丹羽 雄哉(にわ ゆうや、1944年4月20日 - )は、日… 丹羽 雄哉(にわ ゆうや、1944年4月20日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(12期)。
茨城県:226人
丹羽 雄哉(にわ ゆうや、1944年4月20日 - )は、日… 丹羽 雄哉(にわ ゆうや、1944年4月20日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(12期)。
樫村 千秋(かしむら ちあき、1944年(昭和19年)1月1… 樫村 千秋(かしむら ちあき、1944年(昭和19年)1月17日 - 2016年(平成28年)11月8日)は、日本の政治家。元日立市長(3期)。 茨城県日立市出身。1966年(昭和41年)関東学院大学経済学部経営学科卒業。経営学科1期生となる。卒業後は茨城県庁に就職。1993年(平成5年)茨城県総務部知事広報室課長、1996年(平成8年)茨城県総務部地方課長、1998年(平成10年)茨城県総務部知事公室長を歴任。 1999年(平成11年)2月、茨城県庁を退職。同年4月、日立市長選挙に初当選。2003年(平成15年)、2007年(平成19年)の市長選はいずれも無投票当選。2011年(平成23年)4月まで3期に渡り日立市長となる。
額賀 福志郎(ぬかが ふくしろう、本来の表記:福志郎、194… 額賀 福志郎(ぬかが ふくしろう、本来の表記:福志郎、1944年〈昭和19年〉1月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(15期)。 衆議院議長(第79・80代)、防衛庁長官(第60・72代)、経済企画庁長官(第58代)、経済財政政策担当大臣(初代)、財務大臣(第7・8代)、自由民主党政務調査会長(第45代)、自由民主党政務調査会総合エネルギー戦略調査会長、内閣官房副長官(第2次橋本改造内閣・小渕第2次改造内閣・第1次森内閣)、平成研究会会長、自民党たばこ議員連盟顧問、日韓議員連盟会長、 自民党・財政健全化推進本部長 を歴任。 茨城県行方郡小高村(現:行方市小高)生まれ。父・額賀万寿夫は地元の森林組合長や小高村議会・麻生町議会議員を務め、橋本登美三郎の後援会・西湖会の幹部でもあった。
石川 多聞(いしかわ たもん、1943年5月11日 - 20… 石川 多聞(いしかわ たもん、1943年5月11日 - 2023年10月23日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元茨城県議会議員。茨城県東茨城郡城里町(旧常北町)出身。 父は、茨城県議・常北町長を務めた石川稲實。 地元の中学卒業後、東京に単身上京。日本大学豊山高等学校から日本大学法学部に進学し卒業。 大学卒業後は、日本会・日本総調和連盟の総裁である内閣総理大臣佐藤榮作の秘書、また機関紙『総調和』(発行責任者は山岡荘八)の編集長も務めた。 その後、郷土に戻り常北町議会議員(3期)を経て、自民党選出の茨城県議会議員を7期 務める。この間、各常任委員会委員長・茨城県議会議長、自民党茨城県連政調会長・総務会長・会派「いばらき自民党」議員会長を歴任。
大高 松男(おおたか まつお、1943年1月28日 - )は… 大高 松男(おおたか まつお、1943年1月28日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、自由民主党茨城県支部連合会事務局長を務めた。 茨城県東茨城郡城里町出身。水戸農業協同組合非常勤理事を経て1975年に自由民主党に入職。後に自民党茨城県連事務局長に就任。2005年9月11日投開票の第44回衆議院議員総選挙で比例北関東ブロックの名簿第36位で立候補し、次点となる。 2009年5月、小泉劇場の恩恵で比例34位で当選した中森福代がさいたま市長選挙出馬を表明し、議員辞職したことに伴い中央選挙管理会の決定を経て5月19日に繰り上げ当選した。 同年8月30日の第45回衆議院議員総選挙には落選、議員在職日数はわずか2ヶ月余りだった。
加藤 浩一(かとう こういち、1942年(昭和17年)11月… 加藤 浩一(かとう こういち、1942年(昭和17年)11月23日 - )は、日本の政治家。茨城県水戸市長(2期)、茨城県議会議員(5期)を務めた。水戸市名誉市民。旭日中綬章。 茨城県水戸市に父・正雄、母・まさの長男に生まれる。太平洋戦争の激化により、疎開で福島県に移り、同地で終戦を迎える。父・正雄は終戦直後に戦死する(昭和20年8月30日、フィリピンルソン島)。残された加藤の祖母と母は水戸市内で酒屋を開く。 水戸市立浜田小学校、水戸市立第三中学校を経て、茨城高等学校に入学。入学後は家庭の事情もあり、進学を断念。卒業後の進路を就職に選択し、茨城トヨペットに入社。このとき面接を担当したのが当時、社長だった幡谷祐一(のち茨城県信用組合理事長)で、幡谷は加藤が水戸市長に立候補した際の後援会長となった。
平塚 明(ひらつか あきら、1940年(昭和15年)10月5… 平塚 明(ひらつか あきら、1940年(昭和15年)10月5日 - )は、日本の政治家。元茨城県結城市長(3期)。結城市議会議員(9期)。 茨城県立結城第一高等学校卒。1979年結城市議会議員に初当選する。その後、市議会副議長となる。その傍ら結城市内でコンビニエンスストアを経営する。 1991年と1995年の結城市長選挙に立候補するが、いずれも落選。落選後に行われた市議選に立候補し、2回とも当選した。1997年結城市長の荒井秀吉が死去。これに伴う市長選挙に立候補し、6人による激戦を制し、初当選した。2001年の市長選挙は無投票で再選。 2003年7月市が発注した公共工事に関し、業者から100万円を受け取った収賄の容疑で逮捕され、市長を辞職。
佐川 一信(さがわ かずのぶ、1940年(昭和15年)8月1… 佐川 一信(さがわ かずのぶ、1940年(昭和15年)8月1日 - 1995年(平成7年)11月19日)は、日本の法学者・政治家である。茨城県水戸市生まれ。 中央大学法学部卒業。早稲田大学大学院法学研究科修了。金属加工会社経営のかたわら、法学研究者として、早稲田大学、中央大学、茨城大学などで労働法を講義。1978年水戸市民の会を主宰し「市民からの出発」を発刊。1984年水戸市長に当選。1992年、水戸市長に3選されたが、1993年8月、竹内藤男の汚職事件による辞職に伴って執行された茨城県知事選挙に出馬するため水戸市長を退任。橋本昌に敗れた。1995年に入院、死去。2007年、水戸市名誉市民の称号が贈られた。
小倉 敏雄(おぐら としお、1940年〈昭和15年〉5月5日… 小倉 敏雄(おぐら としお、1940年〈昭和15年〉5月5日 - 2021年〈令和3年〉6月4日)は、日本の政治家。茨城県下妻市長(2期)。位階は正六位。 下妻市生まれ。日本大学理工学部卒。下妻市で自動車部品加工会社を経営、社長となる。下妻市監査委員、下妻二高PTA会長などを務める。 2002年(平成14年)2月、当時の下妻市長が図書館建設工事の価格を業者に漏らしたとして競売入札妨害の容疑で逮捕された(業際研事件)。4月の出直し選挙に立候補し、市長選挙は17年ぶりの選挙戦となり、元市議会副議長を破って当選した。 ※当日有権者数:28,088人 最終投票率:58.34%(前回比:-pts) 同月14日に就任した。
櫻井 富夫(さくらい とみお、1939年11月27日 - 2… 櫻井 富夫(さくらい とみお、1939年11月27日 - 2019年4月3日)は、自由民主党所属の元茨城県議会議員。茨城県議会議長、全国都道府県議長会副会長を歴任。元自民党茨城県連副会長。茨城県石岡市出身。学校法人常総学院理事長。特別養護老人ホーム「シルトピア」理事長。元鹿島学園理事長。茨城県立土浦第一高等学校卒業。早稲田大学法学部中退。旭日小綬章受章。 鹿島学園を経営していた1992年から1999年の時期に、不明朗な土地取得などにより巨額の負債を発生させ経営を圧迫したとして、鹿島学園の経営を引き継いだ、余湖三千雄(早慶外語ゼミ創業者)から背任で告訴された。後に敗訴が確定し、3億6000万円の支払いを命じられた。
大久保 太一(おおくぼ たいち、1939年(昭和14年)8月… 大久保 太一(おおくぼ たいち、1939年(昭和14年)8月2日 - )は、日本の政治家。茨城県元常陸太田市長(4期)、元常陸太田市議会議員(1期)。 茨城県常陸太田市亀作町生まれ。1958年(昭和33年)3月、茨城県立太田第一高等学校卒業。1962年(昭和37年)3月、茨城大学文理学部卒業。1991年(平成3年)8月、日立製作所旧水戸工場副工場長に就任。 2003年(平成15年)5月、常陸太田市議会議員に初当選。 2005年(平成17年)5月22日に行われた常陸太田市長選挙に立候補し初当選。同日、市長就任。 2009年(平成21年)の市長選から3回連続無投票で当選。以後4期務めた。 2022年春の叙勲で旭日小綬章を受章。
冨山 省三(とみやま しょうぞう、1938年9月24日 - … 冨山 省三(とみやま しょうぞう、1938年9月24日 - 2012年12月8日)は、日本の政治家。茨城県筑西市長を1期、平成の大合併以前に存在した下館市長を3期務めた。 茨城県出身。1957年、茨城県立下妻第一高等学校卒業。コンクリート工業の会社を経営し、茨城県議会議員を3期務めた後、1996年、下館市長に当選する。下館市長を3期務め、2005年に下館市は合併で筑西市となる。合併後の市長選挙に立候補し、当選する。筑西市長を1期務め、2009年の市長選挙に立候補したが、元筑西市議の吉沢範夫に敗れた。旭日小綬章を受章し、2012年に筑西市から名誉市民を贈られた。同年12月8日に死去した。
高野 之夫(たかの ゆきお、1937年〈昭和12年〉12月2… 高野 之夫(たかの ゆきお、1937年〈昭和12年〉12月25日 - 2023年〈令和5年〉2月9日)は、日本の政治家。東京都豊島区長(6期)、豊島区議会議員(2期)、東京都議会議員(3期)、公益財団法人としま未来文化財団理事長などを歴任した。 東京市豊島区西池袋に生まれる。生家は古書店を営んでいた。 1945年4月13日、池袋を含む城北地域が空襲を受けたとき(城北大空襲)、茨城県常陸大宮市出身の父親は徴兵されて満州に行っており、姉は集団疎開で長野県にいた。高野は栃木県城山村(現:宇都宮市古賀志町)の親戚の家に疎開中だった。そこから、東京の空が真っ赤に燃えているのが見えたという。母と当時3歳くらいだった妹は東京に残っていたが、命からがら逃げた。
杉田 光良(すぎた みつよし、1937年〈昭和12年〉1月1… 杉田 光良(すぎた みつよし、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2008年〈平成20年〉6月14日)は、日本の政治家。茨城県常総市長(1期)、茨城県議会議員(3期)、水海道市議会議員(3期)。 茨城県水海道市(現在の常総市)出身。茨城県立水海道第一高等学校卒業。1979年(昭和54年)4月から水海道市議会議員を連続3期務める。1990年12月の茨城県議会議員選挙に水海道市選挙区から自民党公認で立候補し、初当選。1999年に3期目の当選。2002年の県議選で前市議の長谷川典子に敗れる。 2007年、任期満了にともなう常総市長選挙に立候補し、現職の遠藤利を僅差で破り初当選した。 ※当日有権者数:51,545人 最終投票率:74.67%(前回比:-pts) 5月1日に就任した。
狩野 安(かのう やす、1935年〈昭和10年〉3月5日 -… 狩野 安(かのう やす、1935年〈昭和10年〉3月5日 - 2025年〈令和7年〉9月28日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(3期)。元全国更生保護婦人連盟会長。茨城県水戸市出身。 1953年(昭和28年)、茨城県立水戸第二高等学校卒業。1957年(昭和32年)、道徳再武装(MRA)活動参加のため渡米後、狩野明男と結婚。水戸商工会議所婦人部会長・県商工会議所婦人部連合会理事・水戸家庭裁判所調停委員・水戸地区保護司・県更生保護婦人連盟副会長・保護観察協会評議員・イニシアティブス・オブ・チェンジ顧問などを歴任。 1992年(平成4年)、夫・明男の死去に伴う参議院議員補欠選挙の茨城県選挙区に自民党から立候補し初当選。
天野 等(あまの ひとし、1933年11月26日 - )は、… 天野 等(あまの ひとし、1933年11月26日 - )は、日本の元政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。弁護士。 茨城県水戸市出身。1959年東京大学文学部国文学科卒。神奈川県で高校の教員などを務め、司法試験に合格し弁護士となった。1983年の第37回衆議院議員総選挙で茨城1区から社会党公認で立候補して当選。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選した。その後は土浦市で法律事務所を開いた。
川口 三郎(かわぐち さぶろう、1932年11月23日 - … 川口 三郎(かわぐち さぶろう、1932年11月23日 - 2007年3月8日)は、日本の政治家。茨城県議会議員、第78代茨城県議会議長を務めた。 茨城県取手市(旧・北相馬郡藤代町)出身。茨城県立水海道第一高等学校卒業後、中央大学卒業。1967年に藤代町議会議員となる。1970年、茨城県議会議員選挙に北相馬郡選挙区から立候補し、当選。 2007年、9期目途中で肺癌のため死去。これにより県議選で一騎討ちとなった自由民主党の新人、小林靖男が繰り上げ当選。
矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 202… 矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 2021年12月5日)は、日本の政治家・弁護士・平和運動家・作家。参議院議員(4期)、初代新社会党委員長。矢田部理法律事務所代表。茨城県大子町出身。 茨城県大子町出身。茨城県立太田第一高等学校から中央大学法学部に進学。在学中から左翼思想に傾倒し、活動にいそしむ。苦学の末、司法試験に合格する。司法修習所での研修を経て、弁護士開業。 1974年、第10回参議院議員通常選挙の茨城県選挙区に日本社会党から立候補し、当選。以後、改選数2で、「自民党と社会党の指定席」と言われた同選挙区で4回の当選を果たす。その間、党内では茨城県本部委員長となり、左派系の論客として知られ、参議院では予算委員会等での自民党政権追及に活躍、「参院の爆弾男」と呼ばれた。
飯山 利雄(いいやま としお、1931年 <昭和6年> 5月… 飯山 利雄(いいやま としお、1931年 <昭和6年> 5月6日 - 2001年 <平成13年> 6月26日)は、日本の政治家。元茨城県日立市長。位階は正六位。勲等は勲四等瑞宝章。 日立市出身。早稲田大学政経学部卒業。 日立市に入り、都市計画部長、市長公室長、教育長を経て、1991年(平成3年)日立市長に当選。1999年(平成11年)4月まで務めた。 2001年6月 死去。死没日付をもって正六位に叙され、勲四等瑞宝章追贈。
倉田 弘(くらた ひろし、1930年〈昭和5年〉9月21日 … 倉田 弘(くらた ひろし、1930年〈昭和5年〉9月21日 - 2018年〈平成30年〉4月15日)は、昭和時代後期から平成時代の政治家。茨城県新治郡桜村長、つくば市長。 茨城県新治郡桜村栗原(現つくば市栗原)出身。1948年(昭和23年)茨城県立土浦中学校卒業。桜村助役を経て、1983年(昭和58年)桜村長に就任した。村長在任中は合併協議が難航する中で、6町村の合併を呼び掛け、協議をまとめ上げ、新市誕生に尽くした。1987年(昭和62年)11月30日、筑波郡谷田部町、大穂町、豊里町、新治郡桜村の3町1村が新設合併しつくば市が誕生。当初の市役所は旧第一圏民センター(現市民ホールやたべ)に置かれ、市長職務代理者には木村操旧谷田部町長が就任し、倉田は稲葉勝行旧大穂町長、野堀豊定旧豊里町長とともに副市長に就任した。
葉梨 信行(はなし のぶゆき、1928年12月16日 - )… 葉梨 信行(はなし のぶゆき、1928年12月16日 - )は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員。北海道大学大学院理学系研究科修士課程修了。東京都出身。父は衆議院議員を務めた葉梨新五郎。三女の夫は衆議院議員の葉梨康弘。
田宮 謙次郎(たみや けんじろう、1928年2月11日 - … 田宮 謙次郎(たみや けんじろう、1928年2月11日 - 2010年5月5日)は、茨城県下館市(現・筑西市)出身の元プロ野球選手(外野手、投手)・コーチ・監督、解説者・政治家。
大橋 幸雄(おおはし ゆきお、1927年(昭和2年)11月1… 大橋 幸雄(おおはし ゆきお、1927年(昭和2年)11月18日 - 2020年(令和2年)8月20日)は、日本の政治家。茨城県取手市長(2期)。 現在の茨城県取手市に生まれる。1945年茨城県立取手園芸学校(現・茨城県立取手第一高等学校)卒。取手市議会議員を経て、茨城県議会議員に当選(自由民主党)。5期務め、県議会副議長を務めた。1995年取手市長に当選。1999年に再選。2003年に元取手市職員の塚本光男に敗れた。2020年に死去した。
岡田 昭守(おかだ あきもり、1927年(昭和2年)3月15… 岡田 昭守(おかだ あきもり、1927年(昭和2年)3月15日 - 1992年(平成4年)5月30日)は、日本の政治家、茨城県龍ケ崎市長を務めた(3期)。 茨城県出身。1942年(昭和17年)旧制茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校)を卒業した。電機会社に勤めた後、稲敷郡龍ケ崎町役場に奉職する。龍ケ崎市制施行後の市役所内では消防署長、議会事務局長、総務部長、助役を務めた。助役時代の1981年(昭和56年)5月30日、当時の龍ケ崎市長の中村忠雄が交通事故により死去した。その後を受けて市長選挙に立候補し、当選した。当選後は前市長が進めたニュータウンの造成を中心とする総合都市を計画を実施し、「産業文化都市・龍ケ崎」を位置づけした。
梶山 静六(かじやま せいろく、1926年〈大正15年〉3月… 梶山 静六(かじやま せいろく、1926年〈大正15年〉3月27日 - 2000年〈平成12年〉6月6日)は、日本の政治家。位階は正三位。 内閣官房長官(第60・61代)、法務大臣(第52代)、通商産業大臣(第49代)、自治大臣(第36代)、国家公安委員会委員長(第46代)、衆議院議員(9期)、自由民主党国会対策委員長(第35代・37代)、自由民主党幹事長(第29代)を歴任した。竹下派七奉行の1人に数えられる。 茨城県出身。茨城県立太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)、陸軍予科士官学校、陸軍航空士官学校(59期・軍曹)卒業後、日本大学旧工学部(現・日本大学理工学部)土木工学科卒業。家業の石材業を継ぐ。
松崎 龍夫(まつざき たつお、1926年(大正15年)2月1… 松崎 龍夫(まつざき たつお、1926年(大正15年)2月16日 - 1994年(平成6年)12月19日)は、日本の政治家。北茨城市長(1期)。 ゴルフ場開発をめぐる汚職事件で逮捕され、拘置中に自殺した。 山形県出身。茨城県立日立中学校(現・茨城県立日立第一高等学校)卒業。1945年(昭和20年)、海軍兵学校卒業。潜水艦の乗組員として出征。階級は中尉だった。復員後、華川村役場に奉職。華川村は1955年(昭和30年)に磯原町となり、磯原町は1956年(昭和31年)3月31日に5町村と合併し北茨城市となった。 1976年(昭和51年)、北茨城市助役に就任。1983年(昭和58年)5月の市長選への出馬を目論むが、3選を目指す現職の柴田章の支持者らに自宅に押しかけられ、断念を迫られる。
中山 利生(なかやま としお、1925年3月16日 - 20… 中山 利生(なかやま としお、1925年3月16日 - 2004年9月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、防衛庁長官、自民党副幹事長、衆議院安全保障委員長などを歴任。位階は正三位。 衆議院議員を務めた中山栄一の息子として、茨城県稲敷郡龍ケ崎町(現・龍ケ崎市)に生まれた。旧制龍ケ崎中学(現・竜ヶ崎一高)を経て、日本大学法学部を卒業。大学時代は水泳部に所属し、副主将を務めた。 大学卒業後、父の秘書を経て1969年の第32回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧茨城県第1区から出馬し当選。以降9期当選した。法務政務次官や自治政務次官を経て、1992年12月12日、宮澤改造内閣で初入閣し、防衛庁長官に任命された。
安島 友義(安嶋友義、あじま ともよし、1922年(大正11… 安島 友義(安嶋友義、あじま ともよし、1922年(大正11年)2月7日 - 1999年(平成11年)6月9日)は日本の政治家。衆議院議員(1期、日本社会党)。 茨城県日立市生まれ。日立製作所に入社後、同社労働組合では中央執行部の幹部として活動する。茨城県労働会館を建設する際には実行委員会の副委員長を務め、組合桔成十五周年の記念事業として行った『組合史』の編纂では小委員会の委員を務め、安島が戦後編における各章の概説の執筆を担当した。 日本社会党の衆議院議員石川次夫の死去を受け、日立労組顧問だった安島が後継となり、1976年(昭和51年)、第34回衆議院議員総選挙に茨城2区から立候補。日立労祖の組織票を受け、同選挙で1位の塚原俊平に次ぐ70,600票を得票し当選した。
山口 武平(やまぐち ぶへい、1921年〈大正10年〉5月1… 山口 武平(やまぐち ぶへい、1921年〈大正10年〉5月19日 - 2018年〈平成30年〉7月27日)は、日本の政治家。位階は正五位。 茨城県猿島郡神大実村助役、茨城県議会議員(14期)、茨城県議会議長(第64・97代)、全国都道府県議会議長会長、自由民主党茨城県支部連合会会長、同連合会最高顧問などを歴任した。 茨城県猿島郡神大実村(現在の坂東市)出身。茨城県立水海道中学校を経て、秋田鉱山専門学校卒業。 神大実村の助役を経て、1955年に茨城県議会議員選挙に初当選を果たした。同期には梶山静六(のちの内閣官房長官)がおり、梶山が国政に転出した後も盟友の関係であり続ける。1966年に茨城県議会議長選出をめぐる茨城県議会黒い霧事件で起訴され、最高裁判所まで争うが1989年1月に懲役8月執行猶予3年・追徴金20万円の有罪判決が確定した。
菊地 勝志郎(きくち かつしろう、1920年(大正9年)4月… 菊地 勝志郎(きくち かつしろう、1920年(大正9年)4月10日 - 2011年(平成23年)6月8日)は、日本の政治家。茨城県取手市長(4期)。 茨城県北相馬郡藤代町(現・取手市)出身。1938年旧制茨城県立龍ヶ崎中学校(現・茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校)卒業。卒業後は朝鮮総督府鉄道局、川崎銀行、東晃製機を経て、菊地園芸を創業する。県造園建設協会を結成し、会長となる。その後取手市農業協同組合長となり、1979年取手市長に当選。4期務め、1995年に退任した。同年勲四等瑞宝章を受章した。2011年に死去した。
竹内 藤男(たけうち ふじお、1917年(大正6年)11月3… 竹内 藤男(たけうち ふじお、1917年(大正6年)11月30日 - 2004年(平成16年)9月7日)は、日本の政治家、官僚。茨城県知事を5期務めた(公選第8・9・10・11・12代)。元参議院議員(1期)。 日本統治下朝鮮京城府(現:大韓民国ソウル特別市)生まれ、茨城県鉾田市育ち。 旧制鉾田中学校、(現:茨城県立鉾田第一高等学校)、旧制水戸高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。 大学卒業後は国家公務員となり、旧建設省で都市局長を務めた後に参議院議員に転じた。茨城県知事に当選後は、在任中に筑波研究学園都市・筑波科学万博の誘致、常磐自動車道建設など多くの大型プロジェクトを進めた。つくば市の成立にも尽力し、市名の実質的な名付け親でもある。
中村 登美(なかむら とみ、1916年12月29日 - 20… 中村 登美(なかむら とみ、1916年12月29日 - 2016年4月9日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(1期)。参議院議員先代中村喜四郎の妻、元衆議院議員(元建設大臣)中村喜四郎の母。 茨城県那珂郡出身。1935年茨城県立水戸高等女学校(現・水戸第二高等学校)卒。中村喜四郎と結婚し、夫が運営する自動車学校の役員から校長となる。1971年暮れ、夫が死去し、翌年2月の参議院補欠選挙で茨城地方区において諸派(喜友会)から立候補して、自民党公認候補などを破り当選し、茨城県初の女性参議院議員となった。当選後は自民党に入り、参議院物価等対策特別委員長などを歴任した。参議院議員は1期務め、1977年の第11回参議院議員通常選挙には出馬しなかった。
長谷川 好三(はせがわ こうぞう、1916年(大正5年)12… 長谷川 好三(はせがわ こうぞう、1916年(大正5年)12月1日 - 1970年(昭和45年)1月1日)は、日本の政治家・実業家。茨城県議会議員・笠間市長。大泉砕石株式会社・初代代表取締役、茨城放送取締役、茨城新聞取締役、茨城県砕石協会会長。茨城県砕石共同販売理事長。 茨城県笠間市福原出身。県立水戸中学校を卒業し、時事新報・いはらき新聞で記者を務める。その後、日立市議会事務局長を経て1948年に茨城県議に初当選。2期務め、県会財政委員長・運営審査委員長を歴任した。 1963年に笠間市長に当選するも、直後に公職選挙法違反で逮捕。裁判で争うも有罪確定によって1965年に失職。在任中は日動画廊・笠間日動美術館創業者の長谷川仁や洋画家・朝井閑右衛門、小説家・田村泰次郎らと共に特産品の笠間焼による地域振興に取り組み、1964年に笠間市芸術村を開村した。
武藤 武雄(むとう たけお、1916年(大正5年)3月20日… 武藤 武雄(むとう たけお、1916年(大正5年)3月20日 - 1978年(昭和53年)10月20日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員、初代日本労働組合総評議会(総評)議長。 茨城県那珂郡山片村(山方町を経て現常陸大宮市)出身。1930年(昭和5年)茨城県小貫農業公民学校を卒業した。 入山炭鉱(のち常磐炭鉱)に入社し坑内夫として勤務。労働運動に加わり、常磐炭鉱労働組合長となり、1946年(昭和21年)常磐地方炭鉱労働組合連合会の初代組合長に就任。1947年(昭和22年)炭労(のちの日本炭鉱労働組合)中央執行委員長となり、1950年(昭和25年)総評が結成されると初代議長に就任した。1952年(昭和27年)の炭労の労働ストでの対応を巡り、炭労臨時大会で不信任となり委員長を解任され、総評議長も退任した。
立花 留治(たちばな とめじ、1916年 <大正5年> 2月… 立花 留治(たちばな とめじ、1916年 <大正5年> 2月27日 - 1995年 <平成7年> 6月25日)は、日本の政治家。茨城県日立市長(4期) 。位階は従五位。 茨城県出身。1934年、茨城県立水戸農学校(現・茨城県立水戸農業高等学校)卒。卒業後は茨城県農事試験場に入る。その後、同県農産物検査所を経て、1940年、日立市役所に入る。市役所では秘書、経済、庶務の各課長、産業、総務、水道の各部長などを務めた。1970年に市の水道事業管理者となり、1975年に退職するまで務める。同年、日立市長選挙に立候補して当選、4期連続務める。1991年に引退、同年勲三等瑞宝章を受章する。1995年死去。死没日付をもって叙従五位。
小濱 新次(こはま しんじ、1915年(大正4年)5月12日… 小濱 新次(こはま しんじ、1915年(大正4年)5月12日 - 2005年(平成17年)7月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)を務めた。 茨城県結城郡千代川村(現在の下妻市)出身。出羽海部屋に入門し、1930年10月場所で初土俵を踏む。 1936年(昭和11年)1月場所で幕下に上がったが、徴兵検査を受けて海軍に入り、横須賀鎮守府に勤務した。その後は相撲界に復帰することなく、1941年(昭和16年)5月場所限りで廃業した。最高位は東幕下10枚目だった。 後に海軍航海学校高等科で航海術を学び、海軍兵学校教員となる。終戦後、神奈川県で露天商(下駄販売)を始め、第1回国民体育大会から相撲を再び取り始め神奈川県代表として出場した。
山口 武秀(やまぐち たけひで、1915年1月13日 - 1… 山口 武秀(やまぐち たけひで、1915年1月13日 - 1992年8月23日)は、昭和期の農民運動家、政治家。 茨城県鹿島郡鉾田町(現在の鉾田市)出身。旧家地主兼廻船問屋に生まれる。 茨城県立鉾田中学校(現在の茨城県立鉾田第一高等学校)で学ぶが、東京の女子大学に進学した姉の影響で資本主義の矛盾を知り、1931年に中退して農民運動に身を投じた。全国農民組合の若手活動家として活躍。18歳にして千葉県の農村争議に介入して名を上げる。 1933年日本共産党に入党。幾度かの検挙を経て転向し社会大衆党に入党。1937年に全農茨城県連書記長となる。日中戦争中に前線への慰問袋に農村の窮状を訴える手紙を挿入するよう指導し、同年検挙される。
遠藤 正則(えんどう まさのり、1914年(大正3年)6月3… 遠藤 正則(えんどう まさのり、1914年(大正3年)6月30日 - 2009年(平成21年)4月26日)は、昭和から平成時代の政治家。東京都文京区長。文京区名誉区民。 茨城県水戸市出身。茨城県立水戸中学校(現茨城県立水戸第一高等学校)を卒業後上京し、1933年(昭和8年)7月、東京市本郷区に奉職し、1939年(昭和14年)中央大学商学部二部を卒業した。戦時中は千葉県市川市国府台の高射砲隊にいた。のち文京区教育委員会学務課長、総務部長、助役を経て、1973年(昭和48年)12月、文京区長に就任した。1999年(平成11年)4月の任期満了まで6期24年務めた。この間、特別区長会会長を歴任した。ほか、特別区人事・厚生事務組合管理者、特別区協議会理事長を務めた。
岩上 二郎(いわかみ にろう、1913年(大正2年)11月2… 岩上 二郎(いわかみ にろう、1913年(大正2年)11月29日 - 1989年(平成元年)8月16日)は、日本の政治家。茨城県知事(第4・5・6・7代)、参議院議員(3期、自民党)。茨城高等学校中学校校長。清真学園高等学校・中学校初代理事長。 茨城県那珂郡瓜連町(現那珂市)生まれ。茨城中学校、水戸高等学校から1940年に京都帝国大学法学部を卒業、ブリヂストンに入社したものの、直後に応召し太平洋戦争を戦う。 1946年に復員し、青年文化運動に参加、1947年に瓜連町長となる。1951年に一旦町長の座を退きペパーダイン大学に留学、地方自治や社会福祉を研究し帰国後の1955年に町長に復帰する。 1959年初めての民選・茨城県知事選挙に、自らが地元組合長をしていた農協組織を中心に設立された茨城県興農政治連盟に擁立され、日本社会党と県職員組合の支援を得て立候補。
登坂 重次郎(とさか じゅうじろう、1913年4月3日 – … 登坂 重次郎(とさか じゅうじろう、1913年4月3日 – 1997年3月22日)は、日本の政治家。元衆議院議員(自由民主党所属)。現在の茨城県常総市出身。 会社員・登坂長吉の三男として生まれる。生後間もなく父母と死別し、父方の伯父・豊島重太郎に育てられる。1932年茨城県立水海道中学校(現在の茨城県立水海道第一高等学校)を卒業後、母校・水海道中学校の事務職員等を経て、1940年土浦税務署に入職する。1944年大蔵省本省に出向し、東京財務局(現在の関東財務局)長・池田勇人の秘書となる。以後池田に師事し、1948年池田の総選挙出馬を期に大蔵省を退官し、個人秘書となる。 1963年の第30回衆議院議員総選挙に、旧茨城3区から無所属で立候補し当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
菱沼 五郎(ひしぬま ごろう、1912年8月20日 - 19… 菱沼 五郎(ひしぬま ごろう、1912年8月20日 - 1990年10月3日)は、日本の政治運動家、殺人者、テロリスト、超国家主義者、政治家。別名は小幡五朗。
池田 峯雄(いけだ みねお、1911年8月30日 - 199… 池田 峯雄(いけだ みねお、1911年8月30日 - 1998年12月3日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、1期)を務めた。日本農民組合 (統一派)中央常任委員及び同常総同盟委員長などを歴任。 茨城県筑波郡作岡村安食(現在のつくば市安食)の小地主の家に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)3年の時に、父の経営する会社が倒産し、新治郡土浦町(現在の土浦市)へ移住。同地の茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を卒業後、結城郡宗道村(現在の下妻市)で代用教員に就く。この間、土浦中学校同級生の小林孝祐を介して文化サークルに参加、加藤四海ら全日本農民組合連合会(全農)関係者と親交を深めた。
塚原 俊郎(つかはら としお、1910年10月2日 - 19… 塚原 俊郎(つかはら としお、1910年10月2日 - 1975年12月7日)は、日本の政治家。総理府総務長官・労働大臣。正三位勲一等。通商産業大臣を務めた塚原俊平は長男。 現在の茨城県常陸太田市に、下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)や太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)などの校長を歴任し、茨城教育界で名校長として知られた教育者・塚原末吉の二男として生まれる。水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)、水戸高等学校を経て、1935年東京帝国大学文学部社会学科を卒業後、同盟通信社に入社し10年間の記者生活を送る。 戦後は官界に転じ、情報局情報官、内務省地方局世論調査課長を務めた後、1947年増田甲子七運輸大臣秘書官となる。
山西 きよ(やまにし きよ、1909年〈明治42年〉9月15… 山西 きよ(やまにし きよ、1909年〈明治42年〉9月15日 – 1996年〈平成8年〉1月7日)は日本の政治家。茨城県小川町(現・小美玉市)長(1期)。航空自衛隊百里基地建設反対運動(百里基地訴訟)の先頭に立った。 東京市日本橋区(現・東京都中央区日本橋)に生まれ、茨城県鹿島郡中野村(現・鹿嶋市)に移る。小川町の肥料商山西家に嫁ぎ、町のPTA連合会や婦人会の役員を務める。 1956年(昭和31年)に防衛庁(現・防衛省)は小川町百里に航空自衛隊の基地を設置することを計画した。これに対し、小川町の基地設置反対派は基地反対期成同盟や愛町同志会を結成し、山西は愛町同志会婦人部長になり、反対闘争に加わった。
鈴木 明良(すずき あきら、1909年(明治42年)2月8日… 鈴木 明良(すずき あきら、1909年(明治42年)2月8日 - 1985年(昭和60年)9月6日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(3期)。落選後は詐欺を生業とし、「M資金事件」の立役者と言われた。 茨城県結城郡江川村(現在の結城市)出身。1928年、茨城県立下妻中学校を卒業。岩佐鉄工所営業部長、朝日海運取締役社長、明商株式会社社長などを務めた。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙で旧茨城県選挙区から出馬して当選し、その後第24回総選挙まで連続3回の当選を果たした。この間、日本進歩党情報部長、民主党総務、民主自由党総務、衆議院内閣委員長などを歴任した。 1952年の第25回総選挙で落選し、同時に選挙違反で逮捕された。
木村 傳兵衛(きむら でんべえ、1908年(明治41年)11… 木村 傳兵衛(きむら でんべえ、1908年(明治41年)11月11日 - 1972年(昭和47年)6月13日)は、日本の政治家。茨城県水戸市長(2期)。 茨城県水戸市生まれ。水戸の老舗醤油メーカー「井伝」に生まれる。1927年、旧制水戸中学校(現・茨城県立水戸第一高等学校)卒。井伝醬油社長となり、1967年。水戸市長に当選した。市長就任後に市役所の移転、市内の各学校に体育館やプールの設置、市民会館や市民プールの着工、市民憲章の制定などがある。1972年、狭心症のため、急逝した。
飯村 泉(いいむら いずみ、1908年〈明治41年〉5月26… 飯村 泉(いいむら いずみ、1908年〈明治41年〉5月26日 - 没年不明)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 茨城県東茨城郡小松村(のち常北町、現・城里町)出身。1927年、旧制水戸中学校を卒業。卒業後は官立神戸高等商船学校(のち神戸商船大学、神戸大学海事科学部を経て、現神戸大学海洋政策科学部)を経て、京都帝国大学卒。日刊油業報知新聞社員、東京都油脂配給協同組合職員、岩城興業(有)営業部長、東京都油脂配給統制組合秘書課長となる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙で茨城県から無所属で立候補するが落選。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において茨城1区から民主党公認で立候補して当選した。
森 元治郎(もり もとじろう、1907年2月24日 - 19… 森 元治郎(もり もとじろう、1907年2月24日 - 1999年5月14日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、日本社会党)。 茨城県水戸市出身。1930年青山学院英文科卒。卒業後は新聞連合社(のち同盟通信社)に入り、欧州特派員、政治部次長などを務める。戦後、同盟通信社は共同通信社となり、論説委員となる。1947年片山内閣が成立すると内閣総理大臣秘書官となる。1956年の第4回参議院議員通常選挙において茨城地方区から日本社会党公認で立候補して初当選。連続3期務める。国会内では参議院懲罰、決算各委員長を歴任し、党内では茨城県委員長、党外交部長などを務めた。1974年の第10回参議院議員通常選挙に出馬せず引退。
西宮 弘(にしみや ひろし、1906年5月14日 - 200… 西宮 弘(にしみや ひろし、1906年5月14日 - 2003年11月22日)は、日本の官僚、政治家。陸軍司政官。 茨城県水戸市出身。東京帝国大学法学部卒。内務省、戦後に自治省係長、岩手県出納長、宮城県副知事、日本社会党所属の衆議院議員。 岩手県出納長を経て、1956年10月に新たに宮城県知事に就任した大沼康の副知事に任命される。1959年3月、大沼の急逝を受けて知事選に立候補したが、落選。翌1960年の第29回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で宮城1区から出馬し初当選。1963年に再度、宮城県知事選に立候補するが落選。同年の第30回衆議院議員総選挙に再出馬し当選した。 全金本山労働組合争議では、支援共闘会議議長を担う。
赤城 宗徳(赤城 宗德、あかぎ むねのり、1904年〈明治3… 赤城 宗徳(赤城 宗德、あかぎ むねのり、1904年〈明治37年〉12月2日 - 1993年〈平成5年〉11月11日)は、日本の政治家、教育者、剣道範士。位階は正三位、勲等は勲一等。 農林大臣(第25・32-34・42代)、防衛庁長官(第11代)、内閣官房長官(第19代)、衆議院議員(15期)、茨城県会議員、茨城県上野村長、自由民主党政務調査会長(第13代)、同総務会長(第8代)、同副幹事長、同茨城県支部連合会会長などを歴任。 弟はNHK専務理事を務めた赤城正武、孫は農林水産大臣や衆議院議員を務めた赤城徳彦。 茨城県真壁郡上野村(後の明野町、現在は筑西市)の代々名主を務めた家に生まれる。若くして父康助を失い、母むめ(浜名信平長女)と祖父喜八郎に育てられる。