谷井 博美(たにい ひろみ、1940年(昭和15年)5月24… 谷井 博美(たにい ひろみ、1940年(昭和15年)5月24日 - )は、日本の政治家。元福岡県宗像市長(3期)。 1963年(昭和38年)3月、熊本大学法文学部卒業。同年4月、福岡県庁に入庁。1997年(平成9年)、福岡県企画振興部長に就任。1999年(平成11年)、福岡県庁を退職。同年、空港周辺整備機構福岡空港事業本部理事に就任。2001年(平成13年)、旧宗像市の助役に就任。 2003年(平成15年)4月1日、隣接する宗像郡玄海町と合併し、新制の宗像市が発足。引き続き助役を務める。 2006年(平成18年)4月4日、原田慎太郎宗像市長が在職中に死去。これに伴って5月に行われた市長選挙に自由民主党と公明党の推薦を受けて出馬し、無投票で初当選した。
湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日 - )は、… 湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日 - )は、日本の植物学者、文筆家。前東京農業大学教授。 神戸市生まれ。1963年、兵庫農科大学(現・神戸大学)農学部農林生物学科卒業。1968年、東京農業大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士。1968年、同大学育種学研究所所員、1975年、進化生物学研究所研究員、2000年、東京農業大学短期大学部教授、2005年、東京農業大学農学部バイオセラピー学科教授、2011年、退任。一般財団法人進化生物学研究所理事長・所長、生き物文化誌学会会長。1994年松下幸之助花の万博記念奨励賞受賞。村田源とともにベンケイソウ科のセトウチマンネングサをツシママンネングサの新変種 Sedum yabeanum var. setouchiense として記載した(後に大場秀章によるツシママンネングサに対応する学名の変更に伴い Sedum polytrichoides var. setouchiense と改められた)。
側見 民雄(そばみ たみを、1939年5月24日 - )は、… 側見 民雄(そばみ たみを、1939年5月24日 - )は、日本の男性俳優、声優。演出家。北海道岩見沢市出身。PACage所属。演劇集団「阿吽」主宰。 北海道札幌南高等学校、早稲田大学卒業。1967年劇団東演(ぱらーた企画)入団し、1996年まで所属した。 その後、声優としての活動を始める。 2025年3月24日、オフィスPACが法人解散するにあたり所属メンバーでPACageを設立し移籍した。
前田 益穂(まえだ ますほ、1939年5月24日 - )は、… 前田 益穂(まえだ ますほ、1939年5月24日 - )は、熊本県飽託郡託麻村(現:熊本市東区)出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。
武藤 英男(むとう ひでお、1938年〈昭和13年〉5月24… 武藤 英男(むとう ひでお、1938年〈昭和13年〉5月24日 - 2017年〈平成29年〉5月23日)は、日本の数学者、教育学者。理学博士。群馬大学名誉教授。群馬大学教育学部長などを歴任。帝京平成大学元教授の浅井真理子は長女。東北大学教授の武藤泉は甥。 日本数学会、アメリカ数学会(American Methematical Society)
堀川 とんこう(ほりかわ とんこう、本名・堀川 敦厚(ほりか… 堀川 とんこう(ほりかわ とんこう、本名・堀川 敦厚(ほりかわ あつたか)。1937年5月24日 - 2020年3月28日)は、日本のテレビドラマのプロデューサー・演出家ならびに映画監督である。群馬県吾妻郡中之条町出身。妻は脚本家、ノンフィクション作家の高木凛。エッセイスト・イラストレーターの中山庸子は従妹である。 群馬県吾妻郡の中之条町立中之条中学校から群馬県立高崎高等学校に進学。その後、東京大学に入学し文学部英文科へ進む。また、第84代内閣総理大臣の小渕恵三とは小、中学校時代同級生で幼馴染であった。中之条を離れ大学は違ったが、学生時代は山手線の中で時の話題や文学を語り合った。友としての親交は小渕が亡くなるまで続いていた。
梶田 達二(かじた たつじ、1936年〈昭和11年〉5月24… 梶田 達二(かじた たつじ、1936年〈昭和11年〉5月24日 - 2011年〈平成23年〉10月8日)は、日本の画家、イラストレーター。ボックスアートを得意とした。愛知県名古屋市港区出身。理科美術協会、ミロの会会員。 愛知県立惟信高等学校を卒業。家業の楽器製造会社を手伝う傍ら、挿絵画家の小松崎茂の作品を摸写。1959年(昭和34年)、集英社より単行本の挿絵でデビュー。同年、上京。 秋田書店「冒険王」9月号で雑誌デビュー。また、小学館、講談社、光文社、少年画報社、徳間書店、学習研究社などの少年誌、学年誌に表紙、口絵、挿絵を発表する。また、プラモデルの箱に航空機や艦船を描くボックスアートの世界で活躍。
濱田 邦夫(はまだ くにお、1936年5月24日 - )は、… 濱田 邦夫(はまだ くにお、1936年5月24日 - )は、日本の弁護士、裁判官。学位はLL.M.(ハーバード大学・1966年)。勲等は旭日大綬章。日比谷パーク法律事務所客員弁護士。「濱」が旧字体のため、新字体で浜田 邦夫(はまだ くにお)と表記されることもある。
木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は… 木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は 日本の版画家・彫刻家・作家・画家。京都工芸繊維大学名誉教授(第9代学長)。 大阪府大阪市生まれ。日本経済の高度成長と同時に美術の大衆化が顕著となる中、木村光佑は30歳を超えた1968年に作家としてデビューを果たした。シルクスクリーンや写真製版をはじめ多様な製版・印刷の最新技術を駆使し、現在社会の虚像と実像入り交じる様々なイメージを重ね合わせることで、情報過剰な同時代人の視覚的経験を作品化し、デビューと同時に「時代の申し子」として立て続けに国際コンクールでの受賞を重ねていく。一方で、自由な版表現への挑戦は、当時の日本版画界においては異色であり、版画の範疇や概念に対する議論を巻き起こした。
三上 豊(みかみ みのる、1936年5月24日 - )は、日… 三上 豊(みかみ みのる、1936年5月24日 - )は、日本の経営者。コクド社長を務めた。東京都出身。 1959年に早稲田大学商学部を中退し、同年に国土計画に入社した。1981年に取締役に就任し、1990年に常務を経て、1998年に社長に就任。2004年11月に社長を辞任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
飛田 英一(とびた えいいち、1935年5月24日 - )は… 飛田 英一(とびた えいいち、1935年5月24日 - )は、日本の経営者。トステム社長、INAXトステム・ホールディングス会長を務めた。 東京都出身。1958年に中央大学法学部法律学科を卒業し、同年3月にトーヨーサッシ(のちのトステム)に入社。1986年11月に専務を経て、1992年6月に副社長に就任し、1998年10月に潮田健次郎の後任として、社長に昇格。2001年10月にINAXトステム・ホールディングス副会長に就任し、2008年4月から代表執行役員を務めた。
関 容子(せき ようこ、1935年5月24日 - )は、日本… 関 容子(せき ようこ、1935年5月24日 - )は、日本のエッセイスト。 東京市生まれ。1958年日本女子大学文学部国文科卒業。1981年、詩人・堀口大學への聞き書き『日本の鶯』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。その後歌舞伎エッセイに転じ、1996年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
桝井 寿郎(ますい としろう、1934年5月24日 - 20… 桝井 寿郎(ますい としろう、1934年5月24日 - 2011年6月19日)は、日本文学研究者、作家、梅花短期大学名誉教授。 大阪市に生まれる。1953年大阪府立清水谷高等学校卒。川端康成の指導を受ける。1957年甲南大学経済学部から文学部国文科に転じ、1958年卒業。朝日新聞大阪本社嘱託、淀川製鋼所勤務を経て、寿屋代表取締役。1985年受洗、1987年梅花短大教授、2002年定年退職。 1967年西鶴文学会を創設。95年井原西鶴賞を創設。西鶴のほか大阪出身の文学者を広く研究している。川端康成生誕の地も確定した。 2011年6月19日、心不全により死去。
橋本 明(はしもと あきら、1933年5月24日 - )は、… 橋本 明(はしもと あきら、1933年5月24日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家。
近藤 喜代太郎(こんどう きよたろう、1933年(昭和8年)… 近藤 喜代太郎(こんどう きよたろう、1933年(昭和8年)5月24日 - 2008年(平成20年)9月30日)は、医学者・公衆衛生学者、鉄道研究家。北海道大学名誉教授。 静岡県生まれ。1959年東京大学医学部卒業。1969年医学博士。東大内科、新潟大学助教授(神経内科)、1984年北海道大学医学部教授(公衆衛生学)、1997年定年退官、名誉教授、放送大学教授(健康科学)、2002年同客員教授。 2008年9月30日、脳内出血のため死去。
山田 隆(やまだ たかし、1933年5月24日 - 1998… 山田 隆(やまだ たかし、1933年5月24日 - 1998年9月8日)は、日本のプロレス記者・評論家。 東京スポーツ新聞社に所属していた。北海道北見市出身。 1959年東京スポーツに入社、1967年9月22日から日本テレビの『日本プロレス中継』で解説者を務める。ターザン・タイラーの手錠事件写真を紹介するなど、海外マット界の情報を生かすというこれまでには無い画期的な解説を取り入れた。ジャイアント馬場との親交が深く、1972年の全日本プロレス旗揚げから1980年代末まで、長年に渡り『全日本プロレス中継』の解説者を務めた。 特に1981年世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦(蔵前国技館、優勝決定戦)にてスタン・ハンセンが乱入し、ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組に助太刀した、いわゆるスタン・ハンセン乱入事件の時に山田が発した「ハンセンですよ!」は今でもプロレスファンの語り草になっている[要出典]。
渡部 恒三(わたなべ こうぞう、1932年〈昭和7年〉5月2… 渡部 恒三(わたなべ こうぞう、1932年〈昭和7年〉5月24日 - 2020年〈令和2年〉8月23日)は、日本の政治家。元の姓名は、渡部 恒蔵(読み同じ)。正三位、勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(14期)、衆議院副議長(第60・61代)、厚生大臣(第63代)、自治大臣(第39代)、国家公安委員会委員長(第49代)、通商産業大臣(第53代)、自由民主党国会対策委員長(第32代)、新進党政務会長(第2代)兼国会運営委員長(第2代)、同総務会長(初代)、無所属の会代表(第3代)、民主党国会対策委員長(第11代)、同最高顧問、復旦大学経済管理学院名誉教授などを歴任。自由民主党所属時は竹下派七奉行の1人だった。
井上 喜一(いのうえ きいち、1932年〈昭和7年〉5月24… 井上 喜一(いのうえ きいち、1932年〈昭和7年〉5月24日 - 2010年〈平成22年〉12月16日)は、日本の農林官僚、政治家。位階は従三位。本名は井上 喜一(いのうえ よしかず)。 衆議院議員(7期)、内閣府特命担当大臣(防災)(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、社団法人日米平和・文化交流協会理事などを歴任。 兵庫県加西市玉丘町出身。兵庫県立小野高等学校、東京大学法学部卒業。東大卒業後、農林省へ入省した。 農林水産省では大臣官房審議官、統計情報部長、構造改善局長を歴任。また一時期、農水省の外局にあたる水産庁で海洋漁業部長を務め、対米・対ソ漁業交渉に臨んだ。 1986年7月、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧兵庫3区から立候補し、初当選。
三嶋 唯義(みしま ただよし、1932年5月24日 - 19… 三嶋 唯義(みしま ただよし、1932年5月24日 - 1997年1月12日)は、日本の哲学者。 鳥取県倉吉市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。1965年京都産業大学助教授、1970年教授。フランス哲学を専攻。 1997年、呼吸不全のため死去。
慶松 勝太郎(けいまつ しょうたろう、1931年5月24日 … 慶松 勝太郎(けいまつ しょうたろう、1931年5月24日 - )は、日本の経営学者。実業家。博士(経営学)(東京経済大学)。 東京市生まれ。1955年東京大学工学部卒業、同年江戸川化学工業(現三菱ガス化学)入社。1965年本社企画室、1975年ニューヨーク駐在員、1980年技術企画部長を経て、1986年取締役浪速工場長に就任。1988年、常務取締役化学品第二本部長。1993年専務取締役。1994年三菱ガス化学退社、永和化成工業代表取締役社長。2001年永和化成工業退社、東京経済大学大学院経営学研究科入学。2005年、LEC会計大学院教授。2007年、東京経済大学大学院経営学研究科博士課程修了、博士(経営学)を取得。
神生山 清(かみおいやま きよし、1931年5月24日 - … 神生山 清(かみおいやま きよし、1931年5月24日 - 1982年1月19日)は、香川県高松市仏生山町出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は村川 清(むらかわ きよし)。最高位は西前頭15枚目(1957年3月場所)。現役時代の体格は173cm、90kg。得意手は右四つ、寄り、足癖、小股掬い、投げ。 父・佐吉は、仏生山町で袋を作る工場を経営していた。小学生の頃から郷土が生んだ人気力士・神風に憧れており、1946年暮れに巡業で高松市内を訪れた当人と地元の素人相撲で活躍していた野口という人物の紹介で会った事がきっかけで、二所ノ関部屋へ入門。1947年11月場所にて、16歳で初土俵を踏んだ。
三宅 充(みやけ みつる、1930年(昭和5年)5月24日 … 三宅 充(みやけ みつる、1930年(昭和5年)5月24日 - 2020年(令和2年)4月20日)は、スポーツライター。雑誌『相撲』編集長。『大相撲』編集長。ペンネームは「斎藤太郎」。 現在の東京都豊島区に生まれる。東京都立第九中学校(現在の東京都立北園高等学校)卒。旧制浦和高等学校に入り、野球部に所属する。同校を1年で修了する。修了後の1951年にベースボール・マガジン社に入社、相撲、野球、陸上競技などを担当する。1952年4月に同社発行の雑誌『相撲』編集長に就任。同年7月には月刊『ベースボール・マガジン』編集長も兼務する。1953年12月に同社を退社。翌1954年に読売新聞社出版局に入る。その後、雑誌『大相撲』の編集に携わり、その一方、読売新聞のスポーツ欄の相撲記事、「砂かぶり」を担当した。
丹羽 喬(にわ たかし、1930年5月24日 - )は、日本… 丹羽 喬(にわ たかし、1930年5月24日 - )は、日本の牧師、神学校教師。日本同盟基督教団正教師、恋が窪キリスト教会牧師。 金沢大学、カナダ・メノナイト神学校を卒業。慶應義塾大学大学院修士課程を修了。東京基督教大学兼任講師、監事を勤める。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
加藤 武(かとう たけし、1929年〈昭和4年〉5月24日 … 加藤 武(かとう たけし、1929年〈昭和4年〉5月24日 - 2015年〈平成27年〉7月31日)は、日本の男性俳優、声優。文学座前代表。東京市京橋区(現:東京都中央区)出身。早稲田大学英文科卒業。俳号は「阿吽」。 築地で仲卸業を営む家に生まれる。祖母は十五代目市村羽左衛門の贔屓、両親共に清元節を嗜み、姉は舞踊をやっていた。中央区立泰明小学校、麻布中学校、早稲田大学高等学院卒業。小沢昭一・フランキー堺・仲谷昇・大西信行・なだいなだ・内藤法美は麻布中学校の同級生だった。幼少期より歌舞伎を愛好し、学校を早退してまで歌舞伎座に通っており俳優に憧れていた。 早稲田大学では演劇研究会に入り、ここで映画監督の今村昌平・俳優の北村和夫らと知り合う。
村上 不二夫(むらかみ ふじお、1928年5月24日 - 2… 村上 不二夫(むらかみ ふじお、1928年5月24日 - 2023年11月29日)は、日本の俳優・タレントである。本名は深浦 不二夫。 旧芸名は三村 恭二、三村 俊夫。 東京都出身。旧制日大三中・明治大学商学部卒。新東宝に入社後、1954年に映画『月の光』で俳優デビュー。『遊星王子』(1958年、NTV) の遊星王子 / ワクさん役で有名。 大映を経て、テレビ朝日『アフタヌーンショー』などワイドショー・情報番組のレポーターとして活躍。 1992年7月から9月までテレビ朝日『お昼の独占!女の60分』のメイン司会を担当した。 その後も情報番組のコメンテーター、講演や執筆活動などで活躍している。 2020年2月21日放送のテレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』日本の景気を考えるのコーナーで当時84歳の干しイモ製造の男性が出演。
小堺 昭三(こさかい しょうぞう、1928年5月24日 - … 小堺 昭三(こさかい しょうぞう、1928年5月24日 - 1995年3月7日)は、日本の作家。 福岡県大牟田市生まれ。旧制福岡県立八幡中学校卒。火野葦平の秘書を務め、のち『週刊文春』のルポライターを経て作家となる。1951年「朝鮮海峡」で新潮社文学賞佳作、1959年「基地」で芥川賞候補、1960年「自分の中の他人」で直木賞候補。『密告―昭和俳句弾圧事件』(ダイヤモンド社、1979年)では西東三鬼を特高のスパイと断定し、三鬼の遺族から版元ともども名誉毀損で民事提訴され、1983年に敗訴した。 戦記、昭和史、近代史実録もの、官能小説、また政界・実業界実録ものなど、週刊誌記者出身らしい作風で知られた。
磯 博(いそ ひろし、1927年5月24日 - 2006年1… 磯 博(いそ ひろし、1927年5月24日 - 2006年1月26日)は、日本の美術史学者。関西学院大学名誉教授。専攻は日本美術史。 夫人は松蔭中学校・高等学校校長の磯由美子。
吉峯 良二(よしみね りょうじ、1927年 <昭和2年> 5… 吉峯 良二(よしみね りょうじ、1927年 <昭和2年> 5月24日 - 2022年 <令和4年> 5月7日)は日本の政治家。鹿児島県加世田市長(2期)。加世田市名誉市民、南さつま市名誉市民。位階は正六位。 鹿児島県出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、陸軍士官学校61期入校(赤崎義則鹿児島市長、久保亘参議院議員らと士官学校同期で、1945年に予科生で終戦し士官学校解散となり終業)。1951年大阪大学経済学部卒業。会社役員を経て、1962年12月から6期22年にわたり加世田市助役を務める。1985年11月10日第3代加世田市長に就任し、1993年11月9日まで2期務めた。
遠藤 進之助(えんどう しんのすけ、1927年5月24日 –… 遠藤 進之助(えんどう しんのすけ、1927年5月24日 – 1955年8月31日)は、日本の歴史家。 岩手県岩手郡寺田村(西根村、西根町を経て、現在の八幡平市)に生まれる。岩手師範学校本科に進学し、森嘉兵衛に学ぶ。1948年に同校を卒業し、東北大学法文学部に進学。古田良一、豊田武に師事し、日本史を専攻する。1951年に同大学を卒業し、大学院特別奨学生となり、1955年に東北大学文学部東北文化研究室員となる。幕末維新期の東北史を中心に、幕藩体制の成立と変質崩壊過程の研究に取り組むも、急逝した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
安藤 昇(あんどう のぼる、1926年(大正15年)5月24… 安藤 昇(あんどう のぼる、1926年(大正15年)5月24日 - 2015年(平成27年)12月16日)は、日本の元ヤクザ、俳優、小説家、歌手、プロデューサー。東京府豊多摩郡(のちに東京市淀橋区)東大久保天神下(現・東京都新宿区新宿6丁目)出身。 サラリーマンの三男一女の長男として大久保天神下で生まれる。小学3年時に6年の番長を刺し学校を制圧。神奈川県川崎市立川崎中学校に進学するも喧嘩に明け暮れ、濡れ衣を着せられ、15歳で調布市の感化院に入れられる。旧制中学校時代は転校を繰り返し、父の満州転勤に伴い16歳のとき満州に渡り、奉天第一中学校に進学。同校退学後内地へ戻り、京王商業転入。不良学生を束ねて加納貢と意気投合し兄弟分になる。
滝沢 幸助(たきざわ こうすけ、1925年(大正14年)5月… 滝沢 幸助(たきざわ こうすけ、1925年(大正14年)5月24日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。 現在の福島県大沼郡金山町出身。1945年(昭和20年)横田青年学校を卒業。福島県立川口高等学校中退後、地元で農業を営む傍ら、民社党に入党し政治活動に携わる。党内では福島県連委員長や本部統制委員長などの要職を歴任した。また、金山町教育委員会委員長、福島県議会議員(4期)なども務めた。 1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙から1993年(平成5年)の第40回総選挙まで、7回連続で旧福島2区から民社党の公認を得て出馬。うち1983年(昭和58年)の第37回総選挙と1986年(昭和61年)の第38回総選挙で当選、衆議院議員を2期6年務めた。
上野 一郎(うえの いちろう、1925年5月24日 - 20… 上野 一郎(うえの いちろう、1925年5月24日 - 2015年12月27日)は、日本の教育者・経営学者で学校法人産業能率大学理事長および産能大学・産能短期大学の学長、学校法人産業能率大学最高顧問を務めた。「能率の父」と呼ばれる上野陽一の長男。また、日本における最初期の写真家で、「日本写真の開祖」として知られる上野彦馬は大伯父に当たる(一郎の祖父・幸馬の実兄が彦馬)。
小川 隆司(おがわ たかし、1925年5月24日 - 200… 小川 隆司(おがわ たかし、1925年5月24日 - 2007年7月10日)は、日本の実業家。トンボ鉛筆元代表取締役社長、元会長、取締役名誉会長、日本鉛筆工業協同組合元理事長。通産大臣表彰(現・経済産業大臣表彰)受賞者。 1925年、トンボ鉛筆の創業者小川春之助と妻・小川とわの三男として生まれる。 1948年3月 立教大学経済学部経営学科(現・経営学部)卒業。同年4月、トンボ鉛筆製作所(現・株式会社トンボ鉛筆)入社。1951年、トンボ鉛筆製作所取締役に就任。同社常務、専務を歴任後、1963年、同社副社長に就任。 1964年、株式会社トンボ鉛筆製作所から株式会社トンボ鉛筆へ社名変更される。 1980年には、工業標準化功労者として通産大臣表彰(現・経済産業大臣表彰)を受賞。
芥川(間所) 紗織(あくたがわ〈まどころ〉さおり、1924年… 芥川(間所) 紗織(あくたがわ〈まどころ〉さおり、1924年〈大正13年〉5月24日 - 1966年〈昭和41年〉1月31日)は、愛知県渥美郡高師村(現・豊橋市)出身の画家。 1950年代から急逝するまで、当時はほとんどいなかった前衛の女性画家の一人であり、また「染色」という全く独自の技法で道を切り開いた作家である。 「芥川」は芥川也寸志との最初の結婚時の、「間所」は間所幸雄との再婚後の姓で、旧姓は山田である。「芥川紗織」とも「間所紗織」とも呼ばれるが、2つの姓を併記して「芥川(間所)紗織」と書かれることも多い。 旧姓を山田といった。東京音楽学校(現・東京藝術大学)本科声楽部を卒業後、作曲家の芥川也寸志と結婚し、芥川麻実子ら2女をもうけた。
小松原 博喜(こまつばら ひろき、1924年5月24日 - … 小松原 博喜(こまつばら ひろき、1924年5月24日 - 1965年4月23日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手。ポジションは、主に内野手・外野手としてプレーし、1949年まで投手も兼任した。 横浜商業では第15回選抜中等学校野球大会に出場。 卒業後の1942年に大和軍へ入団する。同年4月22日の対東京巨人軍戦に初先発するが、この試合で14与四球を記録、これは野茂英雄に1992年に並ばれ、1994年に16個で抜かれるまで日本プロ野球記録であった。なお、この試合では押し出しは与えず完投し4失点(3自責点)で切り抜けている。この年の投手としての登板は5試合に留まるが、左翼手や一塁手を務めて82試合に出場。
高橋 豊(たかはし ゆたか、1924年5月24日 - 199… 高橋 豊(たかはし ゆたか、1924年5月24日 - 1995年11月27日)は、日本の翻訳家。本名:高橋 豊治(たかはし とよじ)。 岩手県胆沢郡金ヶ崎村(現・金ケ崎町)出身。東京大学教育学部卒、出版社勤務を転々とする。1949年に鱒書房に入社し、『夫婦生活』の編集に当たったが、セックス特集で無関係の人々の写真を掲載する問題を起こして解雇された。旧知の田村隆一の紹介で編集者の内田庶と知り合い、大久保康雄の下で修業しながら翻訳を始める(宮田『戦後翻訳風雲録』)。 1952年から翻訳を専業とする。アガサ・クリスティー、エドガー・ライス・バローズ、E・S・ガードナー、ウィリアム・アイリッシュなど、推理小説を中心に翻訳。
鈴木 清順(すずき せいじゅん、1923年〈大正12年〉5月… 鈴木 清順(すずき せいじゅん、1923年〈大正12年〉5月24日 - 2017年〈平成29年〉2月13日)は、日本の映画監督・俳優。本名:鈴木 清太郎(すずき せいたろう)。弟に元NHKアナウンサーの鈴木健二がいる。 日活の専属監督として小林旭、高橋英樹、宍戸錠ら当時の日活の主力俳優の主演作品を多く手がけ、その「清順美学」と評される独特の映像表現で名を馳せた。特に宍戸錠主演の『殺しの烙印』は一般映画のみならずカルト映画としても世界的な評価が高い。一方でその実験的とも言える作風が当時の日活の経営陣の不興を買い会社を追われるなど、境遇は波乱に富んでおり、映画作家として約10年間の空白期間がある(「鈴木清順問題共闘会議」参照)。
藤間 紫(ふじま むらさき、1923年〈大正12年〉5月24… 藤間 紫(ふじま むらさき、1923年〈大正12年〉5月24日 - 2009年〈平成21年〉3月27日)は、東京都文京区根津出身の日本舞踊家、女優。本名:喜熨斗 綾子(旧姓:河野→藤間)。 日本医科大学元学長で理事長、日本私立大学協会会長も務めた河野勝斎の長女(9人兄弟のうち、4人が芸能、2人が医師)。12歳の時、六世藤間勘十郎に入門した。 夫は三代目市川猿之助(後の二代目市川猿翁、二代目藤間紫)。三世藤間勘祖(藤間高子)と俳優藤間文彦は、前夫六代目藤間勘十郎(二世藤間勘祖)との子。二代目中村藤太郎(前夫の養子となり3代目藤間大助を襲名後、六代目中村歌右衛門の芸養子になり中村藤太郎を襲名)、六代目中村東蔵は弟。
梅田 正巳(うめだ まさみ、1923年5月24日 - 没年不… 梅田 正巳(うめだ まさみ、1923年5月24日 - 没年不明)は、広島県出身のプロ野球選手。
別宮 貞雄(べっく さだお、1922年〈大正11年〉5月24… 別宮 貞雄(べっく さだお、1922年〈大正11年〉5月24日 - 2012年〈平成24年〉1月12日)は、日本の作曲家。 1922年に別宮貞俊(東京工業大学教授を務めたのち実業界に転じ、住友電気工業株式会社初代社長などを歴任)と病理学者で東京帝大医学部教授の山極勝三郎の長女梅子の息子として東京に生まれた。翻訳家の別宮貞徳は弟。 兵庫県立第一神戸中学校から成城高等学校、第一高等学校を経て東京大学理学部物理学科を1946年(昭和21年)に卒業。同年に「管弦楽のための二章」を発表して作曲家としてデビューした。翌1947年(昭和22年)、同大学文学部美学科に入学し1950年(昭和25年)卒業。この間、柴田南雄らの新声会に参加し作品を発表している。
伊東 乾(いとう すすむ、1922年5月24日 - 2016… 伊東 乾(いとう すすむ、1922年5月24日 - 2016年?)は、日本の法学者(民事訴訟法)。慶應義塾大学名誉教授。 幼稚舎から大学まで慶應義塾に学ぶ。1960年「民事訴訟法研究」で法学博士(慶應義塾大学)の学位を取得。1948年4月慶應義塾大学法学部助教授、1953年4月教授、1986年定年、名誉教授。日本民事訴訟法学会の設立メンバー。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
堯天 義久(ぎょうてん よしひさ、1921年5月24日 - … 堯天 義久(ぎょうてん よしひさ、1921年5月24日 - 2013年1月20日)は、日本の建築学者。専門は建築構造学。第8代神戸大学学長、第3代大学入試センター所長を務めた。 香川県観音寺市出身。1939年、愛媛県立三島中学校(現・愛媛県立三島高等学校)卒業。1941年、徳島高等工業学校(現・徳島大学工学部)機械工学科卒業。 1942年に東京工業大学(のちの東京科学大学)附属高等工業教員養成所建築学科に入学。1944年に卒業し、同年9月に神戸工業専門学校(現・神戸大学工学部)に着任する。 1947年、神戸工業専門学校教授。1951年、神戸大学助教授。1959年、東京工業大学工学博士。 神戸大学教授を経て、1981年から1985年まで神戸大学学長を務め、神戸大学名誉教授の称号を受けた。
山中 鉄夫(やまなか てつお、1921年5月24日 - 没… 山中 鉄夫(やまなか てつお、1921年5月24日 - 没年不明)は、日本の経営者、銀行家。協和銀行頭取を務めた。 長崎県出身。1943年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1975年4月から1979年4月までに理事を務め、同年6月に副頭取に就任し、1980年9月には協和銀行頭取に昇格。1986年9月に会長に就任し、1991年4月に協和埼玉銀行(のちのあさひ銀行)を経て、1998年4月から名誉顧問を務めた。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
増田誠(ますだ まこと、1920年(大正9年)5月24日 -… 増田誠(ますだ まこと、1920年(大正9年)5月24日 - 1989年(平成元年)4月9日)は、日本の画家。洋画家。 山梨県南都留郡谷村町下谷(現在の都留市谷村町下谷)に生まれる。父は理容店を営む清治郎で、誠は次男。母はかね。幼い頃より絵が得意で、中学時代には似顔絵の天才と賞されたという。 1931年(昭和6年)には父の清治郎が死去。谷村尋常高等小学校、山梨県立都留中学校(現在の山梨県立都留高等学校)を経て、山梨師範学校(現在の山梨大学)を卒業。1938年(昭和13年)には吉田尋常高等小学校の教員となり、富士上吉田町(現在の富士吉田市上吉田)の西念寺の離れに下宿する。翌1939年8月には退職し、同年11月には国華工業へ就職する。
岡橋 四郎(おかはし しろう、1920年〈大正9年〉5月24… 岡橋 四郎(おかはし しろう、1920年〈大正9年〉5月24日 - 1999年11月)は、日本の政治家。元奈良県橿原市長(1期)。 奈良県出身。1939年〈昭和14年〉旧制畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)卒。卒業後は住友金属に入社。1947年〈昭和22年〉に退社し、家業の米穀肥料店で働く。1979年〈昭和54年〉奈良県議会議員に当選。3期務め、1988年〈昭和63年〉に副議長に就任した。1991年〈平成3年〉橿原市長選挙に立候補するが、落選。1992年〈平成4年〉現職の辞職による市長選挙に立候補し、当選する。市長を1期務め、1995年〈平成7年〉に退任した。
矢尾 次郎 (やお じろう、1916年 <大正5年> 5月2… 矢尾 次郎 (やお じろう、1916年 <大正5年> 5月24日 - 1990年 <平成2年> 3月3日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。元日本学術会議会員。 1916年、福井県福井市生まれ。福井市立福井商業学校(現福井県立福井商業高等学校)を経て、1937年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)を卒業。商業学校では、赤松要ゼミで学んだ。その後は神戸商業大学(現神戸大学)に進み、1940年に卒業、田中金司ゼミで学んだ。 卒業後、指導教官田中の推薦で、1940年に神戸商業大学助手に採用。1944年より神戸商業大学大東亜研究所調査員。1944年に神戸経済大学助手、1946年に同助教授、1952年に同教授に昇進。
草野 文男(くさの ふみお、1915年5月24日 - 199… 草野 文男(くさの ふみお、1915年5月24日 - 1996年8月21日)は、中国研究者。 1915年、福島県いわき市で生まれた。法政大学に進学するが、1939年に中退。中央大学に移るが、1941年に中退。北京大学で学ぶが、中退。 その後、外務省に入省し、情報部、調査部、調査局で勤務。その後、拓殖大学政経学部助教授に転じた。1960年、学位論文『中共計画経済の実証的研究』を拓殖大学に提出して経済学博士号を取得。後に教授昇格。1987年に拓殖大学を退任し、名誉教授。となった。1996年8月21日、肺癌のため死去。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
臼井 勝三(うすい かつぞう、1913年(大正2年)5月24… 臼井 勝三(うすい かつぞう、1913年(大正2年)5月24日 - 2004年(平成16年)5月20日)は、日本の政治家。岩手県大船渡市長(3期)。 岩手県大船渡市出身。高小卒。卒業後は、郵便局に勤務し、その後、気仙郡広田村役場に入り、書記となる。戦時中の1939年に召集され、4年後に帰還、復職し、収入役、助役となる。。戦後は盛岡市役所に転じ、文書、審査の各係長を務めた。1953年に市制施行後の大船渡市に戻り、市役所に勤務。福祉事務所長、産業、総務、財務の各課長を経て、収入役、助役となり、1976年、大船渡市長に当選した。市長は3期務め、3期途中の1986年に病気のため退任した。1987年秋の叙勲で勲四等瑞宝章受章。
川原 琢磨(かわはら たくま、1911年5月24日 - 19… 川原 琢磨(かわはら たくま、1911年5月24日 - 1980年10月2日)は、日本の土木・地球物理学者。大阪工業大学第5代学長。工学博士(大阪大学)。輻射科学研究会元監事。 専門は地球物理学・ 地球環境科学、環境水理学・土木工学、農業土木・農業気象学。 福岡県出身。京都帝国大学理学部地球物理学科卒業(第3講座気象学指導教授:日本気象学会関西支部創設者の滑川忠夫)。同大学助手などを経て、1949年大阪工業大学工学部土木工学科教授 。1961年工学博士(大阪大学)。1972年大阪工業大学学長に就任するも、翌年、健康上の都合により同大学退官。 大阪工業大学工学部土木工学科にて、20年以上教鞭を執り、特に大学初期の地球環境科学/環境水理学と土木工学の融合の研究育成に貢献した。
栗原 一登(くりはら かずと、1911年〈明治44年〉5月2… 栗原 一登(くりはら かずと、1911年〈明治44年〉5月24日 - 1994年〈平成6年〉12月19日)は、日本の演出家、児童劇作家。女優栗原小巻の父。 福岡県出身。小倉師範卒業、満州(現、中国東北部)に渡り、大連市に居住。のちに日本大学演劇科卒。 日本大学の講師、テレビ俳優学院理事長などを務め、「泥かぶら」(真山美保作)などを演出する。『学生演劇』を創刊し、教科書用戯曲教材の執筆など、児童・青少年演劇の育成に努めた。日本児童演劇協会会長を務めた。 1981年、『飛ぶ教室』編集委員。 (1994-12-19) 1994年12月19日(83歳没)。住所は東京都杉並区永福1丁目。