成田 守(なりた まもる、1934年(昭和9年)8月21日 … 成田 守(なりた まもる、1934年(昭和9年)8月21日 - 2013年(平成25年)1月3日)は、平成時代の政治家。青森県五所川原市長。位階は従四位。 青森県北津軽郡松島村(現五所川原市)出身。1953年(昭和28年)青森県立五所川原農林高等学校を卒業。 1975年(昭和50年)五所川原市議会議員に当選し、1981年(昭和56年)同副議長に就任。五所川原市議会議員は3期務めた。1983年(昭和58年)より青森県議会議員を4期務め、1997年(平成9年)6月、五所川原市長に就任した。五所川原市長2期目途中の2005年(平成17年)3月28日に旧・五所川原市、金木町、市浦村が新設合併し、職務執行者を経て、新・五所川原市の初代市長に就任。
三上 隆雄(みかみ たかお、1933年11月2日-)は、日本… 三上 隆雄(みかみ たかお、1933年11月2日-)は、日本の政治家。参議院議員(1期)、青森県議会議員(3期)、相馬村議(5期)を務めた。 青森県中津軽郡相馬村のリンゴ農家出身。青森県立弘前高等学校中退。1971年、相馬村議会議員、同議長を経て、1989年の第15回参議院議員通常選挙青森県選挙区で、反核燃料を掲げ無所属で立候補し現職の松尾官平を破り、初当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選。1999年の青森県議会議員選挙弘前選挙区に出馬し、初当選。以後3期務める。2008年、民主党会派に入る。2009年の第45回衆議院議員総選挙で青森4区の津島恭一の選対本部長を務める。2011年4月、民主党公認で立候補した青森県議会議員選挙で落選。
盛 貢(もり みつぐ、1932年(昭和7年)12月9日 - … 盛 貢(もり みつぐ、1932年(昭和7年)12月9日 - 2026年(令和8年)2月20日)は、日本の政治家。元青森県西津軽郡木造町長(5期)。 青森県西津軽郡木造町(現・つがる市)出身。青森県立木造高等学校卒。柴田村(のち木造町、現・つがる市)農業協同組合専務理事、木造町議会議員、同町農業協同組合組合長理事を経て、1983年(昭和58年)木造町長に就任。5期務める。2003年(平成5年)に退任。同年、岩木川左岸地区土地改良事業促進協議会会長となる。このほか、木造町出身の横綱旭富士の後援会長を務めた。 2004年4月の春の叙勲で旭日小綬章を受章する。 2026年2月20日、老衰のためつがる市内の福祉施設で死去した。
鳴海 正泰(なるみ まさやす、1931年9月3日 -2021… 鳴海 正泰(なるみ まさやす、1931年9月3日 -2021年2月14日 )は、日本の政治家、政治学者、関東学院大学名誉教授。 青森県青森市生まれ。1954年東北大学文学部西洋史学科卒業後、東京都政調査会の研究員となる。飛鳥田一雄が横浜市長の時代に市政ブレーンとして参加し、市長特使として中国へ往復、「ヨコハマのナルミンジャ」と異名をとる。1980年関東学院大学教授、1997年定年、名誉教授となる。テニスの歴史にも詳しく、横浜山手・テニス発祥記念館館長を務めた。2021年2月14日死去。
山内 弘(やまうち ひろし、1929年2月22日 - 200… 山内 弘(やまうち ひろし、1929年2月22日 - 2006年6月30日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。息子は、元青森県議会議員の山内崇(2011年青森県知事選挙立候補者、立憲民主党青森県連合代表)。 青森県中津軽郡相馬村(現・弘前市)生まれ。弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を卒業。卒業後は、弘前郵便局、弘前電話局、弘前電気通信管理所、黒石電報電話局、弘前電報電話局で勤務した。1959年に弘前地方労働会議議長となった。1967年に青森県議会議員に初当選した。1990年第39回衆議院議員総選挙で反核燃を訴え、旧青森2区から立候補し当選。1期務める。1993年の第40回衆議院議員総選挙で落選した。
竹内 黎一(たけうち れいいち、1926年8月18日 - 2… 竹内 黎一(たけうち れいいち、1926年8月18日 - 2015年9月5日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲章は勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(10期)、科学技術庁長官(第38代)、原子力委員会委員長(第38代)、衆議院外務委員長・環境委員長等を歴任した。 父は青森県知事や衆議院議員を務めた竹内俊吉。 青森県黒石市生まれ。旧制青森中学校、旧制弘前高等学校、東京大学経済学部卒業。東大卒業後、毎日新聞社に入社。毎日新聞の政治記者、運輸大臣秘書官を経て、1963年の第30回衆議院議員総選挙に、青森県知事に転身した父・俊吉に代わって旧青森2区(定数3)から無所属で立候補し、得票数トップで初当選した(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・奥野誠亮らがいる)。
古寺 宏(こでら ひろし、1925年5月 - 1989年7月… 古寺 宏(こでら ひろし、1925年5月 - 1989年7月26日 )は、日本の政治家。公明党衆議院議員(2期)。
工藤 正(くどう ただし、1923年12月17日 - 198… 工藤 正(くどう ただし、1923年12月17日 - 1989年3月22日)は、日本の政治家。元青森市長(3期、当選は4回)。 青森県青森市出身。1948年、中央大学法学部卒業。同年、青森県庁に入庁し、2年後の1950年総理府に転じ、事務官となった。その後1961年に栃木県庁に勤務。1965年に自治省に出向した。翌1966年、青森県庁に復帰し、税務課長、総務部次長などを歴任し、1972年八戸市助役に就任し1975年まで務めた。退任後は保護司となった。 1975年、青森市長選挙に立候補するも落選。 1979年、青森市長選挙に再挑戦し初当選した。 1983年、再選。1984年、青森総合流通団地詐欺事件にからみ、助役が受託収賄容疑で逮捕される。
関 晴正(せき はれまさ、1923年11月26日 - 200… 関 晴正(せき はれまさ、1923年11月26日 - 2008年10月26日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(4期)。 青森県五所川原市出身。旧制青森中学校(現青森県立青森高等学校)を経て1945年青森師範学校を卒業。小学校教師となり、日教組中央委員。1951年青森市議に初当選。のちに青森県議を経て、1977年の参院選に青森県選挙区から出馬するが、3位で落選。 1979年の総選挙で青森県第1区から立候補して初当選。当選3回を数えたが、1986年の総選挙で落選。1990年の総選挙で復帰、1993年に引退。地盤を今村修に譲った。 2008年10月26日、脳梗塞後遺症のため青森市内の病院で死去。
斎藤 実(さいとう みのる、1923年9月25日 - 201… 斎藤 実(さいとう みのる、1923年9月25日 - 2014年11月4日)は、日本の政治家。公明党衆議院議員(6期)。 青森県下北郡大湊町(現むつ市)出身。1940年、函館市立商工青年学校(後の北海道函館工業高等学校)卒業。1959年札幌市議会議員に当選する。1期務めた後、1963年から北海道議会議員を1期務める。1967年の第31回衆議院議員総選挙で北海道1区から公明党公認で立候補して当選、以後6期務めた。1986年の第38回衆議院議員総選挙に出馬せず引退した(後継者には参議院から藤原房雄が鞍替え)。2014年死去。
小桧山 哲夫(こひやま てつお、1922年(大正11年)5月… 小桧山 哲夫(こひやま てつお、1922年(大正11年)5月10日 - 1997年(平成9年)10月23日)は、日本の政治家。青森県三沢市長(3期)。 青森県上北郡三沢村(のち大三沢町、現在の三沢市)出身。1940年(昭和15年)旧制青森県立野辺地中学校(現在の青森県立野辺地高等学校)卒。卒業後は大湊要港部建築部に就職。太平洋戦争の悪化により、陸軍に召集され、旧満州に派遣される。現地で終戦を迎え、ソ連軍によりシベリアに抑留される。1948年(昭和23年)に帰国し、大三沢町役場に就職する。 大三沢町役場は市制施行により、三沢市役所となる。小桧山は市総務課長、収入役を経て、1970年(昭和45年)青森県議会議員選挙に出馬するため三沢市役所を退職した。
佐々木 栄造(佐々木 榮造、ささき えいぞう、1920年(大… 佐々木 栄造(佐々木 榮造、ささき えいぞう、1920年(大正9年)12月16日 - 2019年(令和元年)12月26日)は、昭和から平成時代前期の政治家。青森県五所川原市長。号に遠城。位階は従四位。旭日中綬章。 青森県北津軽郡五所川原町(現五所川原市)出身。五所川原農学校を経て、日本大学法学部、同大学大学院法学研究科修士課程修了。1958年(昭和33年)日本青年団協議会長、1959年(昭和34年)青森県議会議員を経て、1962年(昭和37年)五所川原市長に当選。公職選挙法違反で1966年(昭和41年)に一度は失職しながらも直ぐに復帰、1979年(昭和54年)に病気で市長から退くものの2代後の森田稔夫がリコールによって解職されたことに伴い1989年(平成元年)6月に12年ぶり市長に返り咲き。
竹中 修一(たけなか しゅういち、1918年4月20日 - … 竹中 修一(たけなか しゅういち、1918年4月20日 - 1997年7月31日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(5期)。青森県出身。経世会所属であった。
田沢 吉郎(たざわ きちろう、1918年1月1日 - 200… 田沢 吉郎(たざわ きちろう、1918年1月1日 - 2001年12月12日)は、日本の政治家。位階は正三位。 自由民主党所属の衆議院議員。青森県南津軽郡田舎館村出身。姓のうち「沢」の戸籍上の表記は「澤」。 津島文治元青森県知事の娘婿で、1947年、29歳で青森県議会議員に初当選。1960年、「津軽のケネディ」を名乗って衆議院議員選挙に立候補し、初当選。以来12回連続当選(当選同期に宇野宗佑・海部俊樹・亀岡高夫・仮谷忠男・細田吉蔵・小沢辰男・佐々木義武・谷垣専一・久保田円次・伊藤宗一郎・田川誠一・藤井勝志など)。 自民党内では宏池会(池田勇人→前尾繁三郎→大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)に属し、衆議院議院運営委員長、国土庁長官、自民党国会対策委員長、農林水産大臣、防衛庁長官などを歴任。
成田 友三郎(なりた ともさぶろう、1917年6月6日 - … 成田 友三郎(なりた ともさぶろう、1917年6月6日 - 1989年10月17日)は、青森県青森市出身のプロ野球選手、政治家。 青森中学校から専修大学へ進学も中退。仙台鉄道局から青森林友を経て1936年に東京巨人軍へ入団。選手としての才能はなかったが、何となく好感のもてる選手だった。1938年秋季頃に体調を崩し、療養に努めたが同年で退団。 1974年に青森市議会へ自由民主党から出馬し当選。4期議員を務めた。
名尾 良孝(なお りょうこう、1917年(大正6年)3月18… 名尾 良孝(なお りょうこう、1917年(大正6年)3月18日 - 1991年(平成3年)5月6日)は、日本の弁護士、政治家。参議院議員(2期)。父は内務官僚で、秋田県知事(官選)を務めた名尾良辰。 青森県青森市生まれ。名尾良辰の四男。1921年に浦和に移り、浦和中学を経て、1921年に中央大学法学部卒業。 戦後に弁護士を開業する。1959年、埼玉県議会議員に当選。以来連続6期在任する。在職中には埼玉県議会議長を務めた。その後1980年の第12回参議院議員通常選挙に自民党公認で埼玉県地方区(1986年の参院選は埼玉県選挙区)から立候補し初当選。鈴木派→宮沢派に属した。法務政務次官、参議院内閣委員長、同商工委員長、自由民主党埼玉県支部連合会会長、埼玉菊花連盟顧問などを歴任した。
北村 正哉(きたむら まさや、1916年 <大正5年> 5月… 北村 正哉(きたむら まさや、1916年 <大正5年> 5月3日 - 2004年 <平成16年> 1月26日)は、日本の政治家。青森県で県議会議員・副知事を各3期、その後知事を4期にわたって務めた。位階は正四位。 正哉の哉の文字は、本来は旁にノが付かないものだが、異体字でコンピュータ上で表現できないケースがあるため、「〓」として註釈するか、「哉」で代用するか、「まさや」とひらがなで表記されるケースがある。 上北郡三沢村(現・三沢市)で、牧場主の長男として生まれた。先祖の北村豊三は元会津藩士で、会津戦争敗北後に同藩が斗南藩として現在のむつ市へ転封された際に移住し、広沢安任と共に日本初の西洋式牧場である「開牧社」の経営に参加した。
奈良岡 末造(ならおか すえぞう、1913年(大正2年)10… 奈良岡 末造(ならおか すえぞう、1913年(大正2年)10月31日 - 1995年(平成7年)12月31日)は日本の政治家。青森県青森市長。 青森市出身。1931年、青森県立青森商業学校(現・青森県立青森商業高等学校)卒。卒業後は生家の米屋を手伝い、その傍ら、青森県信用組合連合会に勤務した。1947年、青森市議会議員に当選、4期16年務め、この間、1957年から4年間議長を務め、東北市議会議長会会長、全国市議会議長会副会長を歴任した。1963年に青森県議会議員に当選、1期務めた。1967年、社会党の推薦を受け、青森市長選挙に立候補し、現職の千葉元江を破った。 1971年4月25日、自民党公認の白鳥大八を破って再選を果たした。
福士 文知(ふくし ぶんち、1913年(大正2年)8月16日… 福士 文知(ふくし ぶんち、1913年(大正2年)8月16日 - 2003年(平成15年)5月1日)は、昭和から平成時代の政治家。医師。青森県弘前市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。曾祖父は、尾上銀行頭取清藤盛美。 弘前市出身。1966年(昭和41年)岩手医学専門学校卒業。1975年(昭和50年)弘前市医師会長を経て、1976年(昭和51年)から市長に4選。1992年(平成4年)2月に引退した。 2003年(平成15年)5月1日、急性肺炎のため弘前市の病院で死去した。
島口 重次郎(しまぐち じゅうじろう、1912年〈明治45年… 島口 重次郎(しまぐち じゅうじろう、1912年〈明治45年〉1月15日 - 1968年〈昭和43年〉3月17日)は、日本の社会運動家、実業家、政治家。衆議院議員(3期)。 青森県弘前市で生まれる。小学校卒業後、市内のタンス店に職工として勤め、その後、無産運動に加わる。1932年、全農青年部青森県連合会執行委員に就任。1934年、日本共産党に入党したが、同年に検挙され懲役3年となり服役した。 戦後、日農の再建に尽力し、また日本社会党の結成に加わり、同青森県連選挙対策部長、同書記長、同委員長、弘前市議会議員、青森県議会議員などを務めた。 1958年5月、第28回衆議院議員総選挙に青森県第二区から出馬して当選。
田中 敏文(たなか としぶみ、1911年11月9日 - 19… 田中 敏文(たなか としぶみ、1911年11月9日 - 1982年12月20日)は、日本の政治家。北海道知事。青森県出身。
中村 拓道(なかむら たくどう、1911年(明治44年)4月… 中村 拓道(なかむら たくどう、1911年(明治44年)4月22日 - 1974年(昭和49年)5月28日)は、日本の政治家。青森県八戸市の12代目市長。 1911年(明治44年)4月、 青森市に生まれる。旧制青森中学校(現青森県立青森高等学校)を経て、1930年(昭和5年)、青森県師範学校を卒業し、小学校で教鞭を執る。1941年(昭和16年)、 青森県庁に入庁。地方事務所長などを歴任する。1951年(昭和26年) 、青森県議会議員に立候補して初当選、連続四期在職する。農林商工水産農地副委員長、予算特別委員長、水産商工公安副委員などを経て、1961年(昭和36年)、 県議会副議長に就任。1964年(昭和39年)、東北電力(株)監査役に就任。
小比類巻 富雄(こひるいまき とみお、1911年〈明治44年… 小比類巻 富雄(こひるいまき とみお、1911年〈明治44年〉2月9日 - 1978年〈昭和53年〉7月31日)は、昭和時代の政治家。位階は正五位。 青森県上北郡大三沢町長、三沢市長。 小比類巻金太郎、ナミの長男として青森県上北郡三沢村(現在の三沢市)に生まれる。1930年(昭和5年)3月、八戸中学校を卒業し、翌年7月に三沢尋常高等小学校の代用教員となる。戦後、1947年(昭和22年)4月、三沢村議会議員に当選。翌年4月に周辺村との合併により大三沢町が発足すると、同町長に就任した。1955年(昭和30年)5月から1959年(昭和34年)4月まで青森県議会議員を務め、同年5月に三沢市長に就任した。
津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 198… 津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 1988年9月4日)は、日本の政治家、精神科医、作家である。 青森県南津軽郡五郷村(現青森市浪岡地区)に生まれ、小作人の子どもとして育つ。学業成績が優秀であったため、小学校の教師のすすめで弘前中学校に進学し、その後旧制弘前高等学校に進む。弘前高時代は、石上玄一郎と交友をもつ。なお、太宰治とも同時期に弘前高に在学していたが、そのころは交流はなかったという。なお、津川、石上、太宰は、いずれも旧制中学四修で高校入学組の秀才だった。ただし、太宰は高等小学校1年就学後に中学入学のため津川と石上よりは一歳上だった。 1930年、東京帝国大学医学部に進学。
杉山 勝雄(すぎやま かつお、1910年(明治43年)5月7… 杉山 勝雄(すぎやま かつお、1910年(明治43年)5月7日 - 1965年(昭和40年)8月31日)は、日本の政治家。初代青森県むつ市長(2期)。 青森県下北郡田名部町(のち大湊田名部市、現在のむつ市)生まれ。旧制青森県立青森商業学校(現在の青森県立青森商業高等学校)を経て、1931年(昭和6年)中央大学法学部法学科卒。卒業後は、家業の製材、運輸業に従事した。1941年(昭和16年)田名部町会議員に当選。1947年(昭和22年)の青森県議会議員選挙に社会党公認で立候補したが、落選した。1948年(昭和23年)3月に町会議員を退任した。1951年(昭和26年)青森県議会議員に当選。1959年(昭和34年)4月まで2期務めた。
秋山 皐二郎(あきやま こうじろう、1910年(明治43年)… 秋山 皐二郎(あきやま こうじろう、1910年(明治43年)2月22日 - 2007年(平成19年)9月28日)は、日本の政治家。第13〜17代八戸市長。 湊村(現八戸市)で網元を営む秋山家の四男として生まれた。2歳で父與吉を亡くし、叔父秀之助に漁業の手解きを受けた。 湊尋常高等小学校、八戸中学校(現八戸高等学校)を経て、1936年(昭和11年)中央大学法学部卒業。合同油脂株式会社に入社後、二度召集を受ける。21年8月帰還を果たす。 1952年(昭和27年)に八戸市議会議員に当選し2期、さらに青森県議会議員を3期務めた。1969年(昭和44年)に中村拓道を破って八戸市長に当選し、5期務めて史上最長任期となった。
千葉 元江(ちば もとえ、1909年(明治42年)1月15日… 千葉 元江(ちば もとえ、1909年(明治42年)1月15日 - 1992年(平成4年)11月5日)は日本の政治家。青森県青森市長(1期)。 青森県青森市出身。青森県立青森中学校(現・青森県立青森高等学校)、官立弘前高等学校を経て、1933年、東京帝国大学法学部を卒業する。卒業後は陸軍に入り、翌年満期除隊。1937年に高等文官試験行政科に合格、翌年台湾総督府に入り、台中妙農林課長などを歴任した。太平洋戦争中の1942年に陸軍司政官となり、ビルマに派遣され、終戦を迎えた。1946年に復員した。 1947年、青森県庁に入り、人事課長、総務、商工水産の各部長などを経て、1949年に副知事に就任した。副知事は1952年まで務め、その後は青森県北洋漁業協同組合理事、同副組合長、鮭鱒漁業協同組合理事などを務めた。
寺下 岩蔵(寺下 岩藏、てらした いわぞう、1906年(明治… 寺下 岩蔵(寺下 岩藏、てらした いわぞう、1906年(明治39年)3月15日 - 1980年(昭和55年)4月19日)は、日本の政治家。参議院議員(2期、自由民主党)。 現在の青森県八戸市出身。八戸尋常小学校(現在の八戸市立八戸小学校)卒。卒業後は左官屋の手伝い、土木労務者、とび職など職業を転々とした後、寺下組を創設し、のち寺下建設工業に改称した。八戸市議、青森県議を5期務め、県議会議長となる。1962年7月、日本赤十字社青森県支部事業資金として10万円を寄付により1963年2月27日、紺綬褒章受章(飾版)。1971年7月、八戸市緑化推進事業費として100万円寄付により同年12月18日に紺綬褒章受章(飾版)。
木村 文男(きむら ふみお、1904年7月18日 - 19… 木村 文男(きむら ふみお、1904年7月18日 - 1965年3月20日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(3期)。息子は青森県知事や衆議院議員を務めた木村守男。孫は元衆議院議員の木村太郎、木村次郎。 青森県南津軽郡藤崎町出身。父健一は藤崎町の助役や町長を務めた。1925年青森県師範学校を卒業。卒業後は教員となり、その後は青森県属、小学校校長、地方事務官などを務めた。 戦後、政治家を志し、1947年に青森県議に当選。1952年の第25回衆議院議員総選挙で青森2区から自由党公認で立候補して初当選。以来連続3回当選した(その後、所属は日本民主党→自由民主党)。この間、第1次鳩山内閣で北海道開発政務次官に就任した。
藤森 睿(ふじもり さとる、1903年 〈明治36年〉12月… 藤森 睿(ふじもり さとる、1903年 〈明治36年〉12月8日 - 1984年〈昭和59年〉8月30日)は日本の政治家。青森県弘前市長。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 青森県弘前市出身。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、東洋大学倫理学東洋文学科卒。卒業後は青森県立青森高等女学校(現・青森県立青森高等学校)、青森県女子師範学校(現・弘前大学)、青森県立五所川原高等女学校(現・青森県立五所川原高等学校)の各教諭となり、五所川原高等女学校、青森高等女学校の各校長となる。1946年に青森県庁に入り、県視学官、教育、人事の各課長、民生部長を歴任し、1954年、弘前高校校長となり、教育現場に復帰した。
横山 實(よこやま みのる、1903年(明治36年)11月5… 横山 實(よこやま みのる、1903年(明治36年)11月5日 - 1974年(昭和49年)8月14日)は日本の政治家。青森県青森市長(4期)。 青森県青森市出身。1923年、青森県師範学校卒。卒業後は小学校に勤務した。1936年、青森市会議員となり、1939年には青森県会議員に当選した。1944年に青森市助役となり、翌年まで務めた。その後、進歩党青森県支部幹事長となったが、1947年、青森市長選挙に立候補して当選、連続4期務めた。 市長在任中は、青森県体育協会会長、全国市長会理事、同副会長、東北六県市長会副会長、青森県市長会会長、青森市物産協会会長、青森県漁港協会会長などを歴任した。 1963年に市長を退任、同年藍綬褒章を受章。
高樋 竹次郎(たかひ たけじろう、1902年(明治35年)8… 高樋 竹次郎(たかひ たけじろう、1902年(明治35年)8月20日 - 1984年(昭和59年)4月27日)は、日本の政治家。青森県黒石市長(4期)。 青森県南津軽郡黒石町(現在の黒石市)出身。1919年(大正8年)陸軍歩兵第52連隊に入隊。1922年(大正11年)に除隊した。除隊後、土木建設業を始める。1927年(昭和2年)津軽実業新報社を開き、社長となる。 1929年(昭和4年)黒石町会議員に当選。1947年(昭和22年)青森県議会議員に当選し、2期務める。1958年(昭和33年)黒石市長に当選。市長を4期務めた。在職中は「交通安全都市」「無雑音都市」を宣言。市民相談室を開設。また、市内に県内初の国民宿舎が開業した。
三和 精一(みわ せいいち、1902年(明治35年)8月10… 三和 精一(みわ せいいち、1902年(明治35年)8月10日 - 1964年(昭和39年)6月14日)は、昭和期の新聞編集者、実業家、政治家。衆議院議員。 青森県北津軽郡相内村(市浦村を経て現五所川原市)で、三和松三郎、ユキの三男(5人兄弟の末子)として生まれる。生家は「相清」と呼ばれた旧家で、幼少時は西津軽郡十三村で水戸口役人を務めていた祖父のもとで成長し薫陶を受けた。1914年(大正3年)3月、金木明治高等小学校を卒業し、朝鮮在住のリンゴ業者の伯父のもとに寄寓した。開成夜学校を経て、中央大学専門部法科で学んだが1923年(大正12年)9月に中退した。 1927年(昭和2年)4月、東京民友新聞社に入社。
岩岡 徳兵衛(いわおか とくべえ、1900年(明治33年)1… 岩岡 徳兵衛(いわおか とくべえ、1900年(明治33年)12月3日 - 1965年(昭和40年)12月10日)は、日本の政治家。青森県八戸市の9代目~11代目市長。八戸市の新産業都市への指定、八戸工業高等専門学校の誘致に尽力した。 八戸町六日町の醤油製造業の家に生まれる。党派は立憲政友会に属し、奥南派の自らが主導して政治団体「八戸青年政友連盟」を結成した。1933年に八戸市議会議員に初当選し、1947年には八戸市議会議長を務める。1953年に八戸市長に当選。その後市長を3期務め、1965年に心不全のため死去する。 八戸市の三八城公園には岩岡の銅像が建てられている。 市長時代はハイパーインフレーションに合わせた財政再建が課題となり、市政改革に取り組んだ。
柿崎 守忠(かきざき もりただ、1900年(明治33年)11… 柿崎 守忠(かきざき もりただ、1900年(明治33年)11月5日 - 1977年(昭和52年)8月)は日本の政治家。青森県青森市長。 青森県青森市出身。青森県立青森中学校(現・青森県立青森高等学校)を経て、1933年、東京高等師範学校を卒業する。卒業後は青森中学、青森県女子師範学校各教諭、県視学官、青森市立高等女学校(現・青森県立青森中央高等学校)、青森中学、青森青年師範学校各校長などを歴任した。 1945年7月28日、青森市長に就任。市長就任当日に青森空襲が起こり、市内は焦土と化した。翌月に終戦を迎え、青森市に米軍が進駐、柿崎は進駐軍との折衝に当たらなければならなかった。市役所は空襲で焼失し、市公会堂を庁舎と使用していたが、進駐軍に接収された。
津島 文治(つしま ぶんじ、1898年〈明治31年〉1月20… 津島 文治(つしま ぶんじ、1898年〈明治31年〉1月20日 - 1973年〈昭和48年〉5月6日)は、日本の実業家、政治家、地主、青森県多額納税者。 金木銀行頭取。衆議院議員(3期)。参議院議員(2期)。青森県知事(公選初・第2・3代)。陸奥銀行、津軽鉄道、津軽酒造各取締役。東北鳩協会顧問。農業。 小説家の太宰治(津島修治)は弟、俳優の津島康一は長男。元衆議院議員の津島雄二は義理の甥。 大地主で銀行家の津島源右衛門(旧姓松木)とタ子(たね)の三男として青森県北津軽郡金木村(現在の五所川原市)に生まれた。 金木第一尋常小学校から五所川原農学校(現青森県立五所川原農林高等学校)を卒業後上京し、早稲田大学政治経済学部に入学。
外崎 千代吉(とのさき / とのざき ちよきち、1897年7… 外崎 千代吉(とのさき / とのざき ちよきち、1897年7月20日 - 1974年5月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。五所川原市長。 青森県北津軽郡五所川原村出身。日本大学政治経済学部に入るが、中退する。北海道に渡り、函館の床屋で修業し、理髪店を開業する。五所川原町議、青森県議、脇元村村長を経て、1942年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)で青森2区(当時)から無所属(翼協非推薦)で立候補したが、3,000票余りで落選した。戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙でも無所属で立候補したが落選。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において青森2区から諸派の社会革新党で立候補して当選した。
淡谷 悠蔵(淡谷 悠藏、あわや ゆうぞう、1897年〈明治3… 淡谷 悠蔵(淡谷 悠藏、あわや ゆうぞう、1897年〈明治30年〉3月22日 - 1995年〈平成7年〉8月8日)は、日本の政治家。日本社会党の衆議院議員(6期)。 昭和期に活躍した歌手で、「ブルースの女王」の愛称で知られる淡谷のり子は姪にあたる。 1897年(明治30年)に青森県青森市で父・金蔵、母・まつの13番目の子(末っ子)として生まれた。実家は豪商「大世・阿波屋」を本家とする老舗の呉服店「大五呉服店」を営み、青森市長を務めた5代目・淡谷清蔵は母方の伯父にあたる。高等小学校卒業後は家業に従事しながら若山牧水系の歌誌「はまなす」で短歌を詠む。悠蔵は旧家の因習を嫌って新城村で農業を始め、この頃から盛んに文学同人誌に投稿する傍ら、武者小路実篤の「新しき村」運動に共鳴して青森支部を自ら立ち上げた。
三浦 一雄(みうら くにお、1895年4月22日 - 196… 三浦 一雄(みうら くにお、1895年4月22日 - 1963年1月30日)は、日本の官僚、政治家。青森県三戸郡五戸町出身。位階は正三位。勲一等瑞宝章。父は五戸町長や青森県議会議員を務めた三浦道太郎。また、祖父の三浦泉八は十和田湖畔・宇樽部の開拓者として知られる。 1895年(明治28年)、青森県三戸郡五戸町に生まれる。仙台の第二高等学校から東京帝国大学へ進学し、在学中に上杉慎吉を中心に東大に組織された全日本興国同志会に入会。同大学を卒業後、農商務省入省。同期に岸信介ら。 1925年(大正14年)に農商務省が商工省・農林省(現 農林水産省)へと分割されると農林省へ転籍し、農山漁村経済更生運動に深く関わり一時期企画院に出向した後に農林次官を最後に農林省を退官。
藤井 達二(ふじい たつじ、1891年(明治24年)10月2… 藤井 達二(ふじい たつじ、1891年(明治24年)10月24日 - 1968年(昭和43年)8月9日)は、昭和時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 青森県三戸郡八戸町(現八戸市)に生まれる。1910年(明治43年)県水産試験場付属八戸講習所卒業。1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙に青森県第1区から立憲政友会所属で出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。 戦後、1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に立候補したが辞退し、1956年(昭和31年)7月の第4回参議院議員通常選挙にも全国区から出馬したが落選した。自由民主党県連合顧問、同副会長を歴任した。ほか、財界では身延木材専務取締役、那須土地取締役、大和木材、青森県農林商事各社長、日本海外興業会長などを務めた。
4代 千葉 伝蔵(傳藏、ちば でんぞう、1890年(明治23… 4代 千葉 伝蔵(傳藏、ちば でんぞう、1890年(明治23年)3月 - 1962年(昭和37年)12月29日)は、大正から昭和時代の政治家、実業家。青森県青森市長。青森県多額納税者。前名は覚郎。 白鳥鴻彰の三男として青森県東津軽郡荒川村(現青森市)に生まれる。1909年(明治42年)青森中学校を卒業し日本大学、大原簿記学校、津田英文簿記学校に学んだ後、帰郷する。青森市役所に奉職したのち1910年(明治43年)魚問屋・千葉家の養子となり、1919年(大正8年)前名を改め4代伝蔵を襲名した。1920年(大正9年)青森製氷の創立に当たって出資し取締役に就任、1922年(大正11年)東京共同水産取締役となり東京隅田運送の取締役も務めた。
小笠原 八十美(おがさわら やそみ、1888年〈明治21年〉… 小笠原 八十美(おがさわら やそみ、1888年〈明治21年〉6月2日 - 1956年〈昭和31年〉12月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。厚生政務次官、日本馬事会評議員、十和田観光社長、全国畜産販売農業協同組合連合会長、中央畜産会長などを歴任した。位階は正四位、勲等は勲二等。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
岩淵 勉(いわぶち つとむ、1888年〈明治21年〉2月 -… 岩淵 勉(いわぶち つとむ、1888年〈明治21年〉2月 - 1956年〈昭和31年〉1月14日)は、日本の実業家、政治家。青森県弘前市長。位階は従六位。勲六等瑞宝章。 青森県中津軽郡弘前に生まれる。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、慶應義塾大学部理財科卒。卒業後は弘前電燈株式会社に就職し、会社支配人となる。その後、陸奥鉄道支配人、津軽鉄道常務となった。 1945年暮れに弘前市長の葛原運次郎が死去、1946年1月にその後任の市長に就任した。翌1947年、弘前市長選挙に立候補して当選した。4年後の市長選挙には不出馬、1955年の市長選挙に立候補して市長に返り咲いた。しかし、病気に倒れ、1956年、在職中のまま死去。
夏堀 源三郎(なつぼり げんざぶろう、1887年4月6日 ‐… 夏堀 源三郎(なつぼり げんざぶろう、1887年4月6日 ‐ 1962年7月20日) は、日本の政治家。位階は従四位。自由民主党衆議院議員(6期)。自由民主党副総裁、自由民主党幹事長、衆議院議長などを務めた大島理森は甥に当たる。 1887年、青森県三戸郡地引村(現南部町)出身。生家は豪農であったが13歳のとき破産し、一家は八戸に移住した。八戸中(現・青森県立八戸高等学校)に学ぶ。卒業後、漁師となり、水産加工業を始める。1929年、八戸で湊川魚市場組合長に就任。1932年に株式会社化し、社長に就任した。その後、東北振興水産(1937年)、大洋冷凍母船、日南興産、東北冷蔵の各社長となり、八戸商工会議所会頭、青森県水産業会長、東北漁業出漁組合連合会長なども務めた。
鳴海 周次郎(なるみ しゅうじろう、旧姓・平山、1887年(… 鳴海 周次郎(なるみ しゅうじろう、旧姓・平山、1887年(明治20年)3月1日 - 1969年(昭和44年)7月25日)は、日本の政治家、実業家、青森県多額納税者。青森県西津軽郡会議員。貴族院議員。鳴海銀行頭取。陸奥銀行、松木屋呉服店、津軽酒造各取締役。青森貯蓄銀行、第五十九銀行、金木銀行各監査役。立誠銀行、金兵衛銀行各頭取・鳴海廉之助の養孫。 青森県北津軽郡栄村(現・五所川原市)出身。平山雄太郎の二男、或いは三男。平山為之助の弟。古川和三郎の養子となり1920年、祖父・鳴海廉之助の後を承け家督を相続した。農業を営み、会社重役を務めた。 また、西津軽郡会議員、車力村会議員、青森県山林会評議員、同県産馬畜産組合連合会評議員、西北産馬組合副組長などを歴任し、1925年9月29日、貴族院多額納税者議員に選出され、交友倶楽部に所属、1932年9月28日まで一期務めた。
山内 亮(やまうち りょう、1886年(明治19年)12月2… 山内 亮(やまうち りょう、1886年(明治19年)12月20日 - 1960年(昭和35年)7月26日)は、日本の政治家。青森県八戸市の5代目市長。終戦直前の1945年8月、米軍による空襲の予告を受けて全市民に総退去を命じた。 戦争末期に青函連絡船を撃沈したハルゼー機動部隊により1945年(昭和20年)7月14日に八戸・三沢が空襲を受け、日東化学工業や尻内駅が被害を受けた。さらに8月5日にB29爆撃機が八戸市に飛来し八戸空襲を予告、8月9日にハルゼー機動部隊により八戸港にいた海防艦・稲木が撃沈された。こうした状況を受け、空襲や艦砲射撃による攻撃を見越し、8月10日に八戸市中心市街地からの総退去命令を決断した。
乳井 英夫(にゅうい ひでお、1886年(明治19年)8月1… 乳井 英夫(にゅうい ひでお、1886年(明治19年)8月10日 - 1977年(昭和52年))は、大正から昭和時代前期の政治家。青森県弘前市長。 青森県弘前市出身。1906年(明治39年)3月、青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を卒業後、南津軽郡注目小学校の教員となる。1912年(明治45年)6月、官界に転じ、青森県属となり、ついで福島県書記、栃木県属、栃木県警部、秘書課長、地方事務官学務部教育課長、知事官房主事を経て、1929年(昭和4年)7月に休職。 1931年(昭和6年)9月に弘前市助役に就任。翌年1月に辞任後、宇都宮市主事、社会課長、職業紹介所長、水道課長などを経て、1936年(昭和11年)2月に再度弘前市助役に就任した。
笹森 順造(ささもり じゅんぞう、1886年〈明治19年〉5… 笹森 順造(ささもり じゅんぞう、1886年〈明治19年〉5月18日 - 1976年〈昭和51年〉2月13日)は、日本の政治家、教育者、剣道家。位階勲等は正三位勲一等瑞宝章。称号は政治学士、剣道範士。東奥義塾塾長、青山学院院長、衆議院議員(4期)、参議院議員(3期)、復員庁総裁、賠償庁長官、全日本剣道連盟最高顧問などを歴任した。 青森県中津軽郡弘前町弘前若党町(現:弘前市若党町)に旧弘前藩藩士・笹森要蔵の六男として誕生。8歳で北辰堂道場に入門し、小野派一刀流剣術を学ぶ。14歳のときキリスト教の洗礼を受ける。 1910年、早稲田大学政治経済科を卒業後、雑誌『新公論』記者を経て1912年に渡米し、コロラド州デンバー大学大学院を修了。
佐々木 哲造(ささき てつぞう、1886年〈明治19年〉1月… 佐々木 哲造(ささき てつぞう、1886年〈明治19年〉1月24日 - 1948年〈昭和23年〉)は、日本の政治家、会社重役。青森県会議員。青森県北津軽郡五所川原町長(10代 - 14代、5期)。津軽商事常務。津軽商事、五榮各取締役。 青森県北津軽郡五所川原村の人・佐々木眞平の三男。五所川原の呉服商で、大地主・初代佐々木嘉太郎の孫。1920年、兄・嘉太郎方より分かれて一家を創立した。 1928年9月、五所川原町長に就任、1945年7月に退職した。 宗教は曹洞宗。青森県在籍で、住所は北津軽郡五所川原町(現五所川原市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
櫻田 清芽(さくらだ きよめ、1885年(明治18年) - … 櫻田 清芽(さくらだ きよめ、1885年(明治18年) - 1958年(昭和33年)12月31日)は、大正から昭和時代前期の政治家。青森県弘前市長。 青森県津軽郡弘前植田町(中津軽郡弘前植田町を経て現:弘前市植田町)に生まれる。弘前中学校を卒業後、明治大学予科に学ぶ。帰郷後は教員などを経て、1910年(明治43年)陸奥日報社に入社し、編集長、弘前新聞主筆兼社長を歴任する。 その間、弘前市会議員を26年、青森県会議員を20年務め、1951年(昭和26年)4月、弘前市長に就任した。中津軽郡11箇村との合併などを実現し、1955年(昭和30年)4月に満期退官。その後は、1957年(昭和32年)より県公安委員長を務めたが、任期中に急逝した。