南風 洋子(みなかぜ ようこ、本名:若杉 洋子(わかすぎ ひ… 南風 洋子(みなかぜ ようこ、本名:若杉 洋子(わかすぎ ひろこ)、1930年1月22日 - 2007年8月19日)は、日本の女優。劇団民藝に所属していた。兵庫県神戸市出身。夫は映画監督・演出家の若杉光夫。娘は女優の若杉民。
1月22日生まれ:348人
南風 洋子(みなかぜ ようこ、本名:若杉 洋子(わかすぎ ひ… 南風 洋子(みなかぜ ようこ、本名:若杉 洋子(わかすぎ ひろこ)、1930年1月22日 - 2007年8月19日)は、日本の女優。劇団民藝に所属していた。兵庫県神戸市出身。夫は映画監督・演出家の若杉光夫。娘は女優の若杉民。
余 英時(よ えいじ、1930年1月22日 - 2021年8… 余 英時(よ えいじ、1930年1月22日 - 2021年8月1日)は、中国系アメリカ人の歴史学者・思想史家。新儒家の一人。青年時代の筆名は艾群。 河北省天津市生まれだが、本貫は安徽省潜山県。 1949年、燕京大学に入学するが、国共内戦の動乱を避けて香港に赴き、銭穆が香港で設立した新亜書院(中国語版)に転学する。1952年、新亜書院の第1回卒業生となる。 1955年、渡米してハーバード大学で楊聯陞(英語版)の指導を受ける。1962年、博士論文 “Views of Life and Death in Later Han China” によってPh.D.を取得する。 1969年、ハーバード大学の教授となり、香港の新亜書院の校長を一時的に兼任する。
新倉 俊一(にいくら としかず、1930年1月22日 - 2… 新倉 俊一(にいくら としかず、1930年1月22日 - 2021年8月23日)は、日本のアメリカ詩研究者、翻訳家。明治学院大学名誉教授。慶應義塾大学アート・センター訪問所員。 神奈川県三浦郡葉山町出身。1951年、慶應義塾大学法学部卒。明治学院大学大学院修了、フルブライト留学でミネソタ大学大学院修了。明治学院大学教授。1976年、文学部長。1981年、日本エミリ・ディキンソン協会会長。西脇順三郎に師事した。 日本エズラ・パウンド協会理事も務め、ディキンソン、パウンドなどのアメリカ詩人の研究者の育成を行った。エドワード・リアのノンセンス詩などを研究、翻訳もある。 2021年8月23日午前8時10分、老衰のため神奈川県逗子市の自宅で死去。
網野 善彦(あみの よしひこ、1928年〈昭和3年〉1月22… 網野 善彦(あみの よしひこ、1928年〈昭和3年〉1月22日 - 2004年〈平成16年〉2月27日)は、日本の歴史学者。専攻は日本中世史。 江戸時代から続く地主網野家の当主・勝丸の末男として山梨県東八代郡御坂町(現在の笛吹市御坂町)に生まれる。曾祖父の網野善右衛門は実業家で、山梨中央銀行の前身のひとつである網野銀行の創業者である。実父の勝丸は甲州市塩山の旧家出身で代議士も務めていた広瀬久政の次男として生まれ、網野家へ養子に入った人物。久政長男の広瀬久忠は善彦の叔父にあたり、久政も右派政治家で戦前には山梨県初の大臣(厚生大臣)を務め、戦後には参議院議員となった。久政三男の名取忠彦も戦前は山梨県翼賛会壮士団長で、戦後は山梨中央銀行の頭取として山梨県政財界で影響力を持っていた人物で、善彦の幼少期にはこうした右派的政治環境があったことが指摘されている。
嶋本 昭三(しまもと しょうぞう、1928年1月22日 - … 嶋本 昭三(しまもと しょうぞう、1928年1月22日 - 2013年1月25日)は、日本の芸術家、現代美術家。京都教育大学名誉教授、宝塚造形芸術大学教授、日本障害者芸術協会会長、具体美術協会会員。 長男はジャズトランペッターの嶋本高之(しまもと たかし、1964年 - )。二男はバリトン歌手の嶋本晃(しまもと あきら、1969年 - )。 大阪府生まれ。関西学院大学文学部卒業。 1954年、戦後日本の現代美術を代表する「具体美術協会」の創立メンバーとなる。「具体」という名の提案者。以降主な具体全展に出品。具体美術展に出展した、瓶詰した絵具を画面上で炸裂させる大砲絵画パフォーマンスや、ヘリコプターよりペイントを落としての絵画制作パフォーマンスなどが有名。
中村 義作(なかむら ぎさく、1928年1月22日 - 20… 中村 義作(なかむら ぎさく、1928年1月22日 - 2020年6月4日)は、日本の電通官僚、工学者(情報工学・ソフトウェア工学)、数学者(組み合わせ数学・有限数学・経営数学)。工学博士(東北大学・1970年)。静岡県立大学名誉教授。 電気通信省、日本電信電話公社での勤務を経て、信州大学工学部教授、静岡県立大学経営情報学部教授、静岡県立大学経営情報学部学部長(第3代)、東海大学教育開発研究所教授などを歴任。 1928年に日本の東京府で生まれた。中学生の頃、竹内端三の『群論』を購入したが、内容が高度すぎて当初は理解できなかった。しかし、何度も読み返すうち数学の面白さを知る。その後、高木貞治の『近世数学史談』を読み感銘を受けた。
新井 清光(あらい きよみつ、1928年 <昭和3年> 1月… 新井 清光(あらい きよみつ、1928年 <昭和3年> 1月22日 - 1999年 <平成11年> 12月12日)は、日本の会計学者。専門は財務会計論。商学博士。位階は正五位。勲二等瑞宝章。 1951年、早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。1961年、同大学大学院商学研究科博士課程修了。 1968年より早稲田大学商学部教授。また、1997年に同大名誉教授に就任。文京女子大学(現文京学院大学)大学院教授も務める。 企業会計審議会会長(1987年-1994年)、国際会計研究学会第4代会長(1990年-1993年)、日本会計研究学会第7代会長(1994年-1997年)などを歴任。公認会計士試験第2次試験委員、税理士試験委員など各種試験委員を務めた。
柴田 陽三(しばた ようぞう、1927年1月22日 - 20… 柴田 陽三(しばた ようぞう、1927年1月22日 - 2003年9月5日)は、日本の建築家。株式会社観光企画設計社の創業者。 1927年に、京都に生まれる。 1947年に、坂倉準三建築研究所に勤務する。1952年、早稲田大学理工学部建築学科を卒業する。1960年、ホテルオークラ建築部長として、設計監理に従事する。 1962年9月21日、観光企画設計社を創立し、代表取締役に就任する。ホテルの建築設計で、有名になる。1985年、交通文化賞を受賞する。1989年、藍綬褒章を受章する。 2003年9月5日、胸膜炎のため死去。
榎原 猛(えはら たける、1926年(大正15年)1月22日… 榎原 猛(えはら たける、1926年(大正15年)1月22日 - 2004年(平成16年)6月28日)は、日本の憲法学者。大阪大学名誉教授。元甲子園短期大学長。法学博士。大阪府吹田市出身。
藤原 富男(冨男、ふじわら とみお、1926年 <大正15年… 藤原 富男(冨男、ふじわら とみお、1926年 <大正15年> 1月22日 - 2004年 <平成16年> 4月22日)は、日本の経営者。大日本製薬社長を務めた。位階は正五位。 京都府出身。1948年に大阪商科大学を卒業し、同年に大日本製薬に入社。 1970年1月に取締役に就任し、1974年1月に常務、1975年8月に専務を経て、1977年8月に副社長に就任し、1981年8月には社長に昇格。 1993年6月に会長、1999年6月に取締役相談役を経て、2001年6月に名誉相談役に就任。 1991年11月に藍綬褒章を受章し、1999年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2004年4月22日呼吸不全のために死去。
龍野 富雄(たつの とみお、1926年1月22日 - 199… 龍野 富雄(たつの とみお、1926年1月22日 - 1998年2月8日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1948年に神戸経済大学を卒業し、同年に大建産業に入社。 1974年5月に取締役に就任し、1978年6月に丸紅常務に就任し、専務、副社長を経て、1987年6月に社長に就任した。1992年に副会長に就任した。 1998年2月8日心筋梗塞のために死去。72歳没。
大野 盛雄(おおの もりお、1925年1月22日-2001年… 大野 盛雄(おおの もりお、1925年1月22日-2001年4月4日)は、日本の人文地理学者。東京大学東洋文化研究所名誉教授。 1925年、山口県生まれ[要出典]。1950年、東京大学理学部地理学科を卒業。1953年、同大学経済学部を卒業。 卒業後は東京大学東洋文化研究所助手に採用された。1960年に退任し、1961年より明治大学専任講師。196から1964年にかけてイランへ出張。1964年、東京大学東洋文化研究所専任講師に就いた。1965年に助教授、1968年に教授昇進。1972年に学位論文「ペルシア農村に関する地理学的研究」を東京大学に提出して理学博士号を取得。1976~78年、1982~84年の二度、東京大学東洋文化研究所所長をつとめた。
加賀谷 誠一(かがや せいいち、1925年1月22日 - 2… 加賀谷 誠一(かがや せいいち、1925年1月22日 - 2015年8月11日)は、日本の経営者。フジクラ社長、会長を務めた。秋田県出身。 1947年に東京大学工学部電気工学科を卒業し、同年に藤倉電線(のちのフジクラ)に入社。1973年11月に取締役に就任し、1977年に常務、1981年6月に専務を経て、1982年6月には社長に就任。1992年12月に会長に就任し、1993年6月から相談役を務めた。 1986年4月に藍綬褒章を受章し、1995年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2015年8月11日心不全のために死去。90歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
関根 太郎(せきね たろう、1925年1月22日 - 201… 関根 太郎(せきね たろう、1925年1月22日 - 2013年3月23日)は、日本の化学工学者。東京工業大学名誉教授。元木更津工業高等専門学校校長。 1944年東京工業大学電気化学科入学。1960年東京工業大学工学博士。東京工業大学大学院総合理工学研究科教授を経て、1985年退官、東京工業大学名誉教授。同年から1988年まで木更津工業高等専門学校校長を務めた。電気化学を専攻し、指導学生には谷口功元熊本大学学長、藤田玲子元日本原子力学会会長などがいる。 2004年4月瑞宝中綬章受章。 2013年3月23日、急性左心不全のため死去。
清水 司(しみず つかさ、1925年(大正14年)1月22日… 清水 司(しみず つかさ、1925年(大正14年)1月22日 - 2017年(平成29年)10月21日)は、日本の工学者。早稲田大学第11代総長。早稲田大学名誉教授。学校法人渡辺学園名誉理事長。専門は電波工学。1997年文化功労者。新潟県新潟市出身。位階は従三位。 1948年早稲田大学理工学部電気通信学科を卒業、1953年から同大にて大学院文部省特別研究生(1958年3月まで)。1960年工学博士(博士論文「フェライトを用いたマイクロ波回路素子の設計に関する研究」)。1953年同大助手に採用。専任講師、助教授を経て1965年から同大教授(1984年3月まで)。この間、1970年から常任理事(8年間)、1978年11月から第11代総長(4年間)を歴任。
石川 允(いしかわ まこと、1923年1月22日 - 202… 石川 允(いしかわ まこと、1923年1月22日 - 2020年2月21日)は、日本の都市計画家。指導者。長岡技術科学大学名誉教授。同大学で教授・副学長、東京電機大学建築学科教授、国土庁審議官などを歴任。都市計画コンサルタント協会認定都市プランナーマスター都市プランナー。 石川栄耀の長男として東京にて生まれる。旧制武蔵高等学校から東京帝国大学工学部建築科を経て軍に招集され、特攻部隊の司令官時に終戦となる。その後東大と戦災復興院で戦災復興都市計画に関与し、建設省・国土庁(現・国土交通省)、総理府首都圏整備委員会で、都市計画・建築行政などに携わった。 1977年、筑波研究学園都市の計画・建設で、今野博とともに日本都市計画学会設計賞を受賞した。
坂本 三十次(さかもと みそじ、1923年〈大正12年〉1月… 坂本 三十次(さかもと みそじ、1923年〈大正12年〉1月22日 - 2006年〈平成18年〉3月19日)は、日本の政治家。 衆議院議員(11期)。内閣官房長官(第53代)、労働大臣(第46代)を歴任。位階勲等は正三位勲一等旭日大綬章。 石川県鳳至郡(現鳳珠郡)穴水町出身。金沢一中、四高、1947年東北帝国大学法学部卒。1948年に石川県教育委員となる。 1967年、第31回衆議院議員総選挙に初当選(当選同期に山下元利・増岡博之・加藤六月・塩川正十郎・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・塩谷一夫・山口敏夫・水野清など)。以来連続当選11回。自民党内では傍流と呼ばれた三木→河本派に所属。三木武夫直系の硬骨漢、河本敏夫の側近として派内で重きをなす。
鳥井 道夫(とりい みちお、1923年1月22日 - 201… 鳥井 道夫(とりい みちお、1923年1月22日 - 2011年2月6日)は、日本の実業家。サントリー名誉会長。龍谷大学経済学部客員教授。 父はサントリー創業者である鳥井信治郎。妻は日本生命第5代社長弘世現の娘の準子。長男にサントリー副社長、3代目マスターブレンダーの鳥井信吾がいる。京都近鉄百貨店社長の若林誠郎、メルボ紳士服オーナーの清水貞夫大阪マルビル会長の吉本晴彦など関西の財界人や祇園・先斗町の元芸子など、同じ大正12年(1923年)生まれのメンバーで構成する「いのしし会」を開いており、酒食など行動を共にしていた。
青木 正久(あおき まさひさ、1923年1月22日 - 20… 青木 正久(あおき まさひさ、1923年1月22日 - 2001年8月6日)は、日本の政治家。環境庁長官(第20代)、衆議院議員(7期、自由民主党)。 父は自治庁長官を務めた青木正。 埼玉県北埼玉郡、のちの川里村(川里町を経て現鴻巣市)出身。東京大学法学部卒業後の1947年、東京新聞社に入社。ロンドン支局長、ニューヨーク支局長、政治部長、編集局長などを歴任した後、1966年退社し、翌1967年の衆院選に父・正の地盤を継ぎ旧埼玉4区から立候補し初当選。自民党内では中曽根康弘→渡辺美智雄派に属す。1988年12月、竹下改造内閣の環境庁長官として初入閣。翌年6月まで務めた。それ以降は地球環境問題をライフワークとするようになり、1992年、環境と開発に関する国際連合会議に参加。
赤羽 桂(あかはね かつら、1922年1月22日 - 197… 赤羽 桂(あかはね かつら、1922年1月22日 - 1972年11月3日)は、日本の大蔵官僚。理財局次長(理財担当)、関税局長などを歴任。 長野県出身。東京高校を経て東京帝国大学法学部法律学科卒業。1944年9月 大蔵省入省。総務局文書課属。 1945年5月 大臣官房文書課。1947年5月8日 水戸税務署長。1950年11月15日に主計局法規課長補佐となって以降は主に主計局でキャリアを歩んでいく。この間、経済企画庁や防衛庁への出向も経験する。1966年7月22日 主計局総務課長。1967年8月4日 経済企画庁調整局参事官。1969年8月 大蔵省大臣官房審議官(大臣官房担当)。1970年6月25日 理財局次長(理財担当)。
岸 昌(きし さかえ、1922年1月22日 - 2011年1… 岸 昌(きし さかえ、1922年1月22日 - 2011年1月21日)は、大阪府出身の日本の官僚、大阪府知事。位階は従三位。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
花田 圭介(はなだ けいすけ、1922年(大正11年)1月2… 花田 圭介(はなだ けいすけ、1922年(大正11年)1月22日 - 1996年(平成8年)2月16日)は、日本の哲学者。北海道大学名誉教授。イギリス経験論、フランシス・ベーコンを中心に科学論、社会思想史を研究。 東京出身。東京帝国大学卒。北大助教授、1966年(昭和41年)教授。1985年(昭和60年)定年退官、名誉教授、1987年(昭和62年)札幌学院大学教授。
朝長 康郎(ともなが やすろう、1921年(大正10年)1月… 朝長 康郎(ともなが やすろう、1921年(大正10年)1月22日 - 2014年(平成26年)4月17日)は日本の数学者。宇都宮大学名誉教授。東京帝国大学理学部卒業。また長女は財務大臣の片山さつきである。 長崎県長崎市出身。陸軍軍人で近衛騎兵隊長を務めた朝長三郎と埼玉県知事を歴任した銀林綱男の五女・銀林はたの長男として生まれる。旧制府立高等学校を経て東京帝国大学理学部を卒業し理学博士となる。文献上の職歴は初期の著書初版発行当時に宇都宮大学教授・理学博士であることが明記されている。また後年の書籍では教育学部教授とも記載している。後に宇都宮大学名誉教授の称号を授与された。また娘に参議院議員の片山さつきがいる。
小野田 勇(おのだ いさむ、1920年1月22日 - 199… 小野田 勇(おのだ いさむ、1920年1月22日 - 1997年7月15日)は、日本の脚本家、劇作家。 東京・四谷出身。中央大学(1941年)卒業。東京放送劇団に在籍していた。俳優としての実績もある。息子の小野田正も脚本家兼演出家であり、孫の小野田光は歌人兼フォトグラファーである。
細谷 貞雄(ほそや さだお、1920年1月22日 - 199… 細谷 貞雄(ほそや さだお、1920年1月22日 - 1995年12月8日)は、日本の哲学者である。東北大学・岡山大学名誉教授。 東京府出身。1942年東京帝国大学文学部哲学科卒。北海道大学助教授、1960年東北大学助教授、1968年東北大学教授、1977年東北大学名誉教授、岡山大学教授、1984年岡山大学定年退官、岡山大学名誉教授。
松田 岩男(まつだ いわお、1920年1月22日 - 199… 松田 岩男(まつだ いわお、1920年1月22日 - 1992年2月18日)は、日本の体育心理学者。 島根県浜田市生まれ。1945年東京文理科大学心理学科卒。1947年東京高等師範学校助教授、50年教授、1951年東京教育大学助教授、70年教授、1973年筑波大学教授、1981年上越教育大学副学長。85年退官、名誉教授。中京大学教授となり、1988年4月学長に就任。第14ー15期日本学術会議会員。1985年国際スポーツ心理学会功労賞。1992年2月18日、後述の事件にて客死する。享年72。 1992年2月18日、中京大学とマサチューセッツ大学ボストン校との交流協定締結のため、中垣昇経済学部教授らと共にボストン市内ウエスティンホテルに宿泊し、同日午後夕方より打ち合わせの予定があったところ襲撃される。
前田 正昭(まえだ まさあき、1920年(大正9年)1月22… 前田 正昭(まえだ まさあき、1920年(大正9年)1月22日 - 2008年(平成20年)9月8日)は、昭和期の華族(男爵)。別名直昭。 前田土佐守家第12代当主前田政雄の子として生まれる。1943年5月1日、祖父の死去に伴い男爵を襲爵した。 日本大学旧工学部機械科を卒業し日本曹達に入った。その後、前田土佐守家が所蔵する文化財を金沢市に寄付し前田土佐守家資料館設立に寄与した。また、2002年から2006年まで同館初代館長を務めた。
卞 鍾捧(ピョン・ジョンボン、朝鮮語: 변종봉、1919年1… 卞 鍾捧(ピョン・ジョンボン、朝鮮語: 변종봉、1919年1月22日 - 2000年6月19日)は、日本統治時代の朝鮮の銀行員、大韓民国の外交官、政治家。第6代韓国国会議員。本貫は草渓卞氏。 日本統治時代の慶尚南道陜川郡出身。釜山第2産業学校(現・開成高等学校(朝鮮語版))、横浜専門学校(現・神奈川大学)経済科卒。朝鮮殖産銀行調査部責任者を13年間務めたほか、外務部交易課長、駐日代表部大阪出張所長、忠州肥料工場次長、民主共和党慶南第9地区党委員長、国際連合総会韓国代表などを歴任した。1963年の第6代総選挙に山清・陜川選挙区から民主共和党所属で出馬して当選し、国会においては外務委員長を務めた。1966年には学校法人槿花学院を設立して理事長を務めた。
細井 卓(ほそい たかし、1919年1月22日 - 1990… 細井 卓(ほそい たかし、1919年1月22日 - 1990年12月24日)は、日本の経営学者。 東京出身。東京商科大学(現一橋大学)卒、三井本社、三井信託に勤務ののち、西南学院大学助教授、1956年名古屋大学経済学部助教授、60年教授、62年「配当政策」で名大経済学博士、69年から70年まで学部長。77年から83年まで日本経営財務研究学会初代会長。82年名大を定年退官、名誉教授となり、南山大学教授を務めた。ゼミの指導学生に岩間弘三十三フィナンシャルグループ会長など。
蝦名 賢造(えびな けんぞう、1918年(大正7年)1月22… 蝦名 賢造(えびな けんぞう、1918年(大正7年)1月22日 - 2009年(平成21年)1月3日)は、日本の海軍軍人、経済学者、伝記作家。専門は財政学。獨協大学名誉教授。 1918年、青森県東津軽郡小湊町(現平内町)で生まれた。旧制巣鴨中学校・浦和高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学経済学部に進学。1941年、繰り上げ卒業。海軍兵科予備学生(1期)として海軍に入隊。連合艦隊司令部附となり、海軍甲事件で負傷した宇垣纏の秘書を務め、『戦藻録』の一部を筆記した。最終階級は海軍大尉。 1945年、巣鴨経済専門学校教授に就いた。1947年、北海道大学法文学部予科専任講師に転じた。1950年、北海道総合開発委員会事務局次長に就任。
安田 義章(やすだ よしあき、本名:安田安造<やすだ やすぞ… 安田 義章(やすだ よしあき、本名:安田安造<やすだ やすぞう>、1918年<大正7年>1月22日 - 2008年<平成20年>10月18日)は、日本の性風俗研究家、AV男優である。最晩年の別称は安田老人。 1918年(大正7年)1月22日、指物師である父、安田利作、母、キヨノの長男として、東京都荒川区にて出生。生家は職人を何人も雇う、家具製造所であった。木工が好きではなかった安造は、高等小学校卒業後の1930年(昭和5年)、神田の文房具店に奉公に出された。 この頃、得意先の女子店員に誘惑されたり、公衆便所を覗いたりして性に目覚める。 その後、築地の魚河岸で働くが、1年もしないうちに辞め、実家へ戻った。
安川 敬二(やすかわ けいじ、1916年(大正5年)1月22… 安川 敬二(やすかわ けいじ、1916年(大正5年)1月22日 - 2009年(平成21年)7月10日)は、日本の実業家。 安川電機の創設者安川第五郎の次男として福岡県北九州市に生まれる。1940年(昭和15年)、東京帝国大学を卒業後、安川電機に入社。 1972年(昭和47年)、いとこである安川寛(第五郎の兄・安川清三郎の子)の後を受け安川電機の4代目社長に就任し、産業用ロボットの開発を推進した。 1985年(昭和60年)、創業家以外で初となる、菊池功に社長を譲り、会長に就任。1988年(昭和63年)に会長を退き、特別顧問を務めた。 また、1982年(昭和57年)より翌年まで日本電機工業会会長を務めた。
大迫 倫子(おおさこ りんこ、1915年1月22日 - 20… 大迫 倫子(おおさこ りんこ、1915年1月22日 - 2003年10月4日)は、日本の作家。
松浦 卓造(まつうら たくぞう、1915年1月22日 - 1… 松浦 卓造(まつうら たくぞう、1915年1月22日 - 1977年3月11日)は、将棋棋士。八段。神田辰之助九段門下。広島県三原市出身。棋士番号なし。 商業学校を中退後にアマチュア強豪として活躍。 入門は遅く、27歳だった1942年に神田辰之助に入門。28歳で二段。 1944年に四段に昇段。 戦後の1946年の順位戦C級クラスに参加、10勝4敗の好成績で六段特進。以後トントン拍子にA級へ昇級。 晩年は病気のために休場する事がしばしばあり、第30期順位戦B級2組を休場したのが順位戦の最後となった。 主催者変更問題に伴う順位戦の中断期間の最中、1977年3月11日に現役死去。 研究熱心で、豪快な攻め将棋で知られる。
田畑 金光(たばた かねみつ、1914年(大正3年)1月22… 田畑 金光(たばた かねみつ、1914年(大正3年)1月22日 - 2013年(平成25年)4月22日)は、昭和期の政治家。民社党衆議院議員、いわき市長。 鹿児島県大島郡龍郷町芦徳出身。 1932年鹿児島県立大島中学校 (旧制)卒業。1936年大阪高等学校 (旧制)文科卒業。1939年東京帝国大学法学部法律学科卒業。 大学卒業後は満州国政府に勤めながら、大同学院を卒業。1940年に従軍し、1945年に陸軍主計大尉で復員。 戦後、福島県の現いわき市に移り、1946年大日本炭鉱勿来鉱業所勤務。1947年(昭和22年)福島県議会議員に当選。右派社会党公認で、1953年(昭和28年)に第3回参議院議員通常選挙福島県選挙区で初当選。
福村 虎治郎(ふくむら とらじろう、1914年1月22日 -… 福村 虎治郎(ふくむら とらじろう、1914年1月22日 - 2002年2月20日)は、日本の英語学者。 北海道出身。1939年東京帝国大学文学部英文科卒。1961年「英語態の研究」で東京大学文学博士。北海道大学文学部助教授、教授、78年定年退官、名誉教授、帝京大学文学部教授。85年退職。
真保 正子(しんぼ まさこ、1913年1月22日 - 199… 真保 正子(しんぼ まさこ、1913年1月22日 - 1995年12月19日)は、日本の陸上競技選手・陸上競技指導者。元大谷女子大学教授。日本陸上競技連盟終身1種審判員。長野県上田市出身。上田高等女学校(現在の長野県上田染谷丘高等学校)、日本女子体育専門学校(現在の日本女子体育大学)卒業。
大橋 隆憲(おおはし りゅうけん、1912年1月22日 - … 大橋 隆憲(おおはし りゅうけん、1912年1月22日 - 1983年3月11日)は、日本の統計学者・僧侶。京都大学名誉教授。 新潟県加茂市生まれ。旧名・栄俊。1935年東京帝国大学文学部宗教学科卒、1940年京都帝国大学経済学部卒、同助手、1942年日本鋼管入社、1949年京都大学経済学部助教授、1965年教授。1963年 経済学博士の学位を取得。1966-1967年経済学部長、1975年定年退官、名誉教授となり、日本福祉大学教授、1982年花園大学教授を務めた。
中尾 喜久(なかお きく、男性、1912年1月22日 - 2… 中尾 喜久(なかお きく、男性、1912年1月22日 - 2001年6月21日)は、日本の内科学者。 茨城県真壁郡竹島村(現筑西市)出身。1936年東京帝国大学医学部卒、1943年医学博士。東京大学医学部助手、講師、助教授、1958年群馬大学教授、1963年東京大学教授。1972年定年退官、自治医科大学初代学長。1982年同大附属病院に地域診療所を設置。1996年学長退任、のち名誉学長。 この間、1959年中国医科大学名誉教授、1987年東大名誉教授。臨床血液学の世界的権威者として知られた。1964年ベルツ賞佳作賞受賞。1984年勲一等瑞宝章受勲。日本学士院会員。
河西 力雄(明治45年(1912年)1月22日 - 没年不明… 河西 力雄(明治45年(1912年)1月22日 - 没年不明)は日本の政治家。元鳥取県警部補。元境町会議員、境港市会議員。 鳥取県東伯郡三朝町大瀬出身。 昭和36年(1961年)9月、境港市議会副議長。 昭和41年(1966年)9月、境港市議会議長。 趣味は読書、釣。宗教は本門佛立宗。住所は境港市相生町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
菅原 克己(すがわら かつみ、1911年1月22日 - 19… 菅原 克己(すがわら かつみ、1911年1月22日 - 1988年3月31日)は、昭和期の詩人。宮城県出身。1927年に室生犀星の『愛の詩集』を読んだことをきっかけにその口語自由詩に影響を受け、私淑する。日本共産党員の時期もあったが、1961年の第8回党大会前に、党の紀律にそむき、意見書や声明を発表し、除名された。新日本文学会の中心メンバーのひとりとしての活動を続けながら詩作を続け、日本文学学校の講師も担当した。 1911年、宮城県亘理郡亘理町に生まれる。父新兵衛、母金の第四子。1914年、父が県視学となり、仙台市に移住。1917年、宮城県立師範学校附属小学校卒業、父が勤務先の角田高等女学校の校長室で急死。
池田 禎治(池田 禎治、いけだ ていじ、1910年1月22日… 池田 禎治(池田 禎治、いけだ ていじ、1910年1月22日 - 1977年2月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。 福岡県田川郡香春町出身。上京し、東京府立第五中学に学ぶ。総同盟本部書記、社会民衆党書記などを経て、労働運動に加入した。その後、都新聞、読売新聞、時事新報の政治部記者から、時事新報政治部長となった。 戦後、日本社会党の結党に参加し西尾末広系の党内社会党右派に所属。片山内閣で内閣総理大臣秘書官と西尾末広国務大臣秘書官を務めた。福岡県小倉市(現在の北九州市小倉南区蜷田若園近辺)の県営アパートの一室を借りて、かなり手狭な社会党支部を開いている。1960年1月、民主社会党(後の民社党)結党に参加。
西垣 徳雄(にしがき とくお、1910年1月22日 - 19… 西垣 徳雄(にしがき とくお、1910年1月22日 - 1989年5月13日)は、兵庫県出身の野球選手。1950年発足の国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)初代監督。
松木 謙治郎(まつき けんじろう、1909年1月22日 - … 松木 謙治郎(まつき けんじろう、1909年1月22日 - 1986年2月21日)は、福井県敦賀市出身のプロ野球選手(一塁手)・監督・指導者・解説者。
星野 元豊(ほしの げんぽう、1909年1月22日-2001… 星野 元豊(ほしの げんぽう、1909年1月22日-2001年5月24日)は、浄土真宗の僧侶、仏教学者。 鹿児島県生まれ。同県大口市(現・伊佐市)出身。1933年、龍谷大学宗教学科卒業。龍谷大学講師、助教授を経て、1949年文学部教授。1961年「宗教本質論」で龍谷大学より文学博士の学位を取得。1964年学長。1969年定年退職、名誉教授。浄土真宗本願寺派大嵓寺住職。 1981年、勲三等瑞宝章受勲。 昭和30年代、家永三郎らと念仏呪術論争に関わる。
於保 不二雄(おほ ふじお、1908年(明治41年)1月22… 於保 不二雄(おほ ふじお、1908年(明治41年)1月22日 - 1996年(平成8年)1月14日)は、日本の法学者。専門は民法。京都大学名誉教授。学位は、法学博士(京都大学・1955年)。山口県下関市出身。弟子に奥田昌道など。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
本部 均(ほんぶ ひとし、1908年1月22日 - 2005… 本部 均(ほんぶ ひとし、1908年1月22日 - 2005年5月9日)は、日本の数学者。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。専攻は微分幾何学。多数の学習参考書、受験参考書の執筆、編著でも知られる。 石川県出身。第四高等学校を経て、1930年東北帝国大学数学科卒業。北海道帝国大学助手、九州帝国大学助教授、同教授を歴任。1952年旧・東京都立大学教授となる。1971年の定年後、東海大学教授に転ずる。 東京出版の月刊誌『大学への数学』で、創刊号から長年執筆を続けていた。 2005年5月9日、肺気腫のため死去。
堀野 正雄(ほりの まさお、1907年1月22日 - 199… 堀野 正雄(ほりの まさお、1907年1月22日 - 1998年12月24日)は、日本の写真家である。新興写真の主要な担い手の一人。 1907年 (明治40年) 1月22日、東京市京橋区木挽町(現・東京都中央区銀座)生まれ。父・寛次郎、母・千代の四男三女の三男として生まれた。父親は仁和印刷株式会社と質店を合わせて経営しており、堀野の回想によれば非常に新しもの好きだったという。父親が、当時としてはかなり高価なカメラを持っていてアマチュア写真家として熱心に撮影しており、その影響を受けた。 1919年 (大正8年) 築地尋常小学校を卒業、同年芝中学校に入学、この頃から写真に興味を持ち始める。 1923年 (大正12年)、東京・赤坂の演技座で上演された高田雅夫舞踊団の新帰朝第1回舞踊公演を、舞台上の照明のみで、上演の様子をそのまま撮影することに成功、それを高田に見せたところ写真のできを賞賛された縁で、同舞踊団の撮影を続けることになった。
名渡山 愛順(などやま あいじゅん、1906年(明治39年)… 名渡山 愛順(などやま あいじゅん、1906年(明治39年)1月22日 - 1970年8月4日)は、沖縄県出身の洋画家。 那覇市松下町のかすり問屋の長男に生まれる。父が幼少時に死去したため、母の手一つで育てられた。 1918年(大正7年)、沖縄県立第二中学校に入学するが、生来病弱であったため、病気で2年間休学する。1922年(大正11年)、美術教諭として赴任してきた比嘉景常から西洋画と琉球文化の指導を受け、それが名渡山の進路に影響を与えた。中学卒業後1年の浪人を経て、1927年(昭和2年)、東京美術学校西洋画科に進み、和田三造、金山平三に指導を受ける。翌1928年(昭和3年)には帝展入選を果たした。
椋 鳩十(むく はとじゅう、1905年1月22日 - 198… 椋 鳩十(むく はとじゅう、1905年1月22日 - 1987年12月27日)は、日本の小説家、児童文学作家、鹿児島県立図書館長、教員。本名は久保田 彦穂(くぼた ひこほ)。日本における動物文学の代表的人物である。 1947年から19年間務めた鹿児島県立図書館長時代には、第二次世界大戦で崩壊した図書館機能の再建のため、市町村図書館と共同運営を行い、市町村図書館を設置できない市町村には図書館を設置して県立図書館が支援するという、のちの図書館ネットワークの原型となる、図書館学において「鹿児島方式」と呼ばれるものを構築した。 1905年1月長野県下伊那郡喬木村阿島北にて、父(金太郎)、母(たき)の次男として誕生。