁護士 朝吹里矢子 レイプされた恋人』『どたん場で第三の男』などを演出。
笠原 俊一(かさはら しゅんいち、1926年(大正15年)1… 笠原 俊一(かさはら しゅんいち、1926年(大正15年)11月21日 - 2007年(平成19年)4月8日)は、昭和戦後から平成期の地方公務員、政治家。長野県諏訪市長。 現在の諏訪市出身。1943年(昭和18年)12月、岡谷工業学校(現長野県岡谷工業高等学校)卒業。1944年(昭和19年)近藤製作所(のち浅野航空)に入社。1945年(昭和20年)応召し、復員後は職場が解散したため農業に従事。1951年(昭和26年)7月、中洲村役場に入り、諏訪市合併後、1967年(昭和42年)財政課長、1979年(昭和54年)助役を歴任。 1983年(昭和58年)5月、諏訪市長選挙に当選し、1999年(平成11年)5月まで4期務めて引退。
源 哲麿(みなもと てつまろ、1925年11月21日 - 2… 源 哲麿(みなもと てつまろ、1925年11月21日 - 2020年3月30日)は、日本のドイツ文学者、専修大学名誉教授。中学校の社会科教員(勤務校:箕面市立第一中学校など)も務めた[要出典]。 島根県に生まれる。学徒出陣し、復員後京都帝国大学文学部哲学科を経て、同大学院(旧制)を修了する。[要出典] 専修大学文学部助教授を経て、経済学部教授に就任し、1996年に定年で退職、名誉教授となる。 この間、私生活では妻が胃癌を発症、その病床生活を綴った『青い水底で眠りたい ガン患者の病床覚書』を(共著として)1990年に刊行している。 2020年3月30日に死去(満94歳没)。
湯地 朝雄(ゆち あさお、1925年11月21日 - 201… 湯地 朝雄(ゆち あさお、1925年11月21日 - 2014年2月9日)は、日本の文芸評論家。 神奈川県生まれ。国文学者で淑徳大学学長を務めた湯地孝の子。東京大学文学部国文科卒。武井昭夫らと新日本文学会や活動家集団思想運動に所属し、同時代の文学状況を階級的視点から論じる批評を書き継いでいった。また、プロレタリア文学以来の文学運動を批判的にとらえ、どのように受け継ぐかの追及にも力を注いだ。淑徳大学・短期大学理事を務めた。1951年占領下の「反軍事裁判闘争が反戦・平和闘争として大衆的にたたかい抜かれ」,数万部を売り尽くしたパンフレット『吾が友に告げん』は,「湯地朝男の筆になる感動的な報告書として知られ」ている(安東仁兵衛『戦後日本共産党私記』(1976年,171頁)。
増山 道保(ますやま みちほ、1924年(大正13年)11月… 増山 道保(ますやま みちほ、1924年(大正13年)11月21日 - 1999年(平成11年)9月14日)は、日本の政治家。宇都宮市長(5期)、栃木県議会議員(3期)、宇都宮市議会議員(1期)などを歴任した。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 栃木県宇都宮市塙田町出身。父・村字(むらじ)は、有限会社増山貨物(現・増山貨物自動車株式会社)の創業者で、8人きょうだい(6男2女)の3番目の男子として出生した。他の兄弟が宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)へ進んだのに対し、最初から家業を継ぐつもりだったので、宇都宮商業学校(現栃木県立宇都宮商業高等学校)へ進学・卒業し、1944年に巣鴨経済専門学校(現千葉商科大学)を卒業した。
裾分 一弘(すそわけ かずひろ、1924年11月21日 - … 裾分 一弘(すそわけ かずひろ、1924年11月21日 - 2016年2月17日)は、日本の西洋美術史学者、学習院大学名誉教授。 岡山県生まれ。九州帝国大学文学部哲学科卒。同大学院修了。1958年九州大学助手、1962年武蔵野美術大学助教授、1967年学習院大学文学部教授。95年定年退任、名誉教授。レオナルド・ダ・ヴィンチ研究の第一人者だった。 2003年11月瑞宝中綬章受章。 (古田光、藤田健治、木田献一、屋形禎亮、澤柳大五郎、廣川洋一、中野幸次、秀村欣二、兼岩正夫、清水富雄、裾分一弘、下村寅太郎、西沢龍生、永井博による共編著)
小西 秋雄(こにし あきお、1923年11月21日 - 20… 小西 秋雄(こにし あきお、1923年11月21日 - 2011年6月4日)は、日本の経営者。新キャタピラー三菱社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。 1948年に京都大学法学部を卒業し、同年に三菱重工業に入社。1982年に取締役に就任し、1985年6月に常務を経て、1987年4月には新キャタピラー三菱社長に就任。1993年6月に相談役に就任。 2011年6月4日肺炎のために死去。88歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
板坂 元(いたさか げん、1922年11月21日 - 200… 板坂 元(いたさか げん、1922年11月21日 - 2004年7月26日)は、日本の日本文学者。文芸評論・文化評論家。 文学研究者としては、近世文学を専攻。 1922年(大正11年)、中華民国・南京市生まれ。父は開業医で南京居留民団長だった板坂瑠一。板坂家は17代続いた医師の家系で、江戸時代は大村家に藩医として代々仕えた。 帰朝し、子供時代を長崎で過ごす。1943年(昭和18年)9月、旧制佐賀高校文科乙類(ドイツ語)を繰り上げ卒業。10月、東京帝国大学文学部国文科に入学。12月、学徒出陣で小倉市の野戦重砲連隊に入営。のち第6航空情報連隊に配属。武漢など大陸を転戦し、1946年(昭和21年)復員。
三輪 裕章(みわ ひろあき、1921年11月21日 - 19… 三輪 裕章(みわ ひろあき、1921年11月21日 - 1990年4月12日)は、群馬県出身のプロ野球選手。 旧制桐生中学(現:群馬県立桐生高等学校)では、1939年から1941年の選抜中等学校野球大会に出場した。1942年に阪神軍に入団。1年目から58試合に出場した。 しかし、翌1943年に徴兵され退団。戦後は全桐生に所属していたが、プロ野球に復帰することはなかった。
渡辺 洋三(わたなべ ようぞう、1921年11月21日 - … 渡辺 洋三(わたなべ ようぞう、1921年11月21日 - 2006年11月8日)は、日本の法学者。東京大学名誉教授、元帝京大学教授。専門は法社会学、民法学、憲法学。
三野 博(みの ひろし、1921年11月21日 - 1994… 三野 博(みの ひろし、1921年11月21日 - 1994年4月8日 )は、日本の銀行家。百十四銀行頭取を務めた。 香川県出身。1944年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1946年に百十四銀行に入行した。1966年に取締役に就任し、1969年11月に常務、1975年12月に専務を経て、1979年12月には頭取に就任。1989年6月には会長に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 1994年4月8日、腹部大動脈瘤破裂のために死去。72歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
白石 孝(しらいし たかし、1921年11月21日 - 20… 白石 孝(しらいし たかし、1921年11月21日 - 2013年10月17日)は、日本の経済学者。慶應義塾大学名誉教授および杏林大学名誉教授。専門は国際経済学、国際貿易論。 1921年に東京市日本橋に生まれる。1934年に明治学院中等部に入学し、翌年に慶應義塾普通部に編入する。1941年に慶應義塾大学経済学部に進学し、岩田仭のゼミで指導を受ける。1943年に同大学を卒業し、同年に南貿汽船株式会社に入社、その後兵役に服す。1945年に慶應義塾大学旧制大学院に入学し、1947年に慶應義塾大学経済学部副手、1949年に同経済学部助教授、1958年に同商学部教授となる。1960年に経済学博士の学位を取得、1964年に慶應義塾志木高等学校校長を兼任する。
長野 和吉(ながの わきち、1921年11月21日 - 20… 長野 和吉(ながの わきち、1921年11月21日 - 2024年12月8日)は、日本の経営者。三菱ガス化学社長を務めた。大分県出身。 1944年に東京帝国大学法学部を卒業し、1946年11月に三菱銀行に入行。1956年11月に日本瓦斯化学工業(のちの三菱ガス化学)に転じ、1964年5月に取締役に就任し、1968年11月に常務、1971年11月に専務、1979年6月に副社長を経て、1981年6月に社長に就任。1988年6月には会長に就任し、1995年6月には相談役に退いた。 1984年4月に藍綬褒章を受章し、1994年11月には勲二等瑞宝章を受章を受章。 2024年12月8日、死去。103歳没。
上寺 久雄(かみでら ひさお、1920年11月21日 - 2… 上寺 久雄(かみでら ひさお、1920年11月21日 - 2018年5月19日)は、日本の教育学者。兵庫教育大学名誉教授。本籍は広島市。 広島大学大学院博士課程。1964年「デューイ教育哲学の根本問題 質的経験の形成理論」で広島大教育学博士。小学校、中学校、高等学校教諭ののち、大阪市教育研究所所長、大阪教育大学教授、1984年定年、兵庫教育大学学長、1992年退任。文部省「高等学校教育の改革の推進に関する会議」座長。聖徳学園岐阜教育大学学長。1999年、岐阜県公文書公開審査会長として、いじめに関する公文書非公開を妥当と判断した。1997年、勲二等瑞宝章受章。没後従七位から従四位に進階。
緒方 研二(おがた けんじ、1917年 <大正6年> 11月… 緒方 研二(おがた けんじ、1917年 <大正6年> 11月21日 - 2009年 <平成21年> 10月31日) は、日本の技術者。日本電気 (NEC)副社長や、NECエンジニアリング社長、テレビジョン学会会長、電子通信学会会長などを歴任した。従四位、勲二等瑞宝章受章。父は緒方竹虎元副総理。岳父に名和武。 福岡県福岡市出身。東京府立第四中学校、第一高等学校を経て、伊藤庸二の勧めで、1941年東北帝国大学工学部電気工学科を卒業した。在学中大日本帝国海軍委託生となり、1942年海軍技術士官に任官して、横須賀海軍工廠に配属され、横須賀砲術学校に入校した。 タラワ島や、マキン島でレーダーサイトの整備にあたったのち、海軍技術研究所に転属する。
伊藤 昌哉(いとう まさや、1917年(大正6年)11月21… 伊藤 昌哉(いとう まさや、1917年(大正6年)11月21日 - 2002年(平成14年)12月13日)は、日本の政治評論家。満洲生まれ。池田勇人内閣総理大臣の秘書官を経て、政治論壇や宏池会で活動した。愛称は「ブーちゃん」。池田内閣の影の官房長官と呼ばれた。 南満洲大石橋(現:中国遼寧省大石橋市)生まれ。奉天中学、旧制一高を経て、1942年に東京帝国大学法学部卒業。1943年11月に新京陸軍経理学校卒業。卒業後、経理部将校として終戦まで従軍した。母と妹のいる満洲に向かうため湖南省長沙で現地除隊となり、北上する。しかし湖北省漢口で日本人は旧日本租界に設けられた集中区と呼ばれる一角に収容され、しばらく収容日本人向けの商売で食いつないだ後、上海から福岡市に送還される。
安川 七郎(やすかわ しちろう、1917年11月21日 - … 安川 七郎(やすかわ しちろう、1917年11月21日 - 2008年4月11日)は、日本の官僚。東京国税局長、日本銀行政策委員会大蔵省代表委員、国税庁長官、日本債券信用銀行頭取を務めた。 東京府出身。1945年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年10月に大蔵省に入省。金融局属。1946年2月から銀行局。1948年2月には高文行政科に合格。同年10月に和歌山税務署長。 銀行局総務課長補佐、銀行局銀行課長補佐などを経て、1958年12月に大臣官房財務参事官付課長補佐、1959年1月に大臣官房財務調査官(財務参事官室担当)、1961年6月に銀行局保険第二課長、1964年7月6日に証券局証券業務課長、1966年7月22日に証券局総務課長、1968年6月25日に大臣官房審議官(証券局担当)兼関東財務局東京証券取引所監理官、1969年8月15日に大臣官房審議官(証券局担当)、1970年6月25日に東京国税局長、1972年6月27日に日本銀行政策委員会大蔵省代表委員、1973年6月から1975年7月までに国税庁長官を務めた。
加藤 武德(かとう たけのり、1915年〈大正4年〉11月2… 加藤 武德(かとう たけのり、1915年〈大正4年〉11月21日 - 2000年〈平成12年〉2月9日)は、日本の政治家。位階は正三位。 岡山県知事(公選第6・7代)、自治大臣(第26代)、国家公安委員会委員長(第35代)、北海道開発庁長官(第40代)、参議院議員(5期)。剣道範士、全日本剣道連盟顧問。 弟に農林水産大臣の加藤六月、次男に自由民主党参議院議員の加藤紀文、義理の甥に自由民主党衆議院議員の加藤勝信、義理の兄に渡辺武次郎がいる。 岡山県笠岡市出身。旧制中央大学法学部を経て、内務省入省。1950年の参議院議員選挙に岡山県選挙区から自由党公認で出馬し初当選、当時の最年少参院議員だった。保守合同後、自由民主党に移り通算当選5回。
大竹 富江(おおたけ とみえ、1913年〈大正2年〉11月2… 大竹 富江(おおたけ とみえ、1913年〈大正2年〉11月21日 - 2015年〈平成27年〉2月12日)は、日本からブラジルに帰化した美術家。 長男は建築家のルイ・オオタケ、次男はサンパウロ州文化長官を務めたリカルド・オオタケ。 京都府京都市で材木商の子として生まれる。富江は6人兄弟の末子。 京都府立第二高等女学校(現・京都府立朱雀高等学校)中途退学、同志社大学文学部卒業。 1936年、ブラジルに渡り、現地の日本人(兄の友人)と結婚。1951年、日本に一時帰国する。 1952年、絵画の制作を始める。1968年、ブラジル国籍取得。 2015年2月12日、気管支肺炎による敗血症性ショックのため入院先のサンパウロの病院で死去。
佐野 周二(さの しゅうじ、1912年11月21日 - 19… 佐野 周二(さの しゅうじ、1912年11月21日 - 1978年12月21日)は、日本の俳優。本名は関口 正三郎(せきぐち しょうざぶろう)。 昭和初期から後期(1930年代後半〜1970年代)に活躍した二枚目スターの一人である。関口宏、佐野守の父で、関口知宏の祖父に当たる。上原謙、佐分利信とともに「松竹三羽烏」といわれ、松竹大船の第一号スターとされた。 東京市神田区東紺屋町(現在の東京都千代田区神田東紺屋町)に鳶職の父·亀次郎と母·マサの四男六女の6番目にあたる三男として生まれた。1925年に今川尋常小学校、1930年に成立商業、1933年に立教大学経済学部予科を卒業。大学時代は水泳部で、オリンピックの候補だった。
大久保 石松(おおくぼ いしまつ、1912年11月21日 -… 大久保 石松(おおくぼ いしまつ、1912年11月21日 - 2001年2月24日)は、日本の騎手、競走馬調教師。青森県八戸市出身。 騎手時代の1935年にキンチャンで阪神帝室御賞典(春)に優勝。1941年より調教師に転じ、第二次世界大戦を経て国営競馬、日本中央競馬会(JRA)で活動、1971年のビクトリアカップを制したタイヨウコトブキや、重賞4勝を挙げたエリモローラなどを管理した。1991年2月定年引退。 息子の大久保哲男は元JRA騎手。娘婿にそれぞれ門下生の高橋隆と沖芳夫。孫に高橋亮がいる。なお、名前が一文字違いの騎手・調教師に大久保福松と大久保房松がおり、後者とは同郷であるが、それぞれに近親関係はない。
塩見 力(しおみ つとむ、1911年11月21日 - )は、… 塩見 力(しおみ つとむ、1911年11月21日 - )は、戦前期の社会人野球の選手
三原 脩(みはら おさむ、1911年11月21日 - 198… 三原 脩(みはら おさむ、1911年11月21日 - 1984年2月6日)は、香川県仲多度郡神野村(現:同県同郡まんのう町)出身のプロ野球選手(内野手。右投右打)・監督・球団経営者。
志田 重男(しだ しげお、1911年<明治44年>11月21… 志田 重男(しだ しげお、1911年<明治44年>11月21日 - 1971年<昭和46年>7月3日)は、日本の労働運動家、社会主義活動家。日本共産党幹部を務めたが、除名された。 兵庫県津名郡浅野村(現・淡路市)生まれ。小学校を卒業後、1923年堺市で旋盤工となり、労働運動に入る。1932年日本労働組合全国協議会(全協)中央常任委員。1931年、日本共産党に入党し、1933年に検挙、投獄される。 第二次世界大戦後、政治犯釈放で出獄。党本部に入り、中央委員・政治局員・書記局員となり、1947年4月の第23回衆議院議員総選挙で大阪5区から、第1回大阪府知事選挙に共産党公認で立候補したがいずれも落選した。
江上 不二夫(えがみ ふじお、1910年11月21日 - 1… 江上 不二夫(えがみ ふじお、1910年11月21日 - 1982年7月17日)は日本の生化学者。戦後日本の生化学を牽引した一人。日本学術会議会長、国際生命の起源学会会長等を務めた。東京生まれ。考古学者江上波夫は兄。
守山 義雄(もりやま よしお、1910年(明治43年)11月… 守山 義雄(もりやま よしお、1910年(明治43年)11月21日 - 1964年(昭和39年)8月27日)は、日本のジャーナリストである。 大阪市に生まれ、大阪外国語学校(後の大阪外国語大学、現在は大阪大学に統合)ドイツ語学部に入学する。1931年(昭和6年)に卒業後は大阪朝日新聞に入社し、社会部に所属した。1939年(昭和14年)には第二次世界大戦直前下にあったナチス・ドイツのベルリン特派員となり、同年9月に大戦が勃発した際にはヨーロッパの戦線報道に携わる。 翌1940年(昭和15年)6月にはナチス・ドイツ軍に入り、終戦直前の1945年(昭和20年)7月まで従軍した。その後は帰国および復員し、1949年(昭和24年)より朝日新聞大阪本社の社会部長を経て1951年(昭和26年)にはサンフランシスコ平和条約の講和講義の報道にあたる。
福岡 日出麿(ふくおか ひでまろ、1909年11月21日 -… 福岡 日出麿(ふくおか ひでまろ、1909年11月21日 - 1990年10月5日)は日本の政治家。参議院議員(2期)。旧姓は辻。東与賀村長の辻武一郎の子。祖父は佐賀の干拓の父と呼ばれた辻演年。兄は陸軍兵器学校の校長などを務めた陸軍中将の辻演武。 佐賀県佐賀郡出身。旧制佐賀県立佐賀中学校卒業後、上海の東亜同文書院大学に進むが中退。明治28年創業の蔵元「窓の月」を営む福岡家に養子に迎えられる。海外経営に熱心でハルビンや蘇州で酒造を手がけた。戦後、翼賛事務長などを理由に公職追放となり、1948年に生コン、酒類、建築資材などを販売する福岡商店を創業した。 追放解除後の1955年から佐賀県議会議員を5期務めた後、国政に進出。
田中 三男(たなか みつお、1907年11月21日 - 19… 田中 三男(たなか みつお、1907年11月21日 - 1974年7月11日)は、日本の外交官。位階は正三位。 兵庫県相生市生まれ。1932年外交官試験合格、33年東京帝大法学部卒業後、外務省入省。ニューヨーク、通商局1課、同3課、上海、北京、天津勤務、神戸連絡調整事務局局長を経て、前後は46年管理局経済部総務課長、47年調査局5課長、同1課長を務める。1950年8月管理国入国管理部長、翌年入国管理庁研修所長の後、52年2月サンフランシスコ在外事務所所長を経て同年4月サンフランシスコ総領事。1951年密出入国に関する治安行政機関監察の件で衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された。 同年12月情報文化局長、翌53年吉田茂首相の秘書官を務めた後、情報文化局長を再び務める。
長沼 弘毅(ながぬま こうき、1906年11月21日 - 1… 長沼 弘毅(ながぬま こうき、1906年11月21日 - 1977年4月27日)は、日本の大蔵官僚、実業家、文芸評論家である。東京出身。経済学博士であり、柔道家(講道館七段)であった。孫に俳優の平沼成基など。
野村 俊夫(のむら としお、1904年11月21日 - 19… 野村 俊夫(のむら としお、1904年11月21日 - 1966年10月27日)は、日本の作詞家、詩人。福島県福島市出身。本名は鈴木 喜八。 福島県福島市大町の魚屋に生まれる。幼少期、近所には作曲家の古関裕而が住んでおり、5歳年上の野村は兄貴分であり遊び仲間だった。 1924年、20歳の時に福島民友新聞社に入社し、編集部・報道部・文芸欄を担当する。1931年をもって福島民友新聞社を退社。すでにコロムビア専属の作曲家として東京で活動していた古関裕而のすすめで上京する。同年、古関裕而と組んだ初のレコード「福島行進曲」が発売され互いにデビュー作となった。この頃からフリーの作詞家として本格的に活動を開始する。
蟻川 五二郎(ありかわ ごじろう、1904年11月21日 -… 蟻川 五二郎(ありかわ ごじろう、1904年11月21日 - 1989年7月23日)は、日本の経営者、銀行家。東京都新宿区出身。 1931年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本銀行に入行。 1955年5月に福岡銀行頭取に就任し、1973年11月に会長を経て、1977年12月には顧問に就任。1974年1月から1980年5月までに福岡商工会議所会頭を務めた。 1960年11月に藍綬褒章を受章し、1975年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1989年3月22日心不全のために死去。84歳没。
伊藤 永之介(いとう えいのすけ、1903年11月21日 -… 伊藤 永之介(いとう えいのすけ、1903年11月21日 - 1959年7月26日)は、日本の小説家。 秋田県秋田市西根小屋末町出身。父親の事業(菓子屋)失敗のため上級学校への進学はかなわず、中通高等小学校の補習科を出た後、日本銀行秋田支店で文書係をしながら雑誌投稿を始める。 1924年に同郷の金子洋文を頼って上京。その紹介で雑誌『文芸戦線』に評論を発表して、文筆活動にはいる。最初は評論を書いていたが、1928年『文芸戦線』に「見えない鉱山」を発表、プロレタリア文学の新進作家として注目を浴びる。『文芸戦線』誌の編集に携わりながら小説を発表し、『戦旗』に対抗する労農派の作家として、同誌を支えた。この時期の代表作として、「総督府模範竹林」(1930年)、「万宝山」(1931年)などの植民地に取材した作品がある。
板野 道夫(いたの みちお、1902年(明治35年)11月2… 板野 道夫(いたの みちお、1902年(明治35年)11月21日 - 1969年(昭和44年)3月28日 )は、日本の実業家。関西配電取締役を経て関西電力常務取締役となり、オーム社理事も務めた。大阪陶業(現:日本ネットワークサポート)代表取締役・会長。岡山県総社市出身。 1902年(明治35年)岡山県吉備郡秦村(現:総社市秦)の板野柳一の長男として出生。その後、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。同期には、京城帝国大学教授となる森谷克己がいた。1921年(大正10年)同校を卒業し、第六高等学校文科乙類へ進学する。森谷と同じクラスであった。1924年(大正13年)同校を卒業し、森谷は東大法学部へ、板野は京都帝国大学法学部へそれぞれ進学した。
桑田 忠親(くわた ただちか、1902年11月21日 - 1… 桑田 忠親(くわた ただちか、1902年11月21日 - 1987年5月5日)は、日本の歴史学者。國學院大學名誉教授。勲三等瑞宝章受章。 1902年、東京市麹町区で生まれた。國學院大學国文学科に学び、卒業論文『明治時代の小説に表われた自然主義の研究』をまとめ、1926年卒業。1927年より東京帝国大学史料編纂所に勤務し、1945年に退官。この間、1942年に國學院大學講師に就任した。 埼玉県立川越高等女学校教諭を経て、1946年に母校の國學院大學文学部教授に就いた。戦国時代史を研究テーマとし、千利休などの茶人を研究。1952年、学位論文『茶道の大成』で國學院大學より文学博士の学位を取得。1973年に國學院大學を定年退職し、以降は客員教授として教鞭を執った。
伊勢崎 陽山(いせざき ようざん、1902年11月21日 -… 伊勢崎 陽山(いせざき ようざん、1902年11月21日 - 1961年)は、陶芸家。備前焼で岡山県重要無形文化財保持者。岡山県和気郡伊部(現:備前市伊部)出身。 沼田一雅に師事。陶彫、細工物に優れた。姑耶山中の古窯を調査し復元。 など陶像の大作を製作。 花器、宝瓶、香炉にも秀作が多い。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
藤本 秀二(ふじもと しゅうじ、1901年11月21日 - … 藤本 秀二(ふじもと しゅうじ、1901年11月21日 - 1990年1月31日)は、日本の経営者。同和火災海上保険社長を務めた。兵庫県出身。位階は従五位。 1925年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に神戸海上火災保険に入社。1945年に同和火災海上保険に転じ、1947年に取締役に就任し、1949年に常務を経て、1962年6月には社長に就任し、1968年6月までに務めた。 1966年9月に藍綬褒章を受章し、1972年5月に勲四等瑞宝章を受章。 1990年1月31日呼吸不全のために死去。88歳没。死没日付をもって従五位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
高橋 正雄(たかはし まさお、1901年11月21日 - 1… 高橋 正雄(たかはし まさお、1901年11月21日 - 1995年9月10日)は、昭和・平成期の日本の経済学者、社会運動家。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
本田 親男(ほんだ ちかお、1899年11月21日 - 19… 本田 親男(ほんだ ちかお、1899年11月21日 - 1980年7月30日)は、鹿児島県出身のジャーナリスト、実業家。毎日新聞社社長、会長、最高顧問、毎日放送会長、相談役を歴任した他、日本新聞協会会長を2期務めた。 本田の祖先は、武蔵国本田郷の領主・本田左衛門尉貞親で、島津忠久夫人の父。 1899年11月21日、鹿児島市下荒田町生まれ。鹿児島師範学校附属幼稚園を経て、1906年に鹿児島市立八幡小学校へ入学。このころ本田の人間形成に与えた訓育がある。旧薩摩藩独自の教育制度・郷中制度の精神を受け継いだ学舎「研明舎」での教育がそれで、本田は5歳ごろより小学校の放課後にここへ通い、先輩舎生の監督下で諸学科の復習や予習をした。
永澤 邦男(ながさわ くにお、1899年(明治32年)11月… 永澤 邦男(ながさわ くにお、1899年(明治32年)11月21日 - 1972年(昭和47年)4月9日)は、慶應義塾長、慶應義塾大学法学部長兼大学院法学研究科委員長、法学博士、名誉教授。日本私立大学連盟会長、私立大学振興政策委員会委員長、私立大学設置審議会会長、日本私学振興財団初代理事長を歴任。 従三位瑞宝大綬章[要出典]。家紋は丸に橘紋[要出典]。 東京都生まれ。1924年(大正13年)慶應義塾大学法学部法律学科卒業。法学部助手、助教授を経て1933年(昭和8年)に教授。刑事法を担当。1947年(昭和22年)1月神崎丈二と共に慶應義塾常任理事に就任。1956年(昭和31年)7月常任理事を退任し、1963年から法学部長。
大友 純(おおとも じゅん、明治32年(1899年)11月2… 大友 純(おおとも じゅん、明治32年(1899年)11月21日 - 昭和53年(1978年)12月28日)は、日本の俳優である。綜芸プロ、テアトロ脚光、ハナブサプロ、東京俳優生活協同組合に所属していた。 1899年(明治32年)11月21日、宮城県仙台市に生まれる。 旧制・東京音楽学校(現在の東京芸術大学)乙種師範科卒業。1923年(大正12年)から1929年(昭和4年)まで、旧制・大阪市立難波高等小学校(現在の大阪市立難波元町小学校)と同じく旧制の群馬県師範学校(のちの群馬師範学校、現在の群馬大学学芸学部)に音楽教師として勤務した。1929年、田谷力三、淡谷のり子らと松竹座チェーンのアトラクションに出演し、以後は歌手兼俳優としてカジノ・フォーリーやムーランルージュ新宿座、榎本健一一座などで活躍した。