山下 和彦(やました かずひこ、1946年2月24日 - )… 山下 和彦(やました かずひこ、1946年2月24日 - )は、日本の政治家。元愛媛県西宇和郡伊方町長(3期)。 1964年に愛媛県立川之石高等学校卒業後、伊方町役場に入庁。産業建設課長、農林水産課長、水道課長、総務課長、農業委員会事務局長などを歴任した。 2006年、畑中芳久が収賄容疑で逮捕され辞職したことに伴って行われた伊方町長選挙に立候補。元愛媛県議会議員の高門清彦を破り初当選を果たし、2期伊方町長に就任した。2010年の伊方町長選挙では無投票当選を果たした。 2016年4月13日に検査入院した際に軽い脳梗塞が見つかったためリハビリ治療を受けていたが、言語障害が残るなど退院の見通しが立たないことから、同年9月29日に辞職願を提出した。
菅 良二(かん りょうじ、1943年(昭和18年)8月27日… 菅 良二(かん りょうじ、1943年(昭和18年)8月27日 - )は、日本の政治家。愛媛県今治市長(3期)、愛媛県議会議員(2期)、大三島町長(2期)、大三島町議会議員(5期)等を務めた。 愛媛県今治市大三島町生まれ。愛媛県立今治南高等学校、第一薬科大学薬学部卒業。薬剤師免許を取得している。 製薬会社での勤務を経て、大三島に帰郷し薬局を開業。1977年、大三島町議会議員選挙に出馬し、初当選。以後5期連続当選。 5期目の任期途中で町議を辞職し、菅省三町長死去に伴い1996年に行われた大三島町長選挙に立候補し初当選。2000年の大三島町長選挙でも再選を果たした。 町長時代には伯方塩業の誘致実現やラントゥレーベン大三島(滞在型農園施設)の整備等を手がけた。
伊藤 宏太郎(いとう こうたろう、1942年(昭和17年)1… 伊藤 宏太郎(いとう こうたろう、1942年(昭和17年)12月14日 - 2015年(平成27年)2月12日)は、日本の政治家。元愛媛県西条市長(通算5期)。西条市名誉市民。 愛媛県西条市生まれ、父親も元西条市長。松山商科大学(現在の松山大学)卒業。伊予銀行入社。1991年(平成3年)西条市議会議員に立候補し初当選。 西条市議会議員を1期務めた後は1995年4月に行われた市議会議員選挙には出馬せず、西条市長選挙に向けた準備を進めた。同年11月26日に公示された西条市長選挙に立候補。市長を務めていた桑原富雄が引退し、他に立候補者はなく無投票当選となった。 1999年11月の西条市長選挙では無投票当選を果たし2選。
伊藤 武志(いとう たけし、1942年(昭和17年)5月14… 伊藤 武志(いとう たけし、1942年(昭和17年)5月14日 - )は、日本の政治家。元愛媛県新居浜市長。 新居浜市出身。1961年(昭和36年)愛媛県立新居浜東高等学校を経て、1965年(昭和40年)早稲田大学商学部卒業。 同年住友スリーエムに入社。村上信二郎、毛利松平の秘書を経て、1979年(昭和54年)愛媛県議会議員に当選。1984年(昭和59年)新居浜市長に当選し、4選した。
高野 宗城(たかの むねき、1942年4月4日 - )は、日… 高野 宗城(たかの むねき、1942年4月4日 - )は、日本の政治家。元愛媛県上浮穴郡久万高原町長(2期)、元久万町議会議員。なお、戸籍上の氏は「髙野」。 愛媛県上浮穴郡久万町(現: 久万高原町)出身。愛媛県立上浮穴高等学校卒業。久万町においてスキー場などを経営、久万町議会議員を務めた。 ※当日有権者数:9,309人 最終投票率:85.99%(前回比:-pts) ※当日有権者数:8,594人 最終投票率:80.71%(前回比:−5.28pts) ※当日有権者数:7,896人 最終投票率:82.38%(前回比:+1.67pts)
井上 和久(いのうえ かずひさ、1941年6月5日 - )は… 井上 和久(いのうえ かずひさ、1941年6月5日 - )は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(1期)。元公明党愛媛県議会議員(4期)。元公明党松山市議会議員(2期)。 愛媛県松山市出身。1966年、松山商科大学短期大学部中退。1978年、松山市議会議員選挙に公明党公認で立候補し初当選。1983年、再選。1986年、第38回衆議院議員総選挙に旧愛媛1区から公明党公認で立候補し初当選。愛媛県選出の公明党公認国会議員の初例となる。公明党愛媛県本部代表に就任。1990年、第39回衆議院議員総選挙で落選。1991年、愛媛県議会議員選挙松山市選挙区に公明党公認で立候補し初当選。1995年、公明から立候補して再選。
井手 順二(いで じゅんじ、1939年〈昭和14年〉8月16… 井手 順二(いで じゅんじ、1939年〈昭和14年〉8月16日 - )は、日本の政治家。愛媛県北条市長を2期務め、平成の大合併により2005年(平成17年)1月1日を以って北条市は松山市に編入されたため、最後の市長となった。 愛媛県出身。愛媛県立松山北高等学校卒業。民間企業勤務を経て温泉郡北条町役場に入る。同町は1958年(昭和33年)11月1日市制施行し北条市となったため、北条市役所勤務となる。市役所では議会事務局長、市長公室長、総務課長を経て、収入役を歴任。2000年(平成12年)1月31日前任の菅朝照が急逝したのを受けて請われて北条市長選挙に立候補し、無投票で当選する。2004年(平成16年)は無投票で再選。
横田 弘之(よこた ひろゆき、1938年8月29日 - )は… 横田 弘之(よこた ひろゆき、1938年8月29日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。 愛媛県議会議員(8期)、愛媛県議会議長(第95代)、地域政党愛媛維新の会代表などを務めた。 愛媛県宇和島市生まれ。宇和島市立明倫小学校、南宇和郡緑僧郡村立緑小学校、松山市立石井中学校、愛媛県立松山東高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。 1964年に参議院議員の増原惠吉、1983年には衆議院議員の今井勇の秘書を務める。1991年に愛媛県議会議員選挙で立候補し、初当選した。 自由民主党に所属していたが、2010年の松山市長選挙では自民党推薦の新人候補を支持せず、野志克仁を応援したため、県連から除名処分を受ける(市長選では野志が当選)。
関谷 勝嗣(せきや かつつぐ、1938年〈昭和13年〉3月6… 関谷 勝嗣(せきや かつつぐ、1938年〈昭和13年〉3月6日 - )は、日本の政治家。自由民主党山崎派に所属。(財)愛媛県遺族会会長。 参議院議員(2期)、衆議院議員(8期)、郵政大臣(第53代)、建設大臣(第66代)、国土庁長官(第33代)などを歴任した。 愛媛県松山市三津浜出身。 愛媛大学教育学部附属小学校、愛媛大学教育学部附属中学校、愛媛県立松山北高等学校を経て、1960年、中央大学法学部政治学科卒業。カナダ、ブリティッシュ・コロンビア大学留学。 1964年4月、日本航空に入社。1967年10月、退社。1967年11月 関谷勝利議員秘書。1970年1月瀬戸内海放送取締役。1974年1月松山青年会議所理事長。
桑原 敏武(くわばら としたけ、1935年(昭和10年)6月… 桑原 敏武(くわばら としたけ、1935年(昭和10年)6月22日 - )は、日本の政治家。元東京都渋谷区長(3期)。元東京都職員。 愛媛県立松山東高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、東京都庁入庁。 渋谷区教育委員会社会教育部長、渋谷区助役などを経て、2003年4月渋谷区長選挙に出馬し初当選。 2003年から2015年までの3期12年、渋谷区長を務めた。 区長就任中の2015年4月に、日本国内の自治体で初となる同性カップルの「パートナーシップ制度」を導入した。
加戸 守行(かと もりゆき、1934年(昭和9年)9月18日… 加戸 守行(かと もりゆき、1934年(昭和9年)9月18日 - 2020年(令和2年)3月21日)は、日本の政治家。元愛媛県知事(第14 - 16代)、元文部官僚、「美しい日本の憲法をつくる愛媛県民の会」実行委員長、日本会議愛媛県本部相談役。 関東州大連市に生まれる。愛媛県立八幡浜高等学校、東京大学法学部を1957年に卒業し、文部省(現:文部科学省)に入省[要出典]。 その後、1970年7月から1974年6月まで文化庁著作権課長として著作権法施行令及び同法施行規則を立案、ベルヌ・万国両条約パリ改正会議など著作権関係国際会議に8回出席している。1983年6月、文化庁文化部長。1983年10月、文化庁次長として著作権法一部改正など5本の法案を担当・成立させた。
野間 赳(のま たけし、1934年4月3日 - 2023年3… 野間 赳(のま たけし、1934年4月3日 - 2023年3月11日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(2期)。第1次小泉内閣において、農林水産副大臣を歴任。 愛媛県今治市出身。愛媛県立今治西高等学校を経て、1957年明治大学政経学部政治学科を卒業。 1972年に愛媛県議会議員に初当選(連続6期)。 1990年に愛媛県議会議長に就いた後、1992年に第16回参議院議員通常選挙に愛媛県選挙区より立候補し当選。1998年第18回参議院議員通常選挙においても連続当選を果たす。2004年、政界から引退した。 2005年、旭日重光章受章。 2023年3月11日、老衰のため、死去した。88歳没。
石津 隆敏(いしづ たかとし、1933年〈昭和8年〉10月2… 石津 隆敏(いしづ たかとし、1933年〈昭和8年〉10月22日 - 2020年〈令和2年)2月19日〉は、昭和から平成時代の政治家。実業家。愛媛県川之江市長。 川之江市出身。1952年(昭和27年)愛媛県立川之江高等学校卒業。伊予三島市の大王製紙に入社。1959年(昭和34年)伊予段ボール工業に出向、1965年(昭和40年)取締役工場長を経て、1977年(昭和52年)に独立して紙加工の瀬戸紙工を興した。自民党員としても活発に活動し、自民党川之江支部の幹部を務めた。ほか、宇摩交通安全協会副会長を務めた。 1989年(平成元年)タックシステム設立。1990年(平成2年)川之江市長に当選し、合併するまでの4期務めた。
池田 治(いけだ おさむ、1931年12月15日 - 200… 池田 治(いけだ おさむ、1931年12月15日 - 2006年5月25日)は、日本の弁護士、元政治家。参議院議員(1期)。 愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)出身。1956年中央大学法学部卒業。法政大学の講師などを経て、1969年弁護士登録。1984年法曹政治連盟会長に就任する。1989年の第15回参議院議員通常選挙に愛媛県選挙区から連合推薦で立候補し、自由民主党公認で現職の檜垣徳太郎元郵政大臣を破って初当選。連合参議院(後の民主改革連合)の結成に参加。民主改革連合の幹事長などを務めた。1995年の第17回参議院議員通常選挙で再選を目指したが自由民主党公認の塩崎恭久に敗れて落選、政界から引退した。
青野 照雄(あおの てるお、1931年(昭和6年)10月24… 青野 照雄(あおの てるお、1931年(昭和6年)10月24日 - 2014年(平成26年)6月26日)は、平成時代の政治家。愛媛県東予市長。 東予市出身。1949年(昭和24年)愛媛県立西条農業高等学校卒業。愛媛県庁に入庁し、1979年(昭和54年)愛媛県人事課長、1982年(昭和57年)調整監、1983年(昭和58年)総務部次長、1984年(昭和59年)議会事務局長を経て、1986年(昭和61年)公営企業管理局長、1987年(昭和62年)出納長に就任した。 1989年(平成元年)3月に退職し、1991年(平成3年)東予市長に当選。1期務めた。
中元 清吉(なかもと きよきち、1928年〈昭和3年〉5月3… 中元 清吉(なかもと きよきち、1928年〈昭和3年〉5月3日 - 2024年〈令和6年〉3月8日)は、日本の政治家・実業家。元西宇和郡伊方町議会議員、元伊方町長。伊方町出身。 伊方町商工業協同組合理事長、伊方町商工会長、愛媛県商工会連合会会長、伊方町社会福祉協議会会長などの公職を務めた。
篠永 善雄(しのなが よしお、1927年〈昭和2年〉9月9日… 篠永 善雄(しのなが よしお、1927年〈昭和2年〉9月9日 - 2012年〈平成24年〉2月23日)は、日本の政治家。愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)長。 愛媛県宇摩郡三島町(のち伊予三島市、現・四国中央市)出身。旧制愛媛県立三島中学校(現・愛媛県立三島高等学校)を経て、明治学院大学経済学部に入学するが、中退する。帰郷後は伊予三島市議会議員、同第25代副議長(1977年12月14日から1978年12月5日まで)、同第26代議長(1978年12月6日から1979年7月27日)となった。 1979年、森川孝夫の急死に伴い行われた市長選で伊予三島市長に自民党公認で立候補して、社会党・共産党推薦の新人ら2人を破って当選し、同年8月20日に就任した。
田中 誠一(たなか せいいち、1926年(大正15年)4月1… 田中 誠一(たなか せいいち、1926年(大正15年)4月11日 - 2003年(平成15年)4月8日)は、日本の政治家、第25・26代松山市長。 松山市出身。旧制愛媛県立松山商業学校(現 愛媛県立松山商業高等学校)を卒業後、1945年、第11師団(香川県善通寺市)に入隊。 終戦後の1946年、松山市役所職員に採用される。市民課長、企画管理部長を歴任し、助役を3回にわたり(1979年6月25日-1979年7月9日、1983年6月25日-1984年12月25日、1987年6月25日-1989年10月10日)務める。 1991年、5選を狙う当時の現職市長中村時雄に対抗して出馬し初当選。「しあわせひろがるまち松山」をスローガンに、その後2期8年間にわたって松山市長を務めた。
森 清(もり きよし、1925年5月6日 - 2008年6月… 森 清(もり きよし、1925年5月6日 - 2008年6月24日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。正四位勲二等。 愛媛県新居浜市出身。1948年に東京大学法学部政治学科を卒業後、自治省に入省する。自治省官房長などを経て、消防大学校校長を最後に退官。1976年に行われた第34回衆議院議員総選挙に旧愛媛2区から自由民主党公認で立候補し当選(当選同期に愛知和男・鳩山邦夫・中村喜四郎・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正など)。以後、1度の落選を挟んで通算当選4回。防衛政務次官などを歴任した。自民党では福田赳夫-安倍晋太郎派(清和会)に所属し、中川派の旗揚げにも参加した。
石津 栄一(榮一、いしづ えいいち、1924年(大正13年)… 石津 栄一(榮一、いしづ えいいち、1924年(大正13年)4月24日 - 2009年(平成21年)1月18日)は、昭和から平成時代の政治家。愛媛県川之江市長。 川之江市出身。建築業を営む家に育ち、関西工業学校建築科の夜間部に学んだ。1943年(昭和18年)同校卒業。戦時中は海軍航空隊へ志願し、瑞鶴乗組となった。 復員後は代用教員を経て、愛媛県立川之江高等学校定時制に学び、1950年(昭和25年)卒業。家業を継ぎ、のち礎工業社長となった。 1951年(昭和26年)川之江町議会議員に28歳で初当選。その後、川之江市議会議員2期を経て、1974年(昭和49年)以来、川之江市長に4選。1990年(平成2年)落選した。
藤田 高敏(ふじた たかとし、1923年8月30日 - 20… 藤田 高敏(ふじた たかとし、1923年8月30日 - 2016年2月15日)は、日本の政治家。元衆議院議員(通算8期)。元社会民主党愛媛県連顧問。元愛媛県議会議員(通算4期)。 愛媛県西条市出身。1938年に住友重機械工業に入社。その後、出征。復員後、復職、労組に加入し労働運動に携わる。 1951年、愛媛県議会議員選挙に立候補し初当選。以後4期連続当選。1963年に行われた第30回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧愛媛県第2区より立候補し当選。以後落選を挟んで8期の当選を果たす。 篤実な人柄で知られ、都市部では常に一定の支持層を持っていた。また、住友グループ労組の支援を受けていたものの保守系が圧倒的に強い地域ということもあり決して選挙に強いわけではなかった。
桑原 富雄(くわばら とみお、1923年(大正12年)5月2… 桑原 富雄(くわばら とみお、1923年(大正12年)5月26日 - 2010年(平成22年)2月7日)は、日本の政治家。愛媛県西条市長、西条市名誉市民。 愛媛県西条市本町に生まれる。西条農業学校卒業(現愛媛県立西条農業高等学校)を卒業。旧 西条市職員、助役を経て、1979年(昭和54年)当時現職の伊藤一を破り市長に初当選、以後、1995年(平成7年)12月まで4期16年(13 - 16代)にわたり西条市長を務めた。 市長在任中、東部臨海土地造成による臨海造成地への企業誘致を図り、同地には電機・機械・食品飲料等の有力企業が立地し、愛媛県東部の工業都市としての発展の礎を築いた。 また、「水の都」として、市中心部における親水公園や公共下水道の整備を推進したほか、「市民の森」、西条運動公園、「こどもの国」や、刑務所跡地への文化会館の設置など都市施設を整備充実させたほか、松山自動車道の開通や主要幹線道路など都市基盤の整備にも尽力した。
伊賀 貞雪(いが さだゆき、1922年11月14日 - )は… 伊賀 貞雪(いが さだゆき、1922年11月14日 - )は、日本の政治家。元愛媛県知事(3期)。 1987年に初当選し、以後連続三選を果たす。1999年には四選を目指したが、反対派の推す新人の元文部省の官僚・加戸守行に敗れた。 愛媛県温泉郡北吉井村(後の同郡重信町、現:東温市)出身。旧制愛媛県立松山商業学校(現:愛媛県立松山商業高等学校)を卒業し、1946年に愛媛県庁に入庁。財政課長、出納長などの要職(県庁の本流の中の本流とされる財政畑)を歴任し、行政職としてキャリアを重ねた。白石春樹知事第3期の後半から副知事に就任し、白石が退任する第4期までの県政を支えた。 1987年(昭和62年)、白石の後継として指名を受け、愛媛県知事選挙に立候補し、県議会議員と知事の座を争ったが県議が急逝、結果的に事実上白石より禅譲を受ける形で(別の候補者がおり選挙自体は実施された)、知事の座についた。
越智 伊平(おち いへい、1920年〈大正9年〉12月10日… 越智 伊平(おち いへい、1920年〈大正9年〉12月10日 - 2000年〈平成12年〉3月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(10期、自由民主党)。越智電気商会(現四国通建)創業者。位階は正三位、勲等は勲一等。 愛媛県越智郡(旧玉川町、現今治市)鈍川出身。1941年相模原工学校卒。戦後、越智電気商会を設立。1954年7月、鈍川公民館建設費として22万円寄付により1955年1月18日紺綬褒章受章。 1955年今治市議会議員選挙にトップで初当選、1959年愛媛県議会議員選挙でもトップで初当選。1962年10月、今治市立今治小学校給食費として10万円寄付により1963年10月24日、紺綬褒章受章(飾版)。
塩崎 潤(しおざき じゅん、1917年5月31日 - 201… 塩崎 潤(しおざき じゅん、1917年5月31日 - 2011年5月27日)は、日本の政治家(衆議院議員)、大蔵官僚、翻訳家。位階は正三位。 長男は衆議院議員の塩崎恭久。長女は法学者の山根裕子。次女は外交官角崎利夫の妻でアジア防災センター主任研究員の角崎悦子。 愛媛県松山市出身。松山中学、旧制松山高校を経て、東京帝国大学(現・東京大学)法学部政治学科を卒業。東京帝大法学部政治学科在学中の1940年10月に高等試験行政科を合格。1941年 大蔵省に入省する。主計局に配属。1942年10月、神田橋税務署長。1943年1月、宇都宮税務署長。同年8月、東京財務局経理部長。1952年8月1日、主税局調査課長。
檜垣 徳太郎(ひがき とくたろう、1916年〈大正5年〉10… 檜垣 徳太郎(ひがき とくたろう、1916年〈大正5年〉10月31日 - 2006年〈平成18年〉10月15日)は、日本の農林官僚・政治家。自由民主党参議院議員(3期)。 愛媛県松山市出身。旧制松山高校を経て、1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部卒業。農林省に入省(水産局嘱託)。入省成績は下から2番目。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進。1945年に解員(復員)。 農林経済局肥料課長、大臣官房予算課長、農地局管理部長、大臣官房長、畜産局長、大臣官房長(再任)、1968年(昭和43年)食糧庁長官を経て、1969年(昭和44年)農林事務次官。
仲川 幸男(なかがわ ゆきお、1916年9月15日 - 20… 仲川 幸男(なかがわ ゆきお、1916年9月15日 - 2008年(平成20年)10月18日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 愛媛県伊予郡南山崎村(現伊予市)出身。伊予実業学校(現愛媛県立伊予農業高等学校)卒業。松山市議会議員、愛媛県議会議員を経て1980年、青井政美の後任で愛媛県選挙区から自民党公認で参院選に出馬し当選。1986年の参院選にも再選。国会議員を務めた間に、農林水産政務次官、参議院文教委員会委員長、同農林水産委員長を歴任した。1992年の参院選には出馬せず、愛媛選挙区からは野間赳が当選した。引退後、山本順三に自分の後援会を提供した。愛媛県建設業協会長、自由民主党愛媛県連合会幹事長、愛媛県議会議長、全国高等学校PTA連合会会長も務めた。
秋山 正親(あきやま まさちか、1916年(大正5年)2月2… 秋山 正親(あきやま まさちか、1916年(大正5年)2月29日 - 1985年(昭和60年)1月6日)は、昭和時代の政治家。愛媛県北条市長(2期)。 愛媛県温泉郡北条町(北条市を経て現松山市)出身。松山北予中学校卒業。1937年(昭和12年)愛媛県庁に入る。民生、企画の各部長、出納長を歴任する。1978年(昭和53年)3月県庁を退職。退職後は愛媛相互銀行(現・愛媛銀行)監査役、愛媛県人事委員会委員となった。同年11月北条市長に当選。2期務めるが、2期目の1984年(昭和59年)9月病気のため市長を辞職。翌1985年(昭和60年)1月に死去した。
八木 徹雄(やぎ てつお、1916年(大正5年)1月31日 … 八木 徹雄(やぎ てつお、1916年(大正5年)1月31日 - 1971年(昭和46年)7月4日)は、自由民主党衆議院議員(5期)。 愛媛県越智郡乃万村延喜(現今治市延喜)生まれ。愛媛県立今治中学校卒業後上京し、砂田重政立憲政友会衆議院議員秘書。1937年、大倉高等商業学校卒業。1951年、保守党の最年少議員として、愛媛県議会議員に初当選。日本民主党愛媛県支部幹事長を経て、1958年2月、第27回衆議院議員総選挙愛媛2区補欠選挙に自由民主党で立候補するが、落選。同年5月の第28回衆議院議員総選挙愛媛県第2区に自由民主党から立候補し、初当選。以後、連続5期務める。1963年7月、第2次池田第3次改造内閣文部政務次官 。
毛利 松平(もうり まつへい、1913年7月16日 – 19… 毛利 松平(もうり まつへい、1913年7月16日 – 1985年5月24日)は、日本の政治家。第5代環境庁長官。
湯山 勇(ゆやま いさむ、1912年1月18日 - 1984… 湯山 勇(ゆやま いさむ、1912年1月18日 - 1984年6月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)、参議院議員(1期)。 愛媛県宇摩郡別子山村出身。愛媛師範学校を首席で卒業後、愛媛県内の北予中学校、愛媛師範学校、松山高等女学校などで教師を務めた。戦後、愛媛県教職員組合が結成されるとこれに参加し1951年に委員長に就任、翌1952年には愛媛地方労働組合評議会議長にもなる。 1953年の参議院選挙に愛媛県選挙区から出馬(日本教職員政治連盟)し初当選する。勤評闘争では強硬姿勢を取った愛媛県知事久松定武を相手に激しく抵抗し、1958年には参議院文教委員長となったが1959年の参院選で落選する。
小西 英雄(こにし ひでお、1911年(明治44年)11月2… 小西 英雄(こにし ひでお、1911年(明治44年)11月23日 - 1964年(昭和39年)12月8日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)。 愛媛県新居郡神郷村(現新居浜市)で生まれた。別子銅山で働き、鷲尾勘解治の自彊舎で学び1927年(昭和2年)に卒業した。優秀工員として評価され満州に派遣された。その後独立して康徳金属会社を設立し社長となる。戦時下では、関東軍嘱託、軍需省生産隊本部長などを務めた。 戦後、1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で愛媛県第2区から日本自由党公認で出馬したが落選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙に民主自由党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
大西 弘(おおにし ひろむ、1908年(明治41年)6月18… 大西 弘(おおにし ひろむ、1908年(明治41年)6月18日 ‐ 1975年(昭和50年)1月17日) は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、松山市議会議長。 愛媛県松山市山越で生まれた。除虫菊製造業を営み、大西土地建物を設立して社長に就任し、四国畜産 (株) 重役、松山市御幸農業会長なども務めた。 1947年(昭和22年)4月、松山市議会議員、愛媛県議会議員に選出され、松山市議会議長を務め、県議会では愛媛民主党に所属して活動した。1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に愛媛県第1区から民主自由党所属で出馬して当選し、その後、自由党に所属して衆議院議員に1期在任した。この間、自由党総務などを務めた。
関谷 勝利(せきや かつとし、1904年〈明治37年〉10月… 関谷 勝利(せきや かつとし、1904年〈明治37年〉10月20日 - 1987年〈昭和62年〉7月6日)は、日本の実業家、政治家。自由民主党・衆議院議員(11期)。元参議院議員関谷勝嗣の父。 1922年(大正11年)松山中学校卒業。海運業、土木建築請負業に従事。 伊予運送、松山商興、伊予造船各取締役。柳瀬座興行、松山港湾荷役作業、松山港運、勝山土建各社長。愛媛機帆船海運組合理事長。三津浜町会議員、愛媛県会議員、日本進歩党幹事を歴任。 1946年(昭和21年)初当選以来11期30年間衆議院議員を務め1976年(昭和51年)引退。党交通部会長、衆院内閣委員長などを歴任。運輸族として活躍、「陰の運輸大臣」といわれた。
菅 太郎(かん たろう、1904年(明治37年)5月30日 … 菅 太郎(かん たろう、1904年(明治37年)5月30日 - 1980年(昭和55年)1月11日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員(5期)。 愛媛県松山市出身、東京帝国大学法学部卒業。戦前は内務省の革新官僚の一人で、内務事務官や企画院調査官を務めた他、1936年12月より一時期は満洲国総務庁に配属されている。また1941年に発足した大日本翼賛壮年団の訓練部長や理事に就任した(1943年まで)。 戦後、公職追放となり、1952年に追放解除。同年の第25回衆議院議員総選挙で改進党から愛媛県第1区より初当選。1953年の第26回衆議院議員総選挙では落選した。その後も当選と落選を繰り返し、1955年の第27回衆議院議員総選挙で日本民主党から2度目の当選を果たし、同年の保守合同(自由民主党結党)に参加。
冲永 荘兵衛(おきなが しょうべい、1903年12月8日 -… 冲永 荘兵衛(おきなが しょうべい、1903年12月8日 - 1981年2月21日)は、日本の政治家、教育者。
井原 岸高(いはら きしたか、1903年〈明治36年〉4月2… 井原 岸高(いはら きしたか、1903年〈明治36年〉4月23日 - 1992年〈平成4年〉9月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。 愛媛県、のちの伊予三島市(現四国中央市)で生まれた。1916年(大正5年)三島尋常高等小学校(現四国中央市立三島小学校)卒業後、土建業を営み、丸和商事、井原建設工業(株)を創立、社長、会長となる。 政界では、三島町会議員となり、1947年(昭和22年)に愛媛県議会議員に当選して2期在任し、県政クラブ会長、同副議長、同議長を歴任 1958年(昭和33年)2月9日に行われた第27回衆議院議員総選挙愛媛2区補欠選挙で自由民主党から出馬して初当選し、以後補欠選挙での当選2回を含めて通算8期務める。
羽藤 栄市(羽藤 榮市、はとう えいいち、1903年3月25… 羽藤 栄市(羽藤 榮市、はとう えいいち、1903年3月25日 - 1985年11月22日)は、日本の政治家。愛媛県副知事・衆議院議員(1期)・愛媛県今治市長(5期)などを歴任した。 愛媛県越智郡桜井村(現:今治市)生まれ。 逓信官吏練習所を卒業後、高等文官試験に合格し逓信省東京逓信局に勤務。青島電信局長などを務めた。1942年には南方総軍司政官に就く。1949年には初代の四国電気通信局長に就任した。 保守分裂となった1951年愛媛県知事選挙で、日本社会党・民主党推薦の久松定武が愛媛県知事に当選すると、久松は社会党が推す羽藤を副知事に抜擢した。副知事となった羽藤は郵政研修所の誘致を実現し、松山郵政局の高松市移転の動きを抑え込んだ。
増原 惠吉(ますはら けいきち、1903年〈明治36年〉1月… 増原 惠吉(ますはら けいきち、1903年〈明治36年〉1月13日 - 1985年〈昭和60年〉10月11日)は、日本の内務及び防衛官僚、政治家。香川県知事(官選第37代、公選初代)、参議院議員(4期、自由民主党)、行政管理庁長官(第25-26代)、北海道開発庁長官(第23-24代)、防衛庁長官(第26・29-30代)。 愛媛県北宇和郡宇和島町(現宇和島市)で増原定蔵の次男として生まれる。 宇和島中学校、第一高等学校を経て1928年(昭和3年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。高等試験に合格して内務省に入省。京都属。 和歌山県保安課長、特高課長、北海道庁警視保安課長、兵庫県警務課長、山形県警務部長など警察畑を歩いたのち1946年(昭和21年)6月、香川県知事に就任した。
馬越 晃(うまごし / うまこし あきら、1902年(明治3… 馬越 晃(うまごし / うまこし あきら、1902年(明治35年)3月6日 - 1971年(昭和46年)7月19日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)。旧姓は山口。 愛媛県北宇和郡岩松村(岩松町、津島町を経て現宇和島市)の山口家に生まれ、越智郡今治町今治(現今治市)の馬越大吉の養子となる。1924年(大正13年)愛媛県立弓削商船学校(現弓削商船高等専門学校)を卒業し、1930年(昭和5年)甲種船長に合格した。 その後、家業の魚問屋を継承して会社組織に変更。1932年(昭和7年)今治市会議員に当選。1933年(昭和8年)11月の補欠選挙で愛媛県会議員に選出され、1946年(昭和21年)まで3期在任し、同参事会員、同副議長を務めた。
村瀬 宣親(むらせ のぶちか、1902年(明治35年)1月2… 村瀬 宣親(むらせ のぶちか、1902年(明治35年)1月25日 - 1966年(昭和41年)12月13日)は、昭和期の政治家。衆議院議員、愛媛県越智郡乃万村長。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 愛媛県越智郡乃万村延喜(現今治市)で生まれる。今治中学校(現愛媛県立今治西高等学校)を経て、神戸高等商業学校(のち神戸商業大学)で学んだが中退。今治市役所に入り、産業課長、土木課長などを務めた。その後、中華民国に赴き興亜院嘱託、山東省青島港建設事務所会計課長、青島埠頭 (株) 総務課長などを歴任した。 戦後、今治に引揚げ、乃万村長を務めた。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に愛媛県第2区から民主党公認で出馬して初当選。
徳生 忠常(とくせい ただつね、1901年11月13日 - … 徳生 忠常(とくせい ただつね、1901年11月13日 - 1999年4月27日)は、日本の実業家、九和町議会議員。 1901年(明治34年)に愛媛県の九和村(後の玉川町。現:今治市)にて生誕した。父親には内緒で菊間町にある母親の実家から伊予教員養成所を受験、小学校の準教員(代用教員)となった。その後、正教員の資格をとるために松山師範学校に通ったが父親に知れ、志半ばで退学した。 1929年(昭和3年)に商売の誘いがあり上京し、月賦販売会社の丸共に入社。わずか3年後の1931年(昭和6年)には大井町支店を譲り受け独立を果たした。1938年(昭和13年)9月には支那事変で応召され、南支方面に出征し、翌年1939年(昭和14年)11月に召集解除となった。
中村 純一(なかむら じゅんいち、1901年(明治34年)1… 中村 純一(なかむら じゅんいち、1901年(明治34年)10月28日 - 1985年(昭和60年)10月2日)は、昭和期の逓信官僚、政治家。衆議院議員、愛媛県宇和島市長。 愛媛県北宇和郡宇和島町(現宇和島市)で、中村惣八の長男として生まれる。宇和島中学校(現愛媛県立宇和島東高等学校)、第一高等学校を経て、1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格した。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した。 1925年、逓信省に入省し電務局属に任官。以後、逓信局書記官、逓信省事務官、逓信書記官・郵務局規画課長、関東局監理部逓信課長、関東逓信局長、逓信省経理局主計課長、同管理部現業調査課長、同電務局業務課長、興亜院書記官・経済部第三課長、同調査官・華中連絡部在勤、逓信省電務局長、逓信院貯金保険局長などを歴任し、1945年(昭和20年)6月に退官した。
渡辺 本治(渡邊、わたなべ もとじ、1901年(明治34年)… 渡辺 本治(渡邊、わたなべ もとじ、1901年(明治34年)4月18日 - 1961年(昭和36年)3月14日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 愛媛県、後の西条市の農家に生まれる。10歳で父が死去し、商店や銅山で働き、17歳の時に一家で九州に移った。 1925年(大正14年)中島炭鉱に入社し採炭作業に従事。1933年(昭和8年)熊ヶ畑炭鉱(山田市)を開鉱。1936年(昭和11年)篠谷炭鉱(二瀬町)を開鉱。その後、伊岐須鉱・後牟田鉱(二瀬町)、赤間鉱(宗像町)、古月鉱(鞍手町)、稲築鉱、水江鉱などを経営し、渡辺鉱業社長、渡辺商事社長となる。1947年(昭和22年)小倉硝子工業を設立し社長に就任。
菊川 忠雄(きくかわ ただお、1901年3月1日 - 195… 菊川 忠雄(きくかわ ただお、1901年3月1日 - 1954年9月26日)は、日本の労働運動家・政治家。全日本労働総同盟本部総主事・日本労働組合総同盟総主事・衆議院議員(3期)を歴任した。 愛媛県越智郡波方村(現・今治市)に、魚問屋の長男として生まれる。旧制愛媛県立今治中学校を卒業後、商社勤務を経て、1920年、旧制第一高等学校に進学。一高在学中に、社会主義思想に触れ、社会主義運動に身をささげる決意をした。1923年に東京帝国大学経済学部に進学。学内で、学生自治権拡大運動や関東大震災の被災者救援運動などを組織した。新人会会員。 1926年、東大卒業後、日本労働総同盟(総同盟)に就職。以後、労働運動の指導に従事し、1934年の第18回国際労働会議・第1回アジア労働組合会議には日本労働代表として参加した。
栗林 力吉(くりばやし りききち、1901年〈明治34年〉2… 栗林 力吉(くりばやし りききち、1901年〈明治34年〉2月27日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。栗林総業会長。栗林組会長。鳥取県議会議員。米子市議会議長。 愛媛県松山市道後湯之町に栗林佐十郎の長男として生まれる。湯築高等小学校を卒業した。その後は農業に従事する。18歳の頃より樋口組に入り、土木事業界の人となる。 独立し、土建請負業を自営。鳥取県米子市にて事業の根拠を築きあげる。1943年、米子市会議員に当選。副議長や議長に就任する。1944年に個人営業を廃業し、栗林組を設立、社長に就任する。1959年・1963年、鳥取県議会議員に当選。県会自民党、自民党に所属。 米子映画社長、リツリン映画社長、鳥取県自家用自動車協会長、鳥取県建設業協会会長、西日本建設業保証監査役などを務めた。
林田 哲雄(はやしだ てつお、1899年(明治32年)10月… 林田 哲雄(はやしだ てつお、1899年(明治32年)10月6日 ‐ 1958年(昭和33年)2月14日) は、大正から昭和期の農民運動家・政治家。衆議院議員。 愛媛県周桑郡小松村新屋敷(小松町新屋敷を経て現西条市小松町新屋敷)で、明勝寺住職・林田孝純の二男として生まれた。幼くして父が死去し母に養育された。小松小学校、西条中学校(現愛媛県立西条高等学校)を経て大谷大学に進学。1922年(大正11年)全国水平社創立大会に参加し、大学を中退して帰郷し水平運動を起こした。 1922年設立の日本農民組合に1923年(大正12年)に加わり農民運動を推進し、1925年(大正14年)別子銅山大争議を支援した。
青野 武一(靑野武一、あおの ぶいち、1899年(明治32年… 青野 武一(靑野武一、あおの ぶいち、1899年(明治32年)9月7日 - 1959年(昭和34年)12月9日)は、大正・昭和期の労働運動家、政治家。位階は正五位。 衆議院議員(4期)。配偶者は青野 喜代子。長男は青野 宏、次男は青野 徹、孫は青野 義弘、青野 光俊[要出典]。 愛媛県新居郡、のちの西条市で生まれる。高等小学校を卒業後、八幡製鐵所に入り職工として勤務。日本労友会に加わり、1920年(大正9年)同製鐵所の大争議に参加した。日本労友会が解散した後、1925年(大正14年)九州民権党が結成され執行委員に就任。その後、日本大衆党、労農大衆党、社会大衆党、日本無産党などの八幡支部書記長を務めた。
泉 敬太郎(いずみ けいたろう、1899年(明治32年)1月… 泉 敬太郎(いずみ けいたろう、1899年(明治32年)1月8日 - 1984年(昭和59年)12月7日)は、昭和時代の政治家。教育者。愛媛県新居浜市長。 愛媛県宇摩郡別子山村(現新居浜市)に生まれる。泉半次の長男。1922年(大正11年)愛媛県師範学校(現在の愛媛大学教育学部)卒業。 同年から1955年(昭和30年)まで新居郡内の小学校教員、小学校長、県教育組合副委員長を経て、1955年(昭和30年)から愛媛県議会議員を2期務める。1965年(昭和40年)社会党公認で新居浜市長に当選。5期20年在任し全国最高齢かつ唯一の社会党公認市長だったが、1984年(昭和59年)10月、病気のため任期満了を待たずに辞任した。
豊田 雅孝(とよた まさたか、1898年9月5日 - 199… 豊田 雅孝(とよた まさたか、1898年9月5日 - 1991年2月14日)は、日本の商工官僚、政治家。参議院議員(2期)。 1898年(明治31年)愛媛県生まれ。松山商業、北予中学、三高、東京帝国大学法学部政治学科を経て、1925年(大正14年)商工省入省、文書課長、企業局長を務めた。1945年(昭和20年)商工次官。1946年(昭和21年)退官。1947年(昭和22年)商工中金理事長。 1953年(昭和28年)第3回参議院議員通常選挙全国区当選(無所属)。1959年(昭和34年)第5回参議院議員通常選挙落選(緑風会)。1962年(昭和37年)第6回参議院議員通常選挙全国区当選(自由民主党)。