河村 参郎(かわむら さぶろう、1896年(明治29年)10… 河村 参郎(かわむら さぶろう、1896年(明治29年)10月7日 - 1947年(昭和22年)6月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は中将。 1924年陸大(36期)卒後、東京帝国大学で学び、陸軍省軍務局付として1934年までフランスに駐在。1936年には二・二六事件の軍法会議判士を務めた。1937年北支那方面軍参謀として日中戦争に出征。1941年歩兵第9旅団長としてマレー作戦に参加。1942年昭南警備司令官としてシンガポール市内の掃討作戦を指揮。同年12月、印度支那駐屯軍参謀長。終戦後、シンガポール華僑粛清事件の戦犯容疑で逮捕され、1947年4月に死刑判決を受け、同年6月、シンガポールで刑死。
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尹 日善(ユン・イルソン、いん にちぜん、1896年10月5… 尹 日善(ユン・イルソン、いん にちぜん、1896年10月5日 - 1987年6月22日)は、大韓民国の医師、教育者、医学者、大学教授。大韓民国学術院会長、ソウル大学校総長などを歴任した韓国医学界の泰斗。本貫は海平尹氏(朝鮮語版)、号は東湖(동호、ドンホ、とうこ)。日本姓、日本名は伊東 日善(いとう にちぜん)。 1896年10月5日、日本の東京府東京市にて、教育者の尹致旿(ko:윤치오)と李淑卿(이숙경、李敬淑とも)夫妻の長男として生まれる。 父の致旿は1884年の甲申政変で日本に避難した後一旦帰国、その後日本留学生監督に任命されるなど日本との往来が多い人物だった。1906年に大韓帝国に帰国し、父の職場近くにあった漢城府鋳洞(日本名日出町)の京城日出小学校に通った。
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山本 義章(やまもと よしあき、1896年10月5日 - 1… 山本 義章(やまもと よしあき、1896年10月5日 - 1961年9月26日)は、日本の内務官僚、弁護士。第32代京都府知事(最後の官選知事)、陸軍司政長官。 鳥取県鳥取市出身。山本吉太郎の長男。東京帝国大学法科卒業。 大阪市警察署長、北海道庁・兵庫県・警視庁各特高課長、大阪府工場課長、長野県書記官・警察部長、千葉県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、熊本県経済部長、秋田県書記官・総務部長、ジャカルタ州長官、京都府知事を歴任。その後、公職追放となる。 1946年弁護士を開業。追放解除後の1953年の第3回参議院議員通常選挙において出身地の鳥取地方区から緑風会公認で立候補したが落選した。
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平井 清(ひらい きよし、1896年10月4日 - 1979… 平井 清(ひらい きよし、1896年10月4日 - 1979年1月16日)は、日本のキリスト教聖職者。日本福音ルーテル教会牧師。 久留米ルーテル教会伝道者平井輝熊の長男として、福岡県遠賀郡に生まれる。1911年4月博多ルーテル教会で山内量平より受洗。1916年福岡県立中学修猷館を経て、同年九州学院(現・九州学院中学校・高等学校)神学部に入学。在学中に渡米してレノア・リン・カレッジ、フィラデルフィア・ルーテル神学校、更にドイツに渡ってライプツィヒ大学神学部で学び、1927年帰国。 名古屋の千種教会牧師、目黒(都南)教会初代牧師を歴任。日本ルーテル神学専門学校(1964年日本ルーテル神学大学となり、1996年ルーテル学院大学と改称)教授も務めた。
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工藤 良一( くどう りょういち、1896年10月2日 - … 工藤 良一( くどう りょういち、1896年10月2日 - 1959年1月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
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高辻 武邦(たかつじ たけくに、1896年(明治29年)10… 高辻 武邦(たかつじ たけくに、1896年(明治29年)10月1日 - 1963年(昭和38年)3月21日)は、日本の内務官僚、政治家。第2代富山県知事(1948年11月23日 - 1956年9月30日、2期)。孫に第6代北海道知事を経て参議院議員となった高橋はるみ、元日本海ガス・日本海ガス絆ホールディングス社長で、富山県知事の新田八朗がいる。 富山県出身。高岡市・高辻喜作の二男。旧制富山県立高岡中学校、旧制第二高等学校卒業。1922年、文官高等試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省。山口県属。引揚援護院次長を経て、官選最後の大阪府知事(第35代・1947年3月11日 - 1947年4月12日)。
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前田 寛治(まえた かんじ、1896年10月1日 - 193… 前田 寛治(まえた かんじ、1896年10月1日 - 1930年4月16日)は、日本の洋画家。鳥取県出身。 人物写実画の名手として知られ、満33歳という若さで早逝し10年に満たない短い活動期間であったが、彼の古典的構図でのフォーヴィスム的筆致が「前寛ばり」という流行語を生むなど当時の芸術家に多大な影響を与えた。なお、名字の読みは「まえた」である。 1896年10月1日、鳥取県東伯郡北条町(現:北栄町)国坂の豪農の次男に生まれる。1914年に倉吉中学(現:倉吉東高等学校)を卒業。第三高等学校(現:京都大学)の受験に失敗して画家を志し、美術教師の中井金三に1年間絵を学ぶ。さらに上京して白馬会葵橋洋画研究所で学び、1916年に東京美術学校(現:東京芸術大学)に入学を果たす。
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鈴木 醇(すずき じゅん、1896年10月1日 - 1970… 鈴木 醇(すずき じゅん、1896年10月1日 - 1970年3月12日)は、日本の地球科学者。専門は、鉱床学・岩石学。理学博士(東京大学・1930年)(学位論文「Petrological study of the crystalline schist system of Shikoku, Japan(四國に於ける結晶片岩系の岩石學的研究)」)。北海道帝国大学教授を歴任。栃木県宇都宮市生まれ。 1914年、旧制宇都宮中学校を卒業。1918年、第二高等学校を経て東京帝国大学理学部地質学科へ入学。1921年卒業後助手となり、加藤武夫教授の下で鉱床学の研究を始める。1924年第一高等学校教授となり、1928 - 30年、スイスのチューリヒ大学に留学する。
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北澤 國男 (きたざわ くにお、1895年10月31日 - … 北澤 國男 (きたざわ くにお、1895年10月31日 - 没年不明) は、日本の実業家。東洋バルヴの創業者。 長野県諏訪郡上諏訪村(現諏訪市)生まれ。小学校卒業後、1916年に北沢製作所を設立、1943年に株式会社北沢工業に改組し代表取締役社長に就任。1946年諏訪商工会議所初代会頭。1970年勲三等珠宝章受勲。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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西田 正雄(にしだ まさお、1895年(明治28年)10月2… 西田 正雄(にしだ まさお、1895年(明治28年)10月26日 - 1974年(昭和49年)3月19日)は、日本の海軍軍人。海兵44期恩賜・海大26期恩賜。最終階級は海軍大佐。 1895年(明治28年)10月26日、兵庫県揖保郡神岡村東嘴崎(現たつの市神岡町)に生まれる。小学校のころより抜群の成績を誇った。旧制龍野中学校でも成績はトップであり、龍野中学校のクラスメートであった哲学者の三木清でさえも次席でついに西田を抜くことができなかった。また『陸の田中、海の西田』(田中とは、終戦時の第12方面軍司令官 兼 東部軍管区司令官であった田中静壱陸軍大将〈陸士19期恩賜・陸大28期恩賜〉)と並び評された。
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郷隆(ごう たかし、1895年10月26日 - 1944年4… 郷隆(ごう たかし、1895年10月26日 - 1944年4月18日)は、日本の教育者、ボート選手。
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鳥山 四男(とりやま よつお、1895年10月25日 - 1… 鳥山 四男(とりやま よつお、1895年10月25日 - 1981年12月7日)は、日本の電気工学者。武蔵工業大学名誉教授。専門は高電圧工学。 長野県東筑摩郡笹賀村(現松本市)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、東北帝国大学専門部修了後、同工学部電気工学科卒業。1922年理化学研究所助手、1924年文部省在外研究員となり、アーヘン工科大学に留学。1926年北海道帝国大学工学部教授。1930年工学博士(東北帝国大学)。1944年日立製作所中央研究所に転じ、1946年同所長。1951年東北大学教授となり、1958年武蔵工業大学教授、1971年退職。1979年日本学士院会員選出。 放電現象の解析分布手段として沿面放電図形法を開発し、破壊事故の原因を発見し、且つ真空、気体、液体、固体の全てにわたって一貫性のある破壊機構があることを発見した。
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奥 むめお(おく むめお、1895年10月24日 - 199… 奥 むめお(おく むめお、1895年10月24日 - 1997年7月7日)は、日本の婦人運動家、政治家。参議院議員を計3期務め、1961年(昭和36年)に勲二等宝冠章を受章し、没後に正四位を追賜された。1989年(平成元年)に福井市名誉市民の称号を贈られた。本名は奥 梅尾(読み同じ)。 福井県福井市の鍛冶屋、父・和田甚三郎、母・はまの長女として出生した。年少時から婦人労働問題に強い関心を示し、福井高等女学校(現在の福井県立藤島高等学校)を経て、1916年(大正5年)日本女子大学校卒業後、労働組合期成会の機関紙『労働世界』の記者になり、身分を偽り富士瓦斯紡績に一女工として潜入取材したレポートが反響を呼んだ。
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木下 友敬(きのした ゆうけい、1895年10月24日 - … 木下 友敬(きのした ゆうけい、1895年10月24日 - 1968年11月14日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。下関市長(1期)。医学博士。旧姓は平川。 山口県出身。1921年九州帝国大学医学部卒。九州歯科医専教授を経て、1927年下関市で内科を開業する。1956年の第4回参議院議員通常選挙で山口県から日本社会党公認で立候補して当選した。参議院議員を1期務めた後は、1963年下関市長に当選した。1966年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。1967年まで市長を務め、1968年11月14日死去、73歳。死没日をもって従四位に叙され、銀杯一組を賜った。 山口県医師会会長、下関山岳会会長、山口県山岳連盟会長も歴任した。
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浅井 清(あさい きよし、1895年(明治28年)10月24… 浅井 清(あさい きよし、1895年(明治28年)10月24日 - 1979年(昭和54年)8月14日)は、日本の法学者。専門は行政法。学位は、法学博士。人事院初代総裁、貴族院勅選議員。正三位勲一等瑞宝章、銀杯一組(菊紋)。 兵庫県神戸市生まれ。1919年(大正8年)、慶應義塾大学部法律科を卒業。1925年(大正14年)から1928年(昭和3年)までヨーロッパに留学、1929年(昭和4年)法学部教授に就任。憲法・行政法を専攻し、ハンス・ケルゼンの影響を受け天皇機関説を主張した。 1946年(昭和21年)7月19日に貴族院議員に勅選され、交友倶楽部に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
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甘粕 二郎(あまかす じろう、1895年10月24日 - 1… 甘粕 二郎(あまかす じろう、1895年10月24日 - 1987年9月13日)は、日本の経営者、銀行家。山形県出身。甘粕正彦の弟。 1919年に東京帝国大学法学部英法科を卒業。三菱商事、三菱銀行での勤務を経て、1927年に三菱信託銀行に転じ、取締役、常務、副社長を歴任し、1959年6月に社長に就任。1965年5月には会長に就任。 1962年に藍綬褒章を受章し、1975年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1987年9月13日老衰のために死去。91歳没。墓所は多磨霊園。
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荒井 源太郎(あらい げんたろう、1895年〈明治28年〉1… 荒井 源太郎(あらい げんたろう、1895年〈明治28年〉10月22日 - 1975年〈昭和50年〉8月6日)は、愛媛県新居浜市の第5代市長(任期:1947年4月5日 - 1951年4月4日)。公選での初代市長となった。位階は従六位。 別子山村(現:新居浜市)の生まれで、目出度町(めったまち)と言われる鉱山町山方に生家があった。住友私立の小足谷小学校で学んだ。住友に勤務。1937年、第1回新居浜市会議員選挙に当選し2期務めた。1947年4月5日の市長選挙で市議会議長だった黒川雄之進と助役だった白石喜八を破り当選した。市長在任中は、戦後復興に尽力したが、任期中の1950年3月17日には新居浜市への昭和天皇巡幸があり、宮西小学校、日新化学(後の住友化学)、四国機械(後の住友重機械工業)などへの視察を先導している。
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箕作 秋吉(みつくり しゅうきち、1895年10月21日 -… 箕作 秋吉(みつくり しゅうきち、1895年10月21日 - 1971年5月10日)は、日本のクラシック音楽の作曲家である。箕作元八の長男として東京都に生まれた。箕作阮甫の曾孫にあたる。東洋音楽大学教授。
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吉永 義信(よしなが よしのぶ、1895年10月21日 - … 吉永 義信(よしなが よしのぶ、1895年10月21日 - 1985年4月3日)は、日本の庭園史家。文化財保護に通算54年の長きにわたって名勝、特に庭園の保存に携わった。広島県出身。 1919年(大正8年)第六高等学校(旧制)卒業。1922年(大正11年)東京帝国大学農学部農学科卒業。卒業論文は「大都市における公園墓地」。同年、大学院に進学。原煕に師事。内務省発行名勝調査報告第一集の庭園実測図をすべて担当。同大学農学大学院は1927年(昭和2年)3月まで在籍。かたわら、内務省から史蹟名勝調査のための委嘱をうけ、調査はその後文部省、文化庁と所轄がわたるが、引き続いて担当、1976年まで、古庭園の調査と指定にあたった。
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初代納富 寿童(のうとみ じゅどう、1895年(明治28年)… 初代納富 寿童(のうとみ じゅどう、1895年(明治28年)10月20日 - 1976年(昭和51年)2月24日)は、日本の尺八演奏家、作曲家。流派は琴古流荒木派。本名は納富安治(のうとみ やすじ)。後に芸名を納富寿翁(のうとみ じゅおう)に改名。 1895年10月20日、佐賀県三養基郡土井内(当時南茂安村、後に三根町、現みやき町)で納富孫三郎の次男として生まれる。海軍中将・松永貞市(旧姓・納富)とその妻・イツヨとは親戚。イツヨは女学校生時代に中学生の寿童と叔母の家で一緒に過ごし、寿童について「尺八は中学生のころから吹いていました。上手か下手かはわかりませんでしたが、割合におとなしいほうで、私にも親切にしてくれました。
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芳川 赳(よしかわ たけし、1895年10月20日 - 19… 芳川 赳(よしかわ たけし、1895年10月20日 - 1951年7月9日)は、美術評論家、作家。 長崎県島原市生まれ。長崎県立島原中学校(現長崎県立島原高等学校)、明治大学卒業、出版界に入り小説、評論などを書く。美術春秋社を興し、『美術春秋』『日本画傑作年鑑』等の編輯発行者となる。戦後は「美術鑑賞」を発行した。
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瀬川 清子(せがわ きよこ、1895年(明治28年)10月2… 瀬川 清子(せがわ きよこ、1895年(明治28年)10月20日 - 1984年(昭和59年)2月20日)は日本の民俗学者。元大妻女子大学教授。秋田県出身。日本の女性民俗学者の草分けのひとり。 1895年(明治28年)に秋田県鹿角郡毛馬内町(現鹿角市)で岩船源太郎、スケ夫妻の長女として誕生する。本名はキヨ。母は、産後の肥立ちが悪く、キヨが1歳になる前に亡くなった。里子に出されたが、父が後妻を迎え、実家に戻った。その後は、同居している叔母や祖父がキヨの教育を行い、1909年(明治42年)、14歳の時に毛馬内尋常高等小学校を卒業。準教員検定準備場を経て、母校の小学校などに勤務したのち、1915年に尋常小学校本科正教員の免許を取得し,毛馬内小学校はじめ、いくつかの学校で訓導として働きながら、1917年(大正6年)には、同じく教師として働いていた瀬川三郎と結婚した。
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佐藤 武雄(さとう たけお、1895年10月17日 - 19… 佐藤 武雄(さとう たけお、1895年10月17日 - 1958年7月1日)は、日本の法医学者。医学博士(1928年、東京帝国大学)。 長野県小県郡大門村(現長和町)出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1922年東京帝国大学医学部卒業。1926年東京医学専門学校教授、1929年京城帝国大学教授、1944年に東京で行われた法医学会出席のため帰国し、そのまま郷里で終戦を迎えた。1948年旧制松本医学専門学校教授、同法医学教室主任教授、1950年校長兼信州大学医学部長、1954年学長を歴任した。 俳人としては「眉峰」と号し、高浜虚子に師事し、「ホトトギス」同人。京城時代に俳句結社「水砧」を主宰した。
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川田 芳子(かわだ よしこ、1895年10月17日 - 19… 川田 芳子(かわだ よしこ、1895年10月17日 - 1970年3月23日)は、大正・昭和期の女優である。日本映画草創期の人気女優であった。 1895年(明治28年)10月17日、新潟市の花街・古町に踊りの市山流四代目 市山七十世師匠と、父原良一の娘として生まれた。11歳のとき、一家で上京し、長唄を五代目杵屋勘五郎に、舞踊を二代目藤間勘右衛門に師事した。新橋から芸妓になった後、川上貞奴に預けられ、「川上芳子」の芸名で貞奴一座の『八犬伝墨田の高楼』(帝国劇場)で初舞台を踏んだ。以降、貞奴と行動を共にし、新派の舞台で活躍した。 松竹の新派などを経て、1920年(大正9年)、その美貌をかわれて創立早々の松竹蒲田撮影所にスターとして迎えられる。
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森川 仙太(もりかわ せんた、1895年(明治28年)10月… 森川 仙太(もりかわ せんた、1895年(明治28年)10月16日 - 1981年(昭和56年)12月27日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、和歌山県有田市長。位階は従五位。 和歌山県有田郡宮崎村(箕島町、有田町を経て現有田市新堂)で、森川仙太郎の二男として生まれる。1914年(大正3年)和歌山県立和歌山中学校(現和歌山県立桐蔭中学校・高等学校)を卒業した。 柿本銀行に入行。簑島信用組合理事、日本除虫菊輸出組合理事、和歌山県除虫菊製品工業組合専務理事、帝国除虫菊取締役社長、北海道除虫菊工業取締役社長、紀ノ川製粉取締役社長、キング除虫菊取締役社長、北王製油取締役社長などを務めた。 1918年(大正7年)紀勢西線鉄道敷設期成同盟会幹事長に就任。
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林 好次(はやし こうじ、1895年(明治28年)10月15… 林 好次(はやし こうじ、1895年(明治28年)10月15日 - 1959年(昭和34年)12月4日)は、昭和期の漁業経営者、政治家。衆議院議員、網走市名誉市民。 滋賀県 坂田郡春照村(伊吹村、伊吹町を経て現米原市)で生まれる。1918年(大正7年)網走に移住して雑貨店(林屋商店前身)を経営。1935年(昭和10年)ごろに水産不況に対応するため北洋出漁組合を結成して、鮭鱒漁で成果を収めた。網走漁業会長、北海道水産業会理事、林屋商会取締役、北見綜合木材取締役、藤林商会取締役社長、網走水産冷蔵取締役社長などを務めた。 網走町会議員、北海道会議員、網走市議会議長に在任。1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で北海道第5区から民主党所属で出馬して当選。
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9代九鬼 紋七(くき もんしち、1895年(明治28年)10… 9代九鬼 紋七(くき もんしち、1895年(明治28年)10月13日 - 1990年(平成2年)11月17日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(1期)を務めた。旧名・徳三、号・寿園。 三重県出身。四日市で代々肥料商を営む大地主の長男として生まれる。家業を継いだ父親の先代紋七は三重県の多額納税者であり、九鬼産業の重役を務めた。1921年慶應義塾大学部理財科卒業。1927年に父親が死去し、家督を相続。英国留学、欧米視察の後、東洋紡績監査役、東洋電線監査役、日本無線電信取締役、三重銀行頭取などを務め、1942年の総選挙(いわゆる翼賛選挙)で翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。戦後、日本進歩党に加入するが、推薦議員のため公職追放となる。
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深瀬 基寛(ふかせ もとひろ、1895年10月12日 - 1… 深瀬 基寛(ふかせ もとひろ、1895年10月12日 - 1966年8月21日)は、日本の英文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 高知県吾川郡春野町(現高知市)生まれ。1916年第三高等学校卒、1919年東京帝国大学卒。1920年京都帝国大学大学院入学、中学校教諭ののち、1922年松江高等学校教授、1925年三高講師、1927年教授、49年京大教養部教授、1958年10月定年退官、名誉教授、南山大学教授。1966年大手前女子大学教授。没後従三位贈位勲三等瑞宝章受勲。 マシュー・アーノルドやT・S・エリオットの紹介、研究に努めた。1955年、『エリオット』で第6回読売文学賞受賞。若いころ湯浅芳子に恋していたことが瀬戸内寂聴『孤高の人』に書かれている。
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小出 廉二(こいで れんじ、1895年10月11日 - 19… 小出 廉二(こいで れんじ、1895年10月11日 - 1994年12月14日)は、日本の法学者で、教育者。明治大学法学部の部長を務めた後、明治大学学長を勤めた。岡山県新見市出身。 生誕地は新見市中心部より約4km北に離れた地で、幼少期は中心部にある小学校まで毎日徒歩で通学したという。また農閑期に演じられる備中神楽を愛好し、自身も演じるに至った。 旧制岡山県立高梁中学校(現:岡山県立高梁高等学校)に進み、縁戚の者の家に下宿して通学した。中学卒業後は旧制第一高等学校に進学した。一高進学の理由について、小出自身は小学校OBで進学した先輩からの影響と語っているほか、教え子の一人は小出の入学前に一高校長を務めていた新渡戸稲造への憧れがあったと記している。
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山名 義芳(やまな ぎほう、1895年10月11日 - 19… 山名 義芳(やまな ぎほう、1895年10月11日 - 1960年3月26日)は、真宗大谷派僧侶、衆議院議員(1期)。 兵庫県出身。1920年大谷大学を卒業。僧侶となり少年保護司などとして活動。岐阜教務所、高岡教務所、神戸教務所、富山教務所の所長を歴任し、大谷派教学顧問に就任を経て鹿児島教務所長になった。 政治家としては第23回衆議院議員総選挙に民主自由党から兵庫県第4選挙区で立候補し当選。国会では花まつりを祝日にするよう求める請願を行なった。
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井口 良二(いぐち りょうじ、1895年〈明治28年〉10月… 井口 良二(いぐち りょうじ、1895年〈明治28年〉10月11日 - 1991年〈平成3年〉12月14日)は、日本の実業家。日東製粉社長。三菱商事常務取締役。衆議院議員岸田文武の義父。衆議院議員で第27代自由民主党総裁かつ第100代内閣総理大臣岸田文雄の母方の祖父。 佐賀県唐津市に生まれる。井口兆之助の二男。1919年、東京高等商業学校(現・一橋大学)本科卒業。三菱商事に入社。本店、倫敦、スラバヤ、神戸、大阪各支店に勤務。同社常務、旭交易、日東製粉各社長などをつとめた。 1991年12月14日に死去。享年96歳。墓所は青山霊園。 趣味は園芸、音楽、屋外運動。宗教は仏教。住所は東京都渋谷区神宮前六丁目穏田マンション内、世田谷区羽根木。
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小川 とわ(1895年10月10日 - 1964年5月25日… 小川 とわ(1895年10月10日 - 1964年5月25日)は、日本の実業家。位階は従六位。勲等は勲五等。元トンボ鉛筆会長。 創業者である小川春之助の妻。 1895年(明治28年)10月10日、旧東京市芝区に生まれる。1912年(明治45年)、17歳で小川春之助と結婚。夫の父小川作太郎は鉛筆を作る職人で自前の鉛筆工場を持っていた時期もあり、親族にも鉛筆業者が多かった。 1913年(大正2年)夫、春之助が浅草瓦町(現東京都台東区柳橋)に「小川春之助商店」を開業。当初は文房具類一式を扱っていたが、次第に鉛筆の製造販売に注力した。 とわは会社創業期には経理を手伝う傍ら宣伝広告などを担当した。1935年にはとわの人脈を通じて日本劇場(日劇)に緞帳をトンボ鉛筆が寄納して世間の注目を集めた。
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桑原 支那吉(くわばら しなきち、1895年(明治28年)1… 桑原 支那吉(くわばら しなきち、1895年(明治28年)10月7日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。広島県出身。
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源 豊宗(みなもと とよむね、1895年10月7日 - 20… 源 豊宗(みなもと とよむね、1895年10月7日 - 2001年1月17日)は、日本を代表する日本美術史家、文学博士。専門は仏教美術史。 関西学院大学教授、帝塚山学院大学教授などを歴任。1952年から1976年まで文化財保護審議会専門委員を務めた。著書に「日本美術史論究」、「日本美術史図録」、「大徳寺」などがある。元大阪芸術大学教授で文芸評論家の源高根は息子。 福井県武生市(現:越前市)に生まれる。1918年、曹洞宗大学(のちの駒澤大学)卒業。その後、京都帝国大学に進み、1925年京都帝国大学文学部美学美術史科卒業。在学中から仏教美術に関心を持っていた。源 豊秋の筆名で論文「気比神社の桃太郎彫刻」(1923年)を発表。
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加藤 弘造(かとう こうぞう、1895年(明治28年)10月… 加藤 弘造(かとう こうぞう、1895年(明治28年)10月7日 - 1982年(昭和57年)7月28日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、静岡県志太郡島田町長。 静岡県志太郡島田町本通り(現島田市)で、木材業、加藤商事会社・加藤友吉の四男として生まれる。1916年(大正5年)早稲田大学予科 を卒業した。 家業の加藤商事会社社員となる。1920年代に、廓潰運動、部落解放運動、無政府運動に係わり、静岡県水平社などに資金援助を行った。1931年(昭和6年)静岡県会議員に選出され3期在任し、参事会員も務めた。1934年(昭和9年)島田町長に就任し3期在任した。日中戦争に出征し陸軍中尉となる。
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中山 栄一(中山 榮一、なかやま えいいち、1895年10月… 中山 栄一(中山 榮一、なかやま えいいち、1895年10月7日 - 1976年8月21日)は、日本の政治家。衆議院議員。 群馬県出身。早稲田大学商学部卒業。龍ケ崎町会議員、茨城県会議員、同参事会員などを歴任。 1946年、戦後初の衆院選に茨城県選挙区から無所属で立候補し当選。その後、公職追放となり、追放解除後は旧茨城県第1区において第25回・第27回・第29回・第30回・第31回総選挙で当選し、衆議院議員を通算6期務めた。1969年12月の第32回総選挙には立候補せず引退。 その後、石橋内閣・第1次岸内閣の北海道開発政務次官、第1次佐藤内閣の行政管理政務次官、衆議院災害対策特別委員会理事、衆議院農林水産委員会委員などを歴任した。
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蜂谷 輝雄(はちや てるお 1895年10月4日 - 197… 蜂谷 輝雄(はちや てるお 1895年10月4日 - 1979年7月2日)は、日本の外交官。自由インド仮政府初代公使や内閣総理大臣秘書官を務めた。
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杉村 廣藏(すぎむら こうぞう、1895年10月3日 - 1… 杉村 廣藏(すぎむら こうぞう、1895年10月3日 - 1948年1月8日)は、経済哲学者。旧制東京商科大学(一橋大学の前身)助教授や予科教授を務めていたが、白票事件と呼ばれる学内抗争に巻き込まれ大学を退職したのち、三菱商事監査役等を務めたが早世した。師の左右田喜一郎とともに経済哲学の創始者とされる。東京商科大学経済学博士。 北海道函館生まれ。函館商業学校(現北海道函館商業高等学校)本科を経て、1915年東京高等商業学校(一橋大学の前身)予科に進み、同本科や専攻部で左右田喜一郎や三浦新七に師事する。 1921年同校専攻部卒業、商学士。同年旧制東京商科大学(東京高等商業学校から大学に昇格、新制一橋大学の前身)助手、1923年同大学助教授就任。
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岩城 秀哉(いわき ひでや、1895年10月2日 - 没年不… 岩城 秀哉(いわき ひでや、1895年10月2日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名は中家 秀一(なかや ひでかず)。旧芸名は岩城 秀雄(いわき ひでお)。 1895年(明治28年)10月2日、兵庫県神戸市山本通(現在の同県同市中央区山本通)に生まれる。関西学院中学部卒業後、早稲田大学英文科に進学する。 早稲田大学2年修了(中退)後、海運業輸出部主任を務めていたが、1917年(大正6年)、岩城秀雄という芸名で新国劇創立と共に同劇団に入団。以降、主に端役・脇役として出演するが、1922年(大正11年)頃からは岩城秀哉と改名して活動している。1924年(大正13年)1月、帝国キネマへ入社。同年2月7日に公開された佐藤紅緑原作の松本英一監督映画『大盗伝』や、同年4月2日に公開された若山治監督映画『肉弾』など、悪役俳優として活躍していたが、出演配役に岩城の名前は見当たらず、岩城自身も少々不平があったようである。
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熊谷 憲一(くまがい けんいち、1895年(明治28年)10… 熊谷 憲一(くまがい けんいち、1895年(明治28年)10月2日 - 1956年(昭和31年)10月9日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、北海道庁長官、衆議院議員。 福岡県出身。裁判所吏員・熊谷澄の長男として生まれる。小倉中学、第五高等学校を経て、1920年(大正9年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1919年(大正8年)10月、高等試験行政科試験に合格し、1920年(大正9年)10月、農商務省に入り農商務属となり工務局労働課兼工務課勤務となる。1922年(大正11年)11月、内務省に転じ内務省社会局属として第二部保険課に配属された。その後、保険部経理課長、社会局庶務課長、大臣官房会計課長、厚生省職業部長などを歴任。
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高畠 達四郎(たかばたけ たつしろう、1895年10月1日 … 高畠 達四郎(たかばたけ たつしろう、1895年10月1日 - 1976年6月26日)は、日本の画家。独立美術協会会員。1952年2月に「暮色」で毎日芸術賞を受賞。
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緒方 久人(おがた ひさと、1895年10月1日 - 197… 緒方 久人(おがた ひさと、1895年10月1日 - 1970年)は、日本の柔道家(講道館9段)。 広島県呉市にて戦前の海軍はじめ各所で半世紀以上に渡り柔道指導を行い、広島市を中心に活動した倉田太一と共に県下柔道界の大家としてその振興・普及に尽力した。 福岡県の久留米市に生まれた。幼少時より扱心流の柔術を学び、旧制中学校を卒業後に上京して1912年3月に講道館へ入門。返し技(当時は“裏技”と言った)の名手として名高い高橋数良の元で専心修行し、ここで返し技に不可欠な足技を磨き終生の武器として会得した。 1914年2月に初段を許されると、翌1915年に郷里・久留米の憲兵隊柔道教師を拝命し、1918年5月には恩師高橋の斡旋により2段格として呉鎮守府海兵団および江田島海軍学校の柔道教師に着任した。
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河野 多麻(こうの たま、1895年10月 - 1985年1… 河野 多麻(こうの たま、1895年10月 - 1985年1月24日)は、日本の国文学者。河野与一の妻。 静岡県浜松市生まれ。旧姓中村。1913年静岡女子師範学校卒、小学校教諭を一年勤めたのち、東京女子高等師範学校に入り、1918年卒業、川越高等女学校教諭、1920年から1923年まで東京帝国大学で初の女子聴講生となり国文学を学び、実践女学校専門部国文科教師、1928年東北帝国大学法文学部に入学、当時助教授であった河野与一と知る。1931年卒業し実践女子専門学校講師。1937年教授となり、河野との結婚を公表する。1943年辞職し、1944年河野のいる宮城県築館町に疎開、戦後1950年に与一が岩波書店顧問となり上京、1962年『宇津保物語』全三巻を岩波古典文学大系として刊行する。
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浅野 義夫(あさの よしお、1895年(明治28年)10月 … 浅野 義夫(あさの よしお、1895年(明治28年)10月 - 1976年(昭和51年)5月15日)は、日本の実業家で、浅野総一郎の四男、浅野財閥の各社の重役を歴任した。 浅野義夫は明治28年 (1895年) 10月に浅野総一郎の四男として生まれた。最初は龍蔵という名前だったが、義夫に改名した。大正8年 (1919年) に小樽高商を卒業すると、すぐに渡米し、ニューヨークのグレース商会 (W. R. Grace Co., New York) に三年間勤務した。大正10年に帰国してからは、浅野財閥の多数の会社の重役を同時に務めた。昭和12年頃は、小倉製鋼の東京出張所に毎日出勤して社務を統べた。戦後の財閥解体後は、東都製鋼相談役やトピー工業最高顧問を務め、尼崎築港の大株主でもあった。
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前田 荻邨(まえだ てきそん、1895年10月 - 1947… 前田 荻邨(まえだ てきそん、1895年10月 - 1947年1月19日)は、神戸市出身の日本画家。本名は八十八。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
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原 淳一郎(はら じゅんいちろう、1894年〈明治27年〉1… 原 淳一郎(はら じゅんいちろう、1894年〈明治27年〉10月30日 - 1975年〈昭和50年〉6月2日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(2期)。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。 高知県安芸郡田野村(現田野町)で生まれた。1919年明治大学法律科卒。弁護士となる。兵庫県議、同参事会員、神戸市議、同参事会員、神戸弁護士会副会長となる。高知電気工業、国策化学工業、神戸機械工作所各(株)取締役、(株)播磨造船所監査役、神陽汽船、大陸鉱業、秋岺鉱業、三陽工業、三陽精機、太平金属各(株)社長、ラジオ高知初代社長、高知放送取締役となる。 1932年の第18回衆議院議員総選挙において兵庫2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選。
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佐藤 章(さとう あきら、1894年〈明治27年〉10月28… 佐藤 章(さとう あきら、1894年〈明治27年〉10月28日 - 1921年〈大正10年〉11月3日)は、大正時代に活躍した日本の民間パイロット。民間飛行家の草分け。章は飛行家になってからの雅号であり、本名は佐藤要蔵。死後、彼のよき理解者のひとりであった東京日日新聞の小野蕪子からは「飛行詩人」と称された。 秋田県仙北郡金沢西根村字下菻沢(後の美郷町)に佐藤平治・富子夫妻の三男として生まれた。佐藤家は、章の祖父金重の代に永苗字帯刀が御免となった地主で、父平治は幼少期に同じ村の佐藤長左衛門家から養子に出され、のちに生まれた金重の娘富子と結婚した。 金沢西根尋常小学校を4年で修了した後、隣りの平鹿郡角間川町(後の大仙市)の高等小学校に2年通った。
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大金 益次郎(おおがね ますじろう、1894年〈明治27年〉… 大金 益次郎(おおがね ますじろう、1894年〈明治27年〉10月28日 - 1979年〈昭和54年〉3月11日)は、昭和期の日本の官僚。 栃木県出身。大田原中学、二高を経て、1919年(大正8年)に東京帝国大学法学部を卒業し、内務省に入省。 大阪府保安課長・京都府地方課長などを経て、1927年(昭和2年)宮内省に移る。宮内大臣秘書官・侍従・総務局長などを歴任した後、1945年(昭和20年)宮内次官。翌1946年(昭和21年)戦後初の侍従長に就任。昭和天皇の信任厚く、神奈川県を皮切りに始まった全国巡幸では、宮内大臣の松平慶民・宮内次官の加藤進とともに、巡幸の企画・立案・随行の中心人物として活躍した。
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加藤 信義(かとう のぶよし、1894年10月28日 - 1… 加藤 信義(かとう のぶよし、1894年10月28日 - 1959年4月1日)は、日本の電気工学・電子工学者。工学博士(京都帝国大学)。京都大学名誉教授・電気工学教室同窓会洛友会元副会長。大阪工業大学第2代学長。京都大学・大阪工業大学電子工学科創設者。通産省電子工業審議会元委員・電波技術審議会元委員。電子情報通信学会第34代会長。輻射科学研究会初代理事長。赤外線連合会元会長。日本学術振興会第34特別委員会委員。関西教育工業協会初代副会長。 専門は、電気工学・高周波回路、電気通信・無線工学(特に赤外線・妨害電波)、電子工学・電子顕微鏡。 1894年山口県生まれ。旧姓は蛭子屋。1918年京都帝国大学工科大学電気工学科卒業(指導教授:黎明期の日本の電気工学界を支えた重鎮で電気学会元会長の鳥養利三郎)。
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伊原 宇三郎(いはら うさぶろう、1894年10月26日 -… 伊原 宇三郎(いはら うさぶろう、1894年10月26日 - 1976年1月5日)は、日本の美術家。徳島県徳島市出身。国内外で活躍した洋画家。古典主義風の重量感のある裸婦像など,数多くの人物画を制作した。またパブロ・ピカソに傾倒し、著書を著して日本にピカソブームを巻き起こした。
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