飯田 久彦(いいだ ひさひこ、1941年8月23日 - )は… 飯田 久彦(いいだ ひさひこ、1941年8月23日 - )は、日本の音楽プロデューサー・歌手。東京都出身。日本大学高等学校卒業。芝浦工業大学工学部電子工学科中退。歌手時代の愛称はチャコ。デビュー当時は第一プロダクション所属。ビクター音楽産業在籍時代に、『スター誕生!』に出場したピンク・レディーを発掘した。 サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」の“チャコ”とは、彼のニックネームを桑田佳祐が歌詞にしたもの。幼少時、ヒサヒコが呼びにくいためヒチャヒコとなり、縮めて“チャコ”が愛称になった。歌手引退後のビクター音楽産業ディレクター時代も"チャコ"と呼ばれ、その頃桑田と知り合っている。
青江 三奈(あおえ みな、1941年〈昭和16年〉5月7日 … 青江 三奈(あおえ みな、1941年〈昭和16年〉5月7日 - 2000年〈平成12年〉7月2日)は、日本の歌手(演歌・歌謡曲など)。本名は井原(鈴木) 静子(いはら しずこ)。芸能活動におけるプロフィールでは、生年月日を1945年7月7日としていた。血液型はA型。 東京都江東区南砂出身。1947年区立砂町小学校に入学、1953年区立第三砂町中学校に入学を経て、1956年に東京成徳高等学校に進学。1959年に高校を卒業した後、西武百貨店勤務を経てクラブ歌手となり、「銀巴里」などで歌い始める。 「青江三奈」の芸名は、作詞家・川内康範が『週刊新潮』で連載した小説「恍惚」のヒロインの歌手の名前に由来する。
アントニオ古賀(アントニオ こが、1941年2月26日 - … アントニオ古賀(アントニオ こが、1941年2月26日 - )は、日本人ギタリスト、歌手、編曲家。東京国際大学人間社会学部客員教授。 ギター演奏や、ピアノ、ギター寄贈などの活動を通してキューバとの親善交流を精力的に行っている。 1941年2月26日、東京都出身。本名は伊東 貞行(いとう さだゆき)。 1949年に日比谷公会堂で催された「古賀政男ショー」を母親と観劇した。このショーの1部と2部の幕間に日本でセゴビア奏法をマスターした唯一のギタリストといわれる[要出典]阿部保夫が出演した。阿部の弾いたギターソロ「荒城の月」を聞いて母親に「ギターをやりたい」と懇願する。当時通っていた小学校の担任に母親が相談し、当時開いていた阿部のギター教室を探し当て阿部に弟子入りし、クラシックギターを学ぶ。
高橋 元太郎(たかはし げんたろう、1941年1月15日 -… 高橋 元太郎(たかはし げんたろう、1941年1月15日 - )は、俳優、歌手、陶芸家。東京都出身。アネモイエンタテインメント所属(メンバー)。本名は風間 元太郎、旧芸名は高橋 わたる(ワゴンスターズ時代)。 小学校在学中に上高田少年合唱団に参加する。私立育英学院育英中学校を経て、東京都立松原高等学校を卒業し、証券会社に就職するが、約1年で退社。ジャズ喫茶「銀座テネシー」のオーディションで合格しウエスタンバンド「ワゴンスターズ」の専属となった。その後、「スリーファンキーズ」のメンバーとして1962年1月に東芝レコードよりアルバム『スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード』でレコードデビュー。同年5月に1stシングル『でさのよツイスト』が発売される。
天地 総子(あまち ふさこ、1941年〈昭和16年〉1月3日… 天地 総子(あまち ふさこ、1941年〈昭和16年〉1月3日 - 2019年〈平成31年〉1月6日)は、日本の歌手、声優、女優。最終所属はプロダクションフーコ。本名は岩澤 総子。 東京都出身。国立音楽大学付属高等学校卒業。父はピアニスト・ピアノ教師の天地真佐雄。 童謡や子供向けの歌から、大人向けの歌までレパートリーは広い。特にコマーシャルソングを数多く2000曲以上も歌っており、楠トシエ、スリー・グレイセスと共に「コマソンの女王」とも称される。 阪田寛夫作詞、服部公一作曲で1965年10月にレコードで発売された「マーチング・マーチ」が40万枚を売り上げ、1965年の第7回日本レコード大賞童謡賞を受賞した。
和田 恵秀(わだ けいしゅう、1940年7月18日 - )は… 和田 恵秀(わだ けいしゅう、1940年7月18日 - )は、日本の画家、俳優、声優、歌手。本名は和田 一壮(わだ かずお)。東京都出身。日本漫画家協会会員。
原田 芳雄(はらだ よしお、1940年2月29日 ※公称 -… 原田 芳雄(はらだ よしお、1940年2月29日 ※公称 - 2011年7月19日)は、日本の俳優、歌手。 東京府東京市下谷区金杉二丁目(現:東京都台東区下谷三丁目)生まれ。ギルドB所属。紫綬褒章はじめ、俳優として各種表彰受賞。息子はギタリスト・原田喧太。娘は女優・原田麻由。孫は女優の御子柴彩里。 本所工業高校を経て1962年に俳優座養成所に14期生として入団。ただし養成所の授業料を払えなくなって1年留年したため、15期生として卒業(後年「花の15期生」と呼ばれた)。この頃月謝滞納により大手ホテルで花屋のバイトもしていたこともあり、長嶋茂雄の結婚披露宴の飾りつけを行っている。劇団俳優座準座員を経て座員となる。
夏八木 勲 (なつやぎ いさお、1939年12月25日 - … 夏八木 勲 (なつやぎ いさお、1939年12月25日 - 2013年5月11日)は、日本の俳優・声優・歌手。本名同じ。1978年から1984年の間は、夏木 勲(なつき いさお)名義で活動した。愛称はなっちゃん・パパ。 1966年にデビューし、鍛え上げた身体で野性味あふれる男らしい演技や、晩年は円熟味と重厚さが加わり、生涯300本以上の映画・テレビ映画・ドラマに出演した。特技は乗馬・合気道・空手。身長176 cm。 東京府東京市足立区千住出身。実家は酒屋を経営。学生時代はスポーツに打ち込み、柔道と空手で身体を鍛え上げる。東京都立墨田工業高等学校卒業後、1年間の浪人生活後、慶應義塾大学文学部仏文科に進学する。
朝比奈 愛子(あさひな あいこ、1939年11月22日 - … 朝比奈 愛子(あさひな あいこ、1939年11月22日 - )は日本の歌手、女優、作家、芸能企画プロデューサー。 1939年11月22日、東京府東京市目黒区大岡山に商社員の朝比奈愛三とその妻千恵子の次女として生まれる。東京都立三田高等学校を中退。 1958年5月、姉の雪村いづみとのデュエット曲「シュガー・キャンデー」でデビュー。同年9月、「続々サラリーマン出世太閤記」で映画デビュー。 1988年、短編小説「赤土の庭」で中央公論社の第31回「女流新人賞」を受賞。 1993年、ミュージカル「クッキングガール」の原作を執筆。
東郷 たまみ(とうごう たまみ、1939年4月3日 - 20… 東郷 たまみ(とうごう たまみ、1939年4月3日 - 2016年5月)は、日本の洋画家、歌手。二科会絵画部会員。 1939年に画家・東郷青児の長女として生まれる。立教女学院に在学。 1956年には、画家として二科展に初入選する一方で、歌手としてもデビューを果たし、ソロでジャズを歌い、朝丘雪路、水谷良重とトリオ「七光り三人娘」を組んでステージに立つこともあった。1958年の第9回NHK紅白歌合戦では、水谷良重、沢たまきとのトリオで「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」を歌っており、この時の音声が現存している。 1960年、勉学に専念するため、絵と歌を中断し、単身渡米しカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に留学する。
山下 敬二郎(やました けいじろう、本名:山下 啓次郎(やま… 山下 敬二郎(やました けいじろう、本名:山下 啓次郎(やました けいじろう)、1939年2月22日 - 2011年1月5日)は、東京都出身のロカビリー歌手。不良のやる音楽というロカビリーのイメージを決定づけたと言われている。 落語家・喜劇俳優の柳家金語楼と新橋花柳界の芸者の間に非嫡出子として生まれる。異母兄に作家・演出家の山下武、実妹は女優・声優の有崎由見子、いとこに喜劇女優の小桜京子。(艶福家として知られていた金語楼には本妻以外の女性との家庭が複数あり、各家庭に収入を当分して与え「山下」の表札を掲げさせていた。多い時で7人、金語楼の葬儀時で5人の妻がいたという。) 東京の麹町に生まれ牛込で育った。
久里 千春(くり ちはる、1938年7月29日 - )は、日… 久里 千春(くり ちはる、1938年7月29日 - )は、日本の歌手、女優。本名は山崎 慈子(旧姓 - 栗原)。東京都墨田区出身。所属事務所はイーグル・ベイ。実弟は「トリオ・ザ・パンチ」で活躍した久里みのる。 共立女子高等学校卒業。ピーギャンヴォイスと称される独特な声で知られた。 元々オペラ歌手を目指しており、藤原義江が主宰する藤原歌劇団の研究科に入団。高校卒業後は劇団青春座、新作座を経て、1958年に20歳で女優としてデビュー。デビュー作は日本テレビのCMガール。以降、映画『渡り鳥シリーズ』『男はつらいよ』やテレビドラマ『あばれはっちゃく』シリーズのほか、毎日放送・東京12チャンネル(現在のテレビ東京)共同制作のワイドショー『ファミリースタジオ230』や中部日本放送の長寿番組『天才クイズ』の初代司会者も務めた。
島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年〈昭和13年〉3月… 島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年〈昭和13年〉3月30日 - 2013年〈平成25年〉11月8日)は、日本の演歌・歌謡曲歌手。東京府東京市(現在の東京都)品川区北品川出身、日本音楽高等学校卒業。愛称は「お千代さん」。 1938年3月30日(水曜日)、品川区北品川に警察官の父・島倉壽雄()、母・ナカの二男四女の四女として生まれる。島倉家は越前一乗谷城主朝倉義景の末裔。 1945年(7歳)、長野県松本市へ疎開。両親の実家がある群馬県桐生市にも、半年間疎開していたことがある。井戸から水を運ぶ途中に転倒、水の入ったビンを割り、左手首からひじまでを負傷。母・ナカが「女の子だから(腕を)残して欲しい」と医師に懇願し、切断は免れたが47針を縫い、感覚も無く、動かすこともできなくなる(後に不自由ながらも動かすことができるようになる)。
曽我 町子(そが まちこ、1938年3月18日 - 2006… 曽我 町子(そが まちこ、1938年3月18日 - 2006年5月7日)は、日本の女優、声優、歌手。東京都八王子市出身。株式会社ステラ元代表取締役。 東京府八王子市明神町でタバコ屋の娘として生まれる。一男三女の三女である。八王子市立第四小学校、八王子市立第五中学校、東京都立南多摩高等学校を経て、1955年に東京声専音楽学校を卒業。 あがり症を克服するため、日本ジャズ学校に通い、1956年に桑の実劇団に入団。同年にNHKの児童番組『みんな一緒』でデビュー。本人曰く、このとき合格したオーディションは度胸試しで受けたものであったという。その後、1959年に伊藤道郎TV俳優養成所、1960年に東京アナウンスアカデミーアナウンス科及びCM科を卒業。
平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月… 平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月24日 - 2017年〈平成29年〉7月21日)は、日本の作曲家、作詞家、歌手。社団法人日本作曲家協会・常務理事、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)理事などを歴任した。 化粧品業を営んだ平尾聚泉の孫。クラシックの作曲家で国立音楽大学教授を務めた平尾貴四男は伯父。 東京市の牛込(現:東京都新宿区)「生まれ」であるが、終戦後、神奈川県の湘南エリアに移住し、藤沢市にある湘南学園で小中学時代を送る。出生名は平尾勇。幼少時にたびたび改名し、デビュー初期の芸名である「昌章」を経て、最終的には本名の通り平尾昌晃を芸名としていた。 小学3年生のとき、自宅に来ていた将校から貰ったジャズのLPを聴き衝撃を覚える。
雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月… 雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月20日 - )は、日本の歌手、女優、画家。一般社団法人日本歌手協会相談役。本名は朝比奈 知子(あさひな ともこ)。愛称は本名から「トン子」「トンちゃん」。 1937年(昭和12年)3月20日、東京府東京市目黒区大岡山(現在の東京都目黒区大岡山)に商社員の朝比奈愛三とその妻千恵子の長女として生まれる。 父・愛三は事業の傍らハワイアンバンド「カルア・カマアイナス」に参加する熱心な音楽家でもあり、幼少期のいづみは戦時下においてもモダンな音楽に日常的に接して育った。1946年(昭和21年)、いづみが9歳の時、当時通信社に勤務していた父・愛三が自殺。
江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ… 江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ)、1937年〈昭和12年〉1月11日 - 1982年〈昭和57年〉2月13日)は、昭和期に活躍した日本の歌手・女優・タレント。 1937年(昭和12年)1月11日(月曜日)、東京市下谷区(現・東京都台東区入谷)に3男1女の末娘として生まれる。血液型はA型。 父・久保益雄は福岡県田川郡添田町の出身。独学でクラリネット奏者になったが、軍事徴用での工場の作業で指の先を痛め、以降再び独学でピアノ弾きに転向したりと、ともかく「音楽センス」の素晴らしい人だったと言われており、智恵美が生まれた頃は船のバンドマスター、吉本興業に所属していた。益雄はバンドマスターを経て吉本所属(東京吉本)の大スター、柳家三亀松(三味線漫談)の相三味線やピアノ伴奏を務める。
円谷 皐(つぶらや のぼる、1935年5月10日 - 199… 円谷 皐(つぶらや のぼる、1935年5月10日 - 1995年6月11日)は、円谷プロダクション第3代社長で第2代会長、演出家、プロデューサー、歌手、作詞家。別名に谷のぼる。 円谷英二の次男として生まれる。円谷一(演出家・円谷プロダクション第2代社長)は兄、円谷粲(英語版)(円谷映像社長)は弟、円谷一夫(円谷プロダクション第4代社長・同社第3代会長)は息子にあたる。 玉川学園卒。同社で特撮スタッフとして長年活躍した高野宏一とは小学校で同級生だった。脚本家の金城哲夫はこの玉川学園の後輩である。 1954年(昭和29年)、成城大学文芸学部入学。大学では演劇に熱中。石井伊吉(現毒蝮三太夫)は劇団仲間だった。
川田 正子(かわだ まさこ、1934年7月12日 - 200… 川田 正子(かわだ まさこ、1934年7月12日 - 2006年1月22日)は、日本の童謡歌手。幼少期より児童合唱団音羽ゆりかご会に所属し、童謡作曲家の海沼實(のちに継父となる)に師事して才能を開花させた。童謡や唱歌を数多く歌唱し、戦中から戦後にかけて日本の童謡界の代表的歌手として一世を風靡した。
世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年… 世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年11月18日)は、日本のソングライター(作詞家・作曲家)、俳優、コメディアン、演出家、音楽プロデューサー。本名は市橋健司(いちはし・けんじ)。東京都豊島区出身。芸名は、フランス語の「C'est si Bon.」(セシボン・「とってもいい」の意)から来ている。事実上の内縁関係にあった女優の浅香光代と35年間生活を共にしていた。浅草喜劇人協会会長。 18歳の時からアルバイトでバンドに加わって進駐軍のキャンプを回り、1957年に「原信夫とシャープス&フラッツ」にベーシストとして参加。渡邊プロに所属しバンドマンとしての活動他に同時期にコメディアンとして朝日放送の「てなもんや三度笠」などのテレビ番組、ハナ肇とクレージーキャッツ主演の映画、東宝・松竹の喜劇映画、NHKの音楽番組等に出演する。
ホキ 徳田(ホキ とくだ、1933年11月14日 - )は、… ホキ 徳田(ホキ とくだ、1933年11月14日 - )は、ピアニスト、歌手、女優。アメリカの文豪 ヘンリー・ミラーの8人目の妻として知られる。東京出身。 エスペランティスト・NHK解説委員の徳田六郎の長女として東京上野に生まれる。本名・浩子。母方は弓の達人那須与一の子孫にあたり、祖母は東京六本木の東洋英和女学院の創立者である。3歳からピアノと音楽を学び、桜美林高等学校卒業後、カナダの音楽学校アルマ・カレッジに留学。級友が「ヒロコ」をなまって「ホキ」と呼んだためこれを芸名とした。帰国後、1958年にコーラスグループ「スリーバブルス」としてデビュー。日劇ミュージックホールやテレビドラマ『サラリーマンの勲章』、『ザ・ガードマン』、映画『にっぽんぱらだいす』(1964年)、『怪談昇り竜』(1970年)などに出演する。
仲代 達矢(なかだい たつや、英︰Tatsuya Nakad… 仲代 達矢(なかだい たつや、英︰Tatsuya Nakadai、本名︰仲代 元久(なかだい もとひさ、Motohisa Nakadai)、1932年〈昭和7年〉12月13日 - 2025年〈令和7年〉11月8日)は、日本の俳優、演出家、歌手、ナレーター、声優。位階は従三位、文化勲章受章者。劇団俳優座出身。無名塾主宰。仕事所属。東京都目黒区出身。愛称︰モヤ。 劇団俳優座出身で演劇・映画・テレビドラマで活動を続け、映画全盛期から斜陽時代以降までの映画界を支えてきた代表的俳優である。 東京府東京市目黒区(現:東京都目黒区)生まれ。4兄弟の長男。父親は茨城県稲敷郡長竿村(現:河内町長竿)の豪農の長男で、茨城県立江戸崎農学校を卒業しており、千葉交通(現:京成バス)のバス運転手をしていた。
青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17… 青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17日 - 2006年〈平成18年〉12月20日)は、日本の政治家、小説家、作詞家、タレント、テレビ司会者、俳優、放送作家、映画監督、歌手。位階は正四位。 参議院議員(5期)、第二院クラブ代表(初代・第5代)、東京都知事(第13代)等を歴任した。 テレビ業界で当初は放送作家として成功し、高度成長期を歌った「スーダラ節」を作詞する。クレージーキャッツ主演の映画はもとより、『若大将シリーズ』などでも映画の主題歌を作詞した。主演したドラマ『いじわるばあさん』では国民的キャラクターとして定着し、小説を執筆すれば処女作『人間万事塞翁が丙午』が直木賞を受賞するなど、多才の人として知られ、「超マルチタレント」と呼ばれた。
音羽 美子(おとわ よしこ、1932年7月6日 - )は、日… 音羽 美子(おとわ よしこ、1932年7月6日 - )は、日本の女優、歌手。東京出身。本名:久米 和子、旧姓:小野田。 三輪田学園高等学校卒業。 高校卒業後、歌手を目指す。1953年「魚河岸の石松」でデビューする。挿入歌の「花の命は短いものよ」を歌う。1955年から楠トシエ、桜京美と三人でNHK「お笑い三人組」に出演し人気が出る。 他に映画出演「坊ちゃん天国」「落語天国紳士録」、兄が監督した「俺は都会の山男」「お笑い三人組・泣き虫弱虫かんの虫」「お笑い三人組・怪しい奴にご用心」などに出演した。 現在は芸能界から引退した様子である。
勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1… 勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1997年6月21日)は、日本の俳優・歌手・脚本家・映画監督・映画プロデューサー・三味線師範。本名・奥村 利夫(おくむら としお)。市川雷蔵とともに大映(現・角川映画)の「二枚看板」として活躍。その後は「勝プロダクション」を設立し、劇場用映画やテレビ作品などの製作にも携わった。勝新(かつしん)と愛称で呼ばれ、豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄で、不祥事を起こしながらも多くのファンから愛された。
岡村 喬生(おかむら たかお、1931年10月25日 - )… 岡村 喬生(おかむら たかお、1931年10月25日 - )は、東京都出身のバス歌手。NPOみんなのオペラ・芸術総監督。
大橋 國一(おおはし くにかず、1931年(昭和6年)10月… 大橋 國一(おおはし くにかず、1931年(昭和6年)10月21日 - 1974年(昭和49年)3月21日)は、日本の声楽家(バス、バリトン)、オペラ歌手。ヨーロッパの歌劇場と専属契約を結んだ最初の日本人歌手であり、日本人歌手の海外進出の嚆矢となった。しばしば新字体で大橋国一と表記される。1973年11月に再発した結腸がんが肝臓に転移し、闘病の末、1974年3月21日に42歳の若さで亡くなりました。ヨーロッパで活躍し、将来を嘱望されながらも病によってその才能を断たれました。 東京府出身。東京都立新宿高等学校時代にコーラス部に入ったのがきっかけで、声の良さを認められ1951年(昭和26年)に東京藝術大学に入学。
築地 容子(つきじ ようこ、1931年7月12日 - 201… 築地 容子(つきじ ようこ、1931年7月12日 - 2013年12月15日)は日本の歌手、女優。本名は西原利枝。東京府東京市(現在の東京都区部(東京23区)に相当)出身。旧芸名は姫路リエ子。 鷗友学園高等女学校在学中、戦争のため、静岡県榛原郡に疎開。榛原高等女学校(現・静岡県立榛原高等学校)を卒業後、東京に戻り、ムーラン・ルージュの歌手になる。 1950年、姫路リエ子の芸名で映画『恋しかるらん』で女優デビュー。翌1951年、大映に入る。以降、1955年まで映画出演を続けた。 その間の1954年、ビクターレコードに入社。翌1955年、「金色仮面(ゴールデンマスク)」(漢字は「黄金仮面」としている資料もある)の芸名で覆面歌手として『ジャニー・ギター』でデビュー。
戸川 昌子(とがわ まさこ、1931年3月23日 - 201… 戸川 昌子(とがわ まさこ、1931年3月23日 - 2016年4月26日)は、日本の推理作家、シャンソン歌手。 1931年、東京市に生まれる。東京都立千歳丘高等学校中退。戦争で父と兄を亡くし、戦後は母と二人で女性専用の同潤会大塚女子アパートに入居。伊藤忠商事の英文タイピストの職を経て、1957年頃からはシャンソン歌手として銀巴里に出演するようになる。これは、銀巴里の素人飛び入り企画で、アルトで歌っている戸川を観た美輪明宏が、バンドマスターにレギュラーに加えるよう進言したのがきっかけだった。 1962年、戸川自身が住んでいた大塚女子アパートを舞台としたミステリー『大いなる幻影』で第8回江戸川乱歩賞を受賞。
島崎 雪子(しまざき ゆきこ、1931年2月25日 - 20… 島崎 雪子(しまざき ゆきこ、1931年2月25日 - 2014年)は、日本の元女優、シャンソン歌手。本名:土屋 とし子(つちや としこ)。元夫は映画監督の神代辰巳。東京都出身。大田原高等女学校(現・栃木県立大田原女子高等学校)卒業。 終戦後、バーの女給などをしながら役者を志し、中央演劇学校で学び、1949年俳優座養成所の2期生になった。1950年に新東宝映画のフレッシュガールに応募。藤本真澄の目に適い『山のかなたに』でデビューした。芸名は、石坂洋次郎が『青い山脈』のヒロインの名から採ったもの。二作目の『夜の緋牡丹』の製作では、主役の座をめぐり脚本の八田尚之に直談判後、一時行方不明となった。結果的に主役の座を争っていた女優が降板したため、『夜の緋牡丹』では主役を得ている。
渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 … 渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 - 1996年〈平成8年〉8月4日)は、日本のコメディアン、俳優、歌手。本名:田所 康雄(たどころ やすお)。 代表作『男はつらいよ』シリーズで、柴又育ちのテキ屋で風来坊の主人公「車 寅次郎」を演じ、「寅さん」として広く国民的人気を博した昭和の名優。 没後に国民栄誉賞を受賞している。 1928年3月10日、東京府東京市下谷区(現:台東区下谷)で、地方新聞の記者をしていた父・友次郎と、元小学校教諭で内職の封筒貼りをする母・タツとの間に次男として生まれる。兄・健一郎がいる。 1934年11月、板橋尋常小学校に入学。1936年、一家で板橋区志村清水町に転居し、志村第一尋常小学校へ転入。
安藤 昇(あんどう のぼる、1926年(大正15年)5月24… 安藤 昇(あんどう のぼる、1926年(大正15年)5月24日 - 2015年(平成27年)12月16日)は、日本の元ヤクザ、俳優、小説家、歌手、プロデューサー。東京府豊多摩郡(のちに東京市淀橋区)東大久保天神下(現・東京都新宿区新宿6丁目)出身。 サラリーマンの三男一女の長男として大久保天神下で生まれる。小学3年時に6年の番長を刺し学校を制圧。神奈川県川崎市立川崎中学校に進学するも喧嘩に明け暮れ、濡れ衣を着せられ、15歳で調布市の感化院に入れられる。旧制中学校時代は転校を繰り返し、父の満州転勤に伴い16歳のとき満州に渡り、奉天第一中学校に進学。同校退学後内地へ戻り、京王商業転入。不良学生を束ねて加納貢と意気投合し兄弟分になる。
飯田 ふさ江(いいだ ふさえ、1925年〈大正14年〉10月… 飯田 ふさ江(いいだ ふさえ、1925年〈大正14年〉10月4日 - 没年不明)は日本の童謡歌手、女優。本名飯田房江。 1925年(大正14年)、東京市板橋区板橋町に生まれる。父は歌人の飯田莫哀。板橋第二小学校在学中に長谷基孝のもとで童謡を学び、コロムビア専属の童謡歌手となる。千代田高等女学校卒業後は宮川美子に師事、東洋音楽学校に入学するが太平洋戦争により音楽学校が閉鎖となったため1944年(昭和19年)東宝に参加、女優となる。1949年(昭和24年)ごろに第八軍法務部勤務の丸山晴次と結婚する。
藤沢 嵐子(ふじさわ らんこ、本名:早川 嵐子〈はやかわ ら… 藤沢 嵐子(ふじさわ らんこ、本名:早川 嵐子〈はやかわ らんこ〉、1925年7月21日 - 2013年8月22日)は、1950年代に日本で活動したタンゴ歌手である。 東京生まれ。東京市立忍岡高等女学校(現:東京都立忍岡高等学校)卒業。1943年4月に東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)予科に入学。平原寿恵子に師事した。翌年本科声楽部に進むが、満州の紡績工場に単身赴任していた父の招きで、音楽学校を休学(のちに中退)して一家で満州に渡る。大連近郊の瓦房店市に住み、父が勤める工場で働く女工に歌を教える日々を送る。 日本の敗戦後しばらくしてから、治安の悪化や父の失業などの理由から瓦房店市から大連に移り、家計を支えるためにダンスホールで歌い始める。
越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野&… 越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野<こうの>、1924年(大正13年)2月18日 - 1980年(昭和55年)11月7日)は、元宝塚歌劇団男役トップスター、シャンソン歌手、舞台女優。愛称は「コーちゃん」「コッシー」(旧姓から)。
楠 トシエ(くすのき としえ、1924年1月11日 - )は… 楠 トシエ(くすのき としえ、1924年1月11日 - )は、日本の歌手・女優・声優である。本名は楠山 敏江(くすやま としえ)。愛称はビンチャン。
石井 好子(いしい よしこ、1922年8月4日 - 2010… 石井 好子(いしい よしこ、1922年8月4日 - 2010年7月17日)は、日本のシャンソン歌手、エッセイスト、実業家(芸能プロモーター)。日本シャンソン界の草分けであり、半世紀以上に亘り牽引し続けた業界の代表・中心人物として知られている。日本シャンソン協会初代会長。東京都出身。東京府立第六高等女学校(現・東京都立三田高等学校)卒業、東京音楽学校声楽専科卒業。 政治家・石井光次郎の次女として生まれ、母の勧めにより6歳からピアノを習う。ただ、歌は好きだがピアノは好きになれなかったという。ピアノを教えていた岡本たま(音楽家岡本敏明の妻)は、そんな好子にピアノを無理強いすることなく、ただ好きな歌を歌うよう勧めた。
久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年〈大正11年〉5月2日… 久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年〈大正11年〉5月2日 - 1996年〈平成8年〉7月11日)は、日本の女優、歌手。元宝塚歌劇団月組男役トップスター。東京市京橋区(現・中央区)新富町出身。本名は森山 淑子。 生家は、明治時代に歌舞伎役者の写真を多数撮影した森山写真館。1939年、麹町高等女学校卒業後、宝塚音楽舞踏学校に進む。宝塚歌劇団29期生。1941年、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は17人中9位。淡島千景、南悠子と共に『東京の三羽烏』と呼ばれた。相手役だった淡島千景が松竹入社したことなどに刺激を受け、1950年、宝塚を退団。新東宝と出演契約を結び『愛染香』で映画デビューする。 1951年、ビクターレコードと専属契約を結び、主演した新東宝映画『恋人』『ブンガワンソロ』『女豹の地図』等の主題歌を歌う。
暁 テル子(あかつき てるこ、1921年1月21日 - 19… 暁 テル子(あかつき てるこ、1921年1月21日 - 1962年7月20日、本名:関根 ひさ)は、昭和20年代に活躍した日本の歌手、女優。愛称は「テリー」。 SSK(松竹少女歌劇団)出身。 1933年(昭和8年)、子役でデビュー。 1939年(昭和14年)準幹部となり、並木路子らと4人のジョリー・シスターズで活躍。 1941年(昭和16年)古川ロッパ一座に入団。東宝、松竹の舞台でも活躍。 戦後はアーニー・パイル劇場(東京宝塚劇場)専属となり外国人兵から「テリー」と愛称で呼ばれ人気を博した。 1948年(昭和23年)大映と契約し、『春爛漫狸祭』で映画デビュー。 1949年(昭和24年)、照子からテル子に改名。
近江 俊郎(おうみ としろう、1918年7月7日 - 199… 近江 俊郎(おうみ としろう、1918年7月7日 - 1992年7月5日)は、東京都出身の歌手、作曲家、映画監督である。本名大蔵 敏彦(おおくら としひこ)。兄は新東宝、大蔵映画社長を務めた大蔵貢、姉はコロムビア専属歌手となった香取みほ子。孫にアイドルグループ「エレクトリックリボン」の元メンバー、ericaがいる。 正則中学校卒業。武蔵野音楽学校在学中に教授と進級試験の方法を巡って対立し、1936年(昭和11年)に退学した。タイヘイレコードから鮫島敏弘の芸名で「辷(すべ)ろよスキー」でレコードデビュー。ポリドール・レコード専属になるまで、マイナーレコードを転々とし、その間に大友博(リーガル)、大久良俊(アサヒ)など改名を重ねるが、ヒットに結びつく作品はなかった。
安西 愛子(あんざい あいこ、本名:志村 愛子(しむら あい… 安西 愛子(あんざい あいこ、本名:志村 愛子(しむら あいこ)、1917年4月13日 - 2017年7月6日)は、日本の童謡歌手、声楽家、政治家。参議院議員(3期、自由民主党)、安西音楽研究所名誉会長、杉の子こども会名誉会長、日本会議副会長などを歴任。 東京府出身。杉並第七小学校、府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)卒業後、東京音楽学校声楽科に入学。在学中には浅野千鶴子、長坂好子、ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。 1942年、同校研究科卒業。コロムビアレコード専属の歌手となる。 1949年には松田トシと共にラジオ番組『うたのおばさん』(NHKラジオ第1放送)に出演、1964年まで番組を担当する。
井口 小夜子(いぐち さよこ、1914年(大正3年)4月17… 井口 小夜子(いぐち さよこ、1914年(大正3年)4月17日 - 2003年(平成15年)11月9日)は昭和期の歌手。東京市神田区出身。本名は田沼とみ子(旧姓:井口)。 生家は東京・神田の文具店。東京市立忍岡高等女学校1年生のときの音楽講師は四家文子だった。武蔵野音楽学校に進み、卒業の頃、大日本雄弁会講談社のレコード部(のちのキングレコード)の歌手募集に応募し、「赤城の子守唄」を歌って合格。専属歌手第1号となった。 童謡歌手として1935年(昭和10年)キングレコードより「ベゴニアの花」でデビュー。1939年(昭和14年)、武蔵野音楽学校本科声楽部を首席で卒業し、キングレコードより「乙女十八」で歌手デビュー。
本居 貴美子(もとおり きみこ、 1914年(大正3年)3月… 本居 貴美子(もとおり きみこ、 1914年(大正3年)3月28日 - 1972年(昭和47年)12月15日)は、日本の歌手。父は作曲家の本居長世。童謡歌手の本居みどりは姉である。 本居長世の次女として生まれた。昔から父の影響で人の前で歌う機会が多かった。頌栄高等女学校を卒業した。 本居長世作曲の「赤い靴」、「青い眼の人形」などがある。
江戸川 蘭子(えどがわ らんこ、1913年(大正2年)11月… 江戸川 蘭子(えどがわ らんこ、1913年(大正2年)11月13日 - 1990年(平成2年)11月5日)は、昭和期の歌手、女優。本名は大宮 まつ、竹澤 まち子。 東京市出身。1930年(昭和5年)日劇音楽舞踊学校卒業。多摩川京王閣を経て、1932年(昭和7年)10月、松竹歌劇団(SKD)に入団。歌劇「ロザリア姫」等で人気を得る。1936年(昭和11年)退団。 1933年(昭和8年)コロムビアからデビュー。タンゴを多く唄い、「タンゴ・ローザ」、「ラ・クンパルシータ」などを吹き込む。戦争に突入するにつれ、戦時歌謡を多く吹き込んだ。「たそがれの湖」や「ロッパのガラマサどん」、「船出は楽し」など東宝映画に出演する。
岸井 明(きしい あきら、1910年10月13日 - 196… 岸井 明(きしい あきら、1910年10月13日 - 1965年7月3日)は日本のコメディアン、俳優、歌手。
大島 里喜(おおしま りき、1909年11月15日 - 19… 大島 里喜(おおしま りき、1909年11月15日 - 1986年)は、日本の歌手(民謡歌手)。本名は大久保 里喜(おおくぼ りき)。 大島里喜は、東京都・伊豆大島・大島町の民謡「大島節」や「あんこ節」の歌い手、第一人者で、大島節を日本全国に広げ、伊豆大島の観光資源化に寄与貢献した。また、大島民謡という郷土芸能・郷土文化を、後世に口承・伝承する役目を担った。大島御神火太鼓を創始したのも大島里喜である。 1909年(明治42年)、11月15日、大島里喜(本名・大久保里喜)は、東京都伊豆大島・元村(現在の大島町・元町)に生まれる。父・大久保虎吉、母・柳瀬志げ(伊豆大島志考記載)。 1925年(大正14年)、唄の神様と言われた柳瀬シズに唄を勧められ、大島民謡を本格的に習い始める。
川田 晴久(川田 義雄)(かわだ はるひさ(かわだ よしお)… 川田 晴久(川田 義雄)(かわだ はるひさ(かわだ よしお)、本名:岡村 郁二郎、1907年〈明治40年〉3月15日 - 1957年〈昭和32年〉6月21日)は、昭和期を代表する日本の俳優、歌手、コメディアン、ボードビリアン。いわゆるボーイズものの創始者である。灘康次を始め、多くの弟子を育てたことでも知られる。また、美空ひばりの「師匠」または「芸能界の育ての親」としても、近年、再評価が為されている。戦前は主に吉本興業(東京吉本)所属。 東京府東京市本郷区根津の印刷所を経営する岡村嘉松の子として生まれる。貧しかった少年時代に、家々の屋根を棒で飛び越えるという遊びに興じていた際に転落してしまう。この不慮の事故により脊椎カリエスを患うことになり、これが終生川田を悩ませる病となる。
四家 文子(よつや ふみこ、1906年(明治39年)1月20… 四家 文子(よつや ふみこ、1906年(明治39年)1月20日 - 1981年(昭和56年)7月16日)は、昭和期の歌手、声楽家。息子は元日本テレビプロデューサーの横田岳夫。 東京府出身。東京府立第三高等女学校の1学年上には女優の高島愛子がいた。東京音楽学校でネトケ=レーヴェに師事。首席で卒業後、「不壊の白珠」で歌手デビューする。とはいえ、四家が契約したビクターは当時、「波浮の港」「東京行進曲」「愛して頂戴」「紅屋の娘」などのヒット曲を連発していた佐藤千夜子がトップ歌手だったので、四家のデビューは小さいものだった。それに四家自身は「音楽学校卒業者があまり低俗にはしるのもよくない」として藤野豊子という変名で吹き込みも行っていた。
丸山 和歌子(まるやま わかこ、1905年〈明治38年〉8月… 丸山 和歌子(まるやま わかこ、1905年〈明治38年〉8月22日 - 1945年〈昭和20年〉)は、戦前に活動した日本の女性歌手。ステージからレコードで活動し、その分野では珍しく広い音域(特に高音のソプラノ)を持つ歌手だった。浅草オペラ館で活躍した。 東京・神田で篠原幼稚園を営む丸山和太郎の次女として生まれる。女子学院を経て、東洋音楽学校本科声楽部を卒業。永井郁子らに師事。 卒業後は、姉とともに実家の幼稚園経営を引き継いだ。1931年に浅草の金龍館で歌手デビューし、同年にはレコードもリリースされた。ステージに立つと「ワカちゃーん」というかけ声が上がったという。 1937年(昭和12年)にレコード歌手を引退した後はステージでの歌手活動を続け、戦争中は慰問活動で歌声を披露した。
高井 ルビー(たかい ルビー、1903年2月7日 - 197… 高井 ルビー(たかい ルビー、1903年2月7日 - 1972年7月5日)は、日本の歌手、女優である。本名は「天田 春音(あまだ はるね)」。大正期~昭和初期の浅草オペラでソプラノの歌姫として活躍。 東京都本所区向島にて出生。東京育ちではあるが、祖父は群馬の博徒国定忠治の子分の一人であり左の腕にあたる人物であったという。 鎌倉高等女学校を卒業後、歌手・井上起久子に師事。1920年に演出家の獏与太平に見初められオペラ女優の仲間入りを果たす。初期の芸名は「高井爾美」(読み同じ)。この芸名は井上に付けられたという。なお、芸名の由来は駆け出しの頃大学生のパーティに招かれた際、指輪がないので小道具の指輪をはめて行き、学生に「あっ、高いルビー」と言われたのにちなんだと言われる。