堀越 芳昭(ほりこし よしあき、1944年4月22日 - )… 堀越 芳昭(ほりこし よしあき、1944年4月22日 - )は、日本の経済史学者、元山梨学院大学教授。名古屋市生まれ。JC総研特別研究員、公正取引委員会独占禁止政策協力委員、日本協同組合学会会長。協同組合を研究した。
4月22日生まれ:304人
堀越 芳昭(ほりこし よしあき、1944年4月22日 - )… 堀越 芳昭(ほりこし よしあき、1944年4月22日 - )は、日本の経済史学者、元山梨学院大学教授。名古屋市生まれ。JC総研特別研究員、公正取引委員会独占禁止政策協力委員、日本協同組合学会会長。協同組合を研究した。
山川 征夫(やまかわ ゆきお、1944年4月22日 - )は… 山川 征夫(やまかわ ゆきお、1944年4月22日 - )は、日本の実業家。整理回収機構副社長や西武鉄道代表取締役副社長を歴任した。元ダイヤモンド信用保証社長。 一橋大学卒業後、1969年三菱銀行入行。 東京三菱銀行取締役審査第二部長等を経て、2002年株式会社整理回収機構副社長に就任。同年改正された金融再生法で、企業再生が回収機構の主要な役割の一つとされたことから設置された企業再生ファンド創設検討プロジェクトチームの責任者を務めた。 2004年に西武鉄道グループのオーナーであった堤義明が逮捕されたことを受け、2005年から西武の主要取引銀行であった東京三菱銀行出身者として西武鉄道専務取締役に就任し、西武グループの再建にあたる。
中村 僖良(なかむら きよし、1942年4月22日 - ) … 中村 僖良(なかむら きよし、1942年4月22日 - ) は、日本の電子工学者。東北大学名誉教授。元電子情報通信学会基礎・境界ソサイエティ会長。 長野県生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、1966年東北大学工学部通信工学科卒業。1968年東北大学大学院工学研究科電気及通信工学専攻修士課程修了、東北大学助手。清水洋の下で、圧電振動子関連の研究を始める。1975年工学博士。1976年東北大学工学部助教授。1988年東北大学工学部教授。1996年電子情報通信学会超音波研究専門委員会顧問。2000年電子情報通信学会基礎・境界ソサイエティ会長。電気通信工学振興会理事長、半導体研究振興会理事、日本学術振興会弾性波素子技術第150委員会副委員長なども歴任した。
杉田 和博(すぎた かずひろ、1941年〈昭和16年〉4月2… 杉田 和博(すぎた かずひろ、1941年〈昭和16年〉4月22日 - 2025年〈令和7年〉12月21日)は、日本の警察官僚。位階は正三位。神奈川県警察本部長、内閣情報調査室長、内閣情報官、内閣危機管理監、内閣官房副長官兼内閣人事局長などを歴任した。 埼玉県出身。埼玉県立浦和高等学校卒業、東京大学法学部卒業。地下鉄サリン事件、國松孝次警察庁長官狙撃事件、在ペルー日本大使公邸占拠事件当時の警察庁警備局長。性格は温和で、高い調整能力で知られる一方、「諜報のプロ」と呼ばれるなど「危機管理には通じているが、社会福祉や経済といった国民生活全体を見渡す視野の広さに欠けている」との評価もある。警察ではほぼ一貫して警備・公安畑を歩み、警備局長を経て内閣官房にて内閣情報調査室長、内閣情報官、内閣危機管理監として政権中枢で公安と危機管理を担った。
児玉 禎彦(こだま よしひこ、1941年4月22日 - )は… 児玉 禎彦(こだま よしひこ、1941年4月22日 - )は兵庫県出身の元プロ野球選手(二塁手、三塁手、遊撃手、外野手)。
斎藤慎一郎(さいとう しんいちろう 1940年4月22日 -… 斎藤慎一郎(さいとう しんいちろう 1940年4月22日 - 2007年12月16日)は神奈川県横浜市出身の童話作家、詩人、クモ研究家。「クモクモ仙人」と呼ばれた。中池見湿地のクモを調査したことがきっかけで同湿地の保護など地球環境保護の問題にも取り組んだ。 東京教育大学(芸術学)卒業。日本蜘蛛学会、山村民俗の会、国際泥炭学会(IPS)、世界自然保護基金日本委員会、東京・中部・三重蜘蛛談話会会員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
6代目 小川 後楽(おがわ こうらく、1940年4月22日 … 6代目 小川 後楽(おがわ こうらく、1940年4月22日 - 2016年9月19日)は、煎茶家(小川流煎茶6代目家元)。筆名は楢林 忠男。京都造形芸術大学教授および同大学理事を兼任した。また関西学院大学非常勤講師、佛教大学客員教授としても教壇に立った。専門は日本文化論、伝統芸能史。 京都府京都市出身。1963年(昭和38年)、立命館大学文学部日本史学科卒業。奈良本辰也の下で日本近世思想史を専攻し、卒業後は京都芸術文化研究所に入所した。1971年(昭和46年)、小川流煎茶家元を継承する。 1991年(平成3年)より、京都造形芸術大学客員教授に就任。 1979年(昭和54年)、第1回訪中以後、ほぼ毎年1-3回、現在までにおよそ四十回近く訪中。
柴田 昌宏(しばた まさひろ、1940年4月22日 - )は… 柴田 昌宏(しばた まさひろ、1940年4月22日 - )は、日本の元俳優、鍼灸師。 俳優の潮万太郎を父に持ち、姉に女優の弓恵子、弟に俳優の柴田侊彦という役者家族に育つ。 早稲田大学文学部卒業。1961年に俳優座の養成所に入所、1964年に劇団雲に参加。役者仲間からは「マーチャン」のあだ名を付けられていた。日本テレビの数ある青春ドラマで出演を重ねるが、家族ほどの役には恵まれず引退したのち鍼灸師となり鍼灸院を開業する傍ら太極拳講師としても活動している。
蒲原 弘幸(かもはら ひろゆき、1939年4月22日 ‐ )… 蒲原 弘幸(かもはら ひろゆき、1939年4月22日 ‐ )は、日本の高校野球指導者。佐賀県出身。4校を甲子園大会に導いている。 佐賀県佐賀市(旧川上村)の生まれ。上京後、東京都立田園調布高等学校に進学。早稲田大学では野球部で三塁コーチを務めた。卒業後は河合楽器硬式野球部に所属したが、教員試験合格後、1964年に佐賀県立佐賀商業高等学校の監督に就任。翌年に第47回全国高等学校野球選手権大会出場に導いたが、スパルタ指導が問題視され辞任。その後、千葉県に移り、千葉県立東金商業高等学校では甲子園に導けなかったが、千葉県立千葉商業高等学校では1970年の第42回選抜高等学校野球大会に導いている。1974年に千葉県立印旛高等学校に移り3度の甲子園出場を果たす。
高見 成昭(たかみ しげあき、男性、1939年4月22日 -… 高見 成昭(たかみ しげあき、男性、1939年4月22日 - )は、愛媛県宇和島市出身の空手家。大山倍達の命により設立された極真会館愛媛県支部長・極真会館(松井派)四国本部長を歴任し、現在は空手道 高見空手の総師。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
三宅 一生(みやけ いっせい、Issey Miyake、19… 三宅 一生(みやけ いっせい、Issey Miyake、1938年〈昭和13年〉4月22日 - 2022年〈令和4年〉8月5日)は、日本のファッションデザイナー。広島県広島市東蟹屋町(現在の同市東区)出身。 広島市立尾長小学校在学中7歳のとき被爆。広島大学附属東雲中学校~広島県立広島国泰寺高等学校卒業。小学校高学年のときの担任が絵の先生で、絵を描く楽しさを教えてもらう。広島の美術館や岡山県倉敷の大原美術館にもよく通った。ルオーが好きだったという。周囲から「将来は絵描きになるの?」とよく聞かれたが、絵描きは貧乏イメージがあったから、大人になってからの職業にしようとは考えなかった。また当時は被爆都市を励ますという意味での宝塚の広島公演がよくあり、5歳上の姉に連れて行ってもらった。
加治屋 義人(かじや よしと、1938年4月22日 - 20… 加治屋 義人(かじや よしと、1938年4月22日 - 2018年11月12日)は、日本の政治家。 自由民主党所属の参議院議員(2期)、宏池会副会長、農林水産副大臣(第2次安倍内閣)、農林水産大臣政務官(第2次小泉改造内閣)鹿児島県議会議員(3期)、鹿児島市議会議員(4期)などを歴任。 鹿児島県鹿児島市吉野町出身。1957年鹿児島県玉龍高等学校(現・鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校)卒業。高校では野球部に所属し、春の甲子園大会に出場。 1963年、参議院議員・谷口慶吉の秘書となる。1976年、鹿児島市議会議員選挙に立候補し初当選、以降4期務めた。1991年、鹿児島県議会議員選挙に自民党公認で鹿児島市選挙区より出馬し初当選。
渡辺 格(わたなべ ただし、1937年4月22日 - )は、… 渡辺 格(わたなべ ただし、1937年4月22日 - )は、日本の文筆家、動物評論家。 東京に、フランス文学者・渡辺一夫の長男として生まれる。東京都立小石川高等学校卒、東京大学教養学部教養学科フランス科卒。 大学卒業後、日本航空に入社、パリ、ブリュッセルに9年間滞在。1994年退社し、ヨーロッパ流の犬の飼い方に関心をもち著作、翻訳を行う。趣味の釣りに関する著作もある。
恵川 康太郎(えがわ やすたろう、1936年4月22日 - … 恵川 康太郎(えがわ やすたろう、1936年4月22日 - )は、広島県三原市出身の元プロ野球選手。
内田 勝(うちだ まさる、1935年4月22日 - 2008… 内田 勝(うちだ まさる、1935年4月22日 - 2008年5月30日)は、日本の雑誌編集者。北海道生まれ。 講談社発行の漫画雑誌『週刊少年マガジン』第3代編集長。 1935年北海道に出生し、小学6年生から埼玉県越生町へ転居する。地元の小中学校を卒業後、川越高校を経て東京教育大学へ入学する。在学中に結核を患い、1年間休学した。1959年に講談社を受験し、一度は身体検査で不合格となったが、大学の主任教授梅根悟の推薦状で入社を許された。 『週刊少年マガジン』には創刊時から携わり、1965年に第3代編集長に就任する。怪獣ものの企画で同誌の売上を伸ばし、30万部だった発行部数を1年で50万部に増大させた。
藤田 崇(ふじた たかし、1935年4月22日 - 2020… 藤田 崇(ふじた たかし、1935年4月22日 - 2020年11月16日)は、日本の土木・地質学者。理学博士(大阪市立大学)。大阪工業大学名誉教授。日本地形学連合元会長・名誉会員。日本地質学会名誉会員。斜面災害対策における地質学的研究の第一人者の一人。瑞宝中綬章受章。 専門は、土木地質学・防災工学(特に斜面災害)、地学・地すべり学・測量学。 1935年島根県生まれ。1958年大阪市立大学理工学部地学科卒業。のちに、大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院にて理学博士(大阪市立大学)。原子燃料公社(現:日本原子力研究開発機構JAEA)にて、地質探査・研究に従事。1973年大阪工業大学工学部土木工学科に助手として着任。
石川 春律(いしかわ はるのり、1935年4月22日 - 2… 石川 春律(いしかわ はるのり、1935年4月22日 - 2008年9月23日)は、日本の細胞生物学者、医師。群馬大学名誉教授。日本電子顕微鏡学会会長や、日本細胞生物学会会長を務めた。 鹿児島県出水市出身。1960年九州大学医学部医学科卒業後、整形外科入局。1965年九州大学大学院医学研究科修了、医学博士。1966年ペンシルベニア大学医学研究員。1972年東京大学医学部助教授。1983年群馬大学医学部解剖学第二講座教授。1994年群馬大学医学部長、日本細胞生物学会会長。2000年日本電子顕微鏡学会会長。2001年群馬大学名誉教授。2008年没。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
相澤 嘉久治(あいざわ かくじ、1934年(昭和9年)4月2… 相澤 嘉久治(あいざわ かくじ、1934年(昭和9年)4月22日- )は、日本の劇作家、放送作家。放送作家名は山形三吉。 山形県東村山郡山辺町出身。山形県立山形南高等学校卒、早稲田大学第一文学部中退。 劇団中央芸術劇場を経て1959年、東京芸術座結成に参加。1969年に同劇団退団。以後フリーの劇作家、放送作家として活動した後、1976年に出身地の山形県に帰郷。創刊した総合芸術誌月刊『場』が廃刊となったのを機に、マスコミの集中独占の排除を訴える運動を始める。山形県下の山形新聞・山形放送(YBC)によるマスコミ独占状況に批判的な立場から、「マスコミの集中排除運動」の機関誌としての月刊『V』を創刊。 相澤が発行人をつとめた『うぃずY』は、1987年に「NTT全国タウン誌フェスティバル」(現在終了)で大賞を受賞した。
北沢 恒彦(きたざわ つねひこ、1934年4月22日 - 1… 北沢 恒彦(きたざわ つねひこ、1934年4月22日 - 1999年11月22日)は、日本の社会運動家。文筆家。元京都市役所職員。 京都市出身。黒川創は息子。北沢街子は娘。秦恒平は弟。 1952年京都府立鴨沂高等学校在学中、朝鮮戦争への反戦運動に加わり、逮捕。1960年同志社大学法学部卒業。また大学卒業後に製パン業の老舗・進々堂に勤め労働争議を経験。 その後、雑誌『思想の科学』の編集、執筆に関わる。1962年京都市役所勤務。66年京都市中小企業指導所に勤務、診断士となる。 京都ベ平連に参加し、67年まで事務局長を務める。 1984年大阪市立大学大学院経済学研究科修士課程修了。1995年京都市役所を定年退職。
乾 正雄(いぬい まさお、1934年4月22日-2020年8… 乾 正雄(いぬい まさお、1934年4月22日-2020年8月20日 )は、日本の建築学者。照明と色彩の専門家。東京工業大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。1964年同大学院博士課程修了、「色彩計画理論に関する研究」で東大にて工学博士。東京工業大学助教授、教授、95年定年退官、名誉教授、武蔵工業大学教授。2005年退任。建築における色彩、照明などの心理を研究する。人が主に視覚によって受け止める空間の大きさの感じを評価する指標として、「開放感」を提案した。
赤江 瀑(あかえ ばく、本名:長谷川 敬(はせがわ たかし)… 赤江 瀑(あかえ ばく、本名:長谷川 敬(はせがわ たかし)、1933年4月22日 - 2012年6月8日)は、日本の小説家。歌舞伎や能などの伝統芸能を題材にした小説や、京都を舞台にした作品を数多く発表。耽美的、伝奇的な作風で、熱烈な支持者を持つ。 2度候補となった直木賞受賞はならなかったものの、『オイディプスの刃』で第1回角川小説賞、『海峡』『八雲が殺した』で第12回泉鏡花文学賞を受賞している。 1933年、山口県下関市で教員の両親の間に6人兄弟の次男として生まれる。本名:長谷川敬。戦争中は豊浦郡豊東村(現・下関市菊川町)に疎開した。 1946年、山口県立豊浦中学校(現・山口県立豊浦高等学校)に入学。
青木 正美(あおき まさみ、男性、1933年4月22日 - … 青木 正美(あおき まさみ、男性、1933年4月22日 - )は、古書店主、日本近代文学研究者。
久米 あつみ(くめ あつみ、1933年4月22日 - 202… 久米 あつみ(くめ あつみ、1933年4月22日 - 2026年6月1日)は、日本のフランス文学者、キリスト教神学者。東京女子大学名誉教授。ジャン・カルヴァン研究者。 長崎県佐世保市に牧師・小塩力の娘として生まれる。兄は独文学者・小塩節。夫は哲学者・久米博。青山学院高等部卒。1957年東京大学仏文科卒、1959年同大学院仏文学専攻修士課程修了。1966年から1967年にストラスブール大学神学部大学院に学ぶ。東京女子大学助教授、教授、帝京大学教授、2004年定年退任。
山之内 靖(やまのうち やすし、1933年4月22日 - 2… 山之内 靖(やまのうち やすし、1933年4月22日 - 2014年2月2日)は、日本の社会学者、歴史学者。東京外国語大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授。専門は、現代社会理論、歴史社会学。 1933年、東京で生まれた。東京大学経済学部に入学し、大塚久雄に師事。卒業後、同大学大学院社会科学研究科に進んだ。 その後、東京外国語大学外国語学部教授に就任。1968年、学位論文『イギリス産業革命の史的分析』を東京大学に提出して経済学博士の学位を取得。在任中には附属図書館長も務めた。1996年からフェリス女学院大学文学部および国際交流学部で教鞭をとった。 2014年2月2日死去。80歳没。
東泉 東二(とうせん とうじ、1932年4月22日)は、静岡… 東泉 東二(とうせん とうじ、1932年4月22日)は、静岡県出身のプロ野球選手(投手)。 静岡県立韮山高等学校在学中には、1950年の第22回選抜高等学校野球大会に出場。速球、ドロップを武器に、エースとして全4試合に投げ抜き、同校の初出場初優勝に大きく貢献した。この大会での活躍が目に留まり、翌1951年に東急フライヤーズに入団。しかしプロの壁は厚く、8試合登板・未勝利に終わり、1953年に退団。プロ退団後は日本石油でプレーした。 非常に練習熱心な選手で、シャドーピッチングで自宅の部屋をボロボロにしたというエピソードが残っている。
冨田 勲(とみた いさお、1932年〈昭和7年〉4月22日 … 冨田 勲(とみた いさお、1932年〈昭和7年〉4月22日 - 2016年〈平成28年〉5月5日)は、日本の作曲家、編曲家、シンセサイザー・アーティスト(シンセサイザー音楽作家、シンセサイザー奏者)。 1950年代、慶應義塾大学文学部在学中に作曲家として活動を始め、NHKや民放のラジオ番組、テレビ番組、映画、虫プロダクション関連のアニメーション等々、映像作品の音楽を数多く担当した。これらの作品は後年のシンセサイザー・サウンドとの連続性は少なく、むしろ親しみやすいオリジナルメロディ、時にジャズ調も交えた華麗なオーケストレーションなどで高く評価された。現在も多くの作品がCD等で愛聴されている。#主な作品を参照。
児玉 正憲(こだま まさのり、1932年4月22日 - )は… 児玉 正憲(こだま まさのり、1932年4月22日 - )は、日本の経営学者(専門は生産管理)。理学博士、九州大学名誉教授、広島修道大学名誉教授(元学長)。 広島県出身。1955年広島大学文理学部卒業。1960年九州大学大学院理学研究科修士課程修了。九州大学経済学部教授、九州大学経済学部長、広島修道大学学長を歴任。 日本生産管理学会(会長)、日本オペレーションズ ・リサーチ学会(九州支部顧問)、日本経営工学会(九州支部顧問)、他。 2009年4月瑞宝中綬章受章。
片山 嘉視(かたやま よしみ、1932年4月22日 - )は… 片山 嘉視(かたやま よしみ、1932年4月22日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。 済々黌高校から専修大学を経て1955年に阪急ブレーブスへ入団。1956年に引退。
駒村 秀雄(こまむら ひでお、1932年4月22日 - 20… 駒村 秀雄(こまむら ひでお、1932年4月22日 - 2003年10月21日)は、日本の経営者。アール・エフ・ラジオ日本社長を務めた。兵庫県出身。 1955年に大阪市立大学商学部を卒業し、同年に倉敷レイヨンに入社。日本水産での勤務を経て、1962年にラジオ関東(のちのアール・エフ・ラジオ日本)取締役に就任し、1965年に常務、1969年に副社長を経て、1987年には社長に就任。1994年に会長に就任。 2003年10月21日に虚血性心不全のために死去。71歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
田中 瑤子(たなか ようこ、1932年4月22日 - 199… 田中 瑤子(たなか ようこ、1932年4月22日 - 1999年9月11日)は、日本のピアニスト。鳥取県出身。夫は合唱指揮者で東京混声合唱団の桂冠指揮者である田中信昭。日本演奏連盟、日本現代音楽協会所属。 アンサンブル・ピアニストとして合唱団と共演することも多く、数多くの合唱組曲の初演にピアニストとして関わった。特に三善晃からの信頼は厚く、「五つの童画」や「オデコのこいつ」、「交聲詩 海」など、多くの三善晃の作品の初演のピアノを担当している。 3歳の時からピアノやソルフェージュを学ぶ。東京藝術大学ピアノ科に入学し、藤村るり子、福井直俊、ハンス・カンに師事。大学入学直後に肺結核に罹患するも、病と戦いながら1956年に同大学を卒業。
元原 利文(もとはら としふみ、1931年4月22日 - 2… 元原 利文(もとはら としふみ、1931年4月22日 - 2018年9月21日)は、最高裁判所判事。弁護士。 兵庫県高砂市出身。京都大学法学部卒業。1955年(昭和30年)に弁護士登録。神戸弁護士会に所属し、兵庫県地方労働委員会委員長などを経験した。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では事務所が被害を受けた。震災による土地建物に関する多発を見越して、神戸地裁に調停委員の増員や調停室の補充などを進言した。 1997年 (平成9年)9月8日に最高裁判所判事に就任。弁護士枠の最高裁判所判事として日弁連は当初は別の人が就任予定だったが、その人物は文部省の教科書検定の違憲性を争う教科書訴訟で原告代理人を務めるなど革新色が強い候補だったため、最高裁が任命権限を持つ内閣の了解が得られないとして他の候補を探した結果、元原となった経緯がある。
辻井 達一(つじい たついち、1931年4月22日 - 20… 辻井 達一(つじい たついち、1931年4月22日 - 2013年1月15日)は、日本の植物生態学者。学生の頃から湿原の調査に取り組んできた。北海道環境財団理事長、環境省ラムサール条約湿地検討会座長。 東京都生まれ。東京都立青山高等学校を経て、1954年北海道大学農学部卒業。理学博士。北海道大学農学部助教授、教授、同附属植物園長、北星学園大学教授を務めた。2012年瑞宝小綬章受章。同年、北海道新聞文化賞受賞。 2012年7月にルーマニアで開かれたラムサール条約締約国会議でラムサール賞を受賞、その帰国後に前立腺がんが見つかり入院。 2013年1月15日、死去。81歳没。
橋本 洋二(はしもと ようじ、1931年4月22日 - )は… 橋本 洋二(はしもと ようじ、1931年4月22日 - )は、日本の元テレビジョンプロデューサー、ラジオディレクター。 1931年4月22日、鳥取県出身。東京教育大学卒業後、1954年にラジオ東京(後のTBSラジオ)に入社。ラジオ東京時代にはラジオドラマや教育ドキュメンタリーの番組を多く手掛ける。 ラジオディレクター時代には後にテレビドラマでコンビを組むことになる佐々木守の脚本で横山光輝の漫画作品『少年ロケット部隊』をドラマ化したり、ドキュメンタリー「伸びゆく子供たち」など数多くの作品の制作に関わった。 1966年に東京放送映画部へ異動となり、「ブラザー劇場」(月曜19時30分枠)で放映された『コメットさん』(1967年、国際放映)を始めとするテレビドラマの制作にプロデューサーとして関わる。
松永 伍一(まつなが ごいち、1930年4月22日 - 20… 松永 伍一(まつなが ごいち、1930年4月22日 - 2008年3月3日)は、日本の詩人、文学・美術関係の評論家、作家。 福岡県大木町出身。福岡県立八女高等学校卒。詩人の丸山豊と出会い、詩誌「母音」に参加した。中学教師を経て、1957年に上京して文筆活動に入る。1955年に詩集を刊行し、農民や切支丹、落人などの敗者や弱者への共感を叙情的に歌い上げる作風で知られる。このほか、児童文学、美術関係の評論、いわさきちひろの画集編纂、五木寛之との対談、小説など多岐にわたる著述を残した。子守歌の研究でも知られた。1970年『日本農民詩史』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した。 2008年3月3日午前0時7分、心不全のため東京都練馬区の病院で死去。
新川 和江(しんかわかずえ、1929年4月22日 - 202… 新川 和江(しんかわかずえ、1929年4月22日 - 2024年8月10日)は、日本の詩人。 西條八十に師事。第1詩集『睡り椅子』(1953年)を刊行し、詩誌「地球」の同人となった。愛情にあふれた詩風が特徴。作品に『ローマの秋・その他』(1965年)、『ひきわり麦抄』(1986年)、『いつもどこかで』(1999年)、『記憶する水』(2007年)など。 息子に作曲家・編曲家・キーボーディストの新川博がいる。 茨城県結城市出身。県立結城高等女学校(のちの茨城県立結城第二高等学校)卒業。小学校のころより野口雨情などの童謡に親しみ、定型詩などを作る文学少女だった。女学校在学中、近くに疎開してきた詩人の西條八十に詩の手ほどきを受けた。
加賀 乙彦(かが おとひこ、1929年〈昭和4年〉4月22日… 加賀 乙彦(かが おとひこ、1929年〈昭和4年〉4月22日 - 2023年〈令和5年〉1月12日)は、日本の小説家、医学者(犯罪心理学)、精神科医。勲等は旭日中綬章。学位は医学博士(東京大学・1960年)。日本芸術院会員、文化功労者。本名は小木 貞孝(こぎ さだたか)で、本名でも著作がある。 東京大学医学部助手、東京大学医学部脳研究所助手、東京拘置所医務部技官、フランスのパリ大学サンタンヌ病院とサンヴナン病院の医師、東京大学医学部附属病院精神科助手、東京医科歯科大学医学部助教授、上智大学文学部教授などを歴任した。 東大を卒業してフランスに留学した後、『帰らざる夏』(1973年)で谷崎潤一郎賞を受賞。
近 泰男(こん やすお、1928年〈昭和3年〉4月22日 -… 近 泰男(こん やすお、1928年〈昭和3年〉4月22日 - 2017年〈平成29年〉11月18日)は、日本の家族計画運動家。元日本家族計画協会会長・理事長、元ジョイセフ(家族計画国際協力財団)理事長・顧問。 新潟県新潟市出身。1941年(昭和16年)に新潟中学校に入学、1944年(昭和19年)に海軍飛行予科練習生として美保海軍航空隊に入隊、1945年(昭和20年)に新潟中学校を卒業、1951年(昭和26年)に中央大学専門部法科を卒業。 1946年(昭和21年)から日本生産合作社協会に勤務、1949年(昭和24年)から東京公衆衛生協会に勤務、1956年(昭和31年)に日本家族計画普及会理事に就任、1961年(昭和36年)に東京寄生虫予防協会理事に就任、1964年(昭和39年)に日本家族計画協会常務理事に就任、1966年(昭和41年)に日本家族計画協会事務局長に就任、1967年(昭和42年)に東京都予防医学協会理事に就任、日本家族計画協会専務理事に就任、1988年(昭和63年)にジョイセフ事務局長に就任、1990年(平成2年)にアジア人口・開発協会理事に就任、2000年(平成12年)に日本家族計画協会理事長に就任、2003年(平成15年)にジョイセフ理事長に就任、2012年(平成24年)に日本家族計画協会会長に就任。
山口勝弘(やまぐち かつひろ、1928年4月22日 - )は… 山口勝弘(やまぐち かつひろ、1928年4月22日 - )は日本の前衛芸術家。戦後まもなく造形作家として活動を開始し、その後ビデオメディアを用いた表現へと移行。日本におけるメディアアートの先駆者として知られている。筑波大学名誉教授、神戸芸術工科大学名誉教授。
犬丸 義一(いぬまる ぎいち、1928年4月22日 - 20… 犬丸 義一(いぬまる ぎいち、1928年4月22日 - 2015年10月2日)は、日本の歴史学者。専門は日本近代史。本名・小山義一。 朝鮮平壌生まれ。本籍・福岡県。1945年4月旧制福岡高校に進学する。1948年3月卒業後一時期福岡県の新制中学校の社会科教師となる。1949年4月東京大学に入学し、同年5月に日本共産党に入党した。1952年に東京大学文学部国史学科を卒業して、同大学院に進学する。 1953年3月中国で労働者農民に日本近代史を教える仕事に就くため、静岡県焼津港から漁船(いわゆる人民艦隊)で密航して中国に渡り、中国人民大学第二分校の助教となる。1957年3月同校閉鎖後は上海・復旦大学歴史系研究生(大学院生)となる。
内山 清(うちやま きよし、1927年4月22日 - 201… 内山 清(うちやま きよし、1927年4月22日 - 2013年8月24日)は和歌山県西牟婁郡上富田町出身の元プロ野球選手(投手)。元高校野球指導者。
高木 博(たかぎ ひろし、1926年(大正15年)4月22日… 高木 博(たかぎ ひろし、1926年(大正15年)4月22日 - 1996年(平成8年)6月29日)は、日本の政治家。福島県須賀川市長(4期)。 福島県郡山市出身。旧制安積中学(現・福島県立安積高等学校)を経て、陸軍士官学校に入る。1945年(昭和20年)終戦により同校が閉鎖されたため中退となる。戦後、福島県庁に入り、農政課長、土木部次長、福島県立医科大学事務長などを歴任する。1981年(昭和56年)須賀川市助役に就任。1984年(昭和59年)須賀川市長に当選。4期務める。1996年(平成8年)4月に無投票で4回目の当選を果たしたが、5月に体調を崩して入院。6月29日に須賀川市内の病院で肝不全で死去した。
岡山 誠司(おかやま せいじ、1926年4月22日 - )は… 岡山 誠司(おかやま せいじ、1926年4月22日 - )は、日本の情報工学者、物理学者、一橋大学名誉教授。 富山県新湊市中伏木(現・射水市)生まれ。第四高等学校卒、1948年東京帝国大学理学部物理学科卒、1962年東京工業大学工学博士。1948年東京工業大学助手、1963年同工業教員養成所助教授、1969年同工業材料研究所助教授を経て1969年一橋大学経済学部教授。1990年定年退官、名誉教授となる。情報科学、計量情報学。温度基準の理論的設計、標準計測法が専門。
伊丹 公子(いたみ きみこ、1925年4月22日 - 201… 伊丹 公子(いたみ きみこ、1925年4月22日 - 2014年12月15日)は、日本の俳人・詩人。本名・岩田 きみ子。俳人の伊丹三樹彦は夫、同じく俳人の伊丹啓子は長女。 高知県出身。兵庫県立伊丹高等女学校(現・兵庫県立伊丹高等学校)卒業。1946年、三樹彦に師事。同年、三樹彦編集・発行の同人誌「まるめろ」創刊。1949年、日野草城主宰の俳誌「青玄」が創刊され、「まるめろ」は合流。2005年の「青玄」解散後は、2006年に啓子が創刊した「青群」に参加。1972年、現代俳句協会賞受賞。また、詩を村野四郎に師事。2014年12月15日、心不全のため死去。
谷田 比呂美(たにだ ひろみ、1924年4月22日 - )は… 谷田 比呂美(たにだ ひろみ、1924年4月22日 - )は、昭和中期(1940年代後半~1950年代)に活躍したプロ野球選手。
上山 直武(うえやま なおたけ、旧姓・島崎、1924年〈大正… 上山 直武(うえやま なおたけ、旧姓・島崎、1924年〈大正13年〉4月22日 - 1997年〈平成9年〉9月4日)は、日本の実業家。元大日本除虫菊会長。元大日本除虫菊会長十六代上山勘太郎(前名英夫)の養子。大日本除虫菊社長上山直英の実父。妻は元大日本除虫菊会長上山英介の姉。 高知県人で、澁澤倉庫専務・島崎直幹の三男。祖父の島崎直敬は高知県安芸郡田野村の初代村長をつとめた。和歌山県有田郡保田村山田原(現・有田市)出身、上山勘太郎の養子となる。 1948年、京都大学経済学部卒業。大日本除虫菊に入社する。常務にあげられ、尼崎企業社長を兼ねた。1996年、大日本除虫菊会長に就任した。住所は大阪府豊中市岡町北3丁目。
村井 範子(むらいのりこ、旧姓長田、1924年4月22日 -… 村井 範子(むらいのりこ、旧姓長田、1924年4月22日 - 2020年12月17日 )は、日本の音楽学者。フェリス女学院大学名誉教授。 元広島文理科大学学長で教育学者、長田新の長女。夫は教育学者、慶應義塾大学名誉教授の村井実。次男は情報工学者、慶應義塾大学名誉教授の村井純。 広島県広島市生まれ。広島高等師範学校附属小学校、広島県立第一高等女学校(現:広島県立広島皆実高等学校)を経て、津田塾専門学校英文科(現:津田塾大学)1945年9月卒業、1950年 東京藝術大学音楽学部楽理科入学、1954年同大学楽理科第2回卒その後専攻科修了。1956年東京藝術大学音楽学部副手就任、1956年東京藝術大学音楽学部講師(音楽史担当)、1958年~1960年米ハーヴァード大学音楽学部大学院にて音楽史研究(ロックフェラー財団奨学金による)、東海大学短期大学部教授、フェリス女学院大学音楽学部教授(音楽学部4年制創設)(音楽学特殊講義、教会音楽研究、器楽特殊講義、日本音楽文化) 1993年 同大学名誉教授。
奈良林 祥(ならばやし やすし、1919年(大正8年)4月2… 奈良林 祥(ならばやし やすし、1919年(大正8年)4月22日-2002年(平成14年)9月12日)は、日本の医学者・医学博士。性の研究者。東京生まれ。
建畠 覚造(たてはた かくぞう、1919年4月22日 - 2… 建畠 覚造(たてはた かくぞう、1919年4月22日 - 2006年2月16日)は日本の彫刻家。第二次世界大戦後の日本で抽象彫刻制作を推し進めた第一人者であった。 1919年東京生まれ。彫刻家・建畠大夢の長男で、1941年に東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科を卒業。同年、第4回新文展には「黙」を出品して特選を受賞するなど若い時期から期待された。将来の留学に備えてアテネフランスでフランス語を習っていたことから、昭和19年(1944年)に、仏領インドシナのサイゴン日本文化会館の派遣職員に任命され、新妻とともに赴任、敗戦後現地で4か月の抑留生活ののち、1946年に帰国した。 彼は彫刻を構成する実体とそれをとりかこむ何もない空間との関係に関心を持ち、アカデミックな具象彫刻から前衛的な抽象彫刻へ移行していった。
佐藤 助雄(さとう すけお、1919年(大正8年)4月22日… 佐藤 助雄(さとう すけお、1919年(大正8年)4月22日 - 1987年(昭和62年)10月19日)は、日本の彫刻家。山形県山形市出身。 初め木彫り彫刻を志し、後にブロンズ像に転向した。おおらかで詩的な人物像を得意とした。 長男は日本画家の佐藤良助。次男は彫刻家で長崎大学名誉教授の佐藤敬助。 1919年(大正8年)4月22日、仏師の父親の息子として山形県山形市に生まれる。父に木彫りを学んだ後、1936年(昭和11年)上京し木彫り彫刻家後藤良の内弟子となる。 1939年(昭和14年)、日本美術協会展出品作「ことり」が銅賞受賞。1941年(昭和16年)、第4回新文展出品作「後庭菜果」が初入選。1943年(昭和18年)、第6回新文展で「従軍看護婦」が特選受賞、政府買い上げ。
田代 喜久雄(たしろ きくお、1917年〈大正6年〉4月22… 田代 喜久雄(たしろ きくお、1917年〈大正6年〉4月22日 - 1993年〈平成5年〉5月14日)は、日本の新聞記者・実業家。朝日新聞社専務を経て、全国朝日放送(テレビ朝日)社長を務めた。熊本県出身。 早稲田大学第一文学部仏文学科卒業。1940年(昭和15年)満州経済社を経て、朝日新聞社に入社。翌年9月応召され、南方で左肩貫通銃創を負い、内地に移送。回復後は鹿児島で本土決戦に備えていて、陸軍中尉で敗戦を迎えた。1945年晩秋、「ただいま、帰りました」と兵隊そのままの挨拶をして、編集局に復帰した。 1954年(昭和29年)に社会部次長に就き、読解力の正しさ、判断力の正しさ、決断の速さ、よく部員の話に耳を傾けることで、このデスクは一躍人気を集め、1959年6月、社会部長に任じられた。