萩山 教嚴(はぎやま きょうごん、1932年3月20日 - … 萩山 教嚴(はぎやま きょうごん、1932年3月20日 - 2015年10月13日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党所属の元衆議院議員(6期)。伊吹派所属。 長男の萩山峰人は氷見市議会議員(2003年の富山県議選に立候補し落選)。 1932年、石川県羽咋郡北志雄村(現・宝達志水町)の寺院の次男として生まれる。1953年、石川県立羽咋高等学校卒業。1957年、立命館大学法学部を卒業し、衆議院議員・正力松太郎の秘書を1969年まで務めた。 1971年、富山県議会議員に初当選し、2期務めた。1979年、第35回衆議院議員総選挙で落選(富山2区)。1980年、第36回衆議院議員総選挙で落選。
山出 保(やまで たもつ、1931年〈昭和6年〉11月27日… 山出 保(やまで たもつ、1931年〈昭和6年〉11月27日 - 2025年〈令和7年〉7月14日)は、日本の政治家。石川県金沢市出身。石川県金沢市長(5期)、全国市長会会長(第26代)、石川県市長会会長、石川県中小企業団体中央会会長を歴任した。位階勲等は正四位旭日重光章。 山出は市長在任中に様々な政策を実行してきた。中でも重点を置いてきたのが「歴史都市づくり」であった。住居表示制度で消滅した旧町名を復活させる「旧町名復活運動」を全国で先駆けて実施したことも知られている。これ以外にも、在任中には以下の政策も実施した。 山出は金沢市と隣接する野々市町(現:野々市市)との合併を念頭にして、金沢市の政令指定都市への昇格を構想していた。
角 光雄(かど みつお、1931年(昭和6年)5月29日 -… 角 光雄(かど みつお、1931年(昭和6年)5月29日 - 2010年(平成22年)10月24日)は、日本の政治家。石川県白山市長(2期)。石川県議会議員(自由民主党、4期)、松任市長(2期)、松任市議会議員を歴任した。 石川県松任町出身。1948年石川県立松任高等学校(旧・石川県農学校、現・石川県立翠星高等学校)中退。1973年松任市議に当選同議長を経て、1983年石川県議に当選。4期務め、議長を務めた。1998年松任市長に当選。2期務め、2005年に松任市は合併で白山市となり、合併後の白山市長に就任した。2009年に再選、翌2010年10月24日午前3時頃、自宅の浴槽で心肺停止状態で倒れているのを家族が発見、同3時46分に公立松任石川中央病院で急性心臓死のため現職のまま死去、79歳。
金原 博(かなはら ひろし、1930年 <昭和5年> 2月1… 金原 博(かなはら ひろし、1930年 <昭和5年> 2月16日 - 2020年 <令和2年> 9月30日)は、日本の政治家。階は正五位。 石川県議会議員(12期)、石川県議会議長、金沢市議会議員(1期)、新進石川会長(初代)、江蘇省栄誉公民などを務め、石川県議会における非自民の中心勢力である新進石川を長らく率いた。元北陸放送アナウンサーで、2019年の石川県議会議員選挙で当選した長田哲也は次女ゆかり (元北陸放送アナウンサー、現フリー)の夫。 金沢市生まれ。石川県立金沢桜丘高等学校卒業。1967年より金沢市議会議員を1期務め、1971年、41歳で石川県議会議員に自由民主党公認で初当選。以後当選を続け県議会議長や自民党県連幹事長などを歴任。
沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12… 沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12日 ‐ 2024年〈令和6年〉1月30日)は、日本の建設官僚、政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 参議院議員(4期)、衆議院議員(1期)、通商産業省政務次官(宮澤内閣)、環境副大臣(第二次森改造内閣)、国家公安委員会委員長(第73代)兼内閣府特命担当大臣(防災担当)(第5代)、参議院政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長、自由民主党参議院政策審議会長などを歴任。 石川県金沢市出身。金沢一中を経て1950年に第四高等学校を卒業し、1953年、東京大学工学部(土木工学)を卒業した。 1953年、建設省に入省し、道路局長などを経て、1985年12月27日、建設技監を最後に退官した。
石川 弘(いしかわ ひろし、1928年(昭和3年)10月3日… 石川 弘(いしかわ ひろし、1928年(昭和3年)10月3日 - 1999年(平成11年)8月2日)は、日本の農林官僚、政治家。農林水産事務次官、参議院議員。 金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)、旧制第四高等学校を経て、東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業。1954年、農林省に入省。静岡県経済部水産課長、経済局企業流通部市場課長、林野庁林政部林政課長、大臣官房予算課長、食糧庁管理部長などを経て、1981年1月、食糧庁次長。同年7月21日、畜産局長。1984年7月6日、食糧庁長官。1986年6月10日、事務次官。 1989年、参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から立候補して初当選。
奥田 敬和(おくだ けいわ、1927年(昭和2年)11月26… 奥田 敬和(おくだ けいわ、1927年(昭和2年)11月26日 - 1998年(平成10年)7月16日)は、日本の政治家。位階は正三位。 石川県議会議員(1期)、衆議院議員(10期)、郵政大臣(第44代)、自治大臣(第40代)、国家公安委員会委員長(第50代)、運輸大臣(第65代)を歴任。自由民主党所属時代は「竹下派七奉行」の1人。 石川県石川郡美川町(現・白山市)出身。 旧制石川県立金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)で学ぶ。陸軍予科士官学校で久保亘、伊藤茂、高沢寅男らと同期。旧制第四高等学校卒業。1948年、早稲田大学政治経済学部に入学。早大時代はレスリング部に所属し、小柄ながら戦闘的な性格と行動力を培った。
和田 静夫(わだ しずお、1926年(大正15年)10月1日… 和田 静夫(わだ しずお、1926年(大正15年)10月1日 - )は、日本の労働運動家、政治家。元参議院議員(3期)、元衆議院議員(1期)。 石川県金沢市生まれ。金沢一中、専修大学法学部を経て、1957年(昭和32年)同大大学院法学研究科私法学専攻を修了。東京都庁に入り新宿区役所に勤務。全日本自治団体労働組合組織部長などを経て、1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙で日本社会党から全国区に立候補し初当選(以後10回・12回と連続3選)。以降3期目の任期終了直前まで務めた。1970年(昭和45年)11月には参議院決算委員会で、自民党と産経新聞の癒着について質している。 1986年(昭和61年)7月6日執行の衆参同日選挙となった第38回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補。
嶋崎 譲(嶋﨑 譲、しまさき ゆずる、1925年(大正14年… 嶋崎 譲(嶋﨑 譲、しまさき ゆずる、1925年(大正14年)1月21日 ‐ 2011年(平成23年)10月26日)は、日本の政治学者、政治家。衆議院議員(8期)。 石川県小松市粟津町に生まれる。兄の均は自由民主党所属の参議院議員、法務大臣を歴任し、兄弟で党籍が与野党に別れていた。また、弟の丞は石川県立美術館館長。 旧制第四高等学校を経て九州大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。 大学院修士課程修了後、九州大学助教授、教授となる。向坂逸郎らと共に社会主義協会系の学者として活躍するが、1967年(昭和42年)社会主義協会分裂の際は太田派の中心人物の一人となった。 1969年(昭和44年)、社会党執行部から求められて九州大学教授を辞職し、旧石川1区から第32回総選挙に立候補するが落選。
米沢 外秋(よねざわ そとあき、1924年9月9日 - 20… 米沢 外秋(よねざわ そとあき、1924年9月9日 - 2001年1月10日)は、日本の政治家、実業家。石川県羽咋市出身、金沢市立工業学校(現在の金沢市立工業高等学校)卒業。 米沢電気工事の設立者で、石川県議会議員(自由民主党所属)を11期務めた。
嶋崎 均(しまさき ひとし、1923年3月28日 - 199… 嶋崎 均(しまさき ひとし、1923年3月28日 - 1997年5月11日)は、日本の官僚、政治家。法務大臣(第43代)、参議院議員(5期)を務めた。 現在の石川県小松市出身。旧制小松中学校時代には体格のよさから相撲部に所属、角界から入門の話があったような強さだった。旧制第四高等学校を経て、1947年3月東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大法学部卒業後、大蔵省入省。主税局配属。1948年8月 横浜税関監視部。1950年5月 津税務署長。1951年8月 大阪国税局総務部総務課長。1955年6月 東京国税局調査査察部次長。1960年7月 東京国税局間税部長。1961年7月 経済企画庁調整局政策課長。
坂本 三十次(さかもと みそじ、1923年〈大正12年〉1月… 坂本 三十次(さかもと みそじ、1923年〈大正12年〉1月22日 - 2006年〈平成18年〉3月19日)は、日本の政治家。 衆議院議員(11期)。内閣官房長官(第53代)、労働大臣(第46代)を歴任。位階勲等は正三位勲一等旭日大綬章。 石川県鳳至郡(現鳳珠郡)穴水町出身。金沢一中、四高、1947年東北帝国大学法学部卒。1948年に石川県教育委員となる。 1967年、第31回衆議院議員総選挙に初当選(当選同期に山下元利・増岡博之・加藤六月・塩川正十郎・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・塩谷一夫・山口敏夫・水野清など)。以来連続当選11回。自民党内では傍流と呼ばれた三木→河本派に所属。三木武夫直系の硬骨漢、河本敏夫の側近として派内で重きをなす。
桂木 鉄夫(桂木鐵夫、かつらぎ てつお、1920年10月29… 桂木 鉄夫(桂木鐵夫、かつらぎ てつお、1920年10月29日 - 2001年7月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 石川県金沢市出身。石川県立金沢第一中学校を経て早稲田大学卒業。 八重洲地下街社長、滋賀県副知事(1959年7月1日 - 1962年12月21日)を経て1967年、第31回衆議院議員総選挙に石川県第1区から無所属から出馬し当選。 1969年、第32回衆議院議員総選挙に自由民主党から出馬し落選、1972年、第33回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し落選。 2000年秋の叙勲で勲四等旭日小綬章受章。2001年7月9日、脳出血のため死去、80歳。死没日をもって従五位に叙される。
別川 悠紀夫(べつかわ ゆきお、1918年(大正7年)9月2… 別川 悠紀夫(べつかわ ゆきお、1918年(大正7年)9月25日 - 1977年(昭和52年)5月28日)は、昭和期の農業協同組合指導者、実業家、政治家。衆議院議員。 石川県石川郡上金石町(金石町を経て現金沢市金石)で生まれる。金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)を経て、1942年(昭和17年)中央大学経済学部を卒業した。全国農業会産業組合中央会職員となり太平洋戦争に出征した。 1946年(昭和21年)石川県農業会に入り、以後、石川県農業協同組合中央会参事、同常務理事、同県信用農業協同組合連合会理事、同経済農業協同組合連合会理事、同共済農業協同組合連合会理事などを務めた。 1969年(昭和44年)12月の第32回衆議院議員総選挙で石川県第1区から自由民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
稲村 佐近四郎(いなむら さこんしろう、1917年1月20日… 稲村 佐近四郎(いなむら さこんしろう、1917年1月20日 - 1990年7月29日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(8期)。 石川県羽咋市大町出身。安田商工専門学校卒業。建設会社社長を経て、1963年の第30回衆議院議員総選挙に旧石川2区から立候補し初当選。連続当選8回(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・田中六助・伊東正義・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮・三原朝雄など)。自民党内では中間派の大野伴睦→村上勇→水田三喜男派に所属したが消滅後は中曽根康弘派に合流。1977年福田改造内閣の総理府総務長官兼沖縄開発庁長官として初入閣。1983年第2次中曽根内閣で国土庁長官兼北海道開発庁長官として再度入閣を果たす。
布施 丑雄(ふせ うしお、1913年〈大正2年〉10月16日… 布施 丑雄(ふせ うしお、1913年〈大正2年〉10月16日 - 1966年〈昭和41年〉3月15日)は、日本の政治家、実業家。石川県鳳至郡穴水町長。布施林業部代表取締役。石川県山林協会副会長。大日本山林会評議員。穴水町森林組合長。 石川県鳳至郡(現鳳珠郡)穴水町出身。布施丑造の長男。1939年、法政大学経済学科卒業。1943年、北陸貨物自動車常務となり専務の後解散により退職する。 1952年3月、石川トヨタ自動車監査役に就任する。同年7月、町議に当選する。1954年4月、4ヵ町村合併の新穴水町初代町長に選ばれた。 趣味は読書。宗教は真宗大谷派。住所は石川県鳳至郡穴水町河内。別宅は金沢市味噌蔵町上中丁。
石本 茂(いしもと しげる、女性、1913年9月6日 - 2… 石本 茂(いしもと しげる、女性、1913年9月6日 - 2007年10月10日)は、日本の女性政治家、看護師。自由民主党参議院議員(4期)。日本赤十字社富山県支部赤十字病院救護看護婦養成所卒業。石川県小松市出身。 救護看護婦養成所卒業後、看護師となり、戦後は厚生省国立病院課看護係長、国立がんセンター初代総婦長などを経て、1965年の参議院議員選挙に全国区から無所属で立候補し初当選。5年後に自民党に入党。党内では福田赳夫→安倍晋太郎派に属し、1984年11月から1985年12月まで史上3人目の女性閣僚として第2次中曽根改造内閣の環境庁長官を務めた。 1986年4月の春の叙勲で勲七等から勲一等に叙され、瑞宝章を受章する。
森 茂喜(もり しげき、1910年3月27日 - 1989年… 森 茂喜(もり しげき、1910年3月27日 - 1989年11月19日)は、日本の政治家、陸軍軍人(中佐)。父は根上村長を務めた森喜平。長男は第85・86代内閣総理大臣の森喜朗。 石川県能美郡根上村(現能美市)出身。旧制小松中学、早稲田大学専門部法律科で学ぶ。大学時代はラグビー部の中心選手として活躍した。大学卒業後、京都市役所で勤務。その後石川県庁に移る。 日中戦争勃発により陸軍に召集され従軍(特別志願将校)。少尉時代に上海上陸から南京攻略戦、その後徐州作戦、武漢作戦と初期の激戦を一通り経験し、伝記にも載っている。週刊誌に取り上げられたこともある。 満州の牡丹江に駐留していた歩兵第7連隊第9中隊長時代、部下に丁来赫(チョン・ネヒョク)が居た。
任田 新治(とうだ しんじ、1909年(明治42年)5月19… 任田 新治(とうだ しんじ、1909年(明治42年)5月19日 - 1970年(昭和45年)12月16日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)。金沢工業大学教授。 石川県金沢市出身。瓢箪町小学校、旧制石川県立金沢第三中学校、旧制第四高等学校、東京帝国大学農学部卒業。大学を出た1934年(昭和9年)は満洲国への移民の呼び声があった時代で自らも現地へ赴き、終戦まで開拓地建設とその土地改良、農業土木事業に勤しんだ。終戦後は妻や娘とともにソビエト連邦に抑留され、1946年(昭和21年)に引き揚げ、農林省に入る。 金沢農地事務局課長、奈良県農地部長を歴任して1955年(昭和30年)本省に戻る。1963年(昭和38年)北陸農政局長。
江川 昇(えがわ のぼる、1909年(明治42年)3月25日… 江川 昇(えがわ のぼる、1909年(明治42年)3月25日 - 2013年(平成25年)1月20日)は、日本の政治家。金沢市長を3期12年務めた。 石川県金沢市出身、石川県農学校(現・石川県立翠星高等学校)卒業後石川県庁に入庁。金沢市助役を15年務めた後、1978年12月1日、岡良一の病気辞任に伴う金沢市長選挙に当時の主要全政党(自民・社会・公明・民社・共産・新自由クラブ・社民連)の推薦を受けて立候補、無投票で初当選。1982年11月21日、自民・社会・公明・民社の推薦、共産の支持を受け、再選を果たす。1986年11月16日、自民・社会・公明・民社の推薦を受け、共産推薦候補を破り三選。1990年8月14日、3期限りで引退することを表明した。
徳田 與吉郎(与吉郎、とくだ よきちろう、1906年(明治3… 徳田 與吉郎(与吉郎、とくだ よきちろう、1906年(明治39年)11月15日 - 1995年(平成7年)11月11日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、石川県金沢市長。 石川県石川郡比楽島村(石川村、松任町、松任市を経て現白山市水島町)で生まれた。1926年(大正15年)5月、東京市の順天中学校(現順天中学校・高等学校)4年修了後、家業の米穀薪炭販売業に従事した。 1942年(昭和17年)3月、石川県食糧営団会計主任に就任し、同会計課長、同金沢支所長、同経理部長を歴任。以後、食糧配給公団石川県支局経理部長、石川県食糧事業協同組合常任監事、石川県米穀取締役、糧栄不動産監査役、北糧商会社長、金沢燃料社長などを務めた。
岡 良一(おか りょういち、1905年(明治38年)2月14… 岡 良一(おか りょういち、1905年(明治38年)2月14日 - 1994年(平成6年)5月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)、金沢市長(第24-25代)。医学博士。 石川県金沢市出身。金沢市長として革新市政を貫いた人物である。 学生時代での文芸活動中に社会主義に出会い、1927年に労働農民党に入党。これが岡の革新市政の原点となる。1937年に社会大衆党に入党し、第2次世界大戦後は日本社会党を経る。 1975年には秋の叙勲で勲二等旭日重光章を受け、1987年には金沢市名誉市民として表彰を受けている。
殿田 孝次(とのだ こうじ、1904年2月27日 - 194… 殿田 孝次(とのだ こうじ、1904年2月27日 - 1949年8月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 石川県金沢市出身。1927年早稲田大学法律科卒業。アメリカのセントローレンス大学に留学し、政治学を学んだ。その後、帝国通信社政治部記者となり、渡米。帰国後は読売新聞政治部記者として、国際外交評論家となる。その後、中国に渡り、日本大使館上海事務所、中国銀行、交通銀行、物資統制審議委員会上海事務所、全国経済委員会顧問室各嘱託となる。帰国後は広瀬豊作大蔵大臣秘書官(大蔵省嘱託)、国民政府行政院顧問、外務省嘱託などを歴任した。 1942年の翼賛選挙に郷里の石川1区から無所属(非推薦)で出馬し、落選。
駒井 志づ子 (こまい しづこ、1903年(明治36年)2月… 駒井 志づ子 (こまい しづこ、1903年(明治36年)2月18日 - 1978年(昭和53年)1月2日)は、大正・昭和期に活動した、石川県出身の女性運動家、政治家、歌人。 1951年(昭和26年)に女性初の石川県議会議員となり、以降5期25年にわたって在任した。 当時金沢市議会議員(後の第6代金沢市長)であった飯尾次郎三郎の長女として生まれる。 1918年(大正7年)、石川県立金沢第一高等女学校(現在の金沢二水高等学校)を卒業。 1920年(大正9年)に法学士の駒井粂吉と結婚したが、1934年(昭和9年)に死別した。夫の粂吉は、読書家で政治に関心を持っており、このことが妻の志づ子にも影響を与えたとされる。
辻 政信(つじ まさのぶ、1902年〈明治35年〉10月11… 辻 政信(つじ まさのぶ、1902年〈明治35年〉10月11日 - 1961年〈昭和36年〉4月以降消息不明)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸士36期首席・陸大43期恩賜(いわゆる軍刀組)。軍人としての最終階級は陸軍大佐。 ノモンハン事件、太平洋戦争中のマレー作戦、ポートモレスビー作戦、ガダルカナル島の戦いなどを参謀として指導した。軍事作戦指導では「作戦の神様」「軍の神様」と当時においては讃えられていた。 その一方で、指揮系統を逸脱した現場での行動、部下への責任押し付け、自決の強要、戦後の戦犯追及からの逃亡などについて批判がある。 敗戦後は数年間を国内外で潜伏したのち戦記を上梓し、ベストセラーとなった。
田谷 充実(たや じゅうじつ、1902年7月27日 - 19… 田谷 充実(たや じゅうじつ、1902年7月27日 - 1963年2月27日)は、石川県能美郡山上村(旧山口村、旧辰口町を経て現在の能美市)火釜出身の政治家。石川県知事(2期 第46-47代)公選では2人目。 1928年、京都帝国大学法学部卒。全国指導農業協同組合副会長、農林中央金庫評議員、石川県農業協同組合中央会会長などを経て、1955年2月20日第3回石川県知事選挙で現職の柴野和喜夫を破り、初当選する。1959年2月8日の第4回石川県知事選挙で再選。石川県知事を2期務め、1963年2月19日知事を退任した(後任は中西陽一)。知事退任直後の2月27日に死去した。
三好 竹勇(みよし ちくゆう、1902年(明治35年)4月1… 三好 竹勇(みよし ちくゆう、1902年(明治35年)4月13日 - 1987年(昭和62年)11月25日)は、昭和期の漁業経営者・政治家。衆議院議員。 石川県金沢市出身。1927年(昭和2年)金沢医科大学附属薬学専門部を卒業した。 北海道白老郡白老村(現白老町)に移住し、漁業、薬局、整骨院を営む。1933年(昭和8年)から1947年(昭和22年)まで白老村会議員に在任。所得税調査委員、白老商業協同組合理事長、苫小牧工業学校(現北海道苫小牧工業高等学校)嘱託教師、胆振漁業会会長などを務めた。1947年4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第4区から民主党所属で出馬して当選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙では落選し、衆議院議員を1期務めた。
土井 直作(どい なおさく、1900年(明治33年)11月1… 土井 直作(どい なおさく、1900年(明治33年)11月1日 - 1967年(昭和42年)6月26日)は、大正・昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 石川県鳳至郡剱地村(門前町剱地を経て現輪島市門前町剱地)で、土井太郎、ユウ夫妻の三男として生まれる。1915年(大正4年)小学校を卒業し足尾銅山で働く。1919年(大正8年)に上京して芝浦製作所(現東芝)に入社し電気工として務め、友愛会芝浦支部に加わり、1920年の芝浦争議に参加して解雇された。1922年(大正11年)日本労働学校を卒業した。 1925年(大正14年)日本労働総同盟(総同盟)調査部員、1928年(昭和3年)から総同盟調査委員に就任し、1940年(昭和15年)の組織解散まで各地の労働争議を指導した。
谷口 善太郎(たにぐち ぜんたろう、1899年10月15日 … 谷口 善太郎(たにぐち ぜんたろう、1899年10月15日 - 1974年6月8日)は、日本の小説家、政治家である。衆議院議員(6期)。小説家としては、ペンネームの須井一(すい はじめ)・加賀耿二(かが こうじ)で知られることも多い。愛称は「谷善(たにぜん)」。 石川県能美郡国造村和気(現在の石川県能美市和気町)出身。和気高等小学校卒業後、村の読書サークルに参加、谷口夢草の名前で短歌をつくる。その後上京、その後には京都で清水焼の労働をしながら労働運動に従事する。1928年の三・一五事件で検挙され、外出や執筆をしないという条件で仮釈放された。 しかし、1931年、東京から訪れた貴司山治のすすめにより、『須井一』のペンネームで執筆した「綿」が評判になる。
大島 新一(おおしま しんいち 1899年(明治32年)10… 大島 新一(おおしま しんいち 1899年(明治32年)10月1日 - 1979年(昭和54年)9月25日)は日本の政治家。石川県会議員(3期) 1899年10月鳳至郡櫛比村に生まれた。1914年3月櫛比尋常高等小学校高等科を卒業後、1915年1月輪島区裁判所門前出張所所属になり、1919年1月金沢地方裁判所所属の司法書士となった。1925年5月櫛比村会議員選挙に当選。1931年9月立憲民政党に属して石川県会議員選挙に当選、1935年再選され参事会員に選任されていた。1941年11月には副議長となった。副議長には1946年までつとめ県会議員としては1947年までその任にあたった。この間、1941年6月より門前町長として町政をとり1942年10月からは門前花業会長でもあった。
石黒 武重(いしぐろ たけしげ、1897年〈明治30年〉5月… 石黒 武重(いしぐろ たけしげ、1897年〈明治30年〉5月13日 - 1995年〈平成7年〉1月23日)は、日本の官僚、政治家。山形県知事、法制局長官、民主党初代幹事長などを務めた。 石川県金沢市出身。東京府立四中、第一高等学校、東京帝国大学法律学科卒業。山形県知事、農林次官、枢密院書記官長などを歴任。幣原内閣において、法制局長官(専任)、国務大臣兼法制局長官を務めた。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に山形県全県区から出馬し初当選。日本進歩党政務調査会長、民主党初代幹事長に就任し、戦後の混乱期の収拾に尽力した。また、日本生活協同組合連合会会長理事、日本生活協同組合名誉顧問、日ソ協会会長などの要職も歴任した。
坂田 英一(さかた えいいち、1897年3月27日 - 19… 坂田 英一(さかた えいいち、1897年3月27日 - 1969年7月22日)は、石川県出身の官僚、政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 衆議院議員(7期)。農林大臣(第35代)。自民党佐藤派所属。 石川県加賀市生まれ。第四高等学校を経て、1920年、東京帝国大学農学部卒業後、農商務省入省。1938年、農林省特産課長(1946年まで)。 1949年1月の第24回衆議院議員総選挙に民主自由党から立候補し初当選(当選同期に池田勇人・佐藤栄作・前尾繁三郎・橋本龍伍・岡崎勝男・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
米山 久(よねやま ひさ、1897年(明治30年)1月17日… 米山 久(よねやま ひさ、1897年(明治30年)1月17日 - 1981年(昭和56年)2月9日)は、日本の政治家、歌人。石川県出身の婦人運動家。衆議院議員(1期)。本名は米山 久子。 石川県金沢市で生まれる。1914年、石川県立第一高等女学校(現・石川県立金沢二水高等学校)卒。市川房枝の婦人参政権運動に参加。大日本国防婦人会金沢地方本部理事、大日本婦人会石川県支部副支部長を務めた。 1946年4月10日、第22回衆議院議員総選挙石川県全県区に日本社会党から出馬し初当選、石川県初の女性国会議員となる。1947年4月25日、第23回衆議院議員総選挙に出馬し落選した。 日本仏教婦人連盟顧問となり、仏教婦人運動にも尽くした。
館 俊三(だて しゅんぞう、1896年〈明治29年〉6月15… 館 俊三(だて しゅんぞう、1896年〈明治29年〉6月15日 - 1964年〈昭和39年〉4月6日)は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員。 石川県鹿島郡七尾町(現七尾市)で生まれる。1916年(大正5年)石川県立七尾中学校(現石川県立七尾高等学校)を卒業し、小学校准訓導心得となる。 1920年(大正9年)鉄道省に入省し函館駅改札掛に就任。鉄道局書記、鉄道官補、函館駅助役を歴任。1946年(昭和21年)函館駅従業員労働組合の結成発起人となり、また同年5月に結成された国鉄北海道労働組合の委員長に就任。同年4月、第22回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。1947年(昭和22年)4月、第23回総選挙で北海道第3区から日本社会党所属で出馬して初当選。
森島 守人(もりしま もりと、1896年2月16日 - 19… 森島 守人(もりしま もりと、1896年2月16日 - 1975年2月17日)は、日本の外交官、政治家。位階は従三位。 衆議院議員(3期)。満州事変発生時に現地・奉天総領事代理の地位にあり、日米開戦時のニューヨーク総領事、ポルトガル公使などを務めた。 石川県金沢市の医師 森島彦夫・民生夫妻の長男として生まれる。金沢第一中学校、第一高等学校を経て、1919年、東京帝国大学法学部独法科を卒業。同年外務省入省。1928年から1935年まで、ハルビン総領事及び奉天総領事代理を務めた。1931年9月、奉天近郊で起きた柳条湖事件(時の外相は幣原喜重郎)から翌1932年3月の満洲国成立までに至る対応で苦慮し、1933年2月に蜂谷輝雄が奉天総領事に着任した。
竹田 儀一(たけだ ぎいち、1894年3月24日 - 197… 竹田 儀一(たけだ ぎいち、1894年3月24日 - 1973年4月30日)は、日本の弁護士、実業家、政治家。位階は従三位。 大阪市会議員、衆議院議員(4期)、地方財政委員会委員長(初代)、厚生大臣(第16代)、神鋼商事株式会社社長などを歴任した。 石川県出身。1918年、京都帝国大学法科大学法律科を卒機後、鈴木商店に入社し、支配人金子直吉の秘書を務めた。その後弁護士となり、さらに大阪市会議員となる。また樺太ツンドラ工業、大聖寺商業等各社の社長を歴任する。 1930年の第17回衆議院議員総選挙に旧大阪府第2区から立憲民政党公認で立候補し当選。以後、18、22、23回総選挙に当選。戦前は、同郷である拓務大臣の永井柳太郎の下で大臣秘書官などを務めた。
箸本 太吉(はしもと たきち、1892年(明治25年)7月1… 箸本 太吉(はしもと たきち、1892年(明治25年)7月16日 – 1961年(昭和36年)7月25日)は、衆議院議員(立憲政友会)、外務参与官。ジャーナリスト。 石川県金沢市出身。日本大学で学んだ後、『中外商業新報』政治部記者となり、ロンドン特派員を務めた。その後『萬朝報』に入社し、常務取締役営業局長・編集局長、専務取締役・主筆を歴任した。また平沼騏一郎日本大学総長の秘書や日本大学講師を務めた。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に石川県第1区から出馬し、初当選。合計で5期務めた。その間、平沼内閣で外務参与官に就任した。 1946年(昭和21年)、大政翼賛会の推薦議員のため、公職追放となった。
武谷 甚太郎(たけたに じんたろう、1892年(明治25年)… 武谷 甚太郎(たけたに じんたろう、1892年(明治25年)7月16日 - 1976年(昭和51年)2月28日)は、大正から昭和期の新聞編集者、実業家、政治家。衆議院議員、金沢市長、石川県会議長。 石川県石川郡鶴来町(現白山市)で、武谷久太郎、イトの二男として生まれる。1914年(大正3年)早稲田大学に入学し政治経済科で学んだ。政治運動に参加して検束され、1917年(大正6年)12月に早大を中退した。 その後、太平洋通信記者となり、1918年(大正7年)6月、中国民報(現山陽新聞)記者、さらに1922年(大正11年)3月、帰郷して北陸毎日新聞(現北國新聞)主筆に就任し、編輯長、取締役を歴任した。
北 政清(きた まさきよ、1891年〈明治24年〉10月11… 北 政清(きた まさきよ、1891年〈明治24年〉10月11日 - 1953年〈昭和28年〉9月1日)は、日本の農業経営者、政治家。衆議院議員。 石川県能美郡今江村(現小松市)で北小太郎の三男として生まれる。1895年、父と共に北海道空知郡奈井江に入植。公立砂川小学校を経て、1910年、北海道庁立空知農業学校農科を卒業し農業に従事。 1915年、札幌郡江別村付属員となる。以後、雨竜郡秩父別村農会技術員、兼同役場付属員、北海道庁農業技手、板谷農場管理人、北竜村土功組合長、板谷農場産業組合長理事、北竜村農会副会長、北竜村会議員、在郷軍人会分会長、板谷商船 (株) 農場支配人、北連販売部長、産業組合中央会空知部会理事、日本通運 (株) 滝川支店長などを務めた。
山本 市英(やまもと いちえい、1891年(明治24年)1月… 山本 市英(やまもと いちえい、1891年(明治24年)1月1日 - 1969年(昭和44年)9月25日)は、日本の政治家、実業家。北海道会議員、衆議院議員、北海道岩見沢市長(1947年-1954年)。 石川県出身。空知農学校卒。1915年(大正4年)早稲田大学専門部政治経済科卒業。小樽新聞(後の北海道新聞)に入社し政治経済部記者となり、同社岩見沢支局長を務めた。その後、小樽商業会議所総務課長に就任。1924年(大正13年)第8期北海道会議員に当選、2期8年務め、北海道会参事会員にも在任。その後1932年の第18回衆議院議員総選挙にて北海道第4区から当選。1期務め、立憲政友会に所属。1936年の第19回から1942年の第21回総選挙まで立候補するもいずれも落選。
江川 為信(えがわ ためのぶ、1890年6月18日 - 19… 江川 為信(えがわ ためのぶ、1890年6月18日 - 1969年10月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、石川県議会議員(5期)、石川県農業会長。 1890年、石川県石川郡額村に生まれる。野々市小学校を卒業。1927年県議選に当選し、1944年に辞職するまでつとめる。その間、石川県名誉職参事会員に5回も選出され、政友会石川支部の幹事長にもなった。また、多年に渡って農政に尽くし、1935年に石川郡農会長に、1943年から1947年までは石川県農業会長も歴任した。
北 勝太郎(きた かつたろう、1889年〈明治22年〉9月1… 北 勝太郎(きた かつたろう、1889年〈明治22年〉9月14日 - 1963年〈昭和38年〉2月21日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)・参議院議員(1期)。奈井江村初代村長。 石川県能美郡御幸村(現・小松市)出身。1894年、一家で砂川町奈井江に入植。1911年、空知農業学校卒業。卒業後は、家業の農業に従事。1915年大日本帝国陸軍に入営。少尉任官。砂川農村会長・奈井江産業組合長・奈井江水利組合長を兼任。1919年砂川町議会議員に当選。1920年保証責任北海道信用購買販売組合聯合会(北聯、のちのホクレン)理事および砂川農会会長。1924年大日本帝国陸軍中尉任官、同年北海道議会議員に当選し、以後連続3期務めた。
前野 与三吉(まえの よそきち、1889年(明治22年)5月… 前野 与三吉(まえの よそきち、1889年(明治22年)5月31日 - 1975年(昭和50年)8月12日)は、日本の政治家。北海道旭川市長(3期)。 石川県石川郡松任町(のち松任市、現在の白山市)に生まれる。4歳の時に家族とともに北海道に渡る。20代で旭川で運送業を始める。その後、業界の中心人物となり、政治の道に進むことになる。1926年(大正15年)旭川市会議員に当選し、5期務める。また、北海道会議員に当選し、2期務める。 戦後の1947年(昭和22年)旭川市長の大塚守穂が公職追放により、辞職。同年6月旭川市長に就任する。4年後の1951年(昭和26年)の市長選挙では再選を目指したが、元衆議院議員の坂東幸太郎に敗れた。
佐藤 実(實、さとう みのる、1888年10月1日 - 19… 佐藤 実(實、さとう みのる、1888年10月1日 - 1933年12月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 石川県出身。1909年、石川県立七尾中学校(現・石川県立七尾高等学校)卒。農業を営む。穴水町助役、同町長、鳳至銀行取締役、同監査役、七尾商工銀行、能登産業銀行各取締役、能登新聞社社長となる。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において石川5区から憲政会公認で立候補して当選。1928年の第16回衆議院議員総選挙では石川2区から立憲民政党公認で立候補して再選した。衆議院議員を2期務めた。1930年の第17回衆議院議員総選挙には次点で落選した。1933年死去。
益谷 秀次(ますたに しゅうじ、1888年1月17日 - 1… 益谷 秀次(ますたに しゅうじ、1888年1月17日 - 1973年8月18日)は、日本の政治家。位階は従二位。 衆議院議員(14期)、衆議院議長(第46代)、副総理、建設大臣、行政管理庁長官などを歴任した。 1888年1月17日、石川県鳳至郡宇出津町(現在の鳳珠郡能登町)に生まれる。旧制海城中学校から神田神保町にあった大成中学に4年編入後、専検から東京外国語学校(現東京外国語大学)仏語科、京都帝国大学法科大学仏法科を卒業。浦和地方裁判所判事から、弁護士となった。 1920年、第14回衆議院議員総選挙に立憲政友会公認で石川5区から立候補し初当選。1924年に床次竹二郎一派が政友会を脱党し、政友本党を発足したあたりから政友会で鳩山一郎派に所属していた。
林屋 亀次郎(はやしや かめじろう、1886年〈明治19年〉… 林屋 亀次郎(はやしや かめじろう、1886年〈明治19年〉6月1日 - 1980年〈昭和55年〉5月4日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(3期)。 現在の石川県金沢市出身。製茶業を営む父新兵衛の8男として生まれる。金沢商業学校卒業。 1930年(昭和5年)金沢市内に当時としては数少ない鉄筋コンクリートの商業ビルを建設、テナントとして三越金沢店を入居させる。1935年(昭和10年)三越との契約切れを待って同年9月に丸越百貨店を開業するが、1943年(昭和18年)12月21日に戦時統合により宮市大丸百貨店と合併し大和百貨店となり会長に就任。このとき社長に就任したのが後に第3回参議院議員通常選挙では現職閣僚ながら落選した際の相手候補となった井村徳二であった。
大森 玉木(おおもり たまき、1886年(明治19年)3月2… 大森 玉木(おおもり たまき、1886年(明治19年)3月20日 - 1964年(昭和39年)2月19日)は、日本の政治家、興行師。衆議院議員(6期)、石川県議会議員。 石川県鹿島郡七尾町(現在の七尾市)生まれ。西湊村尋常小学校卒業。 当初は大相撲に入り、雷部屋に入門したが、間もなく廃業。その後は帰郷し、草相撲で活動。四股名は最初は「玉椿」と名乗り、その後「唐戸山」と改め、大関まで上がった。のちに興行師として活躍。1930年(昭和5年)、浅草公園六区で安来節を上演していた御園座を改築し、玉木座を開業。チェロ奏者だった佐々木千里を支配人として経営を任せる一方、劇団プペ・ダンサントを発足させて榎本健一などが活躍した。
永井 柳太郎(ながい りゅうたろう、1881年〈明治14年〉… 永井 柳太郎(ながい りゅうたろう、1881年〈明治14年〉4月16日 - 1944年〈昭和19年〉12月4日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の政党政治家。憲政会・立憲民政党所属。大日本育英会(現:日本学生支援機構)創立者。族籍は東京府士族(旧加賀藩士)。 石川県金沢の貧しい小学教員の家庭に生まれる。石川県士族・永井登の長男。 新堅町尋常小学校、長町高等小学校を経て旧制石川県尋常中学(現:石川県立金沢泉丘高等学校)に入学するも喧嘩が原因で中退し、1897年(明治30年)に同志社尋常中学校3学年に編入するもストライキを起こして中退。関西学院普通学部を経て1905年(明治38年)に早稲田大学大学部政治経済学科を卒業する。
松谷 與二郎(略字表記「松谷与二郎」、まつたに よじろう、1… 松谷 與二郎(略字表記「松谷与二郎」、まつたに よじろう、1880年6月4日 - 1937年3月17日)は、日本の政治家、衆議院議員、弁護士、社会活動家。 石川県金沢市生まれ。1903年、明治法律学校卒業。 1914年に弁護士を開業し、虎の門事件で難波大助の国選弁護人を引き受けるなど、社会運動、小作争議の弁護活動に活躍する。 1926年、日本労農党創立に参加、全国大衆党、全国労農大衆党の顧問を務める。1930年、第17回衆議院議員総選挙において東京6区から日本大衆党の候補として出馬し、衆議院議員に初当選する。その後全国大衆党・全国労農大衆党を経て、1932年には社会大衆党の顧問に就く。しかし満州事変の評価をめぐって社大党と対立して離党し、以後新日本建設同盟・国民同盟・日本国家社会党を経て、1934年に勤労日本党総理となった。
伍堂 卓雄(ごどう たくお、1877年(明治10年)9月23… 伍堂 卓雄(ごどう たくお、1877年(明治10年)9月23日 - 1956年(昭和31年)4月7日)は、日本の政治家、実業家、海軍造兵中将。東京府士族。正三位。工学博士。