恩田 怡彦(おんだ よしひろ、1933年2月23日 - 20… 恩田 怡彦(おんだ よしひろ、1933年2月23日 - 2025年9月29日)は、日本の経営者。三菱製紙社長、会長を務めた。 千葉県出身。1957年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に三菱製紙に入社した。1987年6月に取締役、1990年6月に常務、1992年6月に専務を経て、1994年6月に社長に就任した。2003年2月に取締役相談役に就任。 1998年4月に藍綬褒章を受章。 2025年9月29日死去。92歳没。
佐藤 健(さとう たけし、1933年2月23日 - )は、日… 佐藤 健(さとう たけし、1933年2月23日 - )は、日本の経営者。三菱製紙社長、会長を務めた。 東京都出身。1964年に東京大学農学部を卒業し、同年に三菱製紙に入社した。1997年に取締役、2000年6月に常務、2002年6月に専務を経て、2003年2月に社長に就任した。2009年6月に取締役相談役に就任。 2014年11月に旭日中綬章を受章。
星川 清親(ほしかわ きよちか、1933年2月23日 - 1… 星川 清親(ほしかわ きよちか、1933年2月23日 - 1996年4月2日)は、日本の農学者。 長野県松本市出身。1956年東京大学農学部農学科卒業、1961年同大学院生物学系研究科農学専攻博士課程修了、農学博士。東大農学部助手、1976年東北大学農学部助教授、1984年教授。定年前に死去した。
白簱 史朗(しらはた しろう、1933年2月23日 - 20… 白簱 史朗(しらはた しろう、1933年2月23日 - 2019年11月30日)は、日本の山岳写真家。ヒマラヤを始めとする世界の峰、日本国内の名峰を四季にわたって数多く撮影し、発表してきた。特にライフワークとして南アルプスの写真を多く撮影している。 日本を代表する山岳写真家として、高い評価を受けている。山岳写真のほか、風景写真などを中心に活動を続け、写真集などの刊行物を多数出版している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
西田 洽司(にしだ こうじ、1932年〈昭和7年〉2月23日… 西田 洽司(にしだ こうじ、1932年〈昭和7年〉2月23日 - 2019年〈令和元年〉12月31日)は、日本の政治家。元群馬県沼田市長(4期)。位階は正五位。 群馬県渋川市に生まれる。1935年に父の事業の関係により沼田に転居。1950年に群馬県立沼田高等学校を卒業。 1961年、西田建材代表取締役となる。1974年、株式会社に組織変更し、代表取締役となる。1984年、社名を西田に変更し、引き続き代表取締役となる。 1982年に周囲から沼田市長に推す声が挙がり、立候補するも惜敗。1986年の沼田市長選挙で初当選を果たす。沼田市長を4期務め、2002年に退任する。 沼田市長として1990年に森林文化都市宣言を行い、玉原高原の第三セクター方式による開発や全国植樹祭の開催を行った。
永井 康雄(ながい やすお、1932年2月23日 - )は、… 永井 康雄(ながい やすお、1932年2月23日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
富永 明夫(とみなが あきお、1932年2月23日 - )は… 富永 明夫(とみなが あきお、1932年2月23日 - )は、フランス文学者、東京大学名誉教授。
福地 崇生(ふくち たかお、1932年2月23日 - )は、… 福地 崇生(ふくち たかお、1932年2月23日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授、筑波大学名誉教授。専門は応用計量経済学、経済計画・開発論。経済学博士(東京大学、1960年)。愛知県出身。
小林 規威(こばやし のりたけ、1932年2月23日 - )… 小林 規威(こばやし のりたけ、1932年2月23日 - )は、日本の経営学者。商学博士(論文博士・1973年)。慶應義塾大学名誉教授。 東京府東京市(現東京都千代田区)出身。1953年ハーバード大学国際政治学科卒業。1954年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1961年ハーバード・ビジネス・スクール卒。 1973年慶應義塾大学ビジネス・スクール教授、同年「国際経営戦略の研究 多国籍企業研究への発展過程」で商学博士の学位を取得。慶應義塾大学ビジネス・スクール校長。1987-1991年慶應義塾大学大学院経営管理研究科委員長。1996年定年、慶大名誉教授、淑徳大学教授。2002年退任。 従兄にライオン歯磨会長の小林敦、妻の祖父に小坂梅吉、西野恵之助(帝国劇場社長)がいる。
小林 良彰(こばやし よしあき、1932年2月23日 - )… 小林 良彰(こばやし よしあき、1932年2月23日 - )は、日本の経済学者・経済史学者。専門は西洋経済史。 兵庫県神戸市出身。1956年、東京大学文学部西洋史学科卒業後、高等学校の教師となるが、後に並行して大阪大学大学院経済学研究科で経済政策を学んだ。同研究科で1968年修士号取得後、同志社大学講師となり、後に同志社大学商学部助教授・教授を経て、日本大学経済学部教授を務めた。 経済史の視点からフランス革命を研究した。フランス革命と明治維新の比較史や経済史関連の著作も多い。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
塩原 勉(しおばら つとむ、1931年2月23日 - )は、… 塩原 勉(しおばら つとむ、1931年2月23日 - )は、日本の社会学者、大阪大学名誉教授。 富山県出身。1955年京都大学文学部卒、1961年同大学院博士課程満期退学、城戸賞受賞、1962年関西学院大学社会学部専任講師、1965年助教授、1969年奈良女子大学助教授、1972年千葉大学教授、1976年大阪大学人間科学部教授、1982年評議員、1990-1992年人間科学部長、1994年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授、2001年退職。1998年秋、紫綬褒章受章。 『組織と運動の理論 矛盾媒介過程の社会学』新曜社 1976『社会学の理論 1』旺文社 (ラジオ大学講座) 1984『社会学の理論 2』放送大学 1985『転換する日本社会 対抗的相補性の視角から』新曜社 1994
利沢 行夫(りざわ ゆきお、1931年2月23日 - 201… 利沢 行夫(りざわ ゆきお、1931年2月23日 - 2019年1月12日)は、日本のアメリカ文学者、文芸評論家。筑波大学名誉教授。 栃木県生まれ。本名・幸雄。東京教育大学卒、1967年「自己救済のイメージ 大江健三郎論」で群像新人文学賞受賞。東京教育大学助教授、教授、筑波大学教授、1994年定年退官、名誉教授。2019年1月12日に死去。87歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大脇 照夫(おおわき てるお、1930年2月23日 - 20… 大脇 照夫(おおわき てるお、1930年2月23日 - 2013年4月28日)は、愛知県犬山市出身のプロ野球選手(投手)・監督。 滝実業高校、名古屋鉄道管理局を経て、1952年に国鉄スワローズへ入団。 1956年5月3日の中日戦第2試合(中日)で史上24人目のノーヒットノーランを達成するが、80球で奪三振0という珍記録での達成となった。 球団初の7連勝を達成した5月9日の巨人戦(後楽園)では先発しているが、8回一死の場面で初四球を出し、エースの金田正一に交代している。 引退後は古巣・名古屋鉄道管理局の監督となり、1979年にはチームを20年ぶりの都市対抗出場に導いたほか、地元・犬山に少年野球チーム「犬山リトルリーグ」を創設。
高松 勇(たかまつ いさむ、1930年2月23日 - )は、… 高松 勇(たかまつ いさむ、1930年2月23日 - )は、日本の経営者。ダイドードリンコ社長を務めた。 奈良県出身。1946年に御所工業高等学校を卒業し、同年に大同薬品工業に入社。1955年に常務に就任し、1970年に副社長を経て、1973年から1990年までに社長を務めた。一方で、1975年1月にダイドー(のちのダイドードリンコ)を設立し、社長に就任し、1994年4月までに務めた。1999年4月から2016年4月までに取締役相談役を務めた。
三浦 公亮(みうら こうりょう、1930年2月23日 - )… 三浦 公亮(みうら こうりょう、1930年2月23日 - )は、日本の航空宇宙工学者。専門は宇宙構造物の設計。東京大学名誉教授。東京大学宇宙航空研究所助教授、文部省宇宙科学研究所教授を歴任。
吉岡 剛(よしおか つよし、1930年2月23日 - )は、… 吉岡 剛(よしおか つよし、1930年2月23日 - )は、日本の教育学者。 群馬県出身。京都大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。聖母女学院短期大学助教授、佛教大学教育学部教授。2000年定年退職。
志村 五郎(しむら ごろう、1930年〈昭和5年〉2月23日… 志村 五郎(しむら ごろう、1930年〈昭和5年〉2月23日 - 2019年〈令和元年〉5月3日)は、日本出身の数学者。プリンストン大学名誉教授。専門は整数論。静岡県浜松市出身。 谷山–志村予想によるフェルマー予想解決への貢献、アーベル多様体の虚数乗法論の高次元化、志村多様体論の展開などで知られる。国際数学者会議に招待講演者として4回招聘されているほか、スティール賞、コール賞を受賞した日本を代表する数学者の一人。 また、趣味で中国説話文学を収集しており、中国文学に関しての著作も複数存在する。 2019年5月3日死去、89歳没。
松崎 俊久(まつざき としひさ、1930年〈昭和5年〉2月2… 松崎 俊久(まつざき としひさ、1930年〈昭和5年〉2月23日 - 2004年〈平成16年〉5月24日)は、日本の政治家、医師。参議院議員(1期)。 1930年、福島県会津若松市に生まれる。日本医科大学を卒業し、循環器内科に入局。財団法人東京都老人総合研究所(現東京都健康長寿医療センター)疫学第一研究室長や疫学部長を歴任。定年後、琉球大学医学部保健学科保健管理教室教授となる。1995年、第17回参議院議員通常選挙比例区(新進党)で落選したが、1998年6月、繰り上げ当選。同11月、民主党に入党し、1999年、民主党会計監査を務めた。2001年の選挙には出馬せず引退。 2004年5月24日、心不全のため死去。
平岡 美津子(ひらおか みつこ、1928年(昭和3年)2月2… 平岡 美津子(ひらおか みつこ、1928年(昭和3年)2月23日 - 1945年(昭和20年)10月23日)は、三島由紀夫の妹。17歳で病死し、その死の痛手が青年時代の三島由紀夫の執筆活動に特に大きな影響を与えた。三島の小説や戯曲には、妹をモデル、または投影させた作品が少なからず散見される。 1928年(昭和3年)2月23日、東京市四谷区永住町2番地(現・東京都新宿区四谷4丁目22番)に、父・平岡梓(農商務官僚)と母・倭文重(漢学者・橋健三の次女)との間に長女として誕生。3歳上に、1925年(大正14年)1月14日生まれの兄・公威(のちの三島由紀夫)がいた。1930年(昭和5年)1月19日に弟・千之が生まれる。
種村 芳正(たねむら よしまさ、1928年2月23日 - 2… 種村 芳正(たねむら よしまさ、1928年2月23日 - 2026年1月3日)は、日本の政治家。元新潟県議会議長(第82代)。元新潟県議会議員(1987年 - 2007年(5期連続当選))。新潟県立上組農学校卒業。
赤木 昭三(あかぎ しょうぞう、1928年2月23日 - 2… 赤木 昭三(あかぎ しょうぞう、1928年2月23日 - 2013年10月26日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 大阪市生まれ。1952年京都大学法学部卒業、1956年大阪大学文学部仏文科卒、1959年同大学院文学研究科修士課程修了、パリ大学博士(哲学)。大阪大学教養部助教授、文学部仏文科教授。1991年定年退官、名誉教授。妻の赤木冨美子は大阪外国語大学名誉教授。
垣田 高夫(かきた たかお、1928年2月23日 - 201… 垣田 高夫(かきた たかお、1928年2月23日 - 2018年10月11日)は、日本の数学者。専門は、偏微分方程式論・関数解析学。学位は、理学博士。早稲田大学名誉教授。2015年春瑞宝中綬章受章。 1928年(昭和3年) 岐阜県生まれ。1952年(昭和27年) 東京文理科大学数学科を卒業。早稲田大学理工学部教授。1999年、早稲田大学を停年退職[要出典]。早稲田大学名誉教授。最終講義は「カンタンの枕」[要出典]。2015年春の叙勲で瑞宝中綬章受章。 2018年10月11日死去。
若國 一男(わかくに かずお、1927年〈昭和2年〉2月23… 若國 一男(わかくに かずお、1927年〈昭和2年〉2月23日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋に所属した元力士。本名は佐藤 一男(さとう かずお)。現在の東京都昭島市出身。身長169cm、体重83kg。最高位は西十両11枚目。得意技は右四つ、寄り。 1942年(昭和17年)1月場所に初土俵。1950年(昭和25年)9月場所に若國の四股名で十両昇進。4場所務めたのち幕下に陥落。1954年1月場所に國若の四股名で十両に復帰し4場所務めた。1955年1月場所に再び幕下に陥落すると、一度も勝ち越せずに番付を下げていき、1956年(昭和31年)1月場所に28歳で廃業した。
富田 喜内(とみた きない、1926年2月23日 - 202… 富田 喜内(とみた きない、1926年2月23日 - 2022年4月28日)は、日本の医学者・歯学者・医師・歯科医師。医学博士。専門は口腔外科学。元北海道医療大学学長。現在、北海道大学及び北海道医療大学名誉教授。 埼玉県浦和市出身。1947年東京医学歯学専門学校卒業後、東京医学歯学専門学校附属病院口腔外科副手、東京医科歯科大学歯学部解剖学助手、同口腔外科学第2講座助手。1955年東京医科歯科大学歯学部附属病院講師。1957年東京医科歯科大学歯学部口腔外科学第2講座講師。この間、1955年東京大学より医学博士号 を取得。博士論文の題は 「豚における唇溝堤の発生とその発育」。 1967年北海道大学医学部助教授。
川添 登(かわぞえ のぼる、1926年2月23日 - 201… 川添 登(かわぞえ のぼる、1926年2月23日 - 2015年7月9日)は、日本の建築評論家。 都市評論家、文明評論家でもあり、1953年から1957年まで雑誌『新建築』編集長をつとめ、往時に伝統論争を仕掛けた。以後、建築評論から民俗学に至る分野で活躍していく。1960年のグループメタボリズム結成に参画、また建築のほか旺盛な都市評論を展開。傍らで師・今和次郎の研究などをも手がける。建築の実作をつくらずして建築評論を展開することで日本の建築思想を牽引し、日本の建築家の作品や考え方に影響を与え続けたという。日本生活学会・日本展示学会・道具学会名誉会員。 東京都出身。駒込染井に生まれる。早稲田大学専門部工科建築専攻から早稲田大学文学部哲学科心理学専修に進学。
井上 孝(いのうえ たかし、1925年2月23日 - 200… 井上 孝(いのうえ たかし、1925年2月23日 - 2004年11月7日)は、日本の建設技官、政治家。 国土庁長官(第23代)兼研究・学園都市担当大臣兼土地対策担当大臣(宮澤改造内閣)、参議院行財政機構及び行政監察に関する調査会長、同議院運営委員長、同国会等の移転に関する特別委員長、同内閣委員長、同エネルギー対策特別委員長、参議院議員(3期)、建設事務次官、建設技監、建設省道路局長、同省東北地方建設局長などを歴任。 1925年(大正14年)2月23日、中華民国吉林省長春南満洲鉄道附属地常盤町に生まれる。本籍地は新潟県。旧制旅順高校を経て、京都大学工学部土木工学科に入学。その後、学士試験に合格し、2年間大学院特別研究生として在籍した。
倉田 道夫(くらた みちお、1925年2月23日 - 200… 倉田 道夫(くらた みちお、1925年2月23日 - 2004年9月10日)は、日本の物理学者。京都大学名誉教授。高分子物理学専攻。高分子の構造と物性の分野で業績を上げた。建築家の倉田康男(高山建築学校校長)は実弟。 日本レオロジー学会会長
片山 力夫(かたやま りきお、1925年〈大正14年〉2月2… 片山 力夫(かたやま りきお、1925年〈大正14年〉2月23日 - 1992年〈平成4年〉4月26日)は、日本の政治家。兵庫県相生市長(3期)。位階は正六位。勲五等双光旭日章。 現在の兵庫県相生市出身。兵庫師範学校卒業。相生市教育委員会学校教育課長、相生市立相生中学校校長、相生市教育長を経て、1981年相生市長に当選。3期務め、1992年脾臓リンパ腫により、在任中に死去した。死没日付をもって正六位に叙され、勲五等双光旭日章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
山下 英明(やました えいめい、1923年(大正12年)2月… 山下 英明(やました えいめい、1923年(大正12年)2月23日 - )は、日本の通産官僚。通商産業事務次官、三井物産副会長などを務めた。東京府東京市出身。 東京府豊島師範学校附属小学校(現・学芸大附属小金井小)、府立高等学校(のち 旧・東京都立大及び東京都立大附属高)を経て、1943年(昭和18年) 東京帝国大学法学部政治学科卒業。同年9月、商工省入省。改組なった軍需省総動員局属。入省同期に、新田庚一(経企事務次官)、三宅幸夫(特許庁長官)、矢島嗣郎(重工業局長、三愛石油開発顧問)、荘清(中小企業庁長官)、楠岡豪(繊維雑貨局長)、井土武久(特許庁長官)、池田誠一(情報政策黎明期の電子政策課長、京大経卒)など。
苣木 浅彦(すがき あさひこ、1923年2月23日 - 20… 苣木 浅彦(すがき あさひこ、1923年2月23日 - 2010年4月22日)は、日本の地球科学者。専門は、鉱床学。理学博士(東北大学・1955年)。東北大学名誉教授、山口大学名誉教授。佐賀県生まれ。 旧制宇部高等工業学校(現・山口大学工学部)採鉱科を経て、1945年東北帝国大学理学部岩石鉱物鉱床教室を卒業、翌年東北帝国大学助手となる。1953年同助教授。1955年、東北大学より理学博士の学位を取得、学位論文は「本邦産硫化鉱石の組織に関する熱的研究」。 1957年から山口大学工学部教授となる。1966年から1969年まで、米国ペンシルベニア州立大学・カナダ地質調査所に文部省在外研究員として滞在。
前田 長吉(まえだ ちょうきち、1923年2月23日 - 1… 前田 長吉(まえだ ちょうきち、1923年2月23日 - 1946年2月28日)は、日本競馬会(現在の日本中央競馬会(JRA)の前々身)の元騎手である。現在親戚は青森県八戸市,東京都荒川区などにいる。 東京の尾形景造(後の尾形藤吉)厩舎の所属であった(当時は各競馬場に厩舎があり、その競馬場で調教していた)。青森県三戸郡是川村(現在の八戸市)出身。東京優駿競走(現在の東京優駿(日本ダービー))を最年少で優勝している(20歳3か月)。 農家の8人兄弟の四男(7番目の子)として生まれた。幼いころから才能に秀でて何をやらせてもできたといい、カイバ桶に入れた熱湯に板をつけてしならせスキー板を作ったり1937年の14歳の時にはその年の11月に(当時の)八戸市で開かれた八戸市養鶏組合主催の大会で軍鶏の養育部門で3等賞を受けたりしている。
柴田 隆三(しばた りゅうぞう、1922年2月23日 - 2… 柴田 隆三(しばた りゅうぞう、1922年2月23日 - 2010年11月13日)は、日本の経営者。東京建物社長、会長を務めた。 京都府出身。1944年に慶應義塾大学経済学部経済学科を卒業し、1945年12月に安田銀行(のちの富士銀行)に入行。1970年5月に取締役に就任し、1972年11月に常務を経て、1975年5月に副頭取に就任。1979年3月に東京建物社長に就任し、1989年3月に会長、1993年3月に相談役を経て、1999年3月には特別顧問に就任。 1992年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2010年11月13日、心不全のために死去。88歳没。
田島 衛(たじま まもる、1921年(大正10年)2月23日… 田島 衛(たじま まもる、1921年(大正10年)2月23日 - 1988年(昭和63年)1月17日)は、日本の政治家。新自由クラブ衆議院議員(2期)。 東京府東京市(現東京都)江戸川区出身。府立三中(現都立両国高等学校)を経て早稲田大学法学部在学中、学徒出陣で海軍に入る。海軍特攻隊特殊潜航艇蛟龍艇長となり、海軍中尉で復員した。 その後、1951年(昭和26年)江戸川区議会議員に選出され4期在任。1969年(昭和44年)東京都議会議員となり2期務めた(自由民主党所属)。この間、都議会自民党副幹事長、同政調会長などを務めた。 1976年(昭和51年)第34回衆議院議員総選挙に東京都第10区から無所属で立候補して次点で落選。
後藤重郎(ごとう しげお、1921年2月23日 - 2006… 後藤重郎(ごとう しげお、1921年2月23日 - 2006年11月22日)は、日本の国文学者。文学博士(東京大学・論文博士・1967年)(学位論文「新古今和歌集成立史の基礎的研究」)。名古屋大学名誉教授。 愛知県出身。1943年東京帝国大学文学部国文学科卒業(半年繰上)。海軍第三期予備学生として応召。45年9月召集解除。50年東京大学大学院(旧制)国文学専攻課程入学。55年3月満期修了。1967年「新古今和歌集成立史の基礎的研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。1956年7月名古屋大学文学部専任講師、助教授をへて教授。84年定年退官、名誉教授、中京大学文学部教授を務め、91年定年退職。中世和歌、特に『新古今和歌集』が専門。
小島 健司(こじま けんじ、1921年2月23日 - )は、… 小島 健司(こじま けんじ、1921年2月23日 - )は、日本の労働運動家、日本福祉大学名誉教授。 横浜市生まれ。1943年日本大学経済学部卒業。44年荏原製作所入社。労働組合活動に参加し、49年総評調査副部長、1953年書記。60年同調査部長。1968年日本福祉大学教授。2002年定年退任、名誉教授。専攻は賃金論、日本産業史。時計産業史に関心をよせた。
小林 晴夫(こばやしはるお、1921年2月23日 - 200… 小林 晴夫(こばやしはるお、1921年2月23日 - 2009年6月29日)は、日本の工学者・化学者。工学博士。元室蘭工業大学学長・同名誉教授。北海道大学名誉教授。東京都出身。 1944年(昭和19年)北海道帝国大学工学部卒業。北海道大学大学院工学研究科博士課程修了。1947年(昭和22年)北海道大学工学部講師。1948年(昭和23年)同工学部助教授。1960年(昭和35年)同工学部教授。1983年(昭和58年)北海道大学退官。同名誉教授。1983年(昭和58年)室蘭工業大学理事・室蘭工業大学8代学長に就任。1991年(平成3年)室蘭工業大学退官。北海道武蔵女子短期大学学長に就任。1998年(平成10年)同学長を退任し、終身理事。
三嶋 与四治(みしま よしはる、1921年2月23日 - 2… 三嶋 与四治(みしま よしはる、1921年2月23日 - 2002年5月18日)は、日本の映画プロデューサー。 福井県出身。1941年早稲田大学専門部政経学科卒業後、同年松竹に入社するが、1942年入営。終戦で南方より復員し、松竹に復職。演劇部、松竹歌劇団製作課長を経て松竹会館支配人、プロデューサー、映画宣伝部長、テレビ部長、映画製作本部次長兼企画部長などを歴任。1969年4月28日の松竹第97期定時株主総会で取締役に就任し、総会後の取締役会で映画製作のトップ・映画製作本部長兼企画部長に就任した。当時の松竹は映画部門が長年に渡り不振が続き、演劇など他部門の利益を食う状態。映画製作のトップに就任後、松本清張作品を次々映画化し、伝統的に強い喜劇、青春映画と合わせて松竹の映画部門を立て直した。
服部 受弘(はっとり つぐひろ、1920年2月23日 - 1… 服部 受弘(はっとり つぐひろ、1920年2月23日 - 1991年12月6日)は、愛知県出身の元プロ野球選手(捕手、投手、内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者。
須田 孝(すだ たかし、1920年2月23日 - 1980年… 須田 孝(すだ たかし、1920年2月23日 - 1980年11月20日)は、日本の経営者。三菱信託銀行社長を務めた。兵庫県出身。 1941年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、1942年に三菱信託銀行に入行。1970年11月に取締役に就任し、1972年10月に常務、1976年7月に専務を経て、1978年9月には社長に就任。 1980年11月20日に肝不全のために死去。60歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
前川 誠郎(まえかわ せいろう、1920年〈大正9年〉2月2… 前川 誠郎(まえかわ せいろう、1920年〈大正9年〉2月23日 - 2010年〈平成22年〉1月15日)は、日本の美術史家。東京大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。 1944年東京帝国大学文学部美学美術史学科卒。 旧制第三高等学校教授、京都帝国大学、九州大学助教授を勤め、1970年東京大学文学部助教授、1971年教授、1980年定年退官、名誉教授、国立西洋美術館長。1990年新潟県立近代美術館長。1991年春、勲二等瑞宝章受勲。 ミュンヘンの中央美術史研究所において研究し、デューラーおよびネーデルラント等の北方ルネサンスの美術に業績があり、1975年以来ライヘナウの修道院聖堂の実地調査を行った。
国谷 純一郎(くにや じゅんいちろう、1918年〈大正7年〉… 国谷 純一郎(くにや じゅんいちろう、1918年〈大正7年〉2月23日 - 1986年〈昭和61年〉11月14日)は、日本の宗教哲学者、明治大学教授。 群馬県邑楽郡千江田村(現・明和町)生まれ。千江田村の小学校で学んだ後、同郡館林町(現・館林市)へ引っ越す。1935年(昭和10年)旧制館林中学校を卒業。明治大学予科を経て、1944年(昭和19年)京都帝国大学文学部哲学科を卒業。1947年(昭和22年)同大学院修了。 1947年(昭和22年)明治大学予科講師となり、翌年同教授。1949年(昭和24年)に新制明治大学が誕生すると文学部助教授となり、1958年(昭和33年)教授。1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)にかけてドイツ・イギリスへ留学。
内田 宏(うちだ ひろし、1918年(大正7年)2月23日 … 内田 宏(うちだ ひろし、1918年(大正7年)2月23日 - 2014年(平成26年)8月25日)は日本の外交官。駐フランス大使などを歴任。山梨県出身。 同期に西堀正弘(国連大使)、魚本藤吉郎(駐ソ連大使)、吉野文六(駐独大使)、奈良靖彦(駐加大使)、人見鉄三郎(駐コスタリカ大使)など。
宮 英子(みや ひでこ、1917年2月23日-2015年6月… 宮 英子(みや ひでこ、1917年2月23日-2015年6月26日)は、日本の歌人。夫は宮柊二。別名・滝口英子(1953年 - 1986年)。 富山県富山市出身。旧姓・瀧口。実家は代々医家であった。美術評論家・詩人の瀧口修造の従妹にあたる。 東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)卒。尾上柴舟に学ぶ。1937年(昭和12年)、歌誌「多磨」に入会し、北原白秋に師事。同門の宮柊二と結婚し、1953年に「コスモス」創刊に参加。1970年、第一歌集『婦負野』で第16回日本歌人クラブ推薦歌集(現・日本歌人クラブ賞)受賞。1986年の柊二没後、後を継いで「コスモス」発行人となった。2005年『西域更紗』で第20回詩歌文学館賞受賞。
小林 斗盦(こばやし とあん、1916年〈大正5年〉2月23… 小林 斗盦(こばやし とあん、1916年〈大正5年〉2月23日 - 2007年〈平成19年〉8月13日)は、日本の書道家、篆刻家である。埼玉県生まれ。本名は庸浩(こうよう)、号は斗盦(斗庵)。全日本篆刻連盟会長。篆刻家初の文化勲章受章者。勲三等瑞宝章。 篆刻家・河井荃廬、書家・西川寧に師事。 1916年2月13日、埼玉県川越市の父・勝治(香坡)、母・壽以の長男として生まれる。小林家は祖父の代から印章業を営んでおり、斗盦も10歳の頃に篆刻を教わった。香童と号し、浄碧居派の篆刻を学んだ。1928年、埼玉県立川越中学校に入学。1931年、中学2年生の夏に横浜を訪れ比田井天来に会い、たびたびの訪問ののち天来の指示で号を浩堂に改める。
衣笠 駿雄(きぬがさ はやお、1915年〈大正4年〉2月23… 衣笠 駿雄(きぬがさ はやお、1915年〈大正4年〉2月23日 - 2007年〈平成19年〉2月11日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。陸士48期・陸大55期恩賜。最終階級は帝国陸軍では陸軍少佐、陸自では統合幕僚会議議長たる陸将。第9代陸上幕僚長、第6代統合幕僚会議議長。 陸軍中佐・衣笠寛(陸士18期)の長男。陸軍士官学校(第48期)。陸軍大学校(第55期)恩賜の軍刀組でもある、陸士卒業時の兵科は航空兵。航空軍や航空総軍の参謀などを歴任。 戦後は公職追放を経て、警察予備隊に入隊、陸上自衛隊発足直後に戦時中、「空の神兵」と謳われた帝国陸軍挺進団(陸軍落下傘部隊)の元隊員達とともに(但し、第1次研究員は落下傘降下未経験者であった)、落下傘降下の研究を開始し、初代空挺教育隊隊長として第1空挺団の創設に尽力し、同空挺団の初代団長となる。
野間 宏(のま ひろし、1915年(大正4年)2月23日 -… 野間 宏(のま ひろし、1915年(大正4年)2月23日 - 1991年(平成3年)1月2日)は、日本の小説家・評論家・詩人。 大学時代の左翼運動と出征経験から、戦後『暗い絵』を書いて第一次戦後派の先頭に立ち、特に『真空地帯』は大きな反響を呼んで戦後文学の記念碑的名作となった。その後は社会全体の構造をとらえる全体小説を志向し、次々と大作を発表。文学の国際交流にも尽力し、また最晩年まで社会的な発言を多く行った。部落外の出身者だが部落解放同盟中央委員となった
中村 瑞隆(なかむら ずいりゅう、1915年2月23日-20… 中村 瑞隆(なかむら ずいりゅう、1915年2月23日-2003年11月15日)は、日蓮宗の僧、仏教学者、立正大学学長を務めた。 青森県出身。1941年立正大学文学部仏教学科卒、同大学院修了。45年専門部講師、48年助教授、49年立正大学講師、50年助教授、61年教授、66年「如来蔵思想研究」で九州大学文学博士。73年法華経文化研究所長。1977年仏教伝道文化賞受賞。1983-86年立正大学長、名誉教授。1987年、勲三等瑞宝章受章。日本学術会議会員。
遠山 茂樹(とおやま しげき、1914年〈大正3年〉2月23… 遠山 茂樹(とおやま しげき、1914年〈大正3年〉2月23日 - 2011年〈平成23年〉8月31日)は、日本の歴史学者。研究分野は日本近代史、東アジア史、東洋史、自由民権運動、明治維新、歴史教育。横浜市立大学名誉教授。『遠山茂樹著作集』(全9巻、岩波書店刊)がある。 1914年、東京市京橋区(現東京都中央区)月島で生まれた。旧制浦和高等学校で学び、1934年に卒業。東京帝国大学国史学科に進学し、1938年に卒業。 1938年から1942年まで文部省維新史料編纂事務局に勤務。1942年から東京帝国大学史料編纂所に勤務。1951年から1952年までは東京大学教職員組合委員長を務めた。1956年、東京大学を退職。
青山 光二(あおやま こうじ、1913年2月23日 - 20… 青山 光二(あおやま こうじ、1913年2月23日 - 2008年10月29日)は、日本の小説家。 神戸市生まれ。第三高等学校を経て東京帝国大学文学部美術史学科卒業。在学中の1935年(22歳)、織田作之助らと同人雑誌『海風』を創刊する。 大村謙太郎の仲介により映画『東京ノ回敎徒』を制作することとなり脚本を担当、1944年6月「室町一郎」名義で脚本完成、9月末に映画完成。 戦後、『旅への誘ひ』(1948)などの私小説風連作を発表。1956年、『法の外へ』で直木賞候補。 その後、任侠ヤクザ路線に移行し、『修羅の人』で1966年再度直木賞候補、1966年(53歳)小説新潮賞を受賞。1977年、『竹生島心中』で三たび直木賞候補、及び泉鏡花文学賞・平林たい子文学賞候補。
石井 良雄(いしい よしお、1913年2月23日 - 198… 石井 良雄(いしい よしお、1913年2月23日 - 1986年8月27日)は、日本の経営者。東京都出身。 1935年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に日清製粉に入社。1962年7月に取締役に就任し、1967年5月に常務、1971年5月に専務を経て、1973年11月には社長に就任した。1981年6月には相談役に就任。 1976年11月に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1986年8月27日肺癌のために死去。73歳没。